古本屋で100円で買った本を、我が家の朝の読書で読み終えました。
本のカバーにバーコードがない時代の本です。
amazonで検索しても出てきません。
『共に育つ Part1 教育のあるべき姿を求めて』
「共に育つ」という言葉が好きなので、買いました。
そういえば、「共に育つ」と書いて、「共育(きょういく)」と読みますね。
本書の中に印象的な言葉がいくつかありましたので、紹介します。
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『共に育つ Part1 教育のあるべき姿を求めて』
(原文が長いものは、参照元の記載内容について短くして紹介しています)
p117より
・「子供は偉大な模倣者である。
模倣するに値する大人に出会わなければ
子どもは大人になれない」
本書では非行に走った子どもたちを早朝からの漁業体験にさそうといった、勤労体験により子どもが大人から学ぶというエピソードがいくつか紹介されています。
おりしも兵庫県の僕の近隣の地域では「トライやるウイーク」という中学生による職業体験実習が今週終わったところです。本書は「働く」ということと「教育」を結びつけたテーマで書かれているのですが、学校の先生も含めて、大人の背中を見せるということについて、「本当にそうだな」と感化されるところがありました。
p159~160より
・日本の戦前の政府とか、官庁街、財閥筋など
比較的地位の高い人々の上流の文化・社会の中には、
笑いが全くない。
なぜ笑いがないかというと、
会話の中に絶えず人間関係の格差が入り込んでくるから、
身分的秩序がそのまま持ち込まれた人間関係の中では、
ユーモアとか笑いなどというものは育ちようがない。
・芸者をあげてどんちゃんやる場合には、笑いがある。
芸者がはいることで人間が平等化する。
そこではじめて文化が育つ。
「笑い」というものがいかに重要か、というのはよく言われることです。
身分の差を感じさせる社会・集団は笑いを生まない、というのは、確かにそうだな、と思いました。
どういった組織・集団を作っていくか、という示唆をいただいた気がします。
p178~179より
・ 「愛」
という字を分解して見ると、
真ん中に「心」
その「心」を囲むようにして「受ける」という字を書く。
ところが「心を受ける」と書くと下が「又」になっているから、
「又」の左肩に「ノ」というカタカナをちょんとつけてやる。
「心」を「受」けて、「ノ」をつける。
たとえば、子どもが学校から帰ってきて
「今日は友だちとケンカした」と言ったとしたら、
親の愛というのは その子供の「心」を
「受」けて、「ノ」をつける。
その子供の心は「今日は友だちとケンカした」ということだから、
その心を受けてノをつければ
「今日は友だちとケンカしたノ」と
返してやればいいということ。
笑っちゃいました。
でも、確かにそうですよね。
そういえば、僕もよく言っています。
「○○ちゃんがたたいた」と子どもが言えば、
「○○ちゃんがたたいたの」または
「○○ちゃんがたたいたのか~」。
まず、受け止める。
余裕がない時は、これができていないときが、多いです。
反省です。
p212より
・経営者は社員の音色を聞きわけられる指揮者
このたとえ、気に入ったので、最後に紹介します
。
僕は音楽が好きなので、音楽に例えていろいろ理解したりイメージしたりするやり方がとっても好きなのです。
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また今日も本から学びや気づきをいただきました。
読む本がたまっているので、ぼちぼち読んでいきます。
本を読むと、元気になります。(^0^)
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