山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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小野寺秀也

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2019.11.03
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カテゴリ: 山歩き
【ホームページを閉じるにあたり、2011年10月17日に掲載したものを転載した】




須金岳全景 108号線を鬼首温泉郷を抜けた付近から。(2010/5/31 5:52)


 宮城県の北部の小さな農村で生まれた私にとって、幼いころの山といえば栗駒山であった。小学校の校歌にも、「あおげ自由の栗駒を」という一節があった。(「自由の栗駒」というのは、小さいころは何となくそうかと思っていたものの、どんなことをイメージすればよいのか、いまだに解らないのである。中学校でも高校でも、校歌は一見簡単そうで、じつはその実質を理解するのは難しいもののようだ。)
 高校時代の登山で、雫石(岩手県)から秋田駒ヶ岳を越えて、帰りは小安温泉(秋田県)から栗駒山に登り、駒の湯温泉に下りたことがある。台風の日で強引な登山であった。お金が底をついて宿泊できなくなって、友人と二人でそんな無茶をしたのである。
 登山のことなど考えられなかった大学、大学院時代が過ぎ、また山歩きを始め、子供をはじめて連れていった山も栗駒山だった。その時は、私の母と妻の母は駒の湯温泉での湯治をしながら、まだ小さすぎた娘のお守りをしていてくれた。
 駒の湯温泉は宮城県のもっとも主要な栗駒山登山基地であったが、その私の記憶する宿は、2008年6月14日の岩手・宮城内陸地震で壊滅してしまった。

 仙台に住んで山歩きをしようとすると、船形山を中心とする連山、大東岳とその周辺、蔵王連山に目が行ってしまい、船形山と栗駒山の間の地域にある山々はすっぽりと意識から抜け落ちてしまっていた。
 日帰りができて体に無理のない山行を、というのが最近のスタイルで、それに適した山を探していて、翁峠や禿岳、荒雄岳などとともに須金岳もやっと候補となった。翁峠、禿岳と北上して、やっと須金岳というわけである。雪の多い冬だったので、半月ほど延ばしての2010年5月31日の山歩きである。

Map A 須金岳周辺と2010年5月31日のコース。地図のベースは、「プロアトラスSV4」、

歩行軌跡は、 「GARMIN GPSMAP60CSx」によるGPSトラックデータによる。



歩行軌跡は、 「GARMIN GPSMAP60CSx」


​ 旧仙秋ラインのゲートが開いていることを期待していたが、だめだった。仙北沢林道を歩くことになったが、林道でのゆったりした歩き始めは良いことなのだ、と言い聞かせながらの歩き出しである。ついつい急いでしまわないように、花を探しながら歩くのである。歩行軌跡が林道から外れているのは、花を見に沢へ下ってみたためである。​



左:ラショウモンカズラ、右:カタクリ



Photo A 仙北沢林道、仙北橋から仙北沢上流を見010/5/31 6:34)


 旧仙秋ラインのゲートから20分ほどで仙北沢にかかる仙北橋に出る。若いころの一時期、イワナ釣りに夢中になったことがあったが、荒雄川流域に入川したことはない。
 この沢かどうかはわからないが、荒雄川のいくつかの支流の奥には、純系のイワナが生存していることが最近明らかになった。種苗に気を配ることのなかったかつて(現在もか?)の放流事業で、多くの河川のイワナ、ヤマメは混血となってしまった。山奥に孤立するイワナは、地域変異が大きく、その保存は重要である。
 施設や資金にやや困難がつきまとうものの、いまこの原種系のイワナを増やそうとする一部の人たちの努力が進行しつつある。期待している。

 橋を越えるとすぐ右手に、棒杭に記された「須金岳登山道入口」の道標が見つかる。細い登山道に上がると、林道から離れることができて、少し気分が上がる。
 登山道は杉林から始まるが、数分で明るい雑木の林となってすぐに分岐道が出てくる。案内標識があって、道はほぼ直角に折れ、斜面に取りつく。といっても、すぐにPhoto B のようなおだやかな道になる。
 道はちょっとした尾根道のようになり、大木が次々に現れる。三合目の標識は、ちょっとした峰になったところである(Photo C)。



Photo B 緩やかで快適な林間の上り道。(2010/5/31 6:59)



Photo C 3合目のちょっとした峰。(2010/5/31 7:15)


 針葉樹の大木もある。たぶん、サワラ(椹)ではないかと思うが、じつはよく分からない。私には、ヒノキ、アスナロ、サワラの区別がつかないのである。他にもヒムロというのがあるらしい。枝がまばらなこと、葉がおおぶりで粗い感じがすることからサワラではないかと思ったのであるが、当てずっぽうである。
 花が美しいとか、実が食べられるとか、そんなことがないとなかなか覚えられないのである。クヌギとコナラの違いも判然としない。何回も調べてみるものの、すぐに忘れて、現物を前にして何の役にも立たないのである。「どんぐり」がおいしく食べられたら、問題はなかったのである。私は、モミとカヤの区別が直感的にできる。子供のころ、カヤの実を拾い、煎っておやつとして食べていたからである。

 木々の切れ目から、これから行く峰が見える(Photo D)。尾根筋に白く残雪が光っていて、少し心配になる。数年前の春先、たしか寒風山から白髪山の尾根筋の登山道でだったと思うが、尾根の雪庇が崩れて、比較的年配の人が遭難死したニュースを聞いていた。
 私は冬山には登らない。残雪の時期には、アイゼンなどの装備があればよいと思うときがあるが、購入はしない。へたに装備を持ってしまうと、雪山に出かけてしまうのではないかと心配してしまう。基本的に臆病なので、危険には近づきたくないのである。それに、山ばっかりの生活というわけにもいかない。冬は冬でやりたいことがある、ということもあるのだ。
 かつて釣り全般に夢中になって、一年中釣り三昧になって、支障が出たことがある。そのときは、海釣りの道具一切を処分し、アユとヤマメだけに限定することで切り抜けた。夢中になると、崖から飛び出すように走ってしまう自分がおそろしいのである。「なにごとも適当に、いいかげんに」というのが今の目標である。

​​
平らな野原に立っていてはならぬ!
あまりに高く登りすぎてもならぬ!
世界がもっともすばらしく見えるのは
中庸を得た高みからである。
         フリードリッヒ・ニーチェ「処世術」 [1]​​

Photo D 3合目を過ぎた尾根筋からみる山頂。(2010/5/31 7:20)



上:タムシバ、下:アオダモ



左:オオバキスミレ、右:シラネアオイ



キクザキイチゲ(上:紫花、下:白花)


 いつかサワラの大木の道から雑木林の道になり、タムシバの花が咲いていた。コブシは仙台市内でもよく見かけるが、タムシバをそれとして認識したのも最近である。
 加美町小野田の鍋越峠から商人沼、吹越山(939m)を経由して翁峠(1075m)まで歩いたときの山中で、しみじみとタムシバを眺めたのである。その頃にやっと、コブシとタムシバの区別がつくようになった、ということである。

 水沢森の頂上付近まで来ると、結構な量の雪が残っているが、危険というほどのことはない(Photo E)。

 雪のない陽当たりを探して、朝食をとる。 連れ(イオ)の朝食を先に準備して、次に私の分を開く。どちらも弁当である。もちろん、連れのは、2種類のドッグフードでできたものである。少しだけ食べて、私の弁当が開くのを待っている。肉が入っているのを期待しているのだ。家では食べない果物も、山で私からもらうといくらか食べるのである。犬だって、山での食事は、それなりに別格なのであろう。



Photo E 水沢森頂上付近。(2010/5/31 8:37)


 水沢森から先は、鞍部の尾根筋の道で歩きやすい。林のなかの道だったり、眺望が開けたり、足もとにはオオバキスミレやシラネアオイが咲いている。
 シラネアオイは低山から1000mあたりまで分布していて、山菜採りで山を歩いてもたくさん見ることができる。我が家の庭にも20年生くらいのシラネアオイの大株があって、毎年たくさんの花をつける。庭のシラネアオイが咲くのは、山菜採りに出かける時期の知らせでもある。

 七合目、八合目、九合目とじつに順調な道である。この時期に典型的な、よく見かけるキクザキイチゲはやはり白花も紫花も咲いている。むかし、紫花がキクザキイチゲで、白花がアズマイチゲだと思い込んでいた。これも最近区別できるようになったものの一つである。



Photo F 九合目付近の道。(2010/5/31 9:41)


 道が間ノ岳近くになるとまた残雪である。道は間ノ岳のすぐ北を通るのであるが、そこに「須金岳山頂」の道標が立っている。実際の須金岳の山頂はそれより1.5kmも先である。道標の標高部分は消えてしまっているが、すぐ傍の薮に「1.253M]という別の金属表示板が落ちていた。これは、地図表記の標高と同じである。たまたま同じ標高なのか、頂上というからには地図表記と同じ標高にしなければならないとしたのか、謎である。どんな事情があって、こんなことになったのだろうか、不思議な話ではある。
 南雁戸山のツインピークも、GPSデータで確認すると、国土地理院の地図に「1486」と記されたピークのもう一方のピークに1486mと記した山頂標があった。この場合は、ごく近いピークだし、もし標高が同じであれば、とくに矛盾があるというわけではない。しかし、須金岳のこの違いは、よほどの事情があるのではないかと思う。


[1] フリードリッヒ・ニーチェ(秋山英夫・富岡近雄訳)「ニーチェ全詩集」(人文書院2011年) p. 154。

​​ ​【続く】






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Last updated  2019.11.03 10:15:12
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