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【今日はハロウィン】Extreme Pumpkins.comというサイトがHirokochanの「南カリフォルニアの青い空」というブログで紹介されていました。本場アメリカのハロウィンを一度だけニュージャージー州オレンジ市で過ごしたことがありますが、カボチャにまつわるサイトがあるなんて知りませんでしたね。カボチャ提灯(ちょうちん)(=Jack-O'-Lantern)だけでも非常に凝ったものがあります。そのいくつかをぜひご覧下さい。炎上するカボチャ ゲェ~ッ!! ETパンプキン VIVA!アメリカ!! ゴルフボールが目に! う~ん、脳みそ… あまりにグロテスク… 脚を食べるパンプキン こんなに手が込んだものも… このサイトの管理者Tom NardoneさんはExtreme Pumpukins(究極のカボチャ)という本(トップの写真)も出版しています。 アメリカではこのハロウィンから、11月の感謝祭を経て、クリスマスへと…体重が気になる季節となっていきます。七面鳥やパンプキンパイ、久しく食べてませんね…。
2007.10.31
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先日の雨のあと、大量のカメムシが卵から孵化したようです。 あちこちでカメムシのあの独特のにおいが…。 本日、カメムシ警報発令中!
2007.10.30
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【カラーコンタクト】 カラーコンタクト規制へ 警告表示を検討 (最近のニュースから)2007年10月29日06時09分 asahi.comから おしゃれ用品として人気のカラーコンタクトレンズによる目の病気が後を絶たない。学会の全国調査では1カ月で27件にのぼり、入院例も見つかった。医療用と違って品質や販売に規制はなく、独立行政法人の製品評価技術基盤機構(NITE(ナイト))は29日、調査委員会を発足させ、経済産業、厚生労働両省とともに警告表示を義務化する方向で対策に乗り出す。視力補正が目的でないおしゃれ用のカラーコンタクトは、「瞳がぱっちり大きく見える」「青や茶色の瞳でモテる」などの宣伝で、10年ほど前から若者に人気の品だ。1セット2000~8000円程度で、量販店やインターネットで売られている。 日本眼科医会や日本コンタクトレンズ学会でつくる協議会が昨年10月、全国213の眼科病医院の協力で調べたところ、おしゃれ用カラーコンタクトによる目の病気は1カ月間で27件報告された。うち失明につながる恐れのある角膜潰瘍(かいよう)・角膜浸潤も9件あった。 製品事故情報を集約しているNITEによると、8、9月には北海道の医師から角膜疾患3件の情報が寄せられた。埼玉県消費生活支援センターからは今月、「県内の10代男性が角膜潰瘍で入院した」との通報があった。患者の男性は「量販店で買った。着けて違和感があったので外したが、右目が曇って見え、両目が開かなくなった」と話したという。 カラーコンタクトには医療用とおしゃれ用の2種類がある。視力を補う医療用は薬事法で品質や販売が規制されているが、おしゃれ用は雑貨品扱いで規制がない。業界団体もないため、業者の数や売上高すら分かっていない。 国民生活センターが05年度、おしゃれ用10銘柄を調べたところ、4銘柄で色素の流出が見つかった。うち2銘柄は細胞毒性も検出され、かゆみの原因になる「眼粘膜刺激」を起こす恐れがあるとわかった。 問題は国会でも取り上げられ、経産、厚労両省は5月、小売各団体に対し、使用上の注意を客に十分知らせるよう文書で要請した。 両省とNITEは、流通と健康被害の実態を調べる調査委員会を設置、その初会合を29日に開く。委員は、眼科医やメーカー、消費者団体の代表ら19人の予定。経産省製品安全課は「これまで対策が抜け落ちていた。実態を確認し、規制の可能性を話し合いたい」としている。 ニュースソースはこちら ******* その昔、ジュリーこと沢田研二が青いコンタクトレンズをしていたことがあった。自分はめがねもコンタクトもすることのない人間なので、コンタクトを装着するというのがどんな風なのかは想像さえつかない。目の中に異物を入れるわけだからすごく痛いようなイメージが湧いてくる。おしゃれが健康を害するというのは、髪の毛を染めたり、ピアスや刺青(いれずみ)をしたりということにも通じるものがある。タバコをお酒も嗜好品だが、おしゃれ感覚では楽しむものではないと考えている。中国製のおもちゃも鉛が検出され健康にも有害だということで、ハロウィン間近のアメリカでは中国製のおもちゃは店頭から姿を消しつつあるとのこと。 ところで、いくつか気になったこと…目の青い欧米人は、「目を白黒させる」ことはなく、「目を青白させる」のだろうか。同様に、「私が生きている間」という意味で使われる「私の目の色が黒い内は」というのも「私の目の色が青い内は」というべきなのだろうか?日本人の瞳は基本的には黒と思われているが実際は茶色っぽい黒。英語ではdark eyes。ちなみに英語でblack eyesは「殴られたあとの目の周りのあざ」だそうだ。(Illustration: " A Runner in the Eyes" by Kay)
2007.10.30
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47歳の誕生日からちょうど一週間たった今日、教え子のKさんから素敵なマグカップを頂きました。 カラフルなパッチワークのゾウさんが描かれていて、見ているだけで楽しくなって来る。 心あたたまるメッセージを添えて祝福してもらえて、本当に涙がちょちょ切れそうなくらい。 今夜はこのマグカップで麦焼酎のお湯割り。 BGMは例によってビル・エヴァンス。 麦の芳醇なかおりとビルのスウィートなピアノが心地よい。 しばらく睡眠不足が続いていたけれど、今夜はぐっすり眠りに就こう。 Kさん、ありがとう。 心から感謝しています。
2007.10.29
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【時間がたてば…】 何もかも時間がたてば分かること いつか未来は確実に現在の僕をとらえにやってくるだろう その時どんなにあがいてみてもどこにも逃げられはしない ただ素直に黙ってその未来を受け入れることができるように僕は今という時間の中にそっと含まれていたい (Illustration: "wind runner 2" by Kay) KAY'S PHOTO GALLERY
2007.10.29
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【若さとはしなやかさ】若さとはしなやかさである。頭も体も、年齢とともに硬くなってくる。肉体や精神を柔軟に、しなやかに保つことが健康で豊かな暮らしを送る秘訣でもある。常に心と体を動かして刺激を受け入れること。感動を失えば感情もいうことを聞かなくなる。運動をしなければ細胞は活性化しなくなる。流れる水は腐らない。転石に苔は生じない。立ち止まることなく前進し続ける旅人のごとくひたすら前に進んでいくこと。
2007.10.28
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【心いっぱいの愛】 あなたがいるただそれだけのことでyou are hereno more, no less A Heartful of Love -心いっぱいの愛-(翔文社書店)「存在(existence)」から 詩 大迫弘和 (Hirokazu Osako)訳 大迫亜朗 (Translation by Aro Osako)
2007.10.27
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【森の中を歩くように僕は本を読む】高校時代は「本の虫」と言われるほど、次から次に濫読を繰り返した。年間百冊を越えたこともあったが、そのジャンルも、ニーチェにフロイト、松本清張に星新一、司馬遼太郎に吉川英治、夏目漱石に三島由紀夫…と多岐に渡る。それらの大半は学校の図書室や町の図書館で借りたもので、時々本屋に出入りしてはささやかながら自分の小遣いで気に入ったものを買って読んだ。電車の中で読み、公園のベンチで読み、河辺の堤防に腰を下ろして読み、はてはまたトイレで読んだ。今思えば、あれだけ活字に触れておきながらよく目を悪くしなかったものだ。ありがたいことに2.0の視力は今もまだ衰えていない。安上がりな趣味と言われれば実際そうかも知れないが、読書にはそれ以上に様々な魅力が秘められていると思う。探偵になって殺人犯を見つけたり、王子様になって美しいお姫様と結婚したりすることは、自分の身には実際起こりえないことだけれど、物語の世界ではそれが可能なのだ。イマジネーションを膨らませれば、僕たちは南極探検にだって行けるし、スペースシャトルで宇宙旅行もできる。ありふれた日常を非凡なものにするために、活字を目で追いながら、僕たちはしばし現実逃避の旅に出る。図書館という場所は僕にとって「森」のような存在だった。うっそうと茂った木々のように、本はずっとそこにあって僕が現れるのを待っている。そこではいろんな知識が眠り、誰かがページをめくればいつでも物語の始まりを知ることができる。図書館の静寂に包まれたあの独特の雰囲気が僕は好きだ。書架と書架の間を走る、人一人がやっと通れる幅の通路に僕は立ち、年代ものの辞典が放つクラシカルな匂いもかぐわしく、気まぐれに取り出した一冊の本を手に取ってみる。森の中をさまよい歩きながら無作為に選んだ一本の大木に触れるように、何か運命的な出逢いを感じる瞬間、あるいはこれは単に僕の「デ・ジャヴ(既視感)」なのだろうか。 ページをめくるたび、そこには未知の世界が広がっている。そのような世界に通じる扉をひとつずつ開いていく行為は、僕にとって何よりも贅沢であった。街の図書館であれ、学校の図書室であれ、僕はこのささやかな贅沢を自分なりに満喫していたものだ。本を借りるということをしなくなったのは、やはり仕事をするようになってからだろう。借りてきた本がすごく面白いものであったり、感動するような素晴らしい作品であった時に、その感動までが借り物だというふうに思いたくなかったから、たいていの本は自分の手元に置いておくために、いつしか本屋で買うという習慣がついてしまった。今は昔ほど濫読するということはない。ただやみくもに本屋に行っては、目に付く本を買いあさり、それらが自分の部屋の机に積み重ねられているのを眺めているだけである。時々僕は、あれらの森のことを考える。森は深く、木々の一本一本がいつも僕に何かを語りかけていた。僕はそんな森の中を歩くように本を読むのだ。
2007.10.26
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【アルジャーノンに花束を】10月27日から11月9日は読書週間。読書週間が始まる10月27日は「文字・活字文化の日」にもなっている。アナログからデジタルの時代へ。メディアの種類も大幅に変わってきてしまったが、書かれたものを読むということは今も昔も変わらない。お勧めの本を一冊...。*******「アルジャーノンに花束を(FLOWERS FOR ALGERNON)」ダニエル・キイス著・小尾芙佐訳 チャーリー・ゴードンはパン屋の店員で32歳。幼児の知能のまま大人になってしまった彼にビークマン大学の精神科医ストラウス博士は、天才に生まれ変われるという脳手術を勧める。その申し出に大喜びのチャーリーは、連日の検査を経て手術を受けることになる。手術は成功し、チャーリーは日に日に記憶力を高め、今まで知らなかった外国語をたった一日で習得するほどの大天才に変わってしまった。一方で、同じ手術を受けた白ネズミのアルジャーノンも恐るべき知能を発達させ、チャーリーとともにストラウス博士たちの研究材料となっていた。知能を発達させることで、チャーリーとアルジャーノンはひと時の幸せを手にしたように見えたが、その実彼らを待ち受けていたものは決してそのようなものではなかった...。32歳にして思春期を経験することになったチャーリー。戸惑い、葛藤しながらも彼が追求しつづけたものは...。悲しい結末に涙を流したら、心が洗われる思いがする。それは自らの精神の浄化作用なのか、あるいはこれが「アルジャーノン・ゴードン現象」なのか? 5年前にフジテレビがドラマ化したことでも話題になった。40年も昔に書かれた小説だが、いつ読んでも新しい。人間にとって本当の幸せとは何か、あらためて考えさせられる。 楽天市場で購入する 読書推進運動協議会
2007.10.25
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【風の歌を…】 今 通り過ぎた あの青い風が心を あの頃へ 運んで行く僕らはいつでも 同じ夢を見てたやがて ここには もう誰も いなくなる 小田和正「空が高すぎる」 *******吹く風の色やにおいをいつも感じていた風の言葉は歌になり、その音色に耳を傾ける旅にあれば、それだけ僕は敏感になることができた 青い風は空から白い風は雲から草原から吹く緑の風も海からやってくる群青色の風もすべてはこの空でひとつになる 季節はめぐりいくつもの時代を越えてまた同じ所へと帰ってくる 風もまた同じふるさとから吹いてきた風は街から街を経ていつかふるさとに帰るもの 永遠という時間があるから決して急ぐこともない すべてのものが一瞬という時間に砕け散ったとしてもそこにはただ風が吹いているだけ
2007.10.24
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【空が高すぎる】 空が高すぎるただそれだけで言葉を失くして立ちつくした日々… アルバム"Oh! Yeah!"(小田和正)から HMVで「空が高すぎる」を視聴うたマップ歌詞検索 楽天市場でOh! Yeah!を買う
2007.10.23
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【47】気がつけばまたひとつ歳をとっていた。もう「おめでとう」を言われるのもありがた迷惑な年齢だろう。それでも「おめでとう」と言われて悪い気はしない。ただ、そろそろ歳をとることが辛くなりつつある年齢であることには違いないのだ。30代半ばで結婚し、父親になり、42歳で離婚を経験し、独身に戻って、今猛烈にハードな日々を送っている。健康に不安を感じ始める日々。ある日突然過労死したり…。眠っている間に息を引き取ったり…そんな最期は迎えたくない。中年と言われる40代。40になった年に「新明解国語辞典」で「中年」という言葉を検索したら「40歳」という具体的な数字が出ていて唖然としたことがある。中年バツイチオヤジの行く末に何が待っていようとも、前進し続けることしか今の自分にはできない。どんな時にも前向きに進んでいくことだけ。誕生日が来るたびに10年20年先のことを考える。70歳になった自分は一体どこで何をしているのだろう? まだ見ぬ未来に希望を持つべきなのだろうけれど、今は現実に追われる日々。決して諦めてなるものか。見果てぬ夢を追いかけて、明日を全力で生きる。精魂込めて前進し続けるのだ。 (Illustration: "Runners in a Row" by Kay)
2007.10.22
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【丹波産黒豆枝豆】 知人から丹波産の黒豆の枝豆を頂いた。さやが黒ずんだり、茶褐色の斑点が丹波黒豆の特徴だ。さや表面のうぶ毛も伸び、茹でるとオリーブ色になる。さやから顔をのぞかせる粒は薄灰色。一年の内でも10月に食べるのが一番旬だという。さっそくゆでてみることにする。さやは青く、うぶ毛がざらざらしている。知人に教えてもらったとおり、塩もみして表面の毛を取ってからたっぷりの湯でゆでる。ゆで過ぎると、甘みが逃げてしまうらしいから注意が必要だ。大きめのボウルに水洗いした枝豆とたっぷりの塩(枝豆の重さの2割~3割)を入れる。両手で力強く揉むと枝豆のうぶ毛が取れてくる。そしてこれをたっぷりの熱湯でゆでる。10分ほどゆでてひとつつまんで食べてみる。少し硬めと感じる程度でザルにあげる。冷水をかけながら一気に冷ます。おおむね冷めたらタッパーに入れて冷凍保存する。あつあつも美味しいが、冷凍したものをレンジでチンして食べても柔らかくて美味しい。ビールと枝豆…誰が考えたか知らないが絶妙のコンビネーション。他には何もいらないと言えるくらい、幸せな時間。枝豆ですっかりお腹がふくれてしまった。日本に生まれてよかった。そう思える時間が幸せの極み。今日46歳最後の日。明日も良き一日でありますように…。
2007.10.21
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【赤福と亀田家の栄光と挫折】三重県伊勢市にある「赤福」が消費期限偽装問題で、三重県は赤福を営業禁止処分とした。全国の菓子の中でも売り上げは相当なものだったろうが、この処分により、県の観光や経済は大きな痛手を被ることになる。これまでも「不二家」や「白い恋人」など食品会社の偽装工作は数々あったが、「赤福よお前もか...」と思わずにはいられない。創業300周年にあたる節目の年であるにもかかわらず、30年近くも前からこういったことが行われていたということも嘆かわしい。食品を扱う企業として大切なこと、それは売り上げや知名度なんかよりも、いかに安全でいいものを消費者に提供できるかということ。売れれば何だってするという考え方が自滅の道をたどることになる。 一方で、WBC世界フライ級チャンピオン内藤大助選手に3-0で判定負けした亀田大毅選手。あってはならない反則を繰り返し、プロボクサーとしての品位を汚したことで、1年間のボクサーライセンス停止。父親の史郎トレーナー、兄の興毅選手も責任が問われ、それぞれ処分が下された。ボクシングは、どれだけリングの外が興奮してエキサイティングな状態であっても、リング上の二人はきわめて冷静沈着であることが求められるもの。そもそも格闘技というものは、一切の感情をはさむべきものではない特殊なスポーツ。感情をむき出しにした方が負けなのである。周りではやし立てたTBSやJBC(日本ボクシングコミッション)にも少なからず責任はある。スポーツはショウビズ的要素もないわけではないのだが、それを金づるにすることは決して好ましいことではない。スポーツに取り組む側も見る側も、スポーツイベントを企画運営する側も、スポーツを汚れのない純粋なものとして受け止めるべきであろう。餅は冷凍保存できたとしても、信頼を凍結するようなことになってしまえば元も子もない。ボクシングも殴りあうスポーツではあるが、喧嘩とは一切違うもの。赤福と亀田家には十分な反省をしてもらって、再びリングと食卓にカムバックしてもらいたいものである。 赤福餅はけっこう甘い。でも、世の中そんなに甘くはない。 「ええじゃないか」で片付けられないこともある。世間から受けるパンチが一番こたえる。それは一過性の痛みではなく、永久に残るものだからだ。
2007.10.20
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【恋をするなら】恋をするなら控えめな恋がいいね。思いをストレートに打ち明けることなく、密かにその人のことを思い続けて、少しずつ胸のうちを明かしていくのが理想さ。時にはエキサイティングな恋だってしてみたい。ある日どこかで目と目が合って、その瞬間燃えるような思いが心も身体も熱くしてくれるようなそんな恋が…。悲しい恋なんてもうごめんだよ。期待が絶望に、信頼が裏切りに変わり、砂の城が一瞬にして崩れていくように、夢は消え去って暗い過去だけがいつまでも後に尾を引くのさ。恋の始まりはいつもスリリング。誰にも言えない、でも誰かに話したい、そんな複雑な気持ち。あのくすぐったいような胸のときめきはいったい誰のためのものなんだろう。秋風が頬をかすめるこの頃、僕は日曜日の午後の公園で、たなびくいわし雲とを眺めながら、あの人のことを考える。たぶんあの人も僕のことを考えてくれているだろうという希望的観測の下で…。これが恋というものさ。十代の終わり、恋に恋していたあの頃、僕はまだ恋と愛の違いさえ分からなかった(無論今でもそんなこと分かりっこないんだけど…)。人を好きになるのは、結局の所、自分自身を好きになることなんだろうなぁ。自分の真価を認めてくれる人に、100パーセント自分の本音を語って、自分を偽らずにありのままの自分をさらけ出すんだ。ハートがハートを揺さ振る、言葉以上にあの人に何かを伝えられるという、ちょっとした自信があればそれでいいんだよ。好かれたいと思う気持ちよりも、むしろ好きでいたいと思えるのなら、その恋は本物さ。十好かれるよりも一好きでいること。奪うよりも与えられる恋をしようよ。恋に落ちたら、悩みはいくらでも出てくるもの。時間が解決してくれることだってあるさ。大切なのは、自分をしっかり持って、あの人のことを理解していくよう努力することだよ。恋をしてごらん、きっと何かが変わるから…。
2007.10.19
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【ポリス、カム・バック!】あのパワフルなステージが帰ってくる!ポリス、27年ぶり日本ツアー2007.10.18 08:22再結成後の世界ツアーで、パワフルなステージを展開するポリス 21年ぶりに再結成された英ロックバンド、ポリスが来年2月、実に27年ぶりの日本ツアーを行うことが17日、分かった。ポリスはスティング(ベース、ボーカル=56)、スチュアート・コープランド(ドラム=55)、アンディ・サマーズ(ギター=65)の3人組。1977年に結成され「孤独のメッセージ」「見つめていたい」などの大ヒットを連発したが、メンバー間の対立から86年に活動を休止した。しかし今年2月、結成30周年を記念して再始動を宣言。5月から北米、欧州、南米など100公演に及ぶ大規模な世界ツアーを開始した。今回決定した日本のほか、他国での追加公演などで、最終的には延べ200万人を動員するという。日本公演では、3万円の「プレミアム席」が用意されるほか、前座でスティングの息子、ジョー・サムナー(30)率いる3人組ロックバンド、フィクション・プレインが登場。親子共演も話題となりそうだ。日程は2月10日京セラドーム大阪、13日東京ドーム。チケットは11月18日発売開始。問合わせはザ・ポリス公演事務局=(電)0180・933・717へ。ニュースソースはこちら*******ポリスといえば「見つめていたい(Every Breath You Take)」や「ロクサーヌ(Roxanne)」などが有名だが、大学時代に好きだった女の子に借りたLPがポリスの「白いレガッタ」だった。カセットテープにコピーして、何度も聞いたのを覚えている。2003年にロックの殿堂入りをしたポリス、メンバーがみな高齢化してしまっても、彼らの音作りは代わらない。「いいものはいい」という哲学はいつの時代も変わらないのだ。ポリス・ベストポリスを楽天市場で買うベスト・オブ・スティング&ポリス 楽天市場でスティングを買う楽天市場でポリス&スティングを買う YouTube "Every Breath You Take"
2007.10.18
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【BOOKS】「森 の 生 活」 "WALDEN, OR LIFE IN THE WOODS" by Henry David Thoreau H.D.ソーロー / 神吉三郎訳 (岩波文庫) 私が森に引きこもった理由...それは大地に根ざした暮らしをしたかったからだ。私は思慮深く生きたい。生きることの精髄を心ゆくまで味わいたい H.D.ソーロー 独身時代の、自分にとってささやかながら最大の贅沢といえば、ひとり旅だった。ふと思い立って最小限の生活道具をバックパックに詰め込んで近くの山へ出かける。テントの中で、インスタントラーメンを食べた後、シェラカップに注いだアールグレイティをすすりながら、ランタンのほのかな灯りの下で読む一冊の文庫本、それが誰のどんな本であれ、渇いた自分の知的欲求を満たすには欠かせないものになる。 テントというひとつの空間は僕にいろんな夢を見せてくれる。鳥の歌声で目覚めると、朝露の水滴が陽の光を受けてテントの屋根でキラキラ光っている。寝袋の中で、僕は果てしなく自由なのだと感じずにはいられなくなるだろうし、憂うつな雨の日には、冒険の夢を思い描きながらさまざまな思索にふけってみたりする。そんなテントの中で幾度も繰り返し読んだ一冊、今や、アメリカ文学の古典であり、エコロジストたちのバイブルとも言われている、それがH.D.ソーロー(1817-1862)の『森の生活』だ。 ソーローはハーヴァード大学卒業後、約10年間教師生活を送るが、生徒たちに体罰を加えることに反対し、学校側と意見が合わず対立、そして辞職。その後短期間の肉体労働や執筆活動で生計を立てながら読書と思索にふける日々を送る。1845年、28歳の時に、街から離れたウォールデン池のほとりに小屋を建て、2年と2ヶ月をそこで暮らすことになる。「森の生活」はその時の生活体験報告でもある。 金儲けにはたいした興味を示さず、自給自足に徹し、肉食をせず、もちろん飲酒喫煙もしなかったが、恋愛さえすることもない。彼は、自分を束縛する全てのものから自分自身を解放しようとしていたのだ。そんな質素な生活の中で自然を心ゆくままに堪能し、人生の意義をひたすら追究しつづけた彼のライフスタイルに、僕は強く惹かれるものを感じてしまう。 現代人はとかく時間にとらわれがちで、人間自らが便宜上創りだした1日24時間というシステムに縛られるようにして毎日を過ごしている。ある日僕は、ソーローが体験したように、時間にとらわれることのない暮らしを送ろうと旅に出た。アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドを銀輪で駆けつづけ、生活から一切の不必要なものを排除するよう努めた。その3年あまりの年月は、腹が減れば食べ、眠くなれば眠る、そんな風にシンプルではあるが、人生において本当に必要なものを探求していた自分にとっては充実した毎日だった。ただ本能のままに生きるのではなく、そこに思慮深さがプラスされることで、人生はいくらでも味わい深いものになるということを、僕は学んだのだった。 俗世間から閉ざされていてもそこには素晴らしい発見があり、出会いの歓びがある。人間というこのちっぽけな存在もまた自然を構成する一要素にすぎないと悟った時に、人は生きることの精髄を味わうことができるのだろう。自然に根ざした暮らしを続けていく内に、自分自身が自然の中に含まれるということにきっと快感を覚えるようになるはず。 今、再び、冒頭のソーローの一節を口ずさみながら、完璧なまでの自由人を目指したソーロー自身の魂の声に耳を傾けてみたい。
2007.10.17
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【すすき】 踏みわける萩よすすきよ 種田山頭火 『草木塔』より
2007.10.16
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【今どきの…】 今どきのお猫サマはパソコン使うくらい朝飯前さ…。もちろん猫だから、マウス(ねずみ)は手放せません。 ディスプレイを見つめる視線が熱いですね。
2007.10.15
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【秋桜:コスモス】 少しの風にも逆らわず、いかにも頼りなげに揺れているコスモス。しかし、その実は、信じられないほどのたくましい生命力にあふれた花。もし風になぎ倒されたとしても、必ず立ち直って咲き続けようとする。 「乙女の真心」の花言葉にふさわしく、いつも清楚で乱れることなく純粋可憐に振舞う姿...そんな健気(けなげ)な姿にエネルギーをもらって今日も全力で生きようと誓うのでした。 秋桜(コスモス)薄紅のコスモスが 秋の日の何気ない陽だまりに 揺れているこの頃 涙もろくなった母が庭先でひとつ 咳をする縁側でアルバムを 開いては私の幼い日の思い出を何度も同じ話 繰り返す独り言みたいに 小さな声で こんな小春日和の 穏やかな日はあなたの優しさが 沁みてくる 明日嫁ぐ私に 苦労はしても 笑い話に 時が変えるよ心配要らないと 笑った あれこれと思い出を たどったら いつの日も一人では なかったと 今更ながら 我儘(ワガママ)な私に 唇噛んでいます 明日への荷造りに 手を借りて しばらくは楽しげにいたけれど 突然涙こぼし 元気でと 何度も何度も 繰り返す母 有難うの言葉を 噛み締めながら 生きてみます 私なりに こんな小春日和の 穏やかな日は もう少し あなたの 子供でいさせてください *1977(昭和52)年、山口百恵さんのヒット曲として知られるさだまさしさんの曲です。
2007.10.14
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【ああ、青春…】 宿直明け…今朝方3時まで仕事をしていた。5時には目覚めて残りの仕事を片付ける。眠いのだけど、朝は比較的強い。昼食のあとが耐えられないくらいに眠くなる。 土曜日は授業が午前中だけだからありがたい。明日も寮の勤務で朝6時から夜11時まで働く。 6年生(高校3年生)の担任をしているので、今まさに受験シーズン真っ只中。公募推薦の入試も近々始まる。書類(願書や志望理由書など)の準備、面接指導、個別面談や三者面談など、やることは限りなく果てしない。それこそ、どうでもいいと思ってしまえば、本当にどうでもよくなってしまう。彼ら/彼女たちに、あきらめず、粘り強く頑張らせることは難しい。生き方を教えることほどやっかいなことはない。教えるのではなく、生徒たちに気づかせられる教師であること。「指導」とひとことで言っても、手助けしてやるのでもない。正しい方向に導いてやらねばならないのだ。 17~18歳という時代は青春時代の真っ只中。恋も勉強もスポーツも、思い通りに行くこともあれば、 なかなか思い通りにいかないこともある。 忍耐や我慢を教えることはなお難しい。悪いことは悪いと誰かが言ってやらねばならない。楽しいことばかりが青春じゃない。辛いことも苦しいこともひっくるめて青春なのだ。 ああ、青春。青春という言葉を口にすることさえも恥ずかしかったあれらの日々に、どうやら僕は大切なものを忘れてきてしまったのかもしれない。 (写真:担任をしている6年D組の人文字"WE LOVE 6D")
2007.10.13
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なにがみえる? きみのはねにあるのは めだまかな?
2007.10.12
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どこまでも平和で 穏やかな 時間と空間の中に
2007.10.11
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人生は 光と影が 織りなすドラマ 光が勝っても 影が勝っても 笑いっこなしね
2007.10.11
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赤い花が赤いのは 神様がそう決めたから それはきっと 宿命みたいなもの
2007.10.11
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人は 感情だけでは 生きてはいけない でも 感情なしで 生きていくこともできない
2007.10.11
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そこにいる きみはぼく げんきかい?
2007.10.11
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【ボヘミアン・ラプソディ】高校時代、衝撃を受けた曲はイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」とクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」だった。両者ともメロディ・ラインもさることながら、演奏そのものも完成されたものとして非常に感銘を受けた。 「ボヘミアン・ラプソディ」はアルバム「オペラ座の夜」に収録されていたが、このLPも擦り切れるほど聴きまくった一枚である。今は亡きフレディ・マーキュリーのヴォーカルは30年の歳月を経た今もなお耳にこびりついたまま。 そして、歌詞を見ていくと分かるように、オペラの一場面が歌われているかのよう。 最後には、何事もなかったかのように、Nothing really matters...to me...(自分にとって本当に大したことじゃなかったんだよ…)というフレーズで幕を閉じる。 今この世界で起こっているあらゆる事象が、宇宙レヴェルで見れば取るに足らない些細なことなのだということを言いたいのだろうか。 ラプソディ=狂詩曲というタイトルの通り、一見狂ってしまったように見える物事も、最後には無事に完結する。現実がみんなそんな風にハッピーエンドで終われば何の問題もないのであろうが…。 YouTube "Bohemian Rhapsody" 楽天市場で「オペラ座の夜」を購入する
2007.10.11
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【16年】 アメリカ時間1991年10月9日(日本時間10月10日)は、自転車での単独アメリカ横断を達成した記念すべき日。6月1日にロスアンジェルスをスタートし、131日かけて、1万1千628キロ先のニューヨークシティでゴール。 あれから16年…。 人生をリセットするために仕事を辞めて旅に出た。10年近くしたためてきた夢を叶えるための旅…。自分自身の可能性へのチャレンジでもあった。様々な出会い、そして別れを経て、自分自身の人生を見直すべき時間を与えられた。失いかけていたいろんなものがあらためて見えてきた旅でもあった。そのためにいろんなものを犠牲にしたが、逆に得るものも得たものもまた大きかった。 あれから16年…。 いつかまた旅に出なければならない…そんな気持ちで日本に帰ってきて、その3年後に再び旅の空に戻ることになった。 地球上に残した轍(わだち)は約4万キロ。ちょうど地球一周分にあたる。それで自分の旅が終わったわけではない。 まだ自分には目指すものがある。自分のたどるべき道が、今も自分を待ってくれている。 あれから16年…。 道祖神の誘惑に心動かされる日々、チャンスがあれば、いつだってまた旅に出ることができる。 旅人は、旅にあってこそ旅人たりうる。 夢は見るためにあるのではなく、叶えるためにある。常々自分にそう言い聞かせてきたつもりだ。 あれから16年…。 叶えるべき夢は、今も自分の胸の内にあり、いつの日か現実になるのを待ち焦がれているに違いない。 夢を熱く語るだけで満足していては駄目なのだ。意志と行動を伴った時、夢は現実のものになる。 生きるのは夢を見るため、そしてその夢を叶えるため。夢を現実のものにするために自分の人生を使うのだ。 → "Dream Is Still Alive" (Photo: Interstate 90, Spocane, Washington 1991)
2007.10.10
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【変り種自転車】知人のS氏から変わった二人乗り用自転車を紹介してもらった。タンデムという縦につながった自転車は昔からあったが、サイドカーばりに横に並列するタイプは珍しい。ドイツのe-bay(オークション)で紹介されていたものらしい。世界中のどこにでも、はたから見れば突拍子もないことを思いつく人がいるものだ。こういった人たちがいるから新しいものが作られるということかも知れない。言い換えるなら、文明とは常に変化・変革を求める人によって導かれてきた結果生まれてくるものだということ。電動アシスト自転車は今中国で人気だそうだ。この二人乗り自転車、カップルにはお似合いかも…。自転車もこの世に誕生してかなりの歴史があるのだろうけれど、まだまだ進化を遂げていくことだろう。
2007.10.09
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会場を移動して試合は実施されるようです。
2007.10.08
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眠くて眠くて どうしようもありません。 明日もテニス公式戦です。 おやすみなさい。
2007.10.07
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【宿直勤務】 今夜は宿直です。寮のある学校で、寮監をしております。週に一度は泊まりの勤務=宿直=が入ってきます。 今朝は5時半に出勤して、少しグランドを走りました。伊賀上野シティマラソン(10km)と木津川マラソン(フル=42.195キロ)にエントリーして、真剣にトレーニングしなければ…と気持ちだけはあせる毎日…。しかし、寝不足気味ではなかなかモチヴェイションも上がってきません。加齢による気力・体力の衰え…そんなものに負けるか、と思ってはいるものの、現実は厳しいものがあります。 体組成計によれば、最近の体脂肪率は7~9パーセントを推移。肉体年齢は21歳で変わらず。しっかり眠って、真剣に鍛えればまだ何とでもなる、と思いたい所。 明日・明後日はテニスの県大会予選。先週雨で延期になった分です。寝不足でいつも車の運転だけが不安の種。生徒を乗せて事故を起こすことなんて絶対許されません。 寮監室にただ一人。消灯時間を過ぎて辺りはすごく静か。外からは鹿の鳴き声が聞こえてきたり…。 今日から寮生たちは帰省日(月に1回はある)なのですが、大半がクラブや学習の目的で残留。 月曜日まではお休みです。授業の再開は火曜日から。寮はお盆と正月以外は常にオープン。寮がオープンしている限り、寮監も交代で勤務につきます。 長い夜です。その間に仕事もはかどります。中間考査の採点もあと一クラス残っています。 窓から見える美しい星空…鹿の物悲しげな鳴き声をBGMに、秋の夜長をひとりかもねむ…。 (Illustration "midnight rider" by Kay)
2007.10.06
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【カナダ回想】13年前の1994年の今日(日本時間)、僕はカナダを自転車で横断した。正確に言うならば、アラスカのアンカレジの町を6月1日に出発し、キャノンデールのT-2000というツーリングバイクでカナダを横断し、東海岸のケベックの町にゴールした日。9307キロ、126日間。その3年前に横断したアメリカ横断よりは5日、距離にして2300キロだけ短かかったが、たくさんの素晴らしい思い出が今も色あせることなく自分の心に刻み込まれている。当時33歳から34歳にかけての数ヶ月間、まだ自分にとっては青春時代の真っ只中だった。毎日違う町を訪ね、様々な人と出会い、そして別れ、朝目覚めればいつも違う風景の中にいた。道すがら体長2メートル以上のグリズリーベア(灰色熊)を目撃したり、野生のムース(大ヘラジカ)と鉢合わせしたりとハプニングも絶えなかった。旅について語るべきことは山ほどある。いつか、自分の旅のすべてを世の人に語りたい。自分が見たもの聴いたことのすべてを語るのが、ある意味自分の使命だと思っている。そしてまた、いつか旅立つ日に備えよう。旅人のふるさとは旅の空の下にある。ふるさとに帰るために、旅に出る日がきっとやってくるであろうから。(Photo: Alaska Dalton Highway, 1994)
2007.10.05
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【∞(むげん)ぷちぷち】段ボール箱で送られてきた荷物の中にたいてい入っているあのポリエチレン製の緩衝材、正式な名称はエアキャップと呼ばれているそうだ。やりだしたら止まらない。じゃ、止めずにおこうということで、このおもちゃ…。携帯電話に着けるストラップタイプ。あのぷちぷちという小気味良い音がスピーカから出てくる。何度でも何度でも気の済むまでぷちぷちやってられる。そんなことがあってか発売が先月の22日で、これまでのところ200万個の売り上げを記録しているとか。ストレスを抱えた日本人が多いということなのだろうか。ストレスになんか負けてられない。といいつつ今日もこの時間は飽和状態…。 楽天市場で買う
2007.10.04
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豚肉、エリンギ、ネギのチリソース。 ビールがやたら美味しくて困ります。
2007.10.03
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【秋風に誘われ一人旅の空】10月、季節は違(たが)えることなく確実に秋へと向かっている。あれだけ暑くてたまらなかった夏は一体どこへ行ってしまったのだろう。心地よいペースで我が愛車ルイガノ、VIENTO2号を駆りながら、朝の乾いた空気を胸一杯に吸い込んでみる。どこからともなく漂ってくるのはキンモクセイの甘い薫りだった。頬(ほお)を撫(な)でるほんのり冷たい風の吹く方向に向かって僕は走っている。僕の心はいつしか旅の空を漂いながら、あれらの道をたどっていた日々に向けて既にマインドトリップしていた。季節は秋。秋という季節はいつも、僕にしてみれば旅の終わりを告げる時期でもあった。夏をイメージさせる全てのものは様々な旅の思い出に結びついているけれど、旅の終わりが訪れる時、それらのものは現実としての重みを次第に失い始める。あるものはすっかり忘却の波に飲み込まれ、またあるものはわずかながらの手がかりを頼りに、かろうじてその残像をひとつのイメージとして自分の内にとどめる。かつて「現実」だったものが時間の経過とともに「記憶」という形で保存されるに至るわけだ。だが、人間の記憶ほどいい加減なものはない。時間の前後関係や自分の身に起きたことの詳細などを思い返すうちに、一体どれが正しくてどれが間違っているのか、かなり曖昧(あいまい)なものになっていくだろう。また、そのようなことに囚(とら)われること自体馬鹿げていると思う時がきっとやってくるに違いない。それが記憶というものの正体であり、記憶としての宿命だからだ。記憶とは、まさに「現実」という海に浮かぶ流木のようなものなのだ。吹く風の匂いにも、場所によって微妙な違いがあることを僕は経験から知った。旅を続けながら、僕はずっと昔に感じたはずの匂いを探し求めてきた。どこに行けばその匂いが感じられるのか、あるいはその匂い自体がどんなものだったのか、今となっては、そういった記憶さえすっかり曖昧(あいまい)なものになってしまったけれど…。旅というのは吹き抜けていく風のように気まぐれでとりとめのない行為であると思う。囚(とら)われるものもなく、日々移り変わっていく中で、こだわりのない生き方を求めることもできる。今まで自分を束縛していたのは、誰でもない、自分自身だったということに気づくまでずいぶんと時間がかかってしまったけれど、自己を解放するのも結局は自分自身でしかない。ありきたりで平凡な日常であればこそ、自分自身がそれを変えていかなくてはならないんだろう、きっと。枯葉舞う散歩道にふと現れたあの日の自分が今は見える。その自分が、だんだん今の自分とは違ったものに見えてくるような気がする。あるいは、それはただの幻だったのか…。旅にあれば故郷を思い、故郷にあれば旅の空を思う…。旅人の見る夢は今も何ひとつ変わっていない。A memory is something like drift wood floating in the ocean…Photo: "Driftwood and a Man with a Dog" Pacific Coast, California (June 1991) by Kay
2007.10.02
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今日という日は 過去と永遠に決別する日 未来への誓いを立てる日 そして 二度と帰らないこの一瞬を 心から喜び讚える日
2007.10.01
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