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12月1日の御前会議で対米英蘭との開戦が決定された、「杉山メモ(上)」では24.5ページ(1ページは上下二段の最大28×23×2=1288文字)に亘って説明等が記され、政府・統帥部の説明が18ページ、原枢密院議長による政府・統帥部への質問が5ページある。 「木戸幸一日記(下)」には「二時、御前会議開催さられ、遂に対米開戦の御決定ありたり」「四時半、首相来室、宣戦詔書につき協議す」と記されているので、御前会議は2時間半以内で終了している。 御前会議の「次第」の10項目には「内閣総理大臣全員原案に異議なきものと認むる旨を述べ併せて所見を陳述し最後に本日の会議は終了せる旨を述ぶ」が記されていて、12月1日の御前会議での決定は事前に天皇の了承を得ており御前会議はセレモニーとして行なわれている事になる。 御前会議では所要事項の説明が総理・外相・軍令部総長・蔵相・内相・農相の順で行なわれた後、原枢密院議長による質問があった。○原枢相による質問と応答(抜粋・概要)・原:(ハルノートについて)特に米か重慶政府を盛立てて全支那から撤兵せよといふ点に於て米か支那といふ字句の中に満州国を含む意味なりや否や、此事を両大使(駐米大使の野村と来栖)は確かめられたかどうか・外相:支那に満州国を含むや否やにつきましては、もともと4月16日米提案の中には満州国を承認するといふことがありますので、支那には之を含むわけでありますが、話が今度の様に逆転して重慶政府を唯一の政権と認め汪政権を潰すといふ様に進んで来たことから考へますと前言を否認するかも知れぬと思ひます・原:(英米の極東軍備の増加について)作戦行動に支障はありませぬか・永野:米の兵力は、大西洋4、太平洋6、となつて居りますが近来活動しているのは英国であります。 (印度洋付近に於ける英海軍勢力の説明) 英は独伊の活動が少々不活発となり特に伊太利海軍が消極的となった為、近来海軍には余力が出来、東洋には逐次増加する傾向にあります、目下主力艦の印度洋方面に対する増派集中は次の通りであります 確実なもの 戦艦2 少々確実なるもの 戦艦4 此の増加の目的は印度洋通商保護、対日戦備、独伊の潜水艦よりの避難の為であります、特に戦艦の増加は独の飛行機に対する損害を避ける為に此の方面に移して居るといふ説もあります、・・・ 以上の様に若干増加は致しましたが当方では兵力配備等に就ては考慮を置く必要はありませぬが、何等作戦には影響ありませぬ・原:(原の所見) 当初の作戦は我国の勝利は疑はぬ処でありますが、長期戦の場合には一方に勝利を得つつ他方には民心の安定を得ることが必要であります誠に開国以来の大事業であります、今回はどうしても長期戦は止むを得ない所でありますが、之を克服してなるへく早期に解決することが必要だと存じます、此か為には只今から何うして結末をつけるといふことを考へておく必要があります・・・・総理:長期戦の為の万般の準備も致して居り、今後戦争を早期に終結することに関する努力も充分に尽したいと考へます 又長期戦の場合に人心の安定特に秩序維持、動揺防止、外国の謀略防止等に関し充分に努力を尽く度と存じます└─「杉山メモ(上)」より〓勝手に独断と偏見〓 永野軍令部総長の 「英は独伊の活動が少々不活発となり特に伊太利海軍が消極的となった為、近来海軍には余力が出来、東洋には逐次増加する傾向にあります」 等の発言は、独英の戦いに於いて英国に余裕が生まれているの認識を示すものと推察、米国には勝てないが米国の経済制裁が続く以上は戦うしかない、今回の発言はドイツも危ないの認識を示していると思う。 連合国との戦いは永野軍令部総長にとってはヤケッパチであり、短期的な勝利はあるが長期的に優勢を維持する事は困難であるが原枢密院議長の認識でもある。 統帥部、特に陸軍の一部を除いて指導部を構成する者達の認識は原や永野の認識に近かったと思われる。 日米間の大きな問題は日本の中国進攻と日独伊三国同盟である、三国同盟に関しては日本側は骨抜きにしてもよいの判断があるが、陸軍は中国での戦いを失敗とは認めたくない。 日本の傀儡政権である汪政権により中国で権益確保したい、中国での失敗を南進により取り返したいが職業軍人の考えだろう。 ハルノートに象徴される米国の対応に対しての対米開戦は同意できる面があるが、その前提となる過度の中国進攻と仏印進駐は同意できない。
2009.01.25
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今回の御前会議の議題は「対米英蘭開戦の件」、対米英蘭との開戦を天皇が了承、陸海軍に開戦の命令(大陸命第569号、大海令第9号)が発令された。◇「対米英蘭開戦の件」 11月5日決定の「帝国国策遂行要領」に基く対米交渉は遂に成立するに至らす 帝国は米英蘭に対し開戦す─── 昭和天皇は開戦する対米英蘭戦に手応えを感じていたようだ、御前会議後に以下の会話がされている。◇12月1日 御前会議後両総長南方軍に対する任務に関する命令上奏の際の御下問奉答 お上:此の様になる事は已む得ぬことだ どうか陸海軍はよく強調してやれ 杉山:誠に有難い御言葉を拝し感激に堪えませぬ、両総長は幕僚長として死力を尽して将兵を指導し聖慮を安んじ奉ります お上:今朝以来米の状況に変化はないか 杉山:本朝上奏致しましてから米マリーンが4百名づつ2度マニラに入つた外、変つたことは御座いませぬ 竜顔いと麗しく拝し奉れり───「杉山メモ(上)」よりの抜粋 陸軍は北、海軍は南へ進むことを考えていたと思うが、何故に陸軍は対ソとしてではなく対米英としての日独伊三国同盟を結び南進を望んだのか。 対中国との戦いが泥沼化する陸軍の感覚をどのように昭和天皇は掴んでいたのか。◇「昭和天皇独白録」の「支那事変と三国同盟」よりの抜粋 支那事変処理に関する前途の見透しは全く立たぬ、国内与論はそろそろ倦怠の兆しを示して来た。 そこで国内人心転換策として新に日独伊三国同盟を締結し国民の敵慨心を英米に振り向け、支那の方はうやむやにして終はうといふ面白からぬ空気が陸軍部内に起つた。 同盟の対象が近衛、平沼〔騏一郎〕の肚ではソ連であつた事は確かだが、陸軍省軍務局あたりになると、ソ連と同時に米英を含めて対象としていた。 近衛第一次内閣の外相宇垣〔一成〕は陸軍と調子を合わせる為「対象は主としてソ連なり」と云ふ言葉を使つた。 宇垣は独逸から連絡の為に帰つて来た笠間〔笠原幸雄か〕武官にこの言葉を使つたので笠間は帰任して大島〔浩・駐ドイツ大使〕、白鳥〔敏夫・駐イタリア大使〕に之を伝へた、為に出先では英米に対しても敵対策動を開始したのである。─── 「海軍戦争検討会議記録」によると◇「第二回第二次特別座談会:日米開戦に至るまでの用兵、戦備(1946年1月22日)」(抜粋・概要) 井上:海軍の想定敵国は米国、米国に勝つ手なし、日本と戦えば米側の被害が大きいことを認識させて、米国が戦いを避ける事を最上とする。 (永野・山本は一・二年戦争可能、井上は企画院の情報では一年以上は不可能。) 吉田:嶋田は鈴木貞一(企画院総裁)はどんな数字でも出してくるといっていた。 澤本: 近衛手記に海軍は和戦の決を首相に一任とあるが「海軍は戦えない」と言える状況にない。 1.海軍の存在の意義を失う 2.艦隊の指揮に影響する 3.陸海の物資争奪、陸軍は「戦えざる海軍に物資をやる必要なし」と言うだろう 4.統帥部としては、両軍分かれるは不可、表面のみにても、一致しなければならないの空気、「海軍は戦えぬといってくれないか」と、陸軍よりいわれたこともある 及川: 「海軍は戦えない」と言えない理由。 1.谷口軍令部長が満州事変に反対した、理由は対米戦になる恐れがあるが、 対米戦に備えるには軍備に32億を要する、日本の国力では不可能。 東郷平八郎元帥は、以下の内容で谷口を面罵、 「軍令部は毎年作戦計画を陛下に奉じている、いまさら対米戦をできないには、陛下に嘘を申し上げたことになる。自分(東郷自身)も毎年計画によろしいと奏上しており、嘘を申し上げた事になる。」 2.近衛首相に下駄をはかせられるな、は海軍にて非常に警戒していた。 海軍は近衛に一任ではなく、近衛に陣頭に立てのつもり。───〓勝手に独断と偏見〓 独ソ開戦によりドイツの立場は苦しくなったと思えるが、日本は北の守りを気にせず南部仏印へ進むチャンスと捉え決断したが石油の全面禁輸が待っていた。 ドイツが負けたときの日本を考えたくなかったのか、日本の指導部が心配していたのはドイツが勝手に連合国側と講和をする事だった。 陸海軍は自分達の利益を優先させ日本を開戦に導びく主たる勢力でマスメディアもそれに乗っかっている、ドイツ頼みで勝利の可能性が少ない戦争。 昭和天皇はドイツの勝利による大東亜共栄圏の確立を望み、日本国民もそれを望んでいたと思える、しかし其の代償は一般国民や他国の民が負う事になる。
2009.01.11
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