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先ほどまで、地元の飲みだった。小学校、中学校時代を一緒に過ごした友達と飲みをするのは楽しい。保育園時代を過ごした仲間もいて、いまだに付き合いがあるのは軌跡かもしれない。彼らは間違いなく僕の財産の一つである。おかげで僕のすさんだ心が洗われるようだった。今日の飲みで嬉しかったことは、長い間喧嘩中だった友達との関係が戻ってきたことでした。一時は彼との肉弾戦をも想定し、いつも以上に柔道の練習に打ち込み、身体を鍛えた時期もあった。まあ、何はともあれ仲が回復するというのは喜ばしいこと。そのうちそんなことも笑い話になることだろう。ところで、今日も教習所に行った。ちょうど教習の過程の半分が終了したところであり、次の時間に「みきわめ」という第一段階の終了検定を受ける。車で言えば「仮免の検定試験」にあたるものだ。僕はバイクの乗り方はほぼマスターした感があった。今日、バイク教習を一緒に受けた人は、女性であった。女性でバイクの乗ろうとする、というのは珍しい。顔を見たら、少し暗くておとなしそうな感じの人であったので、彼女がバイク免許を取得しようとしているのが一層驚かされた。二人で一人の教官について教えてもらった。バイクの乗り方をだいたいマスターしてしまった僕は余裕だった。しかし、彼女のほうはまだ不慣れであり、教官の指導を受けていた。「同じだけ教習を受けても差が出来るということは女性の方が飲み込みが遅いのかな?」などと、教習中に考えた。以前の教習で高校生くらいの僕よりも若者と受けたこともあった。そのときは、若者の方が僕よりも優れていた。「若い人の方が飲み込み早い。」などとも思った。僕は23であるが、現在、バイクの免許を取るのは正解だったと思う。例えば30代、40代になるに連れて飲み込み速度が遅くなると思う。今日は、地元の飲みの帰りに同じ方向の友達と二人乗りをして帰った。ヘルメットは一つしかない。酒を飲んでる。原付。ということでして、「ノーヘル」「飲酒運転」「二人乗り禁止」という三つの道路交通法違反を犯していたので、「事故は絶対に許されない」という思いがあった。だから、いつもの5倍くらい注意深く運転をしたつもりである。友達は二人乗りをするのが初めてらしく、大変喜んでくれた。友達は、家に変えるのに徒歩15分はかかるところだったが、原付のおかげで5分程度で帰れたのも嬉しいかったらしい。自動二輪が取れれば、合法的に二人乗りも出来る。好きな彼女と夜の国道をぶっ飛ばすのが当面の僕の夢である。
2004年03月28日
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昨日は卒業式に行った。そのあと、学科の卒業記念パーティーに参加。さらにそのあとの二次会で研究室で飲み。 昨日は穏やかな小春日和。桜の花も5分咲きでして、絶好の卒業式日和でした。僕は卒業式には行く気がなかったんですが、母に「一生に一度なんだから」と強く言われたので、行くことになりました。出たら出たでなかなか味わい深いものでありました。しかし、式自体は面白いものではなく、通り一遍等のことしかありませんでした。午前中から2時間行われた式では、「校歌斉唱」「学長挨拶」「来賓の方からの挨拶」「学士、修士、博士課程を終えた生徒への卒業証書授与」「卒業生からの卒辞」「在校生からの卒辞」「蛍の光を全員合唱」という感じで進行していきました。近年、厳粛な場で2時間も拘束されていることがなく、じっとしている苦痛に耐えかねました。身体を動かしたくて仕様がありませんでした。「来賓のかたがたの挨拶」のところでは、突然の睡魔に襲われ一部聞き逃しました。学長挨拶の中でこんな下りがありました。「大成する人は危機の状況でさえチャンスに変える」なるほどと思いました。危機はチャンス。僕の解釈によると、『強盗がナイフを持って押し入ってきたら危機である』。しかし、強盗と遭遇するなんて滅多にない。もし、その強盗を取り押さえでもしたら、英雄だ。武勇伝としてつまみのネタになる。つまり、その瞬間は危機でもあるが『英雄になれるチャンス』でもある。学長はこの不況であるご治世だからこそチャンスは沢山転がっているよ、といいたかったのだろうか。ここで少し僕の意見を述べて見る。学長の話のみならず、社会全体の認識として、「出世したものが大成した人である。」「我々皆は大成することを願っており、そのために日々まい進している」とある。僕はこれに対して異議を唱えたい。「別に出世したいために勉強してるわけじゃない。」「大成することというのは会社で出世することではない。」「すべての人が一様に出世街道に向かっているわけじゃない。」ということだ。僕の向かっている方向は「幸福感、充実感」である。「幸福感」=「社会的な成功」と位置づけるのは誤りである。僕の言う「幸福感、充実感」というのは、単に享楽的なものばかりを求めることではない。ときには、苦しいこと、嫌なことにも果敢に立ち向かう。そういうことを含めた充実感である。つまり、僕は、「社会が押し付けてくる安易な幸福感には感嘆には洗脳されないよ」と言っているのである。来賓の方の挨拶でこういうのもあった。「社会で必要なものは、『人間性』『人間ネットワーク』『知的財産』である。」これは僕と同じ意見だったので素直にナルホドと思えた。知的財産を3つ目に挙げたのは正しいと思った。社会を構成するのは人間だから、人間との関係を結ばずに生きていくのは不可能である。よほど卓越した才能があれば別であるが、そうではない大半の人は人と協力して行かなくてはならない。それに、能力のない人でも、協調性があれば、周りから刺激を受け、どんどんその能力を伸ばしていくことができる。僕の年代で、卒論を書くのを諦めた人がいた。彼は、研究室の助手と仲たがいしていた。助手がいる時は彼は研究室に顔を出さず、彼がいる時は助手が避ける、という具合だったそうである。つまり、「才能があるないの前に、人間関係がスムーズに行っていないと才能を伸ばすことも出来なくなる」のである。人間関係といえば、我が研究室では、酒に酔うと酒乱になる人がいる。以前はその酒乱が原因で研究室内で喧嘩になった。それ以来、彼が酒を飲み、だれかれ構わず絡みだすと再び喧嘩が起こりはしないかと冷や冷やする。その酒乱の彼は来年度から社会人である。もし社会で今のような行動をしたら、と思うと彼の行く末が心配である。
2004年03月26日
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研究室から日記を書いている。今日は、朝から動きづめであった。朝、教習所に行き、「シュミレーション」という教習を受ける。ゲームセンターにあるようなレーシングゲームを使い、様々な状況でのバイクの走行を体感することが出来た。教習所が終わり、今度は新宿へ直行した。今年、大学院を卒業してしまう先輩にずい分お世話になったので、その御礼がしたくて、僕はプレゼントをあげることにしていた。彼は一人暮らしなので、かさばるプレゼントは迷惑だと考え、菓子折りをあげることにした。新宿の伊勢丹に「叶匠寿庵」という上品な和菓子屋があり、僕は人への御礼の品として、以前からよく利用していた店である。そこで菓子折り詰め合わせの一つを選び、買った。伊勢丹を出てから、今度は大学に直行した。菓子折りは生ものなので、その先輩に早く渡そうと思ったからだ。大学の研究室についたが、その先輩はいなかった。明日はおそらく現れると思うので、なるべく早い時期に渡したいと思っている。そして、現在にいたる。今は昼の2時ごろ。今日は夕方からローソンバイトが入っている。携帯料金の振込みもしなくてはならない。その前に銀行に行って金を下ろさなくてはならない。忙しさに目が廻りそうである。明日は朝から卒業式。夜は飲み。明後日はバイト。明々後日は教習所と飲み。。。。僕は空いた時間があるとパシパシ予定をいてれしまう。でも、最近はちょっと予定入れすぎてるかも。。。来年度からはゆとりある時間割作成に励みます。
2004年03月25日
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今日も僕はご立腹である。もう、長いローソンバイトも潮時に来ているのだろうか。長く続けすぎたのかもしれない。今日、一緒に入った女の子もまた大変であった。以前、日記に書いた、17歳女子高生とは別の人物である。ココではF嬢とさせてもらう。女とは、今まで普通に話していても、いきなり態度を変えることがある。僕は、ローソンのバイトを通じて、ざっと4人ほど見てきた。Y嬢→T嬢→I嬢→F嬢。ヒステリーの「ヒス」とは女性の子宮を示す言葉だということを聞いたことがある。女性の突然の態度の変化は子宮によるものなのだろうか。あんまりわけのわからない行動を取れれると、僕は「きっと、生理がひどいのだろう。」と思ってしまう。女心はわからない。ある程度仲が良くなると女とは、自分の我侭がどれほど相手に通用するかを試したくなるらしい。そういう点で、女ってのは一見多種多様のようであるが、大して違いの無い生き物であると思う。一人目のY嬢というのは、一緒に飲みをするほど仲がよかった。しかし、ある日を境に僕に対する接し方が冷たくなった。それだけではなく、陰で僕の悪口を言うようになった。僕に非があるならば素直に認めるが、批判を陰で言っていること、その批判の内容が重箱の隅を突っつくようなものであったことに納得できず、彼女に対して僕は激怒した。「別にお前に金貰っているわけじゃないんだから、そんなこと言われる筋合いないんだよね。」いろいろと経緯があるのだが、それは省略する。とにかく、それ以来、F嬢とは冷戦を繰り広げ、結果、彼女が就職するためにバイトを辞めたので、冷戦は終了した。その後、飲み会に誘ったりして、復縁し、今でもたまにメールをするぐらいの関係として収まっている。次にT嬢。彼女は広島出身である。広島はヤンキーが多いことで有名であり、彼女も「男らしい男」がタイプなようだ。広島弁が男気の溢れる話し方に対し、彼女は東京弁を喋る男は気持ち悪いとも言っていたこともある。バリバリ東京人である僕が軟弱に見えたのだろう。人見知りの激しいT嬢は、僕を見くびっていたように思う。それ以来、彼女と冷戦をした。しばらく、見えない戦争をしたあと、彼女は僕を認めたのだろうと思う。それ以来、仲が良くなり、気安く話すようになった。T嬢ごときの小娘に「認めてもらう」こと自体、甚だ遺憾である。なぜ、T嬢が試験官のごとく偉そうに僕の能力を測る立場にあるのか。しかし、結果的に仲良くなれたのでよしとした。そして、僕は二つ目のハードルを見事クリアした。3人目のI嬢である。これは何日か前の日記(謎の精神戦争)に書いた通り、一年間の時を経て、やっと、人並みにコミニュケーションを取れるような関係になることに成功した。その間も、数々の苦労があったことは日記にあるとおりである。そして、1ヶ月ほど前から新たに始まった冷戦があるのである。F嬢だ。F嬢と僕はもともと仲がよかった。しかし、2ヶ月前くらいからを境に、急に彼女は僕に対する不快感を露わにし、話しかけにくい雰囲気を作ってきた。僕は、「あ~、僕のことを嫌っているんだな。」と思い悲しい気持ちになった。しかし、「一方的に嫌われる戦いは不利だ」という認識が浮上してきた。したがって、僕もF嬢を徹底的に嫌うことにした。それでこそイーブンな関係だと言える。人と敵対するということは、自身も相当犠牲を払わなくてはならない。しかし、味方として内包し続けることで出る損失の方が、敵として受ける損失より多いというレベルに達した場合、敵にしてしまった方が良いのである。つまり、敵にしてしまった方が戦いやすい場合があり、F嬢の場合もそうであった。これから先、F嬢と冷戦を繰り広げて行けば、過去の3人のように、F戦いを経てにF嬢と心が通い合う日がくると思う。が、しかしだ。しかし、そろそろ僕もそういったレベルの低い争いをするのが嫌になってきた。長い時間をかけて、精神的にもすり減らしながら、相手が少しずつ心を開いてくれるのを待ったり、ときには激怒したり、なだめたりすかしたり。。。ふざけるんじゃない。とにかく僕は秋空のようにコロコロと変わる女心に付き合うのはもうご免にしたい。あんまり、一つのバイトを長く続けるもんじゃないのかな?小学六年のときに友達と笑い合った諺がある。『開いた口が開かない』というのがあった。もともと開いている口は開くわけが無いのだ。今日はまさにそんな気分であった。
2004年03月24日
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昼に起きた。うどんを食べる。家庭教師の生徒のためにプリントを作り、刷る。テンションが上がらない。外は寒いからだろう。二人の生徒を抱えるというのがだんだんと億劫になってきた。金は入るが、時間がない。部活の後輩たちは今日、合宿をやっている。部活にも出たいけど出れていない。研究室にも行かなければならないと思いつつ、行けてない。そのうち、助教授からメールが来て、すぐに来るようにという教授の伝令を受けるかもしれない。ああ、部活に出たい。部活は僕に取っての活力の源である。部活にでると、身体が軽くなり、仕事も捗り、前向きな気持ちになるという風にすべてが良循環になるのである。パイトが忙しい。忙しくしているのは自分であり、自己責任である。しかし、バイト先が現在人手不足ということで、人助けのつもりで、沢山シフトを入れているということもある。どうも最近は何かに追われる感じがあり、なにをしていても気もそぞろだ。予定を入れすぎに少し疲れを感じ始めて来た今日この頃。少しでも空き時間があると予定をパシパシ入れてしまう自分を反省すべし。時間の使い方のうまい人が羨ましい。。。
2004年03月22日
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今日のあったこと。朝起きて、教習所へ行く。バイクに乗るのは4回目になる。大分バイクの乗り方にも慣れてきて、思い通りに走ることが出来つつある。バイク教習が終わり、その足で大学に向かう。大学近くのマックで軽食を取り、大学の研究室に行き、眠いので机の上で寝る。2時間くらい寝たのだろうか。そして、卒業論文を製本にする作業を行う。製本には思いのほか時間がかかった。夕方からバイトに行かなくてはならないため、製本作業を途中で切り上げて、バイトに向かう。バイトに入る。バイト先では、先日口論をしたためか、オーナーがいつもよりも妙に優しいので違和感を感じた。朝早くから活動していたため、疲れが溜まっていたのか、身体の動きが悪い。さらに、二日前に出た部活の影響で、身体の節々が筋肉痛であり、動きの悪さに拍車をかけていた。歳をとるにつれて運動後の筋肉痛が出る時期が遅くなるという話をよく聞くが、僕も二日後に筋肉痛が出たというのは僕も大分、歳を取ったということだろうか。今日一緒に入ったコは17歳の現役女子高生だった。女性にしては背が高く167センチ。顔もなかなかである。しかし、彼女は人見知りが激しく、それが原因で僕は以前からムカついていた。激しく人見知りをする人とはコミニュケーションが取れないからだ。僕は仕事とは次のように考えている。「共同でする仕事においては、各々がいくら能力を持っていようとも、協力できない関係ならば高い成果は望めない。」彼女のコミニュケーション能力の低さゆえ、仕事の効率はあがらなかった。僕も内心いらいらして、一時は怒鳴りつけたい気分になったこともある。初対面の人と人見知りをするのは止むを得ないと思うが、彼女とは半年以上も一緒に仕事をしている。「いったいいつまで人見知りをしているんだい?」「コミニュケーションが上手く取れないと仕事がはからないんですけど。」という気持ちが募り、一時期は、僕の中の『彼女にしてはいけない女NO.1』になったほどだ。僕が話しかけてもウンともスンともしない。面白い話をしようとしても乗ってこない。僕はそんな彼女に密かに「話題の吸い取り紙」というあだ名をつけて蔑んでいた。そして、僕は、達観した。「世の中には話をしたい人もいれば、したくない人がいる。だから、話をしたくない人の気持ちも尊重しなくてはならない」。そして、「彼女が話しかけられたくないなら僕は話しかけないよ。」という強硬姿勢と取り、それ以来彼女に話しかけるのを一切辞めた。その後も彼女と一緒にバイトに入る日も多多あったが、来る日も来る日も無言であった。ただ、二人とも黙々と仕事をした。僕の中では、「話しかけたら負け」という戦いをしていた。彼女がどう思っているのかは知らないが、僕はこの聖なる戦いを「謎の精神戦争」と名づけていた。しかし、一年くらいたったとき、彼女に変化が現れた。なんと彼女の方から僕に話しかけたのだ。しかも、たわいもない話題で。「私のうちにネコが4匹いるんですよ。」僕はその変化にビックリした。彼女が少しだけ、僕に気を許したように思えた。その後、彼女の態度は少しずつ変わり、今日も一緒にバイトに入ったが、和やかな雰囲気で仕事をすることが出来た。実にありがたいものだ。僕は、これらの一連の出来事があたかも成長系のゲームだったように思えた。人との関係を長い年月をかけて少しずつ築き上げていくというゲーム。途中で「ブチ切れ」たらゲームオーバーである。忍耐強く相手の成長を見守れるほど、高いポイントは累加されるのである。僕はこういったことを経験から、人間関係というのは行く川のが流れのように変化していくものなんだな、と感じた。彼女は性根が悪い人だったわけではなく、人間関係を築くのにものすごく時間が掛かる人だった。人によって、他人と打ち解けるまでの時間はさまざまである。時間が掛かる人に対して「早く仲間になれよ。」というのは酷なことなのかもしれない。いろんな人がいるから、世の中は面白い。そんな彼女も今年の4月でローソンを辞める。信頼関係を築くのは大変なわりに、離別はいとも簡単なことである。
2004年03月19日
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今日は朝早く起きてから大学に行き、研究室の机で寝て、午後から柔道をし、夕方から家庭教師に行った。これほど早く起きたのは久しぶりである。さらに嬉しいことに明日の日程はなにもないということなのである。丸一日休みというのも最近久しぶりのことだ。今日は家庭教師先でも眠くかった。おまけに朝飯を食べてから、夜の九痔まで肉まんを一つしか食べていなかったので、空腹にも耐えねばならなかった。明日の計画を練ろう。髪が伸びてきたので、美容院に行きたい。行きつけの美容院があり、店員とは仲良くなっている。行けば僕を快く迎えてくれることだろう。それから服が欲しい。最近、身だしなみに気を使わないため、ダサダサ男になっている。ちょっと、こ洒落た店で春用の服を買ってこよう。今日は風が強くて、原付に乗っていたときに目にゴミが入り、運転するのが困難だった。近い将来、自動二輪も乗るかもしれないから、この辺で顔の防具としてフルフェイスヘルメットでも買おうかと思っている。明日は、オリンピック予選のサッカーの試合もあるし、「白い巨塔」というドラマの最終回でもある。楽しみだ。今日は、調子ブッこいて、楽しく夜更かしでもしちゃおうかね。
2004年03月17日
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僕の知人には自分の車を持つ人が何人かいる。そして僕は少しうらやましい、と思ってしまった。僕は車は麻雀でいうドラだと考える。ドラはあがり役(やく)にはならない。しかし、ドラをあがり役に付け加えると点数が跳ね上がる。これを人間に置き換えてみよう。人間のあがり役は次のようなものだ。「話が面白い。」「仕事が出来る。」「スポーツが出来る。」ドラは「金がある。」「容姿がいい。」。「金がある」「容姿がいい」というだけでは、人は魅力を発しない。しかし、「話が面白い」という役に「金がある」というドラを付け加わると、点数は跳ね上がる。車はドラである。「車を持っている」だけではなんら魅力を発しない。父はその辺を勘違いしている。車という役であがれると思っている。「ロン。ドラのみ。」「役は車」父は車を持っていることにより、一流の男になったつもりでいるが、それは違う。車という役だけではあがれないのさ。役に関するこんな話もある。女性の評価にもいろいろな役があるのだ。役が多いほど、点数が高い。「性格がいい。」「明るい。」「面白い。」「容姿がいい。」「勉強が出来る。」などという役がある。僕が塾講師をしていたときに、生徒たちにこう言ったことがある。「ロン。女子高生のみ。」こんな女とは付き合うな、と言いたかった。ところで、僕の家にも車がある。乗っている時間が少ないので、いつも車庫の中にある。車があるなら乗ればいいと思うが、そうもいかない。父が車を大切にするあまり、父以外の人間が車が乗るのを好まない。できれば乗って欲しくないと思っている。それゆえ、小言が多い。「夜は10時までに戻って来い」「傷はつけるな」「乗車する前に親に報告しろ」「車の優先権は親にある」などという制約が多すぎて非常に乗りにくいのである。僕の同級生には社会人になっている人も多いため、仕事が終わってからドライブに。ということもある。「夜10時まで。」という制約は「乗るな」と言っているのと同じである。それほど大切な車だったら、誰にも触られないようにして、神棚にでも飾っておけばいいと思うのだ。車とは中高級車のCROWNという奴で、結構値の張るものだ。この車は、我が家の経済状況が厳しかった時代の少しあとの時期に買った。車を買う前、堅実な母は「車を買うのは反対。買うにしても、もっと、安い車でいい。いまの経済状況からいって、将来的になにが起こるかもわからない。ストックとして遊び金を持っておくのが必要だ。」娘、息子たちは皆母の意見を支持した。家族全員が反対する中、父は強引に車を買った。父に取っては、男のロマンみたいなものなのであろう。それ以来、他の家族に父は責められ続ける。新車を購入したあと、姉だけは「私は別に反対してない。」などと、手のひらを返したことを抜けぬけと言ったことに、僕と母は唖然とさせられた。父は、母と喧嘩し、兄と喧嘩し、僕とも喧嘩する。僕は、一度、車の問題を巡って父と大喧嘩をしたことがあった。僕は新車で地元の友達たちとドライブに行こうと思っていた。車を極度に大切にする父にはそのことを言わなかった。たかが、ドライブに行くのにいちいち報告する必要はない、と思うからだ。父が知らないうちに、ドライブに行き、元通りに戻しておけば万事オッケーだった。なにもあえて父の感情を逆撫ですることもあるまい。しかし、僕がドライブに行く2日前に、姉がちょっとした事故を起こした。電柱に擦っただけなんだけど、我が家では大問題になった。車は修繕することになり、自動車整備工場に持って行かれてしまった。友達とのドライブまでに車が戻ってこないのではないかと心配した。そこで、やむなく、母と姉にだけはドライブの計画を話した。車はドライブの日までには戻ってきた。ところで、ドライブの前日、事故のことで父から責められていた姉は、少しでも自分への攻撃を減らそうと思ったのか、僕がドライブに行くという計画を父に聞こえるように言った。「ひろ。明日、ドライブ行くんだよね。事故を起こさないように気をつけた方がいいよ。」『ひろ』とは家の中における僕の呼称である。父と僕を対立させる狡猾な姉の発言には心底憎らしいと思った。先日の自動車事故でショックを受けたのは姉と父であり、車に対して気が立っている父は敏感に反応した、「友達とドライブいくんか。」やむを得ず、僕は答えた。「行くよ。」父は言う。「何時に帰ってくるんだ。また事故を起こす。」僕は当然夜10時までに戻ってくる気はなかった。僕は主張した、「また事故を起こすって、それは姉に対して言う話でしょうが。僕は一年以上乗ってるけど、車に傷一つつけたことはない。」父は「ダメだ」一点張り。僕はそこで、車を買ったいきさつについて持ち出した。「うちに新車は必要なかった。一つ前の車だったら、傷が付くなどと至らない心配はしないですんだ。車体も小さかったから都内の小道を走るのに適していた。父が個人的な道楽のために、家族の全員の意見を無視して勝手に買ったのが悪い。」父はぶち切れる。「親に向かって、なんだその言い方は。」僕はそれでも続ける。「大体、父の稼ぎが無いのに、事務所の経費ばかりがかさんで、今後何があるかわからないから、お金はためておくべきであった。」父は稼ぎもないのに、事務所の経費ばかり毎月かかるので、お金の「吸い取り紙」のような存在である。さらに、欲しいと思ったら、我慢が出来ないので、浪費する癖もある。まあ、もともと親の金なので、それに対して口を挟むのは息子として出すぎだとは思う。しかし、経済的に厳しいときは僕も協力的に倹約もした。家族の協力があってこそ、今があるから、関係ないとは言えない。浪人中も全額免除してくれる予備校に通った。国立大に入ったのだって、家庭を思ってのことである。そのとき父は酒を飲んでいた。ブチ切れた父は、グラスの中に入った酒を僕に浴びせた。僕は怯まない。喧嘩なら勝てる。なおも口の減らない僕に対して、父は酒の入っていたグラスを投げようとした。それには、さすがの父も理性が働いたらしく、思いとどまり、そこにあったミカンを掴み、そして僕に向かって投げた。そのときの父の必死の様たるや。父のお子様振りには毎度のことながら唖然とさせられる。ミカンは僕の肩に命中する。父を殴ってもいいのだが、もう57歳である。殴った反動で死なれても困る。僕は父に『死んでもらいたい』のではなく、『意見を変えてもらいたい』のだ。僕は父に向かった「ガキだね。」と言い残し、部屋を出て行った。このまま、父と同じ部屋にいたら本当に殺してしまいかねなかった。熱も覚めやらないときに、僕は原動機付き自転車、いわゆる「原付」を買うことを決めた。我が家はバイク禁止であった。原付においてもしかりであろう。今までの我が家ではこう言われてきた。「バイクは危ないから辞めなさい。乗るなら車にしなさい。」しかし、今、車にも乗れない。だったら、バイクに乗るしかない。というのが僕の理屈である。実は原付は以前から欲しいと思っていた。今がチャンスである。喧嘩とは悪いことばかりではない、と思った。そういうわけで、自分が自由に乗り回せる高速移動手段を手に入れた。その後も小さいトラブルはあった。任意保険の手続きを父の許可なしにやったことである。ある日、父宛に保険会社から手紙が送られてきてバレた。まあ、でも、手紙を僕に送るように保険会社に言ったりと小細工をしながら乗り越えた。父は原付に乗ること自体は特に何も言わなかった。おそらく、父の愛車に乗られるくらいなら、僕が原付に乗ってくれたほうが都合がいいと考えているのかもしれない。まあ、父がどう考えていようがどうでもよい。今では、父もハッピー、僕もハッピーというだけだ。最近、僕は原付に留まらず、自動二輪免許まで取ろうと教習所に通っている。
2004年03月16日
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今日は実に2ヶ月ぶりくらいに柔道をしていた。卒業論文を書いているときは、本当に椅子に座ってパソコンのマウスをクリックするだけだったので、体力低下がはなはだしかった。卒論中はストレスの気晴らしとして、タバコの量が増えた。また、僕は原動機付き自転車に乗って登校しているので、ほとんど歩かない。一時期は、階段を登っただけで、めまいがするほどであった。体力低下防止策として、家で少しだけ筋トレをしていたが、あまり効果はなかったかもしれない。今日の練習は、いつものことながら、きついものであった。なるべくなら、練習の初めから終わりまで参加したいと思っていた。初めのすりあげ(腕立てのようなもの)を100回やり、腹筋と背筋をやったら、バテた。これ以上やったら吐きそうなので、休み休みやった。われながら情けない。中途半端ですけど、今日は遅いので寝ます。お休み。
2004年03月15日
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今日はバイト先のローソンでオーナーと言い合いをした。『オーナー』とは普通の店でいう店長に当たる人のことである。喧嘩ではない。お互いの意見をぶつけ合うディスカッションというものだろう。それは僕の些細なミスから始まる。うちの店の方針では、揚げ物は一つしか揚げてはならない。しかし、今日、僕は誤って二つ揚げてしまった。知っている人も多いと思うが、揚げ物とはローソン名物の『からあげくん』である。店頭に出された二つの揚げ物が4時間内に売れれば問題はない。しかし、4時間以内に売れないと廃棄処分されるため、店の損失となる。その揚げ物は人気があるため売れるのは必至である。したがって、僕の行為はミスにもならないほどのミスであると言える。しかし、オーナーは厳しいことを言い、その責任として余分な揚げ物を買っていくよう僕に促した。「小林が揚げ物を買っていけばいい。」とか、「他のクルーなら責任を感じ、自主的に買って帰るだろう。」などと言われる。僕は次のように言った。「店のために誠心誠意働いているのに、些細なミスを犯した責任を取らされるのはカウンターパンチを喰らったような気がするんですが。」そのあと、オーナーは次のように言った。「ああいう発言は店員として認められないものだ。」「揚げ物を揚げることによって、ローソンに損害を与えたのである。社会では自分の責任を自分で償うのはあたりまえだ。」僕は次のように反論する。「僕は店のために常に100%の力を出して働いています。そんな僕でも人間ですからどんなに注意を払ってもミスをすることはあります。100のうち1くらいのミスは出すでしょう。店のために99個の成果を出しているのに、1のミスを出しただけで、その責任を追及されるのは心外です。それに僕はローソンの社員ではありません。単なるバイトの店員です。たかが一バイト店員である僕にそこまで責任を取らせるのはおかしいと思います。」僕は偉そうなことをいうだけあって、仕事ぶりは極めて真面目である。PM5時からバイトなのに、いつも15分前には行って働いている。バイトを始めて3年近くなるが、遅刻したことは一度もない。バイト中も常に緊張感を保ち、ほんのり汗ばむほど動き回っている。一緒に入っている人とバイト中に話をすることもあるが、娯楽のためだけに無駄話をしているわけではない。話をすることで、関係が和やかになり、お互い仕事を頼みやすくなる。その結果、仕事の効率も上がるのだ。複数の人間が一緒にする仕事では、個人個人に力があっても、コミニュケーションを取れない関係では仕事の効率は低い。お互いが協力できる関係になれば仕事の効率は2乗にも3乗にも上がるわけだ。とまあ、僕は常に精一杯全力で店のことを考えて行動しているわだ。仕事振りについて何一つ恥じるところは無い。だから、これ以上の働きを求められても要求に答えることはできないのである。その僕に対して、僕が店にもたらしている目に見えない部分の多大な利益は無視され、数ある中の些細な一つのミスを指摘され、その責任を追及される。そのことに対して僕は納得がいかなかった。僕はその揚げ物の代金210円を払いたくないのではない。210円なんて些細な金額だ。僕にもし、列記とした過失があり、納得できるものであれば、深く反省し、10000円でも20000円でも払うことは厭わない。金額の問題ではない。欲しくもない商品を買わされる屈辱感。些細なミスを追及され、責任の無い立場のバイトの店員にその責任を押し付ける店の方針。これらのことに対して僕の心が拒否反応を示したのだ。ディスカッションのあと、オーナーは「別に揚げ物を買わなくてもいい」と言った。だが、僕は揚げ物を買って帰った。そこまで言うのなら、買ってやろうという気になった。僕が『買いたくない』というのは『納得がいかない』からであって、『金が惜しいからではない』というデモンストレーションだった。酒のつまみになるから‥という理由もある。家に帰り、母にことの顛末を話した。母は「もっと、柔軟にその辺は店が負担してもいいのにね。」と言いつつも、「その店にはその店の方針があるから従っておくべきなんじゃない?」と言う。なるほど。郷に入っては郷に従え‥か。これからは素直に買って帰るかな?
2004年03月12日
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久々に日記でも書くとしよう。男もスなる日記というものを僕もしてみるなり。今日のテーマは「親父ギャグは許してやれ」です。「笑笑」でみる「親父の小言」のようなタイトルですね。親父ギャグって確かに近隣の方々の迷惑です。「言わなきゃいいのに。」って思うこともしばしばです。権力にものを言わせて笑いを強要してくることもしばしばあります。僕は面白くもないのに笑えるほど器用な人間ではないので、不快感を与えてしまった人もいるかもしれません。「親父ギャグを言った瞬間、半径5メートル以内にいた人たちが一斉に大爆笑した」という話は聞いたことがありません。親父達は親父ギャグになにを求めているんでしょうか。ウケないとわかっていながら自己満足のためだけに言っているのか、それとも本気でウケと思っているのかは定かではありません。もし、後者だとしたら、親父の学習能力のなさにはあきれ返ってします。親父ギャグが笑えない理由は主に二つ。「脈略がない」のと「リアクションの取り方がわからない」の2点であります。「おっ 今は午後九時だからくじ引きでも引いてかえるかな」面白くない。。。。。。「そんなバナナ」面白くない。。。。。。もしこれが「そんなバギナ」だったら結構面白い。親父ギャグの笑えない理由として「そんなラクして笑いをとろうなんて甘い。」と思ってしまうことも挙げられます。「なんか~笑うのは悔しい。その程度のギャグで笑わされる私じゃないわ。」という気持ちを誘発させることもあるでしょう。ここからが親父の弁護になるんですが、ギャクを言う親父には、ギャク自体が面白くなくても、「場を和ませよう」とか、「相手に喜んで貰いたい」という"サービス精神"があるんですよ。その精神はとてもありがたいと思います。ニコリともしないオッサンに較べたら遥かに穏やかにいくと思います。もし、親父たちにとって親父ギャグを言うときが唯一息抜きが出来る瞬間だとしたらどうします?家庭でも会社でも立場が針の筵の上に座っているかのような世知辛い世の中で、親父ギャクを言うときにのみ幼い子供時代に帰れるとしたらどうします?全国の親父ファンのみなさん。親孝行だと思って少しは寛大な心で受け止めてあげましょう。
2004年03月10日
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最近、日記をつけないのには理由がある。それは、卒論の再提出をすることになっているからである。3/2に助教授の人から次のような脅しメールを受けた。『A部君,O部君,小林君S教授と話し合った結果,卒研の論文の提出期限を3月10日とします.これより遅れた場合は,卒業できないと思ってください.なお,いきなり3月10日に持ってきても完成度が低ければ提出を認めないので,その前に何回も修正する必要があります.明日からがんばって作業してください.』2/17に卒論提出と発表があり、お疲れ様飲みも終えたあとだったので、まさに寝耳に水であった。自分の中では春休みであり、遊びとバイトと教習所に奔走していた。3/2にメールで水をぶっ掛けられて、再び焦り始めた。予定がかなり入っていたため、それらの処理にも終われた。教習所の予約はすべてキャンセルし、バイトも休ませて貰った。ローソンのオーナーにはいつも迷惑を掛けているので申し訳ないとは思ったが、事情を話したらあっさりOKしてくれたので助かった。休みに入ったので旅行やスキーに行っている可能性も十分あったが予定を組んでいなかったのは不幸中の幸いであった。「小林君。相当ヤバイ状況だよ。」という内容の友達からの電話にも軽い衝撃を受けた。まあ、というわけで、4日も研究室に篭って作業に当たっているわけである。ところで、昨日はJ道部の追い出しコンパがあった。通称「追いコン」である。飲み会の様子次第では「追い込みコンパ」や「追い込むコンパ」などのなにやら物騒な名前に変わっていることもある。卒論再提出で切羽詰っているとは言え、追いコンをキャンセルするわけにはいかなかった。日程にしてもずい分前から決めていたことだし、ましてや、僕のために開いてくれる会だからである。夕方6時に部室に行った。柔道部に顔を出すのは、久しぶりのことであった。卒論に追われて碌に練習も出ていなかったためである。再提出に追われているとはいえ、追いコンではそのことは忘れて楽しめた。乾杯をし、みなでチゲ鍋を突ついた。酔いも回り、宴もたけなわになった頃プレゼント交換をした。後輩からのプレゼントを貰った。中身のわからないプレゼントを貰うなんて、小学生の誕生会以来ではないかと思われた。「きっと、小林さん、喜んでくれますよ。」と言われてあったので、期待も大きい。もしかして、外に彼女が用意してあって、「私、あけみっていいま~す。プレゼントはこの私で~す。」なんて状況になりはしないかと、不安と期待が入り混じる。J道部ではあながちにありえないことでもないからだ。箱を渡された。箱の開けると中から出てきたものは‥。日焼けサロン器である。紫外線が出て、早く、肌を焼けるらしい。。。後輩曰く、「小林さんは黒くなってもっと男を磨いて下さい。」う~~~ん。こいつら絶対オレのことを誤解している。と思いつつ、ありがたく頂いた。プレゼントはもう一つ用意してあった。「さすが後輩想いのオレ。プレゼント二つも貰えるなんて後輩からの信頼度が例年とは一味違う証拠だ。」なとど思いつつ、袋を開ける。中から真っ赤なタキシード??上が赤で、下が白。縦に4つほど金色のボタンがついていて、そのボタンにこれまた金色のチェーンを掛けて上着の前を閉じる。水商売で使いそうな服の上下。軍のパレードでイギリス兵が着ていそうな服でもある。…いったいどこに売ってるのだか…(汗)よく見つけてくるな、と感心した。意外にも服の素材はしっかりしていて、安物には見えなかった。早速、着てみんなに披露した。寸法もピッタリだった。みんなから散々、「似合ってる」やら「カッコいいっすね」やら言われて、いい気分を味わさせて貰った。例年の追いコンのプレゼントは衝撃的なものが多く、あまりの品のなさのため当ホームページでは具体的に言うことはできません。それに較べて、僕が貰ったプレゼントはセンスに溢れ、喜べるものでよかったと思っている。きっと、僕のためにいろいろと考えて選んでくれたのであろう。みなさん、ありがとう。そのときの写真があるので、いつか披露したいと思う。本当に笑っちゃいますよwww僕のほうからお返しプレゼントとしてテレビと洗濯機をあげた。部で使う洗濯機は以前から壊れていたので、我ながらタイムリーなプレゼントであったと思う。その日の飲みでもいつもながらひどいものであった。またこれらを克明に記していくのは、上品なサイトである当ホームページには相応しくないので申し上げることはできないことが多い。一例としては、去年の新入生歓迎コンパで、〇〇部に勧誘されたという現J道部一年は、「J道部に入る予定です」と言ったら、〇〇部からこう言われたらしい。。。「J道部?止めておいたほうがいい。この前、全裸で走ってたよ。」これは〇〇部によるJ道部に対する嫌がらせなのか。裸で走り回るなど、J道部では取り立てて珍しいことではないし、何人も容疑者がいるため、目撃されたのが誰なのかも特定は難しい。昨日も…。うん…。。。。あっ いや。おしっ 。。。。いや。とにかく、ひどい飲みであった。例えば、喧嘩になっても、煽る者こそおれど止めに入る者は一人もいない。十数人そこに部員がいても一人も止めようとするものがいないのはJ道部ならではの「面白ければオッケー!!」という伝統によるものなのだろうか。 変態の吹き溜まりのような部だが、自分もその内部にいると色に染まっていくからまた不思議だ。朱に交われば赤くなる。部に交われば…なんとやら。。。。そろそろ僕も襟を正さなければ。
2004年03月06日
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今日の朝9時50分に教習の予約を取っていた。起きたのは9時05分。教習所まで普通にいくと40分かかる。教習所についたら配車手続きというのを行わなくてはならない。配車手続きは教習の10分前までである。したがって、9時40分までにいかなくてはならないのだ。僕が起きたのは9時05分。教習所まで40分‥‥‥。。。。ママー。なんで起こしてくれなかったんだよぉ~~~。というわけにもいかない。僕も今年24歳なんでねえ。そもそも、僕が教習所に通っていること自体、家族に知らせてない‥アハハハハ(汗)。僕は昨日の晩、2つの目覚まし時計を用意し、7時30分にセットしておいた。定時に起きればゆとりを持って出かけることができるはずだった。しかし、起きたら二つとも止められていた。ママ~~~~~(怒怒怒)。‥‥ちょっと待てよ‥‥。自分で目覚まし時計を止めたのを夢の中での出来事のようにうっすらと覚えている。とにかく、焦った。飯も食べず、身だしなみもそこそこに原付をぶっ飛ばし、教習所へ急ぐ。信号も踏み切りもギリギリ渡る。走りながら思った。これは「走れメロス」だ。何度も諦めかけた。教習所の予約を当日キャンセルすると2100円支払わなくてはならない。僕の耳元で悪魔と天使が囁く。「こんなところでつまらない事故を起こしたり、スピード違反で捕まったら2100円では済まされない。諦めろよ。」「でも、2100円払いたくないし、間に合ったらラッキーじゃん♪」二つの相反する事象が僕の頭の中を交錯する。そして一つの結論に落ち着く。「ベストは尽くして天命を待とう。」道路が空いていたのが幸いし、5分前に到着。実技教習の初日。僕の他に2人ほどバイクに初めて乗るという人と一緒だった。一人で受けるよりも気が楽だった。そのうちの一人とは教習中に仲良くなった。小林トヨフミさん(29)と言う人だ。僕と苗字が同じなのは単なる偶然である。『小林』なんてありがちな苗字なんでね。彼はなぜ29になってバイクに乗りたくなったのか疑問に思ったので聞いてみた。「今まではバイクに興味がなかった」と言う。さて、バイクの教習である。バイクを目の前にして一番初めに思った感想は、『バイクはデカかった。』ということだ。人類が初めて大気圏を脱出し、宇宙から地球を眺めた人のような気持ちだった。「バイクはデカかった。そして、重かった。」今日はバイクの基本的な扱い方、発進、加速を習った。扱い方の一つで「倒れたバイクを起こす」というのがある。まずバイクをゆっくり倒し、そして起こす。しかし、バイクは予想以上に重く、バイクを倒していくうちに、ゆっくりが維持できなくなりそうになった。バイクを起こす作業も、実際にやってみるとそれほど楽ではなく、その重さにビックリだった。ちょ~重い!!次に発進である。このときほど自動車免許をマニュアルで取ってよかったと思ったことはない。なぜなら、クラッチの使い方がわかるからである。ニュートラル、ロー、セコ。クラッチをつなぐ。半クラッチなどの操作は自動車とほどんど同じであった。僕は教習中にバイクを倒したり、エンストこいたり、と細かなミスは多々あった。しかし、滞りなく2時間乗ることができた。教習中、僕を指導をするため指導教官と二人乗りするがあった。教官が前に乗り、僕が後ろである。教官は明るくて感じのよい女性。後部座席で僕は困ったので聞いた。「えっ!?どこ持てばいいんですか?」後部座席に掴まる手摺のようなものなどなかった。教官の腰に手を回すのも‥。なんですよね。「肩を持つように」といわれ、そのようにした。自分で運転しているときよりも、後部座席に座っているほうがよほど怖かった。ギアチェンジで多少、苦戦したが、まあ一応滞りもなく教習を終える。教習のあと、一緒に教習を受けたトヨフミさんと話をした。彼が「いや~。バイクすげ~乗りて~。」と言っていた。その気持ちはよくわかった。帰り道、僕は自分の原付に乗った際に思った。「う~ん。原付とバイクとでは重量感が全然違う。。。」「う~ん。原付はショボイなあ。」「う~ん。原付とバイクは別の乗り物だなあ。」「う~ん。バイク欲しいなあ。欲しいなあ。欲しいなあ。」バイクってのは、その重量感と操作の複雑さからいって、『小型自動車』と言っていいんじゃないか、とも思った。トヨフミさんは社会人なので、週に一回しか教習所に通えない。僕が学生であり、毎日通えることをうらやましがっていた。今日は遅刻しそうになったが、ギリギリセーフ。僕にとってはバイクのクラッチのつなぎ方よりも、睡眠から教習所までのクラッチのスムーズなつなぐほうが遥かに難しいわけである。明日は8時50分からだ。寝坊しないようにしなければ。。。今日は時間がなかったので外の気候のことも考えずに服を適当に選んだ。その結果、薄着すぎのため寒さで教習中ずっとブルブル震えることになった。最後に教訓としてガガーリンはこう言った。『地球は寒かった』
2004年03月02日
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父の言動は唖然とさせられることが多く、同居しているものにとっては耐え難い。しかし、考えようによってはネタの宝庫でもある。僕の母は文才があるので、僕は「父をネタにした本を出せば売れるから書きなよ」と薦めている。向田邦子の「父の詫び状」のような作品が容易に出来上がることが予想される。父親(義彦)の歪んだ性格を育んだ彼の複雑な生い立ちについて触れよう。まあ、こんな小さなホームページで彼のプライバシーを多少侵害したところで大したことにはならないと思われるからだ。義彦の母(僕の父方のおばあちゃん<明子>)の身勝手な振る舞いから話は始まる。明子の初婚の相手は官庁に勤務する人であり、人格的にもすばらしい人だった。しかし、結婚後、夫は結核を患い他界した。彼との間に子供はいなかった。明子は再婚した。相手は満州に住む日本人だった。明子は満州での生活がいやになり、3ヶ月目にして日本に帰ってきてしまった。夫にすら何も告げずに‥である。事実上離婚である。ところで、明子は結婚しても籍は入れていなかった。当時、結婚しても籍を入れないことは決して稀なことではなく、明子の場合も「結婚してから数ヶ月以内に入れればいい」くらいに考えていたと思われる。しかし、籍を入れる前に明子は満州から早々に引き上げてしまった。だから、実家に帰っても法律上は離婚にはならない。本土に帰って来たのちに明子の腹の中に子供がいることがわかった。明子はその子供を産んだ。生まれてきた子供が僕の父親(義彦)である。こういう理由のため、義彦には生まれてきたときから父親というものがいなかった。母(明子)に聞いたことはない。父親の話をしにくい雰囲気を見せていたのだろう。そのうち、父親のことを聞くのはタブーとなり、義彦は心の奥底にしまった。大人になるまで義彦は自分の出生の成り行きを母から秘密にされていた。子供時代、義彦は"自分に父親がいない"ということに非常にコンプレックスを持っていた。「離婚」や「病死、戦死」という列記とした理由があればよいが、そのいずれでもない。母親が若い頃、遊女として見知らぬ男性と作った子供ではないかとも考えられる。自分がどこぞの馬の骨の子供かわからないという不安は当事者にしかわからないだろう。義彦は学校で「お父さん」に触れられることを恐れ、心に硬い壁を作っていった。クラスの誰にでもいるのに自分だけはいない。でも、いない履修もわからない。明子の父は県で屈指の有能弁護士であった。だから義彦の家は裕福だった。自宅が600坪あったというだけでどれほど恵まれていたかがわかる。また、義彦は母と叔母と従妹という女性の園の中で極度に可愛がられて育った。複雑な家庭環境と甘やかされた教育のため、義彦は小中学校でいじめられた。友達は猫だけだったらしい。田舎のガキ大将が、上流階級を気取った義彦に異質なものを感じ、仲間はずれにしたのは当然のことのように思う。また、なまじ頭がよかったのも目を付けられる原因だったのだろう。義彦には勉学の才能あった。鬱屈としたエネルギーを勉学に向け、のちに東大に入学することになる。東大に入ったから人生安泰というわけでもない。義彦の歪んだ性格は、社会人になってからもなんども障害になる。まあ、かく言う理由のために、僕の父は「自分は金持ち」「自分は東大卒」という殻に身を包んで、自分を危害を加えたりはしないかビクビクしながら生きてきたわけです。はい↓。僕の母(裕子)は、結婚当初、義彦のあまりに強い自己防衛にビックリしたらしい。また、義彦との生活は裕子にとって信じられないことに連続だった。その都度、義彦と議論をすることになるわけだが、その努力は並大抵のものではない。30代後半は、毎夜のごとく喧嘩をしていた。普通の妻ならとっくに離婚だろう。裕子の根気の強い話し合いの甲斐もあり、義彦は次第に心の壁を低くしていった。義彦は45歳のとき病気を患った。入院中、突然「父親を探したい」と訴えた。いても立ってもいられなくなる。義彦と裕子は親戚のつてを使い、探し回った。この探すのも簡単ではない。なにせ40年以上も昔のことだからだ。まあ、結果的にいえば義彦の父方の親族が一人見つかった。義彦の叔母にあたる人だ。義彦の父は少し前に他界していた。その叔母は、明子の結婚式に参加していた。彼女が証言してくれることによって、結婚の事実が認められたことになる。こういうわけで、義彦は自分の出生の秘密、親族の血縁までが明らかにされて、45歳にして初めて自己を確認することができたのである。それ以来、義彦の気持ちは落ち着いたのか、「父親」のことで騒ぐことはなくなった。今までにない無防備な笑顔も見せるようにもなった。幼稚園児のときに心の中に築いた硬い殻が割れ、中から見も心も解放された義彦が出てきたのであろう。母(裕子)はそのときのことを指して言う。「硬い閉ざされた殻の中に、どれほどの守るべきものが入っているのかと思ったら、中から貧弱な裸の小男が一人出てきた(笑)」父(義彦)は心の成長を幼稚園児で止めていたのだと思う。殻から出てきた父はやることなすことが幼稚園児並だ。そのくせ地位だけ一家の大黒柱に位置するので他の家族は彼に手を焼いている。金は自分勝手に使う。話し合いは出来ない。威張りたい。わがままを聞いてもらい。遊ぶのが好き。変人まではいかないけど、変人に近い。"変人め"くらいのさじ加減が丁度よろしい。言葉のニュアンスというものが全く通じない。相手の気持ちを読むことができないという点で僕の母は「外国人と結婚したようなもの」とよく言っている。僕は母にこんな冗談を言ったりする。「45歳で幼稚園児だから、そろそろ中学生になった頃だね。これから第二次反抗期が来たらどうする?」母「また子育てをするのはもう御免よ。」わがままいっぱいの父親だが、10年前よりははるかに幸せそうである。幸せなのは喜ぶべきことだけど、回りに迷惑をかけてはダメだぜ。お父さん。父親を囲む家族はこの問題児(アダルトチルドレン)に対抗すべく結束し、厳し包囲網を敷き、日々、父の更生(心のリハビリテーション)に努めている。
2004年03月01日
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