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南アフリカ共和国、ケープタウンの東南、大西洋とインド洋を画す海岸を見下ろせるフェルンクルーフ自然保護区にワイルドフラワーを観に行ったのは、もう3年前だ。あいにくの雨模様で、晴れていれば青い海を望めただろうが、海は鉛色だった( 写真 )。

◎「人類の揺り籠」
この海岸沿いにさらに東に行けば、現生人類の残した遺跡がある、と思ったが、ツアー旅行ではそんな自由はない( 写真
)。

南アフリカは、最初に猿人化石が見つかった「人類の揺り籠」の地だが(猿人化石の大量出土したステルクフォンテインは、その一帯の産出地とともに世界遺産「人類の揺り籠」に登録されている)、その後にもっと古い、情報量の膨大な化石群が東アフリカで産出し、実際の「揺り籠」の地は、東アフリカに移った。
◎最初の現代人的行動の証拠は南アフリカから
しかしまだ「揺り籠」は残っている。それどころか、最近の調査からここは「現生人類の揺り籠」だった気配が濃厚になっている。現生人類は、今から20万年前頃に古型のホモ・ハイデルベルゲンシスの中から分岐進化した。化石記録にはっきりと証拠を残すのは、19.5万年前のオモ・キビシュが最古である。
ところが現代人的な行動の証拠は、南アフリカから集中的に発見されている。現在のところ、現生人類の揺り籠は、南アフリカが最有力である。
現生人類がそれまでの古型人類と異なるのは、彼らに至って初めて象徴化が行われるようになったからだ。
その証拠の、最も充実しているのが南アフリカなのである。
◎ピナクルポイントの13B洞窟
ケープタウンから東に300キロほど行った、大西洋・インド洋岸に面したモッセルベイ市の南のワイルドフラワーで有名な海浜にピナクルポイントがあるが、この海岸にはたくさんの海食洞窟が開口している( 写真
)。


そのうち20カ所ほどは、現生人類の居住が確認されていて、ここの1つのピナクルポイント13B洞窟では、アリゾナ州立大など国際チームによって最も集中して調査されている( 写真 )。

象徴化の前提は、大きな脳を養える安定した食資源だ。13B洞窟の発掘調査で、16.4万年前頃には主に貝の海産資源を利用するようになっていた。
◎MIS6の氷河時代の人類適応
当時の地球は、19.5万~12.3万年前の「海洋酸素同位体ステージ(MIS)」6という氷河期だった。乾燥化して荒原が広がり、人類が利用できる陸上動物の資源が細ると同時に、海退で眼前に広大な岩の浜が広がっていたので、そこから容易に貝を採捕できるようになっていた。
そうした厳しい自然環境は、すでに脳を十分に大きくしていた現生人類に宗教などの象徴化行動の発展を促しただろう。
◎KRM、ブロンボス、そして
海産資源の利用は、近隣の遺跡の調査でも実は早くから注目されていた。最初にそれが注目されたのは、ここからさらに300キロ東方のクラシーズ・リヴァー・マウス(KRM)洞窟群で、ここの1洞窟から10数万年前近くに暮らした人類が貝の採捕を行っていた貝殻の層が残されていた。研究者を驚かせた人類最古の「貝塚」の形成が分かったのは、1960年代後半である。
その後、ずっと西方、ピナクルポイントの西約50キロのブロンボス洞窟でも、7万年前頃には海産資源の採捕と同時に、オーカー板への抽象的記号の線刻やビーズ製作などの多様な現代人的行動の開花が確認された。
◎MIS6のオーカー、細石刃技術、石器の加熱処理
さて、そのピナクルポイントである。ここは、アリゾナ州立大人類起源研究所の古人類学者カーティス・マレーンの率いる国際チームが発掘しているが、前述の氷河期MIS6(19.5万~12.3万年前)の地層から象徴化行動のための顔料の製作と使用が見出されている。オーカー(酸化鉄)を削って粉に引き、それを身体装飾などに用いられたのだろう。
それは、人類にとって初めての美意識、あるいはアイデンティティーの表象だった。
さらに世界最古の細石刃技術も確認された。それは、すでに南部アフリカ各地で確認されているハウスソンズ・プールト文化の最古のものであった。ちなみにヨーロッパでは、細石刃技術はずっと新しい中石器時代にないと現れない(日本では縄文時代草創期にわずかに先駆ける旧石器時代末に出現する)。
さらに考古学者を驚かせたのは、石材の制約を乗り越えるための石器の加熱処理が世界で初めて行われていたことだ。これも、ヨーロッパでは上部旧石器時代にならないと現れない。
◎シルクリートを加熱処理して良質の石器原材化
この頃のアフリカの石器文化はMSA(中期石器時代)だったが、南アフリカ海岸部ではMSA技術に適した石材に恵まれなかった。最適な石材は、東アフリカでは黒曜石、ヨーロッパならフリントだったが、これらきめの細かいガラス質の石材が南アフリカにはない。そこで、最古の現生人類は、細粒性に乏しく石器材料には向いていないが入手しやすいシルクリート(珪質礫岩)を、一定の手続きで火の中に入れて加熱処理をすれば良質の石器材料になることを発明したのである。
必要は発明の母、と言うが、それも知性の発達があってのことだ。この頃、現生人類は、次にこのステップを踏めばこうなる、という先見性を発達させていたのだ。
◎MSAの先駆的試みは途絶える
象徴化と先見性を備えたテクノロジーを発達させていた南部アフリカのMSA人は、明らかに言語も発達させていただろう。
しかしそれでも、その現代的行動の走りははかないものだった。その後、激しく気候の変動する気候環境のせいなのか、この現代人的行動は廃れる(あるいは小集団に細々と受け継がれた程度だったかもしれない)。中東を通じ、ヨーロッパなど旧世界各地に拡散するまで、10万年近い時間を要したのである。
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