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【医療後進国ニッポン】 11病院拒否 搬送3時間 奈良の女性流産2007年08月30日01時13分 asahi.com からお産の医療現場で悲劇は繰り返された。29日朝、陣痛を訴える奈良県橿原市の妊婦(38)が相次いで病院に受け入れを拒まれ、途中で交通事故にも遭った末に流産した。同県内では昨夏にも受け入れを拒まれた妊婦が死亡したばかり。行政が産科医療の受け入れシステムを主導していたが、機能しなかった。関係者は「一刻も早く解消を」と訴えた。女性は橿原市内のスーパーで腹痛などを訴え、知人が午前2時45分ごろ119番通報した。救急車は約10分後にスーパーに到着した。女性は病院などで妊娠を確認していなかったが、出血しているなど妊娠の可能性が高いため、救急隊員が、インターネットの県医療情報システムで産科の急患を受け入れられる県内の病院を探し、奈良県立医大病院に直接電話で問い合わせた。しかし、同医大病院には処置中であるなどとして受け入れを拒まれた。大阪府の大阪、和泉、寝屋川、高槻各市の計8病院にも電話をかけたが、満床や処置中などで受け入れられず、9カ所目で大阪府の高槻病院が受け入れ可能と判明した。救急車は午前4時20分ごろ、約40キロ離れた同病院に向けて出発した。ところが救急車は午前5時10分ごろ、高槻市富田丘町の国道171号交差点で軽ワゴン車と接触事故を起こし、女性は救急車を乗り換えた。途中で高槻病院が一度断ってきたが、再要請して午前5時46分に受け入れられたという。高槻署などによると、女性は事故の約3分前に破水。搬送先の病院で女児の死亡が最終確認されたが、どの時点で死亡したかはわかっていない。事故までに9病院、最終的に搬送されるまで計11病院から受け入れを断られていた。奈良県では昨年8月、分娩(ぶんべん)中に意識不明になった女性(当時32)が奈良、大阪両府県の19病院で受け入れを拒まれ、8日後に死亡した。拒否2病院、空きベッド消防は県のインターネットシステムも使って受け入れ産科を調べたが、県内の医療機関はいずれも「不可」だった。このうち、大阪府和泉市の府立母子保健総合医療センターは高度医療を行う「総合周産期母子医療センター」で、一般救急は原則として受け入れていない。このため、深夜に電話交換を受託している業者の職員が「紹介型病院なので、一般救急は受けていない」と答えた。しかし、当時、同センターには空き病床があった。牧野幸雄・事務局次長は「救急搬送を受け入れるかどうかは最終的には当直医の判断。消防側からどうしても、と強く言われて電話をつなげば、受け入れられた可能性もある」と話した。奈良県には、救急が一般の救急患者の受け入れ先を探すシステムと、医療機関がハイリスクの妊婦を別の医療機関に搬送する「周産期医療システム」がある。「周産期医療」では、県立医大などが窓口となって受け入れ先を探すため、比較的受け入れ先が見つかりやすい。だが今回は、医師からではなく、救急からの通報だったため、「ハイリスク」患者と認識されず、消防が単独で受け入れ先を探すことになった。一方、最初に受け入れを求められた奈良県立医大病院の産婦人科にも、空きベッドがあった。別の妊婦の診察中だった当直医が「後にしてほしい」と答えたのを、事務担当者が受け入れ拒否と受け止め、救急隊に回答したという。*******これはもう「医療ミス」と同レベルのミスなのではないかとさえ思える。なぜ、患者が病院をたらい回しされた上、挙句の果てには奈良から大阪北部の高槻くんだりまで搬送されなければならぬのか。救急車が患者搬送中に事故を起こすというのもあってはならぬミスである。11もの病院が受け入れを拒むこと自体許せない。いかなる事情があれ、医者が一人でもいて、空いたベッドを用意できるのであれば、何としてでも医療活動が行われるべきではないのか。受け入れを拒んだのは恐らく男性の医師であろう。もしこの女性が自分自身の妻で、生まれてくるのが自分の娘であると考えるならばどうされることが一番望ましいのか、誰にでも分かることであろう。これだけ情報化が進んだ21世紀に、空いた病院を探せないという状況が起こりうるのか。緊急時に患者が医師を選べないという状況、患者を選ぶ医者や病院があっていいのか。最後に、こんな腐ったシステムにいつまでもこだわっている行政は、一体何を優先してものごとを考えているのか。今の時代にこのような事件・事故(これは明らかに行政による「犯罪」である)が起こることに私の「????????…」は絶えない。守られるべき一般庶民の安全や健康が、こういったシステムによって真っ先に犠牲にされている。おかしなシステムを優先するがために、融通の利かない一部の人間に大切な命までをも奪われてしまう。このような状況がまかり通るのだとすれば、仮に、目の前で殺人事件が起きても、「今日は非番なので…」と現場を黙認するだけの警官が横行するような状況が起こる日もそう遠くはないのだろう。亡くなられた(生まれてくるはずであった)女児のご冥福をお祈りします。本当に気の毒でなりません。それ以上に、受け入れを拒んだ19もの病院に勤めていた、(何よりも人の命を優先すべきはずの)医師の免許を剥奪してもらいたいものだ。医師としてふさわしいといえるだけの考え方を持っていない者には医師の資格など一切必要ない。こんなシステムがある限り同じような事件は起こりうるもの。「お役所仕事」といった感覚で行政が仕事をしていては、第3、第4の犠牲者が当然出てくることになる。すべては初歩的なミス。医師が、ハートを持って患者に接すればそれでよいのではないか。「仕事」=「金を稼ぐ手段」そんなふうに思いたくはない。「仕事」=「ハートを人に与える手段」本来はそうあるべきなのだ。*ニュースソースはこちら
2007.08.31
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【受験生ぶる~す】現在職員室です。今夜は寮の勤務がOFFです。寮勤務がOFFの日には、寮以外のクラスや教科(英語)に関する業務を片付けることになります。今は、担任をしている高校3年生3名がAO入試のエントリーシートを作成しているので、その作業に付き合っています。今の時代は入試のシステムも多様化して、受験の機会も増えているし、何よりも大学側が受験生にとってプラスとなるようなサーヴィスが多々用意されています。オープンキャンパス(大学見学会)に行けば、ランチが提供されたり、大学関連グッズや入試資料を全てただでおみやげにくれたり、受験料のディスカウントシステム(一般入試を3回受けたら2回分の受験料でOKとか)なども用意されています。少子化の時代に即した対応なのでしょうが、中国の一人っ子政策導入後の各家庭同様、子供に対して至れり尽くせりで、逆に子供をスポイルすることにもなりかねないような気がします。受験生を抱えている家庭もいろいろと気を遣うことでしょう。高校時代、特別に進路指導で何かしてもらったという記憶がはっきり言ってありません。進路指導室もあるにはあったけど、恐ろしい先生が一人いたため、あまり足を運んだことはなし。大学の資料も自分で本屋さんに買いに行ったし、見学会なんてあったのかどうかさえ定かじゃない。入試本番で訪ねたのが最初の大学訪問。模擬試験は学校で受けたことなど一度もなく、近くの書店で申し込みをして、近くの大学を会場にして受験したくらいのもの。担任の先生の手を煩わせたことはせいぜい調査書作成のお願いくらいのものか。実は、高校3年間、夏と冬、郵便局でバイトをしてて、受験直前の1月も年賀状などの郵便配達をしてました。剣道部に入ってて、卒業式の前日まで練習に参加して、卒業式の翌日も後輩たちと稽古してましたね。学校が家から近かったので卒業後もことあるごとに学校を訪ねて、お世話になった先生といろいろ話をしたこともあります。教育実習も母校へ。剣道部のコーチを一時任されて、夏の合宿も何年か連続で参加。でも、高校3年生という時代が、本当にいろいろなことがあって楽しかったんですね。恋もしたし、失恋もしたし、青春ドラマを地で行くような物語もたくさんありました。男子が10名、女子が35名という文系クラス。いろんな女の子からお菓子をもらったり、手紙をもらったり…。下足箱の中に手紙が入ってて、こまめに返事もちゃんと書いてたんですね(このブログに書かれたコメントの返事のみたいに…)。几帳面な性格が女性ウケしてたのでしょうか?図書館にもよく通う読書家でした。夏休みだけで70冊くらいの本を読んだり…。父も大の本好きだったので、そのDNAをもらっていたんでしょう。400ページくらいの文庫本なら15~20分もあれば完読できました。あの時代の豊富な読書量があったから、文章を書くのは決して苦になりません。受験勉強…英語はしたけどそれ以外の科目は…。 進学校というわけでもなかったのですが、頑張る者は頑張って国立大学にも進む者もいました。いろんなことをしてもらわなかったおかげで、自分たちで何でもしていたのですね。自主性を養うにはいい環境だったと思います。自分たちの世代は共通一次元年。今でいうセンター試験の前身。理数系が苦手で結局国公立は諦め、私大文系コースへ。国語と英語と日本史が受験科目。英語だけは一日5~9時間くらい頑張ってました。日曜日に、大阪の環状線にまる一日乗って(入場券だけを買ってました)、大阪の中心部をグルグル回る車両の中で、英語の長文問題集に取り組むのです。9時間あれば薄手の問題集(30~50ページ程度のもの)が3冊くらい仕上げられました。おかげで英語の偏差値だけは70をキープ。英語の先生に褒められるのが何よりうれしかったですね。今、英語の苦手な受験生を相手に、学習相談やいろんな質問を受けます。自分が英語が嫌いだったらまた指導の仕方も変わっていたかも知れません。英語嫌いの生徒たちに、いかに英語を好きになってもらうか…。好きになってもらえなくても、受験に対応したそこそこの力を身につけさせてやらなければいけないんですね。受験生も大変なんだけど、教師という仕事も大変。学生時代の仲間は曰く:「教師っていいよな、夏休みとか休みが多いし…」とんでもない!そんな偏見を持っている社会人はやはり多いんでしょう。楽な仕事なんて決してないのです。それどころか「何でこんなしんどいことせなあかんの~」とジレンマを抱えることばかり。しかし、苦しんだ後の喜びもまた大きいもの。子供たちの笑顔に触れる瞬間、全て苦労も消し去ってくれるもの。青春ドラマじゃないけれど、若い世代を相手に奮闘していると、身も心もいつまでも10代のままストップしてしまっているかのような気がします。実際、若者たちからもエネルギーをもらっているのかも知れません。受験生を相手に、自分自身が受験生だった時代がフラッシュバックしてきます。何ものからも卒業することができなかった自分が、今も、あの時代と現在の間(はざま)を彷徨っているのでしょうか…。ああ、青春…帰らざる日々を思いつつ、46歳と10ヶ月の夜は更けて行く…。
2007.08.30
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【ねこ鍋】寒くなるまでにはまだ数ヶ月かかるけど、冬になればやっぱり鍋。去年は土鍋を買って、いろんな鍋にチャレンジしました。石狩鍋、おでん、キムチ鍋…。いったん鍋を始めたら、毎日具を追加したり、材料をとっかえひっかえしてる内にいろんな風味が混ざり合っていい味になりましたね。さて、ちまたで密かにブームになっている「ねこ鍋」、もう体験されましたか?生きた猫を、沸騰したダシの中に入れたりするんではありませんよ。あまりペットなんて飼ったことがなかったけど、こういった発想もなかなか面白いと思います。最初に、鍋と猫の接点を見つけた人は偉いですね。猫を飼っている人はぜひ一度やってみてください。ねこ鍋(1)ねこ鍋(2)
2007.08.29
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【スーパーキッド】 マラソン完走:中国の8歳女児が3600キロ08年の北京五輪を記念し、中国南部の海南島から北京まで約3600キロ走破を目指した張恵敏さん(8)が28日未明、目的地の北京・天安門広場に到着した。中国中央テレビなどの報道によると、恵敏さんは身長約125センチ、体重約20キロで、父建民さんとともに7月3日、海南島三亜を出発し、1日平均70キロを走ったという。恵敏さんは連日夜明け前に起きて走り始め、寝るのは夜9時ごろ。約20足の運動靴をはきつぶしたという。途中、野犬に追いかけられて危険だったため、2回、伴走する父のバイクに乗ったという。中国国内では、恵敏さんの完走をたたえる報道がある一方、一部には「父親が売名行為のため子供に過酷なマラソンを強いた。児童虐待に当たる」などと非難する意見も。専門家も「幼い子供の成長にはよくない」と懸念を示すなど論議を呼んでいた。【中国総局】毎日新聞 2007年8月28日 20時32分 (最終更新時間 8月28日 21時14分)ニュースソースはこちら *******確かに賛否両論分かれるところ。子供に対して過酷な試練を与えることが果たして虐待なのか…。だとすれば、「巨人の星」の星一徹が、小学生の息子の飛雄馬に大リーグボール養成ギプスなどという過酷な道具をつけさせていたことそのものが「虐待」行為になってしまう。子供をヒーロー/ヒロインにして親が有名になる。イチローの父チチローや、娘のおかげで議員さんになったさくらパパなどはその典型。愛知県の小牧市にある小牧ランニングクラブも、毎年12月のホノルルマラソンにたくさんの小学生を送り込んでくることで有名になっている。それもやはり小学校の低学年の子供たちが中心である。どんなトレーニングをしているのかは定かではないが、ホノルルマラソンの年代別(エージグループ)で必ず入賞者が何人も出てくるのである。7~8歳でフルマラソン3時間台という選手も過去にはいた。昔勤めていた学校の文化講演会にオスマン・サンコンさん(ギニア日本交流協会顧問)を招いたが、彼は幼い頃、学校まで片道5キロを走って通学。お昼前になるとご飯を食べに帰るために、また5キロの道を走る。食べ終わったらまた5キロ走って学校へ。少なくとも一日20キロを走る計算。聞くところに寄れば、学校まで5キロというのはまだ近い方で、同級生の中には片道10キロの所に住んでいる者がいたとか…。そうなると一日40キロ。日本のマラソンのトップランナーが一日に走る距離に匹敵する。自然に子供たちの足が速くなるわけである。想像してみよう。8歳のごく普通の女の子が60日近くかけて、20足の靴を履きつぶし、3600キロも走るのである。「お父さん…もう足が痛いからやだよー」「何を言うんだ。せっかくここまで走ってきたんだ。もうしばらく頑張りなさい」「お父さんはバイクだからいいでしょ。あたしはもう足が痛くてたまらないの」「そんなことを言うもんじゃない。お前は走るために生まれてきたんだ。3600km走り終えるまでは頑張るんだ」そんな会話が親娘の間であったかも知れない。何はともあれ、無事にゴールした、8歳の恵敏ちゃんに拍手を送りたい。
2007.08.28
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【ルイガノ恋しや】ルイガノからしばらく遠ざかっている。富士山登頂後、下山した翌日に三重県伊賀市から小浜まで走ったのと、小浜に2泊してそのあと170キロ走って伊賀上野に戻ってきて以来2週間、どこにもルイガノでは出かけていない。ルイガノはきっと寂しがっている。たとえわずかの時間でもいっしょに走ることが大切なのだろうけど、忙しさにかまけて、怠けてしまっている。ルイガノがもし自分の飼い犬だったとしたら、鎖をちぎって飛び出していることだろう。ブログ仲間のレースやツーリングのレポート・日記を見るたびに足がうずいて困る。28年も自転車とつきあっているのだ。走ることがいかに楽しいか、ワクワクすることかは十分知り抜いているつもりだ。走りたい気持ちは山々だけど、走るに走れないシチュエイション。夢の中ではアラスカの原野やオーストラリアのアウトバック、あるいはアメリカやカナダの大平原を駆け抜けている。行けども行けども変わらぬ風景の中で、ぽつんとただ一人ペダルを踏みながら風と戯れる自分自身がいる。あの時の空の蒼さは、なぜか特別なような気がした。あの時の風の匂いは、自分の故郷を思わせるものだった。いつか旅の空に戻れる日が来ると信じている…。
2007.08.27
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【Never Give Up!~今日のニュースから】 世界陸上:47歳のオッティ、女子百1次予選で姿消す大阪・長居陸上競技場で26日、女子100メートル1次予選で姿を消したマリーン・オッティ=AP 女子では大会史上最年長、47歳での出場となったオッティが、女子100メートル1次予選で姿を消した。スタートは万全だった。だが、そこから往年の伸びはなく、ずるすると後退し4位でゴール。記録は自己ベストには遠く及ばない11秒64。オッティは「失望した。スタートはよかったのにね……」と振り返った。だが、体調を崩し、今年5月から3カ月間まったく練習ができなかったこともあり、後悔は一つもない。同じ組で走った2人の19歳の選手には競り勝ち、「19歳が負けるのは向こうの問題よ。練習時間が短かったけど、ベストは尽くしたし、楽しんだわ」とオッティ。レース後にほほ笑みすら見せた。過去に積み上げてきた実績は輝かしい。世界選手権では金3個、銀4個、銅7個のメダルを獲得するなど、五輪などをあわせた主要国際大会で35個のメダルを手にしてきた。だが、47歳となった今は、その頃とは違う気持ちで走っている。「走ることが大好き。楽しんでいるのよ」。齢を重ねるごとに、メダルへの挑戦から自分自身への挑戦に変わりつつある。レース後、報道陣から北京五輪に出場するつもりはあるかと問われ、「国際大会に出るレベルである限り、絶対出ようと思っている」。その意欲は衰えを知らない。毎日新聞 2007年8月26日 17時55分 (最終更新時間 8月26日 20時35分)ニュースソースはこちら *******歳とともに肉体が衰えていくのは自然なこと。パワーやスタミナ、スピードは若い時と同じようには行かない。ただ、いくつになっても、その歳にふさわしい自分のベストで頑張りたいと思う。オッティが言う「ベストは尽くしたし、楽しんだわ」はまさに自分の今の気持ちにぴったり合う。メダルへの挑戦から自分自身への挑戦…これも今、自分自身に関わるテーマ「レースにおいての記録や順位ではなく、自分自身の限界への挑戦」と共通するものがある。肉体が衰えていく一方で、気持ち・精神だけは萎(な)えさせたくはない。物事に対する意欲や興味・関心を失えば、瞬く間に人は老いていってしまう。いくつになっても若々しくいるためには、積極的にいろんなものごとに関わる必要があるのだと思う。ただ関わるだけでなく、自分なりの目標や計画を立てて、チャレンジすることも大切なのだ。オッティ47歳、間もなく同じ歳になる自分自身を照らし合わせてみれば、レベルは全く違うが気持ちは何ら変わらない。50歳を前に、まだまだチャレンジは続く。どんなことがあっても、夢をあきらめてはならない。夢を見続けることも大事だし、夢を叶えるために努力し続けることも必要だ。オッティも命ある限りチャレンジしつづけることだろう。自分も負けてはいられない。
2007.08.26
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【待つわ】「♪わたし 待つわ いつまでも 待つわ…♪」このフレーズが分かる人は恐らく30代以上の年代の方であろうか。あみん…岡村孝子(おかむら たかこ 1962年1月29日- 愛知県岡崎市出身)と、加藤晴子(かとう はるこ 1963年1月2日- 愛知県豊川市出身)の2人によるユニット。ユニット名は、さだまさしの楽曲『パンプキン・パイとシナモン・ティー』(1979年、アルバム『夢供養』収録)に登場する喫茶店「安眠(あみん)」に由来する。1981年秋、第22回ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)に「琥珀色の想い出」で出場。翌1982年春、第23回ポプコンに「待つわ」で出場。5月16日に行なわれた本選にてグランプリを獲得した。1982年7月21日、「待つわ」でレコードデビュー。楽曲が多大なる共感を得て、デュエットによるハーモニーの新鮮さや清潔感と相まってミリオンセラーの大ヒットとなり同年のオリコン年間シングルチャート1位を記録、同年の第33回紅白歌合戦にも出場する。 その後シングル3枚とオリジナル・アルバム「P.S.あなたへ…」をリリース、1983年12月20日にリリースしたカバー・アルバム「メモリアル」を以て、あみんとしての活動を休止する…以上は「あみんオフィシャルサイト」から*******1982年、私は大学4年生で、関西外国語大学体育会本部企画部長を担当していた。大学祭実行委員会が結成され、ここでも企画部長をしていた。毎年恒例のコンサートでは、当時ヒットしていたアーティストを招聘しようということで、候補に、山下久美子(「バスルームから愛を込めて」)、シュガー(「ウェディングベル」)かあみん(「待つわ」)があげられた。個人的にはあみんがお気に入りだったが、予算や人気のことも考え、最終的に、山下久美子に決定した。何度聞いても「待つわ」のメロディ・フレーズが耳にこびりついてはなれない。あの頃、居酒屋には8トラックカセットのカラオケがあって、この曲もよく酒の席で歌ったものだった。自分にとってはそれほどインパクトの強い曲だった。20代後半から岡村孝子がDJを勤める朝のFM番組(FM大阪「ビフィダス・レディオ・ハイスクール」)を聴くようになり、岡村孝子のCDは全て買い揃えた。コンサートも彼女が大阪に来る際には必ず足を運んだ。1988年には春の選抜高校野球の行進曲に「夢をあきらめないで」が選ばれた。当時英語を担当していた高校3年生のあるクラスの最後の授業で、教え子たちが自分のために「夢をあきらめないで」を大合唱してくれた。彼ら/彼女たちの歌声を聞きながら涙があふれたのを覚えている。岡村孝子が、元近鉄の石井選手と結婚したという話を聞いてショックを受けた。この石井選手に岡村孝子のカセットテープを手渡したのは、当時近鉄でいっしょに活躍していたあの野茂選手だったという。子供ができてしばらく後に、岡村孝子は石井選手と別れた。その後は育児活動に専念していたようだが、今朝の芸能ニュースで「あみん復活」を知り、ネットで検索したところ、あみんのオフィシャルサイトにヒットした。あれから25年…歳月人を待たず…気がつけば岡村孝子も45歳、相方の加藤晴子は44歳。椙山女学院在学中にデビューしたあの頃の初々しさも懐かしい。「♪わたし 待つわ いつまでも 待つわ たとえあなたが振り向いてくれなくても 待つわ 待つわ どこまでも 待つわ 他の誰かに あなたが振られる日まで…♪」女心のひたむきさ・したたかさを歌った「待つわ」、再デビューを期待していたファンにとっては待ち続けた甲斐があったというもの。「待つわ’07」はより洗練された歌声で、25年のブランクを感じさせない仕上がりになっている。"In the Prime"(DVD付限定版)はこちら KAY'S BLOGポスターを作ってみました。
2007.08.25
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【木精占い】 木精とは、樹木に宿る神様や精霊のことです。木精は、それぞれの樹木の性質や神秘の力を携えています。また、私たちは誰もが1本の樹木を持って生まれてき、その「守護樹」の木精によるメッセージは、生きる力として私たちの人生を正しい方向へと導いてくれています。この「木精占い」は、自然への敬意を払い万物には精霊が宿っていると信じたケルト民族の樹木占い(守護樹占い)が、ベースとなっています。樹木は私たちの親友になれます。あなたの守護樹を知り、あなたが本来持っている魂を取り戻すために、木精と対話してみませんか? ******* 以上は木精占いのトップページから 自分の守護樹を占ってみました。 10月14日 ~10月23日生まれのあなたの守護樹カエデ(喝采の樹)黄色、朱色、珊瑚色へと、カエデの葉が染まるころ生まれたあなた。謙虚で優しい雰囲気ですが、あらゆる面において、旅のような人生を送るでしょう。内心はプライドが高く、新しい経験への強烈な願望を抱いています。際立った記憶力を持ち、一度経験したことはすべて、あなたの生きる知恵としていきます。しかし、心の奥深いところで様々なコンプレックスを抱え、神経過敏なところがあります。些細な言葉に傷つきやすく、別れの痛みに耐えられません。カエデは「あなた自身も周りの人も、変わるということを恐れないように」と諭します。昨日の悲しみを今日まで引きずってはいけません。友人が別人のようになったからといって、悲しまないように。新しい縁が結ばれようとしているのです。カエデは、冒険を恐れないあなたの人生に喝采を送ります。●相性のいい樹木・・・シラカバ、ポプラ、サンザシ、カエデ ******* 占いの類は、あまり好きという訳でもないが、結構気にする方である。特に、最初にある「あらゆる面において、旅のような人生を送るでしょう」と、この最後にある「カエデは、冒険を恐れないあなたの人生に喝采を送ります」という箇所にピンと感じるものがあって嬉しくなった。 木が好きである。林や森はもっと好きである。 森の中にいる時、自分は守られていると思う。木々に囲まれることで、自分はエネルギーを与えられているように感じる。物言わぬ木から、何かメッセージのようなものを察知することも少なくはない。自分の前世は、ひょっとしたら千年杉のような大木ではなかったのかという気もする。 木も林も森も、じっとその場にいて、きっと多くの旅人を見て来たに違いない。あるいはいくつもの時代を見ながら、歴史というものを学んできたことだろう。さまざまな経験を積んできた老人のように、寡黙ではあるがいろんな知識や教養を身につけ、それを求める人に与えられる、そんな生き方をいつも木々に、林に、森に感じている。年輪を刻むという過程は、人が歳を重ねていくのと同じ。ただ老いていくのではなく、年齢とともに理知的で思慮深い生き方が実践できる。そんな木々の生き様に憧れる。林や森のように深く、重厚な生き方を求めていく人でありたい。 書籍も出版されています。
2007.08.24
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【ものの見方】人間はおのおのものの見方をもっているそして同じ一人の人間でも時が変われば同じ対象に対して違った見方をするベッカーリア「犯罪と刑罰」(岩波文庫)から ******* 成長するとともにものの見方は変わってくる。さまざまな知識や経験を経て、いろんな物事に対してどうとらえていくかを人は学んでいく。若いころに読んだ小説や見た映画が、何十年もたってしまえば、最初に見た時とは違ったとらえ方をすることも少なくはない。時代とともに、年齢とともに、自分自身を含めて、世の中のあらゆるものが移り変わっていく。悲しいことかも知れないけれど、それは世の常なのだ。変化を恐れない。そして、何が一番正しいものの見方なのかを、その場その場で適切に判断する能力を身につけていかなければならないのだと思う。「成長する」「大人になる」とはきっとそういうことなのだろう。 (Illustration: "crossing" by Kay.T)
2007.08.23
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【ガリガリ君】今、ちまたで人気のあるアイスキャンディ「ガリガリ君」(写真はソーダ味:パッケージも3種類あり)。一本60~100円(税抜き)という価格も魅力的だが(7本入り300円の紙箱入りもある)、食べ終わったあとにスティックに「あたり もう一本」という烙印があったりして、「あたり」が出る出ないに関わらず、食べ終わるまでギャンブル的な要素も楽しめる。昔、センタンというメーカーの「王将バー」とか、ロボタンバー(グリコだったか?)とか、似たようなものもいろいろとあったのを思い出す。ガリガリ君にはいくつかのフレーバーがあって、マンゴ、ソーダ、コーラ、そして値段高めの、ガリガリ君リッチ(チョコチョコとミルクミルク)が現在市販されている。さらには、ガリ子ちゃんというクリームレモン味も、巨峰フレーバーとともに新発売される(8月27日発売予定)。昭和40年代、こういったアイスキャンディはたいてい10円。当時10円でたこ焼き5個が買えた。今の100円の価値が10円にはあった。当時、駄菓子屋というものがどの街にもあって、子供たちが小銭を握り締めて(私の時代はせいぜい10円~20円)、しばし憩いの時間を過ごしたもの。あてもの(と関西では呼んでいた)…五番目のマス状になった箱、マス目ごとにミシン目が入れてあって、5円を店のおばさんに払うと、そのマス目のひと区画を破って開けることができる。マス目のひとつはせいぜいトランプのカード大。中からお菓子が出てきたり、おもちゃが出てきたり、「もう一回」とあったりする。トランプの神経衰弱的な、あるいは浦島太郎の玉手箱的な要素が十分に楽しめた。銀玉鉄砲(火薬で音がなるものもあった)、メンコ(関西では「べったん」)、ビー玉、パチンコ(スリングショット:Y字型のフレームにゴムがついていて小石などを飛ばす道具)、などなど、子供の遊び心をくすぐる逸品が並んでいて、小遣いをもらったらまず一目散に駄菓子屋に駆けて行った。体を動かす遊びも、頭脳を使う遊びも様々にあったのだ。「デジタル」という言葉もまだなかった時代、今のゲームセンターなどにはない独特の風情が駄菓子屋にはあった。先日、テニスの大会へ生徒を引率した帰り道、コンビニで買ったガリガリ君をかじりながら、心はしばし昭和40年代にタイムスリップしていた。今の子供たちは、果たして幸せなのだろうか…そんな疑問が同時に頭を掠めていた。赤城乳業株式会社
2007.08.22
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一日の終わりに 感謝しよう 今日も平穏無事であったことを 一日の終わりに 祈りを捧げよう 明日は争いやいざこざのない 一日になるように 一日の終わりに 愛と平和について考えよう 世界中のすべての人が 永遠に幸せに暮らせるように
2007.08.21
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【超短篇小説“TODAY”】彼女は助手席のシートに深くもたれ眠っている。あまりに気持ちよさそうに眠っているので、僕は彼女を起こさないでその寝顔をじっとみつめていることにした。スヤスヤ眠っている彼女の横顔はとても素敵だった。そっと抱きしめて、マシュマロのような頬にキッスしたくなるくらい…。起きている時、意地悪したり減らず口を叩いたりする彼女とはまるっきり別人のようだ。やがてその彼女が目を覚ます。彼女は半ばうつろな瞳で、ハンドルを握ったまま前方に目を向けている僕の首に両手をかけ、頬にやさしくキッスをする。そして僕にこう言う。「ねえ、このままブレーキを踏まないで。だって、どこにも行きたくないから…ただどこまでも走り続けていて欲しいの」もっともな話だ。僕たちはどこにも行かない。僕のシェヴィはどこにもたどり着かないで、一直線に続くこのハイウェイの果てまで静かに走り続ける。僕たちは、流れ行く時間のように、とどまることを知らずひたすら過ぎていくだけの存在…。時間を止められないように、誰も僕たちを止めることはできない。ありふれた今日という時間にただ二人。この時間を止めて、全てを運命に任せてもいいとさえ僕は思う。時間も空間も今の僕たちにはもういらない。すべてなすがままに…。僕たちが向かっているのは、過去も未来もない世界。そこでは始まりも終わりもなく、生も死もない。今一瞬が永遠という完結した時間そのものなのだ。そして、僕たちもまたこの「永遠」という時間を構成する一要素でしかない。「どこに行くの、私たち?」彼女が言った。「さあ、分からないよ」僕が答えた。「ただどこにも行かないってことは約束する」「どこにも行かない…でも、どこまでも走り続けるのね」「そう、どこまでも…走り続けよう」ルート66を西へ向かう。すれ違う車もほとんどない。赤茶けた土肌がむきだしになった岩だらけの風景が続く。乾いた空気が全てのものから水分を奪い去ろうとしていた。360度地平線に囲まれた大平原のどこでもないところのど真ん中で、どこにも行くあてのない僕たちがどこまでも走り続けている。目的地は、どうあがいても永遠にたどり着けない所。大平原の中を移動しつづける小さな空間にただ二人、彼女は安らかな笑みを浮かべ、再び小さな寝息を立てて眠っている。一体どんな夢を見ているのだろう。彼女の夢の中に入っていって二人で同じ夢を見れたらいいのに…。ハンドルを持つ手が痺れ始める。気の抜けたダイエットペプシを僕は一気に飲み干した。「人生なんて、死ぬまで全て通過点なんだ」僕の頭の中で、もう一人の自分がそう言った。夕日が地平線の向こうに沈んでいく。オレンジ色に染まる西の空を見つめながら、僕はさらにアクセルをふかした。ただ、彼女が願うように、どこにもたどり着かないために…。
2007.08.20
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【振り返るな!】 便利グッズの紹介…アメリカ横断中に、あちこちの街でバイクショップを訪ねた。そんな中で見つけたのがこれ、メガネ取り付けタイプのリアヴューミラーHEAD UP。頭と同時に動くので、後方の確認もしやすい。このブログのトップページ、アメリカ横断中の4枚組み写真の左下の写真で私自身も着用していた。視界は小さそうに見えるが意外にワイド。日本で市販されていなかったのだが、唯一輸入しているLORO SETAGAYAを発見。走りながら振り返る必要もなし。快適な走りを提供してくれるグッズは、多少値段が張っても手に入れる。これは物欲と呼ぶべきではないだろう。 授業中に、板書しながらこれを着用していると、居眠りしている生徒や、内職をしている生徒も、十分視界に入ってくる(といっても授業中使ったことはありませんが…)。
2007.08.19
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【「食」を考える】 連日の猛暑で汗をかく機会は増える一方。しかし、暑さなどには負けてはいられない。もともと暑さには強い方。炎天下、38度の中をトライアスロンレースに参加したこともあった。年間を通じてほとんど風邪を引くこともない。仮にのどが痛くなったり咳が出たとしても一晩で寝て治す。強健な体を作る秘訣は食事にあり。 目覚めたあと、洗顔を済ませ、梅酒+玄米黒酢を蜂蜜に溶かして飲む。朝1時間走って、冷やした杜仲茶をグラス2杯。仕事がOFFなら、杜仲茶の代りに野菜ジュースやトマトジュースを飲む。毎朝食べるものはほぼ同じ。メインディッシュは納豆、それに生卵2個・わかめ・しいたけ・とろろ昆布・黒ゴマ・白ゴマ・じゃこ・かつおの削り節をポン酢とごま油唐辛子に混ぜて食べる。そしてプレーンヨーグルトにグラノラ・パイナップル一切れ・バナナ一本・乾燥りんご・レーズン・ブルーベリー・プロテイン・青葉粉末・茶葉の粉末を牛乳と混ぜて食べる。これにチーズ一切れとオレンジ・キウイフルーツが加わる。職場ではまず一杯のコーヒーから。これで朝から31品目を胃袋に収めることになる。昼は学校の給食。けっこうカロリーの高いものが多いので、米は少なめに。おかずは残したことはない。腹が一杯でも残すことは罪だと親からしつけられてきた。外食しても米粒ひとつさえ残したことがない。これだけは誇れることかもしれない。寮のある学校で寮監をしているので、夕食も寮生たちと食べることがしばしば。寮の勤務がなければ、スーパーで野菜をふんだんに買ってきて食べる。魚は口にすることが多いが肉はほとんど食べない。食べたとしても豚か鶏だ。晩酌は缶ビールか発泡酒かチューハイ。暑い時期は2本+寝る前に1本。近頃アルコール度数の高い酒はあまり飲んでいない。気を失うことがしばしばあるため、外で飲む時は用心している。それでも焼酎やワイン、日本酒、ブランデーとたいていのアルコールは部屋にストックしてある。最低でも1日40~50品目。間食もこまめにはしているがようかんや餅など和菓子が多い。47年間、健康診断では何の異常もなくここまで来ている。178.5cm、66.8キロ、昨夜の体脂肪率は7.1パーセント。ここしばらくは7~8パーセントを維持。ちょっと前に6.8パーセントというのが出たが、今のところ最低の数値。体内年齢21歳はうれしい(ちなみに精神年齢は自称18歳)。欲を言えば、マラソンでベストタイム(2時間52分)を出した20年前のベストウェイト63キロ辺りに戻れたらありがたい。サプリメントも積極的に利用している。体が錆びつかないように、抗酸化系のものを中心に摂っている。見た目の若さも、肉体的な若さも、精神的な若さも、食生活・運動・睡眠のバランスが大切なのだ。睡眠不足にしばしば陥ってしまうのが悩みの種。仕事でもストレスをためない。人がいいのでいろんな人からいろんなことを頼まれる。以前は何でも無理してホイホイ引き受けていたが、今はできないことはできないとハッキリ言う。無理を言われたら時には開き直る。同じ年代の友人の中には、心筋梗塞で倒れたヤツ、脳ドックの世話になってるヤツ、胃を3分の1切り取ったヤツ、いろいろいる。パッと見て60代に見えるヤツもいて、いっしょに酒を飲みに行くとたまに親子に間違われたりする。あまり苦労をしていないせいで若作りでいられるのだろうか。苦労をしていないわけではないのだけど...。ここ数年で白髪もずいぶん増えた。体力も20代や30代と比べて格段落ちているのもよく分かる。今ある状態でベスト、それが目標だ。最大のライヴァルは自分自身自分に負けない強い自分にならねば...。 (写真:ABC篠山マラソン:1987年、サブスリーで走っていた頃)
2007.08.18
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古いものは勇気を持って捨て去り、新しい何かを吸収し、新しいアイデアを試すことが必要だと思います。変化に適応し、自分のスタイルを時流にフィットさせていくことが重要になるのです。 羽生善治(棋士) ******* 古いものに囚われていると、思考も行動も停滞してしまうことが多々ある。年をとればとるほど保守的になり、新しいものを受け入れることが困難なくらい頑固になってしまいがちである。人間関係も幅が狭くなり、自然と特定の人間にしか会わないような傾向も出てくるだろう。 40という年齢を過ぎて今年で7年目。古い考えにはこだわらず、より新しいものの見方を取り入れていかなければと思う。 今まで見なかったような映画を見たり、聞いたことのないジャンルの音楽を聴いてみたり、初めて出会うような作者の小説を読んだり、行ったことのないような土地に旅してみたり…。一般常識に囚われる必要はない。不都合が生じない限り、新しいものをどんどん受け入れればいい。今まで知らなかった自分と出会うきっかけにもなるかも知れない。 何十年も勤めた職場で、ふと仕事を辞めることになった時、あるいは定年退職を迎える時、辞めた翌日から何ができるだろう?自分から仕事を取ってしまえば何も残らない。そんな人生は悲しい。 変化を恐れない。環境を変えることも、自分自身を変えることも、恐れてはなるまい。新天地を求めたければ、新たな世界を自ら求めることだ。頭も体もしなやかに、柔らかく。自分自身の心の赴くままに。とらわれない こだわらない しばられない。あくまでも、自分流で…。 (Illustration: "Earth Ride" by Kay.T)
2007.08.17
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【五つの心】人の心はふつう見えないもの。時には自分自身で自分の心のあり方が分からなくなることもある。目に見えない心はどうすれば見えるのか。心を形にするのは行動。あるいは言葉。言葉や行いが、人を心地よい気分にしてくれるのであれば何ら問題はない。しかし、問題となるのは、時と場合によっては人を傷つけかねないということ。 紙に書かれた文字は消しゴムで、パソコンのディスプレイに現れた文字はDeleteボタンで消せばいい。しかし、一度自分の口から出て相手に届いた言葉や、行われた行為というのは、話し手や行い手の様々な意図を含んでいて、それが対象である相手の心にいろんな形で届いていく。これらが人間関係を左右する大きな要素となる。 人に好かれるのも嫌われるのも、言葉と行い次第なのだ。口先だけでいいことを言っていても行動が伴われなければ他人の信頼は得られない。言葉にしなくても素敵な行いを施してくれる人も中にはいる。言葉と行動をつかさどる「心・こころ・ココロ」の不思議…。 ある元オリンピックの柔道選手が後進を育てているが、道場の壁に「塾五訓」をいうのをあげている。昔、ある本で教えられた「五つの心」がまさにそれだった。あたりまえなのに、なぜかあたりまえでなくなってきていることなのかも知れない。コミュニケーション能力が衰えている背景…それは、基本的な挨拶に始まって、「ありがとう」や「すみません」といったごく基本的なことばが十分に使いこなせていないことがあるのではないかとも思う。 親が家庭で教えるべきことを教えていない。子供は当然親を見て育つ。親の生き方が子供にどんな影響を与えているのかを常々考えるべきなのだろう。 昨日は、平和について書いた。平和な世界・社会にはこの「五つの心」は欠かすことができない。お互い信頼しあえる、気持ちよく生活できる環境は、自らが作り上げていかなければならないのだが、他人にどのように働きかけるのかを考えた時、やはり基本的な心のあり方が求められてくる。 何か頼まれてすぐに「はい」と快く引き受けてくれる素直な人。人から何かをもらったり何かしてもらった時に「ありがとう」が言える感謝の気持ちを持った人。人に迷惑をかけてしまってすぐに「すみません・ごめんなさい」が言える人。嫌な仕事があって誰も引き受け手がない時に「私がします」と言えるボランティア精神にあふれた人。驕らず高ぶらず、人の苦労や奉仕に対して感謝の気持ちを持って「おかげさま」と言える謙虚な人。 これらの要素は、社会で成功するための必須条件でもあるのだろう。 人は一人では生きてはいけない。それゆえに言葉と行いは人と人との関係をスムーズにもぎすぎすにもさせてしまうもの。 心のあり方ひとつで人生は変わる。まさにその通りなのかも知れない。
2007.08.16
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【平和って何?】 8月は「平和」を考える月間。広島・長崎の原爆記念日を経て、今日は終戦の日。1945年からもう62年を経て、戦争を知らない世代が人口の大半を占めて来ている。戦争は終わったのだけれど、今、本当に平和な時代といえるのだろうか?交通事故は絶え間なく起こり、年間1万人近く死者が出ている。自殺者はいっこうに減ることなく、1年に約3万人が自ら命を絶っている。デパートに赤ちゃんが置き去りにされたり、親が子を殺したり、子が親を殺したり…。ホームレスの男性に火をつける若者がいるなんて信じられない。人間を人間と思っていないのだろうか。企業の不祥事は絶えない。特に消費者を欺くようないい加減な隠蔽工作が目立つ。私利私欲に目がくらんだ人間があまりにも多いということだ。政治家ですら何を考えているのか分からなくなる。誰のための政治なのか、今一度考えていただきたい。イラクではあいも変わらず自爆テロが起こっている。国際紛争はなくなる気配さえない。地球温暖化に伴い異常気象があちこちで報じられている。突発的な大地震がいつ起こるとも知れない。平和ってなんだろう?単に戦争がないだけではなく、もっともっと大切なものが含まれているのだと思う。生きている間に、幸せと感じる時間がどれだけあるだろう。平和で幸せに暮らすことが我々一般庶民の願いでもある。60億の人々が暮らすこの惑星に果たして恒久の平和と言うものが訪れるのだろうか。平和について、今一度真剣に考えてみる必要がある。WORLD PEACE(Illustration "Flying Runner" by Kay. T)
2007.08.15
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【伊賀上野シティマラソン】2007忍者の里 伊賀上野シティマラソン(11月25日開催)のエントリーが始りました。今年はゲストランナーに高石ともや氏が選ばれたようです。これまで彼とは、ホノルルマラソンツアーや、阿蘇カルデラ100キロマラソンや、いびがわマラソンなど、いろんな大会で顔を合わせてきました。自分の地元に来てもらえるというのはうれしい限りです。 毎年、本校の4年生の男子寮生は全員が10キロの部に参加します。忍者の里というだけあって、忍者スタイルで走るランナーもかなりたくさんいたり…。抽選会があって、折りたたみ式自転車や、伊賀牛、伊賀米なども当たります。忍者ショーも迫力満点。レース後には温泉あり、伊賀牛の焼肉やすき焼きも楽しめます。ぜひ皆さん、参加されませんか?詳細はこちらを!*昨年のレポートはこちら
2007.08.14
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【旅を終えて】富士山登頂と小浜センチュリーライドを終えた。昨夜10時過ぎに帰宅。シャワーを浴びて、缶ビールを飲みながらブログのコメントを書いていたら、意識が飛んでしまった。午前1時過ぎに再び意識が戻り、2時過ぎまで作業して、今朝5時半ごろには自然に目が覚めた。足に多少筋肉痛があるくらいで、疲れは残っていない。12時間近く外を走っていて、37度の炎天下も、真っ暗闇の国道ライドも、かなりのストレスにはなったかも知れないが、自分を試すいい機会になった。 今朝は洗濯で始まる。富士山と小浜で使った二つのデイパックも、シューズも洗濯機へ。トレッキングポール、ヘルメットと自転車のフロント・サドルバッグは風呂場で手洗い。 ついでに汚れたルイガノも風呂場で洗剤をつけてきれいに洗った。純白のフレームが美しさを取り戻した。乾燥させて注油・整備。次の走りに備える。総走行距離1000キロを越えてまだパンクはゼロ。目立ったトラブルは何ひとつない。実にタフなパートナーである。 アメリカやカナダ、オーストラリア横断では、一日100kmという距離が一番適当なペースだった。風景を楽しんだり、お昼にパンケーキを焼いたり、夕食もパスタなど自炊したりするにはちょうどいいペースなのだ。時速20キロで5時間。ただ、40キロの荷物を積んでいればこのスピードは速すぎる。午前中に50~60キロ、夏場の日中はできるだけ走らない。もちろん気象条件やルートによってペースは変わる。一日中向かい風や山岳ルートなら100kmは厳しい。逆に平地で追い風なら一日150キロは軽い。一日に連続して5回パンクした日は70キロどまりだった。気温が40度近くあったアメリカ中西部では一日60キロでギヴアップした。無理はしない。楽しむことがメインなのだから。 ただし、自分の場合は、無理や無茶を楽しむ傾向があるために、マゾヒスティックなことをあえて自ら求めているのかも知れない。恐らくアスリートの大半はそんな風なポリシーを持っているのではなかろうか。危険やスリルを求めることが楽しい、冒険的な要素があれば旅はさらに加速度的にエキサイティングなものになる。旅やツーリングをスパイシーなものにしたいのならいくらでもできる。 次の冬には24時間ノンストップライドなんていうのも面白いかも知れない。周回コースで走り続けるか、24時間ただがむしゃらに道路を走り続けるか、いろんな企画が可能だ。 さあ、明日から仕事。遊びはもう終わり。遊んだら仕事だ。買い物に出かけて、実家に帰ろうと思う。今日は自転車ではなく、車で。 旅を終えて、次の旅に思いをめぐらす時間、旅が一番楽しいのはそんな時間なんだろう、きっと。 (写真:曽爾高原にて)
2007.08.13
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午後10時22分、スタートから7時間56分、160キロ。ようやく自宅に到着。無事帰って来れました。応援いただいた皆さん、ありがとうございました。走ることができる喜びを決して忘れはしません。
2007.08.12
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真っ暗な山道では 星空を眺めながらヒルクライム ライトは路肩の白いラインを照らす 昼間の熱波がまるで嘘のよう 夜風に吹かれ帰途をたどる 旅はもう終わってしまう 疲れ果てるまで走って 何が残るのか ただ全力で頑張ったということ、それだけでいい 思う存分に汗を流した、それで十分 それ以上も以下もいらない
2007.08.12
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笑われるかも知れませんが、まだ走っています。午後9時10分、伊賀上野に入りました。スタートから148キロ。あと10キロほど。 このローソンが最後の休憩場所になります。
2007.08.12
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午後8時、南山城村。近くで夏祭りが行われています。ナイトライドはルイガノにとって初めてのこと。慎重に走っています。 真っ暗な山道では5Wのライトが活躍します。 日付が変わる前には帰宅したいものです。 普通の人間ならあきらめてしまうことも、あきらめないから馬鹿なんでしょうね。
2007.08.12
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スタートから114キロ、R163に入りました。あと45キロほど。長い一日です。
2007.08.12
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スタートから85キロ。4時過ぎ、京都市内に入り、堀川通りをたどってR24へ。まだまだゴールは遠く、暑さも収まりそうにないな。
2007.08.12
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暑さに苦しめられています。全く気力が湧いて来ません。今日中に帰れるのかな?
2007.08.12
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午後2時前、まだわずかに40キロ。朽木渓谷梅ノ木キャンプ場近くのスーパーで休息。 自転車のツーリングっていうのは早い話、走るか飲むか食べるかのどれかなんだなぁ。 向かい風 雲の流れに 逆行し
2007.08.12
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スタートしてからまだ30キロ。R303保坂でR367に入り、朽木村経由で京都に向かう。さらにR163から伊賀上野を目指して走れば、多少は交通量も少なく、気持ちよく走れそうな気がする。 スピードが上がらないのは暑さのせい?
2007.08.12
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国道27号線から国道303号線に入って、風は逆風になった。時速15キロが精一杯。 熊川宿の道の駅で大阪から来た学生サイクリストMくんと出会う。舞鶴まで出てフェリーで北海道に渡るのだそうだ。 名刺を交換し、それぞれ別のルートをたどる。
2007.08.12
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午前10時10分、りんちゃんに別れを告げ、出発。 今日も猛暑は続く。 走って来た以上は走って帰る、これ、鉄則。
2007.08.12
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【富士山登頂記~フォトアルバム】富士山で撮った写真(厳選67枚)でフォトアルバム(じっくり見たい方向け)を作りました。こちらです。ゆっくりご覧下さい!スライドショー(急いで見たい方向け)はこちら。
2007.08.11
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【残暑お見舞い】残暑お見舞い申し上げます 連日、熱波が日本列島を猛襲。この暑さの中、山に海に、川に湖に、皆さんアウトドアを満喫されていることと思います。お盆休み、事故や怪我のないよう、楽しい時間をお過ごしください。 (Photo: Climbing Mt.Fuji, August 2007)
2007.08.11
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【山の幸海の幸】魚大好き人間の自分にとって、福井県小浜市に来るのは重要な意味を持っている。日本海の新鮮な魚介類を堪能するためには時々小浜に来る必要があるのだ。鯖街道とは、福井県小浜市で取れた新鮮な鯖を、京都のお公家様たちに届けるために整備された街道。80キロの道のりをたどって届けられた鯖はその日のうちに食された。 焼き鯖…単純に焼いただけの鯖だが、これを生姜醤油で食べるのだ。熱々のご飯が何杯でも食べられそうな…。ビールにも日本酒にもよく合う。 今日は鱧(はも)の柳川も出していただいた。 素朴ではあるが、深みのある味。近くの養鶏所から仕入れたという採れ立て卵もおいしい。 今日は35度の高温の中を走ってきて恐ろしいくらい水分を摂取した。いくら飲んでもすぐに汗になって流れていくかのよう…。 栄養補給はこれで十分。明日は一日休養日。昨日富士山から下山したばかり。今日の峠越えは多少膝がガクガクしても仕方ない。暑さがなければもっと楽に走れたのだろう。年をとると暑さ寒さもえらくなる。夏に熱く鍛える。暑さなんかに負けてはいられないのだ。
2007.08.10
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午後4時30分、小浜のふじや到着。 走行時間6時間23分 走行距離 146キロ 本日の最高気温 35度 ******* ブログ仲間、りんちゃんのいるふじや旅館に泊まっています。小浜市の国宝明通寺のすぐ近く。自然がいっぱい残っています。山の幸・海の幸がふんだんに食べることができます。美人の若女将さん、りんちゃんもいます。ぜひ皆さんもふじやを訪ねてみてください。
2007.08.10
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3時20分、若狭熊川宿に到着。あともう少し!
2007.08.10
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高島市に入りました。 スタートからちょうど100キロです。
2007.08.10
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一杯の 冷茶の 喉に心地よし 現在、滋賀県堅田、スタートから70キロ。
2007.08.10
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午前6時25分、自宅をスタート。伊賀上野、甲賀、信楽を経由して、9時現在、大津市内にいます。福井県小浜に向かいます。
2007.08.09
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帰途に着く 特急列車 缶チューハイ
2007.08.09
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それにしても下界のこのうだるような暑さ。 今朝の富士山頂はわずか5度だったのに。
2007.08.09
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旅に出れば 貪欲に 何でも見るべきなのです
2007.08.09
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原野を駆け抜ける 野性に帰る時間が 必要です。
2007.08.09
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富士宮駅前の寿司屋さんで反省会です。
2007.08.09
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午前8時15分、宝永山経由で富士宮口に下山完了しました。
2007.08.08
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小石と火山灰で靴の中が不快です。
2007.08.08
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抜けるような空の蒼さ
2007.08.08
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午前5時半、御殿場口より下山開始。30分で赤岩8合(3300m)到着。 御殿場口は人も少なく、他のルートから比較するとややマイナーなのでしょう。 砂走りと言われる、一歩で3mも進めるくらいの勢いで下山できるのだそうです。
2007.08.08
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ただ敬虔な気持ちで合掌。
2007.08.08
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朝4時頃からすごい人だかりです。
2007.08.08
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間もなくご来光です
2007.08.08
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