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乙女座の水晶祭りから三日を経ずして、すべて行き先が決まった。パーフェクト。さわやか。心地よい気分。この三日間の間に、いろんなドラマがあった。わずか三日の間に人生が凝縮されていた。一番人気は、No.3のフラワーセットだった。逆に、一人しかリクエストがなかったのが、No.7のピュアーセット。こちらの予想では、フラワーセットと並んでリクエストが多いと思っていた。ところが、蓋を開けてみると一人だけ。三日目の朝の最終確認の時、我が目を疑った。こんなこともあるのか・・・もちろん、リクエストした一人の方のところへ行くことになった。前回は、彼女のところへは何も行っていない。今回は、No.7を含めて5個のリクエストがあった。今回は、どの水晶ともよく合っていた。どの水晶が行ってもよかった。ぜんぶ行ってもおかしくはなかった。でも、そうもいかない。なにしろ、たくさんの人がリクエストしているのだから、独り占めは許されない。結局、ピュアーセットが今の彼女には最も必要だったのではないだろうか。彼女のためにセッティングされているような感じだった。同じようなことが、No.13の子連れセットでも起こった。このセットは実物もきれいだが、写真もきれいに撮れていた。にもかかわらず、リクエストが全然なかった。乙女座と合わないのかなと思った。ところが、そうではなかった。別の理由があった。二日間が過ぎて先着順になった時、すぐにリクエストがあった。本当は最初から最も気になっていたとのこと。でも、前回も前々回も水晶が届いたので、今回は遠慮して見守っていたらしい。ところが、予想に反してリクエストがなかったので、すぐにリクエストしたとのこと。このセットも、その人のためにキープしてあったとしか考えられない。すぐにリクエストが入ると思っていたから・・・いろいろ不思議なことがある。もう一つ。No.1の女神クラスター。昨日の日記に書いたもの。これは予想通りたくさんのリクエストがあった。誰のところへ行くのか注目していた。すると、ここのところ連続してすばらしい水晶が届いている人のところへ行くことになった。すごい!こんなに連続して行くなんて。正直、そう思った。後で聞いたところでは、必死の思いでリクエストしたらしい。来月、お母さんが癌で入院予定とか。それが通じたのだろうか。それと、もう一つ。この人はパワースポット巡りが好きで、よく神社に行くとのこと。女神様が好きで、気がつけば女神様が祭られているところへ行っているらしい。そういう縁もあるのだろう。やはり、日頃の行いだろうか。今回は、抽選に弱い常連の彼女もジンクスをクリアーした。みごとにスピリットセットが行くことになった。リクエストがあるか心配だったNo.18の渋~いセットも、そこそこリクエストがあった。そして、これも本人が来そうだなと感じていた人のところへ行くことになった。この他にも、オンリーワンでぴったしはまった人も何人かいた。この人のために、この水晶はあるの!という感じだった。抽選になったものでも、そういうものがたまにある。全員の名前を見ていると、すぐにこの人とわかる場合もある。逆に、なかなか決まらない時もある。特にセットになっている場合は、片方は合っても、片方が合わなかったりする。今回のフラワーセットも例外ではなかった。ローズクオーツだけなら、バッチリ合う人がいた。でも、アメジストと縁が薄かった。今回フラワーセットが行く人は、トータルでこのセットと合っていた。一番弱るのが、子供からのリクエスト。できれば、その子に届いてほしいと思う。でも、私情は挟めない。最も水晶と合っている人のところへ行くしかない。私情を入れると苦しくなる。結果、すべてのバランスが崩れる。無私でやるのが一番いい。リクエストした人と水晶との縁の深さ。それが一番自然で、無理がない。私情を入れると、調和が乱れる。そこから混乱が起きる。その混乱はどんどん拡大していく。最初の小さな混乱が、波紋のように広がっていく。最初から調和された波紋なら、どんどん周りが調和されていく。最初の一歩を間違えると、とんでもないことになる。最初の一歩が、最後の一歩。最初の一歩は、心して踏み出す方がいい。とは言うものの、日常生活は、すべてが最初の一歩のようなもの。瞬間・瞬間、心して生きるしかない。一つ間違えると、次々に歯車が狂ってくる。一つ一つ丁寧に生きるしかない。水晶は縁のある人のところへ行く。自分と縁のある水晶に出会えた人は、幸せ。まだ出会えない人は、ひたすら待つしかない。そのうちに、きっと出会える日がやってくるだろう。水晶との出会いも、人との出会いも変わらない。深い縁によって結ばれている。私情を差し挟まなければ差し挟まないほど、スムーズに縁のあるものと出会える。私情が交じると、道を間違える。回り道、すれ違い、堂々巡り・・・私心がなければないほど、物事はスムーズに進む。欲があると、道を外れる。心して、スーッと(素ーっと)生きることだろうか。『心して 一つ一つを 丁寧に 生きれば道は 自然に開く』『混乱の 元は私情を 挟むから 波紋のように 乱れ広がる』『何事も 私情挟まず そのままに 無心のうちに やればいいだけ』『無心とは 宇宙の秩序 そのままに 流れと共に ただ生きること』これが日記を書き始めて972日目の心境です。
2007.08.31
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サモトラケのニケという彫像がルーヴル美術館にある。頭と手がなく、翼がついているギリシャ神話の勝利の女神像。この翼が、NIKE(ナイキ)のマークの元になった。ナイキとは、ニケ(NIKE)の英語読み。この勝利の女神像は、1863年にエーゲ海のサモトラケ島で発見された。大理石製で、高さは328cm。紀元前190年の海戦の勝利を祝ってロードス島の人々が造ったものらしい。100個以上に断片化していたものを繋ぎ合わせて復元したとか。このサモトラケのニケと、今回の水晶祭りのNo.1の女神クラスターがイメージ的にオーバーラップする。>>サモトラケのニケの画像>>ルーヴル美術館ウエブサイトより >>女神クラスター写真(ルーヴル美術館の写真は、詳細画面を選び、右上のズームアップの円い印をクリックすると迫力の大画面で見ることができます)この水晶クラスターは、既に予約済となっている。リクエストした人が何人もいるので抽選。これから引き取り手を決める。さて、誰の元へ行くか・・・誰のところへ行っても、女神的なエネルギーを周りに振りまいてくれることだろう。インドヒマラヤの、とてもきれいなクラスター。基本は透明だが、わずかにピンクがかっている。傷や欠けもなく、ほぼ完璧に近い。最初にこの水晶を見た時は、このような形にはなっていなかった。横に倒した水晶の写真が掲載されていた。それでは普通の水晶。女神的な水晶には見えなかった。しかし、よく見ると、すばらしい形をしている気がした。オーダーしてみると、予想通りの形。立てて台座の上に置けば、女神に変身!これがこの水晶の本来のエネルギー。水晶も、どういう角度から見るかによって、ぜんぜん違ってくる。水晶が持っているエネルギーを最大限に発揮させるには、注意深く見つめる必要がある。その水晶の最も美しい角度を発見してあげる。それは人を育てるのと変わらない。その人の中に潜在する最も美しいもの。最もすばらしいものを見てあげると、その人は活きてくる。本来の可能性を花開かせる。人も水晶も変わらない。すべてを活かして使う。活用する。どのような状況も活かして使えばいいだけ。ポジティブにとらえればいいだけ。ネガティブにとらえれば、人生は暗くなる。ポジティブにとらえれば、人生は明るくなる。あらゆる状況を明るく活かして使う。そういう工夫をするのも楽しい。水晶の組み合わせを決めるためには、水晶の特徴を把握する必要がある。そのためには、じっくり何度もながめるしかない。見て、見て、見切る。見極める。本質を見極め切る。その先にあるものは、霊感や直観の世界。見極めようとする姿勢が、霊感や直観の世界につながる。そういうものは自然に開いてくる。見極めよう、本質をわかろうとする意識が、霊感や直観を呼び覚ます。特別に修行する必要はない。自然に開く。自然にわかるようになる。それが最も自然なやり方。最も無理のないやり方。副作用のないやり方。苦しみのないやり方。何事も注意深く見極めようとすることだろうか。感じ切ろうとすることだろうか。その中で必要があれば霊感も直観も開いてくる。自然にわかるようになる。霊能や超能力を求めない。そういうものは付帯物。たいしたものではない。必要によって目覚めるもの。普通の日常生活の中で、心静かに見極める。そのように心がけることが、意識を研ぎ澄ます。意識は純化され、ピュアーになる。そうなれば、自然に直観が働くようになる。無理をしないで、日々を生きる。普通に、自然に生きる。内面的に深く生きる。その先にすべてが開けてくる。『ヒマラヤの 女神の翼 携(たずさ)えて 屋久島通り どこへ旅立つ』これが日記を書き始めて971日目の心境です。
2007.08.30
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昨夜の満月は美しかった。皆既月食なので、三日月なども見られた。移りゆく月は、不思議に美しかった。風もなく、静かな夜だった。朝4時半頃に目覚めたら、まだ月は煌々と輝いていた。カーテンを開けて寝たので、部屋中に月の光が差し込んでいた。朝なのか夜なのかわからなかった。夜が消えてしまったような一日だった。最近の月は、どんどんクリアーになっている。明らかにアセンションへ向かっている感じ。時代は変化している。地球も月も変わりつつある。実は、人の意識も変化している。ただ、まだ表面化していないだけ。一人一人の中では、確実に変わりつつある。これまでの古い思い込みが削げ落ち始めている。新しい時代は、自分の思うように現実を創造する時代。これまでは想像するだけ。これからは創造する。想像が現実の創造となる。少しずつだが思ったことがそのまま実現しつつある。自分のイメージした通りの現実が実現するようになってきている。確かにお金のいらない時代になる。自分で何でもクリエイトできるのだから・・・お金はお金としての役割がある。しかし、今はお金に使われている。お金に振り回され、主客が逆転している。自分の主体性を取り戻す時。お金は必要な時に使えばいいだけ。自分の望む現実を創造するのがメイン。お金は付帯物。メインはクリエーション。月はどんどん明るさを増し、軽やかになってきている。人の意識もそのように変化していく。物質的な囚われから解放され、自由に現実を創造していくようになる。内なる光が増していく。人の本質は、元々光。これまでは、その光を秘めていただけ。これからは、その本質が全面に出て来る。本来の自分に還る。アセンションしても、現実が急に変わる訳ではない。しかし、意識は完全に変化している。気がつけば、新しい意識になっている。肉体に縛られた意識から自由になっている。それは突然なるものではなく、日々の暮らしの中で変化していくもの。アセンション頼みの人は救われない。あなたまかせでは主体性は育たない。メインは、本来の自分に目覚めることなのだから。早めに変容する人。最後の最後に変容する人。人それぞれ。いつ光の自分に目覚めるかという違い。満月の光は、自分の中にある光と違わなかった。自分の中の光を満月の中に見ていた。満月は自分だった。満月と自分は別々ではなかった。人は、光。光として、現実を創造する者。肉体ベースから脱皮する時が近づいている。物質に振り回された時代が終わろうとしている。屋久島は、皆既月食を過ぎ、更にクリアーになっている。今朝は昨日とは違う。すべてがクリアーで、さわやか。自然は明らかに変化している。『月食を 過ぎて満月 なおさらに クリアーになり 光り輝く』これが日記を書き始めて970日目の心境です。
2007.08.29
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今日は、満月。しかも、皆既月食。「屋久島ナチュラルヒーリング」のHPでは、満月恒例の水晶祭りがスタートしている。今回は、乙女座の水晶祭り 。乙女座の誕生石は、ローズクオーツ。と書かれていたサイトがあった。実際、ローズクオーツの波動は、乙女チック。特に結晶が、そんな感じがする。ローズクオーツは、水晶の中で最も結晶しにくい。市販されているものは、ほとんどが研磨されたもの。それは正確に言うと、紅石英。結晶したものだけが、紅水晶。紅水晶は、極端に少ない。ほとんどは結晶しないで塊状で産出される。それを丸やハートや六角形に磨いてある。それが一般的にローズクオーツと呼ばれているもの。ここのところ、ローズクオーツをたくさん購入している。関心が向くと集中する傾向がある。その数、21個。内訳は・・・結晶クラスター、6個。小さな結晶ポイント、2個。原石、4個。丸玉、2個。タンブル、3個。ハート形、1個。六角柱、1個。川流れ、2個。これだけ買ってみると、ローズクオーツというものがある程度わかる。色の濃淡、透明度、結晶の大きさ・・・一口にローズクオーツと言っても、いろいろある。しかし、ネットで購入するのは至難の業。それは色が正確にわからないから。手元に届くまで、どんな色なのか正確にはわからない。実物を見れば一目瞭然だが、ネットの写真では曖昧。当たりか外れか賭みたいなもの。結果は、当たりもあれば外れもあった。思ったより色が濃いものもあれば、予想外に薄いものもあった。透明なつもりで買ったら、不透明だったりもした。ローズクオーツに限ると、ネットで購入するのはかなりリスクがある。それでも、屋久島のパワーストーンの店にあるローズクオーツよりは遙かにすばらしいものが届いている。購入したものをずらりと並べてみると、壮観。その一角だけ異次元空間になっている。ピンクのオーラが一面を・・・これまであまり体験したことのないような空間。殊更に避けてきたようなエネルギー。愛。やさしさ。えも言えぬような幸せ感。幸福のエネルギー。ハート。満たされた感じ。ローズクオーツは、愛の石。最高の愛の石。愛と美の女神、アフロディーテの象徴。愛と美の星、金星を表すとも。ローズクオーツは、見ているだけで癒される。固まっていた心がゆるんでくる。人を許せるようになる。同時に自分も許せるようになる。心の傷が癒される。周りに寛大になれる。ネガティブエネルギーが消えていく。肉体と感情が安定する。ローズクオーツは、ハートに訴えかける。その波動は、愛そのもの。すべてを包み込むやさしさの塊。女性性を高める。心がやさしくなり愛に包まれれば、ホルモンの分泌も活性化する。その結果、肌が美しくなる。ローズクオーツは、美の象徴でもある。女性的な美しさが表に現れるようになる。そのため、すばらしい恋愛運にも巡り逢える。恋愛の石としても有名。やさしさや幸せの波動をふりまくので、恋愛もスムーズに進む。自分勝手とは対極にあるので、何事もうまくいく。愛はすべてに優る。愛に敵うものはない。ということは・・・ローズクオーツに敵うものはない?傷ついている人や自己否定の激しい人も、ローズクオーツによって癒される。自分自身を愛せるようになる。激しさに縁のない石。どこまでもやわらかく、やさしい。それはまるで母の愛。恋する乙女の純粋な愛であると共に、大きな母の愛でもある。なにしろ愛の象徴。これ以上の愛の石はない。無条件の愛は、信頼と調和を産み出す。美に対する感受性を高め、共感を呼び起こす。痛みを和らげ、愛を受け入れやすくする。受容を促し、自信や自尊心を培う。まるで宇宙の愛の本質と直結しているかのような石。愛の塊。愛が水晶の形になって結実しているようなもの。愛そのもの。愛というと、抽象的で説明に困る。しかし、ローズクオーツを見せれば、愛がそこにある。愛の波動が生きている。これが、愛!癒されたい人は、一つ持つといいだろう。毎日ながめていれば、自然に心は癒されていく。人を許せない人も、自分を許せない人にもいい。失恋して傷ついている人にもお薦め。自分の中の愛のエネルギーに目覚めたい人は、ローズクオーツをよーく見つめるといい。ハートと共振し、愛が目覚める。無条件の愛がどういうものかわからない人は、ローズクオーツと共に一緒に眠ってみるといい。すべてを許し、すべてを抱きしめるやさしさに包み込まれることだろう。自分の中の醜いものを見たくない人は、ローズクオーツだけを見ていればいい。醜いものは、やがて愛の中に消えていく。普遍的な愛は、すべてを癒し、すべてを健やかにする。気がつけば、生まれたての赤ちゃんのようになっている。ハートの本質は、いついかなる時も愛そのもの。周りが曇ることはあっても、ハートの本質が変わることはない。宇宙の始まりから終わりまで、ハートは愛そのもの。愛は宇宙の本質。愛と共に生きることをサポートする石、ローズクオーツ。愛がほしい人は、一つ身近に置いておくといいかもしれない。忘れかけていた愛が甦ることだろう。愛は常にハートの中で生きている・・・『どのように 傷つき疲れた 人であれ ローズクオーツ 癒してくれる』『見ることで 愛は静かに 甦る 愛のやさしさ ローズクオーツ』『見るだけで 愛の波動に 満たされる ローズクオーツ 愛の水晶』これが日記を書き始めて969日目の心境です。* 次回の天秤座の水晶祭りでもローズクオーツは登場する予定です。
2007.08.28
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今日の 「屋久島ナチュラルヒーリング」のHP のトップ写真は、屋久島大水晶。これは屋久島の人もほとんど見たことがないもの。これまでわかっている範囲では、屋久島で最も大きな水晶。かなり昔に見つかったもの。長い間、タンスの奥に仕舞われていたらしい。そこのおばあちゃんがお嫁に来た時にはあったということなので、少なくとも60年は経っている。屋久島の北西に当たる永田という集落にあった。屋久島第二の高峰、永田岳(1886m)の麓で採れたのだろうか。8月2日、台風の日だった。永田いなか浜の方へ行ったが、そこも雨。激しい波が打ち寄せていた。車から降りられず、やむなく宮之浦へ引き返す。島中が暴風雨に襲われており、どこにも行き場がない。やむなく、水晶を見ることに。サラダ館という、屋久島唯一のパワーストーンの店に入る。お客は誰もいなかった。ちょうど社長が居合わせて、いろいろ説明してくれた。この社長は屋久島で最も鉱物に詳しい。島中の鉱物を探し回っている。先日は屋久島には存在しないと言われていた植物の化石を発見して新聞記事になった。その社長が、わざわざ台風の日に来てくれたので取って置きのものをお見せしましょうと。何が出て来るのかと思ったら・・・奥から社長が持ってきたものが、この屋久島大水晶。社長も、これまで見た中で最大と。高さ18.7cm、横幅8.8cm、奥行き5.4cm、重さ975g。実に大きい。ほぼ掌(てのひら)サイズ。ずっしりと重たい。ほんの少しスモーキーがかっている。小さな水晶が周りを取り囲むカテドラル。大きい割には透明感がある。雰囲気は、ヒマラヤ水晶に似ている。これは、永田の計屋謙吉さんが石好きの社長のところに持ってきたもの。そのまま置いていったとのこと。いかにも屋久島らしい。さて、これをどうするか。社長に言わせれば、神社の御神体になってもおかしくないレベルのもの。屋久杉の台座を作って、店内に展示したいとのこと。これなら一見の価値がある。屋久島水晶として自信を持って紹介できる。これまでも屋久島産の水晶をいくつか店内に展示してあった。しかし、それはせいぜい10cmどまり。あまり迫力はなかった。今回のものは、まるでスケールが違う。これならどこに出しても恥ずかしくない。よくぞ屋久島にいてくれました!とは、社長の言。島外に流出しなくてよかった。屋久島に水晶があるのはわかっていた。実際、そこそこのものはたくさん見てきた。しかし、これほどのものがあるとは・・・さすが屋久島!これだけの水晶が発見されたということは、もっとある可能性がある。たぶん、もっとたくさんあるだろう。屋久島は地球の情報発信基地。そして、宇宙からの情報受信基地。水晶があっても不思議ではない。実際、益救神社の神主さんは、屋久島の20ヶ所に水晶があると言っている。屋久島の主要ポイントに水晶がインプットされていると聞いても、まったく違和感はない。やがて、その場所もはっきりしてくることだろう。屋久島がパワースポットであるのは、周知の事実。これまで眠っていたパワーが、これから開放されていくのだろうか。屋久島大水晶が表に出て来たということも偶然ではないだろう。いよいよ屋久島が表に出る時期が来たということだろうか。何度見ても、すばらしい水晶。もう手放したくない気分。でも、こんなすばらしいものが屋久島にあったということが確認できただけでも十分に満足。あるとは思っていたが、実際に目の前にすると感慨深いものがあった。この屋久島大水晶は、非常にクオリティが高い。水晶好きな人なら、一目でわかるくらいのハイクオリティ。これだけのものは、残念ながら自宅にはない。ぜひ、このようなものがほしい。そのうちに屋久島の中で見つけ出したいと思っている。あるのは間違いない。問題は、どこにあるかということ。まあ、縁があるかどうかなので・・・縁があれば、すばらしい水晶にも出会えるだろう。力ずくで探し回るというものでもない。天の時、地の利、人の和。すべてタイミング。屋久島大水晶は、そのうちに店内に展示されるだろう。そうなれば、隠れた観光名所になるかもしれない。少なくともkimiガイドは案内するだろう。これを見ずして屋久島を語るなかれ!『現れた 大水晶は 屋久島の 秘めたる力 指し示すもの』これが日記を書き始めて968日目の心境です。* 「いのちの島=屋久島」 の方にも屋久島大水晶の横からの写真が掲載されています。
2007.08.27
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数日前、4歳の女の子を含むファミリーをガイドした。中1と小4のお兄ちゃんもいた。両親も含めた5人家族の中心は、4歳の女の子だった。明るさと元気さがみなぎっていた。怖いもの知らず。物怖じしない。思ったことをストレートに喋る。恥や遠慮というものはない。躊躇や裏表がないので、一緒にいて気持ちがいい。行き帰りの半分ぐらいは手を握っていただろうか。可愛い手。小さな子大好き!白谷雲水峡は、若いギャルたちがたくさん歩いている。でも、4歳の女の子には勝てない。心の中にわだかまりがなく、シンプルそのもの。小さければ小さいほど魅力的。どんな美人でも幼子の魅力には敵わない。圧倒的な若さと明るさ。生命力の発露。純粋な生命力に勝るものはない。まだ恐怖心というものがない。恐怖体験の絶対量が少ない。それに思考力が発達していない。恐怖心が存在するには条件がいる。恐怖体験+思考力。それが、未来の恐怖をつくり出す。いや、もう一つ条件がある。過去の恐怖を思い出させる現実。過去を思い出させるきっかけと、過去の恐怖体験と思考力。これで恐怖心ができあがる。これらの条件がそろわない限り、恐怖心というものは存在しない。恐怖心は、生まれた時から存在するものではない。本能的な恐怖感はある。動物的恐怖とでもいうような、危険に際しての本能は存在する。しかし、それはその時だけ。本能というのは、その場限り。満腹であれば、美味しい獲物が目の前を通ってもライオンは襲わない。本能が満たされれば、それ以上は求めない。それが本能というもの。食欲も性欲も限度がある。本能的恐怖も、危険が去れば消える。ところが、恐怖心というものは際限がない。過去の記憶を、いつまでも思考が弄(もてあそ)ぶ。ありもしない恐怖の未来を想像の中で無限につくり出す。感覚も感情も持続性に欠ける。しかし、思考は持続性がある。記憶がベースの思考は、ある意味、安定性がある。観念や信条や信仰は、その場限りではない。4歳の女の子では、周りに対する配慮は働かない。ストレートなので、言葉で相手を傷つけることもある。相手を思いやるところまで思考力が発達していない。しかし、思いやりが過ぎると・・・考え過ぎて何も言えなくなってしまう。躊躇しているばかりでは、行動に移せない。過ぎたるは及ばざるが如し。なかなか難しい。恐怖感は必要。慎重であることも必要。過去の経験を生かすことも必要。でも、過去ばかりに囚われ過ぎると、今を生きれない。肉体も感覚も感情も思考も、徐々に発達していく。そのどれかに囚われ過ぎると、バランスが壊れる。しかし、未発達でも困る。調和とバランス。4歳の女の子は可愛い。無条件に可愛い。でも、いつまでも可愛いだけでは子供のまま。いろんな経験をして、バランスよく成長する必要がある。これから、いろんな壁にぶつかることだろう。その時、どうするか。真っ正面から向き合うか。それとも、逃げるか。人生に正面からぶつかり、一つ一つ理解していく。けっして人生から逃げない。真っ直ぐに生きる。それが人生を理解する早道。人生は試行錯誤。この世は手探り。いろんなことを学び成長するところ。楽しい学校。失敗も成功もある。それらを通して学べばいい。失敗や成功が重要なのではない。それらを通してバランスよく自分自身を成長させること。調和されバランスの取れた、しなやかな自分自身を創り上げること。人生は調和とバランスの波乗りゲーム。いろんな能力を発達させ、それらを統合する。統合して、調和の中に生きる。この世は、学びの場。いろんなことを体験して、たくさん学べばいい。楽しく自分自身を成長させればいい。大輪の花を咲かせればいい。最後に、出口の近くの川で遊んだ。女の子は、何度も何度も川に入った。そろそろ帰ろうと言っても、なかなか言うことを聞かなかった。子供は水遊びが大好き。小さければ小さいほど、水が好きなようだ。子宮の中の羊水を思い出すのだろうか。実は、大人も水が大好き?その証拠に、夏になると、みんな海水浴に行く。それだけではない。毎日、風呂に入る。温泉も大好き。人類は、どうも水が好きなようだ・・・『ありもせぬ 不安・心配 恐怖心 思考がつくる ネガティブパターン』『丁寧に 一つ一つを 紐解いて ゆっくりじっくり 理解していく』『急がない けっして逃げない 慌てない じっくり構えて 静かに対応』『落ち着いて やれば必ず 道がある 自分自身と 共にいること』これが日記を書き始めて965日目の心境です。
2007.08.24
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すべての現象をポジティブに捉えられれば、何も問題はない。逆にネガティブに捉えると、問題だらけ。元々、問題というものはない。ポジティブもネガティブもない。元々問題のないものを、ネガティブに捉えて問題をつくり出す。ネガティブに捉えなければ、問題はない。ネガティブに捉えると、問題ができる。問題を消す唯一の方法は、ネガティブに捉えないこと。すべてをポジティブに捉える。それができれば言うことはない。すべての現象は、自分にとって必要なこと。そのように捉えれば、その瞬間、問題は消滅する。しかし、多くの人は絶対的にポジティブには捉えきれない。どうしても不安や心配が頭をよぎる。それが、癖。思考パターン。ポジティブのままでいられない。必ずネガティブな思考が沸いてくる。沸いてくるだけなら問題はない。そのまま放置しておけばいい。しかし、多くの場合、その思考に呑み込まれ、不安や心配そのものになってしまう。気がつけば、ネガティブそのもの。気持が暗くなれば、現実も暗くなる。ネガティブの悪循環が始まる。ポジティブに徹しきれない。絶対的ポジティブでいられない。すぐに心が揺れ動く。不安や心配の方が、絶対的ポジティブより居心地がいい。絶対的ポジティブに徹しきれれば、その瞬間、ネガティブは消滅する。元々ネガティブなどないのだから、ポジティブに捉えさえすれば、ネガティブは存在できない。絶対的ポジティブの世界が即座に実現する。自分にとってベストのことだけが起きる。そのように思えれば、幸せ。事実は、必然のことだけが起きている。何も心配はいらない。自分が播いた種を自分で刈り取っているだけ。絶対的ポジティブというのは、ポジティブでもネガティブでもない。ニュートラル。ポジティブとネガティブは、二つで一つ。相対比較の世界。絶対的ポジティブは、必然の世界。一喜一憂・喜怒哀楽を超えた次元。必然のことが起き、次々と展開していく。自分の選択を信頼する。人は、意識的にポジティブであろうと努力する。しかし、そこには無理がある。抑圧された不安や心配は、やがて爆発する。事実ベースを心がける方が、無理がない。価値判断を外して、事実ベース。事実ベースで生きていれば、やがてネガティブは姿を消す。思考パターンがネガティブから外れる。相対比較の次元を抜ける。ポジティブやネガティブというのは、思考の世界。相対比較の次元。その次元を超えれば、絶対的ポジティブ。そこへはポジティブやネガティブを外した事実ベースから入る。今いるところは、ポジティブやネガティブの相対の世界。これから向かうのは、ポジティブやネガティブを外した事実ベース。最後に辿り着くのは、絶対的ポジティブ。事実ベースは、相対から絶対への橋渡し。絶対的ポジティブとは、全肯定。全抱擁。抱(いだ)き参らせの世界。すべては、ひとつの次元。『相対の 岸を離れて 絶対の 彼岸へ向かう 事実ベースで』『あれこれと 迷い苦しむ 俗世間 事実ベースで 楽しみ生きる』『目の前の 世界を抱いて 静まれば 相対比較 消えて絶対』これが日記を書き始めて、962日目の心境です。
2007.08.21
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朝から水晶の浄化に行く。海は、意外と波が強かった。海は短時間にして、川へ向かう。川は、いつもより水量が少ない。ここのところ、あまり雨が降っていないからだろうか。それでも、水晶を浄化するのには十分。雨が少ないので、水は清まりきっている。夏は、この冷たさが心地よい。新しく届いた水晶と、乙女座の水晶祭りに出す予定の水晶たち。四つのザルに一杯。今回は、ローズクオーツとアメジストが多い。これらは直射日光に弱いので、日陰で川の流れに浸す。川の中の大きな石に座って、一個一個丁寧に手で磨く。みんな磨き終える頃、ちょうど浄化も終わる。川は水量があるので、そんなに長い時間浸す必要はない。なにしろ膨大な水が流れている。自宅に帰って、日光浴。但し、ローズクオーツとアメジストは、すぐに部屋に入れる。陽射しが強いので、外に出ているものはすぐに乾く。太陽と風による自然乾燥。次の水晶祭りは、8月28日の満月の予定。本当はヒマラヤ水晶の特集にするつもりだった。ところが、「乙女座の水晶祭り」と名づけたことから、様子が変わってしまった。乙女座の雰囲気に合うのは、ヒマラヤ水晶ではなかった。乙女座の雰囲気に合うのは、ローズクオーツやアメジスト。ローズクオーツは、まさに乙女チック。そのやさしいピンクは、乙女そのもの。アメジストも、乙女座には悪くない。乙女座の誕生石は、サファイヤ。これは高すぎて問題外。それに、ある程度研磨しないと美しくならないのではないだろうか。原石は、あまり美しい感じはしない。実は、乙女座の次の天秤座の水晶祭り用にも少し準備している。天秤座の守護星は、愛と美の女神ビーナス。ローズクオーツは、ここにも似合う。なにしろカラフルな石が相応(ふさわ)しい星座。ゴールドルチルも、少し登場してもいいかもしれない。ロードクロサイトやトルマリンなども登場しそう。カラフルで豊かな水晶祭りになることだろう。ヒマラヤ水晶は、次の蠍座の水晶祭りまで主力にはなれそうにない。水晶祭りで届いた水晶の感想が寄せられている。水晶が届いたら瞑想するつもりが、そのまま眠ってしまったというメールが何通かあった。エネルギーのあるものに接すると眠くなる。ハイエネルギーに表面意識が付いていけない。でも、眠っている間に浄化されている。その証拠に、目覚めたらスッキリさわやか。詰まっていたものがクリアーになっている。それが水晶祭りの水晶たち。日本で最高レベルの自然の中で浄化されている。太陽や月のエネルギーも満ちている。最後に光のエネルギーまで充電してある。これ以上の水晶があるだろうか・・・水晶は、道楽。まさに楽しみの道。美しいものと一緒にいると、楽しくて楽。十分に楽しんで、次へ回す。水晶祭りで儲けるつもりはない。次の水晶を購入する資金の一部になればと思っている。基本的にはガイドで稼いだもので購入している。でも、引き取り手がないと増えすぎて困る。循環しているのが一番いい。循環している限り、新しいものに出会える。それが何よりの楽しみ。次々とすばらしいものがやって来る。水晶と出会い、水晶を楽しむ。その本来持っているエネルギーをフルに発揮してもらうために、屋久島の自然の中で浄化・充電する。水晶は屋久島へ来て、また屋久島から出て行く。屋久島の光が地球全体に広がっていく。『はるばると 屋久島へ来た 水晶は 光を帯びて 島を出てゆく』 これが日記を書き始めて960日目の心境です。
2007.08.19
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屋久島は、暑い夏が続いている。山の方では、時々は雨も降っている。そのおかげで、苔の緑が美しい。森は、常にさわやかな風が吹いている。水晶が続々と届いている。ざっと数えただけでも、これまでで最高の250個近くになった。これから10個ぐらいは届く予定なので、数は更に増える。次の水晶祭りは、余裕でOK。それらの水晶を机の上に置いてながめていると、まさに壮観。いろいろな水晶がある。色、形、クオリティ・・・まさにそれぞれ。それぞれに個性を持つ水晶たち。それは、まるで人とそっくり。人をながめているのと何ら変わらない。たぶん、いろんな花々を並べてみても同じだろう。この世は個性の花園。水晶が最も美しく見える角度というものがある。その角度にはまると、これまでとは見違えるように水晶が輝く。その水晶の本質が現れる。その角度を求めて、ありとあらゆる角度から見つめる。人にも、個性というものがある。その人だけの特徴がある。それをやらせると、その人が見違えるように輝くものがある。そういう角度を発見することだろうか。鉱物も植物も動物も、多種多様。そして、人も豊か。地上は、豊かさに充ち満ちている。個性が花開いている。それらの個性を楽しむ。それらの個性を味わう。すばらしい個性の花を咲かせる。そのために地球にやって来たのだから。肉体を維持することばかりに意識が向くと、個性は枯れてしまう。自己保存の本能だけをベースに生きると、競争社会になってしまう。競争でエネルギーを消耗し、個性の花は咲かないで終わる。フォーカスを自分自身に向けることだろうか。意識を外に向けると、比較や競争になってしまう。行き着く先は、戦争。食うか食われるかの世界と化す。もっと自分を大切にした方がいい。自分の肉体ではなく、自分の精神を。自分自身の本質を。食うために生きている訳ではない。生きるために食べているのだから。自分自身を咲かせる。どんな花を咲かせるか、自分に聞く。どんな花になりたいか、自分自身に問う。自分の内に答はある。水晶たちは、美しい。同じものはない。それぞれに個性があって美しい。その中でもベストの角度がある。自分の中のベストの角度を見出すことだろうか。自分自身の個性を発見することだろうか。自分が最も活き活きするものに気づくことだろうか。自分自身を輝かせることだろうか。昨夜は、満天の星が輝いていた。天の川が大空を二分して横たわっていた。雄大な宇宙が目の前に開いていた。声もなく、ただ感動するしかなかった。『悠久の 時を流れる 天の川 無数の星は 個性の煌(きら)めき』『活き活きと 自分が輝く 生き方を 自分自身で 見出してゆく』これが日記を書き始めて959日目の心境です。
2007.08.18
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次のようなコメントがありました。「いつも楽しく拝見させていただいています。どうすれば、Kimiさんのように、光を送ったり、エネルギーを感じたり・・・、スピリチュアルな自分に目覚めることができるのですか。能力のある方にお金を支払えば、前世を知ることもガイドからのメッセージを受け取ることも、ほかにもいろいろ可能だとは思いますが、自分の力で自分のことをもっと深く理解したいと心から思います。どうかアドバイスをください。」お金を払えば、いろいろ教えてもらえます。ピンと来ることもあれば、ピンと来ないこともあります。納得できる時もあれば、スッキリしない時もあります。やはり人に頼っていては限界があります。自分でわかるのが一番です。結局、自分のことは自分が一番よくわかるのですから。但し、それには条件があります。主観的であっては、自分のことはわかりません。「岡目八目」という諺があります。外から見ていると人のことがよくわかります。なぜなら、客観的に見れるからです。でも、自分のことはわかりません。なぜなら、客観的になれないから。もっとはっきり言えば、自己中心的だから。それでは自分を正確に理解することはできません。実際、自分のことを客観的にわかるのは至難の業です。自己中心的に生きている限り、自分のことを真に理解することはできません。なぜなら、自分の都合のいいように見ているだけだから。自己中心的とは、すべてにおいてそういうことです。自分の都合のいいようにすべてを見ているだけなのです。それは思い込みの世界です。自分の思い込みの世界で生きているだけなのです。事実ベースではありません。客観的ではありません。まずこのことを理解する必要があるのではないでしょうか。本当に自分を理解したかったら、自己中心的では無理なのですね。自分に都合のいいように理解しても、単なる思い込みです。事実を客観的に見る目が必要なのですね。霊能がある人もいますが、自我のままに使っては身を滅ぼすだけです。まず客観的に自分自身を見つめることから始めることでしょうか。必要があれば霊能は後から付いてきます。最初に超能力を求めれば、身を誤ります。基本は、自分を見守ることです。できるだけ主観を入れないで見守ることですね。自分の都合のいいように解釈しないことです。ただ事実を見守るだけです。自分自身を見守っていると、意識は徐々に研ぎ澄まされてきます。自分のことだけではなく、他のことも自然にわかるようになります。自分がわかれば、同時に人もわかるのですね。自分と他の人は基本的には変わらないのですから。逆に言えば、他の人を見るように自分が見れたら、客観的に見れているのかもしれません。他の人のことはよくわかります。でも、自分のことはよくわかりません。それは自分自身になりきっているからです。自分との距離がないのですね。ケガをすれば痛みを感じます。それは自分と肉体が一体化しているからです。でも、体は病気になります。自分の思うように動かなくなります。その時、体と自分との自己同一化が薄れます。同じように、怒りや悲しみなどの感情を自分ではどうすることもできない時があります。 本当は、感情と意識との間にも微妙な距離があるのですね。実際は、本能や感覚や感情や思考との間にも微妙な距離があります。自分自身というものは、いろんなものの集合体です。自分自身を注意深く見守っていると、そういうことが実際に感じられてきます。人から聞いたことではなく、自分の実感として。思考を超えた意識領域は、更に深いものがあります。過去世もあれば、魂もあれば、グループソウルもあります。もっともっと大きな意識にもつながっています。そういう意識とのつながりも、突然、わかる訳ではありません。突然、閃く人もいるかもしれません。でも、いつ閃くかわからないものを待っていても仕方がありません。自分自身を見守る中で、自然にいろんなことがわかってきます。エネルギーがわかってくれば、それらを使うこともできるようになります。今生では、特に修行したり、特別の何かをしたりということはありませんでした。自分を見守る中で、いろんなことを感じられるようになっただけです。ですから、特別のノウハウはありません。普通に暮らし、自分を見守っていればいいだけです。自己中心的に生きることから離れる程度に応じて、いろんなことがわかってくるでしょう。自分の思い込みの世界から離れるにつれて、物事が客観的にわかってきます。自分自身を理解する程度に応じて、自分以外のものもはっきりわかるようになります。極めてシンプルです。難しい理屈や理論はいらないのですね。自分自身を客観的に見守る。一切判断や解釈をしないで、ただ静かに見守る。そのプロセスの中で自分自身が見えてきます。自分が見える程度に応じて、エネルギーもわかるようになります。そして、必要に応じて、それらを使えるようにもなるでしょう。別に難しいことはありません。ただ自分自身を見守ることです。それによって自己中心的生き方から離れることですね。そうすれば、物事がスムーズに流れるようになります。滞りなく、すべてが流れるようになります。自我を離れ、宇宙と共に生きれば・・・自我と共に生きている限り、混乱と苦しみの人生です。別にそれが悪い訳ではありません。ただ事実としてそういうことなのです。自我とは自己中心的に生きることですから、トラブルが絶えないのですね。何も慌てることはありませんので、まずは自分自身を見守ることから始められたらいかがでしょうか。自分を見守っている中で、いろんな気づきが起きるものです。だんだんといろんなことがストレートにわかるようになります。自我という障害物がなければ、そのまま見えるだけですから。後は、いかに波動がこまやかになるかだけです。波動がこまやかになった程度に比例して、精妙な次元が開いてきます。自分の意識の状態に応じたものが見えるだけなのですね。何もマジックはありません。まあ、ゆっくりやってください。焦らないで、マイペースで。やり続けることが大事ですから。結果を求めないで、ただ自分を見守っていてください。『ゆっくりと 自分自身を 見守れば 深い意識が おのずと開く』『難しい ことはいらない ひたすらに 自分自身を 見守り生きる』これが日記を書き始めて951日目の心境です。
2007.08.10
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貧しい時は 深まる時豊かな時は 広がる時お金がなければ 一つ一つを大切にするお金があれば いろんなものを試してみるお金がない時は 一つ一つを味わえるお金があり過ぎると 一つ一つが雑になる一つ一つをこまやかに味わえば 波動はこまやかになる一つ一つを大雑把にしていたら 波動は荒くなる貧しい時は 土星と仲良し豊かな時は 木星と仲良し土星は人を強くする木星は人を大きくする厳しいだけでは 豊かとは言えない恵まれているだけでは 強いとは言えない時に土星と出会い 厳しさを学ぶ時に木星と出会い 豊かさを体験する人生は山あり谷あり上げ潮の時もあれば 下げ潮の時もある時流に乗れることもあれば時流に乗れないこともあるポイントは お金に振り回されないことお金を有効に使うことお金は貯めるためのものではなく 使うためのもの遭難した時 お金は何の役にもたたない自分の人生を豊かにするために お金を使う周りの人を幸せにするために お金を使うお金に使われないで お金を活用するお金を有効に使って 人生を豊かにする大切なことは 自分の人生を豊かにすること自分自身を深く生きることそして 周りの人を幸せにすることそのためにお金を使うお金はあってもいいし なくてもいいお金に使われないで お金を使いこなすお金がない時は 一つ一つを大切にするお金がある時は いろんなことにチャレンジするお金は使い方しだい間違ってもお金に使われないこと主体性をしっかりと持つ自分の人生を自分で切り開くそのために必要なお金を使うお金は道具流れゆくもの流れるものに囚われない流れるものは 流してあげる留めようとすれば 流れが止まる流れるものは 有効に流してあげるみんなが豊かになるように流してあげる『金なくば 一つ一つを 味わって 深く生きれば 何より豊か』『金あれば 新たなことに チャレンジし この世の豊かさ 広く体験』『何事も 流れのままに 流す時 滞(とどこお)りなく 囚われもなし』これが日記を書き始めて950日目の心境です。
2007.08.09
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最近のドラマは、テンポが速い。次々にストーリーが展開していく。最近の歌も、ハイテンポ。時間も速くなっており、すべてがスピードアップしている。昭和の時代は、もっとゆっくりしていた。大正や明治は、更にゆったりしていた。江戸時代は、もっともっとスローだった。縄文時代は?時代のテンポが、どんどん速くなっている。思ったことが実現するスピードも速くなる一方。いつまでも同じところにいると、次の展開に乗り遅れてしまう。流れと共に生きるしかない。時代は、どんどん変化している。いつまでも過去の波に囚われていると、新しい波には乗れない。一歩先には、思ってもみない展開が待っている。すばらしきかな人生。その展開をワクワクしながら待つ人。不安や心配と共に待つ人。結果は天と地ほどの違いがある。心配すれば、心配した通りの未来が待っている。ワクワクしながら喜びと共に開いていくのを待つのもいい。夢があって楽しい。しかし、期待があれば、期待外れということも起きる。作用があれば、反作用もある。ただ無心で見守る。期待も不安もない。ただニュートラルで展開を見守る。プラスでもなく、マイナスでもなく・・・無心とは、プラス・マイナス・ゼロ。ニュートラル。自然体。恣意(しい)が働かない心。何の心配もなく、何の期待もなく、ただ推移を見守る。心の中に心配がなければ、心配するようなことは起きない。たとえそのようなことが起きても、不安や心配なく対処できる。よけいな思考が働かなければ、ただ事実に対処するだけ。大切なのは、心の状態。失望や落胆のない無心な心だけが、事態に適切に対処できる。期待や不安があれば、心は動揺する。心が動揺すれば、適切な対応はできなくなる。無心とは、ゼロ。自分の都合がないこと。自分を勘定に入れた思考が働かないこと。ただクリアーな心。プラスでもなく、マイナスでもない。好きでもなく、嫌いでもない。過去でもなく、未来でもない。何ものにも囚われることなく、ただ自然のまま。今ここは、ゼロポイント。過去もなく未来もない。意識が外で遊ぶこともなく、内で遊ぶこともない。時間も空間も消え、今ここがあるだけ。実際は、今ここも消える。今は永遠になり、永遠が今になる。無心の中には不安はない。無心の中には何もない。喜怒哀楽に振り回されることもなく、喜怒哀楽から離れることもない。喜怒哀楽と共にあり、喜怒哀楽を楽しむ。過去も未来もなく、今にすべてがある。過去も未来も、今ここにすべてがある。『目の前を 無心のままに 眺めれば 事実浮かんで 迷いは消える』これが日記を書き始めて949日目の心境です。
2007.08.08
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