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島原城を散策して外に出ると一群の彫刻に遭遇した。あの北村西望(きたむらせいぼう)の作品群である。全部は紹介しきれないが、ここに一部を紹介する。 説明文はこの写真では字が小さくて読めないので勘弁ください。 北村西望は長崎に行かれた方なら一回は見たことがあると思われるあの「長崎平和記念像」の作者である。私が長崎に3年間勤務した支店のすぐ後ろの小高い山の上ににあり昼休みに訪ねたり、また休日には子供たちを連れてよく行ったものだった。退職後も2,3年に一回は長崎を訪ねているが、その都度必ず平和記念像のある平和公園にも行っている。 北村西望は、明治17年12年(1884)に旧有馬村(現在の南島原市)に誕生し昭和62年(1987)にその生涯を閉じた昭和を代表する彫刻家の一人である。昭和33年に文化勲章を受け、昭和47年には島原市名誉市民となった。 同じ島原城の一角に「西望記念館」もあるが今回は見学しなかった。 その夜は島原市のホテルにKくんと泊まり、夜は居酒屋に出かけた。私も飲めないビールで乾杯!刺身など美味しくいただいた。大将も気持ちよくせっしてくれて、楽しい夜になった。 〆は島原名物の「具雑煮」を美味しくいただいた。翌朝、武家屋敷に向かった。島原には何回も訪れた私も20年ぶりくらいの2回目の訪問だった。 鹿児島にも武家屋敷群は知覧麓、入来麓、出水麓灘など武家屋敷はたくさんあるが、ここ島原の武家屋敷群も負けず劣らず立派のものだ。 見学の出来る武家屋敷もたくさんあって、楽しむことができた。
2025.09.23
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西九州新幹線が開通してから諫早駅は何回か通過したが、今回初めて諫早駅から乗車することになり長男の運転する車で駅に到着。長男は明日からの仕事もあるためここまでのドライブで終了。ここからはKくんとの二人ちょい旅になる。 しかし今回は新幹線に乗車するのではなく、私鉄の「島原鉄道」に乗車するのだ。 「海沿いを走る列車」これが島原鉄道である。諫早駅から島原港駅まで43,2kmの24駅。赤い線が島原鉄道。今回私たち二人は諫早駅から終点の島原港駅の一つ手前の駅・島原駅まで乗車する。 乗車してしばらくするとのんびりした田園風景が広がっている。遠くに見えるのは雲仙普賢岳などの山々か。 「西郷駅」を通過。西郷隆盛とは関係ないのだろうが、鹿児島の人間としては見落とせない文字の駅。 列車は多比良駅に到着。ここはサッカー強豪校の「長崎県立国見高等学校」の最寄り駅とのことで、サッカーボールのモニュメントがホームに置かれている。 日本で一番海に近い駅と言われている「大三東駅」(おおみさきえき)。ホームのすぐ近くに海が広がる。ここには「幸せの黄色いハンカチ」が飾られており願い事などを書いて幸せを祈願できる。この日もたくさんの黄色いハンカチが海風に揺れていた。 島原駅で下車。島原市は、縁あって私たちの男声合唱団「楠声会」が「雲仙普賢岳復興祈念チャリティーコンサート」を3回開催するなど思い出の地でもあるが、いつも貸切バスでフェリーを使って熊本から島原港に着いていたので、駅には縁がなく、今回初めて駅に降り立った。写真で見る通りお城の一画の風情があり、いかにも城下町という感じである。 道路にもこのような案内板があり、分かりやすい。 駅前から正面に見える島原城に向かう。夏に食べると特に美味しい名物「かんざらし」の店もあった。 島原城は1618年から松倉豊後守重政が7年の歳月をかけて築いたという。島原は城下町や温泉郷として古くから親しまれ雄大な自然景観に基づく文化や大地の息吹と歴史を感じる町である。 城は白壁と隅を守る櫓が美しい。建設当時はまだ新しかった「層塔型」という五重塔のような形の城から島原の町を一望できる。明治維新に伴い城は解体されたが、昭和39年に復元され、現在はメインとなる天守閣にキリシタン弾圧や島原の乱のいぶつなどが展示されている。 以下4枚の写真は天守閣の最上階からの眺めである。 雲仙普賢岳がすぐ目の前にある。 まだ続きます。
2025.09.09
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呼子に泊まり、呼子朝市を見物した後、Kくんと私は長男の運転する車で伊万里の「秘窯の里 大川内山」に向かった。私は3回目の訪問だが、Kくんと長男は初めての訪問とのこと。入口には焼き物の里らしく陶板の案内板がある。 いきなり焼き物の里らしい佇まいが訪問者を迎えてくれる。 片岡鶴太郎の工芸館があり、Kくんが作品を買って東京の友人に送っていた。 塀も焼き物の里の風情が感じられる。 清正公堂この辺りが江戸時代は大川内山の中心だったとのことで、藩役宅跡があったとのことである。 裏側を散策していると「登り窯」に出合った。私の身近では鹿児島の薩摩焼の里で見たことがある。 少し高いところからの眺め。橋の欄干にも焼物が使われている。 大川内山を後に柿右衛門窯に向かう途中に「うどん屋」に入る。福岡や北九州にも負けない美味しさの「ごぼ天うどん」に巡り合えた。 次に訪れたのは有田の「柿右衛門窯元」。有田には過去に数回訪れたが、柿右衛門窯を訪れるのは2回目である。初めて訪れたのはもう数えきれないほど昔だが、ちょうど春で門前の枝垂れ桜が満開だったのを覚えている。 建物も庭も素晴らしい。 展示コーナーは撮影禁止だったが、ここは売店? でもあり撮影OKだった。この後は諫早駅から「島原鉄道」で島原市に向かい「島原城」などを訪ねます。
2025.09.04
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名護屋城を後に向かたのは同じく佐賀県唐津市呼子町呼子。ここは漁業が盛んで新鮮な海産物と「呼子の朝市」で知られ観光客も多い。夏には呼子大綱引きが行われ町全体が賑わうという。松浦半島の北部に位置しており、気候は玄界灘からの北風の影響により夏は比較的に涼しいという。沿岸はリアス式海岸になっている。呼子港のすぐ前に位置する加部島とは呼子大橋が平成元年(1989)に」開通して結ばれた。沿岸部は玄海国定公園に指定されている。 泊まったホテル 部屋からの眺めに癒された。 よるの宿の食事には呼子名物の「イカの生きづくり」を中心に海の幸のオンパレードだった。 朝食の後、「呼子朝市」へ 私は約30年くらい前に初めて呼子を訪れて以来、数回ここには来たがいつ訪れても新鮮なイカをはじめ海の幸に満足して帰る。 江戸時代、捕鯨によって栄えた呼子町「鯨一頭で七浦潤う」一頭の鯨が七つの漁村を豊かにすると言われ多くの人が集い「鯨組」が形成されたという。中尾家は江戸時代から170年に渡り捕鯨業を営んだ一家で中尾甚六はその初代当主であり、その家も残っている。 ちょい旅はまだ続きます。次は同じ佐賀県伊万里の「秘窯の里 大川内山」に向かいます。
2025.09.01
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