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早朝、プノンペン市内中心部にある独立記念塔。お色直しの為すっぽりと囲われてしまってました。アセアンサミット開催までには完了する予定。さて、この季節は胡椒は開花の季節。現状視察に畑に出向きました。かわいい白い直径1mmほどの大きさの花がたわわに咲いておりました。ズームアップ一番気になるのが、花を食べに来る虫の発生状況。この少々未来的な形をした虫。これがコショウの花を食べる虫です。この虫に食べられてしまうと胡椒は実をつけられなくなります。弊社オーガニックにこだわっている為、この虫、殺虫剤等では駆除していません。見つけ次第手で潰します。きりがありませんが、やらないよりはましだろうという人間的抵抗。そしてもう一。胡椒の実を食べに来る小鳥が農民の手によって捕獲されていました。好物は完熟コショウ。確かに美味しいけれど…。ご近所の畑も、ボートに乗って視察してきました。湿原の向こうにコショウ畑が見えます。地元の人は裸足で行きますが、弱虫な私は長靴を履いていきました。隣村の村長の畑。生育のよさに自慢げな表情でした。ほんの少し実っていた緑コショウをプノンペンに持ち帰り、定番「イカのコショウ炒め」を造ってもらって食べました。新鮮で若いので軸ごと食べられて、とっても美味しくいただきました。
Jun 15, 2012
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昨日は、電気代支払いの締切日だったので、久しぶりに両替屋に出向きました。カンボジアでは税金と電気代の支払いは、地元の通貨リエルに限られており、税務署や電気局へ街の標準通過ともいえるUSドルで持っていくと交換レートが悪い為、事前に街の両替屋で両替してから出向きます。街の両替屋のレートは、銀行よりも両替レートがいいので、両替はもっぱら両替屋で行います。目印は、「4000」前後の数字が2段で書かれている赤い看板がぶら下がっているのですぐわかります。また少し大きなお店だと、海外の通貨も取り扱っています。ちなみに、昨日の日本円とUSDの交換レートは、円からドルへの両替で100円=127.40USD、ドルから円への両替では1USD=78.125円でした。ひょっとして日本の銀行や飛行場で両替するよりいいレートではないでしょうか?交換レートは高くて嬉しいのですが、今月の電気代の単価は、1KW=907リエル=22.5セント=約18円 とかなり高く、こちらは消して嬉しいものではありません。節電してエコロジーな生活を心がけます…。
Jun 6, 2012
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カンボジアで、胡椒農園を営み、加工して、小売、卸売りの販売を行っています。起業したてのころは、畑の近くに済み直接開墾など畑の手伝いもしましたが、収穫ができるようになってからは、もっぱら販売の為の営業活動に力を入れるため、首都プノンペンに移り住み、在住者の方々や出張でいらした方々のお土産屋としてカンボジアペッパー専門の直営店を経営しております。最近では有機農業協会(カンボジア・オーガニック農業協会:通称COrAA)の政策担当役員(副会長)を務めたり、全カンボジア胡椒生産者協会設立に向けてのお手伝いをさせて頂いたりというようなことも全てボランティアでやらせていただいております。そういった経験やカンボジアに居る年数の為か、日本からカンボジア進出を考えていらっしゃる企業の方々や、NGO・調査の方々、その他いろいろな方々が弊社にご訪問くださいます。すべては、カンボジアの主幹産業である農業の発展の為。カンボジアでは国民の70%が農業に従事しているといわれています。田舎に居て現金収入を得られるような仕事をやっていない人は、とりあえず自分の飢えを少しでも満たせる為何かしらの畑を作ったり、親類縁者の田んぼを手伝ったりしている為、農業従事者と呼ばれているようです。そんな農家が多いカンボジアの農業を活性化するためには、どうしたらよいのでしょうか。農業の大先輩が今日弊社を訪問して下さったので、日本の農業と産業についての経験をお話して頂きました。先輩の話によると日本も40年代から50年代までは農業に従事していたひとがマジョリティーだったそうです。その農業従事者の生活を安定向上させる為、日本政府は農家から高い値段で米を買い、安い値段で消費者に米を販売するという政策をとりました。では、その米を政府が買い付ける際に出る差損は誰が負担したのでしょうか。経済産業界の負担によるところが大きいとのことでした。経済産業界としては、当時給料は、米価を基本に算出されていたので米価が低ければ賃金も低くすむ、しかも元来貧しかった農村の安くて豊富な労働力は、とても魅力的だったようです。さらにいままで農家が1反の田んぼをつくるのに170時間という時間を割いていた作業時間をを30時間まで引き下げる事が出来る、いわゆる農作業の効率化(化学農薬・肥料の普及、機械化など)を進めていきました。そして出来た余暇を使って農家の人々は、近くの町工場で働きに行くようになる。いわゆる兼業農家が広がっていったのです。兼業で得た所得のおかげで農家の所得にもゆとりができ、車や家電を購入できるようになりました。そうしていくうちに、副収入だったはずの所得がいつの間にかメインになりどんどん農家は減少していったのでした。かたや工業としても、農家の所得が上がった事で工業商品がどんどん消費され、小さい町工場からどんどん大きくなり、後から後から増え続ける町工場を下請けや孫請けなどの仲間にしていき、どんどん効率よく生産できるようなりました。農業界も工業界も皆幸せでした。そのピークは、70年代であり、日本の成長が著しかった頃であったということです。カンボジアと比較してみると根本的に違うのは、カンボジアの経済産業界には農家から米を高く買って消費者に安く売るための差損補填できる業界がありません。大先輩の経験談を聞きながら、カンボジアの農業の方向性を再度考えさせられました。
Jun 5, 2012
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