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午前中、市の保健福祉課で催されている、“遊びの広場”に参加した。 幼稚園入園前くらいの子供たちがわんさか!時節柄、クリスマスツリーの飾り付けなどで楽しそうに遊ぶ姿を目にした。やっぱり…というか、お母さんたちが大半で、男性の姿はほとんど無かった。鬱は鬱なりに、子供たちと一緒になって遊んだ。少しだけ、心慰められる思い。 昼食を摂り、13:00から、うおぬま国際交流協会の名簿の住所変更の入力作業をさせてもらう。所在地の近隣の町村が、合併で2つの市(魚沼市・南魚沼市)に変わったためだ。エクセルのデータの入ったフロッピーと、住所変更のリストを渡された。基本的に、置き換えしていけばいいので、わりと簡単な作業だ。合併に伴い、住所の呼称が変更になった部分などを、リストを参照しながら手直しして、変更後の住所をひとつひとつチェックして、この日の作業は終わり。それでも、15:00までかかった。 帰り道、雨に降られて濡れてしまったものの、途中から雨はあがり、心地よい西日に照らされた空には、とてもきれいな虹が…。それだけのことで、うれしさを感じる。自分自身の単純さを、素直によろこびたい。 * * * 皆さんもうお気づきだと思いますが、HNをまたまたいち部変更。今後は、マチオINGでいきます。結構気に入っているので、これは長く続けたい…。まぁ、気まぐれなんで、どうなるか判んないけどねw ikukoさんのページからのリンクでやってみた、恋愛頭脳診断サイト。結構面白かったので、このページにもリンクを貼ります。 マチオとの相性チェックURL: http://www.hanihoh.com/love/index.cgi?checkname=%83%7D%83%60%83I&mystat=763255653 ケータイでもOKだそうです。自分の恋愛観の傾向を知るために、お遊び気分で試しにやってみませんか?オレの場合は、結構頷かされる内容でした。マチオINGの“I・N・G”は、I Need a Girlfriend.の略(笑)。結果をカキコなどしていただけると、むっちゃうれしいです。
2004/11/30
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何をそんなに疲れているのか、二度寝、三度寝で15:30まで寝ていた(昨晩の0:00から)。寒い中、原チャリで飛ばすことが、思いのほか身体にこたえているらしい。 この日のスケジュールは、国際大学での日本語チュータープログラムのみ。17:10くらいに家を出た。18:00から、パートナーの方といつもどおりの日本語でのおしゃべり。笑いながら楽しく1時間ほどを過ごした。 チュータープログラムを終えた後、大学のカフェに寄って、いくさんと少し話した。 寒さに震えながら帰宅。その後、このページのカキコにレスをつけた。 東京在住の友人に電話。彼の演劇の公演や、ネットでのことについてダベる。 いつものように、TVで“内P”と“爆笑問題のススメ”を観た。 昨晩寝すぎたからか、3:00過ぎまで寝付けなかった。眠いのに、眠れないのはつらい。 …。ここまで書いて、『なんじゃ?この箇条書きの日記はぁ?!』(笑 やっぱ、疲れてんのかなぁ?
2004/11/29
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今日は、新しくできた隣の市の、県立養護学校の文化祭を訪ねた。知的・身体両方の障碍を持つ、小学校から高校までの生徒さんたちの通う学校だ。先日、絵本の家“ゆきぼうし”で知りあった先生、T氏とのご縁によるものだ。 10時近くに、養護学校に到着。受付でパンフレットをもらい、小学生の部から順に見ていった。色とりどりのカラフルな作品と共に、それらを作っている過程の写真が壁に貼られていた。楽しみながらもの作りをしている様子には、とても心慰められる思いがした。車椅子に乗った生徒たち。お祭りの雰囲気を感じていたのだろう、どの顔もとてもうれしそうだった。 特に印象に残ったのは、中学生の部のコラージュ作品。大きな紙に、おそらく寝そべって描き写したものであろう、等身大の人物のシルエットをなぞる線が引いてあって、その中に各自の好きなものの雑誌の切り抜きや写真などが張ってある。食べ物や、車、きれいな人…などなど。自分の中身を、大好きなもので詰め込んで、各自が思い思いのポーズでよろこびを表わしている。それぞれに個性が伝わってきて、とてもほほ笑ましく、楽しく拝見させてもらった。 牛乳パックから、和紙を作る作業の実演と、木工製品を作る過程の実演を興味深く見学した。各々が自分に与えられた役割を、黙々とこなしている様子には、現在働いて自分の身を養うことをしていないオレにとっては、頭が下がる思いがした。一所懸命の姿は、やはり人の心を動かすものだ。 学園内で生産された製品の販売が、体育館で行われていた。古着を売っているコーナーがあり、ジャンパーを¥200で購入。だんだん寒くなってきているので、暖かい服がほしかったところだ。サイズがほんの少し小さめなのが気になるが、ダイエットのための動機付けだと思うことにしよう。 他におでん、おにぎり、豚汁などを売っている(いずれも¥100)コーナーが設けられていたのだが、11:30頃に行ってみたら、すべて売り切れ。コーヒーのみが残っており、それを飲みながら、アンケート用紙に感想を記入した。 見学を終えて立ち去るときに、玄関先に居たT氏と少しだけ言葉を交わした。とても楽しかったと伝えたかったので。機会があったら、また訪ねてみたいものだ。 差別も偏見も、厳然とオレ自身の内側にあって、それを否定するつもりはない。自然な感情だと思う。ただ、それのみを抱えて振舞うことは間違っていると感じる。そういう、当たり前に湧き起こる感情を超えて関わることによって、知ることのできる個性や感情や意志。人を知るうえでたいせつなのは、そういうものだ。そのことには、誰ひとり違いは無いのだと信じる。自分自身の心の在り方と向きあうために、自覚を深める良い機会を与えてもらった。 * * * 午後からは、国際交流協会主催の、いけばな教室に通訳(!)として参加。講師は日本人の年配の女性ふたり。生徒は学生さん8名だった。前日に、花の各部位の呼び名の英名は調べておいたものの、専門用語が飛び交うお師匠さんの説明を英訳するのは難儀なことだった。小原流ということだけでも、事前に知っていればまた違ったのかもしれないが。師匠に説明を聞きなおしながら、順を追って手順を説明していく。さいわいなことに、なんとか伝わっているらしい(笑)。今回の体験は、オレにとってもいけばなを学ぶ良い機会だった。オレ自身、まったく知らんかったもんね。 決められた規則に従って、生徒さんたちがそれぞれに花を活けていく。最初にメインの花を活け、次にサイドの花を活ける。これらもそれなりの専門用語(しゅかん、きゃっかん…と言っていた)があるのだが、漢字でどう書くのかわからない。学生さんたちに説明したとおりの言葉で書いている。このかたちができあがったら、後は自由に活けてください…との師匠の説明に、学生さんたちからはいっせいに安堵の笑い声がもれた。 花や葉は上向きにとか、この花はこちら側に置いた方が良いとかまぁ、細かい指示は飛ぶわけなんだけど、学生さんたちは思い思いに日本のフラワーアレンジメントを楽しんでいた。それぞれにお国柄がでるもので、インドの学生さんは、水盤に花を浮かべてアレンジしていた。インド風スタイル!なかなかに風情がある。それぞれが思い思いに活けた花。どれも個性が現れていて、鑑賞するだけでも楽しめた。拙い通訳の役割もなんとかこなせたようで、終わったときはひと安心…。楽しくて、とてもいい経験をさせてもらった。 いけばな教室が始まる前、国際大学のカフェで昼食を摂った。いくさんと会い、文化祭やいけばな教室のことについて少しだけ話した。日本語授業で知りあった学生さんとも挨拶を交わした。自分に向けられる笑顔を、とてもありがたく感じるのは、心の中のさみしさを映しているのだろう。交わされた言葉と、向けられた笑顔に、心救われたことが印象深いいち日だった。感謝。
2004/11/28
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今日はUMEX(うおぬま国際交流協会)主催の、フリーマーケットに参加した。北国での寒い冬を迎える学生さんたちに、安価で服を提供しようという試み。コートが¥300、他の衣類は¥100、帽子など細かいアイテムは¥10~50という安さ!販売するための洋服は、会員さんたちの好意で寄せられたもの。 15:30くらいに会場に着いたら、UMEXのサロンはすでに衣類で埋め尽くされ、置ききれない服は部屋の外の廊下に所狭しと並べられていた。集まった会員さんたちと挨拶を交わす。 16:00が近づくにつれ、学生さんたちがちらほらと訪れはじめた。冬や雪を知らない国の人たちもいる。防寒用の衣類を格安で提供するこの催しは、とてもよろこばれていると感じた。UMEXの会員が、それぞれ売り子を担当。多数買っていただいた人には、それぞれの判断でディスカウントするアバウトな商売。集まった衣類の多さに、皆売れ残ることの方を心配していたのだ。言葉を交わしながら、試着した学生さんに『似合うよ!』とか『かっこいい!』の声。時には拍手さえ起こる、和やかな雰囲気の中、かなりの数が売れたようだ。 しかし、集まった衣類の方が圧倒的に多かった。フリマの会場と日時に工夫を凝らして、再びやったらまだ売れると思うのだが。 約1時間のフリマの時間が終わり、会員同士でお互いをねぎらいあった。多くのお客さまを向かえ、大成功と言っていい首尾だったと思う。 終わり間際に、翌日に予定されている華道教室での通訳を頼まれたので、快く引き受けた。どれだけできるか判らないが、まずはやってみることだろう。ちょっと楽しみではある。 * * * 友人Hの入試、学科が今日行われた。もらった電話では、首尾は上々の様子。国語だけがうまく無かったとか。明日は面接だ。結果はどうあれ、納得の行く内容であってほしいと願う。 * * * 旧友から電話があった。つい最近までお互いに数年来音信不通だったものの、話し始めると昔と変わらずに会話が弾む。お互い変わり者だし、通じあうものが何かしらあるのだろう。奴の関わっている演劇の公演の話や、福祉の話などを1時間半くらい。冷静かつ大胆でユニークな持論と分析、問題意識と疑問をいつまでも失わない奴だ。お互いに、いつまでたっても世慣れることがない。まぁ、だから気があうのだろうなぁ。お互いに、変な奴だ(そして自覚もある)。 年末にこちらへ、災害ボランティアに来るとか来ないとか。まぁとりあえず、来月に予定されているクリスマス公演の成功を、この場でも祈らせてもらおう。他の足立区民の皆さんも、ファイトッ!…つーことで。
2004/11/27
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朝、国際大学の日本語授業に参加。その後で、K病院にGさんをお見舞いに。Gさんだが、爺さんではない(笑)。誤解の無きように記す。 Gさんは、とても穏やかな雰囲気を持った人。“達観”とか“飄々”という言葉が良く似合う、落ち着いた人だ。一種独特のユーモアのセンスの持ち主。Gさんは50代だが、あの年代になったら、あのくらいの落ち着きを身に付けていたいものだ。そう思える、とても魅力的な人。面白おかしくおしゃべりして、お昼まで過ごした。 その後家に帰って、15:00くらいまでPCに向かっていた。 その後、かなり気が早い気もしたが、家の周りの冬囲いをすることに。雪の積もらない地方の人には馴染みがないかもしれないが、雪が多く積もるこの地方では、雪が積もってその重みで窓ガラスが割れないために、一階の窓に木で囲いをする。それを“冬囲い”と呼ぶ。雪が少ない年でさえ、人の背丈を越えて高く雪が積もるこの地方では、欠かすことのできない冬支度のひとつだ。家の外側の窓枠に、木の板をはめ込む金具がついており、そこに1.5mくらいの板を差し込んでいく。たいした作業ではないが、やる気が起きたときにやっておかないと。 今年の初雪は、いつごろになるのだろうか? 19:30から、国際大学で母国紹介のイベント。今月は、ネパール。 グアテマラのとき同様、ネパールの国の位置から学ぶことに。インドの北東、ヒマラヤ山脈のふもとの国。釈迦が生まれた地でもある。人口は2,300万人。インドと中国という、広大な国土を持つ2つの国に挟まれた、小さな国。 ヒンドゥ教の文化が耳に目に、新しい。仏教と密接なかかわりがあるから、神様の名前には聞き覚えがある。クリシュナとか、シヴァの名はファンタジーやRPGなどにも登場することがあるもんね。 ジャングル・サファリ(天然のサファリパークのようなもの?)の映像に魅了された。6人乗りの巨大な象にまたがって、野生動物を観察して回るのはとても楽しそうだ。他に虎や犀なんかも、いるのね。 来場者の日本人の中に、とても流暢にネパール語を話す人がいて、びっくりした。世間は狭いようで、広いのだなぁ。発表をしてくれた学生のSさんと、通訳をしたトルコの学生さんTさんに感謝とたくさんの拍手を。とても良い発表会だった。 発表会が終わった後、何人かの学生さんたちとおしゃべりした。交換留学生はもうすぐ、帰国する予定。さみしくなるなぁ。でも来学期にはまた、新しい留学生が来るのだとか。出会いと別れは、人の世の常か…。 23:00頃、玄関のドアが開いたので、誰かと思ったら友人Hだった。明日はリハビリの専門学校の試験なのに、こんな時間に…。見れば上下ジャージ姿。卓球の練習の帰りだった。…余裕じゃん。 試験対策は万全とのこと。おしゃべりして、それなりに激励した。明日は、ベストを尽くせよw !!!
2004/11/26
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ときたまカキコさせてもらっている掲示板が、どうも居心地がよろしくない。当該のHPの内容を批判することを目的としたカキコが続けざまに書かれている。書いてあることはもっともらしいのだが、自らの正当性のみを主張して、感情を剥き出しにした態度では、名指しされて意見を求められる方も不快な思いをしているのではないか。自己完結な文章や、意味のない長ったらしい引用、言葉の揚げ足取りで、掲示板を埋め尽くすことは、ある種の妨害だとも言える。 イデオロギーに関する論争には加わりたくないので、批判めいた書き込みに対して言葉をかけることなく、興味本位でちょくちょく覗いている。怖いもの見たさ、ってヤツだ。他者を批判することのみに全力を注いでいる様は、読んでいてかなり“痛い”ものがあるんだけどね。 ネットでの匿名性というものは諸刃の剣で、誰もが気兼ねなく意見を述べることができる一方、自分の言動に責任を持つ気のない者にとっては、悪口雑言を言いたい放題言える環境を差し出すものでもある。荒らしなどが横行するのは、そのためだ。結局は個人の自覚に任せるしかないのだが。 自分の発言に責任を持とうと思ったら、手段はいろいろとあるのだ。例えばフリーメールのアドレスを用意して、そこに意見を募るとか。これだってまぁ、削除しようと思えばいつでもできるわけで、結局は本人の自覚に帰するところが大きいわけだけど、いくばくかの誠実さを示すことは可能だろう。もうひとつ例えれば、このページ。オレにとっては欠かせないたいせつなものになっている。“マチオ”の署名で、ここのURLを記入して書いたカキコには、避けようのない責任が生じてくる。おいそれと消去・移転できないし、する気もない。自分に寄せられる意見に対しては、悪意に基づいたものでないかぎり、可能なかぎり逃げずに言葉を返していきたいと思っている。 楽天の会員同士は比較的信頼できると思えるのは、その人が確固とした居場所をネット上に持っていると思えるときだ。相手のページが充実しているほどに、その人の言葉には重みが加わると感じている。その人がどれだけそのページをたいせつにして運営しているか、で測られるのだ。 このページでも、いち時ゲストの書き込みを禁止した時期があった。批判めいた書き込みに返信しようと、添付のメルアドにメールを送信したら、宛先不明で返ってきたのがそもそものきっかけ。そのときは、“言い逃げ”のできる立場でものを言っている相手の言葉に、どれだけ重みがあるというのか?というような思いだった。今では、自分なりの判断で取捨選択をすることにしている。文章の内容と、感じられる真剣さが判断基準になる。 匿名でものを言う人すべてを批判しているのではない。オレだってそうだしね。ただ、匿名性を悪用して、人も無げなる態度で振舞うことは恥ずかしいことだと思う。その姿が他人にどう受け止められようとも、匿名だからこそ恥とすることも無いのだ。 匿名だからこそ、誠実さが求められるということに自覚的でなければならない。“通りすがり”とか“匿名希望”とか、そういう名前で投稿する人がいるが、そういう名前を名乗っている時点で、なんだかもう読む価値激減という思いがするのだ。少なくとも、自分自身を認識できる名前を名乗るべき。“言い逃げ”は卑怯だから、深く関わる気が無いのなら、発言は控えめにするべきだろう。荒らしに至っては言うまでも無く、言語道断の所業だ。 このページに来てくれる貴重なゲストのひとりに、小鳥遊さんという方がいる。この日記に継続的にコメントを寄せてくれる人だ。歯に衣着せずものを言う人なので、いただくコメントはいつもたいてい、オレにとっては耳に痛いものばかりだ(笑)。しかし客観的かつ冷静に読んでもらっているからなのだろう。理にかなった指摘には、いつも深く考えさせられている。独り善がりな気持ちから、少し距離を置いて自分を推し量るきっかけをいつも与えられているように感じる。言いづらいことを言ってくれる人は、貴重な存在と言えるだろう。それだけに、ありがたいことだと思う。 前述の某HPへの批判カキコに関しては、個人的に少し思うところがある。続けざまに読んでいて、自分の対・支援センターの態度と、非常に重なる部分があるように思われて、安易に批判はできないと感じた。自分なりの正当性、相手の立場をないがしろにして、それだけを主張している部分が無かったか?感情に押し流されて、冷静さを失っていた部分は少なからずあったと思う。それもまた、避けようのなかったことと受け止めるしかないのだが。今でさえ、感情論をわきにおいて冷静に話せる段階だとは思えないし、それならば頭冷えるまで口をつぐんでいることかな?とも思える。執念深い自分の性格と、上手に折りあっていかなければならない。悪意を撒き散らすだけの結果になることは、望むところではないのだし。 誤解や曲解を含めて、遠回りするコミュニケーションのかたちもあり、なのだろうけど。悪意や“批判のための批判”では、それを阻害することにしか働かないのだ。今までの自分の在り方を振り返って、反省する材料は多々ある。自分が何を求めているのか?そのためにどうすればいいのか?頭を冷やして考えることが今、必要なのだと感じている。
2004/11/25
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朝から国際大学の日本語授業に参加。この日もたくさんの学生さんたちと会話練習をした。日本語の説明を、自らすることはないのだということに気付いた。文法その他に関しては、教授がいるのだから、説明はお願いすればよい。学生さんたちの日本語の誤りや不自然な部分を指摘して、できるだけ訂正するのがボランティアの仕事だと気付く。そのおかげでずいぶん気持ちが楽になった。これからはもっと気楽に臨めることだろう。 その後、支援センターへ行き、メンバーの方たちとすこしだけおしゃべりした。 病院へGさんを見舞いに。Oさんが一緒に行きたいと言うので、ふたりでK病院に向かった。Gさんの家は地震の被害が大きく、未だに帰ることができないとのこと。風呂場の床が裂けてしまったというのだから、揺れの激しさが思い遣られる。体調云々よりも、帰る場所がないことが原因の入院(?)。早く落ち着き先が決まるといいのだが。 * * * 今、日記を書いていて、またちょっと揺れた。・・・そうすると、昨晩寝ていたときにグラグラしたのも夢ではなかったんだな、と思う。もうそれくらい、余震の数は少なくなった。それにしても、ずいぶん長く続くものだ。 * * * わがまま、自己中、エゴイスト・・・。どれも良い意味では受け取られない言葉ではあるけれど。それでも、自分の中のエゴをたいせつにしたいと思う。“自分さえ良ければ、それでいい”基本的にそのことは、オレの心の中でいつだって変わらない。それでも他者を慮ったり、気遣ったりできるのは、社会の中で生きることにある程度慣らされてきた結果だ。無論、めぐりめぐっておそらくは自分の利益に繋がることにも、気付いている。計算高いのかもしれないが、そのことも、別に嫌じゃない。 『私心を捨てて・・・』、とか。『世のため人のため』とか。嘘くさくて耐えられない。『オレのやることは全部、オレ自身のためにやってんの!』そうやって開き直った方が、気が楽でいいや。 他の誰かの期待通りの自分でなければ、愛されない・守られない・生きていくことができない。そういう不安を抱えている人たちが、たくさんいる。想い描く、“誰か”の期待通りの自分、っていう幻想。決してわがままでなく、迷惑や心配をかけることもなく、従順でものわかりの良い“わたし”。明るくて、誰にでも好かれて、決して悩んだり落ち込んだりしない“わたし”。そんな在り得ないものを演じなければならないと、プレッシャーにあえいでいる人たちがたくさんいる。 そういう気持ちすら、きっと望まずに与えられたものなのだから、責められはしない。それに気付くことも、そこから逃れることも、とても難しいことだから。でも・・・ 自分が自分であるために、譲ってはいけないものがある。それを守るために、エゴは有効な武器になり得る。わがままいっぱいやりたい放題で、何が悪い?誰かの期待通りではない自分で、何がいけないの?『これがオレ、変えられない』なら、そういう自分でいるしかないし、それだけでいい。排除しようとする者とは争うし、愛せない者からは遠ざかる。きっと決して順風満帆では在り得ない、そういう道。それでいいじゃん? 嫌われること・誰かを嫌うこと、敵を作ること。強固なエゴが無いとできないことだから。ありのままの自分を受け入れてくれないような場所からは、逃げ出してしまえばいい。それが嫌なら、闘うことだ。やさしくなんてなくていいし、思い遣りなんて無くていいし、わがままでいいし。 不安を抱えて耐えがたいほど、満たされていない自分なら、誰かを思いやり気遣うなんて無理なことだと割り切ったほうがいい。まずは自分を救え、周りの人間はその後だ。
2004/11/24
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19:00から、UMEXのサロンへ出かける。メンバーの方たちとのおしゃべりで時間を過ごす。市町村合併に伴い、メンバーの新たな住所の入力の仕事がある旨のメールをいただいていたので、やりたいですと言ったらとてもよろこばれた。 20:30にサロンを閉め、当直室に鍵を返しに行った。その後で、いくさんと待ち合わせ。国際大学のすぐ近くの彼女のお宅にお邪魔して、メンタル系の話でもりあがった。 いくさんには“底つき”を体験した人の、力強い開き直りを感じる。つらいことも悲しいことも、後々大きな意味を持つのだということを、こうして知ることができるのはうれしいことだ。同時にとても壊れやすい、繊細さを併せ持つ人だとも感じる。誰もがそうであるが、人と人が支えあって、繋がりあって生きていける所以だろう。『健常者は嫌い。健常者という概念を無くしたい!』 という言葉で、彼女とはとても意気投合した。自分に都合よく線引きをするなよ!マジョリティで馴れ合ってんじゃねぇっ!人を傷つける垣根は、片っ端からぶっ壊したい・・・ってこと。それはとっても怖いことだから、開き直れているオレらがやるしかないじゃん? 23:00過ぎまで話して、彼女の家を後にした。冬間近の夜の空気は、単車で飛ばす身にはとても冷たかった。家に帰って、スパゲティを茹でて食べて、2時ごろまで起きていて、寝た。
2004/11/23
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11:05池袋駅発の高速バスで帰路についた。長いながーい夜が明けて、ようやく帰りのバスに乗り込んで、心からほっとひと息。新潟がとても恋しく感じられた。 2時半くらいに小出インターに着き、降車。新潟までの道のりのほとんど、眠っていた。 風呂を浴び、このページの日記をつけた。 本日唯一の予定は、国際大学での日本語チュータープログラム。今まで遅刻しがちだったので、今日は17:10くらいに家を出ることにした。 18:00から、日本語チューター開始。学生のHさんは、相変わらず勉強熱心だ。今、中間テストの時期で、とても忙しいのだとか。1時間余りを、楽しく会話して過ごした。 チュータープログラムが終わったあとで、国際大学のカフェに顔をだした。この間知り合った、“いく”さんが居るかな?と思って。店に入ってホットコーヒーをオーダーし、東京でもらってきたフリーペーパーを読んでいるところへ彼女が登場。こわれ者の資料のいくつかを渡した。『目が真っ赤だよ』と指摘され、自分が疲れきっていることをあらためて自覚した。この日は早々に帰ることに。体調が良ければ、翌日再び会うことを約束して、国際大を後にした。 いろいろな人たちと、繋がっていることで自分を支えている。東京行きで感じた孤独は、そのことをよりいっそうありがたいものだと感じさせてくれた。たくさんの人のおかげで、得がたい良い体験をさせてもらった。感謝。 疲れきっていたものの、深夜放送の“爆笑問題のススメ”が観たくて、1時くらいまで起きていた。その後、泥のように眠る。たくさんの、消化しきれない想いを溶かしながら。
2004/11/22
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行ってきました、“こわれ者の祭典”東京公演っ! まったくの偶然なんだけど、“こわれ者”に参加する直前はいつもたいてい鬱が強まっている。それだけ他者のエンパワーメントを必要としているということで、オレにとってはいつも絶妙のタイミングで開催されているということだ。それだけ縁が深いのだなぁと、そんな風に感じている。今日の日記は、現地で手帳に書き書きしたものを交えて、書き綴っていきます。 6:30起床。ここぞという大きなイベントの際に、寝過ごすことは滅多に無い。社会生活から長い間遠のいていても、体内時計のアラーム機能は今だに生きているようだ。身支度をして、7:00出発。高速バスの停留所に、出発30分前に到着。 8:00。ほぼ定刻どおりにバスが到着。3号車の前から3番目の通路側の席に座る。車内にて、物野端純さんから送っていただいた作品を読み始めた。県境を通り越して、しばらくした後に読了。快晴の下を、バスは東京に向けてひた走っていく。 予定時刻より早く池袋駅に着いた。思いっきり久しぶりの山の手線で、新宿へ。駅について、歌舞伎町を目指すも、道順をすっかり忘れていて迷ってしまった・・・。12:00ちょい過ぎにようやく目的地、新宿ロフトプラスワンを見つけ、miru氏に電話連絡。しばらく待った後、見学ツアーの方たちと合流した。 主催者の方が待っているオレたちに気を遣ってくれて、開場が30分ほど早まった。今回のイベントは参加費¥1,500と、加えてワンドリンクのオーダーが義務付けられている。ジンジャーエール¥500を頼み、計¥2,000。これはイベント終了後に支払う。まったくの余談だが、ウェイトレスさんの内ふたりがとてもかわいらしくて、うれしかった(笑)。 開演まで1時間ほどあって、miruさん、イクコさん、タムタム、マッキー&カズッチといった“新潟組”とおしゃべりしながら待つ。新潟お笑い集団NAMARA代表の江口氏が、開演までの間を繋ぐ。職業柄、MCなどは慣れたものだ(当たり前か?プロだもの)。 会場のロフトプラスワンは、内装など非常にこだわっていて、さすがは文化の中心地東京の居酒屋(なのだ!)である。店先でもらったパンフを読んでみても、個性的な催し物がずらり。予定より早くなった開場時間には、オレら“見学ツアー組”しか居なかったが、時が経つにつれて席が埋まり、開演時間には満席状態に。オレが心配することではないのだけれど、ほっとしてうれしくなった。 “こわれ者の祭典”のパフォーマンスは、オレ的には今までみてきたものの集大成のように感じた。CDならベスト版と言ったところか。いち度観たパフォーマンスでも、再び同じくらい心動かされることを発見。これはうれしい驚きだった。こわれ者のメンバーさんたちは、いつもの総合福祉会館ではない、言って見ればアウェーの雰囲気に、皆さん緊張気味の様子だった。パフォーマンスを見ながら、ちょくちょく来場者の表情を何気なく窺ってみた。誰も皆、真剣な表情で聴き入っている。笑うべきところでは、どっと笑声がわき、笑顔がこぼれだす。ステージ脇の座敷席から眺めた感じでは、大成功の公演だったと思う。 アンケートを書き、出口に並んで来場者を見送っている各メンバーの方たちと、ひと言ふた言交わしながら、開場を後にした。“こわれ者”初体験の人たちに、どのように受け止められただろうか?少なくとも、関心を持ってくれる人たちが少なからずいるのだということに、自分のことのようにうれしい気持ちを感じることができた。 * * * 追記です。 新宿ロフトプラスワンを後にして、延々と歩いた後、2次会の開場である居酒屋に到着。参加者は、前述の新潟組に加えて、アスカさん、イッチー、因さん。それとお名前おぼえていなくて申し訳ないんだけど、男女それぞれおひとりずつ、他の参加者の方がいた。各々の飲み物でまずは、乾杯!東京公演は大盛況のうちに幕を閉じたし、うれしさに『乾杯』の声も元気なものになる。 用意された鍋と、各自頼んだ料理をつまみながら、飲みながらのおしゃべり。話題はやはり、各自の問題の部分に触れることが多い。言いたくない人、言いたくないこともあるから、その点は注意しないといけないよね。特にオレは、オフ会慣れしていないんだし。真剣な悩みの相談から、ぶっちゃけバカ話まで、打ち解けた雰囲気の中で言葉が交わされる。アスカさんは、『こわれ者のメンバーたちと、自分たちは違う。「仲間だ」といわれても、共感できない』というようなことを言っていた。確かに、そういう印象を受けることもあるのだろうな、と思う。“こわれ者”のメンバーたちは、良きにつけ悪しきにつけ、最先端を突っ走っている存在だと思う。伝えようとしているのは、彼らと同じになれというメッセージでは決してないのだと思うのだが、己が特質を活かし、自己実現している姿には、自分と関わりの薄い、別世界の住人と捉えられてしまう部分もいたしかたなく、あるのだろう。オレも彼らはすごいっ!と思うけど、オレの場合は憧れと言うかたちでその思いが発露している。自分なりの方法で、自分の主張を、あんな風にいつかしてみたいものだ、と思っている。受け取り方は人それぞれ。こわれ者のメンバーがそういう意見をどのように受け止めるのか、興味深くはあるが。 カズッチは、異種格闘技選手でアームレスラー。フィジカル系の珍しい(?)参加者だ。筋骨隆々、威風堂々たる体格の持ち主だ。気さくな人。miru氏と友人なのだろうか?話していて楽しいし、とても気持ちいいのだ。 マッキーは、ACであると言ってくれた。『あ、オレもAC!』と、AC関連の話題でしばらく話した。同じ名前を持つ問題を抱えていても、その人の気持ちがほんとうに判るわけではないけど、話を聞いていて、共感できる部分は深いと感じるんだよね。少なくとも、オレの側では。親に支配されやすい心の在り方とか、流されそうになってしまう自分とか、自分で決められない、自己主張がすごく苦手、とか。自分のこととして経験してきた過去があるから、そういう感覚を共有できるように思える。少なくとも他の人よりずっと、自分の体験や気持ちを判ってもらえそうな気がして、心許せるように思える。写真を撮るとき、とてもいい顔で笑う彼女はきっと大丈夫。なんの根拠も無いんだが、そう思えることがうれしいと、そう感じさせてくれる笑顔だった。 プチひきこもりで現在無職のタムタム。話していて、とても繊細な人だと感じる。場を和ませる力を持つ、雰囲気を備えている人、だね。彼女ともたくさん話した。 お開きになる前に、KaccoさんとNAMARA代表の江口さんが会場を訪れてくれた。労をねぎらい、それぞれが感謝の言葉を述べ、拍手で見送った。メンバーの方たちは強行軍。とても忙しいらしい。 その後、マクドナルドで3次会が行われた。ここでもほとんど話が尽きることがなかった。繋がりたい気持ちと、繋がっている安心感が得られる場、だからこそだろう。 その後、池袋へ。23:30発の高速バスで帰る人たちを見送った。もうすぐ12月だというのに、そんなに寒くない。少しだけ降りかかる雨に打たれながら、さすがにこのときは会話も途切れがちになっていた気がする。さすがにみんな、疲れていたのだろう。 バスで帰る他の参加者さんたちを見送って、バス停を後にした。さて、これからどうやって、朝まで過ごそうか?と、考えながら。 * * * 午前0時池袋。決して寝静まることのない街の雑踏と共に、ストリート・ミュージシャンの演奏が聞こえてくる。 タクシー乗り場。別れ際に手を振り合う恋人たち。 きらびやかに、消えることのないネオンの光・・・。 せわしない都会の息遣いに、自分の呼吸をあわせてみようとしながら、この場所では“異質”な自分である事実を、胸に深く吸い込んで、噛み締めてみる。今日いち日、数え切れないほどの人間たちとすれ違うことで、自分の存在の取るに足らなさと、かけがえのなさ、同時に痛感することになった。 たくさんの、交わされた言葉たち。虚ろな胸に溜まり、カサカサと音を立てるようなのは、『いい格好をしようとしているのではないか?』と、意地悪く冷笑を浮かべながらチェックしているもうひとりのオレが、憎悪を含みながらオレ自身を責め立てているからなのだろう。そんな風に思った。 池袋駅周辺で、野宿のようなかたちで夜を過ごした。当たり前だが、なかなか眠れずにいて、駅周辺をうろうろと徘徊しているうちに、右の足にだけ3つも、マメを作ってしまった。痛くて歩きにくくてしようがない。朝5時になって、池袋駅のシャッターが開いてからは、駅構内でホームレスよろしく、隅っこで横になって睡眠をとった。 通勤ラッシュの人の流れに、ごまかしようのない恐怖を感じた。押し流され、まるで洪水のように足早に同じ方向へ進んでいく人の群れ、群れ。絶え間ない人の流れの傍らで、ただひとり自分だけが滞っている。圧倒的大多数の人たちにとって、自分は単なる傍観者に過ぎないことを思い知らされた。逆もまたしかり。今、とても、孤独だ。『オレは誰にも似ていない』 そう思える自分自身の在り方が、唯一誇りを抱きうるものだ。もういち度、その思いを強く取り戻したいと願う。思い描く理想の、どの程度高みまで行ける自分なのか・・・?試すことをためらいたくはないのだ。あの頃のようにまた、自分をもっと好きになりたい。高速バスを待つ間、うだうだとそんなことを考えていた。
2004/11/21
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今日はシェイクハンドの会の日。シェイクハンドの会とは、地域の社協主宰のフリースペース的な場のことだ。毎回¥200円で昼食が食べられ、あとは各々が自由に時を過ごす場。 いつも会場の老人福祉センターの大きな風呂を沸かし、男女に分かれて入れるサービスをしているのだが、この日に限ってボイラーがつかないとのことで風呂に入れなかった。昼食の準備、有志が調理を手伝って準備するのだが、この日はとても手間取って、12:30近くになってもできあがらない。厨房に行って、文句を言った。 準備が手早くできないということがあってもしようがないと思う。料理に協力している他のメンバーさんを責める気はまったく無いし、そのこと自体は許せないことではない。でもね、段取りが悪すぎるんだよね。それは、主催している社協の責任じゃん?不満があるからクレームをつければ、うるさいと言わんばかりの対応。・・・自分の言葉が、雑音としか受け取られていないと感じる気持ち、想像できないのか?現れた結果に対して文句つけてるんじゃないよ。責任感が無さ過ぎるでしょ?って言いたいの。 ほんと、差別されているんだなぁ、って感じる。自己主張すれば、いつだってこういう虚しい思いをさせられて、心寒くなる。自分の気持ちを正直に表わしても、相手にされない。みんなそれが嫌だから、文句があっても言えなくなっている。精神疾患を患っている人たちが特別に心やさしいわけじゃないんだよね。みんな、傷つけられること怖さに、誰も何も言えなくなっているだけなんだと思う。オレなんかがこうやって自己主張すれば、取り付く島の無い態度で、傷つけられてしまう。 今回のことはオレにだってきっついけど、それでも耐えられるのは、それ以外にも行き場所があるから。自己主張するために避けられない、人との摩擦を敢えて避けようとは思わない。人から嫌われること、敵を作ることには、もっと慣れていかないといけないのかも?譲れないものを譲らないために、ね。 自分のしていることこそが正しくて、クレームに対して耳を傾けないというのは、これ以上のサービスの向上を期待できないということ。自己満足と無批判な自己肯定が前提の言動とものの考え方であっては、他人の意見に耳を傾けることなど期待できないか? 腹が減って、腹が立った。気が立って、けんか腰で話したオレも悪いかもね。でも、食い物の恨みって、オソロシイんだよ。ま、今回のひと悶着は、必要だったと思うし、後悔は無い。黙っていたら、失われてしまうもの。それこそが、護りたいものなのだ。 * * * 13:00から、小出郷文化会館へ。 翌日の“歌謡祭”の照明の仕込みを、A崎さんとK島さん(初対面)とオレの3人で準備する。オレはまだ始めたばかりで、段取りその他が飲み込めていない。照明器具設置の図面を見ながら悩んだり、迷ったり、今まで習ったことを思い返しながら、言われた仕事をなんとかこなした。働きながら、自分の中の、“やる気”は確認できた。これは収穫。“うまくいかないのでは?間違っているのでは?”という不安をときどき強く感じてもいた。こういう気持ちは、判らないことは聞く、ということを徹底することで解消。『完璧なんて、誰もオレには期待していないって』と自分で自分に言い聞かせながら身体を動かした。午前中のできごとの所為で、テンションあがらないままだったけど。それでも、5時半くらいまで、最後まで仕事ができたことを自分で評価してあげよう。うだうだ考えるより、身体動かすことの方が気持ちいいよね。 明日はいよいよ東京行き。バスの時間に遅れないように、今日は早く寝よう。
2004/11/20
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9時から国際大日本語授業ボランティアに参加。 その後、U幼稚園へ。読み聞かせの日の打ち合わせに。11月末から12月11日までは、発表会のために忙しいらしく、12月中旬に予定するということを確認。後日あらためて連絡することにした。帰ろうとしたところへ、別の読み聞かせの方が幼稚園を訪れたので、子供たちと一緒に拝聴させていただいた。絵本の読み聞かせだけど、挿絵は見せない。言葉による朗読だけで子供たちの関心を持続させるのはたいへんなことだと思う。少なくとも、今のオレには無理。確かアナウンサーを務めていた方だと伺っている。落ち着いた口調で淡々と語られる物語は、とても耳に心地よかった。 幼稚園を辞去して、小出郷文化会館へと足を向ける。A崎さんを訪ねると、『ちょうど今連絡しようと思っていた』とのこと。明日の照明の仕込みを手伝うように依頼され、快諾した。日曜日のイベントのための準備だそうだ。文化会館の設備にも、地震のため多少の不具合があったようだが、少しずつ通常通りの運営になってきているのかな。思わぬところで明日の予定が決まり、うれしく思った。 家に帰って来て、あんまり何もする気が起きなかったので、フリーメールの整理をした。容量の75%近くを使っていたので、必要なメールはテキストファイルにして保存した後で削除した。いらないメールはそのまま削除し、10%の減量に成功。普段からこまめに管理をしておけば、こういう事態にはならないのだが。 メールを整理しているうちに、長い間連絡を取っていない人が気にかかり、いくつかメールを書いたりした。以前親交のあったウェブ作家の方たちとは、ずいぶんごぶさたしていることを、あらためて痛感。創作のページの方の活動を再開したい気持ちを強めた。 なんだかさみしくて、さみしくて。何かせずにはいられない。誰かに会いに行かずにはいられないんだ。それだから、与えられる時と場と、人との出会いに感謝したい。ちょっとだけ虚しい気持ち抱えながら今、そう思っている。 * * * 追記ですっ! あーんなに長い夜になるとは、思わなかった。 独りでいるのが嫌なので、久々にUMEXサロンへ出かけた。6人くらいの会員さんたちとおしゃべりした。国際大の学生さんたちは相変わらず忙しいらしく、おひとりがほんの少し顔を出しただけだった。日本人会員のみで、非常に盛り上がる(笑)。 20:30に散会。帰ろうとしたら・・・何やらイベントがあるとのこと。2つのバンドが出演する、ロックコンサートがあるというので参加することに。国際大の学生さんのバンドと、近くの北里大学保健衛生専門学院の生徒さんのバンド。21:00から始まった。 ドラムス、ベース、エレキギター×2というシンプルな構成の北里大学バンド。バンド名は・・・忘れてしまったが(笑)。4,5曲を演奏した。生演奏なんて、すっごく久しぶりだ。国際大、北里双方の学生さんあわせて100人以上参加していただろう。会場では、知り合いの学生さん何人かに会い、言葉を交わした。 北里大学に続いて、国際大学のバンド“スィート・ホーム”の演奏。ビートルズ、レッドツェッペリン、その他のどこか聞き覚えのある懐かしい曲をドラムス、ベース、エレキギター、キーボードとヴォーカルの構成で演奏。結成して2ヶ月とは思えない、息の合った演奏に会場は大盛り上がり。皆踊りながら、リズムを取りながら、演奏される曲を楽しんだ。 コンサートがハネて、会場はダンスパーティへと移行。手を叩き、足でリズムを取っているだけですっかり疲れてしまったオレ(オイ)は、会場の体育館の外で学生さんその他の参加者とおしゃべりしてた。アルコールが入っているから、皆ハイテンションだ。“スィート・ホーム”のコンサートは後日も予定されているとのことで、メンバーの方たちに再び来ることを約束してきた。UMEXメンバーの、M・Tさんとお話する。今度は酔っていないときにお話したいね。かなりできあがっていたような・・・(笑)。 楽しいおしゃべりが続く中で、印象的な出会いがあった。国際大学内のカフェで働いている、“いく”(HN)さん。メンタル系サイトのオーナーで、彼女の身の上話はそりゃあもう、すさまじい。あまりにあっけらかんと話してくれるので、こちらが拍子抜けするくらいのものなのだが。お互いに違った形で、精神疾患を抱える者の支援活動を行いたいと思っていることが判り、意気投合した。0時くらいに帰る予定でいたのだが、いろいろ話込んでしまって、帰りは1時になった。ま、降りしきっていた雨がやんで、結果的にラッキーだったけどね。いくさんとは再会を約束。彼女と話すのは楽しい。とてもいい意味で開き直れている、すごくオープンな人だと感じた。出会いに、感謝。 “さみしさをごまかさない”、ということ。これがオレのかたちかな?
2004/11/19
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10時半くらいに、支援センターに顔を出し、30分くらい過ごした。その後、近くのK病院へOさん、Gさんのお見舞い。おしゃべりしながらお昼まで過ごす。 その後堀之内地区の、災害ボランティアセンターに出かけた。お年寄りの避難所はもうすでになかったが、ボランティアセンターはあった。土・日に人手が足りないとのこと。災害ボラ・センの担当者で同級生のK氏に、再び連絡を入れる旨を伝え、帰ってきた。 授産施設W舎に寄って、衣料品を物色。アディダスのトレーナーと、ズボンを各¥100で購入。ズボンはちょっとダサ目なので、部屋着用に。トレーナーは普段着にしよう。寒くなってきたから、冬用の衣類がほしかったところ。W舎では思いがけず、保健士のJ・Yさんに会う。相変わらずきれいなお嬢さんだ。ちょっとだけ言葉を交わした。 1時半からボランティアセンターで、心配ごと相談。今日の相談員はO渕さん。いつもながらのオレの“業務連絡”(笑)と、最近心に引っかかっていることを聞いてもらう。自分で自分に言い聞かせるだけじゃ、誰でもきっと駄目なんだ、と思う。だから誰かの言葉を必要としている。いつでも、誰でもね。自分の気持ちを反芻しながら、O渕さんの言葉に耳を傾ける。5年以上もの長い間、オレのことに関心を寄せてくれている人だから、判ってもらえる部分がほんとうにありがたいと思う。昨日までの心の憂さも、なんとなく軽くなったように感じる。 21(日)には、教会でのコンサートと、“こわれ者の祭典”東京公演がある予定なのだが、結局“こわれ者”の方に参加することにした。今日早速、高速バスのチケットを購入。帰りの当日券が全て予約済みで、一泊してくる予定に。どこで、いち夜を過ごそうか?友人か、親戚を訪ねてみようと思ってる。 何の確証も無しに、身体動かせるようにはなってきた。まず、動くこと。つらいときほど人恋しくて、どこかへ出かけずにはいられない。出かけていけば、必ずと言っていいほど新しい出会いがあり、そのたびに新しい自分にも出会えるのだ。最近のそういう自分の在り方は、いままで続けてきたことの成果なのだろう。不安もさびしさも、きっといつまでもオレの傍らを立ち去ることのない存在。両者に両脇を抱えられるようにして、たぶん今は生きている。生かされている。それでいい。
2004/11/18
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9:00から国際大学の授業ボランティアへ。授業を通じて、学生さんたちとの親交を深めた。 授業を終えての帰り道、U幼稚園に寄ってみたら、サッカーの時間だったので、園児たちと一緒に遊ばせてもらった。子供たちと一緒に遊んでいると、ものすごい運動量。週いちで通えば、シェイプアップには最適かもね?次週に読み聞かせの予定を入れてもらうよう、Bさんにお願いしてきた。あと5日間なんだよね。これから本番に向けての練習を開始する。 なんだか、何かに、傷ついている感覚が離れない。・・・思うにまかせないのは、身の回りの状況よりもむしろ、自分自身の気持ちの在り方なんだよねぇ。気が付くと人を責めることばかりを考えている自分は、とても醜くて。そうで在りたくはないけど、そういう自分もごまかしようのない自分であって・・・、とか。あw もう、考えるのやめよう! 凹んでいるときこそ、脱力するべきときだと感じる。後ろ向きに突っ走ったところで、何かにぶちあたって痛い目見るのは自分なんだから。それを怖れている臆病者の自分も自分。進むべき方向を見失っているときには、じっと陽の光がさすことを待つ、という手だってある。自分の小ささを自覚すること、今のオレにはいち番必要なことなのかもしれない。 つらい、という気持ちは、相対的なものではありえないよね。他の人のつらさと、自分自身のつらさを比べて考える、なんてナンセンス。そうやって自分自身のつらさをごまかしてしまえる人は、きっと他の誰かのつらさをも軽くみなしてしまうのではないだろうか?他にも自分よりつらい人はたくさんいるのだから、と考えて心慰められるというのは、あんまりいただけないセンスのように感じる。今の社会は、弱音を吐くと叩かれるようにできていて、みんなそれが嫌だから、無理して強がってるんじゃないの?あとは、『がんばれ、がんばれ』の大合唱。・・・もう、かんべんしてくれよ。 満たされていないんじゃなくて、満たされていることを感じ取れていないんじゃないかと、希望的推測を抱いてみる。心に積もったものは、時を経てあとから働いてくるのかもしれないよね。 そのときそのときの、たった今の気持ち、もうどんなときでもごまかしたくはない。移ろい去っていくものだからこそ、一瞬を逃したら二度と触れることの叶わないものかもしれないのだから。生きているかぎり、チャンスは何度でもやってくる。明日に希望を持つこともとてもたいせつなこと。でも、それでもなお、二度と来ない今という一瞬を、たいせつにする気持ちは失いたくないものだ。一所懸命って、そういうことだと思う。
2004/11/17
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お昼近くに支援センターに出かけてみると、小千谷市のKさんが久しぶりにきていた。職員のKKの車に乗せてもらってきたのだそうだ。3週間以上ぶりの対面をとてもうれしく感じた。地震のときの様子や近況報告など、話が尽きることがない。Kさんは自主的に避難していたグループだったらしく、食料などの支援物資がなかなか届かないなどの不便を体験したようだ。反対に、よくTV中継されていた総合体育館では、ものがあまっていたのだと弟から聞いている。必要な時に、必要な場所に、必要なものを供給できないで、何のためのお役所なのか?自主避難された方たちが冷遇されたという話を他でも聞いた。 何よりもKさんが無事でよかったし、話ができたことがうれしかった。小千谷市に住んでいては、さぞかし怖い思いをしたことだろう。でも、Kさんの笑顔は明るかった。話している間も、笑顔が見えてひと安心。 2時半頃、支援センターを後にして、ボランティアセンターに向かった。今日は法律相談の日。N沢さんが、相談者の応対をしているところへ、お邪魔していろいろと話を聞いてもらった。独りじゃ出せない答えもある。自分の話を、ただ聞いてもらえるだけでも、格段に気持ちは楽になれるものだ。 以前感じていた怒りや憤りが、ぶりかえしてきている。その所為で調子がよろしくないなぁ。待つことは苦手。でも・・・時間が過ぎるのを待つしかないのかなぁ?今のままの自分で、怒りの対象に対して理性的に振舞える自信が無いから、動けないでいるんだよね。他でもない自分自身と、その他の人たちの弱さや醜さを感じることがとてもつらく思える。少なくとも、ごまかさずに感じてやれ!と思っている。悲しみも、つらさも、怒りも全部。他人に石を投げることのできる、自分ではないんだし。 こんなオレでも、好意的に評価してくれる人はたくさんいるわけで、今はそういう方面に傾いていないと、悪い方向に壊れそうで、怖いんだな。気にかけて、言葉をかけてくれる人にはひたすらに感謝しかない。 * * * 今日ふと思いついた、とりとめのないことをひとつ。 吉野朔実のマンガが好き。 “少年は荒野をめざす”の頃からの、ファンなんである(連載当時高校生)。最近は、書店に行っても、彼女の単行本を見かけなくなった。少女漫画雑誌を買わなくなって久しいから、彼女がいまだ連載を続けているのかどうか、その辺の事情もよくは判らない。 中学・高校の時分には、妹の少女漫画誌をよく読んでいた。自分で買って読んでいた時期もある。高校生くらいから、単純に勧善懲悪の、努力・友情・正義(だったっけ?)みたいな、いわゆる少年ジャンプ的な典型的少年漫画の世界に飽きてしまっていた。悪い奴は絶対的に悪く、いい奴は絶対的にいい・・・という単純な構造がつまらなく思えてきたのだろう。その点、少女漫画は、容易に答えの出せないテーマを扱っていて、奥が深いように感じている。最近はその距離が縮まってきているようにも思えるけど、典型的少年漫画は今でもいにしえの王道を踏襲しているものが少なくないとは思う。 さて、吉野朔実のマンガですが(この後は、知ってる人にしかわからない話題です)、“少年は・・・”から、“僕だけが知っている”、“恋愛的瞬間”、あと、“ラ・マスケーラ”(じゃなかったっけ?)とか、大抵読んでいると思う。マンガじゃないところだと、“眠れない夜は星を数えて”とか(この本は友だちとの話題づくりに使えます!)。ああ、でも“少年は・・・”以前の初期の作品は読んでいないかな?と、これは“少年は荒野をめざす”1巻の巻末の作品リストを見て書いているんだけど。なんだかすっごく読んでみたくなったw ・・・それはさておき、 “少年は荒野をめざす”の中で、お気に入りのキャラと言えばずばり、なんといっても菅埜(すがの)くん。好き勝手自分の都合で動いては周囲を振り回す主人公の狩野都よりも、能天気丸出し愛すべきおバカ小林くんよりも、彼の明晰さと繊細さ、その間で揺れ動く心の在りようが、良いのよ良いのよぉw(おネェキャラ?)。彼を自分の若かりし頃に重ねあわせる、なんて畏れ多くてできないけど。同じ理由で海棠(かいどう)ちゃんも好き(特に高校入学して髪を切ってからが良いですな)。狩野都は、自分自身の内と外の関係性の狭間で葛藤するんだけど、このふたりは内と内、相反する理性と感情の狭間で静かに揺れ動くのん♪・・・オレはこういう繊細な人たちが大好きです(狩野都はオレと同じ乱暴者、同属嫌悪?あんまり好きになれないなぁ)。 あとは、やっぱり孤高の偏屈作家、日夏さん。高校生のころ、こういうでたらめな大人になりたいと、心ひそかに思っていたものだ。明晰な頭脳を備えた、確信犯的な道化者。オレの少年少女趣味は、たぶんこの人に大きく影響を受けている。机上の論理を弄び、実践の中によろこびを見いだす。言葉も思想も信念も行動も、彼にとってはたいせつなお気に入りの玩具にしか過ぎない・・・。彼ほどの年齢に達したら、そのくらいの余裕を身に付けたいものである。 なんだか心からミーハーな気分にどっぷりと浸かってしまったな。吉野朔美ファンの方に読んでもらえて、共感のカキコなどひとつでもいただけたら、とてもうれしいんだけどねw
2004/11/16
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昨日お見舞いに行って会えなかったH・Sさんに手紙を書いて投函した。面会もままならないのなら、さぞかし退屈していることだろう。閉鎖病棟の様子、退院してきたらよく聞いてみようと思う。 昨晩夜更かしして、起きたのは昼頃。自堕落しているなぁ・・・。 社会復帰への願望が心の表に浮かぶと、決まって調子を崩す。生まれついての怠惰なのか?と、心中穏やかならぬものがあるのだが、かと言って今現在の自分自身を手厳しく否定したくはない。現状肯定と否定の間の、何となくのジレンマ。 18:00から、日本語チュータープログラムのため、国際大学に行ってきた。1時間余の日本語での会話を終え、帰りがけにアメリカ出身の日系ハーフのNさんと偶然会った。日本人であるお母さんの血が濃いのか、とても親しみやすい顔立ちをしている。オレの顔を見おぼえていてくれたらしく、簡単な会話を交わした。オープンデーでアメリカグループの披露したダンス。彼女の踊りはとても印象に残っていたので、そのことを伝えた。授業ボランティアで再会するのが今から楽しみである。 フリーメールに、うれしいメールがいくつか届いて、気持ちをなぐさめてくれた。 自分の発した言葉に、こうして何かが返ってくる。思いがけないメールなら、なおさらうれしい。人と人との関わりの中で、支えられ生かされていることを実感できる。ほんと、今は謙虚さを学ぶべきときなんだな。 調子悪いときだから、これだけのことができたことで満足しよう。できることには手を抜かない。それだけは、できているはず。そのことには、胸を張ったっていいだろう。
2004/11/15
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教会へ行った。礼拝が終わった頃をみはからって(笑)。 鬱で、牧師の説教をじっと聞いていられる感じじゃなかったので。おしゃべりだけして帰ってこようと思った。顔を出すだけでも、オレにとっては意味のあること。 I家4兄弟のうち、3人と遊んだ。長兄のKくんはいなかったが、Tちゃん、Yくん、Hちゃんたちと。幼稚園児のHちゃんは、会ったの2度目だというのに、親しみを表わしてくれてうれしかった。よくしゃべる女の子。彼らのちょっとした兄弟喧嘩の様子を見ることは、自分たち兄弟の昔の姿を見るような気がする。うちも4兄弟で、喧嘩が絶えなかったから。 教会を後にして、支援センターへ。相変わらず職員の対応が冷たいように感じるのはオレの被害妄想か?メンバーの方たちとは普段どおりおしゃべりできたものの、あんまり楽しい雰囲気でもなかったので、そうそうに立ち去ることにした。 その後、病院へ。OさんとGさんを見舞う。ふたりとも思ったより元気そうだった。Oさんと共に、3階の閉鎖病棟に入院しているH・Sさんを見舞いに行くが、『家族でないと面会はできません』とのこと。すごすごと立ち去った。本人が希望している面会もかなわないとは、閉鎖病棟での生活の不便さの一端が感じられる。“家族以外面会謝絶”のカードは、管理する側には有効なんだろうけど、はたして本人の利益に必ずしもかなっているものかどうか?あまりにも安易に用いられているように感じる。本人の状態や意思に関わらず、そうすることが慣例となっているようだ。治療的手法の限界なのだろうと思うが、この件に関しては疑問を呈していきたいものだ。 Oさん、Gさんと地震のことなどについて話した。Gさんからは、生活保護を受けている人の、入院に関するジレンマの話を聞かせてもらい、とても勉強になった(生活保護は、入院が長引くと減額されるのだそうだ。70%も!驚きの事実)。Gさんは、自立した生活をたいせつにしたいのだが、病院の医師や身内は、家族と共に暮らすことを勧めるのだという。本人の意思がいち番たいせつ。そういう姿勢で相談に乗ってくれる人がいるといいのだけど。 鬱の症状かなぁ?先のことについてなんとなく前向きになれない。自発性が失われているようで、とても居心地が悪い。それでも誰かのところへ出かけていけば、上に書いたようになんかあるわけで。そうやって自分を楽しませていくことも、今は必要なことなのだろうと思ってる。
2004/11/14
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国際大学のオープンデーに行ってきました。 オレの所属している読み聞かせの会も、近隣の養護学校の文化祭も中止になったため、この日のイベントはこれひとつ。とても心に残る催し物だった。 開演は19:00からだったんですが、各国あるいは地域合同(ヨーロッパやアメリカなど)のブースでは、それぞれの国の郷土料理が振舞われて。各ブースを巡りながら、顔見知りの人たちと挨拶を交わした。UMEXでの活動や授業ボランティアでお知り合いになった学生さんたちの数の多さに、我ながらあらためてびっくり。アジア地域のブースでは、それぞれの民族衣装を纏った学生さんたちの姿を眺めるのも楽しみのひとつ。 ベトナム(春巻き)、ミャンマー(春雨風スープ)、タイ(鶏肉と野菜を炒めたもの、辛い)などなど、挙げればキリがないが、アジア各国の珍しいエスニック料理を堪能。アフリカのブースでは、生姜のジュースを振舞っていた。生姜の風味が利いていて、甘くて美味しい。喉に良さそうだな、と感じた。アメリカのブースでは、グアテマラのお米を使って作ったデザートをいただいた。甘いご飯にはちょっと違和感が・・・。おはぎに近い感覚だと思って食べた。ウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタンのブースでは、ピラフかチャーハン風の料理をいただきました。これは、美味しかった。残念だったのは、トルコ風アイスが売り切れて(タダなんだけどさ)しまっていたこと。 あ、そうそう。会場に入ってすぐのところで、4、5歳くらいの小さな男の子に親しげに声をかけられた。残念ながらオレは顔をおぼえていなかったけど、きっと地元のU幼稚園の生徒さんだろう。思わぬところで出会えたことをうれしく感じた。 夕食には充分な量を食べ終え、開演を待つことにした。 19:00からの公演、まずは地元小学生のチアガールチームの演技から。息の合った演技に、誰もが惜しみなく拍手を送っていた。次は知り合いのベトナムの学生さんの出演する踊り。きらびやかな衣装と、両手に持った扇を使った穏やかな踊り。これもまた、すばらしかった。 歌あり、踊りあり、少林寺拳法ありのそれぞれのパフォーマンス。およそ20の演目それぞれが味わい深く、楽しめる内容だった。 南アジアグループの、女性4人による激しいダンスが印象的だった。まぁ、すっごくセクシーだったわけで・・・(笑)。タイの女の子たちの身につけている衣装はとても美しく、多くの観客たちに一緒に写真を撮ることを求められていた。 カナダから来ている学生さん、Oさんの奥さんを紹介された(奥さんは日本人)。普段は東京に住んでいて、新潟には初めて来たのだとか。あきれるくらいきれいな女性で、『コノヤロー、うまくやりやがって!』と嫉妬の嵐(笑)。Oさん自身がトム・クルーズ似で、格好いいからお似合いで文句のつけようがないんだけどね。 拍手と笑顔の絶えない、とても素敵な国際色豊かな文化祭。アジアの、アフリカの、アメリカの、ヨーロッパの、オセアニアの、それぞれの笑顔。肌の色は違っても、うれしい楽しいという感情に国境は無いのだ。 先月23日。個展でTさんに会ったときに、会場に貼ってあった紹介文の中の文章がふと思い浮かんだ。“笑”という字と、“咲”という字。共に、同じつくりをもっている。“夭”の部分ですね。漢字という文字がまだ生まれたての頃、“笑う”と“咲く”は共に同じ文字で表わされていた、というのだ。人が笑うように、花が咲く。花が咲くように、人が笑う。そんな感覚の中で、暮らしていたのだろうか?『花が、笑っている。人が、咲いている』そんな風に独りごちてみても、それほど違和感無く受けとめられるのは、そうした感覚をオレ自身も残しているからか?とも考えてみる。細かいことを区別しない、おおらかさがそのエピソードから感じられ、印象に残っていたのだ。 ほんとうに、多くの笑顔が会場中に咲き乱れていた。よろこびを分かちあう、すばらしい時と場所にいるのだと、うれしく感じたものだ。おかげさまで、とても豊かな時を過ごすことができた。 オープンデーに参加している間は、左目のチックの症状がいっさい出なかったことが象徴的だと感じている。このことで、自分自身の満たされていない寂しさをはっきりと認識することができた。寂しさは、孤独を癒すための行動を後押ししてくれる、たいせつなオレの味方。ごまかしようのないその感情と手を取りあって歩いていきたい。打ちのめされたときにこそ人は、強がる必要が無いことに気付けるものでもある。思うに任せない心の在りようも、自分自身の弱さも、真に謙虚さを学ぶために示されているのだと考えてみよう。たくさんの笑顔の中で感じた、うれしい気持ちをきっと力に変えられると信じながら。
2004/11/13
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昨晩は0時くらいに寝たのに、何故か午前2時くらいに起きてしまって、それ以後眠れなかった。おかげで目が覚めたのが朝9時。国際大の授業ボランティアには時間が間に合わないのであきらめた。明日行われる予定だった、某養護学校の文化祭は地震のため中止。先日連絡があった、明日開催される予定だった“とんとんお話の部屋”も、会場を用意できないとのことで中止になった。・・・ガックシ。 こういうときだからこそ、読み聞かせの会ができるといいと思っていたのにね。お役所の引越しの荷物(町村合併のため)があるからという理由だが、スペースはあるのだからできるだろうに。明日のために片付けるとか、なんとかせーよ教育委員会!だからお役所は嫌いさ。 ・・・こんな感じでいろいろなことが滞りがち。気持ちも浮かなくて、最近ではめずらしく鬱がひどい。調子悪りぃw ・・・。左目のチック再発。気付かない間に、ストレス溜め込んでる?ヤバイヤバイ。今日いち日は、鬱気分をやり過ごすこともつらい感じだった。 明日は国際大学のオープンデーの催しがある。学生さんたちが、郷土料理を振舞ったり、民族舞踊や歌謡を披露するイベント。今日はほとんど人と会うことをしなかったから、その分明日は楽しんでこよおっと!
2004/11/12
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5月に書いた日記をなんとなく思い出して、読み返してみた。半年後の自分は、どうしているだろう?わからないからこそ不安であり、また希望も持てるのだ・・・というようなことを書いている。そのときから今日までの日記のタイトルを拾い読みするだけで、あれから約半年が経って、あの頃には想像もできなかった変化が次々と起こっていることにあらためて気付かされる。 “こわれ者の祭典”を知ったこと。そこでたくさんの非常に魅力的な人たちと出会えたこと。木原さん、Kaccoさん、アイコさんにはこのページに来ていただき、ありがたい言葉を残してもらった。 7・13水害のボランティアに参加したこと。 “徳島の唄歌い”、妙玄久志さんと出会い、歌を聞かせてもらったこと。長岡市で会ってから3ヶ月余・・・最新の情報では今、北海道を経てその後南下して、東京近辺にいるとのこと。文字通り、ペダルを踏みしめることで前に進み続けている彼の歌声を思い出し、応援したい気持ちだ。 8月には、黒岩秩子さん宅を訪問。『迷惑をかけあおう!』の言葉は、今のオレのものの考え方や行動の仕方を支える、重要なスローガンになっている。 文化会館の照明ボランティアも始めた。ボランティアとしての初仕事の日はいつ来るのか?およびがかかるのが、楽しみである。 絵本の家“ゆきぼうし”の絵本村のイベントに、一週間続けて参加し、いろいろな人たちの読み聞かせを勉強させてもらった。 8月は、バイクをもらったことで、格段に行動範囲が広がったことも忘れてはならない。 9月は魚沼国際交流協会(UMEX)のバーベキューに参加。数週間後、UMEXに入会した。いろいろな国から来ている学生さんたちとの交流の中で、今も日々学ばせてもらっている。 10月からは、Y町(現在は南魚沼市)のU幼稚園での読み聞かせを開始。園児たちと一緒にサッカーしたり、遠足に参加させてもらったり。そのことでどれだけオレの気持ちが救われたことだろう。感謝! そして、忘れもしない新潟中越地震。つか、今日も揺れてます。これはほんと、想像できなかったこと。 うっわw ・・・こうしてざっと書いてみるだけで、ほんといろんなことがあったのねぇ(笑)。オフだけでなくて、このページでの出会いや交流は書ききれないほど。ほんと、周りの人たちには、オレはなんて恵まれているんだろう、と感じざるを得ない。 せつない思いをしたり、怒りに自らを振り回されたりしながらでも、こんだけのことができるんだなぁ・・・。新しく出会う人から、常に力を与えられてのこと。自分の力は常にはじめの一歩だけで、あとは人に支えられ助けられてここまできた。自分が他者の関心と助力を常に必要としているから、そしてその必要をごまかさずに満たそうとしてきたからこそのこと、かな。だから、ある意味必然。でもほんっと、ありがたいこと。 5月のあの日記を書いたときとは、当然気持ちも違ってきている。失恋とか恋愛感情からは心離れることができたと信じられる。でも、あれ以来まるで止まってしまっているかのような時間の中に、取り残されたわだかまりが胸にいまだに澱んでいる。これもまた、予想外のことではある。 この日記を書いて、また半年後の自分に思いを馳せようと思う。今までがこんなだから、ほんっとに想像もつかんわなぁ・・・。推し量ることのできない未来に、期待と不安を詰め込みながら、こうして日記を書くことで足跡を残していけばいい。それだけで、いいんだ♪
2004/11/11
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朝9時から、国際大学での日本語授業ボランティア。今日の授業は中級と言うこともあり、前回と比べより実践的な会話を学生さんたちと練習した。この日の授業内容は、電話での応対と頼みごとの仕方についてだった。学生さんたちがいくつかのグループに分かれ、ボランティアは練習課題が変わるごとに、グループからグループへと順番に移っていく。おかげで計12人くらいの学生さんたちの会話練習に参加することができた。UMEXで顔見知りの方も何人かいた。 授業が終わって、中庭でひと休みしていると、中学生くらいの子供たちが列をなして歩いてくる。どこから来たか訊ねてみたら、オレの住んでいる地区の中学校の生徒だった(方言で返ってきた返事が、いかにもだった)。大学内部を見学しているらしい。身近にある異文化を彼らが体感できるといいな。 * * * 地震があってから初めて和南津トンネルを越えて、川口町へでかけた。被災した友人から電話がかかってきて、会いたいとのこと。川口町の某老人ホームにその人を訪ねていった。 が、しかし!留守!↓↓ 支援センターの職員と、買い物にでかけたとのこと。1時間ほど、待ちぼうけをくわされる。まぁ、何時に行くって約束したわけじゃないけどさ。ようやく戻ってきた彼女に、頼まれた支援物資を渡した。とは言え、買い物に出かけられるなら、物にはそんなに困っていないんじゃないの?と複雑な心境。長い間待たせられたことも、なんだか心に引っかかってる。ま、オレの心の余裕が失われているということだなぁ、きっと。K子さんは、いつも人に気を遣わな過ぎるんだよね。と、妙に苛立ちながら帰ってきた。 なんだか今日の川口町訪問は振り回された感が強い。あー、やっぱちょっと余裕を失っているよなぁ。自分の寄って立つところが不確かだからこういう気持ちになるのだ。これからは自分の心のケアにも、もうちょっと気を遣うことにしよう。
2004/11/10
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前に書かなかった、先月23日の、地震の直前のできごとを・・・。これだけは、別に掲載したかったので。 隣村の絵本の家“ゆきぼうし”に、猫のナウカに会いに行った。時間があったら、館長さんの通称“おばさん”とお話できたらいいな、と思いながら。 “ゆきぼうし”に着き、駐車場にバイクを停めて、“フーの木の森”の方へ足を向けると、『にゃーお』という、少し粘っこい、彼女独特の声。会うのは二度目だというのに、おぼえていてくれたのか、ナウカはこちらに歩み寄ってきてくれた。来客が多く、人間に慣れている所為だろう、とても人懐っこい。秋晴れの空の下、少しこわい彼女の毛を撫でながら、まったりとした時間をしばらく過ごした。 そのあとで、“おばさん”とお話をした。作家になりたいというオレの希望を知ってくれていて、どんな本を読んできたのか、とか創作にまつわる話を、お茶を飲みながら聞いてもらった。 “おばさん”に勧められて、“ゆきぼうし”で開かれている、2005年版カレンダーの原書点を拝見させてもらうことにした。絵画でも書でも、ビジュアル作品というものはどんなに言葉を尽くしても、実際に見た印象には及ばない。“笑う門には”と題されたそのカレンダーは、“はじめの一歩”とか、“雪壁”などの文字が、それぞれに、主に文字と地のバランスの妙に工夫を凝らされて描かれていた。想像力を働かせ、短文に込められたイメージを頭に思い浮かべながら楽しく鑑賞していると、当の作家の方であるTさんが、会場へいらしてくれた。 お互いの自己紹介を交えながら、言葉を交わしていくうちに、Tさんが養護学校の教諭であることを知った。養護学校での生活や実情など、興味深いお話をたくさん伺うことができた。養護学校と、そうでないいわゆる普通の学校の教師とでは、意識の違いがあり、養護教諭の仕事は、言わば特殊な“畑違い”のものとみなされている。そういう認識が、養護学校といわゆる普通学校の双方の職員の意識の中にあるのだ、と嘆いておられた。同じく人の心を備えた人間と関わる仕事として、そこに意識の違いがあってはいけないと思う。T氏の意見に深く共感した。 心に垣根を持っていない人と意見を交換し、分かち合えることはとてもうれしい。 T氏とは、彼の勤める養護学校の文化祭に訪れることを約束した。 真っ黒猫のナウカが導いてくれた素敵な巡りあいに感謝したい。 * * * ここからは、11/09の日記。 ボランティアセンターの心配ごと相談に行った。相談員はN沢さん。いつもと違って、話す内容がうまくまとまらない。最近あることが原因で、なんだか心が落ち着かないのだ。それが態度にはっきりと出ていた気がした。 ・・・なんだかなぁ?忙しく動いて、考える暇など無いのに、感じる心は休むことが無い。心鈍くありたくはないけどね。 自分自身を傷つけるのも悩ませるのも、全部自分の内の醜い気持ち。自らの内側に目を向けるときも、『悪と対峙するときに、愛をもってせよ』の気持ちを忘れまい。“許されざる自分”と思い込むことは、自分を追い詰めるだけ。その愚を犯したくはない。
2004/11/09
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昨日の日記に書いたとおり、常連さんのページをぐるりと巡ったいち日だった。ご無沙汰しているうちに、いろいろな方たちの生活に変化があったみたいで、驚かされた。 今日いち日休んだおかげで、肉体的には、疲れもだいぶ癒えたようだ。 18:00から約束があるので、日記を書いている時間がもうあまり無い。書きたいことはあるのだが、明日以降の追記になるかも。 今日も良く晴れたいち日だった。地震からこっち、この地方は元気を無くしている。無理も無いけどね。空を見上げる心の余裕を残しているのなら、できるだけ身体動かしてみようと思ってる。 さて、飯食って国際大に、行ってきまーす♪ * * * 地震の影響から、Yahooのサービスが使えなくなっていましたが、今日から使えるようになりました。書きためておいた震災当日からの日記を一気にUP。興味のある方は、こちら(23日の日記)から。 * * * 国際大学でチュータープログラムを終え、家への帰り道。黒岩秩子さんのお宅を訪ねた。『(家に)あがって』と言われたので、お言葉に甘えてお邪魔することにした。最近、黒岩邸に下宿を始めた高校生の人がいた。黒岩さんに紹介され、挨拶する。シャイな男の子。世慣れていない雰囲気が伝わってきて、なんだか好感を持った。 秩子さんとは、お互いの最近の活動の情報交換など、おしゃべりに没頭した。お互いに震災に関してニュースを持っているものだから、話の弾むこと!・・・下宿の高校生君は所在無げにしていた。オジさん・オバさんパワーに圧倒されたか(笑)。申し訳なかったかな? 東京から届いた救援物資の中から、トレーナーを分けていただいた。新しくて、あたたかいトレーナー。これからの時期にはありがたい贈り物だ。それを着て、原チャリに乗って家路についた。帰りがけ、『今日もまた、甘えさせてもらったなぁ』と感じた。オレのような人間を、甘やかしてくれる人はそうはいない。甘えたいと思えるほど信じられる人も、また。己の心の狭さ故か?・・・だからこそ、そういう人の存在をありがたく感じるのだ。
2004/11/08
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震災ボランティア5日目・・・。 昨日、今日と被災地の家の後片付けのお手伝いをさせてもらったのだか、はたしてこれは震災ボランティアなのか?という疑問。地震によって被害を受けたお宅から依頼を受けてそこに向うわけなのだが、頼まれるのは地震とは関係ない家の片付け。頼まれたことを、どこまでしていいのか?線引きが難しいところではある。 家の片付けが嫌なわけではないが、緊急を要しないそういうリクエストに応えることで、今ほんとうに人手が必要なところへの支援が後回しにならなければいいのだが。 ・・・そう言えば、昨日のNHKに取材された内容は、昨日の19:40ごろに放送されたそうな。オレは見なかったけど、今日人づてに聞いた話。NHKの人たちが邪魔だったのは、昨日日記に書いたとおり。きっと仏頂面で映っていたに違いない(笑)。 昨日、Kaccoさんに家を訪ねていただいて、びっくりした。ボランティアで留守にしていたところを訪ねていただいたようなのだ。ボランティア活動を終えて家に帰ると、玄関にホッカイロやトレペ、滋養強壮ドリンクなどの支援物資が置かれていた。一緒に置かれていたメッセージを読み、裏返してみたらKaccoさんの名刺だった。17号線と高速道路は通れるようになったとはいえ、まだまだここまで来るのはたいへんだったことだろう。気にかけて訪ねていただいた感謝を、早速電話で伝えた。ほんと、うれしかったし、ありがたかったのだ。 最近はいい感じで、頭働かせずに動けている。やるべきことが目の前にはっきりと示されているから、あれこれ迷うことも無い。明日は久しぶりに、何にもせずに過ごそうか・・・。ご無沙汰しているネット友の皆さんの、HP巡りもいいかもしんないね。
2004/11/07
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今日は災害復旧ボランティアの昼の部に参加。 お年寄り独り暮らしのお宅へ行き、後片付けを手伝った。災害ボランティアセンターのスタッフの中に、同級生を見つけた。あんまりうれしくない再会・・・。何故なら奴は、中学時代にオレをいじめていた男だったから。 ボランティア登録の名前を読んで、まず向こうが気づいた。向こうの顔を見れば、オレの方にも間違いなく見覚えがあって・・・。『Y・M?・・・』とオレ。 ビンゴ!(苦笑) 最後に会ってから20年以上か?ま、いまさら恨み言を言うつもりはないけどさ。場所が場所だけに、そして場合が場合だけに、苦笑いするしかなかった。それにしても、すっかりオヤジになりやがって。時間が経ったからなのか?ほとんどわだかまりなく接することができる自分に、少しだけ驚いた。 朝9時から、まずは震災ボランティアセンターからさほど離れていないお宅の片づけを、他の男性のボランティアの方とふたりで手伝うことになった。それはいいんだけど、NHKのTVの取材が同行することになり、たいへんだった。撮影のために、作業を中断するように頼まれたり(いったん片付けたものをもとに戻してもういち度・・・みたいなこともあった:笑)、狭い家の中を移動するのに、手伝いもしない人間が3人も居ちゃあ、邪魔でしようがない。最初の一軒の家での作業が終わるまで、取材は続いた。・・・ま、そんなに腹も立たなかったけど。マスコミってそういうものだと諦めるしかないもんね。“やらせ”では決してないけど、報道ってやっぱり、ある程度作っている部分があるんだね。 他2件のお家の片づけを手伝って、3時くらいに作業は終了。全体を通してどのお宅でも、依頼者の希望を聞き出すことがいち番たいへんだった。家の倒壊とか、はっきりと判る損害ではない。外から見たのでは気づけない、ひとり暮らしのお年寄りが必要としていることがあるのだと知ったことが今日の収穫だった。 帰りがけに、明日のボランティアへの参加を頼まれたので、承諾してきた。自分にできることがあるかぎり、やらせていただきますともっ!
2004/11/06
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昨日は秋の冷たい雨に打たれながら各所を移動したのがたたって、夜にどっと疲れが出た。ボランティアを11時で切り上げて、家に帰った。 明けて今日、昨日誘った友人Hとともに、堀ノ内に向かった。Hは作業療法士を目指している、同じ福祉関係の作業ということで、やる気満々だった。場所がわからない彼のために、原付で先導して現地に着いた。いつもどおりの朝。家族や親戚に迎えに来て、遠方に避難する方がいる。仮設住宅への入居が決まり、避難所を後にする人たちも。初日に比べると、避難している人の数は確実に減っている。それでも50人ほどが未だ避難所での生活を強いられている。昨日の夕方は、手品や歌を披露する、慰問の方が来たようだ。少しでも楽しい時間を過ごして、できるだけ気持ちを楽にすることもたいせつなことだろう。支援の手は、さまざまな形をとって、届いている。うれしいことだ。 介助の補助と食事の配膳を終えて、昨日と同じように朝食をいただいてから、避難所を後にした。その後は国際大学での授業ボランティア。30分ほどで国際大に到着。初日なので、ちょっと緊張してた。 心配することもなく、楽しく参加させていただくことができた。初回だから、生徒さんたちの会話能力の程度がつかめず、『そういう難しいことはまだ教えないでください』 と教授(!)に注意されることも・・・。ま、初回だからね(笑)。 授業を終えて学生さんから、『楽しかったです』 と言われ、うれしかった。今日はふたりの学生さんのお相手を務めた。ウズベキスタンの男性と、日本人を母に持つアメリカの女性の学生さん。その日の授業の内容である、家族のことについて質問したりされたり。ウズベキスタンの学生さんの、1歳6ヶ月になる女のお子さんの写真を見せられる。『かわいw!』『お母さん似だねw』などと盛り上がった。 とても楽しく参加することができたので、大学職員のN島さんにそのことを告げると、『ではぜひ水曜日の授業も』 と勧められた。もちろん快諾。こちらの方も忙しくなりそうだ。 大学からの帰り、U幼稚園を訪ねた。南魚沼市の方は地震による被害は比較的軽いようで、皆さん無事であることを確認できて安心した。読み聞かせを今月もやらせてもらえることに。日程は未定だが、月末あたりに訪問させていただくことにした。今日からまた、練習を開始する。 今日はこんな感じ。いい感じで、動いてると、自分ではそう思ってる。
2004/11/05
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朝7時から堀之内町福祉センターで介助補助。前日0時まで働いて、翌朝5時半起きはオレには無理か・・・。目が覚めないんだもん、しようがない。 自衛隊の人たちが作ってくれた朝食を配ってまわる。おかゆとごはんをそれぞれ希望の人たちに。おかずと汁物は共通。今日のおかずは、切干大根の煮物だった。 ボランティアの分もあるというので、今日はいただくことにした。ご飯をおにぎりにしてあって、それを3つ。たまねぎの味噌汁が、うまかった♪どんなときでもたいてい、食欲というものが無くなることはない(失恋したときくらいか?)。オレの得な体質。 おとといから続けてきて、継続して参加することのたいせつさがわかってきた。ひとりひとりの介助の必要が判ってくると、この方は車椅子、この方は身体を起こすことを手助けなどなどと、必要なことがだんだんと判ってくるのだ。お話好きのお年寄りに話し掛けられるようにもなって、世間話に花が咲くこともある。顔をおぼえてもらうことで、少しでも安心感を感じてもらえたらうれしいのだけど。 10時から、精神科の診察へ。今日はT先生に話すこともあんまり無かった。最近はやることがたくさんあって、ヒマすることが無いから、思い悩むことも自然と少なくなっているようだ。近況を伝えて、診察を終えた。内服薬は相変わらず。頓服は必要無いからもらわない。 話は変わって・・・。ブッシュ再選、かぁ。ケリーさんに大統領になって欲しかったなぁ。結局合衆国はブッシュを認める形になったわけだ。TVのインタビューで『自国の安全がたいせつ』というコメントをしていた米国人がいたけど、今のアメリカの在り方は、合衆国自身にとっても危険なものではないかなぁ?と疑問に思った。攻め入られないために、可能性のある敵を武力で排除することを許すなら、今後も悪意の応酬は繰り返されることだろう。強大な武力を誇示することで、周囲を威圧する。敵を作るばかりのその姿勢に、方向転換がもたらされることを願っていたのだが。残念・・・そして今後が心配でもある。 プロ野球の新規参入は、楽天に決まりましたね。仙台は新潟からわりと近いし、普段このページの運営で、お世話になっていることもあるし、今後は応援したいと思っている。ま、ごひいきの球団なんて無いというくらい、プロ野球に興味が無いだけなんだけど。 ログイン画面に書いてあったが、この楽天のブログ・日記サービスの登録が30万件を越えたのだとか。ひぇw そんなにあったのか?!とびっくりだった。 惜しくも選ばれなかったとは言え、ライブドアの社長さんのインタビューを受けているときの態度は立派だった。マスコミ的な安易な切り口では、“敗者の弁”が欲しいところなのだろうけど、楽天の参入により12球団維持が決定したことを素直に喜んでいた社長(何て名前だったっけ?ああ、堀江さんね)の態度は立派だった。強がる風でもなく、負け惜しみを言うでもなくね。淡々と思うところを落ちついて述べていた。それだけに、TVキャスターの質問が意地悪で失礼に思えて、腹立たしかった。それが、テレビ的切り口なんだろうけどね・・・オレは好きになれないな、と。 ま、コンテンツ産業では今後、ITがTVを駆逐する流れなんだろうから、何を言われても苦にならないのかもしれない。信念を持った企業家の自信に満ちた態度には、見るべきものがあると感じた。堀江社長、立派でしたよっ! ライブドアと楽天の合否の決め手は、社長のファッションだったんじゃないの?いつもTシャツで身軽な感じの堀江社長は、保守的な球界オーナーたちから敬遠されたのではないかと考えてしまう。・・・それくらい閉鎖的で、プロ野球経営陣の態度はヤな感じ。『子供に夢を与える云々・・・』と言うけど、自分たちの姿を振り返って見ることはしないのだろうか? ゴールデンイーグルス(楽天の野球チーム名)には、オレは別に優勝などしてもらわなくていい。他をしのぐ、圧倒的な黒字経営で旧来の球団オーナーをあっと言わせて欲しいものだ。そうやって、球界に風穴をあけることができれば、なんだかほんとうに胸のすく思いがすると思うのだ。 行け行け!東北楽天ゴールデンイーグルス!!!(しかし、長い名前だなぁ・・・)
2004/11/04
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昨晩と今朝、介助補助のボランティアに行ってきました。 昨日の夜の仕事は、お年寄りをトイレに連れて行くこと。ほとんどそれだけだった。足の不自由な方を車椅子に乗せてトイレに連れて行き、ズボンを脱がして便座に座らせて。用を足し終えたらまた、車椅子に。寝床に着いたら、車椅子から降りるのを手伝う。人ひとりをほとんど持ち上げるようにして移動の手助けをするのはすっごい重労働。日常的にこれを仕事にしているヘルパーの方たちには、頭が下がる思いだ。車椅子が必要でない人でも、手を引いて案内したりする。手助けが必要なときには、手を上げて教えてもらう。 9時に消灯で、それ以後は照明を落とした暗い中で、じっと待っているだけ。他に何もすることはないだけに、時間が過ぎるのがとても遅く感じられた。 車椅子の方をひとりでトイレにつれていったとき、ズボンをうまく脱がすことができずに、怒られてしまった。やはりこれは、ひとりではダメだと、それ以後は車椅子の方の介助はヘルパーさんに同行してもらって行うことにした。お手伝いに行ったのに、不便な思いをさせることはできないもんね。 きっちり0時まで働いて、帰ってきた。今日も行く予定だけど、途中で一回くらい休憩をとらせてもらえるように頼んでみようと思う。長く続けるためには、無理の無いやり方がいいだろうから。 今朝のボランティアは、上記の仕事に加えて朝食の配膳があった。食事を配り、茶碗にお茶を注いで回る。昨日の夜よりもボランティアが多い。ヘルパーさんに加えて、若い男のひと(20代前半と見た)3人がいた。その他にもボランティアとおぼしき人たちが数名。早朝に、家に戻られるお年寄りが何人かいた。避難所暮らしを終えて、自宅で過ごすことができるのが、今は何よりうれしいことだろう。 オレ的には、こうやって気働きできる場所に身を置くことは好きなのだ。人にものを頼まれることも苦にならない。頼まれるままに、ひとりのおばあちゃんの爪を切らせてもらったりした。そうやってよろこんでもらえれば、とてもうれしいのだ。 現場にいると、人は何人居てもいいのだという気がする。本職のヘルパーさんや看護婦さんたちの表情にも、疲れが窺える。自分にできることをすることで、その人たちの負担が減ってくれればいいと思いながらやっている。
2004/11/03
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今朝、さっそく堀の内地区のボランティアセンターを訪れて、参加を決めてきた。近隣からの参加ということと、継続してできるということを買われて、避難しているお年寄りの介助補助の仕事を与えられた。昼間は人が足りているのだが、早朝や夜間の人でが足りないということだった。オレは今現在プーなので、時間は思うようになる。朝6時から9時までと、夜8時から深夜0時まで、来ることができる時間帯に来てほしいと言われたので、今日から始めることにした。どんなふうにしたらいいのかは、やってみなければ判らない。まずは、始めてみることだ。 今日は近くの看護学校の文化祭が予定されていたのだが、地震のために中止になったとのこと。行こうと思ってたのに、残念。 午後からUMEXのサロンの昼の部に初参加。学生さんは、日本語チューターで来ていたおひとりだけだったが、日本人のメンバーの方と、地震のことなどについておしゃべりした。そろそろ帰ろうかと思いはじめたところへ、ベトナムからの学生さんH・Aさんが来てくれた。久しぶりの再会に、とてもうれしい気持ちになった。地震が続いていた先週は、東京の方に避難していたのだとのこと。13日に行われる、オープンデーのことなどについて話した。 UMEXの日本人メンバーのSさんに薦められて、国際大学の授業ボランティアにも参加してみようという気になった。これは、日本語を学習されている学生さんたちとの、授業の中での会話練習の相手役を務めるというもの。ネイティブスピーカーとしての、練習台だ。 授業ボランティアに参加するための説明を、国際大学の職員のNさんから受けた。丁寧な応対がとても気持ちいい。世間離れしたすごくアカデミックで上品な空間に身を置くこと。オレ自身は野蛮人なのに、何故かとても心地よいのだ(笑)。 こちらの方も、今週の金曜日から参加させてもらうことにした。 いろいろと忙しくなりそうで、今のオレとしてはうれしいかぎりなのだ。 ボランティアという言葉の意味は、自発的に行動する人ということ。自分で“こうしよう”と決めて動いている人は皆、ボランティアだ。人に言われて流されて動くのではなく、自分で決めて、自分で動く。誇りを持って、常にそうありたいものだなぁ。
2004/11/02
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真意が汲み取れないその発言を聞いたとき、耳を疑った。『堀の内地区は(震災の被害が)たいへんだから、(ボランティアには)行かないほうがいいんじゃない?』 個人的には、こういう旨の発言があっても責められるべきではないかもしれない。地震の被害が甚大で、すっかりどこへやらという感じのこの地区の合併だが、ほとんど言葉の上だけとは言え、同じ市のある地区が震災で甚大な被害を受けているというときに、助けに行かなくてもいいという意味の発言が、福祉課に勤める人間の口から発せられる。何故だっ!? 発言の真意を正そうと、理由を訊くと、『ボランティアセンターの人たちも、人の振り分けとかたいへんだろうから・・・』 という、理由にならない理由。なんじゃそりゃ?だ、まったく(怒!)。本末転倒も甚だしい。おつむは大丈夫ですか?と訊きたいくらいだ。震災に遭ってたいへんだから、人の力を必要としているから、ボランティアセンターという対策本部を設けて人を募るということ始めたのでしょう?その人たちが、ボランティア活動を運営していく上で必要な作業に労を惜しむと考えているのか?ほんとうにたいへんな思いをしている人のことなど、まったく念頭に無いのだと思わざるを得ない。 福祉課の人間に尋ねたのが間違っていたのか?精神疾患を患っている人間は、行っても足手まといだからやめておけ、ということか?どこまで人を馬鹿にすれば気が済むんだ!何様のつもりなんだ!お役所仕事に対する疑念が、今まで以上に強まったできごとだった。 こんな馬鹿な人間が、人の心のケアをする仕事に携わっている。これからは彼女の給料も、堀の内地区の人たちが納めた税金からも支払われるというのに。 最近は、もうあんまり感情をあらわになるべく怒りたくないと思っているんだけど、これだけは看過してはいけないことだと思う。地震でたいへんだとか、忙しいときに個人の相談には乗っていられない(それにしたって、災害復興に関することだぜ?)とか、いろいろと理由はつけられることだろう。それでもなお、あの発言は公僕として、してはいけないものだとしか思えないのだ。 正直言って、こういうことにはもうすっかり慣らされている。いつだって自分で考えて、行動を起こそうとするとき、協力を求めても、責任を負わされることを怖れて、やる気を無くさせるようなことを言われるのがオチなのだ。本人が必要と感じて、心から求めていることを手助けすることでさえ、お役所の人間と言うものは、そのわずかな労を惜しまない人たちではないらしい。
2004/11/01
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