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「四つの約束:コンパニオンブック」という本を読んでいます。 これは、お友達が良かったと言っていたので、図書館で借りてみました。 借りてから、友達がいいと言ったのは、「四つの約束」のほうで、私が借りたのは、その続編、実践ガイドのような本だということに気づきました。 実践ガイドなので、具体的な例が挙げられて、こういうときに、どういう考え方をしたらいいのか、と詳しく書かれていて、自分も経験あるなあと、うなづくところがありました。 私が心に残ったのは、人の批判や攻撃を個人的に受けとらないということです。 「全ての人は彼ら自身の夢の中に、彼ら自身のマインドの中に 生きている。 彼らは私たちが生きている世界とは全く異なった世界に 生きている。 状況が個人的なもので、他の人たちがあなたを直接侮辱する ときですら、それはあなたとは何の関係もないことなのだ。」 批判がましい上司の下で働いていた著者が、上司についての 見方を変えていったことについても書かれています。 著者は、その上司は、彼女自身の世界で暮らしており、 彼女の自己批判の強さが、自分に向けられていることに 気づきます。 そして、彼女の言葉を個人的に受け取らないようになっていきます。 「彼女が私にとやかく言うときはいつでも、私は自分のその仕事を 見て、自分がベストを尽くしたかどうかにだけ問題にすることに しました。 仮に私がミスを犯しても、自分がベストを尽くしたとわかれば、 それに悩まされることなくそのミスを正しました。 以前なら、私の『裁判官』はいつも彼女の『裁判官』に同意し、 私はその日一日、自分で自分を感情的に責めさいなむことに 費やしていたのです。」 「彼女内部の『裁判官』に同情をもち、私自身の『犠牲者』を 外してしまうことによって、私たちの関係は変容したのです」 なんとなく、状況が理解できました。 批判的な人、人の欠点ばかり指摘する人のそばにいると、 元気がなくなってきます。 私も、個人的に受け取り傷ついていました。 自分は、失敗することもあるし、できないこともある、だけど、 自分のできるかぎりのベストを尽くすし、間違いも正す、 それ以上、自分を責めたりしない。 完璧にする必要も、無理して頑張ることもなく、 ただ、今の状態の自分のベストを尽くす。 相手の言葉を取り込んで、必要以上に、自分を責めるのではなく、 そういう形でやっていけばいいのかも知れません。 相手は相手の世界の言葉を話しているのですから、自分の世界の 言葉として受け取る必要はないのですね。 なるほど、と思いました。**************************** もしあなたが自分は馬鹿ではないと信じ、誰かが「君は馬鹿だ」と 言ったとして、それはあなたに影響を及ぼさないでしょう。 なぜならあなたはその言葉を信じないからです。 「四つの約束コンパニオンブック」ドン・ミゲル・ルイス ************************************ いつも読んでくださり、ありがとうございます。 5月27日から、「ブログマラソン」と称して、毎日更新しようと 決めて、やっと3週間が過ぎました。 都合により、明日から、1週間ほど、お休みします。 また、7月から復活しようと思います。 休んだまま、また、休止にならないように続けるつもりなので、 また、よろしくおねがいします。 かすみ
June 21, 2008
ドラマ「ラストフレンズ」が、昨日、最終回でした。 脚本の方がいいのか、台詞でいいなと思う言葉が多かったです。 言葉コレクター(?)の私としては、見応えのあるドラマでした。 ハッピーエンドで終わったので、ほっとしました。 友情がテーマのこのドラマ、男とか、女とか、関係ないんだなあと、改めて思いました。 同性同士であろうと、男女であろうと、お互いを大切だと思って、互いの人生を支え合って、生きてく。 その形は、世間で言う形、男女が結びついて結婚して、子どもがいて、とかっていうことだけでなく、同性であれ、異性であれ、友達同士が共に生きていってもいいし、二人でなくてももっと大勢で、子どもも一緒に暮らしてもいいし、自由なんだと思います。 また、一緒に生きることだけでなく、別々に暮らしていても、心と心が結びついていて、つながっていれば、それは共に生きることだと思います。 ドラマでは、「絶対見捨てない、何があってもずっと一緒にいる」といった強い友情が描かれています。 何度もその友情が引き裂かれる危機があるのに、絶対手放さないし、諦めないし、思い続けるんですね。 実際にここまでの友情ってあるのか、と思う部分もあるんですが、きっとあるんだと思います。 友達であれ、結婚であれ、大切な人に対して、どうしても「こうあってほしい」と、相手に期待することも起こりがちですが、本当の友達というのは、相手を自由にし好きなようにさせてあげることなのでしょう。 ただ、相手の幸せを願うような。 ドラマで、夫婦の愛も、だんだん友情になっていくんじゃないかという話もありましたが、私もそう思います。 友達であれ、夫婦であれ、最終的には、なにか深い結びつきを求める部分では、違いはないのだと思います。 ドラマの中で、 DVを受けてきた女性が、その男性との子どもを産みます。 男性は死んでしまい、女性は、子どもを一人で産もうするのですが、友達二人は、彼女と子どもと暮らそうと言うのです。 友達が、生まれてきた子供に向けて言う言葉があります。 「よく生まれてきたね。 世の中って悪くないよ。 これから素敵なことがいっぱいある、きっとある」 その子どもには、生まれたときから、父親はいません。 けれど、その子を愛する、三人の大人に見守られて暮らすことになるのです。 「よく生まれてきたね」と言われながら、育つって素晴らしいと思います。 もし、これから、子ども達に接することがあるなら、どんなことを言ってあげたいかなあと考えていました。 「よく生まれてきたね」 「よく今まで生きてきたね」 「よく頑張ってきたね」 「君にはこんな素敵なところがあるよ」 「生きてると、悲しくて泣いちゃうこともあるけど、 うれしくて泣いちゃうようなことだっていっぱいあるんだよ。」 「大丈夫だよ。心配しないでも、最後にはきっとうまくいくから」 そして、自分が、生きることを楽しんでいる大人として、存在していていたいですね。 「生まれてきてよかった」と思いながら生きていたい。 そのことが、子ども達には大切なんだろうと思っています。 人との友情を築くこと、それと同時に、自分自身との友情を築くことも大切だと思っています。 自分が、自分の親友になってあげる、親になってあげる。 そして、「あなたが何をしようと、どんなことがあっても、どんなあなたであろうと、あなたを見捨てないし、守り抜く」そう言ってあげようと思います。 さっきの、子ども達に言ってあげたい言葉は、自分の中の小さな子どもに言ってあげたい言葉でもあります。 友達とうまくいかなくなったり、恋愛がだめになるたびに、「やっぱり、自分は誰からも愛されないんだ」と思ったころもありました。 メルマガがくることだけが人とのつながりと思うぐらいの時もありました。 そのとき、こうした言葉を書いては、部屋に貼っていました。 頭の中で、「お前なんていない方がいい」という声が響いていたので、何とか対抗する必要があったのです。 どん底にいた自分を救いだしてくれたのは、いったい誰だったんだろう。 もちろん、落ち込んだ穴の縁から声をかけてくれた人はいました。 でも、実際にひきあげたのは、自分でした。 「自分」は、「自分」を見捨てなかったのです。 絶対的な親友がこんなに近くにいたんですね。 ***************************よく生まれてきたね。世の中って悪くないよ。 ドラマ「ラストフレンズ」より
June 20, 2008
今年は、「赤毛のアン」誕生から100周年にあたるということで、赤毛のアンについて、いろんなところで取り上げられています。 私は赤毛のアンをアニメで見た世代なんですが、大好きでした。 赤毛のアンの原書を題材にした、英会話のテレビ番組を見て、改めて、赤毛のアンの物語には、いい言葉がいっぱいだなあと思いました。 番組で紹介されていた文章で、素敵だなあと感じたものをいくつか引用して、取り上げたいと思います。 孤児だった、アンは、グリーンゲーブルズのマシュウとマリラのもとに やってきます。 けれど、二人は、畑仕事を手伝ってくれる、男の子を希望していたのです。 アンは、マリラが落胆し困惑しているのを見て、自分が間違って 来たことを知ります。 アンは、その夜、泣きながら眠りにつくのですが、次の朝目覚めたアンは、 こう言うのです。 All sort of mornings are interesting, don't you think? You don't know what's going to happen through the day, and there's so much scope for imagination. 「どんな朝でも、わくわくするわ。 そうでしょう? これからの一日、何が起きるのか誰にもわからないもの。 想像の余地がたっぷりあるわ。」 アンは、いつも一生懸命ですが、とんでもない失敗ばかり 重ねます。 でも、常に楽観的です。 isn't it nice to think that tomorrow is a new day with no mistakes in it yet. 「 明日はまだ何の失敗もない、新しい一日だと思うとうれしいわね。」 アンは成長し、大学に進学する時期をむかえます。 そんなとき、マシュウが突然亡くなってしまいます。 マリラを一人残しておけず、アンは、決まっていた大学進学を諦め、 学校の先生になる道を選びます。 アンは、思います。 人生は見通しのきくまっすぐな道ばかりではない、先の見えない曲がり角が 訪れることもあるのだ、と。 アンは、次のように言います。 Now there is a bound in it. I don't know what lies around the bend, but I'm going to believe that the best does. 「道は、曲がり角に来たの。 曲がったむこうに何があるかわからないけれど、きっとすばらしい世界が あるって信じているわ。」 アンは、幼くして両親と別れるというつらい生い立ちであるのに、 常に人生の明るい面を見ています。 アンは、正直で、思ったことをそのまま口に出し、素直で、空想好きで、 独特の考え方をして、おもしろく、かわいい女の子です。 ドジで、しょっちゅう、失敗ばかりして、でも、後悔したり落ち込んだり しないで、 毎日を楽しんでいます。 自分のことをだめだなんて思わないし、なんでも、いいように受け取ります。 子どもの頃は、あまり深く考えませんでしたが、今思うと、いろんな 教訓がちりばめられていたなあと思います。 私が大好きなシーンは、マシュウが畑仕事で疲れているのを気遣って 「私が男の子だったらよかったのに」と言うアンに、マシュウが こう言う場面です。 「1ダースの男の子より、アンの方がいいよ」 失敗したって、後悔しない。 自分が感じていることを言ってもいいんだ。 悲しいことがあっても、明日はきっと最高のものが待っている。 自分が歩いている道のその先に、どんな素晴らしいものが待っているか 分からない。 アンの物語は、生きることの喜びを、人生の希望を 教えてくれているような気がするのです。 ******************************** 曲がったむこうに何があるかわからないけれど、きっとすばらしい世界が あるって信じているわ。 「赤毛のアン」より
June 19, 2008
ガイアシンフォニー第四番を見ました。 日記でも何度か書いていると思うんですが、私は、ガイアシンフォニーというドキュメンタリー映画が好きで、特にこの四番は、DVDで繰り返し見ています。 私は、「自分が~しよう」とか「自分が~しなければ」とか、頭でいろいろ考えて、それが体がついてこなかったり、感情がのってこないとか、調和がとれないことがあります。 このDVDを見ていて、改めて、こうした「自分が自分が」という気持ちや防御の気持ちをなくし、自然な状態でリラックスして心を開いていることが大事なんだと思いました。 映画のメッセージにあるように、こうした自分を明け渡した状態の時こそ、宇宙のエネルギーのような、大きな力が、自分の中を通ることができるのだということを思いました。 私は私であって、私でない。 私は自分を自分ものだと思っているけれど、この思うようにならない自分が、本当に自分だけのものなのだろうか。 もし、自分の手出しできない、なにかに動かされているとしたら、自分が自分がと力むこともないのではないか。 だから、どんなことがあっても心配しないで、自分のできる範囲のことをして、リラックスしていればいいんだと思いました。 何とかしなきゃと思わなくても、やるだけやって任せておけばいい。 自分の選んだことに対して、疑わなくていい。 大丈夫、一番いい場所へ運ばれていくから。 そんなことが浮かびました。 映画の出演者、ジェリー・ロペスが、サーフィンや海について語るのですが、人生についても深いメッセージを感じます。 自然の美しさ、自然の脅威について、語るとき、自分も自然の一部ということを忘れがちです。 ある時は恵みをもたらし、ある時は災害をもたらす、そんな自然を畏れ敬うように、人間である自分も、自分にはどうすることのできない手の届かない部分もあり、それを含めて敬う態度をもつことも必要なのではないかと思うのです。*****************************私はいつも、海の力の一部になりたいって願っています。大自然の力は決して対抗できるものではない。唯一許される道は共に歩むことです。対抗しようとすれば必ず結果は悲惨なことになる。共に歩む・・そうすればどこかに道が開ける ジェリー・ロペス(サーファー)
June 18, 2008
映画「JUNO」を見ました。 ちょっと変わった16歳の女の子ジュノが、予想外の妊娠という事態に直面し、彼女なりのやり方で乗り越えていきます。 彼女は、表面では、からっとしていながらも、内心、傷ついたり悩んだりしてします。 彼女は、このことを通して、いろんな事を考え、本当に大事なものを見つけていくのです。 主人公ジュノは、率直でストレートな言葉や行動で、問題に立ち向かっていきます。 それを支える友達、家族の存在も、さりげなくて、あたたかい気持ちになりました。 苦しいときには、本当のことが見えてくるんですね。 人生で大事なことは何なのか、誰が自分を大切に思ってくれているのか、自分にとって大切なものは何なのか、大切な人は誰なのか。 ジュノが、人を信頼できなくなってしまったと感じたとき、お父さんが彼女に言います。 「何よりも大事なことは、ありのままのお前を愛する人を見つけることだよ」と。 映画の最初のあたりは、突拍子もないジュノの言葉に戸惑いましたが、あとになってじわじわと効いてくる、いい映画でした。 人生の危機を通り抜けると、本当の人生が始まる。 ジュノを見ていて、正直さとか、ありのままでいることとか、いろんなことを考えました。 そのままの自分でまわりの人たちにぶつかっていって、それだからこそ愛されるんだなあと、なんだか、ふっと気持ちが軽くなりました。********************************************愛してくれる人が、私の王様なのよ。 映画「マイ・フェア・レディ」より
June 17, 2008
本屋で何気なく手にした本を買ってしまうとき、出会いだなあと感じます。 「幸福の迷宮」、この本も何となく買ってしまった本です。 立ち読みをしているうちに、いいなと思う一文があったので、別れがたくなってしまいました。 ぱっとしない毎日を送り、仕事もクビになってしまった女性が、絶望感にうちひしがれて、ある森に入ってしまい、そこから奇妙な冒険が始まります。 その女性は、幸せとはなにかということに、冒険を通して、気づくのです。 人生についてのお話というだけでなく、物語としても楽しめました。 私がはっとした一文というのは、 「恐怖は必要なものを見つけるための手段」という言葉でした。 「心配事が何かあったとしたら、その陰には、僕らが探し回っている 宝が眠っているということさ」 「まずは恐怖の扉を見つけなきゃ。その扉が、君が心の中で望んでいるものの ところへ続いているのだからね」 ちょうど、そのとき、心配事があったのですが、不安を感じるということは、自分がそのことを望んでいるということなんだ、そこに何か自分が欲しいものがあるからなんだ、と気づきました。*****************************************幸せとは、選ぶことを恐れず生きること 「幸福の迷宮」アレックス・ロビラ フランセスク・ミラージェス著 より
June 16, 2008
今日は、人を信じるということについて、ふと考えたのですが、そこで、少し前に読んだ「ハッピーバースデー」という本を思い出しました。 ベストセラーにもなったこともある同名の本の、コミック版です。 小学生の女の子あすかは、お母さんが自分のことを「生まなきゃよかった」と言っているのを聞いて、ショックで口がきけなくなってしまいます。 学校を休んで母方の祖父母の元で暮らすことになったあすかは、祖父母の愛情や自然に包まれて暮らすうちに、心が癒されていきます。 そして、お母さんがなぜ自分を愛せなかったのか、お母さんの子ども時代の苦しみを理解するようになっていきます。 私が心に残った場面は、外で過ごしていた、あすかが、ミツバチを怖がって逃げ回っていたときに、おじいさんが、あすかに対して言った言葉でした。 「あすかのように、じたばたしていたら、はちも警戒するだろうよ。 攻撃されたと思って反撃してくるぞ。 怖いと思ったときは、静かに相手の出方を見る方がいい。 まずは、相手を信じてみることだ。」 「いいか、あすか。 自分のがわから見ているだけでは、物事の真理を 見落とすぞ。」 あすかは、その言葉から、自分と母親との関係を振り返ります。 母親に愛されたくて、傷つきたくなくて、自分の本当の姿をださずにいた、自分。 自分は、「ママを本当に信じていなかった」と気づくのです。 人に隠れて涙を流す、あすかに、おじいちゃんは、こう言います。 「感情を殺すことは、生きるエネルギーをなくしてしまうことだよ。 じいちゃんがしっかり受け止めてやるから。 だから、安心して本当のあすかを出してごらん」 あすかは、人を信じて、自分らしく振る舞うようになってきます。 言葉が出なくなるほどの哀しみって、なかなか経験することはないかもしれませんが、彼女だけじゃなく、ある傷つく経験をきっかけにして、心を閉ざし、自分を出さないようにすることってあるような気がします。 赤ちゃんとか、小さな子どもを見ていると、本当にすべてを信頼しているんだなあと思います。 大人になると、あんなふうに心をオープンにすることは難しいかも知れません。 でも、不安に思うときほど、怖いときほど、信じることができれば、その局面を乗り越える大きな力になる気がします。 相手を信じること、そのことが、自分を信じる事へもつながる気がしています。 ****************************相手が信頼できる人かどうかより自分に相手を信頼できる勇気があるかどうか 福島正伸
June 15, 2008
「ほっとする老子のことば」(加島祥造著)を読んでいます。 この本の中で、加島さんは、老子の書を紹介しながら、どうやって生きていったら、静かに心安らかに生きられるかを書かれています。 私は、加島さんの考え方に、とても惹かれます。 加島さんは、自然のエネルギー、宇宙のエネルギーが、人の体の中に流れていて、それにしたがって、その働きに任せて生きていくことが、大切なんだとそう言われています。 大きな流れに沿って、ゆったりと生きていこうじゃないか。 そんなメッセージを感じるのです。 老子の書の中から。 「まわりの人たちがあれこれ言ったって、 気にしなきゃいいんだ。 台風は上陸したって半日で過ぎ去る。 大雨はいくら降っても二日とは続かない。 大自然でさえこの程度なんだ。 人間関係の騒ぎなんて 気にすることはないのさ」(老子道徳経二十三章)「静けさと平和、 この二つを得るには、 今の自分の持つものに満足することだよ。 人に何か求めないで、 これで十分だと思う人は ゆったり世の中を眺めて、 自分の人生を 長く保ってゆけるのさ」(老子道徳経四十四章) 人間関係の気持ちの行き違い、自分の欲望、人に認められたいという思い、心の中がざわざわするのはそんな時ではないでしょうか。 そういうときに、自然に目を向ける、自然の大きさや調和した美しさを見ることが一瞬でも心が静まる、と加島さんは言っています。 そして、外に何かを求めるのではなく、自分を見つめてみる、自分の心の中を見つめ、自分の中に何かを発見したり、自分一人で密かに喜べる人になれることが大事だ、と。 「一人で喜ぶ、一人で楽しむ」そのことは、私自身探し求めてきたことです。 人は、誰かに認められたい生き物です。 特に、自分はそうなんですが、小さな子どものうちから、人は誰かに認めてもらいたいのです。 そして、人の持っているものが欲しくなります。 ひとりの子どもが、公園の砂場で遊んでいて、お母さんは少し離れた所にいるとき、たいていの子どもは、しばらく遊ぶと「ママ、見てー」って言います。 砂場に他の子がやってきて、おもちゃで遊び始めると、自分もそのおもちゃで遊びたくなります。 一人で楽しく遊んでいればいいのに、どうしても、まわりの人にとらわれます。 本当に、自分で一人で楽しめるようになったら、心が静かになっていくだろうなと思っています。 誰かにすごいねと誉めてもらうことを求めず、誰かと比較することなく、一人で遊び、一人で幸せをかみしめること、自由を楽しむこと、そんなことを考えています。 欲望を抑えることは、難しいことですが、心地の良い、バランスをとって、生きられたらと思います。 老子の思想、タオイズム。 あまり知らないのですが、自分がずっと求めてきたもの、自然とつながって心静かに安らかに生きる生き方のヒントがありそうで、興味を持っています。*****************************まずひとり密かに喜ぶこと。ーそれは静けさと平和をあなたにもたらす。 「ほっとする老子のことば」加島祥造画・文
June 14, 2008
「偶然のチカラ」という本を読みました。 運がいいとか、悪いとかという、運とは何なんでしょうか。 運良く、とか、偶然に、~した、~が起こったなどと言うけれど、偶然って何なのでしょうか。 この頃、ありがとうと言うと運が良くなるとか、掃除をすると運が良くなるとか、いろんなことが言われますが、運を良くするにはどうしたらいいのでしょうか。 自分がそういうことが気になっていたこともあり、この本のテーマの「偶然」というものについて、興味があり、読み始めました。 あまりよく分からないところもあり、飛ばし飛ばし読みましたが、気づきもありました。 私の心に残ったのは、誰にでも、いいことも、悪いことも同じだけ起こっていて、いいことも、悪いことも連鎖して起こっている、ということでした。 いいことは、見えにくく、悪いことは見えやすいし、印象に残りやすいので、悪いことの時は、つながりがよく見えるということです。 そして、すべてのことは、つながっていて、必然なのだから、ありのままに受け止めることが大切であると書かれています。 ああすれば良かったとか、思うのでなく、長い目で見ていけば、必要で起こっているのだと考えるのです。 そして、起こってくることは、自分でコントロールはできないけれど、いいことを意識して、悪いつながりを切っていくことで良い流れにのれるようになるといいます。 では、悪い流れを切るには、どうすればいいのか。 調子の悪い時って、いろんな嫌なことが重なると思うのですが、一番気がかりな大きな問題ではなく、小さなことから、手をつけることが大事なのだといいます。 気が重くなるときというのは、たぶん、ひとつではないと思うんですね、原因は。 私の例を出します。 私は、今日は、ただでさえ調子が悪いなあと思っているところに、風邪をひいてしまい、今日に限って、夜にお友達と出かける約束があって、無理して出かけたら、出かけた先でトラブルがあって・・・という具合です。 憂鬱な気分で帰宅する途中、この本のことを思い出しました。 まずは、このことは必然だったと考えよう。 こういう体験をし、こういう気分になる必要があったのだ、と。 テレビドラマで、会社で叱られて、やけ酒飲んでたら、運命の人に、出会う、みたいなもので、ひとつの嫌なエピソードをはぶいたら、そのストーリーは展開しなくなってしまう。 まずは、そのことが必要だったと考える。 次に、いいことを意識して、嫌な流れを断ち切ります。 帰り道、夜風の気持ちよさや、田んぼのそばを歩くので、蛙の声のおもしろさを意識します。 帰ってからは、夫と過ごす時間の楽しさを強く意識します。 好きなジュースを飲みます。 だんだん、憂鬱気分は収まってきました。 嫌なことは、ほっておいても意識されます。 人間は、自分を守る、自己保存の本能があるから、自分を脅かされたり、不安を感じることには、注意が向くようになってるんですね。 ただ、自分を守るための方法も、度が過ぎると、心の中は、嫌なことがいっぱいになって、嫌なことの流れを作ってしまいます。 だから、あえて、意識して、楽しいこといいことを考えるように、するようにしていくことで、バランスがとれてくるのでしょう。 思うようにならなかったことばかり反芻する自分をほっておけば、どんどん憂鬱感が増してきます。 そこを断ち切る方向で、楽しかったことを繰り返し思い出すか、今現在の幸せを意識するか、自分がうれしいとか、気持ちがいいと思える行動をするか、切り替えることが、大事なんですね。 著者は、身の回りに起きるいいことを見えやすいようにすること、いいことのつながりを意識することが大事だと書いています。 気分を切り替えるということは誰でもやっていることなのかもしれませんが、実際に、自分ができてるかというと、いつもでできているわけではなかったですね。 そして、気がかりなことは、小さなことから手をつけることで、絡まって糸がほぐれるように、互いに何の関連もないと思えることでも、小さなことがほぐれると大きなところもほぐれてくるのです。 気がかりなことで小さなこと。 かけなければいけないと思っていた電話をかけるとか、家の中の壊れている所を直すとか、「あとでもいいや」と思っていたような小さなことから、手をつけていきます。 私の場合なら、急ぎではないけれど、連絡しなければいけない電話をかけました。 それで、断ち切れたかどうか分かりませんが、多少気分は良くなってきました。 本の中には、こんなことも書いてありました。 人生の中で、幸運も不運も5%ずつで、残りの90%は普通(良くも悪くもない状態)だといいます。 そのとき、良くも悪くもない普通の状態を、つつがなくすぎているのだから、感謝すべきことで、それも「幸運」という部分にいれてしまうと、「幸運」が増えるというわけです。 5%の不運に目を向けて、不幸だとするか、5%の幸運にさらに、90%の普通を足して、自分はいつも運がいいと考えるか、その人の選択に任されているわけです。 いい流れを作るためには、自分の身に起こることに対してすべては必然であり、なるようになるのだと受け入れることから始め(ゆだねる)、心配事は手をつけやすいところから解決して(悪い流れを切る)、いいことを強く意識し、普通を幸運と考えること(いい流れを作る)が大切なのでしょう。 ****************************************勝ったつもりでいても、いつの間にかとんでもない悲惨な状況に陥ってしまうことだってあるし、負けたはずが、いつのまにかすべてが好転して、自分でも想像がつかない恵まれた状況になっていることだってある。 自分が良くない状況におかれているときは、負けを認めて、あまり事を大きくしないことである。ただひたすらじっと堪え忍ぶことも必要なのだ。世の中にはどうにもならないことがいくらでも存在しているからである。 「偶然のチカラ」植島啓司著より
June 13, 2008

今日は、「神へ帰る」という本をぱらぱら見ていたら、こんな言葉が目に入りました。 「楽しい人生を生きなさい。 人生は楽しむためにある。」 そのことは分かっているはずなのに、ついつい、深刻に考えてしまします。 人生は楽しむためにある。 今日は、何をして自分を喜ばせてあげようか。 今日は、どんな時間を作って自分を感動させてあげようか。 そんなふうに考えて生きていけたらなあと思いました。 今日は、梅宮大社というところへ、あじさいや菖蒲を見にでかけてきました。 そんなに大きくない、お庭なんですが、池があってお花がいっぱいで、鳥もいて、鯉もいて、トンボもいて、おもしろかったです。 あんまりきれいなので、写真も撮りすぎてしました。 どうして、この花は、こんな形をしているのか、どうしてこんな色をしているのか、どうして咲くのか。 不思議です。 風に吹かれながら、お庭を歩くのは、最高に気持ちが良かったです。 ******************************楽しんで生きなさい。 「神へ帰る」ニール・ドナルド・ウォルシュ著より
June 12, 2008
「あくせくするな ゆっくり生きよう!」という本を読みました。 副題が、「人生に不満を持たない生き方」ということで、心満たされて生きるために、何かヒントが得られそうな気がして、この本を手に取りましたが、うなづくところがありました。 私が印象に残ったのは、問題をあわてて解決しようとするのではなく、その状況をそのままにしておいて、答えが自分の中からわいてくるのを待てばいいということでした。 何か状況や人との関わりで、困ったことがあるとします。 または、二つの選択肢から、決断をしないといけないとします。 普通は、それをすぐ解決して、晴れやかな気分になりたいので、解決、解消する方法を探します。 情報を仕入れたり、分析したり、ああでもない、こうでもないといろんなことを考えます。 考えれば考えるほど、不安になったり、解決しないことにイライラします。 そして、そのことにとらわれるあまり、より苦痛な状況に、なってしまうこともあります。 著者は、その状況を受け入れ、解決を望むことが大切であり、そのあとは、解決を急がずに、そのままにしておくことをすすめます。 そのことを「シチュー鍋で煮込む」ことに例えています。 自分の感情がはっきりしてくるまで、問題をシチュー鍋にいれて、煮込んでおけばいいといいます。 ふたを途中で開けてはいけない。 時間がたてば、いい具合に煮えている(答えが出てくる)というのです。 さらに、著者は、思考、自分の考え方が苦しみを作りだしていると言っています。 人や、状況のせいではない、と。 手に入れることができないものを求めて、これがないと幸せになれない、これを手に入れないと安心できない、状況がこうならないと嫌だ、とそう思ったときから、不幸が始まるのかもしれません。 ストレスの原因を外に求めて、それを変えようとしても、そう簡単には変わりません。 苦しいのは、解決しなければならない問題があるのではなく、自分の考え方をチェックする必要があるという合図なのかもしれません。 感情に注意してその都度、軌道修正していけばいいのだとこの本は言っています。 問題が未解決のままでも、今この瞬間の喜びに目を向ければ、本当に時間が解決してくれるのか、幸せを感じて生きられるのか、自分の生活の中で、実験してみたいと思います。 問題が頭に浮かんでも、それ以上考えないでやり過ごすというのは、私にとっては、なかなか難易度が高いのですが・・・・。 **************************************すべては思考から始まる。「ケイったら、あんなこと言わなくてもいいのに」。さて、こういう考えが浮かんだとき、あなたがとりうる道は二つある。ちょっとした思いつきだと考えて気にかけないか、この考えを重視し、大ごとにするかである。 「あくせくするな ゆっくり生きよう!」 リチャード・カールソン / ジョセフ・ベイリー著
June 11, 2008
映画「NANA」をテレビで見ました。 対照的な性格の二人の女の子が、先の見えない生活の中で、互いに支え合いながら懸命に生きる姿に、心うたれました。 自信がなくて、愛されたくて、恋人がすべての、依存的な女の子とボーカリストとして、歌で食べていくことを目指す、自立した女の子。 まったく違う二人が、ひょんなことから同居し、互いのありのままを受け入れ、相手の弱さを支えながら、友情を深めていきます。 映画の中で、「この私にふさわしい場所なんて、この世にあるのかな」というセリフがありました。 恋人中心に生きてきたのに、それもうまくいかず、仕事もうまくいかない。 居場所がない。 自分でなければいけないような、必要とされる場所が欲しい。 そんな時、主人公の一人の女の子がつぶやくセリフです。 人生の中で、この扉も閉まってる、こっち行こうとしたら、こっちの扉も開かない、行き場がないという、そんな閉塞感に苦しむときってあると思います。 苦しいときというのは、一度にいろんなことが来るような気がします。 こっちもダメ、あっちもダメ、もうダメだ・・・。 でも、不思議なことに、そのあと、突然、何の苦労もなく、バンと目の前の扉が開く。 今まで想像もしていない世界が開く。 そんなことがある気がします。 だから、本当に人生って分からないと思います。 この映画の中では、友達を大切に思う気持ち、友達の幸せを願う気持ちが彼女の扉を開いていきます。 何をやっても思い通りにいかない、どこにも居場所がない、と嘆いていた彼女は、思いもしなかった夢が叶うのです。 「イリュージョン」という本の中で、リチャード・バックの次のような言葉が紹介されています。 「人間が本当に愛するものを見つけるのはとても大変なことで、それがすべて、要するに人生の中心だと思うね。 一生かかっても、ついにそれが見つからない人も多いと思うんだよ。 だけど、ドアが閉まっていても、いつかは絶対に自分の好きなものが見つけられると、そういうふうに導かれているんだと信じることだね。 だいたいは、どこもかしこもしまっていると、絶望的になっちゃうんだよ。 だけど、あっちこっち叩いているうちに、どこかのドアがポンと開くと思うんだね。 その開いたドアが、自分の一番求めている、愛するものへの道だと、とりあえず信じるんだよ。 そこに入る、またドアが全部閉まっている。 必死になって叩くと、またひとつだけドアが開く。 そういうところをひとつずつ通過しているうちに、いつか、ものすごい光が自分の中に出てくるはずなんだよ」 「人間が学校というフェンスを出ると、そこは、ドランゴンワールド(現実の、悪意に満ちた世界)なわけだ。 地球上には三十億だか、四十億だかの人間がいて、お前はその三十億プラス一の余り者に過ぎない、お前のことなんか誰も関心を持っていやしない、生きていようと死のうと、こっちの知ったことか、みたいな扱いを受けることになる。 ある人間がだめになるというのは、そういうことなんだよ。 どうやってそれに対抗するかと言ったら、やっぱり自分の歌を歌い続けることだと思うね。 『うるせえ、おまえのその変な歌をやめねえと張り倒すぞ』と何か言われて、それでだめになっちゃうことだってあるけど、張り倒されても、まだ、歌い続けることだ。 もちろん、ドラゴン・ワールドにあっては、明日の飯代をどうしよう、今日の部屋代をどうしようなんていうわずらいもある。 それはしようがないから、思いわずらい、駆けずり回りながら、でも、自分の歌だけは歌い続けるわけだ。」 ドアを叩き続け、自分の歌を歌い続ける。 自分を信じ、自分の人生を信じ、それをし続けられるか、世界への信頼を持ち続けられるか。 こういう時代にあって、自分はどう生きていくのか。 いろいろ考えています。 ***********************************やっぱり、自分の歌を歌い続けることだと思うね。 リチャード・バック
June 10, 2008
今日は、いろいろ気持ちが落ち込むことがあり、元気が出なかったんですが、そんな自分のままでも私には幸せがあります。 私の大好きなことは、木々や花など、自然の中にいることです。 緑の多い公園や近くの河原を歩くのが至福の喜びです。 風を感じるのも、古びたベンチに腰掛けてノートを広げて文章を書くのも好きです。 木々の葉が揺れるのを見るのが好きだし、葉っぱに水玉がのっているのを見るのも楽しみです。 お花を見つけると、顔を近づけてみます。 今の時期なら、あじさいが素敵です。淡い色から、濃い色、大きな花から、小さなお花のあじさい、種類がいろいろで飽きません。 鳥の声を聞くと胸が躍ります。 生きる喜びを体全体で表現している気がします。 鳥の羽ばたく羽音も聞くのも、鳥たちが空に向かって飛んでいくところを見るのも好きです。 昨日、今日は、二日連続で、お気に入りの公園へ行けたので、うれしかったです。 私の心の中は、時に、こうすればよかった、ああすればよかったという後悔や、不満や不平がいっぱいあって、なかなか収まらないこともありますが、自然の中にいると、だんだんと、心が静まってきます。 それでもいいじゃないか、これでもいいじゃないか。 そんなおおらかな気持ちになっていきます。 また、家に帰ると、戻っていたりしますが、その瞬間だけは、本来に自分に戻っています。 日々の生活の中で、ラッキーと思ったり、運が悪いと思ったり、こうなればいいのに(そうじゃない)・・と思ってがっかりしたり、いろんな思いが浮かんできますが、でも、いつかはそうした感情も消え去ります。 一つのことに、とらわれることもあるんですが、私の場合、やり過ごすしかないんですね。 何か、一瞬で消える方法があればいいのですけど。 やり過ごし方として、人それぞれあると思いますが、私は、おいしいものを食べたり、自然にふれることが一番です。 こんなふうに書くと、よい考え方や言葉などブログで書いててても実践できてないじゃないかと怒られそうですが、本当にしんどいときは、よい言葉や理屈だけではどうにもならないこともあります。 自分は、ということですが、幸せを感じたり、自分の生活が楽しいなと思ったすぐあとに、もう、不満が出てきます。 例えば、公園でベンチに座っていても、きれいだなあと思って景色を見ていますが、ふと、向こうに建物があるのが目に入ります。 あの建物がなければ、もっといいのに、残念だ。 そんなことを思ったりするのです。 もし、今ないものを手に入れたとしても、たぶん、また、そこに不満を見つけるかも知れません。 だったら、今この瞬間、幸せに感じることをすることが大切だと思うのです。 今のまま、幸せと感じる時間を増やしていく、今の私には、それがいいなあと思います。 実は、私、今日誕生日でした。 体調がすっきりしないこともあり、あまり元気がなかったんですが、夫とささやかですがお祝いしました。 あとではなく、今、できることから、自分が幸せだと思う瞬間を作っていく。そう思っています。 言葉だけでは楽になれない、そう書きながらも、またまた、言葉を紹介します。 誰か、必要な人に届きますように、と祈りながら。********************************文句を言っている暇などないの目の前の幸せを精一杯味わうことよ ターシャ・テューダー
June 9, 2008
本田健さんの「きっとよくなる 2」という本に次のようなことが書いてありました。 「がんばれないときは、ひきこもろう」 本田さんは、十年近く前、どれだけがんばろうと思っても、体が動かなくなってしまったといいます。 表向きは育児セミリタイアということにしていたものの、今までの人生に疲れ切っていたといいます。 それで、これを機会に人生についてゆっくり考えることにしたのです。 それは、五年間にわたりました。 本田さんが、育児リタイア生活で勇気をもらった本が、「三年寝太郎」だそうです。 三年寝たきりで何もしない男が、目覚めたあとで大活躍する童話です。 本田さんは、「一生社会に出られないかもしれない」という不安を感じながら、きっと出て行くタイミングがあると信じて、過ごされていたようです。 本田さんは、その時期のことをこう振り返ります。 「私にとって五年間の引きこもり生活は、自分と向き合う貴重な時間に なりました。 そこから、本当に大切なものを中心にして生きることを 学んだように思います。」 そして、引きこもりといわれる人たちに、こう伝えたい、と。 「十分だと感じられるまで引きこもるという選択肢を自分に与えて欲しい。」 経済的に可能なら、貴重な時間になる、と。 二週間ですっきする人もいれば、十年かかる人もいるかも知れない、 その人それぞれのペースがあっていいのだと、彼はいいます。 本田さんが、子育ては今の時期しかできないから、好んで育児をしているのだと思っていたので、へえそうだったんだ、と思いました。 ひきこもりを積極的にとらえること、大事だと思います。 ひきこもったって、お金はもらえないし、誰もほめてくれません。 誰もそこに大きな価値があるとは言ってくれないわけです。 私は、ひきこもり、だいぶ長いです。 この頃は、ワークショップも開催していませんし、人前で話をする機会もなく、過ぎていきます。 焦るときもあります。 けれど、安心してひきこもりのできる状況、環境を自分に与えることって大切だと思うのです。 それは、自分で自分に与えるのです。 責めてるのは誰かではなくて、自分だからです。 ひきこもって、自分と向き合うことで、自分を作っているのです。 これからどういう指針で生きていくのか、何を中心にして生きていくのか、この人生で何をするのか、自分だけのバイブルを作っているような感じかも知れません。 人の考えを鵜呑みにするのではなく、自分オリジナルの考えで、自分の言葉で語れるように、「自分」という学校に通っているのかもしれません。 ある哲学者が、一人ひとりの心には大きな価値がある、と話していました。 ひとりひとりが独自の感じ方、考え方をすること、本来の自分に戻ること、そのことは、大きな価値があるのだと思っています。 人と接したり、組織の中で学ぶこともたくさんあると思いますが、それと同じように、一人で学ぶこともたくさんあるのだと思うのです。*******************************がんばれないとき、つらくなったときは、引きこもりましょう。その静かな繭の中で、自分の世界を築いていけばいいのです。その経験はきっと、あなたしか表現できない独自の世界を作るよい栄養素となることでしょう。 本田健「きっとよくなる2」
June 8, 2008
先日、「ルノワール+ルノワール展」を見てきました。 画家ルノワールと、その息子の映画監督ジャン・ルノワールとの共通性など、絵と映画とを平行して展示してあります。(映画も数分ですが、壁に映されています) 画家ルノワールの、光がきれいにあたって輝く女性の絵など言い尽くせないほど美しかったです。 また、二人とも、自然の美しさ、女性の輝き、生きる喜び、色彩の美しさなどを表現し、やはり、共通するところが多かったです。 ただ、私は、父親と息子とのもっと深い部分の葛藤や関係性も見たかったので、ただ、父親の与えた影響の光の部分だけが強調されている気がして、その点においては、少し物足りなく思いました。 会場を出たあと、心にいつまでも残ったのは、ジャンの映画でした。 会場の中のある部屋で、一日、何作かジャン・ルノワールの映画が上映されていました。 私は、「ルノワール小劇場」という短編4作を見ました。 情けないが愛すべき人間模様を皮肉ったような作品があったかと思うと、ジャン・ルノワール自身(作った当時70歳を超えていた)の老いと成熟について描いたと思われるような作品もありました。 私が心に残った作品は、リタイアしていると思われる、年老いた男性が主人公です。(話の筋を完全に書きますので、これからみられる方はみない方がいいかもしれません) 恰幅の良いその男性は、陽気で、仲間達と街でペタンクというスポーツに興じたりしながら、20歳以上は年が離れているであろう、若く美しい妻と仲良く暮らしています。 ある日、妻のかわいがっていた犬が、のどに骨が引っかかり、村に来たばかりの医師が家にやってきます。 夫婦は、その医師と意気投合して、家族ぐるみで仲良く、過ごすようになります。 よくあることですが、妻とその医師は惹かれあいます。 二人が愛し合っているときに、主人公の男性が帰ってきてしまいます。 けれど、男性は、その事実を知っても、その部屋を開けることができず、黙って外に出て行きます。 男性は、泣きながら、ふらふらと歩いていきます。 年老いた彼が、妻の裏切りに、泣きながら歩く姿は、胸を突かれました。 村の人に、そのことは知られてしまい、彼は、ますますつらい立場に立たされます。 けれど、彼は、苦しむ医師を許し妻を許し、三人は以前と同じように、仲良く過ごし、三人で村の中心まで出かけていくのです。 うわさになっているので、みんなが白い目で見ているのですが、気にしません。 友達がうっかり、そのことを口にしてしまって、みんながどっと笑っても、彼は、一緒になって楽しく笑いながら、今まで通り、ペタンクを楽しむのです。 彼は、昼間から遊んでいることを人から「怠け者」と言われても意に介せず、怠惰こそ素晴らしい、といったようなことを言ったり、三人で仲良くすることに関して、常識なんて関係ない、と言い放ちます。 この主人公は、ジャンの姿なのかも知れません。 年をとっても、傷つきやすさは若い頃と一緒で、さらに、年を重ねた者ゆえの、哀しみがある。 でも、若い者ではまねできない、大きさ、寛容さを持つことができる、そんなことを思いました。 今日のタイトル、成熟についてですが、少し前に、哲学者鷲田清一さんが次のようなことを言っていました。 「人間って、年いったら自分が分かってくるかというとそうじゃなしに、 ますます分からなくなる。 『おれって結局、何なんや』『生きててええんやろうか』と問い続ける。 悩む。迷う。葛藤がある。」 「葛藤って普通、否定的に語られるでしょ。 何もかも分かりきることが、人間の成熟であるかのように。 『悟る』とか。 僕は逆やと思ってて。 『これもそうやけどあれも一理ある』と、対立する考え方を許容できる、 それが成熟やと。 葛藤を丸ごと抱え込めるのが、本当の成熟やと思うの。」 私は納得しました。 年をとったら、もう少し、心穏やかになったり、自分なりの答えを見つけられるのかなあと期待してたのですが、うーんそうなのかあと思いました。 それでも、この二つは、大事なことだなあと思いました。 葛藤を持ったままでいい。 葛藤を持つ自分を抱え込める自分になること。 自分にとって、心地よいとか嫌だとかが、あるだけで、どちらかが正しいとか、 間違っているとか、どっちが良くて どっちが悪いはないのだということ。 どんなふうに年を重ねていくのか、いろんな人の生き方を参考にしていきたいと思っています。**************************************「自分は居ないより居た方がいいんやろうか」という思いが、僕にはずっとある。 鷲田清一
June 7, 2008
スイスの画家、アンカー展を見てきました。 アルベール・アンカーは、19世紀のスイスで人気のあった画家です。 彼は、故郷の村の、子ども達や老人たちを中心に、村の生活の穏やかな日常を描き続けました。 子ども達が、みんなで楽しく遊んでいる場面であったり、幼い子どもがいっしょうけんめいスプーンを使って食事をしている場面であったり、猫を抱いた子どもの満ち足りた表情であったり、見ていてほっとする場面ばかりです。 私が好きなのは、おじいさんが孫をだっこしながら一緒に眠ってしまっている場面と、暖炉の火を囲んでおじいさんと孫達が静かな時間を過ごしているところです。(絵そのものを紹介できないので、わかりにくいですね) おじいさんやおばあさんと孫、というのは、本当に穏やかな愛情でつながっている気がして、心があたたまります。 アンカーは、次のように言っていたそうです。 「家に帰って暖かい部屋にいることほど幸せなことはない」と。 たぶん、実際の村での生活は穏やかな瞬間ばかりではないでしょう。 アンカーの描いた村の様子は、ほとんどが、幸せにあふれていました。 彼が、安心感や安らぎを求めていたからなのでしょう。 そして、静かで暖かな時間や空間、愛にあふれた瞬間をとらえ、その感動や喜びを描いていたのではないかと思います。 芸術家は、生活の中の幸せな瞬間を切り取ったり、人が美と見なさないものに、美を見いだしたり、逆に、生きる苦しみ、自分の内的葛藤を表したり、いろんな表現の仕方があるなあと思います。 例えば、以前、ムンク展に行ったんですが、ムンクなんかは、自分の生きる苦しみ、死への不安、女性関係の悩みなど、あからさまに描いています。 そんな彼も、最終的には、生きるために働く者の力強さ、自然の美へと関心が移って、生きる喜びを大きなスケールで表現するようになっていきます。 ムンクは、次のように言っています。 「命とは、一体何なのか、私の作品を見た人が自らの生を明らかにする 助けになれば本望である」 彼は、生きるとはどういうことなのか、生や死とは何なのか、常に探求し続けたのでしょう。 彼の絵は、ときに、不安を呼び起こしたり、気持ちが悪く感じられるものもありました。 けれど、彼の人生を知り流れを追って見ていくと、とても、素直な表現であり、大切なプロセスであるのだと納得しました。 彼の率直な表現が、同じように不安に苦しんでいる状態の人を癒すのかも知れません。 私の好きな画家、堀文子さんは、誰が見ても美しい風景や花などを描くだけでなく、ミジンコを顕微鏡で見てその美しさを表現したり、虫に食われたり破れてしまった落ち葉に、美を見いだします。 彼女は、直接的に生きる苦しみを描きはしませんが、たぶん、その苦しみを美へと変えていってしまうのでしょう。 いつも、驚いていたい、感動していたいと彼女は言います。 その人それぞれの、人生への向かい方が表現されているような気がしています。 それぞれの芸術家が、表現するもの。 どれがいいとかではなく、それを必要とする人のもとに届くことで人の癒しになるのではないかと思います。 私自身は、堀文子さんのように、生きるなかで美を発見し、苦しみを美しいものに変えて、表現してきたいと思うのですが、まだまだですね。 アンカー展で、私は何とも言えず、あたたかい気持ちになりました。 それは、私自身が、安心感や安らぎを求めていたからではないかと思います。 美術館へ行くと、いいなあと思ったり、好きじゃないなあと思ったり、いろんなことがありますが、そのときの自分が求めているものに気づかせてくれることもあり、この頃は、できるだけ足を運んでいます。 芸術家の生き方について、深く共感するところがあり、憧れますね。 ************************************今、私は『老子』の『無為』や『自然(じねん)』という言葉にひかれる。老子はまた、一番優れた者は『柔弱』だという。美はやわらかく弱いものではないかと、今の私は確信しています。 堀文子 (日経新聞2008 4 10付より)
June 6, 2008
日経新聞に、プロレスラー、ジャガー横田さんのお話が出ていました。 42歳で7歳年下の男性と結婚、45歳で出産ということで、話題を呼び、バラエティなどでテレビに出ています。 今まで、なんとなく、面白い夫婦だなあとしか思っていなかったんですが、横田さんのお話の中から、いいなあと思う言葉があったので、書いてみることにします。 横田さんは、結婚後に、子宮筋腫が見つかり、子どもはできないと医師から言われます。 それでも、妊娠にチャレンジします。 一度目の体外受精で失敗して、落ち込んで夫に電話をかけます。 すると、夫は「着床し始めていた、よかったね」と言ってくれ、気持ちが楽になったといいます。 横田さんは次のように思います 「妊娠しなくても夫と一緒に努力した事実を残すだけでいい。」 そう開き直ったら、いつの間にか妊娠したのだそうです。 「とにかく今できることを全力でやってみる。 それが大切なのでは・・・・」と横田さんは言います。 自分が人生の中で、これだけは、と思うことがあれば、とりあえずやってみるのがいいんだろうなあと思います。 若いときは、チャレンジしますが、だんだん結果が思うようにならないことを繰り返すと、やっても仕方ないと思ってしまいます。 これ以上失望したくないという、恐れの気持ちがでてきます。 なんにもしなければ、時間やお金も使わないし、後悔もしないし、傷つかないのですから。 そんなとき、「結果がどうであれ、自分が望む方向に向かって努力したという事実は残るんだ」と思えば、気が楽になるかも知れないなあと思います。 他の人には結果しか見えない。 でも、自分には分かっている。 自分がどんな思いで、そして、何を望んで、それをやったか、どんな苦労があったか、その過程を知っているのは自分だけです。 結果が良ければそれに越したことはありませんが、自分さえ分かっていれば、それでいいんじゃないかと思うのです。*********************************結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして、最後に意味を持つのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。 星野道夫(動物写真家)
June 5, 2008
映画「アフタースクール」を見ました。 この映画、いろんなところで紹介されていたので、見に行きました。 私、ストーリー自体というか、登場人物同士の関係性があまり理解できませんでした。(テンポが速過ぎて、ついていけなかった・・・) 事前に予習しておけばよかった、と後悔したのですが、帰ってからHPを見ても、ストーリーはほとんど書いてありませんでした。 大泉洋さんが、主人公なんですが、中学校の同級生の友人が、行方不明になってしまい、その友人を探偵が捜してて、その友人はどうやら誰かに追われているようで・・・。 分からないと書きながら、無理に書いてもいけませんね。 とはいえ、細かい内容が分からなくても、楽しめる映画でした。 すごく笑ってしまったし、「え??」とびっくりする場面もあり、最後には、ぐっとくるメッセージもあり、なんとなく、深く感じ入る映画でした。 本も出ているようなので、それを読んでみようかと思いました。 私がこの映画から感じたのは、自分の人生は自分の責任だ、ということです。 自分がどういう世界で生きるのか、自分の人生をどう考えるのか、自分を含めた人間をどういうものだと考えるのか。 映画に出てくる登場人物は、この人はこういう人だろうと思っていたのが、二転三転するんですね。 人への印象が変わってしまう。 人は信じられないのか?信じられるものなのか?すべてはお金なのか? 自分も映画を見ている中で、知らないうちに、人を疑っているわけですね。 この人はいい人だと思っていたけど、悪い人だったんだあ・・とか、人間って分からないものだなあ、怖いなあ、とか思ってしまっているわけです。 最近はニュースとかで人が信じられなくなるような事件が流れ、こうした世の中で、人を信じたり、自分の人生を信じたりということは、難しいことかも知れません。 けれど、そうした悪いことをピックアップして、それを拡大して世界を見て、人生を生きていくのか。 良い人や良い出来事、人の優しさに焦点を当てて、そこを中心に世界を見るのか。 世界の解釈は、個々人に任されているんですね。 以前、「ホームレス中学生」の田村裕さんのドキュメントを見ましたが、親を恨んだり、人生を恨んでもいいような状況の中で、彼は、良かったことばかりを反芻して、それを何度も思い出しているという場面があったんですね。 小学生の時亡くなったお母さんがしてくれたこと、一緒にお風呂に入ったこと、お使いに行ったときのこと、そうした数少ないお母さんとの心温まる時間を何度も思い出していると言うんです。 また、彼は、友人や先生、確かに良い出会いがあったからこそ、今があるのだとは思います。 でも、人からしてもらったことより、してもらえなかったことを残念に思ったり、つらかった思い出の方が強烈に残ってしまうのが、人間なのではないかと思います。 でも、彼は、よかったことや、自分に優しくしてれたひと、そういう、ささやかな幸せを大事に胸にしまって、繰り返し、それを思って感謝しているわけです。 それを見てから、私も、楽しかった思い出の写真を大きな紙に貼って、スクラップブッキングにして、枕元に飾るようにしています。 私の人生は素晴らしいものなんだと、毎日思い出せるように。 時に、嫌なことばかり考え込んでしまうことがありますが、そうやって時間を過ごすのも、前にあった、よかったことを思い出して時間を過ごすのも、自分次第なんだなあと思いました。**************************************今、幸せになってください。今、良い気持ちになってください。あなたがしなければならないことはそれだけです。 ジョン・ハガリン博士 (「ザ・シークレット」ロンダ・バーン著より)
June 4, 2008
「英語でしゃべらナイト」を見ました。 番組には、同時通訳者の篠田顕子さんという方が出ていました。 知らない人だったんですが、興味深い話が聞けました。 通訳で一番難しいのは、ジョークをどう訳すかということだそうです。 外国人の方は、かしこまった会議の席でもジョークをいれながら、スピーチをする方が多いそうです。 いきなりだと困ってしまうため、事前にジョークを言うかどうか、聞くのだそうです。 聞かないとうまく訳せませんよ、というと、相手は、しぶしぶ教えてくれるのだそうです。 同時通訳は、先を予想しながら、訳していくのに、ジョークは、突然、予想してない言葉が出てくるので、聞き違えたかと思ってしまうとのことでした。 けれど、おもしろくて訳しやすいジョークもあって、印象的だったのは、ある国際会議の議長だった、ラテン系の男性のジョークだったといいます。 男性は太っていて、おなかが出ている人だったのですが、休憩の時間を告げるのに、「休憩に入りましょう。僕の素敵なボディラインを保つために食事をとらないと」と言ったそうです。 みんなは、笑って、周りの雰囲気が和んだとのことです。 国際会議では、内容も深刻であるし、みんなピリピリしているのでそういう、楽しいジョークをいれるのは、思いやりというか大切なことなんでしょうね。 ジョークのうまい人はどんな人かと聞かれて、篠田さんは次のようなことを言っていました。 自意識過剰でない人。 自分が維持しなくてはならないような素敵なイメージを持っている人、自分はこういう女だ、自分はこういう男だ、そういうものを持っている人は、ジョークが下手だと思う。 自分で自分のことが笑える人。 それは、すごい自信につながっているんだと思う。 そういう人はジョークが上手だ、と。 そして、番組を見ている人へのメッセージとして、こう言っていました。 「沈黙は金ではありません。 話すことは自分の世界を分かち合うことです。 面白くする必要ないですから。 自分らしくありのままの自分を表現してください。 きっと、それをおもしろいと感じてくれるはずですよ。」 篠田さんのメッセージに、共感しました。 私は自意識過剰だし、こう見られたいというのがあって、20代までは特に、ジョークどころか、自分の考えを言えませんでした。 以前も書きましたが、当時通っていた英会話教室の、フリートークの時間に私があまりに黙っているので、先生から、「サイレントパーソン」と言われたくらいですから。 考えがないわけじゃないし、心の中ではいっぱいおしゃべりしているのに、自分の考えなんて、取るに足らないものだし、どうせ間違っているから、恥ずかしくて言いたくないと思っていました。 実際、人と話していると、全然自分とは違う感じ方をしていると思うことが多く、よけいに、「言えない」と思っていました。 年を重ねる中で、自分と似た考えの人と出会うことも増えてきて、だんだん言えるようにはなってきました。 でも、ちょっと自分の意見を批判されたり、感情的に返されると、「ああ、もう自分の考え言いたくない」という気持ちになります。 ブログでも、同じですね。人の反応を恐れ、言葉を選んだり、自分の気持ちとは離れてしまい、嫌になることもあります。 でも、できるだけ、自分の心に正直に、思ったことを言ってみたいと思いますね。 前回の日記で篤姫のことを取り上げたんですが、私にとって、彼女の生き方でいいなあと思うのは、正直さなのかなと思いました。 まっすぐで、正直で、自分の心のままに動いているんですね、篤姫は。 ありのままの自分を出して相手にぶつかっていく、その姿に惹かれます。 勇気がいることだし、相手の反応や受け止め方を考えると、怖いことだと思います。 でも、感じ方が違うからこそ、人とシェアして、分かち合って、どちら正しいかと争うのではなく、相手の感じ方から学べたらと思います。 どうしても、私なんかは、自分がこうだと信じていることと逆のことを言われると、何となく嫌な気持ちになって、居心地が悪かったりします。 本当に自信のある人は、篠田さんが言うように、自分を笑えるし、違う意見を言われても、自分を否定されたとは思わないし、そもそも、どちらが正しいかということにとらわれないんでしょうね。 年を重ねることがうれしいのは、偽りの自分が少しずつなくなっていくことです。 少しずつですが、自分に正直に生きられているように思います。 これから、もっともっと自由になっていけることを願っています。 ************************************************** 話すことは、世界を人と分かち合うことです。 話すことを恐れないで。 面白くする必要はないですから。 篠田顕子(同時通訳者)
June 3, 2008

昨日は、大阪で開催されている、NHK大河ドラマ「篤姫」でおなじみの「天璋院 篤姫展」に行ってきました。(大阪の開催は、昨日で終わってしまいましたが、九州でもあるようです) 実際に残されている、篤姫自身や彼女の関わる人たちの書状がたくさん展示してあり、ひとつひとつに、現代語訳が紹介されていました。 篤姫自身の苦悩、周りに対する働きかけなど、彼女が、日本の幕末の世になんとか、徳川宗家を守ろうと、そして、できるだけ流血を避けて平和をもたらそうと必死の思いで生きていたことが伝わり、胸をうたれました。 特に、篤姫が、薩摩の隊長に、戦いを避けるよう懇願する手紙には、情熱が感じられました。 彼女は、政治力を増し日本を動かしていこうという、外様大名により、その才覚を見いだされ、養女にもらわれ、将軍家に嫁がせられます。 彼女は、最初、自分が政治的に利用されることを知りショックを受けますが、彼女には、それを断る自由はありません。 彼女は、自分の意志で、その与えられた使命を果たしていくことを決心します。 与えられた過酷な運命を抵抗するのでもなく、全くの受け身になって、なすすべもなく流されるのでもなく、積極的に、その運命を生きていく姿に力強さを感じました。 私たちは、性別も、どこの国に生まれるか、どんな家族のもとに生まれてくるかも意識的には、選べません。 人生から自動的に与えられるものは、意外に多くあります。 それに対して、どういう態度をとるか。 なぜか分からないけれど、望んだわけではないのに、こういう立場に立たされた。こういう生活を送ることになった。 快い場合もあるでしょうし、苦しい場合もあるでしょう。 目の前に与えられたものに一つ一つ取り組んで、自分の身の回りのことに深い喜びを感じ、そして、小さな苦しみ、大きな苦しみを一つ一つ越えていく。 目には見えないけれど、その営みの根底には、何か大きな目的が流れている、最近は、こんなことを考えています。 人生に対する考え方っていろいろあるでしょう。 人生には何の意味もないんだ、宇宙のちりとしてただ、生まれ、死んでいく。 自分が生きようが死のうが何も関係ないんだ。 そういう考えもあります。 人生に対する考え方って、ある種、趣味趣向の問題かなと思います。 私は、こんな言葉が好きです。 人生とは、自分に語って聞かせる物語。 自分で作る物語なら、楽しくて、ハッピーエンドがいい。 途中で、困ったことがあっても、そのおかげでより深い感動に変わっていき、そして、これでよかった、と思いながら歩いていきたい。 ちょっと突拍子もない物語だとしても、めでたし、めでたしと、物語を締めくくりたいなあと思っているのです。 この頃では、自分に起こるすべてのことは、魂が求めたことで、すべて自分の魂が最初にOKを出していて、表面意識が、抵抗しているだけなのかなあと思ったりします。 すべてが、自分の望み通り。人生は、信頼していいということになります。 だとすれば、運命に任せきって、抵抗せずに手を離せば一番よい場所へ運ばれるという、ことになるのですが・・。 ***********************************************もし、神が、君たちの目の前に立って『これから先ずっと、この世界で幸福に生きることを命ずる』とおっしゃられたら、その時君たちはどうしますか? 「イリュージョン」リチャード・バック著 ******************************************少し前の写真ですが、こんなにたくさんのチューリップ、一生分のチューリップを見たような気がしました。チューリップってなぜか、とてもかわいく思えます。大好きです。
June 2, 2008

「フランクルに学ぶ」(斉藤啓一著)から、引き続き、エピソードを紹介したいと思います。 フランクルは、末期がんに冒された、ある看護師について、語っています。 死の少し前にフランクルが訪れたとき、人一倍働き者だった彼女は、絶望のどん底にうちひしがれていました。 「私が一番苦しいのは、、自分が何にもまして愛した職業を もうやれなくなったことです。」 そういって嘆く彼女に対して、フランクルは次のような言葉を返します。 「あなたが一日に何時間働こうと、別にたいしたことではない。 誰だってすぐにまねができる。 けれども、働きたいけど、働けない。にもかかわらず絶望しない。 これは、そう簡単にまねのできる行為ではないだろう。」 「病気や病弱で働く力のない人たちの人生が、あなたにはまるで 無意味だとでも言うようだが、それは間違いではないだろうか? あなたがここで絶望してしまえば、人生に意味が、まるで、一日何時間 働くかによって決まるかのようになってしまう。 だとしたら、あなたはすべての病人や病弱の生きる権利も生存の資格も 何一つ認めないことになってしまう。 ところが実際は、今こそ彼らの生きる意味と価値を実証する唯一の チャンスなのだ。 なぜなら今までは、単に職務上の看護をするだけで彼らを支えるのが 精一杯だったのに、今後はそれ以上のチャンスがもてるからである。 つまり、模範的な生きざまを通して彼らの生を支えるチャンスなのだ。」 フランクルは、絶望のどん底で、何一つできないと思うような場面であっても、素晴らしいチャンスが存在していると言います。 今、宇宙物理学者のホーキング博士と娘さんが書いた、 「宇宙への秘密の鍵」という本を読んでいます。 楽しみながら、宇宙について、学べる本です。まだ、途中なんですが。 以前、新聞で、ホーキング博士が、無重力体験飛行を実現したというニュースを読みました。 ホーキング博士は、「2009年には宇宙に行くつもり」と話しており、今回の体験飛行はその最初のステップなのだそうです。 ホーキング博士は、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という、運動神経が冒され、しだいに全身が動かなくなる病気をもちながらも、生きる喜びにあふれています。 生きるということが、生き続けるということが、そして、幸せに生きる、ということが、本当の仕事なんではないかと思っています。***************************************** すべての動物たちは、必要があって、必要な場所に生きています。 花も草も木も、すべての存在が、しかるべき場所にしかるべき意味を もって存在しています。 そして、私自身もまた、その大いなる存在の一部として、 今、ここに生かされているのです。 ケリー・ヨスト(ピアニスト)************************************ 以前、北陸の方へ行ったときの写真です。
June 1, 2008
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