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ドジャース応援してるけど、大谷に無理してほしくないし、ジャッジのホームランも見てみたいし…(笑)4連勝で終わるのも呆気ないし、敵地で優勝よりはホームで優勝のほうが盛り上がるよね。…みたいな気分は否めなかったので、今日はヤンキースが大勝してよかった…(^^;明日は松井秀喜が始球式だそうです♪
2024.10.30
ワールドシリーズを見てたら、男声ボーカルのお洒落なジャズが流れたので、ジェイミーカラムかと思ったらマイケルブーブレでした。大谷の登場曲なんですね。もともとブルース風の曲が好きなのもあるけど、季節的にもリラックスした曲がぴったり来ます。大谷さんがNLCSで使用したウォークアップソング、マイケル・ブーブレの「Feeling Good」。MV冒頭に”MB Episode #17”という文言が出てきますが、大谷さんの背番号を連想させますね。w ◇Michael Bublé - Feeling Good [Official 4K Remastered Music Video] https://t.co/WIFo3gBmk0 @YouTubeより— Ken Juggby Jr. (@ken_jugg) October 24, 2024
2024.10.26
甲子園のタイブレイクにしろ、サッカーのPK戦にしろ、手っ取り早く決着をつけるために行うわけだから、ある意味では、じゃんけんをするのに近い。それが「面白くない」って意見も分かるけど、ピッチャーの肩を守るためにも、暑さ対策や時短のためにも仕方ないことですね。◇ミスをしたほうが負けるパターンになりやすいし、高校生をそういう状況に追い込むのは酷って気もしますが、どっちにしろ延長戦ってのは、ミスをしたほうが負ける結果になりがちなのだし、それなら、そういうものと割り切って、早く決着をつけてしまったほうがいい。たしかに甲子園で優勝することは、名誉にもなるし、記憶にも残るけれど、それで「人生が決まる」などと深刻に考えるのでなく、ある程度は「運もある」と考えられるほうが健全です。◇とはいえ、これはサッカーのPK戦の場合もそうですが、たんに「運まかせにすればいい」という話でもない。やっぱり、サッカーでも、実力のあるチームのほうが、PK戦で勝ちきる可能性は高いのだと思う。それは、土壇場でもミスをしないための、高い精度のプレイが要求されるからですね。◇サッカーの場合は蹴るだけですが、野球の場合はいろんな選択肢があります。守る側からすれば、三振を積み重ねることもできるし、牽制球で刺すこともできるし、ダブルプレーを狙うこともできるし、満塁策を取ることもできるし、スクイズ対策も必要になる。攻める側からすれば、送りバントとか、盗塁とか、スクイズとか、犠牲フライとか、いろんな技術が必要になる。それらを、ミスをせずに、高い精度で実現するための準備は大事。これは、サッカーのPK戦でも同じことだと思う。まあ、さすがに打順にかんしては「運まかせ」かと思いますが。【本州送料無料】 阪神甲子園球場監修 甲子園カレーラーメン 12食入り北海道・四国・九州行きは追加送料220円エースコック 楽天で購入
2024.08.23
志学館問題で斜陽になるかと思いきや…蓋を開けたら最高の成果を挙げたレスリング。男子グレコローマンだけでなく、女子フリーは最重量級でも勝ってしまった。改革が功を奏したのかしら?藤波朱理&鏡優翔の仲よし金メダル。ベオグラードで始まったレスリングの世界選手権初の五輪出場を目指す藤波朱理選手には、ともに励まし合う仲間がいます2人でカラオケに行き「栄光の架橋」を泣きながらデュエットするほど「一緒にパリ五輪に行く」誓い合った藤波朱理と鏡優翔 レスリング世界選手権 https://t.co/H8oceL3N22— 中日新聞 (@chunichi_denhen) September 17, 2023 ◇清岡幸大郎&桜井つぐみは幼馴染みというので、小学校の同級生かなと思ってググってみたら…3才のときの写真が出てきた。幼馴染みすぎるwwそもそも、3才の子供ってレスリングできるの?ただの取っくみあいのケンカなのでは?象に乗る金メダリスト&獅子に乗る金メダリスト。なんか御利益がありそうな写真。この公園はレスリングの聖地ですか?清岡幸大郎選手が金メダル! 高知から、幼なじみの2人が金メダルの快挙です!桜井つぐみと清岡幸大郎、3歳から歩んだ20年 パリ五輪レスリング:朝日新聞デジタル https://t.co/Pl8OokoeYB #レスリング— 朝日新聞高知総局 (@asahi_kochi) August 11, 2024象に乗る普賢菩薩&獅子に乗る文殊菩薩。#清岡幸大郎 #桜井つぐみ #伊藤若冲 #釈迦三尊像 https://t.co/GBydLD4ts9 pic.twitter.com/JdXzjHxRD0— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) August 11, 2024◇レスリング、フェンシング、槍投げなど、古代ギリシャ以来の伝統競技で日本が勝ちましたが、とくに北口榛花のフィールド競技での金メダルが、あらためてスゴイことなんだなと認識してるところです。彼女が鳴らした「勝利の鐘」は、再建されるノートルダム大聖堂に吊るされるそうですが、フィールドの金メダリストが鐘を打ち鳴らすのは、今大会かぎりのイベントなんでしょうか??
2024.08.12
スポーツクライミング複合女子。森秋彩は4位でしたが…その点数の内訳を見ると、あまりにも極端な結果だったことが分かる。[B=ボルダー/L=リード]ヤンヤ・ガンブレット(スロベニア/164cm)B84.4点、L84.1点:合計168.5点ラバトウ・ブルック(アメリカ合衆国/158cm)B84.0点、L72.0点:合計156.0点ジェシカ・ピルツ(オーストリア/165cm)B59.3点、L88.1点:合計147.4点森秋彩(日本/154cm)B39.0点、L96.1点:合計135.1点エリン・マクニース(英国/165cm)B59.5点、L68.1点:合計127.6点ソ・チェヒョン(大韓民国/163cm)B28.9点、L76.1点:合計105.0点オセアニア・マッケンジー(オーストラリア/173cm)B59.7点、L45.1点:合計104.8点オリアン・ベルトーネ(フランス/164cm)B59.5点、L45.0点:合計104.5点日本の森秋彩は、「リード」では全体のトップなのに、「ボルダー」がダブルスコア以上の差で負けた。低身長の選手に不利なルート設定だったからです。はなから金メダルなど狙いようのない戦いでした。追記:とくにボルダーの第一課題は、地面からのジャンプ力を要求する設定でしたが、落下に備えたクッション性の地面である点を考えると、そもそも、この競技において、地面からのジャンプ力を要求するのが妥当かも疑問です。ここまで不公平な結果が露骨に出ると、ほとんど競技としての体をなしてないように思える。森秋彩:身長届かず第1課題0点に世界中が非難「いじめだ」「ルートセッター許さない」(東スポWEB)https://t.co/gy9jJD4gyY— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) August 10, 2024◇目前に迫るパリオリンピックスポーツクライミングでルートを作るオリンピックの「ルートセッター」に日本人女性として初めて各務原市の水口僚さんが選ばれましたどんな思いを込めてルートをつくるのかぜひこちらのWEB記事をご覧下さいhttps://t.co/ZbHjpt1Sah— NHK岐阜 (@nhk_gifu) July 19, 2024 今回のルートセットの担当者には、数名の日本人が含まれてたようなので、政治的な介入はなかったかもしれませんが、理屈として考えれば、政治的な介入の可能な競技だろうと思えます。追記:逆にいえば、日本人のルートセッターを加えることで、見かけだけの「公平性」を装ったとも考えられます。ゴルフのコース設計や、マラソンのルート選定においてもそうですが、事前にデータを分析すれば、どういう設定がどの選手に有利/不利なのかを、あらかじめ予測できてしまうからです。とくにクライミングでは、それを人為的に操作できる余地が大きすぎる。◇この問題を解決するには、ルートセットから「人為」を排除して、なんらかの偶然性を導入する必要があります。たとえば、数個のホルダーからなる課題を複数そろえて、そこから無作為に選んだ課題を組み合わせて、全体のセットに仕立てるとか。それと同時に、身長差による公平性を計算して、一定の基準内におさめる仕組みも必要でしょう。競技の公平性を担保するための科学的な知見が必要だし、男女ごとのルートセットを決める際に、おそらく想定している身長があるはずなのですが、(もしくは腕や脚を伸ばしたり広げたりしたときの距離)それを公表する必要もあるだろうと思います。◇そうでもしなければ、出来レース(政治的な勝利)が可能だと思われてしまうし、結果的には、つまらない競技と見なされて終わります。 クライミング ホールド【30個セット】マーブル模様【プロ仕様】ホールダリング クライミングウォール クライミング ホールド サイズ大小混合 スポーツクライミング トレーニング インテリア 子供【takumu】 楽天で購入
2024.08.11
スペインが5-3で地元のフランスに勝ちました。黒人の個の力のフランス。白人の組織力のスペイン。接戦だったのだけど、内容的にはスペインの圧勝という印象です。◇フランスは、チャンスはたくさん作ったものの、なにやら数打ちゃ当たるってな感じで、スペインの組織力を上回るような、目を見張るほどの個のファンタジーはなかった。決定力という点でも、スペインのほうが確実にチャンスをものにしてた。FWのマテタは、最後は歩くことも出来なくなって、柔道のリネールみたいな英雄にはなれずに終わった。◇同じヨーロッパのラテン系の国でありながら、フランスとスペインはとても対照的だと思います。サッカーを見ながら、文化の違いとか、思想の違いまで感じてしまった。オリンピックで活躍してるフランスの選手は、(柔道団体のメンバーも全員が黒人でしたが)圧倒的に黒人が多いですよね。つまり、フランスは、黒人にも「自由」と「平等」を与えて、彼らの活躍をリスペクトしてるわけですが、今回にかぎっていえば、とてつもなく若いメンバーを揃えながらも、あくまで白人の流儀を守ったスペインが一枚上だった。◇先日のNHK「ドキュメント72時間」では、パリの漫画喫茶に密着してましたが、家族連れや、教師など知的な職業の客層が多い店なのに、取材したお客さんの半分くらいが黒人でした。それだけ黒人の人口が多く、フランス社会に溶け込んでるってことでしょう。フランスに漫画喫茶は珍しいらしく、かなり遠くから来てるお客さんも。ドリンク飲み放題で、日本のお菓子やカップラーメンなども食べれる。営業時間は午後の数時間だけ。個室はなくオープンスペースのみ。なんとなく私設図書室のように利用されてる感じ。暑い日が続いてます🥵みなさま熱中症にお気をつけください🧊#ドキュメント72時間#フランス📘📖📕#パリマンガ喫茶☕7/24(水)👈要注意夜7:57👈要注意45分拡大版!パリで人気のマンガ⭐ランキングも!集合写真は各自マイベスト #マンガ と。担当は岡元D(ん?坊ちゃん?)。本棚の背表紙も注目! pic.twitter.com/n7l1U3DthC— ドキュメント72時間 (@nhk_72HR) July 21, 2024人種差別がないわけではなく、就職などにハンデはあるようだけど、フランス社会は基本的に、黒人にも「自由」と「平等」を与えてます。目下、イギリスでさえ、ルワンダ人をめぐって暴動が起こってますが…国の理念として、「自由・平等・博愛」を掲げるフランスは、ファシズムを採用したイタリアやスペインとは違うし、自由主義陣営だったイギリスとも違うのかもしれない。◇今回のオリンピックは、《フランスという国をいかに評価すべきか》について、いろいろと考えさせられる。開会式では、ナショナリズムを喚起するわけでもなく、パリのお洒落な文化をアピールするわけでもなく、いったい何をやったのかといえば…フランス革命の精神に立ち返って、過激なまでに「自由・平等・博愛」を掲げた形ですよね。そのためになら、マリー・アントワネットの生首に歌わせることも、聖書をLGBT風に再解釈することさえ躊躇しなかった。◇フランス人は、多様性と寛容を尊重する意思をもつ半面、きわめて自尊心が強く高慢ちきでもあります。音楽を聴いても、映画やアートを見ても、皮肉や悪ふざけに満ちあふれていて、作者に話をさせても、はぐらかすことが多い。五輪旗を逆さにしたり、韓国を北朝鮮呼ばわりしたりするのも、なかば意図的な挑発じゃないかと思ってしまう。つまり、フランスは、ルールや良識に従うよりも、自分たちが新しいルールや良識を作ろうと考える国です。◇よかれあしかれ、フランスにはフランスの考え方があるなあ…と感じさせられてます。フランス革命についての省察 (光文社古典新訳文庫) [ エドマンド・バーク ] 楽天で購入
2024.08.10
なんだかんだでレスリングも強い。須﨑優衣に勝ったインドの選手が、失格したあげく引退という顛末は、ちょっと複雑な気持ちにさせられますが…。◇柔道もそうだけど、重い階級は白人と黒人が多いのに対し、軽い階級はアジア系の選手が席巻してる。ヨーロッパ発祥の競技なのに、開催国のフランスは、まったく出る幕がないみたいだし、柔道よりも人気がないっぽい。日本は、男子のグレコローマンでも結果を出して、77キロ級のけっこう重い階級でも勝てたし、柔道のみならず、レスリングも層が厚いですね。◇藤波朱理は決勝戦でも圧倒。見た目はふつうの女の子なのに!べつに格闘家っぽい体型でもないし。なんだか「恐るべき子供」って感じですw中学生のときから公式戦137連勝って、生まれてから負けたことないのかしら??まだ20歳でオリンピックも制覇して、この先どこまでいくんでしょうね。お父さんの血を引いた女子アスリートは多いけど、この人も、そういう天才型なのですね。
2024.08.09
二者択一ならコイントスでいいと思いますが、選択肢が6通りだからサイコロはちょうどいいよね。柔道の団体戦は、そもそも階級が6つだから、引き分けのときに7戦目が必要になるわけですが、疲労してる選手に同じ対戦を2度もさせるのは、あまり合理的じゃないし、見てても面白くありません。それよりも、事前に「対戦しない階級」をひとつ抽選して、5階級で勝負を決めるほうがいいと思う。抽選に使うのは、サイコロでもルーレットでも何でもいいけれど。…控えの選手に7戦目を戦わせる方法もありますが、やるかどうかも分からない試合のために、たくさんの選手を出場させるのはムダだし、それだけの選手を揃えられない国もありますよね。抽選方法については、デジタルかアナログかという問題もさることながら、日本発祥の柔道に、西欧発祥のルーレットってのは、まるでお茶漬けをフォークとナイフで食べるような、ちょっと相容れない感じもしてました。それを画面で表示するのも、なんだか安っぽいエンターテイメントショーみたいで、いまいち雰囲気にそぐわない感じがあったし。◇余談ですが、サイコロって、洋の東西に共通の文化なんですねえ。Wikipediaで調べてみたら、現在のようなサイコロはアッシリアにあったらしい。正六面体のサイコロの発祥地は古代インドとも古代エジプトとも言われる。現在と同じように1の裏が6であり、反対面を足すと7になるサイコロの最古のものは、紀元前8世紀頃のアッシリアの遺跡から発掘されたものである。https://ja.wikipedia.org/wiki/サイコロdiceの単数形がdie(=死)なのも何やら興味深い。◇日本のサイコロは、すごろくや時代劇の博打で使うイメージが強いけど、西洋ではサイコロをどんなときに使うんでしょうか?欧米人がサイコロをふってる場面って、わたしの記憶のなかからは出てきません。ダイス サイコロ大 6個組(約16mm) 1赤目(黒と同じ) 楽天で購入
2024.08.04
女子サッカー。どうして谷川萌々子は出なかったんでしょうね。せっかく夢の舞台だったのに!怪我とかなら仕方ありませんが。サッカーにかぎった話じゃないけど、チーム競技の選手起用は、監督の人情や忖度を介在させず、シビアに合理的にやらなきゃいけないので、システマティックな仕組みを作っておく必要があります。◇一方、柔道とフェンシングは、柔道発祥の日本がフランスに負けて、フェンシング発祥のフランスが日本に負ける結果。でも、柔道団体は階級ちがいの対戦が面白かったです。高山莉加は大金星!角田夏実もすごかったし、永瀬貴規もさすがでした。
2024.08.04
サッカーは不運もありました。うまくいけば5点くらい入ってたのに!クロスバーにも嫌われて、主審もびっくりなオフサイド取られて。それで思ったんだけど…もし緑色のサッカーシューズなら、芝生と同じで保護色になるから、オフサイドをカムフラージュできるかも??サッカートレーニングシューズ キッズ サッカーシューズ ジュニア フットサルシューズ メンズ 幅広 子供 軽量 室内 インドア 大人 大きいサイズ 男の子 女の子 人工芝 人気 男女兼用 白 黒 グリーン TF 芝生 屋内20.5~29cm 楽天で購入 ◇そして、柔道のリネールは強すぎました!フランス人は柔道が好きで、今回も会場がずっと満員で、地元開催のオリンピックだったのに、なかなかメダルが取れなかったから、最後の階級で完璧な一本勝ちができたのは、とてもよかったんじゃないでしょうか。大統領も見てる試合で、35才の黒人が3度目の金メダル!まさに英雄。千両役者ですね。きっとフランス人は、老いも若きも、白人も黒人も、みんな満足したんじゃないかと思います。◇韓国のキム・ミンジョンは、完全に空中に浮かせられて、思いっきり背中で叩き落とされてましたがwただでさえ手脚も長くて力も強いのに、あんなことされたら勝てっこないですね…(^^;
2024.08.03
村尾三四郎も美しい柔道!名前が「三四郎」だけに。準決勝までは、もう笑っちゃうくらい強くて、ぜんぜん危なげなかったし、技がつぎつぎ決まるので、どの試合も面白かった!全般に男子90キロ級は、海外選手どうしの試合でも、技のかけあいが豊富で面白かったです。◇ベカウリとの決勝戦は紙一重!判定しだいでは金メダルでしたが、尻もちはついてるけど背中はついてない、…という判断なのでしょうか? (ToT)でも、見応えはありました。投げを打っても、そう簡単には体が返らないし、ほかの相手より強かったのは事実です。◇ジョージアの選手って、だいぶ力まかせな柔道というか、ほとんど相撲というか、あるいはレスリングというか…(^^;いわゆる「柔よく剛を制す」が通用しにくい。そういう相手でも倒さなきゃ、メダルは取れないのですねえ。いつか一本勝ちしてほしいです!姿三四郎(上)(新潮文庫)【電子書籍】[ 富田常雄 ] 楽天で購入
2024.08.01
柔道男子81キロ級。全試合、文句のつけようのない内容!決勝戦は、まぎれもない最強どうしの対決。そこでの一本勝ち!誰が見ても、名実ともに最強でした。柔道らしい柔道で胸のすく思いです。
2024.07.31
尊富士たけるふじ。優勝が決まるのは5時すぎかと油断してました!すでに4時半ごろに決まってたww昨日はどうなることかと思いましたが、痛めた右足首を押して優勝を決めたのね!いまNHKプラスの追っかけ再生で見ました。変化もせず堂々とした押し出し。文句なしです。昨日も書いたとおり、新入幕力士の優勝は大正3年以来110年ぶり。初土俵から10場所目での優勝は史上初。新入幕力士の三賞トリプルは、1973年秋場所の大錦以来。青森出身力士の優勝は、1997年の貴ノ浪以来だそうです。昨日も書きましたが、NHKのサイトで全取り組みの動画が見れます。尊富士https://www3.nhk.or.jp/sports/special/sumomovies/rikishi/028450.html大の里https://www3.nhk.or.jp/sports/special/sumomovies/rikishi/028990.html石川出身の大の里は、能登半島の勧進相撲で帰郷ですね。<勧進大相撲>4月16日(火)に開催する能登半島地震復興支援・勧進大相撲入場券販売は明日10時より開始します。入場券収入は全額、被災地支援義援金として寄付します。チケット大相撲、セブン-イレブン マルチコピー機よりご購入可能。詳細はこちらhttps://t.co/tt9TdGs8Ev#sumo #相撲 pic.twitter.com/Mjg81DXUGz— 日本相撲協会公式 (@sumokyokai) March 16, 2024
2024.03.24
WBCの決勝戦が終わって、まる一日考えてみたのですけど、あれってほんとうに実写だったのでしょうか?◇栗山監督の采配には、疑問の声もあがっています。実際、栗山采配って、かなり意味不明で非常識です。あの状況で、8回にダルビッシュ、9回に大谷という系統は、常識的にはありえません。さすがの王貞治も驚いていましたし、もし野村克也が生きていたら、「アホ」「狂気の沙汰」「野球をなめるな」と言ったに違いありません。落合博満の場合は、同じ東北出身の大谷にメロメロなので、今回の活躍も手放しで褒めちぎってはいるけれど、じゃあ落合ならああいう采配をやるかと言えば、絶対にやらないと思います。その意味でいえば、落合もあくまで常識人です。唯一、長嶋茂雄の「メイクドラマ」「メイクミラクル」なら、ああいう采配をしたのかもしれません。しかし、長嶋の場合はあまり成功しない。長嶋のドラマやミラクルを体現できる選手は、現実世界には存在しなかったからです。けれど、栗山英樹の場合は、その「ファンタジー」を体現してしまう選手が実在する。それは何故なんでしょう?◇イチローはいったいどう思ってるんでしょうね。はたしてイチローから見て、大谷翔平って、天才なんでしょうか?それとも努力家なんでしょうか?きっと、大谷自身は、イチローの偉業を継承しているつもりでしょうけれど、もはやイチローの側から見たら、大谷のファンタジーは理解の範疇を超えてるんじゃないかしら?もちろん、努力をしなければ、ファンタジーはありえません。しかし、努力したってファンタジーなんかありえないのです。基本的に、ファンタジーなんてありえないのだから。◇日本が、サッカー界でファンタジーを実現するのはまだ先だと思います。しかし、野球界では、ほぼ完全にファンタジーを実現してしまったように思える。目の前で起こる出来事が、ことごとく想像の範疇を超えている。だとすれば、日本のスポーツ界は、栗山と大谷のファンタジーがなぜ実現してしまうのかを、本腰を入れて、きちんと考えなければなりません。ありえないことが起こっている以上は、それをただ「意味不明」といって済ますわけにはいかない。◇もともと、栗山の指導は、かなり非常識で意味不明だったと思う。非常識でなければ、はなから二刀流なんてやらせないわけだし。しかし、栗山の指導が非常識で意味不明だったからこそ、大谷も、片手片膝のホームランとか、自分の看板にホームランボールを当てるとか、米国との決勝の最終回をリアル二刀流で締めるとか、わけのわからん意味不明な活躍をしてしまうわけですね。もし栗山英樹がごく常識的な指導者なら、大谷翔平も常識的な活躍しかできなかったはずです。しかも、今回の決勝のようなファンタジーは、たんに能力があれば実現するものでもありません。日本とアメリカが決勝でぶつかり、8回をダルビッシュが投げて、9回を大谷が投げて、最後の最後に、1点差で、大谷とトラウトが対決する…そんなファンタジックなシナリオが、いったいどうやったら実現できるんでしょうか?主役と主役が最後の最後にぶつかるなんて、そんなことが簡単に起こりえるはずもないですよね。いったい誰がお膳立てしてるんでしょうか?確率的にいえば、メッシとエムバペが決勝でぶつかるよりもありえない。強いて言うならば、アントニオ猪木とモハメド・アリが、空港のロビーで喧嘩するぐらいの確率に近いと思います。◇なので、ここまでくると、もう実写かどうかを疑うしかないのです。そういうレベルの話になっていると思います。わたしは、今回の決勝戦がほんとうに実写だったのかどうかを、ビデオ判定で検証すべきだと思います。もし、これが実写だというなら、この期に及んで「ベーブルース以来」だとか言ってても仕方がない。そもそも何が「ベーブルース以来」だったのかも忘れちゃいましたが、それをいうなら「アレキサンダー大王がガンダーラに到達して以来」とか、そのぐらいのレベルの話になっていると思います。やってることのスケールがデカすぎるんですよね。ちなみに、今年の重大ニュースは「WBC優勝」が1位だと思うけど、これって国内ニュースなんでしょうか?それとも国際ニュースなんでしょうか?そこらへんの範疇も、よくわからなくなっています。
2023.03.23
第1戦の大谷が花巻東。第2戦のダルビッシュが東北高校。第3戦の佐々木朗希が大船渡高校で、震災から12年目の3・11。…すごい伝説。すべてが運命づけられてるかのような。15日には桜も咲く、とのことです。今日も胡椒を挽きました…って、何の実況?w
2023.03.11
2023.03.06日本代表(侍ジャパン)×阪神タイガース京セラドーム大阪WBC強化試合です(*^-^*)異次元すぎましたw片手 膝つき センター中段 3ラン ホームラン。#大谷バケモン #大谷翔平 #WBC2023 #侍ジャパン pic.twitter.com/867Kh34b6U— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) March 6, 2023 どん詰まり 二打席連続 3ラン ホームラン。#大谷バケモン #大谷翔平 #WBC2023 #侍ジャパン pic.twitter.com/gf4CDHzImV— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) March 6, 2023
2023.03.06
ABEMAの本田圭佑のサッカー解説。いちばん印象に残ったのは、守備や攻撃が「ハマってる」という言い方です。この「ハマる」ということが、日本のサッカーの戦術を考えていくうえで、とても重要な概念になる気がします。◇森保をふくめて、従来の日本サッカーの戦術は、簡単にいえば、前半は守備的な陣形でカウンター狙い。運よく前半で先制できたら、そのまま守備的な陣形を維持。前半で先制されてしまったら、後半は攻撃的な陣形に変更。…というものです。そこで問題になるのは、後半まで引き分けの状態が続いたとき。たとえば後半まで引き分けのまま、残り時間わずかのところで先制されたりすると、もう「後のお祭り」ってことになります。コスタリカ戦は、まさにそのパターンでした。◇しかし、本田圭佑の考え方は違っていました。重要なのは、陣形が「守備的か攻撃的か」ではなく、それが「ハマってるのかどうか」ってこと。たとえ守備的な陣形をとっていても、ハマってなければ守備に徹する意味がないし、逆に、攻撃的な陣形であっても、ハマっていれば失点のリスクはほとんどない。実際、本田が「ハマっている」というときは失点がなかったし、本田が「ハマっていない」というときは、守備的な陣形にもかかわらず失点していました。◇たとえばクロアチアなども、かなり前線を押し上げて、ゴールキーパーの目の前までボールを奪いに来ていたけれど、それでいて別にリスクを負っている風ではなく、むしろ守備は非常に堅かったのですよね。つまり、きちんと守備がハマっていれば、リスクを負わずに前線を押し上げることも可能であり、前半から攻めていくことも出来るってこと。日本も、とくにコスタリカ戦では、そうすべきだったと思う。◇ところで、守備が「ハマる」とは、どういうことなのでしょうか?第1に、どのような陣形をとるかということ。第2に、選手の個性に合わせて、誰が誰をマークするかということ。第3に、前線をどこに設定するかということ。センターラインより前で守るのか、後ろで守るのか。第4に、どのようにボールにアプローチするか、ってこと。パスを待ってカットするのか、こちらから積極的に奪いに行くのか、あるいは体ごと当たっていくのか、それによっても「ハマりかた」がぜんぜん違ってくる。たんに数的に優位なら安全というわけではないし、逆に、数的に不利なら危険というわけでもない。重要なのは「ハマりかた」なのだと思います。◇もちろん、これは守備だけでなく、攻撃についてもいえます。守備において「ハマる」というのは、ポジションごとの対応のパターンができているということ。それがきちんとハマっていれば、やみくもに走らされたり、無駄に疲労することも少ない。一方、攻撃において「ハマる」というのは、相手の隙や弱点を突く連携パターンができているということ。それがいったんハマってしまえば、相手が陣形を変えたり選手交代をしないかぎり、いつまででも、何度でもチャンスが続くことになります。◇日本のサッカーは、この「ハマる」ということのロジックを、チーム全体で、あるいは日本のサッカー文化全体で、もっと突き詰めて共有していくべきですね。それによって、日本のサッカーは、もう一段階レベルアップできるんじゃないでしょうか。…日本ごときが、「サッカーのフィロソフィー」なんてものを考えるのは、まだ100年早いかもしれませんが、かといって、「守備的陣形か/攻撃的陣形か」という二択だけでサッカーをする時代は終わったと思います。そうでなければ「個」の力を生かすことは出来ません。同時に、テレビの解説者も、新しい時代のサッカーを言葉に出来る人でなければなりません。
2022.12.22
すごい試合でした…。後半35分まではアルゼンチンの圧勝ペース。35才のメッシと34才のディマリア。ベテランコンビが炸裂!ところが、あと10分のところで、あっという間にエムバペが2点入れて同点!マクロンまじ絶叫wwエムバペのボレーシュートも凄かったけど、ワンタッチパスを縦に4つつないだ、アルゼンチンの速攻カウンターも凄かった…延長戦は、一進一退の死闘。メッシが決めたら、またエムバペが決め返す!エムバペはハットトリック!そして、引き分けの末のPK戦。最初はエムバペとメッシが双方ともに決めたけど、最後の最後はアルゼンチンが上回りました。フランスには、もう蹴る余力さえなかった感じ。◇メッシとエムバペ。MとMの戦い。マラドーナを追い続けたメッシと、ジダンに憧れたエムバペ。得点ランキングは、エムバペが8点。メッシが7点でしたね。アルゼンチンとフランス。南半球と北半球。南米とヨーロッパ。アルゼンチンには、黒人がひとりもいなかったっぽいけど、フランスはメンバー交代を経て、最後はキーパーを除いて全員黒人だったような。いろいろと対照的なチームでした。◇スカローニ監督の子供がめっちゃ可愛かった!!天使みたい!パパと一緒に泣いてた…
2022.12.19
…意味わからないので、とりあえずトルティージャ?!生ハム。サグラダファミリアッ。カスタネット!ピカソ!以上です。— hakkimm (@hakkimm20) December 1, 2022 音割れブラボーしんどいwwwwww #本田圭佑 #本田の解説 #サッカー日本代表 pic.twitter.com/KFjCb6ENSC— 🍭토와‐サナヨン(キャリー君) (@Once_Towa) December 1, 2022
2022.12.02
サッカーW杯ドイツ戦。ABEMAでの本田圭佑の解説が話題です。ネットの記事には、「森保采配を予言した」とも書かれていますが、実際は、その問題点をかなり早い段階で見抜いたうえで、むしろ森保采配に疑問を呈していたというべきです。◇本田圭佑の解説の大きな特徴は、何よりも「システム」を重視しているということ。そして、その反面、個人のパフォーマンスに対する論評をほとんどしない、ということでした。つまり、「誰が調子がいい」とか「誰が調子が悪い」とか、「誰が頑張っている」とか「誰の動きが悪い」とか、「誰の功績が大きい」とか「誰のミスが響いた」とか、そういう話をほとんどしないのです。そこが、いつものテレビ解説者とはまったく違っていました。◇要するに、彼の基本的な発想は、個人のパフォーマンスの良し悪しはシステムが機能しているか否かで決まる。…ってことなんだと思う。システムが機能していれば、たとえ個々のコンディションにばらつきがあっても、目的がクリアになって、連携にも迷いがなくなるから、疲労を最小限に抑えつつ、結果を導き出すことができる。逆に、システムがうまく機能しなければ、個人は無駄に走らされて疲れるばかりだし、他の選手もそれをカバーしなければならないから、ドミノ倒し的にチーム全体の効率が悪くなり、しかも、どんなに頑張っても結果が出ないばかりか、必然的にミスも多くなるし、ファールや怪我などのリスクも高くなるのだと思う。◇もちろん、たんに陣形だけを考えるのではなく、選手個々人の得手不得手や、「誰がどのポジションに慣れているか」なども配慮しながら、(さらには相手チームの弱点も探りながら)状況と時間帯に応じて最良のシステムを考えているようでした。一方、トーマス・ミュラーのような優れた選手の動きが、日本側に負担をかけることを狙ったプレーであると、ドイツ側の視点に立って話していましたが、そこにもシステム全体を見渡す発想があると感じました。◇ちなみに…こういうことって、企業の組織論などにも言えることですよね。たとえば、愚かなパワハラ上司ほど、全体のシステムの欠陥を見抜けず、問題をすべて個人の努力不足のせいにしたり、結果の出せない部下のことをひたすら叱責したりします。優れた上司のもとで働けば、部下は、より少ない負担で、より効率的に結果を出せるのに、愚かな上司ほどバカな「根性論」から抜け出せないのですね。しかし、システム全体を見渡す立場からすれば、結果が出せない場合の戦犯は誰よりも指揮官であり、個々人に責任を押しつけるのは筋違いだというべきです。◇本田圭佑の考え方は、きわめて合理的だったし、同時に、日本のサッカー文化を向上させるものだと感じました。ついでにいえば、年下の選手を「さん」づけで呼んでいたのも印象的でした。— GOAL Japan (@GoalJP_Official) November 22, 2022
2022.11.25
見ました?!見ました?!わたしは見てませんw寝てたし。起きたら勝ってた。そんなわけで!ドイツといえば…ジャーマンポテト&ビールですね! そして、ざっはとるて!→調べたらオーストリアだった(^^;シュトーレン!そして天ぷらそば?!いまだにオリバーカーンとクローゼしか知りませんが(T_T)シュワルツェネッガーとフリッツラングはアメリカ人?緋色の街は面白かったー。以上です。追記:abemaで見ました。本田の解説が的確すぎて衝撃。— チュース (@chuusu) November 23, 2022
2022.11.24
一般に、「ロシア選手にはドーピングがつきもの」というイメージがあります。しかしながら、エテリ門下の女子フィギュアにかんしては、これまでドーピング問題が浮上したことはありませんでした。メドベージェワも、ザギトワも、コストルナヤも、トゥルソワも、シェルバコワも、人間離れした演技で驚異的な実績を上げてきましたが、薬物の使用を疑われたことはありません。それだけに、今回の「ワリエワ問題」にはいっそうの不自然さを感じます。前の記事の繰り返しになりますが、今回の騒動は、きわめて不自然な経緯をたどっています。昨年末に検査をしたのはスウェーデンのストックホルムの機関です。その結果判定がなぜか遅れに遅れ、よりによって、オリンピックの競技期間中に、しかも個人戦がはじまる直前のタイミングで通知された。そして、その内容をIOCが公然と問題視し、さらに日本をふくむ西側のメディアが、この問題についての不確定な情報を世界中へ拡散させ、ワリエワを精神的に追い込んでいったのです。…それが今回の経緯です。◇はたしてプーチンが、ロシア女子フィギュアへの世界的な熱狂に乗じて、ウクライナへの侵攻を画策していたのかどうか、その真偽については、まだまだ分からない。もしかしたら、この情報自体が、米国を中心とするNATO諸国がばらまいているデマかもしれない。欧米諸国としては、ロシアへの危機意識を煽ることによって、ウクライナのNATO加盟を正当化したい思惑があるはずです。これに対して、ロシア側は「見え透いた嘘だ」と言っている。はたして米国側の情報は信じるに足るのでしょうか?米国には、「ビンラディンの拠点だ」と言ってアフガニスタンを侵攻し、「大量破壊兵器がある」と言ってイラクを侵攻した前科がある。日本への原爆投下の際にも、それを正当化する情報戦を繰り広げていた。米国の軍事戦略とは、そのようなものです。◇ワリエワ問題もまた、これと同じような構図になっています。ドーピング疑惑の不自然さもさることながら、それに続くエテリの虐待疑惑は、まったく根拠のない噂だけが西側メディアに蔓延している。選手自身が虐待被害を訴えた例はなく、すべては断片的な情報を解釈した外部の憶測でしかない。自由主義とは名ばかりで、まともなジャーナリズムは機能しておらず、それを真に受ける側にも何らリテラシーは感じられない。いずれにせよ、今回の経緯の不自然さからは、ロシア女子フィギュアに対する世界的な熱狂に、なんとか「水を刺してやろう」という西側の意図を感じます。そして、それに乗じて、ここぞとばかりに「ロシアへの疑念を拡散させよう」という意図も感じる。…実際のところ、ロシア女子フィギュアの世界的な活躍を、プーチンが政治戦略に利用している可能性はあるでしょう。かつて石原慎太郎が東京オリンピックを利用したように。しかし、現在の西側の勢力もまた、きわめて政治的な意図をもって、ロシア女子フィギュアの活躍を意図的に妨害しているように見える。わたしの最大の不信感はここにあります。◇今回のドーピング問題の結果、「ROCチームドクターのフィリップ・シュベツキーが怪しい」という話になっています。そして、それに乗じて、「ロシアの女子フィギュアでドーピングが常態化していたのでは?」という根拠のない憶測を伝えるメディアまで現れています。あげくの果てには、エテリ・トゥトベリーゼの指導方法がきわめて冷酷無比であり、彼女の指導によって心身を痛めつけられた選手たちが、無惨にも大量に使い捨てられている…などという話にまで広がっている。そうした情報発信の中心にいるのがトーマス・バッハです。◇しかしながら、エテリ自身に「ドーピングへの関与」の証拠が出ないかぎり、そのような根拠のない批判は、まったくの筋違いです。演技後のワリエワをエテリが叱咤する様子や、トゥルソワが激高した様子などが取り沙汰されていますが、わたしから見れば、ワリエワに対するエテリの言葉は指導者として真っ当なものだし、トゥルソワの振舞いを見ても、子供らしい感情の吐露が許容される関係なのだな、と思うだけです。…そもそも、オリンピックの選手が、摂食障害などを含めた心身の不調に苦しむのは、ロシアにかぎった話でもなければ、フィギュアスケートにかぎった話でもなく、はっきり言えば、オリンピックスポーツそのものの問題なのだから。それと同じことは、選手の激しい世代交代にかんしても言えます。かりに、そうした世代交代が、自国の選手の活躍へと帰結する話ならば、メディアは、やれ「層が厚い」といって賞賛するのでしょうが、ことが敵国の話となると、一転して「不健全な使い捨てだ!」といって批判するのです。たんに "物は言いよう" ということにすぎません。もともと、女子フィギュアの世代交代の激しさというのは、体操の場合もそうだったのですが、若年であるほど有利だという競技特性からくるものであって、その現実をシビアに追求すれば、ロシアのようになるのは当然です。それは、エテリの指導体制の問題ではなく、この競技自体の問題なのです。◇現在、各メディアが以下のような提言を示しています。・フィギュアの年齢制限を引き上げる。・ドーピング疑惑の多いロシアを完全に排除する。・心身の健全な発達を阻害する要素を徹底して排除する。わたしは、これに異論を述べるつもりはありません。しかし、これはロシアを排除して終わるような話ではなく、むしろ、結果的には、国家主義と商業主義の疑惑にまみれた、オリンピックスポーツそのものを解体する話へ帰結するはずです。…つまりは「オリンピックの死」を意味する。実際、オリンピックスポーツにおいて、「心身の健全な発達」などというのはまったくの建前に過ぎず、自由主義国家であれ、社会主義国家であれ、国家の威信向上と愛国心の称揚を目的にした、きわめて不自然な肉体改造がおこなわれているのだし、IOCの商業主義は、それをとことん利用しているのだから。◇バッハや西側メディアによる現在のエテリ批判は、かならずや、ブーメランのように、彼ら自身に帰ってくるはずです。
2022.02.19
演技後のワリエワを厳しく叱責した、ロシア女子フィギュアの指導者エテリ・トゥトベリゼに対して、IOC会長のバッハが白々しくも正義ぶって、「こんなに冷たい態度が取れるのか」などと批判しています。IOCの会長が、特定のコーチの指導にまで言及するのはきわめて不自然ですが、要するに、バッハの思惑のなかには、ワリエワに同情する国際世論の高まりを受けて、それを自分たちの味方につけようという計算があるのです。◇もともと厳しいことで知られるエテリのような人が、選手に対して「どんな状況でも全力を尽くすべきだった」と指導するのは、むしろ当然のことであって、なんら不思議なことではない。たしかにエテリは、ある意味では残酷な指導者なのだろうし、今回のドーピングに関与しているかどうかすら知る由もないけれど、すくなくとも、選手との厚い信頼関係がなければ、ロシア女子フィギュアがあれほどの活躍を出来るわけがないのだから、姑息な「ぼったくり野郎」のバッハごときが、エテリの言動の端々をあげつらって批判するのは、まったくの見当違いも甚だしいのです。◇それどころか、わたしは、今回のスキャンダルにおいて、意図的にロシアへのネガティブキャンペーンをばらまいているのが、おそらくバッハ自身なのだろうと思っています。今回の経緯をあらためて検証すれば分かるはずですが、IOCと西側メディアは、ロシアの薬物問題を国際的なスキャンダルに仕立てるべく、あえて大会期間中というタイミングを見計らって、不確定な情報を意図的に世界へむけて拡散させています。その結果として犠牲になったのが15才の少女だった。つまり、ワリエワを追い込んだ張本人はバッハだと言うべきなのです。…しかしながら、欧米のメディアはもちろん、日本のメディアも、バッハの見え透いた魂胆に追随していて、あろうことか、エテリに対する批判と、ロシアのウクライナ問題とを、露骨に結びつけるような、見え見えの報道体制を敷いています。◇わたしは、ロシアを政治的に擁護するつもりはないけれど、ロシアに対する疑念を増幅・拡散させるために、バッハらを含む西側の勢力が、今回のオリンピック競技を利用したのだろうと思っている。そして、米国のみならず、西側メディアの全体がそれに加担しています。その政治的なシナリオのなかには、米連邦捜査局FBIの捜査までが、あらかじめ視野に入っています。かりにロシアのドーピングが「黒」であるならば、それを政治的なネガキャンのために利用した西側の思惑も、同じように「真っ黒」なのだということを、視聴者は認識すべきです。もしも、この期におよんで、バッハの白々しい物言いに騙されている日本人がいるのなら、ほんとうに恥を知るべきです。
2022.02.18
ワリエワの演技が終わった後の、悲しみと、異様な静けさ。何度もなんども転びました。なぜ彼女がこんな目に遭わなければならないのでしょうか?15才の少女に罪があるとは、到底思えない。◇坂本花織の演技は申し分なかった。わたしもその内容に満足しました。けれど、読売新聞の橋本五郎じゃあるまいし、ただ日本のメダルが1個増えたからといって、それをバカ面さげて喜びたい気持ちにはなれない。むしろ、競技を見ている人間としては、たとえ日本のメダルが減ることになったとしても、やはりワリエワの完璧な演技が見たかった。そういう想いのほうが、はるかに強いのです。◇わたしは、シェルバコワの素晴らしさに思わず涙したけれど、ワリエワの演技は、本来それ以上のものだったでしょう。やはり、ロシアの女子フィギュアは圧倒的です。それは、たんにジャンプのような技術だけの話ではない。見る者を魅了し、感動させる力において、ロシアの女子フィギュアは他国を圧倒しています。オリンピックはたんなる「筋肉競争」ではない。その価値をもっとも強く体現しているのが、むしろロシアの女子フィギュアだと言うべきなのです。◇もちろん、ルールは厳格に守られるべきだし、ドーピングを排除するためにも、事実関係は明らかにすべきだけれど、それ以上に不可解なのは、2ヶ月も前の検体についての情報が、その事実関係も処分方針も確定しない状態で、なぜか大会の開催前でも終了後でもなく、よりによって競技期間中に出てくる、ということ。そして、最終的なCASの判断という手続きを踏んでいながら、なぜか国際メディアのなかで、疑念とマイナスイメージが増幅される流れになる、ということ。共同通信の記事によれば、検査をしたのはスウェーデンのストックホルムの機関。通常なら10日で済むはずが、なぜか結果が出るまで40日以上もかかり、ロシアの反ドーピング機関に通知されたのは団体戦の終了後。そして、ワリエワを資格停止にしないと決めたロシア側の判断を、IOCが不服として仲裁裁判所(CAS)に訴えたものの、CASがこれを却下した。…とのことです。ちなみに、CAS本部はスイスのローザンヌにあります。ドーピングもさることながら、このスキャンダル自体があらかじめ仕組まれている。最初から政治問題に発展させることを目的にしている。そう見るのが妥当だろうと思います。いずれにせよ、滅茶苦茶な精神状態に追い込まれたワリエワが、何度も何度も転んでしまう姿を、気の毒に感じない人間など世界にいたでしょうか?◇もちろん、わたしは、ロシアが「信用できる国」だとは思っていないけれど、かといって、西側から出てくる情報を全面的に信じる気にもならない。この期に及んでIOCを信用する日本人など皆無でしょう。今回の「ワリエワ問題」で、その疑念はいっそう強まりました。…日本のメディア情報は、つねに西側寄りのバイアスがかかります。ウクライナ問題についても然り。境界地域を金で買う側と力で奪う側の対立であって、それを解決しえない責任は双方にあります。オリンピックについても、わたしには、ロシアに対する8割の不信がある一方で、日本をふくむ西側の情報にもまた2割以上の不信がある。◇そんななかで、何故、わずか15才の少女が、こんな仕打ちを受けなければならいのでしょうか??
2022.02.18
ショートプログラムで氷の穴がなければ、羽生だって最高得点を出していたかもしれないっ!…ただ、そうだとしても、最終的には50点近くも差がついていたし、金メダルを獲れたかどうかは微妙でした。むしろ、今回のオリンピックで、日本国民が羽生結弦に求めていたのは、3つめの金メダルではなく、ある種の「物語」だったように思います。その意味でいえば、今回の結果は、むしろ完璧に近いものだった。ネイサンが雪辱を果たして金を取り、羽生があくまでも未踏の挑戦に徹し、次世代の日本を担う鍵山優真が銀を取り、日本選手が2,3,4位を独占する…これ以上の理想的な物語はなかったかもしれません。◇羽生結弦の今後の進退については、もちろん彼自身が決めることだけど、あくまでもクワッドアクセルの完成を目指すなら、それは日本のメダルの個数とか色の話ではなく、フィギュアの歴史と彼自身の物語についての事柄なのだから、その舞台は、もはやオリンピックである必要すらもなくなった、と思う。むしろオリンピックが終わったからこそ、羽生は、フィギュアの歴史と彼自身の物語のために、純粋にクワッドアクセルに没頭できる気がします。…フィギュアスケートの価値が、国ごとのメダルの色や個数ではなく、そこに描かれる「物語」へと移ったこと自体が、日本人にとって、とても重要なことだと思っている。一昔前なら、フィギュアスケートはあくまでも欧米のスポーツで、アジア勢の入り込む余地などなかったのだけど、いまやアジア勢だけで上位を独占するまでになり、芸術性の面でもかつての欧米の水準に近づいてきている。そのことは、団体戦の三浦・木原のペア演技にも象徴的に示されました。ペア・スケーティングは、これまで日本人がもっとも不得手にしていた種目です。これは技術的な問題ではなく、もっぱら日本スポーツの文化的な問題だったと言っていい。日本のスポーツ界では、男女が向かい合って手を取り合うことへの照れがあったし、この種目そのものが、男性主義的な旧来の体育会系文化と相容れなかったからです。…でも、そういう古い状況と体質が変わってきています。オリンピックの東京誘致という馬鹿げた失敗を経て、メダルの色や個数で国力を競う旧世代の発想は、ようやく過去のものになりました。日本人は、羽生結弦の個人としての物語や、ペア・スケーティングの美しさのほうを求めるようになった。日本のスポーツ文化そのものが変わってきていると思います。
2022.02.11
ソフトボールは、ようやく3大会ぶりにオリンピック競技となりました。いまや日本人にとっては女子種目の花です。しかし、次回のパリ五輪では、ふたたび野球とともに正式種目からは外れます。その最大の理由は「球場建設」の問題だと思われます。◇巨大な都市開発をともなうオリンピックでは、さまざまな競技施設がつくられます。それらは「レガシー」として残されるのですが、オリンピック後に使い道のない施設は、維持費がかさむだけの「負のレガシー」になってしまう。もともと野球やソフトボールは、おもに環太平洋地域で普及したスポーツ文化です。しかし、そうした文化のないヨーロッパなどで野球場を建設しても、五輪後に「負のレガシー」になるのは目に見えている。だから、大会種目から除外されがちなのです。◇ここで考えるべきなのは、オリンピックの開催方式そのものの問題です。じつのところ、現在のような「一国開催 / 一都市開催」の方式ではなく、世界中に競技会場を分散する方式を採れば、ソフトボールのような種目でも排除する必要はないからです。つまり、考えるべきは、個々の競技の性質上の問題ではなく、オリンピックそれ自体の問題だと言ったほうがいい。近代オリンピックは、古代ギリシャの「オリンピアに集う」という格式に則って、一都市開催の方式を採ってきました。しかし、これが20世紀の悪しきナショナリズムを助長し、巨大開発にともなう巨大利権などの弊害をもたらしました。そして、これが競技種目の制約にも繋がっています。今後のオリンピックは、地域開催(もしくは多国間開催)の方式へと移行すべきです。◇すでにTOKYO2020でも、東京に一極集中させることの限界が露呈し、北海道や東北をふくむ分散開催を余儀なくされています。次回のパリ五輪でも、「アジェンダ2020」にもとづいて、タヒチなどを含む競技会場の分散が予定されています。交通網や情報ネットワークの発達した現代では、都市や国家をまたぐ開催地の分散が十分に可能です。そもそも、すべての施設をひとつの都市に揃える必要はないのだし、スポーツ文化の多様化した時代に、そんなことは不可能とも言える。サッカーのW杯では、すでに日韓共同開催という例もあります。今回のTOKYO2020でも、じつは日・英・加などの遠距離分散開催や、東京・パリでの共同開催などの案が挙がっていました。◇開発や自然破壊が分散するのでは本末転倒ですが、各都市の既存の施設を使って分担するのなら、あらたな開発を伴わないコンパクトな大会が実現できます。山のある場所で山の競技をし、川のある場所で川の競技をし、海のある場所で海の競技をすればいい。涼しい場所で屋外の競技をし、水の豊富な場所で水や氷の競技をし、球場のある場所で野球やソフトボールをすればいい。野球とソフトボールにかんしては、たんにWBCやWBSCをオリンピックへ統合するだけのことでしょう。そうすれば、競技の大小やスポーツ文化の有無にかかわらず、さまざまな競技を満遍なく取り入れることが出来ます。さらに交通網さえ整備すれば、中東やアフリカや東南アジアでの開催にも道が開けます。都市開発や国威発揚にばかり執着する現状のオリンピックは、時代に見合ったスポーツ文化の発展をかえって阻害しています。
2021.07.28
いきなりメキシコに勝つとは思いませんでした。日本が強いのか?メキシコが弱いのか?でも、最後の5分+ロスタイムで反撃されるのは、いつもながらの悪しき伝統だよねー。これって、何かしら必然的な理由があるのでは?戦略上の問題か、メンタル面の問題か分からないけど、過去の例も全部集めたうえで、きちんと分析したほうがいい。終盤に戦い方を変えるのが原因だとすれば、むしろ「戦い方を変えない」ための対策が必要だし、モチベーションを変えないための練習も必要ですね。◇大橋悠依の圧勝は予想外。つい岩崎恭子のことを思い出してしまうけど、水泳って、奇跡が起こるから、不思議な競技です。たぶん、水の抵抗の力学的なコントロールというのは、それだけ複雑な要因が多いからなのだろうなと思う。200m個人メドレーにも期待します。そして、3年後の池江璃花子の自由形とバタフライにも。阿部兄妹は期待通りでした。◇試合を見てる感覚は、いつものオリンピックと何ら変わりがない。日本で開催してる実感は皆無に近い。どこでやっても同じなら、金をかけるだけ無駄。
2021.07.26
とくにオリンピックを見ていて思うのですが、試合に負けた競技直後の選手に対して、ぶしつけにマイクを差し向けるのは、非常に酷ですよね。あれは一種のハラスメントじゃないかと思います。本心を言いにくい状況のなかで、わざわざマイクを差し向ける必要があるんでしょうか?選手の立場からいえば、不本意な試合の直後とはいえ、カメラの前でネガティブな態度を見せたらバッシングを受けるし、無理にでもポジティブなことを口にしなきゃなりません。いわば、嘘を言うことを強要されている。競技の疲労と、敗戦の動揺のなかで、それでもなお、頭をフル回転させて、必死に体裁を取り繕う姿を見せられるのは、見る側としても、けっして気持ちのいいものではありません。かえってスポーツの清々しさを損ねているのでは?◇たとえば相撲中継でも、取り組み直後の力士にマイクを向けることがあります。愛想よくペラペラとお喋りする力士もいるけど、たいていは「一日一番です」と言うだけ。そのことが分かりきってるのに、あえてマイクを向ける意味がありますか?観客としてのわたし自身の意見を言えば、競技直後のスポーツ選手のインタビューは要らない。わたしの目当ては、あくまでも競技を見ることであって、選手の苦しまぎれの受け答えを見ることではない。まだ息を切らしているような状態のなかで、取り繕ったコメントなどを口にしてほしいとは思わない。後日、あらためて落ち着いた場を設けて、気持ちを整理した状態でゆっくり話を聞かせてもらえばいい。◇そもそもスポーツ選手に「話す責任」はあるのでしょうか?たとえば、企業責任者や政治責任者には、社会的な意味で「話す責任」(=説明責任)というものがあります。彼らにマイクを向けることは何らハラスメントではないし、それどころか、どんなに本人が拒否したとしても、無理にでも話をさせる必要があります。実際のところ、彼らの多くは、話す訓練やらメディア対策やらをやっていて、巧妙に言い逃れ、真実を隠し、嘘を吐く技術に長けています。しかし、スポーツ選手にそのような技術は必要でしょうか?一部には、プロスポーツはあくまで「興行」なのだから、プロスポーツ選手も一種の「芸人」なのだ、という主張があります。たしかに、それはそうなのですが、あくまで観客の立場でいうならば、わざわざスポーツ選手が嘘を言う場面など見たくもないし、そこにエンターテインメントの魅力があるとも思いません。上手に受け答えのできる選手の好感度が上がり、そうでない選手の好感度が下がるというような風潮が、スポーツの世界に必要なことだとも思いません。◇渋野日向子や、松山英樹と同じように、大坂なおみも、けっして話すのが上手ではありません。テニスやゴルフは英国発祥ということもあり、日本人選手は、文化的に不利な立場に置かれています。「郷に入りては郷に従え」というけれど、そもそも「郷」というのはローマのことであって、そこにはヨーロッパ優位の価値観があるのだけど、なんでもかんでもヨーロッパ流が正しいわけではない。現在、大坂なおみは、プロテニスの「ルール」に違反したと言われています。しかし、彼女がここで提起しているのは、そもそもそのようなヨーロッパ流の「ルール」が妥当なのか、ということ、それ自体なのです。これは国際文化の問題であり、さらにいえば政治の問題です。◇ちなみに、大坂なおみを声明で非難した、フランステニス連盟会長のジル・モレトンが、あろうことか、メディアへの会見をボイコットしました。社会的な立場に顧みれば、たとえどんな状況であっても「話す責任」を負うべきなのは、あきらかにジル・モレトンのほうでしょう。わたしは、日本人として、このようなフランス人に「クソ野郎」と言ってやりたい。
2021.06.01
先週の松山の優勝スピーチについて、メディアの評価が割れています。東京新聞:口下手スピーチは10年前と同じ日刊ゲンダイ:ちょっと残念だった日本語優勝スピーチわたし自身は、わりと好意的にとらえています。◇大坂なおみも、最初の優勝スピーチはしどろもどろだったし、渋野日向子も、ろくなスピーチが出来ないまま、「Thank you」とVサインで終わらせてしまいました。もし、今回、松山英樹が流暢なスピーチをしていたら、かえって大坂や渋野に対して嫌味だった気もします。大坂や渋野は、上手なスピーチができなかったのだけれど、今回の松山の場合は、うまく「できなかった」のではなく、あえて「しなかった」ようにも見えます。外見だけ見栄を張るのを拒んだのではないでしょうか。◇日本人選手のスピーチ下手というのは、選手個人の問題でもなければ、スポーツ文化にかぎった問題でもなく、もっとひろく、日本社会全般の文化的な問題です。それは、つまり、日本人の社交のありかたの問題であり、日本人の自己主張のありかたの問題です。◇ノーベル賞受賞者のようなインテリであれば、外交上の体裁も考慮して、「欧米人と同じような振る舞い方に努めよう」という考えも働くでしょうが、スポーツ選手は、そこまで器用ではありません。もちろん、今後、日本人選手が国際舞台で活躍する機会が増えれば、しだいにスピーチは上手くなっていくかもしれません。しかし、出来もしないのに外面ばかり繕っても仕方ない。それで競技がおろそかになっては本末転倒だし、かならずしも欧米流を真似るだけが国際性というわけでもない。◇>親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりして居る夏目漱石の坊ちゃんは、愛媛県松山市に赴任してきた江戸っ子ですが、嘘をついたり見栄を張ったりするのが嫌いな性格です。松山英樹は、江戸っ子ではありませんが、見栄を張るのを嫌う不器用なキャラクターは、むしろ坊ちゃんに似ているんじゃないでしょうか。
2021.04.18
若い女の子たちは勇気をもらっている by ブレイディいまや、人種を越えて、世界の女子のファッションリーダー的な存在。とくに今回のサーモンピンクは可愛かった。以前のオレンジもよかったけど。不調だったときは白。これも悪くないんだけどネ。昔はわりとユニセックスなスタイルです。だんだん女子度が上がっている!
2021.02.20
事実上、開会式が中止になって、祝祭イベントとしてのオリンピックは、ほぼ死に体になったわけですけど、いや、そのことによって、かえって、よいオリンピックになるんじゃないですか?選手のみなさんは一生懸命に頑張ってるんだし、この際、ひたすらスポーツだけを楽しめばいいじゃないですか。そして、それをみんなで見て興奮すればいいわけですよ。だって、それこそが本来のオリンピックでしょう。べつに、親父が金儲けをするためのイベントでもないし、メダルの個数の勘定するための国際大会でもないし、根拠もなく国威だけを発揚するイベントでもない。たんに、まっすぐにスポーツで競い合うためのものです。◇なぜ、わたしたちは、あんなにラグビーで感動したんですか。べつに親父が儲けたからではありません。国家的なイベントだったからでもありません。 たんにスポーツが面白かったからです。それだけであんなに感動できるんですよ。それ以外に何があるっていうんですか?観客がいようがいまいが、スポンサーがつこうがつくまいが、選手のみなさんには、思いっきりフィールドで跳びあがってほしいと思います。
2020.12.24
現在のフィギュアスケートの採点方法が、「ジャンプ至上主義」だと批判されています。しかし、それはもともと日本の選手に始まっています。伊藤みどりから浅田真央に受け継がれたのです。なぜなら、かつての日本の選手は、芸術性において欧米の選手に及ばなかったからです。日本の選手こそ「フライングガール」だと評されてきたのです。ところが、いまになって日本の似非愛国的なジャーナリストは、海外選手にジャンプで及ばないと分かった途端、「ジャンプ至上主義だ」と批判をはじめています。個々の選手に罪はありませんが、そういう日本のジャーナリズムの姿勢は見苦しいです。(とくに読売の橋本五郎)そもそも、いまのロシアの選手は、芸術性の点でも優れています。ほんとうに芸術的なものが見たいのであれば、競技ではなく、アイスショーを見ればいいのだし、だからこそ、わたしはザギトワの「引退表明」も支持できると思いました。早とちりでしたが。◇わたしは、フィギュアの競技が、現時点では「ジャンプ至上主義」でも仕方ないと思っています。いまのところは、そこでこそ優劣がはっきりするのだから。いずれジャンプで優劣がつかなくなれば、おのずと表現力や芸術性で競うようになるはずです。そして、芸術至上主義になったらなったで、日本の選手が不利だと分かった途端、またぞろ「芸術性の優劣を、誰がどんな基準で決められるのか」などと批判しはじめる不届き者が現れるのです。そういうことを、飽きもせずに、延々と繰り返しているのです。そういう人たちは、たんに自国の選手が表彰台に上がるのを喜んでいるだけで、実際のスケートなどほとんど見ていないのです。◇たしかに、フィギュアスケートの低年齢化の問題には、いろいろと考えておくべき要素があります。まずは、大人よりも子供のほうが優れている分野があるという厳然たる事実を、率直に認めなくてはいけません。そのうえで、その能力ばかりを叩き込まれることが、子供の健全な発育にとって適切なのかという問題もあるでしょう。とはいえ、スポーツであれ、音楽であれ、勉強であれ、多くの子供たちが、プロアマを問わずに、すでに小さい頃から熾烈な競争に追い込まれている現実があります。それをオリンピックの舞台でやるかどうか、というだけの話です。もとはといえば、オリンピックそれ自体が、国どうし、個人どうしの競争主義の原理で行われているのです。いっそのこと、そういう競争を認めるのならば、レベルの高いジュニア部門と、よりレベルの低いシニア部門と、さらにレベルの低いシルバー部門とに分けてもいいのかもしれません。これは、べつにフィギュアスケートにかぎった話ではありませんが、「老人のオリンピック」があってもいいんだろうと思います。それこそ少子高齢化していく日本が主張していくべきことだと思います。
2019.12.17
ザギトワが競技活動を休止するということで、事実上の引退のようです。まあ、今の状況なら仕方ないのかな、と思います。むしろ、彼女のような美しいスケートなら、競技としてではなく、純粋な公演として楽しみたいという気持ちは強くあるし、そう思う人は多いはず。本人にも、そういう志向が生まれていたのかもしれません。へたに競技者として身を削るよりも、表現者としての道を進めるのが、スケーターとしては健全な歩み方のように思います。とはいえ、まだ17才!ほんとに若いですよねえ…。『眠れる森の美女』も見てみたい。またマサルを連れて、日本でも滑ってほしいと思います。
2019.12.15
ロシア3人娘は、ただ上手いだけじゃなくて、それぞれにキャラが立ってるのがすごい。指導者だけじゃなく、きちんとした演出家がいるんじゃないのかな、と思います。長期的な視点をもって、それぞれの個性を演出してる。ファンタジーのトゥルソワ。ミステリーサスペンスのシェルバコワ。ラブロマンスのコストルナヤ。…って感じかな。◇もしかしたら、サンボ70というのは、たんなるスポーツ養成所ではなく、いわばバレエ団のような組織なのでしょうか?バレエの技術だけじゃなく、バレエ文化のもつ芸術性と、演出のノウハウが、いかんなく発揮されて、演技やキャラ作りに反映されてると思う。どこか謎めいた仕掛けを秘めてるシェルバコワも面白いけど、大人びた完成形の美しさを見せるコストルナヤがいて、それとは対照的に、ハラハラするような幼さで魅了するトゥルソワがいる。とくに、トゥルソワは、小さい体で果敢な冒険に挑んでいく感じとか、チワワを連れて出てきたり、白黒の姿で現れたり、リアルにファンタジー映画の主人公ですよね。◇よく4回転、4回転というけれど、今シーズンのロシアの女子フィギュアには、技術力よりも、むしろ芸術性のほうで圧倒されました。エンターテインメントとして楽しめる。わたしはザギトワが好きなので、彼女の調子がちょっと悪くて、あの美しいエキシビジョンが見れなかったのは残念だったけど、凄まじいロシア新時代に驚きました。
2019.12.09
大関時代から稀勢の里を応援していた身としては、もともと彼の横綱昇進は 不安 以外の何ものでもありませんでした。稀勢の里が、長い大関時代を経て、ようやく初優勝を果たした17年の初場所は、じつは鶴竜と日馬富士が休場し、白鳳も自滅し、つまりは モンゴル勢が総崩れ したなかで、たんに「棚ぼた」的に得られた優勝にすぎなかった。常識的に考えれば、その時点での稀勢の里は、横綱になれる器ではありませんでした。にもかかわらず、安易に「日本人の横綱」を待望した日本の世論と、それに忖度した無力な横綱審議委員会は、まるで急ぐように彼を横綱に昇進させてしまった。鬼の居ぬ間の洗濯…ならぬ、モンゴル勢の居ぬ間の横綱昇進。逆にいえば、稀勢の里の場合、そのときのチャンスを逃したら、もう二度と優勝できない、という不安があったからこそ、世間と横審は、あわてて彼を横綱にしたのです。それが不幸の始まりでした。相撲をよく知るファンならば、彼が「優勝できない横綱」になるだろうと危惧したはずです。当時、そういう不安を口にしたファンはけっこういました。その意味でいえば、次の春場所で彼が逆転優勝したのは、たしかに偉かったのですが、その代わりに、大きな怪我を負ってしまった。もともと怪我の少なかった力士が、よりによって横綱になった途端、致命的なほどの大怪我に見舞われるという皮肉。この怪我こそが、彼にのしかかった負担の大きさを物語っています。彼の最大の不幸は、「唯一の日本人横綱」に対する安易な世間の期待のなかで、大怪我を負ってもなお、相撲を続けなければならず、しかも 勝たなければならず、なおかつ 引退もできないという三重苦にこそありました。不可能で逃げ場のない過重な負担を世間に背負わされたうえに、不名誉な敗北を積み重ねることだけを余儀なくされた。相撲という狭い世界のなかで、「日本人がモンゴル人をやっつける様子を見たい」という、世間のじつに浅はかでバカげた欲望のために、稀勢の里の相撲人生は、潰されてしまいました。衆愚的な欲望には誰も歯止めをかけられず、結果的に自国の文化と人材を自滅させるという悪循環から、この国は逃れられないのでしょうか?かつてのオリンピックのように、自国のアスリートに過重な期待をかけるという古い体質が、相撲という閉鎖的な世界にだけ残存して雪崩れ込んだ結果ですが、醜悪というほかに言いようがありません。
2019.01.16
デ コ 。 凸前回のW杯のときはロナウジーニョ。前々回のときは、ナカタ。毎回、W杯のたびに、わたしの心をビビッととらえる選手が一人いるんだけど。今回も、いましたよ。可能なかぎり毎日試合を見てたけど、「これだ!」って選手はまだ見つけられなかった。でも、今日のポルトガルの試合。可愛いオヤジ顔からは想像できないような、とっても地味な外見からくりだされる、信じられないファンタジー!!やられました。ブラジルからポルトガルに移住したらしく、さぞかし少年時代は、ブラジルサッカーの刺激を全身に浴びたんだろうな・・。どのプレイも、全然ミスがないし、きっちり抑えられたシュートは、確実に枠に飛んでくし、パスも、下手な小細工もなくまっすぐで的確だし、どこにも非のうちどころがありませんッッ!!完璧!!一点目のゴール。ノートラップで、ミドルの位置から、少しスライスさせて、ゴール右隅のほんとにぎりぎりのとこに、ギューーーン、と。なんか鳥肌ものでした。◇今回、優勝候補になりそうなのは、やっぱり、順当に、南米とヨーロッパ。ブラジル、アルゼンチン、イングランド、スペイン。この4カ国が強そうな気がする。ブラジルは楽しみだけど、ロナウドがちょっとデブってるのが、どうも・・。アルゼンチンは、(まだ試合は見たことないけど)ハイライト番組を見てたら、「マラドーナ2世」とか言われてる選手がいて、ドリブルを見たら、ほんとにマラドーナみたい・・。地面を削るボールが芝を刈っていくみたいな、あの「ブルドーザー」的なマラドーナの猛進ドリブル。「2世」といわれてる選手は、かなり楽しみ。イングランドは、いままで、日本のベッカム人気がウザすぎたせいもあって、あんまり関心をもって見たことなかったんだけど、このあいだの試合を見てたら、ちょっと“イングランド・サッカー”ってやつに魅力を感じてしまった。サッカー発祥の地らしい、几帳面で、折り目正しいサッカー。由緒正しい、オーソドックスなサッカー。ファンタジーは少ないけど、パスも、ドリブルも、個人技も、組織プレーも、真っ正面からきちっきちっと決めてくるカッコよさ。いいサッカーだなあ~、と思えました。優勝候補まであがってほしいデス。スペインは、迫力満点!攻撃力にかんしては、ブラジル並みにわくわくさせる魅力があると思う。◇ポルトガルは優勝候補としては弱いかな。フォワードの決定力が、どうも・・。クリスチアーノロナウドくんは、たしかにイケメンだけど、微妙にあたまわるそう(??)・・すみませんm(__)mフィーゴのような頭脳と勇敢さは、いまいち期待しにくいような・・。今日の試合でも、決定的なチャンスは、ぜんぶ「フィーゴ&デコ」絡みのシーンだったと思う。この2人が前面に出れば、かなりのところまで行けるかな。
2006.06.17
4年前の日韓W杯のとき、わたしは、ブラジルのカナリヤ軍団のことを、“踊りながらドリブルしてくる人たち”だと書きました。とりわけ、ロナウジーニョは、完璧に“踊ってる”と思った。あのときのカナリヤ軍団のなかで、いちばんわたしの目をひいたのは、ロナウドでも、リバウドでも、ロベカルでもなく、ケラケラ笑って、踊りながらドリブルしてくる、ロナウジーニョだった。今夜のNHKスペシャル。ロナウジーニョがサンバを歌ってる!やっぱり、ロナウジーニョはサンバだったんだ!しかも裸足だしっ!4年前、プレー中も、いつも笑ってて、どうにも“自由奔放”な印象が際立っていたころに比べると、最近のロナウジーニョは、体格も表情も、かなり精悍な感じが目立ってしまってるけど、ふたたび彼の体から自然に湧き上がってくる、純粋なありのままのリズムに触れられたようで、嬉しかった。(~~)しかも、日本人のわたしにはついていけないほど複雑なリズムを、いとも簡単に片手で刻みながら、自分のサンバの曲を口ずさんでいました。歌もうまいっ!ロナウジーニョの、あの足さばきは、この複雑なリズム感を、体が刻めるからこそ可能なんだなーと実感。日本のサッカー選手も、ブラジル人と同じように、もちろん、フットサルもやるべきだと思うけど、それ以上に、サンバを踊る練習をするべきじゃないでしょうか。でも、やっぱり体の中に流れる“血”の違いがあるんだろうなぁ‥。かりに同じブラジル人でも、白人の選手や、アジア系の選手じゃ、あの同じリズム感ってのは、やっぱり真似できない気もする。サンバはもともと、アフリカ系ブラジル人の音楽です。わたしも最近、サンバに関心もってます。きっかけになったのが、ブラジル・コンピレーションCDの『フレスカ』シリーズ。ボサノバを選曲した『フレスカ・ボサノヴァ』と、MPBの曲を集めた『フレスカ・メロディーズ』と、そして、サンバを集めた『フレスカ・サンバ』の3枚からなってます。わたしは、はじめはMPBが目当てで聴きはじめたんだけど、実際に聴いてみたら、『フレスカ・サンバ』がいちばん良かった。そして、3枚のCDを聴いてみると、ボサノバも、MPBも、その魅力の源泉がすべてサンバにあるってことを実感させられた。ブラジル音楽というと、つい、ジョアンやジョビンの存在を中心に考えてしまうし、たしかにジョビンの音楽は、理知的で、高いレベルに達した音楽だけど、でも、そのジョビンでさえ、このアフリカ系ブラジル人が生み出したサンバという音楽の、そのプリミティブなリズムの魅力には、完全には到達していないんじゃないか、って気がする。ブルースや、ジャズや、レゲエと同じように、ブラジルの音楽も、その淵源はやっぱりアフリカのリズムにあります。ロナウジーニョの刻む豊かなリズムを見て、あらためてそれを痛感した。ブラジル音楽の生命力も、ブラジルサッカーの躍動感も、アフリカの黒人がもたらしたものなんじゃないか、と思う。
2006.05.28
王貞治と、イチロー。日本が生み出した2人の世界的野球人が、この記念すべき第一回のWBCで華々しい歴史を残しました。◇これとは対照的に、日本球界にとっての重要人物、たとえば、長嶋茂雄がいる。長嶋も、今回の日本チームの優勝についてコメントを出してますが、おそらく長嶋なんかにとってみれば、今回の日本の優勝は、進化した日本野球が辿り着いた到達点のように、眩しいくらいの輝きをもって見えてるんだろうと思う。それから、もうひとり、日本球界にとって重要な役割を果たした人物のひとりとして、野茂英雄もいます。野茂にかんしては、今回のWBCでは、その姿も、コメントも、まったく見えてこない。野茂はまだ「現役」の選手だから、いまだ日本球界のOBとして登場する立場にもないし、かといって、いまやマイナーリーグの一選手にすぎない立場では、世界大会の表舞台で活躍できる身分でもない。例によって、野茂の場合は、自分の仕事をただ黙々とこなすのに精一杯なんでしょうね。◇野茂が果たした役割と、イチローが果たした役割。野茂がやったことは、いわば「日本人の野球を変える」ということだった。日本に生まれた野球人が、日本球界という枠にしばられずに、その可能性を最大限に開くにはどうすればいいか。それを、野茂は身をもって実践した。そう考えると、野茂のやったことは、あくまでも個人の可能性を開くということであって、「日本球界を変える」とか「世界の野球文化を変える」みたいな、そういう大袈裟なことじゃなかった。そこから見ると、イチローの志しというのは、野茂の場所からさらに先へ進んだものだったんだなと思えます。イチローの場合、彼は大リーグ・チームに所属しながらも、じつは、つねに「日本球界」のことを考えていたように思う。ここ数年の、一連の日本の「プロ野球問題」なんかのことも、イチローは、海外にいながら、とても関心をもって見つめていたように思います。つまり、イチローの場合、たんに「個人」を変えるだけでなく、「日本の野球を変える」とか「世界の野球を変える」みたいな意志が、かなり強く抱かれていたんだと思えます。◇そういう意味で、WBCが実現したことには、今後の世界の野球を考える上でも大きな意味があると思うけど、その一方、日本が、その第一回のチャンピオンになってしまったというのは、日本の野球にとっては、ちょっと出来すぎじゃない?って気もする。イチロー自身、「じつはここまではイメージできてなかった」と言ってたけど、あれは本当だと思います。・・・今回は「日本の野球」が、というよりも「アジアの野球」が、世界を征する結果になりました。日韓の野球が、アメリカ大陸の野球に勝ち、そして、そこを勝ち残った日本の野球は、つづけてカリブ海の野球をも打ち破ってしまった。本来ならカリブ的な野球をするはずのキューバを見ても、ちょっと意外な感じさえしたとおり、世界の流れは「パワー野球」から「技とスピードの野球」へと、あるいは「打撃力」から「投手力」の野球へと移ってるようです。つまり、「アメリカ・カリブ的な野球」ではなく、「アジア的な野球」というのが、時代の趨勢になってきてたのは確か。◇でも、今回のWBCで日本が勝ってしまったからといって、ほんとうに「日本やアジアの野球」が強いと信じるのは、まだ早いと思う。今回のキューバなんかは、かえって「つなぎの野球」に失敗して(2度の併殺!)日本に負けたけど、もし、本来の「パワー野球」を爆発させていたらどうなってたんだろう、なんてことを、逆に恐れてしまったりもする。どちらが強いにせよ、その差は非常に小さい気がします。3年後、世界の野球は、さらに進化した姿をして現れるはず。それまでのあいだに、日本の野球は、いまの日本的・アジア的な側面をさらに強化すればいいのか、それとも、いまの日本には無い何かを身につけなきゃならないのか、それを今のうちからよく考えないと、今回の祝杯が、かえって仇にならないともかぎらない。慢心してたら、3年後には、かえって惨めなことになる。日本の野球がほんとうに「世界最強」なのかどうか。まだまだ、それは証明され尽くしていません。
2006.03.22
韓国戦ということもあって、ナショナリズムを露わにするような反応が、日韓双方ともにありますけど、手放しに日本選手の活躍ぶりを顕彰したり、無根拠に日本の「強さ」を信じようとするのは、最終的には、日本自身にとって命取りな結果をもたらします。6-0という結果だけ見れば、さぞ打撃力で上回ってるかのように思えるんでしょうけど、いっときにだけ打線が集中して爆発してるってことは、普通なら、日本の打撃力が相手を上回ってたことじゃなく、そのときの相手チームの継投策が失敗したことを意味するはずです。つまり、調子の悪いピッチャーが出てくれば打てるけど、そうでないかぎり、日本の打線は打てなかったってことです。実際に試合を見た人なら、今日の最大の勝因は、投球数制限のなかでほぼ完封に近いピッチングをした上原にある、という事は明らかに解るわけで、圧倒的な打線に勝因があったと思う人は、ほとんどいないと思う。相手の継投策が失敗するまで日本は打てなかったし、打てた時でも、着実に球を転がしてランナーを進めていくような、そういう「つなぎ」のバッティングが出来てたとはいいがたい。王監督の采配も結果的には当たったわけだけど、普通に考えたら、かなり理解しがたい選択があったと思う。・・・と、そんな具体的な野球の話はどうでもいいんですが、わたしが言いたいのは、ほーら、やっぱり日本は強いんだ!みたいなことを盛んに喧伝して、日本の選手の活躍を顕彰したり、日本の強さを無根拠に妄信したり、そうやってナショナリズム的感情を満足させている人たちというのは、往々にして、試合そのものをほとんど見ていないということ。試合を見て野球それ自体のことを考えている人たちなら、ほとんど、そういうことは言わないはず。だって、上原の投球を除いたら、日本はべつに圧倒的に強かったわけじゃない。日韓ともに、ナショナリズム的な反応をする人たちというのは、じつは野球そのものには興味がなくて、ほとんどの場合は見てもいない。恐ろしいのは、そういう人たちほど、自国の強さを無根拠に信じようとする傾向が強いこと。冒頭にも述べたとおり、それは、ほかならぬ自国にとって命取りな結果になります。これは次のキューバ戦のことを言っているんじゃありません。というより、これは野球の話じゃなくて、国の歴史の話です。太平洋戦争の日本のボロ負けというのは、妄信的なナショナリストが、自国の強さを無根拠に喧伝することの恐怖をわたしたちに教える歴史です。愛国心に満ちたナショナリストほど、自国の力とその限界を正確に把握しないし、そうしようとも考えない。ただひたすら、自国の力と栄光を信じ続けようとする。アメリカであれ、日本であれ、韓国であれ、そういう人たちこそが、自国を滅ぼす根源になってしまう。わたしは、WBCはとても良い機会だと思う。大切なのは、野球そのものをちゃんと見ること。そして、実際の野球の中身をとおして、ものを考えることだと思います。そうすれば、日韓双方とも、無駄なナショナリズム的な反応は、少しずつなくなっていくと思います。日本の野球が強くなるためには、国民文化として、野球そのもののことをきちんと考えようとする文化が、つよく育っていかなきゃなりません。
2006.03.19
向こう30年は手は出せないなという感じで勝ちたい・・ってのは、いったい、どの国がどの国にあてて言った話だったんだか、今となっちゃぁ、もうすっかり思い出せないんですけど、そのくらい、この大会にはとびきり抜きん出た国がなくて、どこが優勝するのか全然わかんないほど、各国の力はものすごく拮抗してる。正直、WBCがこんなに面白くなるとは、予想できなかった。「誤審騒動」とかもありましたけど、こういうのが、ただ大会に水を差しただけのものとも思わない。むしろ、こんな一個の判定で大会が大きく揺らぐほど、このWBCは、予想以上にエキサイトしてるってことの証左です。日本は、この「誤審」問題を徹底的に追及すべき。こういうことで、どんどん大騒ぎをすればするほど、今後のWBCが、ますます白熱して面白くなっていくと思う。◆サッカーのワールドカップが大西洋のイベントだとしたら、今後、WBCが回を重ねるごとに、太平洋でワールドカップに匹敵するイベントになるのは確実でしょう。3年後、各国はさらに「本気度」を増して臨んでくることになるはず。太平洋を取り囲む地域の世界が、この4年に一度のイベントを機に国際関係を変えていくかもしれないし、何より、このWBCを通して、アメリカのメジャーや、日本のプロ野球が、変化せざるをえなくなる。今、現役の野球選手で、しかも、この第一回目のWBCに出る機会もあったのに、そのチャンスをみすみす逃してしまった人達というのは、世界の野球史での存在感を失ったものと思わなきゃなりません。完全に、乗り遅れたってこと。これからの太平洋の野球文化はこのWBCを中心に回っていくはず。その点、冒頭にあげた発言はともかく、さすがにイチローなんかは、このイベントの意義をよく理解していたと思う。もしかしたら、冒頭の発言だって、参加国を煽ってエキサイトさせるために、確信犯的に発言したものだったのかもしれないし。まあ、さすがに韓国に明日負けたら、上の発言もただの「シャレ」では済まされませんけど。
2006.03.15
試合前に言うのもなんなんですけど、いつもの「ダサダサ日本のサッカー」って感じで、いまいちノレません。ていうか、すでに四苦八苦じゃん。ファンの人には申し訳ないけど、正直いって松木安太郎の解説がいらない。負け惜しみみたいな、無根拠な虚勢だけの解説聞いてると、なんだか、勝つ気がしなくなってくる。試合前も、試合中も、あるいは残り20分ぐらいになっても、やたら威勢だけはいいくせに、意味もなくポジティブなくせに、ロスタイムになってから急にあせってゲキり出したり、無根拠な精神論っぽくなってきて、なんだか、あの解説自体が、日本の負けパターンそのものを体現してるかのようです。もうちょっとクールに戦えないとダメじゃない?◇つぎ、女子マラソン。うーん・・これはわたしの勘なんだけど、今回は、誰がアテネに行っても、「金」はムリのような気がしました。でも「狙えるのは高橋だけ」というのは、たしかにそうなんでしょうね。スピード的に。ただ、高橋を選んだら、かえって高橋がズルイみたいにも見えるし、むずかしいよね・・。やっぱり選考レースで勝つべきでした。でも、今回のことで、かえって高橋にはよかったんじゃないでしょうか。アテネでしぼんでいくより、「記憶に残るアスリート」ってことで。たしかに高橋尚子は、アスリートとして、品があるし、ブランド性もあるし、国民的なスターに恥じない雰囲気の人ですよね。わたしの中では、いままでのスポーツ選手のなかで、伊達公子と、イチローと、高橋尚子の3人が、世界的にも、品があってブランド性が高いと思える、日本のアスリートです。(ブランド性が高いというのは、 わかり易くいえば、 企業CMなんかでも価値が高いということですけど)まあ、マラソンは、30代40代でもいけるし、また彼女に「伝説」をつくるチャンスは、あるかも、と思います。◇最後、ナガシマ。両脇を抱えてでも、なにがなんでも長嶋をアテネに連れて行こうとする、そういう勢力の、「政治的な意図」ってなんなんでしょう。べつに、この場に及んで、だれも「監督ナガシマ」になんか期待してないよ。ほかの人でいいじゃん。なんでそこまでして、スポーツ選手を「日の丸」の道具に使おうとするかなあ・・
2004.03.18
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