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今月の映画評はお盆の時期なのでこれにしました。「夏の庭 The Friends」時々こう聞かれることがあります。「あなたの生涯ベスト作品は何なの?」たくさん映画を観ているのだから、ベストならばいい作品に決まっているからそれを観たい、という下心(推定)のようです。今までもそういうベスト作品を幾つか紹介して来ました(「レオン」「七人の侍」)。でもそういう時に、いつも頭に浮かぶけれども紹介するのをためらってきた作品があります。レンタルにもDVDにもなっていない幻の作品だったからです。ところが、最近DVDが発売されました。相米慎二監督の「夏の庭」です。基本的にいい作品なのですが、誰にとっても生涯ベストになるかと言うと、おそらく否です。湯本香樹実の同名原作があり、新潮文庫「夏の本」にも選ばれています。私は94年に「岡山を考える市民のつどい」前夜祭の特別上映で観ました。その1度観ただけなのに、その後何度も思い返すことになる特別な映画になってしまいました。神戸の小学校6年生の3人組の1人がある日こうつぶやきます。「人は死んだら、どないなるんやろ」それで近所に住む今にも死にそうな傳法喜八(三國連太郎)の生活を見張ることにするのです。はじめは少年たちを怒る喜八だったのですが、やがて彼らとの交流が始まります。私も、小学生の時に突然同様の疑問に襲われました。私の近所の髭ぼうぼうの一人暮らしの老人が死んだのです。言葉を交わしたことはなかったのですが、親類の葬式さえ出たことがなかった私は、この「死」に驚き恐怖を感じました。以後この怖さをずっと持て余す事になります。大人になると不思議と何とも思わなくなるのですが、映画を観てあの時の気持ちを思い出しました。そして髭のおっちゃんと話をした気持ちになったのです。映画ではなんやかんやあって、喜八は小さな白い箱に収まります。そのとき葬儀屋(柄本明)が言う「死は穢(きたな)いものではなく、尊敬されるべきものなんです」との一言が忘れられません。最初は荒れ放題だった老人の家の庭を子供たちは草を刈り、部屋を綺麗にする。最後にはコスモスの咲く可憐な庭として残ります。24年前には、小学生の気持ちで観た私でしたが、今回見直して「私も、三國連太郎のように死んで行くかもしれないなあ」と思ってしまった生涯ベストでした。(レンタルはどうやらどの店にも置いていません。DVD3800円)
2018年08月15日
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「フラガールズ」の二番煎じ。笑いと感動とパフォーマンスが数十ポイント低い。前作はプロ集団だった。テンポが悪い。あと30分短く出来る。クライマックスのパフォーマンスのときの事故で、立ち上がるのが遅すぎ!女の子達は当然がんばっているが、監督の演出と編集がよくないと思う。監督 : 猪股隆一 脚本 : 永田優子 出演 : 成海璃子 、 山下リオ 、 桜庭ななみ 、 高畑充希 、 小島藤子 、 金子ノブアキ あとでHPをみてびっくりしたのだが、これはほとんど実話だということだ。それをちゃんと映画の中で入れとかなくちゃ。本当に高校生が町興しのために書道パフォーマンス甲子園を企画したんですね。凄いものだ。桜庭ななみが案外よかった。高畑充希もなかなかよかったと思う。
2010年05月15日
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「交響詩篇エウレカセブン」ずっと気になっていたアニメDVDを四巻まとめてみる。あと9巻ほど残っているらしいのだけど、今のところの感想を述べてみる。あらすじ等はHPで。このアニメで特異だと思った部分。主人公の少年が巻き込まれて戦争に加担していくというのは、ガンダムと同じ構造である。しかし三巻目の第九話「ペーパームーン・サンシャイン」をみて、今のアニメってこんなところまで来ているのか、とびっくりした。人型戦闘ロボットの操縦者ヒロインのエウレカとゲリラ戦闘機月光号のリーダー・ホランドは、数年前まで軍の特殊部隊の主要戦闘員であり、なんと!エウレカが一般市民を虐殺する場面が二度もある。そのとき、死体の下でうずくまっていた3人の幼子を見つけたときにエウレカたちの反政府組織への転進が始まり、軍と対峙していくのではある。主人公であるレントン少年はその事実を知った後も、初恋の人であるエウレカにしつこく聞きだす。「それでも仕方なかったんだろう?」それに対してエウレカは答えるのである。「わかっていない! わたしたちは今でも戦争をしている。 私たちのしているのはゲームでもなんでもない。 気づいていないかもしれないけど‥‥‥ レントン‥‥‥それに君も加担しているんだよ」これは日曜の朝7時から始まるアニメだった。小学生、中学生が見る時間帯である。すごいことだ。私は偶然この回だけをテレビで見た。その後の展開を一二度見ただけで結局話がどうなったのか分らずじまいだった。今回はじめから見てびっくりしたのは、このアニメの世界(星)の説明が、ほとんどされていないのだ。トラパーと言う高濃度の空気の波がときおり寄せて、それに乗ってサーフィンよろしくロボットも空を翔る設定らしいのであるが、そのような基本的なことがほとんど説明されていないのである。それなのに、番組として成り立つところがまたびっくりする。おそらく子供たちは「アニメージュ」などで基本的な知識を補填しながら、学校で知識交換をしながら観ていたのだろう。今までのところでは、戦争とは?命とは?自由とは?そんな深いところまで描いているかのような思わせぶりはしているけれども、どうも表面をなぞっているだけのようにも思える。ただ、中学生にとってはもしこれがはじめて見る「戦争」ならば、「考えるきっかけ」にはなるのかもしれない。結末のつけ方を見守りたい。
2007年12月26日
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12月13日に「朝日ベストテン映画祭」の入選作が発表された。そのうち洋画は一位「長江哀歌」二位「孔雀我が家の風景」三位「ゾディアック」で、邦画は一位「天然コケッコー」二位「河童のクゥと夏休み」三位「それでもボクはやってない」だった。この映画祭は数ある映画祭のなかで最も早い時期のもの。毎日映画コンクールやキネ旬、ブルーリボン賞などはまだ納得性があるが、日本アカデミー賞だけは毎年納得していないであろう、多くの映画ファンにとり、この朝日のは評論家の選考ではあるが、まあまあ納得性があるものである。悔しかったのは、私がぼろくそにけなした「長江哀歌」が一位になったことではない。日本映画十本のうち私が鑑賞したのは、上位二位三位だけで、あと八本は全て未鑑賞だったことだ。今年は去年より少しだけ忙しくて、少しだけ見る本数が減った。そのギリギリのところで、観るのを諦めた作品が上位に来ているのが悔しい。特に日本映画は山下淳弘監督のが二本も入っていて、コケッコーはまだDVDがレンタルしていなかったので借りれなかったが、四位の「松ヶ根乱射事件」をDVDで見た。うん、なるぼど、傑作ではないが、心に残る作品だった。納得した。監督: 山下敦弘出演: 新井浩文 / 山中崇 / 木村祐一 / 川越美和 / 三浦友和 / キムラ緑子 / 烏丸せつこ / 西尾まり / 安藤玉恵 / 康すおん / 光石研 / でんでん舞台は90年代初頭頃。とある田舎町・松ヶ根で警察官をしている光太郎は、事件という事件のない退屈なこの町にウンザリしていた。実家は畜産業を営んでいるのだが、ぐうたらな父親・豊道は近くの床屋に居候中。そんな所へ流れ者のカップル、みゆきと祐二が松ヶ根にやってきた。何か訳ありっぽいこの二人の出現をきっかけに、ひき逃げ、金塊騒動、ゆすり、床屋の娘の妊娠と、平穏な町の平和に波風が立ち始めるのだった。(goo映画より)最初、「多少脚色していますが、基本的には全て私が見聞きした「実話」です」と言う意味のキャンプションがはいる。日本映画には珍しいことではある。田舎の日常をずーと撮る。いちおうひき逃げ、金塊騒動、ゆすり、床屋の娘の妊娠‥‥‥と事件は起きているので、緊張は続くけども、内容はいたって田舎の日常である。このビミョーなバランス感覚が素晴らしい。いつ、誰が乱射「殺人」事件を起こすのか、と緊張しながら見ていた。誰が起こしても不思議ではない。誰もが普通に暮らしているけど、誰もが普通ではない。だからラストの乱射事件はシュールだった。なるほど、これがあるから四位に選ばれたのかな、とも思った。「ゆれる」で田舎の町で田舎に嫌気が差ししている嫡男を演じた香川照之を思い出した。あの映画もそうだったが、高度経済成長期の昔の田舎の現実と現代のそこそこの町になっている田舎の現実は違うのだ。現代は既に東京に出て行っても夢がないことは知っている。けれども、田舎にも夢がない。街の誰もが知り合いで、少々の犯罪はかばいあう。逃げ場がない田舎と言うのは都会とはまた違った苦しさがあるのかもしれない。
2007年12月23日
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「あぶない、あぶない」監督 : 森田芳光 脚本 : 菊島隆三、小国秀雄、黒澤明出演 : 織田裕二 、 豊川悦司 、 松山ケンイチ 、 鈴木杏 、 村川絵梨 、 佐々木蔵之介 、 風間杜夫 、 西岡徳馬 、 小林稔侍 、 中村玉緒 、 藤田まこと 案外楽しめた、脚本がよいし役者も好演している、と言う巷の声を聞きますが、私は失望しました。いったい監督は何のためにこの映画を作ったのでしょうか。二時間そこそこ楽しみを持たせるために作ったのでしょうか。それならば、オリジナルで勝負して欲しかった。心に残る映画を作りたかったのだったら、これではダメだ。織田裕二は、そこそこ努力して、そこそこ役造りをしたようだ。殺陣もしっかりやっていた。しかし、この映画の肝は、椿三十郎なる素浪人が、頭もよく、腕も立つのに、最後の最後で室戸半兵衛のように出世の道を選ばなかった、その対比にある。見かけは全く違う二人であるが、城代の奥方だけは、三十郎の本質を見抜く。「あなたはギラギラした抜き身の刀の様ですね」。そして椿は室戸を評して呟く。「あいつは俺だ。」だから、三十郎の「抜き身の刀」である部分をきちんと見せて二人の類似点を強調することが、結果的に二人の運命を分けたところは何なのかを観客にわからすことになる。殺陣の場面など、それを髣髴させる場面は確かにあった。しかし、それ以外のほとんどの場面で織田裕二は自分の癖をかなぐり捨てて三船敏郎の語尾を強調する言い方をそのまま真似て見せる。あれは三船がしたから似合っていたのであって、織田裕二がしても全然似合わない。しかし、一方ではいつもの織田裕二の演技ならば、「ギラギラした」部分は出せなかっただろう。監督は織田裕二を選んだ時点で、彼に三船の真似をさせてはいけなかった。難しいが、現代の「ギラギラ」とは何かを極めた上で、全く新しい椿三十郎を作らなくてはいけなかった。この映画が、60~70点程度の単なる娯楽作に終わったゆえんである。そしてそれは私にとっては、黒澤映画に対する侮辱でしかない。失望した、と言った所以である。鞘に納まった刀である城代は最初事件の本質をこのように言っていた。「あぶない、あぶない。本当の黒幕はもっと奥まったところに居るものだ。」それを真似て私はこの作品について言いたい。「あぶない、あぶない。本当の面白さはもっと奥まったところに居るものだ。」
2007年12月10日
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「それと‥‥‥俺たちは軍隊ではない、自衛隊だ。」監督 : 成島出 原作 : 高嶋哲夫 脚本 : 長谷川康夫 、 飯田健三郎 出演 : 大沢たかお 、 竹内結子 、 玉木宏 、 吉田栄作 、 袴田吉彦 、 大森南朋 、 石黒賢 、 藤竜也 日本アルプスに米軍のステルス爆撃機(ミッドナイト・イーグル)が墜落した。その積荷にはとんでもないものが‥‥‥。日本政府は「ふってわいた危機」に、国民が知らないようにひそかに、吹雪のアルプス山中においてテロを企てた「某国」工作員たちと闘うのであるが‥‥‥。それに、元戦場カメラマン役の大沢たかおや、雑誌記者の竹内結子 、 玉木宏が絡んでくる。と言うような話。竹内結子は複雑な表情が出来るようになった。あとはいい映画に出会うだけだね。自衛官役の吉田栄作も渋い演技をする。(以下重要なネタバレに繋がる話あり)その吉田栄作が自分の誇りをかけて言う言葉が冒頭の一言。確かに、彼が果たしたのは専守防衛の仕事ではある。と、いうような設定になっている。そういう「政治的」なことに気を使いすぎる脚本なので、結果的に荒唐無稽な話になった。たくさんの突っ込みどころはあるのだが、一番気になった点をひとつだけあげる。それは、この話の発端は米軍が日常的にレーダーに映らないステルスに核兵器を搭載して某国(北朝鮮であるのは明らかであるが、ついに一言もセリフに入らず)上空を行ったりきたりしているのを「逆恨み」して、某国工作員が横田基地のステルスに爆薬を仕掛け墜落させて、日本に核爆発を起こさせようとした話である。日本の首相はそういうステルスの事情を全く知らなかったらしい。おいおい、某国はもしテロが成功しても、それは日本に対して戦争を仕掛ける、と言うことなんですよ。子供のけんかじゃないんだから、どうしてそんな無責任なことが某国が出来る、と発想するのだろう。しかも一個中隊の本格武装集団がやすやすと日本に入り込めるという設定はいかがなものか。首相は一人悩む姿を演じて見せたり、独りで責任をとると言うようなせりふを言わせたりして見せたり、「泣き」を強調しているが、作品としては、最も責任のあるアメリカに対する批判的な視点がまったくない。これではこの話はいったい何を言いたいのか、全く分らない。この作品、日米同時公開らしい。アメリカの国民の失笑が目に見えるようだ。米国政府は充分に知っていただろうが、日本というのはこれほどまでに御しやすい国なのか、と宣伝にいっているようなものだ。みっともない。昨日の記事にも書いたが、「アメリカの先制攻撃戦略に沿った日米軍事一体化計画の具体的な姿」をこの事件を発端にして浮かび上がらせる作品だったら、作品としても成功しただろうし、アメリカ国民にもかえって好印象をもたれるのではないか。このような国際的大事件を浪花節で終わらす邦画の伝統はもうそろそろ止めにして欲しいものだ。
2007年12月01日
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「生き残ったひとは幸せにならんといかんのです。」監督・脚本・VFX : 山崎貴 原作 : 西岸良平 出演 : 吉岡秀隆 、 堤真一 、 小雪 、 堀北真希 、 もたいまさこ 、 三浦友和 、 薬師丸ひろ子 前作「三丁目の夕日」の正統続編。前作は堤真一と吉岡秀隆、どちらが主人公か分らなかったが、今回は明確に吉岡秀隆の物語になっている。あまりにも予定調和だけれども、この映画に限っていえば、ハッピイエンドの「お約束」も悪くない。オープニングの「ゴジラ」は、監督の「お金をたくさん貰ったらこんなのもやりたかった」みたいな夢を感じられてよかった。ラストタイトルに「VFX」とあったのは、監督の意地みたいなものなのかもしれない。前作同様の小道具もたくさんあったけれども、日本橋、国際空港、トリスバー、一層式洗濯機、デリカシー、高速道路への空想、特急こだま、等々新しい小道具もたくさんあって、人物よりも画面の隅々が見どころになっていて楽しい。大画面で見る楽しみはそれである。戦争がまだまだ人々の心に影をおろしているのは、鈴木のお父さんお母さんの同窓会や日本橋のシーンでも明らか。お父さんが酔いつぶれていたときの蛍が悲しい。タダ、前作同様の頑張りなので、前作ほどのサプライズはない。それが、物足りないといえば物足りない。前作は岡山県玉島通り町商店街がロケ地に選ばれていたけれど、今回は井原町とあった。これもお勧めのロケ地である。ここの商店街は本当にレトロ!しかもあまり寂れていない。
2007年11月09日
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公開時つい見逃した邦画のDVDを幾つか。「暗いところで待ち合わせ」監督: 天願大介出演: 田中麗奈 / チェン・ボーリン / 井川遥 / 宮地真緒 / 佐野史郎 / 浪岡一喜 / 岸部一徳 / 佐藤浩市田中麗奈の盲目の演技が話題になった。突然の父の死により一人暮らしを始めた盲目の少女ミチルと、転落事故の重要参考人として警察に追われ、彼女の家に潜りこんだアキヒロとの奇妙な同居生活。『藍色夏恋』のチェン・ボーリンが意外にも好演。残留孤児二世で言葉が少ししかできないために職場で孤立している様がよく描かれていた。職場で顔役的な佐藤浩市たちによるイジメで彼は独りになる。ミチルも家の中でこそ、自由に歩き回れるけれども、外に出ることができない。その二人の交流が案外とリアルに描かれている。「やわらかい生活」監督:廣木隆一原作:絲山秋子出演:寺島しのぶ/豊川悦司/松岡俊介/田口トモロヲ/妻夫木聡/大森南朋/柄本明寺島しのぶがうつ病を演じる。そんな彼女が趣味のいい痴漢や、うつ病のヤクザ、EDの同級生と出会うことでしだいと自分を取り戻していく物語。うつ病の人が薬を飲みながら、それでも身体が言うことを聞かないほどに「鬱」がやってくる様をリアルに演じている。「ストロベリーショートケークス」監督: 矢崎仁司出演者: 池脇千鶴、中越典子、中村優子、岩瀬塔子、加瀬亮、安藤政信 これも、四人の女性たちそれぞれが、男運の悪さや、拒食症や、片思いや等々の独身女性特有の悩みを抱えながら生きていく様を描く。四人とも独りである。最後にやっと繋がる。どれも五点満点で四点の秀作であった。
2007年11月07日
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1946年3月6日、政府とGHQの徹夜の協議で決まった「憲法改正草案要項」の発表があった。早朝、暗い鉄道高架下の売店で鈴木安蔵は新聞を買う。そして一直線の世田谷の自宅に走って帰る。紅白の梅の花咲く庭で妻と共に新聞を見る。二人は、自分たちの作った「憲法草案要綱」がほとんど取り上げられている!もう二度と戦争をしないために無言の条項として作った部分に憲法九条が入り、「我々の願いが言葉になって埋まった」と感じ、憲法24条の男女平等条項に妻は目を見張る、喜びそして涙を流す。名場面である。そのときまでに二度までも戦前と同じような憲法になりそうな危機があっただけに、余計にこの場面は感動的であった。やっと映画「日本の青空」を見ることが出来ました。監督 大澤豊出演 高橋和也 藤谷美紀 田丸麻紀 加藤剛心配していた「意義任務だけで作る映画」にはなっていませんでした。なかなかドラマチックに描いていました。けれども決してエンタメではない。あえて言えばスクープ映画とでも言いましょうか。大澤豊監督にはかつて沖縄戦を住民の側から描いた「GAMA-月桃の花」と言う作品があります。これは私のmy most tear映画です。それまでにも平和学習をテーマに沖縄旅行は二回ほどしていましたし、ある程度知識としては持っていたつもりでした。けれども目の前に広がる映像にやられました。映像の力です。この映画でも、きちんとした映像で日本国憲法の成立過程を見ることで、ある程度学習しているものには、「憲法は押し付け憲法ではない。民衆の闘いの成果である」ことに確信が持てるし、ここにある事実をあまり知らなかった人には目からうろこが落ちることでしょう。1945年末から46年はじめにかけての時間を限られた憲法を作るための政府、GHQ、民間学者たちの緊迫したやり取りは見ごたえがあります。現代女性の沙也可は鈴木安蔵の存在を知ったときに「これはスクープだわ」と呟く。確かにスクープである。松本憲法調査会委員長が世論誘導のために毎日新聞に「松本憲法私案」をすっぱ抜かせたのとは性質が違う。以前「スクープとは何か」と言う記事の中で私は「スクープとは衝撃的な事実を速報することではない。まだ人々に知らされていないことを報道すること。報道することによって世論に大きな影響を与えるような報道であること。物事の本質をつかんだ報道であること。物事の本質を分かりやすく報道すること。」と書いた。その意味でこの映画をスクープ映画と位置づけたいと思う。小沢の辞任意向をすっぱ抜くのがスクープではない。彼の意図の本質を「解説」することこそスクープだろうと思う。HPのここに鈴木たちの書いた「憲法草案要綱」全文がある。植木枝盛の「革命権」を現代に翻訳したこの部分はぜひ日本国憲法に反映してほしかったと最近つくづく思う。一、 議会ハ国民投票ニヨリテ解散ヲ可決サレタルトキハ直チニ解散スヘシ一、 国民投票ニヨリ議会ノ決議ヲ無効ナラシムルニハ有権者ノ過半数カ投票ニ参加セル場合ナルヲ要ス一、 国民投票ニヨリテ不信任ヲ決議サレタルトキハ内閣ノ其ノ職ヲ去ルヘシ
2007年11月04日
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生エリカを見たことがある。一作目の「バッチギ」が公開された直後。『問題のない私たち』(監督・脚本森岡利行 黒川芽以 沢尻エリカ 美波)の舞台挨拶で岡山に来たのである。まさにブレイクする直前だった。その半年後なら、岡山の場末の映画館には到底来なかっただろう。彼女はここで清純な役とは180度変わり、最初転校生でいじめられるが、すぐに反撃し、したたかないじめをする高校生の役になる。現在のエリカはまさにこの映画を地でいっているみたいだ。ちょっと前々までちやほやされていたのに、一夜明けると、いじめの対象になっている。確かに彼女は「人間として未熟」だったのかもしれないが、その状態を面白おかしく報道するテレビや、ここぞとばかりにサイトに殺到して炎上させる視聴者たち、「社会として未熟」な様がよく表れている。生エリカを見たとき、舞台挨拶では、わりと奇抜な服装で出てきた覚えがある。映画に出る前はモデルをしていたというので納得。当時19歳と言う年のわりには、非常にしっかりした受け答えで、その年はすでに二本の映画出演が決まっていたにもかかわらず、「夢は女優ではない」と言い切った。モデルの仕事、歌の仕事、そして女優の仕事もしたいといっていた。すでに自分の将来を見据えて仕事をしている。みかけはまるでお人形みたいに綺麗だけど、「これは化けるな‥‥‥」と思った。その後の展開はご存知の通り。化ける、どころではない。この二年の間に主演ドラマ二本。脇役映画三本。主役映画、四本?。歌でもヒットを飛ばし、エリカ100変化のモデルDVDさえも出る。この活躍は、「異常」以外の何者でもない。彼女は夢を果たしつつある、といっていい。おそらく本当の夢は世界のトップモデルになることなのかもしれない。彼女にとって、映画はそのことを実現する手段なのだ。‥‥‥とでも芸能事務所から説得され、この殺人的スケジュールをこなしてきたのかもしれない。エリカがこの映画の完成披露試写会で、ブーたれていたということで、大バッシングが起こったらしい。インターネットで拾うと、そのことに対して、エリカは謝罪コメントを出し、涙ぐみさえして、それがまた芸能インターネット記事のトップに載る。私は、確かにプロの女優としてはやってはいけない態度だったとは思うが、別に話題にするべき様なことではない、と思う。このようなことになる前に、芸能事務所がエリカとじっくり話し合い、しっかり休養を与えるべきだったと思う。事務所の責任である。彼女は夢の実現のために相当無理をしてきたのだろうと思う。資本の論理はかのようにして「人間」を「儲けの道具」として扱ってしまう。さて、映画だ。作品としては、退屈もせずに見ることが出来た。監督 : 行定勲 原作 : 雫井脩介 主題歌 : YUI 出演 : 沢尻エリカ 、 伊勢谷友介 、 竹内結子 、 板谷由夏 、 田中哲司 、 サエコ 、 黄川田将也 、 永作博美 、 石橋蓮司 、 篠井英介 、 中村嘉葎雄 展開は最初からほぼ読めてしまう。サプライズはない。行定監督らしく、最初からなめるように撮る映像技術は健在。上空の桜散る映像から子猫の昼寝する城下町の古い下宿に映像を移していく。全体として三浦の町が非常に上手いこと撮れていた。ストーリー的には、竹内結子の想いが紙ヒコーキと共に全編を覆うのであるが、しかし主役はやはり沢尻エリカであるという構造になっている。沢尻エリカには「花」がある。何をしなくても漂う「色気」はほかの同年齢の女優にはないものである。そしてもうひとつは「気の強さ」である。映画ではそんなエリカの特徴を上手いこと掬い取っていた。エリカもきちんとそれに応えていたと思う。タダ、エリカがもし女優としてきちんと評価されるとしたならば、もう一皮剥ける必要がある。それはライバルといわれる長澤まさみにも言えることなのだが、「はっと映像に釘付けにさせる」演技なりセリフなりが、まだ彼女たちにはないのである。一つのセリフの持つ深みがまだ彼女たちにはない。沢尻エリカは聡明だから、そのことに自分でも気がついていて、いらだっていたという節もある。一年間に何本も主演映画を撮るようなスケジュールではとうていそのような映像を取ることは無理だろう。
2007年10月05日
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「包帯一本で世界が変わったなら、めっけもんやないか」「包帯クラブ」監督 : 堤幸彦 原作 : 天童荒太 脚本 : 森下佳子 出演 : 柳楽優弥 、 石原さとみ 、 田中圭 、 貫地谷しほり 、 関めぐみ 、 佐藤千亜紀 石原さとみ演じる女子高生は、たいていのことには驚かない。いつも世界を批判的に見る代わりに(それは時々非常に鋭い)、自らは何もしない。志望は就職。大学を出たとしてもせいぜいデパートの売り子になってやがてオバサン化していく自分が見えるから、今からデパートの売り子になっても同じだと考えたのだ。そこへ柳楽優弥演じる同級生の男の子が現れる。周りからは変人だと思われているらしい。いつも身体中に怪我をしているし、入院するほどの怪我をするときもある。聞くと、世界の危ない目に遭っている人の気持ちを知るためにやっているのだという。柳楽が今までの役柄を180度変え、野太い偽関西弁をしゃべる元気な高校生を演じて「見せている」。石原はそんな柳楽の中に「自傷行為」に近いものを見る。そして柳楽が思いつきで行なったことにヒントを得て、インターネットで傷ついた出来事を投稿してもらい、その人が傷ついた場所に包帯を巻く。その風景をデジカメで撮影し、投稿者に送るという「包帯クラブ」を発足するのであるが‥‥‥。石原さとみがいい。あんなふうにずーとブスッとしながら、社会を斜めに見ている女の子はリアルだ。あれほど鋭くはないが、私の妹もそうだったような気がする。その女の子が、しだいしだいと「熱く」なっていく様を見るのは気持ちがいい。柳楽も悪くはない。もう少しはっとするような表情が欲しかったが、ないものねだりというものか。これはほとんど全て群馬県高崎市でロケをしたのだという。いいロケ地を選んでいると思う。厳しい自然の山々を遠くに望みながら、高速道路やのっぽビルが次々と建つ地方の新興都市。たかさきロケ地マップ(PDF)エンドロールが始まっても立ってはいけない。最後のワンカットがなかなか重要である。「包帯クラブ」そのものに、あまりリアルさは無く、それが致命的な欠点ではあるが、気持ちのいい作品だった。
2007年09月24日
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「殯(もがり)の森」監督・プロデュース・脚本 : 河瀬直美 出演 : うだしげき 、 尾野真千子 、 渡辺真起子 、 斉藤陽一郎 、 ますだかなこ 奈良県の一地方の町の少し外れにある古い庄屋(?)を改造したグループホームに暮らしている集団があった。住人は7人の老人と3人の若い女性の介護職員である。もしかしたら、老人は8人いたのかもしれない。最初の画面は昔ながらのしきたりでゆっくりと風に揺れる青稲の海と茶畑の間を行く葬列で始まる。ドキュメンタリーを思わすような映像。彼女の処女作品「萌の朱雀」の冒頭場面、朝の土間での場面でさりげなく家族の絆を見せたあの手法と同じ、これはこれで重要な場面ではある。舞台になったのは奈良市の田原地区。今も土葬の風習が残っているところだそうだ。次はホームの老人たちの心のケアのためか、寺の住職が呼ばれて老人たちの質問に答えていく場面がある。しげきという名前の少し認知症が入った60代くらいの老人と坊主との「生きる」ことについての問答がある。それはそのまま、この作品の最初から最後までを貫くテーマとなる。非常にシンプルな作品である。ストレートに、私たちに、生き残ったものはどのように死を受け入れたらいいのか、一つの体験を見せてくれる。中には、しげきと真千子が二人で車で出かけていく目的がセリフの中ではっきりと明かされていないので、二人が森の中で迷うという設定が少々強引に感じる人はいるのかもしれない。ただ、映画が終わってみれば、二人のドライブの目的はしげきの33年前に死んだ妻の墓参りのためであり、グループホームはおそらくその妻の墓があんな山の奥にあることは露知らず(あるいはしげきが騙して)二人を送り出したのだろうと想像できる。念のために私はこの映画を二回見たという知り合いの介護福祉士の方に「あんなふうにたった二人で出かけることはありえるのだろうか」と聞いてみた。「ホームの方針によるのでは?」と言うことだった。絶対ないと言うことはないのではある。おそらくあれも「こうしゃんなあかんってこと、ないから」という主任の方針のひとつの表れなのだろう。主任はいい加減なのではない。一晩二人が帰らなかったことで、すぐにヘリコプターを飛ばしたことでも責任感の強さはうかがい知ることは出来る。けれども一人ひとりの介護をするときに、「こうしなければならないということはないのだ」と覚悟することは大切なことだろうと思う。テーマとは関係ないが、もうひとつ気になったのは、7~8人の老人に3人の職員がつくのは多すぎると思うのだが、さきの知り合いの介護福祉士は「定員によって職員人数は決まる。その決定は、管理者の判断です。」とのことだった。あんなグループホームもありえるのでしょう。散歩のときはとても気持ちよさそうでしたね。圧倒的な緑の洪水だった。稲田に茶畑、陽にかざす若葉、森の奥の陽の入りの少ない濃い緑、朝もやの草の広場、太古の木、墓の土、獣道、鉄砲水、焚き火だけの明かり、自然の色のあらゆるバリエーションをこれでもかと言うぐらいに見せ付ける。土葬にされた死者はその中で静かに眠り朽ちていく。今まで監督は極端に説明的なセリフを嫌ってはいたが、今回は最低限の説明が入っているという気がした。坊主との問答もそれであるが、映画の最後にはこのような意味のテロップも流れる。殯(もがり)とは、敬う人の死を悼み、しのぶ時間のことである。また、その場所の意。語源としては「喪あがり」すなわち「喪」があがることから来ているのではないかといわれている。思うにはこの映画で言いたいことはこの説明に尽きる。
2007年09月22日
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監督 : 三池崇史 出演 : 伊藤英明 、 佐藤浩市 、 伊勢谷友介 、 安藤政信 、 石橋貴明 、 木村佳乃 、 香川照之 、 桃井かおり 、 クエンティン・タランティーノおっ、これは「用心棒」これは「荒野の用心棒」、おおっ、みごとなドサ回り、なるほどマカロニウエスタンじゃなくてスキヤキウエスタンねえ、おやっ突然雪が降るんだねえ、題名の意図はここにあったのか、最後は演歌かよオ、等々楽しむことを自分に課して一生懸命に観ればそれなりに楽しめますっ。けれども思いっきり楽しめなかった。なぜなんだろう。映画好きのための映画なのに。きっとそういう奴は楽しめ、と強制されているような雰囲気を感じ取ったためかもしれない。ほんの微妙な違いだね。楽しめた人はラッキーです。 一人ひとりにスポットライトを当てて殺します。木村佳乃 は頑張っていました。 桃井かおりは美味しいところを持っていきました。 香川照之が素晴らしいのはいうまでもない。佐藤浩市は案外美味しい役なのではないでしようか。まあ、そういう映画です。
2007年09月21日
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去年の「釣りバカ」はぼろくそに書いた。まるで石川県の観光映画になっているみたいだったからだ。その記事を松竹の部長が見て「どこから金が出ようと松竹らしい映画を作ってやろうじゃないか」と発奮したらしい。今度は岡山県で、フィルムコミッションの強い要望で「釣りバカ」が実現した。(もちろん半分は冗談です)監督 : 朝原雄三 出演 : 西田敏行 、三国連太郎、壇れい、高嶋政伸、星由里子地元岡山だから、見る目が甘くなっているわけではない。いやあ、昔の寅さん映画のようだった。地元の人間でも倉敷市の海蔵寺の境内からあのような素晴らしい港町が眺められるとは知らない。確かに自治体からお金が出ている以上、少しは岡山の宣伝もしているけれども、石川のようにあからさまではなかったと私は思うのだが、どうだろうか。嬉しかったのは、三国連太郎が元気だったことだ。最近のやせ細りようで心配していたのだが、今回は出ずっぱりだ。海に出て、ちゃんと釣りもしている。浜ちゃんには悪かったが、今回はスーさんが全ていいところをとっていってしまった。その分はじけるような大笑いがなかったのは残念。まあ、観客層は中年以上が多い。夫婦や友達同士で来ているので、くすくす笑いぐらいでいいのではないだろうか。鯉太郎もなかなかいい味を出すようになった。結局スーさんが社長業を譲ったのはたこ社長ではなくて、集団指導体制のひとりなので、鈴木一之介は会長になったけれども、今までと構造は変わらない。最後は日本のエーゲ海牛窓で大団円。松竹喜劇らしいひと時をお楽しみください。
2007年08月27日
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昨日の「ボルベール」では「女はこわい」と書いた私ですが、今日の「怪談」では、「女は怖い」といわせていただきます。昨日も書きましたが、「慾と愛憎さえ絡まなければ、女は女を裏切らない」反対に言えば、慾と愛憎、特に愛憎が入ってくると、いやあ怖い、恐ろしい。けれども、もっと恐ろしいのは「因果」なのでございます‥‥‥。監督 : 中田秀夫 原作 : 三遊亭円朝 出演 : 尾上菊之助 、 黒木瞳 、 井上真央 、 麻生久美子 、 木村多江 以下、私は決して粗筋は書かないが、読みようによっては決定的なネタバレになっているところあり。そういうのが嫌な方は以下は読まないように。原作の「真景累ヶ淵」はまるでオペラである。誰もがその題名や、豊志賀、新吉の名前くらいは聞いたことがあるのだが、誰も全体像を知らない。ましてや円朝の語りを全部聞こうとなると、一晩かかる。でも映画を見て一番思ったのは、これを落語家の本格語りで最初から最後まで聞いてみたいということだ。なるほど、これは確かに古典だ。日本的だ。どこの国もまねできない。原作は読んだことがないので、この映画にかぎって美点を拾ってみる。ひとつは呪いの仕掛けが非常に間接的であるということ。呪いの本体(宋悦)は最初に出てきたきりあとあと決して登場してこない、と言うことである。眉間の傷と鎌、そして累ヶ淵が最初から最後まで出てくる。映像ではほとんどの方は見えなかったかもしれないが、あの鎌の後ろにはほのかに宋悦の顔が‥‥‥、やはり見えませんでした。もうひとつ、「親の因果が子に報い」を絵に描いたような展開。まあ確かに浮気心の罪はあるのだけど、それでああいう風になったのではない。不幸は決して新吉や豊志賀のせいではない。超自然的な「因果」があるのである。もちろんキリスト教的な「罪」の意識とは無縁である。新吉は最後の最後まで罪の意識を持たずに死んでいっただろう。人は不幸が何故やってくるのか理由は知らない。この怪談を聞く私たちはその不幸(呪い)の源は貧乏侍の新佐江門が金貸し宋悦に金を返すのがいやで切り捨てたためだと知っている。「そうかこうやって不幸はやってくるのか」怪談を聞いた観客たちはそのように納得して小屋を出て、ふと自分の人生を思い、心胆寒からしめるのである。中田監督はそれに「愛のスパイス」や「大仰な立ち回り」をくっつけて、世界市場に売れる作品を作った。そのために真の怪談の色は薄れてはいる。私なら最後はこのように終わらす。新吉の子供は跡取り息子として大事に育てられた。ある日、池の傍で商売をする豊志賀の妹のお園に出会う。事故があってその子供の眉間の古傷から血が出てくる。その傷を介抱しながらお園の瞳は妖しく光るのであった。
2007年08月21日
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全ては如月ミキのために。監督 : 佐藤祐市 原作・脚本 : 古沢良太 出演 : 小栗旬 、 ユースケ・サンタマリア 、 小出恵介 、 塚地武雅 、 香川照之 二転三転四転ぐらいまでの展開ならほぼ予想することが出来た。新聞評などの予備知識があったからである。(朝日の映画評はある意味、最悪のネタ晴らしだった。何しろあの文章を読む限りではこの作品は○○で終わっているとしか思えないからである。)たいてい私は「意外な展開」の直前ぐらいには気がついて大いに受けていたのだが、五転のときに、隣のおじさんがぼそっと私より先に真相を呟いたのがショックだった。この赤の他人の隣のおじさんとは、同じところで大いに受けるところもあったのであるが、基本的にはビミョーに受ける場面がずれていて、なんか妙な親近感と同時に対抗心を沸かせていたのである。あとで思えば、これが"おたく"というもののビミョーな心理なのかもしれない。初めて小栗旬をいい役者だと感じた。香川照之が素晴らしいのは言うまでもない。その後六転七転八転九転までいきかけて終わる。"おたく"といえば、変質者か犯罪者だとでも思っているような方にはぜひ観ていただきたい。見事な"おたく"賛歌映画である。今年のコメディ映画(とあえていう)の大傑作ではある。追加如月ミキをやった役者のブログを見つけた。http://www.rams.jp/kana/cgi/blog/映画を見たあと、このブログの天然B級アイドルそのままを読むと、おおー!となった。
2007年08月14日
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「どうして原爆は落ちたんじゃ!」「違うよ‥‥‥原爆は落ちたんじゃなくて、落とされたんよ。」監督・脚本 : 佐々部清 原作 : こうの史代 出演 : 田中麗奈 、 麻生久美子 、 吉沢悠 、 中越典子 、 伊崎充則 、 金井勇太 、 藤村志保 、 堺正章 8月5日、広島市商店街の中にあるシネサロン2で「夕凪の街桜の国」を観た。広島では全国に先駆けて先行上映している。19:00日曜日の最終回。客の入りは20人ほど。約二割の入りだろうか。ご当地広島、この時期にしては思ったより少ない。以前「父と暮らせば」をやはりこの時期に広島で見たときには満員だった。何故満員ではないのか。理由は二つあると思われる。ひとつは被爆死を淡々と描いているため、とりわけ涙を誘うようには作られていないために大衆受けは出来ないということ。広島の問題を日常的に捉えるという原作を尊重しているためで、好感がもてる。旧大田川沿いにあったという原爆スラム。銭湯ではケロイドにただれた人が通う。誰もが見てみぬふりをする。自らもケロイドを持ちながら、日常的な会話をする母子の姿が哀しい。ひとつはそれでも三代にわたる原爆症の恐怖、理不尽を描くのが原作の持ち味だったはずだ。しかし映画にその「理不尽」は現れない。原爆症の恐怖も世間の理不尽も、マンガならコマとコマの間からひたひたと迫ってくるのに、映画では迫ってこない。淡々と描きすぎているのだ。ここは淡々と描くべきところではない。広島の観客はもっとも厳しい観客である。広島の観客に刃を突きつけるような映像がほしかった。しかし職人監督の佐々部清は真面目に一生懸命作っていると思う。それは評価していい。この記事の冒頭の言葉は、原爆症に苦しむ皆実に対して弟が見かねて天を恨むつもりで言った言葉であるが、姉はそれについて原爆の本質を一言で言う。あるいは皆実に恋人が言う一言にもぐっと来る。ケロイドを持った地蔵のそばに立っていた木は戦後大木に育っていた。その場面は原爆ドームより北に歩いて空鞘橋を渡ったところにある木がそれである。ちようど座りやすいこぶが出来ていて、映画を見た次の日にしばらくそこで本を読んだ。水上タクシーが川べりを流れ、皆実の生まれ変わりのような痩せた雀が傍を寄り添った。この映画を見た日、原水禁大会の青年集会である青年が訴えた。「私たちは一昨年被爆60周年と言うことで証言者活動をし、参加者に一定の感動を与えました。しかし、60周年はあっても70周年はない。被爆者は次々と高齢化しており、体調的にも次があるとは思えない。単に「継承」といっていてはダメだ。継承を深化させなくては。私たちにはもう時間はあまりない。」この20年は被爆者が次々と現れる20年だった。子供の結婚就職のために黙っていた被爆者がもう言ってもいいだろう、ということで言葉を発し始めたのである。しかし一分一秒を争う。国は今からでも原爆訴訟で認定された「被爆者が原爆症である」という決定に対する上告を取り下げるべきである。追記この記事に関していえば、上に書いたことは独りよがりな記事でした。お詫びします。この下のコメント欄を、特に広島市民がこの映画を見た感想を書いているコメントをお読みください。この映画の思いは、実にストレートに伝わっているようです。
2007年08月13日
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活動写真として映画が始まる。白黒の雨が流れる映像からしだいらカラー映像に切り替わって話が始まる。つまりこの作品はリアル性を放棄し、語り部によってひと時の娯楽と教訓を伝えようとしてるのだ、と宣言をしているのである。現在の貧困にきちんと相対して逃げるな、精一杯生きろ、とおっしゃっている。そのメッセージ自体はいい。監督 : 降旗康男 原作 : 浅田次郎 撮影 : 木村大作 出演 : 妻夫木聡 、 夏木マリ 、 赤井英和 、 香川照之 、 西田敏行 タダ、私は原作者が嫌いだ。「鉄道員」の降旗康男だから万が一を思って見に行ったのだが、ダメだった。私はこの原作者のファンタジーを借りた説教くささが大嫌いだ。なんか、頭の上からこんなテーマですよ、といわれているような気がする。残念なことに邦画を見ていると、この人の原作が多すぎる。去年でも「椿山課長の四日間」「地下鉄に乗って」がある。この人の作品で唯一良かったのは、「鉄道員(ぽっぽや)」と邦画ではなく韓国版「ラブレター」の「パイラン」だけだ。両作とも結局主演男優に助けられていた。高倉健とチェ・ミンスクである。二人の存在感があまりにも凄かったために、いわゆるあざといはずの泣かせの場面があざとく見えなかった。それ以外は全ダメ。そしてこの作品も例外ではなかった。もう二度とこの人の原作の作品は見ないぞ、と心に誓うのであった。
2007年08月02日
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「父ちゃん、おれ人間の友達が出来てしまったダヨ」「河童のクゥと夏休み」監督・脚本 : 原恵一 原作 : 木暮正夫 声の出演 : 田中直樹 、 西田尚美 、 なぎら健壱 、 ゴリ(ガレッジセール) 、 冨澤風斗 「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」の原恵一監督の作品だと聞き、何はともあれ、見てみた。上手い。脚本が大事なこととアニメの出来ること、両方を良く知っている。やはり泣かされた。決してメロドラマの涙ではない。大切なことを気づかせてくれた感謝の涙なのである。ファンタジーのひとつのアプローチの仕方だろうと思う。河童の存在意外は、全て人間社会の反応がリアル。家族の反応。学校の友達の反応。マスコミの反応。テレビを見た人たちの反応。まるでどこかで見た景色。そうだ、「ど根性大根」とか「たまちゃん」とか、どうして日本ではマスコミの反応や視聴者の反応はこうもステレオタイプなのか。これ以外はありえないのかよ。と、思うくらいみんな同じ反応をする。そんなこともこの映画を見た子供たちは気がついてほしい。気がついたら、もうこんなバカ番組は見ないようにしてほしい。映像は素晴らしかった。背景のリアルさ。色処理の美しさ。動画の的確さ。顔の表情の細やかさ。そして河童が川を泳ぐときのスピード感。どれもとてつも無くずば抜けてはいないけれど、日本アニメの技術の到達点を示している。家族で見てもいいし、ひとりで見に行って思いっきり泣いてもいい。日本にはまだ、妖怪の棲める隙間のような世界が、少しだけ残っている。空間的にも、心の中にも。そんなことに気づかせてくれる映画である。
2007年08月01日
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構成は前作とほぼ同じ。テーマは違う。何しろ、いまさら高校生に男女の性差を突きつけてもリアルじゃない。今回はもっと「深刻な問題」に当たるのだ、ということに気がついたのは、映画が終わりかけてからだった。「 転校生-さよなら あなた-」監督 : 大林宣彦 原作 : 山中恒 出演 : 蓮佛美沙子 、 森田直幸 、 清水美砂 、 石田ひかり 、 窪塚俊介 「深刻な問題」にぶち当たっているのに、二人にあまり葛藤が見られない。監督の「思い」は伝わるが、描ききれていない。それと最初ヒロインは夢見るおてんばな少女として登場するのに、性が転換したあと、男の方に性格が移ったはずなのに、同一人物に思えない。個性が移っていないのである。これにはガクッきた。蓮佛美沙子の個性ひとりが輝いて、相手の個性がつぶれた形になった。これは森田直幸の力量不足か、監督の演出不足か。残念ながら前作には及びもつかない。タダ、大林監督の映像処理は相変わらず美しく、楽しい。 produced by「晴天とら日和」
2007年07月18日
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星は五つで満点です。「明日の記憶」渡辺謙プロデュースのアルツハイマー病もの。余談だが、原作者の荻原浩はあと三年のうちに必ず直木賞を獲ると思う。くすっと笑わすことも出来るし、基本的にエンタメなのに、このような深刻な問題もきちんと描こうとしているからである。最後の焼き物工房の場面と彼を追ってきた樋口可南子の表情が秀逸。安心、理不尽、怒り、愛おしさ、全てがほんの一瞬の間に表出して消える。★★★★「恋の門」「ユメ十夜」のの運慶の場面をヒップホップで処理したパートがあまりにも傑作だったので、松尾スズキの初監督作品を見てみた。予告編では、石でマンガを描くと言う発想そのものがついていけなくて、そのときはまだ松田龍平の作品をあまり見ていなかったということもあり、偏見があってみるのを遠慮していた。うーむ、この作品はなかなかです。オタクとは要するに自分の感性にこだわりを持っている人たちなのだが、見事なオタク賛歌になっている。哀愁、惨めさ、汚さ、含めて素晴らしさを描いている。これからもこの人の作品は注目していこう。★★★★「明日へのチケット」ケン・ローチ、アッバス・キアロスタミ、エルマンノ・オルミという3人の高名な監督による物語を1つにしたのであるが、残念ながら、つまらなかった。そのときは集中力がなかったのか、ケン・ローチの「ローマにサッカーの試合を見に行くスコットランドの少年たちのパート」しかいいと思えなかった。彼らは、難民の犯罪を見逃すか、それとも自分たちのサッカー観戦を諦めるかという二者選択を迫られる。彼らの思考は二転三転する。彼らがちゃんと難民の実情を理解しているところが、なんとなく西欧の未来に希望を感じた。それぞれの監督のエピソードが「サッドムービー」のようにもっと繋がっているのかと思っていたのに、全くといっていいほど繋がっていない。それもがっかり。★★★今日は参議院選挙公示日。必ず、投票所に行こう。
2007年07月12日
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「選挙」と言う映画は見るつもりはなかった。けれども、先日の日曜日、映画サークルで懇意にしてもらっている映画通の方が、傑作だ、と言うので騙されたつもりで見てみた。面白かった。やっぱり映画は見てみないことにはわからない。監督・撮影・編集 : 想田和弘 登場人物 : 山内和彦 、 山内さゆり 、 小せんき泉純一郎 、 川口順子 、 石原伸晃 、 荻原健司 、 橋本聖子 当初、私がこの映画を見ないことにしたのは、これを監督は「観察映画」だと名づけていると聞いたからである。そんな映画はそもそもありえない。万が一、二時間観察したものをそのまま映画にしたとしても、対象を選んだ段階で、監督の意図が入っているのだから、ドキュメンタリーで「観察」と言ういかにも「公正中立」なポーズは、「胡散臭い」のである。映画を見てみると、案の定、この映画の狙いはびんびん伝わってきた。監督の気持ちはどうであれ、結果として「公正中立」ではない。非常に手馴れた編集だし、しかも撮影もほとんど手振れがなく、ピントはいつもきちんと合っており、時々まるで計算したかのようにワンシーンワンカットで見事に対象を移動しながら映像を作っている。ドキュメンタリー作家としての技術性も申し分ない。だから、監督が「観察映画」と言う看板さえ下ろしてくれたら、私は一応この映画に合格点をあげたいと思う。ドキュメントの面白さは狙った以上の偶然の「事実」がどれだけ撮れるかに拠る。選挙事務所での噂話、夫婦喧嘩、自分の選挙ポスターの記念写真、運動会でのあくび、小泉総理に二回も握手してもらったとミーハー的に喜ぶ候補者、等々この映画にはそんな効果に枚挙がない。これは対象選択の勝利である。それらも含めて、この監督の編集意図は明確である。ただただ印象のみを選挙民に植え付ける選挙運動、三秒間に一度名前をいうこと、選挙参謀にぺこぺこする候補者、先輩市議との間にある明確な階級性、満足な政策議論も出来ない候補者、郵便局の家族に「私は郵政賛成だけど、私の父親は郵政族、市議は関係ないから、ぜひとも投票を」と語る無神経さ、神主を呼んで神頼みをする前近代性、‥‥‥‥‥‥。ここにあるのは、選挙運動の実態における、どうしようもない言葉の軽さである。選挙運動への不信感である。政策など関係ないという実態である。唯一、彼がきちんと政策を語ったなあ、と思ったのは酒屋のオバちゃんが店の前の水はけが悪いから直してくれ、と要望を言ったときに、「こんな身近な要望はついつい後回しになるけど、こんな要望を聞くことが一番大事なんだよね」と言ったことだろう。この映像だけを見ると、彼の誠実さはひしひしと伝わる。彼の演説を聞くと、「改革を止めるな」と叫んでいるだけだが、誠実さだけは伝わる。けれども、そんな誠実は全然信用できないのだ、と言うことをこの映画は伝えているだろう。少しこの映画のことを調べれば、彼は一期限りで市議をやめたことはすぐに知れる。彼の無責任なオバちゃんへの受け答えは実現されなかっただろう。当選後の挨拶の内容を簡単に反故にする彼の「選挙民への不誠実」は、基本的にすぐにわかる。監督の意図はそのように充分に伝わる。けれども、不満なのは、そういう選挙運動の実態を事実で示したのは、「選挙」の現実ではなく、「保守党の選挙運動の現実」でしかないということを、監督ははっきりしていないということである。よって、山内和彦が何故当選することが出来たのか、と言う解明はされていない。当選会場に公明党のお偉方が挨拶に出かけているという実態については完全にスルーしている。だから、この映画を持って選挙運動のほとんど全てを知ったと思うのは大間違いだろう、ということは感じておかねばならないだろう。そのことが伝わりにくい、と言うことだけは私の不満になる。さて、12日から、ついに参議院選挙本番である。争点は、憲法、格差解消、年金、消費税、等々だ。必ず、投票には行こう。この選挙は必ず大きな曲がり角になる。子供たちの未来のためにも、未来を作ろう。追記 思いもかけず、監督本人からコメントを頂いた。「反論」と言う形で(^_^;)よって、私自身のコメントの中で、この記事の「観察映画」と言う言葉に対しての見方の訂正を行っています。しかも私は「再反論」までしています。自分ながらこの性格にはあきれています。性格的にはいつも温厚なのですが、一方で私は頑固なのです。人間とは、多義的なものです。そういう多面性を「観察」すると言う意味での「観察映画」らしいと、私は解釈しました。
2007年07月11日
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今朝の朝日に「映画「折り梅」1300ヶ所に130万人」と言う記事が載っていました。130万人を興行収入に直すと、去年の話題作「フラガール」に匹敵するという。草の根で口コミで広がる映画があるという。試写会で、来た人を本当に感動させる。すると、人が動き出す。「本物」の力は凄い。そして大スクリーンの力はすごいのである。この前DVDで「明日の記憶」を見た。「折り梅」と同じアルツハイマー病をテーマとした力作である。けれども私はやはり「折り梅」の方が記憶に残っている。映画館で見たからだ。いい映画は頭の奥にいろんな場面が縫い付けられる。だから口コミで人に勧めるのである。「フラガール」は06年ベスト20だけど、「折り梅」は04年マイベスト10です。そのときのメモは以下の通り。「折り梅」松井久子監督 原田美枝子主演。同じアルツハイマーを扱っているが、前作「ユキエ」では、夫婦愛に焦点を絞って描いていた。どちらかというと二人とも芯の強い人であまり悩んでいなかったが、別離の物語であった。今回の登場人物たちは思い悩み、試行錯誤し、精一杯介護保険を使い、そして最後には「共に生きていく」所で終る。非常に良かった。日本のアルツハイマー介護の到達点(ヘルパー、グループホーム、デイケア)も見えるし、吉行和子と原田美枝子の演技合戦も見応えがある。「アルツハイマーになってもなお、東美展に入賞するような才能が花開く。(事実にもとずいているらしい)」人間とは凄いものだ、と率直に思わせるような映画である。いまの映画の作り方はテレビ局や映画・広告会社を軸に大手企業が出資して多額の資金を集める「製作委員会方式」だ。キー局が大々的に宣伝し、いろんな企業がタイアップ宣伝をする。そして映画を見に「行かされる」。そして時々大いに騙される。たまにいい作品に出会える。本当に見たい映画は監督の頭の中にまだまだ埋もれている。支援する方式を模索しているところがある。松井久子監督の次回映画も「賛助金」方式でいま撮影中である。ちなみに市場に出回っていないけど、草の根上映して欲しい作品は、まだまだたくさんあるだろう。私の場合は「夏の庭」だ。夏の庭 1994年作品毎日映画コンクール・日本映画優秀賞キネマ旬報ベストテン第5位監督 ................ 相米慎二 脚本 ................ 田中陽造 原作 ................ 湯本香樹実 傳法喜八 ................ 三國連太郎 木山諄 ................ 坂田直樹 河辺 ................ 王泰貴 山下勇志 ................ 牧野憲一 2001年09月15日私はニフティの映画掲示板にこのような記事を書いている。 「相米慎二監督逝去」昨日旅行から帰ってきまして、この悲報を初めて知りました。相米慎二監督作品はほとんど見てないのですが、「夏の庭」は忘れることができない作品です。阪神大震災前の神戸・須磨が舞台で、三国連太郎演じる老人がもうすぐ死にそうだというので、「人の死ぬところを見てみたい」という中学生三人組が、老人を付けまわすという物語です。その数年後に起きた神戸の少年の「人を殺してみたい」殺人事件。その後の同様な事件。彼らにこの映画を見せていたらと真剣に思いました。相米監督は数年後自ら死ぬというな何らかの予感があったのでしょうか。合掌。阪神大震災二年前の神戸須磨の景色が見えるし、「命」をテーマにした作品として、充分現代にも通じる話ではある。酒鬼薔薇の少年を生んだ神戸からこの作品の草の根上映が広まらないだろうか。私の一番好きな場面は最後の場面だ。おじいさんは小さな白い箱に収まった。それを、意地悪二人組がはやし立てる。ひとりはいつものようにずーとビデオを回している。そのとき葬儀屋のおっちゃん(笑福亭鶴瓶)が怒った。「人の死というもんは神聖なもんなんや。囃すもんとチャう。」ビデオの男の子は恥ずかしそうにビデオを隠す。鶴瓶の一言が忘れられない。
2007年07月04日
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個人的には「フラガール」よりはこっちのほうが好きだな。私、団体スポーツより、個人スポーツのほうが好きなんです。監督 : 平山秀幸 原作 : 佐藤多佳子 出演 : 国分太一 、 香里奈 、 森永悠希 、 八千草薫 、 伊東四朗 びっしりと鉢植えが並んでいる路地の二階には鯉のぼりがはためいている。やがて浅草寺ほおずき市が開かれ、木枯らしが吹いて玄関口を綺麗に掃き清めるお祖母さん。東京でも四季はさりげなく描くことが出来る。浅草演芸ホール、鈴本演芸場、末広亭、何十年も変わらぬ姿をさりげなく描く。物語の中心に落語を持ってきた、本格映画である。伊東四郎は最初から完璧な「火焔太鼓」をやらなくちゃならねえ。それに国分太一が追いつこうとする。まるで「フラガール」だ。どちらも凄い努力がいったにちげえねえ。ところがどっこい、この映画にはもう一人伏兵がいたね。森永悠希の「饅頭こわい」でえ。いや、これが凄い。確かに基本は枝雀のものまねだが、あそこまで行くと「芸」だね。末恐ろしい、とはこのことでさ。志ん朝の「火焔太鼓」と先々代の松鶴の「饅頭こわい」のCDを持っている。この二人の噺について話し出すととてつもなく長くなるので割愛。この映画の話の主題は「火焔太鼓」でさ。あの太鼓は三百両で売れたわけだが、じつは本当に価値のある太鼓なのかどうかは誰も明らかに出来ないのさ。ドンどこドン、ドンどこドンとそれぞれが叩く中で価値を決めるしかないのさ。結局一年にわたる四人の話し方教室が国分太一に太鼓の叩き方を教えたわけだ。それは香里奈にもいえる。かつて四年間ほど、正月の顔見世興行をみに、浅草ホールに通ったことがある。そのとき志ん朝も聞いたし、小さんも聞いた。こぶ平(正蔵)も小朝も聞いた。生の落語ほど面白いものはない。役者は突然噺が上手くなるように感じたかもしれない。けれども落語というのはそんなものだ。なんともいえない「間」で噺が全然違って聞こえてくる。えいがこわい、えいがこわい。誰か次の映画を教えておくれ。
2007年06月14日
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監督 : 井筒和幸 出演 : 井坂俊哉 、 西島秀俊 、 中村ゆり 、 藤井隆 、 風間杜夫 、 キムラ緑子 、 手塚理美 、 キム・ウンス 、 今井悠貴 今回LOVEをこめて辛口でいきます。悪い予感が当たった。面白くない。「想い」が前面に出すぎている。話の構成をたぶんわざと前作と同じ(喧嘩→ドラマ→クライマックス喧嘩)にしているのだが、「心の葛藤」がない。よって「わざとらしい。」監督が「俺は、君のためにこそ死ににいく」という映画に喧嘩を売った動機がわかった。この作品自体が、この映画に喧嘩を売っているからである。けれども「映画を見ないで、作品を批判しないでほしい」などと真っ当でない俳優に真っ当なことを言われて、この喧嘩は監督の負けだった。作品自体はどうだったかは「俺は」を見ていないので私は言うことができない。あの映画を笑い飛ばしていると肯定的に評価すべきなのか、あまりにも類型的に批判しているとするべきなのか、まだ判断がつかない。言いたいことはよくわかる。在日差別の問題、命の問題。でも理屈を見に映画館に足を運んだわけではない。前作にはオダジョーの存在、葬式場面でのどうしようもない壁の存在、壊したギターが大友康平によって復活する見事な数々のシークエンスがあった。意外性がこの作品にはほとんどない。西島秀俊の役ぐらいなものだろうか。この映画の主役は、キョンジャ役の中村ゆりだろう。まだ力不足だ。つくづく沢尻エリカであってほしかったと思う。監督も明確に彼女を意識して脚本を作っている気がする。清純さとはっとするような妖艶さ、そして芯の強さ、最後のクライマックスを支えるに足る俳優に、この映画で一皮むけてほしかった。彼女にこの映画で生々しいベッドシーンを演じてほしかった。produced by 「13日の水曜日」碧猫さん
2007年05月25日
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原作本を読んだので見てみた。懸念していた「昔のワーキングプア」と言うような宣伝もしていないし、内容的にもそんな内容ではない。若者の貧しいけど、繊細な夢と挫折の物語ではある。監督 : 犬童一心 原作 : 永島慎二 脚本 : 市川森一出演 : 二宮和也 、 相葉雅紀 、 大野智 、 櫻井翔 、 松本潤 、 香椎由宇傷つき傷つけ、の繊細な心情をもっと細かに描けばよったのだが、イマイチ。1963年の設定。カツどんが150円。たまたま出来たお金で三ヶ月好きなことをしようと決意するのであるが、その時の一日の一人の生活費は(家賃等の必要経費を差し引いた後の純粋な食費と小遣いが)400円というということになっていた。44年前の400円というのは一体どれほどの価値があるのだろう。その頃から見ると物価は10倍ぐらい上がっているような気がするのだが、カツどんの値段を見るとそんなに上がっていないのかもしれない。彼らの400円はそれほどかつかつの生活にはならないだろう。そうでなくてはならない。腹は減るけど、喫茶店で小説を書くぐらいの金はある、というのが人間の「最低生活」というものだろう。今度私がする最賃生活は一日964円。この金額で夢を育てることが出来るだろうか。
2007年05月10日
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悪い映画ではない。内田也哉子のお母さんがのり移ったのか、というような演技。オダギリジョーの個性に頼った演技、小林薫の快演、松たか子のいかにもお嬢さんという演技、そして樹木希林の普遍的な演技。なんでもない普通の人生。よく考えたらこれは松竹映画だ。かの会社の十八番ではないか。監督 : 松岡錠司 原作 : リリー・フランキー 脚本 : 松尾スズキ 出演 : オダギリジョー 、 樹木希林 、 内田也哉子 、 松たか子 、 小林薫 樹木希林は2005年1月、乳癌が判明し摘出手術を受けた。一度は死を意識したのに違いない。小林薫と内田裕也の関係を似たものだと感じたのも私だけではないだろう。樹木希林 の演技のうまさは定評があるけれども、今回はそれにプラスアルファが加わっている。これといって凄い映画ではない。後世に残る名作になるかどうかといえば、疑問符がつく。けれどもどんな人にも語られることの出来る人生があるのだ、ということを証明する映画でもある。私の母にもあった。‥‥‥そして、私の父親にもあるに違いない。
2007年04月23日
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ベテランと新鋭監督の豪華共演。「こんな夢を見た」という一言から始まる夢のオムニバスというアイディアは黒澤明の発明かとずーと思っていた。実は今から100年前に文豪夏目漱石先生がすらりと書いていたのだ。しかもこの言葉にほとんど拘っていない。監督 : 実相寺昭雄 、 市川崑 、 清水崇 、 清水厚 、 豊島圭介 、 松尾スズキ 、 天野喜孝 、 河原真明 、 山下敦弘 、 西川美和 、 山口雄大 出演 : 小泉今日子 、 うじきつよし 、 香椎由宇この映画、しかし残念なことに見るべき絵は4夜のみであった、というのが私の評価。とくに「リンダ、リンダ、リンダ」の山下監督に至ってはまったくの楽屋「落ち」であって、あれはやっちゃあいけないでしょ。清水祟監督は原作をうまいこと活かしながら、得意のホラーを披露する。夜中に自分の赤ちゃんを負ぶって散歩に出ると、いつの間にか赤ちゃんの目は無くなっていて、しかもすべて悟ったように喋り出す、というもの。もしかしたら、いつもより怖かったかもしれない。とはいっても、原作のほうがもっと怖いのだけどね。松尾スズキ監督の「運慶」は傑作だった。まさかあの章をあそこまでヒップホップに変えてしまうとは。彼の作品「恋の門」を見損なっているのが悔やまれる。「ゆれる」の西川美和監督の担当したのは第9夜。原作の江戸末期を太平洋戦争の時代に移し変えてみる。彼女らしく、セリフがある場面よりは、ない場面のほうが雄弁にテーマを語る。オーソドックスだけど、どうどうとした心理劇であった。最終話は山口雄大の作品。この監督まったく知らなかったのだけど、本上まなみが痛々しいほどの体当たり演技をしていて、(いや、本当はものすごく楽しんでいるのかもしれないが)ぶっ飛んだ。いや、それだけじゃなくて、笑いの中に非常に怖い部分があって、凄い作品になっている。冒頭の実相寺昭雄監督は最後の最後まで映像美の監督であった。合掌。今回映画に先立ち、原作を読んでみた。古本屋で一冊100円の緑の表紙の1970年発行旺文社文庫を見つけたからである。小田切進がなんと20Pにもわたる詳しい解説を書いていて、さすがあの頃「中学生のための文庫全集」だっただけある。(しかも注が全頁に渡って付けられている。)そして、その中のたった34Pに満たないこの短篇を読む。そのあまりにもの「シュール」さに度肝を抜かれた。「私のこの作品は100年たたないと理解されないだろう」と漱石は言ったという。至言である。さて、100年後に映画は作られた。残念ながら、夏目先生の文の力のほうがまだまだ勝っている。
2007年04月17日
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今日は月一回のお話シネマの日です。岡山市のとあるビルの談話室で今日は六名ばかしが一時の映画談義。今月の課題作品は「バッテリー」「ヘンダーソン夫人の贈り物」、それと「蟻の兵隊」です。「蟻の兵隊」の話のとき、首都圏では連日満員が続いた。このことについて、メンバーのご老体の方がこのようにしゃべりだした。「映画の出来もいいけど、やはり今の時代が反映しているのだと思う。どんどんきな臭くなっていく今の時代に対する危機感があるのではないか。」「もちろんこのような映画に行くのは全体の中からいえば本の一部なんだけどね。」ここから話は自然と今日の選挙のことに移っていく。決して私が話を振ったわけではありません。「今の若い人たちが選挙を棄権するということがわしにはわからん。」「選挙ですぐには政治は変わらん。自分の生きているときは無理かもしれん。けれども、子供や孫のことを考えたら、いま選挙に行かないでどうする?」この方は約10年前に食品会社の部長を定年退職した人。たぶんどの組織にも、労組活動にもたずさわったことは無いと思う。しかし、危機意識はもしかしたら私よりも強いのかもしれない。「蟻の兵隊」は兵隊のなかでも最下層の一兵卒だった人たちの恨みと悔恨とプライドを賭けた闘いの話である。「軍隊に入るとまず一番に何を徹底的に叩き込まれるかといえば、上官の命令には絶対服従。これなんだ。上官が殺せといったら平民でも何でも殺す。考えることなんかしてはいけない。そうしないと戦争が出来ない。それが戦争なんだ。だからこそ、私たちは二度と戦争はしてはいけない、と思っている。」この方はそんな一兵卒の人たちと最も近いところにいた。「今度の選挙が終わったら、日本はがらりと変わるだろう。大きな曲がり角を曲がってしまう。参議院選挙で自民党が勝つようなことがあれば、もういろんなことがどんどん決まってしまう。」私は何も云う事ができなかった。私たちがそんなことはさせません、なんて到底いえるはずも無かった。次の課題作品は「クィーン」「善き人のためのソナタ」「バベル」です。でも今月はそれ以外にも見たい作品が多すぎる。「ブラックブック」「ユメ十夜」「みえない雲」「神童」「パリ、ジュテーム」「ブラッドダイヤモンド」「東京タワー」「スパイダーマン3」。果たしてどれほど見ることが出来るか。映画談義は会が終わったあとも、場所を中華料理屋に移して延々と続く。お開きにしようとした8時20分、携帯のニュースメールが届く。「速報。石原慎太郎、三選確実に。」若いメンバーの一人は「当たり前だ。民主党が態度を決めるのが遅すぎた。」と吐き捨てた。
2007年04月08日
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選挙、行きました?必ず行きましょう。原作を読んだのは、2004年12月。「‥‥‥まるで藤沢周平の薄味だ。」と一言で片付けた覚えがある。その頃は藤沢周平氏の作品をほぼ八割方読んだ頃で、私はまだ氏の作品に入れ込んでいた。いや、むしろ欲していた。漆喰の闇の底から見える微かな明け方の光に大きく癒されていた。それと比べると、ここで描かれる茜空のなんと甘ちゃんなことか、としたり顔で思っていた。今回この映画を見て、こんなあかね空も悪くない、と思った。人にはさまざまな空がある。上方から来た豆腐職人の深川での商売は、その生真面目な仕事も手伝い順調に進む。少しつごうよく話が進みすぎではないか、という気がしないでもない。もちろん不幸も描かれる。しかし、描きたいのしは実は不幸なのではないのだ、ということをこの映画を見てやっと判った。「誠実な仕事をすること」親子二代にわたり、長い長い間それを続けること、そのことの意味を問う作品であったのだ。ストレートに感動できるいい映画だった。監督 : 浜本正機 、企画:篠田正浩出演 : 内野聖陽 、 中谷美紀 、 中村梅雀 、 石橋蓮司 、 岩下志麻 内野聖陽の二役はその意図はぴたりと決まっていたと思う。中谷美紀の八変化の演技は「一皮向けたな」という感じがして大変楽しめた。なにしろ「仕事」と「生活」を描くことがテーマなのだから、美術の仕事は大変重要である。一生懸命やっていたと思う。脚本は素晴らしかった。良くぞあの長編をここまでまとめた、と思う。「とんだ茶番だったな」と片付けたあの場面は原作には無い。企画の篠田正浩は今は監督業は退いて後継の養成に回っているという。いわゆる、映画学校のお手本になるような脚本だった、と思う。もちろん、いい意味です。ただ、苦言を少々。CGで江戸の町並みを再現する。一生懸命作っている、という気はする。けれどもどうしてもあそこから先の画面は「絵」なのだ、と感じてしまうという「質」になっている。きれい過ぎるのだ。騙させてくれない、あと少し頑張ってほしかった。それと、中谷美紀の少女時代だけは少し苦しかった。舞台であの演技なら文句無くOKだろうが、映画だとどうだろう。思い切って若い頃は別の役者に置き換える、という手もあったかもしれない。
2007年04月08日
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監督・脚本 : 塚本晋也 出演 : 松田龍平 、 hitomi 、 安藤政信 、 大杉漣 、 原田芳雄 、 塚本晋也 江戸川乱歩の大ファンだったという塚本晋也監督がかねてから撮ってみたかった念願の探偵もの。人の夢の中に入って悪夢を取り除くことを生業にしている悪夢探偵が、猟奇殺人事件を解決していくシリーズ第1弾。主人公の悪夢探偵に扮するのは、塚本監督が「この人しかいない」と指名した松田龍平。探偵とは言っても心に傷を持ち、現実に絶望しているというダークなキャラクターを独特の存在感で演じる。そんな悪夢探偵に捜査協力を求めるエリート女刑事役に本格的な演技初挑戦となる歌手のhitomi、また同僚の刑事役に安藤政信と大杉漣、さらに原田芳雄といった豪華キャストが塚本ワールドに挑む!(goo映画より)‥‥‥なんだそうです。恥ずかしながら、塚本信也の映画を見たのはこれが初めてです。いやあ、面白い。アイディア自体は「リング」や「着信アリ」「回路」から借りてきたような雰囲気があるし、悪夢に入っていくパターンは小説世界では宮部みゆき「ドリームバスター」がある。けれどもキャラクターが立っている。突っ込みどころは満載。危険性が頂点に達しているのに、どうして彼女を家に帰すの?とか、携帯の電源はそんなに続くの?とか、第二の殺人がおきた段階で容疑者は簡単に絞れるでしょ?とか、さすがにhitomiちゃん、棒読みのセリフが二箇所以上あったよとか‥‥‥。けれどもhitomiの最後のセリフで、黒かった駒が次々と白い駒に代わって行った様な気がした。そうだよ、悪夢探偵の能力は本来悪夢に入ることだけではないのだ。次回が期待できる。それは悪夢探偵が救われる話になるはずだ。(そうなって欲しい)二回目だから、悪夢の映像はもっと凝ったものになるはずである。もちろん、今回のもなかなか良かった。入れ子状態の悪夢の構造や、重低音を生かした映像。次回はもっと期待したい。hitomiが思ったより良かった。いい目をしている。そしてセクシーだ。あまり切れ物のキャリアという感じはしないが、次回はきっともっとセクシーになるだろうし、なってほしい。頭のよさそうな「切れ味」もましてくれるだろう。次回作がこれほど楽しみな映画は珍しい。
2007年03月25日
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本でも、映画でも、旅のことでも、政治のことでも、書いておきたいことが山ほどたまっているのですが、今日、heliotropeさんの記事に対して私が書いたコメントに以下のように返事をしてくれていて、>タウンミーティングやオリンピック誘致でも広告会社がべったり癒着していることが表面化してきました。すべてが利権でまわっているようで…でもそういう人たちは子どもや孫の代のことを考えないのでしょうか。この言葉について連想していたら、つい、いろいろと考えてしまったので、急遽予定を変えて記事を起こすことにした。なんについて書くか、というと優秀な人ほど、大切なことに気がつかない。ということです。私の思い出したのは、「長い散歩」という映画のことである。(以下100%ネタバレ、そしてそのうち90%は私の解釈である。)元校長先生の松太郎(緒方拳)は、その厳格さゆえに妻をアル中に追い込み、娘と絶縁状態にある。その贖罪の気持ちも働き、アパートの隣にすむ児童虐待にあっている女の子と、青い空と白い鳥を見に、旅に出かける。松太郎は充分理性的で優秀な男だから、衝動的に女の子を連れ出したりはしない。まずしたことは体力つくり。女の子と走っても息が切れないまでに体力をつける。女の子を施設に預けることより、一緒に旅に出ることのほうを選ぶ。もちろん、誘拐として逮捕されることは承知の上である。しかし、母親から無理やり離すことは女の子の心に傷を与える。おそらくそこまで思っての行動だろうと思う。松太郎は女の子の気持ちを一生懸命理解しようとしている。例えば、こんなことがあった。逃げてきて、ファミリーレストランに入り、最初の食事。女の子の好きなメロンパンが無いので、松太郎は仕方なくハンバーグステーキ定食を頼む。女の子はろくな食事を食べたことが無いから喜ぶだろうと思ったからである。熱々のハンバーグステーキが出てきたとき、松太郎が食べなさいと勧めると、女の子はハンバーグの皿をひっくり返してしまう。思わず大きな声で叱る松太郎。その後すぐに悲しそうな顔になる。この女の子と心を通わせることが出来ないかもしれない、とふと不安に思ったからである。娘と最後まで心を通わすことが出来なかったように。そんな二人だけど、旅の間にしだいと心が通いだす。ある日ひょんなことから、帰国子女でいじめにあい、様々な事があって逃避行中の青年(松田翔太)と旅の路連れになる。空き家で焚き火をし、ふかし芋を作ったとき、松太郎は女の子に食べさせようとするが、女の子は嫌う。青年は即座に、それは芋が熱いからだ、女の子は熱いのがとてつもなく嫌いなのだ、と気がつき冷まして女の子に渡す。松太郎は女の子の「熱い、痛い」という言葉で虐待のトラウマがあったことに初めて気がつく。青年は初めてなのに、女の子に本質に気がつき、松太郎は長いこと努力をしたのに、そのことに気がつかなかった。‥‥‥タウンミーティングの教育委員会の人たち、広告会社の電通のエリート社員、朝日の論説委員たち、彼らは社会的使命と常識とのバランスをうまいこと「理屈」にし、同時に「経営効率」という「成果」も上げている人たちなのだろう。‥‥‥俺たちは何も悪いことはしていない。家族もしっかりと守っている。そのぐらいのことは思っているのかもしれない。私たちよりは賢く理性的に社会を見ているのかもしれない。けれども、そんなひとほど、「孫たちにとって一番大切なこと」について気がついていないのでしょう。松太郎と女の子は、ある夜、枕元でこんな会話を交わす。「おじちゃん、サチのこと、好き?」松太郎、しばらく絶句して、声が出でず。滂沱の涙を流す。
2007年03月22日
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監督 : 滝田洋二郎 脚本 : 森下直 原作 : あさのあつこ 出演 : 林遣都 、 山田健太 、 鎗田晟裕 、 蓮佛美沙子 、 菅原文太 、 岸谷五朗 、 天海祐希 惜しい!後もう一歩。でもいい映画だと思う。予告にも出てきているが、天才ピッチャー原田巧が野球をする理由を父親は「病弱の弟の代わりにしているのだ。」と解釈する。けれども、そのように思われるのも原田は拒否して1人自らを鍛えてきた。あの解釈は原田に対する侮辱だと思う。映画はどっちとも取れるように作っており、不満ではあるが、一方では原田のブライトもそのまま残しており、ギリギリのところで1人の少年が『孤独だけど1人ではない』ということに気がつく、いい映画になっていると思う。中学生は特に身体の成長と心の成長がうまいこと重ならない。そんなときに頼りになるのは、やっぱり『親友』なのだろう。原田役の林遣都もいいが、バッテリーの豪の役山田健太がいい。本当はものすごく危険なところにいた原田を良くぞ救った。青波の鎗田晟裕はもいい。良くぞこんな役者を拾ってきたものだ。基本的には原作通りだが、せりふや場面はきれいに換骨奪胎している。母親はちょっと単純に作りすぎ。ロケ地場面は良くぞここを選んだというくらいぴったし。岡山県北各地でロケをしたらしい。またロケ地めぐりをしなくちゃ。
2007年03月17日
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監督 : 澤井信一郎 原作 : 森村誠一 出演 : 反町隆史 、 菊川怜 、 若村麻由美 、 袴田吉彦 、 松山ケンイチ普通ここまで中味のない映画を見させられると、怒るのであるが、ここまで人を動員してなおかつたぶん金もかけている映画でこんな映画を作ってしまったことに「感心」してしまった。その意味では金を返せ、という気がしない。貴重な映画を見た気分になった。せっかくのモンゴルロケなのに、どうして日本では見ることの出来ない自然をもっと見せてくれないのだろう。どうしてじっくりと民俗を見せてくれないのだろう。(もちろん映像はある。けれどもいかにもアリバイ的に見せました、というかんじ。製作側が全然自然も民俗も理解していないから、当然我々にも理解できない)あれほどの群集シーンで人を動員しているのだから、どうして、もう少し名も無き若い兵士をアップで取るとか、一般民衆の幼子を撮るとか言う「色気」を出さなかったのか。あまりにももったいない。エンドクレジットを見ると、全面外国ロケのくせに、主要キャストはおろか、主要スタッフもほとんど日本人である。外国スタッフの数があまりにも少ない。日本からそんなに連れて行く必要があったのだろうか。しかも、最後のほうに外国スタッフの名前が出てくる。たぶん、札束で顔をひっぱたき、いうことを聞かせたのだろう。金さえ出せば、お客を呼べる映画を作れると未だに思っている人たちが作ったのだろう。凄い映画を見させてもらった。
2007年03月12日
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監督 : 池谷薫 出演 : 奥村和一 、 金子傳 、 村山隼人 シネマクレール丸の内で今日から午前10:30の一日一度の上映が始まりました。今日は監督と主人公奥村和一氏(82歳)の挨拶と対談があるということで、久しぶりの満席です。単なる挨拶かと思いきや、上映の終わったあと、一時間以上にも及ぶ対談になっていました。それを紹介することがすなわちこの映画を紹介することにもなるだろうと思うので、詳しく書きたいと思います。監督は、この題名は二つの意味を込めたといいます。「残留兵たちは上官の命令に従って戦ったのだ。」という意味と、「一寸の虫にも五分の魂。このまま踏み潰されてたまるか」そして上映。ナレーションは一切ない。しつこいくらいに奥村氏の顔を追う映像であった。終わった後の対談で監督は言う。「きれいな顔をしているでしょう?ハンサムです。寅さんのおいちゃん下絛正巳さんに似ている。(私は西村晃に似ていると思った。)でも、怒った時の落差が激しい。奥村さんに会えたことは奇跡だ。---奥村さん、奥村さんは映画の話が来たときどう思いました?」「しめた!と思った。ずーと政府は相手にしてくれない。裁判所も公正だと思っていたけど、なんのことはない、われわれの死ぬのを待っているのだ。(しめたと思ったのは)せめて残留兵のことを記録に残せる。わらをもつかむ思いだった。」「日本軍山西省残留問題」とは何か。終戦当時2600名もの兵士がポツダム宣言に違反して武装解除を受けることなく、中国国民党系の軍閥に合流。四年間共産党軍と戦い、550人が戦死。しかし政府は彼らの戦後補償の要求を拒み続ける。奥村氏は「われわれは逃亡兵ではない。当時戦犯だった軍司令官が責任追及への恐れから軍閥と密約を交わし、「祖国復興」を名目に残留を画策した。」と証拠を探しに中国山西省まで赴く。実際に公文書館では、それを追認する関連資料は出てくる。しかし、決定的な証拠である「密約文書」は出てこない。奥村氏が怒ったのは、残留兵を見捨てて日本に逃げ帰るのを助ける軍閥の手紙を見たときである。----結局最高裁は上告を破棄する。「それでもボクはやってない」で出てきた裁判官の事なかれ主義はここでも出てきている。奥村さんたちのあせりは深刻である。この映画の中に出てきた数人はすでにこの世にはいない。たとえば、奥村氏たちに協力した人で帰還手続きのことを証言してくれた山崎参謀が映画の中に出てくる。10年前とは違い、今はすでに植物状態。映画裏話として、この映像は監督が「山崎さんの顔を撮ること自体、意味がある。」といって娘さんに何とか承服してもらって撮った映像だという。しかし奥村氏が「山崎参謀!」と呼びかけると、奇跡的に激しい反応を示す。娘さんもビックリしていたらしい。それほどに山崎氏は歴史的な事実を認めない政府の仕打ちが悔しかったのだ。「人間の尊厳とはこんなことなんだ、と思いました。」とは監督の感想。そしてこの山崎参謀も、この映画の完成の後、看護婦さんたちの「映画よかったよ~」という声を何度か聞いて安心してしまったのか、去年11月亡くなったらしい。他にも、完成試写会の三日前に亡くなった方もいるという。山崎参謀の反応を見て、奥村氏は中国行きを決意する。22日間の中国旅行。それはそんな旅に慣れた私でもすぐに大変な旅だと理解できる。しかも映画の中では出てこなかったが、奥村氏は胃がんで胃の全摘手術をしているのである。彼は中国は「行かなければならないところだ。」という。「結婚して子供が出来て思ったのは、子供は本当に可愛い。今生かされて幸せな家庭をもてばもつほど思ってしまう。私によって殺された中国人の人たちのことを。どうしても中国に行って謝りたい。その思いは薄まるものではなくて、かえって深まるものだ。」ところが、これがこのドキュメンタリーの凄いところなのだが、そんな思いで行った彼は裏腹な言葉を発してしまう。今回の旅の大きな目的のひとつは奥村氏が始めて中国人を殺した場所に行きたいということであった。当時初年兵だった奥村氏に上官は「教育」として人殺しをさせる。銃で撃つのではなく、銃剣で刺すのである。その処刑された人々たちの息子に会ったとき、その人たちがそれまで思い描いていた何の咎めもない住民ではなく、軍閥側警備隊員で共産軍を前にして武器を捨て敵前逃亡した人たちだと知る。と、いうか息子たちにそのことを執拗に問い詰める。謝る、なんて意識はなくなる。後のホテルで奥村氏ははっと我に返って、ひどくもだえ苦しんだという。「あのとき、私は日本兵になっていました。いまだに昔の教育が残っている。三つ子の魂百まで、というが教育と言うは恐ろしい。」編集の段階できったらしいが、その後奥村氏はもう一度ゴルゴダの丘よろしく、処刑にいたる急な坂道を歩いていったらしい。奥村氏は言う。「言葉で謝っても謝ることにはならない。何に対して謝るのか明らかにならないと。謝らなければならない「内容」とは何なのか。いま、語っておかなければならない。まだまだ国家賠償裁判は続ける。これは負けることが判っている闘いである。けれども「事実認定」はしなくてはならない。偽りの歴史は残すわけには行かない。私が死んでも土台だけは残しておきたい。」戦争の正体とは何なのか。この映画は明らかにしている。戦争とは人間を人間でなくすものである。政府とは平気で国民を棄てるものである。奥村さんたちが裁判を起こして得る利益は一切ない。それでも、最高裁で負けてもまた新たにやる、ということは何なのか。昨日、東京大空襲の戦災保証と謝罪を求めて同じく老人たちが政府を相手取り裁判を起こした。「民間人は戦争被害を受認せよ、という国の主張に、誰も正面からものを言わないことは、将来に禍根を残すことです。国の誤りを正すことは、現在と未来の問題でもあるのです。」と彼らも金銭的な利益のまずない、むしろ苦労とお金を買って出てこの訴訟を始めている。「本来はこんなことはこれからもっと長くこの国に住む私たちがすることでないのか」とは池谷監督の言葉です。その通りでした。映画の最後に、靖国神社で講演をする小野田少尉に向かい、奥村氏は彼に問い詰める。「戦争美化ですか?」小野田さんは言う。「美化じゃない。正当化しているのだ。天皇の詔勅を読め。(天皇は侵略戦争ではなく、やむにやまれぬ思いでしたのだといった)」と答える。今日の会場で、「二人の違いはどこから出たのか」と質問が出た。「単なる考えかたの違いです。」と奥村氏。監督がフォローする。「同じ地獄を見た兵隊が、60年たっても全く違う考えで相対する。これを正そうとするのが、奥村さんたちの戦いなんだ。いまだにあの戦争とはなんだったのか、明らかに出来ていない。それが今現在の、戦前に似た状況も生んでいるのではないか。」
2007年03月10日
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「海猿(かいえん)ください。」「‥‥‥?」「あっ、海猿(うみざる)ください。」そんなやり取りがあるくらい、あまり気乗りのしない鑑賞だったのであるが、500円で見れた、ということもあり映画館で見てきました。最近地元のMOVIXでは、一度成功したということもあり、ワンコイン上映というのを半年ごとにするようになった。去年の半年で人気だった作品を三つセレクトして、カード会員は500円で見ることが出来るという企画である。さすがに「ゲド戦記」は選ばれていないが、上記作品と「フラガール」「Mr&Msスミス」が選ばれている。この二つは悪い選択ではない。思ったより興行収益が良かった作品だ。ということは、良品だということだ。事実良品だった。さて単にテレビ番組の焼き直しだということで見ることを拒否していた「海猿Limit of Love」だが、案外人気だけはあったのである。案外見込み違いなのかもしれない。と、言うことで鑑賞です。‥‥‥約二時間の作品なのだが、せめて30分編集で縮めるべきであった。あんた、一分一秒を争うときに3~5分かけて別れを言っちゃあだめですよ。それがクライマックスの一回こっきりだったらまだ許せるけど、全編にわたり、あまりにもしスローモーですがな。一事が万事。うーむ、いただけません。こういう作品に興行があるということに、限りない不安を感じる。
2007年03月04日
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監督・企画・原案 : 奥田瑛二 脚本 : 桃山さくら 、 山室有紀子 出演 : 緒形拳 、 杉浦花菜 、 高岡早紀 、 松田翔太 、 原田貴和子 、 奥田瑛二 定年まで高校の校長を務めた松太郎は、妻をアルコール依存症で亡くし、ひとり娘とも絶縁状態。家庭を顧みなかった過去の自分を後悔しながら、安アパートでひっそりと暮らし始めた松太郎は、隣室の女が幼い娘を虐待していることに気がつく。それ以来、何かと少女を気にかけていたが、ある日ついに惨状を見かね、彼女をアパートから連れ出してしまう。旅に出た二人の間に、少しずつ生まれていく絆。しかし世間は“誘拐”と見なし…。児童虐待の問題を鋭くえぐりだし、公的機関に任せたら善人で、自分でかくまい親から逃げたら誘拐犯になるのかという問題を突きつけた社会派映画である‥‥‥というような作品に下手をしたらなってしまうような作品であるが、緒方拳の久しぶりの主演映画、さすがの演技で、社会派の作品であることを回避している。惜しむらくは奥田瑛二が最終近く、緒方拳の心情を、そしてこの映画のテーマを代弁してしまった。あれがなければ、かなりいい点を上げたのに、と思う。松田翔太の演技を初めて見た。松田優作のDNAなのか、それとも、父親と母親の背中を見て育ってきた成果なのか、演技としてはまだ未熟なのだが、いい表情をする。いい役者になるかもしれない。原田貴和子を久しぶりに見た。妹とは違う意味で、成熟したいい女になっていた。高岡早紀のあばずれ女ははまり役。この作品、なかなかいい役者の使い方をしている。自分の原案を二人の女性の脚本家に任せて監督をする。なかなか人を育てようとする堂の入った監督である。最後の「傘がない」を歌ったUAの歌声はすでに今年の主題歌賞をとってもいいほど、ぴったりだった。井上陽水よりもやはり、彼女の歌声のほうがぴったり来る。ここにこの映画のテーマのすべてがある。傘がない 作詞、作曲/井上陽水都会では自殺する若者が増えている今朝来た新聞の片隅に書いていただけども問題は今日の雨 傘がない 行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ 君の街に行かなくちゃ 雨にぬれ つめたい雨が今日は心に浸みる 君の事以外は考えられなくなる それはいい事だろ? 行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ 君の街に行かなくちゃ 雨にぬれ 行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ 君の家(うち)に行かなくちゃ 雨の中を 行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ 雨に濡れて行かなくちゃ 傘がない
2007年02月24日
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監督 : 塩田明彦 原作 : 手塚治虫 出演 : 妻夫木聡 、 柴咲コウ 、 瑛太 、 原田美枝子 、 中井貴一 、 杉本哲太 、 麻生久美子 、 劇団ひとり 、 土屋アンナ 、 中村嘉葎雄 実はノラネコさんがすでに「アア、ヤッチマッタァ・・・・・ 」と評価したばかりだ。「この映画の作り手は、異世界を説得力を持って作り上げる難しさを理解していない。 この映画の世界は、何かの方向性をもってデザインされたというよりは、単に思いついた要素を無秩序にぶちこんだようだ。 」ノラネコさんの言うように「ロード・オブ・ザ・リング」と比べるとよく分かる。「LOTR」では、映画の中ではあまり全面的に出ていない長大な歴史的背景があるから彼らの行動原理に説得力があった。それを支えるために、かぶとの紋章や言語の描写も凝っていた。「どろろ」には当然それがない。だから百鬼丸の失われた身体が何を意味するのか、結局何も分からない。「原作のどろろは十歳くらいの男の子の格好をした少女だが、映画のどろろはどうみても小汚い格好をした大人の女である。 映画を観た限りでは、この点も特に必然性のある改変ではない様に見える。 」マンガの場合はどろろは女の子であったということが一番最後に明かされる。リアルタイムでそれを少年サンデーで読んで、私は心底驚いた。大人になってそのことの意味をやっと理解した。だからこそ、百鬼丸と醍醐の対決でのセリフ(「どろろが許すといったら俺は許す」)が意味を持つのである。はじめから大人の女だと分かっているようではどうしようもない。しかも、映画ではなんとその決定的なセリフは単なるセリフとして片付けられてしまう。それりゃないだろう。もうこれ以上言っても仕方ない。私としてはそれ以上のことを付け加えることは無理だろうと思うのであるが、蛇足的に少しだけ書く。ここまで改変したのなら、おそらく世界進出を考えて舞台を異世界にしたのだろうから、思いっきり「マクベス」と「リア王」のセリフをそのまま持ってきて改変したほうが良かった。役者はいい役者を使っているのだから、それでも作れただろうに。ただし、監督がそのように原作を読み込むことが出来らの話であるが。
2007年02月18日
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監督 : 小松隆志 原作 : 瀬尾まいこ 音楽 : 小林武史 出演 : 北乃きい 、 勝地涼 、 平岡祐太 、 羽場裕一 、 石田ゆり子 3年前、父が自殺未遂をしてから家族は変わった。母は家を出て、成績優秀だった兄は大学進学を拒否し、農業に従事していた。新学期が始まり、佐和子は転校生、大浦と親しくなる。志望校を目指すため、佐和子と友達になりたいと言う大浦。変わり者だが明るく男らしい大浦に影響を受け、佐和子も夏休みに予備校に通う。父は仕事を辞めて、大学に行くと言い出す。それぞれの道を歩き始め、家族は少しずつ形を変えていく。(goo映画より)宣伝を見る限りでは、家族崩壊をテーマにした話かな、と思っていた。ところが、見てみると、少し変わっているけど、ぜんぜん普通の家族である。どうなんだろう、みんな「普通」だと思えるのかな。私にとってはそんなにインパクトは無い。心の琴線に触れる人はどのくらいいるのだろう。「君は目に見えないところで守られているんだよ」登場人物たちは出来るだけ皆普通の演技をしているように思える。それはそれでいい。けれども、映画にする意味があったのか、どうかは疑問。ミスターチルドレンの「くるみ」を最後の場面で一コーラスたっぷりとうたう。確かに意図は分かる。彼らの歌の歌詞が初めてはっきり聞き取れた。いい歌なんですね。映画の効用か。
2007年02月14日
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朝、DVDで「雪に願うこと」を見た。監督 : 根岸吉太郎 出演 : 伊勢谷友介 、 佐藤浩市 、 小泉今日子 、 吹石一恵 、 山崎努 、 草笛光子 いったん廃止が決まり、ヤフー系列の買収で生き残ることが決まった帯広のばんえい競馬場の物語。DVDでもサラブレットではないずんぐりした馬の無骨な魅力と力強さと意地みたいなものを見ることができた。おりしも映画も、いったんは賞金数が少なくて阿蘇に行き馬刺しになることが決まっていたウンリュウの一年延命をかけた勝負がクライマックスになる。たとえ、ひとつの勝負に勝ったからといってすべてが好転するわけではない。ばんえい競馬も、夕張も、あの途中の障害物のように上がる前に一息ついたり、つき過ぎて負けてしまって、食肉になったりするような運命はこれからもあるのかもしれない。けれども月八万の給料(宿舎住み込み、賄い付き)でも厩務員の人たちは誇りを持って働いている。必死で生きていける。仕事さえあれば。東京で社長になり、事業で失敗して帰ってきた弟は兄たちのこの仕事を一冬手伝うことで、東京に戻る勇気をもらう。映画館で見ることはかなわなかったけど、いい映画だった。再チャレンジーーー政治にとやかく言ってほしくない。政治に出来ることは限られている。(もっともそれさえ出来ていない)ばんえい競馬は動きがスローなので予算の少ない撮影でも綺麗に絵になっていた。特に朝の調教場面が美しい。なかなか競馬の映画はそのまま作ろうとすれば苦労がいるだろうが、今度はぜひとも「競馬」の映画も作ってほしい。人間と馬の交流は、嘘がない。まるで恋人同士のようでもあり、友情のようでもある。そのあたりを実は韓国映画はすでに去年作っている。「カクソルタン(角砂糖)」を去年の韓国旅行、テグで観た。「箪笥/たんす」(2003)「 アメノナカノ青空」(2003)で主演をつとめたイム・スジョンが旗手をする物語。体当たり演技をしていた。(韓国の俳優の育て方はなかなか凄いものがあると思う。) 難しいスピード感あふれる映像を作っていた。ただし、脚本はあまりにも予定調和でいただけない。角砂糖とは馬の好物、「雪に願うこと」でも一場面だけ出ていた。
2007年02月10日
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監督・脚本 : 周防正行 出演 : 加瀬亮 、 瀬戸朝香 、 山本耕史 、 もたいまさこ 、 役所広司 百聞は一見にしかず。万が一あなたが冤罪に見舞われて、被疑者になったとする。やっていないのだから容疑を認めない。真実はいつか必ず勝つはずだ。だから何も心配しなくていいのだ。と、思って一日ほど我慢すればすむことなのか。全然違う、ということをこの映画は描いている。本来は単館上映になるような内容だと思う。映画の出来が、そうなのではない。クスリとするような場面はあるけれど、万人がなかなか自分の身近に考えることが出来るような現実ではないからだ。出来は良い。こんなテーマをよくもここまでエンタメ近くまで作り上げた。周防監督でないと、出来なかった。ほかの監督なら、絶対深刻な映画を作るか、途中で妥協して匂わすだけの映画を作るかだっだろう。忘れもしない、96年2月3日岡山東宝で、公開直後の「Shall we ダンス?」を見始めたとき、冒頭に「物語せよといへ。われ汝の耳を魅せる話をせむ」というシェイクスピアの言葉が出る。なんて生意気な、と自分を省みずにそのときは思ったのだが、映画が終わったときにはもうすっかりその言葉に納得している自分がいた。長かった。次回作を待って、11年。新しい周防監督を見た。祝着。前宣伝で、「一日目の弁護士料はタダ」だとか、「無罪になったら拘留期間の日数分だけ一日約一万出る。アルバイトだと思えばいい」とかトリビアな場面を見て、案外被疑者になるのもいいかも、などと軽く考えている方はこの映画を見た後にもう一度そのように思えるのか、試してみたらいいと思う。例えば、私は二日目のあの地検での接見、耐えられそうもない。簡単に「自白」してしまいそうだ。(主人公が自白したかどうかは映画を見てのお楽しみ。)いや、あれは自白ですらない。しその辺りは「一見」して欲しい。そして、あの裁判場面。日本の裁判制度は「推定有罪」なのだという事がよく分かる。私は絶対罪など犯さないし、ましてや冤罪など疑われることはしない。という方も多いだろうと思う。私もそうだ。でも例えば、この前安倍首相はこんなことを言っている。「共謀罪」の通常国会成立を指示=野党に理解求める-安倍首相(時事通信1/19)共謀罪とは、浮気性の夫を憎んで「もう殺してやりたいっ」と友達同士で酒を飲みながら盛り上がって、そのうちの一人が警察にタレコミをすればもうそれだけで殺人罪として被疑者になるという代物である。提案者側はそんな犯罪は想定していない、というかもしれないが、実際条文案の中には殺人罪も入っている。法律は出来てしまえばひとり歩きする。首相の周辺は、支持率が下がっているのに、今そんな本音を出されたら参議院選挙に影響する、と否定に躍起である。けれどもこの法律が不要だとは決して言わない。日本は今、「夜警国家」の一歩手前だ。誰もが冤罪をこうむる可能性が出てきた。映画は「夜警国家」がテーマではない、けれども万人に関係する映画であることは確かだ。
2007年01月21日
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監督・脚本 安田真奈出演 上野樹里 本上まなみ 沢田研二 中村静香(関西弁で読んでください)べたべたです。なあんも意外なところはあらへん。けど、意外としっかりつくられてます。95%ふて腐れ顔の上野樹里がなかなかです。こんな女(の子)身の回りにもおるから、よけいおもろい。彼女に見せてやりたいわ、ホンマ。量販店出店の中でしぶとく生き残っている地域密着主義の電気屋の親父役をやった沢田研二も、大阪弁のおっチャンそのまま(「大阪物語」の再来)ですわ。父さんのことを理解しようとし家族の調整役を勤めてしっかり者たけど貧血の持病がありはかなげな長女の本上まなみ、声が大きくて元気で少しさびしがり屋の末娘中村静香、近所の主婦の一人一人もみいんな役にぴったんこで、クスクス笑いの絶えない、ええ映画でした。
2007年01月19日
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締め切りぎりぎりですが、いちおうインターネットの投票に参加しておこうと思います。評価についてはすでに書いたベスト20を参照してください。[作品賞投票ルール] ・選出作品は5本以上10本まで ・持ち点合計は30点 ・1作品に投票できる最大は10点まで『 日本映画用投票フォーマット 』【作品賞】(5本以上10本まで) 「かもめ食堂」 9点 「博士の愛した数式」 5点 「フラガール」 3 点 「紙屋悦子の青春」 2点 「花よりなほ」 2点 「デスノート後編」 1点 「虹の女神」 2点 「手紙」 1点 「ゆれる」 5点【監督賞】 作品名 [荻上直子 ] (「 かもめ食堂 」)【主演女優賞】 [ 蒼井優 ] (「ハチミツとクローバー」「虹の女神」「フラガール」)【コメント】 女優の演技を見るだけで満足するという点で、宮崎あおいには負けるが、いい作品に出た。【助演男優賞】 [香川照之 ] (「ゆれる 」)【コメント】演技のみですべての感情を見せるということは出来ることではない。----------------------------------------------------------------- この内容(以下の投票を含む)をWEBに転載することに同意する。--------
2007年01月18日
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「ゆれる」監督 西川美和 出演 オダギリジョー、香川照之、新井浩文 、真木よう子 地元のミニシアター、シネマクレールではこの2週間「ゆれる」のアンコール上映をしている。ちょうどこの映画が上映されている頃、私が韓国旅行の途中だったので、見逃していた。評判だけは聞いていたので、ある程度は事前情報を仕入れたうえでこの映画をみたのがよかったのかもしれない。わりと混乱せずに見ることが出来た。台詞による説明や、わざとらしい演出も無い。みんなの評判からなんとなく、大きく揺れる橋が何回も出てきて、観客にイメージだけを喚起するような難解な映画かと思っていた。ところが、橋は映像の中ではほとんど揺れない。非常に硬質でリアルな映像が続く。うーむ、これを新人といっていいような女性監督が作ったのか。やっぱり映画は実際映画館で見てみないことには分からない。確かに分かりやすい映画ではない。幾つかの事柄は、観客の判断にゆだれられている。ただし、お酒をめぐるエピソードで兄がどこまで知っていたか推し量れるし、腕の蚯蚓腫れによって弟の疑惑がどのように生まれ、昔の八ミリフィルムを見ることでどのように解消されたのかも推し量れる。最終的に兄はバスに乗ったのか、乗らなかったのか。は観客にゆだねられているだろう。私は乗ったと思う。兄はもはや田舎には帰らない。香川照之の演技は素晴らしかった。06年の主演男優賞は彼以外にはありえないだろう。えっ、主演はオダギリジョーなの? うーむ、仕方ない。彼がもしも助演男優賞を取れないような映画賞なら、私はそれを信頼しない。これは見事な心理劇であると同時に、現代日本の片田舎の現実をも見事に切り取っている、それを証言する作品になっている。囲炉裏が残っているような旧家に、葬式には親類縁者が12~3人はすぐに集まるような繋がり。「町はおにいちゃんを温かく迎えてくれるよ」「お前、本気でそう思っているのか‥」と無実を晴らそうと励ます弟に兄は言う。35歳独身。いつ潰れるかわからないようなガソリンスタンドを経営している、気配りの出来るまじめがとり得な、女にもてない、年老いた父親を抱えている、旧家の嫡男。そんな彼に確かに「人殺し疑惑」は決定的な痛手だろう。彼の未来は限りなく暗い。反対にいえば、現代日本の田舎とはそういうところだということだ。
2007年01月15日
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