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『マッカーサーの憲法』 日本政府の憲法草案は「幣原首相・マッカーサー会談」から始まる。○幣原首相・マッカーサー会談(1945年10月11日:GHQにて)○松本国務相の「憲法改正四原則」(1945年12月8日:国会にて)○幣原内閣が「憲法改正要綱」をGHQに提出(1946年02月08日:GHQにて) 「憲法改正要綱」は「天皇主権」「軍の存続」など「帝国憲法」との差異が少ない。 GHQは「幣原内閣」の「憲法改正要綱」を拒否した。 GHQは「憲法改正」に「極東委員会」との約束で公には関わる事ができないが、 「マッカーサーの三原則」に基づき「GHQ案」が作成され、 「幣原内閣」に対して、「GHQ案」に沿った「憲法改正案」の作成を求めた。 そして1946年03月06日、「GHQ案」に沿った「憲法改正案」が完成し、 幣原内閣は「憲法改正草案要綱」を新聞公表、マッカーサーは「全面的に支持」と声明した。 幣原内閣によるGHQへの「憲法改正要綱」提出と「憲法改正草案要綱」発表の間には、 拒否された幣原内閣の「憲法改正草案要綱」の説明が行われているが、 結局「GHQ案」にそった憲法改正案の作成作業が日本政府で行われGHQに提出、 その後、日本政府とGHQとの共同作業によるすり合わせが行われる。 これにより、「天皇主権」が「国民主権・象徴天皇」となり、軍の存在も否定された。 マッカーサーは「全面的に支持する」と声明し、日本政府が自らの意志で作った事になった。 現在の「日本国憲法」は「マッカーサーの三原則」「GHQ案」とは異なっている。〓勝手な分析と感想〓 「GHQ案」の第一章は「皇帝」になっている、 「天皇」ではなく「皇帝」である事を問題にしたいのではなく、 第一章を「国民」とし「国民主権」「基本的人権の尊重」を明確にしていない事が問題、 日本政府が作るという建前では、天皇の前に国民があるのはありえないとの配慮だろうか。 それとも、GHQの関心事は「日本国民」より「天皇・天皇制」だったのか。 以下は勝手な意訳で「GHQ案」の気になった条項をチェックしてみる。 原文は「日本国憲法の誕生」のデータによった。●第十四条 人民は其の政府及皇位の終局的決定者。 彼等は其の公務員を選定及罷免する不可譲の権利を有する。 一切の公務員は全社会の奴僕にして如何なる団体の奴僕にもあらず。 有らゆる選挙に於て投票の秘密は不可侵に保たれる。 選挙人は其の選択に関し公的にも私的にも責を問はるることはない。 ---------------------------------- 人民が日本国の主人である事と人民の下に政府と天皇が存在し、 公務員が人民の奴僕である事が明確化された。●第九十条 此の憲法並に之に基き制定される法律及条約は国民の至上法であり、 其の規定に反する公の法律・命令・詔勅・其の他の政府の行為の其の部分は 法律上の効力を有しない。 ---------------------------------- 「憲法」は「国民の至上法」とされるが、天皇は国民ではない。 「国民と天皇の至上法」では不味かったのか。 それとも、「第十四条」「第一条」で十分と思ったのか。●第一条 皇帝は国家の象徴にして人民の統一の象徴であり、 彼は其の地位を人民の主権意思より承け、之を他の如何なる源泉よりも承けない。 ---------------------------------- 「皇帝は国家の象徴」で天皇は元首だと言っていると思う。 また、天皇は「人民の統一の象徴」で、その基盤は「人民の主権意思」による、 「国民」ではなく「人民」、「第九十条」では「国民の至上法」、 「people」「citizen」が混在している、使い分けしているようにも思えるが、 「憲法は国民の至上法」「天皇は人民の統一の象徴」「人民は政府及皇位の終局的決定者」 となると、使い分けの意味が解らない。 (「人民」なら日本国に住むの意と思う、故に在日の他国民が含まれるとの認識) 「主権が人民」である事が付け足しのように書かれている、 「第十四条」が「第一条」の前に置かれるべきと思う。●第八条 国民の一主権としての戦争は廃止。 他の国民との紛争解決の手段としての武力の威嚇又は使用は永久に廃棄。 陸軍、海軍、空軍又は其の他の戦力は決して許諾せらるること無い。 交戦状態の権利は決して国家に授与せらるること無い。 ---------------------------------- 占領軍がいる間は良いとして、独立後の日本が上記の「第八条」を守るのは問題、 独立後に「第八条」の憲法改正が必要と思える。 日本は「憲法改正」より「日米安保条約」を選択する。●第九条 日本国の人民は何等の干渉を受くること無く一切の基本的人権を享有する権利を有す。 ---------------------------------- 重要な項目なので挙げた。●第三十四条 公務員に依る拷問は絶対に之を禁ずる。 ---------------------------------- 公務員による拷問が存在したとの前提だろう、 現状に於いては当たり前のように思うが、敗戦までは日常化していたのだろう。 自白が証拠として取り上げられた(未確認)、拷問して自白すれば罪となる。●第四十条 国会は国家の権力の最高の機関にして国家の唯一の法律制定機関たるべし。 ---------------------------------- 重要な項目なので挙げた。●第四十一条 国会は三百人より少からす五百人を超えさる選挙せられたる議員より成る単一の院を以て構成す ---------------------------------- 「日本国憲法」は二院制だが、「GHQ案」は二院制ではなく一院制●第四十二条 選挙人及国会議員候補者の資格は法律を以て之を定むへし 而して右資格を定むるに当りては性別、人種、信条、皮膚色又は社会上の身分に因り 何等の差別を為ない。 ---------------------------------- 「朝鮮人」「台湾人」「アイヌ」「水平社」「女性」「天皇」「皇族」「華族」 は、日本人だった。(無理がある表現だがご容赦願います)●第五十五条 国会は出席議員の多数決を以て総理大臣を指定する。 総理大臣の指定は国会の他の一切の事務に優先して行はれる。 国会は諸般の国務大臣を設定する。 ---------------------------------- 国会は総理とその他の大臣を選出する、国会で選ばれた総理がその他の大臣を選ぶのではない。●第七十一条 最高法院は首席判事及国会の定むる員数の普通判事を以て構成す 右判事は凡へて内閣に依り任命せられ不都合の所為無き限り 満七十歳に到るまて其の職を免せらるること無かるへし 但し右任命は凡へて任命後最初の総選挙に於て 爾後は次の先位確認後十暦年経過直後行はるる総選挙に於て審査せらるへし 若し選挙民か判事の罷免を多数決を以て議決したるときは右判事の職は欠員と為るへし 右の如き判事は凡へて定期に適当の報酬を受くへし報酬は任期中減額せらるること無かるへし ---------------------------------- 三権分立は難しいのか、内閣が「最高法院の判事」を任命する。 形は「人民」->「国会議員」->「首相・大臣」->「最高法院の判事」 「首相・大臣」が「国会議員」により選出されるのが大きいのかもしれない。●第七十九条 内閣は一切の支出計画並に歳入及借入予想を含む次期会計年度の全財政計画を示す 年次予算を作成し之を国会に提出すへし ---------------------------------- 重要な項目なので挙げた。●第八十四条 会計検査院は毎年国家の一切の支出及歳入の最終的会計検査を為し 内閣は次年度中に之を国会に提出すへし 会計検査院の組織及権限は国会之を定むへし ---------------------------------- 重要な項目なので挙げた。●第八十六条 府県知事、市長、町長、徴税権を有する其の他の一切の下級自治体及法人、 府県及地方議会並に国会の定むる其の他の府県及地方役員は 夫れ夫れ其の社会内に於て直接普遍選挙に依り選挙せらるへし ---------------------------------- 重要な項目なので挙げた。●第八十九条 此の憲法の改正は 議員全員の三分の二の賛成を以て国会之を発議し人民に提出して承認を求むへし 人民の承認は国会の指定する選挙に於て賛成投票の多数決を以て之を為すへし 右の承認を経たる改正は直に此の憲法の要素として人民の名に於て皇帝之を公布すへし ---------------------------------- 「日本国憲法」と大体同じ、 「大日本帝国憲法」では「勅命を以て議案を帝国議会の議に付すへし」で、 天皇のみが発議できた。
2006.01.30
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『マッカーサーの3原則』 1946年1月30日にマッカーサーは 「極東諮問委員会(後の極東委員会<1946年2月26日に成立>)」に対して、 憲法改正にタッチしない事を約束、GHQは表立った憲法改正への介入はできない。 2日後の2月1日付けの毎日新聞記事「憲法問題調査委員会試案」により、 幣原内閣の「憲法改正要綱」は公の物となった。 幣原内閣の「憲法改正要綱」の主張は、 「天皇を中心とした日本、当然軍隊もある、内閣は天皇以外に議会にも責任を持つ。」 マッカーサーは2月3日、GHQの「民政局」に「マッカーサーの3原則」を提示、 GHQ案としての憲法草案作成を命じる。 幣原内閣は毎日にスクープされた「憲法改正要綱」を2月8日に総司令部に提出。 2月13日にGHQは日本政府の「憲法改正要綱」を拒否、 「GHQ案」が日本政府に渡され、「GHQ案」を最大限取り入れた新憲法草案が要求される。〓勝手な意見〓 マッカーサーは万能ではなく、「米国政府」も全ての決定権があるわけではない。 「極東委員会」の意向が全てに優先される事もない。 微妙なバランスが存在するようだ。 「マッカーサーの3原則」は、 国民の総意の下に天皇制が認められ、天皇は憲法下に存在する、象徴かは疑問。 防衛に対しても軍事力を使用しない、一切の軍事力の放棄。 皇室以外の貴族(皇族・華族などの貴族階級)を廃止し、今後も特権階級を作らない。 皇室の予算はイギリスを手本とする。 天皇制の存続に関しては、国民の意志によるものとされた。 ポツダム宣言の交渉での「バーンズ回答」がベースになっていると思える。 日本政府の「憲法改正要綱」は1946年02月08日に総司令部に提出されたが、 「極東委員会」によるソ連・中国などの介入が本格化する前に憲法を固めたいGHQ、 日本政府の憲法改正案ではどうしようもない。 マッカーサーは「天皇制」を守りたかったのか、「昭和天皇」を守りたかったのか。 他に主な理由があり、結果的に天皇を守った事になった? 「憲法改正」「極東国際軍事裁判」「天皇制廃止論」が絡み合っている。 「天皇制廃止」と「戦争放棄」は交換条件だったかもしれない。 幣原内閣は日本政府案の「天皇主権」と「軍事力を有する日本」を放棄し、 「天皇制」の存続を取る事となる。 「極東国際軍事裁判」に天皇・皇族が起訴されないし出廷もしないは、 この頃に決定されたのかもしれない。注)梨本宮守正王(元帥)は1945年12月2日に出頭しているがその後釈放。注)「昭和天皇五つの決断/秦郁彦」によると 「極東委員会」が天皇の不起訴を秘密決定したのは1946年4月3日 日本はGHQによる占領が終わり、独立すると、 「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(1952年4月28日)」を結ぶ。 第一条「アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその附近に配備する権利を、 日本国は、許与し、アメリカ合衆国は、これを受諾する。 この軍隊は、極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、並びに、 一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によつて引き起こされた 日本国における大規模の内乱及び騒じょうを鎮圧するため 日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、 外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる」 -------------------------- 沖縄の米軍基地 (日本でない日本、パスポートを必要とした日本、戦後に昭和天皇が行かなかった日本) 朝鮮戦争・特需景気・ベトナム戦争・・・・・・・ 日本は独立後も米国により守られていたのか、実質的な主権を喪失しているのか。 占領時と現在の違いを調べるのも面白いかもしれない。■マッカーサーの3原則(1946.2.3に民政局に提示)○「マッカーサーの3原則」/「日本国憲法の誕生」のHPよりの原文1. Emperor is at the head of the state. His succession is dynastic. His duties and powers will be exercised in accordance with the Constitution and responsive to the basic will of the people as provided therein.2. War as a sovereign right of the nation is abolished. Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security. It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection. No Japanese Army, Navy, or Air Force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.3. The feudal system of Japan will cease. No rights of peerage except those of the Imperial family will extend beyond the lives of those now existent. No patent of nobility will from this time forth embody within itself any National or Civic power of government. Pattern budget after British system.○責任の持てない意訳1.国民の基本的な合意の下に、 天皇を元首とした天皇制とする、天皇の義務と権限は憲法により制限される。2.国権の発動たる戦争を放棄する。 国家間の紛争の解決手段、防衛手段(安全保障)としての戦争を放棄する。 日本(日本人)の防衛・保護は世界の理想に委ねる。 日本は陸軍・海軍・空軍を保持しない、交戦に対するいかなる権利を持たない。 軍事力を保持しない。3.封建的な制度は廃止される。 皇室を除いて貴族の特権は現在の代で消滅する。 今後、特権は具現化しない。 皇室の予算はイギリスのシステムを手本とする。
2006.01.28
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『憲法研究会の草案:1945年12月26日発表』 「日本国憲法の誕生」のHPによれば(以下は適当な要旨) 憲法研究会は、1945(昭和20)年10月29日、日本文化人連盟創立準備会の折に、 高野岩三郎の提案により、民間での憲法制定の準備・研究を目的として結成された。 12月26日に「憲法草案要綱」として、同会から内閣へ届け、記者団に発表した。 また、GHQには英語の話せる杉森が持参した。 GHQが強い関心を示し、通訳・翻訳部(ATIS)がこれを翻訳するとともに、 民政局のラウエル中佐から参謀長あてに、 その内容につき詳細な検討を加えた文書が提出されている。 また、政治顧問部のアチソンから国務長官へも報告されている。〓勝手な感想〓●憲法研究会の「憲法草案要綱」根本原則(統治権) 日本国の統治権は日本国民より発す 天皇は国政を親らせす国政の一切の最高責任者は内閣とす 天皇は国民の委任により専ら国家的儀礼を司る 天皇の即位は議会の承認を経るものとす 摂政を置くは議会の議決による-------------------------- 「国民主権」「元首は首相」「天皇は象徴」「天皇関連は議会が監理」 問題は議員の選び方、国民が選べない議員では意味がない。●議会 議会は法律を議決・歳入及歳出予算を承認・行政に関する準則を定め、執行を監督する 条約は立法事項に関するものは議会の承認を要する 議会は二院より成る。 第一院は全国一区の大選挙区制により満二十歳以上の 男女平等直接秘密選挙(比例代表の主義)によりて満二十歳以上の者より 公選された議員で組織され権限は第二院に優先する。 第二院は各種職業・階層より公選せられた満二十歳以上の議員で組織される。 第一院に於て二度可決された一切の法律案は第二院に於て否決できない 議会の会議は公開、秘密会を廃す 議会は国民投票によって解散を可決されたときは直ちに解散する 国民投票により議会の決議を無効とするには、有権者の過半数の投票が必要-------------------------- 議員は大選挙区制と公選で選ばれる。(小選挙区制はまずいのか。) 大選挙区制の良いところもあるのだろうが、何らかの組織の重要度が小選挙区制に比べて高く、 一般国民が選挙に立とうとすると、ハードルが高いように思える。 第一院は第二院に優先するが、 「第二院は各種職業・階層より公選せられた満二十歳以上の議員で組織される。」 職業?・階層?、わからない。 議会の会議は公開。(苦労が偲ばれる) 国民投票での「解散」と「議会の議決の無効」は現在でも取り入れたい項目。 「憲法研究会の草案」のこだわっている所は、権力の分散と、国民の直接の関与。 立法・行政・司法とその長は、 議員は選挙で選ばれ(第二院は明確ではない)、議長は議会が選ぶ。 総理大臣は両院議長が選ぶ。 大審院長は公選とする。 会計検査院長は公選とする。 国民の立法・行政・司法への関与は上記だけではなく。 国民投票により不信任を決議されたきは内閣は其の職を去る。 国民請願に基き国民投票で憲法の改正する場合は有権者の過半数の同意が必要。 憲法公布後遅くも十年以内に国民授票による新憲法を制定する。 「公選」がイマイチ明確ではないのが不安だが。 国民により、議員・大審院長・会計検査院長が選ばれる可能性がある。 行政の長たる総理大臣を選ぶのは間接的だが、国民投票で不信任を決議できる。 国民による憲法改正も発議できる。 現在の日本国憲法より国民よりの面もある。 今回の日本国憲法の改正は、 国民投票などによる国民の直接的な議員・立法・行政・司法・公務員・法律・条約への 介入を望みたい。 そして、三権分立を徹底して欲しい。
2006.01.25
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『簡単な纏め(政府・政党の「憲法改革案」まで)』 以下は、私の勝手な意見。 1935年の大日本帝国政府による「国体明徴声明」により「天皇機関説」が否定され、 天皇は「大日本帝国憲法」にも束縛されない現人神である事が確認された。 松本清張の「半生の記」によれば、 松本は、1929年に八幡署の警察(特高:特別高等警察)に引っ張られ、家は家宅捜査、 拷問は竹刀で行われ、「仲間の名前を言え」と言われる。 十数日後釈放、釈放後も刑事は松本の家を訪れ、松本の父はただ酒を振舞った。 釈放されたから無罪だったのだろう、無罪でも自白を強要され竹刀で殴られる。 松本は容疑が薄いと見られていた為、「逆さづり」や「煙草責め」はなかったと記している。 警察に引っ張られ拷問で自白を強要されると、無実にも係わらず嫌疑を認める者も存在する、 気に入らなければ、拷問で罪人にする事が可能だ。(殺された者も存在する) 政府が憲兵を利用した例として、戦争末期に於いての東條内閣がある。 東條内閣の倒閣に奔走した中野正剛(衆議院議員)は憲兵隊に引っ張られた。 釈放後に中野は割腹自殺で死んだ。 昭和天皇は「昭和天皇独白録」で、東條内閣が低調となった原因の一つとして、 「余餘りに憲兵を用ひ過ぎて、国民の感情を害した事」 と述べている。 (昭和天皇が国民をどのような意味で使用しているかは不明、一般世論とは思えない) 「大日本帝国」での「天皇大権」は 「憲法改正」「開戦・講和」「条約締結」「天皇の下の司法・立法・行政」「陸海軍を統帥」 「戒厳を宣告」など、大きな権限を持っていた。 1938年の「国家総動員法」からは何でも可能の感がある。 (人的・物的資源の運用が「勅令」で可能となった、「勅令」が天皇の意志とは限らない) 首相・大臣は天皇が任命する。 国民(25歳以上の男子、女性には参政権がない)は「衆議院議員」を選ぶ事ができる。 (「貴族院議員」は皇族・華族と天皇の勅撰による)○1945年6月22日(公布、即日施行)の「義勇兵役法」第二条1.義勇兵役は男子に在りては年齢15年に達する年の1月1日より 年齢60年に達する年の12月31日迄の者(勅令を以て定むる者を除く)、 女子に在りては年齢17年に達する年の1月1日より 年齢40年に達する年の12月31日迄の者之に服す----------------------- 男子は14歳~61歳、女子は16歳~41歳が兵役となる。(義勇兵への強制力は?) 天皇の為に命は捧げよ、選挙権すらやらないの世界。 「義勇兵役法」は沖縄戦を参考にしたのかもしれない。注)「国民義勇隊組織ニ関スル件」は小磯内閣で閣議決定(1945年3月23日)されている、 「義勇兵役法」の施行は鈴木内閣だが、小磯内閣からの流れが存在すると思う。注)「沖縄戦の記憶」のHPによると(抜粋) 1945年3月23日 ▲米軍機動部隊、沖縄本島に艦砲射撃開始 △一高女、南風原陸軍病院に配属 1945年3月26日 ▲米軍、慶良間諸島に上陸「集団自決」起こる。 ▲英艦隊、先島へ艦砲射撃開始。 △県立三中、開南中、農林、各軍部隊に配属。 △県立三高女配属。 1945年4月 1日 ▲米軍、沖縄本島へ上陸(読谷・北谷海岸、兵員約一八万三千人)上陸兵士具六万。 敗戦後の憲法改正では上記のような日本を否定し、民主国家の建設が要求された。 (勿論それだけではないが、GHQとしても重要な要素であり、日本国民には重要である)●各政党案(自由党・進歩党・社会党・共産党) 「社会党案」が最も民主的な「憲法改正要綱」に思える。 (「所有権に対する制限」と「社会主義経済の断行」の内容が確認できないのが不安) 日本政府・自由党・進歩党の「憲法改正要綱」は「帝国憲法」寄り、 共産党は「資格審査委員会」による独裁政権が誕生しそうだ。 「社会党」以外の「自由党・進歩党・共産党」は見た目の民主主義を標榜していると思われる。●日本政府案とGHQ 日本政府はGHQの介入なくしては、「国民主権」の憲法を作る事ができなかった。 日本政府は「ポツダム宣言」を履行するために、最低限の憲法改正を試みる、 GHQは日本政府による自主的な「憲法改革」を望んでいたと思えるが。 1946年2月1日付けの毎日新聞に日本政府の「憲法問題調査委員会試案」がスクープされ、 2月8日に「憲法改正要綱(松本案、甲案)」がGHQに提出される。 GHQは日本政府による自主的な憲法改正では「国民主権の憲法」への改正は不可能と判断。 2月3日にマッカーサーの3原則が民政局に提示され、GHQの日本国憲法案の作成が始まる。 スタンスは、あくまでも日本政府による自発的な憲法改正だが、建前でしかない。 2月13日にGHQは日本政府案(「憲法改正要綱(松本案、甲案)」)を拒否、 「人民主権」とした「GHQ案」が日本政府に渡され、 「GHQ案」を最大限取り入れた新憲法草案が要求される。 次回からは、 1945年発表の民間で作成された「憲法研究会の草案」と 「マッカーサーの3原則」「GHQ案」を調べたい。
2006.01.22
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『その他の試案』 1945年12月26日に憲法研究会の「憲法草案要綱」が発表され、 年が明けると各政党の「要綱」「草案」が発表された。 1946年1月21日:自由党 憲法改正要綱 1946年2月14日:進歩党 憲法改正要綱 1946年2月24日:社会党 憲法改正要綱 1946年6月29日:日本共産党 日本人民共和国憲法(草案) また、1945年11月11日に「日本共産党による新憲法の骨子」が発表されている。一、主権は人民に在り二、民主議会は主権を管理す民主議会は一八歳以上の選挙権被選挙権の基礎に立つ、 民主議会は政府を構成する人々を選挙する三、政府は民主議会に責任を負ふ議会の決定を遂行しないか又はその遂行が不十分であるかは 或は曲げた場合その他不正の行為あるものに対しては即時止めさせる四、人民は政治的、経済的、社会的に自由であり 且つ議会及び政府を監視し批判する自由を確保する五、人民の生活権、労働権、教育される権利を具体的設備を以て保証する六、階級的並びに民族的差別の根本的廃止 共産党の案が良いと述べたい訳ではない、上記の「日本共産党による新憲法の骨子」 に基づいた、「日本共産党の日本人民共和国憲法(草案)」の概要が 「各政党案」の最終項にあるので、見ていただければと思う。注)以下の各党案の全文は「日本国憲法の誕生」のHPにあります。■各政党案 憲法研究会の「憲法草案要綱」は次回、それ以外の政党案をチェック。●自由党 憲法改正要綱 (1946年1月21日発表)〓勝手な解釈とコメント〓 統治権の主体は日本国家、天皇は統治権の総覧者で万世一系、法律上及政治上の責任なし。 (天皇機関説?) 衆議院の優越性、国務大臣は議会に対しても責任があり、枢密顧問は廃止。 大審院長・会計検査院長は天皇に直隷だが、大審院長・会計検査院長の任命は議会の議決を経る。 政府案よりは「日本国憲法」寄り、「大審院長・会計検査院長」が天皇に直隷は、 この時代このような感覚なんだろうとしか思えない。○気になった項目一、天皇一、統治権の主体は日本国家なり二、天皇は統治権の総攬者なり三、天皇は万世一系なり四、天皇は法律上及政治上の責任なし(註)現行憲法に於る緊急命令、執行命令、独立命令制定の大権官制大権、 統帥大権、編制大権、戒厳大権、非常大権は之を廃止す四、議会五、衆議院が第一院として参議院に対する優越性を認むること概ね左の如し(イ)衆議院の予算先議権の強化(ロ)参議院が衆議院を通過したる議案を修正若は否決したるときは、 之を衆議院の再議に附し、三分の二以上の多数を以て再び之を可決したるときは、 参議院の修正若は否決は其の効果を失ふ (之と関聯して衆議院を通過したる議案の参議院に於ける審議期間を制限す)(ハ)参議院の内閣不信任上奏若は決議を禁止す五、国務大臣及内閣一、国務大臣及内閣に関しては憲法に掲ぐるものを除くの外、法律を以て其の基本的事項を定む二、国務大臣の首班たる内閣総理大臣の他の国務大臣に対する地位の優越を明確にす三、国務大臣の議会に対する責任を明確にす四、内閣の制度を憲法中に規定し内閣に執行命令、独立命令、其の他の命令制定権を認む六、枢密顧問 枢密顧問の制度は之を廃止す七、裁判所及会計検査院一、司法権の独立を強化し、大審院長を天皇に直隷せしむ五、会計検査院長を天皇に直隷せしむ六、大審院長及会計検査院長の任命は議会の議決を経ることを要す八、憲法の改正一、憲法改正の発案権は議会にもこれを認む●進歩党 憲法改正要綱 (1946年2月14日発表)〓勝手な解釈とコメント〓 自由党の憲法改正要綱より「日本国憲法」より 天皇の象徴化が進んでいる。 しかし主体はあくまでも天皇で、 「天皇は臣民の輔翼に依り憲法の条規に従ひ統治権を行ふ」 となっている。○気になった項目一、統治権行使の原則一、天皇は臣民の輔翼に依り憲法の条規に従ひ統治権を行ふ立法は帝国議会の協賛に由り、行政は内閣の輔弼を要し、司法は裁判所に之を託す二、委任立法並に独立命令は之を廃止す三、緊急勅令の制定は議会常置委員会の議を経るを要す四、宣戦、媾和、同盟条約、立法事項又は重大事項を含む条約の締結は帝国議会の議を経るを要す五、統帥大権、編成大権及非常大権に関する条項は之を削除す六、戒厳の宣告は帝国議会の議を経るを要す七、内閣、各省其の他重要なる官制は法律に拠る八、教育の制度に関する重要なる事項は法律に拠る九、栄典大権中爵位の授与は之を廃止す三、帝国議会十四、予算案及財政法案は衆議院に於て之を先議す参議院は衆議院に於て削減せる予算案の復活を決議することを得ず十五、衆議院に於て引続き二回通過したる法案は参議院の同意なくして成立したるものと看做さる十六、衆議院は内閣及各国務大臣に対し不信任又は弾劾を決議することを得十八、議会常置委員会を設く 常置委員会は議会閉会中緊急勅令の制定、臨時議会召集の請求緊急財政処分、予備金の支出、暫定予算、 其の他緊急実施を要する重要事項を議決す此等の議決は次の帝国議会の承認を要す常置委員は 衆議院議員任期満了及衆議院解散の場合に於ても新議会成立迄其の資格を存続す四、国務大臣十九、天皇内閣総理大臣を親任せんとするときは両院議長に諮問す 各国務大臣の親任は内閣総理大臣の奏薦に依る 内閣総理大臣及国務大臣を以て内閣を組織す二十、内閣総理大臣及国務大臣は帝国議会に対し其の責に任ず二十一、枢密院は之を廃止す五、司法二十二、大審院を最高裁判所とす大審院は法律又は命令が違憲又は違法なりやを審査するの権を有す二十三、行政裁判所を廃止しその権限を裁判所の管轄に属せしむ七、補則二十五、各議院は各其の現在議員の三分の二以上の同意を以て憲法改正案を発議することを得 ●社会党 憲法改正要綱 (1946年2月24日発表)〓勝手な解釈とコメント〓 天皇は象徴的に扱われる、言い換えると天皇の存在を保証している。 「社会主義経済の断行を明示す」には恐怖を感じる。 しかし、それ以外は現在の「日本国憲法」に近い、○気になった項目新憲法制定の三基準一、方針 新憲法を制定して民主主義政治の確立と、社会主義経済の断行を明示す二、方法 総選挙後の特別議会においては特に会期を延長し、新憲法制定に当ることとす、 これを憲法議会とす三、目標 平和国家を建設するを目標とするを以て、従来の権力国家観を一掃し、 国家は国民の福利増進を図る主体たることを明かにす主権と統治権一、主権 主権は国家(天皇を含む国民協同体)に在り二、統治権 統治権は之を分割し、主要部を議会に、 一部を天皇に帰属(天皇大権大幅制限)せしめ、天皇制を存置す天皇統治権の内容一、内閣総理大臣は両院議長の推薦に基き、天皇之を任命す、但し、天皇之を拒否するを得ず二、条約締結は議会の権能に属し天皇之に署名す但し天皇之を拒否するを得ず三、議会に於て議決せる法律の公布には天皇之に署名するの形式を経ることとす六、天皇は外国に対し儀礼的に国家を代表するの権を有す七、天皇は政治上の責任なし尚皇位の継承は議会の承認を得るを要す、摂政を置くには議会の議決による議会一、議会は天皇大権に属せざる他の一切の統治権を行使す二、議会の権能は立法権、歳入歳出予算承認の権、行政に関する指示及監督権、 条約締結に承認を与ふるの権を有す三、議会は二院より成る、衆議院は比例代表による国民公選の議員より成り参議院に優先す、 参議院は各種職業団体よりの公選議員を以て構成し専門的審議に当る六、議会は国民投票により解散されるの途を開く国民の権利義務一、国民は生存権を有す、その老後の生活は国の保護を受く三、国民は一切平等なり、特別身分による総ての差別を撤廃す四、華族、位階、勲等を総て廃止す五、言論、集会、結社、出版、信仰、通信の自由を確保す六、国民は労働の義務を有す、労働力は国の特別の保護を受く七、所有権は公共の福利のために制限せらる八、国民の家庭生活は保護せらる、婚姻は男女の同等の権利を有することを基本とす内閣二、内閣は議会に対し責任を負ふ内閣は議会の委託により外に対し国を代表し、 行政権を執行し官吏を任免し法律執行命令を発す三、国民投票により内閣の不信任を問はるることあり、尚枢密院は之を廃止す司法二、大審院長、大審院判事、検事総長は両院議長の推薦に基き、内閣之を任命し、 他の裁判官は内閣直接に任命す五、行政裁判所は之を廃止す附則憲法を改正せんとする時は議員三分の二以上の出席及び出席議員の半数以上の同意あるを要す●日本共産党の日本人民共和国憲法(草案)(1946年6月29日発表)〓勝手な解釈とコメント〓 基本的人権が保障されている。 問題は一党独裁かどうかだが、よく解らない。 「第五十一条」の 国会は代議員の資格を審議する資格審査委員会を選挙する。 国会は資格審査委員会の提議により個々の代議員の資格の承認または選挙の無効を決定する。 と「第百条」の 日本人民共和国の共和政体の破棄および特権的身分制度の復活は憲法改正の対象となりえない。 は、「資格審査委員会」が「特権的身分」であり、その特権は変更不可能を思わせる。 国会は巨大な権力を持ち「資格審査委員会」が権力の中枢にあり国会議員を従える。 「資格審査委員会」による独裁政権が誕生する。○気になった項目第一条 日本国は人民共和制国家である。第二条 日本人民共和国の主権は人民にある。主権は憲法に則つて行使される。第三条 日本人民共和国の政治は人民の自由な意志にもとづいて 選出される議会を基礎として運営される。第六条 日本人民共和国のすべての人民は法律の前に平等であり、 すべての基本的権利を享有する。第七条 この憲法の保障する基本的人権は不可侵の権利であつて、 これを犯す法律を制定し、命令を発することはできない。政府が憲法によつて保障された基本的人権を侵害する行為をなし、 またかやうな命令を発した場合は人民はこれに服従する義務を負はない。第五十一条 国会は代議員の資格を審議する資格審査委員会を選挙する。 国会は資格審査委員会の提議により 個々の代議員の資格の承認または選挙の無効を決定する。第六十二条 国会は二十五名の国会常任幹事会を選挙する。第六十三条 国会常任幹事会は議長および副議長各一名を選挙し、 議長は日本人民共和国を代表する。第百条 日本人民共和国の共和政体の破棄および特権的身分制度の復活は 憲法改正の対象となりえない。
2006.01.21
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『日本政府の試案』 幣原内閣は「憲法改正要綱(松本案、甲案)」を1946年02月08日に総司令部に提出した。 「ポツダム宣言」の実現には、憲法の自由主義化を包含するを前提として、 憲法改正に対するマッカーサーの依頼は以下の五項目一:婦人参政権の賦与二:労働組合の組織奨励、労働者階級に発言権を与える、幼年労働の悪弊を是正する三:学校の自由主義的教育の為開校、政府が国民の主人にではなく使用人たるの制度を理解する。四:国民を秘密の審問の濫用に依り絶えす恐怖を与ふる組織を撤廃すること五:経済制度を民主主義化し、所得・生産・商業手段の所有権を広く分配することを保障、 独占的産業支配を是正 日本政府の憲法改正のスタンス(松本国務相の「憲法改正四原則」)は一:天皇が統治権を総攬の大原則は何等変更する必要もない、変更する考えもない。二:議会の協賛と承諾などの議会の決議を必要とする事項は拡充することが必要。三:国務大臣の責任は議会に対しても取る事となる(間接的には国民に対しても)四:民権(人民の自由・権利)の保護・確保の強化 総司令部は日本政府案(「憲法改正要綱(松本案、甲案)」)を2月13日に拒否し、 「人民主権」などが盛り込まれた総司令部案が日本政府に渡された。 日本政府には総司令部案を最大限取り入れた新憲法草案が要求される事となる。〓勝手な意見〓 日本政府は「統帥権」以外は「帝国憲法」を何も変えたくない、 例えば「枢密院」でさえ無くそうとはしない。 また、未来に同様の敗戦が発生した場合、天皇の責任を出来るだけ軽減できるよう変更。 幣原内閣では陸軍・海軍大臣が存在するが、2ヶ月後の1945年11月末には廃止。 参謀総長・軍令部総長は1945年10月末に廃止されている。 (廃止の月日は「昭和天皇独白録」から取ったが明確ではない、注意が必要) 民主主義国家だが、主権・元首は天皇。 政府の責任は天皇に対してだったのを議会(間接国民)に対してを加える。 また、軍も天皇と議会に責任を負う。 当然、貴族院(国民が選べなかった)が問題だが、改正後も国民が選べるかは明確ではない。 衆議院の優位性は保障されている面もある。 「近衛草案」のほうが「日本国憲法」寄り。 「憲法改正要綱」は民主的で国民が選ぶ衆議院が重要な働きをするように思えるが、 それほどでもない。 また、「憲法改正要綱」では、衆議院に拒否権があるのか極めて不明確。 最終的に全て天皇の裁可が必要であれば、衆議院の権限が強まってもあまり意味はない。 「憲法改正要綱」と「憲法改正案の説明(極秘)」は「日本国憲法の誕生」のHPで 確認して欲しい。■日本政府がGHQに提出した「憲法改正要綱(松本案、甲案)」(1946年2月8日)●憲法改正要綱(コメントと独断による抜粋の概要) 文の表現の変更が多い、 第十五条に「天皇は爵位勲章及其の他の栄典を授与す」とあるを 「天皇は栄典を授与す」と改むること 上記のような感じ、文の変更でないもので内容の変更大なるものを見てみる。 「○」で始まる文は抜粋の概要第一章 天皇〓独断のコメント〓 「軍」や「天皇大権(緊急勅令、開戦、講和、条約の締結)」に対して 議会が関与できるようになった、 「帝国議会常置委員」が「枢密院」の役割を代行する形だが、 「帝国議会常置委員」の選び方が不明確。 また、「議会が関与」も拒否権があるかは不明確。○第八条所定の緊急勅令を発するには議院法の定むる所に依り帝国議会常置委員の諮詢を経るを 要するものとすること○軍の編制及常備兵額は法律を以て之を定むるものとすること(要綱二十参照)○第十三条の規定を改め戦を宣し和を講し又は法律を以て定むるを要する事項に関る条約 若は国に重大なる義務を負はしむる条約を締結するには 帝国議会の協賛を経るを要するものとすること 但し内外の情形に因り帝国議会の召集を待つこと能はさる緊急の必要あるときは 帝国議会常置委員の諮詢を経るを以て足るものとし 此の場合に於ては次の会期に於て帝国議会に報告し其の承諾を求むへきものとすること(第十三条 天皇は戦を宣し和を講し及諸般の条約を締結す)第二章 臣民権利義務〓独断のコメント〓 天皇の名前を出すと誰も反対できない世の中を変える試みがされている。 天皇が主権を持ち元首である前提では、説得力に欠ける。○第二十八条の規定を改め 日本臣民は安寧秩序を妨けさる限に於て信教の自由を有するものとすること(第二十八条 日本臣民は安寧秩序を妨けす及臣民たるの義務に背かさる限に於て 信教の自由を有す)○日本臣民は本章各条に掲けたる場合の外凡て法律に依るに非すして 其の自由及権利を侵さるることなき旨の規定を設くること○非常大権に関する第三十一条の規定を削除すること(第三十一条 本章に掲けたる条規は戦時又は国家事変の場合に於て 天皇大権の施行を妨くることなし)○軍人の特例に関する第三十二条の規定を削除すること(第三十二条 本章に掲けたる条規は 陸海空軍の法令又は紀律に牴触せさるものに限り軍人に準行す)第三章 帝国議会〓独断のコメント〓 貴族院の民主化と議会の権限の強化がメイン、天皇の権限を議会が抑える事が可能かは疑問○第三十三条以下に「貴族院」とあるを「参議院」と改むること(第三十三条 帝国議会は貴族院衆議院の両院を以て成立す)○第三十四条の規定を改め参議院は参議院法の定むる所に依る選挙 又は勅任せられたる議員を以て組織するものとすること(第三十四条 貴族院は貴族院令の定むる所に依り皇族華族及勅任せられたる議員を以て組織す)○衆議院に於て引続き三回其の総員三分の二以上の多数を以て可決して 参議院に移したる法律案は参議院の議決あると否とを問はす 帝国議会の協賛を経たるものとする旨の規定を設くること○第四十二条所定の帝国議会の会期「三箇月」を改め 「三箇月以上に於て議院法の定めたる期間」とすること(第四十二条 帝国議会は三箇月を以て会期とす必要ある場合に於ては 勅命を以て之を延長することあるへし)○第四十五条所定の衆議院解散後に於ける帝国議会を召集すへき期限「五箇月以内」を 「三箇月以内」と改むること(第四十五条 衆議院解散を命せられたるときは勅令を以て新に議員を選挙せしめ 解散の日より五箇月以内に之を召集すへし)○第四十八条但書の規定を改め 両議院の会議を秘密会と為すは専ら其の院の決議に依るものとすること(第四十八条 両議院の会議は公開す但し政府の要求又は其の院の決議に依り 秘密会と為すことを得)○会期前に逮捕せられたる議員は其の院の要求あるときは 会期中之を釈放すへき旨の規定を設くること第四章 国務大臣及枢密顧問〓独断のコメント〓 内閣(国務大臣)と軍の責任は天皇以外に議会に対しても発生する。 国務大臣に対して衆議院は不信任を議決できる。 内閣(国務大臣)・枢密院は天皇ではなく法律で決められるが内容未定。○第五十五条第一項の規定を改め国務各大臣は天皇を輔弼し 帝国議会に対して其の責に任するものとし且軍の統帥に付亦同しき旨を明記すること(第五十五条 1 国務各大臣は天皇を輔弼し其の責に任す 2 凡て法律勅令其の他国務に関る詔勅は国務大臣の副署を要す)○衆議院に於て国務各大臣に対する不信任を議決したるときは解散ありたる場合を除く外 其の職に留ることを得さる旨の規定を設くること(要綱二参照)○国務各大臣を以て内閣を組織する旨 及内閣の官制は法律を以て之を定むる旨の規定を設くること○枢密院の官制は法律を以て之を定むる旨の規定を設くること第五章 司法○第六十一条の規定を改め行政事件に関る訴訟は別に法律の定むる所に依り 司法裁判所の管轄に属するものとする(第六十一条 行政官庁の違法処分に由り権利を傷害せられたりとするの訴訟にして 別に法律を以て定めたる行政裁判所の裁判に属すへきものは 司法裁判所に於て受理するの限に在らす)第六章 会計〓独断のコメント〓 予算では、衆議院の優位性は保障されている。 皇室経費の支出増額は議会の協賛が必要となった、他の予算関連も議会の協賛・諮問が必要。○参議院は衆議院の議決したる予算に付 増額の修正を為すことを得さる旨の規定を設くること○第六十六条の規定を改め皇室経費中其の内廷の経費に限り定額に依り毎年国庫より 之を支出し増額を要する場合を除く外帝国議会の協賛を要せさるものとすること(第六十六条 皇室経費は現在の定額に依り毎年国庫より之を支出し 将来増額を要する場合を除く外帝国議会の協賛を要せす)○第六十七条の規定を改め憲法上の大権に基つける既定の歳出は 政府の同意なくして帝国議会之を廃除し又は削減することを得るものとすること(第六十七条 憲法上の大権に基つける既定の歳出及法律の結果に由り 又は法律上政府の義務に属する歳出は政府の同意なくして 帝国議会之を廃除し又は削減することを得す)○予備費を以て予算の外に生したる必要の費用に充つるとき 及予備費外に於て避くへからさる予算の不足を補ふ為に 又は予算の外に生したる必要の費用に充つる為に支出を為すときは 帝国議会常置委員の諮詢を経へき旨の規定を設くること○第七十条所定の財政上の緊急処分を為すには 帝国議会常置委員の諮詢を経るを要するものとすること(第七十条 1 公共の安全を保持する為緊急の需要ある場合に於て内外の情形に因り 政府は帝国議会を召集すること能はさるときは勅令に依り財政上必要の処分を為すことを得 2 前項の場合に於ては次の会期に於て帝国議会に提出し其の承諾を求むるを要す)○第七十一条の規定を改め予算不成立の場合には 政府は会計法の定むる所に依り暫定予算を作成し予算成立に至るまての間 之を施行すへきものとし此の場合に於て帝国議会閉会中なるときは速に 之を召集し其の年度の予算と共に暫定予算を提出し 其の承諾を求むるを要するものとすること(第七十一条 帝国議会に於いて予算を議定せす又は予算成立に至らさるときは 政府は前年度の予算を施行すへし)第七章 補則〓独断のコメント〓 憲法改正は天皇以外でも議会の発議により天皇が裁可すれば行える。 大日本帝国憲法の「第七十三条」では 1 将来此の憲法の条項を改正するの必要あるときは 勅命を以て議案を帝国議会の議に付すへし 2 此の場合に於て両議院は各〃其の総員三分のに以上出席するに非されは 議事を開くことを得す 3 出席議員三分の二以上の多数を得るに非されは改正の議決を為すことを得す 改正版でも天皇の裁可が必要だから同じ事かもしれない。○両議院の議員は各々其の院の総員二分の一以上の賛成を得て 憲法改正の議案を発議することを得る旨の規定を設くること○天皇は帝国議会の議決したる憲法改正を裁可し 其の公布及執行を命する旨の規定を設くること○憲法及皇室典範変更の制限に関する第七十五条の規定を削除すること(第七十五条 憲法及皇室典範は摂政を置くの間之を変更することを得す)○以上憲法改正の各規定の施行に関し必要なる規定を設くること
2006.01.17
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『初期の幣原内閣の対応』 マッカーサーは近衛に憲法改正を依頼したが、 戦犯に指名される近衛から「憲法草案」を受け取るわけにもいかない、 「近衛には頼んでいない」として、「大日本国憲法」の改正を日本政府に指示する。 「国民(人民)主権」などを考慮した憲法改正に日本政府は反対、 「憲法改正要綱(松本案、甲案)」をGHQに提出するが、GHQには期待はずれ、 結局、GHQの案が日本政府(幣原内閣)に示される事となる。 今回はGHQに憲法改正を依頼された幣原内閣の初期の対応、(GHQ案はまだない) 日本政府とすれば、「ポツダム宣言」を履行する為の憲法改正、 憲法改正に関しては下記の「ポツダム宣言」の項が対象になると思われる。六 吾等は無責任なる軍國主義が世界より驅逐さらるるに至る迄は 平和、安全及正義の新秩序が生じ得ざることを主張するものなるを以て 日本國國民を欺瞞し之をして世界征服の擧に出づるの過誤を犯さしめたる者の 権力及勢力は永久に除去せられざるべからず七 右の如き新秩序が建設せられ且 日本國の戰爭遂行能力が破砕せられたることの確證あるに至る迄は 聯合國の指定すべき日本國領域内の諸地點は吾等の茲に指示する 基本的目的の達成を確保する為占領せらるべし十 吾等は日本人を民族として奴隷化せんとし 又は國民として滅亡せしめんとするの意圖を有するものに非ざるも 吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戰爭犯罪人に對しては嚴重なる処罰を加へらるべし 日本國政府は日本國國民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に對する 一切の障礙を除去すべし言論、宗教及思想の自由竝に基本的人権の尊重は確立せらるべし 日本政府(幣原内閣)は、天皇中心はそのままで、最小限の憲法改正を考えた。 其の考えは幣原首相の国会答弁や、「松本国務相の憲法改正四原則」に表現されている。〓勝手な感想〓 政府が国民の主人にではなく使用人である事の制度を理解させる。 婦人参政権の賦与。 労働組合の組織奨励し労働者階級に発言権を与え幼年労働の悪弊を是正する。 国民を秘密の審問の濫用に依り絶えす恐怖を与ふる組織を撤廃すること。 経済制度を民主主義化し、所得・生産・商業手段の所有権を広く分配することを保障。 独占的産業支配を是正。 上記は1945年10月11日にマッカーサーが幣原首相に表明した意見の一部。 (会談は幣原内閣の成立2日後に行われた、東久邇内閣は適当な内閣ではなかったのだろう) マッカーサーは「ポツダム」宣言の実現には、憲法の自由主義化を包含するとして、 上記の諸改革による思想・言論・信教の自由の抑圧統制より解放が必要としている。 マッカーサーの意見は、日本国民にとっては憲法の改善に思える。 連合国の立場から 「侵略国家日本は、民意を反映する国になる事により侵略国家でなくなる」 と言っているように思える。 マッカーサーの指示を受けて、担当者を松本国務相として幣原内閣は憲法改正に取り組む。 幣原内閣での憲法改正は「天皇が統治権を総攬」の元での、 「議会の力の拡大」「天皇大権の制限」「民意による政治」が原則とされた。 幣原内閣の憲法改案はいかなるものだったのかは次回。 下記は、「幣原首相・マッカーサー会談」「松本国務相の憲法改正四原則」の概要。■幣原首相・マッカーサー会談(1945年10月11日)○幣原首相に対し表明したマッカーサーの意見(概要) 「ポツダム」宣言の実現には、憲法の自由主義化を包含する。 日本国民は政府の秘密審問より解放され、思想・言論・信教の自由の抑圧統制より解放せれる。 上記の実現の為に下記の諸改革を出来得る限り速に実行することを期待する一、婦人参政権の賦与二、労働組合の組織奨励、労働者階級に発言権を与える、幼年労働の悪弊を是正する三、学校の自由主義的教育の為開校、政府が国民の主人にではなく使用人たるの制度を理解する。四、国民を秘密の審問の濫用に依り絶えす恐怖を与ふる組織を撤廃すること五、経済制度を民主主義化し、所得・生産・商業手段の所有権を広く分配することを保障、 独占的産業支配を是正 現状に対して、国民の住宅・食糧・衣料の問題に政府か力強く且迅速なる行動に出て、 疫病・疾病・飢餓其他重大なる社会的政局を防止することを希望する、 今冬は危機、困難克服の道は総ての人々を有効なる仕事に就業させる他なし。○会談要旨(作成日:10月13日)の概要 10月11日午後5時幣原総理大臣はマッカーサー元帥を連合軍司令部に往訪、 サザランド参謀長が同席。 マッカーサーは用意の書き物(幣原首相に対し表明したマッカーサーの意見)を読み上けた。 幣原首相は「五項目を通し差当り実行全然不可能と認めらるるもの無く安心せる次第なり」 幣原は5項目に関して述べるが、最後の五項目目には、 「日本の産業に付現行の独占的支配の行はるる事態を改むるを要すとの御趣旨に付ては 如何なることを実際問題として考へ居らるるや不明の節あり 即ち現在の独占的支配なるものか我か国現行の法律制度の定むるところとして 存在し居るものとは考へられす或は大工業家か自己の努力又は設備に依り 事実問題として他の競争を許ささるものあるに依るものなるやも知れさるも 之を如何に改正するや直接法律の規定する結果に非さるものとすれは 直ちに考へ及はさる次第なり」 と答える。 幣原の妻・雅子は三菱の創業者・岩崎弥太郎の四女(ウィキペディア(Wikipedia)より) 幣原個人には最も関係が深い部分かもしれない。 何しろ、この段階では「国民主権」などは項目に挙がっていない。 マッカーサーもこの段階では伝達係のようなもので、 「本件は自分も充分諒解し居らす多分『アンチトラスト法』の如きを制定せは可なる問題に非すや 尤も英国には之とは別の法律ある由なり」 と答えている。 幣原は『アンチトラスト法』の資料が戦災で紛失したと述べ、 マッカーサーは米国より取り寄せると答えた。■松本国務相の「憲法改正四原則」(1945年12月8日) (第八十九囘帝國議會衆議院豫算委員會議録(速記)よりの概要)●幣原国務大臣(中谷委員の意見に幣原首相は「是は当然なことと私は考へて居ります」) 天皇統治下での議会中心政治の確立が日本に於ける民主主義の行き方。●松本国務相の「憲法改正四原則」○第一:天皇が統治権を総攬の大原則は何等変更する必要もない、変更する考へもない。 憲法の民主主義化と天皇統治権総攬の原則とは、何等背反するものでない。 天皇統治権総攬と云ふことの大原則に対しては、 何等変更を加へる必要もないし、又変更するやうな考へは私は持つていない。○第二:議会の協賛と承諾などの議会の決議を必要とする事項は拡充することが必要。 従来の(天皇)大権事項は或る程度の制限が至当。 制限の詳細は適当でないが、その原則は当然執らなければならないと確信して居る。○第三:国務大臣の責任は議会に対しても取る事となる(間接的には国民に対しても)○第四:民権(人民の自由・権利)の保護・確保の強化 民主主義の政治は人民の意思に依る(民意に依る)政治であることを要すると共に、 民権を保護する所の政治でなければならない。 人民の為にする所の政治でなければならない。
2006.01.15
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『近衛草案』 GHQの支持により大日本帝国憲法の改正が始まる。 日本側の試案として「近衛草案」と「憲法改正要綱(松本案、甲案)」が作成される。 「近衛草案」は天皇に奏上された。(GHQは近衛への憲法改正の依頼を否定) 日本政府(幣原内閣)案として「憲法改正要綱(松本案、甲案)」がGHQに渡された。 日本政府案は「大日本帝国憲法」と代わり映えしない物だった。 GHQは幣原首相にプレッシャー(天皇の安泰)をかけてGHQ案に沿った憲法作成を命じる。 GHQの主となる要求は「象徴天皇制」「人民の主権」「戦争の放棄」、 幣原内閣は止むを得ずGHQの要求(「象徴天皇制」「人民の主権」「戦争の放棄」)を呑む。〓「近衛草案」の勝手な感想〓 「近衛草案」では、主権は天皇にある。 内閣は天皇に対して責任を負っていたが、議会に対しても責任を負うことになる。 衆議院と特議院(仮称)は臣民により選ばれる。(特議院は国民選挙により選ばれるかは微妙) 枢密院は廃止されるが、憲法事項審議会を置き議会に権限のない事項を審議する。 天皇大権は制限を設ける削除する等の考慮の必要あり。(項目により変わる) 軍の統帥及編成は国務とする。 天皇に直属ではない意味、内閣・(議会)・憲法事項審議会のどれに従属するかは不明 第十一条:天皇は陸海軍を統帥す 第十二条:天皇は陸海空軍の編制及常備兵額を定む は、削除か修正。 現行の日本国憲法から見ると中途半端、天皇中心の国家体制にかわりはない。 幣原内閣の「憲法改正要綱(松本案、甲案)」はより大日本帝国憲法寄り。 次回は「憲法改正要綱(松本案、甲案)」を調べたい。 近衛・マッカーサー会談、「近衛草案」の上奏、そして近衛の自殺が2月余りで行われた。 以降の資料は概要、 主に「資料で考える日本国憲法/法律文化社」「HP:日本国憲法の誕生」を参考にした。■近衛草案(1945年11月22日)の関連事項 1945年10月04日の会談でマッカーサーは近衛文麿国務大臣(東久邇宮内閣)に対して、 「憲法は改正を要する。改正して自由主義的要素を十分取り入れなければならない」 と述べたと言われている。 近衛と佐々木惣一博士(京都大学)は11日に内大臣府御用掛に任じられ、 憲法改正案の作成に取りかかった。 1945年10月11日にマッカーサーは幣原喜重朗内閣に対して、 帝国憲法を根本的に改正するよう指示した。 1945年11月01日に占領軍総司令部は、 「近衛は連合軍当局から憲法改正のために選ばれたものではない」と声明。 1945年11月23日に近衛案が上奏された。 1945年11月24日に佐々木案が上奏された。 1945年12月16日に近衛は自殺(戦犯指名を受けての出頭最終期限日)。 1945年12月21日に近衛文麿の憲法改正草案が『毎日新聞』に掲載された。 10月4日の会談に同席したアチソン政治顧問は近衛に対する憲法改正指示を、 会談では、マッカーサーは「日本政府の『行政機構』を改革するべきだ」と述べたが、 近衛の通訳が「憲法は改正されるべきだ」と訳してしまった。 と、トルーマン大統領に言い訳している。■1945年10月4日のマッカーサーと近衛文麿国務大臣(東久邇宮内閣)の会談 近衛文麿国務相(東久邇宮内閣)が近衛文麿国務相はマッカーサーと総司令部で会談を行った。 サザランド参謀長とアチソン(米国務省派遣の最高司令官政治顧問)が同席した。 「近衛国務相、「マックアーサー」元帥会談録」が「日本国憲法の誕生」のHPにある。 マッカーサー・サザランド・アチソンは近衛が憲法改正を行う事に同意し、 相談があれば何時でも対応すると答えている。 アチソンの「近衛の通訳の誤訳」は嘘という事になる。 会談の内容は、沖縄戦の少し前に近衛が天皇に奉答した「近衛上奏文」に似ている。 日本軍閥の仮想敵国は「ソヴィエト、ロシア」てあつた。 軍部の対蘇不安は年と共に加はり行き全体戦争なる観念の出現は 彼等を絶望的なる無力感に浸らしめた、 全体戦争に備ふへき国防国家を建設するには日本の軍閥は余りにも無知無力てあつた、 左翼分子か此の間隙に乗することの如何に容易てあつたかは指摘する迄もない。 茲に又注意すへきは職業的士官の出身てある、 彼等の大部分は農村の中流以下の家庭に属するものてあつて、 彼等は元来地主階級及資本家階級に反感を有し殊に東北地方に於ける深刻なる困窮の状態は 彼等をして日本の社会的不合理に対し痛憤を感せしめることとなつて 此処にも左翼勢力の乗する隙かあつたのてある。 上記は会談の一部だが、「近衛上奏文」にも似たような記述があった。■「近衛草案」(1961年に発見された、近衛文麿が天皇に捧呈した憲法改正案の原本より) 以下は概要(の積もり、HP:「日本国憲法の誕生」でご確認ください)【帝国憲法の改正に関し考査結果の要綱】●第一 帝国憲法改正の必要の有無 今回の敗戦に鑑み国家将来の建設の為に帝国憲法改正の要あり、解釈運用のみに頼るべからず。●第二 帝国憲法改正の要点○天皇統治権を行うは万民の翼賛に依る旨を特に明らかにする。○天皇の憲法上の大権を制限する主旨の下に於いてイ、帝国議会は自ら解散を提議するを得る、 帝国議会に代るべき憲法事項審議会(両院議員を以て組織)で直接天皇に召集を奏請する、 濫りに解散を繰返す事をしない。ロ、緊急命令に付ては予め憲法事項審議会に諮ることとし、 又所謂委任命令の規定事項には一定の範囲を明らかにする。ハ、宣戦講和及条約締結に付ては帝国議会の協賛を経ることとし、 開会の暇なき場合は憲法事項審議会に諮ることとする○他の憲法上の大権事項も帝国議会の協賛を経て行う事とする。○軍の統帥及編成も国務なることを特に明らかにする、 第十一条及第十二条は之を削除又は修正することを考究するの要あり注)「大日本帝国憲法」第十一条・第十二条 第十一条 天皇は陸海軍を統帥す 第十二条 天皇は陸海空軍の編制及常備兵額を定む○臣民の自由を尊重する主旨の下にイ、現行帝国憲法に於ける臣民は法律の範囲内に於てのみ行動上の自由を有する如き印象を 払拭するの要ありロ、外国人も本則として日本臣民と同様の取扱を受けることを特に明記するハ、所謂非常大権の条項を削除することを考究するの要あり○衆議院は一般国民に代て活溌に国務に参加し 貴族院は平静なる態度を以て国務に参加する機関たらしむる主旨の下にイ、貴族院の名を改め特議院(仮称)としその議員は衆議院と異りたる選挙其の他の方法により選任すロ、特議院の組織も衆議院と同じく法律に依り定めらるることとすハ、本来帝国議会の議決を以てするを妥当とするも議会の行動を待つを得ざる事項を審議する為 両院議員を以て憲法事項審議会を置く○国務大臣の地位を明確ならしむる主旨の下にイ、天皇の外、帝国議会も国務大臣の責任を問うものなることを明にすロ、国務大臣を以て内閣を組織し内閣総理大臣の選任に関し一定の手続を定むべきことを特に明記すハ、内閣総理大臣は内閣の統一を保ち国務全般に付き上奏し之を宣示することを明にす、 その結果内閣総理大臣は他の国務大臣に上奏の事項に付き通告を求むるを得ることとす○枢密院は之を廃止す○帝国議会の予算審議権を尊重する主旨の下にイ、皇室経費も帝国議会之が変更を議し得るものとすロ、衆議院の予算先議権の主旨を一層具体的に実現する方法を講ずるの要あり、 其の例として特議院の予算審議権を制限すること必要なるべしハ、予算不成立の場合現行帝国憲法の下に於ては帝国議会の監視を不十分ならしむる虞あり、 故に此の見地より之を改正するの要あり○帝国憲法改正発議に付き帝国議会も之に参与し得ることとす、 但改正に関する手続は之を慎重なることが必要、之に関連し国民投票に依る方法も考究が必要
2006.01.12
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『日本国憲法誕生の序曲』 大日本帝国憲法の改正は日本政府と総司令部では開きがあった。 日本政府は変更したくない、総司令部は主権が天皇から国民(人民)に移る事を要求した。 日本政府が総司令部の要望(「象徴天皇制」「人民の主権」「戦争の放棄」)に応じたのは、 「極東委員会」により「天皇の安泰」の保障が困難になるとのマッカーサーの主張の為だった。 憲法改正時のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の最高司令官は ダグラス・マッカーサーだが、米国と連合国の管理下にある。 「極東委員会」は米・英・ソ・中などによる対日占領政策の最高決定機関で、 マッカーサーも無視できない。 「極東委員会」の第1回会議は1946年2月26日にワシントンで開かれた。 既成事実として「極東委員会」の介入が始まる前にしておかなければならない事があった。 マッカーサーは1946年2月15日に極東国際軍事裁判所の裁判官と裁判長を任命した。 4月29日には極東国際軍事裁判「起訴状」を発布。 マッカーサーは幣原内閣に2月22日、GHQ案に沿った憲法改正を行う事を了承させる、 3月6日に「憲法改正草案要綱」が公表され、マッカーサーは全面的に支持すると声明。 (「極東委員会」の承認を取っていないと思える、GHQは日本が独自で行ったのスタンス) 天皇を守るためには、極東国際軍事裁判と日本国憲法をある程度進めておく必要があった。 また「極東委員会」や「米国政府」を納得させる極東国際軍事裁判・日本国憲法が必用だった。 天皇・皇族は裁判に起訴される事も出廷する事もなく、日本国憲法で地位を保障された。 天皇を守ったのは日本国政府ではなくはマッカーサーだったと思える。 何のためにマッカーサーは天皇(天皇制)を守ったのか、論理的帰結だったのか? 連合国は安全な日本を手に入れ、日本国民は民主主義を手に入れ、天皇制は保障された。●大日本帝国の降伏から日本国憲法の誕生 (「資料で考える日本国憲法/法律文化社」による)○1945年10月04日: マッカーサーは近衛文麿国務大臣(東久邇宮内閣)に対して、 「憲法は改正を要する。改正して自由主義的要素を十分取り入れなければならない」 と述べたと言われている。 近衛と佐々木惣一博士(京都大学)は11日に内大臣府御用掛に任じられ、 憲法改正案の作成に取りかかった。○1945年10月11日: マッカーサーは幣原喜重朗内閣に対して、帝国憲法を根本的に改正するよう指示した。○1945年11月01日: 占領軍総司令部は、「近衛は連合軍当局から憲法改正のために選ばれたものではない」と声明。○1945年11月23日: 近衛案が上奏された。○1945年11月24日: 佐々木案が上奏された。○1945年12月08日: 松本烝国務大臣(憲法問題調査委員会委員長)は「松本四原則」を衆議院予算委員会で発表。 (「松本四原則」:天皇が統治権を総攬する帝国憲法の基本原則変更しない等)○1946年02月08日: 「憲法改正要綱(松本案、甲案):天皇主権」が総司令部に提出された。○1946年02月13日: 総司令部は「憲法改正要綱(松本案)」を拒否。 「総司令部案:人民主権」が日本政府に渡され、最大限取り入れた新憲法草案が要求される。○1946年02月18日: 日本政府は総司令部の再考を求める補充説明書を提出。 総司令部は再考の余地なし、 2月20日までに総司令部案に沿った日本政府案を作成するかの回答を求め、 回答がない場合は総司令部案を直接国民に発表すると迫った。○1946年02月19日: 閣議の結果、幣原首相がマッカーサーに意志を確認し回答を22日まで延期を求める事となる。○1946年02月21日: マッカーサーは幣原首相に「象徴天皇制」「人民の主権」「戦争の放棄」が総司令部の要点、 取り入れない場合はやがて始まる「極東委員会」で「天皇の安泰」の保障が困難に成ると強調。○1946年02月22日: 閣議で幣原首相は総司令部の意向を受け入れないと 「さらにもっと大きなものを失うおそれがある」 と、総司令部案に沿った憲法草案が作成されることが決められた。○1946年03月04日: 「3月2日案」が総司令部に提出された。 「3月2日案」は総司令部案を帝国憲法よりにして「人民主権」を曖昧にしたものだった。 総司令部との「共同研究会」が設けられ、「最終案」が3月5日に完成。○1946年03月06日: 「憲法改正草案要綱」が公表され、マッカーサーは全面的に支持すると声明した。○1946年04月17日: 日本政府は「憲法改正草案要綱」を条文の形に整えて発表。 民間有志の要望で文語体を平仮名・口語体に変更された。○1946年11月03日: 日本国憲法の公布○1947年05月03日: 日本国憲法の施行
2006.01.09
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「昭和史発掘2」の第2項は「満州某重大事件」 「昭和天皇独白録」には「張作霖爆死の件」の項がある。■「昭和史発掘2」による「満州某重大事件(張作霖爆殺事件)」 張作霖(大元帥)は1928年6月4日午前5時20分すぎ、 北京からの引き揚げ途中に奉天(瀋陽)駅の手前で乗用列車を爆破され重症、 城内の自邸に運び込まれたが午前10時ごろ息を引きとった。○6月22日付の東京朝日新聞 18日間なぞに包まれていたとして、張作霖の「遭難」の顛末を報じた、以下一部分。 「凶変と同時に外間、殊に日本側に死のもれるのを恐れてか、日本医師を迎えず、 外科的手術の手遅れは彼の死を早めたものといわれている」 --------------------------○事件直後の「関東軍司令部」の発表 午前3時ごろ、怪しき支那3名密かに満鉄線鉄道堤に登らんとしあるを 発見せるわが監視兵は、直ちに近づき誰何せしに、 該支那人はわが兵に向い爆弾を投擲せんとしたるをもって、 直ちにその2名を刺殺したるも、1名は逃亡せり。 該支那人の死体を検査したるところ、 爆弾2個および国民軍招撫使の書信の破片および私信2通を発見せり。 これらの点より考察すれば、南方便衣隊なること疑いなし。 --------------------------○陸軍省の対応 陸軍省は6月末に事件当時に関東軍高級参謀だった河本大作大佐を召還した 河本大佐は南方便衣兵のしわざと主張、陸軍省は追求せず。 その後の陸軍省の声明は「日本軍と張作霖爆死事件とは無関係である」 河本大佐は第9師団司令部付に移される。 1929年7月1日付けで河本は停職処分、関東軍司令官村岡長太郎中将は予備役編入となり、 7月2日には田中内閣が総辞職した。 -------------------------- 軍部・与党・野党・新聞は「満州某重大事件」が、関東軍による「張作霖爆殺」 である事を知っているのに、公表しない。 英字紙には「張作霖を爆死させた犯人は関東軍である」と明瞭に書かれていた。 「昭和史発掘2」では、軍部が張作霖を殺さねば成らなかった理由が当時の中国情勢と共に 記されている、簡単な概要だけを以下に記す。 日本政府は張作霖と共に第一次・第二次山東出兵で蒋介石軍の北進に対抗した。 張作霖は芳沢公使の説得で、2年間いた北京を離れ奉天に帰る事を決意する。 張作霖は日本の傀儡とならなくなったので、関東軍に殺害された 張作霖の死亡により満州は不安定となり有力者が反乱を起こし治安が不安定となる、 関東軍が出動し鎮圧に名を借りて実力行使し満州を一挙に日本の手中に入れる。 が理由。 田中首相は事件に対して、法に照らした厳然たる処分を行うと天皇に告げるが、 陸軍は反対する。 満州事変の如き計画が漏れる事を防ぐためと思われる。 張学良(張作霖の長男)は6月18日に大師令により奉天省督弁に任ぜられ奉天に帰省した。 7月2日に張学良は南京政府(蒋介石)下に入る事を公表した。 12月29日に奉天城内外に晴天白日旗を揚げた。 東北辺防司令部が設置され張学良は国民政府から総司令の辞令を受けた。 翌年1月に張学良は親日派である楊宇霆などを殺害、反日に転じる。 田中首相は天皇に張作霖事件は日本陸軍軍人の犯行ではないと告げ、 警備上責任者の手落ちを告げ行政処分で始末すると述べた。 天皇は「おまえの最初に言ったことと違うじゃないか」と述べ奥に入る。 鈴木侍従長は天皇の言葉「田中総理の言う事はちっとも分らぬ、再び聞く事は自分は嫌だ」 を田中総理に伝える、田中総理は辞意を決意。 総辞職後の9月29日に愛妾の家で死亡。 (妻は病床で愛妾との間には一男四女をもうけていた) 浜口内閣は野党のときは「満州某重大事件」の公開を望んだが、 浜口が首相となっても公開されなかった。〓勝手な感想〓 「昭和史発掘2」は「満州某重大事件」を多くの観点から語られていて勉強になる。 「昭和史発掘2」は1965年に週刊文春に掲載された。 この時期、「昭和天皇独白録」は表に出ていない、 「河本大作の手記(1954年12月)/『文芸春秋』に見る昭和史(一)」 が、考慮されていないのは残念。 「満州某重大事件」では「満州事変」モドキが計画されていた。 満州に日本の傀儡政権を作るのが関東軍と陸軍の目的だった。 海軍がどの程度関与していたかは不明だが、「西園寺公と政局(原田文書)第一巻」に 1915年(大正4年)大隈内閣の時の張作霖暗殺失敗に軍務局長秋山真之(海軍少将)が 関与していたと思える記述がある。 天皇側近と陸軍の対立構造が存在した(「独白録」では天皇は否定している)。 「昭和史発掘2」では田中首相はお人好しで、 政友会議員の金ずるとして食い物になってしまった。 また、田中内閣解散が天皇の田中首相に対する言葉によるものとしても、 牧野内府・鈴木侍従長・西園寺公望の宮廷勢力が天皇に影響を与えていたのかもしれない。 久原房之助は「昭和史発掘2」「昭和天皇独白録」「西園寺公と政局 第一巻」に 張作霖殺害関連で登場する。 「重臣ブロック」を作り「田中内閣の倒壊」は重臣・宮中の陰謀だと触れ回った、 として天皇には好かれていない。 牧野・鈴木・西園寺は2.26事件の標的にされた。 「独白録」では「重臣ブロック」「宮中の陰謀」という言葉が後々大きな災いを残し、 2.26事件もこの影響を受けたとある。 「満州某重大事件」に対して適切な処置を行っていたら、 日本のその後は変わっていたかもしれない。 適切な処置とは、関東軍の事件関係者(殺害の実行犯と関係者)の罪を明確にして裁き、 天皇あるいは首相が東三省に行き張学良に詫びる事。 「満州事変」では、翌年の1月8日に「関東軍への勅語」が出ている。 関東軍の行為を追認しているように思える。
2006.01.08
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幸福に「人類の幸福」「国民の幸福」「個々の人間の幸福」が存在し、 「子孫の幸福」「未来の人類の幸福」も考えると幸福は多様性を持ち簡単に定義できない。 後ろ向きではない前向きな幸福(?)を対象としてちょっと理想論。 現在こだわってみたい、と思っているのは、 『ファウンデーション』シリーズや『ロボット』シリーズで有名な、アイザック・アシモフの 「ロボット工学の三原則」。 ロボットに制限を設けて、人間がロボットより優先されるべきものとしている。 後にアシモフは、人間より人類を優先させる為に「ロボット工学第零法則」を付け加えた。 「ロボット工学第零法則」は、 『ロボットは「人類」に危害を加えてはならない、 また危険を看過する(見過す)事により「人類」に危害を及ぼしてはならない。』 「ロボット工学第零法則」と「ロボット工学の三原則」を組み合わせ、 「ロボット」を「政府機関」に「人間」を「国民」に読み替えると以下の文ができる。●『第零法則と三原則』○『第零法則』 「政府機関」は「人類」に危害を加えてはならない、 また危険を看過する事により「人類」に危害を及ぼしてはならない。○『第一条』 「政府機関」は「国民」に危害を加えてはならない、 また危険を看過する事により「国民」に危害を及ぼしてはならない。 ただし、『第零法則』に反する場合はこの限りではない。○『第二条』 「政府機関」は「国民」に与えられた命令に服従しなければならない。 ただし、『第零法則』と『第一条』に反する場合はこの限りではない。○『第三条』 「政府機関」は『第零法則』と『第一条』『第二条』に反する恐れのない限り、 自己を守らなければならない。〓勝手な纏め〓 『第零法則と三原則』には穴がありそう、そのあたりはご容赦。 「人類」を最優先として、「自国の国民」そして「政府機関」の順になる。 「政府機関」は「国民」と「人類」の奉仕者。 「人類」と「自国の国民」を傷つけず、 個々の人間の幸福の尊重の上で最大多数の幸福という困難な命題が「政府機関」に要求される。 「政府機関」の機能としては「人類」に対するサービスが主で、 戦争などはとんでもない、「人類」同士の戦いを抑えて最小限の被害に留める必用がある。 「政府機関」は巨大な力を持つが自身の幸福を求めず人類に奉仕する。 (「政府機関」に対しては人工知能に対するのと同様に厳格な規則と具体的な制限が必用) 「個々の人間」の幸福と「人類の幸福」への貢献は重要だが、両立はかなり難しい。 特に、人類の幸福を考えた場合に餓死者を減らす事を考えただけでも、 富の再分配、食料の再分配が必要になる。 主要な食糧は全世界的に統制され分配される、食料を捨てるなんてとんでもない。 優先されるのは人類であり、現在の富・権力は優先されない。 最低限の人権が保障され・奴隷が全廃された世の中で全人類に対して機会均等の競争が発生し、 生活水準の差異が出来る。 食糧は全世界の人間に対して足りるようにできるのか、無闇に子供を作られても困る。 人口の制限は必要。 力と富を持つもの(先進諸国や日本人の大部分)は納得できない、 また、努力が自分の生活の向上に明確に繋がらないと拙い。 (取得する個人財産の制限が必要) 親が裕福だからといって、その子供が親の裕福さを享受するのが間違っているとすると、 日本に生まれたから日本の裕福さを享受する、も間違っている。 子供たちは、出身国・親・種族によらず平等の教育とチャンスを享受できる。 エントロピーの増大(個々の人間に対する同一環境)は人類に死を与えることになるのか。
2006.01.04
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『張作霖爆死の件』■事件の概要 1928年(昭和3年)6月4日、 満州の実権者「張作霖大元帥」は「国民政府軍」が北京に迫ると根拠地の奉天に引上げた。 張作霖の特別列車が奉天駅手前の南満州鉄道との交差点で爆破され「張作霖大元帥」は死亡。 「張作霖爆死」の首謀者は関東軍参謀の河本大作大佐。 関東軍と陸軍省は、犯人は「国民政府軍」のスパイと声明を発表。(満州某重大事件と報道) 張作霖の死後、息子の張学良は日本ではなく国民政府を選ぶ。 天皇は田中首相の「張作霖爆死」対応が替わった事に不満を持ち、田中内閣の解散を命じる。 田中内閣解散は張作霖の死から一年以上経過しており、1929年7月浜口内閣が誕生した。 (1928年11月には天皇の即位の式典が行われた為か) 関東軍((本庄繁)・板垣征四郎・石原莞爾)による「満州事変」は、 3年後の1931年9月18日■昭和天皇の主張(「昭和天皇独白録」における)●天皇の認識○『張作霖爆死』の首謀者は河本大作大佐●田中義一総理が最初に昭和天皇・その他の要人に対し述べた内容○自称だが、一地方の主権者を爆死したから河本を処罰し、支那に対しては遺憾の意を表する。○軍法会議を開いて責任者を徹底的に処罰する。 (牧野伸顕内大臣、西園寺公望、鈴木貫太郎侍従長に述べた。)●閣議(昭和天皇・その他の要人に対しての報告・説明後) 閣議に於いて小川平吉鉄道大臣を中心に、日本の立場上処罰は不得策だという議論が強く、 閣議の結果はうやむやとなった。●田中義一総理による昭和天皇への説明と天皇の対応(閣議後)○田中首相は、うやむやの中に葬りたいと言った。○天皇は田中首相に、 「それでは前と話しが違うではないか、辞表を出してはどうか」と強い語気で云つた。○田中は辞表を提出し、田中内閣は総辞職をした。●天皇の得た情報による事件の顛末と感想○若し軍法会議を開いて訊問すれば、河本は日本の謀略を全部暴露すると云つたので、 軍法会議は取止めになった。○田中の同情者、久原房之助などが重臣「ブロック」と云ふ言葉を作り出し、 内閣の倒けたのは重臣達、宮内の陰謀だと触れ歩いた。○「重臣ブロック」「宮内の陰謀」という言葉が作り出され、 後々に大きな災(2.26事件など)を残した。○「田中内閣の解散」後、天皇は「内閣の上奏」に対して反対でも裁可を与へる事にした。●「田中内閣の解散」後の天皇の「閣議」対応例○リットン報告書(満州事変に対する国連調査団の報告書) 天皇は報告書をそのまま鵜呑みにする積りだった、 牧野は賛成、西園寺は閣議がはねつけると決定した以上、反対するのは面白くない。 天皇は意志を徹することを思い止まった。●田中首相に対する辞表勧告について○田中首相に、「辞表を出さぬか」と言ったのは忠告。 この時以来、閣議決定に対し意見は云ふが「ベトー」は云はぬ事にした。注)ベトー(veto):拒否、拒否権、拒否権の行使〓勝手な感想〓 田中内閣の解散は1929年(昭和4年)7月、「張作霖爆死事件」は1928年6月、 その間には、1928年11月の「即位の大礼」「大嘗祭」がある。 また、治安維持法が修正、特攻警察が全国に設置される。●天皇の決定 昭和天皇は田中内閣の解散を命じたのは天皇である事を認めている。 (忠告だったとの主張) 天皇は内閣を解散させる力を有し発動させた。 『この時以来、閣議決定に対し意見は云ふが「ベトー」は云はぬ事にした。』 との天皇の主張だが、 1941年12月の米英への開戦に於いて、「御前会議」で決定している。 「御前会議」前の政府・統帥部に対する下問と奉答、 一度目の「御前会議」での米英開戦決定は開戦日が近づくと近衛首相は内閣を投げ出した、 天皇は東條首相に米英開戦の白紙還元と再検討を命令。 二度目の「御前会議」で11月末期限の外交交渉と、12月初旬の米英開戦決定された。 12月1日の「御前会議」で、外交交渉の継続が諦められて、米英開戦が決定された。 また、12月1日に陸軍海軍に対して開戦の命令、 「大陸命第569号」「大海令第9号」が出された。 重大事項に関しては「御前会議」前に担当者は天皇に奉答と下問で、 天皇に説明し、天皇に合意を得る。 「御前会議」は発表会の要素が強い(終戦時では異なる)。 「御前会議」での決定が、天皇が裁可する「閣議決定」「統帥部の命令」となる。●田中首相に対しての解散勧告の理由 田中首相は当初『張作霖爆死』に対して断固たる処置を考えていたが、 閣議で反対された為、うやむやにしたいと天皇に云った為、 前言と違うから辞表を出せと天皇は田中首相に言う。 天皇は事件を明確にしない事・公表しないこ事を問題にしたのではなく、 天皇への報告が変わった事を問題にしている。 私の持つ情報では当時の日本は『張作霖爆死』は日本軍による事件である事を公表していない、 謝罪もしていない。 天皇は田中首相の退陣は求めたが、『張作霖爆死』の真実の追究と、 日本政府の東三省(張作霖)政権に対する謝罪は求めなかった。●河本大作(『張作霖爆死』の実行主犯)の手記(1954年12月)より 1926年3月に河本大作は小倉連隊から関東軍へ転出。 河本大作は「満州に蔓延する排日」「満州鉄道に対する包囲網」の解決の為に、 張作霖を殺害を決定した。 殺害方法は日本軍が襲撃した証拠が残りにくい「爆弾を用いた列車爆破」を選んだ。 日本の計画とばれた場合は荒木五郎の組織する奉天軍中の「模範隊」を用意、 関東軍司令部は軍の主力が警備していた。 満州事変を起こす手はずがあったが、蔵式毅が日本軍との衝突を未然に防いだ。 「張作霖」の死後は息子の「張学良」が実権を握ったが、満州の対日関係は好転しなかった。 田中内閣は倒壊し、河本は停職処分、村岡軍司令官・斉藤参謀長などは行政処分を受けた。 以上は「『文芸春秋』に見る昭和史(一)」よりの簡単なまとめ●『張作霖爆死』以前の類似事件 「西園寺公と政局(原田文書)」第一巻、第一篇『満州某重大事件』p11~p13 によれば、1915年(大正4年)大隈内閣の時、張作霖暗殺・奉天独立運動というのがあった。 以下、抜粋 閑院宮(陸軍大将)が露都訪問の帰りの奉天通過に際し、 矢田総領事代理、張作霖が奉天駅まで来た。 帰途、張作霖がその家に着くか着かぬかの内に爆弾でやられて、 従者が五六名即死し、張作霖は漸く命だけは助かった。 不発の爆弾は日本の特別の火薬だった。 下手人は死んでしまったが、死後これを見ると日本人であった。 この事柄はすぐすべて支那人に判ってしまった。 福田、秋山両氏もいたたまらないので洋行してしまった、 政務局長の小池氏も辞めて久原に入社してしまった。注)福田氏は参謀本部第二部長福田雅太郎(陸軍少将)、秋山氏は軍務局長秋山真之(海軍少将)●簡易年表1921.10:原敬暗殺1921.11:皇太子裕仁(昭和天皇)摂政に就任(20歳)1921.11:ワシントン会議(1921年11月12日~1922年2月6日)1921.12:日英同盟終了1922.10:シベリア撤兵完了(北樺太からは1925年5月日ソ国交回復時に撤兵)1923.09:関東大震災、東京府は総人口380万人の約半数190万人が被災1923.12:虎の門事件、難波大助は摂政裕仁親王を銃で撃つ(裕仁親王は無傷)死刑が執行1924.01:中国国民党(国民政府)は共産党との統一戦線を結ぶ。1924.04:アメリカ連邦法「絶対的排日移民法」成立、米国は日本人移民を完全禁止とする1925.01:日本はソ連を承認1925.03:治安維持法・普通選挙法成立(男子25歳以上)1925.03:孫文死去1926.07:中国国民は北伐(蒋介石総司令)を開始(上海・孫伝芳=イギリス、張作霖=日本、等)1926.12:践祚、裕仁(昭和天皇:1901年(明治34年)4月29日 - 1989年1月7日) 1927.03:日本、金融恐慌1927.04:蒋介石は南京に国民政府を樹立1927.04:田中義一内閣誕生(政友会)1927.05:第一次山東出兵1928.02:衆議院議員総選挙(最初の普通選挙)1928.03:3.15共産党検挙1928.04:第二次山東出兵1928.06:張作霖爆死事件(奉天にて)1928.06:治安維持法の修正(死刑を追加など)1928.07:特高警察を全国に設置1928.08:パリ不戦条約調印、日本は「各自国人民の名において」は日本には適応されない、で承認1928.11:昭和天皇即位の式典1928.12:張学良政権は蒋介石政権への帰順を発表1929.07:田中内閣(政友会)解散により、浜口雄幸内閣誕生(民政党)1929.09:田中義一前総理死亡(9月29日)
2006.01.01
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