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三重県伊賀市川上地先の建設中の川上ダム 淀川水系木津川の左支川である前深瀬川に建設が進められている2023年完成予定のダムです。 1981年(昭和56年)より独立行政法人水資源機構(計画当時は水資源開発公団)が計画していて 完成すれば木津川流域に建設するダム群の中では最後のダムとなり2004年(平成16年)完成予定で した。 計画長期化の主因は反対運動による補償交渉の長期化によるものでしたが、水源地域対策特別措置法 の適用を受けて水没地域対策を進めた結果交渉は妥結され、代替地造成や三重県道29号松阪青山線・ 三重県道39号青山美杉線の付け替え道路の工事が進められ、このうち三重県道29号の付け替え工事 は2008年に完了した。 この工事現場に直接入る道です。 それらの反対運動の緩和政策の一つでしょうか観眺台(みてちょうだい)を設け、どなたでも登れる展望台となっています。 下の施設ではダムカレーも出されていました。 手前のタワークレーンが1号機、奥が2号機としマスト(中央の柱部分)を自ら吊り上げてクレーンの上に継ぎ足し継ぎ足し令和2年12月26日から12月31日に55mから75mにして8月にクライミング済みの 2号機とあわせてダム完了に向けて作業を進めているようです。 タワークレーンは川上側からは見えませんが川下側の下から積み上げて75mにしていますので見えて いるのはダムの上に出ている18m程です。 令和2年11月16日に高さは58,5mに達したとのことです。下に見える車は大型車です。 この川にはオオサンショウウオが生息していますので保全対策の一環として令和3年1月12日から14 日にかけてオオサンショウウオの幼生調査を行い計45個の幼生と5個体の成体が確認されました。 その高さが58,5mを超えて左右岸方面に打設面が広がったとのことで一番奥の右岸天端(てんば、ダムや堤防の一番高い部分) をクローラクレーンを設置してタワークレーンでは届かない範囲の打設をしているそうです。
2021年02月16日
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初瀬街道は奈良方面から伊勢に参宮するコースで阿保宿は宿場町として行き帰りの参宮客で大いに にぎわったそうです。 その阿保宿の中でもこの旅籠「たわらや」は大きな旅籠だったったようで「参宮講看板」を保存、展示 するため初瀬街道交流の館「たわらや」を跡地に建設しました。 その中に参宮講看板が幾つも展示されています。 78枚が三重県有形文化財民族資料に指定されています。 「たわらや清右衛門」の看板 入館料は無料てす。 「たわらや」から初瀬街道を東へ進むと「菅笠日記」記念碑があります。 初瀬街道は現在の国道の川の北側ではなく南側でこの記念碑の橋を渡って国道側に出ます。 江戸時代中期の明和9年(1772)に松阪の国学者・本居宣長が、吉野へ花見旅行に出かけた時の道中日 記『菅笠日記』で、阿保に訪れたときの思いが綴られています。作中には、宣長が阿保の川を歩いて 渡ったことが記されており、この日記のゆかりの場所として昭和31年に『菅笠日記の碑』が建立され ました 碑文 本居大人 菅笠日記抄 「河づらの伊賀の中山なかなかに見れば過うき岸のいはむら、かくいふはきの ふこえしあほ山よりいづる阿保川のほとり也、朝川わたりて、その河べをつたひゆく、岡田別府な ンどいふ里を過て左にちかく阿保の大森明神と申す神おはしますは大村ノ神社なンどをあやまりてか くまうすにはあらじや、なほ川にそひつゝゆきゆきて阿保の宿の入口にて又わたる、昨日の雨に水ま さりて橋もなければ衣かゝげてかちわたりす、水いと寒し、明和九年三月六日」
2021年02月14日
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息速別命(いこはやわけのみこと、おきはやわけのみこと)古事記や日本書記にも伝わる 古代日本の皇族。 その墓といわれる宮内庁管理の墳墓 第11代垂仁天皇の皇子とされます。 10代天皇までは神話の中の世界といわれ実質初代天皇です。 この天皇は3世紀後半から4世紀後半前半の人と思われます。 伊賀国造(いがのくにのみやつこ) 先代旧事本紀』「国造本紀」には、成務朝に垂仁天皇の皇子である意知別命の3世子孫・武伊賀都別 命が伊賀国造に任じられたとされます。 また同天皇の皇子・息速別命を祖とする説ある。允恭朝(5世紀前半)に4世子孫の須珍都斗王が阿保姓 を与えられました。 いずれにしてもこの息速別命が伊賀国造 (いがのくにのみやつこ)より一世紀ほど先に伊賀に、 入った皇室ということになり伊賀という言葉の元になった人ということになるかと思われます。 息速別命の墓(阿保親王墓) 奥に宮内庁所管の陵墓があります。 阿保氏(あぼうじ、姓は君)で、一時は建部(健部)氏を名乗る。雄略朝の意保賀斯が武芸に秀でて いたため武部(健部)と改姓するが、延暦3年(784年)に人上が阿保朝臣を賜り、同族が阿保公となった。 近江国の小槻氏も貞観年間に改姓するが、こちらは息速別命の異母兄弟の落別命の末裔。 国造の本拠は伊賀国伊賀郡阿保村で、現在の三重県伊賀市(旧青山町)にあたります。 阿保頓宮跡があります。 阿保頓宮跡は息速別命墓の東側にがあり、入口に標識がありました。 伊賀国に宮室を造って住んだということで頓宮跡が残っています。 阿保に宮室を築いてお住みになっていたことから、通称は『阿保親王』と呼ばれ、その子孫も代々 阿保の地に住み、第19代允恭天皇のとき居住地の名により『阿保』という姓を賜ったといわれます。 阿保頓宮跡碑 その標識を登ったら城跡のような台地があり石碑があります。 跡地は思ったより高く広いものでした。 この平地状の地が数カ所あり後の世には城郭としても使われていたと思われます。
2021年02月14日
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