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佐藤駐ソ大使からの電信、東郷外相は駐独・駐ソ大使を経験しドイツ人と結婚している。◇東郷茂徳外相宛の佐藤尚武駐ソ大使からの電信【第一三八ニ号 昭和二十年七月十二日 ニ三,ニ五 莫斯科、七月十四日 一五,00 本省】(抜粋) 貴電第八九0号及び第八九一号は十二日往電第一三八一号発電直後接到せり。 貴電の御趣旨は戦争終結に関しソ連を利用し得る限度の打診にありと拝察せらるるところ、本使の忌憚なき意見によれば貴電第八八五号の如き基礎においてはソ連を我が方に引付け、我が方の話に上らす余地絶無と申すも過言にあらず。 右は当国の外国方策に全然背馳し居る結果なること数次の拙電に詳述せる通りなり。 いわんや右の如き基礎において戦争終結に関しソ連利用の程度を打診せんとするも、その目的を達成し得ざること往電一三七九号会談の経過に徴し明白なり。 更に貴電第八九一号の説明振りに至りては机上の美句と申す他なく「東亜の平和維持は世界平和維持の一環として考慮」とあるも、米英は日本の手より東亜の平和維持権を奪わんと企画し居るものにして、日本本土さえ危殆に陥りたる現状において、日本はもはや全東亜の平和維持責任者の地位にあらざるを如何せん。 はたまた帝国は「占領地域を併合又は領有する考えは毛頭これなし」と言うもすでにビルマ、フィリピンを失い、もしくは失わんとしつつある占領地域の非併合又は非領有を云為するもいくばくの反響あるべきや。 ソ連当局の考え方はとく御承認の通り現実的にして、抽象論にては彼らを動かすこと難し。 いわんや内容空虚もしくは事実に遠ざかりたる美句を連ねて彼らを説得せんとするも、とうてい彼らを首肯せしむるに足らず。 現に貴電第八五三号の案に対してもモロトフはほとんどなんらの興味を感じ居らず、又拒否に等しき回答をなせり。 もし帝国にして真に戦争終結の必要に迫らるるとせば、先ず自ら戦争終結の決意をなさざるべからず。 この決意なくしてソ連の意向を打診せんとするもなんら益する所なし。 敵空襲加速度に激化しつつある今日、なお帝国に抗戦の余力ありや。 幾十万の壮丁、幾百万の無辜の都市住民を犠牲にしてなお抗戦の意義ありや。 ・・・ 六月初旬開催の御前会議においては積極的方策の決議を見たりと仄聞しあり。 万一右会議後の戦局進展により我が方極端に不利の状況に陥りたる如きことありと仮定せば、その場合よろしく政府において重大決意を遂げらるべく、その上ならばあるいはソ連政府を動かし戦争終結を斡旋せしむる望み絶無ならざるべし。 ただし右の場合我が方の直面する結果は無条件降伏に近似すべきこと疑いの余地なき所なりとす。──アジア歴史資料センター「2.太平洋戦争終結に関しソ連仲介依頼関係(含、「ソ」国交調整関係)/6 昭和20年3月26日から昭和20年7月12日」、ドキュメント昭和史5「4 対ソ工作に関する佐藤駐ソ大使の意見」より〓勝手に独断と偏見〓 佐藤大使は言う 「貴電の御趣旨は戦争終結に関しソ連を利用し得る限度の打診にありと拝察・・・ソ連を我が方に引付け、我が方の話に上らす余地絶無と申すも過言にあらず」 東郷外相からの電信「東亜の平和維持は世界平和維持の一環として考慮」「占領地域を併合又は領有する考えは毛頭これなし」は日本のみで通じる論理。 「ソ連当局の考え方はとく御承認の通り現実的にして、抽象論にては彼らを動かすこと難し。 いわんや内容空虚もしくは事実に遠ざかりたる美句を連ねて彼らを説得せんとするも、とうてい彼らを首肯せしむるに足らず。」 手も足も出なくなった状態で何をカッコつけているのだ。 独白録で昭和天皇は6月8日の御前会議に関し「戦争継続を主張した豊田副武は賛成出来ぬ人物であるる、強がり許り云っている」と主張しているが、似たようなことをソ連に対し行っている。 佐藤大使の「幾百万の無辜の都市住民を犠牲にしてなお抗戦の意義ありや」は天皇・皇族は重要だが国民をこれ以上犠牲にしたくないし国民を利用した交渉は避けたいの思いと推察。 しかし東京は国体護持や自分達のプライドの為には仕方がない、或いは降伏による変化を恐怖しているのか。 電信は以下の文で終わる 「宮中におかせられても一方ならず御関心を有せらるる趣漏れ承り、・・・国際間のことは容赦なき現実に直面するを余儀なくせらるる次第なれば・・・、現実に遠ざかりたる幻想を防止すること本使第一の責任と信じ、以上申進する次第御了承を仰ぐ」
2012.01.29
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1945年6月29日の廣田・マリク会談でマリク大使は本国政府への取次ぎを承諾、本国よりの回答に接到次第更に会談に入るべき旨を答えた。 事前に東郷外相と廣田元首相は 「長期に亙り東亜の平和維持の為めにする相互支持及不侵略に関する協定を締結するを本義とし、右に付き満州の中立化、漁業権の解消を離せざることとし、且交渉の間口を開放し置く為め其他ソ連の希望する諸条件に就きても論議するに異存なき旨を申出づるやうに打合せ」(「時代の一面」p341より)◇其の後のソ連の対応 廣田・マリク会談は我方から催促を加へるけれども進捗を見せない。 自分も大使に会つて直接意識を探らうと思つて来訪を求めたが、病気の為め当分参上し兼ねるとの挨拶あり、且同大使館員が外務省係官に対する話では前記の日本側具体案なるものはクーリエ便で送つたとのことであつたから、これでは此会談は到底進展の見込なしと認めた。 それで七月に入つた後は急速にモスコーに対し戦争終末に関する措置を採る為め特使を送ることを考究して総理との間に協議を進めた。 現に七月二日高松宮から御召しの際にも右の趣旨を言上したが、モスコー行の使節は誰にする考かとの御尋ねに対しては近衛公を考へ居る旨を申上げたが、殿下よりは近衛公を派遣の場合には相当の者を補佐として同行せしむるを可とすとの御注意があつた。 九日帰京して直に総理に近衛公と会談の次第を報告したが、総理は七日陛下から戦争終結を取急ぐ為めソ連へ特使を派遣することにしたらどうかとの御沙汰があつたから、外務大臣が折角其意嚮で軽井沢に赴き近衛公とも会談して居りますから其帰京を俟ち至急取運ぶことに致しますと申上げて置いたとの話があつた。 十日に最高戦争指導会議構成員の会合が催され、・・・、戦局益々不利となつて来た以外に米英ソ三国会談(ポツダム会談の意)が近く開始せらるる模様であるから、此際直に戦争終結に関する大御心を伝へるのでなければ時期を逸する処があるので、・・・、結局戦争終結に関する大御心を蘇側に伝へ其影響を見つつ特派使節派遣を運ぶことに打合せを了した。 (十二日)夜在蘇佐藤大使に電報を持て天皇陛下に於かせられては今次戦争が交戦各国を通じ国民の受くる惨禍と犠牲とを日々増大しつつあることを御心痛あらせられ、戦争が速に終結に至らんことを念願せられ給ふ旨、並に右の御趣旨を以て近衛公を莫斯科(モスクワ)に特派使節として派遣せられんとする次第をモトロフ人民委員に申入れ、特派使節一行の入国方に蘇聯の同意を取付くべき旨訓示した。 (十三日)深夜に日本課長からスターリン及モロトフの伯林出発前多忙であるので回答は遅延するだろうと云ふ挨拶があつたとの電報があつた。 此時ソ連政府当局が斯る重大案件であるに拘らず出発前多忙との理由で我大使との面談を避け、且其回答を遅延せんとするは甚だ奇異なりとの感を受けたが、ヤルタ会談の結果独逸の屈伏後既に三ヶ月を経過して居るので、日本に対し既に開戦の決意を為して大使との会見及近衛公の入国を肯じなかつたと迄は想像し得なかつたのは甚だ迂闊の次第であつた。 ソ連政府からは我方申出は具体的提議を包含せざること並に近衛公の使命が不明瞭であるから確たる回答を為すことが困難であるとの挨拶があつたとの電報を十九日に受取つた。 今迄莫斯科からの電報・・・、此頃から重要なる往復電報の遅延するのが目立つた。 尚右電報接受後、佐藤大使から話合による和平は見込なしと思ふから直に無条件降伏をなすを可とすとのとの意見を電報してきた。─「時代の一面」p343~よりの抜粋〓勝手に独断と偏見〓 海軍大佐の高松宮が大臣を呼びつけ近衛のモスコー行に関し注意する時代。 佐藤大使の「話合による和平は見込なしと思ふから直に無条件降伏をなすを可とす」は、ソ連はほぼ無条件降伏の仲介しかしない「天皇陛下に於かせられては・・・国民の受くる惨禍と犠牲とを日々増大しつつあることを御心痛あらせられ、戦争が速に終結に至らんことを念願せられ給ふ」が天皇の本音ならば一刻も早い戦争終結が望ましい、の意と推察。 東郷は「困難に耐へた国民の気持ちも考ふる必要あり」と「直に無条件降伏」に反対、「国民の受くる惨禍と犠牲・・・御心痛」は最重要ではなく建前の意が強かったのではないか。 東郷の「ヤルタ会談・・・日本に対し既に開戦の決意を為して大使との会見及近衛公の入国を肯じなかつたと迄は想像し得なかつた」は連合国への皮肉か。
2012.01.22
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1945年7月16日にニューメキシコ州ソコロに於いてトリニティ実験が行われた。 トリニティ実験は連合軍が長崎に投下したプルトニウム239を使用した爆縮(implosion)型の原子爆弾実験。 「残存放射線」に関して、英語版「en.wikipedia.org/wiki/Trinity_(nuclear_test)」の「Site today」では 「More than sixty years after the test, residual radiation at the site measured about ten times higher than normal.[46]」 「46.^ Brian Greene (2003), Nova: The Elegant Universe: Einstein's Dream. PBS Nova transcript Regarding residual radiation.」 と、記されている。 しかし日本語版「トリニティ実験/ウィキペディア」の「現在の実験場」では 「実験から50年以上が経過した2003年現在でも実験場跡地では通常環境の約10倍というわずかな残存放射線が検出される [10]」 「10.^ Brian Greene (2003), NOVA: The Elegant Universe: Einstein's Dream. [3] Regarding residual radiation.」 「3.^ “Trinity Site”. National Historic Landmarks. National Park Service. 2008年1月28日閲覧。」 と、「残存放射線(residual radiation)」に「わずかな」の修飾が付いている。 「TRINITY SITE」では 「Radiation levels in the fenced, ground zero area are low. On an average the levels are only 10 times greater than the region's natural background radiation.」 と、「only 10 times」なる記述があり日本語版ではこれを使ったと推測する。 しかし、此の後には 「A one-hour visit to the inner fenced area will result in a whole body exposure of one-half to one milliroentgen. To put this in perspective, a U.S. adult receives an average exposure of 90 milliroentgens every year from natural and medical sources. ・・・」 の記述があり 「Although radiation levels are low, some feel any extra exposure should be avoided. The decision is yours. It should be noted that small children and pregnant women are potentially more at risk than the rest of the population and are generally considered groups who should only receive exposure in conjunction with medical diagnosis and treatment. Again, the choice is yours.」 と、小さな子供と妊婦に関しては「potentially more at risk」が記されている。 何故、英語版ウィキペディアの記述「residual radiation at the site measured about ten times higher than normal」を訳すのではなく、わざわざ「わずかな」という修飾を付ける事を選んだのか、単にタイミングの問題か。
2012.01.18
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「Charter of the United Nations(国際連合憲章)」、1945年6月26日のサンフランシスコ会議において51ヶ国が署名。 憲章には敵国条項がある。◇第53条/国連憲章(抜粋) 1 本条2に定める敵国のいずれかに対する措置で、第107条に従って規定されるもの又はこの敵国における侵略政策の再現に備える地域的取極において規定されるものは、関係政府の要請に基いてこの機構がこの敵国による新たな侵略を防止する責任を負うときまで例外とする。 2 本条1で用いる敵国という語は、第二次世界戦争中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される。─「国連広報センター」より 1939年、ソ連はドイツとポーランドを分割占領、その後フィンランドに侵攻、国際連盟はソ連を除名。 しかし英米はソ連を連合国側へと望む、結局ソ連はドイツのソ連侵攻で連合国側に、枢軸国は米・ソを自らの攻撃で敵国にしてしまった。◇「時代の一面/東郷茂徳」による簡単年表(主にソ連関係)・1943年 11月:スターリンが日本を侵略国と呼ぶ・1945年 3月末:ソ連兵力の東方輸送が逐次増加の模様 04.05:日ソ中立条約の改訂は不可能となった(一ヵ年の効力を有す) 5月初頭:デーニッツ政権(ドイツ)は無条件降伏、日本は防共協定を含む一切の(ドイツとの)条約を破棄 06.03:第一回廣田・マリク会談 06.08:御前会議「飽く迄戦争を完遂し以て国体を護持し皇土保衛し征戦目的の達成を期す」 06.22:最高戦争指導会議構成員のみの御召 07.12:ソ連への特派使節を近衛公に下命 07.17:ポツダム会談開催(トルーマン・チャーチル・スターリン) 07.26:ポツダム宣言書(トルーマン・チャーチル・蒋介石)発表 08.06:広島への原爆投下 08.09:(未明)ソ連が日本に宣戦し、満州に侵攻(外務省ラジオ室よりの電話による) 08.09:長崎への原爆投下 08.09:御前会議「ポツダム宣言を国体護持を唯一の条件として受諾するに決定」 08.10:駐日ソ連大使は東郷外相に宣戦布告を伝達──〓勝手に独断と偏見〓 1945年2月4日~11日のヤルタ会談(米・ソ・英の首脳会談)での密約にはソ連は欧州での戦争の終結後2ヶ月又は3ヶ月を経て対日戦参戦が記され、この密約は1946年2月11日に米国国務省より発表された。 当時の米国は対日戦収束の早期実現の為にソ連の対日参戦を希望、密約でソ連はポースマス条約(日露戦争の講和条約)をチャラにする事等を条件として参戦を表明。 一方、日ソ中立条約(署名:1941年4月13日、効力発生:4月25日、批准書交換式:5月20日)では 「第三条 本条約は両締約国に於て其の批准を了したる日より実施せらるへく且五年の期間効力を有すへし両締約国の何れの一方も右期間満了の一年前に本条約の廃棄を通告せさるときは本条約は次の五年間自動的に延長せられたるものと認めらるへし」 が記され、1945年4月5日にソ連側が破棄を通告した際に翌年の1946年4月まで条約が有効であることが確認されている。(日ソ中立条約/ウィクペディアよりの内容) 「時代の一面」等からソ連と日本は得であれば中立条約を破ると推察、また米英はソ連の侵攻をヤルタの密約で望む、指導部の思惑や国力・立場で対応が異なる。◇1945年2月26日の東条英機の奏上ではヤルタ会談とソ連に関し その一応表面に露れたる所は、もっぱら対独処理に存するごとく見ゆるも、その裏面において太平洋問題が大きく扱われ、大体基礎的諒解をとげられたるものと思考す ・・・ 四月二十五日に至ってソ連は日ソ中立条約の破棄を通告し来るやも知れず、かくなりては我は正義の上に立つ戦なり。皇国不滅を信じて立つならば悲観に及ばず。─「侍従長の回想/藤田尚徳」/「昭和の天皇と東条英機/亀井宏」よりの抜粋 昭和天皇の「ソ連の対日参戦はあり得ぬか」に東條は「現在の時点では五分五分、硫黄島、台湾、沖縄を喪い、中国大陸の拠点を敵手に委ねるならば対ソ参戦はあり得る」 天皇と東條はソ連侵攻により沖縄戦以前でも勝機はなくなる、またソ連参戦の可能性大の感覚を持っていた。 コミンテルン(1943年6月解散決定)と日本は敵対関係(日独伊防共協定は1941年11月延長)だった、「32年テーゼ」の「天皇制の打倒」に対し「治安維持法」、ソ連に講和の仲介は藁にも縋るか。
2012.01.14
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6月8日の御前会議では「戦争を完遂し以て国体を護持し皇土保衛し征戦目的の達成を期す」が決定された。 しかし前月の5月、最高戦争指導会議構成員は無条件降伏回避のためソ連仲介とした講和への道を模索しソ連への対価(日露戦争前の状況に復帰、朝鮮の自治問題は別など)を話し合っていた。 対ソ政策はソ連を参戦させない、ソ連を好意的態度に誘致、和平に導くことの三段階、東郷外相は廣田元首相にマリク駐日ソ連大使との会談を依頼、6月3日から会談は始まっていた(5月25日の東京大空襲等で遅延)、和平に導くこと(ソ連仲介の講和)に関しては相手側の反応を見てからと最高戦争指導会議構成員の会議では決定していた。◇「時代の一面/東郷茂徳」p337~よりの抜粋・木戸内大臣との会談 六月十五日、内府は六月八日御前会議に報告せられた所によつても国力の減退は著しいが今後は益々激甚を加ふべし、由来軍部より戦争継続不可能なることを申出でしむること適等なるべきも、現在の状勢を以てすれば軍側より申出づることは困難と認めらるる、而して陛下に於かせられては六月八日の御前会議以後参謀次長及長谷川海軍大将の報告によつて、戦力意外に低下せるを観取せられ、過般参謀次長及軍令部総長の言は事実に相違する所尠らざるにより、至急戦争終末を計るの要ありとの思召しなるに依り、時期を逸せざる為めには御言葉の下に急速大轉換を行ふ要あるべき処、其方法としてはソ連に仲介を依頼し名誉を保持する和平の名義の下に十分なる譲歩をなし、戦争を終結する必要ありと思考する旨述べた。 五月中旬構成員で申合せを為し、既に廣田氏に依頼しソ連の気持を打診しつつ戦争終末迄取運ぶことに実行中で、此点は鈴木首相より陛下には上奏済みの筈なるが、一昨日更に米内海相とも相談して戦争終末方法を促進することにした成行を説明し・・・政府及統帥部首脳者の間に本件を促進することにしようと述べて置いたが、内府は指導会議構成員の申合せ及広田氏の交渉は自分は初耳であるので陛下も御承知なきことと思ふとのことであつた。・五月中旬申合せ第三項の発動 六月十八日に最高戦争指導会議構成員が会合したので、自分から宮中でも戦争終結の希望があることを報告して、過日実行延期となつた申合せ第三項の急速実施を申出すと共に廣田氏の交渉状況に付き報告した。 其結果日本としては米英が無条件降伏の主張を固守する場合戦争の継続は致方ないが、我に相当の戦力ある間に第三国殊にソ連を通して和平交渉に入り、米英との間に尠くとも国体護持を包含する和平を為すことが適当である、又九月頃迄に戦争の終結を見得れば尤も好都合であるから、ソ連の態度を七月上旬迄に偵察した上可也速に戦争終結の方途を講ずることに大体意見が意一致した。・六月二十日の内奏 構成員会合の申合せに付きソ連と交渉に入る目的及び仲介者としてソ連を適当と認めたる理由、並にソ連に対しては此際思い切つた代償を提供することに話合いたること、且又廣田氏に交渉を依囑せる経緯及び其後の経過に付き詳細上奏した。 陛下は右は戦争終末の関係上洵に結構な措置と思ふ、戦争に就きては最近参謀総長、軍令部総長及長谷川大将の報告に依ると支那及び日本内地の作戦準備が不充分であることが明かとなつたから、成るべく速かに之を終結せしむることが得策である、・・・、成るべく速に戦争を終結することに取運ぶやう希望するとの御沙汰を拜した。───〓勝手に独断と偏見〓 表向きは徹底抗戦だが、「六月二十日の内奏」での昭和天皇の沙汰は 「戦争に就きては最近参謀総長、軍令部総長及長谷川大将の報告に依ると支那及び日本内地の作戦準備が不充分であることが明かとなつたから、成るべく速かに之を終結せしむることが得策である」 「六月二十二日の御召し」で天皇は「慎重に措置すると云ふのは敵に対し更に一撃を加へた後にと云ふのではあるまいね」と念押し、構成員は「其意味でないことを言上」。 「国体護持を包含する和平を為すことが適当である、又九月頃迄に戦争の終結を見得れば尤も好都合」、構成員・官吏は天皇に仕えている、赤子を守ることは最優先事項ではない。 現在と比べ親子の関係は父親の為に妻子が存在するの感覚が強いのではないか、現在では長男が偉いを主張する人は少数派と思うが。 天皇・構成員は独伊の轍を踏みたくない、しかし沖縄戦敗北では「外交は活動の基礎すらも見出し得ない」、また天皇の親書をありがたがるソ連ではない。
2012.01.05
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