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神身離脱を願う神様のために、神社の傍に建てられた寺院。それが「神宮寺」と呼ばれる寺院です。715年、気比神(けひのかみ)が「仏道に帰依したい」とおっしゃいました。神宮寺とは、神様が仏教を修めるための寺院。権現様は、仏様や菩薩様が仮の神の姿で現れたもの。神様と仏様が混在しますが、神宮寺には仏道に帰依した神様、権現様は仏様(仮の神様)がおられます。また「神宮」は、神宮号を名乗る「神社」です。天皇の祖先神を祀る神社など、一部の神社のみが「神宮」になりました。ですから、「神宮寺」は寺院ですが、「神宮」は神社です。その他にも、神社や寺院の区分は複雑です。神仏習合のあいまいさ、神仏分離や廃仏毀釈の混乱が、この混乱を招きました。ただ、神宮寺の仏教を学びたいと考えた神様。そんな神様の勉強熱心さには、好感を持つ私でした。
2017.06.29
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先日の長野の地震ではこちらも揺れて、驚きました。長野や震源に近い皆さんは、さぞ驚かれたことでしょう。これを機会に、過去の地震を集計しました。震度4以上の地震の集計です。地域の区分がまちまちですが、下記の傾向があるように思います。・北海道、青森で大型地震が多い・東北の地震は収まりつつあるが、福島では最近、地震が続いている・関東は茨木を中心に高頻度で大型地震が発生・熊本の周辺では、大分で大型地震が続いている・熊本の様に、突然大型地震が群発する事例もある・東海地区は不気味なほどに、大型地震が観測されていない上記はまったくの個人的な感想です。ただ個人的には、北海道・青森の大型地震の多さは意外でした。また地震の多い関東で、茨木震源の多さも気になります。東海地区の沈黙は不気味です。地震のタイプは違いますが、熊本の様に突然震災に見舞わられるのでしょうか。日本全国、震災に関しては安全と言える地域がありません。十分に防災には配慮したいですね。
2017.06.26
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パワーストーンとして扱われることも多い、水晶玉。光を屈折させる力に、人は神秘を感じるのでしょうか。世界最大の水晶玉は、アメリカのスミソニアン博物館(国立自然史博物館)にあります。その大きさは、直径32.7cm,重さは48.5kgもあります。この水晶玉の原産地は、ミャンマー。カットは中国、仕上げの磨きは日本で行われました。その製作には、1年半もかかったそうです。日本の水晶加工の技術は優秀です。その技術の素晴らしさは、ウィーン万国博覧会への日本製水晶玉の出品で有名になりました。1873年のことでした。水晶玉加工の技術は、今ではレンズや水晶振動子の加工技術に生かされています。伝統技術から、ハイテク技術へ。匠の技術は、今も受け継がれています。 「世界最大の水晶玉」 ※ ウィキペディア フリーライセンス画像より
2017.06.24
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ラジオのDJが歌っていました。「おらは♪ ジンディ・ローパーだ♪」と、「帰って来たヨッパライ」のリズムで。何かと思えば、今日はシンディー・ローパーさんの誕生日。記念日ということです。シンディー・ローパーさんと聴くと、東北の震災を思い出します。被災地のチャリティに、彼女は尽力してくださいました。親日家のシンディー・ローパーさん。これからもご活躍を。
2017.06.22
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童話「ごんぎつね」の幕切れは、秀逸だと思っています。「ごんぎつね」の最後は、下記のとおりです。*「ごん、お前だったのか。いつもくりをくれたのは。」 ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなづきました。 兵十は、火なわじゅうをばたりと取り落としました。青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました。*善意で接しようとする相手に誤解され、撃たれる悲劇。取り返しのつかない過ちを犯した兵十を、冷酷に見つめる青い煙。そして、それは安易に武器を使ってしまった愚かさ故の出来事。数行の幕切れが、このお話に深みを与えています。残念なのは、YouTubeの動画などで、「ごんぎつね」の幕切れが改変されていること。昨日の動画の幕切れは下記でした。 「ごんの足からは、真っ赤な血が流れていました。」「足」と限定したことで、ごんは死なせたくなかったのかもしれません。しかし「真っ赤な血」は残酷さが強調されすぎて、兵十やごんの気持ちが見えてきません。他の動画では下記でした。 「兵十はごんを抱えて、おいおいと涙を流しました。」これでは直接的過ぎて、深みがありません。煙が示す冷酷な事実、武器の持つ冷たさ、行き違う気持ちの悲劇が表現できていません。新美南吉がどの様な思いで「ごんぎつね」を書いたか。作者の想いを偲んで、安易な話の改変は避けてほしいと思いました。「手袋を買いに」
2017.06.19
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愛知県半田市にある、新美南吉記念館に行きました。童話作家 新美南吉は、幼い頃に実母を亡くしました。そのためか、彼の作品では親子の愛がしばしば描かれます。彼の18歳での作品「ごん狐」では、兵十の誤解からごんは猟銃で撃たれます。ごんの行いは、母を亡くした兵十を思ってのことだったのに。「手袋を買いに」でも、親子ぎつねが登場します。我が子を危険にさらしてしまう愚かさもある母ですが、ふたりは深い親子愛でつながっています。またここで登場する人間は、兵十の様に誤解せず、子狐にやさしく手袋を差し出します。最晩年の作品「狐」でも、母狐と子狐の愛が語られます。そこでは、子狐を守るために、母狐は命を捨てる覚悟を告げます。南吉の生前に出版された童話集は、わずか1冊。それも南吉が他界する半年前の、遅すぎる出版でした。童話作家としての成功を目前に、自身の寿命を悟った南吉は次の様に語っています。「私は池に向かって小石を投げた。 水の波紋が大きく広がったのを見てから死にたかったのに、 それを見届けずに死ぬのがとても残念だ。」その想いは、南吉の作品「売られていった靴」にも通じると感じます。29歳の若さで他界した、南吉。しかし、1980年以降は、小学生4年生のすべての教科書に「ごんぎつね」が掲載されています。南吉の作品は大きな波紋となって、人々の心に広がり続けているのです。「新美南吉記念館:手袋を買いに」「ごんぎつね」
2017.06.17
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幸運”fortune”の語源となった女神、フォルトゥーナ。幸運の名を持つにも関わらず、フォルトゥーナは不幸に思えます。なぜなら、彼女は不安定な球に乗り、底の抜けた壺を持つのだから。不安定な球体は、定まらない運命を示します。そして、底の抜けた壺は、幸福が満ちることがないことを示すのです。さらに彼女が履く羽の生えた靴は、逃げやすい幸福を、後ろに束ねた髪は、チャンスは後からはつかめないことを示しています。身をもって、幸運の儚さや得難さを示す女神、フォルトゥーナ。せめて、球は安定する様に1か所削り、壺の底はふさいでほしい。フォルトゥーナ、あなたは真面目すぎると、私は思う。※画像はウィキペディアより。 (この絵では、彼女は球から降りて、ずるしています。 その代わり、幸福をためる壺もありませんが・・・)
2017.06.15
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基本は非公開の仏像、秘仏が祀られた寺院もあります。なかには期間限定で公開される秘仏もあり、奈良では秘仏巡りもしたものです。一方で、全く公開されない秘仏もあります。それは絶対秘仏と呼ばれます。奈良で見た秘仏には、秘仏である理由がありました。ひとつは女性的な裸身像などエロティックな仏像。それらは寺院としても公開をためらうのでしょう。もうひとつは怖い仏像。拝観者に恐怖を与える、憤怒の顔の仏像が秘仏にされます。かつて法隆寺夢殿の救世観音像は絶対秘仏でした。見ると祟りがあるとされ、仏像は白布でぐるぐると巻かれていました。その白布を岡倉天心らが解き放ち、期間限定公開の秘仏となりました。私も救世観音像は拝見しましたが、妙に人間らしい顔立ちの仏像でした。あの生々しい表情や、山背大兄王の悲劇が、この像を秘仏にさせたのでしょう。 ※「救世観音像」 画像はウィキペディア・フリーライセンス画像より今度は東海地区で、秘仏を巡りたいと思います。かつて名古屋にいた頃は、寺院巡りはしていませんでしたから。今からどんなお方に出会えるか、楽しみにしています。
2017.06.13
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天守にそびえる、金の鯱。金鯱には、瓦製と木製とがあります。瓦製の鯱は、素焼きの瓦に漆を塗って金箔を貼ったもの。広島城、岡山城、松本城などに例があります。木製の鯱は、木の鯱に金板を貼っています。名古屋城の他に、江戸城や大阪城にもあったと言われます。金箔貼りの瓦製と、金板貼りの木製の鯱。岡山城と名古屋城の復元品を例に、両者を比較してみましょう。以下の画像は、ともにウィキペディアのフリーライセンス画像から。まずは岡山城の瓦製の金鯱。次に名古屋城の金板貼り木製の金鯱。岡山城の金鯱は、いかにも瓦製らしい硬さを感じます。鬼瓦を連想させる造形です。名古屋城の金鯱は、造形に自由度があるように思えます。そのためか、金鯱が生き生きとしています。後年、瓦製より木製が好まれたのは、この造形の自由度からでしょう。金鯱は装飾のためばかりではなく、火災を防ぐ守り神として祀られました。シャチが海に住むことから、防火の力があると思われたからです。しかし、岡山城も名古屋城も、太平洋戦争の戦火に焼かれて失われました。金鯱も戦火までは防ぎませんでした。「我の役割は、自然災害での防火のみ。 愚かな人間が招く人災までは相手にしない。」金鯱に防火を問えば、きっとそう答えるでしょう。
2017.06.11
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これは、フランシス・ベーコンの「ベラスケスによるインノケンティウス10世の肖像画後の習作」。同姓同名の16世紀の哲学者ではなく、20世紀のイギリスの画家の作品。出典:「山田視覚芸術研究室」 https://www.ggccaatt.net/study-after-vel%C3%A1zquez's-portrait-of-pope-innocent-x/この絵は1953年に描かれましたが、そのモデルとした絵は300年前の1650年に描かれています。下記の元絵の作者は、ディエゴ・ベラスケス。出典:ウィキペディア凛々しい元絵に対して、ベーコンは恐怖に満ちた絵を描きました。ベーコンの絵のインノケンティウス10世は、恐怖に叫び声を上げているように思えます。ローマ教皇インノケンティウス10世の評価は、決して高くはありません。それは醜い権力争いの渦中にあったためでもあります。それ以上にインノケンティウス10世の評価を下げたのは、義姉オリンピア・マイダルキーニの存在だったと言われます。インノケンティウス10世は義姉の支配下にあり、その政治も義姉の意のままにありました。オリンピアはインノケンティウス10世の葬式費用も出さず、その遺体さえぞんざいに扱ったと言われます。そればかりか、死後三日で宮殿から教皇の財産を持ち去ったそうです。ベーコンの絵で、インノケンティウス10世は救いのない叫び声を上げています。黄金色の紐に縛られ、その強い支配に身動きすらならないままに。権力者は時に不幸です。権力にすがるあまりに、陰で縛る者があるなら尚更に。ベーコンの絵に描かれた彼の様に、私は生きたくない。ただ、そうはなりたくないと願います。
2017.06.09
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オディロン・ルドンの絵「キュクロープス」をご存知の方は多いでしょう。この絵に絵がかれているのは、一つ目の巨人キュクロープスのポリュペーモス。ポリュペーモスは、海のニンフ、ガラテアに恋します。しかし、ガラテアには、人間の恋人アキスがいました。それでもポリュペーモスは、かなわぬ恋をあきらめず、ガラテアを追い続けます。ある日、ポリュペーモスは、アキスと戯れるガラテアを見つけます。怒りに狂った彼は、二人に大岩を投げつけます。不幸なアキスは、大岩につぶされます。ガラテアは逃げましたが、ポリュペーモスの想いがかなうはずもありません。ポリュペーモスの一つ目は、偏った見方、偏見を示します。偏見を持つものが、おのれの巨大な力も知らず暴走すれば、不幸しか残りません。ポリュペーモスは肉体は大人でも、心も感情も幼児同然。彼は殺人を犯しても罪の意識はなく、感情を爆発させた爽快さすら感じています。巨大な力を持つポリュペーモスは、誰にも罰せられず、理不尽に殺されたアキスには、何の救いもありません。ルドンはキュクロープスで、偏見を持つ者が巨大な力を持つ恐怖を描きました。その者が、幼稚な心で自己の主張を押し通す時、恐ろしい破局が訪れます。現代の世界でも、あなたは幼稚で醜悪なキュクロープスのその視線に、恐怖せざるを得ません。巨大な力と偏見を持つその者の、海の向こうからのその視線に。※ ルドン 「キュクロープス」: ウィキペディア フリーライセンス画像より
2017.06.06
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高齢の彼は、最も広域に及ぶ無差別テロリズムを企てました。もちろん銃器等の武器は使いません。彼はそれほど愚かではありません。彼はただ、こう宣言すればよかったのです。「地球の温暖化は嘘っぱち。資源を湯水のように使い、享楽に興じろ。」石炭産業者は、彼の宣言を大歓迎しました。狂ったように石炭を燃やし、喜んで二酸化炭素をまき散らし続けました。省エネカーを作る技術がない、自動車メーカも狂喜しました。ガソリンを無駄に使う、性能の悪い車を多量に作り続ければ良いのです。そう、彼は宣言するだけで、テロリズムに成功したのです。その宣言を実行するのは、自己の利益しか考えないエゴイストたちでした。彼のテロリズムの対象は、全人類でした。彼は彼を認めなかった人々に、恨みが晴らしたかったのです。テロリズムの結果は、ほどなく出ました。わずかな期間で深刻なダメージを受けるほど、すでに地球は弱っていたのです。気温の上昇は、地球規模での異常気象を引き起こしました。各地で集中豪雨が起こり、水害で多くの人命が失われました。世界の都市機能は、次々と発生する超大型のハリケーンや台風で麻痺しました。ある地域では干ばつが続き、水と食料を求めた難民が反乱を起こしました。彼のテロリズムは、大成功を収めました。ただ、予想外だったのは、彼の手足として動いていた実行犯達でした。狂喜していた石炭産業者は、豪雨の被害で閉山に追い込まれました。自動車メーカは劣悪な車を売ろうにも、製造工場は完全に水没していました。彼らの多くは災害で家族も失いましたが、嘆いても後の祭りでした。そして、狡猾に見えた彼自身の家族にも、温暖化の災厄は及びました。彼の二人の娘たちは、水害で命を落としました。彼の三人の息子たちは、続く災害で命を落としたり、破産して自殺しました。彼の妻は、怒りに燃えた民衆に、街頭で暗殺されました。それでも、計画どおりの成功に、彼はほくそえみました。高齢の彼は、人生を締めくくるのにふさわしく、広範囲かつ無差別な最悪のテロリストとして、人類の歴史に名を残したのですから。【グリムス】 「ブログ更新で植林」
2017.06.03
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水素は水の素、つまり「水を生むもの」という意味を持ちます。英語でも、ドイツ語でも、水素の意味は水を生むものです。気体としての水素の分離は、1766年にヘンリー・キャヴェンディッシュにより成功しました。水素はその軽さから、すぐに気球に利用されます。水素気球の有人飛行は、1783年のシャルルとニコラ=ルイ・ロベールによるものでした。その年、1783年は、熱気球でモンゴルフィエ兄弟が有人飛行に成功した年でもありました。同じ年に有人飛行に成功した、水素気球と熱気球。両者は競い合いますが、簡便さからその後しばらくは水素気球ばかりが使われるようになりました。水を生むのではなく、空飛ぶ夢を生み出した水素気球。水素気球は人々に夢を与え、しかし時には事故で人の命を奪いました。気球の実用性は薄れても、今再び、資源としての水素に注目が集まっています。21世紀の水素が夢の資源か、それとも危険な気体なのか。それは、水素を扱う、私達次第なのでしょう。・・・・・・・・・・・また、長く外出していました。しかし少しずつ、落ち着きつつあります。日記更新ペースの回復ももう少し。そう思いつつある、この頃です。
2017.06.01
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