藍円寺微意の世界
2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
2005
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
全1件 (1件中 1-1件目)
1
選挙「戦」というけれど、選挙とは手を挙げた候補を民が平和的に、実に平和的にルールにのっとって投票によって選ぶのでありまして、手を挙げたのは、別の候補や政党を、その挙げた手で殴ろうというわけではないのであります。民主主義の中で平和な選挙ができることは、戦時中ではまったくないのであります。これは国民にとって戦ではなく「勝ち負けのない平和な選択」なのであります。私はここんところをしっかりと頭に胸に、どこにでも刻んでもらいたいわけであります。選挙にあえて戦という文字をつけるのは、候補者も有権者もマスコミも、もう既に「政治は民の為にある」という意識が欠如し、尚且つ我々には関係の無い政治や選挙などというものは当事者(政党及び候補者)同士の戦いだなどという、冷めた国民感覚が見え隠れするのであります。今の候補者には「自分の残りの人生をかけて国民の為に働くのだから、なんで俺が頭を下げなければならないんだ」というような熱血漢はいないのでしょうかねぇ。表に出さないように一生懸命に努力されておりますが、自身の名誉欲、立身出世欲が頭の中の大部分を占めているのではないでしょうか。「実力も実行力もあるこの俺を、滅私奉公しているこの俺を、今ここで選ばなければ国民皆が損をするんだ」というくらいの自負心が候補者には欲しいのであります。「皆様のお力で私を国政の場に送ってください」ってそれ、どこかの会社の就職試験か何かと勘違いしてるんじゃありません?頼まれたから投票するという感覚は今の日本国民にはもうないと思いますね。大した仕事もせず、普段は頭を下げるのも嫌だから、選挙に金が掛かるのであります。国民の為にろくに働いた実績がないのに選挙民に対して普段威張っている分、選挙になると平身低頭しないといけないわけであります。マネキンにも頭を下げ、案山子にまで手を振っているわけであります。不恰好なほど大きな名前看板をつけた車で、無意味に大きな声で名前を連呼しないといけないわけであります。少なくともこれらの行為自体は何も国民のためになってはいないでしょう。悪循環なんでありますよ。選挙という言葉の後に戦という文字をつけたとき、敵が誰なのか分からなくなるのであります。その時点で既に国民不在な訳であります。戦う相手は私利私欲という欲望でがんじがらめになっているむしろ自分自身、政党自身なのではないでしょうか。党利党略も「国民不在の戦術」であります。今も選挙カーが我が家の前を通り抜けて行きます。「最後のお願いに参りました~」って、だから~…… 一生懸命戦っておられるようでありますが、はたして何と戦っておられるのでありましょうか。
2009.08.29
コメント(1)