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フォスターにも魅力的な子守唄があります。ポピュラーのアーティストが彼の作品を多彩にトリビュートした魅力的なCDではブルーグラス風のアレンジで、弦楽3重奏(マーク・オコーナー、エドガー・メイヤー、ヨ・ヨー・マ)をバックにアリソン・クラウスの歌った歌は頭を垂れて静聴させる美しさがあります。Slumber My Darling (Grave of the Fireflies)米国の作曲家スティーヴン・フォスターが1862年に作詞・作曲した曲で、アイルランド民謡を思わせるような素朴で美しい抒情歌。Stephen Foster スティーヴン・フォスターSlumber My Darling お眠り愛しい子Slumber my darling,thy mother is near お眠り愛しい子、母は近くでGuarding thy dreams from all terror and fear. こわいものからお前の夢を守るわSunlight has past and the twilight has gone, 日は沈んで 黄昏も消えたSlumber my darling,the night's coming on. 眠りなさい愛しい子、夜が来るからSweet visions attend thy sleep 素敵な夢がお前の眠りを彩るのFondest,dearest to me, 愛しく、大事な貴方の眠りをWhile others their revels keep, 他の人たちは騒いでいるけれどI will watch over thee. 母さんがお前を見守ってあげるSlumber my darling,the birds are at rest, お眠り愛しい子、小鳥も休んでThe wandering dews by the flowers are caressed, 夜露も花たちに優しく愛されるSlumber my darling,I'll wrap thee up warm, お眠り愛しい子、暖かく包んでAnd pray that the angels will shield thee from harm.祈ってあげる、天使が守るように
2017.05.12
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Amazonで、ジョージ・セルGeorge Szellのハイドン後期交響曲シリーズが1938円と言うことでしたので、ネットショッピングしました。受け取ってみますと、CD4枚セットなので、随分安価だと吃驚しましたが、録音が60年以上も前のことですので、音源としてはダイナミックに欠け、アーカイブとして楽しむ役割としての発売なのかも知れません。ジョージ・セルは、それ程評価の無かったクリーヴランド管弦楽団を世界最高のアンサンブルと称えられる合奏力に高めた。その正確な演奏をベースに端正で透明度の高い、均整の取れた音楽を構築し、主観的な感情移入に頼らず作品のもつ魅力を引き出した。特にハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンら古典派の作品における完成美は評価が高い。往時は、クリーヴランド管弦楽団はニューヨーク、ボストン、シカゴと肩を並べる交響楽団でしたが、ジョージ・セル亡き後はあまり聞かれなくなりましたので、指揮者の存在の大きさがうかがい知れます。ハイドンの真骨頂、ザロモン交響曲には含まれませんが、その前の一連の「パリ交響曲」の中でも最も優れているとされる88番「V字」の演奏が含まれていました。Haydn - Symphony n°88 - Cleveland / Szell録音が1954年4月と言うことで、録音技術が発達していないので、金属音の響きが強くて残念な音質ですが、ジョージ・セル指揮の典雅な演奏を楽しむことが出来ます。
2017.05.02
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近頃は、思想芸術の発信地であるフランス文化の低迷が激しく、実存主義やマルクス主義を含んだ哲学的解釈も影を潜めて、イデオロギー皆無の過激な復古主義・武力闘争を背景にした覇権主義や欧米に対抗するイスラム文化の世界的復権が普く取り沙汰されるだけの情けない状況となりました。それでも、実存主義の申し子であったシャンソン歌手である、ジュリエットグレコの倦怠感が残る雰囲気は、他の歌手には無いデカダンスも感じられて、全て成果主義のみが蔓延る現代を揶揄する気高さもある様に思われてなりません。ジュリエットグレコのパリの空の下 (Sous le ciel de Paris)黒いジャケットとパンタロンを着て、物思いにふける知的で野性的なグレコは、時代の思潮の申し子のような雰囲気を持ち、実存主義の申し子としてサルトルやボーヴォワールにインスピレーションを与えた。彼女は自伝の中で、「彼女(グレコは三人称で自らを語る)が歌うことが正当であることを証明すること、現在もこの気持ちを忘れない」、「自分が愛する詩と詩人しか歌わない。そして彼女は非難されることになる」、「恋するものは歌(シャンソン)で、孤独である。選択の難しさ、拒絶の悲しみ、純粋なものの追求、それは安易さとは逆のものである」。パリの空の下 Sous le ciel de Paris歌が流れる S'envole une chansonふむふむ Hum hum若者の心に Elle est née d'aujourd'hui芽生えた歌 Dans le cœur d'un garçonパリの空の下 Sous le ciel de Paris恋人が行く Marchent des amoureuxふむふむ Hum hum笑い声が Leur bonheur se construit街に響く Sur un air fait pour euxベルシー橋には Sous le pont de Bercy学者が一人 Un philosophe assisミュージシャン見物人 Deux musiciens quelques badauds大勢の人 Puis les gens par milliersパリの空の下 Sous le ciel de Paris歌が流れる Jusqu'au soir vont chanterふむふむ Hum hum恋人たちの L'hymne d'un peuple éprisパリの賛歌 De sa vieille cite
2017.04.20
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何かの趣向キャンペーンなのでしょうか、イタリアの山岳地帯にあるステルヴィオ国立公園の標高2700mの高地での演奏を楽しむことが出来ます。演奏者二人は、真夏の5月16日に、何と3時間半のトレッキングでペジョ谷にあるマルモット湖畔に着いてから、山男・山ガールを前にして演奏するのです。曲目は、モーツァルト作曲のヴァイオリンとヴィオラ2重奏曲KV423、ここではヴィオラの替わりにチェロが使われていますが、高音部を利用しているのか、それ程違和感はありません。イザベル・ファウストの演奏するヴァイオリンは、1704年製のストラテヴァリウス、彼女のボーイングが巧みで、柔らかくて綺麗な摩擦音が醸し出されています。チェロ担当のマリオ・ブルネロは、1600年代前半に作られたピエトロ・マッギーニと言う名器を使ったそうで、良いアンサンブルとなっていました。Isabelle Faust & Mario Brunello - Mozart: Duo for Violin and Viola (Cello) G Major KV423Isabelle Faust and Mario Brunello play Mozart: Duo for Violin and Viola G Major KV423, with cello in place of viola, at Lago delle Marmotte (2700m above sea level) in Val di Pejo (Trento - Stelvio National Park) after a 3.5 hours uphill walk. This performance is part of the concert held on 16 July 2012, the first of three days of a high mountain trekking. Isabelle Faust is playing a Stradivari violin manufactured in 1704 and Mario Brunello is playing a Pietro Maggini cello manufactured in early 1600.
2017.04.17
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「久遠に轟く ヴォルガの流れ」という歌い出しで知られる、与田準一訳詞のロシヤ民謡の主人公ステンカ・ラージンは、17世紀ロシヤの農民反乱の指導者。農奴解放、貴族の専制廃止を掲げ、カスピ海北岸に陣取ったステンカ・ラージン、5000人が3万から5万へと膨れあがり、首都モスクワへ向けて進撃を始める。皇帝はステンカ討伐軍を派遣し、各地で戦闘が展開されたが、ステンカは仲間の裏切りに逢い、捕えられてモスクワで斬首された。反乱は足掛け4年に亘った。【ロシア音楽】ステンカ・ラージン (日本語字幕)歌唱はソ連時代の女性歌手アンナ・ゲルマン(1936-1982)。「アタマン」はコサックの首領のこと。日本語歌詞には反映されていませんが、故国愛を叫ぶ処は絶唱かも知れません!Волга - Волга, Мать родная,Волга - русская река!He видала ты подаркаOт донского казака!Volga, Volga, Mother VolgaWide and deep beneath the sun,You have never seen such a presentFrom the Cossacks of the Don.
2017.04.11
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ヴァイオリンソナタ第10番はベートーヴェン最後のヴァイオリンソナタ、この曲にはThe Cockcrow(鶏が鳴く時)、即ち「夜明け」との表題が付けられていて、静穏な気分の中に情緒を湛える名曲で、常に運命に抗った時期のベートーヴェンが、幸福な音楽を書く意欲を持てたことは、運命の悪戯なのでしょうか?Isabelle Faust, Alexander Melnikov - Beethoven: Violin Sonata #10 In G, Op. 96 - 1. Allegro Moderatoイザベル・ファウストのヴァイオリン演奏は、静穏な気分の中に、時にはフォルテで感情の起伏を表現した名演だと思われます。著名な「クロイツェル」ソナタの後9年間の沈黙から、42歳の1812年、丁度第8交響曲が作曲された年に完成している。ヴァイオリニストのロードと、ルドルフ大公のピアノにより、ロプコヴィッツ伯爵邸にて初演され、ルドルフ大公に献呈されているとのことです。この作品は12月29日に初演された後、数回の公演を経て、1816年にウィーンのシュタイナー社とロンドンのバーシャル社から楽譜出版されました。初演後、ベートーヴェンは出版前に作品を複数回に亘って改訂したようだが、初演後に書かれた自筆譜が完全には伝わっていないため、残念ながら初演時の作品の全容を再構築することは出来ません。
2017.04.04
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高畑勲監督のアニメ作品「おもいでぽろぽろ」の主題歌、原曲はBette Midler女史が歌う「The Rose」でしたが、原詩の訳詩も監督自らが手掛け、歌い手には演歌歌手の都はるみ女史を起用して、見事に映画ストーリーや雰囲気にマッチさせました。愛は花、君はその種子 (おもひでぽろぽろ)スタジオジブリでは、宮崎駿監督の方が人気話題作も多く営業成績が良い様ですが、高畑氏は種々手法を使い魂に訴える芸術家、宮崎氏は心温まるストーリーテラーの職人なのだろうと考えています。やさしさを 押し流す愛 それは川魂を 切り裂く愛 それはナイフとめどない 渇きが愛だと いうけれど愛は花 生命の花きみは その種子・・・・・・・・長い夜 ただひとり遠い道 ただひとり愛なんて 来やしないそう おもうときには思いだしてごらん 冬雪に 埋もれていても種子は春 おひさまの愛で 花ひらく
2017.03.13
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「ガブリエルのオーボエ (Gabriel's Oboe)」は、1986年のイギリス映画「ミッション(The Mission)」サウンドトラックの一曲、映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネ(Ennio Morricone/1928-)作曲で、サウンドトラックで1986年度ゴールデングローブ賞 作曲賞を受賞、又、サラブライトマン(Sara Brightman)が歌詞をつけ歌ったことで、他歌手もカバーすることなって、広まっている様です。T RICK爺と言う方が、高畑勲作品「火垂るの墓」の映像にこのオーボエ演奏をBGMとして用い、詩情溢れる動画を作成しています。火垂るの墓(節子の夏)太平洋戦争での神戸空襲で家を焼かれ、又母を失い、兄妹だけで生き抜こうとしたのですが、願いが叶わずに衰弱死してしまうのです。悲劇のストーリーにも拘わらず、懸命に生きた2人への暖かい思い遣りが素直に感じられる作品となっています。映画「ミッション(The Mission)」は、1986年度カンヌ国際映画祭パルム・ドール、アカデミー撮影賞、ゴールデングローブ賞脚本賞受賞。日本での公開は1987年。舞台は、1750年代スペイン植民地下の南米・パラナ川上流域(現在のパラグアイ付近)。先住民へのキリスト教布教に従事するイエズス会宣教師たちの生き様を描いた映画で、主演はロバート・デニーロ。イエズス会が派遣した宣教師は、現地の先住民グアラニー族に敵視され交流に失敗してしまいます。そこで、今度はガブリエルと言う宣教師が新しく派遣され、オーボエを吹くことで、やがて現地の人と音楽で仲良くなって行くことに成功するストーリーとなっています。
2017.03.08
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先日購入した、スメタナ4重奏団のベートーヴェン弦楽4重奏15番・16番セットを、カーナビに入れ、運転中に聴いていますが、16番も久しく聴かなかったので、新鮮に聞こえます。ベートーヴェンは、この4重奏曲を完成後、13番の最終楽章「大フーガ」に替わる「フィナーレ」を書き上げてそれが遺作となりましたが、完成作品としては弦楽4重奏16番が最後となりました。その第3楽章は、「至極ゆっくりと歌う様に静かに(Lento assai, cantabile e tranquillo)」と記されていて、悲しみと諦めが歌われるのです。深く愛した甥のカールとの決別があって、彼は精も魂も尽き果てて、偉人の実生活の葛藤を感じられて、彼が見せた深い悲しみの感情となっているのは印象が深いのです。第3楽章だけの演奏も数多くアップロードされていますが、スメタナ4重奏団のものはありませんので、イタリア4重奏団の演奏をお聴き下さい!Beethoven: String Quartet No.16 op. 135 III. Lento assai Quartetto Italiano
2017.02.25
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耳が聞こえなくなってからは尚のこと自己主張の激しかったベートーヴェンだったのですが、神に感謝すると言う殊勝な曲を聴きたくなって、スメタナ四重奏団の演奏するCDをネットで購入、1967年録音で1080円でした。リディア調とは知らないのですが、崇高なメロディーにすっかり聞き惚れました。YouTubeではスメタナ四重奏団版はアップロードされていませんので、同じく好みのラサール四重奏団の演奏するものをお聴き下さい!Ludwig van Beethoven String Quartet No.15 in A minor, Op.132 - 3. Molto Adagio – Andante弦楽四重奏曲 第15番は、1825年に作曲の室内楽曲で、ニコライ・ガリツィン伯爵に献呈されている。出版順により15番とされているが、作曲されたのは第13番よりも前である。第1楽章と終楽章は1824年のうちにスケッチが行われており、この時点ではの4楽章構成を考えていたようだが、病気のために作曲が中断され、快復して再着手した際に、リディア旋法による第3楽章を挿入するよう計画を変更した。第3楽章は全体のクライマックスに位置し、"Heiliger Dankgesang eines Genesenen an die Gottheit, in der lydischen Tonart(A Convalescent's Holy Song of Thanksgiving to the Divinity,in the Lydian Mode)病から回復した者が神に捧げるリディア調の感謝の歌"との題名が付いています。教会旋法によるヘ調のゆったりした部分と、より速めの「"Neue Kraft fühlend新しい力を得た" 」ニ長調の部分の交替で構成される。てr我が家にはWestminster盤で、Barylli QuartetのLPレコードがあるのですが、今は聴けなくなっているのは寂しい限りです!
2017.02.19
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「浜辺の歌」は、大正5年(1916年)発表された、作詩:林古渓、作曲:成田為三による日本の唱歌・歌曲で、鮫島由美子女史等による名唱もありますが、スーザンオズボーンの歌う英語歌詞による「浜辺の歌」も抒情がある名唱と思われます。浜辺の歌(唱歌)スーザン・オズボーンアップロードされている動画の琵琶湖岸辺の風景が、新上五島町の蛤浜海浜に雰囲気が似ていますので、尚更でした。I walk at dawn by the seashore and watch the night turn to dayThe sound of the surf and the salty air washes sadness from my soulThe sound of crying sea birdsThe sea of sparkling blueThe waves return to the shore again as I return to youあした浜辺をさまよえば昔のことぞ忍ばるる風の音よ 雲のさまよ寄する波も かいの色も
2017.02.14
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アメリカ国益第一主義のトランプ大統領が誕生し、やはり覇権主義で核心的利益は譲らないとする強欲な中国の習近平主席との確執は必至で、世界情勢は危険な状況となり、悪くしますと戦争の懸念さえ感じられる様になりました。そんな風に考えていますと、戦争の悲惨さを描いたアニメ映画「火垂るの墓」(Grave of the Fireflies)を思い出してしまいます。親を亡くした14歳の兄である清太と4歳の妹の節子が、共に栄養失調で悲劇的な死を迎えていく姿を描いたストーリーには毎回涙無しには観られません。挿入歌はアメリータ・ガリ=クルチ(Amelita Galli-Curci)の「埴生の宿(Home, Sweet Home)」で、1908年の録音らしいのですが、幸せだった時代を懐かしむ美しい歌声はストーリーにマッチしていて、脚本・監督の高畑勲氏の力量に感嘆させられます。Home,Sweet Home 埴生の宿 「火垂るの墓」挿入曲【ビクターSP盤】 Amelita Galli-Curci戦火の下、親を亡くした14歳の兄と4歳の妹が終戦前後の混乱の中を必死で生き抜こうとするが、その思いも叶わずに栄養失調で悲劇的な死を迎えていく姿を描いた物語。愛情と無情が交錯する中、蛍のように儚く消えた二つの命の悲しみと鎮魂を、独特の文体と世界観で表現している。アニメ映画「火垂るの墓」(Grave of the Fireflies)は、1988年東宝系で公開された。監督・脚本は高畑勲。挿入歌はアメリータ・ガリ=クルチ(Amelita Galli-Curci)の「埴生の宿(Home, Sweet Home)」が使われた。清太の死が冒頭で描かれ、幽霊になった清太の「僕は死んだ」というナレーションから始まってカットバックしていき、神戸大空襲から清太が死地となる駅構内へ赴くまで原作の構成を忠実になぞっているが、後半部分の演出、特に節子の死のシーンの描写や、ラストで清太が去って行った後の山から見える景色が現代の神戸の街のシルエットに繋がる構成などはアニメオリジナルである。作中で画面が赤くなる時は、清太と節子の幽霊が登場し近くで見ており、阿修羅のように赤く演出されている。
2017.01.24
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引退後20数年して尚、ちあきなおみの歌の世界に多くの人が魅了されていて、折に触れTVで「ちあきなおみの歌」番組が放映されていて、先日もTVを見入ってしまいました。歌手として栄光に包まれながらも、自分が歌いたい歌をと、歌謡曲、ニューミュージック、ジャズ、シャンソンなど様々な遍歴して辿り着いたポルトガルのファドでは、人間の嫉妬心や所有欲を"憑き物"と言って良い程怪しく表現する。1992年9月に夫である俳優の郷鍈治が肺癌のため死去。夫の遺体が荼毘に付されるとき、柩にしがみついて「私も一緒に焼いて」と号泣したと言う。これを機に一切の芸能活動を停止して、その後、公の場所にはまったく姿を現していない。夫に先立たれて、歌う心が萎えきってしまったのだろう。歌の世界そのものを彷彿させる話ではないか。そう言えばちあきなおみの歌には「喝采」「冬隣」など、彼女の運命を予見したような歌がいくつかある。男に去られた女の孤独と哀切を歌った作品も多い。TV番組の核心となった「ねぇあんた」は彼女の最高傑作ともされ、心根のやさしい娼婦と客のやりとりを一人芝居の歌で表現した大作で、シャンソンやファド、ひいてはオペラブッファ風のレスタティーボ・アリアを彷彿とさせてくれます。ちあきなおみ ねえ、あんた純心だけが取柄の幼稚な女の脇に本当に男がいるようなリアルさを感じられる世界を演じていて、名唱として語り継がれている様です。
2017.01.09
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年末にはベートーヴェンを聴くのが良いのかも知れません。年末の第九は食傷気味とYouTubeを検索していましたら、1964録音のパイネマンの演奏するベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲がアップロードされていました。エディト・パイネマンは1937年生まれですから、現在79才、演奏活動はせずに音楽協会活動に専念している様です。彼女のアメリカ・デビューは27才と遅咲きで、ニューヨークのカーネギー・ホールでのジョージ・セル指揮のクリーヴランド交響楽団と共にベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を演奏したのとのことでした。これを契機にジョージ・セルの秘蔵っ子ともされましたが、録音数も多くなく「垂涎のヴァイオリニスト」ともされている様です。BEETHOVEN Violin Concerto | E.Peinemann, RSO Köln, G.Szell | live 19641964年ニューヨーク・デビューと同じ年に、ジョージ・セル指揮ですがケルン放送交響楽団と共に演奏されたものの様ですが、気品のある演奏に感心させられました。 エディト・パイネマン(Edith Peinemann, 1937年3月3日 - )は、ドイツ・マインツ生まれのヴァイオリニスト。1953年のミュンヘン国際音楽コンクールで入賞、1956年にミュンヘン放送局主催の国際コンクールで優勝したことで、国際的な演奏活動を開始することとなった。1964年には、ニューヨークのカーネギー・ホールでジョージ・セルと共にベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を演奏してアメリカ・デビューを飾った。1976年からフランクフルト音楽院の教授となり、クリーヴランド音楽院やインディアナ大学、ルツェルン音楽院などでも教授活動を行った。2005年からESTA(ヨーロッパ弦楽器教育者協会)の責任者を務めている。
2016.12.31
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今日は半蔵門に行く用があったのですが、帰途久し振りに渋谷の道玄坂百軒店の奥にある名曲喫茶ライオンに行ってみました。百件店入り口付近にはアダルトショップやストリップ劇場があって、大人の歓楽街なのですが、その奥に未だひっそりと営業を続けていました。名曲喫茶は、新宿や中野、吉祥寺にもあったのですが、昔風の珈琲だけでクラシック音楽を楽しむのは時代錯誤なのか、もう此処しか残っていない様です。1時間位しかいなかったのですが、未だ活用しているLPレコードでバッハやショパンを聴いていましたが、その中にリクエストに依るものか「カッシーニのAve Maria」が聞こえて来ました。カッシーニのアヴェマリアは、『シューベルトのアヴェマリア』、『グノーのアヴェマリア』と並ぶ「3大アヴェマリア」の一曲として親しまれていますが、真の作曲者は、旧ソ連の作曲家ヴァヴィロフ(Vladimir Vavilov/1925–1973)、自身の作品を神秘化するため、古典作曲家の名前を借りて発表する事がよくあったと言われ、「作曲者不詳」のアヴェマリアとして発表していたが、彼の死後に演奏家らがカッシーニの名前でレコーディングを行った為、近年までカッシーニ作として広まってしまったそうです。YouTubeで検索してみますと多数アップロードされていますが、ヘイリー・ウェステンラの独唱でお聴き下さい!Hayley Westenra - Ave Maria風説通りに、シューベルトやバッハ/グノーのアヴェマリアに匹敵する名曲となっている様です。
2016.12.23
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冬の夜空は、オリオン座や冬の大三角が煌いて、一際美しい。其処で思い起こすのが「冬の星座」と言う文部省唱歌ですが、組み入れられたのは戦後のことで極めて新しい様です。原曲は1871年にウィリアム・ヘイス(William S. Hays)が作詞・作曲したアメリカ合衆国のカントリ・ウェスタン・ソング「愛しのモーリー」(Mollie Darling)。作詞家の堀内敬三氏は、単なる甘いラブソングを宇宙のロマンを誘う悠久なる詩に変えて、小学唱歌に編入させたのは大した力量で、我々はその恩恵を浴しているのだと思わざるを得ません。~冬の星座~白鳥英美子木枯らしとだえて(途絶えて)さゆる空より(冴ゆる)地上に降りしく奇しき光よものみないこえる(物皆憩える)しじまの中に(四十万)きらめき揺れつつ(煌き揺れつつ)星座はめぐるWon't you tell me, Mollie darling,That you love none else but me?For I love you, Mollie darling,You are all the world to me.O! tell me, darling, that you love me,Put your little hand in mine,Take my heart, sweet Mollie darling,Say that you will give me thine.
2016.12.18
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American String Quartetはジュリアード音楽院出身者の団体で、1984年からはニューヨークを中心に活動している様で、日本での演奏会は未だありません。イスラエルでの演奏会でベートーヴェン弦楽4重奏曲14番を弾いている動画がYouTubeでアップロードされていますが、素晴らしく緊張感溢れる演奏に感心して何回か聴くことになりました。American String Quartet- Beethoven op.131American String Quartetは、昔日のJuilliard String Quartetがテクニックを誇って高速で演奏するのとは違い、じっくりと緊張感を込めた演奏には感銘させられます。元来、ベートーヴェンがこの4重奏曲を自分の最高傑作と呼び、作品として驚くべき完成度を示しているのですが、通常の4楽章構成から逸脱しての7楽章構成であり、古典派に限らず、あらゆる時代を超えて頂点に立っているとされています。ベートーヴェンを愛し、深き理解者とされるロマン・ロランは次の様に解説しています。第1楽章 苦悩に刺激され、孤独を深めて行く魂第2楽章 過ぎし日の幸福の回想第3楽章 夢想から目覚め第4楽章 楽想の絶え間ない変容第5楽章 ミューズ神との戯れ第6楽章 現実への回帰第7楽章 勝利の歌しかし、第7楽章については、ロマン・ロランの解釈よりも、ベートーヴェン自身の私生活の破局的状況を「諦めと慰め」を映し出すと言うのが妥当の様です。
2016.12.13
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今日は、モーツァルト245回の命日でもあり、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットと管弦楽のための協奏交響曲KV297bを聴くことにしました。所持していたLPレコードでは、A面にKV364、B面にKV297bとなっていましたので、疑いもしませんでしたが、かなり昔から贋作の疑いが流布していた様です。音楽学者碩学のアインシュタインは「K.297b」と言う番号を与えて作品目録の「本編」に組み入れ、真作とした。しかし、全ての楽章が同じ変ホ長調で書かれていると言う疑問点があり、筆写譜や伝記的状況、クラリネットなどの用法を詳細に検討した結果、偽作の可能性が非常に強いとの判断を下し、「疑作、偽作」を示す「Anh.C14.01」と言う番号を与えた。この作品をモーツァルト真作と見る研究者もいるが決定的な証拠が欠けているため、散逸したフルート、オーボエ、ホルン、ファゴットと管弦楽のための協奏交響曲の自筆稿の発見でもない限り、真偽の決定が困難な状況である。「しかし作品の由来はなお曖昧であるとは言え、我々が所有している版の真憑性に対して早まった疑問を投げかけることは、間違っていないだろうか。なぜなら、作品のどの部分にもモーツァルトの手が明瞭に認められるからである」それでも、モーツァルト音楽を楽しく聴くことが出来ますので、その第3楽章を聴いて見て下さい、主題と10の変奏曲形式で、10の変奏は独奏者の技巧を引き出すべく、様々な音型や楽器の組み合わせで巧妙に書かれています。W.A. Mozart: Symphony Concertante KV297b (3rd mvt.) for Oboe, Clarinet, Horn, Bassoon and Orchestraしかし、50年以上も作品の真憑性を知らなかったとは迂闊なことですが・・
2016.12.05
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昨日は、東京赤坂にあるドイツ文化会館1階のOAGホールにてピアノトリオ演奏会に行って来ました。青山通りには面していなくて、高橋是清公園から折れて入った住宅街の一角にありました。此処はドイツの文化交流センターでもあり、ゲーテ・インスティート(Goethe Institut)と言う語学学校が2階以上に併設されています。OAGホールは元来がドイツ文化会館の映写室である様で、正面には大きなスクリーンが見えます。演奏者は、ピアノが浦田陽子女史、ヴァイオリンがレミー・バロー(Remy Ballot)、チェロがヨァゲン・フォゥグ(Joergen Fog)、日仏デンマークの混成トリオでした。プログラムはモーツァルトのK. 502、ベートーヴェンの幽霊トリオ、ラヴェルのピアノトリオ(イ短調)の順番でした。最初のモーツァルトのK. 502では、やはり伴奏付きピアノソナタの色彩が強く、ピアノの音量が強すぎると思いましたが、モーツァルトの時代はピアノの発達が十分ではなく、これほど強くは無いのだろうと納得しつつ聴いていました。ベートーヴェンの曲目では、3楽器が各々の主張をして、ピアノソナタではなく、ピアノトリオなっていて、落ち着いて聴けました。聞き物は、最後のラヴェルで、エスプリの効いたメロディーとリズム、何処かオリエンタルの感じもする優れた作品でしたし、演奏者も一番熱が入っていた様で、聴いていて素晴らしいと感銘を受けました。YouTubeでもBeaux Arts Trioの演奏がアップロードされていますのでお聴き下さい!Beaux Arts Trio plays Ravel Trio, III
2016.10.30
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ベートーヴェンの弦楽四重奏曲は、古今、著名な4重奏団が渾身を込めて演奏して来ていて、戦後直ぐには、ウィーン交響楽団のコンサートマスターであったバリリ4重奏団が名を馳せていましたし、その後はスメタナ、ラサール等の4重奏団の名演が続きました。1980年代後半に、アルバンベルク4重奏団が現れ、機械で測ったとも思われる絶妙なアンサンブルと力強い演奏で、喝采を浴びました。Beethoven - String Quartet Op.59 No.3 'Rasumovsky' - 3. Menuetto. Grazioso - Alban Berg Quartettこの動画は、1989年11月にウィーンのKonzerthaus Mozart-Saalでのライブ録音、特徴あるフーガ楽章では無いのですが、緩徐楽章の第3楽章でも、演奏者の熱情がホール全体に広がっているのが分かります。ベートーヴェンはラズモフスキー伯爵の依頼によって弦楽四重奏曲の依頼を受けて作曲された3曲の弦楽四重奏曲はラズモフスキー四重奏曲としてOp.59として出版された。これはその3曲目に当たるのでラズモフスキー第3番と呼ばれる。第1楽章Andante con moto-Allegro vivaceは減七の和音の強奏に始まる和声的な緩やかな序奏部で、混沌とした雰囲気を醸し出している。ソナタ形式の主部は躍動感溢れる第1ヴァイオリンのパッセージによって導かれる非常に堂々としている。この第1楽章は、モーツァルトの名曲「ハイドンセット」四重奏曲6番となる「不協和音」の影響を受けたものと思っているのですが・・・
2016.10.08
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英BBCによると、英国の指揮者ネビル・マリナー氏が10月2日死去、92歳だった。1924年に中部リンカンで生まれ、王立音楽大学とパリ音楽院で学んだ。バイオリニストとしても活躍し、1958年にアカデミー室内管弦楽団を創設した。日本でもモーツァルトを描いた映画「アマデウス」の劇中曲の演奏で人気を博し、今年4月にも都内で来日公演を行った。英国にはモーツァルト交響曲や協奏曲を名演する指揮者が多いと思っていましたが、コーリン・デイヴィスが去り、1昨年はクリストファー・ホグウッドが夭折、今回は中庸な指揮法で知られたネヴィル・マリナーが亡くなってしまいました。我が家にも多数のCDが所蔵されていますが、白眉はアルフレッド・ブレンデルとの協演による「モーツァルト:ピアノ協奏曲全集(フィリップス)」「オーケストラとピアノがお互い寄り添いつつ主張する」とも評判もあるもので、「全集」としてベストに推す人も多いとされています。内田光子とジェフリー・テートが協演するピアノ協奏曲もフィリップスから発売されていて魅力がありますが内田光子の感情移入が激しく、ネヴィル・マリナーとアルフレッド・ブレンデルとの協演している方が中庸を心得ている様で、私の好みに合うのです。YouTubeにて、アルビノーニのアダージョがBGMになっている「ネヴィル・マリナーへの想い」とする動画が急遽アップロードされていますので、お聴きください!Sir Neville Marriner in Memoriam (15.04.1924 - 02.10.2016)
2016.10.03
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クラシックギターの奏者としては、スペインのセゴビア(Segovia)が従来の民族楽器の音楽を正調クラシックとして高めた功績は大きなものがあります。それに感化されて、世界各国から彼の教えを請うべくギタリストが馳せ参じました。日本からは阿部保夫が行き、帰国後NHKギター講座を担当してギター音楽を広める貢献をしたのです。アメリカからは若きパークニング(Christopher Parkening)が、彼の元で修行を重ねて、セゴビアの推挙もあって、従来アメリカには無かったギター音楽を普及させることになりました。この音楽カセットは1994年6月の米国出張中にアトランタで購入したもので、その際LP RecordとCDも同時に買っておきました。その頃はSony Walkmanを携行していましたので、カセットが直ぐに楽しめたのですが、ポータブルCDプレーヤーは高価で手が出なかったからです。YouTubeでは、パークニングの演奏が数多くアップロードされていますが、デビュー間近の1968年の演奏は如何でしょう!Albéniz, trans. Segovia / Christopher Parkening: Asturias (Leyenda) - 1968 Recordingセゴビアによってクラシック音楽としての編曲が為されたメロディーを、情熱を持って若さ溢れる演奏だと思いますが・・
2016.09.28
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「谷間の灯火」は、故郷を懐かしむ抒情歌の名曲として、今でも広く親しまれていますが、アメリカの原曲では、死刑に相当する大罪を犯して逃げ回っている逃亡犯か、若しくは牢獄に入り死刑執行を待つ身でしかない犯罪人が、故郷とそんな息子の罪を知らない母親を思いやるしかないと言った極限的状況を歌った悲しい歌詞となっています。When it's Lamplighting Time in the Valley - Norman Blake & Rich O'BrienSo she lights up the lamp and keeps waitingFor she knows not the crime I have doneBut I have changed all my ways and I'll meet herUp in Heaven when life's race is runWhen it's lamp lighting time in the valleyThen in dreams I go back to my homeBut I've sinned against my home and my loved onesAnd now I must evermore roam日本では昭和9年(1934)、東海林太郎の歌でヒットしました。日本語詞は、単にふるさとを懐かしむ内容になっていますが、原詞では、2番のコーラス部分と3番にあるように、罪を犯して逃亡中の男が主人公になっています。3番の"when life's race is run" は、「命が尽きるとき」という意味で、処刑を待っている囚人なのかも知れません。「もうお母さんにはあの世でしか会うすべがない。お母さんはそんなことを知らずに、おれの帰りを待ち続けているだろう」といった悲しい歌です。
2016.08.22
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バッハの伴奏付きヴァイオリンソナタBWV1017を聴き比べました。双方とも1960年代の録音ですが、演奏時間がWalcha版は18分強、Gould版は15分弱と驚くほど差があります。我が家にあるLPレコードはWalcha版、WalchaはSzeryngヴァイオリンを引き立てる様に演奏していて典雅な感じがします。一方のGould版、GouldはMenuhinヴァイオリンをリード、特に第4楽章は高速でMenuhinもたじろぐ程で、面食らったことでしょう。Glenn Gould-Yehudi Menuhin-J.S. Bach-Violin Sonata No.4グールドは、ワルヒャが1時間余掛けてHarpshicordで弾いたゴールドベルク変奏曲を、1955年にPianoにて30分弱で演奏してしまう強烈なデビューを飾り、新たにContemporaryバッハ解釈をクラシック愛好者に提供したのでした。
2016.08.20
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ドイツ民謡「Der letzte Abend」では、好きな女性と結婚出来ず、彼女と別れた最後の夜を嘆き悲しんで、綺麗な月を眺めつつ彼女の幸せを願う悲恋の歌となっています。日本で訳詩された「故郷を離るる歌」では、その対象が生まれ育った故郷の懐かしい情景に向けられ、今や死語になりつつある文語調ですが、明治時代の文化人の西欧列強に対抗して日本を育て上げようと言う祖国愛が強く感じられます。故郷を離るる歌 NHK東京児童合唱団 ドイツ民謡、日本語詞:吉丸一昌園の小百合 撫子 垣根の千草今日は汝を眺むる 最終の日なりおもえば涙 膝をひたす さらば故郷さらば故郷 さらば故郷 故郷さらばさらば故郷 さらば故郷 故郷さらば此処に立ちて さらばと 別れを告げん山の蔭の故郷 静かに眠れ夕日は落ちて たそがれたり さらば故郷さらば故郷 さらば故郷 故郷さらばさらば故郷 さらば故郷 故郷さらばドイツ民謡「Der letzte Abend 最後の夜」1. Wenn ich an den letzten Abend gedenk,Als ich Abschied von dir nahm !Ach, der Mond, der schien so hell,Ich mußt scheiden von dir,Doch mein Herz bleibt stets bei dir, [Chor]Nun ade, ade, ade, nun ade, ade, ade,Feinsliebchen lebe wohl !
2016.06.19
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ワルター・バリリ(Walter Barylli, 1921年6月16日~)となっていますので、95才を超えて未だご存命らしい。ワルター・バリリと言えば、名門ウィーン・フィルのコンサートマスターとして知られ、又室内楽普及の為バリリ4重奏団を結成して演奏活動を続けますが、52歳のときに右ひじの故障から現役を引退しなければならない悲運に見舞われ、その後は教育者としての道を歩みます。2001 年には日本でのベートーヴェンの弦楽四重奏曲作品18-4の弦楽四重奏レッスンがTVでも放映され、好評でした。バリリ4重奏団のミラノ4重奏曲演奏がYouTubeでアップロードされています。録音が1955と古く音質は優れませんが、ウィーン風の典雅が楽しめます。Mozart String Quartet No.6 K.159 - Barylli Quartetこれは、モーツァルトが17才の時に、ミラノ滞在中に作曲されたもので、彼特有のロマン的作風は無いのですが、イタリア風の軽いメロディーが魅力となり、楽しさ溢れる楽曲となっている様です。ワルター・バリリはウィーンに生まれ、ウィーン音楽院でフランツ・マイレッカーに師事、1936年にミュンヘンでデビューを飾り、1938年9月1日にウィーン国立歌劇場管弦楽団に入団し、11月1日にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に入団、1939年には同団のコンサートマスターに昇格した。 1945年からはバリリ弦楽四重奏団(Barylli Quartet)を結成し、1959年に右肘を痛めるまで活動を継続した。四重奏団活動停止後もコンサートマスターとしての勤務を継続。1966年から1969年まではウィーン・フィルハーモニーの楽団長を務めた。1972年9月1日に退職。1969年以降はウィーン音楽院で後進の指導に当たっている。
2016.06.11
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モーツァルトの6大交響曲の最初に位置するハフナー交響曲(K.385)をアイオナ・ブラウン指揮のアカデミー室内管演奏で聴いてみました。天上の音楽としては、最後の交響曲ジュピター(K.551)が良く知られていますが、フリーメーソン特有の3連音が鳴り響いて、意図的な教唆音楽曲とも考えられなくもありません。それに引き換えて、ハフナー交響曲(K.385)は元来がセレナーデとして作曲されたものを交響曲に改変したものですので、何ら宗教的意図を持たない純粋な天上の音楽と考えているのです。「ハフナー」(Haffner)とはザルツブルクの大富豪、モーツァルトがハフナー家の為に作曲した作品は2曲ある。1曲目は1776年作曲のセレナード第7番K.250で、今日『ハフナー・セレナード』と呼ばれ親しまれている。2曲目は1782年にハフナー家が貴族になったことへの祝賀用のセレナードとして作曲された。モーツァルトは1783年3月の予約演奏会のためにハフナー家への第2セレナードを交響曲に編曲した。編曲に際し行進曲と2つあったメヌエットの一つを削除し、楽器編成にもフルートとクラリネットを加えている。この曲以降の6つの交響曲(ミヒャエル・ハイドン作の第37番を除く)は「モーツァルトの6大交響曲」と呼ばれ、モーツァルト交響曲のなかでも特に人気が高い。IONA BROWN conducts MOZART: Symphony # 35 'Haffner' / Academy of Saint Martin in the Fieldsこの交響曲は、元来がセレナーデでもあり、小規模編成の室内楽団での演奏が良いと思われるのですが、アイオナ・ブラウン女史は見事な采配振りを示しています。アイオナ・ブラウンは英国のヴァイオリニストであり、指揮者として活躍しましたが、2004年6月5日、63才の若さで夭折、死因は癌とされています。アカデミー・オブ・セント・マーチン・イン・ザ・フィールズ(Academy of Saint Martin in the Fields:アカデミー室内管)にはヴァイオリニスト・メンバーとして入団、頭角を現してコンサート・ミストレスに抜擢され、指揮者としても活動範囲を広げて、国外の楽団での常任指揮者としてお呼びが掛かる逸材となりました。最後の十数年は、手首の故障から指揮活動に比重を移していたとされています。
2016.05.28
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一昨日のN響定期演奏会に出掛ける幸運を得ました。年上の知人は定期会員なのですが、「都合が悪く行けないので、代わりにどうぞ!」とチケットを郵送してくれたからです。NHKホールへ行くのも10年ぶりで、アクセスも忘れ、インターネット検索にて、千代田線「明治神宮前」から徒歩10分と言うのが最短と思われましたので、会場時間を15分程過ぎた6時15分に尽きました。頂いたチケットは、C1-16と言うことで、コンサートマスターの前、楽団員を少し見上げる席でしたが、弦楽器本来の木の共鳴する音が聴き取れる良い席でした。プログラムは「カリンニコフの交響曲1番」と「ベートーヴェンの交響曲6番“田園”」、指揮者はエストニア出身のネーメ・ヤルヴィ氏でした。カリンニコフと言う作曲者は初耳で、期待はしていませんでしたが、豈に図からんや、出色の出来で、演奏会の目玉となっていました。カリンニコフは1901年に34歳で夭折したロシアの作曲者、国民学派に組することなく、民謡風の素朴さや抒情性に傾倒する作風は、辛らつな批判を受けたこともある様ですが、近年見直されて高い評価を得ている様です。特に第2楽章は、ハープとヴァイオリンの伴奏を背景に、イングリッシュ・ホルンが奏でる歌謡的主題とオーボエの吹く物憂げな第2主題については、作曲者は「皆が眠りにつき、物音一つ聞こえない。すると静寂が震えだす」と語ったとされています。ヤルヴィ氏の指揮するCDが会場で販売されていて購入しませんでしたが、インターネット検索しますと、もうアップロードされていました。カリンニコフ 交響曲第1番 Kalinnikov / Symphony No. 1 in G Minor余りに、安易に手に入ると言うのも、便利である様で味気ないものです。
2016.05.22
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昨日は風も治まって上に晴天で、尾根緑道に散歩に出掛けました。気温が28℃を超えてしまい、木陰を伝って歩くことで暑さを凌ぐことになり、夏日を実感することになりました。例年、キンランが10株以上見つけられる林間を歩いてみましたが、もう盗掘されてしまったのか、僅か1株しかありませんし、来年は絶滅を覚悟しなければならないと思うと残念でなりません。家に帰って、小学唱歌「夏は来ぬ」で検索してみますと、多数出て来ましたので、聴き比べてみました。-NHK東京児童合唱団-由紀さおり・安田祥子-小鳩くるみ-倍賞千恵子etc卯(う)の花の匂う 垣根(かきね)に時鳥(ほととぎす) 早(はや)も来(き)鳴きて忍(しの)び音(ね)もらす 夏は来ぬ五月雨(さみだれ)の 注(そそ)ぐ山田に早乙女(さおとめ)が 裳裾(もすそ)濡(ぬ)らして玉苗(たまなえ)植(う)うる 夏は来ぬ橘(たちばな)の薫(かお)る 軒端(のきば)の窓近く 蛍(ほたる)飛び交(か)い怠(おこた)り諌(いさ)むる 夏は来ぬ楝(おうち)散る 川辺(かわべ)の宿の門(かど)遠く 水鶏(くいな)声して夕月すずしき 夏は来ぬ五月闇(さつきやみ) 蛍飛び交い水鶏鳴き 卯の花咲きて早苗(さなえ)植えわたす 夏は来ぬベストは倍賞千恵子の歌うもの、作詞は歌人の佐々木信綱氏であり分語調で難しく、唱歌童謡と歌うよりも、平易なメロディーながら、少し音階を下げて、情感深く歌曲として歌うのが良いのだろうと思われたのです。~夏は来ぬ~ 倍賞千恵子
2016.05.06
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ゴールデンウィークの混雑時期で、近くの植物園に出掛けましても駐車場は駐車待ちをする長蛇の列ですので、家に居て庭の掃除にも勤しみつつ、YouTube等で古い歌などを聴いています。偶然に聴きました、「倍賞千恵子の白い花の咲く頃」、透き通った声と高音の伸びが曲想に合っていると、しっとりと聞き惚れてしまいました。倍賞千恵子/白い花の咲く頃倍賞千恵子さんも近頃は伯母さん顔となりましたが、画像で出て来る若い時の涼やかな美しい乙女顔も懐かしいものでした。昭和25年(1950)発表のNHKラジオ歌謡で、岡本敦郎の代表曲。作曲 田村しげる作詞 寺尾智沙(田村しげる夫人)季節は、中学や高校の卒業式が済み、別れが多くなる3月末から4月初め、コブシやハナモクレン等の白い木の花が次々と咲きます。上京する人を黙って見送る少女の遠景には、白い木の花。田舎から都会へ出てきた多くの人が、春が来る度に思い出す光景です。昭和25年と言えば、私達家族も栃木県、静岡県と2回の疎開を経て、東京に戻って来た時で、未だ上野には浮浪児群がおりましたが、敗戦時の混乱がようやく癒され始めた時期でもありました。未だテレビも普及していない時で、ラジオが全盛期、亡き母も歌を聴くのが好きで、岡本敦郎の「白い花の咲く頃」や「高原列車は行く」を聴いていた記憶があります。
2016.05.02
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湿った苔の間から、平塚スミレが咲き出しました。濃い赤紫の小さいスミレの筈ですが、赤紫と言うよりは真紅に近いのは個体差かも知れません。YouTubeで、モーツアルトの傑作歌曲「スミレ(Das Veilchen)」を検索して、種々の歌手の動画を開いて聴いています。Ein Veilchen auf der Wiese stand, 一本の菫が牧場に咲いていたGebückt in sich und unbekannt; うずくまり、人に知られずに;Es war ein herzigs Veilchen. それは本当に可愛い菫だった!Da kam eine junge Schäferin 若い羊飼いの少女がやって来たMit leichtem Schritt und muntrem Sinn 軽やかな足どりで、晴れやかな心でDaher, daher, こちらに近づいてくるDie Wiese her, und sang. 牧場の中を、歌いながら。我が家には、Elisabeth SchwarzkopfのAngel RecordのLP版がある筈ですが、LPレコードは最早聴けませんので、YouTubeの中ではエリカ・ケートの歌う動画が印象的でした。Erika Köth "Das Veilchen" Mozart
2016.04.02
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ニコラウス・アーノンクール氏が3月5日逝去の報が出されました。86才だった様で、昨年に健康を理由に引退をしていたのですが、療養が叶わなかった様で残念です。我が家にも、彼が指揮した「ハイドンの軍隊交響曲」等のCDが数枚ありますが、余りにメリハリが利き過ぎた演奏解釈が好みでなく聴くことが少なかったのですが、バッハ等の曲に対しての古楽器演奏のパイオニアとしての功績は大きなものがありました。バッハのブランデンブルグ協奏曲全曲が、Concentus Musicus Wienの指揮者と演奏者を兼ねて、 YouTubeにアップロードされていますが、弦楽合奏の6番をお聴き下さい!Bach Brandenburg Concerto No. 6 in B flat major, BWV 1051 mvt3 Allegro D°,N Harnoncourtこの曲は、バイオリンでなくビオラをメロディー楽器として低音部を強調したものですが、若き日のアーノンクール氏がビオラ・ダ・ガンバを演奏しているのが、懐かしい気がします。録音は50年以上も前なのでしょうが、画質も音質も悪くはありません!古楽演奏のパイオニアとして知られ、現代のクラシック音楽演奏に大きな影響を与えた。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団などを率いて日本にも幾度か訪れ、2005年には京都賞を受賞した。昨年12月、今後の演奏活動から退く意向を明らかにしていた。ベルリン生まれ。ウィーン国立音大でチェロを学び、チェリストとしてウィーン交響楽団に入団。作品が生まれた当時の楽器や奏法を用い、楽曲の響きを新鮮に立ち返らせる古楽運動を興した。1953年、アリス夫人とともに古楽演奏集団「ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス」を創設。古楽の巨匠グスタフ・レオンハルトと、200曲にも及ぶバッハのカンタータ全曲を録音するなど、金字塔的な活動を繰り広げた。
2016.03.26
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孫娘の長女5才が、バイオリンを習い始めて2ヶ月、もうお稽古のお披露目発表会があると言うので、新宿にある音楽ホールに出かけてみました。出し物は「ロングロングアゴー変奏曲」となっていましたが、擬古ち無いながらも、音程はしっかりしていて、僅か2ヶ月で変奏曲まで弾いたのですから驚きました。2016 Spring Concert子供の音感と吸収力は大したもので、それは歳と共に少しずつ劣化するのでしょうから、丁度お稽古始めには良かったのでしょう。この曲は、私は小学校高学年の音楽授業で教えられたもので、今でも歌うことが出来ますが、タイトルが「思い出」だったと言うのは知りませんでした。「思い出」作詞:古関吉雄文部省唱歌(イングランド民謡)垣(かき)に赤い花さく いつかのあの家ゆめに帰るその庭 はるかな昔鳥のうた木々めぐり そよかぜに花ゆらぐなつかしい思い出よ はるかな昔その頃は、我が家に限らず、日本は貧しく音楽授業も足踏みのオルガンで斉唱するのが普通でした。そんな状況で私は音感に自信が無く、音階を「ドドレミミファソラソミ ソファミレ ファミレド・・・」とメロディーを文章にして全部覚えておいた記憶があります。
2016.03.22
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昨日、NHKBSの音楽番組で、禁じられた遊びのテーマ曲である「愛のロマンス」が話題になっていて、作者不詳として映画「禁じられた遊び」音楽担当のナルシソ・イエペスが演奏したメロディは遡ること50年以上の歴史があると語られていました。日本ではギタリストとしてナルシソ・イエペスは圧倒的人気で、私も50年以上前に日比谷公会堂でのギター独奏演奏会に行ったことがありました。独奏演奏会ですのでアンコールは数多く演奏されましたが、彼が「愛のロマンス」を演奏するまでアンコールを10回以上要求、漸く「これが最後です!」と日本語で言って貰って演奏を聴き、漸く満足して帰るのでした。そんな日比谷公会堂での演奏風景がYouTubeにもアップロードされていますが、映画のサウンドトラックの方がベターの様です。Jeux interdits - Narciso Yepesこちらを聴く方が、情熱と若さが感じられる演奏で秀逸の様に思われるのです。これを契機に巨匠になったとは言え、情熱の大きさは若い時の特権なのです!1952年、映画監督のルネ・クレマンは音楽担当をアンドレス・セゴビアに予定していたが、既に映画制作予算を使い果たしており、セゴビアとは制作費の折り合いがつかず、当時まだ新人であったイエペスに音楽担当の依頼をすることになった。「映画自体は既に撮ってあるが、どんな音楽をつけたらよいか決めかねているので、映画の音楽を担当してほしい」と監督から依頼を受ける。そこで、24歳のイエペスは映画『禁じられた遊び』の音楽の編曲・構成、演奏を1本のギターだけで行った。映画が公開されると、メインテーマ曲「愛のロマンス」が大ヒット、世界的に有名ギタリストとなった。それから世界各地でリサイタルやオーケストラとの共演を行い、日本にも1960年から1996年までの間に計17回訪問した。
2016.03.14
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此処3日間、冬の寒さが戻っていますので萎縮してしまい、食料の買い付け以外の用事では殆ど出ていません。こんな日は、家の中で静かにベートーヴェンのピアノソナタでも聴いて、落ち着いているに限ります。ピアノソナタ18番は、初期によく見られた3曲セット作品の最後のもので、第2楽章がスケルツオ、第3楽章がメヌエットとされる珍しい構成となっています。ケンプ、バックハウス、リフテル、グールドと聴き比べてみましたが、アラウの演奏が中庸を得て、一番落ち着いて聴くことが出来ました。Arrau - Beethoven sonata no.18 op.31 no.3 "La Chasse" (III) - Menuetto (Moderato e grazioso)録音は1965年と古くダイナミックさは期待出来ませんが、ベートーヴェンはこの曲にそんなことを要求していないのだろうと思えば、何事でもありません。
2016.03.11
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ヴルタヴァは「モルダウ」(ドイツ語: Die Moldau、英語: The Moldau)の名で知られ、単独で演奏されることも多い。スメタナは、以下のように述べている。この曲は、ヴルタヴァ川の流れを描写している。ヴルタヴァ川はTeplá Vltava と Studená Vltava と呼ばれる2つの源流から流れ出し、それらが合流し一つの流れとなる。そして森林や牧草地を経て、農夫たちの結婚式の傍を流れる。夜となり、月光の下、水の妖精たちが舞う。岩に潰され廃墟となった気高き城と宮殿の傍を流れ、ヴルタヴァ川は聖ヨハネの急流で渦を巻く。そこを抜けると、川幅が広がりヴィシェフラドの傍を流れてプラハへと流れる。そして長い流れを経て、最後はラベ川(ドイツ語名エルベ川)へと消えていく。 Smetana - Die Moldau (Karajan)この動画はBGMを聴きつつ、世界各地の水辺の風景を観る序に、人生も旅と達観しつつ、川の旅を満喫するヒーリングミュージックとなっているのも楽しいことです。BGMはクラシック音楽界の帝王と呼ばれたカラヤンが、晩年ウィーンフィルを指揮した演奏と思われるのですが、世を去るのは世の常とは言え、亡くなってから久しくなりました。スメタナは、楽聖ベートーヴェンと同様、耳を患って音が聞こえなくなると言う悲劇に見舞われましたが、その逆境に打ち克って「わが祖国」を作曲出来たのは、使命感と歴史観に支えられた為なのでしょうか?「月日は百代の過客にして、行き交う人も亦旅人なり」としたのは松尾芭蕉でしたが、その様に達観するのが妥当なのでしょう!
2016.02.29
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我が家には、バッハのフルート・ソナタをカール・リヒター氏指揮のミュンヘン・バッハ・オーケストラと協演したカセット2枚セットがある筈でしたが、記憶が混迷して来ていて見つかりません。一世を風靡したフランス出身であるランパルの華やかさはありませんでしたが、骨格がしっかりとした中でぬくもりを感じさせるフルート奏者でした。フルート奏者のオーレル・ニコレ氏が2016年1月29日、90才で故郷のスイス・ヌーシャテルで死去した。1926年、スイス生まれ。パリ音楽院で名匠マルセル・モイーズに師事。ジュネーブ国際コンクールで優勝した。1950~59年にフルトベングラーやカラヤンが指揮するベルリン・フィルで首席奏者として活躍。透明感とぬくもりを兼ね備えた音色で、ソリスト、教育者として国内外で活動した。日本でも、モーツァルトやバッハのCDで広く愛された。カール・リヒター氏指揮のミュンヘン・バッハ・オーケストラと協演したグルックとハイドン作品がアップロードされていますので、お聴き下さい。Aurèle Nicolet: Mozart / Gluck / Haydn (2/2: Gluck / Haydn - Karl Richter: Münchener Bach Orchester) 録音が1962年と古いのですが、音質を凌ぐ素敵なアンサンブルが聞こえて参ります。
2016.02.05
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小澤征爾はフランスの名指揮者シャルル・ミュンシュの後を受けてボストン交響楽団の常任指揮者となったのは、1973年、38才の時でした。それから29年間もの間、常任指揮者として活動しつつ、その他のオーケストラを客演指揮して世界的名声を得ることとなりましたのは、才能が花開いたと言うことなのでしょう。1978年の録画がアップロードされ残っていますので、ご覧ください!小澤征爾&B.S.O. 幻想交響曲 (1978) 第4楽章シャルル・ミュンシュの影響もあるのかと思いつつ、拝見・拝聴させて頂きました。ベルリオーズはフランス浪漫派の作曲者ですが、繊細な曲想が大衆の支持を得られず、裕福なリストから度重なる支援を受けなければならない極貧生活を送ったことでも知られています。幻想交響曲も彼自身の失恋の痛手もあって、恋に破れた若者が麻薬を飲んで夢想する物語で、「最愛の恋人を殺害してしまい、断頭台で首を切られて、邪悪の森を彷徨い歩く」と言う設定になっています。第4楽章は「断頭台への行進」と命名され、殺人罪で死刑宣告を受けた若者が断頭台へ歩む情景となっているものです。東大卒業式の終わりを告げる曲目として演奏されるのですが、「楽園であった学窓から荒海の社会へ死をも覚悟する意識で出て行け」と言う学校側からの餞別なのかも知れません!
2016.01.09
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ドイツを代表する指揮者クルト・マズア氏が逝去、88才とのことで、難病のパーキンソン病を患って3年前に引退して治癒に努めていましたが、その甲斐無く、合併症での死去とされています。これは、1980年Texas州Houstonで購入したカセット、この時は未だ50才台前半でしかなかったとは知りませんでした。彼の指揮するライプチヒ・ゲバントハウス管弦楽団のワーグナーをお聴き下さい。Wagner Concert in Leipzig 1988 DDR 2 - Die Meistersinger von Nürnberg (overture)昔、東大の卒業式はこの曲で始まるのが常でした。ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団やライプチヒ・ゲバントハウス管弦楽団など、ドイツの名門楽団で要職を歴任。ブルックナーやブラームスなどで、重厚さとぬくもりを感じさせる名演を数多く率いた。1991年からニューヨーク・フィルの音楽監督、ロンドン・フィル管弦楽団首席指揮者やフランス国立管弦楽団の音楽監督も務めた。社会的活動にも積極的で、東西ドイツ対立の平和的解決を目指して奔走。ベルリンの壁崩壊後も「東ドイツ子供基金」を創設した他、日本にも支部がある「フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ基金」名誉会長を務めた。
2015.12.21
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ピアノ三重奏曲(Piano Trio)に分類され、その第1番なのですが、自筆譜には「ディヴェルティメント(Divertimento)」と書かれているらしいのです。このカセットは30年以上前にTexas州Houstonで購入したものですが、1967年演奏ですので、当時も既に名盤シリーズとなっていました。YouTubeにアップロードされていましたので、第3楽章ロンド形式の部分をお聴き下さい。Mozart - (3rd mvt) Piano trio in B flat, K. 254 – Rondeauカセットが古すぎて再生出来るか否か分かりませんので、妙に懐かしさを覚えます。モーツァルト研究の碩学アインシュタインは「正確にはピアノ・ソナタで、オブリガート・ヴァイオリンを持ち、低音部を強化するチェロが一つ備わったもの」と評している。アインシュタイン著「モーツァルト(白水社)」 p.355:チェロは、この作品のロンドで一度だけ、独立して低音部を4小節演奏することが許されているにすぎない。 モーツァルトのピアノ三重奏曲の総譜の書き方は、近代とは著しく違っている。 ヴァイオリンとチェロが共にピアノ・パートの上にあるのではなく、ピアノ・パートは両弦楽器の中間に書かれている。 チェロはピアノの左手の低音部を強めるだけのように見える。 それは、ヴァイオリンと協同してピアノに対立しているのではない。
2015.12.17
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埼玉県北葛飾郡松伏町にあるコンサートホールに行ったのは随分昔のこととなりましたが、ドイツのクラリネット奏者のカール・ライスターの室内楽演奏会が行われたからでした。主演目はブラームスのクラリネット5重奏曲、聴いているだけで落ち着いた気分となったものでした。ライスターの演奏は数多く、YouTubeにアップロードされていますが40分を超える大曲ですので、第1楽章のみの動画を検索していましたら、次の様な演奏動画を見つけましたので、お聴き下さい。Guarneri Quartet / David Shifrin - Brahms Clarinet Quintet, Movt. 1 Part 1モーツァルトのクラリネット5重奏曲はクラリネットの明るい面が表現されていますが、ブラームスのクラリネット5重奏曲はメランコリックな名曲で知られています。第1楽章のテンポはアレグロの指定ですが、それよりは少しゆっくり演奏されるのが普通です。全体を支配する憂愁な第1主題がヴァイオリンによって始まり、そのテーマが低音から上昇してくるクラリネットによりさらに切ない感じで繰り返されます。第2主題は経過部と明確な区別はなく波打つような動きで、展開部と再現部を経て、最後は第1主題が演奏されて寂しく曲を終えます。
2015.12.08
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このグルミョー・トリオの弦楽3重奏曲全集LPレコード3枚セットには、Op. 3、Op. 8、Op. 9の3曲、そしてフルート3重奏のOp. 25が収められています。これは1978年発売時も、録音が1960年と言うこともあって、名盤廉価シリーズとしてされていた様です。Op. 8とOp. 25はセレナーデと題されていて、若きベートーヴェンの屈託の無さが反映されています。作曲は、1796~97年、後年何れもピアノ3重奏曲に編曲されていますので、ベートーヴェン自身も気に入ったメロディーだったのでしょう。グルミョー・トリオによる弦楽3重奏曲の演奏は、断片的にしかアップロードされていませんので、他の動画でお聴きください。Beethoven: Serenade Op.8 D-dur - Heifetz Piatigorsky Primrose (8.1960) これも、第2楽章と第3楽章しかアップロードされていませんが、当時第一人者とされる3奏者によるもの、録音は1960年8月とされていますので、上記のグルミョー3重奏団と時代を同じくするものです。セレナーデは小夜曲とされ、屋外での演奏用に作曲されたもの、一方ディヴェルティメントは喜遊曲で屋内演奏用のものとされますが、甘いメロディーで音楽を楽しませることに違いは無いようです。多分若きベートーヴェンは自己宣伝には、セレナーデとした方が広く親しまれると考えたのではないかと思われます。
2015.11.11
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ピアノ三重奏曲第4番Opus 11は“町の歌(Gassenhauer:Street Song)”と呼ばれている作品で、古くから西村と言う所有者名の入ったLPレコード(ヤニグロ演奏)があったこともあり、私のお気に入り曲の一つで、よく聴きました。西村と言うのは義母の旧姓で、頭脳明晰で病弱であった義叔父が聴いていたレコードだったと想像していますが、どの様な経緯で家内の実家にあったのかは分かりません。“街の歌”は1797年に作曲・出版された作品で、元来はクラリネット、チェロ、ピアノの為の三重奏曲でしたが、クラリネット部をベートーベン自身のバイオリン演奏に替えて行われたのが好評でピアノ三重奏曲となりました。この作品は、有名な“大公トリオ Op. 97”“幽霊トリオ Op. 70-1”に隠れてしまい、それ程重要とされないのですが、その第三楽章は作曲家ジョセフ・ワイグルのオペラ“愛人マリネロ”の主題による変奏曲形式の魅力ある作品で、当時の流行を取り入れた作品群の一つとして知られています。作品は3楽章構成となっていて、第1楽章Allegro con brio、第2楽章Adagio con espressione、第3楽章"L’Amor Marinero" Theme & 9 Variations、特に最後の変奏曲は天才的なカノン風に作曲されていますので、非常に明快で楽しく聴くことが出来ます。チェコのプラハ在住のガルネリ・トリオが、ライブ録音で第2楽章Adagio con espressioneを情感深く演奏している様子が、YouTubeでアップロードされておりますのでお聴きください!Ludwig van Beethoven, Piano Trio in B flat major op. 11 Adagio 中でもチェロ演奏が出色、音質も良い様です!
2015.10.31
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ヴィルヘルム・バックハウスは「鍵盤の獅子王」と呼ばれ、ベートーヴェンのピアノソナタや協奏曲に名演奏を残していますが、1969年のリサイタルでピアノソナタ第18番の第3楽章を演奏中に心臓発作を起こし、それが最後の演奏会となったことは知られています。その3ヶ月前のライブ録音がYouTubeにアップロードされていますので、お聴き下さい。Wilhelm Backhaus plays Beethoven Sonata No. 18 in E flat Op. 31 No. 385才と言う高齢にも拘わらず、威風堂々たる演奏は「鍵盤の獅子王」の命名に値するものと思っています。3ヶ月後の生前最後の演奏がピアノソナタ第18番だったと思いますと、これがバックハウスの「白鳥の歌」だったのかも知れません。ピアノソナタ第18番 変ホ長調 作品31-3は、ベートーヴェンが1802年に完成したピアノソナタで、「狩」の愛称で呼ばれることもある。作品31の3曲中唯一4楽章制を採っているが、緩徐楽章を置かずに第2楽章にソナタ形式のスケルツォ、第3楽章にメヌエットを配する風変りな構成となっている。全体的に明るい調子で貫かれているが、中期に位置づけるに相応しい充実した内容が盛り込まれている。
2015.10.23
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バガテル作品126は6曲と言うか、緩急の6楽章からなるピアノの為の小品で、ベートーヴェンの最後のピアノ作品として知られていますが、緩徐楽章の第1曲、第3曲、第5曲のみを演奏しているアルフレッド・ブレンデルの動画が魅力的に聴こえます。Beethoven - Bagatelles Op.126 (Brendel)これは、作曲者ベートーヴェンの意図とは違った、演奏者ブレンデルの「ゆっくりとお聴き下さい」と言う作品解釈なのでしょう。1823年から1824年にかけて作曲され、ベートーヴェンの晩年に書かれた最後のピアノ作品として知られる。バガテル(Bagatelle)は、クラシック音楽でピアノの為の小品の一つで、「一寸したもの」と言う意味であり、大曲の作曲過程でこぼれ落ちた楽想や、思いつきで書かれたものという意味合いが強い。作曲家自身が捨てずに残したもので、それなりの味わいもあるし、バガテルと言う命名に多少とも韜晦が感じられるという点で、一般的な楽曲とは異なった位置づけを持つものが多い。定まった形式は認められず、曲の長さも3分程度のまとまったものから断片的な短いものまで多様である。バガテル作品126はベートーヴェンが「自分が書いた最高のバガテル」と書き残している。6曲のバガテルから構成されており、1曲目のスケッチの欄外に「小曲の連作Ciclus von Kleinigkeiten」と書き込まれていることから、6曲通して演奏することを意図し、演奏時間は約20分。
2015.10.13
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数日雨に降り篭められますと、塞ぎ込んだ気分となり、一寸暗めの序奏から始まるモーツァルトの弦楽五重奏曲第5番K.593は、そんな日に聴くのに適しています。そんな曲風は、ハイドンセットの傑作K.565「不協和音」と双璧なのかも知れません弦楽五重奏曲6曲中で最も力強いとされ、アインシュタインが「モーツァルトその人と作品」と言う図書の1節で、「冒頭に序奏を持つこともユニーク、ラルゲットでチェロをより高い声部の四重奏に対立させ、問いと応答がより高い音域で繰り返される。 それはニ長調のピアノ・ソナタ K.576 や弦楽四重奏曲 K.590 などの偉大な晩年の器楽作品の典型的な端緒で、ベートーヴェンが弦楽四重奏曲作品59の2などでよく使った方法である」とも述べています。Mozart String Quintet in D major K.593 by Purcell String Quartet with Simon Streatfeild弦楽五重奏曲第5番ニ長調K.593は、モーツァルトが、1791年12月に35歳で世を去る前年、1790年12月に作曲した弦楽五重奏曲、翌年1791年に作曲された第6番変ホ長調K.614と共に、モーツァルト晩年の弦楽五重奏曲として知られる。第4番ト短調K.516以来、3年ぶりにこの第5番K.593を作曲した。この曲はモーツァルトが世を去った2年後の1792年にウィーンのアルタリア社から出版された際、楽譜に「ハンガリーの音楽愛好家のために」と記されていたため、ハンガリー人の裕福なヴァイオリン奏者ヨハン・トストに依頼されて作曲したものと考えられている。
2015.09.09
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スタジオジブリの「おもいでぽろぽろ」が放映されましたので、観させて頂きました。スタジオジブリの代表監督と言えば、宮崎駿氏と高畑勲氏となりますが、宮崎氏は物語のストーリーテラー(Story Teller)、高畑氏は人生の機微(Life Story)を観客に提供する使命(Evangelion)を帯びた監督であることが分かりました。今日的アニメ映画の商業的成功には宮崎監督の方が良いのでしょうが、永く残るのは(Evangelion)高畑監督作品なのではないかと思う次第です。アニメのカヴァー曲は、高畑監督が「アメリカ映画の主題歌(The Rose)」を訳してアニメの主題にマッチさせ、都はるみに歌わせたもので、印象深いものでした。双方とも、YouTubeにアップロードされていますが、原曲の歌い手ベット・ミドラーが歌うバージョンをお聴きください!The Rose - Bette Midler (歌詞字幕)English & Japanese Lyricsアメリカ映画「ローズ」(1979年11月公開)の主題歌、主演したベット・ミドラーが歌い、1980年にはシングルとして全米3位、『ビルボード』誌のアダルト・コンテンポラリー・チャートでは1位のヒットを記録した。日本の演歌歌手「都はるみ」は、アニメ映画「おもひでぽろぽろ」(1991年7月公開)の主題歌として、同作の監督である高畑勲が訳詞を担当した日本語のカヴァー「愛は花、君はその種子」を歌った。
2015.08.25
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おそらく中学校時代に教えて貰った「峠の我が家」の原曲は、アメリカ民謡ですが懐かしい感じのする良いメロディーだと思っています。HOME ON THE RANGE - Original 1873 Lyrics & Chorus - Tom RoushOh, give me a home where the Buffalo roamWhere the Deer and the Antelope play;Where seldom is heard a discouraging word,And the sky is not cloudy all day.ChorusA home! A home!Where the Deer and the Antelope play,Where seldom is heard a discouraging word,And the sky is not clouded all day.Oh! give me a land where the bright diamond sandThrows its light from the glittering streams,Where glideth along the graceful white swan,Like the maid in her heavenly dreams.学校で習ったのは1950年代、次のような歌詞でしたが、インターネット検索しても、後年岩谷時子さんが訳詩したものが主流で、作詞家が誰なのかは分かりません。山並みに雪はあれど 春の光さしてうららかに花の咲けば 胸の痛み果て無し故里よ 緑深く繁る常春の幸の国よ 何時の日にか帰らん風薫る遠きわが家 小鳥枝に唱い真清水のゆるき流れ 今も夢に浮かぶ故里よ 緑深く繁る常春の幸の国よ 何時の日にか帰らん
2015.08.11
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モーツァルトのヴァイオリンソナタは、二重奏ソナタとしての優れた曲が多いのですが、「パリ・ソナタ」と称されるシリーズでは、ソナタ形式の完成形とされる3楽章構成ではなく、2楽章構成なので重要視されないことも多い様です。しかし、ヒラリー・ハーンの控えめで品位に満ちた演奏で聴きますと、春の息吹を感じさせる冒頭のさわやかな旋律、モーツァルト特有の無邪気で生き生きとした軽快な流れ、それらが心の琴線に心地よく響いて来ます。Hilary Hahn - Mozart - Violin Sonata No 18 in G major, K 301ヒラリー・ハーンの外見から感じるクールな雰囲気、整った容貌、鋭い眼差し、額が盛り上がった知的な横顔が印象的で、ドイツ人形のようでもあります。1778年の2月頃にマンハイムで作曲、第18番から第23番までの6曲は同年11月にパリで作品1として出版され、「パリ・ソナタ」と総称されるが、プファルツ選帝侯妃マリア・エリーザベトに献呈されたことから「マンハイム・ソナタ」とも称される。シュースターの影響で生まれた新しい様式のヴァイオリンソナタの第1作にあたり、ピアノとヴァイオリンの有機的で協奏的な融合が光る作品であり、明らかに二重奏ソナタの内容を呈している。
2015.06.27
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「シシリエンヌSicilienne」は、フォーレ(Gabriel Urbain Fauré/1845-1924)による1898年作曲の室内楽曲。Gabriel Fauré - Sicilienne, for cello & piano, Op. 78バロック音楽の時代では、バッハもヘンデルも好んだ舞曲として作曲されましたが、ロマン派の台頭と共に、古い形式として敬遠され忌避されたのかも知れません。しかし、20世紀初頭に、フランスのフォーレやイタリアのレスピーギが作曲することになって人気も復活した様にも思えます。緩やかに、又躊躇いがちに、揺蕩う様に展開するメロディーですので、何か昔の情景を、又自分の懐かしい過去を想い起こす気にさせる不思議な曲想です。シチリアーナ(siciliana)とは、ルネサンス音楽末期から初期バロック音楽に遡る舞曲の一つ。8分の6拍子か8分の12拍子で構成され通常は短調をとる。「シチリアーナ」は、「シチリア舞曲 (danza siciliana)」ないしは「シチリア風に(A la Siciliana)」に由来する女性名詞であるが、男性名詞である「シチリアーノ(siciliano)」や、フランス語の女性名詞「シシリエンヌ(Sicilienne)」も定着している。今日特に有名なシチリアーナとしては、イタリアの作曲家レスピーギが作曲・編曲した組曲「リュートのための古風な舞曲とアリア」の第3組曲の第3曲がある。
2015.06.20
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