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広岡浅子は、2015年度下半期放送のNHK連続テレビ小説、”あさが来た”の主人公のモデルでした。 ”広岡浅子自伝”(2015年8月 KADOKAWA刊 広岡浅子著/吉良芳恵解説)を読みました。 明治時代に活躍した女性実業家・広岡浅子が書き残した文章のの数々を紹介しています。 あさドラは2015年9月28日から2016年4月2日に放送され、放送期間平均視聴率は23.5%となり、連続テレビ小説としては今世紀最高を記録しました。 その原作は、古川智映子著”小説 土佐堀川 女性実業家・広岡浅子の生涯”です。 本書に収録しているのは、広岡浅子が書き残した自伝、複数の雑誌に寄稿した文章、そして日本女子大学関係者に対して語った講演録です。 浅子は自伝の中で、すなわち神意に従って尽くすべきはあくまで尽くし、争うべきは断じて争う決心をしたと述べています。 吉良芳恵さんは1948年大分県生まれ、1971年に津田塾大学 学芸学部英文学科を卒業し、1975年に早稲田大学文学研究科日本史専攻を修了しました。 その後、横浜市立大学非常勤講師、日本女子大学非常勤講師、助教授を経て、現在、日本女子大学文学部史学科教授を務めています。 広岡浅子は1849年に山城国京都油小路通出水の小石川三井家6代当主・三井高益の4女として生まれました。 小石川三井家は京都市上京区大黒屋町に広大な屋敷を構え、一部は現在、ホテル、ルビノ京都堀川になっています。 浅子は高益50歳のときの娘で、別腹の子で母親の名は不明でした。 17歳で鴻池善右衛門と並ぶ大坂の豪商であった加島屋の第8代広岡久右衛門正饒の次男・広岡信五郎と結婚しました。 嫁いだ後も、主人は手代に任せて業務に関与しない商家の風習に疑問と限界を感じ、簿記や算術などを独学するようになりました。 異母姉の春は1847年生まれで高喜の養女として三井家に入家し、浅子が嫁いだ6日後に両替商の天王寺屋五兵衛に嫁ぎました。 浅子は20歳で明治維新を迎え、夭逝した正饒の長男に代わり加島屋当主となった夫の弟正秋と夫と共に、加島屋の立て直しに奔走しました。 1884年頃から炭鉱事業に参画し、筑豊の潤野炭鉱を買収して開発に着手しました。 単身炭鉱に乗り込み、護身用のピストルを懐に、坑夫らと起き伏しを共にしたと伝えられています。 男もためらうような冒険的事業に敢えて乗り出したので、しばしば狂人扱いされたといいます。 1888年に加島銀行を設立、続いて1902年に大同生命創業に参画するなど、加島屋は近代的な金融企業として大阪の有力な財閥となりました。 土倉庄三郎の紹介により、1896年に梅花女学校の校長であった成瀬仁蔵の訪問を受け、成瀬の著書”女子教育”を手渡されました。 幼い頃に学問を禁じられた体験を持つ浅子は、女子教育に大いに感し、金銭の寄付のみならず、成瀬と行動を共にして、政財界の有力者に協力を呼びかけました。 そして、広岡家、三井家一門に働きかけ、三井家から目白台の土地を寄付させるに至り、1901年の日本女子大学校設立に導きました。 日本女子大学校の発起人の一人であり、創立当初の評議員となりました。 夫は女子大学校の創立委員の一人でした。 1904年に夫が亡くなり、事業を娘婿の広岡恵三に譲り、以後は女子教育や婦人事業に貢献することを是としました。 1909年に大学病院で胸部の悪性腫瘍手術を受け、年末に大阪の菊池侃二宅で宮川牧師と知り合い、1911年に宮川経輝より受洗しました。 その後は、社会貢献事業と学問に専念し、長井長義らに学ぶ傍ら、愛国婦人会大阪支部授産事業の中心的人物としても活動しました。 ペンネームは九転十起生で、明治を代表する女性実業家であり、豪気・英明な天性から一代の女傑と称えられました。 1914年から死の前年の1918年まで、毎夏、避暑地として別荘を建設した御殿場・二の岡で、若い女性を集めた合宿勉強会を主宰しました。 参加者には、若き日の市川房枝や村岡花子らがいました。 浅子の残した資料からは、時代という制約の中で、女性が自立して生きることの困難さと、それゆえにこそ、独立独行でその克服に立ち向かった人の強さが伝わってきます。第1章 浅子の自伝/第2章 浅子が一般誌で語ったこと(現代の婦人についての感想 日本婦人の三大使命/大正の婦人に望む/核心なき良妻賢母/青年の修業/二人の力の充実/指導者の覚醒/磨かれた二つの人格/選り抜き『一週一信』/これからの勝利者/隣邦中国に対する日本婦人の責任)/第3章 浅子が大学で語ったこと(私と本校の関係を述べて生徒諸子に告ぐ/教育/会員は社会の感化力たれ/家庭部員の猛省を促す/私は女子大学講義をいかにして学びつつあるか/この秋に心霊の修養を思え)/特別収録 大隈重信による弔辞/解説 実業家広岡浅子の闘い
2017.03.29
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楽しい時間はあっという間に過ぎるのに、退屈な会議は、なぜなかなか終わらないのでしょうか。 ”大人になると、なぜ1年が短くなるのか? ”(2006年12月 宝島社刊 一川 誠/池上 彰著)を読みました。 子どもと大人によって感じ方が変わる時間に関する疑問や謎を、ジャーナリスト・池上彰氏が時間学研究者・一川誠氏にぶつけています。 池上 彰さんは1950年生まれのジャーナリストで、慶應義塾大学経済学部卒業後、NHK入局し、週刊こどもニュースの初代お父さん役を務めました。 現在、東京工業大学教授を務めています。 一川 誠さんは1965年生まれ、1988年に大阪市立大学文学部人間関係学科卒業、1994年同大学院文学研究科後期博士課程修了した文学博士です。 19957年カナダ・ヨーク大学研究員、1997年山口大学工学部講師、2000年理工学研究科助教授、2006年千葉大学文学部行動科学科助教授、准教授を経て、教授を務めています。 時間とは何でしょうか。 目に見えず、触ることもできません。 しかし、確かに存在します。 その存在を、どうやって証明するのでしょうか。 子どもの頃から考えていたことであったそうです。 この長らく知りたいと思っていた時間については、時間学なる分野が存在しています。 時間は人間にとってとても密接で、しかも重要な関係にあることがらです。 私達は常に時間と関わりながら生きています。 時間については知っているつもりなのに、それが何かについて説明しようとすると、実はそれについて知らないことに気づかされます。 これは、4~5世紀にローマ帝国で活躍した哲学者のアウグスチヌスが指摘した事柄です。 時間とは何かという問いに答えるのはとても難しいということは、今から1500年以上も前にすでに気づかれていました。 そして、時間とはこういうものだ、という誰もが納得する答えというのはいまだに得られていません。 アウグスチヌス以来、様々な人々がこのやっかいな問題に取り組んできました。 認知科学的な心理学は、体験される時間とはどのようなものかという問いに答えるために、実験によって調べていくという戦略をとってきました。 この試みも、いまだに時間とはこういうものだという断定的な答えを得るには至っていません。 とはいえ、体験される時間と物理的な時間とがどのような関係にあるのか、体験される時間はどのような条件のもとで伸びたり縮んだり、ひっくり返ったり、 あるいは、その進み方が早くなったり遅くなったりするのか、といった具体的な問題について、実験によって調べ着実に理解の範囲を広げています。 現代は、人間の生活が、人類史上かつてなかったほど高速化しつつある時代です。 都市化した社会では、農耕文化に結びついた年中行事がそのもともとの意味を失いつつあります。 また、今の日本はそこら中に24特間宮業の店舗があって、いつでも日用品や食料を手に入れることができる時代でもあります。 世界のどこかで開いている株式や先物の市場にアクセスして、いつでも経済活動を行なうことができます。 一見便利なようではありますが、これほど時間のメリハリ、時間の分節が失われた環境に人間が身を置く時代というのも、これまでなかったのではないでしょうか。 アウグスチヌスの時代には存在しなかったような、時間に関わる様々な問題に我々現代人は直面しているように思われます。 そんな時代にあって、人間は自分の時間的限界や社会的時間とどのように対峙していくべきなのかということは、誰にとっても重要な問題です。 錯覚は、人間であればある程度共通して体験できる現象であり、私達の生活の身近なところで役立ってもいます。 例えば、視覚の錯覚を利用して、立体的な映像を提示する立体テレビ、聴覚の錯覚を利用して2本のスピーカーだけでも多チャンネルのサラウンドのような音響を再現したステレオ放送などがそうです。 大人の時間が短いということは、時間と錯覚と関連しています。 昔は15分でできていたことが最近では30分程掛かるようになりあっという間に時間が過ぎた気になりますが、これもある意味では錯覚です。 時計の時間と人間の感じる時間とには、ズレがあるのです。 心の中にある心的時計が、さまざまな要因によって進み方を変えるために、大人の時間は短く子供の時間は長く感じられます。 まず、加齢に伴う身体的機能の低下が、時間を短く感じる1つの要因として挙げられます。 年齢を重ねていくうちに、動きが緩慢になるだけではなく、モノを見て判断するのにも時間が掛かるようになります。 まだそれ程時間は経っていないだろうと感じていても、実際には時計の刻む1分、1時間、1日、1年は心的時計と比べると早く進んでいるため、あっという間に時間が経った気になります。 また、子供の頃は、運動会や文化祭、遠足や修学旅行など月ごとにさまざまなイベントがあり、毎日が新しい出来事の連続でした。 待ち遠しい気持ちで早く時間が過ぎないかなどと思うと、時間がなかなか経たずにゆっくり感じます。 同じように、時間経過に注意が向けば向く程、同じ時間でもより長く感じられます。 このように、大人になると時間が経つのが早く感じるのは、代謝や記憶されている情報量が大きく関係しています。 また、認知される変化の数や刺激の有無なども関係していて、時間の心理的長さは年齢に反比例するという考え方もあります。第1章 ヒトはどうやって時間を感じているのか/第2章 文化がヒトの時間を作る/第3章 カラダ時間とココロ時間/第4章 子ども時間に比べて大人時間はなぜ速く流れるのか
2017.03.12
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エドゥアール・ヴュイヤールは、ピエール・ボナールやモーリス・ドニとともにナビ派を代表するフランスの画家のひとりです。 ”ヴュイヤール - ゆらめく装飾画”(2017年1月 創元社刊 ギィ・コジュヴァル著、遠藤ゆかり訳、小泉順也監修)を読みました。 ナビ派を代表するフランスの画家・ヴュイヤールの作品と歩みを、多くの写真とともに解説しています。 ナビとはヘブライ語で預言者を意味し、ナビ派は19世紀末のパリで活動した前衛的な芸術家の集団です。 土曜日ごとにポール・ランソンの家に集まって、芸術を論じたり互いの作品の批評をしました。 独特の用語や制服、しきたりを考案して結束を高め、絵画、彫刻、工芸、舞台芸術などの広い分野で活躍しました。 大胆な構図と平面的な展開や短縮法、調和性を重視した色彩表現を駆使しています。 ギィ・コジュヴァルさんは1955年パリ生まれ、国籍はフランス、カナダで、1982年から1984年までローマのフランス・アカデミー宿泊研究員でした。 リヨン美術館学芸員、ルーヴル美術館学芸員、ルーヴル美術学校教授、カナダ・モントリオール美術館館長などを務めました。 この間、ヴュイヤールのカタログ・レゾネを編纂し、2003~04年に米加仏英を巡回したヴュイヤール展や、2006~07年のモーリス・ドニ展の主任コミッショナーを務めました。 2008年からオルセー美術館館長を務めています。 遠藤ゆかりさんは上智大学文学部フランス文学科卒の翻訳家です。 小泉順也氏は1975年生まれ、東京大学教養学科卒、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了、一橋大学大学院言語社会研究科准教授です。 ヴュイヤールは1868年にフランス東部キュイゾーに生まれ、1878年に家族とともにパリに移り、給費生としてコンドルセ高等中学校に通いました。 父は退役士官で、町の収税吏でした。 その頃、リュネェ=ポー、ルーセル、モーリス・ドニらと知り合い、長い友情が始まりました。 1884年に父が亡くなり、母が裁縫所を開いて生計をたてました。 ルーセルの影響で士官学校の受験を断念し、画家を目指すことを決意し、1888年にアカデミー・ジュリアンに入りました。 そこで、ボナール、セリュジェらと知り合い、翌年、ナビ派のグループ結成に加わりました。 1891年に開かれたグループの第1回展に出品し、ゴーギャンや日本の浮世絵の影響を色濃く残す広い色面による画面構成を試みました。 それからまもなく、この画家独特の壁紙や家具の模様、登場する人物の衣装の柄を巧みに画面に取り込んだ装飾的な作品群が誕生しました。 初期には、モーリス・ドニやポール・ランソンを介しナビ派の活動に関わりながら、単純化された形態と色彩を追求し、ピエール・ボナールと生涯にわたる友情を結びました。 最晩年には、フランス学士院の会員に選出されるという栄誉に浴しています。 また,社交的な一面を持っていて、ナタンソン兄弟、ヴァケ博士、エセル夫妻など、有力なパトロン、コレクター、画商との出会いに恵まれました。 絵画制作のほか、室内装飾、舞台美術の仕事も手がけました。 室内や庭でくつろぐ家族や友人のいる情景を優しい光の中に描くことを得意とし、ボナールとともにアンティミスト=親密派と呼ばれました。 ナビ派にしたが真の意味でゴーガンに心酔はせず、自分の芸術的実践を続けながら独白の領域を切り開きました。 耳目を集めり逸話、社会を騒がすようなスキャンダルとは無縁で、独身を貫くなかで、1928年に亡くなる母と同居しながら、穏やかでつましい生活を送りました。 それゆえ、母、姉、姪などの家族がモデルとして作品に頻繁に資場し、身の回りのありふれたものに囲まれたプライベートな室内空間が繰り返し描かれました。 代表作には、自画像(1889年)、ランプの下で(1892年)、画家の母と姉(1893年)、求婚者、あるいは仕事台のある室内(1893年)、朝食(1894年)、縞模様のブラウス(1895年)、6人の人物のいる室内(1897年)、室内(1902年)、アトリエの裸婦(1909年)、縫いものをするヴュイヤール夫人(1920年)、フレシネ夫人(1931年)などがあります。 装飾パネル連作には、公園(1894年)、アルバム(1895年)などがあります。 いずれも、世界各国の美術館などに収蔵展示されています。 対象はゆがんだ視点や遠近法のなかで捉えられ、ゆらめく筆致がもたらす効果によって、運動するエネルギーが画面にあふれています。 大半の作品はどこか曖昧であり、多義的な解釈の余地を残しています。第1章 ナビが語りかけること/第2章 演劇におけるように/第3章 密室の戦略/第4章 大装飾/第5章 時の仕事/第6章 パラダイスにて/資料編
2017.03.05
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