2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全17件 (17件中 1-17件目)
1

友達が病気になって長期に入院していることを突然知りました。今家に帰れるように、リハビリを続けています。言葉を忘れてしまったみたいで心の中に、ぐるぐる駆け巡っているようだけど口からは、出ないようです。それでもいらつかず明るく前向きに、トレーニングをしています。 何もお見舞いを思いつかなくて私が撮った花の写真を数枚持参しました。 コヤブラン へ~~~~って、言いながら一枚一枚見てくれました。?????って顔をたまにして「これは、なんの花?」って言う仕草をします。ほとんどこたえられたのですがわからないものもあって・・・でもそれにたいして「ああ・・・知ってるのに見たことあるのにン~~~~なんやったかなぁ・・・」って、感じなんです。何回も見てくれて。 今度はちゃんと名前を裏に書いて持って行かなくちゃね。 私に出来ることは、これくらいでだけどその私に、自然は、力を貸してくれて病院の中の友達に笑顔をくれるのですね。 できるだけ良くなってね。
2006.09.22
コメント(10)
久々・・・ほんまに、笑わせてもらいました。友達に、結構有名な「おそば」屋さんの若女将が、います。この間、レレキキが、おうちに遊びに行かせてもらったとき「おうどん、食べる?」って、紙袋を渡されて中をのぞいてみたら、彼女のお店のおうどんが入ってて私「あらあ~これって、ええ(良い)お店のんやんありがといただきまぁす」って、頂いて帰りました。数日後レレキキと、お昼を食べるときにそれを食することにそれは冷やしきつねうどんって、言うもので薬味として、あげ・ごま・きざみのり・ねぎ・てんかすが入っていました。冷たくして、出来上がり「いただきまぁ・・・・す」って、3人で食べようとしたらキキ「お母さん、このゴマも入ってたの?」私「そうよ」「こののりも入ってたの?」「そうやで」「そしたら、このおあげもはいってたのっ?」「うん。入ってた」「このおねぎもか?」「そうですよ~~~」「へ~~~~すごいなぁ・・・・やっぱり、ええとこのおうどんやなぁ」 あんなあ・・・・わたしが、なんか、いつも粗末なおうどんしか食べさせてない見たいやん・・・まぁねぇ・・・大好きなお友達にもらったしうれしいんやろうけどその後も、続きました。「おいしいなぁ・・・やっぱりおいしいわぁええとこのおうどんは」 しっかりと、大人の会話が、聞こえてるんですねえ。気をつけよおっと
2006.09.15
コメント(9)

今年の夏は、暑かったですね。忙しいこともありましたが、あまりに暑いので、花たちが、かなりほったらかしに。弱ってしまってたり、ぼろぼろになったり・・・ごめんね~~~~って、思いつつも、何も出来なかった。そんな中、かの有名?な、我家の隣の空き地売りに出ることになってしまって突然の草刈に整地がはじまってしまって。もともと、他人様の土地に色々密かに育ててたのですから文句言えるはずも無く。いい人が越してきてくれると良いんだけど いろいろ花は、あったけど仕方ないや。お見せできる、お花さんたちも、ぐっと減ってしまいそうです。 毎日のあまりにすごい雨が上がったので今朝、屋上に上がってみたらなんとルコウソウが咲いていました。 屋上の鉢にタネをまいた覚えは無いのです。隣の空き地には、毎年こぼれダネで、どんどん繁殖しておりましたがそれも、この間見事に刈り取られて、無くなったのだけど・・・ それから小さいかわいい朝顔も、咲いていました。 これも、タネをまいた覚えがありません。またまたこれも、隣の空き地に毎年、こぼれダネで出ていたものです。 (追記) キッパーが、小1の新入生歓迎会の時に、2年生から、前年に育てた朝顔のタネをプレゼントされて、それをまいて、タネがこぼれたのが隣の庭に落ちて、毎年どこからか出てくるんです。花は、小さくなってきてるけど、この色は、草むらで咲いていても、目立ちます(●^o^●) 隣の空き地から4階になる我家の屋上に種が飛んだ?はずないよなあ・・・って、思ったけど絶え果てるはずだったのに思わず、うちの屋上に生き残っててくれていた。なんと、たくましい子たちだろう。 うん私もなんだか元気が出てきたわ明日も、がんばろっ!!!
2006.09.14
コメント(4)
バトンちゅうもんが「*jellyfish*さん」から届きましたやってみましたが、なかなか難しいものですね。色々考えて、次のバトンを受け取ってほしい方もご指名してしまいましたがもし、無理なら、言ってください。私とは全然違うお話が聞けると楽しいですね。よろしくお願いします。 私の、答えは、こうなりました。 Q1 過去に戻れるなら何がしたい? 親との絆を作って、心のうちを話せる仲になりたい。Q2 今度生まれ変われるなら男?女? 女がいい。 おっぱいあげるときの幸せは、何にも変えられないもん(^^♪Q3 今はまっているもの。 今・・・バザーや、他の役のことで忙しくて、はまるものが無いのだけど 家の改造計画 子どもが大きくなってきて、家の中の使い勝手が悪くなってきたから 何とか改善したいQ4 何の花が好き? ライラック ピンクのがいい とても愛らしいから ハナミズキ 白がいい あ~~頑張ろうってすっきりした気分になるから ばら いろいろ 自己をしっかり持っている感じがするから 花は、好きなものたくさんすぎて。。。。選べないです~~~~~(^^♪ Q5 習い事をするなら何がしたいですか? コーラス(習い事かなぁ?) あのハモッた瞬間の鳥肌が忘れられない。 Q6 今一番したいことは? アルバムの整理 溜まりに溜まってます(T_T) Q7 5年前は何をしていましたか? 赤ちゃんの双子を抱えて、1日2時間くらいの睡眠で、髪振り乱していました(ーー;)Q8 どこへでもいけるとしたら、誰と、どこへ行って見たい?(新たな追加質問) 家族みんなで、カナダへ行って、大自然の中で、体の中の空気を入れ替えたい。Q9 バトンをまわす118代目3人は? ♪yukkoさん らもぉっさん こさちなさん もし気が向いたらお時間のあるときに、よろしくお願いします。<申し送り事項>最後の質問を除いて、1つ質問を削除し、新たに自分で考えた質問を追加してください。バトン○○○代目をカウントアップしてください。よろしくお願いします。
2006.09.13
コメント(6)
バレエのコンクールに何年か出てきたけど(娘がね~~~)母としては、とても欲がありこの程度の成績では、引くに引けない。もっと上にいけるはずなんて、思ってる想いが心のどこかにあったのよね。だけど旦那は、とてもとてもバレエをしていること自体反対していてコンクールなんてとんでもないのよ。何回も経験している間に旦那は、少しは理解してくれるようになったけど「それって、いつまですんの?」ってオーラがすごくて・・・そんな私と旦那の、バレエを挟んだときの中の悪さにウッキーは、辛い思いをしていて。そしてある程度まで成長した今それ以上に、のびなくて苦しんでもいたし 私とウッキーお互いになんとなく同時に「もう、コンクール行くの、終わろうか」って、言っていた。残念な気もするしもったいない気もする。 だけどね親の私が言うのもなんやけど素晴らしく美しく優雅に踊るようになったのです。もう技術よりも何よりもその雰囲気では、誰にも負けないくらいに。恥ずかしがり屋で、少し背中を丸めて引っ込み思案だったあの子がこんなに大胆に、優雅さを醸し出して堂々と踊ってる。これの他に、私は何を要求するのだろうか・・・・ この何年間かでこんなに素晴らしいものを手に入れたのだから決して無駄な数年間ではなかったと思う。きっと、これを自信にして、台にして心が伸びやかになったらもっと、大きく成長してくれるだろうと思う。そのために辛さとか、苦しさが先にたつようなことをしてはいけない。私が、そういうところへ追い込んではいけない。決して無理にコンクールに出させてきたわけではない。自分から、「今年も頑張らせてほしい」と、言いに来る子だから。 でも今は辛いというよりか・・・少し疲れたみたい。だから休めばいいしのんびりすればいいし必死になり過ぎなくていい。 「私は、踊るのが好きなんや」って、飛び切りの笑顔で言うことがなくならないように。私も、ゆったりと、のんびりとサポートして行こうかな。 楽しい楽しいって、言いながら、レッスンに通ってる。ビデオ見たり、音楽かけたり・・・前よりも時間が出来て楽しそうに、さらにいろんなこと吸収して自分のものにして生かしたいと、思う気持が体からあふれてる。 ホッと一息つく時期を見失わなくて良かった。親子ともに。 楽しいことは、心と体をやわらかくしてくれてもっと多くのものを吸収するスペースが出来てそしてそれを肥やしにして成長する元を蓄えさせてくれる。 私はそんな娘を見ているのが楽しい。楽しいのおこぼれくれて、ありがとね
2006.09.12
コメント(4)
昨日の、キッパーの話。元気に帰ってきました。ありがとう。今朝も元気に出かけていきました。 レレキキの、お誕生にも、たくさん心暖かいお祝いのお言葉ありがとう。 こうやって、子どもの成長を喜ぶときにこの子がいくつのときに、こんなことがあったなぁ・・・とかああ、あれは、この子達が、いくつのときのことだったんだぁ・・・とか一緒に色々な出来事が、くっついて思い出されます。特に阪神淡路大震災それと、9.11 毎年、テレビをきっかけにしてですがもう一度思い出してその時の私の気持なども思い出してそしてしっかりと受け止められるくらいの年齢になった子どもたちと話をします。話が出来るようになり大きくなったなぁ・・・と、思いつつも子どもや、家族や友人を亡くされた方たちの辛く悔しい思いを同時に感じて涙が出ます。 9.11をきっかけに始まった戦争でそれ以上の多くの犠牲者が出ている今 日本も、憲法改正に向かって走り出しています。 大事な子ども達を家族を戦争にだけは、巻き込みたくありません。そんな時代だけは決してこないでほしい。
2006.09.12
コメント(6)
テロも嫌です。戦争は、もっと嫌です。 どこの国とかどんな宗教とかそんなん違ってみんな、きれいな美しい地球の人間です。もうこんな辛い話は、嫌です。 もう、やめましょう。 私たちの子どもには、体験してほしくないです。
2006.09.11
コメント(0)
キッパー君新学期には、いろいろ皆様にご心配をおかけしていましたがなんとまだ、頑張って部活を続けております。って、あたりまえのことかもしんないけど今年も、また、黒光りすぐらい・・・になっとります。暑くなってきた頃から毎日、ジップロックの大き目のタッパに2個氷を作ってせっせと毎日運んで・・・1年生は、大変です。先輩よりも早く、集合時間の最低30分前にはグランドに立ってなきゃいけない。集合時間の、2時間前には、家を出かけていきます。 夏休みの間OFFが、5回くらい。それでも授業のあるときよりは、楽みたいで・・・休むことなく、ひと夏通いました。 少し遠い他県の良いグランドで練習できるときもあったりしてとにかく、毎日あちこちへ・・・いったいどんな練習しているかも気になるのですが見にいけるほど、キッパーの格が上でないから見に行くと、先輩に色々言われて、辛くなるといけないしじっと耐えている母です。 だけど今年の夏も熱かった毎日、倒れやしないかと、いろいろ対策考えるのだけどそんなもの追いつかないくらいに熱かった。 疲れも、たまってしまうとたまぁ~~~~に電車で寝てしまうらしい。そんで気がついたら、終点から折り返して、乗った駅よりも遠い駅に行ってしまったりしてて・・・ 昨日も、遠いグランドへ行った帰り10時には、帰るかなと思ってたら全然帰ってこないからメールしてみたら通るはずのない駅の名前が帰ってきた。って、思ってたら帰ってきて言うことには「乗り換えのときに、反対方向に乗ったのに気がつかなくて知らない間に寝てしまってて終点まで行ってしまった・・・・」って1時間以上ロス疲れてるのにねぇ・・・晩御飯もまだなのに・・・ かわいそうに・・・って、つい思うのだけど小さいときは、ついてまわって送り迎えして世話して・・・親も、気が楽だったのよね、目の前にいて。 いってらっしゃあいっていいながら心の中でため息ついてる・・・「今日は、元気に帰ってくるかしら・・・」って。 でもね昨日ね帰ってきて(11時まわってました)ご飯食べる前にお風呂へ入ったんだけど入るときに「お母さん、お風呂まだ?」って聞くから「うん。後ではいるわ」って言ったら「ごめんな、遅くなって」って。心配してるって気がついてくれてるんだなあ・・・・それだけでいいや また、頑張って、いってらっしゃいって送り出そう
2006.09.11
コメント(6)
ご心配をおかけしましたが幼稚園のお誕生会に行けましたとても楽しかったのとうれしかったみたいでずっと、笑顔でしたちょっと、バタバタしててじっくりかけませんがご報告だけ、しておきます。また、様子は、後日にありがとう。
2006.09.08
コメント(6)
日曜日には、プレゼントを買いに行きました。今年は、二人が好きなものを選びました・・・・まぁ・・ちょっと後ろから、親の操作もありましたがもう、来年は小学校やしおもちゃは、いっぱいあるし使えそうな物をねケーキは、今年は、どうしようか・・・まだこの時期だと、市販のケーキを食べてもレレが極端に痒くなることがないのです。あこがれの、いちごケーキにしようかなぁ朝レレが吐きました何も食べてないのに。何回か、吐いて気持悪いそうなので・・・・幼稚園を休みました。金曜日が、幼稚園のお誕生会なのでそれには、行かせてあげたいし。ケーキどころか、ごちそうもなしです。夕方くらいには、元気になったのでレレの好きなお鍋にしました。うどんすき野菜ばかり美味しい美味しいと、食べておりました。本人も、しんどいときに「あぶらもん」(あぶらっこいもの)食べたらあかんと最近、きつく思っているみたいで野菜しか食べませんでした。治して、元気になって、お誕生会には行きたいっ!!!って、強い意志みたいです。もう一人、元気に幼稚園へ行ったキキお迎えに行くと、午前中「おでこが痛い」と、言っていたとか。たしか昨日も「おでこが痛い」と、言っていたっけ・・・・どこかぶつけたの?って。。。聞いた私ひょっとしたら・・・・昼過ぎから、眠たいといって寝てしまった夕方、7度3分レレが、7度2分う~~~~~~~ん微熱といえこれで、熱が上がらなくても明日は、幼稚園やすまないと・・・・だってだってお誕生会行きたいもんっ!!!!!レレキキよりも、誰よりも私が幼稚園のお誕生会に行きたいっ!!!!!楽しみにしてたのにいきたいっ!!!!なので今日は、用心して、幼稚園休みます。
2006.09.07
コメント(10)
「私は、元気ですから、話をちゃんと聞けます。」と、答えました。不安がいっぱいになりましたが不思議と落ち着いていました。ただ再度書いてしまいますが出産や誕生の喜びを全然感じられなくて・・・疲れているというよりも心が動かないのです。そういうわが身がどこにあるかわからない状態で心と体が同じとこに無いような感じで先生のお話を聞いていました。出産時に心拍が止り、仮死状態で生まれたこと。すぐに酸素を入れて、呼吸は回復していること。様々な検査をしてみたけれど心臓にも脳にも今のところ何も異常が見つからず安定していること。ただしばらく様子をみないと完全に、どこにも影響が出ないとは言ってあげられないとのこと。ほんとうに無事でよかったの一言の気持なんですが心がやっぱり動きませんでした。あの扉の向こうにいるんだ・・・とも思うのですが会いに行きたいとか抱きたいとかそれも思えなくて・・・・私はどうなってしまったのだろう。あんなに、待ってたのに。こんなに冷たい人間だったのだろうか・・・・・・一晩中寝られませんでした。その夜だけは、レレを看護士さんが世話をしてくださり次の朝から、同じ部屋で過ごすことになりました。おっぱいも少しずつですが出始めて何も足さなくても、過ごせました。久しぶりの小さい軽い赤ちゃんを抱くのは緊張でした。肩こりもすぐに始まって・・・オムツがえも・・・ちっちゃくて、やりにくいお昼過ぎくらいにNICUへ、面会に行けるようになったよと看護士さんに伝えられました。そのときにも「そうか」ぐらいにしか思わなくて「会いに行ってあげてね。一日何回でもいいから会いに行ってあげてね。おっぱいも絞って持っていってあげてね。」って、おっしゃるのですがそんな気持にもなれなくて・・・おっぱいだって、レレの分だけで、もう、絞るなんて無理やし・・・・それでもなんか建前のように、会いに行かなきゃって思って看護士さんにレレを頼んで面会に行きました。NICUへ、入るときの準備の仕方を教えてもらって着替えて消毒して入りました。初めて入って本当にたくさんの赤ちゃんがいました。みんなこんなに小さいのにみんな戦ったていました。ちゃんと生きて戦ってました。ずっと奥のほうのベットを指差され「あそこに元気でいますよ。ミルクもねちゃんと飲んでますよ。おかあさんまだかなぁ・・・・って、待ってましたよ手も足もよく動かして、元気いいんですよほらお母さんが来てくれたよ~~~~~が~こベビーちゃあん」はじめてはじめて会えました。でも他の子に比べたら、全然どうもないのですがやはり我が子しか目に入らないというか・・・・何本もの線がつながっていて管もつながっていて・・・・こんなに小さいのに・・・それでもわが子に対する愛というか、喜びというか・・・何もわかなくて。わたしやっぱりおかしくなったのだろうか・・・・・・私「この子ね・・・キキって言うんです。」看「そうお名前もうあるのねうれしいね~~~~~ききちゃ~~~~んお名前も書きましょうね」看護士さんは、名前呼んでくださるのに私は・・・呼べなかったよしばらく眺めていたけどそう眺めるだけなんです。箱の中にいるしまだ感染が心配ということで抱っこも出来ないし触れることも出来ない。眺めてそして部屋に戻りました。また深く落ちていくようでした。現実の世界では、笑顔で笑って、赤ちゃんの世話をして元気にしている私がいるのですかなにかどこかへ行ってしまって、遠くでそれを聞いている私もいて面会に来てくれる友達もおめでとーーーーーーあれっ赤ちゃん一人って、必ず言うし(当たり前やけど)そのたびに説明して「大丈夫何やけどね。検査だけね。」って言うの。ほんまにほんまにもっと大変な状況で出産されるかたもあるのに人間わがままなんだろうな・・・・自分の置かれている立場が、一番不幸な気がして。出産4日目かな・・・友達が、面会に来てくれて帰るときに、部屋の扉まで見送りに出て立ち話をしているとガラガラガラガラ・・・・・・って、ローカの向こうの方から、新生児ベットの移動する音が友達としゃべりながら、ふとそっちへ目をやってみると遠く遠くに見えるそのベットがとてもとても気になって・・・・友達の声も聞こえなくなってそのガラガラガラ・・・・・って、ローカを響く音だけが頭の中にいっぱいになって何も聞こえなくなって「が~こさぁ~~~~~ん。お待たせしましたききちゃんですよ~~~~~」私走り出していました。待てなくて看護士さんから、ベットを奪い取ってしまいました。すやすやとのんきに寝ていて何も線も管もつながっていない赤ちゃんがそこにいました。やっと、触れて、抱っこすることが出来ました。涙があふれて、止りませんでした。泣いて泣いて・・・・うれしくてうれしくてうれしくて・・・・・・・部屋に戻って、レレを見るとすやすやと寝ています。ごめんね今まで。ここにいるのにね。ちゃんとお母さんの目に入ってなかったね。ごめんね。二人がそろって初めて私の心が戻ったみたいです。もうそれからは楽しくて楽しくて。分離していた心と体もくっついた感じでうれしくて。キキも、何も後遺症も残らないだろうということでした。NICUにいてる間にこんな短い間だったけど写真を数枚とって下さっていてファイルに貼り付けて、色鉛筆で、きれいにデコレしてあってメッセージや、その日の様子とか、色々書いてあるミニアルバムを下さいました。「元気で大きくなるんだよ」って、NICUの看護士さんが、ベットまで来てくださいました。この日をお誕生日にしたいくらいとてもとてもうれしい日でした。退院後も色々な大変なことありましたがこの数日のこととか、妊娠中のこととか思い起こすとなんでもないことだらけです。がんばるぞっ!!!!!って、力はいれないですがそれでも何とかなんでも乗り切っていけるんだと、のんびりとやってこられました。あの先生と出会わなかったら病院を変えて、出産なんてことは、しなかっただろうなぁ・・・ベットの上で考えました。この子達は、ほんまにいろんな人たちとの出会いの中に多くの元気に生まれる道を選ばせてもらえたのだなと多くの方に感謝ばかりおぼえます。生まれてきてくれてありがとう。母さんの子どもになってくれて、ありがとう。今日は、レレキキのお誕生日です。
2006.09.06
コメント(20)
自慢じゃないけど上3人を産んだときも、妊娠線が出なかった私この双子の妊娠でも出なかったんです。よっぽどのびがいいのか・・・・なのになのになのにある朝起きたら出来てたんですっ!!!!!!ひゃあ~~~~~~って思ったけど出来てしまったのは、仕方ない。でもねその日から息が出来なくなってきたのです。寝転んでも楽な姿勢になっても座っても息が苦しくて・・・吸っても吸っても、息苦しい・・・う~~~~~~ん、どうなってんのかなあ・・・・一日経ってもそれは変わらずで・・・・旦那が面会に来たときに「もう、あかんわしんどい。産ませてもらいたい。もう・・・限界や。」って助けを求めました。たまたま先生がおられたのでお願いしてきていただき今の気持を伝えました。先生は「私も考えていたとこだったんです。そろそろかなと思って。これ以上は、無理かもしれません。少し、おなかの子も弱ってきているみたいですから」って、おっしゃいました。明日明日産むことになりました。促進剤でなくて、誘発剤を朝から点滴して様子を見ましょうと。大きくなりすぎると、子宮が縮む力をなくして陣痛が起きないこともあるとか。朝なんでもこいっ!!!って感じで、分娩室に入りました。先生の予想では、すぐに生まれるだろうと・・・思われたので分娩室だったのです。昼過ぎても一定間隔から、縮まりませんえびぞりになってベットからそりあがるくらいしんどいのにまだ生まれません。私が分娩室に入って、後から一人、陣痛が始まってこられた方がおられたのですがその方は、予備の部屋に回されてしまって予備の部屋で出産されていましたごめんね~~~~~~って、思いながらうんうん言ってました。夕方くらいに、すでに8センチ大ぐらいになったのですが「まだまだ・・・・するって落ちるように生まれるくらいまでがまんがまん」って言われちゃって痛いしめまいするしもう最後に叫んだ言葉は「おなかきって~~~~~~~~~~~~~」でした一度気を失ったみたいでしばらく記憶がありません。6時半くらいになってからでしょうか・・・(朝の10時から点滴始めたのに。先生は、12時には、生まれるって言ってたのに)「さあ、そろそろ、いこうかなぁ」って。ああやっとか。あ~~~~~~~~~~~やっとやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁそれからももう、いつもどおりうんうん言ってあ~~~~~~~~~~あれは、苦しいよねぇ頭が見えてきたとかもう少しとか色々言われているんだけど痛くても何でも産むしかないし・・・今回は、旦那だけでなくて子どももみんな立会いしてもらっててだけど遠慮なく、イタイイタイと叫んでる私。その中息子だけが又間を覗き込んで「おかあさんっ!!!頭が見えたよ~~~~~~」って、喜んでるやっとやっとレレが生まれました。はぁ~~~~~~~~~~~~うまれたぁぁぁぁぁおわったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・・・・・・まてよもう一人、いるんやなぁうん。もう一人いたよなあ・・・・・・え~~~~~~~終わってないやんっって、一人で色々、考えめぐらしてる間先生は、モニターを見っぱなし。なんかレレを産んでる最中から顔色が変わったような・・・・すぐに次の陣痛が始まりました。次の子が出やすいように陣痛が始まっておなかが痛いんだけど先生が、おなかのこの向きを整えてくれて「これでいいぞ。慌てなくていいから少し急いで産みましょうか・・・・」う~~~~~~~ん意味がわからん頭位で生まれる子は、頭が出るまで、いきんで・・・あとはゆっくり。逆子は、体が全部とおって、頭に差し掛かるまではいきんだら駄目って・・・・そうらしい。なんかそのどさくさに説明してくださってたけど賢い子でちゃんとお尻から出てきた。腰の辺りまで来たときにあまり急ぐのはよくないけど・・・・って、言いながら先生は「少し、急ぎます」って、キキのお尻を掴んで引っ張ったようです。そしておなかから出るや否やへその緒を切り切ったら数歩隣の扉の向こう→NICUへ、連れて行かれたのでした。すでにレレが生まれている最中に心音が落ちレレが生まれた頃に、心音が止まっていたみたいでその時にはNICUには、連絡済ですべて用意して待っていて下さったようです。私はキキの顔を見ることもなくどうなったかなんなんだかよくわからず・・・・でもみんなそのことを心配するゆとりがないのかそばにいるレレを囲んで生まれたことを喜んでいました。疲れ果てた家族は引き上げていきました。私は、後の処置や、様子見でしばらく分娩室にいました。レレは、そばにいました。分娩台に寝てても見えるところにNICUの扉があります。あの子はどうなったのだろうか・・・・・何が起こったか把握できないのと1日かかった出産にへとへとになってて、頭が働かないのとで何も考えられませんでした。横に寝ているレレもある意味物体にしか見えずなんの感情もなくて・・・・その間も、ずっと私の世話をしてくださって、出産も手伝ってくださってた助産士さん妊娠8ヶ月の方でした。ごめんね私のために・・・疲れたでしょう・・・・今日は、体休めてね・・・って言ったら「全然」って。どれくらいの時間が経ったかわからないのですが小児科の先生が来てくださり「お母さんに、話をしても大丈夫ですか?今は、やめましょうか?明日ご主人にお話しましょうか?」って、聞いてくださいました。つづく・・・・・・・・・・・
2006.09.05
コメント(2)
無事に退院できてウッキーのお誕生日を家族みんなで、お祝いしました。子宮口をくくるだけのかんたんな手術だったのですが私には、初めて経験する下半身麻酔最後のほうに、麻酔が、胸から上にまで上がって来てしまい・・・意識朦朧となったり尿を取る管に空気が入ってて、うまく流れなくて破裂手前で危なかったり産婦人科のベットが空いてなくて小児のお部屋に入ってたのですがトイレは、ベット脇のポータブルのトイレなのに、カーテンのむこうの小学生の付き添いがお父さんで・・・・トイレにも行きにくくて困ったり看護士になりたてのほかほかさんが点滴をやりにきて針が入らなかったり管の中に、空気を入れてしまい、刺しなおしたりいろいろありましたたかが、それくらいなんですがもう入院は、いやだぁぁぁぁぁって結構、疲れておりましたしかし不安は、どんどん募りました。検診を重ねていくたびにいろいろな話を聞いていると双子(多胎)を産む→無事に産むには、とても大変だということ。体重差が少しついたかと思うと1週間も立たない間に、すごく差がつき小さいほうが突然、逝ってしまう事があるとか。逝ってしまうと、もう一人のほうが吸収してしまって・・・・次の検診の時には、一人しかいない場合があるとか・・・。一人いるといいのだけど一人が逝ってしまったときに、引きずられて続けて逝ってしまったりもあるって・・・・。無事におなかで育っても出産時の様々なアクシデントのことなど。先生はきっと万が一に何かあったときの私のショックを少しでも和らげるためにお話してくださってたんだと思ってはいますが毎日夜中に涙が出てきたり眠れなかったり一人になるのが恐くなって・・・・検診に行くまでの間、心配で心配で・・・・。どんどん体はしんどくなるし気持は暗いし・・・梅雨から夏にかけてとても大変な妊婦になっておりました。それでも何とか頑張れていたのは上の3人が、しっかりと支えてくれたからです。特に、キッパーなんかは、退院してからは、毎日買い物へついて来てくれ荷物は、全部持ってくれました。もう4年生でしたが体はとても小さく、細い細い子だったのですが黙って、袋をさっとつかんで、持って歩いてくれました。ウッキーもポッポも持ってくれました。お買い物時、カートに載せたかごに、買い物を入れるのは、私。かごをレジの台に載せるのは、子どもレジ台から、袋に詰める台に移すのも子どもカゴから袋に詰めるのも子どもお店から車まで袋を運ぶのも子ども車から、3階にある家まで運ぶのも子ども「お買い物行かなきゃ」って、つぶやくと黙ってても、みんなついて来てくれて・・・ほんまに大事にしてもらいました。8月の間、ご飯作るときと、洗濯のとき以外はずっとベットにごろごろしていました。とてもとても暑い夏でもう体も重くて・・・。それでも何事も無く、すくすく赤ちゃんは、成長していました。あんなに不安になっている私のことなんかおなかの中にいるのに、全然気にしていないように。おなかの中で動くことが出来ないくらいにしっかりと大きくなっていました。下のほうにいるこのほうが少し大きく上の子は、少し小さめでした。ちょうど、マガタマが、抱き合っているようにうまくおなかにはいっていました。それも下にいる子が、頭が下で子宮口に近かったので私の、切なる願いの「自然分娩」が、可能であるとのこと。帝王切開が嫌だったのではなくて自然分娩のほうが、少しでも家に早く帰れる上のこのためには、とにかく早く帰らなきゃそれだけしか頭に無くて・・・・おなかの子の事とか、何も考えてなくて・・・。8月も終わりに近づき臨月が近づいてきたとき(そう、ずっと家にいたんです)突然、出血がありましたまだ、早いよなぁ・・・・今出てきたら、未熟児?どうしよう・・・陣痛始まるかなあ・・・・とりあえず病院へ行かなきゃ。運転して、急いでいきました。なんてことなく・・・赤ちゃんが、予想よりも大きくなってしまって子宮が、いっぱいいっぱいになってきててくくった子宮口が引きつれてしまって・・・「皮がつれて出血しただけですから、ちっともどうもないですよ」って、先生。ちっともって・・・・引きつれて血が出たって・・・痛そうな話やん実はこの日の前の日まで旦那は、電話かけたら10分くらいで帰ってきてくれる場所で仕事でした。この日からは、1時間くらいかかるところで仕事になったんです。それも半月くらい。う~~~~~~~~~~~~んどうしよう・・・昼間に何かあったら一人で救急車に乗れるかなあ・・・破水とかしたら3階からどおやって、降りたらいいんやろ・・・とってもいろんなことが頭に浮かんできて・・・双子やと、1ヶ月は、早くうまれるってみんな言ってるからあと1週間もしないうちに生まれるやろし・・・いつ生まれてもいいように入院して・・・そしたら、生まれても、夏休み中に帰れるやろし・・・1~2日くらい学校休ませてもいいから私の実家に子ども達を預かってもらって・・・ほんまに、いろいろ・・・いろいろ考えました。先生に「今日から泊まらせて欲しいんですっ!!!!」って、頼んだら「いいですよ」って。一度家に帰って段取りして入院しました。ウテメリンでしたっけ?収縮を抑えるお薬点滴して後は、のんびりと寝ているだけでした。私としてはさぁ・・・カウントダウンに入ったよ~~~~いつ生まれるかなあ・・・って、ワクワク+不安+緊張でした。入院してから、下にいる子の方が、更に下がってしまって今度は、上に余裕が出来たのか上の子が大きくなり、体重が逆転したのでした。毎日、心音を朝と夕に、とりました。普通は、その機械は、1個つけるのですが双子なので2個つけます。おなかの表面を触って、赤ちゃんの向きを確認して心臓がこの辺りかなぁ・・・って、見当つけてそれを貼り付けるんです。もちろん看護士さんがです。暇な入院でしたのでこれだけが楽しみでした。幾日か過ぎていくうちにその機械を貼り付ける場所を一生懸命探すけど、うまく心音がとれない看護士さんに「そことちゃうと思うで・・・この辺やと思うわ」って、言ってあげられようになっちゃいましたある日の事、上にいる子の、心音が取れなくて・・・大騒ぎになったのでした。いくら探しても無くて・・・先生まで出動してきて・・・しばらくして確認できたのでみんなホッとして先生が「たまになぁ、いるんや。いたずら好きな子がこれ何やろって握ってみたら、へその緒やって苦しくなって、こらあかんはって、離したりするんや」ほんまかいなぁまぁ、それでも、超音波でも診てもらったけど元気やしいいっかぁ「もう、そんなことせんといてやぁ」って、言いながら先生が帰っていかれました。私はそっか生まれたら、すごく困ったいたずらする子かもなぁ・・・ってはやく会いたくなって、うれしくなったりしてたのでした。ほんまはほんまは少しおなかの中で、弱ってきていたらしいのです・・・・つづく・・・・・
2006.09.04
コメント(4)
2週間後に、紹介状を持って、行きなれた産科へ行きました。とても元気にすくすくと2人は、育っていました。だけどその今日はじめて会った先生は「う~~~~~~~~~~ん・・・・・4回目の出産で双子となると落ちるといけないし(落ちるの?何が?赤ちゃん?)くくりましょうか」なにくくるってよくわかんなかったですが子宮口をおじゃみの口のように、縫って、くくりつけるんだとか。そうか・・・う~~~~~~~ん、なんか嫌やけど赤ちゃんが、落ちるよりはいいかぁ・・・・なんでもやってくれって、気持ちで話を進めたのですがここぐらいが限界ですって言う期限がぽっぽの小学校の入学式の前それは、あかんわ先生に、必死で頼んで入学式が終わって、2週間は、そばにいてやりたいからその後にしてくれってしぶしぶ引き受けてくれました。困ったことに病棟の改装も重なってて私が希望した入院期間は、エレベーターが使えなくて。4階の手術室から3階の病室まで、階段で担架で行き来になるとか。仕方ない。ぽっぽが、かわいそうやもん。我慢しなきゃ。そして早く帰らなきゃ。それから1ヶ月と少しバタバタと過ぎ入学式も終わり手術も無事に終わりました。すぐ帰れると思ってたのですが術後一週間から10日は、様子を見ないとと言われました。入院期間が一週間と思っていた私は一生懸命我慢してたのに突然夜中に泣いてしまいました。ゴールデンウィークも終わってしまうしウッキーの誕生日も終わってしまう。どうしてもどうしてもウッキーの誕生日には、家に帰りたい。そんな気持を神様が聞いてくださったのか「こんなに元気に回復する人は、めったにいないですよ」って、先生にあきれられくらい回復して私がしつこくしつこく頼むものだからウッキーのお誕生日の前の晩に帰れることになりましたつづく・・・・
2006.09.02
コメント(6)
突然のことで、ほんまのところ事実を把握してないんだけど夜まで、笑い転げていた私。だけどどこかでどうしようどうしようと思っていたり・・・・旦那は、超音波の写真(二人写ってるやつです)見せたら顔色が無くなって2日間ほどしゃべりませんでした。だけど旦那にも「先生がよく話あって来てって言ったけど二人いるしって、どうするってことないよね~~~~」って、言ったら「そりゃそうや」って。これですべてが何も無かったように赤ちゃんを待つ我家になって行ったのでした。でもここでもう一度、担当医の医師のことを書きたいのです。私としては、上の3人が、まだ小学校の1年2年4年だったので仕事を自由に休めない旦那だし小学校から歩いてこられるこの近くの病院で出産するつもりでした。個室を取れば、旦那が仕事から帰るまでの間、学校から病室に来れば子どもの面倒も見られるし・・・って考えていたからです。双子なので、普通は、4週間に一度の検診なのが2週間に1回なんです。産むことを決めて、双子を確認した次の検診のときに「35週くらいまでは、ここで診察続けるといいですがそれを過ぎたら、紹介状を書きますのでNICU(新生児集中治療室)のある病院に移ったほうが良いです。私が診ている限り必ず、ちゃんと出産できるようにしますが多胎の場合少なからずもアクシデントが付きまといます。もしなんかあったときにここの小児科では、駄目です。救急車で移動となるとリスクが高くなります。NICUのあるところなら、搬送の時間の分助かる確率が高くなります。ぜひそうしなさい」私はびっくりしました。こんな先生初めてです。自分の病院のことより私が、安全に、私の赤ちゃんを産むことを最優先に考えてくださる。ありがたいと、じわ~~~~~~~っと感激している私がいたのですがそこが私の我ながらすごいとこで「先生。それなら、産む前に、知らない先生に診ていただいて出産になるくらいなら次回の検診から、そこの病院に移って担当してもらえる先生と、親しくなりたいのですが」と、口が勝手に言っていました。先生はそれは、良い事だとさっそくすぐに紹介状を書きましょうと・・・・A大学病院が良いですか?B大学病院が良いですか?と、聞いてくださって・・・・私は、上3人を産んだ大学病院でもない小さい病院を希望しました。先生は「それは、良いとこです。そこなら安心です。○○先生がいいですよ」って、笑顔で喜んでくださいました。このときの、先生のこの判断が私には、とても感謝しきれないものとなりました。つづく・・・・・
2006.09.02
コメント(0)
私があんなにいらない・・・いらない・・・って言い続けたから赤ちゃんが、どこかへ行ってしまったのだろうか・・・・どうしよう・・・・もう、涙があふれそうになってきました。先生が「ほら、ここに元気にいるでしょ」だったら、いいやん。元気なんや・・・・何が問題なんんんんんんんん あの、足上げた姿のまま(知っている人にはわかる)頭がぐちゃぐちゃになって・・・・意味がわからずきっと、ほんまに少しの時間だったのだと思うけどいろいろいっぱい考えてパニックに陥りかけてたのでした。先生は、まだ続けて話されていました。「ね・・・・それでね・・・・ぐるッとまわって・・・・・ほらっ!!! ここにも、もう一人赤ちゃん」 んなんのことんんう~~~~~ん二人双子なん先生は「ね。もう一度相談して来てください」って。 なんかさあの格好のままね笑い出しちゃって・・・・・なんかわかんないんだけどとても楽しくなって「先生。もう話し合うことの無いくらい話し合ってきましたから二人いるからといって、話し合うことなんか今さら無いです。元気でよかった つづく・・・
2006.09.01
コメント(2)
話が少し元に戻りますが妊娠が確実である時期に入って出産の入院のことは考えてなかったので通いやすい、近い病院に診察へ行きました。笑みも無い、淡々と冷たく診察される先生で質問しても、切り捨てるような口調で言葉少なく返事されます。ただでさえ(勝手な話ですが)悩んで落ち込んでいるのにとても辛い診察でした。時期が早すぎて、確実に確認できないので1週間後にもう一度受診するように言われて帰りました。でももう、その先生のときに行く気がせず違う担当医師の名前が書いてある曜日を確認して帰宅しました。そして、誰でも良かったのですが、行きやすい曜日の、その「医師」の日に受診し、先週と同じように、産む意思が無いことをつげ診察してもらいました。診察中にも、その後にもその「医師」は、静かに優しく、笑みを浮かべながら「赤ちゃんは、元気に育ってますよ。しっかり心臓も見えてきました。着床の場所にも問題ないし・・・僕からは、なんとも言って上げられないけどもう一度、ご主人とよくよく相談して来てください。手術するには、まだ少し小さすぎて。きれいに出来ないと後々、あなたの体にもよくありませんから。もう少しだけ待ちましょう。その間、考えてみてください。」と、言われて、帰されました。よくよく考えたくなくてはやくはやくと、思っているのに・・・・もう一度、1週間後に行ったのですがその時は、今の年齢で産むリスクとか、自分が今不安なことを全部相談しましたがすべてにきちっと、返事をしてくださり決して、急がれること無く、診察していただきましたが、「では、来週もう一度来てください」と、この日も私の、最後の言葉が出る前に帰されてしまいました。その「来週」を待つ1週間の間に昨日書いた日記の最後のほうの出来事が起こったのですそして「来週」の日に診察へ行き初めて私も笑顔で「先生、産むことに決めましたよろしくお願いします」と、言えたのでした。先生も、静かに、「それは、よかったそれがいいですね。じゃあ、赤ちゃんが、元気かどうかしっかり診ましょうね」と、言われ初めて、モニターから、赤ちゃんを見る事になりました。うれしくてうれしくてどきどきして・・・・「医師」が「さぁ・・・どうかなぁ~~~~このあたりにいるかなぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・せっかく、決心して来てくれたけれどもう一度家に帰られてご主人と話し合いをして来てくれませんか?」何のこと つづく
2006.09.01
コメント(2)
全17件 (17件中 1-17件目)
1