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新上五島町榎津郷に家内の実家の菩提寺があります。墓所は本堂脇の一等地に位置し、墓石が13基あって、墓所門脇の石燈籠2基を含めると壮観なものです。供花の目的でシキミ、ヒサカキも植栽されていますので、線香と鋏を携えて行けば、墓参も出来るように設計されているのです。家内の兄達が亡くなってその姓を接ぐ男子がいませんので、世話をする墓守もいなくなり、将に無縁墓地になろうとする悲しい定めとなりつつあります。尤も、近所の人達に依りますと、代々檀家総代を務めていたことで十分菩提寺に貢献しましたので、永代供養をして貰える権利はあるのだとのことでした。私の知る限り住職も3代替りましたので、そんな約束は反古にされても文句は言えないのだろうと思っています。来年は義母の17回忌ですが、弔う人達も新上五島町は遠く墓参も叶わないとのことで、私が家内の供養を含めて菩提寺に出向き、義母の法要を行う積りです。しかし、来年度は私も70才となりますので、その後どのようにしたら良いか思案投げ首の状態です。榎津郷は高齢者ばかりの限界集落ですので、将来の集落存続も不安視される処なのです。
2010.08.31
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新上五島町に残る家内の実家は空き家となってから、16年となりました。庭には石庭風の池が残っていて、給水することは無いのですが、雨水で枯れることはありません。尤も、側壁に亀裂があるらしく、水位は至って低いのですが・・此処は昔日大きな鯉がいたのですが、今ではトンボのヤゴの生息地となっていて、シオカラ・ムギワラトンボに加えて、オニヤンマも良く飛んでいます。どぶ池ですから、藪蚊の大群が発生する筈ですが、殆どがヤゴの食糧となるらしく、あまり蚊に悩ませられることもありません。特にオニヤンマのヤゴは数年かけて羽化すると言われていますので、この溜り池は生命線とも思われるのです。榎津滞在中には、シオカラ・ムギワラトンボは池周辺を飛び回るだけなのですが、オニヤンマは庭の窓から良く入って来て、家の中を飛び回っています。普通は、家の中を徘徊して飛び回って、その内窓から出て行くのですが、先日は偶然1枚の網戸閉めていたのです。その網戸に止まっていたオニヤンマを逆光気味の状態で撮ってみましたが、なかなか魅力的です。網戸を開けて逃がそうとしたのですが、動かず戸に挟まれそうになりましたので、羽を捕まえ空に放り投げて、飛んで行って貰いました。
2010.08.30
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海の青、山の緑に映える赤波江教会、この写真は5~6年前、一本松と言う小さな漁村から撮ったものです。山道を通って訪問してみますと、本当に小さな教会でしたが、野崎島も近く風光明媚な場所に位置していました。教会内部も極めて簡素な祈りの場となっていました。住所は長崎県南松浦郡新上五島町立串郷字谷ノ坂子、仲知教会の巡回教会となっている。明治17年(1884)創立され、昭和46年(1971)に改修完成した比較的新しいもので、赤屋根と白壁が鮮やかで、遠くから見ても目立つ存在となっている。この様に生活に密着した教会は、観光バスも通れない山道を行かねばなりませんし、遠くに見て浪漫を感じることを最善とし、世界遺産に登録すべきものではありますまい!
2010.08.29
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新上五島町最北端は津和崎郷となりますが、郷外れの米山地区には小さな白いコンクリート製のカトリック教会があります。住所は長崎県南松浦郡新上五島町津和崎郷589で、仲知郷にある仲知教会の巡回教会となっていて、使徒聖アンデレを保護者とする教会。明治36年(1903)信徒の希望により聖堂を建立したが、老朽激しく現在の聖堂を昭和52年(1977)建立した。訪れました時は、神父による祝福ミサと讃美歌が聞こえて来ました。どうも「神父と共に祈りつつ教会巡り」のバスツアーが行われていた様で、小さな駐車場は満杯状態でしたので、少し離れた道路脇に駐車しての訪問となりました。此処は、家内と2回程中通島最北端の津和崎灯台を訪れた際通っているのですが、この米山教会には入ったことがありませんでした。10年ほど前から夏の教会巡りは、私と家内の年中行事となっていたのですが、遂に終焉となりました。独りで行っても面白くないものです!
2010.08.28
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五島列島でのレンタカーは電気自動車(EV)に替りつつある様です。五島産業汽船の新上五島町「鯛の浦港」でも、三菱自動車の「i-MiEV(アイミーブ)」が4~5台配備されてレンタカーとして利用されています。一般には1回充電すれば160km走行できるとされていますが、配備されているEVは推奨50km(昨年配備なのに水素電池なのでしょうか?)、街中には充電器インフラが整備されておらず、レンタカーを返す時に充電してくださいとのことでしたので、今回は通常のガソリン軽自動車を借りることにしました。新上五島町では北端の津和崎迄行っても片道30km、通常は支障がありませんし、ガソリン満タンで返却、ガソリン価格170円/リッターを考えると、少なくとも1000円以上は節約出来そうで、可なり割安になりそうです。今回は3日間レンタルで、ガソリン代2000円でしたから・・返却する際、1時間程余裕を見て備え付けの急速充電器で30分充電すれば良いのです。急速充電器およそ15~30分程度で充電する高速タイプの大容量・急速充電器で、立ち寄り感覚で充電できるエコステーションやコンビニ、自治体などの公共機関や、中距離・長距離運転用に高速道路のサービスエリア、パーキングエリアに最適。来年、五島行の場合はレンタカーはEVにするのがお得と思われました!
2010.08.27
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大波止から、長崎港の港口(長崎市戸町~木鉢町)に架かる斜張橋、女神大橋(愛称「ヴィーナスウィング」)を過ぎると、三菱重工の香焼島100万トンドックでのLNG船の建造風景が見え、リゾート地として名を馳せている伊王島を南に見つつ、五島灘に入ります。新上五島町鯛の浦港には、大波止から1時間40分の船旅で、午後6時40分着となりますが、島影が見えて来ましたら、飛魚の飛んでいるのが見えました。長崎より西方に位置しますので、今でも午後7時過ぎまで明るいのです。いよいよ飛魚漁の季節になって来た様ですが、昔日は大きな飛魚は「塩アゴ」として食し、小さいものを「焼アゴ」として出汁専用にして来たのですが、近頃は大きなものが獲れなくなったのか「塩アゴ」を店で見ることが出来なくなりました。海面から0~10mの高さで、場合に依っては200m以上も飛ぶと言います。 小骨が多く、脂が少なく淡白過ぎる味であることから、関東以北ではあまり食べられませんが、南西日本では夏の味として親しまれています。干物・乾物にして保存しても脂肪が酸化してまずくなる事が少なく、 逆にタンパク質がアミノ酸に分解されて旨みが出てきます。長崎から佐渡近辺までの日本海側ではトビウオをアゴと呼び、 幼魚を素焼きして乾燥させたものをダシ(出汁)に使います。特に長崎では正月のお雑煮に欠かせません。マスコミ等で知られるようになった「五島うどん」(長崎県南松浦郡新上五島町でつくられる郷土料理)も、アゴ出汁を使って食べるうどんである。
2010.08.26
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働きながら、住宅ローンを組んでマイホームを建てるのが通常の常識だったのが、幻想と化している様で悲しいものがあります。働いていた会社が倒産、若しくは業績不振によるリストラで、収入が激減して住宅ローンが返せなくなり、人生設計が狂ってしまった例が多いとされています。私の場合は、1985年に住宅公団(現 UR都市機構)のマンションを購入、手持ち資金に加えて会社の住宅融資も利用し、都市整備機構の1800万円の住宅ローン(年利 7.1%)を組んだのが43才でした。その後、定期預金が満期になる毎に一時返済を重ね、一般銀行の住宅ローン利率が3年間固定3%に低下した際に、ローン残金1100万円を借り換えし現在に至っています。ローン期間は25年としましたので、残金は40万円程度、69才の誕生日を持って満額返済となる予定で、残り半年足らずとなりました。住宅ローンを返せなくなり、家を手放す人が急増している。不動産競売流通協会の全国調査によると、裁判所の競売にかけられた一戸建て住宅とマンションは、2009年度には2008年度の1.3倍の約6万戸に達した。一方、2009年度に新築された住宅は約80万戸。マイホームの夢をかなえた人がいる陰で、多くの「住宅ローン破綻」が起きている。銀行と信用金庫の貸し出しに占める住宅ローンの割合は、2000年度末の13%から2009年度末には21%に増加。 「貸し過ぎ」の一方、借りる人たちは返済出来ないリスクが高まるばかりだ。 厚労省の調べでは、会社員などの給料の総額は、米国のサブプライム(低所得者向け)住宅ローン問題が起きた2007年度から3年連続で下がり、2006年度より5%減った。 銀行や不動産会社に「家賃と同じ返済額」と言われ、頭金なしで家を買う人がいるが、頭金がない人はぎりぎりで暮らしてきた人達が多く、家を買うとローン以外の負担も増え返済が苦しくなると警告している。我が家の場合は、住宅ローン返済不能と言う事態には陥りませんでしたが、時代が雇用不安を訴える状況では無かったことが幸いしたにしか過ぎません。雇用不安の大きい現在の状況に私が遭遇していれば、返済不能で競売に掛けられることもあったのかも知れないと思うばかりです。マイホームが幻想となってしまう社会は、将来への希望も閉ざされてしまうことで発展性の無い困った社会で、是正する必要があります。
2010.08.17
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お盆期間中、何処其処出掛けましたので、途中ガソリンを入れましたが、125円/リッターで高くはありませんでした。どうもアメリカの景気減速と円高を受けて、ガソリン需要が多い期間でしたが、販売価格は上昇しなかった様です。世界的な景気減速懸念が色濃くなる中で、需要後退観測を背景に原油相場に慎重な見通しが強まっている。国際エネルギー機関(IEA)は、2010年、11年ともに世界の石油需要の増加予測を示したものの、今後の下方修正も示唆。市場でも「米雇用情勢に何の改善もみられない。政府の景気刺激策も相場の根本的な回復の材料にはなっていない」との声も聞かれる。原油市場には、多くのソヴリンファンドやヘッジファンド等多くの資金が流入して、ゴールドマン・サックス主導で値上がりを画策している様ですが、世界的な景気後退の波を乗り越えて高価格を維持するのは困難とみていますが、果たして・・・ゴールドマン・サックスは、1980年代前半、銀投資で破綻したハント・ブラザーズの二の舞となるのでしょうか?需要と供給の兼合いで、価格が設定される資本主義経済の本来原則に立ち戻って欲しいものです。それにしましても、この処の円高は、輸出入の多くを占める中国元・韓国ウォンがドルとの固定相場ですから日本への経済影響は大きく、北東アジアでの日中韓相互為替協調体制を構築する方向等で、調整出来ないものでしょうか?「注意深く見守る」と言った口先介入で解決出来る状態では無い様に思われるのです。
2010.08.16
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お盆なので、秦野市、茅ヶ崎市、横浜市瀬谷区で焼香をすべく、昨日今日と挨拶方々もしようと訪れて来ました。茅ヶ崎市に住む義姉は、77才で重度のリューマチ疾患で要介護3となっていて、手で握ることも覚束ないし、足の関節にも支障が出て歩くこともままなりません。介護ヘルパーにも来て貰いつつ、50才に近い姪が独りで自宅にて世話を焼いていますので、時々は見舞いにも行きたかったのですが、今年の猛暑が義姉には相当堪えていて体調も悪くなり、「少し涼しくなったら御出でください!」との連絡を貰っていました。此処2~3日、少し暑さも和らいだ気もしましたので、事前連絡無しに、近くのスーパーで供花とブドウを買いつつ、「義兄の仏壇にお焼香したいのですが・・」と電話しましたら、「御出でください!」とことでしたので、伺うことにしました。しかし、義姉は何時も頑張ってベッドで起き上がって坐って応対してくれるのですが、昨日は全く元気がなく、ベッドに眼を瞑ったままで起き上がることが出来ない様でした。迷惑を掛けてしまったと後悔しつつ、少しく四方山話をして、早々に退散することに致しました。今年の猛暑は生半可ではなく、体力の無い人には辛いものがある様で、相手の事情を顧みずに自分の都合だけで訪問するべきものではないと反省せざるを得ませんでした。気配りの無い善意は、時として迷惑行為になるのです!
2010.08.15
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ノートルダム寺院(大聖堂)の塔は、400段近い狭い螺旋階段を登って行きますと展望テラスになっています。しかし、あまりに狭くて急なので、上がる人と下りる人とのすれ違いには気を使うことになり、特に団体に出会いますと、待機して辛抱強く待つ必要があり、時間が相当掛った様な記憶があります。展望台は塔の中段に位置して、それ程高くはありませんが、苦労して登り切った後、展望台(テラス)から眺望は見事なものでした。ほぼ真下にセーヌの流れを見え、遠くにエッフェル塔、頭を少し巡らせばモンマルトルの丘にあるサクレクール寺院も望むことが出来ますので、花のパリに居ると言うことをより強く感じることが出来ます。インターネットで調べてみますと、この階段を登るには有料となっていますが、27年前もそうだったのか否か、覚えて居りません。当時はアンソニー・クウィーンの「ノートルダムの背むし男」よろしく、一しきりパリの眺望を楽しみました。
2010.08.14
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モーツァルト、ヴェルディの作品と共に「三大レクイエム」の一つにも数えられる、フォーレのレクイエムは静謐な感情が溢れ出ていて秀逸です。Gabriel Faur? - Requiem: I. Intro?t et Kyrieレクイエムの傑作として知られ、フォーレの全作品中で最も演奏機会が多く、第4曲「ピエ・イェス(祈りを込めて)」を中心とした対称的な配置が認められる。「ピエ・イェス」は残されているスケッチの最も早い段階から姿を見せており、構成的にも音楽的にも全曲の核と見られる。 第1曲 イントロイトゥスとキリエ(Introitus et Kyrie)オーケストラのユニゾンによる主音で始まる。分散和音線を基調としたテノール、甘美なソプラノ、フォルティッシモの合唱と続く。キリエでは律動的になる。「ピエ・イェス」は森麻紀さんの独唱でお聴きください!Pie Jesu domine, dona eis requiem,sempiternam requiem.慈悲深い主なるイエスよ彼らに安息を与え給え永遠の安息を
2010.08.13
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外国為替市場は15年ぶりの円高水準となり、輸出主導の日本経済の回復シナリオに悪影響が出て来ました。日本は欧米の様な金融機関の経営不安を抱えず、景気も中国などアジア新興国への輸出拡大の恩恵を受けて、比較的に日本円は安全な資産と見られて来ました。国内的には経済回復の実感はありませんが、円高基調が進む背景には、主要各国の「通貨安政策」から取り残されて、ガラパゴス化の状態となっているのは否定出来ません。これまでの様に、市場に任せて静観している態度は許されず、対応の見直しを迫られ、何らかの手段を講ずる必要が出て来ましたが、レームダック(政策の失敗を認めず自己弁護の反論を繰り返す政治指導者)状態となっている政府は、行動を起こすことが出来るのか懸念しています。東京外国為替市場で、一時85円/ドルを突破した円相場の流れは、主な取引が海外に移っても続き、一時84.72円と15年ぶりの円高水準となりました。10日にアメリカ連邦準備制度理事会(FRB)が景気認識を下方修正し、アメリカ経済への先行き不安が広がったことで、相対的な資金の避難先として円が買われている。又、アジア・ヨーロッパの株式市場が下落したのに続いてニューヨークの株式市場も大幅に値を下げています。11日のダウ平均株価終値は1万378.83ドルと、前日の終値に比べ、265ドル値を下げて取引を終えた。市場関係者は、「短期的には円高・株安の流れは続く」と見ていて、「今の円高はアメリカ経済成長への過度な期待が調整される段階で、一時的にドル安が急激に進んでいる。いずれは再びドル高に戻っていくだろうと考える。株価はもう少し下げて、NYダウで1万ドル位までの下落は十分あり得る」ともしている。案の定、ユーロ圏から日本の為替介入を牽制するコメントが出されました。「欧州の政策当局は円高是正に対して何もしないし、他国の動きも歓迎しない」とし、ユーロ安が欧州企業の輸出を伸ばす追い風になっていて、変えたくないと言うのが本音で、米国も同様だと考えているらしい。
2010.08.12
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臓器疾患で生きる苦しみに苛まれている人達には、生きる希望を得る朗報だろうと思われますが、ドナー遺族には複雑な思いがあるのだろうとニュースをみています。私は「父母に生を受け、五体満足に天寿を全うする」を基本に考えていますので、他人の役に立ちたいと言うドナーの精神には尊敬の念を抱きつつも、なかなか直ぐには納得出来ない自分もあるのです。シェリー夫人の「フランケンシュタイン、或いは現代のプロメテウス(Frankenstein: or The Modern Prometheus)」の様な不幸な状況にならないことを祈るのみで、倫理的にも法的にもきっちり検証しておきたいものです。改正臓器移植法に基づき、脳死判定された20代男性の提供臓器を家族の承諾で患者に移植する手術が10日、国立循環器病研究センター(吹田市)など5ヶ所の病院で行われた。心臓は同センターで心筋症の20代男性に移植する手術が行われた。両肺は岡山大病院で瀰漫性気管支炎の20代男性に、肝臓は東大医学部付属病院でC型ウイルス性肝硬変の60代女性に、片方の腎臓は群馬大医学部付属病院で低形成腎の10代男性に、他の腎臓と膵臓は藤田保健衛生大病院で糖尿病の50代女性へそれぞれ移植された。厚生労働省は、本人の書面による意思表示がなく、家族の承諾で実施された初の脳死臓器提供について、家族の意思確認などの手続きが適正だったかを検証することを決めた。提供者の男性が脳死となった段階で、病院が家族に臓器提供の選択肢をどのように話したかといった過程が明らかにされず、第三者による速やかな検証を求める声が出ている。厚労省は、「検証会議」を9月上旬に開催し、検証の時期や方法を協議。書面による意思表示があった従来の事例と、改正臓器移植法に基づく新規定が適用された事例を区別して扱うか、迅速に検証を進める方法を検討する見通し。
2010.08.11
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メキシコシティには15回以上訪問していますが、それも27~30年前のことで、その殆どは駐在地のヒューストンからの1~2泊出張、PEMEX(メキシコ石油公社)、CFE(電力庁)、CLF(Companie Luz y Fuerza:電力燃料会社)での技術説明でしたので、市内観光はしないまま終わってしまいました。会社駐在事務所がレフォルマ大通りにありましたし、宿泊ホテルもその近くでした。よく泊まったホテル、Fiesta Palaceは当時完成したばかりでしたが、未だFiesta Americana Reformaと言う名で営業されている様です。独立記念塔(Angel de la Independencia)は、「アンヘル(天使)の塔」と呼んで、遠くによく眺めていました。仕事が終わると夕方になりましたので、昼間に近くに行って見たことはありませんのが、今から考えますと残念です。そんな訳で写真は一切手持ちがありませんので、上記画像はインターネットGoogle Earth経由で借用させて頂いたものです。レフォルマ大通りは、メキシコの首都メキシコシティの中心を貫く大通りで道幅も広く最もゴージャスな通りで、新聞社や銀行など大企業のオフィスビル、それに有名ホテルもいくつか軒を連ねている。又、レフォルマ大通りに沿って、人類学博物館、近代美術館、タマヨ美術館、歴史博物館、植物園、動物園がある。そして、レフォルマ大通りのメインは独立記念塔(Angel de la Independencia)、何かある度にメキシコ人が集合する場所でもあり、気勢を揚げる所であり、記念の写真を撮るところでもある。高い塔の上の金メッキの大きな天使の像は、メキシコ人の誇りである。メキシコシティは標高2400mにある盆地ですから、自動車の排気も薄い空気なので未燃ガスも多く、又その排気ガスが盆地内に溜まってしまい、大気汚染公害の典型的な場所でしたが、現在は改善されたのでしょうか?
2010.08.10
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菅直人は変節したのかと問われますと、そうでは無く、理念の無いご都合主義に害され、迎合する現実主義者だと言わざるを得ません。彼にとって市民運動とは理念の赴く処としてでは無く、迎合して自分の存在を誇示する機会でしか無かったのだろうと思われてなりません。国連事務総長の潘氏、広島市長の秋葉氏等の演説に比べ、格調も無く、とても核廃絶運動のリーダとしての足るべき人格・見識を保持しているとは思えません。普天間基地移設でも地元意向を蔑ろにし、広島でも被爆者の願いを蔑ろにしたKY発言が続いています。彼にとってレゾン・デートルであった市民運動とは何だったのでしょう!今回の発言も事後訂正して、ブレまくることになるのでしょうか?参議院選大敗を受けても、未だ民主党支持者は多数を占めていると言われていますが、理念の無い現実主義者の彼が代表を続ける現状では、民主党は国民に見放されて「じり貧」でしかあり得ません。結局、彼は国民を引率する力量に欠け、3ヶ月の選挙管理内閣を請け負っただけのリーダシップの無い人物だったのだと思われます。菅首相は、原爆死没者慰霊式・平和記念式に出席後、広島市内で記者会見し、「核抑止力は、我が国にとって引き続き必要だ」と述べた。広島市の秋葉市長が平和宣言で「核の傘」からの離脱を求めたことへの対応を問われたのに対して答えた。秋葉市長が求めた非核三原則の法制化について、首相は「非核三原則を堅持する方針に変わりはない」と述べた。ただ、仙谷由人官房長官は「改めて法制化する必要はない」と否定的な認識を示した。
2010.08.09
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8月の盆休みは来週ですが、混雑が予想されますので、昨日墓参りに行って来ました。家を出たのが12時一寸前、中央高速の混雑情報が報道されていましたので、道志道を通って行くつもりでした。橋本経由で三ヶ木(みかげ)に着きましたら、午後1時に近かったので、高速の混雑が緩和したとの予測から、急遽相模湖ICに向かいました。相模湖までは空いていたのですが、相模湖ICに入るべく、20号線(甲州街道)に入りましたら長蛇の列で、インチ刻みの進み具合となってICに入る迄1時間程要し、結局、冨士霊園に着きましたのは午後2時半、判断に誤りがありました。墓前に花を飾って焼香し、持っていたペットボトルのお茶とサンドイッチを供えて、墓所内の砂利に打ち水をしてあげました。尤も玄武岩の灼熱砂利ですから、その効果は数分も持ちません。久しぶりの富士山がうっすらですが、姿を見せてくれました。霊園内を高台に移動して、箱根連山を遠望してみました。中央の尖った山が「金時山」、其処に2人で登ったのは、10年以上前のこととなりました。少し涼しくなりましたら、供養登山をしてみたいと思っています。
2010.08.08
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親子関係は難しく、兄弟・姉妹関係よりも難しいとされています。高齢者は遠慮の無い会話で、宥和を図ろうとするのではなく、我儘を通そうとする自我が強いので、同居している家族は心安らかで無い状態に陥ってしまうのが大半ではないかと思われます。私の実父も晩年90才代後半の数年間、体が動かなりましたが、実兄家族は大変でした。実兄の何らかの言動が気に入らなかったのだと推察出来ましたが、急に「義姉には色々お世話になったが、栃木県の故郷に帰る!」とよく言っていましたが、玄関先まで這って行き、動けない状態が何回もあったのです。昨年3月、幸いにも老衰で、実兄夫妻が気が付かない間にひっそりと永眠となりましたが、最後には同居家族に感謝したのだと理解しています。核家族中心の時代となり、従来からの家族制度は崩壊しつつあるのですが、高齢者介護は家族介護がベースとなっています。しかしながら、それにも限界がありますので、公的介護制度を充実させて、同居家族も安心して我儘を聞き流せる介護を続けられるシステム構築がありませんと、この様なニュースが続く様な気がしてなりません。今回のニュースは核家族中心の時代にあって、家族交流不在状況の産物、私も昨年末から高齢者の独り暮らしですので、他人事とも思えません。100才以上の高齢者の所在不明が相次いで発覚している問題で、新たに埼玉県春日部市などで6人が所在不明となり、全国の所在不明者は計63人になったことが分かった。新たに判明したのは、同市や東京都足立区、名古屋市、和歌山県海南市、広島県東広島市に住民登録された男性と大阪府貝塚市の女性。足立区では、戸籍上103才男性の住民登録上の自宅マンションに不在で、長男は「約40年前から行方がわからない」と話したと言う。家内の実家は、父母・兄弟が全て亡くなり、住む人の無い空き家として15年が続いていますので、廃屋とならない様に何とか世話をしたいのですが、例えば夏季の3ヶ月滞在中に何か起きれば、私も数カ月所在不明となってしまいそうな気がしてならないのです。
2010.08.07
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先日、証券会社から連絡あり、「口座が残っているので相続手続きをしてください!」とのことでした。家内の口座には、株主優待を取得する目的で、JAL株を3000株があったのですが、100%減資で無価値となっている筈ですのに、可笑しなことと思いつつ、郵送されて来ました残高明細をみますと、投資口の野村MRFに4000円、JAL株3000株、が各々保護されているのです。証券会社の窓口に行ってみますと、JAL株は100%減資で無価値なのですが、政府の要請で当面放置保護処分とする必要があるとのことでした。又、野村MRFは株購入の際、余分な入金分をその口座で、保管しているとのことでした。相続手続きについて聞きますと、先年12月の銀行同様、家内の除籍謄本、私を含めた相続人全員の戸籍謄本および印鑑証明(何れも発行3ヶ月以内)が必要とのことでした。僅か4000円相続に対して、本籍地に出向き取得するのは、相続人の義務とは言え面倒ですし、況して別居して独立している子供達にも迷惑が掛ります。其処で、証券会社には迷惑と思いましたが、相続手続きを中断する由、申し入れました。考えてみれば、家内の生きた証しが残ったままであることも、少しく私への慰めにもなりますし、証券会社にもJAL株保護放置の処理方針が政府から通知され、その決着後に家内口座を相続することで、それ程の迷惑が掛るまいと思ったからでした。
2010.08.06
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数日前、航空宇宙技術研究所(NAL、現JAXA)の所長をしていた方から、暑中見舞いの返書が来状しましたが、闘病の経過報告でした。彼は、年齢的には4年先輩、年次的には航空学科の2年先輩となります。19年前に、通産省(現経産省)航空機武器課の将来産業調査依頼を受け、「次代の日本産業は自動車産業から航空宇宙産業に移すべきだ」との命題とし、アメリカとヨーロッパに調査団派遣となったのです。私と先輩である彼とは学科の選択コース(機体とエンジン)が違ったことがあり、それまで面識はありませんでしたが、共にヨーロッパ調査団に加わり、イギリス、ドイツ、オランダ、フランスを歴訪しました。私が前列中央と言うか向かって右端、先輩の彼は後列中央です。途中、彼がフランクフルトでスリ被害に遭遇、警察への届け出、航空会社への航空券再発行手続に同行したこともあり、帰国後も懇意にして頂き、所長就任後は所長室に押し掛け、よく歓談させていただいたものでした。小生、7月6日に心臓発作に見舞われ、この世におさらばする寸前まで行きました。危うく踏み留まり、今はこの葉書を書くまでに回復しましたが、もう一つの手術が控えており、閻魔大王の判断をもう一度仰ぐことになります。幸いに、それを乗り越えて退院にまで漕ぎ着けることが出来た場合は、改めて経緯を聞いて頂く機会もあるかと考えます。今回のことで、家族、特に配偶者の健在が、どんなに強く心の支えになるかを知りました。先輩である彼の年齢は72才で、未だ後期高齢者にはなっておりませんので、今回の病気回復を切に祈念することに致しました。しかし、私を含めて高齢者は何が起こっても不思議ではなく、昨年亡くなった家内も66才の高齢者、至極自然の摂理なのだろうと自覚することとなりました。
2010.08.05
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ミュンヘンで開催された米国機械学会(ASME)の論文発表に出掛け、学会手配の「ノイシュヴァンシュタイン(Neuschwanstein)城」観光ツアーに夫婦で参加しましたのは2000年5月初旬のことでした。ミュンヘンを朝早く出発して、花咲く野を近くに、遠くにはドイツアルプス最高峰ツークシュピッツを見つつ1時間程で着いた山村オーバーアマガウにて途中休憩となりました。町中の散策をして見ますと外壁に美しいフレスコ画が描かれている家々が立ち並んでいて感じの良い街でした。土産物屋さんも多くあり、この土地の伝統なのか、木彫りの置物が数多く見かけられました。購入しませんでしたが、結構高価だった様な気がします。又10年毎にキリスト受難劇を上演する劇場(Passionstheater)を見学、上演直前の時期だったと思います。バイエルン州南端、ドイツアルプスの北麓にある村、人口5千人足らずの小さな村ながらも独特の雰囲気が流れる魅力的な村である。多くの家々に描かれたフレスコ画がたいへん美しく、この村の異色な雰囲気を作り出している。また、この町は木製のおもちゃや木彫りが特産という点では非常に歴史が古く、キリスト受難劇が始まる3世紀も前の15世紀にまで遡る。この町が有名となったのは、1633年のペスト大流行の年。前年の1632年からドイツを襲ったペストだが、ここオーバーアマガウでの被害が少なかったことから、その感謝の意をこめて1634年より村人達の手でキリスト受難劇が始められた。オーバーアマガウの歴史は、パッションテアトル(Passionstheater)で開催される10年ごとのこのキリスト受難劇と共に流れてきたとも言える。今年2010年はキリスト受難劇が上演される年で、テレビ・インターネットでも報じられていますが、私達の訪問はもう既に今から、10年も前のこととなったのです。
2010.08.04
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会社時代、良く歓談した友人が登山事故で、71才にて亡くなりました。彼は早大理工学部修士卒で、私より1年遅れて入社して来て、ガスタービン開発を研究部で支援してくれたのです。私は設計部でしたので、色々話をし、ガスタービン技術の将来を語り合う様になりました。年齢的には3才年上だったのですが、入社年度は私が先輩と言うこともあって、同期の入社の様に、忌憚なく意見交換したものでした。今でこそガスタービンは火力発電所の主力機種ですが、当時は蒸気タービンが主で、つけいる隙はありませんでした。しかし、時代の趨勢は環境保護の観点から、光化学スモッグの原因となる窒素酸化物排出の低減を規制する大気汚染防止法施行によって、ガスタービンに有利に働く様になりました。私は30才代で技術士資格を得ましたが、特に社外へのアプローチはせず、そのまま退職、少し会社時代に手がけたプロジェクトのコンサルタントをして数年過ごしました。彼の望みは「退職後、スペインで乞食になる」と言うことでしたが、会社時代の論文を北大に持ち込み博士号を得て、金沢工大に教授職を得て研究を続けましたので、望みが叶うことはありませんでした。家内の初盆でしたので、彼に暑中見舞いを出したのですが、返書が奥様からでしたので、文面を読んでみますと、彼の逝去通知だったのです。先月6月12日、雲取山(2017m)の下山途中、20m滑落し沢の河原に落下し命を落としました。単独行でしたので、見つけて頂いたのは翌13日で、青梅警察署から電話を貰って仰天した次第です。生前の温かいお付き合いに心からお礼申し上げます。昨日は49日でしたが、未だにボーっとしております。家内逝去の際には、慰めの電話とお香典を頂戴しましたし、暑中見舞いを契機にお付き合い復活と思っていましたので、残念至極でした。急遽奥様宛てに、お悔やみの手紙と香典を郵送致しましたが、私位の年齢になりますと生死は紙一重と言うことがひしひしと感じられます。それでも、健康な状態のまま、好きな趣味の内に死ねるのも幸せなことでないか、と考えつつ彼の冥福を祈ることに致しました。私も家内供養を兼ねて、よく低山登山しますので、他人事ではありません!
2010.08.03
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誰の演奏したアナログレコードを保持していたのかも忘れている程ですので、この曲を聴くのは、30~35年ぶりのことと思われます。Debussy Le Martyre de St Sebastien - Fragments Symphoniquesシャルル・ミュンシュ指揮のボストン交響楽団の演奏ですので、相当古い録音でしょうが、フランス的静謐感が良く表現されている様に思われます。「セバスチャンの殉教(Le Martyre de Saint S?bastien)」は、イタリア人作家ガブリエーレ・ダヌンツィオとの合作によってクロード・ドビュッシーが作曲した劇音楽、「5幕の神秘劇」と銘打たれている。後年「交響的断章」(交響組曲)に編曲され、一般的には原曲よりも後者が名高い。セバスチャン(セバスティアヌス)はローマ植民地の生まれで、ミラノで教育を受け、親衛隊の長に任命された。時の皇帝ディオクレティアヌスは彼がキリスト教徒であることに気がついていなかったが、キリスト教囚人2名をその信仰で励ましたことから知られてしまった。彼のオーラは口のきけない女性を癒し、78人の人々をキリスト教に改宗させた。皇帝はセバスティアヌスを草原へ引き立て、杭に縛り付け、まるでハリネズミのように、彼に多くの矢が突き刺さるまで射続けて放置させたが、奇跡的に彼は死ななかった。聖イレーネは自宅へ彼を連れて行き、健康になるまで介抱した。そして彼は、ディオクレティアヌス帝にキリスト教擁護の熱弁を繰り広げたことから、皇帝は彼を死ぬまで殴打し、遺体は人目を避けて捨てさせた。手持ちのアナログレコードはテープにダビングしていませんので、我が家のオーディオでは聴くことは出来なくなっています。
2010.08.02
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初盆後の暑中見舞いを出した処、家内の親戚から種々の家系図が郵送されて来ました。家内の義父母は、網元名跡を継ぐ為に夫婦養子として入籍しましたので、少し複雑で、近い親戚まで含めて5つの家系図が同封されていました。ふと見ますと、各家系図には家紋が表示されていたのですが、義父の生家となる家紋が、我が家と同じものと言うことが分かりました。「丸に立澤潟(タチオモダカ)」と言う家紋、元来が武家の家紋らしいのです。不思議に思い、昨日午後、町田市金森に住んでいるお宅を訪ねて、経緯などを伺って来ました。義父の生家は、元来が筑前藩(現 福岡県西部)の医家であったらしいが、魚目村榎津郷(現 新上五島町榎津郷)が無医村になったことから、請われて赴任に同意、元禄・宝永年間に移住となったらしい。しかし、その生家も義父が他家に入ったことが影響してか、東京在住の義伯父には男子で継ぐ人も無く、墓所も東京に移籍した。従って、新上五島町ではその係累は殆ど絶えてしまった様だとのことでした。家内が、可愛がられた義父の生家家紋と同じ家紋を刻んだ我が家の墓に眠っているのも、何か奇しき前世の因縁なのかも知れません。今まで、家紋など気に掛けたことも無かったのですが・・そうかと言って、未だに我が家の出自・家系は調べようとは思っていません!
2010.08.01
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