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伊賀上野の菅原神社に奉納されていた算額です。 伊賀の菅原神社は、芭蕉が江戸に立つ際、句集「貝おほい」を納めた由緒ある神社です。 算額というのは神社や仏閣に奉納した数学の絵馬で主に幾何学の問題を解けたことを感謝して 奉納したものです。 これは、嘉永7年(1854年)3月、蝙蝠堂門人 喰代屋庄右衛門奉納とあります。 この算額は菅原神社は平成22年7月拝殿が全焼した時、救出されましたがまだ 展示されていないのは多分、修復に手間取っているのでしょう。 伊賀市喰代の永保寺には同じ蝙蝠堂門人、上野東町、広出庄衛門が弘化(1847年)秋、奉納 した絵馬があるそうですが喰代には蝙蝠堂という数学の学問所が在ったのか上野東町の広出 さんが喰代に奉納しているのは興味深くまた町人でさえこんなに学問を極めようとしていた とは頭の下がるおもいです。 次の画像は1問目を映したものです、解いて下さい。問いは、GEの長さ、EIの長さ、 PI長さ、菱形内の中円の円周、正方形に内接する大円の円周を求めよです。 条件としてはKJは長さ1cm、本当の問題は3.55寸ですが分かりやすくしました。 辺EIと辺EMは同じ長さです。解きやすくするために菱形の対角線を引きました。 これだけで解いて下さい。三平方の定理や三角形の内接円の定理の知識が必要ですが なくても解けるように思いますが特に内接円の定理がなくても… 江戸時代の人に負けないように頑張っていきましょう。 正解は後日アップします。
2015年01月24日
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伊賀市上野公園にある彰忠碑です。 この碑には戊辰戦争で亡くなった人達の名を刻んであります。 戊辰戦争で藤堂藩は鉄砲隊を主力に鳥羽伏見の戦いでは新選組に砲撃を加えたり 江戸寛永寺で彰義隊と交戦し、函館の五稜郭の戦いにも従軍している。 この戦いで倒れた名張の18歳から25歳の若者三人も含んだ伊賀の藩兵43人が上野公園の 彰忠碑に刻まれている。 と「藤堂家の年代別出来事」に記されています。 先日の三重県ボランティア連絡協議会で名張の人達を案内した時何かを懸命に探していた のですがこれを読んでいたので直ぐに分かり木陰に案内出来ました。 戊辰戦争というと遠い歴史上の事と思ってましたが、かたりべの会員の人の先祖の名前も 刻まれていると急に身近なことに感じます。
2015年01月12日
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三重県伊賀市西明寺にある伊賀国分寺跡です 天平13年(741年)聖武天皇の詔勅により全国に建てられた国分寺の一つ 中門・金堂・講堂が南北の直線状に並び、中門の南西方向に塔が配置されていました。 平安時代に火事で焼失したと言われています。 建物群は約240m四方の土塁で囲まれており、これは築地跡と考えられています。礎石は近世に 上野城の築城などに転用されたとそうで、すべて抜き取られて現存せず、現状は野原の中に土壇が あるだけで、金堂跡・講堂跡・塔跡などの標識が立てられています。 小学生の時の遠足地でそのころは長者屋敷と言っていました。 広大な田地の田植えが終わらないので、夕日を日の丸の扇で招き返したという「日の丸 長者」 の伝説からの俗称だったようです。この地域は野畠と呼ばれ江戸時代には租税を免除されて開墾を 奨励されたと言われていますのでその時代の話でしょうか。
2015年01月01日
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