まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2019.01.16
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テーマ: 相撲(1899)
大関時代から稀勢の里を応援していた身としては、
不安 以外の何ものでもありませんでした。

稀勢の里が、
長い大関時代を経て、
ようやく初優勝を果たした17年の初場所は、
じつは鶴竜と日馬富士が休場し、白鳳も自滅し、
つまりは モンゴル勢が総崩れ したなかで、


常識的に考えれば、
その時点での稀勢の里は、
横綱になれる器ではありませんでした。

にもかかわらず、
安易に 「日本人の横綱」 を待望した日本の世論と、
それに忖度した無力な横綱審議委員会は、
まるで急ぐように彼を横綱に昇進させてしまった。

鬼の居ぬ間の洗濯…ならぬ、
モンゴル勢の居ぬ間の横綱昇進。

逆にいえば、稀勢の里の場合、

という不安があったからこそ、
世間と横審は、あわてて彼を横綱にしたのです。

それが不幸の始まりでした。

相撲をよく知るファンならば、
彼が「優勝できない横綱」になるだろうと危惧したはずです。
当時、そういう不安を口にしたファンはけっこういました。


次の春場所で彼が逆転優勝したのは、
たしかに偉かったのですが、
その代わりに、大きな怪我を負ってしまった。

もともと怪我の少なかった力士が、
よりによって横綱になった途端、
致命的なほどの大怪我に見舞われるという皮肉。

この怪我こそが、彼にのしかかった負担の大きさを物語っています。

彼の最大の不幸は、
「唯一の日本人横綱」に対する安易な世間の期待のなかで、
大怪我を負ってもなお、

相撲を続けなければならず、
しかも 勝たなければならず、
なおかつ 引退もできない

という三重苦にこそありました。

不可能で逃げ場のない過重な負担を世間に背負わされたうえに、
不名誉な敗北を積み重ねることだけを余儀なくされた。

相撲という狭い世界のなかで、
「日本人がモンゴル人をやっつける様子を見たい」という、
世間のじつに浅はかでバカげた欲望のために、
稀勢の里の相撲人生は、潰されてしまいました。

衆愚的な欲望には誰も歯止めをかけられず、
結果的に自国の文化と人材を自滅させるという悪循環から、
この国は逃れられないのでしょうか?

かつてのオリンピックのように、
自国のアスリートに過重な期待をかけるという古い体質が、
相撲という閉鎖的な世界にだけ残存して雪崩れ込んだ結果ですが、
醜悪というほかに言いようがありません。





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最終更新日  2021.07.26 01:16:11


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