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チックが左まぶたを叩いてる。「とんとん、とんとん」と。まるで、「おいちょっと、お前ヤバいぞ!何もせんと、休めw 」と、教えてくれているようだ。そう考えたら、あれほど煩わしく感じてたチックが、そんなに嫌じゃなくなった。忙しさや焦りを手離すことで、感じ方も変わってくるものだ。今日はもう、何もしない。休息もまた、必要なのだ。
2005/12/29
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積もった雪の重みで、仕事場に隣接する林の杉の木が倒れた。 道路を完全にふさいでいる。ちなみにこの先はすぐ行き止まりになっているので、周辺の住民の方々の生活に支障は無い。 倒れた杉の木が、浄水場敷地内まで入り込んでいる。職場に入るのに、難儀したものだ。 倒木はこの日のうちに市役所によって速やかに片付けられた。それにしても、雪の重みで杉の木も倒れる、今年は大雪なのである。
2005/12/28
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“レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語”にジム・キャリーが出演していると知って、TUTAYAでDVDを借りてきて、観た。ジム・キャリー好き。 不運と不幸せは、違う。"unfortunate"はこの映画の場合、“不運”と訳されるべきだろうと感じる。 だって、映画の中の三姉弟妹(きょうだい)は映画の全篇を通して、決してふしあわせには思えないから。 両親が不審火による家事でふたりとも亡くなり、強欲で人でなしの後見人(オラフ伯爵:ジム・キャリー)の元に身を寄せ、命の危険にさらされる。観ていない方のために詳しくは語らないが、この伯爵のために彼らは、次々と困難と身の危険にさらされる。まさにうち続く不運だ。 "There's something" 長女ヴァイオレットと弟のクラウスの口から、発せられる言葉。 『何か手があるはず』と、 身の危険に晒されるたびに、彼らはこう口にして決してあきらめはしない。 この、あきらめない心こそがさいわいなのだ。 この映画は最後の最後まで、彼ら姉弟妹(きょうだい)の、これから続く不運や困難を予感させる。だが、彼らは常にさいわいである。持てる力を以って、目の前の現実から目を逸らさずに、最善を尽くそうとするからだ。 『“生きることはつらいことでもあり得る”という気付きは、これからの生活を心豊かなものにしてくれるはずです』 mixiで繋がってるある方の掲示板に書いた言葉。この言葉が今、自分自身の元に帰って来ている。生きることは楽しいばかりではない、つらいときもある。それは、当たり前のことだ。 "There's something" 何か手があるはず…。目の前に露わにされている、自分自身の弱さと心と厳しい現実を見つめながら、オレも心の中で呟いてみる。生きることをあきらめない…今はそれだけで充分だ。ヴァイオレット役のEmily Browningに萌えw お薦めです
2005/12/28
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この日は免許の書き換えで。4年半前に違反やっちゃってるオレは、長岡の免許センターでの書き換え(違反者講習2時間付き)。 10:00~10:30だと思っていた受付時間は、1時間早い9:00~9:30であった。…間抜けな話。 講習を終えて午後からのつもりの予定を午前中に切り替えて、長岡市の国際交流センターとフェア・トレード・ショップ“ら・なぷぅ”を訪問することに。 最初に国際交流センターに寄り、センター長の羽賀友信さんにお会いし、お話しさせてもらった。長岡は言わば新潟の“へそ”にあたる部分。各地からのアクセスに優れた地理的条件を活かし、県内の交流組織の繋がり場所として活動していきたいのだ、とのこと。国際交流活動から人権問題まで、深い話をさせていただいた。 話し終わってから、来年の2月に催される国際雪合戦大会の案内状をお渡しし、交流センターの利用者と職員の方たちの参加をお願いした。興味を示していただいて、とてもうれしかった。 そのあとで、“ら・なぷぅ”へ。 フェア・トレードというのは、その名のとおり“公正な取引”のこと。海外の生産者が正当な報酬を受け取れる取引に基づいた商品を扱っているお店のことだ。魚沼の近くだと、長岡市の“ら・なぷぅ”と南魚沼市(旧六日町)の“HOMURA”、名前は知らないが、十日町市に一件あることを知っているのみだ。“eco”の概念が広く受け入れられたように、フェア・トレードも誰もが知る言葉であり概念に変わっていってくれたら、と願う。 コーヒーをごちそうになりながらお店の方と、環境問題についておしゃべりしているうちに、話はエジプトのピラミッドや果てはモアイで有名なイースター島の話にまで至り。本気で興味を持っていることについて話される内容は、どんなときにでも興味深いものだ。オレのひきこもり体験に関しても、非常に興味を示していただいてありがたかった。 話は尽きず名残惜しかったのだが、免許の更新手続きの受付時間が迫っていたので、おいとますることにした。長岡市に行く機会があったらまた訪問しますので、どうぞよろしくw 長岡近くにお住まいの方で興味がある方は、下のURLから“ら・なぷぅ”のページをご覧ください。 http://www16.plala.or.jp/la-napu/ 講習と免許の書き換えは無事に終わり、なんとっ!免許の条件項目から『眼鏡等使用』の文字が消えましたっ!裸眼で測ってOKだったんだよねぇ。『だったら何のために眼鏡作ったんだよぉ…』とは思うが、視力で落とされたら何にもならないしな。実は今回知ったんですが、免許の更新期間が延長され、今まで誕生日前一ヶ月だったものが、前後一ヶ月間に伸ばされたんですねw 。これは昨日知った事実。平成21年までだから、次の更新まで4年か…。んっ?3年ではないの?と免許証をよく見るが、平成21年までで間違い無い…。ま、いっか。長いに越したことは無いのだ。 これで今年のやり残しはもう、無いかなぁw 年末年始はできるだけ、だらだら過ごそうと思っているのだ。
2005/12/27
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与えられている自分自身の人なつっこさに救われている毎日。『人間は信じることができる』という気持ちが、心の奥底に授けられているんだな。基本的にオレは人間が好き…なんだろうな、きっと。 「三つ子の魂百まで」と言うが、実際3歳くらいまでにその人の性格のおおよそは形成されるらしい。両親がまだ、お互いを必要としあっていた時期にオレは第一子として生まれた。無論その頃の記憶など無いが、たいせつに育てられたことはオレの今の心の在りようから窺い知ることができる。両親から与えられ受け継いだのは、負の記憶ばかりではないのだ。 今日のこの日にも、心浮き立つことも無く、ただぼんやりとした不安を感じながらさえない時間をなんとなく過ごしてる。でも、それでいいんだ。 『誕生』は中島みゆきさんの歌で、オレはこの歌が大好きだ。>泣きながら生まれる 子供のように もういちど生きるため 泣いてきたのね>けれどもしも 思い出せないなら わたしいつでもあなたに言う 生まれてくれて welcome 誰もが望まれて生まれてきた。他ならぬ、この世界に。そう信じよう。 だから、ありのまま今のままの自分でいい。『かくあらねばならない自分』という思い込みを捨てて。産まれたての、うぶ声をあげている赤ん坊とたいして変わらないとても弱く、ちっぽけな自分で。そのままで、いい。 “生まれかわり”は、生きているうちに何度でも体験できるのだ。そしてこれからも、何度も訪れることだろう。今日を明日を、生きることをあきらめなければ。そこにこそ、希望を繋いでいる。 心のうちに与えられた“気付き”は、種であって、行動することで芽吹き、葉を広げ、いずれ豊かに実をつけるのだ。そう信じてる。 そんなふうに思ってる、生まれてから38年目の今日、誕生日。
2005/12/26
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午前中は劇団UNDISCOVERDの稽古。午後からはワンネスでTさんとおしゃべりしながら過ごした。今日はもう、あくせくしないでのんびりといち日を過ごそうと思ったのだ。2日に渡って降り続いた雪がやみ、この日はまぶしいほどの快晴。白くなった遠くの山々を眺めると、清々しい気持ちになった。 寄せ鍋の具が半額だったので、白菜とぶなピーと豆腐をいっしょに買って、夕食は鍋にした。寒いとやっぱり、鍋が美味しいねw 家に帰ってから、20日の日記に対して、たくさんの方たちからコメントをいただいていることを発見。どれもみな、心強い励ましのメッセージばかり。日記へのコメントでも、掲示板でも、訪問者の皆さんからいただくコメントのほとんどすべてが、心を尽くして書かれたものばかりであることが、このブログの最大の自慢だ。そのことをオレは、心から誇らしく思っている。ありのままの自分の気持ちを伝えて、それを認めてくれる多くの方たちが、このページを訪れてくれている。オレにとって、このブログが「帰ってくる場所」として機能しているのは、まったくそういう方たちのおかげなのだ。 自分の言葉に真剣に向き合ってくれる方たちからの、暖かい気持ちが伝わってくるコメントの数々は、他の何にも代えがたい、これ以上無いほどうれしいクリスマス・プレゼントだった。 愛実。檸檬さん。晴れじゅんさん。かわいいトトロさん。史ぶーさん。 みんなほんとうにありがとう。そして、メリークリスマス♪
2005/12/25
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先日Tさんとおしゃべりした際に、ミヒャエル・エンデの“モモ”と“はてしない物語”のことがでてきた。彼女と話しているうちに、このふたつの作品をもう一度読みたくなって、図書館で借りてきた。 “はてしない物語”は、確か小学校高学年か中学生くらいのときに読んだ。今回読み返してみて、その内容のほとんどを忘れてしまっていることに気付いた。話の途中から結末まで、まったくおぼえていなかったので、まるで新しい未読の本を読むかのように楽しめた。 唯一はっきりとおぼえていたのは、二十三章“元帝王たちの都”の中の“でまかせ遊び”のくだりだった。ファンタージエンの元帝王たちが、アルファベットの記されたサイコロを投げ、HGIKLOPFMWEYVXQといった具合に、文字の組み合わせを作りだす。これを永久に繰り返せば、いつかは詩が、それどころかこの世のありとあらゆる物語が、いずれは見出されるかもしれない…というもの。このアイディアが、子供の頃この本を読んだ後、しばらく頭から離れなかった。そしてまた再びこの本を手にするまで忘れることのなかったエピソードだった。子供だった頃の当時、自分がどんな風に考え、感じたのかははっきりとは思い出せないが、繰り返されるとほうもなく気の遠くなる程の大量なでたらめの中に、いくつかの理解可能な、あるいは人の心を動かしうる言葉の組みあわせが見出されるだろうか?可能性は否定できない(なにしろ永久に繰り返されるのだから)が、それは信じたくないような考えだった。それと同時に、永遠の時間を用いたとしても、成し得ることが可能だと言い切れないその行為に、言い知れない不毛さをも、子供心に感じていた気がする。人の心を動かす言葉は、その言葉の意味の深さを理解できる、心を備えた人間にしか生み出せないのだと信じたいのだ。 心に訴える物語を読むと、まるで自分のことが書かれているかのような気持ちになることがある。両親と死別して、部族の“みんなの息子”として育てられたアトレーユは、両親との関係を絶ってから多くの人たちに支えられながら生きているオレとよく似ている、とか。いじめられっ子の主人公バスチエンの考え方や気持ちに共感を抱いたり、とか。現実の世界をうまく生きられないバスチエンは、空想の中でしか存在し得ないファンタージエンの国で自分自身の外見と内面を思い通りに変えようとし、そのために多くの過ちを犯してしまう。自分自身の姿、在り方に満足できない気持ちが、本来自分が生きるように定められていない空想の世界で理想の自分を作り上げ、現実の姿を否定してしまう心の動きはオレも自分のこととして体験している。それだけにバスチエンの犯す過ちがとてもせつなく、また人間であれば避け難いものであるとも感じた。そしてさいわいなことに、その過ちから人は多くを学ぶことができるのだということをも、この本は伝えてくれてもいる。 最後に、心に残ったいち文を紹介しよう。 “フッフールは幸いの竜だった。何もかもいずれはうまくゆくというかれの信念をゆるがすものは何もなかった。どんなことが起ころうとも、フッフールはけっしてあきらめなかった” 幸いの竜フッフールの、この信じて決してあきらめない気持ちが、彼と彼の周りの生き物たちにさいわいをもたらすのだ。だが、それだけではない。どんな時にでも、信じて決してあきらめない気持ちを持っていることが、たった今それだけでしあわせなことなのだ。オレもフッフールのようでありたいと、心から願っている。映画“ネバーエンディングストーリー”の原作となった物語。
2005/12/23
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この日の夜は、なんだか気持ちが真っ黒になってしまった。 鬱の状態はずっと続いていたものの、それに気持ちとかものの考え方が引っ張られることは最近無かったのだが…。まぁ、今月に入って金銭的に切羽詰った感じになったことと、身の周りでうまくいかないことが続いたりと、ストレスにさらされることが多かったから、徹底的にパワー不足になっていることは自分でも判る…というか、感じられる。 なんつーか、“報われていない”感が強まって、『これだけやっているのに…』とか、いじましい気持ちが募ってきてつらかった。真っ暗な気持ち…であれば、先に希望がみえなくて絶望に慣れ親しんでいるということになるだろうが、理不尽な怒りとか憤りとか、自分自身や周囲の人、身の周りの環境に向けての気持ちが攻撃的に発露していたので、胸の中に墨を流し込んだようななんともやり切れない気持ちがしたものだ。 しかしながら、よくよく考えてみれば、今現在のこの窮状も、自分自身が送ってきた分不相応な生活がもたらしたものであって。月8万円弱の収入では、いずれ破綻することは間違いの無いことだったと思う。様々なイベントや活動に顔を出すことで、移動にかかるお金とか参加費とか、これが半端ではないのだ。…当然の結果ではないか。 そう考えたら気持ちがちょっと和らいだ。そんでもって、これからどうするのか?ということ。収入にあわせて暮らしぶりの縮小を図るか、あるいは今までどおり動き回れるように収入を増やすために新しい職場を探すか、ふたつにひとつだ…と考えた。そのふたつとも、そう決めていきなりできることかどうかは、まったく自信が無い。でもまぁその方向で、と考えてみる。 金銭的に誰かに頼るということは、自分自身が限りなく頼りない存在に思えるもので。こういう状況になってしまっても、金銭的に援助してほしいと弟に頼むのはかなり躊躇し、煩悶してしまうのだ。こういう心の動きは、ひきこもっていたころとまったく変わっていない。また、それが無ければ、自分の足で立とうという気も起きないものではあるのだが。 こと金銭面に関しては、それだけでしかない貧しい自分を自分自身で判断するとき、その弱さを認めることにはかなり抵抗があって。お金というものが生活だけでなく、心や気持ちの在り方にも自分に測り知れない影響を及ぼしているのだ、とあらためて感じさせられる。 結局、今のままの自分を認めるしか無いのだが、それまでにうだうだとこういったいろいろなことを考え、自分自身を説得するかのような手続きをとらざるを得ない。今以上に良く在りたいという気持ちと、今のままの自分でいいと思う気持ち、その両方を備えているかぎり、どうやらこういった心の動きは、省略不可能なものかとも思う。またその両方のせめぎあいの中で、すったもんだするしか無いのが人間なんだよねぇ…きっと。 今のままの生活を続けていくことが難しいのなら、先に挙げたふたつのプランで変更をしていこう。生活を縮小するか、収入を増やすようにするか。いずれこの先もしばらくは、金銭的に助けてもらわなければ自分ひとりではできないことだと思う。気持ちを切り替えてみよう。どんな時にでも、“そうでしかない自分”を認めるところから新しい何かが始まるのだ。 自分はダメだということと、そのダメな自分でもいいと思うこと。それをあらためて認め感じるために、生きづらさを与えてもらっているのだ、と思うことにしよう。それが今のオレが立っている足場のようなもの。自分の居る場所が判れば、どちらに進んでいけばいいものか、ヒントは常に与えられているのだ。
2005/12/20
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何日か経ってから気付いたのだが、12月18日を持ってこのページは満2歳を迎えました。 振り返ればたくさんのいろいろなことがあった…としか言いようのないこの2年間、非常に濃いぃ毎日を過ごしてきたよなぁ。このブログ、即ち自分の行動の記録の存在が、そのことを強く感じさせてくれる。ブログはオレの行動の原動力であり続けてくれた。たくさんの人たちに自分の生きてる姿を伝えたくて。何でもかんでもとにかく胸の内にしまっておくのがすっごく苦手になってしまったオレにとって、このブログは気持ちの吐き出し場であったり、ネタの公表場であったり、また数々のうれしくも暖かい言葉をいただくための、“帰ってくる場所”でもあった。 PCを用いたほぼ活字の言葉だけのコミュニケーションであっても、モニタの向こう、ケーブルのその先にいる人の温かさを確かに感じ取ることができた。あらためてそう考えると、このブログを通じて知りあえた方たちとの出会いは、決して当たり前のものではない。オレにとって奇跡とも呼べるほど、ありがたくまたたいせつなものになっている。更新滞りがちな時であっても、やはりこのブログが無い生活は想像するのが難しいのだ。 ブログを通じて知りあえた多くの方たちに、あらためて感謝の言葉を贈りたい。共に感じ、考えさせられ、勇気付けられ励まされ時には爆笑させられてここまで来ることができた。感謝の気持ちは、とても言葉には尽くせない。 ほんとうにただ、『ありがとう』と言うしかない。 さぁっ!3年目こそ、ほんとうに脱力した生活を、ゆるゆると開始していこうと思っている。
2005/12/18
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こわれ者の祭典のイベントが終わって、この日は18:30から忘年会。今回は会計係を任された。 この日の忘年会への参加者は29名。こわれ者メンバーは木林おずさんを除く全員が参加した。NAMARA代表の江口さんは、忙しいらしく途中少し顔を出しただけで帰ってしまったが。江口ニュー・ファミリーのしあわせを願って、みんなで万歳三唱した。 金(キム)改め大久保長男さんと同じACとして濃く語りあうことができた。話しながら、言葉を用いずに感じあえる部分は、同じACという言葉あるいは概念で自分自身に肯定的な意味を見出せた、何ていうか…匂いめいたものを感じてうれしかった。オレより結構若い長男さんは、若さゆえのナイーブさが印象に残った。自分より歳若い人に接する時は大抵そうだが、同時にオレのズルさ悪賢さ調子の良さも、なんだけど。そういういってみればあざとい…というか調子のいい自分が好きだといえる今はまぁ、さいわいではある。 会計係の仕事は、全員から会費¥2,500を集めること。すったもんだの末、きっちりあって清算を済ませ、ようやく忘年会に加わることができた。 初対面同士が数多くいるにも関わらず、会場は非常に打ち解けた雰囲気で。会場の“鳥の歌”には、5つのテーブルが用意されていたのだが、あぶれてカウンターに座ったオレは、そのことをさいわいに各テーブルを回り、いろいろな人と話をさせてもらった。こわれ者メンバーの方たちとも、たくさんお話できてうれしかった。 そうそう、たむたむがペット・ショップ(ブリーダーかな?)での仕事を得て、22匹のわんちゃんと一緒に仕事をしていると聞いた。彼女の雰囲気にぴったりの職業で、楽しんで仕事をしている様子が目に浮かぶようだ。うん、よかったね♪ 安田ヨーグルト(特濃)とウーロン茶を交互に注文しながら、この日は何故か“男メイド”として、各テーブルを飛び回った(メイド服を着ていたわけでない。念のため)。何か頼まれるたびに『はいっ♪ご主人様っ!』と張り切っていそいそと灰皿を運んだり、オーダーを厨房に伝えたりした。こうしたイベントがあるたびに、なんかアホなことをするスイッチが自動的にONになるのはもう体質で、自分でもどうしようもない。…まぁ、どうにかしようとも思っていないのだが。 社会人2年目の新人新聞記者なっちょをmixiに誘った。興味があるらしいので、翌日招待メールを送って、11人目のマイ・ミクになってもらった。なっちょのmixiにUPされている画像が、普段の彼女とは雰囲気が違って、おじさん心をくすぐられる(笑)。かぁーわいいのだ。なっちょ萌えw mixiを楽しんでもらえたらいいな。 “鳥の歌”のマスターに名前を聞かれ、本名を告げると、前日の外国人相談者養成講座のことを聞いていたらしく、オレの名前を知ってくれていたようで。思いがけずここでもまた、人との繋がりをさらに深める出会いが待っていた。素直にうれしい。 閉店の23:00まで“鳥の歌”で飲み食いし、その後解散。横殴りの猛吹雪で視界が最悪の中を、3時間半くらいかけて家に戻った。
2005/12/18
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18日の“こわれ者の祭典”は吹雪に見舞われた波乱の幕開きで…。 雪のため、高速道路が不通になった。高速を使わずに一般道で行く予定だったのだが、高速利用車が皆一般道を使うため、案の定渋滞に巻き込まれた。余裕を持って8時半くらいに家を出たものの、一向に動かない渋滞の中、予定の11:00をはるかに過ぎて、13:00に現地に到着。車の運転でくたくただったが、開演まで1時間しかなく、休憩を取る間もなくボランティア・スタッフとして動き出した。 DAIGOのこの日の衣装の着替えを手伝ったりしていたら、あっという間に開演時間になった。この日のお仕事は、物販コーナーで“こわれ者”のCD、書籍、Kaccoさんのブロマイドやイラストなどを売ること。開演前はまぁ、そんなに売れないんだよね。それでも何人か買ってくれる人がいた。 お金を扱うこういう仕事では、お釣りが絶対に必要だよなぁw …と、今回の感想を。物販もそうだが、入場料として諭吉を出されて、『今ちょっとお釣りが…。少々お待ちください』では、どうかと思う。実際、パフォーマンスの途中で入場者が現れ、お釣りのためのお金を崩しに表を走り回るはめになった…。次回同じ仕事を任せられたら、その辺の確認を忘れずに…ということで。ボランティアが用意することと決まっているのなら、こちらの手落ちなんだしな。 この日の“こわれ者の祭典”は、年末スペシャルで、合計3時間の公演(+しゃべり場1時間)。メンバーもほぼ総出演だった。この日集まった参加者は100名を超えていたと思う。総合福祉センターの視聴覚室では、箱(会場のこと)が小さくなってしまっている。また、トーク・パフォーマンスともに、リピーターに対しても常に新しいものを提供する姿勢がもっとほしいと感じた。この日はオレ自身がいろいろとバタバタして、ひとりひとりのトークやパフォーマンスに集中できなかったということもあるが。それらのことは、定期的な公演で成功を収め、認知度や関心とともに規模が大きくまた内容の充実が求められているからこそと思えば、サポーターとしてはうれしいかぎりだが。 日記を書きながら感じたことだが、トークの時間では、現在のこわれ者たちの心境や活動があまり話されていないように思う。今回もそうだが毎回たくさんの初めてのお客さんがくるから、自己紹介的な過去の話はどうしても避けられないにしても、江口さんの言うように“こわれ者の祭典”が彼らのリハビリの場でもあるならば、現在の彼らがどう感じ、どう生きて動いているかの話をもっと盛り込んでほしいと思うのだ。それだと毎回ごとの変化を期待できるから。リピーターとしてはそう願う。 DAIGOは福祉侍(羽田陽区のパロディ)の新ネタを披露。セックス・ボランティアのネタ。ネタの面白さはともかく(笑)セックス・ボランティアというあまり広く知られていない(オレもよく知らないが)事象を取り上げたことには大きな意味があると感じた。笑凱者だって無論性欲はあるわけで、例えばオレが自慰行為に及べない状態になりかつまたパートナーに恵まれてもいなかったら、『誰かにお願いできないかなぁ…』という気持ちになるだろう。いやそれは間違いなくなるっ(力説?:笑)。当事者のニーズという見地からすれば、存在することが望ましいものであることは言うまでもない。ただ、これはやはり“福祉”という言葉の持つ、いわれ無きクリーンなイメージから逃れることの難しさだと感じるのだが、『そこまでするべきなのか?』という意見が出てくることも容易に想像できる。仮にそれらのサービスが存在あるいは実現したとして、ボランティアとしてそれを利用する側、また行う側の心の問題もある。セックスという究極に個人的な領域にどう踏み込んでいくのかは、様々な試行錯誤があってしかるべきだ。結局のところ、是も非もまずは当事者の意思あるいは希望ありきの話ではある。そういう要求を気兼ねなく示し、語り合える時と場所作りが何より肝心だろうと思う。 大久保長男さんの映画、『亀の市』は、母親のコントロールから逃れられない男の声を奪って(斬って)、母親からの呪縛から解放するという、ナンセンスでブラックなラスト・シーンが印象に残った。声を奪われた男は、携帯にかかってくる母親からの電話に出ても話すことができない。『またひとつ、いいことをした』という亀の市の台詞はナンセンスだが、そうでもしないかぎり逃れることが難しい、血縁の負の呪縛を感じることができた。 年末スペシャルということで、メンバーほぼ総出演の今回は、全体的に平板な印象を受けた。何か核になる、新しい試みをひとつは盛り込んでほしいと願う次第だ。 …なんだか今回は辛口のコメントになってしまったが、これも今後も楽しんで参加させてもらいたいからこそのこと。こわれ者のメンバーの方たちには、多くの参加者のうちのひとりの意見として受けとめていただきたい。 公演が終わった後の、トークの時間に参加したかったのだが、物販の売り上げ金の計算があわなくて、いろいろ話してたら終わってしまっていた…。まいっか、次回もあるんだしな。
2005/12/18
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長岡市の長岡国際交流センターで催された、“外国人相談者養成講座”に、夢っくすメンバーとして参加した。 この日の講座には、主催者である長岡国際交流センターを含め8つの団体から15名の参加者で行われた。 夢っくすでは、特別に相談事業は行っていない。これは、国際大学の学生さんたちとの交流がメインであり、学生の相談窓口は大学内にあるからだ。夢っくすの活動は、地域住民との交流活動など、大学側では対応が難しい事業を、いわば補完するかたちで行っていると個人的には思っている。 相談、というほどのことではないが、病院での受診の際のアドバイスや、届いた日本語の郵便物の内容を教えてほしいといった、“頼まれごと”と呼ぶのがちょうどいいリクエストはけっこう頻繁に寄せられる。改まって相談するほどのことでもないことを頼まれるのは、普段から学生さんたちとの交流をはかり、気の置けない関係を築いているからで、これはやはり公的な教育機関ではどれほど期待できるものか?というようなもの。ボランティア…つまり“やる気のある人たちの集まり”でなければできないことで、そういうところにこそ、夢っくすの存在の大きな意義があると思うのだ。 さて、他の団体の方たちは、夢っくすとは違い、地域にお住まいの外国人の方たちを主な対象として国際交流を行っている団体もあり、各団体の自己紹介とともに、とても興味深いお話をたくさん聞くことができた。 上越市では、市役所が国際交流団体に外国人からの相談の受付を全面的に委託して行っているようだ。さらに、上越市の国際交流団体では、専門家とのネット・ワークを構築し、それぞれの相談内容にあわせた相談先への連絡や意思疎通のサポートを行っている。出入国や滞在期間の申請など、確かに外国人特有の手続きや、日本語の学習の面などでは外国人特有のものがいくつかあるにせよ、同じ土地で暮らす人として捉えれば、遭遇する問題は共通する部分の方が多いのかもしれない。これはつまり、日本人への相談体制がいかに整っているか?という問題と、さらに言語的なサポートがいかに充実しているか?というふたつの問題に整理できるということだと感じる。言語的なサポート=意思疎通の問題が解決されれば、後は制度的な相談窓口の設置状況などを充実させれば良い、ということになる。 寄せられる各々の相談に、専門家が対応するというアイディアは優れたものだと感じる。寄せられる相談の何もかもをひとつの団体の内部で行おうとすれば、負担が大きすぎて実現不可能になるだろうと思われるからだ。 興味深かったのは、同国出身者のコミュニティの中では、そのコミュのメンバー同士はお互いに相談者として頼ることがなかなかに難しいとの意見を聞いたことだった。気心が知れているからこそ、知られたくないという気持ちが働くもののようで、だからこそ第三者的なサポート体制の充実が望まれているのだろう。 講座の後半では、新潟市の事例を例に挙げてのケース・スタディの時間が持たれた。新潟市の団体、“新潟ヘルプの会”は、人権擁護の姿勢で様々な相談や支援の活動を行っている団体で、今回は主に外国から日本に嫁いできた、いわゆる外国人花嫁の方たちの事例を主に話していただいた。寄せられる相談への対応は、解決策をいかにして実現するか?ということにまで及び、また実際の支援活動も具体的に行っているものと感じられた。日本在住の外国人への支援だけでなく、女性の人権尊重についてのお話も興味深く、また対になるジェンダーとしての自分自身の在り方をも考えさせられる講座だった。 実は新潟ヘルプの会は、“こわれ者の祭典”とも縁があるようで、講演者の方と話していたら、『メンバーの人のひとりと知りあいですよ』と言われて、うれしい驚きを味わった。さまざまな場面で人との人との繋がりに自分自身が関わって、どんどん広がっていく今現在の様子はちょっと怖いくらいだ。 ともあれ、第一回の養成講座は、各団体ともお互いに意見を出しあいまた学びあって、実り多いものになったと思う。今後も続いていく予定だそうで、次回次々回もぜひ参加させていただきたいと思っている。 講座が終わってから、長岡市にあるフェア・トレード・ショップ“ら・なぷぅ”を訪問した。ケニア産の渋みの利いたコーヒーをご馳走になり、フェア・トレード・チョコレート¥250を買った。お話しして楽しいのは、お店の方がとても気さくだから。しばらくおしゃべりを楽しんでから、家への道を車で帰った。
2005/12/17
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この日19:00からの“ひきこもり・NEET体験発表会”は、35名の参加。関係資料を40部用意していったから、おおよそ見込みどおりの規模での開催となった。 ひきこもり時代の暮らしぶりと、当時の心の在り様をまず話した。 『ひきこもりは決して楽じゃない』 敢えてそのことを言葉にすることには意味があると思って、まずそのことを話した。言葉にしなければ、人の気持ちというのは無いに等しい扱いを受けることがあるのだ。『ひきこもりはつらい』と、声に出さなければ、その気持ちは無いことにされる。知らなかった、気付かなかったことにされてしまうのだ。判らないものを人は極端に怖れる。自分基準から外れたものを怖れるのは、人の心に備わった働きのひとつのようで。それはまた、自分の心や身の安全を守る機能でもあるのだろう。 無論、ひきこもり当時のオレに、そのことを声に出して言う勇気も気概も無かった。人からどう思われるか、どう受けとめられるかを極端に気にしていた時期だったから、否定されることが怖かったのだ。 今のオレは当時とは変わって、人からどう思われているか“わりと”気にしないでいられる。まったく気にしないわけにはいかないが、人からどう思われるかより、自分がどう思うかの方が常に大事だと思えるのだ。オレは声を大にして言いたい『ひきこもりは決して楽じゃない。ひきこもりはつらいんだ』と。 ひきこもりは単に社会問題なばかりではなく、当人が生きるために選んだ手段であるとも考えてほしい。それはとても拙い手段で、とても人に薦められるようなものではないけど。当時のオレはそれを選ぶしかなかったし、それは自分自身の弱さのせいであったと思う。その自分自身の弱さを心の底から認めることで、考え方や行動の仕方が変わっていった。無論それは、一本の電話をきっかけにして、家から出られるようになった後のことだったが。話しながら、あの一本の電話が無ければ、今もなおひきこもっているかもしれない自分を、強く感じた。 ひきこもりをやめた後のNEET時代は、自信と社会への帰属感、ありのままの自分で生きていていいのだという気持ちを養う時期だったのだと感じる。NEET時代のオレはほんとうにいいご身分で、自分が生きるための糧は、弟からもらいうけ、まったく自分がやりたいことだけをさせてもらっていた。職を求めることは今はまだできないと認め、ありあまる自分の時間を、自分自身が満足するためだけに使わせてもらっていた2年間だった。人と関わることで、受け入れられ認められる自分自身を感じるたびに、自分が必要としているものが判り、それが満たされている感覚を身を持って感じることができた。ほんとうに恵まれた、充実した期間だったと振り返って思う。 ひきこもりから、今年の4月に就職するまでの期間は、言ってみれば赤ん坊からのやり直しに近いものだった。『ただ、生きている』そのことを望まれているという感覚を養うことから始まり、徐々に力が備わっていくに従って、自分を試す時間が与えられ、失敗と成功を繰り返しながら成長しなおすことができたと感じる。そのために備えられたきっかけと時間と人との出会いに、感謝するしかない。 今回の“ひきこもり・NEET体験発表会”を催すにあたって、他の地区のひきこもりへの対応をネットで調べていたら、和歌山県の田辺市での3年間の取り組みに関しての書類をみつけることができた。官民一体となっての試行錯誤の繰り返しの記録は、読んでいてとても心強く感じたので、今回の発表会で紹介させてもらった。ひきこもりを他人事だと思わずに、たくさんの人々が対応を学びながら作り上げてきた組織やシステムが有効に働いていることを知ることで、励まされたのだ。 魚沼地域でも、そうした支援のシステム作りが望まれる。もちろん、当事者や家族のニーズに合った作られ方で。だから、当事者や家族の声が絶対に必要なのだ。住民からの強い要請が無ければ、行政は動き出さないものだから。今回は第一回目で、いわば試運転。後から聞いたのだが、ひきこもりの家族の方も来ていただいたようで、今回の発表会で何かを感じてもらえたのだろうか?参加者の方たちからいただいた多くの感想から、確かな手応えを感じることができた。 30分間設けた質問の時間も、目いっぱい使うことができた。いただいたご質問に答えることで、あらためて多くの気付きを与えられたし、より充実した発表会にすることができたと思う。熱心に頷きながら聴いてくれる参加者の皆さんから、絶えず勇気をいただきながら話すことができた。ほんとうに感謝である。 NPO法人・愛という、魚沼市でのフリー・スクールを企画運営している団体の方からも来ていただいて、フリー・スクールの運営にも関わってほしいという、とてもうれしいオファーを受けた。地元の新聞社から、今回の発表会だけでなくオレ個人のことを取材させてほしいという申し出も受けた。今後のひきこもり・NEET支援活動に対して、追い風となる出会いが数多く生まれた。 司会を務めていただいた市議の星野さん、黒岩秩子さん、遠くは新潟市から来てくださった内山さん。そして今回参加していただいた皆さんに、あらためて心からの感謝の気持ちを送りたい。 今回のことはオレひとりの力じゃできないこと。励まし力を与え支えてくれる多くの人がいてくれるからこそのこと。今までもこれからも、そういう人に支えられ助けられながら自分のやりたいことをやり遂げていく。そういう自分の弱さを誇りに思うし、弱い自分に感謝したいと心から思える所以である。 ※ひきこもり・NEET体験発表会にいらしていただいた方から画像を送ってもらったので、UPします。 和室でのリラックスした雰囲気と、真剣に耳を傾けてくださっている聴衆の皆さんの様子が伝わるだろうか?画像を送ってくれたえっちゃん、ありがとう!
2005/12/16
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火曜日は市の“心配事相談”の日。今はもうとりたてて相談するような心配ごとはあまり無いのだが、足掛け5年くらいお世話になった相談員の方に近況を報告しにたまに行く。 この日はY沢さんが相談員。Y沢さんは、オレが“心配ごと相談”を利用し始めた時から相談員を務めている方で、オレのことよく知っていてくれるからなんでも話しやすいのだ。他では言うのをためらわれるようなことも、この場所だったら言える。そういう場所があって、ほんとうに助かっている。 先客が居て、忙しいようならその日はやめにするし、おしゃべりしているときに他の方が相談に来たら、そこでやめて帰ることにしている。オレのは心配事相談というよりも、お茶のみ話でストレス発散…のようなものだから。いつでもいいのだ。 考えていること、感じていること、胸の内に溜め込まないで言葉にして表すことで、心はすごく軽くなるものだ。オレの場合、なんでもかんでも話さずにはいられない…というか、話して聞いてもらうことでパワーを与えてもらっているような気がする。 心配事相談の会場であるボランティア・センターを後にして、南魚沼市のパン屋兼Cafe、“ワンネス”を訪問。太極拳の老師(整体師をしている)と、Tさんに会いおしゃべりした。Tさんはワンネスで売っているパンに、惚れこんでいる。『このパンは…。あのパンは…』と説明してくれる様子から、そのことが伝わってくる。パンの話をしているとき、Tさんはとても楽しそうなのだ。 前日に頼んでおいた眼鏡を取りに地元に引き返さなければならなかったので、1時間ほどで帰ってきた。 眼鏡を受け取り支払いをして、夢っくすへ行き、サロンでの時間を過ごした後、家に帰った。
2005/12/13
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運転免許の更新が近いので眼鏡が必要になり、壊れてしまった古い眼鏡を直してもらおうと眼鏡屋に行った。 10年前に作った眼鏡はフレームがでかく、その上レンズがぶ厚い今風ではないヤツで。『新しく作った方がいいですよ』と(向こうも商売だからね)言われたものの、安く上がる方がいいので『どうしようかなぁ…』とかなり粘ったのだが。 『とりあえず視力を測ってみましょう』と言われたので、そうすることに。以前眼鏡を作った同じ店だったので、その時のカルテ様のものを眺めながら、眼鏡屋さんが視力を測っていく。例のあの、Cの字の開いている向きを答えていくヤツで。それが、どうにも眼鏡屋さんの様子が訝(いぶか)し気なのであった。 『コンタクトとか、してませんよねぇ?』と訊かれ、『いいえ』と答えた。一体どうしたものか尋ねたら、どうやら10年前当時0.5だった右目の視力が、1.0に回復しているとのことなのだ。左目も右目ほどではないが、近視の程度は下がっているとのことだった。ちなみに左目の視力は0.1程度なのだが。いわゆる“がちゃ目”というヤツだ。右目の視力だけがずば抜けて良くなったので、視力全体は向上したのだが、がちゃ目の度合い(左右の視力の違い)はUPしたという、なんだか喜んでいいんだかどうだかわからない結果になった。眼鏡を掛けていないと、普段左目はほとんど使ってない(というか使えない)と思う。 んでまぁ、視力も違ってきているので、新しいのを作った方がいいかなぁ?と。作りました。今風のフレームの細めのヤツ。前の眼鏡を掛けた自分の顔が気に入らず、人に見られたくないので、人前ではめったに眼鏡を掛けなかったのだが。今回のヤツはそうでもない。まぁ、眼鏡掛けようが掛けまいが、人さまに自慢できるほどの顔の造作をしている自信はまったく無いが、それでも自分が気に入るに越したことは無い、ということで。それに驚くほど、軽いんだね!最近の眼鏡って。フレームを選ぶのも、今回はイメ・チェンとして楽しむことができた。ずらっと並べられた中から、丸い縁のヤツを選んだ。 新しい眼鏡は、レンズ・フレームあわせて1万円でお釣りがきた。これは安い!おしゃれとか機能性とか、こだわればもっと高くつくんだろうけど、はっきりとものが見られれば、それでいいのである。
2005/12/12
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今日観てきた劇団ゆきぐにの演劇“エリカ迷宮(ラビリンス)”の感想を。 とっても、良かったです。 まぁ、合計2時間40分の公演は長くて少し冗長に感じたものの、体感では2時間程に感じられたのは、話の内容の濃さと、観客の興味を持続させるお話作り、芝居作りの成果であろう。話の流れで重要でない部分を割愛したりテンポを早くするなどで、公演時間はもっと短くできるのではないか。もう少し短めの上演時間の方がすっきりとして良いと思われる。あと、ミュージカルでありながら、歌っている歌声が効果的に聞こえてこなかった。マイクを通してあるいは録音の歌声または台詞では、声量を抑え目にしなければならないものか?声量だけでなく、聞こえてくる声がステージから届いてこないと、せっかくの芝居のライブ感が損なわれる気がして、ちょっと残念だった。 “オズの魔法使い”を下敷きにして、現代の中学生(高校生?)が“オズ”の世界に行き、その世界を救うためにいろいろな登場人物たちと協力して冒険していくという物語。“オズの魔法使い”で思い浮かべるのは、主人公ドロシーと、臆病なライオン、脳無しのかかし、そして心の無いブリキの木こりの面々と、『結局自分の生まれた場所がいち番なのだ』というメッセージか。“エリカ迷宮”では、これらのモチーフを一歩進め、心の居場所あるいは拠り所を何処に求めるか?それに自己再帰的・肯定的なメッセージを載せていると感じた。 衣装や小道具、舞台装置などは、ファンタジーらしい非日常的な意匠がこらされており、目で見て楽しめるサービス精神が感じられる。水色のワン・ピースにフリフリのエプロンといういでたちの主人公、エリカが歌って踊るシーンは、オレの少女趣味を充分に満足させてくれるものだったし。その他関西弁の魔王や、その手下の心やさしい妖精、南の国を追われた魔女グリンダなどなど、ひとりひとりの個性を生かしたキャスティング。25名からなる劇団員すべてに、各々のキャラクターを持たせる演出はかなり難しいものだったに違いないと思う。特にライオン、かかし、ブリキの木こりを思わせるキャラがそれぞれ2名ずつ出演するのだが、それらのキャラが決してかぶっていないことは特筆すべきことだと感じる。 舞台を見続けて、好きになれるキャラクターがたくさん居たことが印象的だった。主人公エリカは、何処にでもいるような少女としてとても自然な演技で、喜怒哀楽の心情がとても素直に伝わってきた。妖精トトは、心やさしくエリカを気遣いいたわる雰囲気がよく出ていて好演だった。関西弁の魔王ジャックは、魔王らしく粗暴で尊大でありながら実は自らの国の民とオズの世界をたいせつに思う気持ちのが見え隠れが楽しめたし、南の魔女グリンダ役の女優さんは2役で、現実世界の保健室の校医さん役共々、活き活きと演じて舞台を引っ張る役目をしていたと思う。脳無しかかしを思わせるキャラクター・イワノフは、頭のあったかい感じと、それ故の無防備な笑顔が常にステージ上にあった。25名からなる役者それぞれに、きちんとした役割が与えられており、それ故どのキャラクターも必要と思わせる話の内容は脚本家の勝利と言ってよいと思う。 “オズの魔法使い”は、臆病なライオン、脳無しかかし、心の無いブリキの木こりのそれぞれが、ありのままの自分自身の在り方に悩み、ドロシーと一緒に旅をする中で、自ら願い求めていたものを獲得するというお話しでもあるのだが、自分の生まれ故郷に帰りたいというドロシーの願いが暗示するところは、結局のところありのままの自分自身がいち番なのだ、と言う風にも受け取れるのではないだろうか。ライオン、かかし、ブリキの木こりが手に入れた勇気、智恵そして心は、はじめからそれぞれに備わっていたものであったのかもしれない。自らの願い求める気持ちとそれに従って起こした行動が、備わっている潜在的なそれらの力を、自らが実感できるかたちとして現してくれるのだと思われてならない。 これは、この演劇を演じたすべての役者さんたち、ひいては先日公演を終えたばかりの我々魚沼一座の面々にもあてはまることだろう。試してみること、そして一歩を踏み出すことが、大きく豊かに結実するのだという場面に立ちあわせてもらった。ほんとうに感謝である。 『またぜひ観たいです』とアンケート用紙に記入して提出した後、観客の見送りをする役者さんたちに挨拶した。特に印象に残った役者さんには、それぞれに感想を伝えた。エリカ役の女の子の頬を伝っていた涙に、こちらもつられて泣いちゃうところだったよ。 朝から降り止まぬ雪道を車で家路を辿りながら、心の中はとても“いいもの”でいっぱいになっていた。『素敵な芝居をありがとう』と、今回の芝居を提供してくれた劇団の皆さんに、この場であらためてそう言いたいのだ。
2005/12/11
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読み聞かせの会のミーティングが終わってから、隣の南魚沼市の駅前にある、フェア・トレード・ショップ“HOMURA”を訪ねた。この日はフェア・トレードのPRイベントの日。 午後5時前には着いて、langcoachさんとそのお知り合いの方たちとの親交を深める時間を持つことができた。 この日は長岡市のフェア・トレード・ショップ“ら・なぷぅ”の方が来ていて、ヘンプ・ストラップ作りを教えていただいた。ヘンプ(HEMP)とは、どうやら何かの植物の繊維と、それを紡いだ紐状のものを指してそう呼ぶらしい。手芸やアクセサリ作りの材料として使われているようだ。 百聞は一見にしかず…というわけで、以下に画像をUPしようと思う。クリスマス・リースの色をイメージして、緑と赤のヘンプを選んだ。これを、紐を結ぶように編んでいくワンポイントのビーズをつけたところ。半分くらい編みあがっている 上が完成品。白いのは“どこでもいっしょ”のキャラクタートロで、ゲーセンの景品として手に入れたもののいち部を取り付けた。少し根気を要するものの、作る作業自体は簡単だった。 来年2月に催される、魚沼市雪合戦大会のチラシと応募用紙を持っていったら、ALTの方が非常に興味を示してくれて、よかった。あの様子だと、魚沼近隣のALTチームの参加は間違いなさそうだ。 いただいたカレーもコーヒーもとても美味しくて。HOMURAでは、いつも楽しい時間を過ごさせてもらっている。langcoachさんと皆さんに、感謝なのである。
2005/12/10
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毎月恒例の読み聞かせの会、“とんとんお話しのへや”に参加してきました。 今月のオレの役回りは、“遊びの時間”のクリスマス工作を担当すること。 何にしようか考えた末、クリスマス・カード作りをすることにした。キッズ@niftyの“作る・楽しむ”のコーナーから、クリスマス・カードのファイルをダウン・ロードして、プリント・アウトしたものを切り抜いて、貼り付けて作る飛び出すクリスマス・カード。ふたつ折りにされたカードを開くと、トナカイの引くそりに乗ったサンタが立体的に飛び出してくる、というもの。 絵本や紙芝居の読み聞かせが終わった後、子供たちとお父さん、お母さんと一緒に材料をハサミで切り抜いて、のりでくつけて作った。小さな子供たちも、意外にハサミの使い方が上手でびっくり!切り取った紙が多少曲がっていても、気にしない。きっちり切らないほうが、手づくり感が出てむしろいいのだ。 できあがったカードはどれも皆同じもの。でもそれに、カードを渡すメッセージを書いてもらったら、皆のカードはそれぞれが世界にいち枚しかないものになった。まだ字が書けない小さい子は、思い思いにカラフルな絵を描いていたりして。『誰に渡すの?』と訊くと、『○○ちゃん』と、友だちの名前を挙げる子がいたり、お父さん、お母さん…そしてサンタさんなどなど。様々な答えが返ってくる。 用意した台紙が余ったので、子供を連れて来ていた親御さんたちに配ったら、ちょうど良かった。この日は何故かお父さんが3人も来ていて、“とんとん”唯一の男性メンバーのオレとしては、うれしいことだった。 来月は司会を務めることに。先月は劇団の稽古で参加できず、今回は工作で来月は司会と、絵本や紙芝居を読むことができないのがちょっと残念。他のメンバーさんのローテーションもあるので、しようがないのだが。でもまぁ、来年3月に読む絵本あるいは紙芝居を、今から準備しておくのもいいかもね。今回も、楽しい時間を過ごさせてもらった。
2005/12/10
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今の職場での仕事は、2つの現場を午前と午後で移動するのだが。昼休みを終えて、次の現場に向かって車に乗り込もうとしたら、足元に意外なモノが…。 雉(きじ)…?いやいや、後から猟師(!)の人に聞いたら、どうやら山鳥(やまどり)だとのこと。車の運転席側の前輪タイヤの脇に横たわっていた。ピクリとも動かない、どうやら死んでいるようだ。 まぁ職場は山の中だから、こういう生き物がいても不思議ではないのだが。何故敷地内に駐車されていた車の脇に…?という疑問は残る。外傷は見受けられず、屍骸はきれいなものだった。そのままにしておくわけにもいかないので、職場の近くの林の中に置いた。触ってみると、まだ暖かさが残っているように感じた。いずれ時が経てば腐敗して、自然に帰ることだろう。後日降った大雪の下で、今でもそのままに保存されていると思う。 田舎の山の中だから、職場近くではヘビや野ねずみ、野鳥やカエルその他の生物を多々眺めることができるのだが、今回はさすがに驚いた。 田舎ならではのできごとではある。
2005/12/09
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この日は19:30から文化会館で、魚沼一座の来年度公演の予定等を話しあうミーティングが持たれた。話し合いの内容は、最重要機密に類することなので、ここには書けないのだが(笑)。 この話しあいで、自分が“魚沼一座”から何を与えてもらったのか?を考える良い機会を与えられた。 思えば文化会館の照明ボランティアに申し込んだとき、魚沼一座のパンフレットを館内でみつけ、少しだけ興味を持ったのが始まりだった。あの頃オレはNEETで、自分に与えられた時間をいかに有効に使うか、常にアンテナを広げっぱなしだったから、地元の演劇集団“魚沼一座”の存在と、いずれ参加したいという思いは、なんとなくいつまでも胸の内に残っていたのだった。 今年春ごろ、団員募集を兼ねたワーク・ショップが催され、参加した。その直前に横浜のデフ・パペット・シアターの方を招いての身体表現のワーク・ショップに強く心動かされたので、演劇に対する興味が募っていた時期でもあった。 始めて魚沼一座のワーク・ショップに参加したとき、誰が古参の団員なのか判らなかった。だいぶ後になって、連続して参加している役者さんたちが誰かは判ったのだが。今回の雪壁にしても、参加者の大半は初参加の人間で。ほとんど毎年の定期公演も、そのたびに団員を募集しての公演が続いていたようだ。そのことは、稽古を繰り返すうちに段々と判ってきたこと。 初参加のオレなんかは、ワーク・ショップでもカルチャー・ショックの連続で。ステージの上で臆することなく芝居を演じるために、心をオープンにするための(たぶんな)稽古では、普段の自分から遠く離れた無茶なことをいろいろとやらされた。壁に向かって、あたかも誰かが存在するように話しかけ会話する、とか。今思えばあれは、演劇をする上で必要な、イマジネーション力を養うための稽古でもあったのだろうか?あと、気恥ずかしさをなるべく捨てる訓練か…。 複数の他の人たちと芝居を演じる上で、全体を把握し、自分の役割を過不足無く演じるために、稽古場をぐるぐると歩き回りながら、突然にお題を言われて、その情景を皆で作り上げる…というような稽古もあった。『夏の浜辺っ!』と号令がかかると、甲羅干しをする人、スイカ割りをする人、スイカ割りのスイカの役などなど、その場その場に見合った役柄を、言葉を交わすことなく判断して作り上げる練習。素人集団のオレたちに、演出家の小口さんは『芝居はひとりでするものではない』ということを叩きこんでくれた。『相手からパワーを受け取ってください』と、再三再四言われたのも、人と人との係わり合いや感情のぶつかり合い、あるいはすれ違いなどの関係性が、舞台での芝居の真実性として現れるからなのだと、オレなりに解釈しているのだが。 魚沼一座の稽古場は、オレにとって他では得られない満足感を与えてくれる『居場所』として機能してくれた。用意された脚本を演じるためには団員が少なくて、知識や経験や能力を問われずに、ただ参加する意思があるというそれだけで、皆が必要とされていた。余裕の無い状況が結束を深め、また子役の付き添いで来ていたお母さんたち何人かを、役者あるいは裏方さんに引っ張りこむという、かなり無茶なこともしなければならなかった。結果としてそれは、誰ひとり欠けても成立しない“一座”としての繋がりを生み出し、座員全員が心をひとつにすることに繋がったのだと思う。 芝居を通じてオレは、人間ひとりひとりにそれぞれの思惑があり、またひとりひとりに行動の理由とか目的とか意志があること。そして、思い思いに動きあるいは流されることによって、世の中のいろいろな仕組みや場面が動いていることを強く感じた。舞台の上はときに感情のぶつかりあう闘いの場であり、また力を合わせてひとつのことを成し遂げる、協調の場でもあった。役柄の思惑のぶつかりあい、そして演じている役者の気持ちのぶつかりあい。日常生活ではなかなか得られないそれらの場面を、芝居を演じると言うひとつの目的を持ちながら、多くの役者さんたちと経験できたことは、単に演劇に参加したということ以上のものをオレにもたらしてくれた。 何よりも今まで知らなかった新しい自分を試せたこと。毎回稽古場では、はりきって稽古した。『出来ない』ということが、とても楽しめることだという気付きを新たにしてもらえた。稽古でダメ出しをくらう時いつも、『よーし、次はこうやってやろう』と闘志を燃やすことができたのは、自分に何かが求められているという意識を、心地よく感じることができたから。『他に代わりはいないのだ』と、自分自身そう信じることができたからだと思う。 稽古も本公演も、うまくいったこともそうでないことも、全部が楽しかった。今思い出すと、今年の公演はいろいろな意味で奇跡のようなものだったと思う。魚沼一座に巡り会えた幸運をよろこぶと同時に、それを可能にした自分自身のほんのささやかな意志・やってみたい気持ちを誇りに思い、祝福したいと思えるのだ。
2005/12/07
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この日の劇団UNDISCOVEREDの稽古は、柔軟体操と太極拳。団員のひとりに整体師の人がいて、その人に太極拳の基礎の基礎を教わった。これは役者として必要不可欠な要素、自らの身体を自在に操るということを身につけると同時に、劇団主催(なのかな?)の太極拳教室を週一で催して、劇団運営の資金にするという一石二鳥のプランらしい。 柔軟体操では、何故かひたすら股関節を伸ばした。こんなに長時間、集中して股を開いたのは久しぶりだぜ(笑)。いや、かつてないかも?ストレッチしながら、身体が悲鳴をあげているのを感じた。判っていることだが、徹底的に運動不足なんだな。 中国伝来のものだから、教えてくれる人は先生ではなく“老師”と呼ばれる。基礎の基礎を教わる前に、老師によるデモンストレーションを見せてもらった。本格的に教わっただけあって、身体の隅々まで神経がゆきとどいているその動きは、見ていてとても快く感じた。なるほど、ボディ・コントロールを練習するにはうってつけだ。 デモンストレーションの後で、右足に体重移動→足を開いて→中心に体重移動→両手を上げ下げ…までを、姿勢や身体の動かし方などを指導されながら繰り返し繰り返し教わった。同時に行う調息法もあるようなのだが、初歩の初歩なので、今回それは無しらしかった。 両足を平行に、つま先を前に向けて足を開く。身体の重心を、自分の思いのままに移動する。など、意識的に行おうとしてもなかなかうまくいかない。視線は常に前方に向けて、と言われているので、目で見て確認することはできない。自分がいかに普段、身体の動きに気を使っていないかが、今回の体験でよく判った。 来春の公演に向けてのミーティングが持たれた後、21:00に解散。柔軟と、ほんの少し身体を動かしただけだったが、普段使わない筋肉を使い、意識的に身体を動かすというだけでかなり疲れた。それはまぁ、心地よい疲労感だったのだが。
2005/12/06
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火曜は仕事休みの日。やるべきことはたくさんあるが、どうもやる気が出ない。割と朝早く目が覚めたが二度寝したりして、結局正午ごろから動き出した。 まったく何にもやる気がでない状況。胸の内は虚ろで、どうにも気分がすぐれない。『まぁ、こんな日もあるさ』と、考えてみる。この日にやらなければならないことは、夕方の日本語教室で使う教材をwordで作ること。前日にある程度準備してあったから、プリント・アウトする体裁を整えるだけでいいし。わりと簡単な作業だったのだが、始めてみたら『ああした方がいいかな?』『こうした方がいいかな?』が出てきて、結構時間がかかった。時間をかけただけ満足できる仕上がりになったのは、『今日はこの一事だけ』と決めたのが良かったのかもしれないな。 クラスに参加する人数分のプリント・アウトを終えて、時計を見たら17:00近くだった。出かける準備を整えて、車で国際大学へ向かった。途中文化会館に寄り、魚沼一座“雪壁”の画像のいくつかをCDに焼いてもらってもらってきた。これは後日予定している“ひきこもり・NEET体験発表会”で使うつもり。 期末試験の真っ最中だったので、日本語クラスに学生さんたちが現れるか心配していたのだが、この日はふたりの学生さんが出席してくれた。その他に、学生さんの奥さんのTさんも見学に来てくれた。日本語クラスは今回を含めあと2回。この日は“ま・み・む・め・も”と“や・ゆ・よ”の読み書きと、“おおきい”、“ちいさい”などの形容詞について勉強した。 用意した教材の用紙に従って授業を進めるのだが、いかに脱線させるかを常に考えている。読み書き用の練習単語のひとつとして、この日は“ゆめ”を採用したのだが、その際に学生さんたちの夢は何かを訊いてみた。 Tさんは会社経営をしてみたいという答え。ザンビア出身のmさんは、Central bank governor…中央銀行の役人?いや頭取です、たぶん。マラウィ出身のMさんは、なんとPrime minister!将来の首相候補だ。その高い志に感銘を受け、Mさん、mさん、Tさんそれぞれに握手を求めた。将来有望なコネクションができてよかった(笑)。この時には、夢っくす会員のSさんがサロンに来ていて、Sさんは東南アジアでボランティアとして働きたいと語ってくれた。学生さんから、"What about you?"の質問に、教材の用紙に描かれたイラストを指し示して答えた。それがこれ↓ 経験のまったく無い新米講師で、文法の説明などは不十分な部分も多い。教え方授業の進め方などにもまだまだ改善の余地がたくさんあるのだが。学生さんが楽しめるようにと、サービス精神だけは忘れないように努めているつもりだ。笑いの絶えない教室にして、日本語を学ぶこと…日本人と接することは面白いと思ってもらえたら大成功だと思っている。その点では、今までの約10回のクラスを通して自信を与えられた。 不思議なもので、こうして自分に何らかの役割が与えられている場合は、虚しい気持ち・鬱っぽさなど何処へやら。すっかり忘れたかのように楽しく過ごすことができる。 メンタル的に不調なままに、あれやこれやと忙しく動き回っているオレに『大丈夫?無理しないでね』と心配して声をかけてくれる人が大勢いて、たいへんありがたいことだと思う。だが、むしろ不調だから人との関わりを求めているんじゃないかな?って思うのだ。自分の必要としているものが判っていて、こんな風にそれを満たす術が与えられているのはほんとうに幸運だと感じる。 19:00に日本語クラスを終え、劇団UNDISCOVEREDの稽古に向かった。稽古場に向かう車の中で、この日のクラスの様子を思い返して、うれしい気持ちでいっぱいの自分を感じた。胸にぽっかりと空いた穴は、いずれそれが、心から求めている何かで満たされるために与えられるのだと、そういう気持ちを改めて強く感じた。
2005/12/06
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今月16日に行う、“ひきこもり・NEET体験発表”に備えて、ひきこもっていた当時を振り返って書いてみたいと思う。当日どんな話をするか、まだ決めてないのだ。 ひきこもり当時の暮らしぶりをそのまま書くのなら、 明け方、日が昇る時間に就寝。昼夜逆転の生活を送っていた。自分なりに考えるに、昼間人々が表で活動している時間帯には、起きているのがつらかったのだと思う。皆が寝静まった夜間に、ひっそりと時間を過ごすことが、あの頃の自分にはすごく相応しいことと思えたのだ。目が覚めるのは、午後2時から3時くらいだった。ありがたいことに、睡眠は充分に取れていた。 ひきこもり当初は、家にある食料を物色して食事を済ませた。弟がカップ麺を3ケースほど買い置きしてくれていて、腹が減るとそれを食べてた時期もあった。パンとかおにぎりが置いてあることもあった。ひきこもり時期が長くなるにつれ、弟からお金をもらい、それで食料を買って自炊して食べていた。買い物にはでかけることはできたものの、なるべく外出したくないから、いち度にまとめ買いで大量の食料を買って帰ってきた。ちなみにこの頃の移動手段は自転車か徒歩だった。 散髪に行かないから髪は伸び放題で、結局肩甲骨の下側に達するくらいまで伸ばした。ひきこもりをやめてNEET生活になってからも、なかなか切る気にならずに(つか、散髪代がもったいなくて)、半年くらい伸ばし続けていたっけ。 東京から親戚の叔母さんが来て、食事や家事をしてくれることがあり、その時はうれしかったなぁ。1万円とか、まとまったお金を小遣い(この歳で小遣いでもないだろうが)としてもらったりして。普段食べないご馳走を作ってくれたりして、叔母さんがくると、それなりにわくわくする気持ちを味わえたものだ。 ひきこもっていた頃、自分がいったいどんなことをして過ごしていたのかを思い出すことは難しい。おぼえているのは、昔読んだ本を読み返したこと、プレステのゲームで延々と時間を潰していたこと、くらいか。あの頃はPCも、だから無論ネットも使っていなかったから、外界との接触はほんとうに最小限だったと言える。TVも観なかったしな。 メンタル的には、どうだっただろうか?今思い出せるのは、ものすごく徹底的にあきらめていた自分。表にでること、人と会う(というか遭う)こと。ましてや求職・就職活動をすること、その後に待っている職場での自分というものを考える時、すでに前提として“無理無理”と思い、考えないようにしていた自分だった。『このままでいいのか?』という自分自身からの問いかけは、決して心から追いやることはできなかったのだが。とにかく『無理』の二文字が、常に心の内にあって、あきらめることを促していた。と言うかもう習い性みたいになってたんだな。そうすることで、自分の心に必要な何かを養っていたのだろうか?これは自分自身でも判らないこと。でもあの時間は、自分には必要だったのだと、今ではそう考えることができる。 家から出ないのだから、版で押したようないち日が、一昨日も昨日も今日も、そしてまた明日も明後日も続いていくだろう変化の無い毎日…。今考えると信じられないようなことだが、オレは確かにそのようであった。そして、そのことを隠したいとも思わない。 ひきこもりをやめて家からでるきっかけを与えてくれたのは、一本の電話だった。統合失調症で社会生活が思うままにならないH・Sさんからの、一本の電話。それによって地域生活支援センターという場所を紹介してもらい、そこからオレの生活は徐々に変わり始めた。今思えば、H・Sさんから連絡をもらえたことは、ほんとうに幸運だった。家から出るきっかけを与えられたことは言うまでも無く、同じく生きづらさを抱える人からの言葉だったからこそ、素直に受け入れることができたのだと思う。 NEET生活を始めて半年後からの暮らしぶりが、このブログには書いてある。ブログでもオフでの生活でも、たくさんのうれしい気持ちと出会いを与えられたこと。弱くダメな自分自身を受け入れ認め好きになれたこと。すべてがあの一本の電話から始まった。H・Sさんに、ほんとうに感謝なのである。
2005/12/05
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12時から夢っくすの“ベトナム文化講座”が催された。シーターの“日本語交流ネット”を終えてから、夢っくす会員のTACHIさんを迎えに行き、そのまま会場へ向かった。着いたのは12時半くらいで、まだ始まっていなかった。 シーター・夢っくす双方の会員のえっちゃんとSさんも参加した。 まずは、ベトナム料理の昼食の時間から。学生さん手づくりの春巻き と、ブンと呼ばれる米粉麺(フォーとは似て非なるものらしい)。ブンには、筍とよーく煮込んだ牛肉が入っていた。料理の下ごしらえは、昨晩の午前3時までかかったという。春巻き以外は食べるのに夢中で写真を撮っておかなかったことが悔やまれる。その他に里芋を使ったデザートもいただいた。どれも皆美味しかった。 料理でお腹が満足すると、学生さんたちによるパフォーマンスの時間になった。女性の留学生さんたちが色鮮やかなアオザイに身を包み、民族舞踊を披露してくれた。 次にパワー・ポイントを使ったスライド・ショーによる、ベトナムの紹介の時間が持たれた。南国の歴史あふれる雰囲気を伝える画像と共に、日本語に堪能なHさんともうひとりの学生さんが、スライドの説明をしてくれた。縦に長ーい国、ベトナム。北と南では、かなり文化の違いがあるようだ。壮麗な宮殿やかつての王族が祀られている廟(あるいは亀の家:笑)、湖の畔の風景など。風光明媚な写真を見ていると、行ってみたい気持ちが募る。ユーモアを交えた説明に、会場に笑い声が起こる和やかな雰囲気の中で文化紹介が行われた。 簡単なベトナム語を習う時間では、『こんにちは』『わたしは…です』(自己紹介)『…出身です』『よろしくお願いします』の言葉を練習した。日本人の参加者の中から希望者が前に出て、ベトナム語に挑戦するコーナーが設けられ、志願して他のふたりの参加者の方たちと、発音を競いあうことに。審査員はもちろん、ベトナムの学生さんたち。日本人参加者の発音が良いと思ったら挙手をして、その数で順番を競う、というもの。 他のふたりのうちひとりは、よく知っているつよポンだったのだが、もうひとりの方は長野県から来ていただいたらしい。どういうツテなのか判らないが、ありがたいことだ。 さて、3人の参加者が一様にベトナム語で自己紹介を終えてから、いよいよ判定の時間。11対10対10で、つよポンが優勝。オレともうひとりの方は10対10で同時に2位だったのだが、レディ・ファーストということで(つか、この場合はセカンドか)、オレが3位になった。参加者には、紙で作られたアヒルとペンギンの可愛らしい人形が賞品として与えられた。 上のがオレがもらったアヒルの紙人形です。 たいへん興味深く聴かせてもらったのは、男女それぞれ5,6人のグループでア・カペラで歌を歌いながらのグループ交際の習慣。その歌は“クゥアン・ホ”と呼ばれるのだそうである。音を介さない生の声では言えないような恋愛にまつわる感情を、男女それぞれが歌い交わし、交際相手を見つける…というものらしい。中国のいち部地域にも、同じような習慣があったのではなかったかなぁ?ともすると集団お見合いのようにも思えるが、これは結婚相手をみつけるためではないのだそうで。こうした歌を介した交際を経たカップルは、結婚はしないのだそうだ。そういう決まりらしい。 恋愛に関しては、照れてなかなか本音が言えない日本人のメンタリティと、相通じるものがあるのかもしれない。『最近の若者はそうでもないよ』と仰る向きもあろうが、今の若者の告白の手段は主にメールだそうではないか。『歌でなら…』『メールでなら…』言えるということ。ほとんど同じことだと思う。 この日の文化講座は内容盛りだくさんで、その後でベトナムに関しての○×クイズの時間が持たれた。期末試験前だというのに、これだけの準備はさぞたいへんだっただろう。学生さんたちの意欲に、頭が下がる思いがする。出題されたクイズの中から、いくつか紹介しよう。 1.ベトナムは日本より面積が大きい。 2.ベトナムは漢字で書くと“越南”である。 3.ベトナムで男性が着る衣装の名前は“アオザイ”である。 学生さんを除く(実は学生さんたちも参加したのだが、わざと間違えたりしてた)全員で参加して、間違った人は回答権を失う仕組み。1.の質問で半数が脱落、2.の質問でもかなりの不正解者が出た。『ベトナムには雪は降らない』という問題では、北のいち部の地域には雪が降るそうなのだが、正解は○になっていて、ノー・カウントになったりした。 ちなみに正解は… 1.× 2.○ 3.○ でした。 回答者が用意された賞品の数だけになったら終了の予定だったらしく、3.の問題で全員が不正解した時点で、賞品の数よりひとり多い状態で。『ジャンケンで決めよう』という声もあったのだが、子供たち優先でいこうということになり、まずはふたりの子供たちがベトナム式の木製の蝶やトンボの形をしているやじろべえを手に入れた。この時点でオレもまだ残っていたので、『先程のベトナム語学習の際にもう賞品をいただいているから』と辞退して、クイズの時間は終了。あてずっぽうでも、かなりのところまでいけるものだなぁ。3.の問題に関しては、色鮮やかな女性の衣装には皆興味を示しており、それらがアオザイと呼ばれるということは知っていたのだが、男性の衣装もまたアオザイと呼ばれるのだということは誰も知らなかった。わざわざ『男性が』と断っている部分が怪しいではないか。そういうなんだかひっかけっぽい問題だった。『日本の着物と一緒ですよ』と学生さんのひとりが説明してくれて納得。 たくさんの工夫が凝らされた“ベトナム文化講座”。最後は今回の文化講座を企画・運営してくれた学生さんたちが勢ぞろいでご挨拶。 参加者が皆、拍手で感謝の意を伝えた。 最後に、いつも親しくさせてもらっているベトナムからの留学生Haさんとの記念写真を。 ほんとはアオザイを着ている姿で記念写真したものをUPしたかったのだが、そちらは写りが悪いのだ。日本での滞在暦が長いHaさんは日本語が堪能で、よくおしゃべりしてくれる気の置けない学生さんだ。Haさんをはじめ、今回のイベントを用意してくれた学生さんたち皆に感謝したい。
2005/12/04
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午前中、NPO法人シーターの、“日本語交流ネット”に参加してきました。 “日本語交流ネット”は、主に外国人花嫁向けの日本語教育が目的の活動だが、実はシーターの活動はそれだけではない。 知的笑凱者の支援等々の活動もやっているのだ。会員証には『子供たちの自然な居場所を創ろう』と『誰もが身の上に心配ないような生き方をしよう』と書き添えられている。そこで、16日に予定しているオレの“ひきこもり・NEET体験発表”にも参加・ご協力願えないかと、案内チラシを持って行き、会長のIさんと会員のSさん、えっちゃんに配った。皆さん1枚だけでなく、もっと頂戴と言ってくださって、うれしかった。 さて、朝はまだ雪が降っていたので、参加者数が少ないのではと危ぶまれたのだが、それでも9人の方たちに参加していただいた。中国出身のK子さん、インドネシア出身のEさんと一緒に、日本語を勉強した。 日本語交流ネットの時は、何にも用意していかないので、これからは何か教材を用意していこうと思う。今日はえっちゃんからもらった日本語検定3級の練習問題をおふたりと一緒にやった。日本語検定って、かなり生活に密着した内容なんだなぁ、と感心。K子さんは漢字の国、中国出身だから、日本の漢字で大意は読み取れるのだが、インドネシア出身のEさんはそうではない。が、そうではないにも関わらず、Eさんの漢字を含めた日本語の習熟には驚かされた。日本で、例えば入国などの手続きで使われる言葉を、インドネシア語と英語と、読み仮名をローマ字で書かれたノートを見せてもらった。生まれ育った故郷の国を離れ、異国の地で暮らすということには、それだけの努力と覚悟がいるのだなぁ…と実感した。 おふたりの日本語学習への意欲に直に触れさせてもらって、とても“いいもの”を与えられた。おふたりとも検定3級の問題をすいすい…とはいかなかったが、間違いから多くを学んでもらえたらいいと思いながら一緒に勉強させてもらった。 先日の講演会をきっかけに、再び日本語交流ネットに参加することにしたという中国出身のM子さん。日本語クラスが終わった後で雑談をしていた時に、オレが独身だという話になり、妹さんを紹介したいと言われた。ありがたいことである。 この日は午後から夢っくす主催の“ベトナム文化講座”が行われる予定だったので、後片付けをしてから、あわただしく会場を後にした。
2005/12/04
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仕事を終えてから、市会議員さんのところを訪問し、“ひきこもり・NEET体験発表会”のことで打ち合わせをした。件の会の司会をお願いするのだ。案内チラシ18枚をお渡しして、配布していただくようお願いしてきた。 事務用品店に行き12月の読み聞かせ会のクリスマス工作用の厚紙を購入して、文化会館へ。今回は、飛び出すクリスマス・カード作りをするつもり。 文化会館の館長さんに、魚沼一座の公演の写真をいただけるよう頼もうと思ったがあいにく不在で。翌日会うアポを取ってから、夢っくすへ。 ギターを習いにくる学生さんが来れば…と思っていたが、誰も来なかった。試験前でそれどころではないのだろう。学内を歩く学生さんたちの足取りは、皆一様にせわしなく感じた。 夜サロンでは、モンゴル出身の学生さんの奥さんが4才の娘さんを連れて来てくれた。誰も来なければ、サロンを閉めて帰ろうと思っていたのだが。何にでも興味津々の、話し好きな方だった。うれしい訪問だった。 人見知りをする性格なのか、すごくおとなしいお嬢ちゃんだったが、ホワイト・ボードにマーカーでドラえもんの絵を描いたら、モンゴルでも放映されているらしく、初めて笑顔を見せてくれた。 モンゴル語でさよならは“バイキテ”。こんにちは、は…忘れちまった。今度あったらまた訊いてみようっと。
2005/12/02
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…虚しいねぇ。 11月は大きなイベント目白押しで、メンタル的にちょっと疲れが出ちゃったのかな?いろんなことが、なんだか“終わっちゃった感”が募って、心にぽっかりと穴が開いた感じ…。燃え尽き症候群? んにゃんにゃ、まだ何も『やり遂げてないぜっ!』って。強がりでも、そう言っとこう。やりたいことは、まだ全然終わっちゃいないんだ。 んw まぁ、こういうときはしようが無いもんで。虚しい気持ちを謙虚さに変えて、まったりとそれなりに生き延びていこうと思ってる。 心から欲しいと願っているものが今、胸の内でだんだんとかたちを成してきている。『鬱が再発してる感じの、こんな時に?』って思うと、なんだか可笑しくてさ。 心病んでも気に病むな…ってね♪ いつだってオレは、それなりに生きていく。それでいいんだ。
2005/12/02
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昼近くに目が覚めて、のっそり起き出してからちょっとPCをいじって…。ああそうそう、車のタイヤを冬用のスタッドレスに換えたんだった。 13:30から、ボランティア・センターの“心配ごと相談”に出かける。O渕さんと久しぶりに会い、2時間ほど話した。近況と、これから行う“ひきこもり・NEET体験発表”のことについてなど。 ボランティア・センターを辞して、塩沢町の“ワンネス”に向かった。せーのさんと、バイトのことについて話しあうため。どーも最近ちょっと気分が乗らないので、しばし延期にしてもらうように。これはオレが直接、担当の人に連絡を取ることになった。 せーのさんと共に、ワンネスの店員のTさんともたくさん話した。“長靴下のピッピ”、エンデ“モモ”・“終わらない物語”、新井素子“絶句…”・“グリーンレクイエム”等々、共通の読んだ本のことで話が盛り上がった。彼女とは世代もまぁ…近いしね。 話しているのが楽しくて、ついつい長居をしてしまった。20:00ちょい過ぎくらいに家路に着いた。コーヒーごちそうさまっ! なんだかちょっと、最近気もそぞろで。メンタル的にはうだうだと、思い悩む方向に今シフトしつつある。んw まぁ、そういうときはとことん悩む方向で(笑)。自分で自分の気持ちがうまく測れないから、いろいろと考え思い悩むとき…なのかな?今は。 ゆっくりのんびりと…したいけどなかなかできないなぁ。次々とろくに考える間もなくいろんなことをこなして来た時期が過ぎて、頭働かせる余裕が出てきたということなのか。うだうだと思い悩むのはきっと、何かを願い求める気持ちの現われで。かたちの無いはずのものにいろいろと想い巡らせるのもまた、“たった今”だけでなく、来るべき“これから先”に目を向けるときが来たと言う、よろこばしき知らせ…なのかもしれないな。
2005/12/01
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