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最近ハグキがはれている、触れるとわかるほどになっているが痛くも痒くもない。軽い気持ちで歯医者に行ったら「膿んでいますね、しばらく様子見ましょう」と診断され、通院することになった。年末にパソコンとモニター、オーディオスピーカーを買換え、年度末の高額医療費控除と住宅ローン減税が還付されるまで何とかしのいでいくつもりが、さらなる出費になるとは。しばらく診て治らなければ、歯の根っこに菌が回っているかも知れません、とのこと。痛くない「ハレ」は要注意、早めの治療に専念したい。
2008年01月31日
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年末年始を一人湯野浜温泉で過ごし、庄内地方の食事に舌鼓を打ってきた。一人で食べる食事は美味しくないと思いがちだがさにあらず、とても美味しく戴いた。その際マスターから「東京に戻ったら寄ってみて」とミッドタウンの近くにある店を勧められた。一度伺いますと返事をした。仕事から戻り妻にお昼を御馳走すると約束し、その店に行った見たくなった。ディナーには手が届かず、ランチで勘弁してもらう。仕事が暇なこの頃、代休消化で今日行ってきた。昼間の電車は空いている、11時15分ころ店を見つけたが何とすでに一組待っている人がいた。ほかに行く所もなく、並ばずにいてせっかく来て「限定○○食」にあぶれては何のためにここまで来たのかわからないので、後に続いて並ぶ。道行く人が(裏通りでそんなにいなかったが)私たちを見ながら通り過ぎてゆく。地の食材を用いたランチを堪能した。ご飯をお代わりした。妻と庄内のマスターへの約束を果たし、ヒルズが見える坂道を登りながら右手に見えるミッドタウンてなんだろう、右折し寄り道した。目の前にいる妻のことは話をせず なぜか話題は子供のことしか出てこない。
2008年01月29日
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昨年1月に旅行した時には茨城県高萩駅にトイレ取り付けして土浦以北で使用するため501系が置いてあった、道理で上野で見かけないかったわけだ。8月に通った時は415系の鋼製車が並んでいた。水戸までは全面的にE531系に置き換わっていて鋼鉄製電車は中央線の201系くらいになった。(京葉線や185系特急がある)ステンレスの415系は同じ仲間とは思えないほど印象が違うが(車内はほとんど一緒)まだ元気に本線を走っている。今日、出張で降りたが去年の8月そのままの状態で置いてある。かつての活躍を知っているものとしてはずいぶんさみしい処置だ、海が近い割には錆が浮いておらず一見状態はよさそう。日本国内の転用先も望めず、海外渡航を待っているのだるうか。
2008年01月28日
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小学校から電車通学だった私にとって、高架線の上を走る中央線はいろんな電車を見ることができた楽しい線だった。いつも何か来ないかなと見上げていた、今のように10分おきに電車が来る線ではなかった。昼間の珍客に振り子電車の試作車が短い編成で走っているのを見かけたりしたが、一番印象的なのが8時10分ころ通過するL特急しなののキハ181、近づくと轟音がして全力で走っているのがよくわかった。あとに紫煙を残して。この特急と前後して高架線を通り過ぎれば遅刻はしなかった、「汽車」が時計代わりだった証である。数は少ないが、回送車両で目立ったのが581系。重そうな車体をゆっくりと走らせる姿に、いつの日か乗ってみたいと思っていた。プラレールの車両を手に入れて、少し長め編成を組むと寝台電車の出来上がりだが、昼間の名古屋駅で「しらさぎ」号として止まっていた姿のほうが私には印象深い。電車のカーテンでは珍しかったベネシアンブラインドと折り戸がほかの特急とは違う風格を漂わせていた。L特急しなのは、振り子電車の増備で全列車電車化され、朝の轟音は思い出になった。あっさりと通過していく電車はあまり印象に残っていない。乗った時の581と同じブラインドが面白くて、ハンドルを回して遊んだ記憶はある。
2008年01月23日
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店のお客さんが絶えると、ミットを持ってよく道端でキャッチボールの相手をしていた近所のおじさんが逝った。とはいえ、もう2年近く逢っておらず「喪中欠礼」のハガキで事情を知った。夏になるとカブトムシを捕まえてきて、お店に来た子供にあげる。ムシがほしくて床屋に行ったことが懐かしい。暫くぶりに逢ったおじさんは、優しい笑顔の写真になっていた。笑顔の似合うおじさんだ、わが子が床屋が苦手だったのを一回で克服した名手で、以後「あそこの床屋だけは行く」と言わせた。実家の近くのため月に一度とは行かず、里帰りごとに床屋に行く。今は2代目で私の幼馴染が店を継いでいる、久しぶりに散髪してもらいながらお父さんとの別れの話を聞いた。幸い店がすいていて、心地よいはさみの音に混じりながらお互いの思い出話を語り合った。椅子に座っているので直視していないが、鏡越しに(お互い年をとったものだ)顔をあわせて。二人だけの会話だが、そこにおじさんがいるような、聞いてもらいたいような話し振りのお互いだった。
2008年01月18日
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出張で会議が長野県諏訪市に行った。大学時代の知人が郷里に会社に就職、爾来手紙のやり取りをしていたがこの機会にあってみることとして連絡を取った。上諏訪駅で待ち合わせをした、JR中央線は朝の通勤時間帯の混雑が尾を引き数分遅れで走っている。本数が少なく遅れると予定通り乗り継げないこともあるのでかえってこちらのほうが影響が大きい。知人を待たせてしまった。なぜかお互いを見ればすぐにわかる、待っている人もさほどおらず選択肢も少ない。お昼をとって、その後少し時間がありどこか見学でも、と思い相談したが諏訪大社にまだ行ったことが無いのに気付いた。以前下諏訪温泉を訪ねたとき道中下社を見ただけで終わらせていた。所々残雪がある境内を歩きお参りを済ませた。まだ上社が済んでいないのが気がかり。
2008年01月17日
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松がとれたと思ったら、すぐに3連休が来た。仕事柄連休の存在はありがたいが、たがいに近すぎては効果半減、そんなに客足は伸びないし何よりお正月休みでお金を使ってしまったはずだ。少なくとも我が家は。家にいても暇で、図書館へ行った。子どもの本を選んでいたら、見覚えのある本が目にとまった、正確にはこのシリーズの本を持っていた。小4の誕生日プレゼントに友人から送られた物で、当時難解で読めなかった。学年が進んでから読んだ記憶がある。手に取ってみると、小学生が読む内容かと思う程度で改めて自分が読んでみることにした。同級生の志の高さに触れたヒトこま、ずっと会っていないが元気なら地元で社会科の教師をしている。
2008年01月13日
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今日は仕事始め、少し早目の朝食を摂り早めに出かける。何気なくヨーグルトに添えられたブラックチェリーを見ていたら「大」の字があった。解凍された時の亀裂だけど、亀裂というように割れ目で占えば「大吉」。ありがたく頂きました。
2008年01月07日
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私は仕事柄、毎年1月2日が仕事納めで大みそかになる。1月3日から年賀状を書き始めるいいわけではない。31日から2日まで家を空けており、賀状は元日に届く必要もない郵便局にとってはありがたい存在のはずである。2日の夜帰宅した私は、年賀状の束を持って部屋に入り自分宛、妻宛、子供宛と仕分けを始めた。赤色でない葉書があった。友人からの喪中欠礼葉書だった。床屋にとって、年末は掻きいれ時というより休むことが許されない時期だ。とりあえず式を済まし初七日そこそこに店を切り盛りした友人の姿、遅くに店を閉めた後で書いたであろう文字が紙片から伝わってくる。 私の帰省時の楽しみは、友人が経営している床屋に行くことだ。親子2代になるその店は小学生のころからずっと通っていた店。店が開いているときはおじさんと友人はよくキャッチボールをしていたことが眼に浮かぶ。キャッチャーをしていたおじさんの手は分厚く、田舎に帰った時にシャンプーをしてもらった時の心地よさが忘れられない。(理容店も美容院もシャンプーは新入りの仕事らしい、新人の気合の入ったシャンプーは勘弁である) 友人に洗髪してもらうとピッチャーゆえか、力の入った洗い方でつい「親父さんを見習え」と言う。本人も力量の差は承知しているが投手と捕手の性格の違いは直らないだろう。 正月明けに帰省するので、改めて言う。 これまでの、散髪・洗髪のお礼と2代目がおじさんの力加減を受け継ぎ私の田舎にとても素晴らしい床屋があることがいつまでも自慢できるよう。 おじさんいつまでも見守っていてください。これまで、ありがとうございました。
2008年01月02日
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山形県の湯野浜温泉で迎えた新年は、出羽三山の初詣と善宝寺(かつて人面魚で話題になったところ)の初参り。バス駐車場の脇に「鉄道資料館」などと書かれた看板がありよく見ると駅跡だった。 吹きすさぶ中を裏手に回ると今にも動き出しそうな電車が駅構内に鎮座している。 この線は廃線になって30年近いはず、雪の中よく車両が瓦礫にならずに残っているものだと感心。資料館と車両内部には入れず外観を見るだけだったが、スタジオジブリ作品映画に出てきそうな昭和の電車と駅でした。感激。。。
2008年01月01日
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