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三十、三十一日とすっかりお掃除もお買い物も終え、お正月のお料理の用意をされている方が、きっと多いことでしょうけれど、マリのこの「椿荘」では、まだまだお掃除が終わらず、どうも例年通りには参りません。未だ引き摺る右腕の故障を抱え、磨き仕事や拭き掃除が思うに任せず、加えて何時も頼りの息子が、来年度は中学三年という重要な時期を迎え、勉強に一日の大半を割いておりますので、とても過度に手伝わせる訳にも参りませんし、夫は勤務先での異動後、ますます多忙を極め、一月には海外出張と、昨年に引き続き、母校での特別講義の講師という大役が控えておりますので、下調べや資料の編集、レジュメの作成など準備に忙しく、それでも具合の悪いマリを気遣って手伝ってくれておりますので、それ以上望めるべくもなく、何れにせよ喪中の家ですし、お祝いらしいお正月の仕度はほとんど省略するつもりでしたので、「神迎え」に差し支えが無い様、ある程度綺麗にしたところで、大掃除も良しとしようと考え、のんびりと(笑)構えておりました。新年一日は、決まりごとの婚家のお墓参りの後の新年会、二日はマリの実家の母を迎え、三日は夫やマリの知人友人を大勢招いての久しぶりの新年会がありますので、その準備も含め、喪中とは言え、相変わらずの「椿荘」ですけれど、来年こそは息子の高校受験の為に「静かな新年」となることでしょう。2003年は、世界的にも混迷の態から逃れることができず、個人的にも最愛の父を亡くすと言う悲しい出来事はありましたけれど、それ以外はマリに取りましては良い年で、今年のこの楽天日記の項目をざっと見るだけで、自分の幸せな身の上が思われます。本当に様々な素晴らしい人々に恵まれ、この楽天日記を通してお知り合いになった方々とも、実際にお目掛かったりと親しく交わり、実り多く豊かな年であったことを感謝せずにはいられません。今年の夏から恒例化した、茅ヶ崎の「女王様のカフェ」での、マリの日本画の先生も参加する夫のボサノヴァ・バンドのライブは好評を頂き、来年も引き続きお願いしますねとのマダムのお言葉を光栄に伺いつつ、今年の演奏は無事にお仕舞いとなり、毎月のライブ演奏というステップ・アップを果たしたメンバーは互いにとても満足で、早速新年会を兼ねた練習を一月にということで約束しあったのです。実を申しますと(笑)、マリもボサノヴァバンドで一役買っておりまして、それは「マネージャー」という、アマチュアバンドでは何をしているのか分からないポジションですけれど、中々それはそれで、苦労もあるのです。元々「女王様のカフェ」は、マリのお友達であるマダムのお店で、マリは大分以前からの常連客でとしてしばしば通っていたのですけれど、マダムが偶然マリの夫がベースを弾くことを知り、ぜひお店で演奏して欲しいとの要望で始まった定期ライブで、飽くまでもアマチュアですし、お客様も下手をしますと酔っている場合が多く、必ずしも静かに聞いてくれるとは限りませんので、その際などマダムと共に、演奏者であるバンドのメンバーや他ののお客様との「スムースな交流」を図る為に取り計らったり、選曲や、先生の日本語の歌詞の確認など、思ったよりも貢献している様です(笑)。ともあれ夫、先生をはじめ、マリの「マネージャー」としてのお役に感謝して下さっている、奇特なバンドのメンバーは、結局新年会を取りやめ、多忙であろうスケジュールを縫って年内に、忘年会を兼ねた「マネージャー慰労会」を開いてくれることとなったのでした。当日である28日土曜日の午前中は年末のお掃除に終始し、お昼にはすっかり汚れたエプロンをはずし、着替えて髪も整え、お化粧も直して午後二時からのお客様方に備えます。第一番目にいらしたお客様はマリの先生で、一人一品のお約束に習い、これから「椿荘」の厨房で「ペルー料理」を拵えて下さる為に他のメンバーよりもお早くいらしたのでした。先生は三十代の半ばに南米を一年半程旅されており、その時に覚えられた家庭料理だそうで、鶏肉とジャガイモ、キャベツのポトフのようなスープ煮に、玉葱をペッパーソース(本来なら青唐辛子なのです)であえて辛味を加えたものを添え、うどん(ペルーでは日系人が多いので、うどんは一般的な食材だそうです)を加えるのですが、以前にアトリエでのお昼に作って頂いた事があり、素朴ながらとても美味しく、お一人での生活の長い先生ですので、お料理はとてもお上手で、「何がいい?」との先生のお言葉にマリは思い切り悩んでしまいました。頭の中には先生のお得意なお料理がぐるぐると列をなして回って(笑)、マリを散々迷わせたのですけれど、結局大勢ということで「ぺルー鍋」になりました。前日に購入し預かっていた食材を、早速洗って切り始めます。最初からの「お約束」ですので、マリは食器や道具類の場所をお教えするだけで、側に立ったなり何も致しません(笑)。先生は手馴れた手つきでジャガイモの皮を剥き、骨付きの鶏をお鍋に入れて火に掛けます。お洋服が汚れない様にとマリがお貸ししたギャザーたっぷりの濃いピンクのベロア地のエプロンが、細身のお姿に妙にお似合いになられて、夫や勉強の合間に階上から降りてきた息子の笑いを誘います(笑)。「本当はコリアンダー(香菜)が欲しいところだけれど・・」と残念そうですけれど、煮立ち始めたお鍋からは早くも良い匂いが立ち始め、マリは殆どご用が済んだ事を察して再び階上に上がり、寝室のクローゼットのワードローブから、マリが何もしない時の為に、と決めている葡萄色のシルクの中国のローブ(長衣)を取り出し、羽織ります。胸にはルネ・ラリックのフロストガラスの「松毬紋」ペンダント(二十世紀初頭当時のオリジナルの空色の絹の紐が付いています)を下げ、慰労の会の仕度は整いました。そう、今回の忘年会のお約束とは、午前中のお掃除以外は、マリは「何もしない」ということで、マリは本当に「何も出来ない」装いで再び階下に降りますと、先生がその姿を頻りと誉めて下さいました。他のメンバーである、ヴォーカルのY嬢、フルートのA嬢のお若いお嬢さん方、先生のパーカッションの愛弟子である優しいY青年も続々と集まり、愈々「忘年会」兼「慰労会」が始まります。練習も兼ねた集まりですので、夫々麦酒、お茶などで喉を潤しつつ、暫し休憩した後演奏の為に楽器を手に取り、マリが見守る中、和やかに新曲の打ち合わせが始まりました。好評を博した先生の日本語の歌詞に拠るバンドの新曲は、A・C・ジョビンの名曲「コルコバード」と「エストラーダ・ブランカ(白い道)」で、ブックレットの対訳と違い、柔らかく可憐でさえある先生の作られた詞は、まだまだ覚束ない演奏の中でも美しい輪郭を見せ始め、難しさも感じながら新たに敷かれた可能性に、皆で沸き立つように夢中になって演奏しているうちに、「宴会」の時間となりました。大好きなシャンパン「ルイ・ロデレール」で乾杯し、女性メンバーが用意してくれたチーズやソーセージの盛り合わせを囲んでの歓談は終始笑い声を伴い尽きることはありません。華僑の「大姐」の様と表されたマリの姿は、この晩の宴会に相応しく(?)、メンバーに恭しく遇され、肩を揉んでもらったり、正しく座ったままの上げ膳、据え膳の饗応振りは「慰労会」のお約束通りで、マリをすっかり女王様の気分にしてくれるのでした(笑)。先生の作られた大鍋の「ペルー鍋」は勿論大好評で、シャンパンの後のブラジルのスピリッツ「ピンガ」と共に息子を交えた大勢であっという間に平らげられ(笑)、その後はお待ち兼ねの、マネージャー・マリの為のミニ・コンサートとなりました。「お抱え楽団」が「女王様」の前で演奏するように、やはり恭しい(笑)様子で徐に始まった演奏は、お馴染みのボサノヴァの曲で始まり、マリの大好きなY嬢のオリジナル曲と続いて、「ムーン・リバー」などの耳慣れた曲、そしてカルトーラの古いサンバ「人生は風車」が、先にポルトガル語で歌われた後、先生の詞になる日本語の、その含みのある深い内容の詩が、美しいギターの音色と、先生の優しい声と共に、椿荘の居間に響きます。美しく繊細無比な歌に、少しばかり酔っていたマリは思わず涙ぐんでしまい、先生がマリの亡き父の葬儀の際、寄せて下さった詩句、「人は皆、育てた花だけで飾られる・・」の一節で終わるその歌に感動を禁じ得ませんでした。この半年のバンドの進歩は目覚しいもので、ブラジル音楽に造詣が深く、演奏経験も長い先生は当然のこととしても、殊にヴォーカルの女性の変化は目を見張るようで、最初は自信無げで声も小さく、心許無い風情の少女のようだったY嬢は、いまやすっかり成長して一人の「表現者」として、しっかりとした堂々の歌い振りです。以前貰ったお手紙の中で、音楽と、マリや夫、先生に「恋をしている感じです」と書いてくれた直向きで、純粋な心が結実した美しく素敵な歌の世界は、これからもますます広がっていくことでしょう。結局マリを囲んでその宵は、夜を徹しての親密な会話と音楽で満たされ、皆で新しい年に置ける飛躍と可能性を夢に見つつ、何時果てるとも無く続いたのでした。
December 31, 2003
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24日はお馴染みの「女王様のカフェ(本当の名称ではありませんけれど、マダムの話し振りや振る舞いがその通りですので、そう呼ばれております~笑)」のマダムの、どうしてもクリスマスソング~賛美歌です~を聞きたいとのご要望を受け、マリが仕方が無く(?)歌う為もありまして、クリスマス会を兼ねたワインの会に参加するべく、久し振りのイブの外出となりましたけれど、やはり年末など混雑する時期は「家の中」が良い様で、赤と緑で綺麗に飾られた商店のショウウィンドウを覗いたり、色とりどりのイルミネイションに心を惹かれたりと楽しいような気も致しましたけれど、何故か疲れてしまい結局比較的早い時間に帰って参りまして、夫とささやかに乾杯して満足の後はお酒の力も借りまして、ぐっすり寝てしまいました。クリスマス・デイである25日は、父を亡くしてすっかり寂しくなった、実家の母を招いてのクリスマス・ディナーがありまして、朝から年末のお掃除も兼ねまして大忙しで、婚家の父母の家である母屋の洗濯機を拝借し、義父母と楽しくお喋りをしながらお洗濯を済ませた後(マリの家の洗濯機~ドラム式です~がこの年末の忙しい時期に壊れてしまいましたので)、何時ものように買い物籠を下げて、駅前の商店街にお買い物に出掛けます。何時ものお魚屋さんに、カルパッチョにする為の、新鮮な鯵を下ろして貰っているうちに他のお店に買出しに行きます。年末は道路も混雑しますし、駐車場も満車の事が多いのでこうして夏の半ばからはじめたお散歩がてらの徒歩でのお買い物は都合が良く、それ程重い荷物でなければ苦になりません。例年でしたら、近隣の茅ヶ崎ルミネやジャスコでクリスマスらしい気の利いたテイクアウトや食材を買い求めるのですけれど、大分そういったものにも飽きておりますし、今年は地元の商店会で求めた、素朴ながらしっかりとしたお品でお料理を作るつもりでおりました。お魚は勿論のこと、地場のお野菜や、お肉は商店街のお肉屋さんで求め、美味しいパン屋さんが二件もありますので、幾種類か選って、何件か廻るうちに籠の中は一杯となりました。重くなった籠を問題の無い方の腕で下げ、お魚屋さんに戻りますと、女将さんの姿は見えず、何時も感じの良い息子さんがきびきびと応対してくれました。このお魚屋さんとは今年の夏以来のご縁ですけれど、50才前後の女将さんと買物中、短い時間ながら色々とお話をしていくうちに、とても面白い方で、生活や食事についてなど、マリととてもお話が合うことに気が付き、よくよくお話を伺いますと、美術大学と大学院で陶芸を学び、お魚屋さんの跡継ぎであるご主人とご縁があってこの地に嫁ぎ、二代目であるお姑さんに色々と学ばれてお店を継いだのだそうです。唯お品物を売るだけでなく、この町にすっかり馴染まれ密着した暮らしを送りながら、意識も高く色々とご存知で、教育のことや、日常生活などにもきちんとしたお考えをお持ちで、流れのままお店を継いだのではなく、敢えてお魚屋さんになったのだということが良く分かります。「普通の(食)生活がしたいです。」とは女将さんのお言葉ですけれど、マリも全く同感で、贅沢と言う意味ではなく、普通のきちんとしたものが食べられればと常日頃から思っておりましたので、それがなかなか難しい昨今では本当に有り難いことです。この日は鯵以外に、ご主人のお友達が秩父市で経営している鶏の放し飼い農場の卵を買い求めました。抗生剤などは一切使わず漢方薬で健康管理をし、勿論飼料はオーガニックで、「とても安全なので、生で食べられます」と、最初お試しに一パック頂いて以来、大好きになりました。品質は勿論、お味が濃く、妙な生臭味がなく、卵が大好きなマリにとって、生や半熟で美味しく食べられる、殆ど理想的な卵なのです。一般的な卵よりはかなり高価ですけれど、毎日のものですし、一日に何個も食べるわけではありませんので、定期的に購入することに致しました(勿論加熱用の卵も別に買っておりますけれど)。「鯵、凄く美味しいですよ」と、嬉しそうに包みを渡す息子さんの笑顔は自信に溢れ、この良心的なお魚屋さんの良き発展を心の中で祈りつつ、お店を後に致しました。途中、中学校から補修授業を終えて帰路を辿る息子に偶然会い、すっかり重くなった籠を息子に託して、二人でのんびり坂を登って家に到着しますと、早速仕度に掛かります。今年のメニューは、新鮮な鯵のカルパッチョと烏賊のマリネ、半熟卵(前述の卵です)のアンチョビソース添え、粒マスタードを添えたハム(ネットショップで買い求めたものです。ドイツ製法で、アミノ酸調味料やステビアは一切使っておりません。)、ゴルゴンゾーラとホウレン草のクリームスープ、メインは、国産豚に、ベーコンの厚切り(やはり同じネットショップのベーコンです。香りが良くとても美味しいのです)を挟んで、ローストしたものに、温野菜という、例年に比べ、本当にシンプルですけれど、しっかりとした食材を使用し、普通で美味しいものをと考えるマリや家族を満足させてくれるディナーとなるようにしっかりと作ります。 六時半を廻った頃、夫が実家の母を伴い帰って参りました。お気に入りのデミパフミンクのコートを羽織り(マリの毛皮好きは母譲りです~笑)大荷物と共に愛犬である二匹の黒いトイプードルを連れ、何時もながら心もとない風情で到着した母は、室内に入るや否や早速機関銃の様にマリに向かって話し始め、息子を捕まえて褒めちぎり、夫に向かって今回のお葬式やお墓のことについての謝意などを、堰を切った様に(苦笑)聊か興奮気味にまくし立てる姿を見て、理解を寄せながらも、流石に作業の妨げになりますので仕方なく幾らか母のお喋りを制し、兎に角座って落ち着いてもらうことと致しました。「寂しくて仕方がないの」がすっかり口癖になってしまった母ですが、一時は減少した体重もほぼ元に戻り、血色も大分良くなって、健康そうな様子ですけれど、日頃から「~だから出来ないの」と、悲観的、否定的な言葉の多い母ですので、父亡き後どうしてもその傾向が強くなり、姉とマリの危惧の元となっております。元々陽気で多弁な母ですけれど、依頼心が強く、ずっと父に頼りきりでしたので、淋しさと共に心細さが余程応えるようで、何時ものおろおろした調子に不安気な仕草が加わり、マリも見ていてとても辛いのです。でも、今夜は頼りになるマリの夫と優しい孫である息子がおりますので、母もきっと安心していられる筈です。仕度も整い、整えられたテーブルに集って、愈々食事が始まりました。シャンパンで乾杯の後、何時もより「地味」なお皿の様子に、誰も疑問や不満は口にしません(笑)。それどころか美味しさに顔も綻び満足の様で、やはり食材の勝利でしょうか。母も美味しいを連発して、健啖振りを発揮し、マリ達をほっとさせてくれました。我侭でも大好きな母ですので、久し振りの笑顔が嬉しく、ケーキ、紅茶と食事が終わり嬉しげにお喋りしているうちに、「ご免なさいね。ママ、眠くなってしまったから。とても美味しかったわ。」と幸せそうな表情で床に就く為、和室に引き取る母と犬達を見送って、夫と顔を見合わせ、心の内で互いに満足の微笑を交わしつつ、今年のクリスマス・ディは静かに更けて行きました。
December 26, 2003
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愈々クリスマス・デイが間近となり、きっと素敵なパーティのご予定や、既に楽しい一時を過ごされた方も多いことと思います。楽しみごとの多いこの季節で、マリもご多分に漏れず、十二月の半ばを過ぎた辺りから、お約束やお誘いが多々ありまして、勿論体調を考え考えですけれど、それこそ週末と土曜日曜のお休みは、ほぼ漏れなく予定が入っており、先達ての金曜日は夫の勤務先の方々と青山にあるライブハウスで賑やかに過ごし、土曜日は息子を連れての、茅ヶ崎のお仲間との年末の会合と飲み会、そして日曜日にはクリスマス・パーティがお昼間と夕方からと、二つもありまして(笑)、この日は文字通り「はしご」をして参りました。実はその楽しいばかりの筈の「パーティ」で、とても困ったことが起きたのです。お昼の部は、茅ヶ崎の議員氏を囲む聊か政治色の強い会で、その様な会は何時もですと少々引け腰になるのですけれど、随分とお世話になっていることもあり今回は出席する事に致しまして、少し遅れてマリの日本画の先生と共に伺いますと、既にたくさんの支援者が集まっており、その中にはマリと先生が親しくしている方々のお顔が、ちらほらと見えました。まだ、さる国会議員の方のお話しの最中でしたので、会費を払った後、目だけで挨拶をし、空いている席に座りソフトドリンクを手に、静かに第二部を待ちます。第二部は議員氏の支援者による、音楽や舞踊などのパフォーマンスが主で、マリの知人でプロフェッショナルとしてヴォーカルのお仕事をしている女性も出ますので、今度はソフトドリンクを麦酒に変えて、他の方達の演目を楽しみながら、彼女の出番を待ちます。サンドウイッチや鳥の唐揚げ、ソーセージなどの軽食が、各クロスを敷いた丸いテーブルに並べられ、席を立って歓談する人や、夫々の演技に歓声を上げるなど、第一部とは違いぐっと砕けた雰囲気となり、早くも数人の紳士のお顔が赤くなっているのがわかります。マリも先生と共に演奏や演技を楽しみながら、親しい方々との歓談を楽しんでおりますと、不意に後ろからマリの両肩に触れる手を感じ慌てて振り返りますと、六十年配の白髪の紳士で、確かに見知った顔ではありますが、すぐ様名前も出ず、やっと以前一緒に議員氏の指揮の元、市民活動をした方と思い出しましたけれど、かといって特に親しいわけでもなく、幾らか聞し召してお出でなのか、何事かを話しかけながら嬉しそう(!?)にしているその老紳士を振りほどくのも忘れ、しばし呆然としておりました所、聊か強い語調で「こういうところで、そんなことは・・」と先生が助け舟を出して下さいまして、やっと難を逃れました。その後も先生は「非常識極まりない」と憤慨しておりまして、きっと困惑したまま立ち往生のマリの代わりに怒って下さったのでしょう。その後は何事も起きず、知人の演奏も楽しみ、次のパーティ会場に鉄道で移動致しました。先生はこのパーティでは夫と共に演奏致しますので、会場時間よりも一時間程早い到着で、同じく夫々のバンドのリハーサルの為に早めに会場に到着していた、友人知人とご無沙汰の挨拶を交わし、近況を尋ね合うなど、会場の時刻までゆったりと過ごしました。先生と夫のバンド(昔懐かしい「セルジオ・メンデス・ブラジル66」のコピーバンドです)のリハーサルも無事終わり(やはり先生のヴォーカル振りが評判だったようです)、定刻より幾らか遅れて開場、早速一番バーコーナーに近い(笑)丸テーブルに陣取りまして、早速遣って来た、親しい友人達と麦酒で乾杯です。気が付くと広い会場はお客様でごった返して、同じテーブル正面にはマリの知らない、若い日本女性と外国人男性のカップルも立っておりました。久し振りに会った気の措けない友人達と、他愛なくも楽しく歓談しておりますと、先生がバンドの打ち合わせの為暫時テーブルを離れ、他の友人達も飲み物やお料理を取りに席を外しますと、いつの間にか一人になった件の外国人男性が、マリの傍らに立っております。実は先程から、どうやらこちらをちらりちらりと窺っていたようなのですけれど、マリは気が付かない振りをして、知らん顔を決め込んでいたのですが、誰もいなくなったのを見計らったのか、ライターを貸してくれと言うのです。マリは仕方なく黙ってライターを差し出し、正面舞台の演奏に集中しようと致しますと、流暢な日本語であれこれ話しかけて参りまして、マリはいい加減逃げたかったのですけれど、誰かしらの友人知人では困ると思い、特に邪険にはしませんでした。が、終にある種の言動と要求をマリに示し始め、流石のマリも意を決して、既婚であることと夫がそこの舞台袖にいると言うことを告げ、きっぱりとお断りしたのですが、こちらの言っていることが分かっているにも拘らず、呆れたことに傍を離れようとしないのですっかり気持ちが悪くなり、飲みものを取りに行く振りをして、その場を離れますと、今度は遠巻きにして付いて来るのです。咄嗟にたまたま傍にいた親しい友人のご主人に事情を話し、傍にいて頂きましたら、すっとどこかに行ってしまいましたので、マリはほっとしてテーブルに戻りました。打ち合わせを終え戻ってきた先生に先程のことをお話致しますと、随分心配され、念の為にずっと一緒にいて下さることに。少し安心し気を取り直して、各バンドの演奏に聞き入っておりますと、いつの間にか件の外国人男性が、また近寄って来ていたのに気が付き、マリは思わず逃げ出してしまいました。先生が睨み付けてくれたらしいのですが、その時だけはふっとどこかに行ってしまい、また戻ってくるのです。マリは「困惑」を通り越した、気持ちの悪さに恐慌状態になりかけておりました。そう、肝心の夫ですけれど、始まる前にとある用件で、夫に対しマリがすっかり怒ってしまい、夫に助けられるくらいだったらと、意地を張って決して助けを求めまいと思っていたのでした。直ぐにでも家に帰りたかったのでしたが、一人きりになるなどどう考えても無謀の一言ですし、パーティは中盤に差し掛かり、頼りの先生はこれから演奏を控え、とても会場を離れることなど出来ません。余程大声を出して追い出してもらうことも考えたのですが、ライブ中心のパーティで、しかも一生懸命演奏している方達のことを考えますと、ことを荒立てることも出来ず、時間中マリは唯ひたすら逃げ回るしかありませんでした。一度などは、他の女性(ちなみに最初の連れではありません)と踊りながら近付いて来るなど、わけの分からない行動に益々恐怖を感じ、ひたすら避けるより無いのでした。待ちに待った夫達のバンドの演奏が始まり、平静な、楽しんでいる風を装いながら(やはり付近をうろついておりました)、最後の曲で盛り上がる他の女性達と、マリも一緒に舞台に上がり、夫に自分の置かれている状況を手短に告げ、兎に角大急ぎで逃れるように会場を、演奏を終えたばかりの先生と、もう一人の青年(先生のパーカッションの愛弟子です)と共に飛び出しました。会場付近の繁華街らしいごちゃごちゃした町並みさえ厭わしく、吐き気に似た不快感と憤激の思いで、酔いも手伝い、優しい先生と大人しいY青年を相手に、滅多に無いほど激昂した調子で怒りの感情を露にし続け、お終いにはすっかり悲しくなって、涙さえ込み上げて来てしまいました。折角楽しみにしていた友人達とのパーティはすっかり台無しとなり、疲れ果て、兎に角茅ヶ崎に戻ろうと、先生に伴われ漸く「女王様のカフェ」にたどり着いた時はすっかり具合が悪くなってしまい、ストレスの為か心臓も変調を訴え、心配顔のマダムに休憩場所を拵えて貰い、いつものお仲間に囲まれた時、本当にやっとほっと出来ました。「頭がおかしいんだよ、あの男は。嫌だって言っても聞かなかったんでしょう?」と何時もなら穏やかで滅多に怒ることのない先生が怒りを隠さず、吐き捨てるように仰います。「それに女性に対して平気で失礼な行動を取るあいつも同じだよ。○○さん(マリの本名です)が優しくて、周りに遠慮して、我慢していることに付け入るなんて、本当に最低だな。女性を尊敬できない奴は本当に許せないよ。」先生の尤もな怒りにマリも全く同感でした。「今度何かあったら、もう我慢しなくていいから。僕も言ってあげるし、それで雰囲気がこわれても仕方が無いよ。気になんてしなくていい」との有り難いお言葉に、少しは気持ちの収まったマリです。先生は弟子であるマリを日頃からとても大切に思って下さり、常に敬意を表しつつ、丁重に扱って下さいますので、その様な無理無体や無遠慮な態度、暴挙が心底許せないのでしょう。夫もマリが置かれていた状況を、立ち去った後にやっと分かったらしく、随分心配していたそうなのですけれど、やはり同様のことを言っておりまして、これからもし似たようなことがありましても、幾分か安心です。とは言え、困惑と不快感と恐怖は未だに拭えず、取り合えずその後に控えていた大掛かりなパーティやイベントは参加を取り止めとし、この年末は家族や極親しい友人だけと過ごすことに致しました。何れにせよこんなに不愉快な目に会ったことは殆ど無く、ではやはり可笑しな人間が増えているからと思い勝ちですけれど、考え方の可笑しい人間など昔からいるわけですし、特に女性に失礼な考え方を相変わらず持ち続けている男性は、心得違いな考えを是正することなく、其の侭お年をとることも在り得るわけですものね。マリは未だ怒り心頭ですので、次は容赦は致しません。婦人らしい配慮や優しい態度が逆効果に成り得るのだと、不愉快ながら思い知らされたマリは、やはり冷たく映ろうとも、必要な時には毅然とした態度で断固として臨むことが不可欠と納得致しました。ともあれ、礼儀正しく、控えめな紳士方には常と変わらず好意的に接するつもりですけれど、そうでない方にはそれなりに対応致しますので、どうぞお覚悟を(笑)。
December 21, 2003
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結局何時もの伝で、前回の日記の続きを書けずに終わってしまいました(苦笑)。この日は歯医者さんでの治療も無事済みまして、その後何時も通り茅ヶ崎にあるマリの日本画の先生のアトリエに参りまして、作業を致しました。右腕の痺れと麻痺ですけれど、やはり長時間圧迫した事による、一時的なものと分かり、ほっとしております。皆様には本当にご心配をお掛け致してしまい、申し訳ありませんでした。まだ親指と人差し指付近に痺れが残っておりますけれど、概ね大丈夫の様で、唯、極端に握力が無くなり、力も入らなくなってしまって、文字通り「箸より重いもの」が持てなくなりました(苦笑)。そう、木曜日の夜は、議員氏のお相伴で、横浜の大桟橋ホール内のレストランに参りまして、フレンチをご馳走になりましたけれど、やはりシルバーを持つ手がだるく、夜景もお料理もとても素敵でしたけれど、少々草臥れてしまいました。既婚の身ですので、公認(!?)の「お相手(保護者代理でしょうか~笑)」である先生以外とは、基本的に殿方との一対一でのお出掛けは控えたいマリですけれど、議員氏は勿論夫とも親しく、気心も知れた長年の友人ですし、県議となって益々お忙しい議員氏の、込み入った日程を押してのお誘いですのでお受けすることにし、夜の「デート(笑)」となりました。待ち合わせの関内駅に早めに着いたマリは、年末らしく慌しい様子で行きかう人々の、真冬らしい暖かそうな仕度を眺めて目を楽しませておりますと、やっと議会を終えた議員氏が時間通りお越しになり、早速タクシーで「目的地」に向かいます。事前のお話で「ふぐと、高級洋食とどっちがいい?」と希望を聞かれておりましたけれど、マリは率直に「ご予算もおありでしょうから、ご招待側にお任せ致します」と申し上げて決定権を渡してしまいましたので、目的のお店を知りませんでした。議会でのご苦労(愚痴?)を伺いながら、みなと大通りを、横浜記念会館を左に懐かしく見上げながら走り、議員氏が今しがた本会議を終えて後にしてきた県庁の前を再び通り抜けて(笑)、向かった先は、昨年リニューアルされた大桟橋に新しく作られた、「大桟橋ホール」のレストランでした。早い時間の所為か、広いロビーの中は閑散としており、お昼の営業を終え、店じまいを始めた売店を横目で眺めつつ、お船のデッキを思わせる、外国の建築デザイナーの手になる凝った造りの長い回廊を歩いていきますと、回廊に沿ったバルコニー越しに、クリスマスシーズンのイルミネーションに飾られた、それは華やかで素晴らしい夜景が広がります。大分経って到着したホール脇の、ほの暗い照明の向うに、レストランのエントランスが見えました。予約は入れていなかったそうなのですが、身形の良い、立派な紳士である議員氏のお蔭でしょうね、丁重に迎えられ、窓際の見晴らしの良い席に通されました。やはり、年末らしく、早い時間ながらお客様で主要なテーブルはぽつぽつと埋まり、そうでないテーブルには、アクリルの「RESERVATION」と書かれた板が置かれ、人気のあるお店とわかります。お料理は生憎アラカルトが用意出来ないそうで(お店が予約で混んでいるからでしょうね)、仕方なくフルコース(前菜二品、スープ、口直しのソルベ、主菜のお魚、お肉、デザートでした!)をお願い致しましたけれど、マリの「体が悪いので、出来ましたら半量にして頂きたいのですけれど」という我侭な申し出を快く引き受けて貰えまして、嬉しさが倍増です。冗談のお好きな議員氏の「女性を口説く時に使えるかどうか(反応)を試したかったんだよね」とのお言葉に、「私ごときで生憎でしたけれど、ここだったら請合いますわ」とご返事申し上げますと、愉快そうに笑ってお出ででした(笑)。眼前に広がる夜景の美しさもさることながら、広々とした店内に点在する清潔なクロスを敷かれたテーブル、天井の高い快適な空間に雰囲気のある照明、現代的な凝った丁度や設え、デザイン性の高い什器は、デザイナーでもある議員氏のお眼鏡に適ったのでしょうね。お給仕の方々も皆若くハンサムで、とても丁寧でお客あしらいがお上手ですし、「今は雇用が買い手市場なので、必然的に高級店には良い人材が集まるのでしょうか」と申し上げますと、議員氏も同意されて「異常景気の時は、酷いのが多かったからなあ」と仰います。唯、難を言えば、制服が美容院の技術者か、昔のディスコのウェイターみたいですねとの、口の悪いマリの感想に、再び笑われてお出ででした。お料理は、新鮮な牡蠣や鮟鱇の肝、真鱈の白子を使った、和風の新フレンチと言った様子で、お味もコース料理ならではの、緩急を利かせ、濃いもの薄いものの組み合わせで変化が楽しめ、シェフの意気込みを感じさせます。マリの夫は余り外食が好きでなく(仕事関連の宴会や会食が多い所為なのでしょう)、残念そうに、そう申し上げますと、「外で美味しいものを食べないと、自分で作る時にイメージがわかないんだよね」と仰います。議員氏は、調理師の資格をお持ちでいられる程、お料理がお上手で、忙しくなられた昨今は兎も角、市議時代は、地元の支援者を集めて、中華やお寿司、イタリアンなどのお料理の会を催しては、その自慢の腕を振るっておりましたので、やはりお料理好きなマリとお話が合うのです。真鱈と白子のソテーに添えられた香ばしくローストされた葱を、「下仁田葱」か「リーク」かというお話になりまして、最終的にお店の方に伺いますと、「ポアロ葱(リークの「親戚」です。でも実は下仁田葱も遠縁ながら近い存在の様です)」ですとのお答えを頂き、このささやかな楽しい論争の勝者はマリとなりました(笑)。デカンタージュしたコート・デュ・ローヌの赤ワインも申し分なく、気が付きますとお店はほぼ満席となり、湾を隔て、通う観光船も一花を添えた、窓一杯に展観される色取り取りのイルミネーションを背景に、美しく着飾ったご婦人方の集団や、忘年会らしい賑やかな殿方の一団が、シャンパンの杯を掲げて楽しんでいる様子は、一年中で一番華やかな季節である師走に相応しい風物と言えるでしょうね。お腹一杯になったマリと議員氏は、ロイヤル・パークホテルのアスコット・バー(マリのお気に入りです)や、パン・パシフィックホテルのメインバーなど、次のお店をあれこれと考え始めましたけれど、結局「茅ヶ崎に帰ろうか」という議員氏の正直なお言葉にマリも直ぐ同意し、華やかな年末の夜景にあっさりと(笑)お別れを告げ、何時もの女王様のカフェで、何時ものお仲間達に囲まれて寛ぐ楽しさに、気持ちは既に移行しているのでしたそう、帰りのタクシーの中で、食べ過ぎの為に苦しいお腹を擦る議員氏に進言致しましたのは、意中の女性を誘う時は、やはりフルコースのフランス料理は禁物ということでした。苦しい程お腹一杯では、それ以上楽しい会話は続きませんものね(笑)。
December 18, 2003
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この「椿荘日記」をご訪問下さった皆様に、多大なお気遣いとお見舞いのお言葉を頂きまして新たに御礼申し上げます。ご心配をお掛けいたしましたけれど、当初心配していた脳関連ではなさそうで、ほっと致しておりますけれど、念の為、精密検査を致しますので、どうぞご安心下さいね。本当にとんだお騒がせ者ですけれど、これ程色々な方にお心を掛けて頂いて、マリは本当に幸せ者と感じ、嬉しく思っております。右腕は相変わらず軽い麻痺と痺れがありますけれど、家事の妨げとは余りならなくなりましたし、「慣れる」ということは、人間の一つの大きな才能なのでしょうね。肩こりや筋肉疲労は続いておりますけれど、発症時のような不自由さからは大分解放されまして、やっと日常に戻れた感があります。ここ数日は師走らしい寒い日が続き、一日の終わりのお風呂の中で、冷えた体を心地よく温め、マッサージをしてぐっすり(と申しましても、何時に床に就いても早朝に目が覚めることには変わりはありませんけれど)と眠り、目覚めると前日より幾らか楽になっている様です。きっと段々に症状は軽減されて行くことでしょう。暫く間の開いてしまったこの「椿荘日記」ですけれど、リハビリを兼ねてこれからはなるべくまめに少しずつ書いて行こうと思いますので、どうぞまたお越し下さいね。さて、今日の予定ですけれど、これから歯医者さんに行って参ります。この日記の中でも折に触れ、マリの歯が極端に弱く、子供の時分からずっと難儀をしていたこと書いておりましたけれど、今の先生にご縁が会りまして早くも三年経ち、根気良く治療を続けて頂いて(横着なマリは何度か挫けそうになり、その度に励まして頂いて、今日がある様なものですので~苦笑)、漸く終わりが見えて参りまして、今日入る奥歯のクラウンが済みましたら、今は仮歯となっている二本の前歯で治療完了です。本当に今まで、何本の歯を治療したか分からない(半分以上、と言っても過言では無いと思います)程で、新しい虫歯というより、以前治療した歯が時間の経過により再び悪化し、酷くなった所を、保険外の歯科材料やインプラントで自費治療しておりますので、費用も考えたくないほど膨れ上がってしまい、夫に溜息を付かせております(実家の母が夫に、「本当に、弱くてお金の掛かる娘ですみませんね」と謝っておりました~苦笑)。その後は、何時もの日本画の先生のアトリエに参ります。それでは帰って参りましたら、夜にでも続きを書きますね。後ほどお会い致しましょう。
December 12, 2003
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月曜の朝も早々に起きだし、やはりそっと右手を開いたり握ったりしてみますと、麻痺と強張った(普段でもその傾向がありますので、余り気にはなりません)感覚はありましたが、酷くなった様子はありません。幾らかほっとして、家人の朝食の用意と、PCのメールチェックの為に、着替えて階下におりました。厨房で最近は毎朝欠かさず飲む緑茶の為のお湯を沸かそうと、ついうっかり右手で薬缶を持ち上げてしまいましたけれど、当初異常に気が付いた時のバッグの様にすとんとは落ちず、少しは回復しているのかしらと思いました。加えて、不自由な手ながら何とか左手で庇いつつ、自然に麻痺のない別の筋肉の部位を使うことに移行し、また慣れて来たのでしょう。その所為か、昨日は感じなかった筋肉痛らしきものが右腕全般に走り、左手も右手を庇う負荷が生じたのか肩から肘、手首に掛けて凝った感じが致します。リハビリを兼ねて溜まっていたメールの処理と、ずっと書けずにいたこの楽天の日記を、ご報告も兼ねて書き始めますと、最初は、ダブルクリックも難しく、入力ミスも多かったのですが、暫くキイを叩いているうちに何とか少しずつ文章等をスムースに打ち込めるようになりまして、土曜の晩は読むことしか出来なかった状況から致しますと格段の進歩です。マリは「主婦」ですので、不自由だからと言って日曜日の昼食会のように、日々の暮らしも「上げ膳据え膳」で、とは勿論参りませんし、PCの入力で少し自信が付きましたので、簡単な朝食を供して家族を見送った後、ずっと放置してあった食器を恐る恐る洗うことに致しました。息子に頼めば遣ってくれたのですけれど、お客様用の高価で繊細な食器ばかりですので、万が一、と考え頼むのを止めておりましたし(母親であるマリのことを良く知っている息子は、そのことを判っているのでしょうね。お手伝いを申し出るどころか、何も言いませんでした~苦笑)、食器洗い機はマリの家にはありません。新築時に検討したのですが、金線を施したものや手描きの物、古い和陶磁器が多いので、色々考え設置を見送ってしまったのですけれど、やはりこういう事態の時はきっと役にたったのかしらと思いますと、少々悔やまれます。努力と工夫で、何とか少しずつ食器の山を減らして行きますと、流石に筋肉の使い方に無理があるのが、肩凝りが酷くなって、少し気分が悪くなり、小休止です。大概のことはのろいながら何とか出来るにしても、クリップの類を開閉したり、鋏を使ったり、布類を絞ったり、瞬間的に力を必要とすることが中々出来ず、卓上のお花の水切りも覚束無いとあっては、やはり情けないの一言でしょうか。そう、マリの暮らしをご存知の方なら、もう一つ大きな問題があるのをもうお気付きでしょうね。それは「日本画」のお稽古とお手伝いでした。実は、腕が麻痺して真っ先に確認したのは、鉛筆や筆が使えるかということで、雑紙に鉛筆やボールペンで名前を書こうとしましたら、やはり一定以上の筆圧が必要なものは難しく、線がぶれたり、急にがくっと曲がってしまったりと思うに任せませんでしたけれど、筆だけは意外な程問題なく、寧ろ何時もよりも軽やかに(?)、無駄な力も加わらずに線が掛けた時は流石に唖然としてしまいました(苦笑)。要は力の強弱が問題らしく、食器洗いにしても重いお皿などでなければ、然程難しくはありません。この月曜は、何時ものアトリエに伺う日で、当初は作業になるか不安だったのですけれど、このことで希望が沸き、また先生も、「無理でなければいらっしゃい」と仰って下さったので、車ではなく電車で向かい、何時もより、もたつき、覚束無い手つきながらアトリエでの作業に終始致しましたけれど、弟子の義務(と、マリが勝手に?決めております)である「溶き皿洗い」は流石に免除と言うことで、「これは、これで・・?」と能天気なマリはつい思ってしまいました(苦笑)。「一時的な血行不良で、血栓が出来たのかしら」と先生は心配顔でしたけれど、意外な程のマリの元気な様子を、幾分安心された表情で眺めていらっしゃいました。帰宅してからも、なるべく簡便にと、お弁当と鍋物の併用でお夕飯をあっさりと済ませ、後片付けを今度は家族に手伝って貰い、右腕を庇いながらの家事は当初心配していたよりは、順調にこなすことが出来、この日記を書いた火曜日は、必死のリハビリの効果があったのか、例に寄って筋肉痛と痺れは相変わらずでしたけれど、大分軽減致しまして、やっと車のハンドルも握り、辛いながらお洗濯物を干すことも出来まして(最初はハンガーに掛かった衣服を取り上げることさえ出来ませんでした)、本当にほっと致しております。楽天日記のお友達の皆様には、すっかりご心配をお掛け致してしまい、申し訳ありませんでした。唯、今後のこともありますので、原因の解明とアフターケアも含めて、大学病院に診察と検査に参りますので、どうぞご安心なさって下さいね。加えて、無謀ながらも本当は臆病で小心者のマリですので、異常を感じて以来は、休酒、休煙を心がけておりますので、どうぞご安心を。とは言え、禁煙は兎も角、禁酒の道はやはり遥か遠くの「見知らぬ道」でしょうか(笑)。
December 9, 2003
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困ったことが起きてしまいました。右手が、思うように動かなくなってしまったのです。軽い麻痺の様な感じで、指先は動くのですが、肘から手の甲に掛けて感覚が鈍く、力が入らなくなって、物を持ち上げたり握って固定したりすることが出来ません。異変が起こったのは六日の土曜日で、その日は夫とマリの共通の友人がお昼に訪ねてくれることとなっておりまして、夜に予定を控えていたマリでしたけれど、大童で昼食の用意をし、皆で楽しく午餐のテーブルを囲み、大急ぎで夜に向けての仕度を整え、半年近く前から、ずっと楽しみにしていたサントリーホールでの、ズービン・メータの指揮によるイスラエル・フィル「マーラー第六交響曲」のコンサートに出掛けまして、素晴らしい演奏に大満足した後、名演奏ぶりに興奮気味だったアフターコンサートの酔いも手伝い、何時もの特別車両の中で気持ちよく転寝をしていた際にずっと右腕を圧迫していたらしく、目が覚め車両から降りる段になって、車窓に寄りかかっていた側の腕がすっかり痺れてしまっていることに気が着きました。その時は何時ものことと然程気にも留めず家路を急いだのですけれど、自宅にたどり着いて、コートやバッグを置く段になって右腕の異常に気が付いたのです。玄関先でコートを脱ごうと、右腕に掛けていたバッグをそのまま滑らせて手で受け止めようとしたのですけれど、力が入らずそのまますとんと玄関の床に落ちてしまい、その上コートのボタンも外そうとして叶わず、手首はぐにゃりと力を失い、腕は相変わらず痺れたような鈍感覚の侭で、マリは困惑と軽い恐怖に駆られてしまいました。それでもこんな夜更けに騒いで家人に心配を掛けてはと、異変を告げずに黙って通し、その日はお風呂の中で軽くマッサージをして直ぐに休むことに致しました。翌日は、亡き父の納骨の日で、何時もの伝で早起きのマリは仕度のことも考え、早い時刻に、傍らで寝息を立てる夫を起さない様にそっと起きだし、薄暗がりで右手を恐る恐る動かしてみましたけれど、やはり症状は昨夜と変わりません。気を取り直し、ぎくしゃくとした動作で着替えて、昨日の午餐の残骸である汚れた食器を洗うなどの片づけを始めようとしたのですが、またもや愕然としてしまいました。その様な状態の手では食器を洗うことは愚か、スポンジを握ったり、食器を持つことも出来ないのでした。仕方がありませんので、左手で薬缶を取り上げお湯を沸かし、兎に角お茶を飲んで落ち着くことに致しました。マリは幼い時分から幾分左利きの傾向があり、日頃から左手を多用しての生活ですので、ペンとお箸以外は左手を使うことに余り障害はないのですけれど、やはり両方揃って、が当たり前の生活をしていた人間の常でしょうね、いざ片側が不自由になりますと、敢えて使っていなかった場合とは違い、それこそ歩く時や、ちょっとした動作にさえ支障が出てくることを思い知らされることとなりました。バランスが取れないとでも言うのでしょうか。段々慣れては来たのですが、異変を感じた初期はどうしても体が傾きがちで、何度か家具にぶつかったり、転びそうになりまして、日々、不自由な生活を余儀なくされている方々のご苦労が、ほんの少しながら分かるような気が致しました。こうなってしまいますと、夫や息子に黙っていることは出来ず、起床時間となり目を覚まして次々と階下に下りてくる二人に事情を話しますと、案の定吃驚して酷く心配そうな顔になりまして、返って不調のマリが心配性の夫と息子を宥める破目となり(苦笑)、兎に角外出の仕度をしましょうと促して、皆で用意を始めました。納骨ですので、黒っぽい衣服を選び、苦労して身に着けますと次はお化粧と髪を結うのですが、またもや愕然としなければならないことに幾つも遭遇する嵌めに。洗顔や化粧下地、ファンデーション等は何とか凌いだのですけれど、口紅や眉、睫など右手を使わなければならない繊細な部位は勿論、束ね髪の為のゴムバンドを右手で広げるなどの基本動作が全く出来ず、こういったことには全く慣れな夫の手を貸してもらうことより他はありません。苦労して髪を結い、仕度の出来上がった家族と共に戸外に出ますと、次に気が付いたことは「運転も出来ない」という事実でした。マリは元より、夫もとても困った様子です。自家用車の運転の比率は半分半分というよりも、マリの方が幾らか多く、運転をマリに任せ勝ちの夫の困惑振りは無理もありませんけれど、何よりも、日頃は車を多用してのマリの生活ですので、今後の不自由さが思い遣られます。異様な感覚の右腕を庇いつつ、夫の運転する車で霊園へと向かいますと、マリ達に時間厳守と厳格に言い放ったにも拘らず、約束の時間を過ぎても姉夫婦一行は未だに影も形も見せません(苦笑)。何時も通り(!)の姉夫婦の様子に、半ば悪口(笑)を言いながら未だ真新しい霊園を、確認と探検の為に夫と共に歩くことに致しました。抜けるような青空が広がる、本当に良いお天気でしたけれど、寒がりのマリは用心の為、カシミアの地にミンクの毛皮を張ったオーバーコートに首から防寒用の「マフ(ハンドウォーマーと言うのでしょうか)」を提げ、隻腕のネルソン提督宜しく、今や不自由となってしまった右腕をその中に差し入れ、夫に支えられて歩くなどと、聊か心もとない姿で、敷地内の散歩を続けました。周囲を雑木林や畑、古い民家に囲まれた閑静な墓地は、今年の夏開設されたばかりで、遠く丹沢山系や富士のお山が望まれ、素晴らしい環境で永眠出来る父の幸運を半ば羨みながら(笑)、あたふたと遣ってきた姉夫婦と母をやっと向かえ、納骨が始まりました。真新しいお墓を取り囲むように並び、係りの方が石室に納めてくれたのを見計らって、一同でお花とお線香を供えます。無宗教ですので、お塔婆もなく、家名と家紋だけのすっきりとした簡素な御影石の墓石は父に相応しく、マリも皆に習って不自由な右手を左手で支えつつ、お線香を供えたりお水を掛けたり致しました。今でも父のことを思い出しますと涙ぐんでしまうマリですけれど、不調の所為か聊か気散じで、返って泣かずに済みましたのは皮肉なことですが、些細な動作さえ尽く夫や息子に庇われ、日頃から過保護気味なマリが、益々「役立たず」となってしまいまして、マフに両手を突っ込んだなりで立ち尽くす姿は、事情を知らない他所の方から見ましたら、さぞかし唯の「我侭」、「横着者」にしか見えないことでしょう。事実靴を履いたり、ドアを開けたりという詰まらないことさえ侭ならず、きっとせっかちで生真面目な方でしたら癇癪を起してしまうところでしょうけれど、幸い(?)短気ながら悠長で楽天的なところもあるマリですので、こうなったらと開き直りまして、周囲の人間に思い切り甘えてしまうことに致しました。とは言え心配な事柄に変わりはなく、母も仕切りと「困ったわねえ」と心配顔で、脳の血管のことも考えられるので、少し様子を見たらお医者様に行くようにと勧められ、マリにも異論があるはずなく承諾致しました。納骨の後の昼食会でも、マリは全くの無能振りを発揮し、お料理の内容は、和食と鉄板焼きだったのですけれど、不自由を理由に座ったままで、姉や義兄、夫に全てお任せで、加えてお箸でお料理を口に運んでもらうなどの日常では考えられない傍若無人振りさえ発揮し、それでも理由が理由だけに同情し続けられるという、およそ考えられないような「甘ったれな」昼食会となりました(苦笑)。「こんなに楽ならずっとこのままでもいいわ」と本当に罰当たりなことまで、半ば冗談で口にしていたマリでしたけれど、内心は不安で一杯でした。実は、前日の昼食会で、二足歩行のロボットのことが話題になりまして(お一人は、夫と同じ会社に勤める方で、海外赴任から帰ってきたばかりの優秀な女性で、もうお一人は男性で、マリと殆ど変わらぬ年齢ながら会社の経営者です)、人間が実際に歩くと言うことだけでも、骨格や神経、筋肉というはっきりとした形のある物だけでなく、各酵素、化学変化、電気信号などによる情報の伝達など、目に見えない、実に様々で複雑な方法が使われていると言うことを、不思議と感嘆を持って話し合ったばかりですので、尚更、その難しさ、複雑さを、身を持って思い知ることとなりました。本当に些細なことで身体機能とは簡単に損なわれるものなのでしょう。その日も、夫とマリは夫々夕刻から外す事の出来ない予定がありましたので、帰宅後軽く休養を取り、マリは何時もの茅ヶ崎のお仲間達との会合に出席致しました。自然の成り行きでその場の知人達に今の自分の体調をお話し致しましたら、その内の、マリよりずっと年上の、工場を経営しておいでのA氏が、それは「脳梗塞」ではないかと言うのです。吃驚して聞き返しますと、三十歳を過ぎた辺りから、程度の差こそあれ、脳梗塞の発作が知らないうちに起こることがあるのだそうで、微かに恐れていた言葉にやはりショックは隠し切れません。同席されていたマリの日本画の先生もとても心配そうで、少しお酒を控えた方が良いねと仰います。マリの婚家の高齢の義父も十年ほど前に、脳梗塞の発作を起こして以来、それは日常生活に気を付けるようになりまして、その暮らしぶりをよく知るマリですので、先生の進言を受け容れないわけには参りません。とは言え、未だ確定されたわけではないのだからと、飲兵衛でお気楽なマリは、先生のご心配を尻目に(!?)会合が終わった後は、何時もの女王様のカフェに向かいました。そんな懲りないマリではあるのですが、先程のA氏の言葉と、隣で心配そうにしている先生の表情に、何時もの様に杯は進まず、バーボンウイスキーのエヴァンのソーダ割を二杯頂いただけで、後は炭酸水を舐めるように飲んでおりました。不安の所為か、頭痛がするような感じがし、お隣で先生はしきりとお医者様の所に行くよう進めますし、何時もでしたら気にせずに口に運ぶ煙草でさえ、滞りがちになりまして、同席した知人達と一頻りお話に興じた後、その夜は結局早めに帰宅することとし、幾分ぐったりと、家に辿り着きますと、その侭倒れてしまうのではないかと恐くなってしまい、遅い夫をPCの前に座り込んだまま、悄然と待っておりました。腕は相変わらず痺れて力なく、不安が募りますけれど、ここでこうしていても仕方ありませんので、夫の帰宅と同時に床に付くことに致しました。*この項続く
December 8, 2003
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