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あれ程悩まされた、酷い咳き込みから、漸く解放された様です。勿論、今でも時折咳いたり致しますけれど、胸の奥に鈍く響き、引き摺る様に重い咳は、殆ど無くなりました。薬疹の方も、お薬の服用を既に止めておりますので、もう、余り目立たなくなりましたし、「峠」を越えて、ほっと一息ついたというところでしょうか(笑)。昨日は、注文と展覧会の準備で立て込む、お忙しい最中の先生のご自宅兼アトリエに伺い、展覧会の為の作品の、大きな額を、先生のご実家から移送するお手伝いなどをしていました。まだ本調子ではないので、何時ものようなお稽古や、積極的に助手としてのお手伝いは余り出来ませんでしたけれど、「まあ、そこに座って本でも読んでいなさい」と仰いますので、申し訳なく思いながらも、言われるとおりにして休んでおりました(笑)。先生の大学時代の恩師のお一人が、ただ傍らで、お話をするだけの助手(?)を持っておいでだったそうで(笑)、それでも役に立つことがあるのかしらと思っておりましたけれど、昨日の状況はまさしく「それ」でしたので(笑)、せめてお茶を淹れて差し上げたり、先生がお話したい風にしておいでの時は、何か気が引き立つような話題でもと考えておりました。真剣に筆を動かしていらっしゃる時は、本当にお口をお利きにならないのですけれど、比較的楽な、塗りなどの場合は、楽しげに冗談も仰いますので、作業中は息が詰まると言うことは殆どありませんけれど、お話をしながらも、空気を通して「真剣さ」が伝わってくる時は、マリも自ずと身が引きしまる思いが致します。夫に、「自分の作品は描かないの?」と聞かれるのですけれど、大分以前から、自分自身の作品の完成を目指すよりも、先生の良い助手になりたいと志しておりますので、基礎練習の外は、もっぱらお手伝いと、必要な作業工程を覚えることに終始致しております。そう、自分自身の作品より、たとえ「先生」であっても人の作品を優先するなんて、とお考えの方もきっとお出ででしょうね。それはある意味ではその通りだと思いますけれど、その様な思惑を遥かに超えるほど、先生の生み出される絵画世界は素晴らしいものですし、それに比較する必要などない程に、マリの才能がどんなものかは知っているつもりです。たとえ、自分自身の中から、またその手によって生み出されたもので無いにしろ、心の底から共感でき、寧ろ、圧倒されるような優れた創造と発想、その表現力に対して脱帽しつつ、ほんの少しでも関わることが出来ましたら、それは無上の喜びであり、自分自身にとって誉でもありますし、何よりも、そのような優れた芸術作品が生み出される瞬間に立ち会えるのですから、絵画及び、全ての芸術としての表現を愛し、崇拝する者に取りまして、これ以上の喜びは、無いことでしょう。お話が、聊か大仰になってしまったようで、お恥ずかしいのですけれど、その様に思い、心から尊敬出来る「師」と巡り合うことが出来まして、マリは本当に幸せだと思っています。どのような形でも、お手伝いし、お力になれることが、マリの願いですので、どちらかと言えば「パトロネス(芸術家の支援者)」でも良いのかもしれません。そう言えば、マリは元々「パトロネス」という存在に憧れておりましたし、現在の腕前などから考えますと、ひょっとしてそちらの方が向いているかもしれませんね(笑)。それは兎も角、今は唯、先生の優れたお仕事の、少しでもお役に立とうと思っております。今日もこれから、何時もの助手(微力ながら)としてのお仕事が待っています。
January 21, 2003
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週の初めにひいた風邪が気管支に達してしまったようです。咳き込むたびに、胸の辺でごろごろ致しますし、咳のし過ぎで胸や背中が痛むのには、本当に難儀致しております。体質の所為か、抗生物質など強い飲み薬は服用出来ませんし、幸い熱は余り無いので、何時ものように暖かくして栄養を取り、安静にして、今の所は様子を見るつもりですけれど、やはりこれ以上悪化するようではお医者様に頼る外はないでしょうね。普段は勝気で、気性の激しい(?!)マリですけれど、やはりこう具合が悪くてはいつもの強気な発言も出来ず、すっかり大人しくなってしまって、優しくしてはくれるものの、夫や息子に、ここぞとばかりにいい様にあしらわれておりまして(苦笑)、やはり幾分面白くありません。大好きな煙草もお酒も勿論「お休み」ですし、ここ数日の寒波の到来で、外は冷え切っておりますので外出も最小限度とし、負担にならない程度の読書と軽い家事をする位にして、模範的な患者のようにして過ごしております。日記にしても、書き始めては途中で投げ出してしまうなどの、集中力の無さで、掲示板に書き込んで頂いた方へのお返事も、気にしつつも今日までさぼってしまっております(本当に御免なさい)。年齢的なものもあるのでしょうが、免疫が弱まっているのか、昨年から今年に掛けて、風邪が治りきらぬまま、悪化したり、小康を得たりの繰り返しで、昨年夏以来、すっきり直った自覚が全くありません。その為か寝付きも悪く、眠りも浅いですし、「夢は五臓六腑の疲れ」との言葉その儘に、神経が高ぶっているのか、取り留めない奇妙な夢ばかり見て、休息を取る大切な場である眠りが、返って億劫になっております。導眠剤や睡眠剤の使用も考えたりするのですけれど、それは今よりも悪化した時の為に取って置くとして、健康(??)な時は、マールなどブランディ系統の強いお酒をナイトキャップに頂くのですけれど、今回のような風邪等の体調の悪い時は、「アクア・ヴィータ」という、ジンとレモン果汁と蜂蜜を、熱湯で割ったものを頂くことにしております。ジンは元々「薬酒」ですので、植物性の薬効成分が沢山含まれておりますし、レモンも蜂蜜も体に良いので、アルコールの力も相俟って、ふうふう冷ましながら寝床でゆっくり頂きますと、体も温まり比較的良く眠れるようです。「生命の水」という、聊か大袈裟な名称も、今の状態のマリに取りまして、少しも大仰に思えません(苦笑)。この「アクア・ヴィータ」はイギリス時代に、お隣に住んでいた親切な小父様(海軍関係の元技術者で、引退された後、ほぼ同時にマリ達の住んでいたオックスフォード近郷の村にやって来たのでした)が教えて下さったホットカクテルの一種で、他にヨーロッパの伝統的な、冬の飲み物である、赤ワインと丁子、肉桂、レモンピール、ブランディを使うホットワイン(グリューワインとも言う様です)も、近所の方に教えて頂きました。そう言えばイギリス滞在時代も、一旦風邪を引きますと長い間治らず、辛かったことを覚えておりますけれど、やはり年間を通して気温が低いのと、日照時間が少ないことも起因しているのではないかと思います。ですから、イギリスに住む人々が、人種も習慣も関係なく、夏のバカンス時には殆どもれなく、地中海沿岸など南の、温暖で、お天気の良い場所に集中することは、無理からぬことなのです(マリたちもその例に漏れることはありませんでした。余談ですけれど、マリが好天曇天に関わらずサングラスを着用しているのには、同様の理由がありまして、つまり「目」が少ない日光に慣らされた為に、すっかり光線に弱くなってしまったのでした。瞳孔の機能に何か変化を来たしてしまったのでしょうか)。やはり「冷える」というとこは、余程強い体質以外の人間に取っては大敵なのでしょうね。マリのこの風邪は、元を正せば、免疫力が下がっている時に、無理をして人込みを歩いたことが発端なのですけれど、どうしても冬にここまで拗れてしまうのには、冬季の気温の低さと乾燥もあるとしても、これ以上酷くしない為には、十分休息を取り、休煙は勿論のこと、お酒の類と言えば前述の「アクア・ヴィータ」で我慢して(?!)、当面の間大人しくするより外は無さそうです(嘆)。*と言いつつ、日記をここまで書くことが出来るようになりましたので、後ほど、皆様の所にお邪魔させて頂きますね。少し良くなったのかもしれません(笑)。
January 17, 2003
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先達ての連休以来、また風邪を引いてしまいました。熱などは無いのですけれど、かなり強く咳き込みますので、大事を取って、なるべく家の中で暖かくして安静にしております。月曜日に家族や実家の父母と共に行った、日帰り温泉が原因だったのでしょうか。この、マリの「椿荘」近くにある「大磯プリンスホテル」に、日帰り入浴が可能な、温泉浴場が新たに作られまして、以前から一度行ってみたいと思っておりました。期待通りの、露天風呂の景色の良さ(相模湾が目の前に広がります)に、すっかり好い気分となり、母や他のお客様とお喋りをしながら、何度も出入りしたりして、結局随分長湯をして疲労してしまったのでしょうね。久し振りの大きなお風呂での入浴で、実家の両親は本当に嬉しそうでしたし、それはそれで良かったのですけれど、折角の「湯治」で、風邪を引いてしまったら元も子もありませんものね(苦笑)。この三日間続いたお休みは、日曜日の晩、茅ヶ崎の議員氏の事務所で行われた、「新年会(調理師の資格を持つ議員氏が、手ずから握られた「お寿司」が振舞われた、それは楽しく美味しい新年会でした)」や、夫と息子と共に買い物や、お弁当持参の「遠足」で、外出が続きましたので、その疲れもあったのかもしれません。そう、「日帰り温泉」の前日は、お弁当を持って、やはり大磯にある「城山公園(その名の通り、城跡の様です)」に、夫と息子と共にお弁当持参で行って参りました。やはり暖かい一日で、国道沿いの古い道標や道祖神様のところには、お正月のお飾りや、破魔矢、繭玉飾りが櫓を立てた上に、飾り付けられた様に堆く積み上げられ、お焚き上げを待っているのが見受けられ、田舎ではありますけれど、古い土地柄であることを物語っております。この公園は、資料館やお茶室も併設されて、鯉のいる大きな心字池もあり、お屋敷のような板葺きの門を潜りますと、小石を敷き詰めた緩やかな坂の通路が、全体的に小高い丘の様な設えの公園を、螺旋状に走っておりますので、それに従い登って参りますと、相模湾を一望出来る展望台に到着致します。お天気の好いこの日は、澄み切って、遠く広がる青空を背景に、丹沢山系や、白装束の富士山の雄大な姿も望めました。連休の所為か、訪れる人も多く、親しいお友達や家族同士で楽しそうにお喋りをする中、皆でお弁当を広げ、美しい風景に心を引かれながらの昼食は、それは美味しいものでした。昼食後は、園内の散歩で、嬉しそうにはしゃぐ息子を、夫がビデオで撮ったり、あちらこちらの小さな流れに、夫と共に木の葉を投げ入れ、競争遊びに興じたりする姿を眺めつつ、竹林や様々な種類の木々のざわめきに耳を傾けておりますと、何とも言えぬ幸せな気持ちで、心が和むようでした。心字池の傍の、板塀に囲まれたお茶室では、お座敷に上がって、点て出しですけれどお薄が頂けますので、「僕はいいや」と辞退する息子(やはりまだまだですね~笑)に、ビデオ係りを頼んで、夫に「お茶」の頂き方を指南しつつ、暑いくらいの日当たりの良い縁側で、暫く休憩がてら座りこんでおりました。マリは結婚する以前から、夫のイギリス赴任に同行する為に日本を離れるまで、東京は、世田谷にお住まいになっていたお茶の先生のところにお稽古に通っておりました。先生は母の知人で、流派は江戸千家、お家元直属の方でしたが、残念ながらご高齢でいらしたので既に他界されてしまい、マリも今は忙しさと怠け心(?)に負けて、ご縁無く暮らしております。でも、いずれは身辺が落ち着きましたら、お稽古を再開したいと考えておりますので、その為にも少しずつ、おさらいする必要があるでしょうね。久し振りに頂くお薄に、夫もすっかり気を良くしたらしく、家でも頂きたいと申しますので、ほぼ忘れてしまった袱紗捌きやお道具の扱い、お点前の手順を、頭の中で思い出しつつの帰途となりました。家に到着し、早速お茶箱を取り出して恐る恐る広げてみましたけれど、やはり殆ど忘れてしまっていることに愕然としまして(苦笑)、教本と首引きで、取り合えずお盆点前からの、「おさらい」となり、俄然面白くなって、仕切りと催促する夫を前に、その翌日、不承不承、首を傾げながらの披露となりました。自信の無かった袱紗捌きは兎も角、身のこなしや足捌き、茶杓や茶筅の扱いは、思ったよりも覚えておりましたが、感心して見ている夫(お茶席に入ったことが殆どありませんので)は誤魔化せても、やはりマリ自身は「??」ですので(苦笑)、折角の機会ですし、明日からは少しずつおさらいをしなければと、「思い付き」のお茶のお稽古に、内心「果たして何時まで?」とも思うマリでした(笑)。
January 14, 2003
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今日は、比較的に暖かい模様です。その暖かさに思いついて、家族とお弁当を持って、近くの、大磯にある公園(大きな心字池や、お茶室、資料館などがある美しい公園です)に行くつもりだったのですが、中学一年生の息子が、どうしても母屋に住む義父とお買い物に行きたいと申しますので、明日に延期することに致しました。息子にとって、土日のお昼間は、義父母と買い物に行くのが恒例となっておりまして、年齢の割には体格が良く、力が強い所為もあり(柔道を習っております)、頼もしい「強力」として、随分重宝がられているようです(笑)。息子は、優しく、お買い物好きな(?!)義父に色々と買って貰うのも楽しみなのでしょうけれど、祖父母と出掛けること自体が嬉しいらしいのです。両親である、マリと夫に対してもそうなのですけれど、父方、母方両方の祖父母に対して、とても優しく親切で、昨年は、実家の母の泊りがけで同窓会に出席したいとの意向を受けて、パーキンソン病を患い、日常生活が思うに任せない父を、母に代わって面倒を見るという大変な依頼(マリも、大阪で行われたオフ会に出席する予定がありましたので)をも快く引き受けてくれ、マリは勿論、実家の両親を喜ばせておりました。とてもしっかりとした性格ですし、母親としては、何処か頼りない風のマリを色々な面で助けてくれる、望外の、本当に良い息子なのです。そうかと申しましても、決して「優等生」ではなく、適当に「やんちゃ」ですし、学校でお友達とふざけたり、コンピューターゲームで遊ぶのを好み、悪戯や冗談の好きな、年齢相応の子供らしさもありますので、精神面のバランスも悪くない様です。マリとは何処か姉弟の様で、夕方など厨房に立って作業をしていますと、息子がやって参りまして、一頻り話しに打ち興じて散々笑っては、夕食前の勉強の為に自室に戻っていくのが、ほぼ日課となっております。今日のお買い物の同行を優先したがったのも、大晦日に具合の悪くなった義父を目の当たりにし、「祖父との時間」が限られていることを思ったからのようです。男の子は特に、成長し、大人に近づくに連れ、両親や祖父母などの家族と、行動を共にするのを嫌がる傾向が強まると聞き及んでおりますけれど、現段階では、まだ先のことなのかは兎も角、一緒に過ごすことを嫌がりませんので、母親として本当に嬉しいことです。明日は、久し振りに実家の両親を伴い、日帰り温泉に出掛けるつもりですので、またもや息子が、父の世話を、自ら進んで買って出てくれることでしょう。優しい息子に感謝しつつ、出掛けて参ります。
January 11, 2003
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すっきりとした冬晴れの朝です。夫と息子を送り出しての朝は、これから始まる忙しい一日の前の、マリのささやかな寛ぎのひと時になっております。朝食は、コーヒーと茹で卵と果物か、お味噌汁と、雑穀ご飯で簡便に済ませ、新聞を読んだり、PCの前に座り込んで、この「椿荘日記」を書いたり、お友達をご訪問したりと、11時位まで過ごします。季節の良い時は、ごく早朝に日記等の更新や書き込みを終え、この時間を庭仕事に当てるのですけれど、今のように寒い時期は体に障りますので、余り戸外に出ない様にしております。大好きなお庭で過ごせないのは淋しい気が致しますけれど、仕方がありません。陽光溢れる春のお庭を想像しながら、毎冬のこの季節は、凝っと我慢です。 昨日は夫の、非常勤講師としての初登校の日で、マイペースで殆ど緊張と言うものを知らない(?)夫は、何時もよりは幾分早起きをし、ラルフ・ローレンの黒のタートルネックのインナーに、ジョルジュ・レッシュのモスグリーンと黒のチェックのジャケット、アラミスのトラウザースという、普段の職場では殆どしない出で立ちで、颯爽と(!)階上から降りて参りまして、マリのからかいの対象となっておりました(意地悪ですね)。夫の登校先(母校です)は、東京の大岡山にありますので、マリ達家族の住む湘南地域の町からは、優に二時間は掛かりますし、授業に使う機材や資料も沢山あって(ダンボールで六つほどあったそうで、先輩であり、今回の世話役であるH教授を大いに驚かせたようです)その設置や準備の為に、やはり二時間前には到着したいそうで、朝食もそこそこに(せっかち~?~な夫は、ダイニングテーブルを前に、立ったまま新聞を読みながら、お結びやサンドウイッチを齧って、毎朝慌ただしく出て行きます)、マリの「頑張っていらっしゃいね」の声を背で受けながら飛び出して行きました。講義の成功を祈りつつ、マリも午前中の作業と片づけを終え、始業式から帰って来た息子の昼食を整えた後、先生のお宅に向かいます。二月と三月に控える展覧会を睨んでの作業は、忙しくなるばかりで、日頃は冗談を言いながら作業台に向う先生も、絵の具の乾き待ちの際にマリの机の傍にやって来て、一服される時以外は殆ど無言の行です。先生と言い、夫と言い、いざ真剣に仕事に集中致しますと、本当に人が変わった様で、昨年末から、お正月休みに掛けて、ノート型PCに向かい、インターネットで資料を検索しつつ、草稿を練っていた夫も同じく、お茶を所望する時以外はやはり、無言で没頭しておりました。その姿を見る度に、当たり前のことではありながら、やはり尊敬の念を禁じ得ません。先生と夫は、性格はまるで違いますけれど(夫は比較的無口なのです)、ほぼ同年代でもあり、日常はどちらも鷹揚で、それぞれの楽しみごと(共通項は音楽です)に興じるなど、仕事を卒無くこなしながら何気なく過ごしているように見えて、お二方とも、いざとなると表情が変わるのです。お仕事をされている大半の方がそうであるのでしょうけれど、家族や、身近な人間に「働く姿、表情」というものを、「家業」であるなど一緒に携わらない限り、そうそう見せる機会は無いことでしょうね。マリは子供の頃、実父が、勤務していた建築会社から独立し、自分で会社を起こす直前、自宅で一人、まさしく真剣な面持ちで設計の仕事をしているのを初めて見まして、やはり感銘を受けた記憶があります。年齢的にも聊か、同性の親に手厳しく、反抗的になり始めた息子も今回、やはり感心し、見直した(?!)風に父親を、眺めておりました。それは、真剣に取り組み、且つ打ち込める「仕事」を持っているという事でもあるのでしょう。現在の不況の続く世の中で、止む無くその職から離れざるを得ない、お気の毒な人々が続出する中、図らずもマリの先生と夫が、その手にしっかりと「技術」を握りしめ、決して楽な仕事内容ではなく、過酷でさえある状況下に置いて、こうして遣り甲斐と誇りを持って、黙々と従事している姿を、羨ましく思うと同時に、弟子として、家族として有難くも誇らしく思うのです。講義の後、通常の勤務を終えて帰宅した夫に、首尾を聞きますと、反応も評判も上々の様子で、返ってきた学生対象のアンケートに目を通しつつ、早速次の時間の為の見直しと、質問事項に対する回答を作成し始めています。講義の模様や、懐かしい母校の変貌振りを、驚きを交えつつ嬉しそうに話す夫を打ち眺めつつ、やはり今日があるのは、夫の今までの努力の賜物であると心から思うのでした。*そう、先達て、遊びに入らして下さった、Tawashiさんの、「椿荘訪問記」が上梓されましたので、どうぞご覧下さい(詳細が記されておりますので、聊か面映いのですけれど~笑)。http://plaza.rakuten.co.jp/tawashi/003004
January 9, 2003
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一面に広がった雲の所々が金色に光り、異様さと共に美しささえ覚える今朝の空模様です。昨年今年と、例年より寒さが厳しいようで、お庭に十分と出ていることは儘ならず、塵を集積場に運ぶのも夫と息子の、もっぱらの役割となっています。四日は、婚家のお墓参り(義父は大事を取って、家に残っておりました)、五日の夜は、待ち兼ねていた「女王様」を、新春のご挨拶がてら、お店に尋ねての「新年会」となり、ご期待に応えて沢山頂いて(笑)、かなりのご機嫌で帰還、新年早々夫を呆れ返らせてしまいましたが、昨日、六日の月曜から、普通に家事をこなしたり、日本画の先生のお宅に通ったりの、何時もの日常が始まりました。夫も昨日から出社、息子は明日から中学校で、お正月気分は、指の間からこぼれる砂のように消えて行った様です。マリは、昨日がお稽古始めですが、先生はお正月返上で(とは言え、三が日はご実家に行かれたり、マリのお家にいらして下さったりと、全く「お休み」が無かった訳ではありませんけれど)、作業台の上には水張りのパネルや、描きかけの仏画が載っていました。今年二月には岡山でグループ展が、三月には、市立美術館での個展がありますので、これから、「頭が真っ白(先生曰く)」になるような期間で、何枚もの作品を手掛けなければならず、弟子の身としては大いに気を揉みつつも、どんな作品が出来上がるのか楽しみです。大作も手懸ける予定ですので、今はあれやこれやと、お考えを巡らせているご様子で、愛煙家の先生のお手が、自然と煙草に行く回数も増している模様です。とは言え、のべつ幕無しの、引切り無しではありませんし、マリも「愛煙家」ですので、先生を信頼し黙ってお任せしております。そう、以前、やはり日記のお友達で、煙草について書かれた方がおり、率直なご意見にマリも考えさせられまして、何度かお互いの掲示板で、意見の交換をさせて頂きましたけれど、最終的にはご理解を頂きまして、とても嬉しい思いを致しました。(以下は、その時の、マリの書き込みを参照しての、再考察です)煙草の「危険性」を知らぬ人は殆どいないでしょうし、以前は野放しだった「場」については分煙などの対処も進んでおりますし、後は自他に対する徹底した管理と責任と意志の問題と思っております。しかし、煙草が、強い「合法ドラッグ」であることを常に考え、そのリスクをきちんと理解したうえでの「喫煙者」は、いったいどの位いるのでしょうか。若年の喫煙者も増えておりますし、単純な年齢制限での警告が、如何に効果が薄く、無責任であることは、容易に判ることです。習慣性、毒性が強い「ドラッグ=薬物」である煙草を用いるには細心の注意と、知識が不可欠なのです。やはり習慣性の強い薬物の類であり、日常手にしているものとして、認識度が薄く、煙草のように周囲に対しての影響を問われることの無い「チョコレート」や、煙草同様、若しくは、煙草よりもっと症状が過酷な「アルコール」もありますけれど、どれも、摂取に伴うリスクと、正しい摂取方法に積極的に触れようとしている運動(公的にも私的にも)は余りなされていないことが、とても不思議に思います。マリの喫煙の機会となったのは、やはり両親でした。母は兎も角、父は大変なヘビースモカーで、パイプと紙巻の両刀でしたけれど、仕事を終え自宅に戻り、自室でゆったりとパイプを燻らす、寛いだ満足げな表情とその匂いは、成人に達し、喫煙が解禁となった私にとっては自然と煙草を手にする大きな切掛けとなりました。父をとても好きだったということもあるのでしょう。信頼し好ましく思う人物の、習慣や嗜好は、やはり歓迎してしまう様ですので。それでも、喫煙が、習慣と化すまでは随分時間がありました。流石に女性でパイプというのは抵抗がありましたし、紙巻の匂いも好きでしたので、最初からかなり特徴のある、所謂「強い煙草」を好んで吸っておりましたけれど、「のべつ幕無し」ということも無く、父のようにTPOを考えながらの喫煙でしたので、社会問題にまで発展した現在よりもずっと以前から、周りには気を配り、自分自身に対しても、不適当と思われる場合、場所では、然程飢餓感も感じず、一・二週間でしたら、殆ど吸わずにおられますし、家にいて忙しくしている時など、殆ど煙草とは離れて(一日中手にしないことも多いのです)生活しております。その反面、お酒を頂く所など、喫煙家が集中する場では、大好きなお酒を片手に、数時間で一箱(勿論肺まで煙は達しております)ということも度々ありますし、葉巻など、兎に角吸い応えのあるものを好みますので、有害物質の総摂取量は、軽い煙草を休み無く嗜む喫煙者とは、大して変わらないのかもしれません(苦笑)。科学的な立証は出来ませんし、その理由も分かりませんけれど、具合が悪い時など、暫らく休煙し、回復した時に戸外で吸う煙草は紛れも無く美味しいものです。マリの個人的動機、志向が果たして、一般喫煙者とどこまで重なり合うのかは疑問ですが、きっと似たようなスタンスで煙草を嗜み、責任とコントロールをしっかりとその手で保持している「愛煙家」は、実際はそれほど少なくは無いことと思います。いずれにしろ「習慣だから」と自分に対しても周りに対しても、考えなく煙草を吸う人を「愛煙家」とは思いたくはありませんし、兎に角も、周囲の人々に悪影響を与えても余り関心を寄せず、マナーを守らない「喫煙者」は、決して「愛煙家」の内には加えたくなく思っております。ですから、そういった不心得者が世間に横行すれば、喫煙者全般の肩身が狭くなることは当然のことですものね。JTと政府には、危険度とマナー徹底のキャンペーンを当然との義務であるとして求めることは当たり前としても、喫煙者自身が、どうしても煙草を嗜むことを大切にしたいのであれば、危険性を認知しルールを守る他は、生き残る術は無いとも考えております。煙草もチョコレートも、原産である南米(マヤ=メキシコ)では、主に皇帝が、その効能とリスクを知った上で服用し、一般でも祭礼など、決まった行事など喫する場合は限られており、単純な年齢制限である、「煙草(お酒)は二十歳になってから」とのスローガンが、如何に効果なく、無責任であるということを露呈していると主張して憚りませんし、その真意に関心を寄せる者が、もし少ないとしても、それは彼らだけの咎では到底ありえないでしょうね。とはいえ、アルコールに対しては、聊かだらしのないマリの主張では、信憑性が薄いとお感じの方がきっと多いと思いますけれど(苦笑)、煙草に関しては、大威張りで(笑)ものが申せますので、どうぞ、もう一度「喫煙」と言うことを、嗜まれる方も、そうでない方も、じっくりと考えられては良いのではと思います。
January 6, 2003
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この、お正月三が日は、のんびりと恒例の行事をこなしながらも、例年とは少々勝手が違いました。と申しますのは、夫が、縁あって母校の非常勤講師を仰せ付かりまして、講義の第一回目がお正月明けの、来る八日にあり、その準備で、年末から追われていたのでした。この三日は、お年始のお客様方をお迎えする為の用意に、大童の合間を見て、講義のレジュメに従い、各章ごとに纏めた内容を、夫が模擬として実際の講義のように行い、マリが「俄か学生(?)」としてそれを聴くという、「確認作業」のお手伝いもしておりました。既にお越しになり、息子と遊んで下さっていた先生を、「聴講」のお仲間に誘ったのですが、「僕は聞いてもわからないから」と仰って、逃げられてしまい(笑)、マリにしても全くの門外漢ですので、判らないところだらけながら、声の調子や、表現、実例などの盛り込み様を主に注意して聞いておりました。二、三気になったところ以外は概ね良いようで、その様に意見、感想を述べますと、ほっとしたように、安堵の笑みを浮かべ、見直し、校正し終わった後は、待っていましたとばかりに、息子を含めた四人で新年のご挨拶と乾杯を致しました。お客様はもうお一方お越しなのですけれど、遠方よりのお出ましなので、到着時間は、かなり遅くなる模様です。最後の仕上げの為、厨房に入りますと、殿方二人は、昨年の自分達のボサノヴァ・バンドの演奏の、録音や録画を見ながら、大いに盛り上がっているようで、一仕事終えてはしゃぎ勝ちな夫に釣り込まれるように、日頃は物静かな先生も何時もよりは興奮気味なご様子で話し、大声で笑っていっらっしゃいます(笑)。楽しげな殿方の様子に、安心してお料理を続けていると、携帯に電話がありました。昨年の12月の大阪で行われたオフ会でお会いしたTawashiさんからで、7時過ぎには、マリの家の最寄の駅に着かれるとのこと。そう、もう一人のお客様とは、Tawashiさんのことなのでした。生憎の雨雪のお天気ですので、愛車である大型のモーターバイクでのご到来は諦めて、鉄道を使ってのお越しに、お気の毒になりながらも、久し振りの邂逅に、嬉しい気持ちで一杯です。夫の、お正月返上の講義準備の為、お料理を含め聊か端折り気味のお正月支度でしたので、お招きするのは気が引けたのですけれど、それでも良いですと仰って下さいましたので、ご紹介方々、先生共々ご一緒にご招待させて頂くことに。一足先に始めさせて頂いているところに、玄関の呼び鈴がなり、Tawashiさんがご到着になりました。寒い中ですのに、それでもお元気そうなご様子で、にこにことされてお出でです。いつもはあっさりとした出で立ちですのに、随分とお気遣い下さったのでしょう、かなり窮屈な思いをされながらの道中だったご様子で、早速の「着替えさせて頂けませんか」とのお言葉にマリも異論があるはずがなく、二階の洗面脱衣室に案内致しまして、寛いだお姿となっての再登場に、皆で改めてご挨拶を交わした後(夫々口々に「『夫』です」、「『先生』です」、「『息子』です」と自己紹介するのには、つい笑ってしまいました~笑)、再度乾杯致しました。本当に申し訳ないほどの粗餐でしたのに(せめてものお持て成しに盛期の伊万里の金襴手のお皿と、李朝の蝙蝠~おめでたい動物なのです~紋の小皿と、蛸唐草のなます皿を使いました)Tawashiさんは美味しそうに平らげて下さり(きっと長旅で、すっかり空腹になられていたのでしょうね)、近況報告などしつつ燗酒の杯の応酬の後、湯豆腐の仕度の為厨房に入りますと、今度は小父様方のお仲間となって、先刻の録画を見ながら楽しげにお話しされるご様子にマリも安心致しました。本当に、人懐こい、好い方なのです。湯豆腐は木綿豆腐、甘塩鱈、下仁田葱、春菊などの食材に、お醤油と葱と削り節(先生にお願い致しました~お得意なのです)の温めた「たれ」を付けて頂く簡素なもので、ネットのお話などに花が咲かせながら、賑やかに平らげ、好い頃合になりましたので、早速お約束の『女王様のカフェ』にお連れしようと致しましたところ、「寒いから止めなさい」との夫と息子の猛反対に合い、泣く泣く(?!)諦め、そのまま自宅で飲むことになってしまいました。お正月は三日間と決め、それも、Tawashiさんは外にお連れして歓待しようと思っておりましたので、本当に碌なお酒の用意もしていず、折角のご来駕に恐縮しつつ、せめてもと母屋から、義父の日頃愛飲している赤のボルドーを、息子に頼んで持ってきて貰い、こうして予定外の、家族を交えての「宴会」が始まりました(苦笑)。愉快なTawashiさんのお人柄か、息子は本より、人見知りの傾向のある先生さえもすっかり打ち解けて、マリとアトリエでの作業中のような、冗談さえ口にされる程です。ワインの後、ビーフィータージンのロックやストレートを頂いての、夜を徹しての「飲み会」は、盛り上がりながらも、夫、マリ、Tawashiさんと、次々と潰れるように寝てしまい、最後まで残った先生と息子が、皆の「飲兵衛」振りに呆れつつ、眠気を覚えるまで続いたのでした(笑)。*久し振りに画像を。母屋の、お正月飾りの床の間の様子です。書と絵のお軸は義父の手によるもの。生け花は、池坊の先生でもある、義母によるものです。
January 3, 2003
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いつの間にか、新年を迎えたといった感覚が、一番近いのでしょうか。「女王様のカフェ」で過ごした、幾分滅茶苦茶な(?!)、「忘年会」の後は、徹底した主婦としての義務を果たすため、25日から始めた大掃除の仕上げに終始し、昨日の大晦日は、そこにお節料理の仕度も加わって、朝から眩暈のするような忙しさでした。そう、年の終わりの昨日は、息子の体調不良の為、毎年、夫と組んで手伝ってくれていた、窓ガラス拭きがこの日まで伸ばされることを余儀なくされ、加えて、さして広くないはずの「椿荘」のお掃除に一週間近く掛かってしまったいらつきも相俟って、三人で右往左往して最後の仕上げに取り掛かっていた所に、母屋から電話がありました。夫に「直ぐ来て欲しい」との義母からの電話で、夫が飛ぶように出掛けていった後、不吉な予感に息子と顔を見合わせ、続いてマリも出向こうとした矢先に、夫から、義父が倒れたので、救急車を呼んで欲しいとの要請が。毎冬で一番恐れていたことが、しかもこの大晦日に起こってしまいました。義父は、会長職に退くも、事実上引退した東京にある自社に、85歳の高齢ながら、それでも週二回は通っていたのですが、流石に体力の低下と、義母を始めとする、家族の心配を受け、昨年11月に完全に隠居の身となりました。その切っ掛けとなった8年前の脳梗塞の発作は、それ以降の冬、特に寒い季節には必ず一度は容赦なく義父を遅い、時には倒れてしまうなど、とても心配な、見過ごすことの出来ない事柄として続いたのでした。一昨年、昨年と、幸い大きな発作はなく、義父も用心深い人間ですので、皆で心配しながらも、つい気が緩んでいた矢先でしたので衝撃は大きく、息子、マリと続いて(119番に電話をしておりましたので)母屋に向かったところ、夫と息子が支える腕の中で意識を失い、蒼白になっている義父の顔を見た途端、悪い想像で、気持ちが動転しそうになってしまいました。懸命に氷で頭を冷やし、必死で呼びかける義母と、青ざめて義父を見詰める夫の緊迫した表情にめげず、なるべく平静を保とうとし、頭を動かさないようにと頼んで、脈を取ろうと致しましたけれど、恰幅の良い義父ゆえ叶わず、それでも大きくため息を着きましたので、呼吸はあると確認、母の呼びかけに少しばかり目も開けますし、手に触れば、冷や汗は掻いていましたけれど冷たくはなく、幾分安心致しました。直ぐに駆けつけてくれた救急隊員の方を手伝って、救急車に載せ、続いて乗り込む義母と、自家用車で息子と共に病院に向かう夫を見送って、留守番を任されたマリは、不安に苛まれながら一人残されてなす術もなく、心配そうにテラスから見下ろすジロに「大丈夫よ。お父様はきっと無事でお戻りになるから」と語りかけるしかありません。義父は本当に優しく、マリは実家の父同様、心から慕っておりますし、義父も、不出来な、不肖の嫁を望外に可愛がってくれ、大好きな義父とお別れすることなど、恐ろしくて到底想像出来ませんし、とても夫婦仲が良く、優しい義母の嘆きを想像するだけで、身の毛が弥立つようです。一日千秋の思いで待ち侘びた、夫からの電話があったのは30分程後で、「直ぐに意識を取り戻し、大丈夫」とのこと。その場にへたり込む思いでした。思い起こせば、一番最初に発作で倒れた場に、偶然居合わせたのは、義母の他には、マリと当事まだ幼かった息子(4歳でした)のみで、夫は赴任先のイギリスでした。やはり懸命の思いで、救急車を呼び、念の為に、夫の兄弟に電話をし、倒れた義父と付き添いの義母、駆けつけた義姉(直ぐ近くに住んでおりますので)を送り出した後、息子の手を握って、泣いてしまったことを昨日の事のように覚えております(息子は、廻らない口でやはり泣きながら「大丈夫だよ、お母さん、おじいちゃんは死なないよ」と言ってくれたのでした)。夫が連れ帰った義父(結局脳梗塞ではなく、貧血~!~でしたので、検査の後に直ぐ帰ってきました)を恐々(?)お見舞いに参りますと、扉の向こうに、何時もの義父の声が。「救急車なんぞ呼ばんでも・・」とバツが悪そうに話しながらも、顔には安堵の表情がありました。本当に、無事で良かったと心から思い、またもや、今は大きく逞しくなった息子に「良かったね、お母さん」と言われてほっとしながらも、それでも、これから後、この様なことを幾度も迎え、その後に遣って来るであろう、避けることの出来ない「運命」に、気持ちは重く澱んでしまいます。 翌日、元旦の今日は、恒例のお墓参りも延期して大事を取り、夜に母屋で、義姉の家族と共に毎年変わらぬ賑やかさで、新年の席を囲めば、何時もは決して同席しない義父(一人でのんびり、テレビを見ながら食事を取るのが好きなのです)が珍しく顔を見せに居間に出向き、その元気そうな笑顔にほっとしながらも、いつか来る「その日」を憂えずにはいられないマリでした。
January 1, 2003
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