全10件 (10件中 1-10件目)
1

出雲大社 島根県4 出雲大社については、今回で最後として、まとめをしようと思います。とても基本的な事です。私の目的は、誰にでも理解できることから入門してもらい、日本という国の素晴らしさを再認識してもらいたいと思っています。それでは、1.出雲大社の読み名 「いずもたいしゃ」× 「いずもおおやしろ」○2.出雲大社での参拝作法 「2礼2拍手1礼」× 「2礼4拍手1礼」○ (出雲大社のHP説明「4拍手をする理由ですが、当社で最も大きな祭典は5月14日の例祭(勅祭)で、この時には8拍手をいたします。数字の「8」は古くより無限の数を意味する数字で、8拍手は神様に対し限りない拍手をもってお讃えする作法です。ただし、8拍手は年に1度の例祭(勅祭)の時のみの作法としています。平素、日常的には半分の4拍手で神様をお讃えする4拍手の作法としていますが、お祈りお讃えするお心に差はありません。」http://www.izumooyashiro.or.jp/qa.html)3.時間が無い人の為に漫画で分かる古事記「大蛇退治」 出雲神話を簡単に知りたいと思ったらでお願いします。
2015.04.28
コメント(0)

出雲大社 島根県3 御覧頂き、誠にありがとうございます。今回も出雲大社の内容です。前回だけでは、書ききれなかったのでもう少し、出雲大社の霊場=パワースポットの紹介にお付き合い下さい。 それでは、「八雲の瀧」ですが、さらに続きがあります。「八雲の瀧」は、「瀧」だけでありません。【】部分を拡大すると岩窟があります。まるで、「出口王仁三郎」が京都の高熊山で1週間修行した時の岩窟のようでした。溢れんばかりの「たまゆら」達が出現してくれました。というか、この場では天から瀧から岩窟から、空間そのものから出現されました。 そして、私の国語能力で理解できるだけの、とても平易な意思で人間が三次元体として、この世に生まれてきた理由を伝えて下さいました。日月神示「富士=普字の巻」第13帖「よくこの神示読んで呉れよ。よめばよむほど身魂みがかれるぞ、と申しても仕事をよそにしてはならんぞ。」日月神示「カゼの巻」第1帖「仕事=四五十(しごと)とは嘉事=四五十(よごと)であるぞ。」日月神示「日月の巻」第2帖「身魂は何れも生きかはり、死にかはりして練りに練り、鍛へに鍛へし神国の、まことの身魂天駈 けり、国駈けります元の種、昔のおん種ぞ、今落ちぶれてゐるとても、軈ては神の御民とし、天地駈けり神国の、救いの神と現はれる、時近づきぬ御民等よ。今一苦労二苦労、とことん苦しき事あれど、堪へ忍びてぞ次の世の、まこと神代の礎と、磨きて呉れよ神身魂、いやさかつきに栄えなむ。」 あまり使いたくありませんが、仏教用語で俗人にとって「この世は苦の娑婆」という言葉があります。意図することは同じです。ただし「日月神示」では、その内容が更に進んでいます。ちなみにキリスト教に輪廻転生はないので死んだらそれでお役目終了です。 さて、「八雲の瀧」は、とても霊場=パワースポットとして質が高く、しばらく滞在していたかったのですが、必要な伝達が終わると最後に「今の私が長時間いると、逆に心身に悪影響を及ぼすから立ち去るよう」に伝達されました。ガッカリしましたが、向こうの世界に憧れ過ぎて現世をギブアップしてしまう危険もあるので仕方ありません。自分のためです。 続いて、出雲大社内に「出雲教」があります。 さらに出雲教の敷地内に 「亀の尾の瀧」があります。こちらでも「鎮魂帰神法」を使わずに自然体で現れて来て下さいました。 私の前途を応援してくれました。 GWが近づいてきましたが、出雲大社まで行かれるなら下記を御利用されると低価格で便利です。
2015.04.20
コメント(0)

出雲大社 島根県2 今回、ご紹介するのは前回の続編です。前回は実際に出雲大社へ御参拝された方には、否定的な内容を書きましたが、特定の誰かを非難した訳でないので御了承下さい。また、私の霊場=パワースポット紹介は他のブログと異なり、実際に「たまゆら」出現という誰にでも確認できる具現化した形でご紹介する形をとっているのに、「拝殿」に「たまゆら」か何か判別がつき辛い画像を紹介し、失望された方がいらっしゃれば、申し訳ないと思います。 ですが、前回はあの内容と画像で完了しています。ブログタイトルに「日月神示」を掲げているので「日月神示」をから絡めて説明します。気が付かれた方がいれば嬉しかったのですが。画像の3枚目に「大本教祖火の御用記念碑」です。キーワードは火です。続いて画像の4・5枚目に雨の画像をアップしました。キーワードは水です。日月神示「上つ巻」第16帖「ひふみの火水(かみ)とは結びぞ」日月神示「日月の巻」第21帖「火(ひ)と水(み)ひふみとなるのざぞ。」日月神示「|三(ウミ)の巻」第13帖「秘密は秘密でないぞ、火水(ひみつ)であるぞ、明らかな光であるぞ」 日月神示「地(クニ)つ巻」第6帖「出雲の神様大切にありがたくお祀りせよ、尊い神様ぞ。」 お分かり頂けたでしょうか。出雲大社内で「火」と「水」の御用をスケールが極小ながらも演出された次第です。 それでは、今回の本題です。予告通り今回は、出雲大社の「滝」と「たまゆら」達をご紹介します。「火」と「水」の御用を受けた私には、依然「鎮魂法」は発動できなくても、明確な「意思」を受けることができ、誘導されるがままに八雲の瀧に案内されました。 ここまで来ると、今までとは桁違いの霊場で「鎮魂帰神法」が必要なく、私レベルで交流できる「たまゆら」達とは、直接の意思の疎通が可能でした。そして、私を招いて下さったのは、どのような存在かを尋ねると(個人的には、出雲大社の御祭神である「大国主大神」様の御霊統だと思っていましたが)、答えは次の画像の()内にあります。拡大すると「天之御中主大神」でした。どのような神様かと言えば。ウィキペディアによると。「天地開闢に関わった五柱の別天津神(ことあまつかみ)の一柱。『古事記』では、天地開闢の際に高天原に最初に出現した神であるとしている(『日本書紀』では国之常立神 が初めての神)。その後、高御産巣日神、神産巣日神が現れ、すぐに姿を隠したとしている。この三柱の神を造化三神といい、性別のない「独神」(ひとりがみ)という。」だそうです。無論、私ごとき卑称な者がコンタクトを取れる訳はなく、「天之御中主大神」様の導きを介在するまでには、数多の仲介を通してはじめて私のところまで伝達されるのであり、ただひたすらこの場に導いて下さったことに感謝するだけでした。 ところで、天地開闢後に姿を隠したとされる大神様が、なぜ出雲大社内にその痕跡があるのか、疑問に思われませんでしょうか。無論、石碑は人間が作り、瀧の中央に設置したからあるのですが。ただし、「八雲の瀧」に「天之御中主大神」様の御出現があったのを感じ取った霊覚者が昔いて、石碑を設置したことには間違いがありません。 この疑問に仮説を唱えたのが31頁に「高天原においでになって、姿を御隠しになったと書いてあるのですが、これを姿が見えないと解釈してはいけません。 例えば、天皇陛下が皇居から姿を現さないことが、姿を御隠しになったということなのです。皇室の方々が一定期間、公務をお休みされることがありますが、そういうことを私たちの先祖は、そうした言葉で表したわけです。」つまり、「天之御中主大神」様は、出雲大社にいらしゃった可能性があるということです。
2015.04.18
コメント(0)

出雲大社 島根県1 前回のブログで、「遷宮」について触れましたので、今回から数回にわたり代表的な2つのお宮の遷宮についてのパワースポットをご紹介していきたいと思います。まず平成25(2013)年に出雲大社と伊勢神宮が60年に1度の周期でそろって式年遷宮をお迎えになりました。物事には順番があるように御参拝にも順番があります。最初に出雲大社の式年遷宮が行われましたので、遅れましたが私はこの年の11月11日に御参拝に伺いました。 出雲大社と出口王仁三郎が率いた大本教が深い関わりがある事はご存じでしょうか。私は行くまで知りませんでした。この時は、画像の鳥居をくぐると右側へ行くように指示する「声」のようなものが聞こえました。指示に従い、しばらく進むと なんと出雲大社敷地内に大本教の「大本教祖火の御用記念碑」と刻まれた石碑がありました。ただし、いくら鎮魂帰神法をしても、いつものように「たまゆら」は出現しませんでした。そのため、先に進むと拝殿がありました。つづいて新しい本殿へ御参拝が終わると、一転、雨雲が出現して雨を降らせました。ここまでの間、依然として「鎮魂帰神法」は発動せず、言葉的な「意思」も感受できず、ただ重苦しい雰囲気だけが何となくありました。そして、雨が全てを冷やして、何となく私の感性が機能不全に陥った理由が分かりました。やっと出現してくれた「たまゆら」を通して、参列者の意思がはじめて「濡れる、冷たい、嫌だ、最悪、今日は付いてない」いわゆるネガティブ意思に統一されたのを感じました。しかも数が多いだけに巨大な意思の集合体です。当時、せっかく御参拝に行かれた方には、誠に申し訳ありませんが「個人の御利益が優先し、日本の繁栄を願う意思」が殆どないように感じられました。出雲大社はそう言った願をかける場所でないのに勘違い者が多く、神様も苦笑いだったと思います。私の感受能力の容量が、多数の個々人の欲望的な意思を一気に触れた結果、麻痺していました。 否定的な内容で申し訳ありませんが、私が受けた正直な話でした。次回は、出雲大社の「滝」と「たまゆら」達を公開予定です。出雲神話と言えば、これです。
2015.04.16
コメント(0)

天之日津久神社、改修完了 4月13日に「日月神示」発祥地、千葉県成田市台方の「麻賀多神社」へ参拝に行ってきました。すると、以前のhttp://plaza.rakuten.co.jp/kisirou/diary/?ctgy=1でお知らせした改修が完了していました。この状況から柵が紅色と上部を白色に塗装されこのような感じです。3枚目の完成された画像は、あえてボカしています。ここで完成した画像アップしてしまうと、短絡的な日月神示信奉者は満足されてしまうからです。私にしてみれば、「日月神示」を語る人は、是非、参拝して頂きたい。また、今後1年間は基本的に「麻賀多神社」「天之日津久神社」に関する「たまゆら」画像の公開をしません。 「神社新報」平成19年5月7日発行、神道青年全国協議会 監事 春木秀紀氏が投稿された文の一部に以下の内容があります。「神主の兼職率の高さを考へれば裕福な職種とはとても言へず、それどころか地方に目を向ければ生活能力を担保する生業としては破綻してゐるとも言へるだろう。後継者が不足してゐるのもその証明である。」神社の財政難のニュースとして次の動画もありました。https://www.youtube.com/watch?v=jumMor-bqVk式年遷宮するために、お宮の一部にマンションを建て家賃収入で財政補填するそうです。 昔から「麻賀多神社」は、常駐の神主がおらず、代々氏子が早朝の清掃から始め管理をし、お宮を支えて守っているのが現状です。ですから、「日月神示」信奉者を語るなら、改修した「天之日津久神社」にご挨拶に行かれて、いくらかをお賽銭箱に寄付されて頂きたいというのが、私の願いです。 ちなみに「天之日津久神社」の賽銭箱は、以下のように新しくなりました。
2015.04.14
コメント(0)

御手代歌碑・白糸の滝(続編) 熊本県 今回、ご紹介する霊場(パワースポット)のは、前回に引き続き熊本県阿蘇郡小国町杖立温泉郷にある「白糸の滝」です。今回は、平成23(2013)年8月23日の出来事です。 この時は、「白糸の滝」に行くまでに前段の話があります。8月23日は、幣立神宮 五色神祭があります。こちらに参列すると同時に式典に際し、五色人(赤人、白人、黄色人、黒人、青人)の各民族の代表者が一同に参列して、世界の平和を祈る式典です。これは5年に1度の大祭で、平成23年は年中行事の祭のため、白人2名、黄色=日本人3名の5名という形になりました。その白人代表の1人が私の友人である、エバレット・ブラウン氏http://www.academyhills.com/school/personal/tqe2it00000iewpt.htmlであり、22日に私と共に熊本入り、杖立温泉で身を清めてから行くという日程でした。昭和の大霊能力者「出口王仁三郎」が長期滞在した杖立温泉に我々も短期でありますが、滞在し同じ湯に浸かりました。そして、翌23日早朝に、「白糸の滝」と「御手代歌碑」に参拝し禊ぎ効果を高めました。 ↓に「たまゆら」の下部エバレット・ブラウン氏が歌碑に祈りを捧げると「たまゆら」が出現エバレット・ブラウン氏が白糸の滝で祈りを捧げると「たまゆら」が出現 杖立温泉と白糸の滝の2つで禊ぎを心身を清め、気を高め、「幣立神宮」へ向かいました。そして、五色神祭に参列し、もう一人の白人代表が、これまた幣立神宮に縁の深いオーストラリアのサイキックヒーラージュディス・カーペンター氏http://judith-carpenter.com/ この時も、五色神祭にはそれなりの方達が集い無事、終了しました。この時、我々が宿泊した宿
2015.04.12
コメント(0)
![]()
「冬に桜2」 はじめに 私は、「日月神示」に記されたことが現実に起きたと思われる事象について、喜々したり、自分は解釈者として誇るつもりもありません。ただ、「大峠が一歩ずつ近づき、それに対して私自身が後手に回り準備できていない」と反省する毎日です。 それでは、4月7日に日月神示・下(四百)つ巻・第30帖「冬に桜咲いたら気つけて呉れよ。」日月神示・日月の巻・第26帖「冬の先春とばかりは限らんと申してあること忘れるなよ。用意せよ、冬に桜咲くぞ。」 と書きました。(http://plaza.rakuten.co.jp/kisirou/diary/?ctgy=1)翌日8日に都心は、5年ぶりの雪が降りました。こんなニュースが流れました。https://www.youtube.com/watch?v=oewMxEF2v_s 桜が咲く「お花見の時期」に真冬なみの寒波が来て「雪」が降る。まさに「冬に桜咲く」です。ちなみに日月神示では「下(四百)つ巻」「日月の巻」の2巻に記されています。そのため、5年前の4月の降雪を調べてみると、こんなニュースがありました。https://www.youtube.com/watch?v=hJMuQtqchQI5年前は、日本が最悪の政治の時期だったと誰もが、今更に感じたのではないでしょうか。 66年前にも4月に降雪があったらしいですが、その時期は「日月神示」が戦後の混乱の中で、極々一部の者にしか知らされていなく、私としは「冬に桜咲く」とカウントしません。 そうすると、日月神示に2度記された「冬に桜咲く」と5年ぶり2回目の気候変動による「冬に桜咲く」です。回数は一致しました。「日月神示」で大峠の時を明示した帖は一帖もありませんが、このように「気候変動」を記して大峠の時期を知らせる帖は多数見受けられます。 私なりに解釈すれば、人類は6度、大峠に失敗して、伝説となったムー大陸やアトランティス大陸の水没した話が残されいます。過去6回人類が栄華を誇り、そして衰退して水没或いは外部的要因により破滅させられたとしても、その大峠が起こる前兆として、気候変動があった事を記していると考えます。 それにしても、毎年4月がこんなに寒いのに「地球温暖化」とは、よく言ったものです。たしか原発に必要不可欠なウラン鉱石の採掘権を多く有する、アメリカの元副大統領の方がこのようにドキュメンタリー映画を出して、アカデミー賞も受賞して啓蒙してましたね。
2015.04.11
コメント(0)

御手代歌碑・白糸の滝 熊本県 今回ご紹介する霊場(パワースポット)のは、熊本県阿蘇郡小国町杖立温泉郷にある「白糸の滝」とそこに大本教の出口王仁三郎が立てたみてしろかひ御手代歌碑です。こちらには2度、行きましたが、今回は初めて行った平成23(2011)年1月21日の出来事です。 初めて「御手代歌碑」を知る人のために、所有者の「宗教法人大本熊本本苑公式ホームページhttp://oomoto.info/index.php?%E5%B0%8F%E5%9B%BD%E3%83%BB%E3%81%BF%E6%89%8B%E4%BB%A3%E6%AD%8C%E7%A2%91」からの引用です。「奥阿蘇に位置する名湯杖立温泉。大本の神噐”み手代”発祥の地である。毎年5月、み手代歌碑大祭が執行される。 聖師様は大正12年、杖立温泉名物の竹のしゃもじに歌碑と同文の歌を御揮毫になり、それを地元、小国の信者にお下げになられた。これが後の神噐”み手代”となったのである。 景勝の地”白糸の滝”に建設されたみ手代歌碑は、昭和38年5月31日に三代教主様により除幕された。杖立温泉を見下ろす山の中腹に建つ。」付け加えると、出口王仁三郎は約1ヶ月間、杖立温泉郷に滞在されたそうです。出口王仁三郎ほどの人物が1ヶ月間も滞在すること自体、特別な意味があるはずですが、公式見解は見当たりません。画面右側が白糸の滝ですが、この時は完全に凍結していて氷でした。真ん中にあるのが「御手代歌碑」です。そして、左側にあるのが仏像三体です。霊場(パワースポット)としての力は、ひしひしと伝わってきたので、まず仏像のところで鎮魂帰心法です。分かり易くしたのが、こちら 出口王仁三郎が、「杖立温泉郷に約1ヶ月間滞在され、なぜ白糸の滝という場所に歌碑をもうけられたのか」、出現した「たまゆら」から伝達された気がしました。ただし、内容は「私がこのように感じた」というだけであり、それを証明することは出来ないので公開はしません。まして、私と無関係の宗教法人の聖地でありますから、ナオのことです。 交流を終えて、再度撮影するともう出現してくれませんでした。「お役目に感謝いたします」という気分でした。さて、肝心の「御手代歌碑」になりますが、出口王仁三郎の歌が刻まれています。萬有之身魂をすくう古の釈氏 心のままに世人す九へよ現代訳すれば万有の 身魂を救う この釈子 心のままに 世人救えよとなります。これを読まれて、ピンときた方は、明日から一日一善の善行を励みましょう。 ちなみに、白糸の滝は霊覚がなくても、マイナスイオンを肌で実感できます。また、杖立温泉も体の癒しには、とても良いと思います。宿泊は、こちらがオススメ。杖立温泉 葉隠館
2015.04.08
コメント(0)
![]()
「冬に桜」日月神示・下(四百)つ巻・第30帖「冬に桜咲いたら気つけて呉れよ。」日月神示・日月の巻・第26帖「冬の先春とばかりは限らんと申してあること忘れるなよ。用意せよ、冬に桜咲くぞ。」 このようなニュースがありました。https://www.youtube.com/watch?v=Zv94Xoam3vc 近年、地球温暖化と叫ばれながら、桜が開花し「お花見の時期」になると急激に寒くなり、一気に桜が散り、「あっという間」に「お花見の時期」が終わってしまうと感じるのは、私だけでしょうか。 日月神示の「冬に桜」とは、「十月桜」や「冬桜」の品種として寒い時期に咲く桜ではなく、春の代表花「ソメイヨシノ」が開花しても、冬のように寒くなる時節が到来したら、(心の)用意せよ気を付けてくれよと暗号的や比喩的に表現していると解釈するのが妥当だと思います。 天気予報では、明日4月8日は、冬の天気だそうです。私が愛用する「日月神示」
2015.04.07
コメント(0)

幣立神宮「神武天皇祭」 熊本県 いつもこのブログをお気にかけて下さる方には、お待たせしました。4月3日に熊本県の「幣立神宮」へ行き、年中行事の1つである「神武天皇祭」へ参列して来ました。 そして、私が氏子代表を務めさせて頂くことになりました。1つお断りしておきますが、神社における行事は、基本的に写真や動画の撮影禁止です。ご皇室の方々が伊勢神宮で行事にご出席される場合にしても、報道されるのは行事にご出席される直前までで、行事中は撮影できません。 同様に私も「神武天皇祭」最中の画像はなく、まして氏子代表の役を賜ったので、撮影はできません。 簡単な概要だけ説明すると、幣立神宮内とは別の場所に「神武天皇塚」があり、そこで宮司と数名の氏子が式典を行います。 なぜ、「神武天皇塚」が熊本県の幣立神宮にあるかと言えば、立て札に次のように記されています。「神武天皇は七度、日の宮幣立神宮に行幸(参宮)になり、その遺品をこの奥の丘に鎮め祭ったので、神武天皇塚の名が残った。」「母 玉依姫、聖の皇子を産むために、不知火の永尾にご上陸になり、ご神火燃ゆる阿蘇日の宮の斗塩で彦火火出見をお産みになった。 この時のえな(胞衣)を鎮め、母性愛から玉依姫も一緒に守り神になられた。毎年四月三日、午前十一時に神武天皇祭を執り行う。」下の画像参照神武天皇塚の全景式典では、ここに祭壇を設けて式典を行いました。画像は式典が全て終了し祭壇も撤去してからのものです。 幣立神宮の年間祭典は 一月 一日 歳旦祭 二月 十一日 紀元節祭 四月 三日 神武天皇祭 四月 四日 東の宮例祭 四月二十九日 緑の天神木祭 五月二十一日 風鎮祭(旧四月四日) 八月二十三日 五色神祭 九月 十五日 例大祭十一月 一日 秋季大祭十一月二十三日 新嘗祭十二月 十八日 巻天神祭(旧十一月八日) 私は今回の「神武天皇祭」に氏子代表を賜ったことで、一月一日歳旦祭以外、全ての祭典で氏子代表を賜りました。(五年に一度の五色神祭大祭を除く) よって、ブログのタイトル「上田喜四郎のパワースポット巡り」から『上田喜四郎の実践「日月神示」』に改めることにします。今後も「パワースポット」の情報は公開していきますが、合わせて「日月神示」についても解説していきます。あまり知られてしませんが、昭和の大霊能力者、出口王仁三郎と熊本県は、大本教聖地にも匹敵する程に縁ある地であります。私も自らの役目を果たしていきたいと思います。https://www.youtube.com/watch?v=TegysYdFBuQ
2015.04.06
コメント(0)
全10件 (10件中 1-10件目)
1

