全10件 (10件中 1-10件目)
1

忌引き休暇を目一杯取って、今日が最終日。職場へ持っていく菓子折を調達した帰りに、1度行ってみたかったカフェに行った。怪しさ満点の場所にあるんだけど、ドアを開けたら「ここ、どこですか」的なメルヘン異世界感メニューはケーキセットしかない。ケーキは数種類から選べる三つ編みおさげのかわいいお姉さん一人で切り盛りしていた。不定期営業らしいけど、機会があったらまたケーキ食べに行こう。
2023.01.24
コメント(0)
うちの母は20年くらい半身まひ生活を続けていた。脳梗塞を患い右手右足が不自由になったあと、リハビリで杖をついて歩行することが可能になり、左手で食事をしたり文字を書いたりすることも可能になった。その後加齢とともに機能が低下したわけだけれど、アクリル毛糸でたわしを編むことは、かなり晩年まで続けていたと思うというのは、新型コロナが流行する前に毛糸を大きな紙袋いっぱい(50玉くらい)買って差し入れたのに、母の死後の居室からは、編みかけのたわしとともに毛糸3玉しか出てこなかったからだ。編んだたわしは家族と知人に配る他、施設でも使ってもらっていたようだ。母は不自由な右手に鉤針を持たせ、使える左手を駆使して毛糸を編んでいた。母の作るたわしはシンプルな平たい円形で、凝ったデザインのアクリル毛糸たわしよりも使いやすかった。我が家では風呂とシンクの掃除に重宝している。今日はテレビを見ながら、編みかけのたわしを完成させ、ついでに自分でもいくつか編んだ。母の作ったたわしの在庫がなくなったら、自分のたわしを使おう。
2023.01.22
コメント(0)
葬儀関係で久しぶりに会った姪が超おすすめと言っていた映画「RRR」を見に行った。面白かったー目を背けたくなるような場面もあるけど、あり得ないアクションの連続で3時間があっという間だった。ありがとう姪。楽しい時間だった
2023.01.21
コメント(0)
昨日は母のお通夜、今日は告別式だった。家族葬で、私と兄とその配偶者、子どもたちとその配偶者10人でのお見送りとなった。昨日は集合から通夜開始まで1時間くらいあり、待合室でみんなでひたすら折り鶴を作って過ごした。母の顔は死後一週間となるのに、とても安らかで、きれいだった。斎場のスタッフもそう言っていた。通夜振る舞いの席で義理姉2(死んだ兄の妻)が「昨日、お母さんの電話から不在着信があったの!」と言った。おお、時々聞く、不思議な話か?と思いきや「あ、それ俺。」と兄が言った。解約手続き中に誤って発信してしまったそうだ。今日は朝早くから集合だった。お経をあげてもらい、出棺の時となった。柩には、施設に入っていたときにみんなが送った手紙、母が仕事を辞めるときに職場の人が贈った寄せ書き、母の日記(記録ノート)、姪の手紙、そして母が好きだったケンチキの骨無しチキンと干し芋を入れた。そして火葬場に移動し、お骨を拾い、お寺に移動して初七日法要を行って、お寺近くの和食のお店で会食して解散となった。子どもも孫たちも、元気で真面目に生きている。帰宅してから、近くの文房具店に行ってレターセットを買った。明日施設にお礼状を書いて出す。
2023.01.19
コメント(0)
今日は前から予定していたMOS(マイクロソフトオフィス)検定を受けに行った。ワードの上級予想外の問題にうろたえる場面もあったけど、無事合格できた。帰りに袱紗を買いに行き、斎場に寄って母に合格通知を見せてお線香をあげてきた。母のことを思い出すとき、頭の中に浮かぶ顔が少しずつ若やいでいくのはなぜだろう。
2023.01.15
コメント(0)
母が亡くなって1日仕事を休み、2日間普通に仕事して、今日は土曜日。 雨だったし、ちょっと疲れが出たみたいで午前中はだらだらしていた。夕方、斎場に行って、母にお線香を手向けてきた。柩に入った母はとても普通っぽく(顔色も悪くないし表情もおだやか)よかったなと思った。 斎場の人に「お通夜や葬儀の会場は寒いですか?」など聞いていたら、姪(葬式番長とは別の姪。生きている方の兄の娘)がやってきた。しばらく姪と母や家族にまつわる話をしていた。姪は私が19歳の時に生まれて、私の祖母(姪の曾祖母)や父のことも覚えている。「家族ってメンバー交代していくんだね」なんて話をしながら、うちの実家は家族仲がよい、それはわりと珍しいことで、とてもありがたいということで意見が一致した。とかやっていたら兄(姪の父)もやってきた。施設の母の居室の片付けが済んだという話から始まり、そのまま母の思い出話になった。私が中学生くらいの頃、母がスズムシの飼育をしていたことがあった。近所のパン屋の店主さんはスズムシ友達で、パン屋さんに聞いた飼育法で冬越しをしたら春に容器いっぱいに幼虫が孵化した。母はあっさり「共食いして数が減るから大丈夫」と言ってのけた。とかいう話を母の柩を囲んで話して笑った。斎場の人は「こういうことが一番のご供養です」と言っていた。そのまま実家に寄り、母の居室にあったもののうち、家族からの手紙を柩に入れるものとして私の家に引き上げた。自宅で中身を検めて、関係ないものとか空の封筒とかはより分け、葬儀のときに持って行けるようにした。生きている人の写真は柩には入れてはいけないらしいので、死んだ兄のものと風景の写真以外はより分けた。母の日記的なノートもあった。半身麻痺の乱れた文字で毎日の出来事がメモしてあった。多分胆嚢炎で搬送されたときまで。「アサゴハン オフロ タイソーニイク(体操に行く) ゴミダシ ソウジシテモラウ ヒルゴハン テレビ ユウゴハン」みたいな内容の繰り返し。時々私たちが面会に行った記録もある「コドモタチクル ヤキイモヲイタダク」そのノートも柩に入れる。
2023.01.14
コメント(0)
母が亡くなり、今日は仕事を休んで、これからの相談をした。基本、施設入所まで母と同居していた兄が取り仕切るので、私は横にいて意見するだけだけど。今朝は次兄(一昨年亡くなった)の娘(私の姪)も施設に来てくれて、その姪が「葬儀番長」とその場であだ名をつけられたくらい(姪本人は「決してなりたくないんだけど!」と言っていた)てきぱきと段取りを説明してくれた。なぜかというと、一昨年の兄の葬儀の時、コロナ渦の訪問看護で忙しい母(兄の妻)に代わって、兄の葬儀の窓口係を勤め上げたのがこの姪だから。母は早朝施設で亡くなったので、提携している病院のドクターが来ないと死亡診断が出ない。ドクターを待つ間、「死亡診断書が出たら次はここに連絡するの。」「遺影選びが結構大変だから、今日みんないるうちに実家で選んだ方がいいよ」とか、レクチャーしてくれた。火葬場が混んでいて葬儀は一週間以上あとになる、ということだけが午前中決まって、一旦解散、昼過ぎに実家に再び集合ということになった。私は一週間やることがないので、明日から来週火曜日までは普通に仕事に行くことにした。枕経とか納棺とか、あとで明日やると知ったけど職場に報告したあとだったし、母は「仕事行きなさい」と言いそうなので仕事に行く。私は帰宅し、兄夫婦が葬儀屋さんを呼んで母を斎場に送ってもらった。午後、遺影選びをした。遺影候補の写真とともに私の小さい頃のアルバムなんかも出てきて、実家にあっても迷惑だろうから引き上げることにした。それから葬儀屋さんがやってきて、お棺とか祭壇とか骨壷とか精進落としの料理とか諸々相談してプランを作ってもらった。葬儀は斎場で家族葬、実家が檀家をしているお寺のお坊さんを呼ぶということは決まっていて、その他は見栄を張る必要もないのでシンプルにつつましく行うことにしたそのわりには、へええー。というくらいの見積になった。一昨年の兄の葬儀をしてもらった葬儀屋さんなので会員割引的なものが適用されることになったけど、それでもへええー。な見積額だった。お寺へのお布施やお車代、お食事代などは別料金。葬儀に関する相談がすんで、今日は解散。夕方ちょっとスーパーまで歩いていたら、石焼き芋屋さんのトラックと行き合った。母が大好きだった石焼き芋。よく買って一緒に食べた。ここで行き合ったのも縁と思って、一つ買って帰り、一人で食べた。いや、母と一緒に食べた。芋、おいしいね。お母さん。芋を食べながら、自分の葬儀のお金は自分でキープしとこう。それから1年おきくらいに誕生日近くに写真館で写真を撮っておこう、と思った。
2023.01.11
コメント(0)
今朝早く、母が亡くなった。昨日、仕事帰りに寄って顔を見たときには、わりと元気そうで受け答えもできていた。なぜかベッドの柵をつかんで、しきりに体を起こそうとするような動作を繰り返していた(どうしたの?と聞いても特に答えず、苦しそうとかでもなく)。みかんを見せ、食べる?と聞いたら「いらない」と言われ、水分だけ飲ませた。初日の出の写真などを見せたら嬉しそうにしていた。帰り際に「お母さんありがとう」と声をかけたら「こちらこそ、ありがとうね」と、言って、それが最後の会話になった。今朝、母に会ってきた。施設の方がすっかりきれいにしてくれて、お出かけの服を着て静かに眠っているようだった。やっと休めたわ、と言っているのかも知れない。火葬場が混んでいて、葬儀が一週間以上先になってしまったので、明日から火曜日までは普通に仕事に行く。
2023.01.11
コメント(0)
うちの母は90歳で、今、私の自宅から車で20分くらいの有料老人ホームに入っている。脳梗塞を患って、もう20年近く右手右足に麻痺がある。新型コロナが流行る少し前に胆嚢炎を起こして救急搬送され、そのときにもう長くないだろうと言われたのに回復して、それから4年くらい、わりと元気に過ごしていた。今年になって新型コロナによる面会禁止がゆるくなり、予約すれば会える状態になっていたので、時々差し入れをしながら顔を見に行っていた。11月までわりと元気で面会室まで車椅子でやってきていた。12月の半ば頃施設から連絡があり、最近ほとんど食事をとらなくなった、と言われた。その次に面会したときに看護師さんから「食事量がめっきり減って、このようになると急変する可能性が出てくる」と言われた。もっとも母本人はとても機嫌良く、穏やかに過ごしているとのことで。それから少し面会の頻度を上げ、食べられそうなもの、好きだったものを差し入れてみた。差し入れに喜びはするが、以前と比べて全然食べない。そうしているうちに年を越して、一昨日の夕方に母が急変した、という連絡を受けた。兄夫婦とともに母の居室に行くと、母はぐっすり眠っていた。眠っているのか意識混濁なのかはよく分からなかったけど。施設としては看取り体制に入ったとのことで、面会の予約不要、時間不問となった。(発熱など体調に関しては良識の範囲で)「思い残しのないようにしてください」と言われた。その日は自宅に帰り、昨日の午前中、同居人を連れて再度面会に行った。母は意識を戻していて、こちらの言っていることは理解しているようだった。同居人に「大きくなったね」と言っていた。今日の午前中に一人で面会に行った。母は眠っていた。時々職員さんがやってきて体位を変えたりすると少し目をあけ、私のことは分かるようだけど、すぐに眠りについた。とろとろと眠っている母の顔をのぞき込み、思い出話などをしていて、この状況、何かにすごく似ている、と思った。同居人が赤ん坊の頃によく似ている。ああ、最期に赤ん坊に戻るって、こういうことなんだな、と思った。53年前、きっと母も私が眠ってる寝床をこんなふうにのぞき込んでいたのだろう。眠っている母に何度もありがとうと声をかけた。※母の看取りに関しては、4年前に胆嚢炎で搬送されたときに母本人の意思もあり、「延命治療なし」と兄弟で話し合って決めた。
2023.01.09
コメント(0)
あけましておめでとうございます。昨日は初日の出を見に行って、氏神様に初詣。おみくじは大吉だった。大吉だったけど、中身はなかなかに辛口。「パッと見、いいことに見えなくても、諦めずに真面目に取り組んでいたら、良い成果が出るから頑張れ(意訳)」みたいな和歌が書いてあった。昨日は使い古しのバスタオルで足拭きを縫ったり、お絵かきソフトで遊んだりして過ごした。一つ、わかったことがある。お絵かきソフトは、描いたり消したり修正したりすることがアナログより飛躍的に簡単になる。でも、自分が描ける以上のものは描けない(笑)まだ慣れてなくて、思うような線が引けないし、思うような操作もできない。致し方ない。今日は朝から午前中いっぱい、鎌倉殿の13人の総集編を見て、昼食後に散歩に行った。そしていなり寿司を買って帰り、夕食に食べた。時間があっという間に過ぎてしまう。でも正月休み、やりたい放題楽しんでる。
2023.01.02
コメント(0)
全10件 (10件中 1-10件目)
1