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最近、追われて焦る夢をよくみる。今日、みた夢はかなり鮮明に覚えているので書いて見る。夢というのはすぐに書かないとすぐに忘れるものだからである。僕は保育園か小学校にいて、殺人を犯す。一人は殺し、ほか何人かは殺したか重症を負わせたか不明。夢の中で刑事の人や周りの人に何回も「本当に殺人を犯したのか?」と聞かれて、夢の中の出来事を思い出すが、どうしても、殺人を犯しているシーンだけは思い出せない。建物は二階建てになっており、一階で犯行を犯すが、二階の一室で刑事に追い詰められる。そこでは死刑が決定していて、僕は死に対して恐怖する。僕は刑事に「最後に外を見たいのです」と申し出る。窓から外を見るのを許して貰えた。夜空を見上げた。星が綺麗だった。その瞬間、2階の窓から地上へ飛び降りる。高さは3階分くらいあり、抵抗があったが、死刑が決まっているので、構わなかった。飛び降りるとき、刑事に服を掴まれたが振り切った。そして無事着地する。死刑から開放されたよろこびを全身に感じた。しかし、再び刑事に捕まってしまっては元の木阿弥なので、走って逃げる。刑事に追いつかれるのを恐れて、いつもの通る道とは違う道を使う。小道をねずみのようにちょろちょろと走り回った。家に帰ると家族はその事件のことを知っていた。僕自身テレビをつけて事件を見た。自分の部屋で落ち着く。部屋にはなぜかドラえもんがいた。しばらくすると、玄関のところに人が張り込んでいる。僕を探している刑事だ。僕は身を隠す。死刑は時効が10年だと知っている。だから、僕は自分の部屋で10年間身を隠していなくてはならない。絶望感を覚えた。我が家は、集合住宅のひとつであり、集合住宅の敷地内では刑事に追われることはなかった。しかし、団地の中では今度は住民に追われる。住民の中にはジャイアンやスネオもいた。夢の中のオレはのび太なのかな?さまざまな嫌がらせを受ける。僕は柵を乗り越えたり、屋根の上を走り回ったり、時には物を投げて追っ手を退治したりした。そこで目が覚める。これが僕がさっきまで見てた夢の全貌である。はしょった箇所はあるが、人工的に追加した部分はない。夢としてはすべて事実である。起きたらコタツの電気がつけっぱなしになっていて、僕は少し汗ばんでいた。起きた瞬間は、どっちが現実でどっちが夢かわからなかった。夢の死刑が言い渡されるシーンで「夢であって欲しい。」と切実に願った。「僕はなんてことをしてしまったんだ。」と後悔もした。うそ臭い~、夢だから作ってるんだろと思う人もいると思うけど、嘘を言ってもなんも特にならない。本当に僕が嘘をつくなら、もっと嘘っぽくない話にする。とにかく夢だった。昨日から風邪を引いていることもある。卒論に追われていることもあるが、最近、いい夢をみない。日本語の"夢"には二つの意味がありますよね?寝てるときに見る"夢"と、将来の希望を語るときに使う"夢"と。英語で"夢"はdreamというけど、この単語にも全く違う二つの意味が込められているんです。将来の希望と寝ているときに思い描くものっていうのはどの言語を扱う人にとっても近いイメージがあるんですかねえ?僕の夢が叶ったら大変である。さあ。体調を整えて、大学にでもいくとしますかぁ~。。
2004年01月31日
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今日、起きたのは昼の1時。大学に行くつもりだったけど、5時から地元でバイトなので、あきらめた。天気がよかったのでジョギングがしたくなる。カッコいいウインドブレーカーを探したが見当たらない。ジョギングなんてほとんどしないからだ。適当な上着を着込み、走る。川沿いを30分くらい走る予定だった。脂肪は運動をし始めて20分してから燃焼する、という話を聞いたことがある。5分くらい颯爽と走る。わき腹が痛くなる。運動部に入っているからもっと持つかと思ったが、走る筋肉と柔道の筋肉は違うらしい。。。家に帰ると、母親に犬の散歩を頼まれた。したがって、また、公園に出る。今日は天気がよく、日差しが強かった。気温は低かったけど、寒くはなかった。5時からバイトだったので、いざローソンへ。今日は給料日。少ない給料をもらう。週一しか入っていないので致し方ない。家に帰って白い巨塔のビデオを見る。爆笑オンエアバトルを見る。今に至る。今から少しプレステをするつもりだ。ウイニングイレブンというゲームである。家で寝っころがりながらゲームをするのが一番幸せである。お手てのふしとふしを合わせて不幸せ。南無~。
2004年01月30日
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喫煙所でプカプカしながら、ふと遠くの夜景を眺めてしまう。「あんなに遠くの小さなアパートの一室にも小さな小さな家庭が存在し、その中に様々な問題を抱えつつも懸命に生きている人がいるんだな~。」なんて考える。最近の僕は少し疲れている。家に帰ってないのが大きい。先ほど、母から「元気か?」というメールを貰い「元気だよ」と返した。すれ違いが多くて、両親とは1週間以上会ってないなあ。実家暮らしなので心配されるのも無理はない。早く、この廃人のような生活を抜け出したいッス。面白い日記を書きたいと思いつつ、書く気力もなし。チョットした短歌を思い出す。思いつつぬればや人のみえつらん夢と知りせばさめざらましを。。。なんとなくイイな。と思った。卒論の提出は2月17日。。。
2004年01月27日
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株式の練習として野村證券が提供しているサイトがある。野村バーチャル倶楽部そこでは実際の株価とリンクした取引が出来る。元金100万持っていたとして、取引が開始される。これがなかなか面白い。僕は素人なので、まずここから始めていきたい。バーチャルで株を勉強し、十分勉強したら満を持して本当の株の取引を始める。とりあえず、株の本でも買いに行こうと思う。株というのはギャンブル的な要素はあるが、スロットやバチスロの勉強をするよりはよっぽど実になる。そして、僕の研究室の専門は確立統計。まじめに勉強すれば人よりも有利なのは明らかだ。頑張るぞ!目指せ都内一戸建。悠々自適な人生を送ってやる♪
2004年01月26日
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今日の話は『小林。株式に興味を持つ』というお話です。我々を苦しめているのは何か。年金問題。老人介護。贈賄。消費税。構造改革。もし豊かな暮らしていれば全く気にすることはないだろう。これらの問題に目くじらを立てるのは何故か。すべてにおいて絡んでくるのが金という奴である。「我々に金が無いから税金として払った金の使い道にまで過敏になるのである。」金がすべてではない。しかし、都内で人間が"健康で文化的な最低限度の生活を営むため"には最低限度の金は必要条件である。最低限度必要な金とは5000万である。会社員は会社に理不尽な働かされ方をしている。金が無いので会社員はクビにされることを恐れて反論をすることもできない。反論しないまま疲労のためうつ病になるものもいれば極端なことを言えば過労死するものもいる。自殺者が交通事故の死亡者数を超えたという話を聞いたことがあるが現状からすると頷ける。自殺者は過労死に較べて極端な例とはいえない。比較的身近な人(友達の母親)も過労からくる鬱病で自殺した。僕の兄貴は月150時の残業を会社で強いられている。兄曰く「金はあるけど時間がない」。鬱病のような時もあった。今は慣れもあって、ヒーヒー言いながらも頑張っている。しかし。しかしだ。こんな現状に甘んじててよいのか。少なくとも僕は許せない。僕は欲の突っ張った方ではない。しかし、人間的な生活を営むためには5000万は必要だ、とつねづね思っている。5000万。それ以上の金は要らない。贅沢をする気はない。5000万は欲しい。これは欲ではない。欲というのは「十分与えられているのに、余剰な利益を求めること」だと思う。僕が求めているのは、「余剰の利益」ではなく、「人間的なたしなみに必要な最低限度の金」である。「腹が空いたから飯が食いたい。」というのは欲ではない。「食事はあるけど、もっと美味しいものが食べたい。」これが欲である。5000万というのはサラリーマンが生涯身を粉にして働いて蓄えれるかどうか、という金額である。ちょっとした贅沢もせず、食費も抑え、いい服も着ず、いい家にも住まず。旅行にも行かず。ただ、単にしこたま金を住宅ローンの返済にあてる日々。果たしてこれが人間的な生活と言えるだろうか。豊かな人生と言えるであろうか。僕は違うと思う。僕の求める人生とは違うと思う。今日、部活で先輩と話す機会があった。先輩の話は株式についてだった。話を聞いていくと、一日8時間パソコンの前に座り、株式の売買をしているらしい。月収120万。。10万以下は誤差だという。僕が一生懸命働いても5、6万が限度だというのに。先輩は、30までに家を買うと言っている。僕はマイホーム主義である。生活を切り詰めて非人間的な生活を送れば50までにやっと家が建つという計算だ(←共働きをすればもっと早くに建つ)。気力体力ともに充実した若年時代には会社と家の往復。人生を楽しむこともなく、ただ、家と家族のために働くのみ。家が建ち、時間と金にゆとりが出てきた老年期には、楽しむだけの体力も気力もなし。これでいいのか。全然 よくない。僕は先輩の話を聞いて、生き方に疑問を感じた。株式か。。。。幸い、僕には理系的なセンスはある。株式を本格的に勉強すれば儲ける自信はある。それで都内に家を買うだけの資産を貯めて家を買う。生きがいのために仕事をし、必要な経費分だけを会社で稼げば。。。決めた。株を勉強する。今は卒論で忙しいが、春休みを利用して株を勉強し、実践を通して少しずつ知識をつけていく。世の中不公平だ。法のもとに平等なんているのはウソだ。上手く生きていくものが金持ちになり。下手な生き方をするものが、社会の駒となる。身を粉にして働いても一文も身につかない。株式。これが僕のこれからのテーマだ。「有名大学を出て頑張れば豊かな生活を送れる。」なんて好景気時代の一時的な空想でしかない。僕はそんなものには頼らない。
2004年01月23日
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「勉強の出来ると思っている人の話はつまらない(特に理系)。」というテーマのレクチャーを分かりやすくお伝えしたいと思います。「学校の勉強」は、数学にしても、国語にしても、英語にしても、単に暗記したり、論理的に変換する作業でしかないんです。「1600年に関が原の合戦が行われた。」とか、「この問題はピタゴラスの定理で解ける」というのもその例です。先生に教えてもらったことを巧みに利用できる人が成績優秀者であり、高校までは秀才、天才と言われ評価されるわけです。しかし、大学以降になると、"頭がいい"の定義が変わります。確かに勉強が出来ることの重要性は変わりませんが、社会に出てから必要なのは"学校の勉強が出来ること"だけではないからです。一時期"つめこみ教育"と言って話題になりましたが、その名の通り高校までは"つめこみ教育"であり、その中には自ら育んでいくような創造性がありません。自分から選んで掴んだものや考えたものがないのです。もし、知識や処理する能力しか持っていないなら、パソコンや通訳機と同じレベルです。英語が喋れる人は日本の中では尊敬される対象になりますが、僕はそれだけの人なら評価しません。パソコンや英会話は"道具"であり、ワープロを使えなくても、英語が分からなくても、表現したいものを持っている人の方がすばらしい、と思うからです。つまり、"言いたいこと"です。"勉強が出来るかどうか"ということと"言いたいこと持っているかどうか"ということは全く別のことです。両方持っている人は素晴らしいですが、現実なかなかそうはいきません。世間ではどちらか一方に偏ることが多いようです。「あの人は学歴はないけど、頭はいい」ということがあります。頭のよさを「処理能力」とするなら、学校の勉強が出来る人が上に立ちますが、世で言う"頭がいい"というのは頭のよしあしだけでは決まらないようです。"世間での頭がいい"とは、頭の回転が速かったり、経験が豊かだったり、自分の意見を持っている人のことだと思います。僕はサンマさんとか、三輪明宏なんかそういう意味で"頭がいい"と思います。一方、「学歴はあるけどバカだ」という人もいますよね。常識的なことに欠けている人、思いやりの無い人、人付き合いの苦手な人、話が面白くない人のことを指すのではないでしょうか。そういう人は自信過剰なため、なかなか自分がバカであることを自覚してくれないので周りは手を焼くことが多いようです。勉強出来る人は、往々にして、自分が得意な"知識"や"論理的な思考"に頼りがちになります。"論理的な思考"というのは、AならばB、BならばCと次々に変換していく作業で、そこには新たは発想や発見が無い。(我が家にも一人いるんですが、"論理的な話"は聞いていて面白くないしイライラするんですよ笑。)一般に、そういう"つめこみ教育"を勝ち抜いてきた人には、自主性、創造性、体験が少ない。先生や親の言う通りにし、受験戦争を勝ち抜いてきた忍耐と努力は大変なものだが人間としては魅力の無いものが多い。だからそういう人の話は面白くないだが、受験戦争の勝者は、社会に出れば、高い能力を買われるし、現場で力も発揮するだろう。だから、職場では大いに報われることは請けあいします。
2004年01月20日
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僕は小学校通して3回しか泣いたことがなく、小学生のときはそれを誇りにしていたほどだった。今でも人前で涙を見せることはない。しかし。。。テレビの前だと簡単に泣けてしまう。つい最近のことでいえば‥「白い巨塔」を見てポロポロと。悪役の財前(唐沢)が関口弁護士(上川)にとっちめられて行く。そんな勧善懲悪的なドラマにズポっとハマり、泣けてしまう。「おお。上川隆也カッコええ。やっぱ、悪は潰されるべきだ~。」などと言いながら、正義を貫くために裁判を起す姿に胸を打たれる。爆笑オンエアバトルの"はなわ"という芸人のネタにも何故か涙した。その日は仙台で収録された番組だったので、都道府県知人はなわのコントは仙台ネタ満載だった。そのネタの内容はよくわからなかった。「牛タン」は分かるが、「だるま薬局」「おれだずおだずだよ」「○○動物園」「○○遊園地」のレベルになると意味不明。だが、仙台の会場は手拍子がなるほどの大盛況。仙台の人の喜びようときたらすごかった。「仙台の人をここまで喜ばすとは‥」僕は会場の一体感に痛く感動し、涙する。「すっ すごい。」最近、涙腺がゆるくなってきている。精神的にセッパ詰まった状況が続いているからだろうか。電波少年的研究室生活が続いているから無理もない。P.S.すごい蛇足になるけど、いつもこんなことを考えている。「涙には悲しみが10個分詰まっている。涙を一粒流すごとに10個の苦しみから開放される。だから、悲しい時には泣いた方がいい。」なんてね。
2004年01月18日
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我が大学もセンター試験の会場として使われている。「大学で研究する」という名目で通行許可証を持っているが、それでも夜9時には帰らなくてはならないという規則になっている。一度出るともう次の日まで入れない。だから、こうして、身を潜めて研究室で夜を明かすわけだが、困ったことが起きた。食糧難である外に出ようにも、入り口で守衛が厳戒態勢を引いている。マックで買ったレタスバーガーの三点セット367円も底をついてきた。腹が減った。飯が食いたい。これから近くのスーパーで半額セール。。。。グラウンドを横切り、裏門から脱出。そこには警備員はいなかった。雪降ってて寒いからかもしれない。無事、研究室に到着。研究室の人が僕の買い物を見て、ビックリして聞いてきた。「どうやって買いにいったの?」「大学の警備なんてザルっすよ♪」と僕は何故か誇らしげに言う。まあ、何はともあれ、今日は無事乗り越えられそうだ~。飢え死にしそうなのに、黙って大学の言うこと聞いてられっか~~い笑。(極端だけど。)
2004年01月17日
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センター試験前日。受験生は緊張して、今頃、眠れてないのではないだろうか?僕は大学4年だから、センターを受けたのは4年前と5年前。大分前のことになるので、当時の張り裂けそうな気持ちはもう、出がらしのコーヒーのように薄い記憶となっている。僕のセンター試験の時のことをお話しましょう。(誰にかって?まあ、いいじゃないすか。話を進めます)現役のときに受けたセンター試験はボロボロだった。数学で失敗した。僕は数学が得意だったので、"数IA"、"数ⅡB"という科目で高得点を狙っていた。"数ⅡB"の方は簡単だったが、"数IA"は難しかった。一般的に言って、センター試験は大学ごとに行われる二次試験よりも簡単であり、基本的な事項を理解しているかどうかを確認するためのものである。しかし、落とし穴にハマルことがよくある。特に数学。例えば、大問1で10コ問題があったとする。問題自体は比較的簡単で、自分のやり方でやれば答えは出せたりする。しかし、単に空欄を埋めるのではなく、"出題者の解法にのっとりながら"空欄を埋めていかなければならない。これが結構難しい。また、問題は連動しているため、4番目の答えが出せない場合、次の5,6,7,8‥も壊滅的な打撃を受ける。僕は各大問で出題者の意図が読めず詰まった。今考えると、飛ばして次の問題にいくのが賢明だった。しかし、高得点を狙う僕は詰まりに詰まった。数学の時間はたったの60分。時は無情なものである。詰まった箇所に時間をかけすぎた。その問題は一応クリアしたが時間に押された。45分経過した段階で、4題中2問しか解けてなかった。明らかに間に合わない。僕は頭が真っ白になり、パニックに。このままでは満点どころか50点しか取れない。そのとき、そんなパニックな頭によぎるものがあった。相撲取りの若乃花だった。なぜ若乃花かは知らない。確かに僕は相撲好きだが。しかし、なぜそこで若乃花?!それは永遠のなぞである。当時、若乃花は横綱になったものの、実力が伴ってなかった。初日から負けが込んでいた。小さい身体で頑張っているのが印象的だったのを覚えている。「若乃花も頑張っているんだから‥」と自分に言い聞かせ、冷静さを取り戻す。全部の問題を解くことはあきらめ、問題を絞った。「よし、この問題だけはとろう」結果は72点。あの頃は若かった。(今も若いけど)全科目の総得点は、受験前の模試では取ったことがないほどの悪かった。最悪が本番と重なる、ということがあるんですね。僕はこのときに痛感しました。痛かった。かなり痛かった。確かに、その年のセンターは総得点は皆悪かった。しかし、それにしても僕の点はダメだったのだ。そして、僕はそのまま地獄坂へ転げ落ちた。一浪決定‥。。。両親には駿台に行けと言われたが、僕は勝手に代ゼミの手続きをした。代ゼミは全額免除だったからだ。代ゼミで浪人の手続きをするときの切なさは忘れられない。大学に「あなたは本大学に資格はないですよ」というレッテルを貼られた自分が恥ずかしくて涙が出そうになった。僕と同じように受験に失敗し、手続きしに来てる人がいたが、僕は顔は合わせないようにした。「ああ、彼女も一浪するんだな。」なんて思いながら。4月から代ゼミの授業が始まった。重い気持ちに打ちひしがれながら、重い足を引きずりながら代々木へいく。すると。同じような境遇の人が集まっていた。現役で受かった人はココにはいない。恥ずかしくない。現役で受かった人が楽しそうな学園生活を送っている姿を見せ付けられる心配もなかった。安心して勉強に専念できる環境がそこにあった。まあ、そこでは沢山の友達ができ、今でも仲良く続いているわけで、「一年くらい浪人してみるのもよかったな」なんて思っているわけだが、今は置いておいて話を進めます。まず、授業が始まったら富田という代ゼミの講師がいた。知っている人もいるかもしれない。受験界では有名な人だから。傷ついた浪人生の心に追い討ちをかけるような彼の毒舌トークは慣れるまでは心が痛かった。憎しみすら覚えた。しかし、浪人時代の終わりごろになると「ま~た富田がくだらねえこと言ってらぁ」くらいになっている。まあ、そんなことはよい。疑心暗鬼で通い始めた代ゼミだったが、そのうち僕は代ゼミが好きになった。友達も出来た。職員の方は親切。学費は安い、っていうかタダ。校風は自由(予備校にもその予備校の校風というのがあるんですよ。知ってました?)。で、そんなこんなあり、再びセンター試験を受けるわけです。一浪のときに受けたセンター試験はさほど緊張しなかった。しかし、心に決めていたことがある。「出来ることは何でもする」英語の試験が配られる。英語の問題は冊子で閉じられていて、表はセキュリティーが固い。しかし、冊子を裏がえしにすると、最後の問題の設問が丸見えである。文字が逆さになっているのと、白紙一枚を越して透かして見なくてはならないのが難点であるが。これは反則ではない。「冊子を開いてない。透けて見えちゃうだけ。」試験が始まる前に、長い設問をすべて読み終え、試験開始と同時に最後の問題から始める。これはよかった。早稲田は英語のセキュリティーが甘く、試験前に題1問を全文を読み終えていた(笑)。浪人するとこんな知恵がついてしまう。現役の時、センターは過去最悪の出来だったが、一浪した後は過去最高の出来だった。最高が本番と重なる、ということがあるんですね。受験生のみなさん。頑張ってください。頑張っていれば、いいことあるよ。
2004年01月16日
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以前からうすうす気づいていたことではあるが、今日のことでなお確信した。大学は無敵だ昨日、どこからともなくピアノの音が聞こえることに気づいた。それは、隣の建物の3階の講義室だった。今日、早速行ってみると、暗い部屋にピアノが置いてあり、誰も使っていない。弾いてみた。ポンコツピアノだった。でも、十分だ。僕に家にもピアノがあるけど、僕は大学から帰るのが遅い。近所迷惑のことを考えて、我が家では"ピアノは夜の8時まで"と決まっている。8万から10万の電子ピアノを自分の部屋に買おうかとマジで考えていた。電子ピアノならヘッドホンを使って夜にでも弾けるからだ。大学にピアノがぁ~。しかも、女子が少ないので、ピアノ使われていないことが多い。今日は近くのスーパーで食べ物を買い込み、白い巨塔というドラマを部室で見て涙を流し(いや~関口弁護士を演じる上川隆也はいい男だ)、ピアノを弾いて、友達とキャッチボールをし、汗が出たのでシャワーを浴びた。充実した一日であった。研究室に楽譜を持ってこようと企んでいる。卒論の提出まであと30日(笑)
2004年01月15日
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昨日の朝、以前アタックしていた女からメールがあった。内容は次のようなものである。「お久♪今バイト終わったんだけど今日から社員移動で大好きな人たちがいなくなちゃったんだー(;_;)超ーーーショック!!すんごいパラダイス並だったのにあれ?みたいな↓というか朝っぱらから愚痴メールでごめんね^^;でもアルバイトはいい人いっぱいいたから助かるけど☆」正月にメールを交わして以来なので、ご無沙汰だ。このメールを読み、僕はなんと思えばいいのだろう?好きだったコからでなければ、「は?だからなに。僕とどう関係があんの?くだらんメールを送ってくるんじゃねえ。うぜーなボケ!」と一蹴するところだが、そうもいかない。彼女は新橋でカラオケのアルバイトをしていることは知っているけど、自分のことが中心に書いてあって、どう絡めばいいかわからない。そういえば、プチデートで演劇に誘ったときも自分のことばかり話をして、僕のことについてはほとんどなんにも聞かなかった。対話が下手なのか、自己中な人なのか、それとも僕に興味がないのだろうか?でも、なんもないときにメールを送ってくるということは‥。。。恋とは恐ろしいもの。知らずに自分にとって都合のいい解釈をしている。僕はポジティブな頭で考えた。「脈あり!」そして、次のようなメールを送った。タイトルバイト楽しそうでなにより。また、いい友達できるさ。本文はろー。まあ、なんかあれば何でもおじさんに相談しなさい。ところで、もうすぐKちゃん(メールの相手)の誕生日(彼女の誕生日は1/14)。なんかプレゼントをしたい~。1.寮に百万本のバラを贈りつける。(←彼女は寮に住んでいる)2.腐ったカエルの死体を机の引出しに入れておく3.こ洒落た飲み屋で食を振舞う。または、映画(ラストサムライ見た?)どれがいいかなぁ→?書いていて思った。好きなコに送るメールぢゃねえ ラストサムライは見たということなので、僕がニモをみたいと言った。電話をかけたがでないので、メールで。したら~、「ごめん超忙しい(>_<)なによりも時間が作れませんm(__)m」だってさ。にってさ。くってさ。「あんたがったどっこさ♪」を歌っている場合じゃね~よ。最後のメールを読み、僕の一縷の望みは消えた。僕に対して全く興味ないどころか、迷惑っぽいな~、って思ったからだ。Kちゃんは忙しいらしい。それはよくわかる。僕も忙しい。卒論があるし。でも、好きなコと映画みにいけるなら~、と思うから時間を割いても会いたいと思う。彼女にはそれがない。そして、もし会いたいという気持ちがあれば、今、忙しくても「2月以降なら時間が作れるよ~」とかそういう返答があってもよい。彼女にはそれもない。つまり、忙しいのは事実だろうけど、彼女の中で僕の優先順位は50番目くらいで、「おまえと会うほど暇じゃない」ということなんだ、と思った。は~。僕は頭を切り替えた。いい子だったが、僕とは相性が合わないようです。彼女のメアドと電話番号を消し、僕は次なる恋に向かって邁進する。請うご期待!!P.S.あとで自分の日記を読み返してみて、トゲトゲした文章になっているのに気づく。でも、いたし方なし。そういう年頃なんですよ♪
2004年01月12日
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先週、部の後輩が20歳になった。そのとき、彼が懐かしいことを言っていた。「紫の鏡」である。たぶん、サラサさんは知ってると思う。その場にいた広島、福岡、新潟出身の連中は知らなかったので、東京地区限定の迷信だろう。話は簡単で、「19歳までに『紫の鏡』という言葉を忘れないと死ぬ」ということだった。僕が小学校4年くらいの時に知ったことだった。「忘れろ」と言われる程、記憶が定着する。絶対に開けてはいけないパンドラの箱に似ている。もし、絶対開けては箱を開けずに物語が終わったら、読者はブチ切れるだろう。「ああ。わすれないと。紫の鏡。紫の鏡。紫の鏡。紫の鏡。。。。」小学生を恐怖に陥れる迷信だ。しかも、僕が19歳の時というのはノストラダムスの1999年とも一致していた。当然、19で死ぬこともなく。現在に至る。どうせなら、もっと覚えるべきことを迷信にしてほしかったな。「なあなあ、これ覚えてると死ぬらしいよ。」「なになに?」「日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらと、われらの子孫のために、諸国民との‥なんたら‥わが国全土にわたって‥‥ズラズラ。。。」(あいまいな日本国憲法前文)案じずとも一晩で忘れる自信あり。
2004年01月11日
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世の中は〇〇だ!という議論は僕の中でアキちゃいました。世の中は〇〇だ!というのは陳腐な議論。必ず同じような結論になる。人は何回同じことを話せば気が済むのだろうか。そろそろ終わりにしたい。そこで、この「世の中は〇〇だ!」について、二度と議論しなくて済むようにするのが今日は目的である。「やっぱり世の中金だよ!」という過激派(部活の先輩K氏)の発言を皮切りに話は始まる。そうすると情緒派(僕)が「いや~、金じゃないっすよ。」「愛ですって、愛。」そうすると過激派はこういう「じゃあ、君(情緒派)はどうしてバイトしてるんだい?」「はい、金が欲しいからです」(情緒派)「ほら。やっぱり、金じゃん」(過激派)情緒派も切り返す。「じゃあ、(過激派の)K氏はどうして部活してるんですか?」そして、過激派は気持ちを収めて考え出す。う~ん。どうして、金にもならないのに辛い練習をしているんだろう。好きでなければ自給3000円貰っても断るにちがいない。ここで会話は終わる。問題はそんなことではない。「世の中は〇〇だ」というのは絶対無理なんです。「世の中」は様々なことを含んでいるのです。例えば、金、経済、政治、家族、人種、名誉、地位、門地、宗教、愛、友情、など、数え上げればいくらでもある。だから、それを愛だの、金だの、と一言ではいえないのだ。それらを全部ひっくるめて世の中だから。理系の人はわかると思うけど、こういう言い方ができる。「愛は世の中の必要条件であり、十分条件ではない。」わかりやすく言うと、愛や金は世の中の一部分でしかないので、愛だけで世の中を語るのは無理なんですよ。では、なぜ人は「世の中は〇〇だ」なんて乱暴な言い方をするのだろうか?世の中が仮に愛と金と健康だけで構成されるとしよう。このうちの欠けたものがその人に取っての〇〇になるわけです。健康と金があっても愛に飢えているひとは、「世の中は愛だ。」という。金に苦しめられている人は、「やっぱ、金だよ。金。」という。〇〇さえあれば、きっとすべてが思い通りにいくのに!!!という〇〇を指して人は「やっぱ、先立つものは金だよ」というのです。〇〇が手に入ったら‥さあ、思い通りになるか、と思ったら今までは〇〇という壁によって見えなかった新たな壁△△が現れる。そして、〇〇を手中にに収めた人は新たにこう言い出す。「世の中は△△だよ。」人の欲望は留まることを知らない。△△を手に入れても、更に高い壁が。そして、その壁の向こうには越えられないほどの高い壁が無数に続いていることだろう。
2004年01月10日
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ネットで「インザミソスープ」という本を紹介してあったので、読んでみた。ブックオフで105円だった。これだけの作品が105円で読めるのだから、作者はかわいそうだ。まあ、彼の場合は芥川賞を取っていることだし、腐るほどの金をもてあましていることだろう。そんなことはいいとして、この「インザミソスープ」これはヤバイね。主人公のケンジとフランクというアメリカ人のやり取りが中心であるが。とても女性にはオススメできませんなあ。ストーリーのあらすじを概して言うと、アメリカ人のフランク。3歳のとき、母の腕に噛み付き、血を飲む。7歳にして、2人を殺す。精神病院や少年院に入る。15歳のとき、脳の手術を受け、もともとおかしい頭がもっとおかしくなる。主人公のケンジは。日本に来た外人の手助けするための案内人または通訳をするのが仕事。手助けとは、風俗で遊ぶための案内をすることである。村上龍の作品のすごさを僕の拙く短い言葉で表現するのは不可能であるが、とにかく、すごい。一部を抜粋してみよう。これは、歌舞伎町のぼったくりバーでフランクが殺戮を犯すシーンである。「マキの顔は、顎の下にもう一つ大きな口があるように見えた。マキは喉の切り口から泡の混じった血を吹き出しながら眼球を動かし、唇を震わせていた。」とまあ、こんな感じで、そこのパブにいた5人を次々に殺していくシーンが描写されているわけですね。その生々しいことったら、この上なし。よくもまあ、小説の上とはいえ、リアルに書けるものだと思った。まあ、実際に殺戮のシーンを見たことのない読者にはリアルに表現してあるのかどうかは判別つかないんですけど。村上龍と言うのは、頭オカシイのと違いますかね?一般人が一生努力してもこんな作品は書けませんから。小説としては面白いですがね。思想がチョット危ないですなあ。興味があれば、是非、一読あれ。
2004年01月09日
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いつもは1時間なのに今日は2時間の特番だった。テーマが重いので、ドラマを見たあと、出るのはため息ばかりだった。佐々木さんの病気を財前(唐沢寿明)が"肺炎"と診断したことに疑問を持った里見(江口洋介)は、財前に直接診断するように促す。医局の新米である柳原(伊藤英明)も財前の診断に疑問を持つが、財前の手前、言い出すことができない。今日の「白い巨塔」は、柳原の心の葛藤が如実に描き出されていた。患者を直そうという純真な心と、思うようにならない現実のジレンマに押しつぶされそうになっている柳原に、僕はジ~ンとなった。彼の心の葛藤を察し、優しい声をかける看護婦。男はつらいよ。わかる。わかるぞ~。柳原くん。男はそうやって成長していくんだね。今日はいきなり、上川隆也が出てきてびっくり。潰れた弁護士事務所の弁護士にしては、妙に目に輝きのある役者さんが出てきたな~、と思った。次回予告をみると、財前を相手取って戦う弁護士として戦うことになる重要なキーマンになりそうだ。山崎豊子の作品「大地の子」で主人公をしていた上川隆也。彼女の作品では、上川は切っても切れない存在なんだろうか?
2004年01月08日
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柔道の練習は一ヶ月ぶりなので、今日の練習はキツカッタ。初めの腕立てが100回できず、基本的なトレーニングが終わったあとのカカト上げは初めの50回で目の周りがチカチカした。寝技の乱取りを3分×10やることになっていたのだが、3本目が終わった段階で吐き気をもよおし、立てなくなったので休んだ。少し休んだら体力が復活してきたので、チョコチョコ練習に参加したが、正月に体力が大幅に低下したことを痛感させられた。いつもやっている練習なのにキツイが、練習をやることで体力が戻るので、不思議と安心感がある。今はキツイけど、体がもとに戻っているのだ。という安心感だ。体力が落ちているのに気が付かずに過ごすことの方がよっぽど恐ろしいからだ。スポーツは生涯するべし。『windepthというゲームで291632点を出す。』ウィンデフスのZipファイル 興味のある人はこちらから。windepthフレンドが出来ると嬉しいけど、一人でもやりつづけます。自分との戦いですから。以前も日記に書いたけど、クリスマスイブの晩に286952点という記録を出したが、その自己ベストを塗り替えた。まっ。いずれにしろ悲しいことをやってるわけです。研究室からでした。。
2004年01月06日
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現在、AM3時。。。頭が朦朧として、卒論する気にもなれないので、楽天日記を書くとする。今日は村上龍という作家の「すべての男は消耗品である。」という本の感想文を書いてみようと思う。まず、この村上龍という人について少し説明したい。「限りなく透明に近いブルー」という作品で第75回芥川賞を受賞。当時は最年少受賞だったらしい。僕は彼の作品は一冊しか読んでいませんが、「シックスティー・ナイン」という作品は面白かったように思う。1969年あたりのことを書いていて、たしか、東大の試験がなかったのもこの年であったと思う。全共闘時代の渦中で、高校生の主人公が体制に反対して戦うんですね。同時に青臭い恋愛も進行していく、というような。さて、少し過激な思想を持つ村上龍の作品「すべての男は消耗品である。」の中から印象に残った文を抜粋したいと思う。「酒場で、女が泣いているのを見るのは、なかなか興味をそそられるものがある。泣いているのがブスなおばんだったら、これほど見苦しいものはない。きれいな女はどうしてこうも得するのだろう。泣いたって怒ったって、許せてしまう。」村上龍はブスに対する言動がひどい。「ブスは論外だ、とオレはいうが、どの時代だろうが、ブスが大量に売れ残ったという話は聞かない。デパートや遊園地に行くと、すげえ!と大声を出したくなるようなブスが、平気で結婚していて、子供なんか連れている。」よくまあ、ぬけぬけと女の敵になるような発言をするな、と思った。この文章は、ザ・ベストマガジンという雑誌に掲載されたもので、大方、低俗な雑誌なので、女性の目の届かないところでの文章だったのだろう。しかし、この本の巻末にある解説を書いた山田詠美は、そこで当文庫本のことをボロクソに言っている。これもまたケッサクであると同時に背筋が凍りそうであった。普通の解説なら、「ここの文がよかった。」とか、「あそこの表現が彼らしい。」などと作者を誉めそやすものであるが、山田詠美の解説は最後まで彼と彼の文章に対する批判であった。村上龍はこんなことも言っている。「美人は三日で飽きるという言葉があるが、これは言うまでもなくブスを自決に追い込まないための嘘である。」こんなにズケズケ物を言って、女性団体から苦情こないのかな~、なんて思っていたら、こんな下りもあった。「ある女性の地位向上を目指す活動家から、「男は…」という言い方をやめなさいと言われた。常に、「オレは‥」と言えというわけだ。」つまり、村上龍が考えたことをすべて、男の意見の代表みたいにして、いうのではなく、あくまで、個人の意見としてものを言えというのだ。「すべての男は消耗品である。」「男は寸足らずで、知恵足らずである。」「すべての男は変態性を持っている。」という替わりに、「オレは消耗品である。」「オレは寸足らずで、知恵足らずである。」「オレは変態性を持っている。」に言い換えろ、とその女性は言っているのである。「すべての男が変態であるとするならば、それを実行しているオレはむしろ正常なのではないか?」と文も笑えた。しかし、これは、「すべての男は変態だ」という仮定で成り立つから、その仮定が間違っている場合、これはなんら信憑性を持たない一文である。山田詠美の解説も面白いので紹介したい。「私はこの本が大嫌いである。村上龍本人が嫌いなんじゃないよ。」といい、批判はこの本ばかりか、この本に賛同する読者にまで及ぶ。「こういう本に拍手を贈る読者を作り上げたこの本が嫌いなのである。いくつかある彼の素晴らしい小説までもを、田舎臭いイメージの中におとしめる最悪のエッセイ集だと私は思っている。」こんなことを言っておいて、どうせ、最終的には彼を誉めるのだろう。なぜなら、彼の本の解説だから。彼女はそこについても触れている。「こういう言い方を複線にして,実は、最後に誉め言葉を持って来ようなどという気は、まったくない。だって、この本は、そんな気を起こさせてくれないくらいひどいからである。」彼女はその宣言どおり、最後まで誉めるようなそぶりも見せず、解説は終わる。僕の意見としては、この本は面白いと思う。村上龍の表現は、かなり誇張されたものなので、正確ではない。女性の勘に触るものであるかもしれない。しかし、エッセイとは、誇張して書くから面白いのだ。例えば、普通の生活をして、普通に家庭をもち、普通に老後を暮らして、天寿を全うした。というエッセイは面白くない。彼の書き方は、「すべての男は女には絶対に勝てない」などと言い、「えっ?それはなぜなんだい?」という読者の注意をひきつける。そして、「‥というのはね。」という感じで自分の意見を言う言わば常套手段なのだ。それゆえに文章が面白く、別に、だからといって読者が彼の言ったことをすべて真に受けるわけでもない。今、読んでいる本は、一橋大学の元学長だった阿部謹也の「日本の社会で生きるということ」難しい文章ので、たぶん、彼のいうことの3割くらいしか理解していないでしょう。機会があれば、いつかこれも紹介します。
2004年01月05日
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この歳になると、家族と過ごすのが恥ずかしいと思うのではなく、むしろ、ここちよくなってくるのが中学高校時代と違う。中高時代は、「親と仲良くするのはカッコ悪い」みたいな考えがあった。親の言うことに従順にしたがうよりも、親に反発するほうが、学校とかで友達にウケがいいんですよね。なんでなんですかね。麻雀の結果は、父親の一人勝ち。僕は850円払った。母と兄はそれぞれ1650円、800円払った。話は変わって、テレビの録画が父とバッティング。今日の夜、爆笑オンエアバトルの再放送があるのでHDDプレーヤーに取ろうとしたら、父が先に予約をしていたので譲った。夜の1時から3時までテレビで見るのは厳しいなあ。次の日に答えそう。。。昨日も見てしまったけど、ルート33が二年連続優勝。彼らはプロだね。立川談志さんも言ってたけどさ。なぜ、今、レギュラー番組を持ってないのか不思議。。第二回のオンエアバトルの挑戦者達は、今、活躍してる人たちばかりだった。テツ&トモ(今、活躍してるかはビミョウですけど)。ドンドコドン。アメリカザリガニ。号泣。など。。。第三回は、今活躍しているドランクドラゴンもいた。品川庄司。田上よしえ。おかだますだ。ハリガネロックなど。芸人の皆さんが命がけで頑張ってコントをしたり、ネタを考えているのがよくわかる。人を笑わせるのは大変なことだな~って思った。芸人さんはエライ。。
2004年01月03日
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近くの神社に友達3人で初詣に行ってきました。参拝客が多くて大変でした。大晦日はその三人で飲みをしていたので、すこし、酔っ払いぎみですけどぉ。 恋愛ト~クが炸裂し、かなりバトルしましたね。お賽銭は、「今年はご縁がいつもの倍あるよう」と縁起を担いで、10円ほど入れて参りました。友達に神社の礼法は教えられた通りにしました。二回お辞儀し、二回手を打ち、一回お辞儀をするらしい。写真の一緒に写ってる人は、中学時代が一緒だった友達で、アメリカの大学に行っている優秀な人である。アメリカもいいけど、俺はやっぱ日本が最高だね。愛してるぜ日本。今年もよろしく。アメリカへの批判↑少し長い文章だけど、絶対面白いので、読んで~。
2004年01月01日
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