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コーニュのドタバタから、アオスタの街まではすぐだった。◎自由行動でも添乗員さんが市街の案内 アオスタに着いたのは、午後5時ちょっと過ぎ。快晴で北イタリアは高緯度地帯なので、午後5時はまだ真昼の感覚だ。暮れるのは、夜の9時半頃になる。 これから8時頃まで自由時間だ。この旅で初めて夕食が付いていない。アウグストゥスの凱旋門からのサンタンセルモ通りの両側にはレストランやカフェが軒を連ねるている。食べる所には不自由しない。 しかしコーニュのロープウェイまで案内してくれた添乗員さんは親切で、僕たちをもう1度、アオスタの名所案内に誘ってくれた。◎サントルソ参事会教会を観る バス駐車場から歩いて、まずアウグストゥスの凱旋門に行く(写真)。それから前日のようにサンタンセルモ通りを西に向かってちょっと歩く(このあたりのことは8月2日付日記:「北イタリア、アオスタ、ドロミテ周遊(4):古都アオスタに入ってローマ時代の遺跡をめぐる」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202608020000/を参照)。 通りをすぐ右折し路地を入ると、正面にサントルソ参事会教会に出合う(下の写真の上)。教会の境内に、この教会のシンボルでもある堂々たるホダイジュの木が柵で保護されている(下の写真の下)。 ボダイジュは、シューベルトの歌曲「泉にそいて繁る菩提樹 慕いゆきては……」の『菩提樹』で有名だ。ヨーロッパの公園や街路樹によく植えられていて、僕は12年前のエストニアで満開の花をつけたボダイジュの木を観て以来だ。 サントルソ参事会教会(下の写真の上)は、回廊以外は無料で、回廊には確か6ユーロ払って入った。回廊の柱には、様々な彫刻が施されているが、それを1つひとつ撮っていられなかった。だが中庭の緑の芝生(下の写真の下)は、目にしみるように鮮烈だ。◎ローマ劇場は外から 古都アオスタには、ローマ時代遺跡の他に、中世の遺構も良く残っている。 「シニョーリ・サンクティ・ウルシの塔」(写真)は、13世紀中頃の中世遺構だ。この地方の有力貴族サントルソ家の住居兼見張り塔だったという。 僕たちは次々と石造遺構を巡回していく。 そして紀元1世紀頃に建てられたローマ劇場に回る(写真)。高さ22メートルの高い壁が現存し、それが劇場遺構の象徴となっている。僕たちの訪れたつい2週間ほど前に修復が終わり一般公開されたが、間もなくタイムアウトになるので中に入るのは断念した。(この項、続く)昨年の今日の日記:「羽に似たクレストにサルのような尾、2億4700万年前『奇跡の爬虫類』が見つかる」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202508060000/
2026.08.06

昼食後に僕たちは、次の見学地のコーニュに向かった。◎白いグラン・パラディーソ山を遠望 コーニュは、アオスタの南、アルプス山麓にある標高約1500メートルの高原で、1922年にイタリアで最初に指定された国立公園という。 コーニュの街は、人口1400人程度と小さいが、冬はスキーリゾート地としても賑わう。むろん夏は、風光明媚な景観をあてこんでやって来る観光客も多い。 僕たちは、駐車場でバスを降りて公園に向かって歩いた。公園には、アルプスアイベックスを象った標識板が立っていた(写真)。 他に立つものに、2つの大戦の戦没者の慰霊碑がある(写真)。ここからも出征し、戦没した兵士たちがいたのだ。 公園から、2つの山の向こうに横たわる標高4061メートルの白いグラン・パラディーソの山容を遠望した(写真)。◎ロープウェイに乗る 公園の向こうは牧草地になっていて、早くも牧草が刈り取られて牧草ロールがいくつも転がっている。 ただコーニュの見所は、ほぼここだけ。あと自由時間は市街地のお土産屋などの見物だが、街中を少し歩くとロープウェイの乗り場がある。 少ししか時間がないが、それに乗って、街を一望できる地点までいくことにした。添乗員さんが先頭だから、大丈夫だろうと達観した。ちなみにここのロープウェイは旅程表に含まれていない。料金12ユーロ(13ユーロだったかもしれない)を払って、乗り場に急ぐ。しかし3つ連結のゴンドラは目の前で行かれた。◎時間なくロープウェイは「乗っただけ」 次を待った。時間は、あまりない。添乗員さんがチケット売り場の人に尋ねたら、ゴンドラを降りて10分も行くと、素敵なビューポイントがあるとのことだったが、とてもそこまで行けない。中途半端な所で下界の写真を撮って、やってきたゴンドラに乗り込んだ(写真)。 降りた所で慌ただしく下界の写真を撮って(写真)、やってきた下りのゴンドラに乗り込んだ。事実上、ロープウェイに乗っただけのツアーだった。 しかし下に着いた時は、もう集合時間になっていた。それからは、添乗員さんを先頭に走った。添乗員さんを含めて9人のパーティーのうち、7人が来ているから走らなくともよさそうだが、来なかった夫婦連れ2人は待たせることになる。やはり走って誠意を示す必要があった。◎この時の遅刻は旅でただ1度の遅刻となった 僕たちゴンドラ組みは7分ほど遅れて集合場所の駐車場に着いた。 ちなみに僕たちのパーティーは優秀で、ホテルからの出発時間も、観光地での集合時間にも常に時間前に全員が集まった(全員と言っても8人だが=後に6人になる、その理由は後述する)。この時の遅刻が、このツアーの唯一の遅刻となった。(この項、続く)昨年の今日の日記:「旧ユーゴ3カ国周遊(16):『クロアチアのロダン』作の巨大なグルグール・ニンスキ像」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202508050000/
2026.08.05

モンブラン(モンテ・ビアンコ)やマッターホルン、グランド・ジョラス、デンテ・デル・ジガンテなどを観望し、神々しさに打たれたが、いつまでエルブロンネ展望台に留まっているわけにはいかない。◎様々な高山植物が開花 僕は、30分余りで下りのロープウェイに乗った。時刻は11時30分だった(写真=パビリオン駅が接近!)。 集合場所の途中のパビリオン駅に着いた。ここで、高山植物園を観るつもりだった。その後、ここのレストランで昼食である。様々な皿のうち、前菜とメインの2皿をチョイスする。 まず植物園を見学。美しい高山植物が植えられている。ただ花の名は分からない。一部に学名が欧文でふられたものもあるが、和名はかいもく見当がつかない。しかしこのうちいくつかは、その後のハイキングで目にした(写真)。◎遠くに見えたアイベックスは造り物 エーデルワイスの鉢植えも売っていた(写真)。ここでは栽培して、希望者に販売しているのだ。日本人はスルーするしかない。日本国内には生きた植物は持ち込めないからだ。 昼食は、そろそろ肉やパスタに飽きてきて、ほとんど感動もなく終わった。 食事後、少しだけ外に出た。目の上をロープウェイが登っている。 その下の岩の上に、黒い人影と動物の姿。動物はアルプスアイベックスだ(写真)! しかし少し観察していても全く動かない。こんなに人の多いところにアルプスアイベックスが出てくるはずはないから、造り物だろう。 ちなみに今回の自然観察ツアーでは、生きた野生動物を1回も見られなかった。観光客の10組に1組は、イヌを連れているから、野生動物は出てくるわけもないのだ。◎V字谷の底に広がる街を俯瞰 レストラン外からの下界の眺望も良い(写真)。氷河期の氷河の削ったV字谷の間にエントレベスの街が広がっている。 ここも散策路になっていて、時間のある健脚者なら下の街まで上り下りできるだろう。ちなみにパビリオン駅のある所の標高は2137メートルだ。(この項、続く)昨年の今日の日記:「旧ユーゴ3カ国周遊(15):スプリトのジャガイモいっぱいの昼食とディオクレティアヌス宮殿」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202508040000/
2026.08.04

明けて実質2日目の7月20日は、いよいよこの旅の目玉の1つのモンブラン(イタリア名はモンテ・ビアンコ)を間近で観望する日だ。言うまでもなくモンブランは標高4807メートルの西欧1の高峰だ。富士山よりも1000メートル以上高いために、山頂付近は夏でも雪をいただき、氷河も流れている。◎向かう展望台の標高は3466メートル 朝9時過ぎにアオスタのシェヴァル・ブラン・ホテルを、一路エントレベスに向けてミニバスで出発する。 快晴の天気とはいえ、リュックにはアノラックとセーターを詰め込んである。最終目的地は、間近でモンブランを観られるエルブロンネ展望台で、ここは標高3466メートルもある。富士山よりちょっと低いだけで、気温は晴れても3~4℃と添乗員さんから警告されていたからだ。 添乗員さんはしきりに僕たちの参加者の高山病を気にかけていたが、僕は全く意に介していなかった。何しろ14年前、南米周遊の一環でペルーの古都クスコ(標高約3400メートル)を訪れたが、ここでもへいちゃらだったのだ(参加者の何人かは高山病に苦しんだ)。◎眼前に聳える最高峰モンブラン バスを降りると、まずラ・パルド駅で75人乗りの360度回転式のロープウェイに乗る。ゴンドラは途中ゆっくりと1回転するので、窓際ならどこに立っても同じと言われた(写真)。 5分ほどで、乗換駅のパビリオン駅に着く。ここで、エルブロンネ展望台行きに乗り換える。7分ほどで、ロープウェイはエンブロンネ展望台に到着した。 外に出るが、息苦しさも吐き気も全く感じない。 そしてそこに、360度のアルプス山脈の絶景が広がっている。深いブルーの空に周囲に屹立する山群――さすがに夏だけに中には雪をいただかない山も目立つ。 もちろんこの展望台のスターは、モンブラン(モンテ・ビアンコ)だ(写真)。それが、僕の目の前に聳える!◎「巨人の歯」、そしてグランド・ジョラス 西に目をやると、また別の山塊が望める。 一番左(西)に、肉食獣の牙のようにそそり立ちピークが見える(写真)。「デンテ・デル・ジガンテ(Dente del Gigante)」で、「巨人の歯」という意味だ。標高4013メートル。垂直に尖ったピークであまりにも険しいので、何度もアルピニストの挑戦を退け、やっと19世紀末の1882年に征服された。 その右の二枚刃のようにそそり立つのが、エギュイユ・ド・ロシュフォール(Aiguille de Rochefort 、標高4001メートル))、そしてそのさらに右の雪をいただき、裾に氷河を抱える山が、アルプス3大北壁の1つ、グランド・ジョラス(Grandes Jorasses)、標高4208メートルである。 そしてさらにその右の遠くに、ヨーロッパの名峰マッターホルンが遠望できる(写真)。◎目をそらさせぬあまりの絶景 もう1つ、大きな氷河を流す日本の槍ヶ岳に似たピークがある(写真)。名前が分からないのは残念だが、その右に鋸の歯のようなピークを従える威風はなんなのだろうか。 あまりの絶景に僕は、それらの山々から目をそらすことができず、ただ深い感動に浸っていた。(この項、続く)昨年の今日の日記:「『サイエンス』が15年前のヒ素生命の論文を撤回、当該論文は「無い」ことに、研究不正は否定」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202508030000/
2026.08.03

ソノーニョ村から国境を越えて再びイタリアへ。今夜の宿泊はローマ時代に創建された古都アオスタで、スケジュール表によると、5時間ものドライブになる。 ただEU規制で、ドライバーは2時間ごとに20分休憩をとらないといけないので、2回、ドライブインに寄って、それがトイレタイムともなった。◎有料トイレ用の1ユーロ硬貨集め 以前にも書いたことがあるが、ヨーロッパでは1ユーロ硬貨が必須だ。公衆トイレ(ドライブイン付設のトイレでも)に1ユーロがほぼ要るからだ。たまに無料のトイレに当たると「ラッキー」と思ってしまう。以前――30年~40年前――、若い頃に盛んにイタリアに行った時、有料トイレはほとんど無かったように記憶している。 だから僕たちの最大の関心事は、ともかくもユーロ硬貨を溜めることだった。空港のエクスチェンジでも硬貨はくれないからだ。 そのため最初のトイレでは、添乗員さんに1ユーロ、借りる羽目になった。その晩の夕食でビールの支払いに10ユーロ紙幣を使い、ユーロ硬貨を釣りにもらって返したが、歴戦の添乗員さんもあまり持ち合わせはないようだった。◎古都アオスタのアウグストゥスの凱旋門 さて古都アオスタに入った。 ヨーロッパは夜も9時半くらいまで明るい。だから6時半でもまだ強い日差しが射していて、僕たちは添乗員さんの案内で、ホテルに入る前にアオスタ旧市街を散策した。旧市街には、ローマ時代の石造の遺構が、あちこちに残っている。 まず見せられたのは、アウグストゥスの凱旋門だ(写真)。紀元前25年、街が創建された時に、時の初代ローマ皇帝アウグストゥスに献げられた門だ。ちなみに今月8月は英語で「August(オーガスト)」という。このアウグストゥス(Augustus)の名前が由来だ。元老院が彼の栄誉を称え、それまで「第6の月」を意味していた「Sextilis(セクティリス)」という呼び名を改めたのだ(古代ローマの暦では3月が年の始まりだったため、8月は「第6の月(Sextilis)」だった。それを皇帝の名に改めたのだから、アウグストゥスの強権ぶりと権威の高さが憶測できる。 門の前の公園にも、アウグストゥスの像が建っている(写真)。しかしこの像は、かなり新しく建てられたもののようだ。 凱旋門を起点に、西にまっすぐな道、サンタンセルモ通りが1本走る。道の両側にはレストランやスーベリアショップの建ち並ぶ(写真)。◎ローマ時代の遺跡プラエトリア門をくぐる 150メートルほど進むと、石造のプラエトリア門をくぐる(写真)。この門も、アウグストゥスとほぼ同時期に建造された。 僕たちは、翌日もこの通り周辺を自由行動する予定なので、添乗員さんはだいたいの土地勘を僕たちに持たせたかったようだ。 1841年完成の新古典主義建築の旧市庁舎まで行き(写真)、引き返すことになった。中には州の模型や歴史的人物の彫像などが飾られているという。 そこからは、少し離れたバス駐車場まで歩いた。元の場所ではバスは駐車していられないらしい。◎山々に夕陽が当たって橙色に輝く 近くの山並みに夕陽が当たって山々は橙色に輝いていた(写真)。明日も、天気は良さそうだ。エントレベスまで行き、ロープウェイを乗り継ぎ、モンブラン(イタリア名はモンテ・ビアンコ)を拝むことになっているからだ。この旅の3つの目玉(エントレベスのモンテ・ビアンコ観望、チェルビニアのマッターホルン遠望、ドロミテ山群の遠望とハイキング)の1つである。(この項、続く)昨年の今日の日記:「旧ユーゴ3カ国周遊(14):青い狭い水道渡る美しいペリェシャツ橋を観て、世界遺産スプリトへ」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202508020000/
2026.08.02

眼鏡橋の見学を終えると、バスはヴェルザスカ渓谷の細い道の最奥部の小さな村、ソノーニョ村に行った。人口は100人足らずという(写真)。◎村はアニメ番組の主人公の出身地 伝統的な石造りの家や小さな店が並ぶ絵本のような村だ。日曜日のせいか、狭い通りに露店がずらりと並ぶ(写真)。冷やかしにのぞいてみるが、ほとんど食指を動かすものはない。 僕は知らなかったが、ソノーニョ村は1995年にフジテレビ系列で放送されたアニメ『ロミオの青い空』の主人公ジョルジョ(ロミオ)の故郷だという。日本のファンの間でも聖地として広く知られているとか。 ただ足の便はかなり悪い。バス便はあっても少なく、訪れていた観光客は、マイカーで訪れる人がほとんどで、公共駐車場は村全体の車を収容できると思われるほど広い。◎小さな村に立派な教会とパン焼きの女性 小さな村なので、端から端まで歩いても10分もかからない(写真)。 その小さな村に教会と花が供えられた墓地がある(下の写真の上と中央)。教会は尖塔も備えている。中もなかなか立派だ(下の写真の下)。人口100人足らずでよくぞ維持できていると不思議に思う。 村の真ん中辺りに、パン焼き窯があり、タトー入りの1人の若い女性がパンを焼いていた(写真)。後で添乗員さんが1つ買って、昼食時にみんなに切って分けてくれた。 焼きたてなのにとても堅い。これまでもこの後も、1日3度の食事にパンは食べたが、すべて堅く、日本の柔らかいパンと全く異なる。歯の悪い高齢者はどうしているのだろうか、といぶかった。 ところで夏でもあることもあり、イタリアの若い女性たちにタトーを入れている人たちが多いのに驚かされた。ざっと見て、10人に1人は、腕から脚まで何らかのタトーを入れている感じだ。◎ハエの多いレストラン ソノーニョ村でたぶん1軒しか無いと思われるレストランで昼食を採った。ここで食べたピザは美味かったが、払っても払っても寄りついてくるハエがうるさく閉口した。村の中に、ヒツジを飼っている家があり、たぶんそこで発生したものだろう。 ソノーニョ村では昼食を含めて約1時間20分ほど、ノンビリとした一時を過ごした。(この項、続く)昨年の今日の日記:「またしても石破政権、野党に譲歩しガソリン税の旧暫定税率廃止を決める;地球温暖化に拍車をかけるガソリン使用奨励策」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202508010000/
2026.08.01

翌日、ミラノの朝は好天だった。朝、散歩代わりにミラノ・マルペンサ・ホテルの中と周囲を歩く。植えられていたアジサイらしい花はほとんど終わりに近かったが、白い花だけ満開だった(写真)。 出発となってホテルの玄関に出たら、やってきたバスは小型バスだった(写真)。後に分かるが、北イタリアの細い山道を走る時はカーブでも楽々、対向車とすれ違えるが、4時間近い長時間のバス行では、かなり疲れた。◎スイスに入国、初めての訪問 最初の旅では、ちょっとだけだが、スイスに入る。スイスはEU非加盟だが、シェンゲン協定加盟国なので、イタリアからは(その逆も同じ)ノンストップで国境を越えられる。ゲートもバーも何も無い。ちなみにスイスには、僕は初めての入国だ。 イタリアで2番目に広いマッジョーレ湖を左に見つつ(写真)、やがてその国境を越え、スイス領に入る。 出発して約2時間、約100キロのドライブで、最初の観光地のヴェルザスカ渓谷に着いた。スイス南部ティチーノ州に位置する、美しいエメラルドグリーンの清流の流れる渓谷で(下の写真の上)、ここラヴェルテッツォ村の渓流上に伝統的な石造りの二重橋「ポンテ・デイ・サルティ(跳躍の橋)」(下の写真の下)が架かる。◎美しい渓流と二重の石橋 日曜日でもあって、好天に誘われてたくさんの観光客が渓谷の岩の上で日光浴したり、渓流で水泳したりしている。 僕たちは渓流沿いに歩いて跳躍の橋に向かった。橋は17世紀に架けられた美しい石橋で、今も観光客や村人に利用されている。 橋の向かって右側のアーチの下は深みのようで、若者たちが相次いで橋上からエメラルドグリーンの川に飛び込みをしている。だから「跳躍の橋」なのだ。その度に歓声が上がり、拍手が送られる。◎飛び込みに勇気が要りそう 橋の上に立つと、川面まで10メートル近くありそうで、飛び込みにはちょっと勇気が要りそうだ。上流方向の先に石造の教会が建つ(写真)。 次に行ったソノーニョ村も人口が100人足らずの小さな村なのに、立派な石造教会があった。村人たちの昔ながらのカトリック信仰の深さが偲ばれる。(この項、続く)昨年の今日の日記:「旧ユーゴ3カ国周遊(13):暑さと疲れでもう動けず、カフェレストランで旧港をボンヤリ眺める」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202507310000/
2026.07.31

東邦大学、東京大学、農業・食品産業技術総合研究機構などの研究グループは、古人骨の歯石に残されたDNAを解析し、古代の口腔内マイクロバイオーム(口の中に存在する多様な微生物群)の特徴を明らかにした。◎縄文人以降の古人骨の歯に残る歯石 現代人の中高年以上の歯の健康を害する歯石は、実は遺跡から発掘される古人骨にも付いている(写真)。旧石器人は、肉や繊維質の多い植物食を食べていたからあまり目立たないが、澱粉食が主になった縄文人以降の古人骨の歯には、個体差はあるものの歯石が目立つ。 彼らの歯石には、当時の口腔内微生物をはじめとする様々なDNAが残されていることがある。これを調べることで、過去の口腔内マイクロバイオーム(口の中に存在する多様な微生物群)を復元し、人々の生活環境や健康状態を知る手がかりとなる可能性がある。 研究グループは、古人骨由来の歯石と現代人の歯石を解析し、口腔内微生物の構成を比較した(図)。◎お歯黒が口腔内の微生物系統の分布に影響 その結果、古代と現代では口腔内微生物の構成が異なることが判明した。特に、歯周病との関連が知られる古細菌Methanobrevibacter oralis(以下、M. oralis)が、古代歯石で多く検出された。また、本州・九州地域と沖縄地域の地域差や、縄文時代と江戸時代の時代差も確認され、地域差や時代ごとの生活環境、食習慣の変化などが口腔内微生物の多様性に影響していた可能性が示唆された。 さらに、古代歯石に由来するM. oralisの系統を解析したところ、鉄利用に関わる代謝関連遺伝子の変異により、遺伝的にクレードAとクレードBの2系統に分類された。 この2系統と江戸時代に既婚女性に広く行われていた「お歯黒」(絵=お歯黒をする女性)との関連を調べた結果、お歯黒の痕跡が報告されていた女性個体に由来するM. oralisは、いずれもクレードBに含まれることが分かった。お歯黒には鉄を含む成分や植物由来成分が使われていたことから、この文化習慣が口腔内環境を変化させ、微生物系統の分布にも影響を与えた可能性があるという。◎将来は古代人の食生活や文化習慣などの解明の手がかりにも 本研究成果は、歯石に残された微生物DNAが、過去の人々の食生活や地域性、文化習慣などを読み解く有用な情報源となり得ることを示した。 今後、より多くの時代・地域の試料解析や、考古学的情報との統合により、古代の人々の生活史や微生物との関わりをより詳細に復元できることが期待されるだろう。 研究成果は26年6月8日に学術誌「Scientific Reports」に発表された。昨年の今日の日記:「監視国家化進むジョージア、中国の支援でAI監視カメラが急増中、デモ参加者を特定し高額罰金」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202507300000/
2026.07.30

昨年6月の旧ユーゴ3カ国の旅で、連日の猛暑にスタミナを磨り減らした苦い記憶から、今回の7月の30数年ぶりのイタリアの旅は、アルプス南麓、高原の北イタリアということもあり、案外涼しく、しかも正味7日間(往復10日)は好天に恵まれた。◎30数年ぶりの再訪 イタリアには、若い頃に3度訪れている。その頃はバブル景気の真っ最中で、どこもローマなどには日本人観光客で溢れていた。 30数年を置いた今回は、北部のアルプス南麓ということもあり、日本人観光客にはめったに出合わなかった。また、あの騒々しくマナー知らずのスターリニスト中国の観光客とも。 まず早朝の成田空港に集合。地方からの参加者は前泊した人が多い。 ここでツアーの必携品を旅行社の担当者から受け取り、出国審査を受け、ラウンジへ。飛行機は、昨年6月の旧ユーゴ3カ国周遊旅行と同じターキュッシュなので、様子はだいたい分かっている。ここでサケの押し寿司などを肴に朝からビールを飲み、出発までゆっくりと待つ(写真)。◎ベッドに入ったのは午前2時(日本時間の午前9時) 途中、乗り継ぎのイスタンブールまで13時間余りを過ごすのだ。ビールなどを飲まないと、眠れない。といっても、日本時間はまだ午前中なので、機内でもやはり眠れなかった。ただビジネスシートの有り難さで、椅子はフラットになるまで倒せたから、横になれたのはありがたい。この機内で、持参の文庫本を読み、飽きると映画を3本も観てしまった。 イスタンブールではミラノ行きに乗り継ぎだ。イスタンブールのラウンジはもはや和風の食べ物は姿を消している。 現地時間の22時頃にミラノ行き便に搭乗。出発が遅れたので、ミラノに着いたのは、現地時間でほぼ24時。ホテルに案内され(写真=ミラノ・マルペンサの階段回廊と外観)、ここでシャワーを浴び、ベッドに潜り込んだのは、午前2時に近かった。日本との時差は7時間あるので、日本時間で午前9時だ。実に27時間以上も起きていたことになる。◎ミラノは寝るだけなのでドゥオモも行かない 明日から、1度スイスに入り、スイスらしい田舎の景観と村を観て、イタリアに戻ってからモンテ・ビアンコ(モンブラン)、モンテ・チェルヴィーノ(マッターホルン)、最後はドロミテ山群(写真)をめぐる。その間に美しい氷河湖も観て回るようだ。 今回は、自然観望が主体なので、ミラノに来ても「ドゥオモ」も「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会」のダ・ヴィンチ画「最後の晩餐」も観ない。もっとも僕自身は、昔、それぞれ2回と1回、観ているけれど、他の参加者は残念そうだった。 明日の好天を祈って、訳もなく眠りについた。(この項、続く)昨年の今日の日記:「旧ユーゴ3カ国周遊(12):ブロクニクの城壁、上からは絶景続きだったが暑さでヘトヘト」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202507290000/
2026.07.29

地方大会もほぼ終わり、そこから勝ち上がった高校野球チームによる夏の甲子園大会が間もなく始まる。前にも書いたことがあるが、今は私立「野球学校」大会となってしまっているので、興味はほとんど無くなった(写真=2025年の夏の甲子園決勝で沖縄尚学が日大三高をくだし初優勝。いずれも私立)。◎完全中継するNHKから放映権料を取っていない それに朝日と毎日の2紙幹部の日本高野連の独善的な運営も気に入らない。夏の大会は朝日が主催するし、春の大会は毎日だ。部数減の著しい両紙にとって高校野球は、部数減を少しでもくい止めるための手段だ。 そして「新聞人」の大人の論理を、少年たちに押しつける。それが鼻持ちならない。 高野連は、昔も今も、完全中継するNHKから放映権料を取らない。受け取るのは、ネット配信業者からの6300万円の協力金だけだ。他の学生スポーツのようにスポンサーも募らない。 だから財政規模は、たった16億円程度で、収入の8割以上の約14億円は入場料収入だ。NHKから放映権料を取らないのは、高校生のアマチュア野球だからという論理なのだろう。そのため入場料を値上げし、以前は徴収しなかった外野席も入場料を取る。つまり熱心な高校野球ファンからカネを搾り取っているわけだ。◎甲子園球場も使用料タダ 16億円程度の財政規模は、企業なら中小企業の小の方だろう。 しわ寄せは、参加選手の宿泊料に寄せられる。昨夏に2000円増額して1万円にしたが、夏の繁忙期にこんな低予算で宿泊できる旅館・ホテルは限られるだろう。宿泊施設側は長年の付き合いだからと受け入れているのだろうが、出血サービスに近い。 出血サービスと言えば、入れ物の甲子園球場だ(写真)。阪神球団の本拠地なのに、毎年、夏は「死のロード」を強いられる。それなのに、阪神は「長年の付き合い、慣行だから」と、夏・春とも大会中の休場使用料を取らない。高野連は、それに甘えているわけだ。 夏は酷暑だから、せめて冷房のあるドーム球場に移るか涼しい北海道にすればいいものを、と思うが、甲子園にこだわるのは、使用料タダ、という理由もあるのだろう。 高野連と朝日・毎日にすれば、現状でも運営できるという思い、驕りがあるのかもしれない。◎部員数ではサッカーに抜かれた硬式野球部 しかし世の中は、オリンピックのようにプロ化が進む。昨夏の決勝の視聴率は人気のプロスポーツに引けを取らない15.5%だった。プロ化できるだけの優良コンテンツが甲子園大会なのだ。高校サッカー、バスケットボールには、スポンサーが付いてチームと大会全体を盛り上げている。 人気にあぐらをかいている高校野球は、足元で空洞化が進んでいる。少子化と過熱化する一方の進学熱のせいで、アマチュア高校スポーツの部員数はすべてのスポーツで減っているが、高校野球だけ減少が激しく、最近ではついにサッカー部員数に抜かれた。 アメリカのような野放図なプロ化もどうかと思うが、あまりにも高野連は潔癖すぎる。 アメリカで人気の高いバスケットボール全米大学選手権男子は、日本の夏の甲子園大会並みの約70万人の観客を動員しているが、主催する全米大学体育協会の受け取った2025年の放映権収入は約10億ドル(約1600億円)にも達した。 21年には学生による肖像権の商業利用も解禁され、年に500万ドル(約8億円)も稼ぐ選手も現れているという。◎スポンサー解禁を せめて高校野球ではスポンサー解禁に踏み切って欲しい。OBに大企業幹部がいる公立進学校なら、これで選手強化ができ、今の私立「野球学校」大会も多少は是正されるだろう。 例えば「都立御三家」として屈指の進学率を誇る都立国立高は、1980年に夏の甲子園に初出場した(写真=入場行進する都立国立チームと応援で超満員のアルプススタンド)。都立高校として初めて甲子園出場として人気に湧いたが(残念ながら初戦敗退)、その後は鳴かず飛ばずだ。都立国立高ならスポンサーになりたい有名企業は多いだろう。昨年の今日の日記:「旧ユーゴ3カ国周遊(11):超酷暑の中、いざドブロクニクの城壁内の旧市街へ」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202507280000/
2026.07.28

札幌・積丹半島旅行の最終日の朝、今日も好天だった。 チェックアウト前、朝の北大キャンパスの散歩に出た。◎満開のヤマボウシと鬱蒼とした原始林 正門前の永倉新八の碑に一礼し(写真)、正門に入った。車はまだ通行止めだったが、徒歩と自転車の来構者は入れる。 入ってすぐの本部前の右の道を進むと、環境科学院の前に出る。ヤマボウシの花が満開だ(写真)。ハナミズキと良く似ているが、北米原産のハナミズキと異なり、ヤマボウシは在来種で、花期はやや遅い。 その前を歩くと、鬱蒼とした原始林に入る(写真)。狭いが、樹高も高く、まさに原始林という感じだ。 そこを抜けると、狭い道に出る。札幌農学校OBで後に国際連盟事務次長も務め、2007年まで発行されていた5000円札の肖像にもなった新渡戸稲造の名を採った新渡戸通りである。この通りを西に行った先には、新渡戸の顕彰碑がある。この時は行かなかったが、2019年6月に北大キャンパスを訪れた際には参観した(写真)。◎朝のオシドリの母子を観察 原始林を出て新渡戸通りを西に歩くと、幅1メートルほどのサクシュコトニ川に出合う。見ると、なんとオシドリの母子が泳いでいた(写真)! 北大キャンパスのオシドリについては、以前、本ブログで取り上げたことがある(20年9月12日付日記:「北の200万都市・札幌市街地の北大、道庁などで営巣・育雛するオシドリたち:NHK-BS番組で観て」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202009120000/を参照)。 オシドリは、このサクシュコトニ川のすぐ近くの総合博物館南にあるエルムの森(写真)に営巣し、メスが単独で雛を育てることが知られている。孵化するとすぐ母鳥の後につき、水草を食べるので、1回に10数個の卵を産み育てる。 ここで観た仔鳥は4羽しかいなかった。野良猫か野良犬、カラスに捕食されてしまったのかもしれない。 静かに観察していると親が岸に上がり、仔鳥もそれに続いて岸に上がった。◎エルムの森から中央ローンへ 僕は、オシドリ母子を警戒させないようにそっとその場を離れた。オシドリ母子を観られただけで朝早くに北大キャンパスの散歩に来た甲斐があったというものだ。 サクシュコトニ川が流れ込む池が工学部南の大野池だ(写真)。朝の大野池は、ひっそりと静謐に包まれていた。 キャンパス南端のクラーク会館から北18条門まで南北に走る中央通りは、朝は車も通らないので、多くの学生や教官がジョギングしている。 それを観て、前記のエルムの森から中央ローンを経て、ホテルに戻った。 おおむね好天に恵まれた良い小旅行だった。(完)注 都合によりしばらく休載します。昨年の今日の日記:「旧ユーゴ3カ国周遊(8):スルジ山に登り、『アドリア海の真珠』ドブロクニク旧市街を遠望」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202507180000/
2026.07.18

北海道知事公館の静謐な雰囲気と涼風に浸って(写真)、ホテルへの帰途についた。 西17丁目通りに出てすぐ西のブロックに北海道立近代美術館がある(写真)。ここは、過去に何度か訪れている。疲れてもいる。◎知事公館敷地北部に三岸好太郎美術館 ちなみに知事公館の敷地内北に道立の三岸好太郎美術館もある。三岸好太郎は札幌生まれで、31歳で夭折した天才画家だ。没後、遺作200点余りが夫人の三岸節子らの遺族から北海道に寄贈され、その遺作収蔵・展示のために北海道が個人美術館を建てた。ここも前回、訪れた(写真=2024年に訪れた際に撮影)。 道立近代美術館も含めれば、2つの美術館を通覧できる一角がここなのだ。確か2つの美術館で通しチケットを販売していたはずだ。 今回はいずれもパスして、地下鉄西18丁目駅に行く。ここから地下鉄を乗り継ぎ、ホテルに戻る。◎この日歩いたのは2万2000歩 ホテルに戻ってスマホの万歩計を見ると、この日は2万2000歩だ。藻岩山からの下山を脚で下りれば、もっといったはずだ。 前日の積丹半島行は、バスに乗っている時間が長く、歩いたと言えば神威岬のチャレンカの道がほとんどだったから歩数は1万9000歩余り、前々日着いた日が円山登山だったから2万4000歩弱だった。ふだん2万歩など歩かないから疲れたはずだ。 かつては3万歩歩いてもまだ余力があった時があったから、歳を取ったといささか情けなくなる。◎イクラとサケの親子丼 外に出るのも億劫なので、夕食はホテルそばの居酒屋で済ました。ここで、前日に続いてホッケの開きを食べた(写真)。ホッケは北海道で獲れるので、北海道で食べるのが最高だ。東京でもたまに飲み屋などにあるが小さくて脂ものっていないので、決して注文しない。 その後はイクラとサケの親子丼(写真)。さすがに居酒屋だからここにはウニは無い。ウニは北海道でも高級食材なのだ。 いずれも美味だった。今回の札幌行は食でも満足だ。(この項、続く)昨年の今日の日記:「旧ユーゴ3カ国周遊(7):ボスニアからクロアチアへ国境を越える」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202507170000/
2026.07.17

国指定重要文化財の北海道庁旧本庁舎「赤れんが庁舎」に来ている。◎樺太関係資料室に既視感、国境線の標柱のレプリカも本物とどこか違和感 ここの地下1階に樺太関係資料室が設置されている。南樺太は、2018年7月に行ったことがある。興味があり、資料室を一覧した。 ただほとんど感興は湧かなかった。知っていることばかりだった。 一角に、旧国境線を画した石標のレプリカが展示されている(下の写真の上)。これは、本物を18年にサハリン州立郷土史博物館(旧樺太庁博物館)で観た(下の写真の中央と下の写真の下)。レプリカは、いかにもレプリカという具合に新しく、しかも本物と細部でどこか違う。おそらくロシア側の協力が得られず、本物からレプリカをとれなかったのだろう。◎通りにバラのミニアーチ 貧弱な展示に少しがっかりして外に出た。出口は赤れんが庁舎南側にある(写真=南から観た赤れんが庁舎外観)。そこを出て、僕は北2条通りを西に向かった。 少し行くと、北大植物園である。その南側を道路に沿って歩いた。さすが植物園の脇の道路である。バラのミニアーチが設置されていて、バラが咲いていた。まだ設置されて年数を経ていないのか、バラは小さい(写真)。 僕は藻岩山から直行してきているから、足は登山靴のままである。街中を歩くと、登山口は重くて、くたびれる。いったんホテルに戻ってスニーカーに履き替えてくるべきだった。◎晴天の空に知事公館の美しさ 目指すは、北1条西16丁目にある北海道知事公館だ。札幌に来て3日目で、この日が最高の好天気だったが、夏至に近いため真上から照りつける陽光の強烈さには応える。 すっかりくたびれ果てて知事公館に着くと、門は開いているが、この日は土曜日で休館だった。公館の中は、2年前に訪れた時に参観しているので、さほど落胆はしなかった。 むしろ前に訪れた時は曇天だったので、好天のこの日、青空の下の広大で美しい芝生の庭に森を背景に建つ知事公館の姿を観たかったので、わざわざ赤れんが庁舎から2キロ弱の道を歩いたのだ。門を入ると、はたして知事公館は美しかった(写真)。 土曜日で開放されているのに、近くの人たちの姿はほとんど見えない。遊具もないから小さい子を連れてきても、しょうがないのかもしれない。僕だったらこんな日は、木陰の下で読書でもするだろう。◎サケを獲った擦文時代の集落址も 広大な庭園の南に幅約1メートルの川が流れている(写真)。昔は湧水の流れる川で、サクシュコトニ川と合流して琴似川となっていたらしいが、今は都市化で湧水は湧かなくなり、人工的に水を流して流れを作りだしているという。 敷地内にはあちこちに竪穴住居址が見つかっていて、サクシュコトニ川とともにかつてはここにもサケが上り、それを捕る擦文人が集落を営んでいたのだろう。竪穴住居址はお隣の北大植物園でも検出されている。(この項、続く)昨年の今日の日記:「旧ユーゴ3カ国周遊(6):酷暑に熱中症で失神の女性も;世界遺産のスターリ・モストは足元が危険」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202507160000/
2026.07.16

藻岩山をミニケーブルカーを乗り継いでケーブルカーで下りてくると、山麓駅前に無料シャトルバスが待っていた。このバスに乗って、市電の電停ロープウェイ入口に行く。 札幌の市電に乗るのは、もう相当の大昔に乗って以来だ。◎北3条広場にカーネーションの花絵 ちょうどやって来た外回りの市電に乗って、西4丁目電停で降りた。昔はここが終点だったが、11年前に「すすきの」までレールが敷かれ、環状となった。暇で気分が乗ったら、環状の市電に乗って、市街を1周できる。 僕はそこから歩いて、北3条広場まで行った。同広場は、様々なイベント開催される並木通りで、西の端の先に国指定重要文化財の北海道庁旧本庁舎赤れんが庁舎が見える。以前は改修していて、赤れんが庁舎にも布がかぶせられていたが、今はそこから望める。 しかも良くしたことに一段高くされた展望台が設けられていて、その先には多色のカーネーションの花が絨毯のように敷き詰められている。むろん行列が出来ていて、それに並んで展望台から道庁の赤れんが庁舎を眺めた(写真)。花模様が素晴らしく、どれだけ時間がかかったのかと、ただただ感嘆した。◎赤れんが庁舎は博物館に そこから赤れんが庁舎に向かった(写真)。改装後は、博物館になっていて、誰でも成人1人300円を払えば入場できる。 中に入り、内部を歩いて観て回った。料金300円とは、高いとも言えるし、安いとも言える。高いと思えるのは、展示が貧弱で、例えば2年前に行ったすぐ近くの道知事公館と展示品質が大差なく、知事公館の方は無料開放しているからだ。安いと言えるとすれば、資料館・博物館の絶対価格がだいたい1000円を超える昨今では300円は異例に安いかもしれない。 最初に観たのは、知事執務室。机と椅子があり、その左には来客と懇談するソファが置かれている(写真=ソファは写っていない)。 その他の部屋も、ほとんど他の博物館・資料館と代わり映えしない。赤れんが庁舎のミニチュア模型にはちょっと笑った。そもそもこの現場で内部を参観しているのに、模型とは何の意味があるのだろう。◎クラーク博士と札幌農学校生徒の別れを描いた絵 観るべきものとしては、廊下や階段の踊り場の壁に掛けられた開拓時代の絵くらいだ(写真=右は「島松での別離」。札幌農学校初代教頭のクラーク博士が帰国に際し、博士を慕う生徒たちが島松駅逓所まで見送ったという有名な逸話を描いたもの。別れに際し、生徒たちに贈った「青年よ、大志を抱け(Boys, be ambitious.)」は有名)。 ちなみに旧島松駅逓所は、札幌市街の南東、現在の道路距離で26.7キロもある。開拓初期の当時は道の整備もほとんどなされていなかったろうから、農学校生徒たちが札幌から歩いたとして8時間以上はかかったのではないか。クラーク博士と別れを惜しんだ後、彼らはその日のうちに農学校の寮まで戻れたろうか。戻れても夜中、往復50キロ以上の行程は若い彼らもヘトヘトにしたであろう。 それほど慕われた教育者は、今はもう少ない。(この項、続く)昨年の今日の日記:「旧ユーゴ3カ国周遊(5):土産物売り場に『チトー元帥』、自力でナチ・ドイツを追い出した英雄」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202507150000/
2026.07.15

札幌の3日目の朝、起きて窓から外を見ると晴れている。◎いつもの慈恵会病院前コースで登る 体がやや重いが、藻岩山に登ることにした。毎年、札幌行には山に行くために登山靴とスティックは持って行く。円山(標高225メートル)よりずっと高いから(標高531メートル)、油断はできない。前回は下山時に脚がよろめいて転倒し、右親指を痛めた。 藻岩山登山は、もう7~8度目になる。すべてバス便の良い慈啓会病院前コースから登っている。 だからここに至ればあとどのくらいかの検討は付く。 だいたいの目安は、「日本初のスキーリフト跡地」の標識と遺構(下の写真の上)のある所まで約20分、馬の背(下の写真の下)まで約40分だ。◎馬の背までは比較的スイスイと 藻岩山にもお地蔵さんがあるが、こちらで安置されているのは、西国三十三ヶ所霊場にちなんで建てられたので、円山よりずっと少ない「三十三観音」だ(写真=十九番のお地蔵さん)。 もともと同登山道は、明治18年(1885年)に麓の浄土宗の寺の人が開いた参道だった。 馬の背までは、わりとスイスイ行けるが、そこから先は岩だらけの道になるので、けっこうきつい(写真)。だから馬の背からは約40分かかる。昔はもっと早く行けたが、歳とともに時間がかかっている。◎晴天の山頂から眺望した札幌市街地は最高 やや喘ぎつつ山頂の到着した。 よく晴れているので、札幌市街は一望の下だった(写真:上は中央に札幌競馬場、その右に北大キャンパスをズームアップしたもの、そのずっと先に見えるのが、石狩湾、下は中央の緑地が中島公園、その向こうに細長く延びる緑のベルトが豊平川)。ただ以前、数年前に登った時に良く見えた南方の支笏湖を囲む山々の恵庭岳、樽前山、風不死岳、北東方向の暑寒別岳(増毛連峰)などは、霞にかかったようでボンヤリとしか見えなかった。 前々日に登った円山が、左に見える。これで見ると、円山は市街地に浮かんだ緑の島のようだ(写真)。◎下山に初めてロープウェイ頼み しばらく休んでいると、アナウンスがあった。ミニケーブルカーとロープウェイの運行が始まるのだ。 前回は下山で岩だらけの道で転倒して右腕の親指をけがした。今回は大事をとって、ミニケーブルカーとロープウェイで山麓駅まで下りることにして、チケットを買って乗り場に向かった。7~8回に及ぶ藻岩山登山で、下山にケーブルカーとロープウェイに頼るのは初めてだった。(この項、続く)昨年の今日の日記:「旧ユーゴ3カ国周遊(4):かつて民族浄化=ジェノサイドの行われたボスニアのサラエボに入る」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202507140000/
2026.07.14

駐車場に戻ると、バスの集合時間にだいぶ時間があった。カムイ番屋に入り、土産物をざっと見て、2階の資料館を観る。神威岬灯台の家族の悲劇は、そこの展示で知った。◎明治開拓使時代の精華亭を訪れる これで本日のワンディーツアーは終わりだ。後は、札幌に戻る。 札幌駅北口の駐車場に戻ったのは、4時頃だった。まだホテルに帰るのには時間がある。 僕は、そこからスマホのナビを頼りに北八条通りを西に歩いた。7~8分も歩くと、通りの右にクラーク会館が見えた。ここは、過去に何度も疲れを休めるために立ち寄ったことがある。 目的地は、道路を挟んですぐ南(左)だ。通りから一段下がった所に小さな公園があり、その隣にひっそりと古びた木造の「清華亭」が建つ(写真)。明治天皇の北海道行幸の際、休憩所として1880年(明治13年)に建築されたという。築146年の文化財である。 同じ頃に明治天皇の宿泊所として建築されたのが、今は中島公園にある豊平(ほうへい)館だ。豊平館は、元は市街地ど真ん中の北1条西1丁目に建てられたが、後に中島公園に移築された。◎精華亭の内部の展示は大したことないが外観は素晴らしい風情 豊平館とともに精華亭は開拓使時代の建築遺構としても貴重で、訪れる前にGoogleで検索すると屋内見学も可能とあった。 見学は無料だった。その訳は入ってすぐ分かった。出窓のついた14畳くらいの洋室と10畳くらいの和室(写真)しかないのだ。展示も大したことはない。 ただ庭や公園から観た外観は、開拓使時代の建築らしく、趣がある。庭園も広々としている(写真)。元は、札幌最初の公園である「偕楽園」という公園の敷地に建てられた。今、偕楽園はほんのわずかに児童公園として残る。◎精華亭の建つ偕楽園にかつてはサケの上るサクシュコトニ川が流れた そしてかつては偕楽園に、秋にはサケが上るサクシュコトニ川が流れていたという。北八条通りを挟んだ北大構内、クラーク会館の前に広大な中央ローンがあり、そこをゆったりと流れるサクシュコトニ川があるが(写真)、その上流だった。サクシュコトニ川は、豊平川の扇状地から湧いた伏流水を集めた川だが、市街地の都市化で水源も枯れ、今では藻岩浄水場の水を運んで人工的に流されている。 僕は、クラーク会館の横から北大キャンパスに入り、その中央ローンを散策しながらホテルに戻った。 帰途、正門前の永倉新八の碑を拝礼したのは、もちろんだ(写真)。(この項、続く)昨年の今日の日記:「旧ユーゴ3カ国周遊(3):飛行機遅れで乗り継ぎ便に間に合わずイスタンブール泊に」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202507130000/
2026.07.13

神威岬灯台を後にして、「女人禁制の地」の札のある門に向かって帰る。◎「念仏トンネル」を見ていた! 帰りのチャレンカの道のアップダウンが辛い。往きより疲労しているからだ。僕の前を行く高齢女性が独り、かなり疲れた様子で歩みが遅い。失礼します、と言って、追い越した。 行く手の左の海岸を見る。断崖下の浜辺は意外と広い。 この時は気づかなかったが、突き出た岬に、2つの穴があった(写真)。後でカムイ番屋の2階の資料館で知った灯台守の家族3人の遭難の悲話をきっかけに村の人々が素手で岩を掘り抜いた「念仏トンネル」だ(地図)。この時は、もちろんその話は全く知らず、ただ岬の北側海岸を無意識に撮ったにすぎない。名前は分からないが海に突き出た岬の下、石ころの埋め尽くす浜辺の向こうに見えるのが、念仏トンネルだったのだ。◎断崖下の海を遊覧船が往く トンネルの穿たれた左端には浜辺は無く、岩が切り立っている。ここを登り降りてかつての灯台守の家族は買い出しに出かけたのだ。激しい波が打ち寄せたら、あっという間に波にさらわれただろう。この写真を見て、その家族とその遭難に動かされて素手でトンネル掘削に挑んだ先人に頭を垂れる思いだ。 積丹ブルーの海に漁船風の舟が走っていた(写真)。遊覧船らしい。前に乗っている船客がライフジャケットらしいものを身につけている。◎強風や霧で無くと幸いだった ようやくスタート地点の門が見えてきた。後ろを振り返ると、かるか先の神威岬灯台が小さく見える(写真)。ちなみに風の強い日は、チャレンカの道は閉鎖されるという。 両側から切り立った崖の様子を見ると、強風に煽られたら危ない。僕たちは運が良かった。ちなみに神威岬に来るまで、ガイドさんは以前の積丹半島ツアーでは、霧で岬は何も見えなかったという。風は無くとも、霧がかかれば訪れた甲斐が無い。 「女人禁制の地・神威岬」と書かれた門を見て(写真)、誰でも禁制になることがあることに、思いをいたした。(この項、続く)昨年の今日の日記:「旧ユーゴ3カ国周遊(2):旧社会主義国の負の遺産を抱えてか、飯は不味く、設備も二流」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202507120000/
2026.07.12

約770メートルの細い岩の尾根道「チャレンカの道」をアップダウンした末、約30分かかって神威岬灯台にたどり着いた。 灯塔の地上高は約12メートル、海面からの高さは約82メートルという(写真)。◎チャレンカの道がまだ無い時代、灯台守の家族3人が荒波にさらわれて死亡の悲話 明治21年(1888年)8月に初点灯されたこの灯台には、その時代らしい悲話がある。この話の概要は、神威岬から駐車場まで戻り、「カムイ番屋」というお土産売り場と飲食店があるが、その2階が神威岬灯台の簡単な資料館になっていて、そこの展示で見て知った。 明治45年(1912年)、灯台守の家族3人が買い出しに出かけ、途中で荒波に飲まれて亡くなったいたましい事故があった。当時は、岬の今のようなチャレンカの道が造られてなく、買い出しには岩だらけの海岸伝いを行くしかなかったのだ。 悲しい事故に心を痛めた土地の人々は、灯台を守る家族の命は大切、と1914年(大正3年)に海岸の岩盤に素手でトンネルを掘る工事を始めた。測量技術が未熟だったので、両端から掘り進めたトンネルが食い違ってしまい、なかなか貫通しなかった。そこで岩盤越しに「念仏を唱え、鉦(かね)を打ち鳴らし」、そのお互いの音を頼りにトンネル掘削を進めたという。約7年の歳月をかけてその後1918年に貫通したトンネルは、したがって「念仏トンネル」と命名された(地図)。◎岬の先に神威岩 ただ現在、このトンネルは落石の危険があるため通行禁止となっているが、神威岬を守るために生きた灯台守とその家族、そして彼らを支えた村人たちの絆の歴史として語り継がれていて、1957年(昭和32年)に公開された映画『喜びも悲しみも幾歳月』のモデルの1つにもなったという。 今は無人化されている灯台の先の岬の先端に神威岩を展望できる展望台がある。ゴツゴツした盛り上がった岩の上に立つと、脚がすくんだ(写真)。◎積丹半島沖地震で低くなった? 神威岩(写真)は高さ41メートルとウィキペディアにはある。しかしいくら岬の上から俯瞰しているとはいえ、とてもそんな高さに見えない。1940年8月2日に沖合を震源とするM7.5の積丹半島沖地震(神威岬沖地震ともいう)が発生し、第3回でも述べたがこの地震で余市のローソク岩が一部壊れたから、震源に近い神威岩もさらに低くなった可能性がある。 僕たちが訪れた時に同じ規模の地震が起きたら、尾根上に付けられたチャレンカの道(下の写真の上)も一部崩落は免れず、死傷者が出るか、先端側の観光客は孤立を免れない。ちょっと怖い想像だった(下の写真の下=断崖の途中に咲くエゾカンゾウの花)。(この項、続く)昨年の今日の日記:「旧ユーゴ3カ国周遊の旅(1):熱波の3国、晴天と猛烈な暑さの連続;スリに遭い、所有金の大半を失うの惨」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202507110000/
2026.07.11

門をくぐってチャレンカの道に入ると、最初のうちはまずまずだが、次第に険しくなってきた。ガードはあるが道の両脇は断崖になっている。下は波の打ち寄せる岩の渚で、下まで100メートルくらいはありそうだ。◎これほどのエゾカンゾウ大群落に出合えるとは 突き出た岬の尾根に造られた道だけに、幅は狭い。戻ってくる人とやっとすれ違えるくらいで、場所によっては向かいの人の通過するのを待つことも。 少し行くと、気がついた。断崖にエゾカンゾウ(本州ではニッコウキスゲと呼ぶ)の群落が花を付けているのだ(写真)。まさか神威岬でエゾカンゾウが観られるとは思ってもいなかった。 時々混じる白い花は、高山植物のシシウドの仲間だろうか(写真)。 神威岬に来るまでのバス車窓からはエゾカンゾウは観られなかった。あったとしても、盗られてしまったのかもしれない。 他に時々出合ったのは、薄紅色のハマナスの花、名も知らぬ紫の花(ツリガネニンジンか?)などだ。◎エゾカンゾウの花を折る中国人(?)の女 ただたまに、小道に花を延ばしてくる株もある。そして衝撃的な状景にも出遭う。岬から戻ってきたどこかのおばさんが手にエゾカンゾウの花を持っているのだ。「採っちゃダメだよ」と注意をしたら、きれいな花だと褒められたと思ったのか、笑顔で何か知らない言葉を発する。中国人だな、と思い、きつい顔をして、両腕で「×」を作って「not steal!」と叱ったら、やっといけないことかと気がついたようで、ばつの悪いの顔をしてさっさと行ってしまった。 国定公園でなくとも、野草やワイルドフラワーを切ったり抜いたりしてはいけないことは日本人や欧米人なら常識なのだが、中国人には常識は通じない。共産党政府の日本渡航自粛で中国人は半減しているはずで札幌市街でもあまり見かけなかったのだが、こんな所に来る輩もいる。◎気がつけば海は積丹ブルー 気がつけば、青空が広がり、海が積丹ブルーに染まっていた(写真)。 しかしチャレンカの道は長い。やっと先に小さく神威岬灯台が見えてきた(写真)。 明治21年(1888年)8月に初点灯という。強風吹きすさぶ岩礁の多い岬の突端で、沖を行く船を導いてきたのだ。(この項、続く)昨年の今日の日記:「剣歯トラも恐竜も飲み込んだ『死の落とし穴』:(後編)中国の『石樹溝累層』:ジュラ紀の流砂」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202507100000/
2026.07.10

旧石器時代の日本列島に生息していたナウマンゾウ(写真)は、従来考えられていたより約1万年も早く絶滅していたらしい。どうやら原因は、旧石器人類に狩猟されたことよりも気候変動による植物相の変化の影響が大きかった可能性が高かったようだ。ナウマンゾウの化石を新たに精密に年代測定した研究成果が東海大などの研究チームがまとめ、成果が5月26日付けのイギリスの科学誌『Scientific Reports』に掲載された。◎汚染を除去し保存状態の良い長鎖コラーゲンを抽出 これまでは約2万4000年前頃に絶滅したとする説が有力だった。 しかし従来の、年代測定用に骨からコラーゲンを抽出する「ゼラチン化法」では、化石に混入する微量の新しい炭素を十分に除去できず、実際より新しい年代が算出される可能性が指摘されていた。 研究グループでは、化石骨に含まれるコラーゲンのうち、保存状態が良く分子量の大きい「長鎖コラーゲン」のみを抽出する「限外濾過法」で放射性炭素年代を再測定することにした。これにより、不純物の影響を抑えた高精度な分析が可能となった。◎新開発の高精細の放射性炭素年代測定法を実施 研究チームは正確な絶滅時期を探るため、愛媛県今治市沖の瀬戸内海で見つかった化石(写真)から、前記のように不純物を取り除き、高精度の放射性炭素年代を測定する新手法で測定した。 さらにこれまでに報告された各地の化石についても、同様の新手法で測定をやり直した結果、絶滅時期は従来より約1万年遡って約3.3万~3.5万年前と推定された。 日本列島に人類が到達したのは約3.8万~3.9万年前頃とされているから、人類とナウマンゾウとの共存期間はこれまでの想定より大幅に短い約4000~6000年程度だったことになる。さらに遺跡の分布データを用いた解析では、人類の活動地域とナウマンゾウの生息域は時間的、空間的に重なっていない傾向が示された。◎大型獣狩猟に適したナイフ形石器はまだ無く 一方、当時使われていた石器には石刃を加工した鋭い刃を持つナイフ形石器はまだ無く(写真=後期旧石器時代初期の茂呂型ナイフ形石器)、大型哺乳類を仕留めるのに不向きだった。 研究チームは、こうした知見から、ナウマンゾウ絶滅は人類の狩猟活動よりも、氷期の中で繰り返された寒冷期と温暖期による植物相の変化によるものだった可能性が示唆されたとしている。 研究チームの日下宗一郎・東海大准教授(自然人類学)は「今回の研究で、旧石器時代の人類が日本列島で大型哺乳類を狩猟しているイメージは弱まったのではないかと思う」と語った。昨年の今日の日記:「剣歯トラも恐竜も飲み込んだ『死の落とし穴』:(前編)350万個の化石が発見されたランチョ・ラ・ブレア・タールピット」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202507090000/
2026.07.09

JAXAの小惑星探査機「はやぶさ2」が、地球から約1億キロ離れた小惑星「トリフネ」に18時30分頃にフライバイ(接近通過)し、プラネタリーディフェンス(地球防衛)の実証した。5日、JAXAが発表した。 ちなみにはやぶさ2が最接近直前、700万キロの距離から撮影した「トリフネ」は、ただの点にしか見えない(写真)。ここから約500メートルの距離まで最接近したJAXAの技術は、素晴らしいと言える。◎リュウグウのサンプルリターンに続いて 最接近後にも、探査機は正常な状態を維持した。地上からの交信で確認した。 翌6日にJAXAの発表したトリフネ写真は、「雪だるま」のように2つの小惑星がつながったような形だった(下の写真の上)。2005年に先行機の小惑星探査機「はやぶさ」が探査「イトカワ」に似ている(下の写真の下)。将来は、トリフネの2つの小惑星はイトカワのように合体するとみられる。 さて今回のミッションでは、直径500メートル程度と推定されるトリフネの中心からわずか500メートル程度の距離を秒速約5キロの相対速度で通過し、搭載カメラなどで観測することにしていた。小惑星「リュウグウ」のサンプルを2020年12月に地球に送り届けたはやぶさ2にとって、その後の「拡張ミッション」で最大の山場となるイベントだ。◎最接近フライバイ技術は小惑星衝突回避技術に貢献 この最接近してのフライバイ技術は、小惑星の地球衝突から人類を守るプラネタリーディフェンスへの貢献となる。小さな天体に探査機を正確に導ける技術は、探査機を意図的に衝突させて小惑星の軌道を変える手法の基盤になる。 NASAは2022年、探査機「DART」を小惑星に衝突させて軌道変更の効果を確かめており、日本も同様の衝突回避策に貢献できるようになる。別の目的で開発された探査機による高速フライバイ観測は、地球衝突の恐れがある天体が見つかった際の緊急探査の模擬にもなるし、場合によっては小惑星に衝突させて軌道変更をできる可能性がある。 言うまでもないが約6600万年前の白亜紀末にユカタン半島沖に落下した直径10キロ程度の小惑星衝突は、地球生命の約75%が失われたカタストロフィーであった。近いところでは1908年、直径60メートル程度と極少の小惑星がシベリア、ツングースカ川上流に衝突し、約2150平方キロにわたってタイガをなぎ倒したツングースカ大爆発を起こしている(写真)。爆発威力は、広島型原爆の数百倍の約5メガトン級だったとされる。これが大都市上空の落下であったら、大惨事になるところだった。◎次の目標は地球近傍小惑星「アポフィス」 こうした脅威は、決して過去の事件ではない。 例えば直径約335~340メートルの小惑星「アポフィス」が、2029年4月13日に地球静止軌道(約3万6000キロ)より内側の3万2000キロまでの大接近が予測されている。NASAによると、地球衝突の恐れは無いというが、仮に地球に衝突したら大きさから考え、ツングースカ大爆発以上の大惨事になる可能性が高い。 DARTの成功に続き、今回のはやぶさ2の最接近フライバイは、人類が地球衝突の恐れのある小惑星を発見した場合、その小惑星に衝突させ、軌道を変えられる技術を世界で2番目に日本も手にしたことになり、極めて意義深い成功だと言える。 はやぶさ2は今後、2027年12月と28年6月に地球スイングバイを行い、31年7月に最終目的地の小惑星「1998 KY26」に到着する予定だ。直径約30メートル以下と推定される超小型・高速自転の小惑星への、世界初のランデブー探査に挑む。昨年の今日の日記:「ビーグル号航海記のダーウィンも観ることが叶わなかった不毛のパタゴニアで生き延びた『巻き毛のウマ』」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202507080000/
2026.07.08

関東でも梅雨明け間近で、毎日湿度の高い日が続く。これで梅雨明けになったら、今年はさぞかし暑い夏になるだろう。東京でも過去初めて40℃を超す酷暑日に見舞われるのではないか。◎酷暑はスーパーエルニーニョ現象の反映 北半球に酷暑をもたらす南米ペルー沖の海水面水温が高くなる現象のエルニーニョは、今回は1950年の観測開始以来、最大級、とアメリカ海洋大気局(NOAA)は予測する。スーパーエルニーニョの出現である。 そのせいなのか、先月来、ヨーロッパは異常な熱波に見舞われ、死者が2000人超という。スペイン、フランス、ドイツなど、40℃を越えた(写真と図)。 ヨーロッパの住宅には一般にエアコンが無い。これまで耐えきれないほどの酷暑に見舞われたことはないし、一部都市では景観保護の法令でエアコンの室外機を外に置けないからだ。◎猛暑でへたばった昨年のボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、スロベニア旅行 そうした情報に接すると、嫌でも昨年のボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、スロベニア周遊を思い出す。8泊10日の旅程で、連日35℃を超す猛暑に見舞われた。温度計を持っていたわけではないから正確には分からないが、内陸の盆地だったボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルでは40℃になったという未確認情報に接した(写真=モスタルのネレトヴァ川にかかるスターリ・モスト。世界遺産に登録されている)。 それでも日本の真夏と違うのは、朝晩は多少、涼しくなることだった。ただそれもせいぜい10時頃まで。頭上に太陽が昇ると、猛烈に暑くなった。ふだんは未知の土地に行った時は僕はできるだけ歩き回って様々な風景・文物を観ようとするが、この旅ではへたばって、なかなかその気になれなかったものだ。◎世界の平均海水面も過去最高 こうした猛暑と間違いなく関連していると思われるのが、EUの気象情報機関「コペルニクス気候変動サービス」の1日の発表だ。世界の最近の海面水温を分析した結果、北緯60度から南緯60度の間の海面水温は6月21日に平均20.86℃と、2023年と24年の同時期に観測された20.83℃の記録を上回ったという。今も海面水温は、高温状態が続いている。 赤道を挟んで南北60度までは地球のほとんどをカバーする。夏の北半球は暑くても冬に当たる南半球は寒いはずだ。平均が暑くなっているのは、地球全体が暑くなっているということだ。 2015年採択のパリ協定では、世界の平均気温の上昇を産業革命以前に比べて1.5℃に抑える努力をするというが掲げられたが、すでにこの目標は破られている。 ヨーロッパの異常熱波は、パリ協定の上限突破の1つの反映なのだろう。昨年の今日の日記:「極北に忍び寄る地球温暖化、ホッキョクギツネとホッキョクグマの生態の変容」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202507070000/
2026.07.07

鱗晃の店でウニ丼を食べ、島武意海岸を観望して、僕らの乗ったバスは次の目的地神威岬に向かう。この頃、空を覆っていた雲はだいぶ取れ、薄日が射してきた。この分では神威岬では積丹ブルーが観られるかもしれない。◎「女人禁制」の伝説の道 バスは15分ほど進むと、神威岬の駐車場に着いた。ここから神威岬の入り口まで7分ほど緩やかな坂道を歩く(写真)。 するとちょっとした広さの展望所と先の道の前に鳥居を象った門が見えた。「女人禁制の地・神威岬」と墨で書かれている(写真)。 この先、先端の神威岩までの尾根上に付けられているのが「チャレンカの道」(長さ約770メートル)だ。一見して険しそうだ。体力の無い人はこの展望所で神威岬海岸を遠望することに留まる(写真)。西側の海岸で、幾本もの岩が海面から突き出ているのが見える。海岸にわずかに民家が見える。 入り口の傍らの立て札があり、それには遙か昔の伝説によってチャレンカの道は「女人禁制」とされたが、今はとっくに禁制は解かれているいう趣旨の注記が書かれている。◎義経は平泉で死なず北に落ち延びたという義経北行伝説 遙か昔の伝説とは、「義経北行伝説」の1つだ。 言うまでもなく源義経は1189年(文治5年)、兄・頼朝の圧力で庇護されていた奥州・平泉の藤原氏の攻撃を受け、そこで自死したことは歴史的事実だ。 しかし民衆は、平家追討で源氏の世を打ちたてるのに大きな功績のあった義経が、梶原景時の讒言で頼朝の不興を買い、一転、追われる身になり、最後は義経が奥州・平泉で非業の死を遂げたことを惜しみ、いや義経は死にはせず、平泉から落ち延び、蝦夷地に渡り、さらにそこから北蝦夷(樺太)を経て大陸に逃れ、やがてモンゴルでジンギスカンとなったという「義経北行伝説」を信じ、広めた。◎沖を通る舟に女性が乗っていれば沈めるというチャレンカの呪い 積丹半島の神威岬でも、義経が立ち寄り、ここのアイヌ・コタンの世話になったという伝説が残っていたらしい。それによると、そこで義経はコタンのメノコ(娘)のチャレンカと恋に落ちた。しかし迫る追っ手の手を逃れ先を急ぐ義経は、ある日、舟で海に漕ぎ出し、コタンを後にしたという。 チャレンカは義経の後を追い、険しいチャレンカの道を駆け抜け、神威岬先端まで達したが、義経の舟はもう見えなかった。悲嘆にくれたチャレンカは海に入り、彼女を哀れんだカムイが彼女を岩に変えた。それが神威岩だという。 チャレンカの怨霊は、神威岩から沖を通る船を監視し、女性が乗っていればすべて舟を沈めた。その言い伝えで、チャレンカの道は女人禁制となったのだという。 地図で見ると、神威岬は積丹半島の北西に小指を突き出した地形をしている。冬の大陸からの強い西風で神威岬の先の海は大時化となるはずだ。古来、多くの舟が難破したに違いない。チャレンカの呪いを持ち出すまでもない、◎突端までの細い道の両側は激しく切り落ちる断崖 その伝説はさておき、チャレンカが必死でたどったと思われる道は、整備されているが幅は狭く、またアップダウンが激しく、ガードのある両側は切り落ちる断崖となっている。道の果てに小さく灯台が見える(写真)。先まで1キロ弱の道は、片道30分と言われた。 僕は、登山用のスティックを持って来なかったことをちょっと悔いた。(この項、続く)昨年の今日の日記:休載
2026.07.06

10円玉が最近の銅価の値上がりで地金価格が額面を上回っている。 最近の物価高とキャッシュ化でめっきり使いでのなくなった10円玉は、ポケットや机の片隅に眠っていることが多い。◎10円玉の真の価値は10.5円? 最近の銅の値上がりは凄まじく(図)、直近の銅建値は1トン233万円にもなっている。銅価格の値上がりは、最近の生成AIの普及でデータセンターの投資が急増し、電線需要の急拡大が続いているからだ。電気自動車(AV)にも大量の銅が使われるから、こちらも増えている。最近は一服気味だが、金・銀の急騰に引っ張られた面もある。 銅貨だが10円玉は純銅ではない。ただ銅が95%と圧倒的だ。残りは、亜鉛が3~4%、錫が約1~2%となっている。重さは4.5グラムで、銅成分が95%だから、ほとんど銅とみなしていい。で、直近の銅建値でならすと、2.33円×4.5グラムで約10.5円、となる。 5円玉の場合は、銅と亜鉛の合金で、さらに額面より地金時価が高い。6.4円もする。辛うじてアルミがまだ安い1円玉は、素材価値が7割程度に留まる(写真=10円玉と1円玉)。◎かつて100円玉が銀貨だった時代があったが さて、こうなると、銅線や蛇口を窃盗する連中もそろそろ目をつける頃かもしれない。10円玉を大量に集めて溶かし地金で売れば、儲かるからだ。ただ、それは違法で、貨幣損傷等取締法で1年以下の拘禁刑か20万円以下の罰金、となる。 それに1枚4.5グラムの10円玉を鋳つぶして意味のある銅価格にするのは、100キロくらいに、つまり2万2000枚以上集めなければ労多く割に合わない。 それで思い出した。100円玉は今でこそ白銅貨(銅75%、ニッケル25%)だが、昭和30年代は銀貨(銀が60%、30%、亜鉛10%)だった(写真)。重さは4.80グラムだったから純銀の重量は2.88グラムとなる。単純計算で銀の価値は、今は約1000円だ。◎今、大量に出てきたらお宝 世界経済の成長につれて銀価格が高騰するうちに100円銀貨が不足するようになった。香港に大量に運ばれ(もちろん不法だ)、鋳つぶされて銀の延べ板にされているという噂だった。 今、100円銀貨が例えば地下から掘り出されたら、古銭業者の買取価格で1枚630円くらいになる。田舎の古い蔵から大量の100円銀貨が出てきたら、ちょっとしたお宝だ。 10円だがお宝になるかは、貨幣単位が小さいから無理だと思う。※これまでの銅の関連日記・26年3月30日付日記:「銅は未来の我を支えてくれるのか、急増する需要背景に急伸する価格」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202603300000/・21年6月10日付日記:「銅はどこまで騰がるのか、急増するグリーン需要をまかなえるのか?」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202106100000/・10年7月15日付日記「銅はありふれた金属なのか? 枯渇の危機迫る:別子銅山、都市鉱山、リサイクル」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/201007150000/昨年の今日の日記:休載
2026.07.05

僕たちバスツワーの一行は「鱗晃」というお食事処の2階に案内された。入り口のカラー写真入りのメニュー看板で、ウニ丼大盛りが8700円とあった(写真)。◎出されたウニ丼は小さかった 僕らの出されたウニ丼は、ずっと小さい(下の写真の上)。一緒に出された海鮮汁の鍋と大きさを見比べていただきたい(下の写真の下)。茶碗一杯という感じだ。 ここのウニは、色から見てムラサキウニだ。値段の高いバフンウニなら、もう少し色は赤い。濃厚な味のバフンウニに比べてムラサキウニは淡泊だとされるが、それでも生のウニは美味い。食べると口中に、えも言われぬ甘みと旨味、香りが広がる。止められないほどの美味しさだ。 入り口のメニュー看板にあったような大盛りであればと、それが残念だった。 一緒に出た海鮮汁も、貝のダシが出て美味しかった。◎トンネル抜けて島武意海岸の展望台に 食事後は、鱗晃を出て、ここの女将さんの推奨の島武意海岸に行ってみることにした。ただ相変わらず曇っているので、海の積丹ブルーは望めないだろう。 店の前の道が二手に分かれ、左の方のトンネルに行くようだ(写真)。トンネルは人が通るためだけのもので、背を縮めるようにして歩く。灯りも無いけれど、トンネルの長さは50メートルほどだから、入り口と出口からの明かりでさほど苦労せず歩ける。 トンネルを出た。絶景だった。10メートルほど下の海岸に屹立する何本もの岩の柱(下の写真の上)、さらに伏せたような岩礁(下の写真の下)。島武意海岸は、看板の「日本の渚100選」に選ばれただけある。 海がほんのりとブルーに染まっている。快晴でなかったのが、惜しまれる。◎鱗晃の店1軒だけ いちおう木製の防護柵が、展望客を守っている。 無理をすれば、下の浜に降りられるだろうが、狭い砂浜があるだけだから、海水浴もできないだろう。 鱗晃の店は、高台の中腹に1軒だけ建てられている。他には何も無い(写真)。店は新しかったから、比較的最近に、島武意海岸に近いこの場所に建てたのだろう。するとトンネルと島武意海岸の防護柵は、この店だけがカネを出して造ったものなのだろう。 大盛りウニ丼8700円の値段には、それも含まれているのかもしれない。(この項、続く)昨年の今日の日記:休載
2026.07.04

翌日2日目は、フリーツアーで唯一組まれた積丹半島ツアーだ。起きて窓から外を見ると、曇天だ。しかもいつ降ってくるか分からないほど雲が厚い。◎創業明治32年の亀甲蔵 札幌駅北口の乗り場まで、ホテルからほんの数分だ。ホテルはまだ新しく清潔で、静かで、部屋は決して広くないものの「当たり」だ。しかも札幌駅と北大キャンパスに至近というのが良い。 バスは満席に近い。真新しいバスで、ほとんど揺れない。 出発すると程なく高速の札樽自動車道に乗る。一路西に、小樽に向かう。高速に乗って間もなく、左の車窓に「白い恋人パーク」が見えた。 高速を降り、小樽市街地に入ると、バスはとある酒蔵に停まる。「田中酒造亀甲蔵」という酒蔵で(写真)、1899年(明治32年)創業という。◎天狗山伏流水の水を汲み上げて酒造り 小樽天狗山の伏流水を地下70メートルから汲み上げて仕込み水として使っているそうだ。天狗山は過去に何度も登った小樽市街を一望できる山だ(写真=天狗山第2展望台から小樽市街を俯瞰、田中酒造亀甲蔵は市街地中央やや右側の海に近い所辺り)。 汲み上げた水は一般にも開放していて、建物前の井戸で近くの人が大きなペットボトルを持ち込んで水を受けていた(写真)。 説明してくれる社員が待機していて、中を案内して説明してくれた。酒蔵を見学するのは初めてだから、それなりに興味深かった。老舗だから酒を作るのを用いるのは木の樽かと思ったが、今はステンレスタンクに製造途中の酒を貯蔵している(写真)。 もちろん見学者に売るコーナーもある。試飲コーナーも設けられていて、小さなプラスチックのちょこで僕も試飲した。しかしあいにく日本酒に限らず酒の味は分からないので、ブタに真珠であった。◎ローソク岩を右車窓に観て 田中酒造の見学を20分ほどで終え、バスは積丹半島を目指す。 途中、ニッカウイスキーで有名な余市を通過する。ここを通過すると積丹半島だが、古平町の手前で、ローソク岩を車窓から観た(写真)。 海面から45メートルを超える高さでそそり立つという。昔はもっと太く、丸い岩だったというが、1940年(昭和15年)8月2日の積丹半島沖地震の際に発生した津波のため半分に割れて現在の大きさになった。 ローソク岩は2016年にも先端の一部が欠け、それまでよりも鋭角な形状となったという。◎江戸時代初頭に開かれたニシン場の街を通る 古平は、400年以上も昔の江戸時代初頭の慶長11年(1606年)に松前藩によってニシン漁場として開拓されたのが町の始まりという。 11時過ぎ、少し早いが昼食を摂る「鱗晃」に着いた(写真)。この旅の最大の売りであるウニ丼を、ここで食べることになる。 楽しみだ。(この項、続く)昨年の今日の日記:休載
2026.07.03

登り着いた円山山頂には先着登山客がいた。若いカップルで、ちょうど眼下に札幌市街地をとらえられるベンチ状の岩に腰かけている。僕はそのそばの一段低くなった岩の上に腰かけた。◎低山で簡単に登れる円山 200万都市の札幌だが、市街地中心街に緑が多い(写真)。僕は、これが大好きだ。 上掲写真で左の緑地は北大キャンパスだ。そしてその右がたぶん北大植物園。さらに北大キャンパスと植物園の下の緑は、後日訪れる北海道知事公館だろう。 円山は標高225メートルという低山の山頂だから、札幌最高の超高層ビル「ONE札幌ステーションタワー」の高さ175.2メートルよりわずかに高いだけだ。ちなみに同タワーは、上掲写真で右に並ぶ3本のタワービルの中央のビルだ。その右が、2023年12月に同タワーに抜かれるまでトップだった「JRタワー(173メートル)」だ。ここの最上階の展望台には何度も登ったことがある。 札幌市民は、天気さえ良ければいつでも簡単に円山に登れ、こうした眺望を楽しめる。羨ましく思うこと、ひとかたでない。僕は念のためにホテルで登山靴に履き替えたが、スニーカーでもいっこうに問題は無い山だ。◎またもカツラの巨木 山頂からの札幌市街地展望を楽しんだ後、僕は下山にかかった。帰路は、少し遠回りになるが、「動物園コース」を採る。山頂下すぐにコースの分かれる道があり、そこを左の道をとる。こちらは、八十八カ所コースよりさらにマイルドな道だ。途中でカツラの巨木に出合った。往きの八十八カ所コースでも見たから、円山原始林のあちこちに自生しているようだ。 円山動物園が見えると、小さな流れがあり、その流れ伝いに緩やかな下り道をたどっていく。そしてまたも2本のカツラの巨木に出会う(写真)。2本は並び合うように立ち、人が立ち入って根元を踏み固めると痛むので、近づけないようにロープが張られている。 さらに緩やかな下り道を進むと、八十八カ所の登山口と合流した。山頂での市街地遠望の小休止を含めて2時間弱の行程だった。◎夕食は時計台の隣のビルの「四季花まる」で 円山公園は、札幌市街地の西郊の緑深い公園で、北海道神宮や円山動物園もあり、さらに西に行くと1972年の冬季五輪の競技場になった大倉山ジャンプ競技場がある。同競技場には2年前に行ったことがある(写真)。 そしてホテルに戻る。預けたおいたスーツケースを引き取り、チェックインして自室で一休みした。 食事は、有名な札幌時計台の隣のビルの「四季花まる」に行った。時計台の隣の広場に植えられたツツジは満開だった(写真=後ろの木の向こうに時計台が建つ)。 四季花まるは、寿司が格安で食べられる。いつもは順番待ちでけっこうウエイティングするのだが、この日はたまたまスンナリと入れた。 刺身に寿司に、美味かったのは、言うまでもない。(この項、続く)昨年の今日の日記:休載
2026.07.02

2026年の東京株式市場の間違いなくスター株は、キオクシアホールディングス(以下、単にキオクシアと略)だろう。一時は11万円を越え、年初来株価は10倍以上になっている(チャート図)。◎ストックオプションで社員に「10億り人」 これが上場来となると、90倍前後にもなる。テンバガーどころでない、ハンドレッドバガーだ。株式投資歴は長いが、これほどのパフォーマンスを演じている株は僕は知らない(写真=6月25日の同社の株主総会。「億り人」が多数出席した)。 この株価暴騰で、キオクシア社員には「10億り人」が続出しているという。念のために言うと、「億り人」ではない。6月30日付日経新聞の記事だ。 同紙の記事によると、ストックオプションを付与された社員は、部長クラス、課長クラスまで含めるとおよそ600人という。 ストックオプションとは、会社が勤労意欲を高めるために経営陣や従業員に「自社の株式をあらかじめ決められた価格で購入できる権利」を付与するもので、行使価格を上回れば、その株価で権利行使して株を得られる。そのストックオプションの行使価格は、時期にもよるが、1667円~2600円だという。◎FIRE続出しないか心配 つまり最低の1667円で権利行使した社員は、取得できる株数にもよるが、仮に1万株とすれば1667万円で時価の株を取得できる。もし株価が10万円になっていれば、10億円だ。 これだけの現金を得られるなら、逆に労働意欲が衰え、FIREする社員が続出するのではないか、と心配になる。ちなみにFIREとは、「Financial Independence, Retire Early(経済的自立と早期リタイア)」という造語で、「億り人」の目標と憧れという。労働収入に依存せず、投資による収益で生活費を賄うので、自由な生き方を実現するライフスタイルを指す。◎経営破綻で資産をほぼ失った山一證券社員の例も 2014年10月にリクルートホールディングスが上場された時、従業員持ち株会に入っていた社員に億り人が続出したとして話題になった(写真=上場記念に東証で打鐘する峰岸真澄社長)。もっとも当時はまだ「億り人」という言葉は無かったが。 逆に会社が破綻すれば、持ち株会に入っていた社員はその資産を失う。1997年に自主廃業して破綻した山一證券では、証券会社ということで大半の社員が持ち株会に入り、しかも毎月の給料でめいっぱい株を買っていた。それが一瞬にパーになった(写真=自主廃業を公表する当時の野澤正平社長)。職場とともに。 キオクシアの例はサラリーパースンには夢のような話だが、逆に山一證券の地獄もある。まさに会社の盛衰が天地を分ける。昨年の今日の日記:休載
2026.07.01

去る18日から21日まで札幌に遊んだ。 事前の長期予報では曇天、雨の日も、ということだったが、行ってみると幸いにも1日も雨に降られず、おおむね好天に恵まれた。 過去に何度も夏に札幌を訪れているから、ほとんど行き尽くしたが、まだ見残した所もあり、今回はフリーツアーに1日だけ積丹半島ツアーを入れた。◎札幌到着は昼過ぎでどこへ行くにもやや中途半端 朝、東京は雨だった。飛行機に乗っても、外は雲に覆われていて下界はほとんど見えなかった。しかし北海道に入ると、雲が切れ、新千歳空港では下界の緑がきれいだった。東京湾以外はほとんどコンクリートと鉄で埋め尽くされた羽田空港とは大違いだ。 新千歳空港から札幌市街まで、いつものようにJRの快速エアポートに乗る。この列車はエスコンフィードのある北広島駅には止まらない。だからせめてエスコンフィードの見える所は徐行してくれたらと思うのだが、全く減速せず通り過ぎていく。 札幌駅に着いたのは、13時半頃。いかにも中途半端な時間だ。駅前の予約のホテルもまだチェックインできない。小型スーツケースを預けて、外に出る。◎まずは北大正門前の永倉新八の足跡 まず出かけたのは、北大正門前の永倉新八の碑だ(写真)。これについては6月24日付日記の「維新後に北海道に移り住んだ新選組の数少ない生き残り永倉新八の足跡を北大前にたどる」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202606240000/で触れた。 碑は、歩道に絵を描いてそばに立て札を立てただけの簡素なもので、せめて石碑をと思ったものだ。 ホテルは北大正門から徒歩3分の至近なので、毎日、訪ねられる。 その後は、薄日の射す天気なので、アウトドアーに適している。幸い、カラッとしていて東京と違い蒸し暑くない。ただ時間から考えると、藻岩山登山はちょっと厳しい。◎円山に登る そこで、過去に3度ほど登った円山を登ることにした。円山は、北海道神宮と動物園のある円山公園にあり、地下鉄円山公園駅から歩いて15分ほどの所に登山口がある(写真)。標高は、225メートルと低山というよりも「丘」に近い。 しかし円山は藻岩山に連なる、カツラ、イタヤカエデ、シナノキ、ミズナラなどから成る原始林に包まれている。その清冽な空気は、何物にも代えがたい。 円山の登山口は2カ所あり、僕は往きは「八十八カ所」コースを取ることにしている。四国八十八カ所になぞらえて大正時代、登山道に観音像が設置され(写真)、それを見ていけば、自分がどの辺りまで登ったか分かる便利な里程標となるからだ。 登り始めてほどなく、行く手にカツラの巨木が立つ(下の写真の上)。登山道はそのそばを迂回する。帰路に麓でもっと樹齢がいったカツラの巨木を見たが(下の写真の下)、これもおそらく開拓時代より前に土中に根を張った木なのだろう。 五十番のお地蔵様を見た(写真)。もう間もなく山頂だ。 そしてたどり着いた山頂(写真)。ここまで30数分。さほど汗もかかず、足慣らしにはほど良い登山だった。昨年の今日の日記:休載
2026.06.30

動物行動学者と免疫学者が、国際学会の休憩中に、ちょっとした会話で、ひらめいた。◎鉄を溜め込んでいたマクロファージ 研究者たちは公園などに群れているカワラバト(Columba livia=写真)の目、くちばし、脳、脾臓、肝臓を調べ、鉄を溜め込んだマクロファージを肝臓で高い濃度で発見した。これらの免疫細胞は神経線維のすぐそばに位置していた。 神経細胞とマクロファージが実際に情報をやりとりしている可能性は非常に高い、と論文の筆頭著者で、ドイツ、ボン大学の免疫学者であるクリビア・リソウスキー博士は語る。 肝臓のマクロファージ(写真)が鳥のナビゲーションに関わっているかどうかを確認するため、研究チームは34羽のハトを用いて一連の実験を行った。 ハトたちは、アルプス山脈の麓のドイツの田園地帯を、タカやハヤブサなどの猛禽類をかわしながら19キロ飛行するように訓練された(写真=住宅や公園などで群れるハト)。◎免疫細胞が無いハトは巣に帰れなくなった 訓練さえ終われば彼らは完璧だ。どんな敵もかわす。悪魔に追われているかのように、彼らは必死に飛んで帰ってきた。 ところがマクロファージを除去すると、ハトは曇天時には帰巣できなくなった。だが雲が晴れ、太陽が再び顔を出すと、マクロファージを除去したハトも問題なく帰巣できた。 この結果は、ハトが視覚的手がかりと磁気的手がかり、すなわち頭上に輝く太陽と地下で脈打つ地球の磁場の両方を使って道を見つけていることを示唆する。太陽が雲に隠れている間は、ハトたちは体内のコンパスに大きく依存して飛行しているようだ。◎深まる謎、他の動物ではどうだ? 研究チームは、自分たちが提唱する磁気受容のメカニズムについては、まだ解明すべき点が多く残っていることを認めている。地球の磁場と調子を合わせるために、マクロファージの内部でどんなことが起きているのだろうか? その信号をどの神経が脳へと伝えているのだろうか? そして脳のどの部位が、その情報を処理するのだろうか? 私たちの論証には多くの穴があるのは事実だが、それを少しずつ解消していくことで、この発見の妥当性を裏付けられると思う、とクルツ博士は語る。 研究チームは、他の動物も免疫系をコンパスとして利用しているのか、それとも生命は地球の磁場を解読する方法を何種類も進化させてきたのかについても明らかにしていきたいと考えている。◎地球磁場を「見ている」可能性も また今回の研究に参加していない別の研究者は、鳴き鳥は目の磁気感受性分子を使って、通常は見えない地球の磁場を「見て」いると示唆かるが、今回提案されたマクロファージのメカニズムには説得力があるとも評価する。 なぜなら動物が進化上の優位性を得る方法には、ほとんどの場合、複数の解決策が存在するからだ。 実際、今回の研究は、磁気受容の仕組みをめぐる長年の議論に一石を投じたが、『サイエンス』の同じ号に掲載された論説記事で、今回の研究は肝臓以外の器官がナビゲーションに何らかの役割を果たしている可能性を否定するものではない、と研究者のサイモン・スパイロ博士とハル・ドレイクスミス博士は指摘する。太陽が照っていない状況においては、特にそうだ。 異なる精度で機能するプロセスが共存していて、長距離のナビゲーションでは一方のプロセスが主導的な役割を果たし、より具体的な目的地の探知にはもう一方のプロセスが用いられるのかもしれない、と、2人は論説記事で述べている。実際、暗闇の中で家に帰る手段を複数持っておくのは賢明かもしれないからだ。昨年の今日の日記:休載
2026.06.29

週末26日の東京株式市場は、3005.46円安と過去3番目の大幅下げで、再び7万円を割って6万9360.88円で引けた(写真と表)。◎「そんなに下げたの?」 しかし一部の投資家を除く多くの人たちにとって、「そんなに下げたの?」という感覚だったと思う。僕も、保有株の時価総額は前日とほとんど変わらないどころか、むしろ微謄だった。 実際、東証プライムでは値下がりした株は613銘柄に留まり、逆に915銘柄もの株が値上がりした。また東証REIT指数は、前日比25.86プラスの1824.60と久しぶりに1800を回復した。 まさに現在の半導体・AI関連株中心の相場の歪みが如実に表れた相場付きだったと言える。◎SBG、キオクシア、アドテスト3銘柄だけで1800円超押し下げ 日経平均株価の大幅下げは、アメリカのオープンAIが今年のIPOを来年に延期するという一部報道が拍車をかけた。オープンAIに巨額の投資をするソフトバンクグループ(SBG)が東証プライム1位の12.5%の下げ幅を記録した他、キオクシアが3位の11.2%下げ、アドバンテストが7位の9.6%下げと大きく値下がりした(表)。 この3銘柄だけで日経平均は1800円超押し下げられた。 このような半導体・AI関連偏重の下げは、お隣の韓国でさらに増幅され、韓国総合指数(KOSPI)は一時8%超も下げ、一時売買停止のサーキット・ブレーカーが発動された(図)。KOSPIのうちサムスン電子とSKハイニックスは2社だけで構成比率で50%超も占める。この2社が、オープンAIの上場延期の報道で大幅下げになったKOSPIもサーキット・ブレーカー発動となったのだ。◎キオクシアをIPOでゲットした人は平っちゃらか 投資が半導体・AI関連株に偏った投資家は、今後、極めてボラティリティーの高い値動きに振り回されるだろう。ただし上場来高値を続けるキオクシア保有の投資家は、IPO時より80倍以上にもなっているから、少々の下げでもびくともしないだろうけれど。昨年の今日の日記:休載
2026.06.28

陸上自衛隊が2025年2月まで、スターリニスト中国で作られたウイルスに感染したUSBメモリーを機密システム端末で1年近く使い続けていた(写真)。日本経済新聞が26日付朝刊1面トップで報じた。同紙の独自取材による。◎陸上自衛隊中部方面総監部でウイルス感染USBが6本見つかる 同紙が自衛隊の内部文書で突きとめた。これまで自衛隊は、ウイルス感染を公表していなかった。内部文書によると、陸上自衛隊中部方面総監部(写真)で使われていて、機密端末にも接続していた。 事の発端は、25年2月に動作が遅くなったパソコンを不審に思い、差し込まれていたUSBを調べたこと。そのUSBは、スターリニスト中国系のウイルスに感染していた。調査で同じウイルスに感染したUSBは、計6本見つかった。 回収したUSBは、スターリニスト中国製の偽装品だった。そこにウイルスが仕込まれていた。容量もはパソコンでは1テラと認識されるが、実際は4分の1の240ギガしかなかったという。粗悪品の上、仕込まれたウイルスが大きな容量を占めていたのだろう。 見つかったウイルスは、サイバー攻撃を呼び込む「踏み台」としてUSBを使用し、実際、民間で攻撃を受けた事例が報告されている。 機密情報を扱う自衛隊なのに、問題のUSB使用に際し、複数あるチェックの仕組みが機能しなかったのだ。◎ネット通販では相場の半値のものも そもそもこんなUSBをどうして陸自が使っていたのか。 自衛隊によると、24年1月に能登半島地震の災害派遣をめぐり、中部方面総監部が石川県から受け取った内部文書の記憶されたUSBだという。石川県がどうしてこんなものを調達したのかは分からないらしい。 ちなみにウイルスの仕込まれた疑いのあるUSBメモリーは、アマゾンや楽天などのネット通販でかなり流通しているようだ。値段は相場の半値程度と格安らしい。SNSでは、そうしたUSBでウイルスに感染した可能性を伝える投稿が散見されるという。 石川県も、そうやって問題のUSBを購入し、一部を自衛隊中部方面総監部への文書やり取りに渡したのかもしれない。◎機微な機密情報を扱う自衛隊がどうして!? それにしても最も機微な機密情報を扱う自衛隊がスターリニスト中国製のUSBを隊内で何の疑いもなく使っていたとは、およそ信じられない。 USBメモリーは、小さくて大容量なので、僕もよく持ち歩く。しかしそれでもスターリニスト中国製品は使わない。多少高くても有名メーカーの正規品だ。個人用だから、情報が流出しても大したことはないが、それでも得体の知れないものは使わないにこしたことはない。例えば値段が半値であっても、スターリニスト中国産のウナギは買わないのと同じことだ。年中口に入れる物でなくとも、できるだけ身近から排除したいからだ。 自衛隊の「油断」が、国家の安全保障の脅威になる可能性を憂える。昨年の今日の日記:休載
2026.06.27

ハトや他の鳥類は、「それ」ができる。ウミガメ、イセエビ、ガ、メクラネズミ、コククジラ、オオコウモリも、だ。◎地球の磁場を関知できる動物たち、どうやって? 彼らに共通する能力は、地球の磁場のわずかな変動を感知できることだ。だが、そうした動物たちは、どうやって磁場を感知するのかは生物学の最大の謎の1つであり続けてきたが、ドイツの研究チームが伝書鳩の体内コンパスのありかをついに見つけた、と発表した。 それは目でも耳でもくちばしでもなく、驚くべき場所だった。肝臓にある免疫細胞が関わっているという。論文はアメリカの科学週刊誌『サイエンス』に5月28日付けで掲載された(写真=報告の載った『サイエンス』誌の表紙)。 磁気の感覚は1世紀にわたる謎であり、それがどこにあり、どのような仕組みになっているかは誰も解明できなかった、しかし我々は筋の通る答えを見つけられたと思う、と論文の共著者で、マックス・プランク動物行動研究所の所長のマルティン・ビケルスキー博士は説く。◎着想は19世紀から 地球の内部には、液体の鉄とニッケルから成る高温でドロドロの「海」が渦巻いていて、この溶けた金属の動きが地球を巨大な磁石に変えている(図=地球は巨大な磁石)。地球の磁場は宇宙空間まで広がり、人間を含むすべての動物を危険な宇宙放射線から保護している。 動物学者たちは19世紀には、鳥類は地球の磁場を利用してナビゲーションを行っているのではないかと考えていた(写真)。そう考えないと、毎年、決まった営巣地に戻ってくる渡り鳥の謎が解けないからだ。1960年代の実験では、飼育下のヨーロッパコマドリが人工の磁場に応じて動きを変えることが示された。 それ以来、磁気への感受性のある動物のリストには、サメやサケなどの魚類や他の多くの動物が加わった。これらの動物たちは、体内のどこかにある生物学的なコンパスを使って、地球の深部から届く、目には見えない磁気を手がかりに自分の現在地を知り、空や海を越えて壮大な旅をしている。 だが、「磁気受容」と呼ばれるこの不思議な感覚の仕組みは未解明のままだった。◎ちょっした「ひらめき」 目や耳が光や音を捉えるために体の表面近くになければならないのとは違い、地球の磁場を感知する器官は、理論上はどこにあってもかまわない。なぜなら、地球の磁場は動物の体を完全に貫通しているからだ。 科学者たちは長年にわたり、鳥が地球の磁場を感知するのに利用しているのは目の中にある物質なのか、くちばしに含まれる粒子なのか、内耳の液体なのかをめぐって激しい議論を交わしてきた。 先述のビケルスキー博士の探求は、10年以上前に、国際学会のコーヒーブレイク中に免疫学者のクリスチャン・クルツ博士と出会ったことから始まった。 ビケルスキー博士は鳥類の渡りについて研究している一方、クルツ博士は古い赤血球を取り込んで鉄を蓄積すると磁気に反応するようになるマクロファージ(写真)という免疫細胞について研究していた。 クルツ博士に、ある着想がひらめいた。免疫細胞がナビゲーションに関与しているかどうかを検証できるかもしれないと思ったのだ。(この項、続く)昨年の今日の日記:「吉村昭著『軍艦と少年』の戦艦「武蔵」に関わった少年の不運な人生」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202506260000/
2026.06.26

これまで新石器時代が初源と考えられていたペスト(黒死病)の流行が、遅くとも5700年前のシベリア南東バイカル湖付近の中期完新世の狩猟採集民に始まっていたことを示すDNA証拠が明らかになった。ロシア、イギリスなどの研究チームがイギリスの科学誌『ネイチャー』6月18日号に報告した。◎ヨーロッパ人口の3分の1を減少させた14世紀半ばのアウトブレイク 1926年(昭和元年)以降、日本国内でのペストの感染例はなく、ペスト(黒死病)は日本では根絶された感染症と考えられている。そのせいか、一般の関心はほとんど無い。しかし世界史では、ヨーロッパでの14世紀半ばの大流行が生々しく語られる。 1347年から1351年にかけてピークを迎えたペストのパンデミックは、当時のヨーロッパ人口の約3分の1(2500万~5000万人といわれる)の命を奪った人類史上最悪のアウトブレイク(集団発生)であった(絵)。 これを一例として、ペストは歴史上最も致死的なアウトブレイクを幾度も引き起こした。ただペストの起源については、まだよく分かっていない。ネズミを宿主としているから、動物原性感染症であるのは確かだとしても。◎5500年前の狩猟採集民コミュニティーを襲った致死的ベスト 例えばペストの原因菌であるペスト菌(Yersinia pestis)のこれまでに発掘調査された人骨で発見された古代株には、病原性に必要とされる古典的な遺伝子が欠けている。このため、この疾患の初期の形態がどれほど致死的だったのかという点で疑問が生じていた。 今回の報告で、著者たちは、放射性炭素年代で約5500年前まで遡る先史時代のコミュニティーにおける致死的なペストの集団発生の証拠を明らかにした。 著者たちは、シベリア南東部、バイカル湖西部、北部地域の4カ所の墓地遺跡で発掘された遺骨(ウスチ・イダIの31個体、ブラツキー・カメン8個体、セロヴォ2個体、シュミルハ5体)に残されたDNAを分析した(写真=ウエチ・イダⅠの墓にペスト犠牲者と共に埋葬されていた9~11歳の女児;地図)。◎家族の間でペスト感染、人から人への感染証拠 その結果、18個体でペスト菌の証拠が見つかり、さらにそれらの個体が近縁の家族集団に属していたことが示された。これは、ヒトからヒトへの伝播が起きていたことを表している。検出されたペスト菌のこの株は、他の既知の古代株および現代株とは異なっており、研究チームは、この株が少なくとも5700年前に出現したと推定している。 この結果は、ペストの致死的なアウトブレイクが、新石器時代の集団で確認される数百年も前に、狩猟採集民集団の内部で起きていたことを推定させる。 だとすると、この結果は、高い人口集中と農耕への移行がペスト流行の前提条件だったという考えに異議を唱えるものとなる。昨年の今日の日記:「クマノミがイソギンチャクに刺されない謎を解明、イソギンチャクが自分を刺さないのと同じ仕組み」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202506250000/
2026.06.25

札幌に行って、宿泊したホテルの近くでもあったこともあり、北海道大学正門のすぐ北の歩道に描かれた「永倉新八来訪の地」の標識を毎日拝みに行った(写真)。 石碑はない。ただ歩道に絵が描かれ、立て札があるだけだ(地図)。少なくとも新選組は幕末史に多くの足跡を残した組織で、しかも永倉新八は剣の腕前で「三強」とされる士だけに、もっと堅固な碑が欲しい、とやや残念に思った。◎テロの京で新選組二番隊長として活躍、鳥羽伏見の戦いにも参戦 幕末、尊皇攘夷の不逞浪士どもによるテロに荒れ狂う京で、会津藩お預かりの新選組は治安維持の前面に立ち、縦横に活躍した。新選組は徳川慶喜の大政奉還後に、強引に倒幕と会津藩殲滅を図る薩長主体の新政府軍とも果敢に戦った。永倉新八は、二番隊組長として白刃を振るって薩長軍に勇猛に切り込んだ。 鳥羽伏見の戦いに敗れると(もう剣の時代は終わり、イギリスなどから輸入した「スナイドル銃」や「エンフィールド銃」で武装した薩長にはとうてい敵わなかった)江戸に戻り、幕府から甲陽鎮撫隊として甲州に転戦、これも敗れると近藤勇、土方歳三らは流山に退いた。この戦いの後、永倉新八らが隊を離脱した。 その後、近藤と袂を分かった土方らは幕府軍残党と宇都宮城を攻め、その後、優勢な新政府軍に逆襲されると会津を転戦した。転戦に次ぐ転戦は、さらに続く。会津も落ちると、榎本武揚の率いる幕府艦隊で蝦夷地・箱館に渡る。この時、増減を繰り返していたものの、それでも土方率いる新選組は、100名近い隊士を抱えていた。◎鳥羽伏見の戦い後も北関東などで転戦 しかし五稜郭にこもった榎本総裁の蝦夷共和国は、明治2年の新政府軍との交戦で敗北、土方歳三もこの戦いで戦死している(23年5月6日付日記:「函館の旅(5):土方歳三最期の地=一本木関門を訪ねる」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202305060000/を参照)。 さて冒頭に挙げた永倉新八は、一部隊士と共に北関東で新政府軍と戦うが、東北の米沢藩にいた時に会津藩の降伏を知って江戸へ帰還した。その後、元いた松前藩に帰参が認められ、北海道に渡る。箱館戦争の後だったので、永倉は箱館の新選組としては戦っていない。◎維新後に北海道で剣術を指南 新選組時代、戊辰戦争後に同じ北海道に渡った斎藤一(藤田五郎と改名)と鳥羽伏見の戦い後に江戸に戻り病没した沖田総司とともに「三強」と讃えられた。 北海道に定住した維新後にも剣の腕は認められ、警察官僚で樺戸集治監の所長だった月形潔に乞われて剣術師範として迎えられ、看守に剣術を指導した。 北大前の歩道上に「永倉新八来訪の地」の標識があるのは、小樽市在住のかたわら、明治42年(1909年)に東北帝国大学農科大学(現・北海道大学)の剣道部を指導していたからだ。 明治の時代、永倉は数少ない新選組の生き残りとして新選組の顕彰に努め、自ら発起人になって新選組に好意的だった医師・松本良順、元新選組隊士・斎藤一と共に明治9年(1876年)に東京都北区滝野川に近藤、土方の墓(寿徳寺境外墓地)及び新選組慰霊碑を建立している。なお斎藤一は、剣の腕が見込まれて警視庁に奉職しており、旧会津藩兵とともに西南戦争に出陣、かつての仇敵の薩摩・西郷軍に恨みを晴らした。◎『ちるらん』の語り部 永倉新八の小樽時代の晩年は、漫画と後にドラマ『ちるらん 新撰組鎮魂歌』に語り部として描かれている。小樽に隠棲していた永倉を土方歳三の架空の孫娘の新聞記者・市川真琴が訪ね、彼女に対して新選組時代を回想して語る物語だ。かなり史実を歪曲しているところも目立つが、新選組生き残り組の興味深い回想記だ。 永倉は、大正時代まで生きた(下の写真の上=前列中央、剣術仲間と大正2年5月撮影)。同4年(1915年)1月5日、小樽で没。享年77歳だった。墓は分骨されて3カ所に設けられ、うち1カ所は前記の滝野川の近藤の墓の隣にある(下の写真の下)。 なお、21年3月27日付日記:「幕末に無敵の強さで京の治安を守った武装集団=新選組、戊辰戦争後も生き残った義に生きた武士たちの維新後:後編(斎藤一、永倉新八)」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202103270000/も参照されたい。昨年の今日の日記:「世紀の発見『死海文書』の年代は従来の放射性炭素年代より100年は古かった:AIが正した試料の汚染」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202506240000/
2026.06.24

6月中旬の札幌は首都圏の1カ月遅れの花の開花に包まれていた。2年ぶりの札幌行である。◎緑あふれる北大キャンパスに浸る 有名な(しかし意外にガッカリさせられる所でもある)時計台の周りの広場のツツジは満開だったし(下の写真の上)、街路樹のヤマボウシも満杯の花をつけていた(下の写真の中央の2枚)。北大植物園の南の歩道に設けられたミニアーチのバラも大輪の花を咲かせていた(下の写真の下)。郊外の森ではニセアカシアが白い花をつけミツバチを呼んでいた。 派手ではないがノイバラがいっぱいに白い花を付けているのを北大構内で見つけた。構内の大野池では、ハスの花が少し咲きだしていた。さらに積丹半島に行った時は、神威岬の断崖にエゾカンゾウ(本州ではニッコウキスゲと呼ぶ)の群落が咲き誇っていた(写真)。 200万都市の札幌のど真ん中に位置する北大には、自然が豊かだ。環境課学院のやや北には、原始林と思しき森が鬱蒼と茂る。◎サクシュコトニ川のオシドリの母子 朝の北大キャンパスを散歩していると、サクシュコトニ川にオシドリの母子が泳いでいた(写真)。仔は4羽しかいない。普通は10数羽を孵化させるから、他の雛は野良猫か野良犬に補食されてしまったのだろう。 北大の旧理学部前のエルムの森では、オシドリがやってきて産卵し、孵化させることで有名で、学生ばかりか近くの市民もやって来て、雛を連れた母鳥の行進を愛でる。 なおサクシュコトニ川は豊平川扇状地の伏流水を水源にかつては清流が流れていたが、都市化で伏流水が枯れ、今では北大構内でやっと見られるだけだ。前記の大野池も、その一部だ。◎円山のカツラの巨木に感嘆、そして積丹半島の神威岬 今回の札幌の旅は、18日に羽田を発ち、午後2時近くに市内に着いた。東京は雨だったが札幌市内は幸いにもやや薄日が出ている。ホテルに荷物を置き、時間が遅いので藻岩山はまたの機会に円山公園内の円山に登った。登山道の途中や山裾のカツラの巨木が印象的だった(写真)。 翌日は、バスツアーで積丹半島に行った。この日もバスに乗る時は曇っていたが、午後から晴れ間が出て、積丹半島の先端まで歩いていた時は風もなく晴れていた(写真=突端の神威岩を望む)。神威岬までの「チャレンカの小道」は細くて両端に断崖が迫り、アップダウンの激しい難路だったが、断崖に前記のエゾカンゾウの花が群落をつくって咲いていて、アップダウンの道に癒やしをもたらしてくれる。◎絶景の藻岩山山頂からの眺め 3日目は、朝から晴れていたので意を決して藻岩山に登った。藻岩山登山は6~7回になるが、さほど急峻でもなく、ハルニレ、ミズナラ、カツラなどの深い原始林が新鮮な涼風で応援してくれる。 山頂は、良く晴れていたので、札幌市街が一望だった(写真)。最近増えている超高層ビルの林立するコンクリートの市街地に、趣を添えてくれる緑のスポットは、北大キャンパスと北大植物園とその南の中島公園の緑地である。 ただ幾分霞がかかっていて、南の恵庭岳や樽前山、北の暑寒別岳などは望めなかったのは残念だった。 前に1度だけせっかく山頂に登っても霧で何も見えなかったことがあるが、晴れた藻岩山からの眺めは絶景の一言だ。昨年の今日の日記:「バトルの末に出合った「相手」に強引に受精卵を産ませる雌雄同体生物ニセツノヒラムシ;米がイラン核施設空爆」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202506230000/
2026.06.23

先週の6月18日、日経平均は終値でもついに未踏の7万円を突破した(写真=終値で7万円突破を表示する証券会社のボード)。 相変わらず半導体・AI関連銘柄が派手に値を飛ばす。◎全体は下げたのに日経平均「上げ」の怪 この相場を、歯がみしながら一部アクティブ投資信託のファンドマネージャーたちは見ているという。自分の運営する投信のパフォーマンスがさっぱりだからだ。 今の相場は、東証プライムのほんの一部の銘柄、すなわち半導体・AI関連株だけが大幅値上がりし、他の銘柄は業績が良いのに置いてけぼりだからだ。 例えば翌19日についに10万円を突破したキオクシアは、日経平均寄与度が2位で、同じくこの日も単独で1440円も上げた絶好調のアドバンテストに次ぐ。この2銘柄だけで日経平均をプラスにした。この日、日経平均は196.57円高の7万1250.06円で引けたが、プライム市場全体の値動きを示すTOPIXは逆に23.22安の4044.96ポイントだった。 相場全体は下げたのに、たった2銘柄の上げだけで日経「平均」株価は上昇を粉飾したのだ。◎好業績なのに買われないソニーが今の相場を象徴 この日の商況を象徴するように、どんなに今27年3月期が増収・増益が見込まれても市場で買われない。例えばアクティブ投信ファンドマネージャー好みのソニーグループの27年3月期予想は純利益が前期比13%増の1兆1600億円と過去最高益が見込まれるのに、19日終値は3140円と昨年末の株価4024円から22%も安くなっている(チャート図)。 僕もソニーグループの株を持っているから今の日経平均絶好調には複雑な思いがある。 つまりソニーグループなど業績好調だが今のテーマから外れるアクティブ投信は、惨憺たる成績になっているのだ。◎年初来安値も続出 そうした思いは、多くの個人投資家にも共通するだろう。例えば日経平均が最高値を更新した18日でも年初来安値を更新した銘柄が27、続伸した19日でさらに増えて49銘柄もあった。日経平均株価が年初来で44.5%も上げているのに、だ。 年初来安値を更新するのは食品、薬品、小売り、陸運など業績の伸びの見込めない銘柄が多い。しかしこうした業種は、株主優待銘柄の多い業種でもあるから、持っている人には地団駄踏む思いの毎日かと思う。 総合スーパーの雄であるイオンは、株主優待が厚く、保有者は買い物のたびにキックバックが受けられ、主婦層の人気が高い。実際、イオンの個人投資家比率は30%強と高い。 それは、株価形成の大きな歪みをもたらした。例えばPER(株価収益率)は、年初には200倍(!)近くに達していた。1980年代末のバブル期にもめったに無かったほどの高PERだ。◎株主優待の雄、イオンの株価は半分以下! 実態と乖離したそんな極端な株価は、必ず調整される。 約半年前の25年11月25日には一時2920円(終値は2785.5円)だった株価は先週末の19日には一時年初来安値の1301円と半分以下になった(チャート図)。同じ下げでもソニーグループと違って、下げ一直線、である。 株主優待は、個人投資家には嬉しいが、それを目的に株式投資するのは、はっきり言って邪道である。 株主優待の多い銘柄が今の相場に置いてけぼりになっていても、投資の本筋から見て仕方がないとは思うが、前記のソニーグループまで相場の埒外に置かれていることは、どうもおかしい、と考えざるを得ないのだ。昨年の今日の日記:「冷たい海流を突破し2つの大洋を7200キロ超も移動した記録破りのオオメジロザメ」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202506220000/
2026.06.22

1昨日16日は、場中で日経平均株価が初めて7万円を突破した。しかし勢いよく騰がっているのは、半導体・AI関連だけであとはほとんどお預け。実際、値がさ株が押し上げる日経平均に比べ、全銘柄の値動きを代表するTOPIXは値下がりだった。◎配当を再投資して株を溜める「貯株」 このところ「日経平均上げ・TOPIX下げ」という相場が目立つ。だから半導体・AI関連銘柄を持たず、食品・小売り・陸運などの株で株主優待を楽しみにしている投資家のパフォーマンスは厳しい。むしろ年初から下がっている可能性が高い。 ただある指標のもと、配当を楽しみにしている人は、この跛行相場を耐えられる。 僕の株式投資の基本方針は、前にも書いたことがあるが「貯株」だ。コツコツ少額を貯めて株を1単元(100株)買える程度に溜まったら買いを入れる。そして買ったら、よほどのことが無い限り、売らない。「よほど」のこととは、例えば業績悪化し、回復の見込みも乏しく、さらに無配に転落したとかだ(21年3月15日付日記:「日経平均株価3万円時代に長期投資の果実;しかし買う株の吟味も必要」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202103150000/、及び17年10月22日付日記:「『貯株』の思想=コツコツ買い貯め、決して売らないのが極意、配当金・分配金で再投資の好循環」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/201710220000/を参照)。◎長期保有で買値配当利回りを重視 株式投資とは、資産を築くことだ。だから無配など、その株を保有するのに何の意味もない。 その関連で重視するのは、買値配当利回りだ。配当利回りは、誰でも知っているだろう。配当が株価の何%なのかが配当利回りだが、僕はそれを買値で求める。 日経平均株価が7万円に近付いた今、分母の株価がかなり高くなっているので、配当利回りは低くなっている。しかし買値は、売って買い戻さない限り、日経平均株価がどう動こうと不変だ。それで見ると、昔、株価が安かった頃に買った買値の配当利回りは、かなり高くなっているものもある。ただしAI関連株と違って大きく値上がりすることはないが。◎銀行定期預金よりはるかに高い買値配当利回り そうした銘柄の一例を挙げれば、市場ではあまり有名ではないが、自動車部品のリケンNPR(写真=同社の製品群)の買値配当利回りは8.92%にもなる。これが僕のポートフォリオの中で最も買値配当利回りの高い株だ。含み益もたっぷりあるから、これを売ろうと思ったことはない。 FA・産業用ロボメーカーのファナックは、購入した時の株価はかなり高かったが(したがって配当利回りはかなり低かったが)、2023年4月に1株を5株に分割したので、株価はやや穏当なところに落ち着いていて(7000円前後)、買値配当利回りは6.06%だ。 ちなみに同社はちょっと変わっていて、世界を相手にビジネスをしているのに、東京に本社を置かない。富士山麓の山梨県忍野村に本社と工場群を構える(写真)。本社所在地が「村」なのは、おそらく東証上場企業では同社だけではないか。 銀行株のみずほFG(写真)は、買値配当利回りは7.08%にもなる。みずほの預け入れ利子は、10年物定期で0.825%だ。最高利率の定期預金ですら、僕の買値配当利回りにはるかに及ばない。ちなみにみずほFGの最近の配当利回りは高株価のために下がっているがそれでも2%弱ある。銀行に定期預金をする人は、金融知識に相当に疎いと思う。◎富士通も高い買値配当利回り 今年初めからマーケットで「SaaSの死」として警戒されるようになり、株価が低迷している富士通(写真)は、それでも買値配当利回りは6.78%もある。年初から勢い良く上昇しているAI関連銘柄と比べれば株価は年初から下落して旗色は悪いが、それでも含み益も十分あるから、売ろうとは思わない。 要するに無配の懸念の少ない優良株を年に1、2度の暴落時に勇気を出して買えれば、あとは増配を期待して放っておくだけで、他の金融商品よりはるかに高い配当利回りを得られるのだ。 これも株式投資の手法の1つだと思う。(注)所用のため数日間休載します。昨年の今日の日記:「古代マヤ文明の1600年前の祭壇を発見(後編):生け贄らしい多数の子どもの骨も」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202506180000/
2026.06.18

サッカー、ワールドカップ北中米大会1次リーグは各地で熱戦が繰り広げられているが、15日H組第1節でヨーロッパ王者・スペインと対戦して堂々と0対0の引き分けに持ち込みも勝ち点1を挙げたアフリカ代表のカーボベルデの健闘には目を剥いた(写真=ゴールを守り、強豪スペインを零封に抑えたヴォズィーニャ選手)。◎人口たった55.5万人の西アフリカ沖の島国カーボベルデ カーボベルデなど、日本のメディアに全くと言っていいほど登場しない。実際、西アフリカの大西洋上に浮かぶバルラヴェント諸島とソタヴェント諸島から成る国で(地図)、島国小さな島国だけに、面積はわずか4033平方キロ(世界166位)と、日本の埼玉県よりわずかに広いだけ。人口は、たった55.5万人だ。 そんなちっぽけな国が、FIFA世界ランキングでは67位なのだ(写真)。ちなみに人口ではカーボベルデの2500倍近い世界1のインド、世界2位のスターリニスト中国(いずれも男子)は、それぞれ137位、91位に過ぎない。カーボベルデは初出場ながらともかくワールドカップに出たのに、インドはまだワールドカップの出場歴はないし、スターリニスト中国でも1度しかなく、スターリニスト中国が唯一出場できた2002年日韓大会で3戦全敗、無得点だった。◎寒冷適応したモンゴロイドなので脚が短い現代日本人 サッカーは、フィジカルと技術力の総合競技だ。日本は、今ワールドカップの出場選手26人中23人がサッカー先進地欧州中心の海外クラブ所属だから、技術力は高い。しかしフィジカルでは欧州、南米チームに劣る。それは、モンゴロイドだから。 我々現代人ホモ・サピエンスはアフリカ起源だ。そのアフリカから世界に拡散したサピエンスはまずヨーロッパに定着した。 アフリカ起源だから、四肢は長く、瞬発性・持久性に優れる。これは、サッカー選手にとって不可欠の「資源」だ。モンゴロイドは、現代日本人がまさしくそうであるように、寒冷適応をしたため四肢は短い。どうしても欧州、南米選手に劣る。しかも両地域はクラブの歴史が古く、総合的・個別的に技術は磨かれている。◎世界ランキング15位のセネガルの出場選手の半数は欧州移民の子孫 起源地のアフリカはフィジカルでは優位だが、どうしても歴史の浅さと普及率の違いで、前記2地域に一歩譲る。それでも近年の強さは際立ち、今回のワールドカップでも出場枠は9.5となっている。欧州の出場枠16に次ぐ堂々2番目の大陸別出場枠だ。しかも2022年のカタール大会ではモロッコが4位になった。いずれは(早ければ今回から)、ワールドカップ優勝の国が出るだろう。 これは、先進国欧州に移民した2世、3世を代表に加えていることもある。例えばFIFA世界ランキング15位のセネガルは、代表チームのおよそ半数がセネガル人欧州移民の子孫だ(ほとんどが旧宗主国のフランス)。セネガルなんて、カーボベルデ同様にサッカーでしかメディアの話題にならない西アフリカの小国で、めぼしい地下資源も乏しく、人口も約1933万人に過ぎない(前掲地図参照)。◎キュラソー島の出場選手は25人までが欧州移民の子孫 ちなみに15日にドイツに7対1で敗れたばかりの北中米・カリブ海8位(世界ランキングは82位)のキュラソー島(オランダ自治領のカリブ海の島)の出場選手26人のうち25人までがオランダ移民の子孫だ(写真)。体表選手たちは、キュラソー島住民のように、黒人や混血が目立つ。前記のカーボベルデの出場選手は、62%が欧州移民の子孫だ。 これは、フェアでないとは言えない。オリジンは、出場した国だからだ。欧州移民も、父祖の地が世界最大のスポーツ大会に出れば、国民意識と誇りを高められる。 アフリカ代表や小国代表を応援したい。昨年の今日の日記:「古代マヤ文明の1600年前の祭壇を発見(前編):異邦テオティワカンによる暴力的支配の跡」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202506170000/
2026.06.17

旧ソ連構成国のアルメニアで7日実施された総選挙で、親欧米路線を掲げ、EU加盟を志向するパシニャン首相の率いる与党の「市民契約党」が49.8%の得票を獲得し、ロシア系アルメニア人の億万長者サムベル・カラペティアン率いる親ロシアの「強いアルメニア」連合の23.3%を大きく上回って勝利した(写真=上は投票するパシニャン首相、下は選挙後に勝利を報告するパシニャン首相)。 アルメニアの選挙制度では、議会(一院制、101議席、任期5年)の過半数を確保するのに十分な水準となる。◎経済制裁やフェイク拡散でも与党を崩せなかったロシア 親ロシア派の野党は、ロシアの圧力を借り、さらにプーチンのロシアもSNSでフェイクを盛んに宣伝して選挙に介入した。さらにロシアは、アルメニア特産のコニャックや切り花、農作物に輸入制限を課したりして、政権与党の足を引っぱった。 しかしアルメニア国民のロシア離れは顕著で、与党の親欧米路線を覆せなかった。 もともと旧ソ連時代から親ロ的だったアルメニアだが、与党と国民がロシアに愛想を尽かす原因となったのは、2022~23年の隣国アゼルバイジャンとの紛争だ。かねてからの係争地でアゼルバイジャン国内にあった飛び地のナゴルノカラバフ(ここだけアルメニア系住民が多数を占めていた)を失い、10万人近いアルメニア系ナゴルノカラバフ住民は故郷を追われることになった(23年9月22日付日記:「プーチンの権威の完全失墜を見せつけたナゴルノカラバフでのアゼルバイジャンの完勝」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202309220000/を参照:下の写真の上=戦争で破壊されたアルメニア系住民の家、下の写真の下=着の身着のままでナゴルノカラバフの故郷を捨てアルメニアに避難したアルメニア系住民)。◎ナゴルノカラバフ戦争で役に立たなかったロシアに見切り この戦争で、アルメニアはアゼルバイジャンも加盟していたロシア主導の軍事同盟CSTOの規定に基づき、盟主のロシアに介入を懇請したが、プーチンはこれに応えず様子見に終始した。 ロシアが不介入に終始したことで、圧倒的に軍事力で勝るアゼルバイジャンの完勝・アルメニアの完敗とナゴルノカラバフ領土の失地と至った。アルメニア国民は、これでCSTOとロシアを見限ったのだ。 パシニャン首相は、CSTOの会合に欠席したりして、関係を凍結している。いずれは脱退も視野に入る。 アメリカの調査機関によるアルメニア国内での世論調査の結果では、「ロシアと友好関係にある」と答えた割合が戦争前の19年の93%から戦争後の23年の約3割と急落している。 今回の選挙の結果は、至るべくして至ったものだった。◎国境を接していないアルメニアにロシア軍は攻め込めない 総選挙前からプーチンは苦々しい思いでアルメニアを睨み、また恫喝を繰り返してきたが、実は経済制裁以外、打つ手がない。下の地図でもお分かりのように、幸いにもアルメニアはロシアと国境を接していない。ウクライナのように、攻め込むことはできないのだ。 できるとすれば、以前、干戈を交えたアゼルバイジャンをたきつけての紛争だが、25年3月に両国はアメリカの仲介で和平条約に合意しているから、それも望み薄だ。 ロシアと国境を接していないのはアルメニアには大きな地政学的利点だが、逆にEU諸国とも国境を共にしていないのはマイナス点だ。 したがってEU加盟はまだ先の話だろうが、アルメニアが元の親ロシアに戻ることはあるまい。※以下の過去日記も参照されたい。・24年3月15日付日記:「アルメニア首相がロシア主導の軍事同盟CSTOからの脱退を示唆、ロシアの軍事介入を懸念」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202403150000/・24年2月28日付日記:「アルメニア、ロシア主導の軍事同盟CSTOへの参加凍結、揺らぐ中央アジアのロシア支配」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202402280000/・24年2月27日付日記:「テロ国家ロシアがウクライナ侵略にかまけている間にザカフカス地方の一角で静かに進むロシア離れ;国家・民族の安全保障とは」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202402270000/昨年の今日の日記:「ならず者国家イランの核武装を阻止したイスラエルのイラン攻撃」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202506160000/
2026.06.16

ちょっと押すと倍返しのように跳ね上がり、快走を続けるキオクシアが、ついに時価総額トップに躍り出た。6月12日、前日比5760高の8万1200円で引け、長年時価総額首位を維持していたトヨタ自動車を追い抜いた。 12日終値での時価総額は、約44.36兆円となった。◎1日にトヨタを抜いたSBGにも今や大差 棒上げと言えるキオクシアの暴騰は、1日にトヨタを抜いで時価総額トップに就いたソフトバンクグループ(SBG)をも抜き去ったものだ。ちなみに12日の終値での時価総額は2位のトヨタが約43.84兆円、SBGが36.97兆円である。 言うまでもなくトヨタは、生産台数世界首位の、1台で数百万円物自動車を生産販売するメーカーだ。SBGも、メーカーではないものの傘下に世界首位の半導体設計会社アーム社、通信会社ソフトバンク社、検索、ポータル、アプリなとのLINEヤフー社、キャッシュレス決済のPayPay社など多数の優良企業を置き、さらにアメリカ、オープンAI社に出資し約13%の株を握る。◎直近株価は初値の56倍! しかもたった1年半で その2社を、NAND型フラッシュメモリーの単品経営のキオクシアが抜くとは――(写真=昨年9月に稼働した同社の北上工場)。しかも上場したのはたった1年半前の2024年12月だ。その上場初日の初値は、公開価格を1%下回る1440円だった。この株価は、今や1日の値幅の数分の1に過ぎない。つまりこの時にキオクシアの将来を信じて目をつぶって買った投資家は、今や56倍余という信じられないパフォーマンスで報いられている。 前に何度も書いたが(26年5月25日付日記:「絶好調のキオクシアは買いなのか、予想PERは超割安を示すが」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202605250000/、及び26年1月12日付日記:「半導体メーカー『キオクシア』の後悔;AIブームを予見できずIPOの申し込み撤回という失敗」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202601120000/を参照)、新規株式公開(IPO)の時に1度は証券会社に購入申し込みをしながら翌日に撤回した大失策がある。今さら愚痴っても仕方がないが、あの時1000株でも買っていれば、それだけで「億り人」に手がかかったのだが。◎昨年夏からのAI需要が原動力 ただそれを予見できた人はほとんどいなかっただろう。実際、チャート図でも分かるように、去年の秋口までは株価は2000円前後でウロウロしていたのだ。公募で手に入れた投資家も、このあたりでしびれを切らして利益確定売りをしたに違いない。 それを一変させたのが、昨年夏から顕著になったAI需要だ。先に発表された今4~6月期の連結純利益は、3か月だけで8690億円と前年同期比48倍になる見通しなのだ。株価が鎌首をもたげたように棒上げとなっているのは、その反映だ。 ただし上には上がある。半導体王国の隣国韓国のサムスン電子とSKハイニックスの時価総額は、それぞれ約200兆円、約160兆円もある。桁が違う株価だ。 ただキオクシアの上昇率は、前2社より突出している(図)。この勢いが続けば、かなり肉薄できるかもしれない。昨年の今日の日記:「日本海海戦、連合艦隊の対ロシア圧勝を指揮した戦艦『三笠』、水兵の非行で不名誉な爆沈」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202506150000/
2026.06.15

永遠に完成しないと言われた、とてつもない規模の壮大な教会、サグラダ・ファミリア(聖家族贖罪教会)のメインタワー「イエスの塔」が設計者の建築家アントニ・ガウディの没後100年に当たる今年6月10日、ついに完成し、記念式典とローマ教皇レオ14世によるミサが開かれた(写真=イエスの塔上から見たサグラダ・ファミリアとバルセロナ市街地)。◎19年前にバルセロナで観たサグラダ・ファミリアに感動 サグラダ・ファミリアに僕は、19年前の2007年9月、個人旅行でスペインのマドリッドとバルセロナを旅した時、真っ先に観たものだ。 その偉容に圧倒され、1882年の着工以来、なお建設の途上であることに驚かされた。あまりにも巨大すぎて、サグラダ・ファミリアの東南に隣接する公園からカメラを構えても35ミリレンズでは全体が納まりきらなかった(写真)。その時に浸った感動を、「イエスの塔」完成を報じるニュース画像を観てあらためて思い起こす。 しかも「栄光のフォサード」などはなお建設途上で、完全に出来上がるまでにはあと10年近くもかかるという。 イエスの塔はまだその片鱗も見えなかったが、既に立ち上がっていた塔に徒歩で登り、バルセロナ市街地を観望した。南方には後述する「モンジュイックの丘」も望め、絶景には息をのんだ覚えがある(写真=はるか先に見えるのが「モンジュイックの丘」)。◎モンジュイックの丘から望んだサグラダ・ファミリア 今回、ガウディ没後100年を記念して冠せられたイエスの塔を含め、サグラダ・ファミリアの高さは172.5メートル、世界1の高さの教会となる。 しかしその高さは、ガウディの「人間が造るものは神が創造した自然を超えてはならない」という信念に基づき、サグラダ・ファミリアの南約4キロにあるモンジュイックの丘(標高約173メートル)をわずかに下回るように設計されている(地図)。 ちなみにモンジュイックの丘には、バルセロナ滞在中に歩いて登り、カタルーニャ美術館の正面からサグラダ・ファミリアを北に遠望した思い出がある(下の写真の上)。この丘には、バルセロナ五輪で主会場になったオリンピック・スタディアムもある(下の写真の下)。◎幾度の受難をくぐって あしかけ3世紀にわたって建設され続けるサグラダ・ファミリアは、ガウディが寄付だけで建設するというコンセプトを守ったために遅々として進まなかった(写真=建設が始まって約20年後のサグラダ・ファミリア)。 その間、例えばガウディ自身が1926年6月10日に路面電車に轢かれた大怪我がもとで死去したり、スペイン内戦のさなか、無政府主義者に聖堂が襲われ、主任司祭は殺害され、ガウディの仕事場は放火されて設計図は焼け去り、模型もバラバラに壊されたりという受難続きだった。 スペイン内戦でもサグラダ・ファミリアの建設は続き、フランコ独裁政権のもとに軍事的中立を保ったおかげで第2次世界大戦の戦火からも免れた。 サグラダ・ファミリアは、まさに人類の叡智の全的表現と言えるのである。昨年の今日の日記:「イスラエル、イランの核関連施設などに大規模空爆、革命防衛隊トップ・軍参謀総長らも殺害」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202506140000/
2026.06.14

プロ野球読売巨人軍の阿部監督(当時)の長女が相談し、その指示に従い児童相談所に相談して阿部監督の逮捕に至ったことでメディアを賑わわせたチャットGPT、その開発元のアメリカのオープンAIが8日、アメリカで新規株式公開(IPO)を申請したと発表した(写真=オープンAIのサム・アルトマンCEO)。◎直近の企業価値は8520億ドルも他2社に劣後 かねて観測されていたように、今年になってのヘクトコーンの大型IPOは、先のスペースX、アンソロピックに次いで3社目だ(25年12月19日付日記:「2026年にスペースX、オープンAI、アンソロピックのヘクトコーン3社が上場へ、NY市場は沸騰か」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202512190000/を参照、さらに今年5月29日付日記:「イーロン・マスクが創業したスペースXが6月にナスダック上場、テスラに次いで、『マスク帝国』に懸念」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202605290000/、6月4日付日記:「東証プライム、さらに新高値、TOPIXは初めて一時4000越え;米ではアンソロピックが上場申請」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202606040000/も参照)。 オープンAIの現在の企業価値は8520億ドル(約136兆円)で、上場時の時価総額1兆ドルを目指す。日本の国家予算を上回る。 ただスペースXの想定時価総額1.77兆ドル、アンソロピックの現時点の評価額1兆ドル弱に比べれば、一歩譲る(図)。◎後発のアンソロピックに抜かれて3番手 オープンAIは、チャットGPTを公開した後、AIの開発や普及の先頭に立ってきた(写真)。対話型AIと言えば、オープンAIとされてきたが、後発のアンソロピックに企業価値と売上高で抜かれた。 アンソロピックが法人向けに特化したのに対し、オープンAIが消費者向けを重視したのが要因だ。例えばオープンAIのチャットGPTは世界で10億人に近い利用者がいるが、有料契約は5%強にとどまる。つまり多数の利用者がいても、収益化に結び付いていないのだ。 上場時期は未定だが、年内のできるだけ早い時期を目指す。上場された場合の株価がいくらくらいになるかも現時点では何とも判断できないが、先に上場するスペースXとアンソロピックの成否に大きく影響されるだろう。前2社が低迷すれば、オープンAIも連れ安になるだろうし、好調なら大量の資金を市場から吸収しても、なお高値をつける可能性が高い。◎日本のソフトバンクグループに影響大 さらに、オープンAIの株価は日本にも大きな影響を与える。 というのは、オープンAIに日本のソフトバンクグループ(SBG)が多額の出資を行っているからだ。今年6月現在、SBGはオープンAIに累計約646億ドルを投じる計画を進めていて、持分比率は約13%にも達する。オープンAIの株価が高値をつければSBGの評価額が上がり、日本の株式市場でも大きく上がるだろう。逆なら、SBGは失速し、つれて好調なAI関連銘柄にも悪影響するだろう。悪くすると、日経平均株価も大きく下げる恐れがある。 オープンAIのIPOに向けた動きに、日本の投資家も目を離せないことになる。昨年の今日の日記:「アラビア半島の広大な砂漠にも『緑の楽園』だった時期が;過去800万年に少なくとも6回の湿潤期『緑のアラビア』」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202506130000/
2026.06.13

この地球には多くの生命が満ちあふれている。種の数は数千万とも言われるが、1億を超えるという説もある。ちなみに国連環境計画の世界自然保全モニタリングセンター、カナダのダルハウジー大学などの研究者らによる、地球上の生物種数は約870万とする研究報告がある。◎直近2020年には1万7044種と過去最高に そのすべてが命名・分類されているわけではない。むしろ命名されている方がずっと少なく、約175万〜200万種くらいとされる。 これらの生物種の中には、最近の環境破壊の中で絶滅する種も少なくない。しかし研究が進んで、新種発見も相次ぐ。 日経新聞6月7日付の巻頭記事は、その様子を伝えている。直近のデータのある2020年で1万7044種が発見され、この数字は過去最高という。1753年から2020年までの種の記載数は、着実に増えつつあったが、数百~数千種で推移していたのが、第1次世界大戦直前の1912年には1万5198種を記録した(上と下の図)。 その後、第1次大戦の影響もあり落ち込み、大戦後にようやく盛り返したものの第2次世界大戦で再び落ち込んだ。第2次大戦後は再び新種数の記載が増え、09年にほぼ1世紀ぶりに1912年の記録を上回った。そして直近の20年の1万7044種に至る。◎2017年にオランウータンに新種発見 近年の種数増の背景には、遺伝子解析の進歩がある。例えば17年11月には、スマトラの既知のオランウータンの中に、別種のオランウータンがいることが、形態分析と遺伝子解析で明らかになった例がある(17年11月6日付日記:「インドネシア、スマトラの辺境の森林地帯で新種オランウータン見つかる;大型類人猿の発見は88年ぶり」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/201711060000/を参照;写真=新種のタパヌリオランウータン)。 大型動物でも、未知の種が既知の種にまぎれていることを明らかにしたこの報告は、実際、驚きだった。 ちなみに3種のオランウータンの遺伝子解析で、意外にも新種のタパヌリオランウータンは、同じスマトラ島に棲むスマトラオランウータンと遺伝距離は遠かった。◎祖先からまずスマトラ種が分岐、その後にボルネオ種とタパヌリ新種が分岐 そうした結果から、最初にオランウータンの祖先がアジア大陸から移入してきて、約340万年前にボルネオオランウータン・タパヌリオランウータンの祖先とスマトラオランウータンが分岐し、前者のボルネオオランウータンとタパヌリオランウータンは100万年後の約240万年前に分岐したもののようだ。 後氷期にスマトラ島とボルネオ島が分離されたが、それ以前にアジア大陸から移住してきた祖先オランウータンの生息域に近い密林に元からタパヌリオランウータンが棲み、後に元祖ボルネオからスマトラオランウータンが移動してきて、たまたま両種の生息域が近かったということになったらしい。両種は、交雑することがなく、別種として生きてきたのだ。◎シーラカンスでも1997年に新種 そうした例は、例えば日経新聞の前記記事にも挙げられているシーラカンスもそうだ。 シーラカンスは1938年12月に南アフリカ沖で初めて再発見された。シーラカンスは6550万年前の小惑星の衝突によって引き起こされた大量絶滅で死に絶えたと考えられていた。それが、人知れず南アフリカ沖で生き残っていたのだ。 しかし太古から蘇ったようなシーラカンスの物語はそれで終わらなかった。1997年にはインド洋を隔てたインドネシアのスラウェシ島近海で、南アフリカ産とは別種のインドネシアシーラカンス(ラティメリア・メナドエンシス:下の写真の上)も発見された。遺伝子解析の結果、新しく発見されたインドネシアシーラカンスは、南アフリカ産(下の写真の下)とは約3500万年前に分岐したらしい。 そのでんからすると、もっと別の深海で別種のシーラカンスがひっそりと生き延びているかもしれない。昨年の今日の日記:「毒を持つ珍しい鳥、ピトフーイまたはズグロモリモズ、食物を通じて蓄積される猛毒のバトラコトキシン」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202506120000/
2026.06.12

米東部時間で本日、サッカー、ワールドカップ北中米大会が開かれる。 1930年に南米ウルグアイで第1回大会が開催されて以来、アメリカ、カナダ、メキシコの3カ国にまたがって開かれる初めての大会だ。選手たちは、広大な北中米大陸を短期間に移動させられる過酷な大会になる。◎戦後初出場・初優勝した西ドイツの「ベルンの奇跡」――1954年 ワールドカップは、1942年、1946年は、第二次世界大戦のために中止され、1950年のブラジル大会で復活・開催された。しかしこの大会には敗戦国ドイツ(当時は西ドイツ)は参加を許されなかった。 西ドイツが初めてワールドカップに出場したのは、1954年のスイス大会だ。 初出場したこの大会で西ドイツは大きな番狂わせを演じる。決勝で、この試合まで4年間も無敗だった「マジック・マジャール」(下の写真の上)と愛称された当時の最強国のハンガリーを破り、初優勝を果たした(下の写真の下)。◎初の東西ドイツ戦で西ドイツ敗北――1974年 この勝利は「ベルンの奇跡」として、第2次世界大戦後の敗戦国としての汚名を引きずり、また自信喪失気味だった西ドイツ国民を熱狂させた。ちなみにこの時の熱狂は、35年後の1989年、ベルリンの壁の崩壊という「ベルリンの奇跡」と匹敵するほどのものだったという。 西ドイツとワールドカップのドラマは、1974年の西ドイツで初開催された西ドイツ大会にも引き継がれる。この時、西ドイツは1次リーグで決して敗れてはならない相手に不覚をとる。この大会に初出場したソ連の傀儡国家東ドイツは、西ドイツと対戦し、1対0で大番狂わせとなった。その痛手を幸いにも西ドイツは引きずらず、2度目の優勝に輝いた。◎決勝ゴールを決め、英雄扱いのシュパールヴァッサーの不遇 さて、ドラマは続く。1次リーグで1対0で西ドイツを下した東ドイツの決勝のゴールは、ユルゲン・シュパールヴァッサーだった(下の写真の上=ゴールの瞬間、黒いシャツがシュパールヴァッサー;下の写真の下=74年のシュパールヴァッサー)。彼は帰国後、英雄として東ドイツで熱狂的に迎えられた。 スターリニスト東ドイツは、この勝利を「社会主義の資本主義に対する勝利」として大々的に政治利用した。英雄シュパールヴァッサーも。 だがスターリニストによるこの政治利用に、シュパールヴァッサー本人は息苦しさを感じるようになり、秘かに不満を溜め込んでいた。英雄視される一方、本人が望んだ世界最高峰の1つの西ドイツ「ブンデスリーガ」に加われなかった。◎西ドイツに亡命も非現役だった 共産主義体制への嫌悪を世界に広く表明したのが、1988年1月の西ドイツへの亡命だった。現役を引退し、スターリニストの監視も緩んだすきに、西ドイツで開催されたOB選手のトーナメント大会に参加した後、東ドイツに帰国せずそのまま西ドイツに亡命したのだ。娘が政治的抑圧のため国外退去を申請し、シュパールヴァッサー自身の職業的地位も危うくなっていたといわれる。 彼の亡命は、1年10カ月後のベルリンの壁の崩壊を予示させるものだった。亡命時には39歳だった。もっと若く、少なくとももう10歳若ければブンデスリーガに引っ張られて大活躍したはずで、まさに惜しい生涯だった。昨年の今日の日記:「ソニーグループが金融子会社のソニーフィナンシャルグループをスピンオフ、これは買いだ」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202506110000/
2026.06.11

昨年のNHK大河ドラマ『べらぼう』は、江戸時代の安永の初め、吉原が舞台で始まった。吉原は幕府公認の遊郭で、豪商や旗本の遊び場として賑わっていた。◎江戸の吉原の遊女たち 『べらぼう』でかなり知られたからか、過日、訪れた江戸東京博物館の展示場で遊女に関する展示には多くの観覧者が集まっていた。僕が訪れたのはシルバー層が無料になる日だったから、大混雑に近かったのだが、押し寄せた来観者の7割を占めたと思しき友だち連れの中高年女性たちは、それらの展示に群れていた。 遊女は、実は人身売買で売られた悲しい身の上の女性である。1度、吉原に売られば、お金持ちの旦那から身請けされない限り、吉原区画を区切る大門の外には出られない。『べらぼう』でも客と逃げた遊女が追っ手に追われ、捕まって女郎屋主人に厳しく折檻される場面が出てきた。◎吉原の華、華やかな花魁、だが多くの遊女の身は悲惨 それでも売れっ子なら、妓楼、女郎屋の主人にちやほやされる。最高の格式の「花魁(おいらん)」なら、身請け料は1000両はくだらないし、妓楼に日々、莫大な稼ぎをもたらしてから、主人は頭が上がらなかった(下の写真の上=2人の禿を従えた花魁;下の写真の下=「吉原遊女図」、歌川豊春筆、天明・寛政年間、着飾った花魁が2人の禿と共に茶屋の前で涼んでいる)。 遊女たちは、その吉原の200件近い妓楼で、客に酒席の相手ばかりか最も重要な役割である性的サービスを行っていたのだ。だから彼女たちは、常に性病のリスクを抱えていた。例えば梅毒にかかった遊女の末期は悲惨で、小水のたびに激しい痛みやふだんから全身の激痛に苦しめられる。自然に治ることは無いし、特効薬も無かったから、死だけが安らかになる途だった。◎多くは20代前半で亡くなった そうした遊女たちの多くは、20代前半で亡くなったという。 そして死んだら死んだで、手厚く埋葬されることはなく、女郎屋の主に命じられて近くの投げ込み寺(荒川区三ノ輪の浄閑寺)の掘った穴に投げ捨てられた。 そうした遊女たちの悲惨な境遇を知っていれば、同じ女性として、連れの友だちとぺちゃくちゃと話してはいられないと思うのだが、そんな屈託はどこにも見られなかった。平和な時代なのだ。◎遊女の数の浮沈を示す図 展示の1つに「遊女の実情」というグラフがあった(写真=グラフの右上の写真が浄閑寺)。江戸時代を通じて遊女の数は浮沈したが、弘化4年(1847年)に1つのピークがある。推測だが、江戸の4大飢饉とされる最後の大飢饉である「天保の大飢饉」が関係しているのだろう。天保の大飢饉は、天保4年(1833年)に始まり、1835年~1837年に最大規模化し、実に天保10年(1839年)まで続いた。 この時、農村や町屋の貧しい家から女郎屋に売られた女の子は、この5、6年後には初潮を迎えて遊女になったからなのではないか。 逆に大飢饉が終焉した天保11年にボトムを記録したのは、大飢饉という世相を反映して客も激減し、まだ女の子が遊女にならなかったからなのではないかと思う。昨年の今日の日記:「昭和の高度経済成長期の日本の資金需要を支えた生命保険、その生保を支えた『ニッセイおばちゃん』の思い出」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202506100000/
2026.06.10

今、毎週月曜日にNHK-BSで再放送している『八重の桜』はいつもながら食い入るように観ている。 ここには、幕末の佐幕派や尊攘派の活躍がほぼ史実どおりに描かれているが、8日放送の第20回までに、長く誤解していた京都見廻組の与頭(くみがしら)だった佐々木只三郎(写真)は登場していない。◎京の治安を守った尖兵 京都見廻組と佐々木只三郎は、佐幕派の武装勢力だった新選組と近藤勇・土方歳三ほど有名ではない。佐々木只三郎は、坂本龍馬と中岡慎太郎のいた近江屋を襲撃し、2人を暗殺した下手人として、わずかに知られているに過ぎない。正義漢だった彼は、私益に走った浪士組の指導者の清川八郎(絵)も暗殺している。その武勇伝が示すように、佐々木は神道精武流の使い手だった。幕府講武所の剣術師範を務めたともいわれる。 「長く誤解していた」と書いたのは、龍馬の暗殺犯として皮相的、否定的に見ていたからで、結果として佐々木の犯行が明治維新の行方を大きく変えてしまったのは否めないが、彼は彼で、会津藩と新選組と共に、京の治安を守ったことに大きな功績があった。ちなみに龍馬暗殺は、龍馬が寺田屋遭難事件で捕縛に急襲した捕り方を拳銃で射殺した件の取り締まり方の職務行為だった。 御所を襲撃し、京を焼き払った長州に対する「蛤御門の変」防衛戦争にも見廻組を率いて参戦している(絵=会津藩兵に砲撃する長州藩軍)。◎鳥羽伏見の戦いにも最前線で戦う 見廻組は、旗本の次男・三男で剣術に秀でた者を募った。佐々木只三郎も、旗本身分だった。ただ出身は会津藩の藩士の三男だった。後、親戚の旗本の佐々木家に養子に出た。 だから気分としては、義を何よりも重んじる会津藩士の士風が濃厚だった。徳川300年の平穏の中ですっかり士風を失っていた旗本出身者の見廻組の中ではむしろ異質だった。 ただ主に浪人で構成され、農民や町人出身者も混じっていた新選組とは肌合いが合わず、共闘することはあまりなかった。 佐々木只三郎は、徳川慶喜が多くの部下を見捨ててて逃亡した鳥羽伏見の戦いでは、会津・桑名藩、新選組とともに最前線で戦った。幕府側の諸藩の多くが寝返ったり、日和見傍観していたのに、だ。 寝返りの最悪の藩は、譜代の筆頭、彦根藩だ。元大老・井伊直弼を藩主とし、藩祖の井伊直政は徳川家康の天下取りに大きな役割を果たしたのに、鳥羽伏見の戦いが始まると真っ先に薩長側に寝返り、その後は新政府軍のお先棒を担いで東山道軍の先鋒を務めたりした。◎深傷を負い、敗走中に和歌山で死去 その点、佐々木只三郎は出身の会津藩とともに義に忠実だった。 鳥羽伏見の戦いで薩長新政府軍に抵抗し、銃創を負い、これがもとで和歌山に敗走中に紀三井寺で客死した(写真=紀三井寺の佐々木只三郎の墓)。 歴史は勝者によって書かれ、評価される。であるから、敗者の佐々木只三郎には冷酷だ。 新選組が今も映画やドラマ、漫画で好意的に大きく描かれるのに、見廻組と佐々木只三郎にはほとんど日が当てられない。もう少し、光が当てられ、評価されていい義士だと思う。昨年の今日の日記:「イーロン・マスク、トランプと訣別、DOGE退任後に両者間で非難の応酬」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202506090000/
2026.06.09

中部アフリカのコンゴ民主共和国でエボラ出血熱の感染者が拡大し、確認されただけでもすでに死者は130人を越えた。◎中部アフリカ6カ国で調査 アフリカでは、一部の国を除いて家畜の大規模飼育が未発達のため、都市も農村もサル、コウモリ、アンテロープ、ネズミなどの野生動物を捕獲し、その肉――ブッシュミートと呼ばれる――を消費している。ブッシュミートは現地の人たちの貴重な動物蛋白源だが、前記のようにエボラ出血熱などの動物原性感染症の原因になる他、野生動物の生存が脅かされる要因ともなっている。 イギリスの科学週刊誌『ネイチャー』5月28日号で、熱帯雨林の広がる中部アフリカ6カ国で、野生動物相の劣化を防ぎつつ、野生動物の持続可能な利用を確保するため、ブッシュミートの消費の規模などを、欧米などの研究者たちが広範な調査を行い、ブッシュミートの意義の大きさが明らかになった。◎年間消費量は110万トンも 研究者たちが調査したのは、赤道ギニア、中央アフリカ、カメルーン、ガボン、コンゴ共和国、コンゴ民主共和国の252カ所、1万2000世帯以上だ(図=緑の部分が熱帯雨林帯)。 これら中部アフリカでは、ブッシュミートが農村部の食生活の基本的な構成要素で、推奨される1日の蛋白質摂取量の20%をブッシュミートが占めていた。中部アフリカで消費されるブッシュミートの量は、2000年から2022年の間に73万トンから110万トンに増加し、町や都市からの需要が増加していると推定されている。 中部アフリカの熱帯雨林帯に住む人口は、旧石器時代以来、東アフリカや南アフリカと比べてずっと少なく、人口密度もこの数千年来、現在よりもはるかに低く、狩猟が主な生計手段になっていた。このような時代には、狩猟はほとんどの野生種に対して持続可能だった。◎野生動物の3分の1に脅威 しかし過去100年で、中部アフリカの人口は2500万人から1億4000万人にも急膨張し、食糧需要が大きく増加した。現在、この地域の人間の野生動物の消費は、この地域で絶滅の危機にある哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類の31%にとって脅威となっている。 その理由は、中部アフリカの辺境農村部の多くでは、海産魚や家畜の肉が不足し、国家の交通インフラが不十分であり、あっても高価だからだ。そのため農村部ではブッシュミートや地元産の淡水魚を主な動物性食品として消費され、これらが摂取蛋白質の大部分を担っている。◎文化に深く根付く 現在、中部アフリカ人の51%は都市部に住んでいて、野生動物資源への直接的なアクセスは限られているものの、現代の家庭食料システムは依然として未発達であるため、市場でほとんど規制も無くブッシュミートが取引されている(下の写真の上=コンゴ共和国の首都ブラザビルの市場で取引されるコウモリ)。また都市部へ供給するブッシュミートは農村部の人々の貴重な現金収入となっている(下の写真の下=ブラザビルの市場にケージに入れて運ばれるコウモリ。近くの森で捕ったものだ)。 一方でブッシュミートの消費は、今なお多くの中部アフリカの都市部の文化に深く根付いていて、味覚に関連する理由で購入されている。 したがってブッシュミートの消費は中部アフリカの社会経済的基盤の重要な構成要素であり、野生動物のあらゆる利用が持続可能なものであることを確保することが、2030年までに国連の持続可能な開発目標(SDGs)を達成する鍵となる。昨年の今日の日記:「ウクライナのドローン、ロシアの4空軍基地襲撃、戦争開始以来ロシア侵略軍はウクライナの3倍の人的損害」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202506080000/
2026.06.08

テロ国家ロシアの独裁者プーチンの地位は、安泰ではないかもしれない。 多少の希望的観測を含めれば、今年になってその予兆はいくつか出ている。◎軍事パレードは縮小され、ドンバス占領地の一部を失う 最も典型的な例は、去る5月9日に首都モスクワの赤の広場で行われた対ドイツ戦勝記念日の軍事パレードだ。前年より規模が縮小され、戦車や自走砲、防空ミサイルシステムや大型ミサイルといった、軍用車両や兵器が行進する軍事パレードは中止された(写真:5月26日付日記:「ドローン優位のウクライナが戦況を変えた、ロシアの戦勝記念日にも最新兵器のパレード無し」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202605260000/を参照)。 この決定は、プーチンの面目を失墜させるものだった。すなわち首都モスクワでも、ロシア軍は危険にさらされていることを世界に示した。 戦場でも、今年になってウクライナ東部ドンバス地域の進撃が止まっている(写真=ロシア侵略軍の攻撃に備えるためバリケードをつくるウクライナ軍兵士たち)。それどころか4月には、占領地を一部失ってさえいる。◎ロシア軍死者は50万人以上、アフガニスタン戦争をはるかに上回る ロシアの石油施設へのウクライナ軍のドローン攻撃が頻発し、精油能力がかなり削がれ、産油国なのに全土で燃料価格が上昇し、一部ではガソリン不足でスタンドに列が出来ている(写真)。 死者も増え、ウクライナ侵略開始以来、50万人を越えてるいると見られる。負傷者は、それ以上だ。1979年から10年間にわたった旧ソ連のアフガニスタン侵略戦争での死者数は1万5000人程度だったから、すでにロシアの青年人口に大きな痛手を与える規模だ。 これらすべて、ウクライナが急速に進歩させたドローン軍備によるものだ。ただロシア軍将官がモスクワの街頭で暗殺される事件もあり、ウクライナ秘密組織も浸透していて、地上での安全性も失われている。 そして、ロシアは西側からの制裁で、完全に国際的経済圏、文化・スポーツ圏から切り離されてしまった。 昨年まで戦時景気で比較的好調だったロシア経済も、今年になってGDP成長率は1%台に落ち込んでいる。◎閉塞感の臨界点は近付いている 以上のロシアの閉塞感は、現在のようにプーチンが独裁者として君臨し、ウクライナ侵略戦争を止めない限り、ますますひどくなっていく。それは、プーチンを支える軍と特権層の離反を誘うだろう。 ただ、現在、プーチンの権力を脅かしそうな具体的兆候は出ていない。民間軍事会社ワグネルの創設者エフゲニー・プリゴジンによる2023年の反乱(写真=ロシア南部のロストフナドヌーを占領し、市民に歓迎されるワグネルの軍)は、最もプーチンを脅かした事件だったが、盟友のベラルーシの独裁者ルカシェンコの助力でプリゴジンをうまく丸め込むことに成功し、危機を乗り切った。プリゴジンは、反乱の2カ月後にプーチンの差し金と思われる飛行機事故で死亡している。 だが閉塞感の臨界点に、プーチンが近付いているのは確かだ。プーチンの大統領任期は2030年までだが、現在73歳のプーチンがそこまでもつか、怪しいと思われる。昨年の今日の日記:「4.3万年前のネアンデルタール人の最古の指紋付着礫をスペインで発見」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202506070000/
2026.06.07

日本の最東端の島は、南鳥島である(写真)。 南鳥島は、最近、とみにニュースで取り上げられることのある無人島だ。例えばスターリニスト中国によって輸出規制されるレアアースが近海底に眠っていることからレアアース泥を採掘する試みがなされ(26年2月6日付日記:「南鳥島沖レアアース泥の引き揚げ成功、内閣府などが発表、採算性などが課題だが」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202602060000/を参照)、またここに原発の高放射線量の「核のゴミ」を地中埋設するための調査を始める、などだ。◎最北端は択捉島、最南端は沖ノ鳥島、そして最西端は与那国島 最東端の南鳥島が出たついでに最北端、最南端、最西端の島を挙げると、以下のとおり。▽最北端――択捉島(写真=敗戦後のドサクサにソ連赤軍に占領され、今もテロ国家ロシアが居座って占領を継続している)▽最南端――沖ノ鳥島(写真=写真のように護岸工事を施さないと波に削られて海没しかねないほどの広さ6畳ほどの超々小島だが、これによって約40万〜42万平方キロものEEZがもたらされている。スターリニスト中国は、沖ノ鳥島を島ではなく「岩礁」と難癖をつけ、あわよくば乗っ取ろうと画策する。地図は、南鳥島と沖ノ鳥島の位置)。▽最西端――与那国島(台湾に最も近く、したがってスターリニスト中国による台湾侵略を抑制するのに重要な役割を持つ)◎無人島のほとんどは所有者もはっきりしない このように、海洋国家日本には、内海・外洋で数多くの島がある。国土地理院の調べで、現在、島の数は1万4125島あると分かっている。しかしその大半、92%は無人島だ。ちなみに前記の南鳥島と沖ノ鳥島も無人島だ。 これらの島は、所有者がはっきりしないものが多い。つまり、海洋進出に野心を隠さないスターリニスト中国に対する防備が全くこころもとないことになる。早い話、漂流と称してスターリニスト中国の武装漁民が居着いても、ひょっとすると政府は何もできない恐れがあるのだ。◎武装漁民の乗っ取りを警戒せよ 彼らが、軍の支援で堅固な建物を築き、家族が住み着くと、「平和的に」乗っ取られてしまう。1つの島が乗っ取られれば、次には隣の島も占領され、日本の領土・領海内にスターリニスト中国の出先が出来てしまう。 今はその恐れは顕在化していないが、時折、無人島が中国人に買い取られてリゾート地が作られたという話をネットなどで目にすると、安心はできない。そいつらが、人民解放軍のスパイである可能性は排除できないのだから。 さしあたって政府は早急に所有者のはっきりしない無人島を国有化し、乗っ取りに備える必要があるだろう。昨年の今日の日記:「悪い奴ら、JA、農水省、そしてトランプ、トランプはなぜハーヴァード大をイジるのか」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202506060000/
2026.06.06
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