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清原深養父(きよはらのふかやぶ)冬ながら空より花の散りくるは 雲のあなたは春にやあるらむ古今和歌集 330まだ冬なのに空から花が散って来るとはさては雲の向こうは春なのだろうか。註雪を散る花びらに見立てているのは類型的だが、とぼけた奇想と言い回しが「いとをかし」な佳品。
2011年02月28日
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清原深養父(きよはらのふかやぶ)冬ながら春の隣の近ければ 中垣よりぞ花は散りける古今和歌集 1021まだ冬ではあるが春の隣は近いので隣との境の垣根から雪の花が散っているのだなあ。註春の隣:寒さが峠を越し、春がそこまでやってきている今頃の時季をいう。春隣(はるどなり)。(春の)隣の近ければ:「冬の隣の春が近いので」と、「隣(のお宅)が近いので」の二つの文脈が掛けてある。
2011年02月28日
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くまんパパ 冬の夕餉 初夢はプリキュアだつたといふ吾子あこにさうかさうかと涙ぐましも「しよつぱい」と家族みんなが言つたから一月七日はしよつぱ記念日 *1食べかけをあげていいのが家族だと妻子めこを感心させゐる夕餉ゆふげ食卓に愛はあるとふCMを商業主義と嘲わらふべけむや「食べたか」と訊いたら「そりやあ食べたさ」と芝居がかつたおませな答子にとりて居心地のよき背にあらないつかさびしき斜面なだりとなるもクローカスがアヤメ科なるを知る者は古来稀にて三子相伝近江より一字を取りて名づけしと さういへばわれも下野より茶々、江のビルの谷間のラーメン屋みたいな僕の好きな初姫妻も子も大河ドラマも三姉妹こいつぁ春から縁起がいいわゑ近頃はバッハ狂いが感染し妻もチェンバロ・コンチェルト聴く音楽の捧げ物せしパパ・バッハわれは言葉の捧げ物せむちらちらと見え隠れする阿古屋珠言葉の海のそこひにあるやもう月に行かないだらう人類は地上のことに精一杯で言ふなれば東照宮の逆柱さかばしら 「砂の器」の「じゆんぷうまんぽ」 *2*1 俵万智「『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」(歌集「サラダ記念日」昭和62年・1987)*2 日本映画の名作「砂の器」(1974年、野村芳太郎監督)のさわり近くのシーンの台詞にその瑕疵はあり、非常に気になる2011年1月作著作権を有します。(c) 2011 Daddy Bear Nohara Sakamoto All rights reserved.
2011年02月28日
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坂本野原 「短歌人」3月号掲載作品 初夢はプリキュアだつたといふ吾子にさうかさうかと涙ぐましも食べかけをあげていいのが家族だと妻子めこを感心させゐる夕餉「食べたか」と訊いたら「そりやあ食べたさ」と芝居がかつたおませな答茶々、江のビルの谷間のラーメン屋みたいな僕の好きな初姫もう月に行かないだらう人類は地上のことに精一杯で言ふなれば東照宮の逆柱「砂の器」の「じゆんぷうまんぽ」 ** 日本映画の名作「砂の器」(1974年、野村芳太郎監督)のさわり近くのシーンの台詞にその瑕疵はあり、非常に気になる2011年1月作著作権を有します。(c) 2011 Daddy Bear Nohara Sakamoto All rights reserved.
2011年02月28日
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北アフリカ・リビアのカダフィ長期独裁政権の崩壊が秒読み段階に入り、同国の騒乱状態はいよいよ最終局面を迎えつつある。■ リビア前法相が暫定政府樹立へ 「カダフィ離反」促す【ロイター通信 26日】欧米諸国の価値観が絶対とまでは必ずしも思わないが、基本的に議会制民主主義(デモクラシー)政体は至当であり、いかなる名目であれ少数者による専制独裁体制は誤謬であると、私は確信する。また、「民主」という言葉を用いていても、「直接民主制」(リビア)だの「民主集中制」だのと称しているのは、言葉のトリック・まやかしであり、少数独裁の異名と見てほぼ間違いない。発展途上国が近現代化する過程では、場合によっては一定の「開発独裁」的な段階が必要(現在の先進国もかつてこの段階を経てきた)との史観に基づく弁護論もあり得ると思うが、それも程度問題であろう。ここまで強権的な専制独裁政治にはもはや情状酌量の余地もなく、とにもかくにも21世紀の地球上からは速やかにお引き取り願うほかはあるまい。ただ、その後の受け皿となるべき政権が、欧米やわが国を含む国際社会から見て歓迎できるものとなるのかどうかは楽観を許さず、かなりの危惧があると指摘されている。それは、〔1〕現在より反欧米的なイスラム色の強い政権となり、場合によってはテロリスト勢力と結びつく惧れ、および〔2〕アラブの伝統的部族社会の群雄割拠による混乱、などである。後者は、たとえて言えば戦国時代のわが国のようなものであり、彼らもいわば誇り高き「サムライ・スピリット」を有しているといわれる。私のきわめて貧しい知識でも、かつて何度も見た名作映画「アラビアのロレンス」や「風とライオン」などに出てきたアラブ人族長たちの、自信・自尊と矜持に満ちた昂然たる面影が眼に浮かぶ。オイルをはじめとする豊富な地下資源による経済的バックボーンを背景に、彼らがきわめて意気軒昂であることも、この場合はむしろ不安要素というべきである。現実のものとなりつつある「中東革命」全体の帰趨にもよるが、混乱の収拾にはかなり長い時間がかかり、アラブ・中東地域が再び現代世界・国際社会のコミットメントやコントロールを許さない治外法権のカオスに陥る危険も懸念されている。・・・が、こういった数々の危惧にもかかわらず、今眼前にある無辜のリビア国民の大きな不幸は、できるだけ早く取り除かれねばならないだろう。これは人道、人の道である。■ [SAVE-LIBYA] Protesters Clash With Police([リビアを救え]抗議の市民、警察と衝突)【You Tube original video】カダフィ政権延命の可能性が皆無であるとは衆目の一致するところだが、すでに数千人の桁(オーダー)に達しているとの観測もある武力弾圧の犠牲者が、今後どこまで増えるのかが重大な問題である。■ リビア首都 治安部隊、反政府デモ銃撃【TBSニュース 26日】隣国チュニジア、エジプトへ多数の難民が殺到しているという情報もある。カダフィは、有害無益な悪あがきを直ちにやめて、さっさと亡命か自殺でもしたらどうかと思うが、この明らかな大量虐殺と国際社会への挑発を目の当たりにして、国連(潘基文 パン・ギムン事務総長)もいったい何をしているんだ、後手後手に回ったまま拱手傍観で時間をつぶすつもりかという苛立ちも覚えざるを得ない。■ [SAVE-LIBYA] Deaths Of Teens Rises([リビアを救え]立ち上がった十代の若者たちの死)【You Tube original video】(この映像は、見る人を不快にさせる、または不適切な可能性があると YouTube コミュニティが特定したものです。ご自身の責任において閲覧してください。)一方、この事態の展開・顛末は、見方によっては、そう遠くない将来にわが国のすぐ隣の「朝の鮮やかな国」などでも必ず起こるであろう事態のシミュレーションともいえよう。この北の国の政治体制も、ほぼ同じような構造を持ち、酷似した問題をかかえており、おまけに徳川時代でもあるまいに、三代にも亘る時代錯誤の最高権力世襲という強力な時限爆弾まで作動しつつある独裁国家である。この観点から見ても、今回の事態の推移からは目が離せない状況といえるだろう。■ Libya Protesters killed and shot(リビアの抗議の市民、射殺される)【You Tube original video】(この映像は、見る人を不快にさせる、または不適切な可能性があると YouTube コミュニティが特定したものです。ご自身の責任において閲覧してください。)
2011年02月27日
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石田比呂志(いしだ・ひろし)ゆうぐれの光遍あまねき巷次こうじ過ぐ沈しずく思いは香こうのごとしも歌集「蝉聲集」(昭和51年・1976)
2011年02月26日
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石田比呂志(いしだ・ひろし)あこがれの時代ときよは過ぎて喉くだる夜半よわ一椀の酒苦きかな歌集「蝉聲集」(昭和51年・1976)
2011年02月26日
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石田比呂志(いしだ・ひろし)冬原にわれは来たれば思わざる細流ありて砂動きおり歌集「怨歌集」(昭和48年・1973)
2011年02月26日
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現代短歌の名匠・石田比呂志氏が、昨24日永眠された。享年80歳だった。いかにも九州男児らしく、豁達磊落(かったつらいらく)でユーモラス、酒を愛してやまなかった私生活も含め、「最後の無頼派」の意気と粋を全身に漂わせた大好きな歌人だった。長い間、本当に勉強になり、楽しませていただいた。この場を借りて、謹んで哀悼の意を表しますとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。犬猿の仲といはるるヒロシとふ二人の歌人どこか似てゐる(拙作、歌誌「短歌人」4月号掲載予定詠草)* 石田比呂志氏と穂村弘氏。石田比呂志氏 80歳 【読売新聞 2月25日付朝刊】(本名・石田裕志 =いしだ・ひろし= 歌人、読売西部歌壇選者) 24日、脳出血で死去。告別式は26日午前11時、熊本市健軍2の1の29 玉泉院健軍会館。喪主は歌誌「牙」会員、阿木津英(あきつ・えい)さん。 「牙」主宰。ユーモラスかつ辛口な視線の作風で知られた。1986年に「手花火」30首で短歌研究賞を受賞。主な歌集は「無用の歌」など。昨年8月に第17歌集「邯鄲線」を出した。代表歌に酒のみてひとりしがなく食うししゃも尻から食われて痛いかししゃも(歌集「滴滴」昭和61年・1986)[読売新聞 2月25日 0時13分配信]
2011年02月25日
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紀貫之(きのつらゆき)袖ひちてむすびし水のこほれるを 春立つけふの風やとくらむ古今和歌集 2去年の秋袖をひたして掬(すく)った水が冬の間に凍ってしまっていたのを春立つきょうの風がとかしているだろうか。註ひちて:「ひつ」は「浸(ひた)す、濡らす」などの意味の古語動詞。散文での用例はほとんどなく、当時すでに歌語・雅語と見なされていたといわれる。中世以降「ひづ」の形も生じた。むすぶ:現代語の「(手を)結ぶ」と意味が違い、両手で水などを掬(すく)う動作をいう。春立つ:立春になること。「袖」「結ぶ」「とく(解く、融かす)」が縁語で、掛詞(かけことば)になっている。紀貫之らしい理知的な技巧。
2011年02月25日
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柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)淡海あふみの海夕波千鳥 汝なが鳴けば心もしのに古いにしへ思ほゆ万葉集 266近江の湖の夕波千鳥よお前が鳴くと心も弱々しく靡(なび)いて過ぎ去った昔のことが思われてならない。註淡海あふみ(おうみ):「あはうみ(あわうみ)」が約(つづ)まったもので、もと淡水(汽水)湖をいう一般名詞だったとも思われるが、古くから琵琶湖を示す固有名詞となり、「近江」の字を当てて旧国名(現・滋賀県)となった。天智天皇が営んだ近江大津宮(おうみのおおつのみや)は壬申の乱によって廃され、飛鳥浄御原宮に遷都された。荒廃した近江を悲しみ、旧都を偲んで詠んだ。夕波千鳥:古来、解釈に侃々諤々(かんかんがくがく)の議論がある語句。「夕波千鳥」という一つの人為的な熟語として言っているのか、「夕波、(そして)千鳥」と並列して言っているのかという問題である。万葉学の第一人者・中西進氏などによれば、人麻呂が日本語(やまとことば)での「漢語的熟語表現」を試みた可能性が高いという。万葉集の人麻呂の歌に、造語と思われる表現が、枕詞を含めて少なくないことが、この傍証になっている。「あふみ」、「うみ」、「なみ」の3語、ひいては「ちどり」「しのに」のイ行音を響かせ合っていることは確かで、これも漢詩の脚韻風の効果を意図しているとも読める。しの(靡)に:「なびいて、萎(しお)れて」の意味の副詞。語幹「しの」は、「撓(しな)う」「しな垂れる」の「しな」と同源か。古(いにしへ):語源は、「往(い)にし辺(へ)」(過ぎ去った方)。
2011年02月23日
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雪雪やこんこ霰やこんこ 降っては降ってはずんずん積る山も野原も綿帽子かぶり 枯木残らず花が咲く雪やこんこ霰やこんこ 降っても降ってもまだ降りやまぬ犬は喜び庭駈けまわり 猫は火燵で丸くなる文部省唱歌明治44年(1911)6月刊「尋常小学唱歌 第二学年用」
2011年02月22日
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反政府デモが拡大した北アフリカ・リビアの首都トリポリや地中海沿岸の北東部の都市ベンガジで21日夕(日本時間22日未明)、戦闘機や武装ヘリコプターが一斉にデモ隊や市民に対する空爆や機銃掃射を行った。地上部隊は、手榴弾や重火器を使ってデモ隊を攻撃した。西方の都市アズザウィーヤや東方の都市ミスラタでも、戦闘機や戦車で市民が攻撃されたという。21日だけで約250人が殺害されたとの情報もあり、15日夜にデモが始まって以来、初の無差別虐殺が行われた模様。これまでの一連の武力弾圧による犠牲者(死者)は、国際的な人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」の20日時点の推定発表で、少なくとも233人に及ぶとされているが、実数は500人を超え、1000人に及んでいるという情報もある。トリポリ空港には外国人傭兵を乗せたとみられる航空機が到着したとの情報もあり、殺戮はさらにエスカレートする恐れがある。ひどい。ひどすぎて言葉もない。独裁者カダフィ大佐は、ついに自国民の無差別大量虐殺に踏み切った。人の命を何とも思っていないのか。まさに悪名高い中東の狂犬、いや狂人である。21世紀の出来事だとはとても思えない。官・軍・民を問わず、激しい憤怒と怨嗟のうねりが巻き起こっており、カダフィ排除の包囲網は狭まりつつある。独裁専制政権崩壊は間近と思われる。なお、すでに原油価格がじわじわと上昇し始めており、世界経済への影響がはっきりと出始めている。専門家によると、すでに火がついているバーレーンなどの反体制運動のうねりが、もし隣国で世界最大の産油国・サウジアラビアに波及するようなことがあれば、重大な事態になるという。カダフィに戻れば、1970年代に颯爽と登場したかに見えた「革命家、反米の闘士」の無惨な末路である。だいたい「大佐」が最高指導者だなんて、「一兵卒」が最高権力を握っている日本民主党政権と同じぐらい奇怪なことだ。リビアは、カダフィ大佐の深遠な思想に基づく「直接民主制」を標榜しているのだというが、聞いてあきれる。全く笑えないお笑い種だ。「変革者」として出発した政治家が、いつの間にかどうしようもない強権支配の独裁者に変貌することは、歴史上枚挙にいとまがない。ヒトラーは、その隠れもなき代表者だ。現在では、お隣の半島北半分の国もその典型だ。国民に背を向け、その自由を奪い、民意を封殺してきた権力が、ついにどういう最期を迎えることになるのか、その顛末をしかと目に焼き付けておきたい。
2011年02月22日
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重信房子(しげのぶ・ふさこ)銃口にジャスミンの花無雑作に挿して岩場を歩きゆく君歌集「ジャスミンを銃口に」(平成7年・2005)註今回、北アフリカのチュニジアで起こった一連の民主化運動・政変は「ジャスミン革命」と呼ばれた。ジャスミンはチュニジアを代表する花とされ、原産はアラブ・中東地域で、ジャスミン(ヤースミーン)という言葉も、語源はペルシャ語だという。作者・重信房子は、「人民蜂起による世界同時革命」を目論み、数々の蛮行を繰り返した「日本赤軍」の元幹部。現在服役中で、今ではかつての自らの思想・言動を、全面的とまではいえないにせよ後悔・改悛していると伝えられている。掲載歌は、1970年代後半頃に作者が潜伏していた、中東レバノン・ベッカー高原付近の秘密キャンプでの、いわば「戦場の写実詠」であり、「ジャスミン」の用いられ方は今回の事態と直接の関係はない。「君」は当時の恋人であろうか。一種の相聞(恋歌)でもある。・・・が、今回「ジャスミン」「革命」「中東・アラブ」などのキーワードから、ただちにこの歌が連想された。純粋に一首の歌として見れば、上手くはないが、なかなか清冽な味わいがあるといっていいだろう。
2011年02月22日
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人気エジプト人タレントとして活躍しているフィフィが、オフィシャルブログ「All about FIFI」で、緊迫が続く故国の政治情勢について、いつものお笑いは抜きで真摯に解説している。アラブ・中東情勢は、われわれには日頃縁遠いこともあって理解するのが難しいが、その中にあってネイティヴなエジプト人(エジプシャン)の考えが直接聞けるのは、なかなか貴重な機会だと思う。若い世代の失業をはじめとする社会的不遇・格差・不公平など、鬱積した不満が臨海点に達した苦渋は重々理解できる。ただ、これは「民主化運動」というより「反米運動」であるという指摘は、きわめて興味深いと同時に、ああ、やっぱりそうなのか~とも思った。国際秩序や地域の安定の見地からいうと、かなり憂慮される事態であると、専門家は異口同音に口にする。アラブ・中東諸国の場合、それが「イスラム原理主義」や「テロリズム」と結びつく惧れがあるからだ。もしそうなるとすれば、確かに危ういなと私なども思う。「反米運動」の大きなうねりは、今を去ること51年前、昭和35年(1960)の日本にも起こった。日米安全保障条約(安保)への反対という形でそれは起こった。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのか、その一部は「反日」破壊活動の暴力行使にまで尖鋭化した。その残党のような左翼的・破壊的言説の跳梁跋扈は、私の少年期から青年期を通じて、この国に支配的だったと顧みる。今では、苦虫を噛み潰して一笑に付すほかはあるまい。公の国会答弁で、自衛隊を「暴力装置」と言ってのけた前官房長官に、久しぶりにその懐かしいおもかげのデジャヴを見たのは、私だけではなかったろう。軽薄な一般論化は慎むべきであろうが、こうした騒擾は、近代社会が成熟していく途上で避けて通れない軋轢であり、ヘーゲル弁証法的な止揚過程の一現象であると達観すべきなのかも知れない。・・・などと偉そうに言いつつ、私は現代エジプトのことなど本当は何ひとつ知らないことを恥ずかしく思い、またまた苦笑いを浮かべるばかりだ。■ Market Hackこういう流れで中東情勢を理解すれば今おこっていることがわかる
2011年02月21日
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塚本邦雄(つかもと・くにお)「火の鳥」 終る頃に入り来て北狄のごとし雪まみれの青年は歌集「日本人霊歌」(昭和33年・1958)註原文の漢字は、全て旧字体(正字体)。「北狄のごと」く粗野だが、純真無垢でもありうる「雪まみれの青年」が、若き日の作者の自画像であるとまでは断言できないが、短歌にとって玄冬だった戦後という時代に、ヴァンガード(前衛、尖兵)として雄々しく、ずんずん踏み込んでいく青春の客気(かっき)と矜持を表象しているのは自明のことと思われる。折しもそこに、北方民俗説話に基づく名曲「火の鳥」の原始的(プリミティヴ)で野蛮(バーバラス)ともいえるクライマックスからフィナーレの昂揚が、祝福のファンファーレであるかのごとく高らかに響き渡り、この「青年」を包み込む。冬の名歌であるこの一首の韻律を論(あげつら)うとすれば、前例がないほど変則的な「『火の鳥』 終る/頃に入(い)り来て/北狄の/ごとし雪まみ(/)れの青年は」であると解される。殊に、三句目から結句にかけての、こちらもまさに「北狄のごと」く野蛮で大胆な句跨(またが)りは、発表当時斬新きわまりないものだった。技法的にも、現代短歌に新たな巨歩を標したといえる。火の鳥:ロシアの作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキー作曲のバレエ音楽、また組曲。北狄(ほくてき):古代中国人が、匈奴(きょうど)、鮮卑(せんぴ)、韃靼(だったん)など北方の異民族を卑しんで呼んだ語。cf.)東夷(とうい)南蛮(なんばん)西戎(せいじゅう)北狄。→中華思想・・・ちなみに、「韃靼(だったん)」は、「タルタルステーキ」や「タルタルソース」にこんにちもその名を残す「タタール人」のこと。「タルタルステーキ」は、現在では高級な西洋料理の一つになっている。これが、ドイツ・ハンブルグで、火を通した「ハンバーグステーキ」となったといわれる。特製 生タルタルソースご自宅で簡単に美味しく宮崎名物「チキン南蛮」を価格:472円(税込、送料別)また、「鴨南蛮」などの「南蛮」は、もと葱の産地であった大阪「難波(なんば)」の転訛という説もあるという。そういえば、「トイレの神様」の歌詞で「鴨なんば」という聞き慣れない言葉が出てきて、個人的に引っかかっていたが、この語源説に従えば、むしろこちらの方が正しいことになる。
2011年02月20日
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塚本邦雄(つかもと・くにお)睦月むつきの梅いまだするどしわが歩み去るべき方かたに黒く雫す歌集「閑雅空間」(昭和52年・1977)睦月の梅は未だ蕾つぼみもつけずごつごつと鋭い輪郭を冬空に晒さらしている。京みやこより大宰府へと一夜にして飛梅が飛び去ったごとくわが歩み去るであろう杳はるかな西方にはまだ黒く陰鬱な雫しずくが垂れているのみだ。註睦月(むつき):陰暦の一月。ちなみに今日は睦月の十七日。* 上記の現代語訳めいたものは、筆者くまんパパ独自の一解釈に過ぎません。ご了承下さい。
2011年02月19日
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昨夕(きぞ)いそいそと近所のコンビニで「文藝春秋」3月号を買ってきて、さっそく一杯やりながら西村賢太氏の芥川賞受賞作「苦役列車」を読み始めたが、世評にたがわず巻を置く能(あた)わずの面白さで一気に読了、久方ぶりに小説を読むことの楽しみを堪能した。同時受賞の朝吹真理子氏の「きことわ」も、パラパラと繰りつつ、ざっと瞥見。こちらは明らかにフランス文学マルセル・プルースト/アンドレ・ジッド系マトリョーシュカ入れ子細工の時空構造を以て、過去と現在を往還する脳内実験的人工楽園。仏文をやりたかった僕にとっては、朝吹というやや特異な苗字を聞くだけでピンときて直立不動のプリンセス真理子(しんりし)内親王殿下であらせられ、むしろこちらの方が本丸というべきであろうが、なかなかハードルが高く思われるのも否めない事実である。・・・「きことわ」は、のちほど改めてゆっくり熟読玩味することにしてと。いずれも、純文学の新人賞にふさわしい渾身の力作中篇。まず言えることは、いずれの作者も文章表現がずば抜けて上手いということ(天下の芥川賞を授けられた作品であるからして、当たり前といえば当たり前だが)。・・・と同時に、よくもまあこれほど対蹠的な作家・作風が並んだものだと、その天の配剤の妙に感心。どちらも、ロケーションとしては共通に、南関東の海辺近くで展開される物語、いうなれば「海辺の光景」である。しかし、試みにそこに現われる固有名詞の地名を拾うならば、こなた「昭和島の羽田沖、平和島、芝浦、豊海、鶴見の現場」などであり、かたや「逗子、葉山、湘南の別荘」、はたまた「三億五千万年前のデボン紀の海」などである。ああ何という月とスッポン、・・・いや、ドブ貝というべきか。「苦役列車」は、東京「江戸川区のはずれ、ほぼ浦安寄りの町」に生まれ、理不尽な暴力の跋扈する雰囲気の中に育ち、不運不遇な少年時代の間にすっかりひねくれやさぐれて、狷介固陋で陰鬱頑冥な「若年寄」のような人となりを獲得しつつも、それなりの最低限の見栄と矜持という根拠なきプライドのようなものを辛うじて保持しているかに見える孤独な19歳の若者が主人公(プロタゴニスト)である。その主人公「北町貫多」が、今や「中卒・逮捕歴あり」のキャッチフレーズ(?)で、フリーターの希望の星と仰ぎ見られている作者「西村賢太」その人の分身であることは、誰の目にも明らかである。その自伝的リアリティに、そこはかとなく鬼気迫る。ややカッコよく言うと「沖仲仕」ともいうのであろうか、その実、最底辺の日雇い港湾労務者として、単調できつい肉体労働の対価である5,500円の日当で糊口を凌ぐ生活の中で、ある日ふと爽やかで人好きのする同年輩のスポーツマンの青年と現場で知り合い、一緒に「覗き部屋」やソープランドに行ったりと、やや奇妙でささやかな友情を育むかに見えつつ、案の定、酒の上での些細な行き違いから、なし崩しに予定調和的な破局を迎え、元の木阿弥の孤独な貧窮生活に戻るという、自虐的・破滅的な「イタイ」私小説の枠組みを持つ力作である。安酒を引っかけて帰ってきて、「エロ雑誌の美女三人」をオカズに「日課の自慰行為」に耽る描写なんぞも、しごく当然の日常茶飯事としてさらりと描かれる。上品な女性読者などは顔を顰め、目を背けるであろうリアルで即物的な描写が淡々延々と続くが、あにはからんやその筆致は決して単調ではなく、退屈させずページを繰らせる。男の読者であれば、おのれの境涯はともかくとして、主人公の気持ちや言動は分かる分かると共感しきりの渦中に投げ込まれる。お世辞にも上品とはいえないが、決してDQN(ドキュン、今風のならず者)ではなく、ある種の鋭敏さと繊細さもありありと宿しているこの若者とお近づきになりたいとは決して思わないが、遠目に見ている分には十分に感情移入や共感ができる内面の吐露がじわじわと胸を打ってくる。19歳の男子なんて、学生だろうが労務者だろうが、本質的にはだいたい同じようなものだとの感慨も湧く。・・・銀の匙(スプーン)を銜(くわ)えて生まれてきたルーピー鳩山兄弟のようなごくごく一部の特権階級を除けば、だが。これは、いわば「ファーブル昆虫記」の観察みたいなものだな。それを人間に適用した。特にフランスで発達したフローベールなどのリアリズム(写実主義、現実主義)をさらに推し進めたエミール・ゾラなどの自然主義(ナチュラリズム)の系譜の、日本的変奏である田山花袋以降の私小説の正統な末裔である。そういえば「にっぽん昆虫記」という日本映画の名作もあった(今村昌平監督、左幸子主演、昭和38年・日活)。これも全篇リアルな描写の中で、主人公の逞しい女の一生が語られる。さらに言うなら、30~40年前だったら「社会主義」だとか「革命」とかの観念形態に誘導されつつ語られていたかも知れない貧窮をめぐるモチーフの数々が、安易に陳腐きわまる政治や経済の問題とか、はたまた文学ではよくありがちな罠である「神」とか「不条理」とか「実存」とかに一切還元されないで終始するところがとりわけよく、ある種のリアルさと「純粋性」さえ際立たせている。青春小説としての「すがすがしさ」さえ湛えているといって差支えないだろう。大いなる物語 ──「大風呂敷」といってもいいだろう── は、すでにあらかじめ終わっているのが現代である。今どきキリスト教やマルクス主義でもあるまいて。これが本来の小説というものでありつつ、こういうフラットさこそが今という時代なんだな~と思わなくもなかった。選評で、こういった点での踏み込みが慊(あきたりな)いという趣旨のことを言っている選考委員もいて、やや同感できる部分もあるが、むしろその人の文学観の「古典性」を露呈していると見るべきなのかも知れない。また、賞獲り、わけても芥川賞ともなれば、大胆な起伏・冒険・暴走よりは、やはり端正な完成度、調和的な小宇宙の構築が評価されがちであり、ここであまりに奔放さを要求するのは作者に酷であり、望みすぎであるといえよう。それは今後の健筆に期待するべきであろう。なお、作者・西村氏と主人公・北町についてのある程度詳しい情報は、こちらにまとめられているので、ご覧下さい。・・・ネットって本当に便利ですね~■ 芥川賞作家・西村賢太の分身、北町貫多の7つのひみつ
2011年02月18日
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川野里子(かわの・さとこ)冬の川しづかにのぼるふた魚うをを見失ふまで見て歩み出す歌集「五月の王」(平成2年・1990)
2011年02月18日
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今野寿美(こんの・すみ)まぎれなき冬の夜の風くだり来ぬ 酔うてさみしき男となるな歌集「星刈り」(昭和58年・1983)
2011年02月17日
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今野寿美(こんの・すみ)冬牛蒡せいせいと削ぐ時の間も 詩語ほろび詩となる言葉あり歌集「世紀末の桃」(昭和63年・1988)冬の牛蒡をせっせと削いでいる時間にさえも古き「詩語」は滅んでゆき新しく詩となってゆく言葉がある。
2011年02月17日
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今野寿美(こんの・すみ)もうひとり産んどきなさいとそんなこと 河野裕子でなければ言はず歌集「龍笛」(平成16年・2004)
2011年02月17日
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【ご注意】昆虫の話題に触れていますので、虫が苦手な方(ウチの女房を含む)は読まないで下さい。皆さんは「アリジゴク(蟻地獄)」を見たことがあるだろうか。はかなげに飛ぶウスバカゲロウの幼虫であるが、成虫とは似ても似つかない魁夷・グロテスクな容貌の肉食昆虫である。アリジゴク観察事典価格:2,520円(税込・送料無料)僕は田舎育ちなので、子どもの頃は神社とかお寺の縁側や軒下の乾いた砂地でしょっちゅう目にしていたし、金魚鉢に砂ごと入れて持ち帰り、飼ってみたこともしばしばある。飼育はきわめて簡単で、時々蟻んこを餌にやるだけだ。せっせと捕まえてきて与えたものだ。「アリジゴク」が作った巣の「蟻地獄」の罠に、ひとたびアリなどが嵌れば、一巻の終わりだ。アリジゴクは、大きな上顎で砂粒を放り投げて命中させ、穴の底部へと引きずり下ろす。アリはもがけばもがくほど擂り鉢状の奈落の底に吸い込まれてゆく。吸血鬼よろしくむしゃぶりついて、蟻の体液を十分に堪能して吸い取ったあとは、その“抜け殻”だけ、ポイっと巣の外に抛り出して捨てる。この動作も面白く、見ていて飽きない。男の子は、おしなべて昆虫は好きだと思うが、この習性は、その中でも一・二を争うほど面白かった。同意してくれる人も少なくないだろう。いつのまにか羽化して成虫になっていずこかへ飛び去るまで、本当に楽しめた。アリジゴク、おしっこする 千葉の小4が通説覆す発見【朝日新聞 2010年11月8日付】(この愛すべき科学少年は、数十年前の僕のようだと感激~。・・・日本の未来は大丈夫だと確信した。)こんな虫けらでも、飼ってみれば情が移り、可愛いと思った。何の罪もないのに餌にされる蟻んこはたまったものじゃないが、気の毒だとは重々思いつつ、野生の弱肉強食と進化の妙、大自然の神秘を、自然に学んでいたのだなあと振り返る。・・・と、前振りが若干長くなってしまったが、僕の言いたいのは、今の菅民主党政権は、いよいよアリジゴクにはまったアリだなということである。来年度予算関連法案は通る見込みがなく、党内・小沢一郎セクトからは往年の赤軍派ばりの内ゲバ(内部ゲヴァルト)をかけられ、ロシアには北方領土の交渉打ち切りを示唆され、中国海軍には東シナ海を悠々と遊弋され、伸子夫人には尻を叩かれ、四方八方月亭八方からなめられっぱなしの、ダメダメカンタービレである。■ 伸子夫人「玉砕はいいけど・・・」首相に中央突破を呼びかけ【産経新聞】■ 菅首相「疎い」発言で伸子夫人が忠告・・・会合で明かす【毎日新聞】内閣支持率も、共同通信の調査で、ついに20%の大台割れのコント赤信号。まもなく発表される時事通信の結果も待たれる。おまけに、世界のルーピー・鳩山前首相からは、沖縄・普天間基地の辺野古移転問題での「抑止力論」は、その場の思いつきの「ウソも方便」だったという天然マジボケ超弩級爆弾発言が飛び出し、北沢防衛大臣も「わが長い人生でも一・二を争う衝撃」のギャグだったと、政界に感動の嵐。もうこの期に及んでは、春弥生3月の声を聞き次第、菅首相はやぶれかぶれ解散に踏み切って惨敗、自民党を中心とする保守勢力に大政奉還し、自らは引責辞任するしか局面打開の方途はないだろう。政界引退後の余生は、伸子夫人とコンビを組み、「直人・伸子」の夫婦(めおと)漫才をやるといいと思う。宮川大助・花子の有力な後継者となり、お笑い界の超大型新人になれるかも知れない。吉本興業には、ぜひ善処のほどをこいねがう。・・・ダメかな?
2011年02月16日
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今野寿美(こんの・すみ)もろともに冬幾たびを籠こもりつつ きみこそもつと知りたきひとり歌集「星刈り」(昭和58年・1983)諸共にいくたびもの冬籠りをしつつあなたこそはもっともっと知りたいたったひとりの人。
2011年02月15日
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今野寿美(こんの・すみ)悪友と呼ぶいちにんをおしなべて好みて持てり男は誰も歌集「星刈り」(昭和58年・1983)
2011年02月15日
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佐佐木幸綱(ささき・ゆきつな)昨夜きぞの雪は止やみて月さす おおかくも時透すきて炎もゆ汝ながめぐりには歌集「夏の鏡」(昭和51年・1976)昨夜の雪は止んで 月指す/突き刺す。おお おおこれほどまでにも時は透き通って炎(も)え上がるおまえの周囲(めぐり)の血の循環(めぐり)には。
2011年02月15日
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俵万智(たわら・まち)バレンタイン 君に会えない一日を斎いつきの宮みやのごとく過ごせり歌集「サラダ記念日」(昭和62年・1987)* 斎宮(いつきのみや、さいくう)
2011年02月14日
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橘曙覧(たちばなのあけみ)たのしみはすびつのもとにうち倒れ ゆすり起こすも知らで寝し時志濃夫廼舎しのぶのや歌集 「独楽吟どくらくぎん」連作楽しいのは 炭櫃(すびつ)のもとに寝そべって家族が揺すり起こすのにも気が付かないで寝入っていた時。註すびつ:暖房・湯沸し用の大型の火鉢(角火鉢?)のことを、やや擬古的に表現したか。
2011年02月13日
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橘曙覧(たちばなのあけみ)たのしみは雪降るよさり 酒の糟かすあぶりて食くひて火にあたる時志濃夫廼舎しのぶのや歌集 「独楽吟どくらくぎん」連作楽しいのは 雪降る夜に酒粕を炙って食べて火鉢に当たっている時。註よさり:もと、夜が来ること。転じて、夜そのものを指す。「さり」は動詞「さる」の連用形体言。「さる」は、現代語「去る」の語源だが、古くは方向を問わず移動することを指し、多くの場合「近づく、来る、訪れる」の意味に用いられた。 幻の銘酒「越乃寒梅」の酒粕 【石本酒造】 1kg 2月12日新入荷!価格:600円(税込、送料別)
2011年02月13日
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橘曙覧(たちばなのあけみ)たのしみは炭さしすてておきし火の 紅あかくなりきて湯の煮ゆる時志濃夫廼舎しのぶのや歌集 「独楽吟どくらくぎん」連作楽しいのは 炭を差し捨てておいた火が真赤に熾(お)きて湯が沸いた時。註おき:「置き」と「(火が)熾(お)き」を掛けている。
2011年02月13日
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くまんパパ 三人子みたりごの心をこめてこしらへし雪だるま融けゆくをうらみぬ
2011年02月13日
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青山霞村(あおやま・かそん)白雪と朽葉の冬のほろびにも潜むがうれし春のいのちの歌集「池塘集(ちとうしゅう)」(明治39年・1906年)白雪と朽ち葉に覆われた冬の滅びにもすでに潜んでいるのがうれしい春の生命が。
2011年02月12日
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北原白秋(きたはら・はくしゅう)君かへす朝の舗石しきいしさくさくと雪よ林檎の香かのごとくふれ歌集「桐の花」(大正2年・1913)君を帰す朝の敷石にさくさくと足音がして雪よ 林檎の香りのごとく甘やかに降れ。註想像を逞(たくま)しゅうすると、この「朝」とは、たぶん男と女の後朝(きぬぎぬ、衣々)の別れのことだろうか。今なら、モーニングコーヒーでも一緒に飲んでいるところか?さらに推測だが、ここで白秋は女の立場になって詠んでいるのかも知れない。「新幽玄」を標榜した耽美派の白秋であるから、そのぐらいのことはやるだろう。あり得る解釈だと思う。
2011年02月12日
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この板(スレッド)は、レスポンス数は少ないがけっこう面白いと思ったので、ご紹介しときます~(なお、文中に頻出する「ANN」とは、ニッポン放送系全国ネットのラジオ番組「オールナイト・ニッポン」のこと)。■ ユーミン語録&ユーミンが言いそうなこと ■ ユーミン毒舌集松任谷由実って人は、とにかく古今未曽有の恐るべき女傑で、こんな感じの超タカビーな毒舌を平気でしょっちゅう吐いていたし、その一部は確かに僕も記憶している。僕の記憶を付け加えれば、FMラジオでのスガシカオとの対談で、ユーミンがスガに、ズカズカと土足で踏み込むごとく「性生活の方はどうなってんの?」とか突っ込んで、スガが「実は僕は完全なSで、いい女を見ると、この野郎、犯してやりたいと思っちゃうんですよ」とか答えたら、「あたしは、こう見えても完全にMなのよ」とか応酬して、SM談義に花が咲いたことがあった。細部はうろ覚えだが、けっこうあり得ね~会話だったことは間違いない(笑)・・・まあ、それが本当だとすると、彼女こそ元祖ツンデレ女だったのか~。フジテレビ「ミュージックフェア」で共演したチューリップ時代の人気絶頂の財津和夫に、面と向って「おやじ」呼ばわりした場面も、リアルタイムで目撃したオカマに人気があるのも分かる気がする。今でいうマツコさんとかミツコさんみたいな感じで、しかもムバラク大統領並みの最高権力を長年に亘って掌握してきたのだから、天下無敵の鬼に金棒であった。有吉などは裸足で逃げ出す勢いであった。こりゃ「女信長」というか、同時期に天下を取ったビートたけしと比肩する毒舌だね。・・・懐かしいなあ。そんなヤマタイ国の女王ユミコも、今はややお歳を召されたとはいえ、まだまだ老け込む年でもなし、もう一花咲かせてもらいたいものだと、蔭ながら切に祈っておりまする~
2011年02月12日
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くまんパパ ガチンコ相撲などもう要らないと言う君が日本の国に要りませんから相撲など廃止しろとか言っている掲示板こそ即廃止しろガチンコの貴乃花へのバッシング あれはそういうことだったのか大乃国、高見盛や魁傑はガチンコなりき 大好きなりき放駒やはり快傑黒頭巾 余人を以て替え難きなり天皇も廃止しろとか言う気だろ 杞憂だろうがそこだよ危惧は・・・時事詠ってあんまり面白くありませんね。なんか途中で飽きちゃったので、あとはご自分で詠んでください(笑)
2011年02月10日
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素意(そい)法師埋火うづみびのあたりは春の心地して 散りくる雪を花とこそ見れ後拾遺和歌集 402暖かい埋火のあたりは春の心地がして散ってくる雪を花と見ているのだよ。註埋火うづみび:「火桶(ひおけ)」や「炭櫃(すびつ)」など(後世には火鉢)の灰に半ば埋めて火力を調節し暖を取った炭火のこと。「花とこそ・・・見れ」は係り結びで、強調・強意表現。
2011年02月10日
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南海キャンディーズの山里亮太が、若手時代に品川庄司の品川祐に陰湿ないじめを受けたとラジオで告白し、品川のツイッターなどが炎上騒ぎになっていた問題で、当人同志は、このほど同じラジオ番組で手打ちし、和解したとのことで、友人・有吉弘行はツイッターに「なんだ! もう和解か! あと二週間楽しみたかったのになあ。」と書き込んでいるそれはまあ良かったですよね~と、僕も一応言っておくことにするが(棒読み)、その関連でネット上にちょっと面白い記事を見つけたので、リンクしてご紹介しておく■ 品川祐 vs 山里亮太から「ネットで叩かれる人」「叩かれない人」を抽出なるほどな~と思う。「叩かれる人」「叩かれない人」それぞれに、何やらビミョ~な共通項が浮かび上がってくるような気もする。ひと言でいうと、その人に親しみが持てるかどうか、人間として愛嬌があるかどうかというような感じかな。人の言うことに聞く耳持ってるような懐の深さというか包容力というか。タレント・有名人も、見透かされ、見抜かれてるね~。これは実社会の人間関係でも参考になるような、・・・それほどでもないような~?そういえば確かに、僕もテレビに品川祐が出てくるだけで、何でだか分からないがワケもなくムカつく一人である何かあるたびに、ネット上で叩かれがちだというのも分かる気がする。嫌い、というのとはやや違う。とにかくカチンとくるのである。あの自己顕示欲と自己中心性満載の、「オレがオレが」のウザさと、抜き(クローズアップ)の映像で、意外と当たり前のことしか言えない情けなさのギャップが、一種屈折した芸風であり、半ばワザとやっているのは重々分かっている。ある意味で、「アドリブ利かない」ダチョウ倶楽部の上島竜兵にも通じる、顛倒された笑いの手法であろう。あれを面白いと感じる人もいるのだろう。・・・が、僕はどうしてもなじめない。「ら抜き言葉」と同じぐらいイラつく。「しゃべれる 食べれる ミニストップ」というCMにいだく殺意と同種の、生理的嫌悪感と言うべきであろうか(笑)
2011年02月09日
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小池光(こいけ・ひかる)ポプラ焚く榾火に屈むわがまへを すばやく過ぎて青春といふ第一歌集「バルサの翼」(昭和53年・1978)空に向ってまっすぐに育つポプラの木を焚いている榾火(ほたび)をくべようと一瞬かがんだ私の目の前をすばやく通り過ぎ去っていった青春というもの。註榾:「ほた」または「ほだ」。囲炉裏(いろり)や竈(かまど)にくべる焚き木。切り揃えた薪(まき)と違い、小枝や木切れなど、大きさ・形はまちまち。青春:東洋の伝統的な観念形態(広い意味での道教思想の一環)では、人は冬に生まれ、玄冬(数え15歳まで)、青春(30歳まで)、朱夏(45歳まで)、白秋(60歳まで)の四季を経て、還暦(数え61歳、満59~60歳)に到るとされる。それに対応して、方位などを象徴するイコン(アイコン、偶像)を「四神(しじん)」といい、それぞれ玄武(げんぶ、方位では北を示す)、青龍(せいりゅう、東)、朱雀(すざく、南)、白虎(びゃっこ、西)である。高松塚古墳内部の四方壁面には四神が描かれている。また、正式な神輿(みこし)にも、守護神として象(かたど)られている。皇太子を「東宮(とうぐう、はるのみや)」と呼ぶのも、こうした思想に基づく。
2011年02月08日
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NHK 大河ドラマ「江 姫たちの戦国」第5回『本能寺の変』は、先週の香道がらみの「加トちゃん式 ヘ~ックション(* >ω
2011年02月07日
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柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)ひさかたの天あまの香具山かぐやまこのゆふべ 霞かすみたなびく春立つらしも万葉集 1812天の香具山にこの夕べ初めて霞がたなびいている。春が立ったらしいなあ。註ひさかたの:「天(あま・あめ)、空」、またそれに関係のある「月、雨、雲、星、光、夜、都、鏡」などに掛かる枕詞(まくらことば)。四句目の動詞「たなびく」は終止形だと思うが、あるいは連体形かも知れない。終止形と見れば四句切れで、そこまで叙景「・・・たなびいている」の意味になり、結句が独白。連体形であれば全文がつながる感じで、「このゆふべ」が「(春)立つ」にかかり、若干趣きが変わる気がする。やはり、終止形と見るのが自然だろうか。■ 天の香具山(大和三山)
2011年02月06日
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在原元方(ありわらのもとかた)年のうちに春は来にけり 一年ひととせを去年こぞとや言はむ今年とや言はむ古今和歌集 1年が暮れないうちに立春が来てしまったなあ。はて この一年のことを昨年と言おうか 今年と言おうか。註旧暦(太陰暦)では、元日(現「小正月」)と立春がほぼ重なる(今年の陽暦でいえば、旧元日が2月3日、立春が翌4日だった)が、暦の関係で、時々師走のうちに立春が来ることがあった。その違和感をユーモラスに詠んだ。
2011年02月06日
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今野寿美(こんの・すみ)冬ごもり春さりくればしんじゆ星むぎ星むすび天の遊びす歌集「島彦」(平成7年・2005)註結句の意味が、正直言って何だかよく分からないのだが、ここでは意味は二の次三の次なのだろう。その謎めかした響きを含めて、調べ(音楽性)の美しいファンタスティックな秀歌と思う。冬ごもり:「春」にかかる枕詞(まくらことば)。さりくれば:やってくれば。しんじゆ星:真珠星。乙女座 スピカの和名。むぎ星:麦星。牛飼座 アルクトゥルスの和名の一つ。・・・むすび天の遊びす:星を結び、天の遊びをする? 天空の星々を線でつなぐ幻想遊戯、みたいなことだろうか。インド・ヨーロッパ語族の言語では、名詞に性(ジェンダー)があり、スピカは女性名詞、アルクトゥルスは男性名詞である。星座の名の「乙女」と「牛飼」のイメージを二重写しにして女性と男性に見立て、両者の結婚を示唆しているのか。・・・これはあり得る解釈かなと思う。ちなみに、英語もインド・ヨーロッパ語族のゲルマン語派に属するが、名詞の性の区別は近代までにほとんど失われ、人名などの固有名詞(「ポール」と「ポーラ」、「アレクサンダー」と「アレクサンドラ」など)に残滓的痕跡があるだけになっている。もしくは、「天蚕糸(てぐす)」でもかけている?・・・考えすぎか?
2011年02月05日
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小野茂樹(おの・しげき)鬼やらひの声内にするこの家の翳りに月を避けて抱きあふ歌集「羊雲離散」(昭和43年・1968)「鬼は外」のかけ声を内に向ってするようなこの家の闇に月を避けて抱き合っている。註鬼やらひ(鬼遣らい):いわゆる「節分の豆撒き」のこと。鬼追い。鬼打ち。追儺(ついな)。儺遣らひ(なやらい)。原石鼎(はら・せきてい)の俳句「山国の闇恐ろしき追儺かな」などを踏まえるか。
2011年02月04日
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中院通勝(なかのいん・みちかつ)けふといへばなやらふほどに小夜さよふけて をしみもあへず年ぞ暮れゆく家集「通勝集」今日といえば追儺をしているうちに夜は更けて惜しむ間もなく年が暮れて行く慌(あわただ)しさ。註「儺遣らひ(なやらい)」(鬼やらい)は、もと(旧暦)大晦日の行事だったが、次第にややずれて節分の行事となった。今年でいえば、節分は2月3日の旧暦元日(旧正月)に当たる。
2011年02月03日
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穂村弘(ほむら・ひろし)大相撲いまもどこかでやっているらしい はっきょいのこったのこた連作「『鼻血』のママ」(「短歌研究」2月号)註なかなかにふざけた歌である。まあ「悪意あるチャラさ」が持ち味の穂村氏だが、もう若くもないのだから、何もことさらにこんな挑発的(プロヴォカティヴ)な歌を作らなくてもよさそうなものだと思わなくもない。大相撲ファンとしては、若干カチンとくるのは確かである。おまけに、句またがりなどのニューウェイヴな技法を駆使してる割には、歌としての出来も大したことないと思う。もうこうなったら、穂村氏は汚名返上を兼ねて「プロレス」を初句とする歌を詠むしかないだろうとはいうものの、「『鼻血』のママ」連作50首は、虚々実々(というか、「虚々々々」?)なモティーフを、ライトな(軽薄な)筆致で詠んで、“ホムラ節”全開の力作。けっこう楽しめた。
2011年02月03日
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エジプトの騒擾と大相撲の八百長疑惑という“二大事変”が、ほぼ同時に勃発した。寝耳に水の、まさかまさかの、思わぬところに伏兵が~っ! といった感じで突如として火を噴いたと思ったら、あれよあれよという間に、今や抑えるすべもない「爆発的噴火」になってしまった前者はツイッターなどでの激烈な呼びかけ、後者は携帯メールの生々しいやりとりという、いずれもインターネット・プロトコル(形式)による通信が問題惹起の発端となった点が共通している。インターネットによって時代が動かされてゆくこと、パンドラの箱が開いたことを、今われわれはまざまざと目撃し再認識した。エジプトでは、対外的には親米的、内政的には独裁的といわれる長期政権が累卵の危機に瀕している。事態の推移は予断を許さないが、巨視的に見れば、20世紀をリードした「パックス・アメリカーナ」(古代ローマ帝国の支配による、当時の世界の平和をいうラテン語「パックス・ロマーナ」をもじった言葉)の揺らぎを示しているのだろう。親米的で専制的な王政が倒れ、イスラム原理主義的な政権が樹立された1979年のイラン革命にも似ているところがあると言っていいだろう。これは「アンシャン・レジーム(旧体制)」の崩壊につながるのだろうか。ご承知の通り、日本の近隣には、きわめて硬い構造を持つ前世紀の遺物のような旧体制が確固として残存している。その遠からぬ行く末の前例になるのだろうか、われわれは固唾を呑んで見守っている。一方、大相撲の八百長疑惑は、これまで日本相撲協会の内部でも「無気力相撲」という特殊な「専門用語」でささやかれてきた。「注射」「中盆(なかぼん)」「人情相撲」などの隠語も古くから仄聞する。「星回し」などという言葉もあるという。問題の根深さが容易に察せられる。ちなみに、「八百長(八百屋長兵衛)」という言葉自体、もとは「無気力将棋」の意味だが、角界がらみの由来を持つ。二子山親方(元横綱・初代若ノ花)が理事長の時、その根絶を獅子吼(ししく)した録音テープが、後になって外部に流出したことも記憶に新しい。問題意識は脈々とあったと思われるが、危機感が十分でなかったというほかはあるまい。今回の件は、かつてない確実さと生々しさを伴った具体的な情報漏洩であり、角界は断崖絶壁に追い込まれている。こちらもまた、歴史や伝統・分厚い支持の上に胡坐(あぐら)をかいて改革を怠ってきた、一種の旧体制の矛盾のマグマが、ついに噴出したと見ることが出来る。大相撲について何か書くとなるとあまりにも大変だと思うし、上には上の熱心なファンや重篤なマニアが多数いる分野なので、このブログサイトではあらかじめほとんど触れていないが、僕も若い頃から人後に落ちない大相撲ファンである。純粋にスポーツ(格闘技)として見れば、すべてが真剣勝負・ガチンコ相撲であるべきことは言うまでもないが、相撲の場合、必ずしもそうとばかりも言い切れない、民俗文化・神道系の神事という側面も強いことは確かである。例えば、「横綱」は、心技体抜群の力士の体を、ご神体や神社に見立てている証しである。横綱土俵入りは、神道祭祀である地鎮祭儀式を模しているといわれる。八百万(やおよろず)の神の一柱である稲の精霊と相撲を取ってその年の吉兆を占う(?)「一人相撲」の神事も知られている。これは必ず人間側の一勝二敗になるしきたりである。→大山祇神社・一人角力神事その他にも傍証を挙げようと思えばいろいろあるだろうが、この問題はそう単純ではなく、同情・情状酌量の余地はなくもないと思う。今回の事件発覚は、いろいろな意味でまことに残念至極である。大相撲そのものの存廃などという極論には、僕は与(くみ)したくない。正直言って、最後の禁忌(タブー)たる寝た子を起こしてくれやがったな~という憾みもないではない。・・・とはいうものの、やはり時運の赴くところ、現代では大相撲にもスポーツとしての公平公正、フェア・プレー原則の遵守が強く求められていることが、かつてない苛烈な形で突きつけられたのが今回の事件だったといえるだろう。真面目で温厚、人格高潔で現役時代から大ファンだった放駒理事長(元大関・魁傑)のモーセ一行は、紅海を無事に渡って約束の地に到達できるのだろうか。この際、相撲協会は腹を括って、身を切るような改革に邁進すべきであろう。早急に迅速に、重篤な癌細胞の病巣摘出手術が、徹底的に行われなければならない。多大な痛みを伴っても、成功裡に遂行されることを深く切望しつつ見守りたいと思う。
2011年02月03日
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又吉直樹(またよし・なおき、ピース又吉)自由律俳句富士山が見えたら起こせと言う長い停車が別れを気まずくする走らなくても間に合ったんじゃないか弱火にしたいのに消えた買うと伝えても店員が喋る犬に挨拶させようとしているから待ってる目配せの意図は解らないが頷く句集「まさかジープで来るとは」(新刊)まさかジープで来るとは価格:1,470円(税込、送料無料)【帯・推薦文】 俵万智(歌人)ストーリーはないのに、物語がある。いつまでも舐めていたい飴のような言葉たち。一粒一粒を、心のなかで溶かしながら、広がる風景を味わいたい。
2011年02月02日
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俵万智(たわら・まち)希土類元素レア・アースとともに息して来し父は モジリアーニの女を愛す歌集「サラダ記念日」(昭和62年・1987)アメデオ・モジリアーニ Amedeo Modigliani 額装ポスター Zborowskaya価格:20,685円(税込、送料別)
2011年02月01日
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