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『持ってても 持ってなくても 物質は 囚われなければ どちらでもいい』『執着が なければこの世 サバサバと 迷うことなく 生きられるもの』『執着が 人を迷わせ 暗くする 悩みの元は 囚われること』『何もない 意識であれば 物事が そのままスッと 見えてくるもの』『移りゆく 色に執着 する時に 苦しみという 重荷生まれる』『何もかも 手放す時に 真実の 深い心の やすらぎがある』『何もない 心に愛が 満ちてくる 愛は自然に 湧いてくるもの』『真空が 愛を自然に 引き寄せる 何もない時 愛が湧き出す』『空という 想念(おもい)が消えた 世界では 尽きることなき 愛があふれる』これが日記を書き始めて1519日目の心境。
2009.02.28
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『肉体に なりきっている 精神を 肉体以前に 戻す必要』『肉体は 朽ち果てるとも 魂は 朽ちることなし 意識は続く』『肉体は 束の間共に いるだけの この世限りの 霊の乗り船』『肉体と 共に成長 することで 自分のことを 肉体と思う』『肉体の 快に溺れて 肉体の 虜となって しまう精神』『肉体と 共に成長 する時に 快も不快も 肉体ベース』『思い込み 外していけば 肉体の 頸木(くびき)外れて 自由になれる』『肉体は 神の意識を 花咲かす 地上における 神の乗り船』『人はみな 神の御国を 創らんと 地上に降りた 神の分身』『肉体に 入ってみれば 肉体が すべてと思う 人の愚かさ』『肉体を 維持することに 意識向き 魂である ことを忘れる』『肉体を 保つだけでは 意味がない 肉体使い 地上創造』『肉体を 通して地球(ここ)に 精神の 花を咲かせる それが人生』『限りある ものと自分を 思う時 無限の世界 理解できない』『肉体に 閉じ込められた 精神が 限りある身と 思い込むだけ』『有限と 思う心が 有限な 世界をつくり 意識制限』『限りある 意識を持って 生きる時 周りのものは すべて有限』『限りない 意識を持って 生きる時 周りのものも 限界はない』『肉体は ちゃんと使えば いつまでも 無限に生きる 神の乗りもの』『使い方 間違えるから 肉体が 壊れてしまう 無理解のため』『肉体は 無限に生きる メカニズム 無限循環 宇宙と同じ』『渦を巻き 姿形を 変えながら 宇宙は無限に 広がっていく』『人もまた 渦巻き宇宙 小宇宙 渦巻きながら 無限に生きる』『同じこと 二度とは起きぬ 渦巻きは 螺旋描いて 展開していく』『人もまた 経験重ね 渦巻きを 拡大しつつ 展開していく』『目に映る 色の世界は 色々と 組み合わせ方 楽しむところ』『組み合わせ どんどん変えて 日々新(あら)た 宇宙自体は 変わることなし』『色は動 渦巻き宇宙 空は静 真空宇宙 同時存在』『色と空 顕在意識が 色ならば 潜在意識が 空ということ』『生まれ出た ものが色なら 生まれ出る 前の姿が 空というもの』『目を開けた 世界が色で 目を閉じた 世界が空と いうだけのこと』『色と呼び 空と呼べども その実は ひとつのものが 在りて在るだけ』『身は色に 心は空に 置きながら 四季(色)折々の 変化見守る』これが日記を書き始めて1518日目の心境。
2009.02.27
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『移りゆく 色は幻 ひとときの この世の花が 咲いているだけ』『移りゆく 色の世界に 囚われて 苦しみという 重荷を背負う』『表層の 色の世界に いる限り 振り回されて 一喜一憂』『人はみな イメージの中 色の内 己が世界で 生きているだけ』『移りゆく 色の世界は ひとときの 姿楽しむ 仮初(かりそめ)の宿』『移りゆく 色の世界に 原点を 置けば心に やすらぎはない』『何もない 空の世界に 原点を 置けば心が 揺らぐことなし』『何もない プラス・マイナス ゼロ地点 それがすべての 原点となる』『何もない 今ここゼロが 空ベース すべてのすべて 神の原点』『原点が 色から空へ 移る時 人から神へ 意識が変わる』『原点を 探っていけば 今ここの プラス・マイナス ゼロが始まり』『今ここは プラス・マイナス ゼロ地点 創造宇宙 始まる以前』『何もない 今ここゼロが 究極の すべてのすべて 元のまた元』『移りゆく 色の世界の その奥に 変わることなき 空が息づく』『何もない 空の世界は 様々な 色の世界を 透(す)り抜けて在る』『何もない ただ何もない 心地よさ 澄みきり渡る 空があるのみ』 『何もない ところにいれば 様々な 色の世界を 楽しめるもの』『何もない 空の静寂(しじま)に 鶯(うぐいす)の 鳴き声響き 春の風吹く』これが日記を書き始めて1517日目の心境。
2009.02.26
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『身を守る ことも過ぎれば 害となる 恐怖で心 自由失う』『頑(かたく)なに 身を守ろうと する時に 苦しく辛い 人生となる』『守ろうと すればするほど 辛くなる 手放す時に 解放される』『身を守る ために生きても しかたない 望む人生 創造しないと』『身を守る ことも必要 身を守る だけでは生きる 意味が問われる』『身を守る ことも必要 身を捨てる ことも必要 共に必要』『身を捨てる 勇気なければ 新しい 境地広がる ことはあり得ぬ』『身を捨てて 飛び込む時に 新しい 世界広がる 自分の前に』『身を守る ことからフリーに なる時に 真に自由な 世界広がる』『身を守る ことを手放し 執着を 手放す時に 世界が変わる』『身を守る ことも手放し 何もかも 手放しきれば 楽に生きれる』これが日記を書き始めて1516日目の心境。
2009.02.25
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『身を縮め 小さく硬く 固まって 身を守ろうと 足掻(あが)く青虫』『身を守る ために足掻けば 足掻くほど 空回りする 虫の悲しさ』『悲しみは 肉体だけに 執着し 視野狭窄の 無知の悲しみ』『この世だけ この世限りと 思い込む それが悲しみ 人の愚かさ』『肉体の 自分を守る ことだけに 執着すれば 青虫のまま』『身を守る ことに汲々 する時に 苦しみ多き 人生となる』 『肉体の 奥に息づく 魂の 息吹に気づく 春の訪れ』『野に生きる 花や野生の 生きものは 明日の心配 することはない』『人だけが 終わったことや 明日のこと 思い煩(わずら)い 独り苦しむ』『先々の ことを心配 する時に 暗くて重い 人生が待つ』『手放して 軽くなる時 青虫は 蛹(さなぎ)を破り 空に飛び出す』『執着が 何もない時 軽やかに 風に吹かれて 飛翔する蝶』『自我という 重い執着 ある限り 天高く舞う ことはできない』『手放して 何もなければ 軽やかに 天空を舞う 鳥と変わらず』『身を捨てて 流れと共に 風に乗る 高く舞うには 軽くすること』『何もない 流れと共に 生きるだけ 流れのままに 流れに乗って』『人類の 流れと共に 生きるだけ 流れのなかで 役割果たす』『身を守る 蛹(さなぎ)の殻を 脱ぎ捨てて 花咲く春の 風に舞う蝶』これが日記を書き始めて1515日目の心境。
2009.02.24
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『限りない 意識集中 固体化し 個性を帯びた 魂となる』『魂は 人格通し 肉体を 使って己が 個性咲かせる』『何層も 衣まとって 究極の 意識は宇宙 創造していく』『何層も 重なる意識 今ここで すべて一つに フォーカスされる』『今ここに すべての意識 収斂(しゅうれん)し 個であり全体 永遠の今』これが日記を書き始めて1514日目の心境。
2009.02.23
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『漆黒の 闇から光 躍り出て 千変万化の 宇宙始まる』『美しき 星々見れば 神の意志 いずこにあるか 既に明らか』『肉体に 拘泥すれば 遥かなる 宇宙のことは 何もわからず』『身を捨てて 心宇宙に 遊ぶ時 この世の真実(まこと) おのずとわかる』『神の意志 探っていけば 満天の いのち煌(きら)めく 星の輝き』これが日記を書き始めて1513日目の心境。
2009.02.22
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『魂の 故郷(ふるさと)なくし 安定を 求め続けて 所有に走る』『安定を 求めて所有 することが 喪失という 悲しみを生む』『持てるもの すべて手放し 楽になる 何もなければ 苦しみもなし』『持てるもの 手放しきれば 怖くない 持っているから 怖くなるもの』『何もない 境地に立てば 何もかも 目の前にある 求めなくても』『持てるもの すべて手放し 空になり 光に満ちた 心身となる』『心身の 波動を更に 引き上げて 光のなかで 光を生きる』これが日記を書き始めて1512日目の心境。
2009.02.21
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『始まりも 終わりもすべて 今ここに 集約されて 宇宙息づく』『行き行きて 深まりゆけば ゼロ地点 元に戻って いるだけのこと』『過去もなく 未来もなくて 今ここに ただ透き通る 意識あるのみ』『今ここは プラス・マイナス ゼロ地点 宇宙は常に 今ここにある』これが日記を書き始めて1511日目の心境。
2009.02.20
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今日の屋久島は、山が見えない。時々、小雨が降っている。寒い。冬に逆戻り。水晶祭りの水晶が届いた人から、お礼のメールが届いている。そのなかに、とてもうれしいものがあった。「ところで、今年はkimiさんが言われるように激動の年ですね。我家にも今年に入って、突然、激震するような出来事がありました。そんな中、腹式呼吸しながら自分に冷静・霊静と言い聞かせ、自分を見つめ見守ることを心がけていましたら、何と…感情に流されなくなりました!!感受性が強すぎるせいか、何かあると感情に振り回され右往左往していたのですが、それが少なくなったのです。感情はあるのに、それに振り回されていない自分、結構冷静でいられる自分を発見し、すごく驚いています。以前感情に翻弄される自分を何とかしようといろいろ試みたのですが、徒労に終わっていたのに、ほんとうに不思議です!kimiさん日記&水晶サポーターのお蔭ですね。ほんとうにありがとうございます。こころから、感謝申し上げます。」時代は、変わっている。環境に左右される時代から、自らが環境に影響を与える時代に。これまでは受け身だったものが、積極的にクリエイトする時代。自分の人生は、自分が創る時代!それは、主体性が確立するということ。周りの影響で生きるのではなく、自分自身を明確に生きるということ。外界からの影響でできた表面意識で生きるのではなく、深い内側の意識で生きるということ。肉体ベースではなく、魂ベースで生きるということ。青虫から蛹(さなぎ)への変身。外界だけに関心が向いていた時代の終了。内側ベースの時代の始まり。内にあるものを外に表現する時代のスタート。意識が内に向くのが、蛹の時代。内にある深い意識をベースに外側に働きかけるのが、蝶の時代。蝶は、自由に自分の世界を創造できる。望みのままに飛び回ることができる。青虫は、地を這うだけ。身を守ることで精一杯。だから、周りの環境に左右される。精神的な主体性が、確立されていない。あるのは、肉体的な主体性。本能と呼ばれる主体性。自己保存ベースの生き方。周りを気にしながらビクビクして生きる人生。蛹になって、ようやく自分に目覚め始める。内側に計り知れないものがあることに気づく。無限の宝は、自分のなかにある。それをベースに生きるために、静かに内側にフォーカスする。自分のこれまでの人生を振り返る。自分の意識の成り立ちを理解する。自分とは何か。深く深く見つめていく。そういう蛹の時代がないと、人は深くなれない。ただ表面的に生きるだけ。成長過程で条件づけられた反応パターンで一生を終るだけ。まさに環境の奴隷。それでは、自分の人生とは言えない。ただ環境に反応して生きるだけの人生。肉体ベースの周りとのやり取り人生。自分を守るための受け身の人生。そういう青虫の時代が、終わろうとしている。これからは、蛹になって、蝶になる時代。自分の人生を自分がクリエイトする時代。それには・・・まず蛹になる必要がある。内側に意識が向く必要がある。そうしない限り、これまでの反応パターンのままで終わってしまう。両親や環境に条件づけられたままの一生となる。まずは、自分の内側を見つめる。深く深く探っていく。そのプロセスのなかで、別の意識が芽生える。肉体ベースではない意識。肉体に入ってきた方の意識。魂ベースの意識。そういう意識をベースに生きることだろうか。その意識を辿っていけば、神の意識が待っている。自分のルーツ。源。本源。リアリティ。そういう内側の意識をベースに生きる。外界への適応の人生から、内側を花開かせる人生へ。青虫から蝶へ。それが、これからの方向性。しっかりと自分で方向性を決めることだろうか。そうすれば、そのようになっていく。主体性を確立することだろうか。周りに振り回されない主体性を。しかし、主体性だけを強調し過ぎれば、自我を強めてしまう。自分を深く見つめることを忘れると、自我が強いだけの人になってしまう。頑固者の石頭になってもしかたがない。そういう生き方は、アクエリアスの時代には似合わない。スマート。スッキリさわやか。軽やかに、のびやかに。蝶のように舞うのがアクエリアスの生き方。重たいものを手放すことだろうか。重たい荷物を持っていたら、自由に飛び回ることはできない。何も持たない人が、最も楽に飛べる。宇宙を自由に飛翔できる。これまでは、所有することに価値があった。お金持ちも知識人も尊敬された。しかし、そういう時代は終わった。これからは、何も持たない人が尊敬される。真に自由な人が、最も尊ばれる。なぜなら、何も持たない人だけが、すべてを持つことができるから。何かを所有することによって自分を守ろうとする人は、その所有したものに縛られる。何も持たない人は、何にも縛られない。何かを所有することは、過去に生きること。何もないことは、今を生きること。今ここには、何もない。何もないところに、すべてがある。内に意識を向け、外に注意しながら生きることだろうか。しっかりと主体性を持って生きることだろうか。冷静に、霊静に、霊聖に・・・そうすれば、人生が変わる。『日記読む 人の意識が 変わるのが 何にもまさる 生きるよろこび』『外側に 振り回されて 生きるのが 青虫の生 肉体ベース』『青虫が 静かに内に 向かう時 蝶の本質 奥で目覚める』『青虫が 静まりきれば 静けさの なかから蝶が 羽を広げる』『冷静が 霊静になり 霊聖に なれば青虫 蝶に変身』『身を守る 殻を脱ぎ棄て 手放して 空になる時 蝶が羽ばたく』『香りたつ 色とりどりの 花々を 愛でつつ蝶は 受粉とりもつ』これが日記を書き始めて1510日目の心境。
2009.02.19
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『空という 静寂(しずけさ)のなか 色という 躍動(うごき)生まれる 宇宙構造』『空という 無限のなかに 色という 有限がある 宇宙構造』『空という 広がりのなか 色という 集中がある 宇宙構造』『空という 不特定から 色という 特定化する 宇宙構造』『空という 大きな丸に 色という 点があるのが 宇宙構造』『空である 夜空のなかに 色である 星々光る 宇宙構造』 『空である 卵子のなかを 色である 精子が泳ぐ 宇宙構造』『空である 女性原理と 色である 男性原理が 宇宙構造』『空である 子宮のなかに 色である 子供が宿る 宇宙構造』『空である 母は見守り 色である 子供は遊ぶ 宇宙構造』『空である 女に抱かれ 色である 男頑張る 宇宙構造』『空という 全体のなか 色という 個性あふれる 宇宙構造』『空という 舞台の上で 色という 役者が踊る 宇宙構造』『空である 見えないなかに 色である 見えるものある 宇宙構造』『空である 意識のなかに 色である 肉体がある 宇宙構造』『空である 意識のなかに 色である 意識も宿る 宇宙構造』『空という 静かさのなか 色という 気づきが起きる 宇宙構造』『空である 見守りながら 色である 創造をする 宇宙構造』これが日記を書き始めて1509日目の心境。
2009.02.18
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『何もない 次元で形 イメージし 波動落として 宇宙創造』『材料は 光の粒子 イメージで 方向与え 宇宙創造』『何もない 世界は空無 味気なし イメージ使い 宇宙創造』『一滴の 神のイメージ 広がって 波紋のような 宇宙ができる』『何層も 波動を落とす ことにより より確実な 形完成』『イメージも 波動落ちれば 有るように 動かぬように 見えてくるもの』『集中し 固定化すれば イメージも 物質化する 波動が落ちて』『静まれば 心元始に 立ち返り 創造宇宙の 原理体得』『誰からも 教えてもらう 要はなし 自分自身で 理解深まる』『宇宙とは 神の遊び場 神遊び イメージ広げ 波紋楽しむ』『宇宙とは 嬉し楽しの 神遊び 何を好んで 悩み苦しむ』『宇宙とは 神のイメージ 絵空事 有るとも言える 無いとも言える』『宇宙とは 神のイメージ 神遊び 色即是空 空即是色』これが日記を書き始めて1508日目の心境。
2009.02.17
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『人の世の 次々起きる 現象(できごと)に 囚われないのが 空ということ』『集中し 心身使い 現実を 創造するのが 色ということ』『手放して また手放して 何もかも 手放すことが 空になる道』 『握りしめ 集中固定 物質化 現実創造 色になる道』『掴んだら すぐに放して 囚われず フリーハンドが 空ということ』『掴んだら すぐに手放し 囚われず 次々創る 色の世界を』『現実を 創りながらも 囚われず 楽しく創り 眺め楽しむ』『手を開き 何も握って ないことが 空ということ 何もないこと』『肉体の なかに入って 肉体に 囚われないで この世楽しむ』『空にいて 色を楽しみ 囚われず 見守りながら 宇宙創造』これが日記を書き始めて1507日目の心境。
2009.02.16
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屋久島は、春のように暖かくなっている。春になれば、虫たちも動き出す。青虫が、地を這っている。首をクニョクニョさせて、辺りを見回しながら進んでいる。青虫のスピードは、遅い。地を這うように歩くので、視界も限られる。それでも、餌を求めてさまよい歩く。人は、青虫に似ているだろうか。青虫は、今日も歩く。未知の世界を、ひたすら探検する。食べものを求めて歩くことが、同時にこの世界を知ることにもなる。いろいろ歩き回れば、だんだん賢くなる。餌の位置や危険な場所などが記憶されていく。その記憶をベースに進めば、楽に餌が手に入る。しかし、自然は一定していない。季節と共に変化する。春にはあったものが、夏には姿を消している。春には役に立った記憶が、夏には逆に遠回りをさせることになる。記憶は、万能ではない。今ここを注意していないと、記憶だけでは生きられない。あそこに美味しい餌があったはずだと思い込んでいると、危険な動物が待っていたりする。記憶も役に立つが、記憶が危険をもたらすこともある。片時も注意を逸らすことはできない。今ここの注意力が、何よりも肝要。青虫は、進化する。いろいろの経験を経ることによって、進化していく。しかし、どこまで進化しても青虫は青虫。青虫以上にはなれない。蝶になるためには、青虫をやめるしかない。これまでの生き方を見直し、根本的に生きる姿勢を転換する必要がある。それは・・・進化から深化への変身。青虫の時代は、注意は外へ向いていた。外のことだけが気になった。環境を理解し、環境に適応するので精一杯だった。それが、生きるということだった。しかし、それを続けている限りは、青虫のまま。青虫からの脱皮は、夢のまた夢。青虫の生は楽しいこともあるが、苦しみも多い。できるものなら、蝶のように自由に空を舞ってみたい。その蝶の夢を叶えるには・・・今の生き方を切り替える必要がある。意識の向きを180度転換する必要がある。外に向いていた意識を、内に向ける必要がある。つまり、青虫から蛹(さなぎ)への変身。意識を内に向け、静かに自身に聴き入る。内なる声を聴く。耳を澄まして、自分の本心を意識する。蛹は、動かない。ひたすら静かにしている。静かに本心の声に聴き入っている。内側へ内側へと意識は指向する。内側に意識が向かない限り、蝶になることはあり得ない。なぜなら、蝶とは本心が花開くこと。本来の自由に戻ること。本来性は外にではなく、内に宿っている。内へ深く深く潜入しない限り、真実には至らない。深く深く内を探求することによって、内なる真実に気づく。その内なる真実が目覚める時、蛹の役割は終わる。蛹から蝶が現れる。それまで内に内に向かっていた意識は、突然、飛翔する。自由の天地を羽ばたく。限りない宇宙へ。創造の舞を舞う。人には、いろんな時期がある。青虫のように外の世界を学ぶ時期。蛹のように自分の内側を見つめる時期。そして、蝶のように自由に飛翔する時期。それぞれの時期に、それぞれの意識の変化がある。青虫は、進化。蛹は、深化。蝶は、神化。今は、新化の時期。新しく生まれ変わる時。時代が変わる。地球が変わる。人も、新人類となる。神人になる。神として人を生きる。全体と共に個を生きる。『青虫は 外の世界を 学ぶ時 蛹となって 内を見つめる』『外を見て 環境学び 内を見て 己がルーツに 気づき飛び立つ』『真実に 気づいたならば 蝶となり 創造の舞 踊り楽しむ』『青虫が 蛹となって 蝶となる 進化は深化 神化への道』『新化とは 進化を終えて 深化して 神化すること 新人類化』これが日記を書き始めて1506日目の心境。
2009.02.15
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昨日の日記のコメント欄に、次のようなものがあった。「よく思います。今、自分が望んでいる理想やしたいこと、無人島でもやりたいと思うかどうかって・・・。どんなに真理を求めるようでも、向上したいと願っていても、それは何のためか?と自問します。自問すると私の場合・・・正直に言うと、『そういう素晴らしい自分になって、いつか他人に認められたい』でした。だから全ての望みも希望も、無人島では色あせてしまう。そんな時、一つ一つ剥がれていく、認めて貰いたい対象が、様々な理由で離れていったり、こちらが幻滅したり、もはや権威を感じなくなってしまったり。そんな風にネガティブなやり方で、ある時から崩れていきました。今でも、全ては崩れていません、けど、基準をどこにもしつらえられなくなりました。掴もうとしても空だったり、捉まろうとしても地面とつながってない枝だったり。淋しい頼りない、足場が崩れてく感覚でした。じゃあ自分自身しかもういないじゃない、自分なんて・・・こんなもの何の力も頼りにもならないのに!虚しいというか、砂を噛んでるみたいな味気ないような。その幻滅がくり返される時期が一時にやってきて、今は指針も持てずにいます。けどようやく、無人島でやりたいことと、今ここで皆とやりたいことが一致してきました。何一つ確信のような安心感はなくても、何かを諦めてしまえば・・・自分は本当にネガティブだと思います。失うことによってしか、一歩も進まないようです。他のやり方はないものか。人生を真剣に生きる姿勢。とても深い、広い言葉ですね。」自分にとって真実でないものを手放していく。それしかない。それは、ネガティブなことではない。真実に至るプロセス。最初から真実を掴もうとすれば、真実でないものを掴んでしまう。なぜ?それは、真実を知らないから。真実を知らないから、真実でないものを真実だと思い込む。最も安全で確かな方法は、真実でないものを削ぎ落としていく道。自分が真実だと思っていることは、ほとんどが思い込み。それらは、後天的に身に付けたもの。外側からの影響。内側から湧き上がる不動のものではない。内側にある揺るぎないものを発見するためには、真実でないものを手放すしかない。自分の思い込みを手放すしかない。そうすれば、真実に辿りつける。かどうかは、保証の限りではない。誰も保証はしてくれない。この世に保証はない。自分自身で見い出すしかない。保証があれば、ギブ&テイクの世界になってしまう。「努力しますから、結果をください。」それは、ゲームの世界。現実世界ではない。現実世界は、ジャングルに似ている。未知の世界。既知の世界ではない。既成概念は、通用しない。今起きている世界同時不況は、未曽有のもの。過去のデーターで判断すれば、道を誤る。国家が崩壊の危機に瀕するほどの大異変。それが、現実。何の保証もない。この世は、常に未知の世界。そういう世界で真実を見つけ出すのは、そんなに簡単なことではない。本に書いてある?それが真実という保証はどこにある?そんな保証は、どこにもない。百万冊の本を読んでも真実は把握できない。外からの情報で真実を発見することは、不可能。ただ真実でないものを手放す。手放して、手放して、手放し抜く。真実でないものが、すべて消え去ったら・・・真実だけが残るかもしれない。それには、本当に真剣なエネルギーが必要となる。生半可なことでは、真実には辿りつけない。イージーに真実は見つからない。真剣に生きるしか真実に至る道はない。試行錯誤でいい。ただ常に真剣に生きること。真っ直ぐに前を向いて生きること。安直に近道を求めないこと。近道と思えるものは、結局、遠回りになる。これが真実と提示されているものは、結局、自分でそれを証明する必要がある。つまり、回り道。ストレートに自分自身を直視するのが、最短コース。手放して、手放して、手放し抜く。自分にとって真実でないものを、徹底的に手放す。見せかけや体裁や世間体を捨てる。内なる真実だけに忠実に生きる。自分に正直に生きる。それは、当たり前のこと。本来のこと。それが・・・生きている間に、歪んでしまったということ。何が真実かわからなくなってしまった。本当の自分を喪失してしまった。内なる真実が見えなくなってしまった。もう一度、すべてリセットして、自分自身を見つめ直すことだろうか。自分にとって真実でないものを、どんどん手放していくことだろうか。真に自分が望むことにフォーカスすることだろうか。真の願いに・・・よけいなものは、もういい。回り道は、もういい。今は、真実を生きる時。自分の真実を・・・『持てるもの すべて手放し 丸裸 何もない時 何かがわかる』『手放して 持てるすべてを 手放して 両手上げれば ひっくり返る』 『真実で ないものすべて 手放せば 真実だけが その場に残る』『真実で ないものすべて 手放せば 何もせずとも 真実がある』『掴もうと するから真実 遠くなる 手放すならば 今ここにある』『真実は 掴むことでは 得られない 手放す時に 今ここにある』『手放して また手放して 手放して 手放し抜けば 光が見える』これが日記を書き始めて1505日目の心境。
2009.02.14
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今日の屋久島は、荒れ模様。激しい雨と風に見舞われている。山の方は、靄っている。海の方は、大きな白波が立っている。主体性とは、何だろうか。周りから褒められれば、やる気が出る。周りから貶(けな)されれば、やる気がなくなる。周りの評価によって、やる気になったり、やる気をなくしたり・・・なぜ周りの評価が気になるのだろうか。それは、周りの評価が高ければ居心地がいいから。逆に評価が低ければ居心地が悪いから。そのベースにあるのは、自己保存。自分の安心、安全のために高い評価を求める。人の主体性は、自己保存ベースで成り立っている。自分の存続にとって都合がいいかどうか。都合がよければ俄然やる気になり、都合が悪ければ何もやる気が起きない。褒められたり評価されたりすると、生きやすくなる。貶されたり無視されたりすると、生きにくくなる。主体性は、自分の利害得失にかかっている。損得で主体性は左右される。自分にとってプラスと思える時には、主体的になれる。逆の場合は、主体性を喪失する。主体性とは、何か。それは自分の都合によって揺れ動くものなのだろうか。褒められればやる気になり、貶されればやる気が失せる。それでは、ほとんど子供と変わらない。大人になっても、基本は子供?不動の主体性など微塵もない。自己保存ベース。自分の都合ベース。利害得失ベース。周りからの評価ベース。それが、大多数の人の主体性の実態だろうか。なに?人類に奉仕するのが生き甲斐?世のため人のために尽くしている?誰からも評価されなくても、それを続けられるだろうか。逆に非難されても、続けられるだろうか。あるいは、思ったほどの評価が得られなくても続けられるだろうか。それとも、それでは寂しいだろうか。真の主体性は、どこから生まれてくるのだろうか。周りに左右されない主体性は、何によってできるのだろうか。それは、生きる姿勢だろうか。真剣に真理を求める情熱だろうか。人生を真剣に生きる姿勢が、真の主体性をもたらす。周りの評価を気にしない不動の主体性を実現する。真剣に生きる姿勢。真理を求め続ける情熱。それは、自己保存ベースの主体性とは異なる。自分の利害得失で揺れ動く主体性ではない。ひたすら真理を求め続ける主体性。それこそが、唯一真理に繋がる主体性。この世ベースの主体性は、相対的なもの。自分の損得で変化する。そういう主体性ベースで生きていると、人生はジェットコースター。大波小波、アップダウンの連続。周りに左右される人生。周りに振り回される一生。それで、果たして自分の人生と言えるのだろうか。主体性は、どこにあるのだろうか。真の主体性とは、求め続ける情熱。深いところからあふれてやまないエネルギー。いつでも、どこでも変わらない真摯(しんし)な探究心。深い深い魂の願い。そういう主体性をベースに生きることだろうか。そうすれば、人生は充実する。人生の荒波に弄(もてあそ)ばれることはない。真の自分を生きられる。『自己保存 利害得失 ベースなら 評価しだいで 揺れる人生』『何であれ 周りの評価 気になれば 主体性など 無いに等しい』『何につけ 身の安全を 第一に 考える時 主体性なし』『肉体に ベースを置かず 魂の 真の願いを ベースに生きる』『魂の 願いであれば 人の世の 毀誉褒貶(きよほうへん)に 左右されない』『真実を 求め求めて 生きる時 左右されない 主体性あり』『真実の 願い生きれば 揺るぎない 光に満ちた 主体性あり』これが日記を書き始めて1504日目の心境。
2009.02.13
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『色と空 分かれる前は 無の世界 色が生まれて 空も生まれた』『カンバスの 上ですべては 描かれる そのカンバスが 無色透明』『空という 透明感に 包まれて 色はいのちの 花を咲かせる』これが日記を書き始めて1503日目の心境。
2009.02.12
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今日の屋久島は、青空が広がっている。のどかな景色が目に映る。まるで春のようだ。時々、風が鳴く。1500日目の日記を書いた辺りから、また意識のシフトが起きている感じがする。とても落ち着いている。静かに安定している。更に力が抜けている。自我とは、力任せ。自分の力で何とかしようとする。自力で頑張るのは、悪いことではない。しかし、自力だけに頼り過ぎれば、調和が崩れる。力を抜いて、軽くやる。サラサラと流れるように行う。こだわらない。執着しない。力任せにやれば、何事も壊れてしまう。本来持っている素材のすばらしさを活かせない。すばらしい部分を自分の力で抑え込んでしまう。それは、ありとあらゆることについて言える。自分の思うようにしたい。支配したい。所有したい。自分のコントロール下に置きたい。それが、安定を求める自我の願い。何でも自分の思う通りにしたいのが、未熟な自我というもの。しかし、それでは美しさに出会うことはできない。力を抜いた時に、本当の美しさが現れる。緊張すると、肩に力が入る。肩に力が入った状態では、何事もうまくいかない。その肩に力が入った状態が、自我の状態。何でも自分が自分が・・・力を抜く。軽く触る。繊細に撫でる。ゆっくり味わう。それは、自我にはできないこと。自分以外に対する信頼がないと、それはできない。何でも自分でやりたがる自我は、力を抜くことができない。力が入ることは、我が入ること。我が入った作品は、美しくない。力任せでは、相手の美しさは引き出せない。逆に殺してしまう。やさしく、撫でるようにしないと・・・落ち着いて、しっかりグランディングして生きる。よく見て生きる。ポイントをよくよく見極める。理解がないから、何でも力任せにしようとする。深い理解は、力を抜くことに繋がる。もっと楽に生きられる。軽く自由に生きられる。それには、深い理解が必要。人間の理解。物事の理解。地球の理解。宇宙の理解。深く深く理解することが、力を抜くことに繋がる。新米の間は、何事にも力が入る。緊張でガチガチになる。自分のことを気にすればするほど、肩に力が入る。自我が強ければ強いほど、力が入る。力で何事もやろうとする。力任せにやろうとするのが、自我というもの。それは、理解のないことの証明。まだまだ未熟であるということ。本当のことがわからないから、力任せになる。ポイントがわかっていないから、繊細な部分に力を入れて台無しにしてしまう。深い理解がないと、繊細なところは扱えない。静かに、やわらかく、ゆっくりと・・・メリハリ。腹八分。食べ過ぎない。食べ過ぎるというのも、自我の為せる業(わざ)。それは、強欲。何でも自分のものにしておきたい自我。それは、いつも不安と共にある自我の証(あかし)。過ぎたるは及ばざるが如し。過ぎたる行為こそが、過ち。自我の行為は、いつも度を超す。無理解なため、適度というのがわからない。理解が深まれば、ちょうどよい塩梅がわかる。それには、経験と勘と理解が必要。注意深く生きていないと、タイミングがわからない。自我とは、不注意。意識が深まれば、静かになる。意識が未熟な間は、騒がしい。ただ喧騒のなかで生きるのみ。静謐(せいひつ)の美しさからは、遠い。静かに落ち着いて、ゆっくり生きることだろうか。そうすれば、深い味わいを体験できる。何ものにも代えがたい繊細な喜びがわかる。精妙さは、限りなく深まっていく。『何事も 力任せに する時に 力入れ過ぎ 壊してしまう』『何事も 力任せに 生きるのが 自我の生き方 無知ということ』『力入れ 肩を怒らせ 生きる時 角突き合わせ 終わる一生』『理解する ことで力が 抜けていく 必要な時 入れればいいだけ』『何事も 力入れずに しなやかに 注意しながら 静かに生きる』『しなやかに 触れれば更に 繊細な 反応起きて 尽きることなし』『静けさと 共にやさしく 触れる時 味わいという 蜜がこぼれる』これが日記を書き始めて1502日目の心境。
2009.02.11
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今日の屋久島は、晴れている。しかし、風が強い。その分、青空は美しい。山も、心なしか青い。今年の1月2日に、神になったと宣言した。しかし、見かけは今までと何も変わらない。生活も特に変わったことはない。では、何が変わったのだろうか。それは、意識の状態。これまでとは、明らかに違う。いつもスッキリさわやか。何もない。ロボットのように無味乾燥ではない。感情もあれば、思考も動く。多少の起伏はある。しかし・・・基本は、空っぽ。何もない。いつも空々(カラカラ)。スッカラカン。今ここは、ゼロ。プラス、マイナス、ゼロ。いつもそういうところにいる。ニュートラル。それが、1月2日以降の大きな変化。それまでも、そのような意識はあった。しかし、1月2日以降は、その意識がベースとなった。そちらがメインで、感覚や感情や思考はサブ。完全に逆転した。メインの意識は、空。それまでは、色がメインだった。空をベースに、色を生きるようになった。ゼロとは、すべての原点。すべてが、始まるところ。実は、それは常に今ここにある。宇宙の始まりも終わりも、常に今ここ。神の最初のひと雫に、すべてが含まれている。時系列的に見れば、その波紋が広がっているように見える。しかし、種のなかには、既にすべてが存在している。その種が花開いているだけ。その種のなかには、宇宙のすべてのビジョンが含まれている。最初の一粒の種のなかに、全宇宙がある。始まりも終わりも既にある。それが波動が遅くなって、徐々に波紋のように展開しているだけ。原点は、ゼロポイント。そこが、すべてのスタート地点。何もないところ。空。空ベース。ゼロベース。それが、神の意識。色が始まる以前。色とは、有の世界。つまり、何かが有る世界。空とは、それ以前。何もないところ。空とは、無の世界。何もなく、何もしない世界。作為のない無為の世界。ただ存在しているだけの世界。それが、意識の原点。すべての始まり。そこをベースに生きることが、神であること。別に難しいことではない。元々は、すべての人が神の分霊(わけみたま)。元々は、みんな神。ただその原点に還るだけ。本来の自分に戻るだけ。その原点に戻れば、煩わしいことは何もない。ただどこまでも透き通る意識があるだけ。但し、生きているとは、それだけではない。肉体を持ち、生活もある。空だけでは、生きられない。現実は、色の世界。空をベースに色を生きる必要がある。それが、人が生きるということ。神人とは、神の意識を持って人を生きること。つまり、空をベースに色を生きること。常にゼロでありながら、色を楽しむこと。何も所有しないで、ただ楽しむだけ。『今ここは プラス・マイナス ゼロ地点 ただ透き通る 意識あるのみ』『何もない プラス・マイナス ゼロ地点 それが原点 意識のベース』『何もない プラス・マイナス ゼロ地点 ここが宇宙の 始まるところ』『今ここは ただ澄み渡る 意識のみ これが心境 神の神境』『人間の 有象無象(うぞうむぞう)の 想念(おもい)超え ただ澄み渡る 神の神境』『神化する ことは意識が シンプルに なってゆくこと ゼロになること』これが日記を書き始めて1501日目の心境。
2009.02.10
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『一滴の 神の雫(しずく)が 広がって 波紋のように 宇宙ができる』『次々に 波紋広がり 様々な 次元ができて 豊饒(ほうじょう)宇宙』『めくるめく ドラマはすべて 一滴の 神の雫の なかにあるもの』『一滴の 神の雫の そのなかに 宇宙のすべて 含まれている』『一滴の 神の雫が 様々な 宇宙ができる 元のまた元』『次々に 波紋広がる この宇宙 時間を超えて 今ここに在る』『始まりも 終わりもすべて 一場(いちじょう)の 神の見る夢 色の世界は』 『今ここは 神も仏も 何もなし ただ透き通る 空(くう)があるのみ』『何もない 空の世界に いる時に 愛は自然に 湧き出してくる』『愛により 森羅万象 生まれ出て 色の世界は 百花繚乱』これが日記を書き始めて1500日目の心境。
2009.02.09
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今日の屋久島は、曇。山々は、ぼんやりしている。寒くはない。春は、もうすぐ。年末に屋久島に引っ越してきた女性は、順調に浄化が進んでいる。今、二回目の生理を迎えている。最初の生理は、大変だった。これまで溜まっていたものが、一気に噴き出した。彼女は医者なので、考えられないほどのハードワーク。朝から晩まで、ほとんど休みなく働いていた。休みの日も、午前中は入院患者を見て回る。宿直の時は、寝る暇もない。宿直明けも、そのまま日常勤務。これでは医療ミスが起きないのが不思議なくらい。病院勤務の医者は、みんな似たようなものらしい。信じられないような過酷な労働条件。そのツケが体にきていた。生れて初めて、ゆっくり生理休暇を取ったらしい。そのため、生理が終わった後は、見違えるように体が軽くなったとか。溜まっていたものが、だいぶ排出されたようだ。屋久島へ観光に来て、突然、生理になる人もいる。屋久島は、パワーが強い。そのため、生体機能が活性化する。生理は、生命力が弱ると起きなくなる。生理とは、体の整理整頓。体は、自然に整理整頓する。生理痛が激しい人は、体の状態がアンバランスと考えていい。生理不順も同様。健康な人の生理は、軽い。それほど溜まっていないので、軽くて済む。ところが、不健康な人は整理整頓するのに時間がかかる。調整が激しいと、痛みを伴う。風邪を引いた時に、薬を使わずにゆっくり時間をかけて治す。そうすると、まるで台風一過のように体が軽くなる。生理もゆっくり休めば、同じような状態になる。それが、自然の摂理。台風は、地球の浄化。風邪や生理は、肉体の浄化。夢や頭痛は、精神の浄化。いろんなものを整理整頓しているだけ。肉体を健全に保つためには、いろいろ気をつける必要がある。まず食べものの質と量。それから、飲む水。住む環境。起床や就寝の生活のリズム。体の動かし方。それに、精神状態。すべての要素が、総合的に関わってくる。しかし、原則はシンプル。よけいなものを溜め込まない。入れたものは、出す。吸収と排泄の循環。物が家に溜まり過ぎると、気が滞る。食べものが体内に溜まれば、気が病んで病気となる。いかに出すか。いかに溜め込まないか。手放すことを嫌がる人は、便秘になりやすい。便秘になると、鬱々たる気分で気が滅入る。便秘は、万病の元。手放すことを忘れれば、心身共に病むしかなくなる。あらゆることを学ばないと、健全に生きることはできない。職業的な知識だけでは、健康に生きることはできない。人は、いかに生きるべきかを学ぶ必要がある。そうでないと、人生は危ない。医者であっても、いのちを知らない。今の西洋医は、ほとんど技術者に近い。対症療法に終始するのみで、人の本質的な健康には関心がない。本来のいのちとはどのようなものか、全然わかっていない。何を食べたらいいのか。健全な精神状態とはどのようなものか。衣食住。性も含めて、あらゆることを学ぶ必要がある。そうしないと、この地球上で健全に生きることはできない。肉体を持ち、この世に生まれるとは、そういうこと。まず学ぶ。地上のことを学ばなければ、何も現実創造はできない。彼女は、二回目の生理の時に頭痛が起きた。頭の調整も始まっている。数日前には、奥歯の詰め物が取れてしまった。浄化が始まると、いろんなものが調整される。今、彼女はkimi神社の巫女見習い。浄化が終われば、正式な巫女になるだろう。ゆくゆくは、女神様になる身。それには、まだまだ時間がかかる。元々は、女神様。この世に生を受けると、ただの人。今生の意識が女神様と同じレベルまで深まれば、本来の女神様に戻れる。それには、まだまだ修行が足りない。女神様レベルになれば、多くの人の役に立つ。単なる西洋医ではなく、もっとトータルな医者になるはずだ。東洋医学もホメオパシーも自然食もわかる総合医になるに違いない。これから、更に多くの療法を勉強することになっている。それだけではなく、精神的なこともわかる医者になる。生まれ変わりも、死後の世界も、すべて理解できる医者。今は、そういう医者は皆無に近い。この世限りの医者ばかり。もっとトータルな医者になる必要がある。そうでなければ、kimi神社で修行する意味はない。多くの人の役に立つこと。それが、kimi神社で修行できる絶対条件。今は、kimi神社でネコのお世話係。ネコの世話をしながら、本当のやさしさについて学んでいる。過去世からの縁によって、そうなっている。それは、生まれてくる前からの約束事。しかし、巫女になっても、kimi神社からお手当は出ない。なぜなら、kimi神社には氏子がいないから。お賽銭箱もないので、無収入。巫女は、ボランティア。その代わり、kimi神様の尊い御講話を無料で拝聴できる。ところが・・・巫女見習いは、話を真剣に聞こうとしない。なぜ?kimi神様の御講話は、オヤジギャグだらけ。少しもありがたみがない。話が違うって?神様は、一向に気にかける様子がない。整理整頓は、物から始まり、肉体に及び、最後は精神に至る。すべて同時進行。溜め込まないこと。所有しないこと。自我とは、所有。たくさん持って安心したいのが、自我。何かにすがらないと安心できないのが、自我。金や財産、地位や名誉、学歴や経歴、過去の思い出や未来の希望・・・しかし、溜め込み過ぎれば、便秘になる。便秘になれば、病気が待っている。過ぎたるは、及ばざるが如し。食べ過ぎたり、持ち過ぎたりしないことだろうか。物も記憶も手放して、サラサラと生きる。たとえ手元にあっても、執着しない。ただ使うだけ。所有しないで、活用するだけ。何も所有せず、軽やかに生きる。それが、今を生きるということ。今ここには、何もない。ただ無限の可能性が広がっているだけ。『長いこと 溜め込み過ぎた 諸々を 屋久島の地で 整理整頓』『本来の 自然な姿に 戻すため 風邪も生理も 頭痛も起きる』『浄化とは 人本来の 健全な 姿に戻る 自然の摂理』『kimi神の 尊い話 聞きもせず ネコとじゃれてる 巫女の見習い』『神人も 巫女見習いも ボランティア 光り輝け 人の世照らせ』これが日記を書き始めて1499日目の心境。
2009.02.08
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文明は、進化。精神は、深化。究極は、神化。文明の進化とは、横へ進むこと。精神の深化とは、縦へ深まること。究極の神化とは、次元を超えて広がること。文明の進化とは、物質的に豊かになること。精神の深化とは、精神的に豊かになること。究極の神化とは、神になること。『文明は 進化するもの 精神は 深化しながら 神化するもの』 『個であって 全体である その時に 個性と調和 共に花咲く』『神であり 人である時 肉体は 神の生き宮 モバイル神社』『自(みずか)らが 神であるなら 殊更(ことさら)に 神社に出向く 必要もなし』『静まれば 神は今ここ ゆるぎなし 不生不滅の 我は神なり』これが日記を書き始めて1498日目の心境。
2009.02.07
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ここのところ暖かい。窓を全開にしても、室温が軽く20度を超えている。もう春という感じ。そこで、今日は水晶の浄化に行った。海の水は、思ったより冷たかった。ところが、川の水は、それほどでもなかった。不思議なもので、海の水は温かいだろうという期待があった。逆に、川の水は冷たいだろうという覚悟があった。その先入観が、感覚に微妙に反映されているのかもしれない。今回は、ここ一ヶ月ほどで届いた水晶類を持って行った。その数、なんと115個。金額にして、約50万円分。シーズンオフで収入がない時期なのに、よくも買ったもの。もっとも、半分以上はカードなので、これから支払がドドーンとやって来る。さて、払えるだろうか。さてさて・・・今回届いたもので目立つのは、エメラルド。宝石質の結晶が、6個。ネットでいくら探しても、透き通ったエメラルドの天然結晶を見つけるのは不可能に近い。ほとんどは、濁ったもの。半年以上待って、やっとアップされた。その質の良いものを、全部購入した。エメラルドの産地は、コロンビア。そのなかでも最高品質のものを産出するのは、ムソー鉱山。そこが、世界最高のエメラルドを産出する。ところが、最近は質の高いエメラルドが産出されなくなったらしい。そのため、なかなかネット上でもアップされない。質の高いものは一般の流通ルートではなく、コロンビアからの直通ルーでのみ入ってくる。その他で目立つのは、アクアマリンの大きな結晶。高さが6cmを超えるもので、こちらも宝石質のクオリティを持っている。アクアマリンも、質が良くて大きなものはなかなか少ない。実は、アクアマリンとエメラルドは同じ石。ただ色が違うだけ。エメラルドの方が圧倒的に産出量が少ないので、価格も高くなる。しかも、大きなものが取れないので、エメラルドはアクアマリンの何倍も何十倍もする。今回届いた大きなアクアマリンは、パキスタン産。もう一つ、小さなアクアマリンも届いた。それは、アフリカのナンビア産。色は薄いが、こちらも美しい。ナンビアは、ブランドバーグがあるところ。ここからは、何個かアメジストも届いた。ここは土地のエネルギーが高いので、すばらしい水晶を産出する。今回のアメジストも、小さいけれどもクオリティは高い。さすが、ブランドバーグ。同じアメジストが、メキシコのベラクルスからも届いた。こちらも小さいけれども美しい。アメジストエレスチャルは、南インドから届いた。北インドからは、最高品質のヒマラヤ水晶。マニカラン水晶という、あまり聞きなれない産地のもの。これは、クル・マナリやパルバティの近くの村の名前。ここの水晶は、特別!浄化力とパワーを兼ね備えているらしい。一般的には、透明であればあるほど浄化力は優れているが、パワーは弱くなる。ところが、マニカランの水晶は、その両方を持っているらしい。届いた4個の水晶は、実にすばらしいものだった。美しくもあり、最上のクオリティを秘めていた。非常に高価だったが、購入する価値はあった。ラダックの水晶と並ぶ、インドヒマラヤの最高峰の水晶。この他にも、ガネーシュヒマールやパルバティのヒマラヤ水晶がたくさん届いた。そのなかには、珍しいヒマラヤシトリンも含まれていた。ブラジルから届いたシトリンは、最高の質を備えていた。色が濃く、美しい照りに包まれていた。もう一つのシトリンは、カテドラル。上から下まで透き通った最高レベルのカテドラルクオーツ。本来、シトリンは浄化の必要はないと言われている。しかし、屋久島に来たら、屋久島バージョンになってもらう必要がある。そのため、海と川で洗礼を受けてもらう。新しく生まれ変わって、光の水晶へのスタート。高さが30cmを超え、重さが9kg近いアメジストドームも浄化した。とても重かった。しかし、こちらも見違えるように美しくなった。もちろん、インドヒマラヤ水晶の御神体の方も浄化した。今回の水晶の三分の一以上を占めるのは、エメラルドを産出するムソー鉱山から届いたポイント。小さなものだが、その質は驚くほど高い。エメラルドやアクアマリンなどの貴石を載せる台にしようと思って購入した。ところが、最高品質のヒマラヤ水晶にも匹敵するようなハイクオリティ。今日浄化したものも、順次水晶祭りに登場するだろう。特にコロンビアの水晶たちは、全国に光が散らばるのに役に立つことだろう。光を帯びた水晶になるべく届いたという感じ。透明感の質が、実にすばらしい。このまま暖かくなれば楽なのだが、どうだろう?もう一度寒波がやって来るだろうか。隣で寝ているネコは、完全に春毛になっている。もうあまり家のなかに入りたがらなくなった。元々がノラなので、暖かくなれば野山を駆け回りたいのだろうか。いや、どうも青春している様子。毎朝、声を枯らして帰って来る。どうもメスネコにラブコールを送っているようだ。春!少なくとも、ネコには春が来ている。さて、こちらには?春がやって来るだろうか・・・『春になり ネコは恋人 追いかける こちらは水晶 水で洗礼』これが日記を書き始めて1497日目の心境。
2009.02.06
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今日の屋久島は、曇。青い空と白い雲の両方が見えている。曇だけれども、明るい。時々は、太陽も顔を出している。コメント常連のえっちゃんは、山のボランティアをしている。下草を刈ったり、枝打ちをしている様子。同じく常連のベルさんは、悩み事を聞くボランティアをしている。精神的に病む人の相談も多いらしい。山と精神の世界、まったく違うようだが・・・実は、これがさほど違っていない。いずれも整理整頓。風通しをよくしているだけ。山では、下草がたくさん生え、枝がたくさんあると、太陽の光が下の方まで届かない。風通しも悪くなり、木々の成長が阻害される。下草を刈り、下の方の枝を落とすことによって、風通しもよくなり、太陽の光も射してくる。要は、山の整理整頓。悩み事相談も似たようなもの。相手の話を聞き、それを整理してあげる。あるいは、聞いているだけで、相手が自分の混乱に気づく。話を聞いてもらうことで、詰まっていたものが解放される。いずれにしても、整理整頓。シンプルにすること。部屋も肉体も精神も、すべてシンプルにする。ごちゃごちゃ混乱している状態から、スッキリさわやかな状態にする。実は・・・この日記も似たようなもの。人類の混乱した精神状態を整理整頓しているだけ。シンプルに、スッキリさわやかにしているだけ。これまで書いてきたことは、既にお釈迦様がほとんど説いている。理解が深まれば深まるほど、お釈迦様の偉大さがわかってくる。まるでお釈迦様の掌(てのひら)の上で踊る孫悟空のような気分になる。どこまで行っても、お釈迦様の掌の中。それほどお釈迦様の教えは、偉大と言える。ところが、お釈迦様が真理を説いて既に2500年が経った。その間に、仏教は難しくなってしまった。普通の人がお経を読んでも、何が書かれているか理解することはできない。お経に人を救う力はない。人類を根本的に変える力は残っていない。お釈迦様が説いた真理は、今も生きている。しかし、普通の人には、その真理を理解する手段がない。この日記に書かれていることは、お釈迦様が説いたことの範囲を出ない。既に真理は解き明かされている。しかし、残念ながら、それは難しくなり過ぎている。誰にでもわかる言葉ではない。この日記は、その真理をシンプルに誰にでもわかる言葉で書き直しているようなもの。別に本格的に仏教を学んだわけではない。せいぜい聞きかじり程度。結果的に、そうなっているだけ。アクエリアスの時代にふさわしい表現。それは、シンプルであること。誰にでもわかりやすいこと。読めば、そのまま精神が整理整頓されること。たぶん、それがこの日記の役割。ただ、整理整頓しているだけ。混乱した精神の風通しをよくしているだけ。山のボランティアと変わらない。よけいなものを手放し、シンプルになる。それは、家、体、心に限らない。職場環境についても同じことが言える。仕事場もシンプルにした方がいい。それは、机の上や場所の整理整頓だけではない。仕事のシステムの整理整頓も含む。システムをできるだけシンプルにする。よけいなものを整理整頓する。ゴチャゴチャにいろんなものを詰め込むと、精神は混乱してしまう。それは、仕事についても言える。複雑化し過ぎたものは、仕事の能率を落とす。できるだけシンプルにした方がいい。仕事の手順を、もう一度見直した方がいいだろう。すべてをもう一度整理整頓してみる。それは、仕事に限らない。生活すべてに及ぶ。すべてを見直す。整理整頓する。複雑化し、混乱しているものをシンプルにする。そのすべては・・・精神の混乱に端を発している。だから、この日記では、精神的なことをメインに書いてきた。しかし、それは生活全般に及ぶ。すべてに応用できる。事実ベースで、すべてをシンプル化していく。複雑多様化し、わかりにくくなっているものを、単純化し、わかりやすくする。精神の風通しをよくする。すべての風通しをよくする。それには、整理整頓。家も体も心も仕事も・・・すべて整理整頓していく。そして、空間を広げていく。ゴチャゴチャしたところではなく、広々とした空間に住む。のびやかに、おおらかに生きる。雄大な自然と共に生きる。風のように、カラカラ(空々)と生きる。『日常の 生き方すべて 見直して 整理整頓 シンプルにする』『日常の よけいなものは 手放して シンプルになる スッキリ生きる』『精神の 混乱見つめ シンプルに 整理整頓 生き改める』 『人類の 混乱終わらす 方法は 身近なことから 整理整頓』『これからは すべてのことが 整理され シンプルになる 時代が変わる』『カラカラ(空々)と 風の音する さわやかに 何も持たずに 身軽に生きる』これが日記を書き始めて1496日目の心境。
2009.02.05
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ここ二日ほど、精神を病む人について書いている。今日は、その周りにいる人へのアドバイス。どのように接したらいいのか迷っている方も多いだろう。手が付けられなくて途方に暮れている方もあるに違いない。まず、人に話す前に自分から始めることだろうか。つまり、自分自身の整理整頓が先ということ。自分が混乱していては、整理整頓の話はできない。まず自分から整理整頓するしかない。部屋から始まり、肉体を浄化し、精神を整える。家を掃除し、古くて使わなくなったものを処分する。できるだけ荷物を減らす。極力、空間を広くする。次に、体のなかに溜まっている不要なものを整理する。その最大のものは、宿便。長年腸に滞留している排便しきれなかった残滓。まず宿便のない人はいない。普通は、大量の宿便が溜まっている。それを出す。それには、断食や、いろんな方法がある。自分に合った方法でやればいい。次に、体をスリムにする。よけいな贅肉を落とす。必要のないものは、できるだけ削ぎ落とす。そのためには、食事の内容と量、それに運動量を見直す必要があるだろう。次は、精神。必要のない観念や思い込みを外す。自分のなかの「何々すべし・何々すべからず」を一掃する。先入観や偏見や固定観念を取り払う。極力、白紙で今に生きるように努める。つまり、空。今ここを生きること。ここまで進めば、誰にでもアドバイスできる。しかし、ここまで進むのは至難の業(わざ)。一生かかっても行けるかどうかわからない。そんなことをしている余裕はない?だから、ある程度進んだら、アドバイスするしかない。何をアドバイスするか。それは、自分がしてきたこと。つまり、整理整頓。自分がやったこと以上のアドバイスはできない。自分が実地に試してみて、本当に効果があったものだけをアドバイスできる。責任を持ってアドバイスするとは、そういうこと。自分で実践していないで、言葉だけのアドバイスは何の力もない。まずは、自分自身が整理整頓すること。それから、相手の状態を見計らって話をする。相手が正気を取り戻している時にアドバイスする。精神が不安定な時にアドバイスしても、あまり効果はない。時々は正気に戻るはずなので、その時に冷静に話す。静かに話して、わかってもらう。相手が納得したら、まずは部屋の整理整頓から始める。一緒に手伝って、必要のないものを処分する。きちんと収納して、部屋の空間をできるだけ広くする。周りにいる人は、できるだけ毎日掃除をしてあげるといい。毎日、整理整頓の手伝いをする。本人がやるのが一番望ましいが、それができなければ周りにいる人がやってあげる。散らかったまま放置しない。乱雑なまま放置すれば、精神は更に混乱する。できるだけ物を少なくし、何もない空間を確保する。そして、頻繁に窓を開ける。空気を入れ替える。共同で使うトイレや台所もきれいにする。風呂にも毎日行くように勧める。精神的なものは最初からは無理なので、周囲の環境から整える。その人の周りを毎日掃除し、清潔にする。毎日毎日整理整頓することが、潜在意識に影響を与える。本人ができなければ、周りの人がやればいい。なにしろ整理整頓。環境をきれいに整える。精神的な難しい話は、本人が眠っている時にやる。熟睡している時に、静かに話しかける。整理整頓の必要性を。どんなに気持がいいかを。それを毎日続ける。そうすれば、それが潜在意識に入っていく。やがて本人も身の回りを整理したいという気持になる。根気よく潜在意識に語りかけ続けることだろうか。これらのことをやる際に注意した方がいいのは、押し付けないこと。呼びかけ、一緒にやること。整理整頓すれば気持がよくなることを、自ら体現すること。それをやり続ければ、必ず変化が起きてくるだろう。これは、精神を病む人だけでなく、その人を救うために努力する周りの人にも効果がある。まず周りの人の精神状態が変化する。それが精神を病む人にも影響を与える。人から聞いたことをオウム返しに喋るだけでは、ほとんど効果は期待できない。自ら実践すること。実践に基づいたアドバイスは、説得力を持つ。たとえ相手に効果がなくても、実践した本人には間違いなく変化が訪れる。真剣にやれば、必ず変化が起きる。自分が変化することが、最も大きな影響力となる。口先だけのアドバイスは、ほとんど何の効果もない。実践の裏打ちがない限り、エネルギーを伴わない。まずは、隗(かい)より始めよ!無理をしない。焦らない。じっくり、ゆっくり。まず自分自身から。整理整頓。最初は、住むところから。次に、肉体。それから、精神。物、体、心。それらのものを徹底的に整理整頓していく。心を込め、魂を込めて実践していく。そうすれば、必ず変化が起きる。精神を病んだ人を救おうと思ったら、それなりの覚悟がいる。そんなに簡単に救うことはできない。日本中に数えきれないほどの精神病院があるが、真に患者を救っている病院がいくつあるだろうか。ほとんどは薬漬けにして収容しているだけ。根本的な治療をしている病院が、果たしてどれだけあるだろうか。ただ対症療法的に薬を処方しているだけではないのだろうか。安定剤や鎮痛剤を・・・それ以外の効果的な治療法をやっている病院を、あまり聞かない。現時点では、精神病を根本的に治す薬はない。一時的に収容して、落ち着くのを待つだけ。薬で鈍感にしているだけ。そのようにしか思えない。病院にも薬にも頼れない。本当に精神を病む人を救いたかったら、周りにいる人が自分から変わるしかない。まず自分自身を整理整頓するしかない。そのエネルギーによって、精神を病む人を救うしかない。それは精神を病む人よりも、まずそれを実践した本人を救うことになるだろう。実践した人は、救われる。真剣にやれば、それなりの変化が起きる。その変化のエネルギーが、自然に周りに影響を与えていく。『精神を 病む人救う 方法は 整理整頓 環境整備』『人救う 前に自分が 救われて なければ救う ことはできない』『アドバイス するより先に 自(みずか)らが 実践をする 整理整頓』『まず自分 自分を救う ことにより 周りもやがて 救われていく』『混乱の 精神救う 方法は 整理整頓 シンプルライフ』これが日記を書き始めて1495日目の心境。
2009.02.04
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今日の屋久島は、曇。青空も少しだけ見えている。しかし、小雨が降り出した。気温は、高い。住んでいるスペースと精神状態は、どうもリンクしているようだ。精神が病んでいる人の家は、散らかっている場合が多い。部屋にはゴミやホコリが積もり、台所も汚れた食器が散乱している。きちんと整理整頓されていることは、あまりない。福祉関係の仕事を9年間やっていたので、精神を病んだ人にもたくさん会って来た。そういう人の自宅を訪ねると、部屋が整理されていないことが多かった。やっと一人が通れるだけの隙間があって、それ以外は山のような荷物が積まれた家もあった。そういう家は、通路以外はホコリがうず高く積もっていた。蒲団が敷きっぱなしの家も多かった。窓を閉め切ったままの部屋も珍しくなかった。古いものが山積みされ、使っていないようなものがたくさんあった。ガラクタと一緒に暮らしているような人を、たくさん見かけた。精神を病むところまではいかなくても、部屋が整理整頓されていないと精神は不安定になりやすい。部屋が整理整頓されていないということは、頭のなかも散らかっているということ。精神状態が、外に現れる。混乱した精神が、混乱した言動となる。家のなかに使っていない古いものが多いと、家の空気は淀む。家具が多いと、風通しが悪くなる。部屋の隅にはホコリが積もる。そういう家は、新鮮な気が流れない。気が淀んだところに住んでいると、精神まで淀んでしまう。散らかった部屋に住んでいると、精神も散らかってしまう。目に入る景色が混乱していれば、頭のなかも混乱する。逆も、また真なり。整理整頓された部屋に住んでいると、精神もスッキリする。美しい景色を眺めながら暮らしていると、精神状態も安定する。目から入ってくるものは、精神に多大な影響を及ぼす。胎教の重要性が昔から言われる訳が、ここにある。妊娠している時に火事を見たり、危険な目に遭うと、それは胎児に影響する。胎児は大人よりも格段に繊細なので、影響がもろに出やすい。鈍感な大人でも、毎日暮らしている場所の影響は潜在意識に浸透する。目に入る場景が混乱していれば、精神もおのずと混乱していく。家具は、少なければ少ないほどいい。空間が広くなるので、精神に余裕ができる。いくら広いところでも、家具がいっぱいでは人間の住むスペースは限られる。狭い部屋でも、家具が少なければ相対的にスペースは広くなる。家具や荷物が多かったら、整理整頓することだろうか。絶対量を減らすと共に、きちんと収納する。できるだけフリーのスペースを確保する。もしかしたら・・・それが、意識の自由度を象徴しているかもしれない。狭い部屋に家具がいっぱい?所狭しと本やその他が散らかっている?布団やベッドが大きなスペースを占めている?そういうところに、自由があるだろうか。身動きできないようなスペースで、精神は自由でいられるだろうか。スペースシャトルのなかは、超狭い。あんなところに長い時間いたら、精神が参ってしまう。モンゴルの大草原にいたら、心はのびのびするだろう。これまでの緊張が緩み、心はゆったりとリラックスするに違いない。人には、スペースがいる。狭い空間は、人の精神をも狭くする。豊かさとは、物がたくさんあることではない。物に囲まれた暮らしは、けっして豊かとは言えない。ただ物質化しているだけのこと。真の豊かさではない。真の豊かさとは、自由であること。何でも可能なこと。あらゆる可能性が、眼前に広がっていること。広々としたモンゴルの大草原のように・・・住んでいる空間が混乱していれば、精神も混乱する。住んでいる空間が整理整頓されていれば、精神も整理整頓される。住んでいる空間が狭ければ、精神の自由度も狭くなる。住んでいる空間が広ければ、精神の自由度も広くなる。頭のなかが詰まっていると、なんとなく鬱陶(うっとう)しい。それは、風邪をひいて鼻が詰まった状態と似ている。頭のなかが整理整頓されていないと、スッキリさわやかに生きることはできない。軽やかに、のびやかに生きるためには、頭の整理整頓が必須条件。本人には、わからない。その時は、わからない。整理整頓された後で、以前の状態がよくわかる。いかに混乱していたかが・・・精神をクリアーに保ちたかったら、家の整理整頓は欠かせない。精神が病むのを防ぎたかったら、まず部屋の大掃除を始めること。住んでいるところは、常に整理されているように心がけること。そして、できるだけ広い空間をつくるようにするのが、自由でいられる秘訣。最終的には、頭のなかを整理整頓する必要がある。いらない観念を放棄する。無自覚のままにつくってしまった思い込みを排除する。自分のなかの「べし・べからず」集を一掃する。頭のなかの観念をできるだけ減らす。思い込みは、いらない。思い込みではなく、フリーなスペースが必要。クリエイティブな閃きには、何もない空間が欠かせない。ゴチャゴチャ混乱している頭のなかに、インスピレーションはやって来ない。叡智が閃くのは、クリアーな頭に限られる。鋭い勘も、煮詰まった頭からは生まれない。繊細な感性は、精妙な頭のなかにしか存在しない。整理整頓。まずは、見えるところから。家や部屋から始める。そして、頭のなかに進む。家も頭も整理整頓されると、さわやかな風が吹き抜ける。常に新鮮な気が流れるようになる。新鮮な気がなければ、心身共に淀んでしまう。それは、やがて心身を蝕む。それが、風水の基本的な考え方。新鮮な気を取り入れること。新鮮な気によって、心身を健全に保つこと。運気を上昇させること。物理的な風水も必要。それと同時に、精神的な風水も必要。新鮮な気が流れる頭。クリアーな頭にする必要がある。そういう頭でなければ、多次元のことは理解できない。透き通るようにクリアーな頭だけが、遥かな次元と交流できる。ゴミやホコリが詰まった頭では、繊細な波動をキャッチすることは不可能。宇宙と繋がるためには、美しく整理整頓された頭がいる。ほんの少し瞑想したぐらいで、そういう状態になることはない。一時的になることはあっても、それは持続しない。本当に整理整頓が進むまでは、安定した空間は生まれない。物心共に深く整理整頓する必要がある。この日記を書いている本人は、今の精神状態になるのに35年以上かかっている。過去世も含めれば、天文学的な数字になるだろう。心身を調和させるのは、それほど大変なこと。一朝一夕にはいかない。神経の一本一本に詰まっているゴミやホコリを排除する。頭の細胞の一つ一つの波動を上げる。食べもの、水、着るもの、住むところ、肉体の状態、感情や思考の動き、ありとあらゆるところに気を配る必要がある。それを20代前半からやっている。頭の調整は、今も続いている。心身の波動は、少しずつしか上げることはできない。松果体や脳下垂体の波動を上げるのは、並大抵のことではない。DNAを変更するほどのエネルギーがいる。家や部屋から始まった整理整頓は、最終的には精神の整理整頓まで進む。深く深く整理されるにつれて、頭は明晰になっていく。透き通るような頭脳となる。そういう頭脳でなければ、多次元宇宙からのエネルギーをキャッチすることはできない。 意識し出してから35年以上かかって、ここまで来た。しかし、道はまだ続いている。それでも、かなり見通しがよくなった。そろそろ今生のゴールが見えてきた。この日記は、ゴールまでの道行き。日記を書くことによって、精神の整理整頓ができている。同時に、後に続く人への道標(みちしるべ)ともなっている。だから、同じように時間をかける必要はない。時代の波動は、変わってきている。もっと速く、もっとスムーズに変化できるようになっている。本人がその気になりさえすれば、変化は速い。真剣に取り組めば、大きく道は開ける。家も物も整理整頓。心も体も整理整頓。必要のないものは、みんな手放す。スッキリさわやか、広々とした空間で生きる。『ごちゃごちゃに 詰まっているから ごちゃごちゃに 外に出るだけ 精神異常』『精神を 整理整頓 せぬ限り 精神異常 治ることなし』『まず部屋を それから体 精神を 必要ないもの 整理整頓』『精神が 病むのは神の 精髄が 流れないから 滞(とどこお)るから』『手放して また手放して 手放して 手放し抜けば 風吹き抜ける』『思いきり 溜まったものを 手放して 楽になること 軽くなること』『必要の ないものすべて 手放して 広々とした スペースに住む』『自由とは 何もないこと 必要な ものはそのつど 手にすればいい』『日記書き 自分見つめる ことにより 頭のなかを 整理整頓』『落ち着いて 混乱見つめ 整理する 整理するたび 心静まる』これが日記を書き始めて1494日目の心境。
2009.02.03
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二月になって、少し気温が上がってきている。あと一ヶ月もすれば、屋久島は春になる。春は、もうすぐ。山が待っている。最近、意味不明の書き込みが時々ある。誰が読んでもわからないので、削除することにしている。明らかに精神が病んでいるとしか思えない。なぜ精神は病んでしまうのだろうか。病気とは、気が病むと書く。気が病むとは、どういうことだろうか。それは、気が滞っているということ。気が流れていないということ。川の水が淀めば、濁る。やがて、その水は腐ってしまう。体のなかに老廃物が溜まれば、病気になる。精神も、古いものが滞れば健全ではいられない。物事に執着し、拘り、囚われる。古いものをしっかり握って放さない。過去を所有し、今に生きない。頭のなかが、常に何かで一杯。そういう状態になると、気が滞る。気が滞れば、頭のなかは古い気で一杯になる。頭は濁り、淀んでしまう。それが続けば、精神が病むことになる。便秘は、万病の元。食べたら出さないと、体のなかは古いものだらけ。やがて体内から腐敗していく。万病が、体内から発生する。精神も、まったく同じ。今を生きない精神は、新鮮な空気を吸えない。淀んだ空気は、精神を窒息させる。過去に執着し、過去に囚われ、過去で一杯の精神は、やがて壊れていく。もう頭の中に一杯溜め込んでいる時ではない。今は、手放す時。これまで執着してきたものを手放し、本来の自分に戻る時。後ろ向きに生きるのをやめ、前を向いて真っ直ぐに生きる時。執着や囚われは、ネバネバしている。頭のなかがネバネバしていると・・・やがて頭の中は、ドロドロになる。まるで泥沼のようになり、収拾がつかなくなる。それが、精神が病んでいる状態。意識は朦朧とし、明晰さの欠片(かけら)もない。クリアーとはほど遠く、意識は常にボーッとしている。その状態がひどくなると、支離滅裂なことを言い出す。便秘しただけでも、頭はクリアーではなくなる。毎日排便することが、頭をクリアーに保つためには絶対必要条件。精神を病んでいる人は、頭のなかが便秘状態。排便しない限り、救われない。手放すこと。握った指を放すこと。結んで、開いて、結んで、開いて・・・結んだものを結んだままにしていると、病む。人は、過去からできている。人格とは、過去の経験の集大成。しかし、過去はあくまで過去。今ここは、空。今ここは、何もない。過去のデーターを使って生きているだけ。今ここの主体性を確立することだろうか。空の主体性を確立すれば、精神が病むことはあり得ない。過去に執着し、過去と自己同一化する時に、流れない精神は病んでしまう。空の精神は、何ものにも囚われない。何もない。常に空っぽ。それこそが、真の自由というもの。始まりも終わりもない。過去も未来もない。ただ今があるだけ。色の移り変わりを楽しむだけ。それに囚われることはない。何も所有しない。空っぽの意識のなかを通り過ぎるだけ。所有し過ぎた精神は、やがて所有したものに占有される。自由な空間はなくなり、息苦しくなる。所有し過ぎた精神は、やがて腐り始める。自己崩壊を始める。物であれ肉体であれ、循環していないものは腐っていく。精神も同じ。所有し、執着し、手放すことを忘れた精神は、腐敗していく。詰まった精神は、生き詰る。閉じた窓を開け放つことだろうか。窓を全開にして、空気を入れ替えることだろうか。それから、部屋の掃除をすることだろうか。溜まっているゴミやホコリを一掃することだろうか。まだ間に合う。まだギリギリ間に合う。大掃除をすることだろうか。精神という部屋を・・・『流れない 水は淀んで 腐りだす 手放さないと 気が病んでいく』『握り締め 手放すことを 忘れれば 新しいもの 掴めなくなる』『持つことに 執着すれば 重くなる 気は滞り 身動きとれず』『過去握り 過去に生きれば 気は淀み 頭の流れ 鬱屈していく』『閉じられた 意識の部屋に 住む限り 新鮮な風 吹くことはなし』『窓開ける ことがなければ 部屋は死ぬ 心閉ざせば 精神は病む』『新鮮な 空気を吸って 新鮮な 水を飲むとき 健康になる』『物・記憶 所有しないで 使うだけ 使う時だけ 楽しめばいい』『何もない 何も持たない 空っぽの 心のなかを 風吹き抜ける』これが日記を書き始めて1493日目の心境。
2009.02.02
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今日の屋久島は、さわやかに晴れ上がっている。窓を開けても寒くはない。山々が、はっきり見える。海も穏やか。昨日は、久しぶりに山へ水を汲みに行った。ついでに、少しだけ巨木の森を歩いた。今年最初の森歩き。風が強かった。所々に雪が残っていた。しかし、ルート上は何も問題はなかった。気温が低く、空気がピンと張りつめていた。清々しい森だった。水を汲むところには、雪がたくさん溜まっていた。除雪された雪が凍った感じ。水は、まるで雪解け水のように冷たかった。しかし、最高に美味しかった。一昨日は、運転免許の更新に行った。運転免許の更新は、自分にとってはなかなかの難問。これまでは、そうだった。ここ10数年、視力検査は鬼門だった。東京では一度で合格することはなく、体調を整えて再挑戦していた。前回の屋久島では、お情けで合格という感じだった。今回は?かなりの覚悟で臨んだ。三日ほど前から視力検査のために調整を始めた。できるだけパソコンやテレビを見ないようにした。目の周りをマッサージし、冷やした。ところが・・・ここのところ森へ行っていないので、目に疲れが溜まっていた。そのため、なかなかクリアーにならなかった。なんと視力検査の当日は、目が痛いこと、痛いこと。最悪のコンディションだった。翌日になればスッキリするのは、わかっていた。だから、よほど先に延ばそうかとも考えた。しかし、そうすると土日が入るので、更新期限まで残り一日となる。それでは、もし視力検査が不合格になった場合の再検査の日がなくなる。そういう訳で、少し無理をして警察へ行った。書類の記入が済むと、すぐに視力検査となった。さて?少し緊張して検査室へ入る。最初は、大きな○が出てきた。上下左右のどこが欠けているかを言う。これは、わりとはっきり見えた。三回続けて正解。これで合格かと思ったら、次はものすごく小さな○が出てきた。これは・・・はっきりは見えない。でも、なんとなくわかる。左、下、上・・・なんと全問正解。一発合格。信じられない!前回の更新の時は、さんざんだった。何回も何回も間違った。たぶん半分以上は、不正解だったと思う。そのため、なかなか時間がかかった。今回は、すべて一発解答。なんとも信じがたい結果。どうして?なぜ?本当は、数日前からブルーベリーを食べるつもりだった。ところが、これをすっかり忘れていた。但し、イメージトレーニングだけは、しっかりやった。寝る前に三日ほどやったのではないだろうか。○が明確に見えるビジョン。バックが明るくなる映像。○の欠けているところが光るイメージ。はっきりクッキリ見えている感じを、何度もシュミレーションした。これが、効いたのだろうか。なんとも拍子抜けするような結果。これでは、最低でも視力1.0はあるのではないだろうか。もしかしたら、1.2とか?いずれにしても、裸眼で楽勝だった。期待したドラマは起きなかった。いや、望み通りの結果となった。ドラマチックにはならなかった。これまでは、トラブルが起きて、ドラマが始まる。そういう時代だった。しかし、これからは望み通りの結果がストレートに出る。それが新しい時代の流れだろうか。シンプルにストレートに願いが叶う時代。自分のなかでイメージした通りのものが、現実化する時代。そのスピードが、ますます速くなっている。実は、他にも似たようなことがあった。以前からアメジストドームがほしいと思っていた。アメジストドームとは、アメジストの母岩を真っ二つに割ったもの。大きな半球状になっている。ところが、これがなかなか高い。何十万円という世界。ほしくても、なかなか手が出なかった。ところが、これが簡単に手に入った。しかも、破格としか言いようのない価格で。卸値の40%引き。実売価格の三分の一以下だろうか。なんとも拍子抜けするような安さ。それも、アッという間に届いてしまった。それだけではない。アメジストドームは、そのなかに水晶を入れて浄化するために購入したもの。ところが、いろんなものを入れている間に、ぴったしのものを発見してしまった。まるでその水晶のためにアメジストドームの空間があるような・・・その姿は、まるで御神体。大きなアメジストドームのなかに、静かに鎮座している感じ。これには驚いた。なかなか決まっている。実は、この御神体も同じ日に別のサイトから届いたもの。質の高いヒマラヤ水晶なのだが、びっくりするほど安かった。掘り出し物というか、大当たりというか。売れ残っていたにもかかわらず、すばらしい一品。お金がなくても望みが叶う時代になりつつあるのだろうか。逆に言えば、お金さえあれば何でもできる時代が終わりに近づきつつあるのだろうか。これからの時代は、お金があるだけでは望みのものは手に入らないかもしれない。お金よりも、もっと大切なものがあるということ。その大切なものがないと、必要なものがやって来ないかもしれない。その大切なものとは?何だろう?さて・・・大切なものは、生きる姿勢だろうか。真っ直ぐに生きること。自分に正直に生きること。自分に嘘をつかないこと。真に自分が望むように生きることだろうか。自分の真実を生きることだろうか。深い深い真の望みを生きることだろうか。真実の自分で生きることだろうか。お金のために働くのではなく、本当にその仕事がしたいから働く。そういう生き方に切り替えることだろうか。そのような生き方に切り替えれば、お金はなくても必要なものはやって来るかもしれない。やって来るというより、自分で創り出せばいいだけ。それが心からの望みであれば、迷いが出る余地はない。ストレートにイメージできる。そうすれば、それが実現する可能性は非常に高くなる。心に迷いがなければ、たいていのことは叶うもの。時代のトレンドは、お金ではなくなりつつある。これまでは、お金が万能の時代だった。しかし、それは終わろうとしている。お金よりも、もっと大切なものを身に付けることだろうか。それは、自分自身に正直に生きるということ。真の自分の願いを生きるということ。今生に生まれてきた目的を生きるということ。そうすれば、目の前で夢が叶う。現実創造が思うようにできる時代。速(すみ)やかに夢を実現できる時代。それには、自分に嘘をつかないこと。自分に正直に生きることが、絶対条件となる。自分に正直に生きて、夢を実現すればいい。素直に今生のビジョンを現実化すればいい。それが、これからの時代。新しい時代の流れ。『お金では 買えないものが 増えてくる お金なしでも 夢花開く』『お金より 大事なものは 正直に 嘘をつかずに 日々生きること』『正直に 生きると強く 決めること 嘘をつかずに 自分を生きる』『真実の 願いであれば 叶わない ことはないもの 真に望めば』『次々に 夢を実現 することが 現実創造 この世の仕事』これが日記を書き始めて1492日目の心境。
2009.02.01
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