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笑顔からは、光が出ている。パッと輝く笑顔からは、虹色の光が出ている。笑いは、光。周りを明るくする光。それは、雰囲気が明るいというだけではない。実際に光が飛び散っている。エネルギー的に見ると、明らかに光。オーラが輝いている。笑うことだろうか。笑顔を振りまくことだろうか。赤ちゃんが笑うと、それだけで周りが幸せになる。笑顔は、それほどのエネルギーを持っている。気持よく笑うことだろうか。朗(ほが)らかに笑うことだろうか。腹蔵なく笑うことだろうか。心から笑うことだろうか。何でも笑って済ませれば、何も問題はない。笑えば、周りが明るくなる。しかめっ面では、周りが暗くなる。明るい方が楽しいに決まっている。明るく笑うには、腹に何もないこと。気がかりなことがあれば、心からは笑えない。何も含むものがない時、カラカラと笑える。腹の底から笑える。笑えば、活性化する。心身共にエネルギーが漲(みなぎ)る。体は健康になり、心は明るくなる。良いことづくめ。笑顔や笑いは、社会を明るくする。パッと光がはじける。光の花が咲く。明るく生きることだろうか。『幼子(おさなご)の 笑顔周りを 明るくし 見ているだけで 心が和(なご)む』『虹色の 光の花が 咲いている 笑顔がつくる 幸せオーラ』『カラカラと 腹の底から 笑う時 心身共に 活性化する』『美しい 笑顔の花が 咲く時に 光の虹の アーチが架かる』これが日記を書き始めて1610日目の心境。
2009.05.30
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朝から清々(すがすが)しい青空。気持が良いので、水晶の浄化に行く。着いた時は、ちょうど満潮時。ものすごい波が打ち寄せていた。あまりの勢いに、水晶を入れたザルを海中に置けない。持ったまま浄化する。波しぶきで半身が濡れてしまう。透明度も低いので、短時間で切り上げる。川の方は、ここのところの大雨で水量が増していた。しかし、水は既に透明。こちらは、安心して水中に置いておける。新しく届いた水晶たちを浄化する。今回は、スペシャルなものが一個含まれている。高さ、15cmほど。幅、7cmほど。重さは、ゆうに1Kgを超える。大きさだけなら、このレベルのものはある。しかし、その透明度は群を抜いている。小さな5~6cmのポイントに優るとも劣らない。上から下まで完璧に透明。照りも最高。これだけ大きくて美しい水晶は珍しい。しかも、インドのマニカラン産のヒマラヤ水晶。年に1個アップされるかどうかというレベルのもの。よくぞこちらへ来てくれました!という感じ。この水晶が来て、何かが変わった。それだけの影響力を持つ水晶。価格も、これまでで一番高かった。この水晶が来てから、これまで秘蔵していた水晶たちを手放す気になった。その圧倒的な存在感が、他の水晶の必要性をなくしてしまった。6月の双子座の水晶祭りから秘蔵品が登場する。これまでもステキなものが出ていたけれども、更にバージョンアップする。まず、シトリンの中に鶴が入った水晶。鶴の足元には、美しいレインボーも見える。それから、ラダックのヒマラヤ水晶。やさしい透明感がたまらない。ガネーシュヒマールの最高レベルのポイントも出る。透明感の極みという感じ。そして、変容の石、メタモルフォーシス。変容前と変容後がセットで登場する。最高級のローズクオーツの原石。美しく結晶したローズクオーツのクラスター。美しいアメジストもたくさん登場する。アクアマリンもアパタイトも美しい。ナミビア産の濃い緑のダイオプテーズ。珍しいブルーアクティノライトが入った水晶。大きなシトリンカテドラルもある。透明感のあるエメラルド。ライトブルーが美しい大きなクリソコラ。アメトリンやグリーンアポフィライト。なにしろ豊かな水晶祭り。全部で27組が登場する。開催は、6月8日の満月。これから写真を撮って、解説文を書く。大きな水晶が届くと、何かが変わる。今回は、整理整頓が進み、更にスピリチュアルになった感じ。よりシンプルに、より軽やかになっていく。ごちゃごちゃしたものが消えていく。濁世の垢が落ちていく。流れは更に美しくなっていく。どこまでも透明。限りなく無色透明に近づいていく。届いた水晶は、無色透明。これが、2010年のkimi神社を支える水晶。『ヒマラヤの 巨大水晶 届く時 日々の暮らしの 流れが変わる』これが日記を書き始めて1609日目の心境。
2009.05.29
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今日の屋久島は、朝から快晴。あまりにも気持ちがいいので、水晶の浄化に行く。早い時間なので、誰もいない。ほとんど波がなく、海は静か。海水は、澄みきっていた。しかし、泳ぐにはまだ冷たい。川は水量が少なく、川幅が半減していた。五月にしては、極端に雨の少ない屋久島。しかし、水が枯れるということはない。山の方では、少しは降っている。いつもと違う場所に水晶を浸ける。いつもの場所は、水深が浅かった。今日持って行ったのは、新しく届いたもの。あまりたくさんはないので、短時間で終了。一緒に新しいサンダルも浄化。履いたまま海と川に入れば、自然に浄化される。人間も少し浄化。岩の上で、しばし瞑想。瞑想すれば、「私」は消える。ただ透明な水が流れているだけ。今日から新しい水晶が続々と届く予定。実は、昨夜も大きな水晶を買った。15cmを超えるシトリンカテドラル。お金がないのに、なぜ買うの?こういうレベルの水晶は、年間1~2個しか出ない。出た時に買っておかないと、いくらお金があっても買えなくなってしまう。いい水晶というのは、縁。お金があるだけでは、買えない。ここのところすばらしい水晶が、次々とアップされている。そのため、お金がないにもかかわらず買っている。これだけ集中して買うのも珍しい。今月の購入額は、軽く50万円を超えている。たぶん、何かが変わる予兆だろう。これだけ水晶を買うというのは。逆に言うと、これだけ集中してすばらしい水晶が届くというのは・・・変わり目ということだろうか。今年も、もうすぐ半年が過ぎようとしている。今年は、大きく変わる年。スリムになり、シェイプアップする時。前半は、それほど贅肉が落ちなかった。これから、心身共にシェイプアップ。心身をクリスタル化する。無色透明。人間臭さが、更に薄れていく。人間臭さとは、この世的ということ。この世的ということは、物質的ということ。物質的ということは、肉体ベースということ。肉体ベースということは、自己保存ベースということ。それが、悪いということではない。それも十分体験すればいい。しかし、十二分に体験したら、いつまでも引きずらないことだろうか。理解して、完了させる。完了して、次へ進む。次々と進む。無限に進む。終わりはない。永遠に進んでいる。だから、今を味わう。未来のために今を使えば、永遠に追いつかない。それでは、自分の尻尾を追いかけ回す犬。永遠に進み続ける。ということは、今しかないということ。今を味わい、楽しむしかない。未来のために今を犠牲にしない。犠牲にした時は、戻ってはこない。未来を見据えて、今を楽しむことだろうか。未来の夢のために、今を充実して生きることだろうか。永遠に今しかないのだから。今日は、一年間待って巡り会えるかどうかというほどのクリアーな水晶が届くことになっている。それが、2010年のkimi宅を支える水晶になるだろうか。さて、どんなものが届くか。楽しみに待つことにしよう。『クリアーな 水晶見れば 心身も クリアーになる 見ているだけで』これが日記を書き始めて1600日目の心境。
2009.05.20
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今日の屋久島は、朝から雨になっている。先日、沖縄が梅雨入りした。昨日は、屋久島のすぐ下にある奄美大島が梅雨入り。屋久島の梅雨入りも秒読み段階と言える。ここ数日で40万円分ほどの水晶を購入した。半分以上は、クレジット。今月のカードの支払いは、35万円ほど。どういうわけか、水晶をたーくさん買い込んでいる。今年は、仕事が少ない。なんとか食べていける程度。水晶を買う余裕はない。もちろん、貯金もない。あるのは、水晶貯金だけ。そうなると・・・手元にある水晶を手放すしかない。自宅には、たくさんの水晶がある。連日連夜、水晶のサイトをチェックして、何年もかけて集めたもの。どれもステキなものばかり。まだ手放すつもりはなかったものも・・・背に腹は替えられぬ?手放そうと思ってピックアップすると、そこで何かが終わる。多少の愛着はある。しかし、基本的に執着はない。別れる時は、水晶にとっては新たな旅立ち。水晶祭りの準備をするのは、楽しい。まずどれを出すかの選定。それから、どのように組み合わせるかの選考。写真を撮る時もワクワクする。より美しく撮れれば、うれしい。まるで美人のモデルさんを撮っているような気分?なんとなくそれに近いかもしれない。解説文を書くのも嫌ではない。そうやって毎月水晶祭りをして、また新しい水晶を購入している。かなり流れている。新陳代謝が激しい。ということは?新鮮ということ。常に新しいものが流入してるので、滞りがない。まるで川の流れ?水晶の流れ・・・経済的には、いつも自転車操業。最近は、綱渡り?でも、慣れてしまえば、どうということもない。注意深く進めば、綱渡りも楽しめるもの。肉の身に入ってしまうと、先のことはわからない。時代の流れは、わかる。これからの社会の変化も、ある程度は予測がつく。しかし、自分のことはわからない。わからないから、スリルがあって楽しいとも言える。怖がらないことだろうか。怖がらないで、スリルを楽しむことだろうか。目隠しゲームが一番楽しいのだから。世の中の先行きも、だいぶ怪しくなってきた。豚インフルエンザが流行り、関西では休校が相次いでいる。これからどうなるのか。時代は、予測を超えて展開している。思いもかけないことが、これから更に起きてくるだろう。しかし、それもすべて新しい時代が開くためのもの。古い価値観が揺さぶられ、崩壊する時。これまでの安全神話は、すべて崩れ去ってしまう。古い価値観が崩壊し、新しい価値観が生まれる。心も体も物も、すべてが一新される。古いものにいつまでもしがみついていると、だんだん生き辛くなる。古いものを手放して、身軽になることだろうか。最も大切なことは、しなやかになること。フレキシブルになること。これまでの凝り固まった価値観を放棄すること。すべて手放して、バンザイすること。何も持てるものがなければ、何も怖くはない。たくさん持っていると、失う恐怖が伴う。手放せば手放すほど、楽に生きれる。何もないのが、最も気楽。あるものを楽しむ。ある限り楽しむ。なくなれば、忘れる。いつまでも固執しない。あっさりと生きることだろうか。軽やかに生きることだろうか。激震は、人を軽くするための揺さぶり。時代と共に軽くなることだろうか。『激動の 時代と共に 生きるには 古い価値観 手放すしかない』『人類(ひとびと)の 執着洗い 流すため 激流となり 時代は進む』『たくさんの 荷物を背負って いる限り 激流渡る ことはできない』『手放して 身軽になって 軽やかに 流れに乗って 生きるしかない』『持てるもの 手放しきれば 淡々と 時代と共に 流れていける』これが日記を書き始めて1599日目の心境。
2009.05.19
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二週間ほど続いた晴天が、やっと終わった。山の方は降っていたが、里はまったく降らなかった。昨日から里の方も少し雨が降り出した。しばらく雨模様の天気が続きそう。何事にもアーキタイプ(原型)がある。人にも物事にも。つまり、設計図があるということ。すべては、設計図を基に現実化される。人は、生まれてくる前に基本的な人生計画を決めてくる。しかし、生まれてしまえば、そのことは忘れてしまう。それでも、人生は基本計画に沿って展開していく。なぜなら、そのように自分自身にセッティングしてあるから。自身の幽体に、プログラミングされている。肉体も精神も出来事も。それが、基本。その基本をベースに人生が展開する。しかし・・・予定通りに事が運ぶとは限らない。なぜなら、この世のことは、今の人格に決定権がある。予定通りに事が起きても、対処はこの世の人格しだい。例えば・・・病気になったとする。あるいは、交通事故に遭ったとする。その時、どのように対処するか・・・その対処の仕方によって、人生の展開は大いに変わってくる。他人(ひと)のせいにして、周りを責めることもできる。社会のせいにして、世の中を呪うこともできる。運命や宿命のせいにして、天を恨むこともできる。もしそのような対応をすれば、その後の人生は暗転する。その後にすばらしいことが起きてくる計画でも、それらはすべて暗く解釈されてしまう。どんなすばらしい出会いも、ネガティブに捉えれば、すばらしさは消えてしまう。人生は、捉え方しだいで、どのようにも変化する。病気や事故に遭った時、それをポジティブに捉えることができたら、また人生は変わる。そのことをきっかけとして、人生が好転する。その後に起きる出来事が、すべて明るく捉えられる。起きてくることをポジティブに捉えられたら、人生に幸せの花が咲く。今生は、生まれる前に計画してきた通りになるとは限らない。人生の基本設計はしてある。そのプログラムに沿って、いろんなことが起きてくる。しかし、それにどのように対処するかによって、人生が決まっていく。起きてくる事実を素直に受け止めることだろうか。病気や事故に遭ったら、病気や事故と共にあることだろうか。病気や事故を、しっかり受け止めて生きることだろうか。何かのせいにして責任逃れをしないことだろうか。事実をしっかり受け止める。事実をじっくり感じる。病気の時は、病気と共にあればいい。事故に遭ったら、事故と共にいればいい。それらをゆっくり感じて、自分自身を振り返ることだろうか。病気や事故と一緒にいれば、その原因らしきものがなんとなくわかってくる。日々の自分の思いと行いを、もう一度フィードバックすることだろうか。病気や事故がどういうメッセージなのか、よーく感じてみることだろうか。何かのせいにして責任転嫁をしても、人生は開かない。自分自身を掘り下げる時にだけ、人生は深くなる。自分の外には何もない。あらゆるものは、自分の内にある。自分自身の人生設計を思い出すことだろうか。何をしようとして今回生まれてきたのか、深く感じてみることだろうか。少なくとも、そのような問題意識を明確に持って生きることだろうか。そうすれば、いろいろ気づくことがある。問題意識もなく不注意に生きれば、何も気づくことはない。ただ流されて時が過ぎるだけ。大切な人生を無駄にしてしまう。無駄ではなくても、更なる可能性を逸してしまう。常に自分自身と共にあることだろうか。自分から逃げないことだろうか。そうすれば、多くのことに気づける。人生が深まる。日本では、年間三万人もの人が自殺する。世界全体では、どれほどの数になるのだろうか。せっかくのチャンスを活かしきることなく、途中で放棄してしまう。最後の最後までチャレンジし続けるのが人生。それによってのみ、新しい道が開く。これまで体験したことのない人生が開示される。未知のものを体験すること!そのために生れて来たのだから。いまだかつて体験したことがないものを創造するために、今の時を選んで生まれてきた。そのチャンスを十二分に活かすことだろうか。最後まで諦めないで、日々を真剣に生きることだろうか。人生は、無限の可能性に満ちているのだから。『設計図 通りにいくとは 限らない 実行するのは この世の自分』『必要な ことが起きると 決める時 あらゆることが ポジティブになる』『ネガティブに 受け止めること やめる時 世界が変わる 意識が変わる』『起きてくる 事実そのまま 受け止めて 事実と共に 深く見つめる』『ポジティブに 積極的に 受け止めて 未知の体験 すればいいだけ』『恐れずに チャレンジすれば 人生は 未知の体験 夢の実現』これが日記を書き始めて1598日目の心境。
2009.05.18
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屋久島は、晴が続いている。ここのところ、連日、水晶を郵便局に運んでいる。牡牛座の水晶祭りで行き先が決まったものの発送。途中の道路には、花々が咲き乱れている。山があり、海がある。太陽が照り、風が吹く。色とりどりの花々が、目を楽しませてくれる。道路を走る車も少なく、なんとも平和な島。しかし、平和な島でも、いろんなことが起きる。神猫が亡くなった。kimi神社にやって来た野良猫。まだ一年にも満たない短い生涯だった。オスなので、成長すると縄張り争いをする。遠くまで出かけてケンカしている様子だった。最近は、いつも左耳の後ろを噛まれて帰って来ていた。何度も何度も同じところを噛まれた。その度に手を当ててヒーリングした。手を当てれば、ある程度は回復する。元気になると、また縄張り争いに出かけて行った。何のためのヒーリング?何度もケンカをやめるように注意した。しかし、本能なので、なかなか聞き入れてはくれなかった。自分が生き残ることと子孫を残すことは、動物本能の最たるもの。本能を抑えることは、猫にとってはできない相談だった。だんだんと傷が深くなっていった。とうとう耳の軟骨まで見えるようになった。最後には、生殖器官(タマタマ)まで血まみれになって帰ってきた。この時は、さすがに生気がなく、ヨレヨレ状態だった。傷口は、長らく膿んでいた。だんだん食欲もなくなっていった。とうとう水だけしか飲めなくなった。断食して傷を治そうとしていたのだろうか。4~5日は、水だけでなんとか頑張っていた。だが、みるみる痩せていった。それでも、まだ水を飲むために流しまで飛び上がることはできた。しかし、遂には水を飲むことさえできなくなった。その頃には、口から血を吐くようになっていた。傷口から入った菌が、全身に回ってしまったようだ。断食しても菌には勝てなかった。水を飲めなくなると、やがて動けなくなった。それでも、思い出したように動こうとした。しかし、数歩歩くと、バタッと倒れた。一時間おきぐらいに、それを繰り返した。本人は歩きたいのだが、体が付いていかない様子だった。なんとか頑張ってほしいと思った。しかし、それは無理な願いだった。気がつくと、体温が下がっていた。カイロを包んだタオルを被せた。最後の最後まで、本人は立ち上がろうとしていた。しかし、立ち上がった途端、倒れ込んだ。それでも、こちらが呼びかけると、こちらを見て返事をした。意識は、しっかりしていた。最終的には、呼吸が変わった。呼吸が浅くなり、速くなった。それがだんだん弱くなり、虫の息になった。もう死期が近いことが、はっきりした。最後は、何度か手足を激しく動かした。そして、呼吸が止まった。眼を開けたまま動かなくなった。触ると、更に体温が落ちていた。前日の夜に、猫のエネルギーを感じた。猫の骨格構造は、恐竜のような感じだった。頭から背骨、尻尾が一本に繋がっていた。大きな弓のような感じ。しばらく一緒にいると、詰まっていたものが抜けた。全身がスッキリした。これでOKという感じだった。何も問題のない状態になった。スッキリした時点で、もう死んだのかと思った。しかし、まだ息をしていた。それから、ほぼ一昼夜生き続けた。しかし、エネルギー的には、前夜から準備ができていた。神猫は、最後の最後までよく頑張った。こちらが感心するくらい、最後まで立ち上がろうとしていた。「もう十分頑張ったから、もういいよ。」「よく頑張った!」と、何度も声をかけた。息が止まったのは、深夜の12時頃。猫はそのままにして、床に就いた。寂しくも悲しくもなかった。なぜなら・・・猫は、そこにいた。肉体は、死んでいた。しかし、猫のエネルギーは、こちらと一緒にあった。いつものように一緒にいた。だから、寂しくも悲しくもなかった。目に見える形の猫は、死んだ。しかし、目に見えない猫は、以前と変わりなく存在していた。猫そのものに変化はまったくなかった。肉体に囚われれば、寂しくなる。形に囚われれば、悲しくなる。しかし、猫の本質と共にあれば、寂しくも悲しくもない。思考が動かなければ、何もない。もう会えないとか、もう膝に乗ってこないとか・・・いろいろ考えると、感情が動く。感傷的になって泣き始める。しかし、思考が動かなければ、感情も動かない。いつもと同じように、猫は身近にいる。黙って猫と一緒にいれば、ハートからあたたかいエネルギーが溢れ出す。それは、猫を包み、猫を癒す。肉体を離れた猫は、慈悲のエネルギーに包まれた。肉体から離れても、猫は存在している。別の形で居続けている。何も悲しむことはない。何も寂しがることはない。形に執着する時、別離の苦しみが生まれる。目の前から消えたものに囚われる時、感情が沸き起こる。過去の思い出に浸る時、感傷的になる。それは、自分の世界に埋没しているだけ。感性を研ぎ澄ませば、何も変わってはいない。ただ物質次元の猫が動かなくなっただけ。猫の本質自体に変わりはない。今も一緒にいる。この世のことは、すべて同じ。猫に限らない。人も自然も同じ。すべて同じ。移り変わる形に囚われないことだろうか。表面だけを見ないことだろうか。ただ移り変わっているだけ。宇宙の本質は、微動だにしない。目に見えるものは、変化する。しかし、本質は変わらない。色は、変化。空は、不変。空をベースに色を生きることだろうか。そうすれば、何の悲しみも苦しみもない。ただ表層が移り変わるだけ。本質は、何も変わらない。静かに深く生きることだろうか。表層の喧騒に巻き込まれないことだろうか。自分の本質を生きることだろうか。自分の真実を生きることだろうか。翌朝も猫の姿は変わらなかった。今にも「ニャン!」と叫んで起き上がりそうだった。もちろん、動き出すことは二度となかった。体は、既に硬直していた。裏の森に穴を掘って埋めた。「お疲れ様。」「どうぞ自然にお還り。」亡骸(なきがら)は、土に戻るしかない。亡骸(なきがら)とは、無き殻。今は主(あるじ)のいない抜け殻。いのちが抜けた後の肉体は、ただ朽ちるのを待つばかり。自然に還るのが、自然なこと。神猫はいなくなったが、この猫が連れてきた弟分の猫がいる。毎日、餌を食べに来る。二代目の神猫?さて、また新しい物語が始まる。『いつまでも 同じ形で いてほしい それが執着 苦しみの元』『表層の 姿形に 囚われて 思考動かし 悲苦に埋没』『思い出と 比較する時 悲しみや 苦しみなどが やってくるもの』『刻々に 出会いと別れ あるばかり 過去を掴めば 悲苦が始まる』『肉体は 死んでも何も 変わらない 本質的に 変わるものなし』『移りゆく 現象だけに 囚われて 本質忘れ 嘆き苦しむ』『現象の 奥に息づく いのちあり いのちと共に 今を生き抜く』これが日記を書き始めて1594日目の心境。
2009.05.14
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コメント欄に次のような書き込みがありました。「相手を認めて受け入れることと、自分は自分のペースで生きることって本当に同時に出来るのでしょうか・・・。くだらないたとえ話で申し訳ないのですが、いつも職場でトイレ掃除を絶対にやらない女性がいます。仕方無いので、いつも私がやっています。あまりに見かねて、さりげなく指摘しましたが、何も変わりませんでした。この場合、相手を変えようとしたことにまず無理があったんだと思います。でも、そういう相手を認めましたが、結局自分ばかりトイレ掃除をやらされる、という気持ちも現実も何も変わりません。」トイレ掃除をやらされる?それは、お気の毒に。でも、誤解しないでくださいね。お気の毒なのは・・・トイレ掃除そのものではないのですよ。それをやらされていると思う、あなたの気持の方です。せっかくのチャンスなのに。彼女からの最大のプレゼントなのに。トイレ当番とか、学生時代から、みんな嫌がりますよね。臭いから?汚いから?みっともないから?でも、世の中には積極的にトイレをきれいにしましょうと提唱している人もいるのですよ。その呼びかけに応えてトイレを掃除しまくっている人も、かなりいらっしゃるようです。自宅のトイレは、もちろんのこと。親類宅や職場も。公衆便所や飲み屋のトイレまで。出会ったトイレは、ことごとくきれいにする人までいます。なぜ?どうして?それは、ものすごく効果があるからです。何に?生活全般に。すばらしい結果が出てくるのですよ。訪問先のトイレ掃除を買って出るセールスマンは、やがて成績が伸びます。人目につきにくいトイレをきれいにする人は、やがて世間から認められます。汚れているトイレを黙ってきれいにする人は、美しくなります。トイレ掃除の効用は、キリがないくらいです。トイレをきれいにしましょう!それが幸運をもたらします!と提唱している人もいます。それは、実際効果があるようです。そういうトイレ掃除のチャンスを、同僚の女性は見逃しているのです。でも、あなたもやらされているという気持ちでは、その女性と大差はありません。嫌々やっているのですから。嫌なことはしない彼女の方が、ある意味、自分に正直かもしれません。トイレも部屋もきれいにすることですよ。一番汚いところを一番きれいにすることでしょうか。そうすると、新鮮な気が流れます。新鮮な気が流れれば、心身が活き活きとしてきます。トイレ掃除の効用は、ギブ&テイクみたいな側面もあります。何かを期待してやるのですから。御利益宗教に近いですね。できれば、ただ純粋にきれいにしようという気持ちから始めれば、結果は計り知れないでしょう。トイレ掃除を嫌がらないことですね。人が嫌がることを積極的にやることですよ。彼女は、関係ないのです。問題は、あなたの生きる姿勢なのです。真っ直ぐに生きることですよ。汚いものは、何でもきれいにすることですね。それが、心身をきれいにすることに繋がります。その積み重ねが、やがて心身の浄化や生活の改善となって結実します。嫌々やらされているなどという気持ちは、あっさりと捨てることですね。彼女のせいにしないで、もっと主体的に生きることですよ。チャンスを活かし、自分から積極的に周りをきれいにするのです。そういう生き方が、人生を好転させます。人を変えることはできません。言葉で教えることにも限界があります。一番効果があるのは、後ろ姿です。自分がまず実践することですね。自分の生き方を貫く。本当にそのように生きていられたら、周りの人の生き方も認められるはずです。周りの人のことが認められないのは、まだまだ自分の真実を生きていないからでしょう。 無理をして我慢をして生きているのですね。もっともっと深い自分と一緒に生きることですよ。表面の浅はかな自分で生きないことですね。表面の自分は、周りと比較して不平不満がいっぱいです。ただ見かけだけで生きているのですから・・・もっと深い自分を生きることですよ。そうすれば、周りは気にならなくなります。自分の真実を生きていたら、周りの人も尊重できるものなのです。まずは、自分の真実を生きるように心がけることですね。『汚いと 思ったならば 単純に きれいにすれば いいだけのこと』『掃除して きれいにすれば 心身も スッキリさわやか 軽やかになる』『嫌々で やるならやらない 方がいい 時間の浪費 嘘(うそ)の人生』『やるならば 主体性持ち 自分から 積極的に チャレンジすること』『無理をして 我慢しながら 生きる時 人は壊れる 自己矛盾から』『何であれ 周りのせいに する限り 自分自身を 生きてはいない』『正直に 自分自身を 生きること それが唯一 真実の道』これが日記を書き始めて1593日目の心境です。
2009.05.13
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今日も屋久島は、晴れている。しかし、晴が続いているので、山の方は少し靄(もや)っている。海の方も霞がかかったような状態。波はないが、種子島は見えない。今の時代に最も必要なものは、冷静さ。しかし、頭だけの冷静さでは十分ではない。ハートがない冷静さは、ただの冷徹。それでは、心のこもった社会はできない。愛だけでも足りない。冷静さのない愛は、適切な判断ができない。的確な状況認識ができない。盲目の愛は、道を誤る。冷静さと共に、愛も必要。愛を伴う冷静さ。冷静さを伴う愛。それが、必要なもの。しかし、今の時代は・・・この世的な冷静さだけでは、不十分。スピリチュアルな冷静さが必要。この世的な冷静さにスピリチュアルが加われば、霊静となる。冷静さと霊性と愛。それらが一つに融合する必要がある。それが、霊聖。自我を超えた状態。冷静に。霊静に。霊聖に。生きることだろうか。『冷静さ だけでは足りない 霊性と 愛が必要 次の時代は』『霊静に 見極めながら 霊聖に 見守りながら 生きる必要』これが日記を書き始めて1591日目の心境。
2009.05.11
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昨夜の満月も美しかった。満月の日は、あまり雨が降らない。昨年、雨で満月が見れなかったのは、一度だけのような気がする。雨の多い屋久島にしては、奇跡に近い。昨夜も水晶たちを月光浴させた。これで旅立ちの準備は、ほぼ完璧。後は、行き先が決まるのを待つだけ。さて、今回の水晶たちは、どこへ行くのやら・・・水晶は、地球のコントロール装置かもしれない。水晶は、宇宙からのエネルギーを受信する。必要な宇宙エネルギーを発信し、水晶に受信させる。そうやって、地球の状態をコントロールする。世界各地に水晶は埋まっている。エネルギーを強めたり、波長を変えたり・・・時代の進展に合わせて地球を変化させる。もちろん、コントロールするには宇宙的な叡智を必要とする。それは、人間レベルではない。人間を超えた宇宙的な存在。銀河系や太陽系のコントロールの一環。宇宙は、基本的にコントロールされている。宇宙に限らず、細胞の一つ一つでさえコントロールされている。DNAですらコントロール下にある。すべての存在が、宇宙的な影響下にある。それを自覚して生きることだろうか。宇宙からのエネルギーを受信し、それと共に生きる。コントロールしているのは、宇宙的な叡智。全宇宙と繋がる存在。そういうエネルギーと共に生きる。その際に、水晶は大いに役に立つ。水晶は、エネルギーの受信装置。そして、発信装置。宇宙的なエネルギーを受信し、発信している。水晶は、宇宙からのエネルギーの増幅装置でもある。そういう水晶と共にあれば、容易に宇宙的なエネルギーをキャッチできる。宇宙と一口に言っても、多種多様。それに見合うだけの水晶の種類がある。水晶は、必要な質と量だけ事前に用意されている。巨大な水晶は、地球の経絡に置かれている。小さな水晶は、人の手にあってサポートする。それを自覚することにより、水晶は更にパワーアップする。愛のエネルギーをキャッチしたかったら、ローズクオーツと共にいるといい。ピンクの美しいローズクオーツは、見ているだけで心をやさしくしてくれる。シトリンは、人を元気にし、安定させる。ルチルクオーツは、人の中にある霊的アンテナを活性化させる。アメジストは、霊性を高める。ヒマラヤ水晶は、聖なる存在を感じさせてくれる。カテドラルクオーツは、宇宙の叡智を秘めている。アイスクリスタルは、慈悲のエネルギーを伝えてくれる。それぞれの水晶が、それぞれの役割を担っている。今の自分に必要な水晶を手にすることだろうか。そうすれば、それは大いに役立ってくれる。水晶の波動を感じるだけで、自分の中に眠っていたものが活性化する。静かに水晶といてみるといい。水晶と一緒にいて、水晶の波動を感じてみる。そうすると、今の自分にとって必要な宇宙の波動が伝わってくる。水晶は、今の宇宙の波動を発信している。水晶は鉱物のため、非常に安定している。人の心のように刻々に変化はしない。その安定した波動は、人を安定させる。揺れ動く心をグランディングさせてくれる。水晶は、絶対に必要なものではない。しかし、理解して活用すれば、大いに役に立つ。第一、水晶は美しい。見ているだけで、心身共に満たされる。経済的に余裕があったら、大きなものを購入すればいい。大きければ、波動も強くなる。影響力も広くなり、自分だけでなく周りの人にも影響を及ぼす。地球全体にも発信できる。経済的に余裕がなかったら、小さな水晶でいい。波動自体は変わらない。ただ振動は微細なので、心を精妙にして聴き入る必要がある。概(おおむ)ね、小さい方が美しい。今自分が惹かれるものを求める。それが大原則。頭ではなく、全体的に惹かれるもの。なんとなく惹かれるものが正解。必要なものは、理屈ではわからない。なんとなくというのが、インスピレーション。理屈抜きで惹かれるものが、今の自分に必要なもの。そういう感性を身につけることだろうか。理屈はいらない。なんとなく惹かれるものを求める。それは理屈を超えている。ダイレクト!『水晶は 宇宙の流れ キャッチして 地球と共に 生きるアイテム』『なんとなく 惹かれるものが 今ここで 自分にとって 必要なもの』これが日記を書き始めて1590日目の心境。
2009.05.10
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屋久島は、雨が降らなくなってしまった。のだろうか。ここ一週間ぐらい、晴が続いている。もうしばらくは、晴が続きそう。天気が良ければ、月が美しい。ここのところ、毎晩、昼間のように明るい。山の稜線がはっきり見える。昨夜も美しい月が出ていた。今日から「屋久島ナチュラルヒーリング」のHPでは、牡牛座の水晶祭りが始まっている。登場している22組の水晶たちは、昨夜は月光浴をした。今朝は日光浴。数日前に屋久島の海と川での再浄化も済ませ、旅立ちの準備は万全。牡牛座とは、牡羊座から始まる12星座の2番目。牡羊座で種が落ちたものが、双葉を出す時期。牡羊座のサバイバルから、成長へ向かう時。大地に根を張り、伸びようとする心身。牡牛座は、大地の星座。グランディング。努力。着実な積み重ね。そういう牡牛座にふさわしいのは、シトリン系だろうか。太陽のエネルギーを持ち、明るい。この世的な成功。富貴と名声をもたらす。スピリチュアル的に使えば、不屈の意志。この世の困難に負けず、試練を乗り越えていくのに役に立つ。まずは、肉体を維持し、成長させる必要がある。肉体なしでは、この世を体験することはできない。肉体と共に、今生の意識も発達していく。やがて、今生の意識が大部分を占めるようになる。肉体を包んでいた魂意識が、定かではなくなる。思春期辺りから、それが顕著となる。この世的な意識がメインとなり、この世を謳歌するようになる。この世的な影響によって、物質的な意識になってしまう。肉体ベース、自己保存ベース。それが大多数の人の傾向。肉体をマスターする間に、肉体の意識のみになってしまう。ミイラ取りがミイラになってしまう。肉体と共に生きるつもりが、肉体そのものになってしまう。魂を忘れ、この世がすべてと思い込む。しかし、この世は儚い。何も永続するものはない。大切なものは、やがて奪われる。無常の風の前には、すべては風前の灯(ともしび)。そこから、人生を考えるようになる。人は何のために生きているのかと自問する。すべてが順風満帆の時には、自分を省みることはない。困難に直面して、初めて人生を振り返る。真剣に真理を求め続ける人もいれば、諦めてしまう人もいる。目の前の困難が去ると、忘れてしまう人が多い。答のない問いと周りから言われ、黙り込んでしまう人もいる。しかし、根底では、その問いは生き続けている。何か問題がある度に、問いは浮上する。人は何のために生きているのか。人はどうして存在するのか。生きるとはどういうことか。この世的な意識では、その答は見い出せない。元々持っていた魂意識が甦る時、その答は自然にわかる。この世的な意識がすべてではない。この世的な意識を超えて存在するものに気づくことだろうか。この世的な意識を包む意識がある。この世的な意識に浸透している意識がある。しかし、それは精妙な波動のため、荒いこの世的な意識ではわからない。意識を静かに研ぎ澄ます必要がある。意識が静まれば、この世を超えた意識が浸透してくる。そうすれば、この世限りと思い込んでいた意識は別の次元を体験する。この世を超えた次元。波紋のように無限に広がる次元。真理を知りたかったら、心を鎮めることだろうか。昔から神道では、鎮魂と言う。肉体的な意識が鎮まれば、この世的な意識を超えたものが浸透してくる。それが深い理解をもたらす。静かに自分自身といることだろうか。一日の内で、必ず一人の静かな時間を持つことだろうか。それなしでは、真実に生きることはできない。トータルな自分には戻れない。静かに深く生きることだろうか。しっとりと落ち着いて生きることだろうか。人生は、限りなく深い。表面意識の喧騒だけで生きないことだろうか。『落ち着いて 水晶見れば それぞれの 波動伝わり 共振起きる』『肉体が すべてと思う ところから 数多(あまた)トラブル 発生してくる』『静けさの なかで目覚める 意識あり この世を超える 魂意識』『有限の ものを無限が 見守れば 四季(色)の移ろい 楽しめるもの』これが日記を書き始めて1589日目の心境。
2009.05.09
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今日の屋久島は、青空が広がっている。山々もくっきりと見えている。海の方は、少し靄(もや)っている。暖かい。昨日は、水晶の浄化に行った。海も川も、もうそんなに冷たくはない。日差しが強く、半袖半ズボンでも、まったく寒くなかった。むしろ、水に浸かるのが心地よいくらいだった。冬の間は、水晶の浄化も月に一回程度。水晶祭りの直前のみ。しかし、これからは頻繁に行くことになる。気分転換にもなる。海と川に浸かると、やはりスッキリする。溜まっていたものが、洗い流される。自宅から車で五分もかからない。パソコンで詰まった時には、リフレッシュできる。人は、肉体の中に入ってはいない。ただ浸透しているだけ。オーバーシャドー。懸かっているだけ。肉体よりも繊細な幽体が、肉体を包んでいる。肉体に覆い被さって浸透している。そうすることによって、肉体機関をコントロールしている。肉体とは、別のもの。しかし、その幽体も、幽体よりも更に繊細な霊体に包まれている。霊体は、幽体を包んで浸透している。その霊体も、神体に包まれている。まったく同じ構造。それが、何層も何層も重なっている。一番外側は?神の領域だろうか。無限の領域。その多重構造で、人はできあがっている。人は、肉体にあらず。肉体に宿借りしているようなもの。まさにヤドカリと同じ。肉体を通して、物質次元を体験している。肉体を通して、物質次元を創造している。肉体に懸かることによって、物質次元を体験できる。しかし、肉体そのものではない。ただ懸かっているだけ。だから、いつでも意識は自由。どこへでも飛翔できる。肉体からフリー。しかし、普通は自分のことを肉体そのものと思い込んでいる。肉体と共に今生の意識が成長するため。しかし、意識は肉体とは異なる。肉体の死後も持続する。意識は、旅人。肉体を離れれば、また別の旅が始まる。幽体の体験をし、霊体の体験をする。神体の体験をし、宇宙の体験をする。肉体に縛られないで生きることだろうか。意識の自由を確立することだろうか。それは、理屈ではない。頭で理解するものでもない。実際に、肉体から自由になること。意識の力を取り戻すこと。意識によって、望むものをクリエイトすること。物質次元を超えること。意識のフォーカスを、肉体から別のものへ移す。肉体オンリーで生きない。肉体を包み込むように生きる。ふんわりと生きる。ゆるやかに、ふわっと。軽ーく、跳ねるように。やわらかく、しなるように。力を抜いて生きる。肉体ベースから、肉体を超えたものへ。物質次元から、物質を超えたものへ。自由でしなやかな意識の次元。固定のない光の次元。『ミイラ取り ミイラとなって 本来の 光忘れて この世さ迷う』『肉体に 囚われないで のびやかに 意識のままに 自由に生きる』これが日記を書き始めて1587日目の心境。
2009.05.07
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道路際に黄色いオオキンケイギクが咲き出した。別名、特攻花。一周道路から入ると、更に多くの花々が咲いている。尾之間温泉の近くには、モッチョム岳を背景にグラジオラスが群生している。白いテッポウユリは、屋久島の多くの家々に見られる。グラジオラスもテッポウユリも自生。南の島。豊かな島ではある。ここのところ水晶祭りの準備で、毎日長い時間、水晶を眺めている。よほど水晶が好きらしい。ネット上でも、毎日見て飽きない。机の上にも、たくさんの水晶が置いてある。夜、瞑想する。自分自身と一緒にいる。すると・・・自分は、水晶になっていた。無色透明の水晶。ファセット部分は、ゆるやかなカテドラル。とても美しかった。光製なので、見事なまでに輝いている。多様性を秘めた水晶。宇宙とリンクした水晶。静かに見守るように存在する水晶。自分自身の本質部分だろうか。水晶は、地球のために創られたらしい。地球を完成させるために。宇宙の情報をキャッチし、キープし、発信する。地球を宇宙の波動で満たす。水晶には、多くの宇宙の情報が含まれている。宇宙と共に振動している。宇宙エネルギーの受信装置であり発信装置。増幅して発信してくれている。それらと共にいれば、純粋な宇宙波動を全身に浴びることができる。それによって、自分自身も自然に調整される。この世的な積もり積もったものが浄化される。水晶の微妙な振動が、心身を宇宙バージョンにしてくれる。水晶の影響を受けながら、やがて自分自身が水晶と化す。自分自身の振動が、地球に影響を与える。人々に影響を与え、宇宙に影響を与える。人もまたは、受信装置であり発信装置。人は、地球と共に進化するために生れて来た。進化は、深化。深化は、神化。地球と共に神となる道。そのサポートのために水晶は存在する。宇宙の波動によって地球を進化させ、人を深化させる。それが、宇宙の意志。宇宙の流れ。『遥かなる 宇宙の響き キャッチして 地球の調整 担(にな)う水晶』『人もまた 宇宙の響き キャッチして 地球と共に 深化していく』『水晶の 響きによって 思い出す 地球と共に 神化する夢』これが日記を書き始めて1586日目の心境。
2009.05.06
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朝、早目に木霊の森へ向かう。しかし、白谷雲水峡の駐車場は既に満車だった。さすがゴールデンウイーク。既に不老長寿の水の近くまで路上駐車となっていた。知り合いの係員に頼んで、駐車場の奥まで行かせてもらう。そちらの方が、木霊の森には近い。不老長寿の水から歩いたら、かなりの距離になる。舗装されていなくても、こちらは四駆なので問題はない。天気は、小雨。天気予報は、完全に外れた。予報では、晴のはずだった。しかし、雨が降れば木霊の写真が撮れる。お客さんは木霊の写真を撮りたいので、雨大歓迎。今日のお客さんは、女性2人。2人とも関西からやって来た。今は、鹿児島乗継だが・・・9月になれば、伊丹空港から屋久島までの直行便が飛ぶことになっている。なんとも便利になる。関西圏からのお客さんが増えるだろう。東京からも直行便ができるといいのだが・・・小雨の中、木霊の森に到着。フラッシュを焚くと、あっさりと木霊が写った。2人とも木霊が撮れて、まずは一安心。マットを敷いて、カッパを着たまま横になってもらう。2人は、長い間横になっていた。都会で詰まっていたものが抜けたのだろう。起きあがった時には、スッキリした表情になっていた。頭の一番上からエネルギーが入って来たと、片方の女性が話してくれた。ゆっくりペースで木霊の森を歩く。やがて、雨は止んだ。苔が雨の雫を帯びて美しい。ここのところ晴が続いていたので、苔にとっては恵みの雨。ところどころに、サクラツツジの淡いピンク色が見える。新しい葉たちも、まるで花のような形で芽吹いている。新緑の季節。緑の美しい季節。大きな岩の上で、マットにうつ伏せになって沢と戯れてもらう。その間、こちらは別の岩の上で瞑想。木霊の森を感じてみた。すると・・・森は、やさしかった。まるで包み込むような感じだった。包容力に満ちている。やさしく包み込んで見守ってくれていた。この森は、特別?何かが違う。自分のために用意された森?のような・・・現状は、ほぼ独占的に使っている。ごく稀に他のガイドを見ることもある。しかし、それは年に1~2回あるかないか。しかも、木霊の森のごく一部を案内しているだけ。基本的に、こちらの専用フィールドになっている。広大な森を独占的に使っている。ここは、国有林。たまに森林管理署の職員が来たりする。しかし、整備している節はない。もっと奥にある植林の杉を見に来ている様子。ここは、自然のままに放置されている。それがすばらしい。とりあえず、今は自由に使える。スペシャルなスペース。ありがたいことではある。これも何かの縁かもしれない。深い深い過去世からの縁だろうか。ムーの時代からの縁ということだろうか。自然の生気に満ちた森。木霊たちが遊ぶ森。当分は、ここをベースに屋久島のガイドをすることになるだろう。他にも、人の行かない自然のレパートリーが何ヶ所かある。自然と共に生きる。観光地化していない自然と共に生きる。『特別な 聖域なのか 誰も来ぬ 自然のなかで 木霊が遊ぶ』これが日記を書き始めて1581日目の心境。
2009.05.01
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