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2018年12月21日
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テーマ: 韓国!(17312)
カテゴリ: 韓国旅行2012


そのあと、南営洞駅から地下鉄で新村駅に行く。李韓烈記念館を訪ねるためである。地下鉄駅から延世大学に行く途中だと勘違いしていて、その辺りでピザ配達屋のお兄ちゃんに道を聞くと、即座にスマホで이한열기념관 と検索してくれて「現在の私の位置はここだから、この辺りだよ」と教えてくれた。こういう道の教え方は、6年前に韓国に来た時にはなかった。ものすごく良くわかる。日本の若者で、このように素早くわかりやすく、外国語ができないのに仕事中にもかかわらず、親切に教えてくれる「若者」は、はたして居るだろうか。私は居ないと思う。少なくとも、「高い確率で教えてくれる若者」は存在しない。この写真で言えば、この略図の上の辺りで迷っていたけど、赤い所へ駅方向に帰ったわけだ。



実際は地下鉄新村駅の8番出口を出たらまっすぐ行って、直ぐある公園を左に曲がると、右手にスターバックスがあるから、それを過ぎて右手に曲がると、左手に記念館がある。お兄ちゃんのスマホを見て、それだけを覚えて行ったら一発でわかったので、その行き方で誰も間違わないと思う。行ってみると、ビルの一部屋を借りて記念館を作っているわけではなかった。4階建の一つのビルなのだ。観覧料は無料のはずだ。行政が運営しているとは聞いていない。どうしてこんなことが出来るのか?先ずそれを思った。



実際は一階は車庫、2階は事務室、3階4階が展示室である。登る途中に、歴代ポスターが貼ってあって、ずっと定期的に特別展をしていることがわかる。朴鐘哲記念館はそういうことはしていなかったみたいなので、それだけでも(博物館フェチとしては)尊敬出来る。


中学生か高校生が書いたと思われる来館感想も階段に貼られていた。素朴に「愛してるよ」と書いている一方で「ウリナラ我が国」という言葉が何度も使われるなど、身体を呈して国を変えてくれたということを感謝する言葉が書かれているように思えた。若い人たちの意識は、ここでも日本と相当違う。





ただ、今回は3階が特別展展示で「会いたい顔たち」というのだった。李韓烈氏への関心だけで精いっぱいだったので、スルーした。今までの早世した民主活動家を、作家が独自の表現で描いた美術品の展示だった。あとで珍しくあった日本語での説明書を見ると、いろんなタイプの市民活動家がいたことがわかり、きちんと見なかったことを悔やんだ。顔が誰が誰か良くわからない。



4階の本展示は、思った以上に質素なものだった(もっと写真展示など、時代を説明するものもあった方が良かったのでは)。しかし、1人の若者を記念する展示としては、これくらいのものなのかもしれない。



家族の写真や、学生証等々を展示しているブース。



そして次のブースがこれ。1987年6月9日、延世大学の門前で、全斗煥大統領への抗議行動を行っている最中、警備隊の撃った催涙弾か李韓烈に直撃してしまう。映画「1987」でも描かれたように、いったん起き上がり仲間を助けようとしたところ、意識不明になる。頭から血を流して、仲間に支えられて病院にはこばれた。その時に着ていた服とズボンと運動靴、ベルト、靴下である。



片方の運動靴は、現場に残されていたはずだ。映画では、この運動靴のエピソードを、実に効果的にドラマに仕立てていた。実際、この時まで李韓烈役のカン・ドンウォンは、自分の名前も大学名も明らかにしていなかった。韓国の少しでも1987年のことを知っているものならば、大学名を聞いただけで若者の運命は、わかったはずだが、観客は最後の時になってようやく彼が李韓烈と知ることになる。普通の自覚的な若者として登場し、彼は「デモなんかしても社会は変わらない」とうそぶく少女に、「僕もそう思っていた。でも、(この前見せたあの光州民主抗争を記録した)ビデオを見てしまった。知ってしまったならば、少しでも変えるために出来ることをしなくちやならない」と答えるのである。しかも彼は光州の出身だった。けれどもあの時に13歳にもなっていなかった彼は、政府の言い分を信じ、あれを光州暴動事件とずっと思っていたのである。



李韓烈は、6月革命の成就を見届けるように7月5日に亡くなる。その追悼集会7月9日の「民主国民葬」は、全国から人が集まり、それまでの最大の160万人が集まったという。



倒れた李韓烈を支える学生の姿を写したチョン・テオン(정태원 )記者の写真は、その後チェ・ビョンス(최병수 )により木版画としても再生されて、1987のアイコンとなった。そういう絵画的な表現を、「民衆美術」だということを私は今年学んだのである。



ここでは、ずっと短いビデオを流していて、去年作り変えているのだと知った。なぜならば、最後の部分「30年経った今日」と言って、2016‐7年のロウソクデモの映像を長く流していたからである。正に、30年経って、暴力撹乱行為が一切なくて、犠牲者を1人も出さずに、あの大統領罷免を勝ち取った背景には、李韓烈を忘れなかった韓国民たちの努力があったせいだと、私は思う。





4階には、関連書籍や写真の朴鐘哲と李韓烈を扱ったマンガや(展示物の)クリアファイル、(アイコンの)コップ敷きなどを売っていて、必要な人は事務室まで、と書いていたのでクリアファイルとコップ敷きが欲しくてドアを叩いた。その時に少しだけ日本語が出来る女性に、「この記念館のお金は何処から出ているのか」と不躾な質問をした。「李韓烈のお母さんの息子の死に対して払われた補償を寄附してくれて作った」という。どれくらいの寄附かまでは聞かなかったが、オープンは2014年というから、いろんな苦労と志あったことが伺われた。ここでも、光州民主運動記念館で知った五大原則のうち「(犠牲者に対する)補償」が貫徹していることをつくづく知る。女性事務員には、私のブログの検索方法を伝えたのだけど、見てくれただろうか。





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最終更新日  2018年12月21日 07時41分46秒
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