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今日は、「センス・オブ・ワンダー」という映画を見ました。 レイチェル・カーソンという方のメッセージと、メイン州の四季の映像でつづった、ドキュメンタリーです。 自然の神秘や美に対する驚きを忘れず、それを五感で感じることの大切さを繰り返し語っています。 いつでも見れるから、いつも見ている風景だからと、私たちは、身の回りにある自然に対して、感動の心を保ち続けることが難しいということがあります。 けれど、まわりの自然に対する関心を意識して持ち続け、そうした自然を感じるゆっくりとした時間を持つこと、五感を澄ませておくこと、それを忘れないでいたいなあと思います。 椎名誠さんが、以前、こんなことを言っていました。 「世界各地の不便なところばかりを巡った僕の経験から言うと、 恵まれた自然の中にいる人たちは、その恵まれたものに 気づかないという世界共通の公式があります。 ネパールのシェルパ族は満天の星をしみじみと眺めることは しません。 モンゴルの遊牧民は家畜の食べる草には興味を示しますが、 花の美しさに目を向ける人は少ない。 日本はどうでしょう。」 「木の文明、緑の文明に恵まれた世界でも有数の恵まれた国であり、 最もうらやましがられる立場にいる国なのにその自覚がない。 世界には全く緑のない地域もあるんですから。」 なるほど、と思います。 住宅地ではなく、もっと自然の美しいリゾート地なら、もっと自然を味わえるのだけれど・・・と私なんかは思ってしまいますが、きっと、そうではないのでしょう。 例えば、南国リゾートと言われるような場所に生まれたときから住んでいたら、透明な海も、色鮮やかな花々、夕日の美しさなど、その価値が分からないのかも知れません。 明日からまた、五感を働かせることを意識したいと思いました。*********************************今、君がここにいる瞬間を楽しもう。今、ここにあるよろこびをかんじよう。先のことを追いかけるのはやめよう。目的ばかりに目を向けずに、目的にたどり着くための道も楽しもう。一瞬、一瞬を楽しもうね。 「きっと元気がでる 10の方法」 ウェイン・W・ダイアー著
July 31, 2008
しあわせを感じて生きるためには、過去の記憶を書き換える必要がある、と感じています。 どうしても、つらかったこと、かなしかったことの感情が強くて、そのことが記憶の中に、とても大きく残ってしまいがちです。 でも、本当は、うれしかったこと、あたたかい気持ちになったこともいっぱいあったはずなのです。 愛されなかった、と思っていても、そういう悲しい記憶があったとしても、それと同様に、忘れているだけで、愛されていたと思える出来事も本当はたくさんあったのです。 それを掘り起こすことはとても大事だと思います。 前に、テノール歌手の新垣勉さんのテレビドラマ、「まだ見ぬ父へ、母へ~全盲のテノール歌手・新垣勉の軌跡」を見ました。 新垣さんは、アメリカの軍人の父親と沖縄の女性との間に生まれ、生後しばらくして失明します。 そして、1歳になるとき、両親は離婚、父親は本国へ帰ってしまいます。 彼は、祖母に預けられます。祖母を母だと信じて暮らしていました。 彼は、目が見えなくても、近所の子供達と遊び、元気に育っていきました。 けれど、思春期になり、母親だと思っていた人が本当は祖母で、姉だと思っていた人が本当の母親だと知ります。 姉は彼をかわいがっていましたが、姉は再婚して別の人と家庭を築いていました。 そして、失明も、劇薬と目薬を間違えてさされたための人為的なものだったと知るのです。 彼は、怒りに震えます。 自分の不幸な境遇に、神を恨むような気持ちになります。 そんな時に教会の牧師さんに話を聞いてもらい、その出会いから、自分も牧師になろうと大学で神学を学びます。 彼は、大学で、その声の美しさを認められて音楽の道へ進むことになります。 彼は、音楽の先生からこんなことを言われるのです。 「あなたの声は、ラテンの声です。その声はお父さんからの素晴らしいプレゼントですよ。日本人誰も持っていません。お父さんに感謝しなさい」 彼の体に衝撃が走ります。 「殺してやりたい、と憎んでいた父親が、私に声を残した。 私に歌う声を残した。何と言うことだ。」 彼は、「愛されていない」と感じていたのではないかと思うのです。 父親からも母親かも捨てられ、神さまからも見捨てられている、そんなふうに感じたように思います。 でも、ほんとうはそうではなかったのです。 彼は、愛されていたのです。 姉が本当の母親だと知り、祖母も亡くなり、彼は絶望のあまり、井戸に飛び込もうとしたこともあります。 けれど、そのときに、親友が体を張って助けてくれたのです。 牧師さんが、初めて会った彼の苦しみに耳を傾け、彼のために黙って涙を流してくれたのです。 母だと思っていた祖母は、孫であるはずの彼を、息子として、厳しく愛情を持って接し、彼を心から慈しんで育ててくれたのです。 姉も、申し訳ないと思いながら、苦しみを胸に抱えながら、自分を母親だと悟られないように、姉として振る舞いながら、彼を愛し続けていたのです。 そして、自分と母親を捨てたはずの、父さえも、彼に「声」を残してくれた。 彼は、自分の過去を書き換えたのです。 不幸だと思っていた自分の人生に対して、まったく新しい見方をするようになったのです。 彼は自分の人生を肯定していくのです。 私は、こんなふうに思います。 彼は神さまから見放されていたのではなく、見込まれていたのです。 神さまから愛されていて、大きな仕事をして欲しいと期待されていたのです。 苦しい状況にある人は、神さまに期待されている人なのではないでしょうか。 だから、苦しい状況を乗り越えられるように、必ずサポート役をその人の元に届けてくれる。 そのときは苦しくても、神さまから、才能を発揮するためのベストな環境が与えられているのではないかと思うのです。 魂や才能が磨かれ、大きく成長するのは、そんな時だからです。 そして、その苦しみながらも懸命に生きる姿、存在によって、その人のまわりの人たちを励まし元気づけるからです。 彼の生き様が、どれだけの人を勇気づけ、その声は、どれだけ多くの人の心を癒したでしょうか。 彼はこう言っています。 「人生はいいときばかりじゃないんですね。 必ず挫折が来るんです。 本当に大切なことは、他の人にはまねができない、自分でしかできない 生き方、人生があるんです。 ナンバーワンを求める人生ではなく、オンリーワンの存在を生きて ほしいんです。 私も母からもらったこの命、父からもらったラテンの歌声、 与えられたあるがままの自分をベストとして生きる。 そんなふうに思えるようになってから、生きることに感謝して歌うことが できるようになったんです。 どうぞあなたにしかできない豊かな人生を歩んでいっていただきたいのです」 *************************************** 本当に大切なことは、他の人にはまねができない、自分でしか できない生き方、人生があるんです。 ナンバーワンを求める人生ではなく、オンリーワンの存在を生きて ほしいんです。 新垣勉(テノール歌手、牧師)********************************* 楽しくて、気持ちがラクになる コラージュ体験講座(京都にて) 2008.8.30(土)13時半より 詳しくはこちら
July 30, 2008
また、ドラマ「Tomorrow」の話になってしまうのですが。 このドラマ、毎週、取り上げてしまいそうな気配です。 私は、体の病気になったとき、体のつらさだけでなく、それと同じぐらい、スピリチュアルな問題にぶち当たると思います。 スピリチュアルペインという言葉がありますが、その痛みは、体の痛みと同じぐらい大きなものだと思うのです。 そのなかのひとつに、今後の自分の人生について、どう生きていったらいいのかということと、病気前のように働けなくなったり家事ができなくなった自分の存在意義に対する問いがあると思います。 このドラマのなかでは、社会的入院といわれる、家族がいないために、病気が落ち着いても退院できないという患者さんが描かれていました。 私が病院で働いているとき、こうした入院患者さんがたくさんいました。 そうした人の中に、「生きていても仕方ない」「死にたい」という言葉を聞くことがありました。 働くことができず、待っている家族もいない、家もなく、一生病院で暮らすかもしれない彼らの言葉は、私にはとても重かったのです。 「生きる意味がない、自分は生きていても何の価値もない」 そう言われたときに、どう言葉をかけたらいいのか。 それは、当時、私自身も、心の中で感じていたことであり、言葉が見つかりませんでした。 だから、私は、人間の価値というものにこだわるのです。 人が生きる意味にこだわってしまうのです。 そうしたときに人が聞きたい言葉ってどんなものだろうと思ってしまうのです。 このドラマを見ると、言葉や概念だけでは届かないことが分かります。 その人と時間を共に過ごすことがまずありき、なのです。 そうでなくては、「あなたに生きていて欲しい」と心からの言葉として言えないのです。 主人公の医師は、8年前に医療ミスをして、患者さんを死なせてしまいます。 彼は、医者を辞め、海沿いの小さな街で市役所で勤めていました。 ところが、病院の再建の仕事をすることになり、病院と関わることと なります。 そして、医師として現場に復帰することと決心するのです。 ところが、自分が医療ミスをした患者の娘が、同じ病院で働く、看護師であることを知って、この街を出なければいけないと思いはじめます。 そんなとき、病院側は、引き取る家族がいないため、病気がある程度よくなっても退院できない、長期入院の患者を、退院させる方針をとることとなります。 彼が担当する、ある年配の女性の患者は、夫を亡くし、子供もいないため、帰る場所がなかったのですが、退院を余儀なくされます。 退院した日、女性は、主人公の医師と偶然外で会います。 彼女は、「ここにいるべきではない」と悩む彼に「人間どこで生きるかじゃなくて、どう生きるかが大事」と自分の苦しかったときの経験を話して、励まします。 しかし、そのとき、彼女は、死を考えていたのです。 彼女は堤防から身を投げようとしていたとき、彼に見つけられます。 「一人で生きていたって、しょうがないじゃないか。 死んだって誰も困らない、生きている理由もないのに、どうして生きて いかなきゃならないんだよ」 彼女は、夫を亡くし、ひとりぼっちになり、退院したあとどう生きていっていいのか、分からなくなったのです。 さらに、借りていたアパートも家賃滞納で追い出されていたのです。 彼は言います。 「人間はどこで生きるかじゃなくて、どう生きるかが大事なんだって 言ってくれましたよね。ここでやり直そうと思ったときの気持ちを 思いだせって言ってくれましたよね。 あの言葉は僕にとって本当に大きな意味があったんですよ。 たぶん人って、そうやって知らない間に助け合って生きてるんだと 思います。 ひとりぼっちに思えたとしてもきっとそうじゃないんですよ。」 彼女は自分自身を死を考えていたときにさえ、苦しんでいた彼を励まそうと厳しくそしてあたたかい言葉をかけてくれた、そのときのことを彼は言うのです。 彼は、続けます。 「生きることがつらいと思うときに、僕をあんなふうに励ましてくれた人に、 僕は、絶対に生きていて欲しい」 病気の時だけではないでしょう。 自分が人生の中で大事にしていたものを失ったとき、人は、自分の存在意義の問題と向き合わざるを得なくなるのです。 子育てにすべてを注いできた女性が、子供達が巣立ったあと人生について考えたとき、仕事にすべてをかけてきた男性が、定年を迎えて、これからどうしようと思ったとき。 いままであったものがなくなったとき、いままでできていたことができなくなったとき、そんなとき初めて、それがどれだけ自分を支えてくれていたか分かるものだと思います。 何もなくなったとき、誰からも求められなくなったとき、世話をされる側に回ったときのとき、いつも助けてもらい「ありがとう」と言わなければならない立場になったとき、毎日寝ていることで精一杯になったとき。 そういう自分になったとき、生きている、そのことだけで、自分の価値を認められるかどうか。 生きる喜びを感じて生きられるか。 私にとって、そのことは大きな課題となっているのです。 自分が心からそう思っていなければ、人に伝えられないからです。 どんな人でも価値がある、必ず素晴らしい面を持っている、その人の人生には大きな価値がある、そして、その人の心には価値があると考えています。 そして、人が自身の素晴らしさを発見する手助けをしたいと思っています。********************あなたの素晴らしさを引き出すお手伝いをします楽しくて、気持ちがラクになる コラージュ体験講座(京都にて) 2008.8.30(土)13時半より 詳しくはこちら**************************************** 詩人ノヴァーリスは、人々がすべて死すべき運命を共有していることを悟る時、虚しい争いは止み、地上に平和が訪れると言う。自分の限界を知れば傲慢にはなれず、他人もまた自分と同様に限界に悩みつつ生きると知れば、その過ちに対して居丈高になる自分の醜さが見えてくるー。人間の限界を知ること。それがすべての知恵の根源となる。 柴田翔(作家)
July 29, 2008
山川亜希子さんの「宇宙で唯一の自分を大切にする方法」という本があります。 この本の第一章は「ーがんばるのは、何のためですか?」という言葉で始まります。 亜希子さんは、30代の頃、がむしゃらに働いたといいます。 「私の30代は、がんばりの30代でした。 どうしてあんなにがんばっていたのかなあ。 いまはわかっています。 がんばるだけがんばって、自分は価値がある、ということを、 人に認めてもらって、確認したかったのです。 そして、その底にあったのは、 『私は価値がない人間だ』 『私は本当は生きてはいけない、邪魔な人間だ』 という思いでした。 」 亜希子さんは、変わっていきます。 どうして変わることができたのでしょうか。 自分を好きになることがしあわせになる鍵だと気づいたからです。 外側の何かを変えるのではなく、自分の本来持っている価値、 あるがままの自分がもつ尊さを認めることが大切なのだと 亜希子さんは言います。 それができずにいると、しばらくは新しいものに挑戦して 自分をほめることができても、それが過ぎるとまた、もとの 自分にがっかりしてしまうのだ、と。 「ただ、いまのあなたを、だらしなかったり、失敗したり、 おっちょこちょいだったり、慌てものだったり、なまけもの だったり、美人でなかったり、スキーが下手だったりする あなた自身を、まるごと愛し、好きになるだけでよいのです。」 亜希子さんは、そうやって自分を許すことを 何度も繰り返したと言います。 この本は、何度開いても、その都度、感じるものがあります。 私が、この本を手に取ったということは、たぶん 「がんばって」いるのでしょう。 なんのためにがんばってるの? そう自分に問いかける必要があるということなのです。 ********************************* 他人から高く評価されるために自分を変えようとしたり、 やりたくもないことを努力したり、自分に何かを付け加えようとしては いけません。 「宇宙で唯一の自分を大切にする方法」山川亜希子著より
July 28, 2008
映画「地上5センチの恋心」を観てきました。 この映画の主人公は、平凡な主婦、オデット。 夫を亡くして以来、デパートで働いたり、内職をしたりして、子供を育ててきた女性です。 苦しい生活の中で一番の楽しみが、大好きな作家の本を読むこと。 その作家に恋いこがれ、その素敵な彼のことを考えれば、どんな時も幸せなのです。 一方、その作家の男性は、本は売れており、裕福な暮らしをし、美人の妻を持ち、かわいい子供もいます。 それなのに、こころが満たされず、彼の本が低俗だと酷評する、評論家の言葉で自信をなくしてしまいます。 さらに、妻ともぎくしゃくし、絶望してしまうのです。 一通のファンレターを通じて、そんな二人が、出会うことになり、彼は、彼女に支えられ、心が癒されてきます。 彼は、彼女との出会いから、幸せになるためにはどうすればいいのかを学ぶことになるのです。 笑ってしまう、おかしな映画なんですが、「自分にとっての幸せとは何かを知らなければ、どんなに成功しても幸せにはなれない」、そんなことを考えさせられる映画でした。 そして、どんなものでもいい、どんな人に対してでもいい、「好き」という気持ちを持つことの大切さを思いました。 人から見てばかげたことと思うことでもいい、「好きだな」と思えるものがあれば、毎日が楽しくなります。 私も、自分らしい幸せを追求し、生活の中での「好き」を増やしていきたいと思いました。 映画の中で、作家が読者に励まされる姿、自分にも重なりました。 以前小冊子を買っていただいた方から、最近、暑中見舞いをいただき、心がほっこりあたたまりました。 桔梗のさわやかな絵柄のハガキに、小冊子も大切にしてくださっていることが書かれていました。 あたたかい気持ちを届けてくださる方がいる。 書いていて良かったと思う瞬間です。 また、ブログの記事に対して、あたたかいコメントを残してくださる方がいる。 人は、自分だけでない、相手だけでない、本当に、お互いに助けられているのだと思います。 自分も、書いても仕方ないなあと思ったり、疲れて帰ってきたときは、書くのが楽しめないときがあるのですが、読んでくだっている方がいる、と思って自分を励ましています。 自分のように意志の弱く根気のない人間が、ブログが続いているのは、不思議だなと思います。また中断するかも知れませんが。 書いていなかったら、一生知り合えなかっただろう人と、あたたかい気持ちのやりとりができる、不思議。 人と人との出会いの不思議さ、大切さを感じる日々です。******************************** はなちゃん、しあわせになるのに苦労はいらないからね。 がんばっちゃダメだよ。 しあわせというのは、苦労して、嫌な思いをして、大変な思いをした、そのあとに来るものじゃない。 しあわせというのは、心がしあわせに向かったと同時にやってくる。 そして、しあわせのほうへ向かって歩きながらしあわせになるものなの。 「斉藤一人 15分間 ハッピーラッキー」舛岡はなえ著より*****************************************あなたの素晴らしさを引き出すお手伝いをします楽しくて、気持ちがラクになる コラージュ体験講座(京都にて) 2008.8.30(土)13時半より 詳しくはこちら
July 27, 2008

少し前に、法金剛院というお寺に蓮を見に行ってきました。 蓮は午前しか咲かないので、家事を終えて、大あわてで出かけました。 たぶん、10時頃だったと思いますが、大勢の人が来ていました。 みなさん、蓮を熱心に見ては写真を撮っていました。 一眼レフカメラで三脚をおいて、気に入った一カ所で熱心に撮っている人もいました。 特にきれいに蓮が咲いている場所では、大勢の人が写真を撮ろうと集まっていました。 私もきれいに見える位置から一生懸命撮っていましたが、いくつも咲いてる蓮に限って、池の中心にあったりして、私の薄型カメラでは限界があり、撮れる範囲で撮っていました。 また、実際とカメラに撮ったのでは、なんか色が違う、とか、「うーむ」と悩みながら撮っていました。 蓮を見て、その美しさを味わっているより、写真を撮ることに四苦八苦していました。 それでも、いろんな種類の蓮があり、きれいでした。 ひととおり、庭を見てから、お寺の中に入りました。 中から、庭をぼんやり眺めていたら、庭の手入れをしている方が近くにいるのに気づきました。 私はその人に話しかけて、蓮がきれいに咲く時間や見頃の時期など聞きました。 蓮は3日間咲いて、最初の2日は午前中は開いて午後から閉じること、3日目あたりには開ききって閉じないで、そのあと、花びらが落ちるとこのことでした。 そして、蓮は咲く時期がまちまちで、桜のように満開にはならないと言われていました。 帰り際に、私が、その方にお礼を言おうと声をかけると、その方は、「このお庭には珍しい花もたくさんあるんですよ。ほら、あそこに咲いている瑠璃柳、これは、とてもめずらしい花なんですよ」と言われます。 近づいて見てみると、確かにきれいです。 さっきも通った場所ですが、全く気づきませんでした。 帰るつもりでしたが、もう一度、庭を見て回ることにしました。 そうしたら、他にも地味だけど小さなかわいいお花や、日を浴びたモミジ、苔など、美しいものが蓮以外にいっぱいあることに気づきました。 蓮ばかり見ていた私には、見えなかったのです。 もちろん、蓮は極楽に咲く花というだけあって、本当に優雅で美しいのですが、私は、蓮がまばらにしか咲いていなくて、遠くにあることで、もっと満開の時期にくるか、時間が早かったら良かったのかなあと感じていたのでした。 当然、蓮以外の花や草木には見向きもしません。 もちろん、雰囲気のいいお庭だなとは思いましたが、蓮ばかりを見ていました。 自分の人生への見方が反映されているようで、おかしくなりました。 自分が求めるものだけを見つめて、それが「ない」「うまくいかない」と悩む自分の姿を。 そして、求めるもの以外の、全体の美しさ、そして、隅の方にある細部の美しさを見落としがちになっていることを。 庭には、本当は、蓮以外にも、ささやかな美しさがあちこちにちりばめられているのでした。 それを見ようとしたとき、庭は、もっと輝き始めたのです。 瑠璃柳はこんな花です。 蓮の葉っぱや小さなお花も、よくよく見たらきれいでした。 ***********************************************求めないーすると求めたときは見えなかったものがー見えてくる 「求めない」加島祥造著
July 26, 2008
「アメリカ映画協会が選ぶ、アメリカ映画 勇気と感動のベスト100」という番組を観ました。 知っている映画はあるかなあと思いながら、楽しんで見ました。 古い映画は、タイトルは知っていても、見たことない映画が、結構あって、これも見よう、これも見たいという感じでした。 映画には、人間の、気高さ、やさしさ、残忍さ、愚かさ、弱さ、強さ、様々な面が描かれています。 ベスト100の中で、私も以前見て、印象に残っているのは、「フォレストガンプ」「風と共に去りぬ」「いまを生きる」「カッコーの巣の上で」「フィラデスフィア」「E.T」「レインマン」「ショーシャンクの空に」などです。 でも、一番好きなのは、「素晴らしき哉、人生!」です。 この映画が、ランキング1位に選ばれたのは、びっくりでした。 10位には入るだろうと思ってはいましたが。 人としての普遍的なテーマなのでしょう。 自分の人生には果たして意味があったのか。 何かをなすことができたのだろうか。 自分の存在には、価値があるのか。 自分の人生はこれでよかったのだろうか。 そんな問いに答えてくれるのが、この映画なのです。 ここから、内容にふれていきます。 この映画に出てくる主人公は、苦労の末、華々しい成功を収める、というような、そんな人ではありません。 夢も叶わず、仕事も思うようにいかず、お金にも困る生活をしています。 彼には、若い頃は夢がありました。 世界へ出ていって活躍することが夢だったのです。 でも、それが実現する一歩手前で、父親の仕事を継がなければならなくなり、夢を諦めました。 彼は、良心に従って一生懸命生きているのに、次々とつらい出来事が降りかかります。 彼は絶望します。 そんな時、彼は天使を会い、彼が生まれていなかった世界を見ることになります。 彼は、彼がいない世界で、まわりの人達の人生が、大きく変わってしまっているのを見ました。 彼は知らないうちに、大勢の人に多くのものを与え、苦境を救い、幸せへと導いていたのです。 彼の人生は失敗ではなかったのです。 そして、彼は、たくさんの人たちから、愛されていることを知るのです。 彼は、特別ではないと思うのです。 私がそのことを思うとき、思い出すことがあります。 私は、そのとき、小さな川にかかる歩道橋を自転車をひいて歩いていました。 向こうから、同じように自転車をひいてくる人がいます。 あわてて片側によけようとしたら、向こうから来る女性がさきに自転車を止めて待っていてくれたのです。 何とも言えない、あたたかい笑顔で「どうぞ」と。 なぜだかわからないけれど、胸が熱くなりました。 自分が我慢しなくては、自分が悪いんだから、とそんなふう思っていたつらいときでした。 「あ、ありがとうございます」と涙をごまかしながらお礼を言いました。 その女性は、そんなことを忘れているでしょう。 けれど、私には忘れることができないのです。 人は知らないうちに、愛や優しさを与えあっているのです。 やった本人は気づいていないでしょうが、笑顔やあいさつ、ちょっとした会話、ほんの少しの思いやり、そんなことがどれだけ人の心をあたためているでしょうか。 だから、私は思うのです。 どんな人も、生きているだけで大きな仕事をしている、と。 傷つけた、と思ったことでさえ、相手にとっては、そのことが大きな学びになったり、人生の方向転換ができて、より幸せになっていることもあるのです。 人は、残酷な面も持っています。 弱くて、自分を守るために、間違いを犯すこともあります。 けれど、一方で、まわりの人たちに愛や優しさを与えたり、誰かを助けるために気高い行動をとることもあります。 それは、誰かが悪い人で、誰かが立派というのではなくて、その両方を誰もが持っていると思うのです。 おかれた状況によって、どの部分が表に出るかだけだと思っています。 だから、どんな人であれ、ひとりひとりが、尊敬され、大切に大切にあつかれることを望んでいます。 そして、自分自身も、その大切な存在として、尊ぶことを忘れないでいたいのです。 *********************************人間は誰しも、ヒトラーの部分とガンジーの部分を持っている。生涯、善と悪のせめぎ合いが続くものなんだよ。 ベン・キンズレー(俳優)************************************ あなたの素晴らしさを引き出すお手伝いをします楽しくて、気持ちがラクになる コラージュ体験講座(京都にて) 2008.8.30(土)13時半より 詳しくはこちら
July 25, 2008
「Tomorrow」 というドラマを見ていたら、「死んじゃったら会えないんだよ、生きてるから会えるんだよ」というセリフがありました。「そうだよなあ」と。あたりまえのことだけど、忘れてはいけないことだなあと思いました。「最後だと分かっていたら」という本があります。 この本のこと、もしかしてブログに書いたことあるかも知れませんが、ぐっとくる本です。 とても短い詩と写真で構成されていて、あっというまに読めてしまいます。 この詩は、息子を亡くした女性が書かれたものだそうです。 とても美しい詩です。 一部だけ書いてみます。 「あなたがドアを出て行くのを見るのが最後だと わかっていたら わたしは あなたを抱きしめて キスをして そしてまたもう一度呼び寄せて抱きしめただろう」 「そして私たちは忘れないようにしたい 若い人にも 年老いた人にも 明日は誰にも約束されていないのだということを 愛する人を抱きしめられるのは今日が最後に なるかもしなれないことを」 「明日が来るのを待っているなら今日でもいいはず もし明日が来ないとしたら あなたは今日を後悔するだろうから 微笑みや 抱擁や キスするための ほんのちょっとした時間をどうして惜しんだのかと 忙しさを理由に その人の最後の願いとなってしまったことを どうして してあげられらなかったのかと」 訳者あとがきに、次のようにあります。 「愛する人を失った時、どんなに心を尽くしても 自分の足りなさを嘆かずにはいられない。 それはもしかしたら、その人を忘れないでいたいという 心の表れなのかも知れない。 自分のためよりも、むしろその人の魂のために。」 ああしていれば、こうしていれば、と後悔するということは、それだけ相手を愛していたということなのでしょう。 愛してたからこそ、悲しい。それだけ、喜びや幸せがあったから、悲しいのです。 でも、そうした後悔の気持ちをできるだけ少なくするためにはどうしたらいいのでしょうか。 愛しているからと、家族だから、と、自分の子どもや、親、配偶者の人生に対して、なんとか良くしようと口出ししたり、小さなことに文句を言うことってあると思います。 私も夫や親に対して、言わなきゃよかった、というような言葉をかけてしまうことがあります。 けれど、その大切な人が、死を間近にしてベットに横たわっているとしたら、そんな言葉をかけるでしょうか。 「大好きだよ、ありがとう、ごめんね」と、そういう言葉しか出てこないような気がします。 親なら子供に、「生まれてきてくれてありがとう。今までいっぱい喜びを与えてくれてありがとう。いままで生きててくれてありがとう」と言うかもしれません。 子供なら親に、「産んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。今まで愛してくれてありがとう」と言うかもしれません。 そんな、ありがとうという言葉しか出てこないように思います。 自分の命も短い、家族の人生も短い。 どちらを大事にするということではなくて、自分の生きたい人生を生きて、そのうえで、ありのままの相手に「そのままのあなたが大切だよ」と伝える。 身近な人に、「大切だよ、好きだよ、ありがとう」と伝えるのは、照れくさいですが、そうできたらいいと思うのです。 大切な人に、そのときできる、精一杯のことができたらいいと思うのです。 もしものときがきても、最後にかけた言葉が、愛に満ちた言葉であるように。 ****************************「死んじゃったら会えないんだよ。生きているから会えるんだよ」 ドラマ「Tomorrow」より
July 24, 2008
映画「奇跡のシンフォニー」を観てきました。 孤児院で育った男の子が、絶対に自分の親は自分を探しに来るんだと信じ、音楽を通じて、親との再会を目指すお話です。 音楽が人と人とをつなぐのです。 最初は、よくある、親をさがす孤児の物語なのかなあと思って、観るかどうか、迷っていたんですが、「映画で使われる、音楽がいい」と聞いて、行ってみました。 私は、親子の物語というより、主人公の男の子が身の回りにある、風の音、草のなびく音といった自然の音、街の雑踏のざわめきや騒音でさえ、耳をすませて、それを「音楽」として聴いてしまうというのが、素敵で、心惹かれました。 彼が、音楽を、楽譜を演奏するというのではなく、聞こえてくる音(音楽)に対して、その返事をしているようなものだと、とらえていたのが印象的でした。 彼は、本当に楽しそうに、大好きな人と話をしているように、わき出てくる喜びを表現し、演奏するのです。 私は、音楽に限らず、すべての表現は、外の世界から聞こえてくるものに対して、自分がそれに答える形で、外に出しているのかも知れないと感じました。 私自身、文章でうまく書けたとか、しっくりいったと思うときは、頭の中に「聞こえてきた」という感覚があります。 それは、心をオープンにして、静かにして、耳をすまさないと聞こえないように思います。 前に、ジャズベーシストのロン・カーターさんも「聞くこと」の大切さを言っていました。 彼は、携帯型のオーディオで音楽を聴かないと言っていました。 それでは孤立してしまう、と彼は言います。 「何も聞こえなくなるだろ。 私は身の回りの音を聞きたいんだ。 別の世界に行くより、今そこにある音を聞きたいんだ。 道では、行き交う車の音を聞きたい。 だから耳を澄ますのさ。」 彼は、インタビューアーに、音楽は聴かないんですか?と聞かれて、「ここにある」と頭を指さすのです。 彼にとっては、聞こえてくるすべての音が音楽なのです。 そして、そこからわいてくる即興演奏やアドリブ、そして聴衆とともに、作り上げていくのだというのです。 いい音楽を聴く、いい本を読む、いい絵を見る、いい映画を観る。 知識を得る、勉強する。 どれも大切なことだと思います。 だけど、それ以上に大切なのは、野外に出て行って、木々や風の音や、鳥や虫の声を聞いたり、人の話を聞いたり、日常の生活の音を聞いたり、そして、自分の心に届けられる、音楽やメッセージ、ビジョンに、耳を澄ますことなのかも知れません。************************************今そこにある音を聞きたいんだ。 ロン・カーター(ジャズベーシスト)***********************************楽しくて、気持ちがラクになる コラージュ体験講座(京都にて) 2008.8.30(土)13時半より 詳しくはこちら
July 23, 2008
英語でしゃべらナイトという番組で、平幹二朗さんと佐久間良子さんを両親に持つ、平岳大という俳優さんがゲストで出ていました。 岳大さんは、両親が有名俳優ということで、親とは違う道で一人前になりたいという気持ちがあり、アメリカへ留学し、医師を目指します。 しかし、アメリカの学生同士の競争になじめず、医師の道を諦め、今度は企業へ就職します。 それでも、やはり、これというものを感じられず、本当は役者になりたかったことに気づき、役者への道を目指すことにしたという話でした。 そんな彼へ、平幹二朗さんからのメッセージのVTRが流れました。「経験から一言申し上げたい。 夢を信じなさい。 でも、自分自身に問い続けることを忘れてはなりません。 これが、到達したい場所への正しいやり方なのかどうかを。 幸運を祈ります。」 また、岳大さんから視聴者へのメッセージは、次のようなものでした。「この場所へたどり着くまでかなり寄り道をしてきました。 まだ旅の途中ですが・・・・。 あなたをも夢を見つけて、自分に素直に生きることを 願っています。」 彼の通ってきた道。 親と同じ道に進みたくないと思う気持ちは分かります。 自分で情報を集め、自分の力で見つけた夢を自分の力で追いかけてみたい、という気持ちも。 やりたいことが見つからない。 やりたいことがあっても、道が閉ざされた。 そんな時、自分の身近にあるもの、自分を必要としてくれる場所や人、自分のまわりを見回してみると、案外、新しい道が開けるのかも知れません。 自分が進みたい道、自分が一度選んだ道だけにこだわらず、身近にありすぎたものや、反発していたもの、自分を受け入れてくれる場所、そういうものに、向き合ってみるのもいいのかなあと思いました。 夢や、やりたいことって、意外に近くにあるのかも知れません。 そして、道を進むとき大切なのは、つねに、「自分自身に問い続けること」なのでしょう。 自分というものも、時間と共に、常に変わります。 今の自分は何を求めているのかな。 この道が本当に望む場所に通じているのかな。 そうやって、気持ちをチェックしていけたら、と思いました。 ********************************** 夢を信じなさい。 でも、自分自身に問い続けることを忘れてはなりません。 これが、到達したい場所への正しいやり方なのかどうかを。 平幹二朗(俳優) *****************************楽しくて、気持ちがラクになる コラージュ体験講座(京都にて) 2008.8.30(土)13時半より 詳しくはこちら
July 22, 2008
瀬戸内寂聴さんの法話を聞きに、寂庵に行ってきました。 法話は、月に一回あり、ハガキで応募して、抽選で200人ほど参加できます。 今月は、1200通も応募があったそうです。 今回のお話は、いつ死ぬか分からないのだから、今がすべてだ、ということを話されていました。 人の心も変わる、好きだ好きだと言っても、時間がたてば、変わってしまう。 裏切られたり、自分が裏切ったり、むなしいものだと。 名声も同じで、今流行している芸能人でも、作家でも、すぐに消えていってしまう。 だから、今しかないんだと。 あることを願っていても叶わないことも多い。 でも、諦めたとき、どこからかふっと叶うこともある。 自分の可能性というものは死ぬまで分からないのだ、と。 1時間の法話のあとに、質疑応答の時間があるのですが、私には、その質疑応答が、心に響きました。 いろんな人が、悩みを言って、それに寂聴さんが答えるんですが、みんないろいろ悩みがあるんだなあと改めて思うわけです。 街ゆく人を見ると、きれいな格好をして、友達同士、家族でとか、幸せそうで、悩みなんてないように見えますが、本当はみんなそれぞれ心の中に、不安や苦しみを抱えているんだなあと。 寂庵に来る人は、悩みが深い方が多いとは思いますが、それでも、みんな同じなんだなあと思います。 私も、苦しいときに、たまたま寂聴さんの法話のCDを買って、聞いたんですが、それまで、ほとんど、本の方は読んだことがなく、法話から、仏教のこと、寂聴さんの人生について、知ることになりました。 出勤途中に聞いたので、暗い気持ちで車に乗っても、寂聴さんの話で、ついつい笑ってしまうということがありました。 当時、人と話すのが嫌だったので、孤独が癒されたとも思います。 法話を通して、だれでもみんな死ぬんだなあ、と、みんな、いろいろな言うに言われぬ苦しみを抱えてるんだと、自分だけではない、と思えたのです。 法話では、最愛の人が亡くなったという哀しみを訴える人も、いるのですが、そういうとき、寂聴さんは、会場の人に、「このなかで近い過去に、身近な家族が亡くなられた方?」と問われます。 必ず、手を挙げる人がいます。 私も同じ思いでした、と言って力づけてくれる人もいます。 悩みを訴えた方は、自分だけではない、ということに、気づきます。 法話の会は、良いお話を聞いた、で終わらない、なにかが、あるような気がしています。 最近では、CDも聞くこともないですが、現在、京都に住んでいることもあり、たまにはがきを出して聞きに行っています。 今回、質疑応答で心に残ったのは、夫の不満を延々と訴える女性の方への寂聴さんの言葉でした。 具体的な内容は書けませんが、夫に対して不満や不信があり、どうしても許せないという苦しみを話される女性に対して、寂聴さんは、こう言うのです。 「どうして、そんなに責めるの? あなたも許されてるんだから、ご主人のことも許しなさい。 これだけ言う、あなたをご主人は許してくれているんじゃない。 ご主人は離婚はしないと言ってくれてるんでしょ。」 ちょっと言葉は違ったかも知れませんが、こんなようなことを言われていました。 言われた彼女は、寂聴さんに何度きつく言われても、さらに、「でも、でも~なんです」と言いつのっていました。 なかなか、大変そうな人だなあと思ったのですが、そう思ったあとで、これは、人ごとではないなあと思い直しました。 自分も彼女のように、人の批判ばかりしていたときがあったのですから。 私も、本当は許されていたのです。 自分のことは棚に上げて、人を「許せない、許せない」と思っていたときでさえ、私は、許されていたのです。 それに気づかず、自分が嫌で嫌でたまらなくて、自分をなんとかよい人間にしようと頑張っていたので、まわりの人に対してもとても厳しい目で見ていました。 嫌だ、嫌だと思っていた、当時のあのままの自分で、本当は、許されていたのです。 まわりの人たちからも、そして、神さまからも。 寂聴さんは、言います。 「完全な人間なんていないんだから。」と。 そうなんだ、と思いました。 誰ひとりとして完全な人はいない、だから、欠けているところがいっぱいある自分も許されているんだ。 だから、どんな人であれ、許されて当然の存在なんだと。 「あなたも許されているんだから、あの人のことも許してあげなさい。」 「どんなあなたも、許されていますよ。 どんなひどいときのあなたでも。 だから、安心してていいのですよ。」 私は、そんなことを言われた気がしました。***********************私は多く傷つき、より多く苦しんだ人に、限りない魅力を感じます。挫折を味わった人はその分、愛の深い人になるからです。 瀬戸内寂聴******************************楽しくて、気持ちがラクになる コラージュ体験講座(京都にて) 2008.8.30(土)13時半より 詳しくはこちら
July 21, 2008

昨日に引き続いて、嵐山観光の様子を書いていきたいと思います。 昨日は、天竜寺の蓮、竹林、常寂光寺を訪れ、最後に、トロッコ列車に乗ることができました。 トロッコ列車が到着。 窓ガラスはなくて、おもちゃみたいな、かわいい列車です。 私たちが乗った5号車は、足元も網状になっていて、天上も透明で、風や空を体中で感じられました。 列車は、木々の中を駆け抜けていきます。 川の流れが涼しげです。 保津川下りの船も見ることができます。 私も、以前、桜の季節に乗りましたが、結構スリルがあって、楽しめます。 船頭さんも楽しい人で、笑えたような気がします。 窓から顔を出して、写真を撮って楽しんでいたのですが、帰りに椅子の横を見たら、窓から手や顔を出さないでください、と書いてありました。すいません。 鉄橋も見えました。 風が冷たくて、クーラーがないのに、とっても涼しかったです。 トンネルでは、ランプだけの明かりで、車内が真っ暗になり、楽しい気分になりました。 お客さんの写真を撮る人がいて、「できあがりを見てから、気に入ったら、買ってください」、と言って車内を回っていました。 夫と二人の写真を撮られて、「高いから買わない」と思っていたんですが、できあがりを見るとついつい「記念だよね」と千円もする写真を買ってしまいました。 終点の亀岡駅では、駅からでないで、そのまま帰ってきました。 ここで、バスに乗り換えて、さきほどの、保津川下りをされる方も多いようです。 写真をいっぱい撮ったところもみると、よほど楽しかったみたいです。 また、いつか機会があれば乗ってみたいです。 夏でも、嵐山で楽しめるんだなあと思いました。 夏は、川のそばがおすすめですね。嵐山もそうですが、宇治や、貴船。 貴船は、川床でのお食事も楽しめます。 山の中なので、涼しくて、これがまた、気持ちいいんです。 夏だけのお楽しみですね。 昨日は涼しいところを選んで行ったので良かったんですが、今日は、自転車で嵐山に行ったら、さすがにばてました。 日焼けして、暑さにぐったりです。 真夏の暑さですね。 みなさんも体に気をつけてくださいね。 どうぞ、三連休最後の日を楽しんでくさい!********************************楽しくて、気持ちがラクになる コラージュ体験講座(京都にて) 2008.8.30(土)13時半より 詳しくはこちら
July 20, 2008

今日は、夫と嵐山まで行ってきました。 川の近くは、風が冷たくて、とてもきもちがよかったです。 嵐山は、水の音や山から吹く風、緑がいっぱいで空気も良くて、大好きな場所なんですが、夏はあまり来たことがありませんでした。 もちろん、今日は、暑かったのですが、日陰に入ると涼しくって、やはり、家にいるより気持ちがいいなあと思いました。 人力車がたくさん並んでいました。 今回の目的は、天竜寺の池に咲いている蓮を見ようということでした。 池のまわりに、柵があってあまり近くで見れなかったのですが、蓮はとても大きくて、光にあたると透きとおってきれいでした。 来る前は、天竜寺から歩いて、大覚寺の大沢の池の蓮も見よう、と思っていたのですが、暑くて歩けそうもなかったので、涼しい竹林を歩くことにしました。 歩いていたら、トロッコ列車の駅の看板が見えたので、列車に乗ろうということになりました。 トコッコ列車は、よく走っているのは見かけるのですが、二人とも乗るのは初めて。 全席指定ということで、土曜日のため、切符が1時間後の列車しかとれませんでしたが、そのあと、近くの常寂光寺へ行ってみました。 緑がきれいなお寺です。 蓮も咲いていました。とんぼがとまっていて、おもしろかったですね。 高いところにあるので、景色もいいです。 長くなりそうなので、続きは、また改めて。 ********************************楽しくて、気持ちがラクになる コラージュ体験講座(京都にて) 2008.8.30(土)13時半より 詳しくはこちら
July 19, 2008
前に、92歳の鈴木キクエさんという方のお話を聞いて、心に残っています。 鈴木さんは、着物のハギレを使い、小さなお地蔵さんをつくり、欲しい人にプレゼントすることを生き甲斐とされているということで、紹介されていました。 今までに二千体は作っておられるそうです。 彼女の言葉がとてもいいんですね。 「今が一番幸せですね。 優しい家族に囲まれて、健康で。 人間、生きてきて80歳以上が一番、幸せだと思うんです。 この年になると、何をやっても、まわりからほめてもらえます。」 「嫁姑の関係もとてもいいですよ。 同居して三十年になりますが、喧嘩なんて一度もしたことがない。 息子夫婦は商売をしてまして、二人ともとても忙しい。 だから、私に、お勝手を預からせてくれるんですよ。 それがとてもありがたい。 朝、昼、晩の食事から弁当まで、私に作らせてくれる。」 「良くできた嫁でね、夜、食事の時、手を合わせて頂きますと いってくれる。 そうして、食事が終わったら、孫たちに向かって、 『とても、おいしかったわね。おばあちゃんに感謝の意を唱えましょう』 といってくれるんです。 私は気恥ずかしいんですが、本当にできた嫁です」 鈴木さんが、家族の食事を任されていることを、「私に食事を作らせてくれる」と感謝しているところで、はっとさせられました。 私がやってあげてる、それなのに感謝しない、とかって、思いがちなんですが、そうじゃないんですね。 やってあげたのではなく、させてもらった。 こちらが、感謝しなきゃいけないんですね。 お嫁さんもまた、立派な方です。 家族がお互いに感謝しあう、そのことが非常に大切なことだと改めて思いました。**********************************人間生きていて80歳以上が一番、幸せだと私は思うんです。 鈴木キクエさん(寂庵だより より)********************************* 楽しくて、気持ちがラクになる コラージュ体験講座(京都にて) 2008.8.30(土)13時半より 詳しくはこちら
July 18, 2008
少し前に、テレビドラマ「ホームレス中学生」を見ました。 家もなくなり、父親もいなくなった、子ども達が、友達、近所の大人達、学校の先生、いろんな人たちの優しさに助けられ、懸命に生きていく姿が、印象的でした。 私が印象に残ったのは、三人の兄弟達が、節約のために、と、ご飯粒をゆっくりかんで食べれば少ない量でも満腹になるのではないかと、実験をするところです。 ご飯一口を口に入れ、いつまでもかみ続ける三人。 姉が、「味がなくなって飲み込もうと思ったけれど、あきらめずに、かんでいたら、ふわっと味がした」というようなことを言います。 他の二人も、その味を味わいます。 兄は、それを「味の向こう側」と名付けます。 「この味は諦めずにかみ続けたものだけしか、到達できへんぞ。」 「ええ、教訓や。何でもかみしめて生きていこうや」 「うん、味の向こう側に行くまでな」 そんな、兄弟三人の会話、心に残りました。 私たちは、テレビを見ながらご飯食べたり、ご飯食べながら他のこと考えていたりします。 また、たとえ今、おいしいものを食べていても、テレビや雑誌で紹介されている、まだ食べたことのない、「もっとおいしいものを食べたいなあ」とか考えたりします。 本当にご飯を味わっているか、とか、ご飯ってどんな味と聞かれても、うまく答える、自信がありません。 田村さんは、ご飯が甘いと言われていましたが、甘いと感じるほど感謝してじっくり味わって食べることって、なかなか、ないです。 食べることって、一番シンプルで、大切な喜びです。 幸せとは、そこから始まるのかも知れません。 食べることだけでなく、「味わう、かみしめる」ようにして、生活することも大事だと思いました。 仕事が忙しいのが不満だとしても、自分に仕事が与えられていることをかみしめて、今この瞬間をすごしたり、逆に、良い仕事が見つからないが時間があるというのなら、そのゆったりとした時間をかみしめる。 家族がいるならその喜びを、いないなら、ひとりでいられる自由さを、どんな状況のなかでも、自分が与えられているものを見つけて、それをじっくりかみしめ、味わうということ。 健康や家族を失ってから、その大切さに気づくとか、仕事を失って、初めてそこに救われていたことに気づくとか、よく聞きます。 けれど、そういうつらい体験をして初めて、あたりまえに自分が持っているものを意識するのではなく、例えば、健康なうちに、体が動いてくれる喜びをかみしめることもできるのではないかと思います。 自由に歩ける、見れる、聞ける、食事を作れる、切符を買って電車に乗れる、お風呂に入れる、それを意識しないか、「うれしいなあ、ありがたいなあ」と思うかでは、生活の中の、喜びの量が違ってくる気がします。 書きながら、また、すぐ忘れそう、と思いますが、忘れたくないですね。 いま、「うれしいこと」を書く、日記を書いています。 「窓から入る、風が気持ちよかった」とか、ささいなことですがこんなことで自分はうれしいんだと、あとで見ると面白いです。 ***************************************・たいがいの人は幸福というものを、ある出来事にたいする反応として、かんがえているが、じっさいの幸福とはこころの状態のことであり、周囲で起こることとはほとんど関係がない。 ・幸福は、幸福な瞬間を経験することからやってくる。その瞬間をひきのばしていけばいいのだ。 「ライフ・レッスン」より ********************** 「楽しくて、気持ちがラクになる コラージュ体験講座(京都にて)」 2008.8.30(土)13時半より 詳しくはこちら
July 17, 2008
日曜日のドラマ、「Tomorrow」を見ています。 8年前に医師をやめ、役所に勤めていた男性が、医師不足で困っている地域で、赤字になってしまった市民病院を建て直す仕事にあたることになります。 医師がいない、お金がない、その市民病院は、診療科目を減らし、お金になる患者だけを診るよう方向転換を迫られるのですが。 医療制度の矛盾や、人間同士の絆、その男性がもう一度、医師に戻っていこうとする姿などが描かれています。 その男性が、緊急時、偶然居合わせたために、医師として人を助けることとなり、自分のあり方について悩みます。 そんなとき、病院の事務長だった男性と話をします。 主人公の男性は、こう言います。 「僕は自分のしたことに責任をとらずに ずっと逃げてきたんです」 すると、事務長だった男性は、こう答えます。 「人間、時には逃げる時間も必要なんじゃないですかね。 どんどん逃げて、傷が治ったら、また、やり直せばいいんですよ。 そう思わないと、私なんか、59年間、逃げたりやり直したり、 もう大変ですよ。」 そして、また、主人公の男性の助けによって、妹を救われた、看護師からは、次のように言われます。 「医者の資格って、目の前に患者がいて、その人を助けたいと思うかどうか なんじゃないかな。 あなたは、もう医者だと思う。」 医師の仕事をする資格がない、と思っていた彼が、もう一度医師として働くことを決意します。 逃げてもいい。 傷が癒えて、また、必要とされて、自分も動けるようになったら、そのときまた、もう一度始めればいい。 長いブランクのあと、現実には、難しい問題もあると思いますが、ドラマの中の彼は、いろんな怖さと、そして自分と向き合いながら、一歩一歩進んでいくのでしょう。 私も、人は逃げてもいいのだと、思っています。 私もそう思わないと生きていけないですから。 まだまだ先は、長いですし、逃げたりやり直したり、繰り返しながら、のんびりやっていこうと思っています。 ******************************** 人間、時には逃げる時間も必要なんじゃないですかね。 どんどん逃げて、傷が治ったら、また、やり直せばいいんですよ テレビドラマ「Tomorrow」より
July 16, 2008
京都は、祇園祭の時期を迎えています。 コンチキチン、という祇園囃子と共に、山とか鉾と言われる御神輿(?)が京都の街に姿を現します。 山鉾が引き回されるのは、17日ですが、その前夜にあたる、今日明日は、それぞれの町内に飾られた山鉾に、明かりがともされ、京都の中心、四条は、歩行者天国となり、夜店が出て、大勢の人でぎわいます。 宵々山といわれる今日、私は、夫と待ち合わせをして、行くことにしました。 ところが、夫の待ち合わせの時間までにかなりの時間があった私は、喫茶店に行っていたのですが、店から出たとたん、すごい雨に降られ、私は、傘も持っていなかったので、動けなくなりました。 そこで、雨宿りすることに。 夕立だからすぐあがると思ったのですが、全然あがらず、屋根のあるガレージの中で、雨の上がるのを待っていました。 ガレージの中には、一段高くなって座れるところがあったのですが、他の人が座っていたので、私もちらりと見たんですが、ちょっと座りにくいなあと思っていたら、おばさん二人組が、「ここ座れるよ」と、声をかけてくれました。 ありがとうございます、と私も座り、ほっと一息でした。 結局、夫と合流したあとも、雨のため、あまり夜店で買い食いもできず、早めに帰ってしまいました。 それでも、お祭りの雰囲気は味わってきました。 関西に越してきてから、関西のおばちゃんと言われる人たちが、おもしろくて、やさしいので、とても楽しい思いをしています。 スーパーで焼きそばの麺を買おうとしていたら、突然、おばちゃんに話しかけられ、焼きそばの麺でサラダスパゲティをどうつくるかということを延々とレクチャーされたことがあります。 ぶつかりそうになった、おばちゃんから、「ごめんなあ。年寄りだから、ゆるしてな。」「いやいや、私がぼうっとしてたんですよ」「・・あんた、べっぴんさんやなあ。」「は?」というやりとりがあったり。 また、デパ地下で、試食していたら、「これ固いわ~。なあ」とか「これおいしいけど、高いなあ」とか話しかけられたり、私が買おうとしてたソーセージを「こっちやめて、こっちしとき。」とアドバイスくれたり。 植物園に行ったら、ピクニックに来ていたおばちゃん達に、ロールケーキと珈琲などいただいたり、ベンチに座っていたら、年配の方に、飴をいただいたり。 お祭りでも、私がひとりで出没するせいか、いろいろ話しかけられます。 以前は、しゃべりかけられるといったら、新興宗教の人ぐらいで、見知らぬ人と会話をすることなど、あまりなかったのですが、この頃は、話しかけられても驚かなくなりました。 私もいずれは、「関西のおばちゃんやな~」と言われるように頑張りたいと思います。(何を頑張るのか・・・?) 手始めに関西弁を・・・と思うのですが、夫との間では言えても、他の人にはなかなか言えませんね、間違ってそうで。 それに、夫の影響で、男みたいな関西弁になってそうです。 気さくで、オープン、いろいろ経験しているから、ちょっとやそっとのことではびくともしない、「かまへん、かまへん」と、にこにこしている、そんなおばちゃんになれる日がくるんでしょうかねえ~。 ************************************愛はそれを待ち構えているときではなく、予想もしないようなときにやってくる。 「すべてがうまくいくやすらぎの言葉」ルイーズ・L・ヘイ
July 15, 2008
「ようこそ先輩」というテレビ番組(再放送)を見ました。 様々な分野で活躍中の人が、自身の母校へ行って、子ども達に授業をする、という番組です。 この回は、お寺の住職で、庭園デザイナーでもある、枡野俊明という方が先生でした。 ぼーっとすること、そうした空間、時間が、とても大事なのだと枡野さんは言います。 「ぼーっとするというのは、自分自身を知るためのきっかけなんですよ。 とらわれない、純粋な気持ちになって、心を内に向けると 思うんですね。 心を内に向けたときに、自分自身のことを考えるんじゃ ないんですか」 枡野さんが一貫して持ち続けているお庭のテーマは、庭を訪れる人が、日常のとらわれを忘れ、自分を見つめ直すような空間をつくることだそうです。 思わずぼーっとしてしまう場所が現代人には、必要なのではないか、と考えているのです。 授業の中で、枡野さんは、子ども達に、学校の中で居心地のいい場所を見つけて、そこでぼーっとして、体で感じるよう言います。 ところが、子ども達は何もしないでぼうっとすることができません。 枡野さんは、家庭や学校で、子ども達にぼうっとさせないようにさせているのではないか、と話されていました。 だから、なにかしなきゃいけないという気持ちになってしまう、と。 枡野さんの子ども時代には、無心になって目の前のものをぼーっと感じる時間があったと言います。 それは、自然を体で感じ、自然と対話する貴重な時間だったと枡野さんは、振り返ります。 子ども達は、枡野さんに促され、しだいに、地面に寝ころんだり、木々の揺れる陰を見つめたり、噴水をただ見ていたり、木の上に登ったり、思い思いにぼーっとして、過ごし始めました。 そして、子ども達は、最後にその時の感じを、小さなお庭として自分たちでつくりあげるのです。 子ども達ひとりひとりがまったく違う、独創的なお庭をつくっていました。 ひとりひとりが、気持ちよさの感じ方がまったく違うということが素晴らしいし、子ども達の心の豊かさが伝わってきました。 私は、人の心の表現、広がり、その美しさに、心惹かれてしまいます。 地球は大きく、宇宙は果てしなく広く、その中で、人間は、ほんとうにちっぽけな存在なわけです。 それでも、人の心というものは、宇宙と同じぐらい広く広がっているんじゃないかと思いました。 豊かで、奥が深くって、いろんなことを感じたり考えたりできる、素晴らしい、人間の心。 その本来の心の広がりを取り戻すために、「ぼーっとする時間」が人には必要なのではないかと思いました。 気持ちよくて、リラックスして、無心になって、何もしないで、ただ「そこにいる」。 自然を体で感じる。何かをするんではなく、ただ感じる。 そんな時間を持つことは、時間の無駄どころか、時間のとても大切な使い方なのではないでしょうか。************************************ ぼーっとするというのは、自分自身を知るためのきっかけなんですよ。 枡野俊明(住職、庭園デザイナー)***************************************「楽しくて、気持ちがラクになる コラージュ体験講座(京都にて)」 2008.8.30(土)13時半より 詳しくはこちら
July 14, 2008
斉藤茂太さんの本「続 いい言葉はいい人生をつくる」を読んだんですが、この本に出てくるこの言葉が心に残りました。 「ほめて、ほめて、ほめて・・・・・。 天にも昇るような気持ちにさせて人を元気にする」 元ダイエーCEOの林文子さんの言葉だそうです。 彼女の場合、たぶん、社員に対してだと思うんですが、天にも昇るような気持ちにさせるほどほめるって、すごいですね。 大好きな友人や、あこがれの人なら、どれだけでもほめられるのに、自分の身近な人や、特に、自分に対しては、ほめることは難しいですね。 前に、「クイール」という映画を見たときに心に残ったのですが、こんなことを言っていました。 盲導犬の候補になった子犬は、1歳までの間、パピーウォーカーというボランティアの家庭で育てられます。 子犬を渡されるときに、パピーウォーカーとなった人は、盲導犬訓練所の職員からこんな注意を受けていました。 これから1年間、「この子を何があっても叱らないでください」と。 パピーウォーカーの役目は、子犬に人間の優しさを教え、人間に対する親しみや信頼感を持たせることだというのです。 子犬は、いろんな困ったことをすると思うのですが、それを叱らないということは、すごいことだなあと思った覚えがあります。 盲導犬になるには、訓練所に入れば、厳しい訓練が待っていますし、その後も、人間のために働き続けます。 その土台として、それだけの愛情や優しさを注がれる経験が必要だということなのでしょうか。 犬の1歳が人間で言うと17歳ぐらいらしいのですが、このことを考えると、犬にとってそれだけの長い時間叱られることなく安心感をもって過ごすことができるのは、とても大きなことだと思いました。 叱ることも大切だと思われる方もおられるかと思いますが、叱る方は相手を思って愛情を持って叱っていると思っていても、叱られる方には、なかなかその愛情は伝わりません。 タイプによるとは思いますが、私自身、叱られて、奮起してやる気を出すというよりは、自信をなくすことが多かったように思います。 聞いた話ですが、叱っても愛情が伝わるのは、常日頃から、相手のいいところをほめ続けて感謝して、愛情が十分伝わっている状態で、叱る場合だけだというのです。 ほめることは怠って、叱るときだけ愛情で叱っていると言っても、伝わらないのです。 私は今、叱る相手はいませんが、自分に対しては、これではいけない、とか叱ることはあります。 もちろん、自分のために言っているのですが、たぶん、愛情は伝わっていないでしょうね。 天にも昇る気持ちになるほどほめるって、どれぐらいほめればいいのか分かりませんが、自分をほめてみたいと思います。 ほめて、ほめて、ほめぬく。そして、感謝して。 そうやって、いつも心の愛情のタンクをいっぱいにして、そんな自分が何をするのか見てみたいと思いました。*************************************** ほめて、ほめて、ほめて・・・・・。 天にも昇るような気持ちにさせて人を元気にする 元ダイエーCEOの林文子
July 13, 2008
北陸の田舎に、私の叔母の家はあります。 見渡す限りの田んぼ。 田んぼの間に家が、ぽつん、ぽつんとあるだけです。 その叔母の家に初めて泊まりました。 叔母の家で過ごしたとき、どの部屋へ行ってもさんさんと太陽の光が差し込むことに、驚きました。 洗面所でも、トイレでも、行く部屋、行く部屋に大きな窓があり、朝からとても明るいのです。 私がここまで驚いたのは、自分がマンション暮らしで、昼間でも電気をつけないといけない場所があるからだと思うのですが、私には、新鮮でした。 おばさんの家の窓から外を見ると、さえぎるものがないので、えんえんと続く田んぼが見えるし、離れている道路の車まで丸見えです。 あまりに見晴らしがいいので、それも、びっくりしていまいました。 叔母の家では、5時ぐらいから明るくなるので、どうしても早く目が覚めてしまい、早朝、散歩に出ることにしました。 「しーん」として、鳥の声しか聞こえないだけでなく、見渡す限り青々と茂った田んぼで、道路はまっすぐ延びて、ずっと先まで見えます。 空は、薄いオレンジ、淡いピンクの雲がひろがり、真っ赤な朝日が昇ってきます、 青い苗の葉っぱには、朝露がいっぱいで、宝石のついたネックレスのように輝いています。 それが朝陽を浴びて、しだいに、やわらかいオレンジを帯びてくるのです。 ため息が出るほどの美しさでした。 天国かと思いました。 私は、こうした静けさ、自然の美に、幸せを感じます。 昔は、自分がこういうことに喜びを感じるということに全く気づきませんでした。 当時は、もっと「大切なこと」、勉強や仕事、人間関係のことで、頭がいっぱいだったのです。 人それぞれ、幸せを感じる瞬間が違います。 自分が親戚の人の集まりに出たり、あまり知らない人たちの間にいると、自分が人とほとんど共通の世間話になりそうなネタを持っていないことに気づきます。 私が話したいことはどうも、他の人には興味が持ってもらえないようなのでした。(当然といえば当然ですね) ここ数年、やりたいと思うこと、やってみたいと思っていたこと、おもしろそうと思うことに、ひとつひとつやってみました。 自分がますます「自分」になってきている気がします。 集団では孤立しがちだけれど、自分がいいなあと思うことを人生の中心においているので、日々、幸せだなあと感じる瞬間が少しずつ長くなってきています。 前に「魂萌え」という映画を見たことを思い出しました。 本当に素晴らしい映画でした。 夫を亡くした妻が主人公で、彼女が、夫の死後初めて夫に愛人がいたことを知り、そのショックと怒りをバネに、自分を変えていくお話です。 平凡な主婦だった彼女が、今までだったら絶対しなかったような冒険を次々するのです。 したいと思っていたこと、だめだと言われても諦めずどんどんぶつかっていくのです。 それまで彼女がしてこなかったこと、できなかったことを全部するのです。 おしゃれして、どんどん外へ出て行き、言いたいことを言い、嫌なことは嫌だとだめなことはだめだとはっきり態度に示すのです。 怒りは、自分に向けたり人に向けると害がありますが、自分を変えるエネルギーにも変わります。 だから苦しいときに人間は成長し変わるのかも知れません。 彼女の姿はかっこよかったです。 人はいくつになっても変われるのだと思いました。 せっかく、生まれてきたのだから、やっぱり、「好きなことをして」「したことのない経験をして、見たことない素晴らしいものを見て」「自分の心に嘘をつかずに生きる」、そうやって生きていけたらと思うのです。************************************** 人間はなぜこの世に生まれてくるのか。 人間は幸せになるためにこの世に送り出されていくると私は信じます。 ひとりひとりが幸せになっていいんです。 瀬戸内寂聴**************************************** 「楽しくて、気持ちがラクになる コラージュ体験講座(京都にて)」 2008.8.30(土)13時半より 詳しくはこちら
July 12, 2008
祖母の葬儀のため、叔母の家に泊まっていたとき、ついていたテレビを何気なく見ていたら、「楽をしていいんですよ」こんな言葉が、聞こえてきました。 その番組は、発達障害の子供を持つ母親への支援についての特集でした。 発達障害の娘さんをもつ、ある母親は、目の離せない娘の世話で、疲れきっていました。 そんなある日、その母親は、発達障害の子どものための施設の職員からこんなことを言われます。 「お母さん、考え方が古いんですよ。 もっと楽していいんですよ。」 それから、その母親は、毎週末、土日に子どもを預けることにしました。 気持ちに余裕ができたのでしょう。 子どもにも母親にも、笑顔が戻ってきたのです。 この番組、ちらっと見ただけなので、細かい言葉や状況は違っているかもしれませんが、私が受け取ったことはこんなことでした。 母親は、たぶん、真面目に一生懸命子どもと関わってきたのでしょう。 大変だと思いながらも、自分の子どもの世話を誰かに頼むなんてことは、とんでもないことだと考えていたのだと思うのです。 自分の娘の面倒を見るのは母親なら当然だ、と。 仕事だから自分がやるしかない、家族なんだから自分が見るしかない、逃げてはいけない、この人が苦しんでいるんだから自分だけが楽をしてはいけない。 そうやって、歯を食いしばって苦しい状況の中、じっと耐えて頑張っている人がいます。 重荷を下ろそうとすると罪悪感が自分を責める言葉となって、苦しめるのです。 実際に批判する人もいるでしょう。 でも、批判する人は本当にあなたの幸せを望んでいる人でしょうか。 もっと大変な人はいる、自分はたいしたことはない方だから、と誰かと比較するのではなく、自分の中で苦しいなら、そのことを手放してもいいのではないでしょうか。 自分が苦しいと思ったのなら、そのことは、やはり苦しいのです。 立派な人になろうと模範的な人になろうと、苦しい顔をしている人より、自分のできることだけやって、できないことはだれに助けてもらって、笑顔でいることの方が、自分にとっても人にとってもいいことのような気がするのです。 もっと、楽をしていいんです。 楽になることは、罪ではないのです。*************************** もっと寛大になりなさい。 人にも、そしてだれよりもあなた自身に。 「宇宙で唯一の自分を大切にする方法」山川亜希子著
July 11, 2008
しばらく、間が空いていましたが、コラージュをつくるワークショップをまた、開催します。 やりたいなあと思ってから会場をとるので、少し先なんですが、8月の30日、土曜日、1時半から4時半を予定しています。 京都市のウィングス京都という施設にて行います。 参加費は、3千円です。 コラージュに初めてふれたのは、10年以上前です。 たまたま、コラージュ・セラピーの研究会に参加して、コラージュを作ってみて、おもしろいって思ったことと、その研究会の講師の先生も素敵で、グループの雰囲気もいいので、月に一回ですが、6年間も通いました。 コラージュは、画用紙といらない雑誌や広告、はさみとのりさえあれば、できてしまいます。 自分が好きだなあと思う写真や文字を切り抜いて、画用紙に貼り付けたり、絵を描いたり、自分の好きなように表現するだけです。 作るだけならそこで終わってしまいますが、そのコラージュを第三者に見せて、説明し始めると、そこから、世界が広がってきます。 自分の好きなもの、希望や思いなど、自然に言葉になってきます。 コラージュを無心になって作ることがまず楽しくって、そのあと、表現されたものを人と分かち合うことで、さらに、気持ちがほぐれてきます。 とても楽しく、私は、セラピーなどの現場を離れても、楽しみとして、さらには、自分の表現や心のケアのひとつとしても、作っています。 アート・セラピーとしてコラージュを学んでいた頃から、その講師の先生が、あるクライエントさんが、コラージュをつくってそれを壁に飾っていたら、そこに表現された希望が叶っていったという話をされていました。 そのときは、そういうこともあるのかというぐらいでしたが、あとになって、自分が作ったコラージュのなかから、いくつかのことが実現していることに気づきました。 そのあとだいぶたってですが、「夢コラージュ」という願望実現の方法があると知って、びっくりしました。 当然、興味津々で、そのセミナーも受講しました。 やはり、つくったコラージュの中から、いくつか叶いました。 次に、スクラップブッキング・セラピーのセミナーにも出てみました。 実際の自分や家族のなどを写真を使って作る、スクラップブッキングも、コラージュと似た部分があり、やはり、癒しの力があることを体験的に理解しました。 今も、買い物に出ると、きれいな紙やノート、絵ハガキを見ると、つい引き寄せられていまいます。 紙でできたものが好きなんですね。 本も好きですが。 新品の本を開く瞬間や、新しい紙のにおいや表紙の質感など紙フェチか、と思えるぐらい好きです。 人と話すことは苦手なのに、自分の思いはいっぱいあるという、自分には、表現するものが必要です。 そこで、私にとっては、紙が必要なんですね。 紙があるから、文章も書けるし。 今は、パソコンで書いていますが、アイディアをメモするときは、紙です。 とにかく、紙が好きで、紙を切ったり貼ったりするコラージュは、自分に向いていたんだと思います。 話が思いっきりそれましたが、コラージュを作るための、楽しくて、守られた場所を作ってみたくて、コラージュのワークショップを始めました。 開催するにはエネルギーもいるので、大体2,3か月に一回ぐらい、元気が出るとやっているという感じですが、そんな感じで3年近くやっています。 もし、作ってみたい、楽しんでみたいという方は、どうぞお越しくださいね。 詳しい情報は、こちらから。 余談ですが、 そのコラージュの研究会の先生が、いつも、思春期の子ども達を理解するための本や漫画、絵本、もしくは、人の心を深く理解するための本などを紹介してくださるのですが、私は、その本を必ず読むようにしていました。 そこで、知ったのが、「アルケミスト」です。スピリチュアルのことに関心を持ったきっかけになった本です。 そんなわけで、研究会で、本を紹介してもらうというのが、私は楽しみでした。 だから、自分も本を紹介してみたいなあと思っていました。 その先生の影響で、ブログやワークショップで本を紹介させてもらっているような気がします。 また、私が当時中学生の男の子と関わっており、その彼と共通言語を持つために読んだのが、「ワンピース」という漫画でした。 今日の言葉は、その「ワンピース」という漫画からです。 今日のブログの展開から、ちょっと無理がありますが。 この漫画、海賊である登場人物達が、いろんな島での人との出会いや冒険を通して友情を深めていきます。 海賊なのに泳げない、主人公ルフィが、敵の男から、「てめえに何ができる?」と問われて答える場面の一言です。 それぞれの登場人物は、完璧ではなく、欠けてる部分がたくさんありますが、互いの弱さや欠点を補いながら、危機を乗り越えていくのです。 ********************** 「何にもできねエから助けてもらうんだ!」 「おれは助けてもらねエと生きていけねエ自信がある!」 「ONEPIECE(ワンピース)」10巻 集英社より
July 10, 2008
映画「ザ・マジックアワー」を観ました。 笑えました。 後ろの席の人が、大笑いしているのが、また、笑えました。 私は、映画というと、本当は、自然の美しい場所で人と人とのしっとりとした関係を描いたものが好きで、どたばたしたものやコメディはどちらかというと苦手だったんですが、コメディもいいですね。 設定や状況が、非現実的で、こんなことありえない~と思いながらも、ついつい見入ってしまいました。 私は、泣けるほど心を揺さぶられたわけではなかったのですが、じわーっと感じるところもありました。 売れない役者が主人公で、ひょんなことから、やくざのボスの前で殺し屋を演じることになるのですが・・・。 役者である主人公は、芝居を愛し、映画を心から愛しているのに、自分を表現する場所がない。 若い頃ならともかく、中年を過ぎた彼は、自分の夢は、どうやらそれは叶いそうもないことを何となく感じている。 だけど、心の底で、もしかしてって、思っている。 こういうことって、どんな人も共感できることではないかと思います。 希望を持つと、それが叶わなかったときに失望したり、傷つくから、むしろ、希望を持たない方がいいんだと言う人もいるかも知れません。 自分も、がっかりすることがあると、そうなります。 でも、やっぱり、人生って何が起こるか分からない。 人生の中で、ほんの一瞬でも、魔法のような時間が訪れるかも知れない。 なんだか、この映画から、「どんな形で自分の夢が叶うかわかんないんだよ。人生って分からないんだよ、次の瞬間何が起こるかは。」そんなことを言われたような気がしました。 そして、本当は、気づいていないだけで、もう叶ってるんだと。あなたがしてきたこと、築き上げてきたことをもう一度見直してごらん?と。 主人公の彼が今までやってきたことは、何一つ無駄になっていなかったのです。 今日の言葉は、同じようなメッセージをくれた、ある映画の原作本から。***********************************思ったように人生が進んでいかないということは、あるかもしれない。だが、もしかしたらきみの人生には、これまで思ってもみなかった、すばらしいことが待っているかも知れないんだよ。きみの人生そのものがひとつのチャンスなんだ。 「マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋」スザンヌ・ウェイン著
July 9, 2008
この間、「3ヶ月トピック英会話」という番組で、赤毛のアンの物語の素敵な文章が紹介されていました。 もう終わってしまって残念なんですが、赤毛のアン、もう一度読んでみたいなあと思いました。 今回紹介されていた言葉のなかで、私がいいなと思ったのは、この文章です。 I believe the nicest and sweetest days are not these on which anything very splendid or wonderful or exciting happens, but just those that bringsimple little pleasures, following one another softly, like pearls slippimg off a string.(幸せで楽しい暮らしとは、華やかなこと、驚くようなこと、胸ときめくようなことがおきるような毎日ではなく、さりげない小さな喜びをもたらす一日が今日明日と、静かに続いていくことなのね。 まるで、真珠がひとつまたひとつと糸からすべり出ていくように。) 「アンの青春」モンゴメリ著 毎日の暮らしを、真珠に例えているところが、本当に素敵だなあと思いました。 同じような繰り返しの一日でも、無駄に過ぎてしまったように思える一日でも、真珠のように輝く何かが本当はあるはずなのです。 それを意識するかどうかは、本人の選択に任されているのでしょう。 この間、「どんな仕事も楽しくなる3つの物語」という本を読みました。 この本には、どんな仕事であっても、感動を得られるのだ、と書かれています。 つまらない仕事も、つまらない人生というものもなく、つまらない人もいない。 そこに隠れている素晴らしさ、輝きを発見していくことが、大切なことだと今の私は思っています。***********************************************そもそも、君は人生が素晴らしいものだと思って生きているかい? 「どんな仕事も楽しくなる3つの物語」福島正伸著より
July 8, 2008
映画「ぐるりのこと。」を見ました。 前半は、私が思っていた、映画のテイストと違って、違和感があったのですが、後半は、気持ちを揺さぶられて、引き込まれました。 かなり心の体力を使う映画だと思いました。私は、しんどかったです。 救いのない場面もありましたから。 ただ、見終わったとき、ああ良かったとほっとしました。 人は癒されていくんだと、時間の経過の中で、人との関わりの中で、必ず癒されるんだと、改めて思いました。 時間はかかるかもしれない、けれど、必ず道が開けてくるのだ、と。 これは、夫婦の物語なんですが、リリー・フランキーさん演じる夫がひょうひょうとして、つかみ所のない人なんですね。 一方、木村多江さん演じる妻は、神経質できちんきちんとした人でそれがユーモアを持って描かれているんですが、彼女は、生まれたばかりの子供を失うことで、深い闇へと引きずり込まれていきます。 それを知りながらも、夫は、彼女の苦しみを正面きって聞こうとはしないまま、今まで通り淡々と、時間を過ごしていきます。 妻の方は、誰からも、理解されていないと感じて、孤独を深めていきます。 けれど、彼女が夫にぶつかっていったとき、夫がどういう気持ちでいたのかが初めて分かるのです。 夫婦といえども、感じ方や、物事の受け止め方、考え方が違います。 けれど、分かり合えなくても、人は、寄り添うという形で支えることができる。 そんなことを思いました。 この間、夫と、言葉の受け止め方の違いで、延々と議論しました。 結局は平行線で、話しても無駄だね、ということになりました。 分かって欲しいのに、私の感じ方を理解して欲しいし、また、夫の言わんとすることを理解したのに、いくら言葉を尽くしても分からない。 限界があるんですね。 一番長い時間一緒にいるし、すごく話しているのに、違う世界にいるんです。 でも、そのあとで、同じアイスクリームを食べて、おいしねと笑いあっていました。 それでいいんだなあと思いました。 一人ひとり感じ方の違う、分かり合えない人間同士が、それでも一緒にいたいと思う、それが大事なのだと。 そして、思い出したのが、精神科医キューブラー・ロス博士の話です。 死が近くなって人が最後に求めるのは、自分のことを大切だと思ってくれる人がそばにいて欲しいということなんだそうです。 「死ぬ瞬間」という本に出ていたと思って本棚を見ていたんですが、なかったので、彼女の本で「ライフレッスン」という本を持ってきました。 「ライフレッスン」という本の中でも、似たような話が出ていたので紹介します。 がんで入院していた38歳の男性が、見舞客も付き添いもいなく、孤独に苦しんでいました。 恋人や奥さんはいないの?と話を聞くと、彼は、自分は女性を幸福にできないので、女性との関係で自分から手を引いてしまうということでした。 その男性に、ロスは言います。 「もし愛が、相手の女性を幸福にすることじゃないとしたら? そんなこととは無関係に、ただそばにいることが愛だとしたら? 誰かをいつも幸福にしてあげることなんて、できるわけないわ。 相手を幸福にするというおもいいこみをすてて、ただそばにいると いうことが、長い目でみれば、相手を幸福にすることとかんがえて みたら?」と。 「入院して、前立腺がんの治療をうけているあなたを幸福にできる女性・・・ 女性じゃなくても、だれでも・・・・なんていないかもしれない。 たとえいても、たいしたことはできないかもしれないわ」 「でも、だれかとくべつな人があなたといっしょに、ずっとそばに いてくれたら、それはたいしたことでしょ?」 一緒にいる、共に時間を過ごすということの重みを感じています。***********************************愛において、人生において、臨終において、そばにいることはすべてである。 「ライフレッスン」エリザベス・キューブラー・ロスほか著より
July 7, 2008
映画「西の魔女が死んだ」を見てきました。 期待通りの素晴らしい映画で、帰るとき、気持ちがあたたかくなって「見れてよかった」と思いながら、余韻を味わっていました。 自分がこれからどうなっていけばいいのか、そんな漠とした不安に、この映画にでてくる「おばあちゃん(魔女?)」の生き様が、ヒントをくれたような気がしています。 こんなおばあちゃんになりたい、私はそう思いました。(映画の内容やセリフについても、ふれていきますので、ご注意ください) おばあちゃんと孫娘とのあたたかい気持ちのやりとりがこの映画の中心にあるのですが、おばあちゃんの振る舞い、表情、すべてに、孫娘まいへの愛情にあふれていて、言葉に出さなくても、それが画面から伝わってきます。 そして、おばあちゃんは、孫娘まいのどんな質問にも、正直に、そして素直に答えて、まいの成長を見守ります。 まいは、中学生ですが、私自身にも当てはまるような、いろんな苦しさの中にいます。 人間関係の難しさから学校へ行けなくなったまいは、おばあちゃんのもとで暮らすことになりますが、おばあちゃんのもとへ行ったからといって、苦しいことがなくなるわけでなく、自分の気持ちに振り回されることになります。 まいは、おばあちゃんのもとで、魔女修行をすることになり、日常生活の送り方から、自分の心とのつきあい方まで、いろんなことをおばあちゃんから学ぶのです。 特に、死についてのおばあちゃんのレクチャーは、素晴らしかったです。 人は死んだらどうなるのか。 死んだら、体がなくなってしまうのは分かる。 でも、この自分の意識はどうなってしまうのか。 今考えている「自分」というものも消えてしまうのか。 その答えをおばあちゃんはこんなふうに答えています。 「死ぬ、ということはずっと身体にしばられていた魂が、身体から離れて自由になることだとおばあちゃんは思っています。」 「魂は身体を持つことによってしか体験できないし、体験によってしか、魂は成長できないんですよ。 ですから、この世に生を受けるっていうのは魂にとっては願ってもないビッグチャンスというわけです。 成長の機会が与えられたわけですから。」 実は、先日、祖母が亡くなりました。 旅行に行っていたのでブログをお休みしてたんですが、旅行から帰ってきた次の日の朝、入院中の祖母が亡くなったと電話がありました。 あわてて、また旅支度をして電車に乗り込みました。 早く着いたので、部屋に寝かされている祖母に会うことができました。 お棺に入る前の祖母は、髪も染められてきれいにセットされ、おだやかな顔をしていてとてもきれいでした。 でも、その体には「おばあちゃん」はいませんでした。 ドライアイスで冷やされている、おばあちゃんの体は、もうおばあちゃんではなくなっていました。 「おばあちゃん」。声をかけてみましたが、おばあちゃんはもう返事をしてくれません。 けれど、心の中で、「おばあちゃん、ありがとう」とそう話しかけると、ふっと気持ちがあたたかくなりました。 おばあちゃんは、いなくなったのではない。 おばあちゃんが火葬されるとき、もうおばあちゃんに会えなくなってしまう、本当にいなくなってしまう、と怖くなりました。 けれど、おばあちゃんの「体」がなくなることは、おばあちゃんがいなくなることではない、と思い直しました。 私におばあちゃんを思う気持ちさえあれば、おばあちゃんのことを思った瞬間に、「おばあちゃん」自体は存在していて、心の中でお話しできるのだ、と。 同居しているような家族だったら、そう思えないのかも知れません。 でも、「死」ってなんなのか、そのことを日頃から考えてくことで、大切な人を亡くしたとき、自分が死に面したとき、自分なりの考え方があれば少しは、うけとめる助けになるのではないかと思うのです。 映画の中でも出てくる、「おばあちゃん大好き」という言葉。 私も心の中で、繰り返していました。 おばあちゃんの葬儀では泣けなかったのに、映画を見ながら、おばあちゃんの愛情を思い出し、胸が熱くなりました。 なんだか、葬儀の日から、茫然自失という感じで、疲れていたんですが、映画を見に行って、気持ちが楽になりました。 魂は成長するために、体を持った。 そうだとしたら、死とは、成長をし終え、体から出て行って、自由になれる、喜ばしいことなのなのでしょう。 自分がなくなってどこへ行くのか分からないという、恐ろしいことではなくて、「よくやった、よくがんばった」「よく学んだ」「いろんなことを体験して素晴らしかった」「もう自由だよ」、そう言われる、晴れがましい瞬間なのかもしれません。 すべての体験が、魂が成長したくて、魂が望んだことなのだ。 体を持っている今しか体験できないこと。 それを思う存分楽しめたら、そう思いました。******************************魂は成長したがっているのです。 「西の魔女が死んだ」梨木香歩著より
July 6, 2008
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