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【粗筋】 出張予定が色々あって中止となり、連絡もせず真夜中に自宅に帰って来る。妻はもう寝てしまっているが、亭主のための食事の準備から洋服の用意まで、万事整っている。感激した亭主、妻のベッドに入り込んで、3度も愛してしまう。翌朝、妻が眠そうな目を開いて、「あら……あなただったの」【成立】 立川談志が紹介していたが、西洋のものらしい。※ 明日から比叡に山籠もりを致します。二度と戻らないかも知れないし、2,3日で戻るかも知れません。暫くお休みいたします。
2024.11.26
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【粗筋】 夫の趣味を全く理解しない妻、たまに釣って来たのは魚屋で買ったものだと見抜いている。水面で浮きが浮かんでいるのを眺めるのがいいと言うと、バケツに水を汲んでやったらと答える。ようやく釣りに連れて行くことに成功、妻の針に餌を付けてやると、たちまち釣れた。「あなたはどうして釣らないの」「お前を手伝っていたからまだ準備中なんだ」 ようやく自分も準備が出来た。途端にまた妻のが引く。立て続けに掛かるから、妻の方も面白くなり始めたようだ……作戦成功……と思っていると、餌を付けてやる間に、夫の浮きが動く。慌てて引いて逃がしてしまった。「ここは駄目だな。場所を変えよう」「何言ってるの私2匹も釣ったのよ」「でも、小さいのばかりじゃないか」「何憎まれ口をきいているのよ……あ、また釣れたわ」「僕が餌を付けてやるから釣れるんだ。僕がいなくなったら、誰が餌を付けてくれる」「あなた、自分が釣れないので怒っているの……あ、また釣れたわ」「ここの魚は雄ばかりじゃないのか」「場所が悪いと言ったでしょう。代わってあげましょうか」「いいよ。見てろ、今に……あっ」「どうしたの、掛かったの」「いや、浮きを飛ばしちゃった」【成立】 三升屋小勝が、桂右女助時代、昭和17年に創作。昭和35年、41年の書籍にあるが、もう少し後に聞いた。誰だったか覚えていない。小勝が昭和35年に録音を残したというが、それだったのだろうか……「あなたって魚を太らせるのが趣味なのね」って台詞が記憶に残っている。【一言】 落語には釣の話が案外少ないので、私自身釣がすきですから作りました。鮒だと一年中釣れますので鮒を選び、釣場の景色などは方々へいって見ての印象をまとめて、無難と思う場面を設定しました。(三升屋小勝)【蘊蓄】 小勝は「水道のゴム屋」などで人気を博したが、数百の新作を残したという。
2024.11.25
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【粗筋】 男達が集まって、奥さんの趣味を話す。最初の男の妻は薬作りが趣味。二枚目俳優、美人女優の写真を焼き、灰を練って作った丸薬は器量よしの薬。噺家の写真で作ると、器量は駄目だが笑いが止まらなくなる。最高傑作は、お腹がすかない薬。炭酸を飲んで食事をし、下剤を飲む。これで食事を上下から押すので、どちらにも動かなくなる。 次の奥さんの趣味は、人を驚かすこと。紅茶を飲むと、紅茶の味変ねと言う。後で見ると、紅茶に入れた砂糖の瓶に「青酸カリ」と札が貼ってある。会社に行くのに、いつも陽気な妻が妙に静か。聞くと「私極楽に行きたい」なんて言う。帰って来ると灯りが点いておらず、「お先に失礼します」という書き置き……風呂で音がするので行ってみると、「ああ、極楽、極楽、お先に失礼」「次。君の奥さんの趣味は」「当ててごらん」「何だそれは、クイズか」「正解」「クイズ番組や懸賞で稼ぐのか」「違う。自分で問題を作って答えさせるんだ」 作った問題が、「黒猫で作った毛皮は何色でしょう」という易しい問題から、難問まで「難しいのは、6月8日は何の日でしょう」「お前の親父の命日か」「まだ生きてるよ。誰でも知ってる日だよ」「分からない、降参だ」「6月7日の翌日だ」 次の男の奥さんは、謎かけ。奥さんが作ったのが、凸山君とかけて、重くて大きな旅行鞄と説く。その心は「女にゃもてっこない」 最後の男の妻の趣味は、電化製品集め。台所用品のポット、トースター、ミキサー、電気釜、冷蔵庫……奥の部屋では、クーラー、掃除機、ストーブ、こたつ。先月は洗濯機に電気髭剃り……全部一流メーカーの新製品。「お前の給料、皆と同じだろう。それでどうして買えるんだ」「買わないよ。カタログを集めるんだ」「それを早く言えよ」「でもこの間、電気パンツを買って来た。お尻が温まるというんだが、スイッチを入れたら横から火花がパーッ。『おい、このパンツ、火花が飛んだぞ』と言ったら、うちの奴が、『これが本当のショート・パンツだわ』」【成立】 昭和40年頃、柳亭小痴楽が演っていた。
2024.11.24
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【粗筋】 友達からは酒しか楽しみがないと言われ、かみさんからは毎晩飲んで帰るので嫌な顔。「そんなに酒がやめられないなら死にましょう」と言われるが、まだ死にたくない。「では私だけ」と白い薬を飲んで布団に入る。亭主の方はどうしようもなく背中をさすっているうちに寝入ってしまう。起きると妻がいない。首吊りでもしているかと布団から出ると、台所で食事の用意をしている。昨夜飲んだのは砂糖だと言う。 友達の入れ知恵でかみさんを酔わせる作戦を決行する。一緒に飲みたいと言うとかみさん機嫌よく飲み始めるが、次第に亭主に絡み始める。「お替わり」「ちょっと飲み過ぎだよ」「私のためにもらって来たんでっしょう」「調子に乗ってると怒るぞ」「怒ったらいい男になるわ」「お隣に聞こえるよ」「いいのよ。おかめのような顔をして、そこに白粉を塗るからおかしいわ」「そんな悪口言って、聞こえたらどうするんだ」「大丈夫。昨日のあなたの真似をしただけだから」【成立】 有崎勉(柳家金語楼)作。古今亭今輔(5)が演じた。「一升酒」で不明な噺としたが、紹介いただいた。ありがとうございます。前の日の真似というが、その描写がないのが不満。
2024.11.23
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【粗筋】 倦怠期になった夫婦、夫は飲んで遅く帰って来る。父親が、それなら家で飲みたくなるようにすればいいとアドバイス。亭主は京都へ行った時の舞子さんが良かったと今でも思い出話をする。それなら、着物は着られるし、鬘は父親が会社の宴会で被ったのがあるし、レコードで京都の歌を流せば雰囲気が出る。 夜になって亭主が帰って来ると、物置代わりになっていた奥の四畳半がお座敷になっていて、舞妓さんの格好で待っていて、お酒を勧める。「京都大原のお酒どす」「高かったんだろうね……みんな気付いているけれど……」「京都大原三千円どすえ。一杯飲んでくんなまし」「花魁が混じるね……お前、栃木の出身て言っていたよな」「京都どす」「京都はどこだ。一条か二条か」「四畳半どす」【成立】 柳家蝠丸が演った。「歌をご存じですか、では歌いますか……夏丸じゃないんだけど」、「派手な着物だなあ。寿輔師匠から借りたか」と、楽屋落ち的な台詞がおかしかった。「妻の芸子」、「妻の舞子」とも。
2024.11.22
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【粗筋】 壺が病気になって、包丁やまな板が見舞いに来た。「壺さん、いったいどこが悪いんや」「杓(癪)が突っ張ってます」【成立】 上方噺。「壺算」の枕に用いられたと紹介されているが聞いたことはない。借は腹部の痙攣だが、腹痛全般に用いる。私も家内との出会いは「持病の癪が」と苦しんでいるのを救ったこと。もちろん仮病で、そこから不愉快で腹が立つのに「癪だ」と使うようになった……というのは正しくない。もともと「癪に障る」という連語で体に悪いこと。「深酒は癪に障る」などと使う。
2024.11.21
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【粗筋】 瀬戸物屋へ来た客が、「拙者は岩淵と申す医者じゃが、その壺はいくらじゃ」「これは古備前でございまして、2両2分になっとります」「拙者は岩淵と申す医者じゃが、 200に負けろ」「いくらお医者様でも、そうは負かりません」 断られるとこの医者、隣の3分の壺を200に負けろ、2分の壺を200に負けろと繰り返す。その次の壺は150の値段だが、「拙者は岩淵と申す医者じゃが、200に負けろ」「安い物を高くしろとは変わっていますな。旦那、何で200ばかり言いなさる」「この岩淵は、壺200」【成立】 上方噺。歌舞伎『加賀見山』で別当竹刀打ちという場面があり、そこで岩藤の言う台詞「この岩藤は壺役(つぼねやく)」をもじったもの。尚、幕末には、1文が25円くらい。1600文で1分、4分で1両になる。
2024.11.20
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【粗筋】 クイントリックスといっても誰も分からないが、そういう古いテレビが壊れてしまう。かみさんが、「お前さんが行くと型落ちのを押し付けられるに決まっている。兄さんなら腹黒いから、安く買ってくれる」 というので、一緒に行ってくれと頼みに来た。兄貴は軽トラを出して、秋葉原へ向かう。小さな店が幾つもあり、中にはぼーっとした店主もいるというのだ。「これが60型のハイビジョンだ」「へえ……すごいな……うちの四畳半には大きいな」「四畳半に置くのか」「狭い部屋だともっと大きく見える。それが夢なんだ」「いくらだ」「あ、安い。2万8900円だって。予算の10万円で足りるよ」「よく見ろ。0が一個多いぞ」「ひええ……」 いくつかの店を回って、一番ぼーっとした店主を選んで出直す。37インチ、9万8千円を1万にしろと言っておいて、少し負けてと交渉開始。端数を取って、トラックで来ているから配送料を負けてもらい、おまけにトースターが付くというので、その分を値切り……結局5万円にしてもらう。一度店を出てすぐに戻り、「こいつがこんな小さいのじゃなく45型が欲しいというんだ」「それでしたら、こちらの……14万8千……いくらか負けますか……」「いや、さっき負けてもらったんだから、今度はこれを15万ちょうどににしよう」 店主が混乱する中で、5万円を出し、「さっきのと合わせて10万円、それにテレビを5万円で引き取ってもらえるから、これでいいな」 と交渉開始。店主が混乱してくるので、「それなら、金は金、品物は品物と、はっきりしよう。俺の出した10万はよけておいて、俺の方にテレビが2台ある。これを返すからレジから代金の20万を返してくれ。これでちゃんと合うだろう。それに俺の10万は返してもらうぜ……じゃあ、最初からやり直そう。おい、テレビが欲しいんだが」「ご予算はおいくらで」「30万円」「それでしたらお勧めの60型がございます」【成立】 立川談笑の創作落語。現代に直しただけじゃねえかって言うけれど、複雑なやり取りがあって10万円が30万になって行くのが見事。クイントリックスは昭和49(1974)年の発売。坊屋三郎が外国人に教えるCMで、「あんた発音悪いよ」ってのが記憶にある人はそれ以上の年齢ということ。因みに14型で標準価格は13万9千円。「ズバコン」というリモコンが付いていて、ガチャンガチャンと一つずつチャンネルを変えていた。「クイントリックス音頭」というレコードも出ている。
2024.11.19
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【粗筋】 かみさんに2荷入りの水瓶を買ってくるよう命じられた吉公、買い物が下手で安い物を礼を言って高く買ってくるような人だから、兄貴分の源さんに頼んで行ってもらうよう言われて、源さんを誘い出す。店へ行ってまず小さい1荷入りの値段を聞くと、「ええ、ご覧の通り軒並み同商売で、初めてのお客さんでございますから、ずっとお負け申して、精一杯勉強申し上げた値段が3円50銭で、もう1文も負けられません」 と言うので、源さんが、「それなら、軒並み同商売じゃなく、初めての客でなく、ずっとお負けせず、精一杯勉強をしないという値段ならいくらだ」 と聞き直すとやっぱり3円50銭。こうなるともう源さんのペースで、今日は頼まれたから言い値で買っては申し訳ない、これから瀬戸物を買うのに他の店へは行かせない、と押しまくり、とうとう3円ちょうどに値切って買い、吉公が1荷入りでは困ると言い出すのを抑えて表へ出た。通りを一回りして再び店に入ると、2荷入りが欲しいのに間違えて1荷入りを買ったので取り替えてくれともちかける。値段は1荷入りの倍だから……何と1円も負けることになった。さっきの1荷入りは元値で引き取ると聞いて、「じゃあ、この瓶が3円、さっきの金が3円あるな」「へえ、まだここに置いてございます」「3円と3円で6円だから、この瓶持っていくぜ」「ちょ、ちょっとお待ちを……ただ今算盤を入れてみますので」 と何度計算してみても合っているのだが、何か心にわだかまりが残る。親父はとうとうベソをかいて、「すいません、この1荷入りの水瓶を持って下さいな」「1荷入りはいらねえんだよ」「その代わり、頂いた3円もお返ししますから」【成立】 寛延4(1751)年『開口新語』にある。漢文で書かれていて、ほぼ同様。小噺なので、店の主人がすぐに納得してしまう。中国清代の『笑竹廣記』古艶部「取金」は、純金二錠を買うと言って値段を聞き、半額に負けさせると、片方でよいと一錠を返して、ただの方をもらうという噺。これが原話と書かれた本は疑問。トルコの民間笑話『ナスレッディン・ホジャ物語』、日本でも「日本昔話集成555・瓶を買う」の他、吉四六話にもある。仏教説話が東西に派生したものと思われる。落語のもとになるのは、寛延年間に漢文で書かれた『準訳開口新語』だろうと思われる。 上方では「勘定合うて銭足らず」を「壺算用」という。「算盤はちゃんと出るのに、金は足りないようです。これは何という勘定なんです」「これがほんまの壺算用だ」というのが本来の落ちらしい。「壺算用」とも。一説、大工が坪数を誤ることから、「坪算用」「壺算用」といい、「勘違い」の意味がある。分からなくなって、上方の桂派では「これがほんまの思う壺や」で演っている。 三遊亭円馬(3)が東京へ移植した。東京で三升家小勝(6)は、「1荷入りを持って帰って下さい」で落とした。その後、粗筋のようなやり取りが加わったらしい。 店の親父が疑問を持つのは、連れの言った男が笑うので、何だかおかしいと感じるという演出が一般的。一方、連れの男もよく分からないという演出もあり、店の主人に、「こんな簡単な計算が分からねえのか」と言うと、「兄ぃ、俺も何だか分からなくなっちゃった」というのがおかしかった。桂枝雀(2)が付いて来た男が分かってずっと笑うので店の者がおかしいとおもうが、正直聞いている方はあまり面白くなかった。よかったのは「あんたが怒って、私が泣いて、そちらの方が笑っている」という台詞くらい。 春風亭昇也の落ちは、店の主人が算盤を入れて……「逆を計算しましょう……50銭負けたのが倍になったから1円……合計1円50銭……ああ、1円50銭なのに3円あるからおかしいんで、今お釣りを差し上げます」……こうやって文字にすると何だか変に思うが、テンポのよさで一気にケリをつけられるから面白い。 柳亭小みちは、買いに来る客を大阪のおばちゃんに変えたのが大ヒット。人物を女性にすることで女性噺家の新しい世界が本当に認められた瞬間だった。【一言】 戦後、われわれの先輩でこれをもちネタにしていた人は、桂春団治(2)、桂文団治、橘ノ円都の3師でした。私はじつは、このはなしは誰にも教わっていません。いわば盗んだというやつです。前記三師のそれぞれの演り方に、桂春団治(1)のレコードを参考にさせてもらいました。(桂米朝)【蘊蓄】 1970年代の半ば、煙草屋で「チェンジ、チェンジ」を連発して両替に事寄せ、金をだまし取る「時そば外人」が話題になったが、手口はこの「壺算」のやり方に近い。5千円札で小さい物を買い、お釣りと元の5千円を一緒にして1万円に両替させる。外国人が片言の日本語でやると、応対する方が混乱するらしい。
2024.11.18
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【粗筋】 瀬戸物屋へ水瓶を買いに行くが、みなうつ伏せになっていて、「この壺は口がない」と言う。ちょいと傾けて見て、「みんな底も抜けている」【成立】 元禄16(1703)年『軽口御前男』巻二の「試案するほど鹿相」、安永8(1779)年、新陽老漁(太田南畝)作『鯛の味噌津』の「壺」。上方では「壺算」の前に必ずこれが入っていると書かれている。確かに店でのやり取りに使えそうだが聞いたことがあったかなあ。
2024.11.17
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【粗筋】 幽霊が出るのを承知で家を借りた気の強い男がいる。現れた幽霊から話を聞くと、千円の金をためたが、紙幣を新聞紙に包んで戸棚にしまっておいたのを盗まれ、そのために首を括って死んだがいまだに迷って出るのだと言う。気の毒に思って念のため調べてみると、天井裏から金が出た。鼠が引いていったのだ。幽霊も自分の短気にあきれたが、今更生き返ることは出来ないので、その金を男にやると言う。「それじゃあ、これでお前さんの供養をして、残った金で会社を立てよう」「そればかりの金で会社が立ちますか」「立つとも。幽霊会社だ」【成立】 紙切りでお馴染み林家正楽(2)の作。「竈幽霊」を焼き直したものか。
2024.11.16
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【粗筋】 大家の清兵衛は椿を大事に育てている大家の清兵衛、家でゴロゴロしている甚五郎を泉福寺へ連れ出す。ここの住職も椿に凝っているが、すっかりやつれている。訳を聞くと、夜中に風が吹いて椿がざわめき、花の色と同じ着物の椿の精たちが現れて騒ぎ、眠れないというのだ。甚五郎が泊って様子を見ると、椿は本堂脇の花のない若木をいじめている。甚五郎は長屋に帰ると椿の老木で彫り物を始める。翌日寺に持って来たのは、大家の女房・虎にそっくりの人形。夜になって椿の精が喧嘩を始めると、この人形が「お前らは人間に手を入れてもらってきれいな花を咲かせるのだ。人間に飽きられたら枯れてしまう。静かにしないとお前ら一本ずつ切ってしまうぞ」と言う。自分たちも老木になると気付いた椿の精らは恐れ入って自分の木に帰って行く。住職が、「これから本当に静かにしてくれますか」「大丈夫です、あんなに油をしぼられたんですから」【成立】 藤原美和作。三笑亭夢丸(1)の新江戸噺しの第2回(2002)年の特別賞入選作。私も応募し、夢丸師匠から直々に批評をいただいた。国立劇場の初演に招待状をいただいたが、ちょうど海外出張の日に重なり、後日土産を持参して謝罪したら大層感激され、家族同様のお付き合いをと言っていただいた。
2024.11.15
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【粗筋】 常太夫と儀太夫という義太夫語りが、一座を逃げ出して二人きりで旅をしていると、道に迷って墓場に出た。そこで「常太夫、儀太夫」と呼ぶ声がする。こんな所に知り合いはいないがと声の方へ行くと、菰をかぶった者がいる。菰をさっと取ると、乞食が、「冷たい、ひだるい(常太夫、儀太夫)」【成立】 「東の旅」の一つ。「うんつく酒」の後、「お杉お玉」の前に位置する。
2024.11.14
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【粗筋】 芝居で幕が開くと海岸の場。藤原鎌足の忘れ形見である淡海は、曽我入鹿のために与四郎と名を変えてこの辺りに住んでいる。腰元の錦木が、お船という海女に身をやつして付き添っている。与四郎は目を患っているので、お船が薬を取りに行き、与四郎は手さぐりで小屋に入る。 藤原家の臣・沢田新九郎政輝は、主人の勘気に触れて追い出され、綱七と名乗って漁師になっているが、忠義を忘れず行方不明の若君と腰元を探している。与四郎とお船がそうらしいと気付いた頃、代官が現れ、漁師達に二人の人相書きを渡して帰る。そこへ戻ったお船を、漁師達が捕まえるが、綱七が本名を名乗って助け、「若君を小船で逃がせ」と命じる。残った綱七は、大勢の漁師を相手に戦うが、お船は殺され若君は捕らえられて船に乗せられたと聞き、「何とぞ船を戻させたまえ」と竜神に祈りつつ腹を切り、臓腑をつかみ出して投げると、不思議なことに船が戻ってきた。若君を逃がした後、綱七は喉を掻き切って、波音高く幕となる。 幕が下りると、見物が、「今のは何の芝居ですか」「分かりませんか、綱七の腹切りですがな」「綱が腹切って海へ飛び込んだら、何になりますやろ」「おおからスサになりまっしゃろ」【成立】 上方の芝居噺。「傾城都玉垣」というのが正式の題らしい。歌舞伎の『小栗判官』にある「浪七の腹切り」をヒントに作ったものらしく、「綱七」という狂言は存在しない。芝居噺が流行した頃に作られたものであろうが、桂文我が演出に工夫して演じた。【蘊蓄】 スサというのは上方でツタという、壁塗りの土にまぜる材料。古い綱をばらして作る。
2024.11.13
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【粗筋】 与太郎が大きな葛籠を背負っているので声を掛けると、伊勢屋に入れた物を返してもらいに行くと言う。要するに泥棒に入るつもりらしい。葛籠はその品を入れて持ち帰るために家から持って来たのだ。「そんなものは向こうのを使えばいいんだ」「でも返しに行くのが面倒だから」「返す必要はねえよ」「それじゃあ質が悪い」 しかし、伊勢屋に入ることは難しい。そこで思い付いたのが葛籠、伊勢屋の前で「泥棒だ」と叫んで葛籠に隠れると、伊勢屋で泥棒が置いて行った物だと中に入れるだろうと二人で中に隠れた。ところが葛籠に「丸に与の字」という与太郎の印が入っていたので、伊勢屋が家まで届けて、かみさんが台所に置いて寝てしまう。葛籠の中で眠ってしまった二人が夜中に目を覚まし、蓋を開けて見回すと、見覚えのあるものばかり。「あれ、これはうちの竈だ。こんな物まで質に入れたのか。これはうちの鍋だ。あれっ、布団まで質に入れやがった」 かみさんが目を覚まして、「お前さん、夜中に何をごそごそやってるんだい」「あれっ、大変だ、嬶まで質に入れちゃった」【成立】 明治の末『文藝倶楽部』に、みよしのや作「喰い違い」として載っている。
2024.11.12
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【粗筋】 博打で借金がかさみ、成田へ金策に出ることにしたが、出掛けに長屋のおばさんから「お前さんのかみさんが間男をしている」といわれて、成田行きを中止、夜になるのを待って家に戻る。女房は夫の借金のために質屋の旦那に身をまかせていたのだが、突然亭主が戸を叩いたので、旦那を葛籠に隠す。亭主は下駄を見つけて責め、葛籠を開けようとする。女房が、「この葛籠のお陰で借金取りが来ないのだから、開けてはならない」と苦しい説明。亭主は葛籠にこよりで封をして質屋に担ぎ込む。番頭は主人が留守で値が付けられないと言うが、陰で女房に耳打ちされて100両を用立てる。亭主が、「おう、流さないようにしろよ」 と言うと、番頭が、「へえ、利上げしておきます」【成立】 桂文治(8)から金原亭馬生(10)に伝わる。戦時中の禁演落語の一つで、落ちは質屋と客の台詞が逆になってしまったもの。「葛籠の間男」「成田の間男」とも。
2024.11.11
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【粗筋】 金に困って、美人局を決意した。幸いかみさんがそこそこの美人だから思い付いたもの。噺家のかみさんなら、チンパンジーの方が器量がいい。若い男に色仕掛けで上がらせ、自分は戸棚の中に隠れている。よし、ここだという場面で飛び出して、「こら、美人局見付けた」【成立】 明和5(1768)年『軽口春の山』巻四の「筒もたせ」。「間男見付けた」が言うべき台詞。そこらの手順を前に説明すると長くなる。「筒持たせ」という字も使っていて、男性のモノを「筒」といったことから……って解説した噺家がいたが、博打で賽を振る「壺」から来たのが正解らしい。
2024.11.10
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【粗筋】「女の立小便を三番叟というのはどういう訳や」「尻を突き出した格好が踊りの三番叟に似ているからやろう」「女ばかりやないで。男の立小便も三番叟や」「なんでや」「いま、丁稚が立小便を行きよったが、仕舞いには筒(鈴)振って行きよった」【成立】 上方噺。男の一物を「筒」という。小便の後で振るのを「三番叟」で鈴を振るのに掛けた苦しい洒落。
2024.11.09
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【粗筋】 子供の出来ない夫婦が大黒さんに願を掛けると、大黒さんが「善哉、善哉」と現れ、子が授かるという槌をくれる。さっそく振ると、子供ではなく槍持ちが出て来た。「可愛い子供を頼んだのに、なんで槍持ちなんかが出て来たんだ」「槌の子は槍持ちじゃ」【成立】 上方噺。童遊び唄「槌の子は槍持ち よう槍持った 頭の先はズンベラじゃ」という歌詞によったもの。分からないので演じる者はなくなった。
2024.11.08
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【粗筋】 易者が集まった通行人の顔を見て、「お前はそばかすがあるから相場師、お前は金壺眼(かなつぼまなこ)で、口は鰐口、髪は針金のようだから金物屋……」 と、易ではなくとんちで当てている。そこへ現れた客は芝居の帰りで、見てきたばかりの『忠臣蔵』五段目を残らず話し、「この定九郎は何に生まれかわったんでしょう」「何だ、それで五段目一幕しゃべったのか。定九郎は牛に生まれかわった。いまだにシイシイ(猪)に追われている」「勘平は」「湯屋の三助だ。鉄砲の縁を離れず、ポンポン音をさせている」 それを聞いた立派な身なりの客が、「いや、貴公の活断には恐れ入った。して、由良之助は何に生まれかわったのじゃ」 易者は答えに詰まるが、「易者、易者、由良之助は」とせきたてられて、「ははっ、いまだ誕生つかまつりませぬ」【成立】 文化11(1814)年『落噺駅路の馬士唄』の「大磯」。『忠臣蔵』四段目判官切腹の場で、判官に「力弥、力弥、由良之助は」とせきたてられて、力弥が「ははっ、いまだ参上つかまつりませぬ」と答える場面をもじったもの。
2024.11.07
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【粗筋】 家主の勧めで甚兵衛と喜六が駕籠屋を始めた。天王橋のそばで商売を始めるが、湯に行くだけの人に声を掛けるなど、うまくいかない。ようやく吉原へ行く人を乗せて走り出すが、途中で客が「ぐずぐずしねえで、一概(いちげえ)にやってくれ」と言うのを「市ヶ谷へやってくれ」と勘違い。様子がおかしいと思った客が、「ここはどこだい」と尋ねると、「水戸様で」「おい、冗談じゃねえ。もう吉原(なか)へ行くのも嫌になった。下りるから履物を出してくれ」「いけねえ、履物を置きっぱなしにして来ちゃった」「間抜けな駕籠屋だな。裸足じゃ帰れねえから、深川(たつみ)へやってくれ」「へえ、辰巳で……」「おい、どこへ行くんだ」「家へ行って磁石を持って参ります」【成立】 三遊亭小円朝が十八番にしていた。深川は江戸から辰巳に当たる。吉原を北国(きた)、品川を南といった。水戸様は小石川。
2024.11.06
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【粗筋】「つごもりってのはどういう訳です」「あれはな、つごがもるからつごもりだ」「あれっ……つごってもるんですか」「ああ、もるとも」【成立】 知ったかぶりの枕や挿入に聞くことがある。安永8(1779)年『寿々葉羅井』の「晦日」は、もうひとひねりして、「もとはつもがごるからつもごりと言ったのだ」「つもってごるんですか」……昭和の噺家が多く「おおつもごり」と言っていたのがおかしかった。そういえば、「ぶんぶく茶釜」の歌を紹介するのに、みんな「ぶんぶくちゃまが」と言っていた。 古今亭志ん生(5)が演ったのは蛇の語源、「屁みたいな奴が、ビッと成ったんだ」というのが何ともおかしかった。他に「うわばみ」が「うわーっとばむんだ」というのがある。「はみ」が「食む」の活用なら正しそうだが、蛇を「はみ」というのが語源。
2024.11.05
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【粗筋】 男が集まると雨も降っていないのに、いつもの品定め。あの娘が可愛い、あの娘が優しい、あの娘が色っぽい……と並ぶ中で、「煙草屋の娘のお光っちゃんに止めをさすぜ。何しろ付け文を渡そうとすると、取るでもなし、取らないでもなし、もじもじそわそれ、うつむいて真っ赤になって、その風情がたまらねえや。ああいうのを見たら、誰でも惚れちまうぜ」 という男がいる。これを聞いてたのがこの店の女中で、ちょうど米屋の小僧が来て応対すると、小僧の出した勘定書きを取るでもなし、取らないでもなし、もじもじそわそれ、うつむいている。小僧が、「別に今日すぐ払ってくれってことではないで」【成立】 店に金がなくて支払い出来ないのが恥ずかしくて下を向いていたんだね……って言った人を私は二人も知ってます。
2024.11.04
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【粗筋】 佃祭の当日になると居ても立ってもいられず、焼き餅焼きの女房に「祭が白粉つけてまっているんでしょう」と嫌味を言われても気にせずに出掛けて行く。 祭に夢中になっていて、気が付くともう暮れ六つ。渡し舟の最終便はもう満員だが、これに乗り遅れると帰れないというので、次郎兵衛があわてていると、女が「あのう、もしもし」と袖を引っ張る。「急ぐから」「でもございましょうが」とやりとりをしている間に舟は出てしまう。どうしてくれると怒ると、女は3年前に身投げをしようとするところを次郎兵衛に助けられ、5両の金を恵んでもらったという。言われてみれば覚えがある。今は船頭の辰五郎と所帯を持っているので、いつでも舟は出せると聞いてやっと安心。さそわれるままに女の家に行って酒を飲み始めると、表が騒がしくなり、さっきの最終便が人を乗せ過ぎて沈み、船頭も助からなかったという。この女に止められなかったら、今頃は間違いなく死んでいたと、戻った辰五郎に厚く礼を述べる。辰五郎の方でも礼を述べて、今すぐに舟を出すわけにいかないから、ゆっくりしていってくれと言う。 さて、次郎兵衛の長屋では、次郎兵衛が沈んだ舟に乗っていたに違いないというので大騒ぎ。死骸はすぐには見つからないだろうから、通夜だけしてしまおうと、月番の与太郎に準備させる。夜が明ける頃に次郎兵衛が帰ってきたので、長屋ではまた大騒ぎ。坊さんが話を聞いて感心し、情けは人のためならず、めぐりめぐって自分を助けることになるのだと一席ぶつ。これを聞いた与太郎が、俺も誰かを助けようと、3両の金を工面して昼間から身投げを探して回る。永代橋で橋の上から手を合わせている女を見つけて、「待ってくれ、3両やるから助かれッ」「冗談じゃない。身投げじゃないやね」「でも目に涙をためて、拝んでいたじゃねえか」「歯が痛くてたまらないから、戸隠さまへ願をかけているんだ」「だって、袂に石があらあ」「納める梨だよ」【成立】 1814((文化11)年根岸肥前守の『耳袋』巻6にある「隠徳危難を遁れし事」。これは中国明代の説話集『輟耕録(てっこうろく)』の「飛雲の渡し」を翻案したもの。船に乗らずに助かったというだけの話で、落ちの与太郎の一件は、文政6(1818)年『浮世床』三篇上巻に全く同じ噺が乗っている。 佃祭は住吉神社(現・中央区佃1丁目)の祭礼、旧暦6月29日。渡し船は明治39(1906)年まで存続した。戸隠神社は湯島天神社の境内末社で、ありの実(梨)を奉納すると歯痛が治るという俗信があった。説明がわずらわしいので、三遊亭金馬③あたりからは、次郎兵衛が帰って来たところで女房が、「何を言ってるんだい、その女と一晩何をしてたんだい」「おい、もう焼き餅を焼いている」というやり取りで終わらせることが多くなっている。通夜の部分だけが独立して「くやみ」として演じられている。【一言】 毎年一回は夏場にやるはなしなんですが、『船徳』なんかより、よっぽどくたびれるはなしでねえ。サゲもまくらで説明しとかないと客に通じないし……。(古今亭志ん朝) 落ちについては、海賀偏屈の『落語の落(さげ)』1(東洋文庫)では、「全体落(さげ)が奮わぬ上に、梨というご叮嚀な蛇足まである」と非難しているが、生きていてよかった、めでたしめでたしでは噺としては物足りないということらしい。亭主の無事を知っても泣き続けるかみさんに声を掛けると、女の所にいて助かったと知って焼き餅を焼いているのだという落ちを聞いたことがある。【蘊蓄】 佃祭の歴史は、異説もあるが、天正18(1590)年家康の関東移封に伴って、摂津国西成佃村の庄屋森孫右衛門が一族6名を引き連れて移り住んだのが始まりという。住吉神社は郷里の神様を分祠したものだが、海に向かって鳥居を構えている。 川を渡るのに困った家康に近所の漁民が船を出してやったということが『江戸名所図会』に書かれているが、定期便は江戸期には見られず、明治16(1883)年に1人5厘の料金で定期便が始まっている。当時の郵便料金と同じだった。大正15(1926)年に東京市の運営となって無料化され、昭和39(1964)年に佃大橋が開通して姿を消した。
2024.11.03
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【粗筋】「奥様、旦那様にお囲い者があるそうです。それが佃島なんですの」「まあ、私が船が苦手なのでそういう場所を選んだのね……いいえ、私行ってやります」「でも船が駄目でしょう」「三月のお節句は潮が引くので、歩いて行きますよ」「それは奥様、無理ではございませんか。旦那様さえ首ったけですもの」【成立】 三題噺の例として、三遊亭円生(6)が語った。「お囲い者」、「三月の節句」、「佃島」という題。【蘊蓄】 三題噺は、お客様から題を三ついただいて、一席の噺を作るもの。その場で作るのなら長く、翌日発表するなら短くまとめるというルールがあったという。三つの題はちょっと話題にでも出ればいいが、どれか一つが落ちに使われなければならない。
2024.11.02
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【粗筋】 天気のよい日、3、4人でお台場の沖へ釣りを始めた。よく掛かるので夢中になって釣っていると、夕方から嵐になり、船もろともどこかの島に流れ着く。無人島かと思ったら、人がいる。南米かどこかへ流れ着いたかと、家の戸を開けて、「あのう、私達、日本人……分かりますか、日本人ですよ……ここ、何という国ですか」「何を言ってる、ここは佃島だ」【成立】 安永4(1775)年『聞童子』の「難風」は、場所が佃島でなく大森。
2024.11.01
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