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つまりは人称の問題なんである-。 とのっけから結論なんだが、これではなんのことかわかるまい。今回は「ウザい」という言葉を取り上げて、支配と制御について論じてみたい。 いつの間にかすっかり日本語として定着しちゃった感のあるこの「ウザい」とゆう言葉…いったいどうゆう意味なのか…?「ウザいっつったら…ウザいってことだよな」と言わずに、ちと考えてみてほしい。ウザいはうざったいの略なんだそうだ。うざったいとゆえば、わずらわしくて不愉快とゆうような意味だろう…。いやまさに、今そうゆう使われ方をしているのか。 しかし何故、この言葉が人々の口にのぼり、波及していったのだろうか?始まりは若者言葉らしいが、若者言葉とゆうのはその時代の気分を反映したものだから、「ナウい」にせよ「ダサい」にせよ「チョベリバ」にせよ、若者の間で古臭くなった頃に、オッサン・オバハンが頻繁に口にするようになるものだ。世に不愉快な気持ちを味わっている人ばかりなのね。 しかしホントかどうだか知らないが、どうも最近のティーネージャーあたりは「ウザい」とゆわれると死にたくなるくらいショックを受けるものらしい…。まぁ確かに、言われて愉快な気持ちはせんだろが、なにも死にたくなるこたないだろ…と思う。 元々本題に沿って始まってない話がさらにそれるが、今の若い人はアレだね、否定されることに超敏感。AC(アダルトチャイルド)のオレがゆうのも変だが、ホントACに似て部分否定すら人格全否定と捉えて、全力を挙げて抵抗を示すんだよな…。それも、二枚貝的(笑)抵抗…殻に閉じこもっちゃう(ひきこもりのオレがゆうのもナンだが…)。 「ウザい」とゆう言葉を、使う側にこそそうゆう傷つき易い一面…みたいなものがあって、それがオレには非常にドロドロしたものに思えて、気持ち悪い。 「気にくわん」ゆうことだろうと思うのよね、人が「ウザい」って口に出す時はさ。感覚の言葉だから、人により「気にくわん」ものは違うわさ。ただね…「気にくわん」ゆう時の主語は「オレ(私)」だわな…。対して、「ウザい」ゆう時の主語は「お前(あなた)」なのよね。この違い…わかるかなぁ。 「ウザい」がとても卑怯な言葉だと思うのは、この、一人称でものをゆわない点なんだな。自分を前面にだそうとしない。…そうゆえば前に、「むかつく」つー言葉が流行ったことあったな…。アレも一人称のようでそうではないね。「お前むかつくんだよ!」とか、そうゆう使われ方だもんな。 「ウザい」って便利な言葉だよな…。「私はあなたを不愉快に思っています」とゆう、非常に言いづらいことを、総て相手に過失があることにしちまって、自己主張の体裁とって実は相手をなじってる。狡猾で、そのくせ臆病な言葉だ。 見え隠れするのは、「自分は悪くないんだ」の気持ち。さらにゆえば、「自分は悪くないんだけど、そんなことゆってもわかってもらえないだろし、自己主張し過ぎるとKYだとかゆわれるし、『だったらお前はどうなんだ?』とツッコマレたら言い返す自信無いし…」みたいな、どこまでもってまわってるんだっ!と怒り出したい程の深謀遠慮だったりして…。 「ウザい」と口にするのは、怯えから発する示威的行動だよね。心の中でひとりごちるのは精神的な優位性を保たんがため。いずれにせよ、自己認識を他者との相対的な地位の関係で推し量ろうとしている時点で、「自分は、自分自身にとっていかにあるか?」の問いは封殺されてしまってるよな。 簡単に言えば、他者をおとしめることで自分自身に自分は立派だと思いこませようとする試み…とでもゆえばいいか。いじめも同じ構造を、より明確なかたちで持ってる。 卑怯でも狡猾でも臆病でもいいんだが…。オレがそうだからそこはツッコマない。しかしながら、否認はよくないよ。ましてや自分自身への言い訳的に周囲を己の言動でコントロールし支配しようと試みるのはいただけない。自作自演も、心からそうであってほしいと願えば、その人の中では真実になってしまうんだ。 自己否定を免れんための、緊急避難的行動…?まぁ確かに、他の誰か悪者にしたてあげた方が気持ちは軽いよな…。ただ、品のない言動はオレの好みに合わん。気にくわん、つーこった!
2008/05/29
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最近、少しまた頭が無駄に働くようになってきて、考えることは「支配と制御」。制御はコントロールとゆった方が伝わりやすいかな? 中学生の間では、「メールの返信は3分以内」とか、「メールのやり取りは自分から終わらせない」とゆう暗黙のルールがいち部に存在するらしい。後者に至っては、決してふたりともが守れるものではないと思うが…。3分以内に返信しあって、「自分から終わらせられず」に、夜通しメールを打つようなこともあるのだとか。 子供たちだけではない、社会全体の風潮が「私を見て!」の悲鳴の大合唱だ。「転職するならどんな仕事?」のアンケートには、上位に芸能・エンタメ関係の職業がずらり…。これもまた、「私を見て!」の気分を反映したものだと感じる。 ブログもそうだ。友人・知人の記事を読んでいても、ほとんどが「己の気分」のオン・パレード…。そこに至る経緯は省かれているか、意図的にぼかされている場合が多い。客観的にみてどうか?の意見は必要無い…というか、そういうレスはむしろ歓迎されていないのだろう。ただ、自分の気分を聞いてほしいだけなのだ…。 それが悪い…とゆう話ではないヨ。むしろそれは満たされるべき欲求。己の存在を気持ちを、ただ無条件に受け入れてほしい…。関心を持っていとてほしいと願うのは自然なことだよな、とすら思う。 ただ、あまりに闇雲でお手軽で、互いに関心を示しあうその姿勢にうすら寒い、空虚なものを感じてしまうのだ。先のメールのルールで言えば、まず「私はここにいるよ」のサインとしての発信があり、「うん、わかってるよ。だからあなたに関心持ってるわたしがここにいるってこともわかってね」の返信があって、さらに「そんなの当たり前じゃん!私に関心持ってくれてるあなたがいるってことを、『私が』わかってるってこと、わかるでしょ?」…と、延々と繰り返される堂々巡り…。関心を示しあっているんではなく、求めあっているだけの擦れ違い…じゃないのかなぁ…?って。 自分の、自身に対する関心の薄さを、かりそめでも他者からのそれで購おうとする行為はなんだか虚しい気がするのだ。 さて、タイトルの「支配と制御」なんだが…。己の価値を、他者からの反応のみで測ろうとするならば、それを支えるのはつまり影響力ということになる。メールの場合であれば、レス(レスポンスね)が返ってくる…ということ。返ってこなければ即ち無視…と、絶対主観的に受け止めて、自分を無価値と断じる。あるいはそれを認めたくない場合には、「無視」した相手をなじる・罵る…?そういう暗黙の不安が世に蔓延しているように感じてならない。 そうした不安から逃れるには、どうしたらいい?無関心を時として恩恵としても受け止めることができなければ、そして他者からの関心の無さにメゲない程の自己への充分な関心を持ち得なければ、他者からの関心のみを貪り求めるしかない。放っておいても人々の関心を集める、ヒーローヒロイン、スターの座…。転職したい業種の1位が芸能界とゆうのも頷ける。 絶大な影響力を発揮して、特別な演出施さずに自分のままでいて、人々の関心の的。常に居心地いい自分…みたいな夢、見てんのか?って。自分王国作りたいのか?本気で作る気あんのか? 支配とコントロールのパワー・ゲーム。それのママゴト遊びみたいなメールのルール。エンタメなんて、「誰がなんと言おうと自分が素敵で大事で大好き!」て気持ちが無いとできないヨ。生温くふにゃふにゃに、薄ーい関心のトレーディング(交換)している場合じゃないヨ。 支配とコントロールと、関心集めのゲームは楽しいしオレも大好きだ。でもそれは、所詮遊びでしかない。 主題に関して充分に語れなかった…。よってこの稿は序として、続く(たぶんな)。
2008/05/28
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5/25に行われた、第4回生き様発表会を振り返る。 13時30分開演予定だったが、トップバッターの脳性マヒブラザーズが勝手にトークを始めているのでそこに乱入。「えw さて…」とかゆって始めるよりステージに立ち易くて助かった。 司会としてトークのイニシアティウ゛を受け取った後、会場を飾っている垂れ幕やイラスト、ボランティア参加の人たちの紹介を軽くはさんで開演時刻を待った。 いち番手の脳マヒBのパフォーマンスは、かなり笑いを誘っていて、トップバッターの仕事を着実にこなした。照れや躊躇が一切無いのが彼らの強みだよな。 パフォーマンス後のトークでは、彼らが映画のエキストラ出演という絶好のネタを提供してくれたので、それを拾って話しを広げる。司会の仕事の第一義は、実は自らが喋ることではない。パフォーマーからの言葉をいかに引き出すか?喋らせるネタフリをいかにしてするか?が、いち番気を遣うところだ。脳マヒBのふたりは、目立ちたがり・喋りたがりなので、司会としては楽。話題フッて、後はフォローとツッコミしてればいい。 対して2番手、畑山さんは寡黙な人。民謡とオリジナル、計4曲を披露した。朗々たる歌声のパフォーマンスで会場を魅了。 前回、前々回は、どうやって畑山さんに喋ってもらおうかと智恵を絞ってみたが、今回は敢えてトークは短めに、温泉行きのネタひとつを披露してさっと切り上げた。畑山さんのシャイな人柄を印象づけるには、その方がいいと判断。弾まないトークを延々続けるより、観客にも好印象だろ。 ワタコウさんのパフォーマンスは、自らの半生を振り返っての朗読。 それを受けて、チャレンジを授けられても遠慮しない生き方と、パフォーマンスの中の台詞「また、しょうがいになって産まれてきたい」について、語ってもらった。客席の皆が、興味のあるところを拾わなければね…。そして、文中最も印象深いポイントでもあるし。 最後のYOPPY。この日のギター演奏はノリにノッて、聴いて善し観ててもカッコイイ!の会心のパフォーマンス。YOPPYのトークがいち番気を遣ったよ。シヴいYOPPYとお道化た司会マチオの対比で、なんとかしのごう思ったけど…。言葉少なにMC挟みながらのパフォーマンスは堂々たるもので、正直オレが「存在感負け」してたね。勝っちゃまずいんだから、ま・いいか? 休憩挟んでの約30分のトークの時間は、この日いち番のハードル。まず、参加者がいない…(笑)。観客として来てくれた1グループ4名と、ボランティアスタッフとパフォーマー約20名で30分か…。 積極的に喋りたい人皆無の状況で、いかにして参加者に気まずい空気を味わわせずに過ごしてもらうか?司会者の力量が問われるところ。ボランティアスタッフのひとりに少林寺拳法の型を披露してもらったり…(笑)、場を繋ぎ退屈させない時間づくりに関しては、とてもいい経験をさせてもらった。 最後はCJの、この日持って来たリュックの中にバナナが数日間放置されていたことが判明…。の、衝撃の告白で幕を閉じた(笑)。いやまぁ、これに救われましたわ…。 なんだかんだで、終始リラックスして司会を務めることができた。差し入れのハンバーガーにも大量にありつくことがでしたし。 いいいち日であった。
2008/05/27
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人のことにお節介焼くのは、厳に控え目にしなければな…。宙に漂ってるよな役割、勝手に自分のものだと決めつけて…つか、かっさらって、なんかやっちまった…って感じ。 「オレならできる」みたいな感覚で、頼まれもしないのに動き出すっつーのは下手したら、不本意に振られた仕事を断れないってコト以上に、ヤバいんでないの(笑)? ええカッコしぃなのは善い。オレはそう、そんな奴。何するにせよオレの場合は、動機は不純な方がいい。まぁ今回も、「気にくわん」がモチベーションのおおかたを支えているんだがな(笑)。 ならいいじゃんか…? うーん、いいんだけど…。 けど…? 誰の「ため」つーのが嫌で堪らないオレが、誰かのために動くか?動くわきゃない。「ため」は全部for ME!オレ様っ!総取りっ!な感じがベストなんだ! じゃあ今回、不本意にも誰かのためを思って動いたことで煩悶してるのか?NO!いやむしろNEVER!いつだってオレは自分優先!それは今回だって変わらない! ただなぁ… 人の事情に関して動くのは楽だ!あまりにも楽過ぎる!楽勝を通り越して、楽(笑)だっ! 他人のコトなんてそりゃ簡単に言えるし決められるヨ。失敗したって自分が痛い目みる訳じゃないしな…。利害絡まなけりゃ、人間なんてある意味無敵で万能だ。自分にもたらされるべき利、自分に負わされるであろう害があると空想するから縛られて動けなくなる訳で、そこ外ずしたらそりゃたいていのコトできるわな…。 「誰かのためになにかしている」とゆう幻想は、オレから傲慢さだの鈍感さだの悪辣さ…怠惰、卑怯、臆病、強欲、狡猾といった、生きてくために必要だから培ってきた様々な悪徳を削ぎ落としてしまう…。ヤバい、ヤバいっ。自分のままで、生きていきづらくなっちゃうじゃんか! 世のため人のため…なんて感覚身につけちゃうと、なんだかもう…それだけでまつたり満足…な感じがしてきてしまうものだ。面白くもなんともない毎日を、淡々とこなせるようになっちまう。 そのくらいならまだいいが…。他人のこと、あるいは周囲への気遣いに一所懸命になって、いざそうした配慮と自分自身の意思だったり性質との間に齟齬が生じると、自分のことなどどーでもいい…という、究極の無責任状態を自らに許してしまうんだよネ。これが巧妙で甘美な罠なのよ…。いやマジで、時には死に致る罠。 過干渉な母親から、すっごく嫌ぁなかたちで「お前のためよ・ためよ・ためよ…」的に育てられたオレは、ホンット「ため」がダメ…。だってその「ため」には、全部請求書が貼り付いてんだぜ! …いやしかしホント、この件に関しては母親に感謝!おかげでオレは、他の誰のためにも、なんのためにもならない楽な生き方こそ至上…の感覚(お気楽至上主義)を養えたんだから。これは真剣に、皮肉ではなく。 だからもうオレは、他の誰かのためとか、そんなことは一切しないの。オレだって誰かのためになんかしたりしたら、見返りを要求しない訳ない奴なんだからな。 借り物の言葉で申し訳ないが… 「もー誰もオレに感謝しちゃダメ!オレに感謝禁止ッ!」 って、本気で言えるような人に、なりたいヨ…。
2008/05/26
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意外に思われるかもしれないが、オレは「オトシマエ」つー言葉が好き。 「このオトシマエ、どうつけてくれるんでぃっ!」とか、他人に言ったことはないが…。 昨日の日記じゃないけど、他人を批判するのはオレ、大得意!自己紹介に特技:粗探し…って書こうかな?ゆうくらい、他の奴のダメなところ瞬時に見抜きますよ。 ああして他者へのダメ出し文章にしたり、口に出したりすると、心の奥底から聞こえてくる言葉がある。 「だったら…オメーはどうなのヨ?」 と。 「なんなのなんなの?オメー他人批評できるような立場なの?何様?なエラそうなことゆっていいの?だいたいオメー『ダメでいいじゃん』とかゆってんじゃん(笑)。オカシーよね矛盾してるヨね自分の都合のいい時だけ『ダメでいい』なのかよ?それで他人にはダメ出し?えー、自分のコト棚に上げてるよネ…ウヒヒ…馬鹿じゃねぇ?…ウヒヒ…なんかカンチガイしてるんだヨ…ウヒヒ…ウヒヒ…」 嗚呼w うるさいうるさいっ! やったろうじゃねぇか!嗚呼やってやるとも!オレが手本見せてやるよ!こうすりゃいいんだヨっ、てトコロをヨッ!そうすりゃ文句ないんだろっ!えぇっ?! …とまぁ、こうした一連の自分との対話(というか罵りあい)を繰り返してオレは自分自身のスペック上げてきたんす。 交わされる言葉は総て「約束」だから、後付けでも真実にしないと「嘘」になる… 嘘は、いかん… これが、オレ流オトシマエのつけかた。オレは自然に自分追い込むようにできてるし、そのプレッシャーのはけ口は、「信念に沿った行動」なんだヨ。信念が正しいかどうかはもはや問題ではない。自ら考え決定し行動することこそが必要なんだからな。 ゆった手前…で動くのがオレの行動原理原則なんだな。口にしたことを自ら行動し実現させたろっ…っつー、オレは予言者でありたいのよ。
2008/05/23
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ホンット、オレの周りには「若いいい男」がおらん…。共通するのは「不器用」のキーワード。んw まぁネ、君らが不器用で要領よくなくて、それに理由があることも、そんな自分がなんとなく好きなこともわかるんだけども…。ただ、不器用なら何してもいいんかぃ…f^_^;つーネ、何だか気にくわなさを非常に感じる。もはや君らのは、不器用という名の免罪符。不器用という名のテロリズムだヨ。小器用に人間関係こなせなくても構わないさ。そんな無理なことしろとはゆわんが…。ただネ、人と相対する時に自分の事情しか頭に入ってなくて、それしかアッピールできないんじゃカッコ悪いゼ。余裕を持たなきゃ…なんてゆわないが、相手のこと気遣う気持ち投げ棄てちゃダメだろ。まったく、どこまで「自分自身に関しては」ナイーヴなんだか…。因みに、NAIVEつーのは原義は「神経剥き出し」みたいな意味で、日本ではなんか「繊細」みたいな意味で使われてっけど、実際は「オメー感じ易過ぎ」みたいな意味。バネが無ぇんだヨ、バネが!「こんな自分じゃヤだな」みたいな気持ち募んないのは、自分のダメさ加減と究極まで向き合う覚悟が足りんのだ。自分のコト、諦めてるようでアキラメきれてない…。「悪いのはいつも他人」なのか?まーいいけど。オレはおっさんのバネの魅力で、若い女かもしたろ。君らはそのままでいるがよい。
2008/05/22
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100,000アクセス達成…。 ただの記号に過ぎんとは思ってても、7桁の大台に乗るっつーのはやはり何がしかの感慨がネ、やっぱ。 かつての常連さんたち、今も来てくれるありがたいお客様方、たまたま一度通りすがってくれた人たち、出会い系エッチサイトのPRコメントやトラバ張り付けに来た人たちに至るまで…(笑)ひとりひとりに感謝々々の100,000アクセス! ありがとうございます m( _ _)m
2008/05/19
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いつの間にか社会の仕組みに組み込まれて ついていこうと必死にあがいてハブかれて さらけ出すにも妙なプライドが邪魔んなっちゃって Wow,Yeah! Wow,Yeah! Wow,Yeah! 君はフサいでる 心に傷負ってる ほんのささいなことに怯えては後ろ振り返るんダ グダグダな昨日 希望など無い明日 今日がありゃいいサ ウダウダ生きてこう …それでいいじゃないか 他人(ひと)の言葉を頷きながら受け取れずに 嘘とウラヨミ裏では恨んで疎まれて ウラギられるとうっかり疑い鬱んなっちゃって Wow,Yeah! Wow,Yeah! Wow,Yeah! 君は悩んでる 答を出せずにいる とても大事なコトを決めかねて頭抱えてるんダ 忘れたい昨日 逢いたくもない明日 そのままでいいサ おめおめ生きてこう 犬に噛まれたらどうしよう? 猫を踏んじゃたらどうするの? そう逃げたっていい 嗚呼謝りゃいい 何も問題は無い …それでいいじゃないか 産まれて生きていつか消えちまう あなたに出遭えたうれしさを ボクは今歌ってるんダ Wow,Yeah! Wow,Yeah! Wow,Yeah!(X3) …それでいいジャン それでいいじゃないか
2008/05/15
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…何だか、「無為」への耐性が減じてきている気がするなぁ。何を以て有為・無為とするかは人それぞれなんだろうけどサ。 ダラダラ過ごしているのが苦痛に感じる時間が増えてきた。それとともに、強迫的に「ナニカシナキャ」の気持ちが不安と共に募る…。 「いいことじゃないか!?」とゆわれそうだし(笑)、実際、前の日記に書いたように「ナンカヤッタルデ!」的なモードに入ったら、無為あるいは退屈を嫌うこうした感覚は行動を起こし進めていくためには欠かせないものでもある。自分でも、何らかの変化の兆しと受け止めることは現時点でもできるしな。 それでも…いてもたってもいられないようなそうした気持ちに抵抗するように立ち上がるのは、「無為でいいじゃないか」という、「潔さ」への拘泥りなのかもな?あるいはただの怠惰か? 「生きてる意味とか価値云々…」と言い出さないように、これはオレにとって必要な、大事な感覚。 実際、強迫的である時でも、動けてる時はそんな意味や価値、意識してないしな…。不安も強迫も、生きてく上で、オレには欠かせない感覚。ただ、不安と強迫と興奮の歯車が上手く噛み合っていない…そんな感じか?ブレーキとアクセル、同時に目一杯踏み込んでるとゆうか…。 この場合、必要なのはアクセル緩めることなんだろうな…。なんだか書いていて、自分が思ったよりヤバい感じなのかも?思えてきた…(笑)。 まーそのうち、口が(指が)動くほどに身体も動かすようになれば…こんなコト気にも留めずに、痙攣的に「生きてるコト」を貪るモードに入んだろ。そしてそれは、自分じゃコントロールできないコトと割り切れば、コンフリクトから生じるストレスも軽くなるだろな…。 こうして書いていても、虚しい言葉しか綴れないなぁ…。まぁ、いいのいいの!実際今のオレは空蝉みたく空っぽの状態サ。 虚しくたっていいじゃんか!無意味に、生きてさえいれば(笑)な。
2008/05/09
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しばらく放置してたのは、どうにも気持ちが上向かなかったから。相変わらずドヨーンとしている。 カッコよくなりてぇな…。約4年前、ひきこもりを辞めてから次第に表に出るようになり、やりたいこと見つけて自分のできることだけは手ぇ抜かずになんでもチャレンジしていたあの頃は、自分の理屈で総てがわかっていたしそれでよかった。 絵本の読み聞かせから始まって、文芸創作、HP作成、このブログ、国際交流、こわれ者、芝居、ストリートでのギター演奏、中越地震でのボランティアetc,etc... 「やるかやらないか?迷ったら、ヤル」と決め付けて、興味のあることならなんでもやった。当時は「自分の使い道」が、おもしろいほど次々に見つかって、そんでもって体験したことを余すことなくこのブログに綴ってきた。…今でさえ思う。この八百余件の記事群はダテじゃない。 観たこと聴いたこと感じたこと…そして出会った多くの人たちから授かった、興奮がこのブログにはつまってる。 「もう一度…」とは言うまい。新たに、今までのことなんか全部無しにしたって、何かをヤル興奮を、シビれるほどのそれを味わいたいんだ! 誰がなんと言おうがオレはヤル、やってヤル!無駄にムキになって呆れられながら、ヤリ過ぎて凹んだり落ち込んだりしながら、ヤリたいことは皆、ヤってヤルんだ! そういう自分はカッコイイと思う。そうなれるし、できるということは「ここ」に書いてあるんだしナ…。
2008/05/08
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