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大勢の人が、「マナーでしょ」という風に、表立って発言するようにならないかな・・と思っていることがあります。「飛行機の着陸間際に、トイレを長々占領するな」ってこと。十数時間のフライトを終え、もうすぐ目的地に着く・・。眠れない夜を過ごし、朝食を終え、さあて、これから仕事だ観光だ・・で、トイレで歯を磨き、顔を洗い、化粧を整える。その気持ちは分かるのだけれど、これ、止めてくれませんかねぇ。エコノミークラスのトイレなんて、ただでさえ、いつも「使用中」状態なのに、着陸前、みんなが「トイレ行っておこう」と思う時間帯に、洗顔や歯磨きや、ましてや化粧で、長々占領しないで欲しいですよ。特に、若い女いや、旅の途中で、寝る前に歯を磨く・・なら分かります。そこまで、「止めろ」とは言いません。大の方の用をたす・・それも文句は言いません。しかたのないことですもん。でも、もうすぐ着陸するのだから、洗顔や歯磨きや化粧は、空港に到着して後、空港の広いトイレで、やればいいでしょ。スーツケース出てくるまで、どうせ待つのだし。あの狭い、数少ない機内トイレを占領して、狭い洗面台の周囲を水浸しにし、ドアの前に、何人もの人を待たせて、やることではない。私はだから、用たしだけにして、その他のもろもろは、空港トイレでやることにしています。ただ、そんなオバサンの気配りなんか、誰も気づかないようで、誰からも感謝されず、誰への影響も与えず、結局いつも、長々占領するその他の乗客に、イライラさせられるハメになっている。不公平でしょ・・と思うので、声を出して訴えて行きたいところなんですよ。まあ、私辺りが声上げたところで、聞く人なし・・なんでしょうが。「化粧直しは、着陸してから」なあんてこと、どこかの有名人が言い出して、みんなが「そういえばそうだ」と思い、到着前の機内トイレが、もう少し、使いやすくならないものか。いつも、思っているのですがね・・。
2013.06.10
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9月場所の大相撲で、日馬富士が全勝優勝をして、その授賞式で、野田総理が「鳥肌が立つほど感動した」と言っていらしたのです。私は、「ナヌ 鳥肌が立つぅ」と思いまして。以前、雑誌「クロワッサン」でエッセイを連載していた時、年配の担当編集者から、叱られたことがあったのですね。鳥肌が立つ、というのは、嫌な気分の時に使う表現で、「感動」した時に使うのは間違っています・・と。以来、いろいろな人が使う度、「あれ」と引っかかってしまいます。今回も、「若手芸能人ならともかく、総理大臣までが、間違った表現しちゃあ、いかんだろ」と気になったもので、念のため、と調べてみました。2011年に「鳥肌」を扱った読売新聞の記事があり、それによると、50年以上前に書かれた文学作品に登場する「鳥肌」は、例えば太宰治「ヴィヨンの妻」には「その言葉の響きには、私の全身鳥肌立ったほどの凄い憎悪がこもっていました」という一節があり、横光利一、織田作之助らの小説でも「鳥肌が立つ」は、もっぱら寒さ(冷たさ)や恐怖・嫌悪を表していて、感動の表現として用いられた例はないのだそうです。でも、今は「鳥肌が立つ」は、寒い時や怖い時よりも感動した時に使われる場合が圧倒的に多く、ま、時代と共に、言葉の使われ方は変わっていくのかもしれない・・と、よくある結論にまとめてます。ある説では『「鳥肌が立つ」は立毛筋が収縮して体毛が立つ現象なわけで、何に対してであれ、例えば「この料理はおいしすぎて鳥肌が立ちました」も、本当に立毛筋が収縮したのなら正しい使い方である。』とありました。なるほど。で、広辞苑ですが、1998年発行の第5版では、「寒さや恐怖などによって立毛筋が反射的に収縮することによる。」とだけあったようなのですが、2009年発行の第6版では、「近年、感動した場合にも用いる。『名演奏に鳥肌が立った』」といつの間にか、容認派に転じているのだそうですよ。要するに、「感動して実際に鳥肌が立つのだから、使ってはいけない道理はない」・・「もう、時代はそうなってしまったのだよ」ということらしいんですねぇ。ふむ。まあでも、旧世代組の意地として、私ゃ、それでも、使うもんか と思いましたけど・・。
2012.09.29
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イラっとくる言葉・・って山ほどあるような気がしますが・・、以下は、20代男女に聞いた「イラッとする日本語」だそうです。男性は1位:「~ですぅ」 2位:「っていうか」 3位:「~みたいな」女性も1位:「~ですぅ」 2位:「なるほどですね」3位:「じゃないですか」 4位:「~的な」・・自分達が作り出した言葉に、若者はイラッと来ているんですね。もう少し年代が上になると、「で?」「は?」「だーかーらー」というのが、上位に来るようで、意外と「女子会」「女子力」も、イラっとさせているみたいです。「女子会」とか言っても、分からないオジサン多いのかも・・ですが。少し前の調査ですけど、妻が夫に最もイラッとくるのは、1位「俺は働いている」 2位「言ってくれればやるのに」3位「何、怒ってるの?」・・でありました。で、恋愛中の男が、イラッとくるのが、「私のどこが好き」だそうでして・・なるほど、だろうねぇ・・という印象。私が最近「イラッ」とするのは、「そんなことも知らないの」(自分は使うけど・・)「オバサンの意見なんか聞いてないから」「勇気を与えたい」「改革」「適材適所」「~なう」そうそう、先日「女遊び」とうっかり口にした(正しくはメールに書いた)若手男性を、ガンガン、叱ってしましましたよ。(ゴメン)「似合いもしない言葉、使うな」って。なんというか、フェミニズムの見地から、というのでなく、田中角栄みないなオッサンが、口にするなら、しゃあないな、と譲ってもいいけれど、若い、フンワリした男の子が口にしたりすると、100年早いわい、身の丈わきまえな・・なんて気持ちがムクムクわいてしまって。イラッとさせる言葉って、あれですね、誰がどう口にするか、というのも、大きいのでありましょうね。
2012.04.25
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昔の話ですが、妻子ある同じ会社の男と10数年も付き合っている女友達がいたんです。でも彼女に、新たな恋が始まりだしもし、未来のないこの関係に終止符を打とうと、考えたんですね。で、どうしたか、というと、地方に転勤していた彼の所まで出かけ、別れ話をしてきた・・というのですわ。私は不思議に感じて、つい「そういう会話の時って、その男女のナニってあるわけ?ないわけ?」と聞いたのです。そうしたら「当然する、と。はるばる会いに行くのだから、当然そういうことはある、そういうことをしつつ、別れを決めてきた・・」と。結婚という、法的手続きを経た男女なら、別れるにあたって、いろいろ、話し合うことも必要だろうとは思うけれど、そうでなければ、単に「会う機会をもたない」ことで、別れは成立するのじゃないか・・と私なんかは思うのだけれど、世の中には、様々な別れ方があるらしい・・。男女の出会いは、どれも似たようなもので、罪はないけれど、別れ方って、さまざまで、結構その人その人の、品性も、人格も、本音もすべてが出るものではないか。そんなことを考えたものです。と、その時、しみじみ感じ入ったものでありましたっけ。実は今回、またまたアルジェに戻ってきたんですが、長旅の途中に読んでいた田辺聖子さんのエッセイに、男女の恋の終わらせ方が出ていたんです。曰く、男にとって「もう飽きた」という一言が、最も正直で的確な表現なのだろうけれど、それをいっちゃあ、いかにもまずい。そういう時、「また、電話するわ」と言って、会わなくなるというのは、なかなか、いいかもしれない。でも、最高の一言は「ほな」じゃないか・・と聖子女史は言うのですね。さよなら、という意味と、相手への温かい思いやりと、いままで、ありがとう・・の意味など全て煮詰めた深く粋な一言が、この「ほな」ではないか・・。なるほど、さすが、聖子さん、と思いますね。男と女の別れ方なんて、幾万通りもあるけれど、確かに「ほな」といって別れられれば、恨みも、怒りも、涙もなしの、そうとう粋な範疇に入るでありましょう。ただ、これで別れられるのは、男も女も、それなりに成熟し、言葉の襞を、察知できる大人でなくては難しい。「ほな」が別れの合図だと、感知できるだけの感性がないとねぇ。その辺を考えると、やや情緒には欠けるけれど、「次回は、私から連絡するから」ぐらいがいいかも・・ですよね。なあんて、正月早々、退屈な飛行機の中にて、つまらんことで思いあぐんだりしたんですけど。で、彼女いわく、人生を終える時も「ほな」がよろしかろうと。うーん、そう逝ければいいですが。
2011.01.14
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「趣味を養うには、たった一つの手段しかない。即ち、どんな粗雑なものであろうと、自分の趣味に勇敢に従うこと。そして自ら感じることを正確に自己に告白すること。あらゆる教養はだから虚栄心と対立するはずだ。」これは、アランの「スタンダール論」の一節です。もっとも、アランのスタンダール論を読んだわけではなく、それを紹介した、中野孝次氏の文章を、読んだだけなんですがね。中野孝次氏は、天丼なら天丼、うな丼ならうな丼を、徹底的に食べ歩いて、世間の評価と実際の味は、大きな差があることを学んだのだそうです。よって「自分の感覚しか信じない」。話が大分、俗っぽいものになってしまってますが。出所はともかく。なるほど・・と思います。いいものが分からないわたし・・というのは、誰でも避けたいところであるわけです。よって、知ったかぶりをしたりする。マスコミなどの評価をうのみにして、分かったふりをする、いっぱしの評論を述べたりする。でも、底の浅い知ったかぶり、分かったふりは、ひたすらこっけいなだけで。かつ、最近は、政治的商業的に曲げられた評価が大手を振って出回っていて、信用ならないことこの上ない。恥をかかない最大の防御は、結局基礎に戻って、『自分の趣味に勇敢に従うこと。』なんですよね。きっと。私も、年齢と経験を積んで、なかなかに賢くなりました。若い頃よりも、知ったかぶりをしなくなった。(まだ、たまにはします)見る目+舌+感性が鍛えられてきた、ということもあるし、自信がついてきた、ということもあるんですけれど、コツを心得てきた・・と言う方が、正しいかもしれない。まず、自分の感性を信用する。長いこと経験をしてきたのだから、そう、感性に間違いはないはず。で、分からない時は、分からないと正直にいう。さっさとギブアップした方が、結局は得です。感想を言う時には、「世間の評価は知らないけれど、私には面白いと思えない」「世間の評価は高いのかもしれないけれど、私は好きではない」というんですね。ほら、人の好き嫌いは、なんども反論しようがないわけで。これで、なんとか、見る目のないヤツ、分かっていないヤツと思われずに、やっていけるかも・・と思うわけですが、はて、どうでしょ、ね。
2010.02.04
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アルジェで見られる唯一の日本語放送JSTVで、NHKの「あの人にあいたい」をやっています。すでに亡くなられた著名人の、生前残された味わいある言葉を、編集して放送しする・・という番組なんですが・・。これがとてもいい。もっとも、その道を極めた日本の国宝みたいな方々の言葉ですから、しみじみと重いのは、当然なんでありましょう。先日は白洲正子さんでした。あの白洲次郎氏の奥さまですね。正子さんは、小林秀雄や青山二郎などと交流があり、彼らから、骨董の見方、文章の書き方など、多くを吸収したそうです。で、正子女史86歳の時の言葉。「本当に言いたいことは文にしてはいけないんです、書かないことで伝わるようでなくちゃいけない。そういうことを、彼らから学びましたねぇ」と。「だから、私は“あとは勝手に解釈してよ”、という文章を書くようにしています」とも。なるほど、そうだろうなぁ・・と思いました。色紙に「真実」とか「愛」なんて書きこむ政治家の胡散臭さ。すぐに「愛している」なんて言葉が出るドラマの安っぽさ。そういうことを私たちは知っているのに、ついつい自分が書く立場になると、安易な言葉を書き込んでしまいがち。気をつけようとかみしめましたっけ。同時に「最近はむしろ、自分が何を言いたいのかすら、分かっていない文章が多いかもしれないけれど」とも思いましたけどね。あ、自分のことは、すっかり棚に上げて・・です。
2009.09.30
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50代のここ数ヶ月、職探し中、という男性。昔は、大手銀行に勤めていたのだそうです。ものを書くことが好きで、書いたエッセイで権威ある賞まで取った。それで、物書きとして独立しようとしたのだそうです。仕事を辞め、アルバイトしながら書き続けていたけれど、結局、芽は出ぬまま。いつの間にか、中高年といわれるようになって、気が付くと、不況の中、仕事もなかなか、得られなくなっていたのだそうです。年老いた母親を安心させるためにも、一日も早く、定職に就きたい・・と。その彼の一言。「大切なのは、自分が思っているほど、社会は自分を評価しちゃあくれない、ということを、覚ることです」と。うーむ、深い。そうなんですよね、分かっているようで、実は分かっていない。かつ、それを恨むのではいけない。淡々、粛々と受け止めなくちゃいけない。多分。なかなか、その境地にはいけません。
2009.04.25
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久し振り、田辺聖子さんの小説を2冊、続けて読みました。やっぱり、うまいねぇ、聖子さんは。自分も日頃感じているのだけれど、どうにも、うまく表現できない、ほんの些細なところから見える、男と女の本性・・というあたり。「時々男がいるというのはいいけど、ズーといるとなると、男と居る楽しみはずり落ちて、あとに生活だけが残る」 ~『夢のように日は過ぎて』からなんてのも、そうそうと思ってしまう。そうなんですよね、後に残った生活だけの居心地良さ、というのは確かにあるのだけれど、なんとも、貴重なものを失ってきた・・そういう悔いは、常に底にありますもんね。50過ぎた女が若い男とデートしているシーンで。さ、これからどうしようか、というところで、男の方がすかさず、「ほんなら「マヨネーズ」のパエリャやな」ときっぱり言うわけです。「マヨネーズ」というのは、レストランの名前なんですけど。「ずっと何十年、独り立ちし、独り住みして、自分で自分を支えてきた女には、きっぱり男に決められ、方向を指示されると、目がくらみそうな陶酔感がある」 ~『薔薇の雨』から私は、ずっと妻とか母とか主婦をやってきた女でありますが、これ、わかりますよねぇ。痛感ですよね。むしろ、独り暮らしの女の方が、男に甘えられる機会は多くって、これ、主婦として、家庭のこと全部、担わされてきた女の方が、しみじみ実感なんじゃあないですかねぇ。周囲を見回しても、ほとんど仕切るのは女ですもんね。でも、女は、そういう陶酔感・・常に期待しているんですよねぇ。その50を過ぎた彼女は、自分の年齢を思い、若い彼と、そろそろ別れなくちゃ・・と思っているわけなんです。「まだ、老人斑も皺も出ていないと思う顔や手であるが、それでもどこが、ということなく「老いのベール」を静かにかぶったような雰囲気が、ただよい始めたのを知っている。それは、分別臭さ、というものである。」参ったなぁ・・でありますよね。こんな文章は、なかなか書けない。あの花柄の品々に囲まれて、おっとり少女のように、暮してらっしゃる田辺聖子さんのどこに、こういう鋭い観察眼、というのが、うごめいているのでありましょう。ということで、小説を書く凄さを、改めて思い知ったのでありました。
2009.01.06
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小泉・元総理が、引退表明をされたようですね。マスコミは朝から、「新党立ち上げか?」「このタイミングの引退は、何を意味するのか?」とかまびすしい。そんな深い意味なんか、無いと思いますけれどね。そろそろ、総選挙だろうから、今のうちに引退を表明して、息子に選挙地盤をきっちり譲ろう・・と、そんなところじゃないですかね。小泉さん引退について、いろいろな方がコメントを述べています。その中で、「オオッ! お見事」と思ったのが、野田聖子さんのコメント。「自民党の国会議員の中で私が一番しごいてもらった、という思い出があります」と言って、「でも、そのおかげけで今の私がいるので、感謝しています」と付け加えたんですね。皮肉っぽくもなく、ただひたすら淡々と。なるほど。さすがでありますなぁ。大臣になるだけの、器です。郵政民営化反対・・というひとつの意見の相違があっただけで、まるで、国賊のように、一生懸命貢献してきた自民党から追い出されたんですものね。 どんなに恨みつらみを引きずっているか・・と思いますけれど、でも、それをかけらも見せず、でも、忘れてはいないという意思をこめて「しごいてもらった」と表現した。お見事でありましょう。しごいてもらいました・・というの、これ、使えそうですよね。「勉強させていただきました」よりも、インパクトありそうですし。忘れずに書いておいて、いつか使おう・・と思ったのでありました。
2008.09.26
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劇作家・井上ひさし氏の言葉から。「私たちは憲法を誤読している。言論や表現の自由は権力に対して、政府に対して、力のあるものに対して、言論は一切自由であるということで、弱者に対して言論の自由だなどと決めているわけではない」ネット社会が広がって、人は、自由に発言できるようになりました。しかも、実に簡単に、いながらにして、匿名で。かつ、その発言は、ときに、大きな影響すらもたらされる。これは、市井の庶民にとっては、実に愉快なことだったりするわけです。日頃の不満・鬱憤のはけ口にもなりうるし。他愛ないはけ口でいるなら、いいわけですが、心無い、どす黒い発言も飛び交うわけです。言う方からすれば、「言論の自由」ということなのでありましょうが、「言論の自由」のとり違えであったりもする。ひどいコメントありますものね。どうして、こういうことが言えるのか・・ということすらある。許していけない、差別も名誉毀損もある。書籍やチラシや、公共の場の発言であれば、規制も出来ましょうが、本当に、これからどうしたものなんでしょう。他方で、広告収入を稼ぐだけが目的の、迷惑ブログが、全体の12%にも、なっているそうです。ほんと、よくありますものね。どうして、アクセスが多いのか、分からないけれど・・。12%より、もっと多いような気もしますけどね。でも、これも「対策が必要」というだけの、その段階なんですね。じゃあ、どうすれば・・という方策が無い。ネットSOSを作るとか、かなり深刻に考えないといけないところにきているはずなんですが・・
2008.07.22
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宗教評論家のひろさちや氏が、28日の日経夕刊で語っていました。曰く:現代の日本では、お金のために働くのが仕事だと、みな思い込んでいる。しかし、人間にとって大事なのは、老いる仕事、病気になる仕事、死ぬ仕事だ。金儲けが仕事だと信じているから、老いの美しさ、良さが見えてこないんです。若さは未熟、粗雑、未完成な状態で、それを過ごして熟していくことに価値がある・・。老いる過程を楽しめば別の世界が広がるのではないか。・・・と。さすが、でありますね。もちろん、元気にはつらつと日々を過ごせるに越したことはありませんが、今のあまりにもの、「若さに絶対的価値を置く」風潮の、ゆがみに私たちは、気づくべきなんです。大事なものをどんどん、失いつつあるように、思いますもんね。これこそ、メディアの大罪だと、私は自信を持って思うわけですが。といいながら、ついつい、サプリを飲み、シワ予防クリームを塗り、「いつまでも若いね」といわれると喜んじゃう私・・。これを、煩悩というのでしょうか。人間って、ホント、矛盾したイキモノでありますよ、ネ。
2008.05.29
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少し前の文芸春秋3月号に、作家の小川洋子さんが、語っていました。「原稿用紙5枚が1日の目標です」って。そうだろうなぁ・・と思いましたね。言葉を練って練って書けば、どんなに頑張っても、それくらいが限度のはず。流行作家で、毎日、数種類の原稿を、何百枚も書く・・と語ってらっしゃる方もいますが、「そんなんで、まともな文章が書けるのだろうか?それだけ、才能が秀でいるのだろうか・・」と不思議でした。まあ、5枚と聞いても、人によりその内容は天地の差ほどあるわけですが、あの小川洋子さんが、そういう風に書いている・・と聞くと、少しほっとしますよね。同じページで、こんなことも語っています。「(執筆中の小説は)なかなか、思うようには進みませんが、小説は自分の力以外の『何か』が働かないと、完成しないような気がします」って。さすが、含みがあるセリフですねぇ。同じようなセリフを私はよそで、聞いています。私のいとこなんですが、浅野均という日本画家がいるんです。大きな賞もいくつも取っていて、バブルのときには、ブイブイ言っていました。彼が言ってましたね。「丹念に丹念に描いていると、ふっと神さんが憑いてくれるんだ。それまで、じっと耐えて描き続ける・・」と。なるほどなぁ・・ですよね。それなりの作品を作り上げている人って、そういう力が働くのかもしれません。だったとしたら・・。私の神様ったら、どこで道草食ってるんでしょ。
2008.04.28
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作家の宮本輝さんが、NHKの番組『知るを楽しむ』で語っていました。世の中には、悪とか、どろどろとした濡れ場とか、そういうものはあって、自分も、書こうと思えばいくらでも書けるつもりだけれど、僕はそういうことを、書かずに小説を書いていきたい・・と。目指すものは「水だと思って飲んだら、血だった・・」というそういう小説なんだそうです。さらさらと何事もないように、いつもの日常のように流れながら、でも、それを飲んでみたら、強烈な人間の生きざまが、そこにあった・・というような。 さすが、作家って、言うことが凄いですね。私は、宮本輝氏の小説、好きなものも、好きじゃないものもあるんですけれど・・。ただ、作家の強烈なエネルギーを見たような気がして、思うこと、ありましたね。自分だったら、なんて言いましょう。「甘いショートケーキだと思って楽しんで食べたら、強烈な毒だった・・」でしょうかね。そんな文章が書けたら理想だと思いますね。もっとも、「私の文章」なんぞと、そもそも言うレベルじゃあ、ないんですが・・。
2008.04.13
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3月4日発売の、日経ビジネス・アソシエ(3月18日号)に、『ビジネス格言集』という付録がついています。最近は、ビジネス誌でも付録がつくんですね。なかなかに、面白いので、ここでちょっと紹介を。『出る杭は打たれる、だけど抜けない』 →うーん、でも、グイと抜かれるかも、とは思います。『”忙しい”は口にするな。面白い仕事が逃げていく』 → 確かに。『多忙な人ほどマメで、仕事の出来る人こそ、義理堅い』 → これは、まさに事実です。 ただ多忙な人って、結構人を選ぶところ、ありますけどね。『失敗したところで止めてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければ、それは成功になる』(松下幸之助) → まさに、でありますが・・。『言葉を聞かずに、意図を聞け』 → そうですよね。人は素直に本音なんか、語りませんから。『障子を開けてみよ、外は広いぞ』(豊田佐吉)『生きていれば春が来る』(資生堂名誉会長・福原義春)そうです、苦しい時もじっと耐えていると、事態はいつか、よくなるものです。日本の春も、もうすぐ。乞う・ご参考。
2008.03.05
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上野千鶴子女史著『おひとりさまの老後』は、女史には珍しく、軽いタッチで女が生きていくノウハウを書かれた本ですが、そこに、こんな件があります。『女を”女役割”に縛り付けているのは、夫や子供ではなく、自分自身だ』即ち、多くの妻がたとえ風邪で熱があっても自分で家事をしてしまうのは、夫に愛情があるからでも、夫に家事能力がないからでもなく、自分のこの罪責感が耐えられないからだ、というんですね。夫にお茶一杯いれてもらうのでも、じっと座って待っているだけで神経が磨り減ってしまって、こんなことなら自分でさっさと立って、お茶をいれたほうがまし・・と思ってしまう女性が多い、と。そうなんですよね。特に、やや上の世代、残念ながら私も入っちゃうのですけれど、そうやって育てられてきて、体の奥まで、染み付いてしまっているんですよね。だから、例えば、夫が定年になって一日家にいるようになっても、家事の分担が出来なくて、ついつい、なんでも自分が動いてしまい、結局、イライラをつのらせてしまう。共稼ぎで、もしかして夫よりずっと大変なのに、ついつい女である自分が料理も洗濯と、家事を全部背負い込んでしまう。そうやって、女性は、くたびれ果ててしまうんですよね。まあ、その割には長生きしちゃっているんですけれど。高校時代。男子生徒のボタンが取れたとかで、「裁縫道具、持ってない?」と聞かれ、そんなもの、持ち合わせていない私は、「ない」としか、言えなかったんですが、他のクラスの女の子が、さっと出して、さっとボタンをつけてあげるのをみて、ああ、負けた! と思いましたっけ。裁縫道具を常備していることが、そんなに素晴らしいことでもないわけですし、ボタンが取れたら自分でつけろ!と思うわけですが、そういう時に、「女役割」みたいなものをアピールすることが、女の勝ち負けを決める・・みたいな思い込み、たしかにあったな、と思いますよね。そう、あの頃から私たちは自分で自分を縛りつけて生きてきた・・。いい加減、意識の改革をしていっていいですよね。女は「女役割」から自分を解放させてあげていい・・。なあんて。それ以上、解放されるなといいたい男性も多いでしょうけれど・・。
2008.01.03
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ネットにあった、『開運!七福神おすすめ家訓占い』というのをやってみました。深呼吸を3回して、七福神さんに、家訓をお願いします!とお願いして、コンと、クリックすると、家訓が出てくる・・というのなんですけど。「才気は顔に出しすぎるな。転ぶもとになるだけ」というのが、私の「家訓」でありました。あはは・・ですかね。才気・・はないんですが、才気ありそうに振舞う傾向あり・・です。反省。以後、気をつけませんと。そうそう、来年に向けて、ご紹介の一言。出展は、定かならず・・です。「笑えば笑うだけ、心も体も、幸せ体質になっていくからね。まずはウソでもいいから、笑っちゃえ」笑う年にしたいですね。笑う年にしたいですね。幸せ体質になりましょうさあて、これから、年越しそばの準備して、ワイン用意して、明日のお雑煮の準備して・・主婦は大変です。ということで、良いお年を。
2007.12.31
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昔から、「あ、いいな」・・と思う言葉があったりすると、メモする習慣があります。ちょっと面白いな・・と思う記事は、切り抜いたりもする。ただ、その後の整理が悪いので、どこに書いたか、しまったか、二度と出てこなかったり、ちょこっと書くだけ書いて、誰の言葉かどこからの引用か、さっぱり分からなくなっているものもあります。今日、たまたまノートをひっくり返していて、いつ書いたのか、どこから取ったのか、分からないけど・・というのを、またまた見つけてしまいました。ちょっといいので、ここに記しておきます。出所は・・分からんのです、すんません。『ガンバレの意味って、いろいろあるけれど、「無理をする」ことじゃあない。「とりあえず、やってみる」ことなんだ』ね、ほろりといい・・と思いません病気の人や、失意の人に、「ガンバレ!」というのはタブーだ、とよく言われますが、こうやって解釈すると、ガンバレも、手軽に出来そうで、なんだか、いい・・・と思いますよね。どうかな?
2007.10.24
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小池百合子さん。防衛相になって以来、わずか4日の国会をサボって訪米し、派手に、アメリカに顔がきくところをアピールしてみせたり、次官人事で、独走したり・・の、「ちょっと、やりすぎじゃない?」的行動が、目に付くようです。大臣は、最高責任者ではあるのでしょうが、つい昨日まで、まったくの部外者だった人間が、いきなりその権限を振りかざすのは・・見ていて、あまり、気分のいいものではないですよね。今月末にでも内閣改造をする・・と言っているのだから、周りの迷惑を考えたら、独断的行動は、ちょっと慎んだ方が、きっと、「世の中のため、日本のため」なんだろうとも思います。小池百合子さんと、大分以前、彼女が参院議員になったばかりの頃、お会いしたことがあります。その頃私は、ローマにいたのですが、新米参院議員先生たちの研修という形で、イタリアにいらして、お食事の席で、ご一緒させていただきました。その時の小池さんは、シャキシャキと歯切れよく、気さくで、とても好印象だったのでありますが、10数年、政界で泳ぎ、のし上がってくると、人間性も、いろいろと変わってきたりするのかもしれません。ここで、今日の一言。同じく、小池でも、テレ朝お抱え・外交問題コメンテイター、小池政行氏の一言。私、この方、はっきり言って嫌いなんですが、今回だけは、実に正しいことを言っています。『外交とか防衛というものは、個人が己の利益のために、利用してはいけないものなのですよ』外交と防衛だけでは、ないのでありましょうが、まさに、ごもっとも、名言でありましょう。小池百合子さんに限らず、政治家は、ぜひとも、この言葉、肝に銘じていただきたい・・と思いますよね。
2007.08.16
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22日の日経新聞に、女優の寺島しのぶさんが語っています。彼女、大学時代に悩んで、「やはり女優になるしかない」と思ったのだそうですね。で、文学座に入り、役に満足できなくても、「私はこんなもんじゃない」と自らに発破をかけ続けたそうです。デビュー当時の寺島さんを覚えています。口のきけない花嫁の役だったと思うのですが、お母さんに(富司純子)似ず、美人ではないし、演技もなんともダサくて、いくら親の七光りとはいえ、これじゃあ・・と思ったものでした。ところが、その後ズンズンと頭角を現して・・。信念を持って努力されたのだと思います。そのしのぶさん、2月にフランス人のバツイチ男性と結婚したのですが、家ではダンナと家事は半分ずつだそうです。今日の一言はそのダンナの台詞。彼は言うのだそうです。「家事が女性の義務だなんて理解できない」と。素晴らしいですね~。彼らは、お互いの収入や支出も知らないし、知りたくもないのだそうです。ああ!私はそういう結婚をしたかったのだ!と、いまさらながらに思います。でもね、かつては女同士の間でも「まあ、ご主人に家事をやらせるなんて、なんてこと!」と言われたりする世の中でしたものね。ましてや男連中の頭の中は!時々、思うんですよね、世界で一番遅れているのは、日本の男たちじゃないか、って。世の中の価値観に抵抗するのに、大分萎えていた私ですが、この一言に少し、前進する気にまた、なったのでありました。
2007.07.23
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文芸春秋8月号に、永六輔氏が論文を寄せています。いわく:『TVが王様・恥ずかしい国・日本』恥じらいなき日本人をつくった元凶は、テレビだ・・という文章です。彼は言うわけです。自分はテレビの草創期に立ち会った一人だけれど、テレビが本当に日本を恥ずかしい国にしてしまったと思っている、と。「たとえば、最近のテレビには、何の芸も無いのにコメンテーターと称して偉そうにしている人間が何人も出ています。それもどの局にでも出ている人が多く、出てさえいればテレビは無名人をいとも簡単に有名人にしてしまうのです。その能力の無い有名人を政党が公認して国会へ。よく出来ています」永さんの論文は8ページにも渡り、それを全部ご紹介することも出来ませんし、「それはちょっと、説教臭くない??」というのも要所にあり、全部が全部「そうそう」というわけではないですが、彼が訴えたいことは、日頃私も痛感していることでとてもよく分かる。テレビの発達で、いつの間にか「テレビに出るのは偉い人」という洗脳作用が、日本人になされてしまった・・。テレビに出ている人は、だから、俺達ゃ、偉いんだ、とばかり、言いたい放題、やりたい放題。さらにエラソーなことを言う。時に暴走もし、ニュースショーが裁判所のようにもなってしまっている。みている庶民は、テレビに出ている人というだけで、その言動をアタマから信じ、サインをせがみ、選挙では投票する。そして、多くの子たちは、将来の夢をただ「有名になりたい」と答えるようになっている・・・。これじゃあ、まずいよ・・と日頃秘かに憂えている「本当の大人たち」というのも、いるのだろう・・と期待するところではありますが。ここで今日の一言:『大体、有名というのは、恥ずかしいことなんです。』永六輔らしい一言・・でありますよね。そういう価値観は、確かに以前はあったけれど、いまや一億総・有名になりたい症候群といった気配です。テレビに出る→有名になる→人気者といわれる→お金持ちになる+チヤホヤされる+好き放題できる・・という図式は、小学生だって、知っていますものね。でも・・これでいいのか。永さんの最後のまとめをここに書いておきます。「今回の選挙についても、テレビに出たがる「有名な」政治家と、草の根の活動をする「無名な」政治家とを見極めて、無名な政治家の仕事をきちんと支持していきたい」ほんと。そう思います。
2007.07.10
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今、田中角栄のスポークスマンを23年間勤めた、早坂茂三著・『オヤジの知恵』を読んでます。昭和51年7月27日。元首相・田中角栄が、東京地方検察庁に連行され、そこから、長い、ロッキード疑獄事件の幕開けとなるわけです。40日間の拘留尋問が終わって、保釈の許可が下り、弁護士、娘婿の田中直紀、そして秘書官の早坂茂三が、彼を拘置所に迎えに行き、目白台の私邸に戻ったそうです。私邸では、田中派の国会議員130人余が待機していて、歓声を上げ、ボスの帰りを出迎えたそうです。田中角栄は、血色もよく、意気軒昂で、並み居る子分達に、「俺のことは心配するな。12月には総選挙がある。諸君は俺のことを徹底的に批判して構わないから、血の小便を流しても当選しろ。選挙資金は心配するな。いくらでも出す」と言ったらしい。その後、身内だけになった時、まだ、空にはヘリコプターが音を立てて飛び回っていて、それを指して角栄は言ったのだそうです。「上を見ろ」と。「空は落ちてこない。山より大きな猪は出てこない。命までは取られない」。今日の一言は、彼がさらに続けたその後の台詞です。「世の中は、いいことなど少ない。嫌なことばかりだ。嫌なことはその日に忘れろ。明日また、嫌なことがワンサカやってくる。それにいちいち、かまけていては戦さができない」年金じゃあ老後が安泰とはなりそうもないのに、そのわずかな年金すら、消えてしまうかもしれない。頼りの介護も、介護会社の最大手が、会長は高級車を乗り回しながら、どうも、怪しげである。二人に一人は癌になるそうだし、我が身は、ジワジワ老化の一途。「私って不幸!」と、そんな気分にもなってくる世の中でありますが、嫌なことって、ワンサカやってくるんだとしたら、もう、気にしないで生きるしかないですよね。と、ちょっと田中角栄を再評価してみたくなった週末であるのです。
2007.06.08
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久しぶりに、いいドラマを見ました。フジテレビの金曜プレステージ。「松本喜三郎一家物語~おじいさんの台所~」妻を亡くし、一人残され、でも、娘達に頼ることを拒んで、不自由でも古い家で、暮らしていこうとする父親を、三国連太郎が、実にいい味出して、演じていました。原作:佐橋慶女、脚本:大石静脚本。大石静さんのドラマ、あまり評価していなかったのですが、これは、脱帽でありましたね。向田邦子さんが、乗り移ったようでありました。金持ちに嫁いだ長女(高橋恵子)が、一人暮らしする父親のために、お手伝いさんと、宅配の食事サービスを手配するシーンがあるんです。でも、父親は、さっさと断ってしまう。家に他人が入るのは、うっとうしいし、宅配のお弁当に、「ウヘ、まずい!」と言って。同じまずいのなら、自分で作った方がいい・・と、少しずつ少しずつ、料理のレパートリーを増やしていく。あさりのお味噌汁を作ったり、思い切ってテンプラ揚げてみたり。そういうシーンみながら、食事って、そういうものだと、しみじみしてしまいましたよ。家で作るのが、一番美味しい。そして、そういうことを知っている、老人になりたいものだと思いましたね。私も、こんな頑固で、でも、最後まで一人で生きる老人になろうと、思います。一人で、ブラブラ買い物して、わずかばかりの豆ご飯炊いたり、春菊とアサリでパスタ作ったり、たまにタラの芽のテンプラ揚げたり・・。あ、テイシュより長生きする・・という勝手な前提があるわけですが・・。で、ここで、今日の一言。『人間、すべて老いれば、孤独寂寥に耐えねばらないのである。それをしっかり耐えることが、人生の総仕上げなのだ』 これ、佐藤愛子さんの、『女の怒り方』にあった一言なんです。佐藤愛子さんの、一本筋がキューと通っている、まさにそのものの一言ですよね。ちょっと、いいなぁ、って思いません?
2007.05.04
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ある女性コメンンテイターが、テレビカメラに向かって、実に晴れ晴れと自信たっぷりに、宣言した言葉です。『結婚して後悔することはあっても、後悔する離婚はない!』う~~ん、深いなぁ。宣言されたご当人は、離婚経験者ですから、実体験からの悟りなのでしょう。それだけに、いっそう、深い。私の友人(50代)の話ですが。一つ下の妹さん(やはり50代)が、数年前に離婚し、その後再婚して今、ルンルンなんだそうです。週末ごとに夫婦で旅行して、なんだか、とても楽しそう。肌なんかも、ツヤツヤしちゃって、友人は「悔しい!」と言ってます。それになんと、その妹さん、閉経してたはずが、再開しちゃったんですってへぇ、そういうこともあるんだ、と思いましたけれど。そういえば、我が周辺の離婚経験ありの女性達は、みんな、生き生きしてる。ただ、そこには、再婚であったり、同居人であったり、恋人であったりの、『新たな男をゲット』 という条件が備わってのことのようでもあります。確かに、古びたテイシュと旅行したい、とはあまり思わないけれど、新たなカレシだったら、それが若くても若くなくても、楽しそう・・とは思いますもんね。女性ホルモンが、活気付きそう。なるほど、後悔する離婚はない・・か。と、こういうことを妻達が考えているなんて、世の夫達は、知らないのだろうなぁ・・・。ネ!
2007.04.05
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最近どうもテーマに『老い』関係が多いような気がする。私がそのタダ中にいる・・というわけではないんですけどね・・。(念のため)「老いて得るものがあるとしたら、それはなんなのか、知りたいものだ」 ・・桐野夏生著『魂萌え!』からこれは、「どうせ、これから先は喪失との戦いなのだ。友人、体力、知力、金、尊厳。数えだしたらキリがないほど、自分はいろんなものを失うことだろう。」のあとに続きます。主人公は59歳の主婦。突然、夫を亡くし、そのあとで、夫に愛人がいることは分かるわ、息子は遺産をあてにするわ、突然、男に誘われるわ・・といろんなことが起こり、その中から、老いていく自分の今後を考える・・という小説なんです。老いて得るもの・・ありますとも!考えてみました。1.経験に基づく智慧。 ・・・頭の回転力、となると、確かに衰えるけれど、最近ジワジワと智慧がついてきている自分、って感じますよね。ほら、皮肉の言い方とか、セールスの断り方とか、すっとぼける術とか・・。このまま年取るにつれ、もっと付くような気がする。2.勇気。 ・・・例えば、テロや強盗に遭った時、「将来のある若者は助けなさい、殺るなら、もう、十分生きた私から殺りなさい!!」といえる・・(かぁ??)3.凄み。 ・・・あんたさぁ、年寄りの私に向かって、そういう態度、とっていいわけ!?? と、若いヤツに凄めますでしょ。4.恐れない態度。 ・・・散々、いろんなこと、やってきてしまったものね。いまさら恐いものなんて、ない! 彼岸に逝ってしまう友人知人も増えるから、そのうち死も恐くなくなるのではないか、と期待してますが。5.忍耐力。 ・・・う~ん、これは、人によりけり・・かな。6.友人。 ・・・欠けていく分、増やせばいい。私は、どんどん増えてますけど。老いて得るもの、たくさんあります。写真は、道端の花のスナップ。特になんの意味もなく、ただ挿絵が欲しいかな、と思ったわけで。(magomago55さんのお教えに従い・・です)この花の咲く公園は、桜の名所でして、もうすぐ、桜でいっぱいになります。昨日、通ったら、お花見用のライトの準備を、係りの人がやってました。老いて得るもの、もうひとつありました。7.花をしみじみと愛でる感性。どうでっしょ。
2007.03.14
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『聡明な中年は、美しい』私の虎の巻、というか、覚書のメモ帳をパラパラみていたら、この言葉が見つかりました。なんのことはない、桐島洋子さんの著書「聡明な女は料理が上手い」のモジリで、私が考えた(らしい)言葉なんですけど・・。多分、なにかのタイトル候補として、メモしておいたのだと思います。でも、今見てみたら、ウ~ン、案外、名言じゃないか、とネ。今の世界って、男も女も、きれいに生まれてきたかどうかで、人生、大きく違ってしまうでしょ。「彼は幸せものだ、きれいな奥さんで」とよく言うし、「エッ!、あんなきれいな人なのに、離婚だなんて!」とか、殺人現場の隣人が「きれいな人だったのに、こんなことになって」なんて言っていたり。 美人な妻なら,夫は幸せだろうか??美人だと、離婚なんかすることないのだろうか??美人だと気の毒で、じゃあ、ブスだったら、殺されてもかまわなかったってこと??などと、勘繰っちゃいますよね。とにかく、美人だと生きるのが得な世の中が、厳然とあるわけです。でも、ある年ぐらいからそれが変わってくる。美人も、不美人も、ハンサムもブ男も、同様に年をとり、同様にオジサンオバサンになるんですよねぇ~。その時、勝負は、産まれ持った顔の美醜ではなくなるわけです。勝負は、賢いかどうか、聡明かどうか。いかに生きてきたかどうか。よって、美しく生まれなかったために、ずっと辛酸を味わってきた多くの人たちが、ようやく、晴れて日の目を見ることになる。めでたし、めでたし・・ということですかな。
2007.03.05
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テレビ朝日系の番組で『ちい散歩』って、あるんです。俳優の地井武雄が案内役で、東京の街々を散歩して歩く・・というだけの番組なんですが。このオジサン、割とつまんないことしか言わないのだけれど、この間、下町の文房具屋さんで、なかなかにいいこと言ってました。「エンピツを丁寧に削る、というそのことが、丁寧に字を書く、ということに繋がっていたんですよね」私はエンピツ党でした。中学の頃からエンピツだけは、少ないお小遣いながらも上等のを購入してたんです。だから、もう、2センチぐらいになっても、ホールダーに挟んで大事に大事に使っていた・・。もちろん、ナイフでエンピツ削るのも上手かった。寝る前に、きれいに削って、学校に持って行ったものです。・・いかにもお勉強が出来たそうでしょ?ワープロ使うようになり、パソコンに頼るようになり、字を書く、ということを、エンピツでも万年筆でもボールペンでもなかなか、しなくなってしまった。たまに書くと、凄まじく下手になっている自分に、驚きます。字って、書いていないと、どんどん下手になっていくんですね。ましてや、エンピツをカッターで削る、ということなんぞ、とんとやらなくなってしまった。でも、やはりきれいに尖がったエンピツでないと気分が悪いので、シャープナーを使っています。しかし、そのシャープナー、なかなかいいのがないまず、日本製では、ほとんどダメですね。こんなに技術が発達している国で、シャープナーはよくない。これって、シャープペンが、発達しちゃったからなのでしょうかねぇ。写真は、私がようやく見つけて愛用しているエンピツ削りです。ドイツ製。以前は伊東屋にしかなかったものですが、最近は、ロフトみたいなところでもあるようです。きれいに削れるのですが、字は、下手なまんま。エンピツで書くということ、日常に復活させなくちゃ、いけませんよね。
2007.02.23
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視聴者よ、もっと怒れ・・・吉田直哉 ~2月21日・日経新聞(夕)からNHKの演出家・吉田直哉さんが、『TV番組の捏造・過剰演出が次々と判明しているけれど、その遠因は、視聴者の無関心にあるのではないか・・』と書いています。番組のインチキ臭さ、うさん臭さは、十分に察知しているのだけれど、ワイドショーのコメンテイターが代わりに怒ってくれるから、腹を立てる暇もなくなってしまって、そのうちに、「こんなもんだろう」と無関心になってしまっている。昔は、なにかあると、すぐに視聴者から怒りの電話がきたものだが、昔のように、視聴者はちゃんと怒るべきです・・と彼は言うのです。そうだなぁ、と思いましたね。テレビのコメンテイターの、あの、正義漢ぶった、ほとんどパフォーマンスの「怒りのコメント」を聞いていると、なんだか、白けてしまって、そういう風に真正面から怒ることが恥ずかしくも思えて、「テレビなんだから、どうせ、こんなもんなんだよ」みたいに、グズグズにすましてしまっている、私達がいるのではないか・・。テレビ番組なんて、所詮、レベルの低いものなんだから、と。気に入らなかったら、見なきゃいいんだ、と。でも、何度も言いますけれど、電波って、私達の財産なんですよね。いい加減に使われたら困るし、怒るべきだし、どんどん物言うべきだと思いますよね。妙に「ものの分かった大人」のふりを、もう、しないほうがいい。吉田直哉さんって、かつてNHKで、神様みたいな方だったんです。才能の全てを傾けて、実に誠実に番組作りをされてらした。私も、何度かお話したことがあるのですけれど、学者さんのような、淡々と誠実にものを語る方でしたね。そういう方がたまに発した言葉。多くの人に、耳を傾けていただきたい・・と思ったのでした。
2007.02.21
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一言・・というには長いですが。『スタートは、マティーニで、というのが僕の理想だけれど、ならその日の最後の一杯を何にするか、となると、これが案外に難しい。シングルモルトにするときもあれば、さっぱりしたモヒートの時もある。でも、デザートを食べなかった夕食の後は、マンハッタンだろう』 ~1/10・日経新聞(夕)、東理夫著『マティーニ・理想の最初と最後』から~ 昔。まだ20代の頃でありますが、初めて出張に行って、泊まったホテルのバーで、このマンハッタンを5杯か6杯立て続けに飲み、グルングルンに酔っ払って、死にそうになったことがあります。何故、マンハッタンだったかというと、マンハッタンしか、カクテルの名前を知らなかったから。何故、そんなに飲んだか、というと、初めての出張に、当時、女が出張に行かせて貰えるなんて、めったになかったこともあり、やたら緊張しハイになってしまったから・・だったろうと思いますね。以来、マンハッタンに手が出なくなってしまった。あの、辛い思い出が、よほど骨身に沁みているのでしょう。その後、よく知りもしないくせに、気取って「ブラッディマリー!」と注文して、トマトジュースみたいなのが出てきて、当惑したこともあります。「なんで、こんなのが来るの?」と騒いで、知ったかぶりがバレました。「知ったかぶりをしちゃあ、いけない!」と学習したのはそのときからです。モヒートを覚えてからは、得意げにこれを注文したりもするのですが、時々「モスキート」と言ってしまって、大いに恥をかいたりしてます。所詮生半可な知識での注文だから、酔うと時々、こういうしくじりを犯します。最近、スタイルを変えました。「あのねぇ、柑橘系で、辛口で、強めで色のきれいなの!」などと、甘えた声で注文するのです。よく言えば、お任せ、ま、要するに、思考放棄、ですかね。 苦労せずに、目新しいカクテルが体験できるし、男に甘える、なんてことがトンとなくなってしまった昨今、イケメン系のバーテンダー君に、そうやって注文するのは、ひとつの快感!でもあります。声の甘さに、磨きも掛かったりして。最近、ショットバーに、女性の姿が増えているような気がしているのですけれど、案外、彼女達も、そんな快感を求めて・・だったりするのかもネ。 でも、そんなことだと、カクテルを語れるまでには到達しない。たまに、こんな文章に出会うと、ちょっと嫉妬したくなりますね。
2007.02.10
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このオレに あたたかいのは 便座だけ ~第一生命サラリーマン川柳から~ →(こちら)今年も、恒例のサラリーマン川柳が発表されました。それぞれに面白いのだけれど、思わず、プフッと吹いてしまったのがこれ。しみじみ共感、というか。寒い朝、トイレに座って、お尻がホカッと温かい時の、あの愉悦感!人生、辛いことばっかだし、決して裕福な暮らしじゃないけれど、とにかく、便座が温かくって、シャワー付きの、トイレのある生活が私にはある!ああ、私って、幸せな方なんだわぁ、文句言ってちゃいけないわよねぇ・・と思う瞬間です。今の時代の日本に生まれて、ホントよかった。昔、ローマでイタリア語の学校に通っていた頃、クラスで、ビデの話になったことがありました。で、「日本には、シャワー付きトイレがあるんだ」と拙いイタリア語で説明したら、みんな,「信じられな~い。日本にはそんなのがあるんだぁ~!」とのけぞって驚愕してましたっけ。イタリア人の先生はもちろん、ドイツ人の生徒もアメリカ人もフランス人も・・。私、その時以来、日本が今後生き残る道は、ここにあるのだと思っています。便座じゃないですよ。シャワー付きトイレに象徴される、日本のアイディア、精巧な設計、確かな技術、というもの。中国と一緒になって、安物作っていちゃあ、きっとダメなんですよ。・・と、川柳から妙な話に流れてしまった。
2007.02.05
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見つけたのは、今日じゃないんですが・・。『「孤独でない」ということは、実はとても面倒なことである』 ~NYバッグ職人さんのブログからNYで、手作りバッグをデザイン・製作・販売している方のブログからの一言です。そうよねぇ、深いなぁ・・と思って書き留めておいたのですけれど、どうも、『面倒』だけでは、すまなくなってきたらしい。朝日新聞(1月29日)の記事(こちら)によると、老後、夫と同居している妻の死亡リスクは、2倍になるのだそうです。即ち、テイシュがそばにいると、妻は長生きできない!一方で、テイシュの方は、妻と同居すると死亡リスクは半分になるらしくって・・。 女って、老後も大変なのねぇ・・と、改めて我が身を、儚んだのでありました。(儚んだついでに、我が家のシクラメンを撮って、入れ込んでみました。初ケータイフォト撮影+初ケータイからPCへ取り込み+初Kazooさん・真似しぃ、です)
2007.02.02
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『恋は人から勇気や言葉やユーモアなどを奪い取ってしまう。』 ・・森瑤子著「ヴァイオリニスト」から。森瑤子の小説って、2~3冊読むと、あとは大体、そのパターンの繰り返しなものだから、ああ、またか、と思うことが多いのですけれど・・。でも、さすが、というか、男と女の真髄を鋭く観察しているところがあって、亡くなって随分になるけれど、「オッ」と思う一言に今でも出会ってしまうことがある。今日の一言もそのひとつ。そうなのよねぇ。日頃は頭の回転が速いはずなのに、恋しちゃうと、ゼンゼン回転しなくなっちゃうんですよねぇ。だから、話題も乏しくなるし、気の効いた一言も、思い浮かばない。言いたいことも言えないし、そもそも、何を話していいのか、分からなくなってしまう。結局、「なんか、キミってつまんないねぇ」と振られてしまうのだ。世の中大抵、思いの強い方が負けるのは、そういうことだったのかもしれない。そういえば、とさらに思う。最近、そういうことがない・・。誰に対してもオドオドしなくなってしまった自分がいる。世慣れたからだと思っていたが、ウーン、恋に縁なくなったせいだったのかも・・。
2007.01.28
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NHK朝のテレビ小説「芋たこなんきん」の台詞から。『美味いもの食べずに痩せたって、それでなんの人生よ』女優の秋吉久美子が、ある番組で語っていました。彼女、ラーメンなんか、一人じゃ食べに行かないのだそうです。ラーメン食べるときは、麺を5本ぐらいと上に乗ったもやしとそれだけ。スープなんか絶対飲まないんだそうです。あとは、誰かに食べてもらう。それで、一人じゃラーメン食べに行かない。女優さんがホッソリした体型を保つには、それだけのことをしなくちゃならないのかもしれませんが・・ラーメン、食べるな!と思いますよね。私は秋吉久美子とお友達に、なることはないな、と思いましたね。まあ、向こうだって、なる気はないでしょうけど。
2007.01.24
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今日は本当は、もっとしょうもない話を書こうと思っていたのですけれど・・予定を変更してやや硬くいきます。『主権在民には大前提があります。それは「国民が成熟した判断をすることが出来る」ということです』(藤原正彦著『国家の品格』より)大ベストセラーですから、読んだ方も多いかと思いますが・・。で、彼は続けるのですね。主権在民とは、「世論が全て」ということで、でもその世論とは、事実上、マスコミが作っているものである。即ち、いまや、マスコミが第一権力になっているのだ、と。その通りだと思いますね。ドイツのナチは、とんでもない集団でしたが、それを煽ったメディアがいて、大賛成だと酔ったように押した国民がいたわけです。郵政民営化。今は、国民の総意だった、ということになっていますが、果たしてそうだったのだろうか?あの選挙で国民は、本当に郵政を民営化させたいと思って投票所に行ったのだろうか?もちろん、しっかり考察して、信念を持って、投票した人もいるのでしょうが、大半の国民は、「造反」とか「刺客」とか、そういう刺激的な言葉に酔って、その結果だったのではないか・・。そして、面白がって煽ったマスコミがあったわけで・・。自戒をこめて、でありますが、厳しい目を持ちたいものです。
2007.01.23
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連チャンで、『今日の一言』書いてしまいます。「ダメな時は、じたばたしてもダメだが、何もしないともっとダメになる」(日経アーキテクチュア1月8日号より)建築家・大橋秀三氏の台詞です。氏は、30歳で独立するのですが、ちっとも仕事が来ない。そういう長い時代を経て、55歳のとき代表作「下新町の家」を完成させ、建築家として広く認められるようになるです。仕事は来ないワ、コンペに出しても落選という時代、なにをしていたか、というと、ひたすら好きな作品をトレースし、模型を作っていたのだそうです。それが、上の一言に繋がります。そして、氏の成功にも。深いですよね。長年の苦労の中からの一言だから、余計しみじみする。私は、なにをやってもダメな時(年がら年中だが)、映画を観ます。映画を観て、冷蔵庫の掃除をする。あんまり事態好転への効果はないです。・・と、今回は、色付きに挑戦してみました。
2007.01.12
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本日11日から 開催されている「DOMANI・明日展」の会場にて、某・美術館オーナーの一言。「IT長者の方たちなんてね、美術展にご招待してもゼンゼン興味を示さない。素晴らしい作品だと説明しても、およそ関心ないんです。でもね、その絵に値段が付くと、俄然興味をみせてくる。何十億、だなんて、高いほどね」まったくね、寂しい世の中になったものよね。・・と、嘆かわしいという顔をしたがる自分にも、もうひとつ別の寂しさを、見てしまったりして。と、絵文字付きに挑戦してみました。
2007.01.11
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『何も捨てられない女に、幸せは来ない』これ、藤原紀香が、自分の番組で、お笑い芸人・北陽の虻川に言った言葉だとか。恋がうまく行かない虻川に、「古くなった下着を、いつまでもイジイジ使っていないで、半年に1回のペースで捨てて運気を高めて!」というところから出た言葉らしいが、ウーム、深い一言だと思いましたね。藤原紀香、結婚!というニュースが走ったとき、そのお相手が、IT長者でもなく、イケメンの俳優でもなく、青年実業家などと称する胡散臭いオニーサンでもなく、自分より背も収入も低い、でも、地道に勉強していそうな、そこそこの芸人だと聞いて、「案外、藤原紀香って、地に足付いたまっとうな女なのかも・・」と見直した思いがしたものですが、こういうことを言える彼女って、うん、案外大した女なのかもしれません。この一言を私流に言い換えると、「溜め込む女に、ろくな女がいたためしがない」であり、「身辺をすっきり出来ない女は、大抵、頭が悪い」となるわけです。ほら、いるじゃあないですか。ブランド物の洋服やバッグをしこたま買い込んで、ゴッチャゴチャにしている女。お化粧だけはきれいにするのに、部屋は片付けられず、ものが溢れたままの女。潔く縁を切ればいいのに、ズルズル男から離れられない女。なんでもガツガツ手に入れたがる欲深な女。まあ、いずれも、ろくな女じゃない。幸せだって、逃げるのじゃないか。他山の石とすべし、であります。しかし、下着は、もう少し長いこと、使いたいような気もしますがね。
2007.01.05
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