政治、現代史、進化生物学、人類学・考古学、旅行、映画、メディアなどのブログ

政治、現代史、進化生物学、人類学・考古学、旅行、映画、メディアなどのブログ

PR

×

Profile

自費出版のリブパブリ2010

自費出版のリブパブリ2010

Keyword Search

▼キーワード検索

Freepage List

Calendar

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

farr@ 相互リンク 突然のコメント、失礼いたします。 私は…
くーる31 @ 相互リンク 突然のコメント、失礼いたします。 私は…
背番号のないエース0829 @ 婿入り 現在井上ひさし「吉里吉里人」を読書中な…
自費出版のリブパブリ2010 @ ありがとうございました。 京都ヒストリカ国際映画祭事務局さん …
2026.07.11
XML
カテゴリ: 旅行紀行
 約770メートルの細い岩の尾根道「チャレンカの道」をアップダウンした末、約30分かかって神威岬灯台にたどり着いた。
 灯塔の地上高は約12メートル、海面からの高さは約82メートルという( 写真 )。



◎チャレンカの道がまだ無い時代、灯台守の家族3人が荒波にさらわれて死亡の悲話
 明治21年(1888年)8月に初点灯されたこの灯台には、その時代らしい悲話がある。この話の概要は、神威岬から駐車場まで戻り、「カムイ番屋」というお土産売り場と飲食店があるが、その2階が神威岬灯台の簡単な資料館になっていて、そこの展示で見て知った。
 明治45年(1912年)、灯台守の家族3人が買い出しに出かけ、途中で荒波に飲まれて亡くなったいたましい事故があった。当時は、岬の今のようなチャレンカの道が造られてなく、買い出しには岩だらけの海岸伝いを行くしかなかったのだ。
 悲しい事故に心を痛めた土地の人々は、灯台を守る家族の命は大切、と1914年(大正3年)に海岸の岩盤に素手でトンネルを掘る工事を始めた。測量技術が未熟だったので、両端から掘り進めたトンネルが食い違ってしまい、なかなか貫通しなかった。そこで岩盤越しに「念仏を唱え、鉦(かね)を打ち鳴らし」、そのお互いの音を頼りにトンネル掘削を進めたという。約7年の歳月をかけてその後1918年に貫通したトンネルは、したがって「念仏トンネル」と命名された( 地図 )。



◎岬の先に神威岩
 ただ現在、このトンネルは落石の危険があるため通行禁止となっているが、神威岬を守るために生きた灯台守とその家族、そして彼らを支えた村人たちの絆の歴史として語り継がれていて、1957年(昭和32年)に公開された映画『喜びも悲しみも幾歳月』のモデルの1つにもなったという。
 今は無人化されている灯台の先の岬の先端に神威岩を展望できる展望台がある。ゴツゴツした盛り上がった岩の上に立つと、脚がすくんだ( 写真 )。



◎積丹半島沖地震で低くなった?
 神威岩( 写真 )は高さ41メートルとウィキペディアにはある。しかしいくら岬の上から俯瞰しているとはいえ、とてもそんな高さに見えない。1940年8月2日に沖合を震源とするM7.5の積丹半島沖地震(神威岬沖地震ともいう)が発生し、第3回でも述べたがこの地震で余市のローソク岩が一部壊れたから、震源に近い神威岩もさらに低くなった可能性がある。



 僕たちが訪れた時に同じ規模の地震が起きたら、尾根上に付けられたチャレンカの道( 下の写真の上 )も一部崩落は免れず、死傷者が出るか、先端側の観光客は孤立を免れない。ちょっと怖い想像だった( 下の写真の下 =断崖の途中に咲くエゾカンゾウの花)。





(この項、続く)

昨年の今日の日記





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2026.07.11 02:35:38


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: