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July 12, 2005
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テーマ: 海外生活(7808)
カテゴリ: カテゴリ未分類
前回の日記に書いたおじいちゃんの話と関連して、今の世の中を考えずにはいられない。

現在、民主主義の世の中においては、言論の自由が保障されていて(実際はそうではないが)、皆誰もが好きなことを言える。だから人の意見にとやかく言うことも出来ない。だけど、私にとっては、これだけは誰にも譲れないという考えがある。どんなに間違っていると言われても、私にとってはこれが全てであるし、相手側がどんなに自分が正しいと言っても、私は胸を張って、とことんまで相手が間違っていると主張したいことがあるのだ。

それは、戦争の是非。広島で生まれ育ち、さらにあの平和な心の持ち主であるおじいちゃんと一緒に暮らしてきた結果、私にとってはどんな理由があっても戦争はしてはいけないもの。現実的に難しいとか、利害関係がどうとか、色んな人が色んな意見で戦争を支持、又は仕方ないとしても、私にとっては答えは一つしかない。どんな理由があっても武力にだけは訴えてはならない。

今日もテレビのニュースでロンドンのテロで息子を亡くした人が、どんなに不公平なことが起こったか、息子を亡くしたことがどんなに悲しいことであるか、を訴えていた。

それを見た多くの人は一体どういう感想を持つのだろう。アメリカやイギリスの首相が声を大にして言っている”テロに負けるな、テロに打ち勝て!”精神で言えば、

”本当だ、あの人は何てひどい経験をしたんだろう。こんなことを引き起こしたテロ組織に屈してはいけない。私たちはいつもの生活を崩さずに、テロ組織にこんなこと意味はないということを示さねばならないのだ。”

と思ったとしたら、それは、大戦中にヒットラー率いるドイツナチスを支持した人と同じ事だと私は思う。こういう考えを持った人(私)は、例えばアメリカでは”危険な考え”を持ったextreme派のカテゴリーに入れられると思うが、実際私にとって今世界で起こっていることと、今までの歴史上で起こったあらゆる全ての残虐な行為、とは全く同じに思えるのだ。

どういう殺し方でも人が人を殺す、ということに変わりはない。人が1人死のうが何百万人死のうが、人間の尊い命が失われたことには変わりがない。今まで起こった戦争には全て理由があったが、そのどの理由もある国(国々)の政府のお偉方が国民に信じ込ませようとした、客観的に見ればとてつもなく間違っている考え、それを何故か大多数の国民が信じてしまったから起こっているのである。ある究極の情況下において国民が同じ方向に流れていくのは、実はこれほど簡単なことはなくて、実際起こるときにはあっけないほど簡単に起こってしまう。

歴史の教科書で過去についての文章を読んだとすれば、”どうしてこんな考えに多くの人が流されてしまったんだろう。”と誰もがわかるようなことが、ある一時代のある情況下においては、全く意味をなすことであり得、誰も疑わなくて当然のことになり得る。過去の戦争というものは全てそうして起こった、恐ろしいことに。



ホロコーストでユダヤ教&ユダヤ教徒をこの世から無くしてしまうことが出来なかったように、いつの時代にどんなやり方を使っても、ある信念を、宗教を、根本から無くしてしまう事は絶対に不可能だ。それをまるで子供の喧嘩レベルで各国のお偉方が叫んでいる、正当化している理論というのが、私には信じられないくらいこっけいに、そして悲しく映る。

ロンドンで息子を失った人が叫んでいた言葉は、そっくりそのまま、イラクで亡くなった多くの罪の無い市民が叫んだ言葉なのだ。多くのイラクの人々の言葉を代弁しているのだ。それをいかにもテロリストに対する反撃文として放送している資本主義メディアは、テロリストから見たらバカとしか言いようがない。私たちが叫べば叫ぶほど向こうは笑っているだろう。今まで自分たちのしてきたことをやっと心にしみて感じるようになったか、と。全てが彼らの思う壺に思えてならない。

私たちが生きているこの世の中において、ほんのたった一部の豊かな国では、インターネットもテレビも整備され、知りたい情報が全て届けられると思っている人が多いのではないか。だけど、それは全然違う。私たちの政府にコントロールされた、私たちの政府が国民に信じ込ませたい情報だけ、入手出来ているに過ぎない。それは真実どころか、真実とは程遠い大嘘かもしれないのだ。

世界の弱い国々の人たちは自国の人が何百万人殺されようと、その真実をどれだけ世界の国々に発信出来るだろう。例えばロンドンやNYで1人の人が殺されても、その家族が、友人が、その悲しみがどんなに深いかを世界中に知らせることが出来る。でも私たちの政府がやっていることにより亡くなった、世界の多くの国の人々は、その悲しみを、苦しみを、悔しさを、世界に伝えることは出来ない。常にそこには私たち政府のフィルターがあるのだから。

間接的に人を殺している私たち殺人者は、自分たちの政府を変えようとすることもなく、常に自分の個人利益をのみ考えて行動する。9・11のテロが起こったとき、東京の友人が”戦争より、目下の経済不安定が心配だよ。”と言ったとき、私は吐きそうなくらい気分が悪くなった。今でもドイツは過去の大戦で犯した罪を攻められ、他国から”あの歴史的過ちを繰り返さないように”とまるで自分は全く悪に荷担していないかのような口を叩かれる。

多くの人が気付いていない。あのひどいことをやったのは、そして今でもやっているのは、他の国の、他の全然知らない誰かではなくて、自分自身なのだ。仏教的な考え、”自身は全人類、全人類は自分自身”という考え方は本当によく意味をなしていると思う。自分のやったことは全て自分に返って来るのだ。過去も未来も国境もない。自分が、自分の家族が、自分の友人が、皆幸せであるために、どうして私たちは今は目の前に見えないけど、世界のどこか他の国で同じように暮らしている人たちや家族のことを想うことが出来ないのだろう。

共存という精神を知らない限り、皆滅びてしまうということを人間はいつになってもわからない。息子海はまだ1歳だけど、彼がこれから生きていく世界から戦争がなくなることはないのだろうか。戦争を生き残った私のおじいちゃんの願いが世界に届くことはないのだろうか。

おじいちゃんの入院中に見た過去のトラウマ(前回日記参照)を通じて改めて平和への願いを強くしている私なのだった。いつかおじいちゃんが亡くなって天国に行った時、この世でやはり戦争が続いているのを見て、一体何を思うだろう。その魂は永遠に報われることがないという気がしてならない。











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最終更新日  July 12, 2005 11:05:09 PM
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