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梅漬けの季節です。菩提寺でいただいた青梅を梅ジュースに漬けました。その時のことです。いただきものの上白糖の出番です。我が家では お料理に上白糖を使用しませんのでこの日のために、いただきものの上白糖はお蔵入りで出番待ちでした。週末の朝、ダーリンが、お砂糖の箱ののし紙をはずし、包装紙をはがし、紙箱から、お砂糖を出して、果実酒瓶に、きっちり1キロはかって凍らせた青梅とお砂糖を入れていきます。毎年の行事ですから、ダーリンにはそれなりのノウハウがあってなかなか、うんちくがございます。2瓶、3瓶と梅漬けが仕上がっていきます。青い梅と白いお砂糖が、きっちりと詰められダーリンはA型らしい、良い仕事しています。「あれ?この袋、ネズミにかじられているよ」確かに、上白糖6袋入りの箱の、ひと箱は何ともないのに、2箱目の袋はお砂糖の上の端が、何かにかじられて、お砂糖がこぼれています。「あっ、これも、これも・・」気持ちの悪いものです。伊勢原商店街の中の商店の包装紙ですので、電話して、現物をもって、交換をお願いしました。お砂糖のビニール袋6袋の端が、何かにかじられています。包装紙と紙箱は無傷ですので包装前にかじられていて、商店が気付かず、包装紙納められたものと考えられます。温厚な商店の老夫婦は「メーカーから原因を報告させますので・・」と言っていた。私は、交換していただくだけでは申し訳ない・・(無くないけど)ついでにその商店で買い物もして、帰宅した。今朝、その商店の卸問屋K屋から電話があった。ぐずぐずと「理由がわからない・・」事を述べていた。私、「まず、謝るのが先ではないの?」と言い返した。なってない営業だ。うちの営業社員も、こんな誠意のない対応を客先にしてるのだろうか?うちの社員なら、お払い箱だ。きっちり、仕事せい!弊社は、お客様の立場にたって製造したいものだ。午後もがんばろう~♪
2010年06月28日
相模原市津久井町青根に緑の休暇村があります。その中に源泉かけ流しの「いやしの湯」があって、いやされてます(笑)私の所からは、七沢温泉を通り抜け、宮が瀬ダムを越え、1時間弱のドライブコースです。施設はまだ新しく、なんたって源泉かけ流しなのがうれしいところ。女湯では、源泉そのままの浴槽にゆっくり浸かる方が多いです。昨夜も、7時半ごろまで明るくて、露天風呂から眺める夕暮れも素敵でした。みんな、癒されてるのね。
2010年06月25日
ダーリンの故郷の岩手のY社長から黒パグの女の子を押しつけられました。春のことです。弊社の2階ホールで「大森良三&京展」を開催した時のこと、個展を見にいらしたY社長が「うん、ここに決めた。ここしかない」と勝手に決心されて、黒パグのなっちゃんと、白ペキニーズのグーちゃんを、我が家に押しつけようとしているのです。6匹のうち2匹を、譲りたいとのことだそうです。翌日には奥さまと、可愛い黒パグちゃんと白ペキニーズちゃんを同伴して、おいでになられました。白ぺキのグーちゃんはまっことに愛らしいのです。抱き上げるとふわふわで、まるでぬいぐるみのようです。中国の御姫さま方が愛したというその犬の性格は穏やかで、静かで、品があります。がちゃがちゃしていないのです。こぼれんばかりの大きな目で見つめられると手放せなくなります。長毛の白い毛が魅力なのですがその毛に悩まされそうなので、固くご辞退しました。私は、犬も猫も好きです。生家には、いつも犬がいました。父が犬が好きで、大型コリー♂がいて、次はシェパード♀。小学校6年生になったとき父が「自分でちゃんと世話できるなら、スコッチテリアをもらってあげる」と初めて自分の犬を持ちました。20歳のお祝いには白いトイプードル♂この子は結婚した時、連れ子として一緒に伊勢原に来ました。そのあと、ティーカップチワワのナナちゃん♀。この子が突然いなくなってから(盗まれた?)次の犬を飼う気持ちになれず10年以上、よそのお宅の御いぬ様を愛でてまいりました。犬のかわいさは充分知っているけれど犬に束縛されることって結構多いので、秤にかけると犬のいない生活に満足はしていたのです。黒パグちゃんは毛は抜けるは、匂うは、欠点はありますがそれを補い、あふれんばかりの愛を私たちにくれます。まっことに愛らしい・・・「ひとりになっても、みんなを恋しがらなかったら、うちで面倒みます」と云ってしまいました。その日以来、我が家の娘になった黒パグちゃんですがお里の家族を恋しがることもなく我が家の娘になってしまいました。私にとっては、「腰巾着」ができたわけで朝から夜まで、私の後をついて歩く、幼い娘です。今も私の足元で、長くなって熟睡しております。ちょうど、叔母から、不要になったキャンピングカーを譲ってもらったのでそのうち、車中泊デビューするかもしれません。
2010年06月24日
昨夜六時ダーリンの友達が息をひきとった。1か月前に検査入院して、そのまま還らぬ人になってしまった・・・加齢とともに、別れの機会も増えてくる。こればっかりは 神様の思し召し。順番は誰にもわからない。近い人の死は、悲しみだけでなく 生について深く考えさせられる時でもある。昨年の今頃も、叔母、義弟、義父、伯父と4人の身内との別れがあった。明日が必ず迎えられるとは限らない。今日を大事に生きなくては・・・
2010年06月23日
一週間の入院生活から、帰還した。シャバの空気は、梅雨空でも、土砂降りでも、なんでも良いものよのう・・・・事の起こりは、5月21日の朝、その日は法人会の総会で、某おエライさまから、声を掛けられていたのでなんとか、時間を都合しようと努力したが、どうも気分が乗らない・・体調悪し・・体調の悪いのは、咳のせいで夜、お布団に入ると、コホコホ咳が出て、苦しくて熟睡できない夜が続いたから。熱は出ないし、咳だけだからと、甘く見ていたが5日後の28日、金曜日のこと、朝は6時に気持ち良く起きて、ベランダで熱いお茶を一杯飲んで、いつものように仕事にとりかかったのだが、10時頃、突然寒気に襲われた。手足が冷えて、ゾクゾクする。来客用の、電気アンカを探し出し、「ちょっと、休むね」と家人に伝え、ベッドにもぐりこんだ。すぐに手先は暖まったが、足先は冷えたまま、睡魔に引き込まれ、少し眠ったが、まだ足先は冷たいままでこんなことは珍しかった。このとき、すでに体温は上昇し始めていたのである。眠りながら、自分の呼吸を聞いていると息を吸って、吐き切るところで「ぜぇ~っ」と嫌な音がする。息を吐き切れないから、呼吸が苦しい。そんなことを考えながら、呼吸をしていた。健康が一番だよねぇ~なんて。正午にダーリンがベッドの私に声かける。「なんか食べるか?」「食べられないから・・・」しかし、なにか水分をと考え野菜ジュースを所望する。彼はいつも病気の私には冷たいやつで、身の回りのことをしてもらえないだけで、憂鬱になるようだ。午後2時。今回は、どうにもいつもと様子が違うようで自分の体が、ままならない。病院へ行くことを決心する。こういう時、救急車なのか、かかりつけの医院か悩んだが、とりあえず、近所のかかりつけ医へ出向いた。この医院は奥さまがナースで、先生も、奥さまも極めてやさしい。親切だし、わがままも聞いてくださるので、長いおつきあいになっている、頼もしいホームドクターで或る。聴診器をあてる先生に「息を吐き切るときに、音がするんです」と呼吸音を聞いていただく。「音がしているねぇ~ のどは荒れてないけど」肺のレントゲンは白い影が映っている。体温は39.5めったにない高熱じゃ。体内の酸素濃度は87とかなりやばい・・・結果、抗生物質の点滴して、帰宅しても夜に、呼吸が苦しくなって、救急車呼ぶようだと大変だから今のうちに、入院して、酸素吸入したほうが良いとのこと。本日の当番医の病院の中から、東海大から呼吸器の専門医が当直の駅前の個人病院をえらんだ。先生が、電話で確認をとってくれた。そのまま、帰宅し、入院の支度をする。まずは翌週の月曜日の31日の資金繰りのこと。ダーリンはあてにならないので、美人事務員のAちゃんを呼び、打ち合わせをする。普段も、振込業務などやってもらっているので、なかなか頼もしい。次は、入院支度。お寝間着、下着、ティッシュにタオルに洗面道具。お箸にスプーン、マグカップ。仕事のあれこれやら、読みかけの本や、パソコン、ケータイ。とりあえず2~3泊と考えて支度した。駅前病院へ到着したのが午後4時少し前、レントゲン、MRI、血液検査に尿検査の後は病室に案内され、点滴と酸素吸入が始まった。東海大からのK先生が丁寧に問診してくださり写真などから病状を説明してくださった。肺炎なので、呼吸が困難。入院して、抗生物質の点滴と酸素吸入。絶対安静。咳がひどいので、隔離の意味での個室入院。読書三昧、寝放題、だらけ放題をやってみようと観念した。「先生先生、私、そんなに長く寝てるわけにはいかないんですよ。 31日、締め日だから、会社に行かせて」結果、仕事持ち込みオーケー。パソコン、ケータイオーケー。面会時間も個室なのでおおめに見ましょうとのことでとってもおおらかな入院生活が始まりました。そんなに、痛いこともされなかったしドッグ代わりに、気になるところは検査していただいたし、まあ、楽しい入院生活でした。木曜日に酸素が外れてからは、外出、外食させていただいたし土曜に退院した後は、体調も戻り、仕事に励んでおります。健康が一番。自分の家が一番いいね。
2010年06月22日
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