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昨日のアクシデントで、思わぬ、縫合手術をした私。(麻酔をすると、「手術」になるそうです)怪我をしたことと、手術をしたことで、すっかり舞い上がってしまい、肝心の、今後について、お伺いするのを忘れていました幸い、今日、消毒に行くことになっていましたので、「今日は、忘れずに聞きましょう」そう強く思いながら、病院へと向かいました病院では、処置室と言う部屋で待つように言われました。看護婦さんが、傷に当てていたガーゼを取り除き、傷の周りを消毒してくれました。「先生がいらっしゃるまで、そのままお待ちくださいね」そう言い残し、どこかへ行ってしまいました。これ幸いと、わたしは、ジェウォン仕様の手鏡をカバンから取り出し、傷を確認しました。真横に1.5~2cmの真っ直ぐな線の上に、黒い糸が縦に3本。何だか、異様な感じでした。+++このような感じです。「若くなくて良かった」若い時にこのような傷を作っていたら、きっと悩んでいたと思います。傷を気にするお年頃ではなくなりましたそして先生のご登場。先「痛みはありましたか?」み「ちょっとずきずきと・・・」先「でも大丈夫そうですね」み「そうですね」先「傷も、きれいですよ。問題ないですね」み「そうですか?ありがとうございます。ところで、抜糸はいつですか?」先「そうね、5日後くらいかな?」み「えっ?そんなに早くくっつくのですか?」先「そうですよ」み「試合が、7月9日、あと10日くらいであるのですが、出られますか?」先「大丈夫ですよ。でも練習か・・・練習は怪我してから1週間くらいかな? ガーゼをたくさん当てれば、平気ですよ。」そうなのですか・・・試合大丈夫なのですね・・・実は、試合について、出るか出ないかで、怪我をする前から悩んでいました。7月9日ですが、はんこの、JO予選と重なっているのです。わたしの試合の申し込みの期限には、はんこが、JO予選に出られるかどうかわかりませんでした。出ることが出来れば嬉しいですが、試合が重なってしまう・・・そう思いながら、もしはんこのタイムが伸びず、予選に出ることが出来なかった時に、試合に申し込んでないと、わたしは悔やむと思い、取り合えず、申し込みをしておきました。幸運にも、はんこはJO予選に出ることになり、頑張れば、JO出場も夢ではなくなりました。予選は平塚、空手の試合は川崎。たまたま、主人は出張で家におりません。誰かが平塚まで、はんこを連れて行き、そして迎えに行かなくてはなりませんよね。同じ道場で空手をしていて、それも強く、その上水泳もとても早いお子さんのお母さまが、「はんこちゃん、わたしが平塚まで連れて行ってあげるわよ」そう言って下さいました。はんこも、「わたしの所為で、お母さんの空手の試合、棄権しないでほしいなあ」そう言ってくれます。でも、私自身が悩んでいたのです。せっかく、がんばって、大きい大会に出場しているのに、母親のわたしは、はんこのこと、ほったらかしにしている・・・そう思えてくるのです。きっとその試合で、標準記録を突破できれば、とても嬉しいので、誉めてもらいたいでしょうしわたしも、誉めてあげたいです。突破出来なかったら、悔しくって、悔しくって、何かにあたりたいだろうと思うのです。その時に、わたしが側にいなくていいのでしょうか?人に頼っていいのでしょうか?そう思っていた所に、この怪我でした。「きっと神は、 『わたしに試合に出ないで、はんこを応援しなさい』 と言っているのだわ」昨日の時点で、そう思ったのでした。ですが、試合の日には治ってしまうそうです。う~ん・・・また、悩み直しです。
2006年06月30日
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わたしは空手の選手です。 ・・・本当はただ、空手を習っていて、たまに試合に出ているだけで、大したことはありません。ジェウォンに自分のことを説明する時に、「空手を習っていて、試合に出たことがあって、・・・」と、韓国語で説明するのが難しかったのと、「空手の選手です」と言った方が、少し印象に残るかしら?と思い、昨年の11月頃、空手の師範に相談しました。「ジェウォンにわたしの事を『空手の選手です』と自己紹介したいのですが、良いでしょうか?」「ああ、良いですよ!」師範には、ジェウォンの事をたまにお話しています。ジェウォンに会いに、ソウルへ行ったり、大阪に行ったこともお話しました。写真だってお見せしています。でも、なかなか、ジェウォンの名前は覚えていただけませんわたしのジェウォンへ情熱をご存知でしたので、笑いながら、でも、「別に問題ないですよ」という感じで、了承して下さいました。ということで、わたしは自称「空手の選手」です。ところで、わたし(とぴっぴ)がしている空手ですが、フルコンタクト空手という種類の空手です。K1を思い浮かべてください。パンチしたり、蹴ったりして、相手を倒す!(なかなか、ノックアウトは出来ませんので、最後は審判の判定です)まさにあの世界です。ぽっぽがが空手を始めて、「空手と言うのはキックボクシングみたい」ということを思いました。(最初にぽっぽが空手を始め、5ヶ月後にぴっぴがそれに続き、はんこがぴっぴの5ヵ月後に始めました)わたしが思っていた空手というものは、瓦を割ったり、型を見せたり・・・というものでしたので、本当に殴りあったり、蹴りあったりしているのを見て、びっくりしてしまいました。わたしは実は、全く空手と言うものを知らずに、ぽっぽを道場に入れてしまいました。(ぽっぽごめんね。いいかげんな母親で)本気で殴ったりけったりする空手ですが、拳サポーター(グローブ)、脛(すね)サポーター、ヘッドガード(顔と頭を守る面みたいなもの)そして、女性は胸ガードもして、体が怪我しないような仕組みになっています。大人の全日本大会などは、素手素足の大会になりますが、子供や女性は普通、サポーターは必須です。顔へのパンチは反則ですが、頭(上段といいます)に蹴りをきれいに入れると、「技あり」をもらえ、その「技あり」を2本取れたら、あわせて1本で勝ちになるというルールです。後は、パンチや蹴りで、相手が戦えなくなると、1本勝ちとなり、そこまで行かなくても、ダメージを与えることが出来ると、技ありを取ってもらえます。そうではない時は、相手に対し、どれだけ戦ったかにより、勝負が決まります。その様な空手ですが、わたしにはまた、7月9日に試合の予定がありました。「女子36歳以上初級(7級以下)の部」 というカテゴリーがある大会でしたので、その階級で出られることはもう2度と無いと思い、エントリーしました。6月に入り、試合の為の練習を一生懸命していました。(2006.6.8「空手は厳しいけれど・・・」)今日も、午前中、練習しに道場へ行って参りました。そして、いつものように、練習していました。練習も終わりに近づいた頃、今日もわたしは、師範に稽古を付けてもらっていました。「ガ~ン」 一瞬何が起こったのかわかりませんでした。実際は、師範の蹴りがわたしの顔面(ヘッドガードはもちろんしていました)にきれいに入ったのでした。普段は、上段への蹴りは、手で払ってガードしたり、身体でよけたりして、あたらないように練習しているのですが、今日は、上段のガードが甘いなあと感じていました。師範の前に、他の人達と練習していたのですが、今日は何回も、上段を入れられて、「だめだなあ、だめだなあ」そう思いながら、練習していました。そして、師範の上段蹴りが見事にがーんと。師範は、ちょっとびっくり。「いや、入れるつもりは無かったんだ・・・」と、とまどいを隠せません。きれいに上段を入れられてしまったわたしも、少しばつが悪い感じが・・・「ガードが甘かった・・・」それでも、師範に向かって稽古しようとしたのですが、師範が、「少し休んで良いですよ」と言ってくださったので、ほっとしました。実は、顎(あご)にすごい衝撃があり、がくがくし、また頭もくらくらしていたのです。「休めてラッキー!」そう思っていました。「ヘッドガード、はずして休んだら?」そう言って頂き「はずしたら、もっと休めるかも」と思いながら、ヘッドガードをはずしました。すると、稽古していた方が、「みーしゃさん、血が!」わたしは、流血していました。あごの下のあたりが、ぱっくり割れていました。「あちゃー」ヘッドガードが、蹴りの衝撃で、あごにあたり、割れてしまったようです。血を拭いて、バンソウコウを張り、それでもわたしは、その後、2分2ラウンド、2セット(合計8分)のビッグミットの練習(1メートルX1.2メートルくらいの大きなミットに向かい打ったり蹴ったりし続ける稽古です)を、こなしました。皆には「大丈夫です」と言っていたのですが、あごが傷むのと、ちょっと、傷が大きいようでしたので、整形外科を受診しました。恋する乙女は、外見が気になりますからねなんと、5針も縫ってしまいました。(深かったそうで、内側2針、外側3針だそうです)その上、あごが痛く(この痛みはそのうち治るでしょうと言う診断でした)物が噛めないので、食事も取れませんでした。・・・食べることが大好きなわたしには、ちょっと辛いです・・・「いつ抜糸なの?」空手の友人に聞かれましたが、「あっ!聞くの忘れた!」縫ったことで舞い上がって、いつ治るか、傷は残るのか残らないのか、抜糸はいつか、すっかり聞き忘れました。取り合えず、「明日、消毒に来てください。今日は御風呂はダメですよ」そう言われた事は、わかりました。ぴっぴの練習に夕方行った時、師範に報告致しました。「結局、5針縫ってしまいました」「えっ?そんなにひどかったの?わざとじゃないよ。ちょっとあたっただけだと思ったのに・・・。4日以上通えば、保険おりますから!」せんせ~い!それだけですか?空手の友人Oさんは、「ジェウォンに『悪いやつにやられちゃった』って言っちゃえば!」ですって。「それでも、空手を辞めようと思わないわたしは、空手家になりつつあるかも!」と、空手の友人Yさんにメールしましたら、「みーしゃさんは、間違いなく空手家ですよ!」とお返事頂きました。でも、7月9日の試合ですが、心配する家族から、「棄権して!」との声が。確かに、ちょっと無理かも・・・そう思い始めた、わたしでした。
2006年06月29日
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広島東洋カープ 高橋慶彦選手彼が甲子園に出場した事も、カープに、ドラフトで入団した事も、彼がピッチャーからバッターに変更し、スイッチヒッターになった事も、広島ファンを自称しながら、全く知りませんでした。実は、その頃のわたしは忙しく、プロ野球をテレビで見る余裕などありませんでした。週に3日塾に通い、(通っていただけですが・・・)週に1回英語を習い、(7歳から習っていたにもかかわらず、全く身に付かず・・・)週に2回剣道の稽古に通い(初段になったら辞めました)週末には野球の練習をし、(女の子が野球チームに入れるようになったはしりの頃でした)空いた時間で、友人とバレーボールの練習をし、(教えてくれる人が誰もいないながら、「バレーボールがしたい」それだけで、近くの公園で、見よう見真似で、バレーボールの練習をしていました)・・・今考えると、とても忙しい生活をしていましたね。その様な生活をしながらも、読書は好きで、近くの書店には暇を見つけては通っていました。わたしの父は、とても厳しい人でしたが、本に関しては、「どんな本でも、本はいい物だから、好きなだけ買っていい」と言ってくれ、本来のおこずかいとは別に、「本代」と言う名目のおこずかいをくれていました。ある日のこと・・・その日は、塾に行くまでの時間があったので、わたしは、本屋さんで、立ち読みをしていました。バレーボールの雑誌を捜してスポーツコーナーに行きましたら、そこにあった、「カープファン」と言う雑誌に目が止まりました。広島カープの、ファン雑誌のようでした。「カープファンを自称しているくせに、このような雑誌があるとは知らなかったわ!」と思い、手にとって読み始めました。そこに、高橋慶彦選手の特集が載っていたのです。彼は、投手で入団したもの、目が出ず、バッターに転向。足の速さを活かすため、スイッチバッター(左右両手打ち)に。もともと、右利きなので、左を強化する為に、お箸を左で持って食事したり、その箸で、豆をつまむ練習をしたり、トイレも左手で・・・。野球の練習では、ひとが練習終わった後、残って練習したり、人が1の量の練習をしたら、その倍、3倍の練習をして・・・その様な、練習のおかげで、彼は打率3割、ベストナイン、盗塁王、33試合連続試合安打の日本記録(たぶんこれはまだ破られていない気がします)、そして、日本一、日本シリーズでの最高殊勲選手賞など、多くの記録と、名誉を手にしました。「努力は自分を裏切らない。自分は、才能がないので、努力するしかない。それも、人と同じだけ努力したとしても、それでは人と同じだけにしかなれないので、人より多くの努力をしたいと思っている」 わたしは、この記事を読み、感動し、「彼のように努力する人になりたい」と思いました。また、そこに掲載されていた、彼の笑顔の写真に心奪われ、そして、わたしは恋に落ちました。(この恋が、わたしの人生の中で本格的な恋の始まりだったような気がします・・・)野球選手なのに、野球する所を見ないで、ファンになってしまったのでした。それから、わたしの生活は一変しました。まず、高橋慶彦選手(以後、慶彦選手と書きます)の載っている雑誌を集め、毎日、プロ野球ニュースを欠かさず見る様になりました。カープ戦の野球中継は必ず、見ましたし、野球中継のラジオを聞くようになりました。父にお願いして、スポーツ新聞をとってもらうようになりました。慶彦選手は、わたしが好きになった時は、すでに、すごい人気者でした。カープと言う、地方球団にいながら、CM契約があり、芸能人並にレコードを出していました。(全部で、3枚か4枚シングルを出していました。もちろん全部買いましたし、今でも唄えます彼は、歌はあまり上手くはありませんでしたが・・・)「ベースボールアルバム」という、一連の選手特集雑誌が、2冊も発行され、(NO.1は好評の為、売り切れ、絶版に。その為、NO.2が発行されたそうです)若い女性に、大人気だったようです。そんなことは何も知らず、ファンになってしまったわたし。出遅れてしまったことを、嘆きながら、わたしは彼を応援しました。彼の野球は、華麗というよりは、バタ臭い。天才と言うよりは努力家、という感じのプレーをしていました。ですから、ベストナイン賞はもらっても、ゴールデングラブ賞はもらったことがないはずです。顔は2枚目だと思いますが、好みもあるでしょうか?でも、笑った時の目じりのしわが、わたしのお気に入りでした。彼のことを好きだということを、クラス替えの時の、自己紹介で話しましたら、「私もカープファンなの」と言う方が声をかけてくれたり、「券をもらったから、一緒に見に行かない?」と、神宮球場や、後楽園球場の券を手に入れた友人が声をかけてくれるようになりました。そして、一緒に野球を見に行くようになり、とても親しい友人が何人かできました。学校で、わたしが慶彦選手が好きなことはとても有名になり、担任の先生がわたしのことを「高橋さ~ん!」と呼ぶようになったりました。(わたしの旧姓は高橋ではありません)その頃の、わたしは、慶彦選手と結婚できると信じていました。(ああ、若いという事は無謀でした・・)合宿所にファンレターをせっせと送り熱い思いを書きつづっていました。が、もちろん人気者です。返事が来るわけはありません。それでも、結婚できると信じていたあの頃・・・ある日、「慶彦結婚」 と言う記事が飛び込んできました。婚約したか、結婚が決まったかと言う記事でしたが、涙が、知らないうちに流れていました。ポロポロ、ポロポロと。しかし、実はその頃のわたしは、もう少し、手の届きそうな野球選手にも恋をし始めていました。それが昨日少し触れた、日本ハムフィターズの選手、五十嵐信一さんでした。慶彦選手の結婚で、ショックを受けましたが、ひとつの恋を忘れるには、ひとつの恋を始めるのが一番の早道の原則通り、わたしの気持ちは、五十嵐さんに向かいました。慶彦選手のことは、それ以来、すうっと気持ちが引いてしまったのですが、昨年の日本シリーズで、ロッテのコーチとして、グランドに立っている慶彦さんを見て、自分の青春時代の切ない気持ちをを思い出し、また、相変わらずの笑顔に、少~し気持ちが揺れてしまいました。そう言えば、当時の就職活動の面接の時、趣味の欄に必ず、「野球観戦」と書いていました。すると、面接官の方達は、だいたい興味を持って、質問してきます。「どのチームのファンですか?」「広島です」「広島のご出身ですか?」「いえ違います。広島に、高橋慶彦選手という方がいるのですが、彼は努力の人だそうで、『努力は人を裏切らない』といって、人の何倍もの努力をされ、実力を付けたそうです。彼のように努力できる人になりたいと、常に思っています」その様な、受け答えをして、面接をくぐりぬけ、わたしは、第一希望の会社に入社できました。決して、「彼に恋をしていました」とは言いませんでした♪
2006年06月28日
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わたしは、小学校2年生の時、父に、初めて神宮球場に連れて行かれました。野球好きな父が、プロ野球をわたしと弟に見せたかったのと、自分が見たかったからだそうです。今でも忘れません。ロッテ対日本ハムの試合でした。現在、野球解説やコメンテーターとして活躍している張本勲選手が、日本ハムの選手として出場していました。父が、「張本と言うのはすごい選手なんだ」と教えてくれた割には、日本ハムは負けてしまって、「すごい選手がいても、負けてしまうんだ」子供心に、そう思ったのでした。(良く考えると、いつも勝つわけは無いのですが・・・)当時、日本ハムファイターズは、東映フライヤーズ、日拓フライヤーズから、球団が変わったばかりで、入場者に、帽子のプレゼントをしてくれました。ところで、父は、「野球を見るのはネット裏に限る」と言う人でしたので、その日も、ネット裏での観戦でした。・・・今ではネット裏の席は、年間指定席ですので、当日券でその席が買えるはずがないのですが、当時は、買えたのか、それとも父が勝手にその席に座ったのかは、わたしは知りませんし、父はすっかり忘れています初めてのプロ野球に、わたしは、はまってしまいました。野球その物をあまり知らなかったのですが、格好良いですし、迫力が違いました。(ネット裏で見た事で、音も本当リアルだったのです)そして、判官贔屓(はんがんびいき)であるわたしは、負けたファイターズが、なんだかいとおしくまた、帽子をプレゼントしてくれたと言う、何だか気前のいい球団であることが気に入り、その日から、「わたしはファイターズファンです」と言うようになりました。「ファイターズファン」と言う様になっても、テレビでは、巨人戦しか中継してくれません。当時は、あのONコンビ・・・そう、王貞治選手、長島茂雄選手が現役時代でした。監督は、川上哲治。今考えると、とても豪華な時代でした。セリーグ中心の時代で、パリーグは全く人気がありませんでした。ですので、「ファイターズファンです」と言いながらも、ファイターズの試合はその後、何年も見る機会は訪れませんでした。(またの機会に、綴るつもりですが、ファイターズが後楽園球場をホームグランドにした頃、わたしは、一人のファイターズの選手に恋をしました・・・もちろん片思いですが・・・思いが募り、後楽園球場で、席案内のアルバイトをするようになりました。そして、毎日のように、試合を見ることが出来るようになったのでした)初めてプロ野球を見た翌年のシーズンも終わり頃。何気なく見た、巨人対広島戦のテレビ中継。その試合は、広島の、球団創設以来初のリーグ優勝がかかっていました。試合の内容は全く覚えていないのですが、スタンドの、しゃもじの応援が、わたしの目に焼きつきました。それはそれは、圧巻でした。広島東洋カープと言う球団が、皆に愛されている、それを象徴している様な、しゃもじでの応援だったのです。そして、涙の初優勝。古葉監督の胴上げ。見ていて、わたしまで、泣いてしまいました。そして、何だか良くわからないのですが、そのしゃもじの応援と、涙の初優勝がわたしの心を揺さぶり、わたしは恋に落ちるように、その日から、広島東洋カープのファンとなったのでした。そして、その年のドラフト3位で、わたしの青春の象徴である、 高橋慶彦選手が、広島に入団したのでした。
2006年06月27日
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先週末、ぴっぴの空手の試合で、大阪へ行ってきたわたしですが、実は・・・ 「BLUE」道頓堀編 を、今回はわたし一人で、撮影してきました。 ぴっぴの試合は、昨日も書きましたが、岸和田という、大阪の南の方で行われました。関空から近いこともあり、新幹線で行くより、楽に行けるし、楽に帰れると言うことで、飛行機に乗ることにしました。 (また、いつか、急なサイン会などがあった時、高い航空券を買わなくて済む様、マイルを貯め始めたこともあります・・・もちろん、ジェウォンのサイン会のためですよ♪) 当初、試合の前日に堺のホテルに泊まり、当日、ホテルから、電車で20分くらいの体育館へ行くつもりでしたので、3時のチェックインの頃ホテルに着き、のんびり、ホテルで過ごそうと言う予定でした。堺に親戚がいますので、その後訪ねるつもりでした。 が、その親戚が強く「家に泊まっていって」と誘ってくれたので、そちらに、泊めてもらう事にしました。 が、出発の前々日になって、その親戚から、「仕事があり、5時にならないと帰れないので、それまで、時間をつぶして欲しい」と言う連絡がありました。 わたしはひらめきましたぴっぴに、「大阪に着く日、ちょっと、時間があるので、たこ焼きとラーメンを食べに行くか、もしくは海遊館と言う水族館に行かない?」と誘いましたら、「たこ焼きとラーメンがいい!」との返事でしたので、道頓堀散策は決定しました。(どちらも、ご存知のように、ジェウォンの撮影場所です) いつも、一緒に撮影に行っている友人に、一応道頓堀に行くことをご報告!と思い、メールしましたら、「ジェウォンドリも連れて行きますか?」と言うお返事を頂きました。ジェウォンドリは、友人のぬいぐるみです わたし達は、「RED」で気を良くし、「いつか、北海道編や沖縄編が出来たら良いですね」というお話はしていたのですが、大阪に行こうというお話はありませんでした。 わたし一人でいいのかしら?という気持ちと、せっかく行くのだから、撮りたいなあという気持ちとの間で悩みましたが、ジェウォンドリをお借りして、ぴっぴをお供にして、撮影することにしました。(試合前なのにぴっぴを疲れさせてしまったらとも、思いましたが・・・)そして、土曜日。難波に着きましたら、暑くて人が多いのにびっくり。その上、道頓堀までの道路は、ラッシュアワーのようでした。実は、昨年の、大阪ファンミの前日、その堺の親戚が、わたしを道頓堀に案内してくれたのですが、夜だった所為もありますが、全然違う町に思えました。もっと空いていて、涼しかったように記憶しています。そして、戎橋あたりに到着。「ジェウォンがここに来たのね」わたしは、またまた、感慨に耽っていました。そして、写真集と見比べながら、撮影地を特定しました。 人には、得意不得意がありますよね?わたしは、もともと、地理が得意で、地図は普通に読めますし、土地勘があり、一度行った所は、たいてい覚えています。(わたしは、その場所を頭の中で「映像」として、覚えるのです。ニュアンス、伝わりますか?)ですから、ドライブでも、遠出が平気なのだと思います。写真を見て、撮影地を特定する事は、楽しいですし、思ったより簡単でした。その上、「RED」でも思ったのですが、ジェウォンの今回の写真集のロケは、案外、移動距離が少ないです。道頓堀でも、然りでした。戎橋から、金龍ラーメン・日本一の大だこまで150Mくらいを歩けば、今回の写真集そしてDVDの道頓堀編は、全て、撮影できます。金龍ラーメンの看板の「金龍」「日本一の大だこ」では、ジェウォンと一緒に写っているお兄さんがいらっしゃいました。その日は、たこ焼きを焼いていらっしゃいました。とても忙しそうだったのですが(だって、すごい行列なんですもの!人気店なのですね♪)「宜しければ、ご一緒に写真をとらせて頂けませんか?・・・クマのぬいぐるみなんですけれど・・・」とダメ元で申しましたら、「良いですよ!」と気軽におっしゃって下さいました。「ジェウォンのファンサイトに写真を載せるかもしれませんが・・・」と申しましたら、「良いですよ」こちらも、快諾していただけました。(たこ焼きは、ぴっぴと半分づつ、美味しく頂きました。)わたしのブログではジェウォンドリ初登場ですお兄さんも格好良いです先ほど得意不得意と言う事を述べましたが、わたしは、手先があまり器用ではありません。そして大雑把な性格です。一人で、撮影しに来たはいいものの、ジェウォンドリのポーズが決まりません。洋服を着せても、何だかいまいち、だらしなくなってしまうのです。いつも友人は、上手にマチ針でポーズを決めていました。その手さばきが見事なのです。 今回、わたしはマチ針を用意せず、安全ピンだけでしようとしてしまい、それが失敗の大元だったとは思うのですが・・・大雑把なので、「これくらいでいいかな?」とすぐ妥協してしまうのです。出来上がったら、支えの割り箸が写っていたりして、びっくりでしたその上、撮影を手伝ってくれていたぴっぴが、だんだん疲れて、不機嫌になってきたのでした。ですから、今回の写真はちょっと、今までのものより、出来上がりがいまいちです。以前から思っていたのですが、今回一人で撮影して、友人の偉大さを再認識しました。・・・いつもありがとうございますm(_ _)m・・・写真集とは別に、DVDのロケ地もあったのですが、DVDの洋服を用意していなかった上、時間の余裕もなかったので、今回はパスしました。(写真だけでも撮っていれば、このブログに載せられたのに・・・残念)ところで・・・沖縄と、大阪では写真集とDVDでロケ地は一緒でも、衣装が違う所が何ヶ所かありました。沖縄では、じゃあさよなら!と言いながら、また違う衣装で撮影していたり・・・大阪では、金龍ラーメンにおいて、写真集とDVDでそれぞれ違う衣装でラーメンを食べています。日にちを変えて、2回行っていると思います。お天気が違いますしね。とと言うことは、やっぱり、ジェウォンはDVDでは演技しているんだなあと。とても自然で、ジェウォンの素でもあると思いますが、ちょっと天然入りすぎではない?という、笑いのつぼがたくさんありましたので・・・さすが俳優さんだなあと、しみじみ感じました。何度も申しますが、わたしはこの「BLUE」の写真集が大好きです。そして、つい最近手にした、「BLUE」のDVDも大好きです。本当に、素適な写真集とDVDに仕上がったと思います。ジェウォンについて、いろいろなご意見があると思いますが、わたしは、今まで何度か接して感じたジェウォンが、ジェウォンの本当の姿だと思っています。そのジェウォンが大好きですそのジェウォンに会いたいので、機会があれば、わたしはジェウォンに会いに行きますでも、その機会って、あまりないのですよね
2006年06月26日
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実は昨日から、一泊二日で大阪に行ってきました。またまた、ぴっぴの空手の全日本大会が、あの「だんじり」で有名な岸和田でありました。今月初め、名古屋でいい結果を出せたので、その調子で、連覇を!と、勇んで出かけましたが、ベスト8で敗退してしまいました。(でも、ベスト8は、「敢闘賞」と言う賞で、盾がもらえました)今日のぴっぴは動きが悪く、得意の蹴りに威力がありませんでした。今回、体の調整に失敗してしまったと思います。いつもなら、主人がマッサージをしたり、ストレッチに付き合ったり、手取り足取りしてあげているのに、今回、わたしとぴっぴだけだったので、わたしが、ぴっぴの体のケアをすることが出来なかったことも、敗退のひとつの理由だったと思います。ですから、2試合目になっても、ぎこちない動きで、いつもなら、簡単に勝てそうだった相手に、苦戦してしまいました。ぴっぴが負けた相手は、初めて対戦したのですが、とても強かったです。一目見て、「この子強いわ~」そう思わせるような動きをしていました。結局、その子が優勝しました。負けた時はとても悔しくて、泣いてしまったぴっぴでしたが、彼が優勝したと言うことで、少しほっとしたようでした。わたしも、ほっとしました。試合中に、以前傷めた所をまた傷めて、痛みとも戦っていました。辛かった様です。試合直後は、歩けなかったです。それでも、空手が大好きなので、怪我を治して次の大会を目指す事にしました。次の大会は、8月の新極真(緑派)です。あと1ヶ月半くらいあるので、まずは身体を治し、パンチをしっかり打てる練習と、ローの調子を復活させないと!新極真の大会は、かなり強い子が集まるので、覚悟して、臨みたいと思います。
2006年06月25日
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長男ぽっぽは○○年前の今日、生まれました。生まれる前から「ぽっぽ」 という名前が彼にはついていました。お腹にいる赤ちゃんに、声をかけたり、話し掛けたりすることが、胎教に良いと良く聞きますし、わたしもそうしたいと思っていました。でも、話し掛けるのに、「ねえ、赤ちゃん」では、何だか気持ちがこもっていないようでちょっと嫌でした。女の子か、男の子かわから無いので、名前も付けられないし、どうしたらいいのだろうと悩んでいる時、「うちの時は『ぽっぽ』と呼んでいましたよ。」という方に出会いました。「その名前、頂きます」ということで、その日からわたしのお腹にいる子は「ぽっぽ」と言う名前になりました。その時、ぽっぽはお腹に入って5ヶ月目。そろそろ、人間らしくなってきた頃でした。お腹にいる時から、「ぽっぽ」と呼び続けていたので、生まれても、新しい名前(と言うより本名)になかなかなじめず、結局、「ぽっぽ」と言う呼び名で、呼んでいます。(さすが人前では、本名で呼びますが・・・)身長が170センチ近くまで成長した、寝ている我が子に、わたしは毎朝声をかけます。「ぽっぽ~!学校に遅れるわよ~!早く起きて~!」わが家では、家族のお誕生日にはケーキを買ってきて、皆で揃って、お祝いするのが慣わしなのですが、明日から一泊で、ぴっぴとわたしは大阪まで行ってきます。誕生日当日、お祝いが出来ないので、昨日、前夜祭でお祝いしました。ぽっぽ、お誕生日おめでとう。ぽっぽにとって、○○歳が、素適な一年でありますように。
2006年06月24日
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わたしは、生まれて初めて頂いたボーナスを頭金に、自動車を買いました。それまでは、親の買ってくれた、ボロ~イ、雨が降ると水漏れするようなポンコツに、弟と交代で乗っていたのです。わたしは、車の運転が大好きで大好きで、仮免の時から、父を助手席に、一般道で、90キロで飛ばしてしまう、そんな人でした。免許を取ったその日、自宅に帰ると父が嬉しそうに待っていました。「免許は取れたな?良し乗れ!」と、わたしは半強制的に運転席に座らされ、「では、中央高速に乗るぞ!」と父。「えっ?」「いいから、行け!」「はい・・・」そのまま、わたしは高速道路に向かい、高速道路を走ったのでした。とても緊張しましたが、変に、自信がつきました。(助手席で、平気な顔をしていた父ですが、実はすご~く怖かったと、後から聞きました。)それから、毎週末になると、あちこちに出かけました。最初は、都内。そして、海。そして、山。そして、湖。だんだんと、遠くへ遠くへ、行動範囲が広がって行きました。ただ、わたしの父はとても厳しく、女性の一人旅は認めないという方針でしたので、わたしは、遠出をしても必ず日帰りでした。その日の内に帰ってきていたのです。かなり、親には従順に育っていました。・・・今考えると、「もっと冒険しても良かったなあ。親に反抗してもよかったなあ」少し、残念に思います。遠出をしだすと、両親が買ってくれたポンコツでは物足りなくなってきました。スピードは出ないし、がたがた言うし、雨が降ると、何故だか雨漏りしてしまう・・・「きっと、事故車だったのかもね」と、弟と言っていました。たまに、途中で、エンストも起こすようになってきました。そして、そのポンコツの車検が迫った頃、わたしは、自分の車を買うことに決めました。何軒も、ディーラーをまわりました。わたしは、2000CC以上の少し馬力のある、そして、スピードの出る車が欲しかったのです。でもなかなか、思ったような車は無く、あっても、新車ですと、めまいがするほど高額だったりしました。「あのポンコツを車検に通そうかなあ」と、あきらめかけたある日、通りがけに中古車センターがあり、ふら~っと入りましたら、そこに、ブルーバード マキシマ ターボと言う車がありました。外見もきれい、値段もまあまあ、走行距離も、それ程いっていなく、そして、2000ccの上に、ターボまでついている。一目見て、決め、そして、そのまま、契約してしまいました。 初めてのボーナスの頃でしたので、頭金は、ボーナスでまかないました。それから、2年はローンが残りましたが、全く苦にならず、自分の車を持てたことが嬉しくて嬉しくて、頑張って、支払いました。そして、わたしは、ガソリン代と高速代を稼ぐ為に働いている、そう言っても、過言で無い程、わたしは、いろいろな所に行くようになりました。(やっぱり、日帰りでした)北は仙台の七夕祭り、新潟、柏崎の海、西は、浜名湖のうなぎ、伊豆半島最南端、中央道では、諏訪湖あたりまで行きました。(でもやっぱり、日帰りでした。)その範囲より、東京よりでしたら、かなりいろいろな所に行きました。それも、一人で、日帰りで。その上、スピード狂でした。その日の内に、行って帰ってきたい、という気がありましたので、なるべく、速く行って、速く帰る為には、スピードを出すと時間の短縮になりました。高速では150キロは当たり前、ちょっと頑張って160キロぐらいまで出していました。「高速で走ると、車が安定するのよね」本当か嘘かわから無いようなことを、平気でいうようになっていました。事故を起こさないでいたのが不思議なくらいでした。遠くと言えば、弟と、二人でしたら、大阪へも行きましたし、愛媛の両親の田舎にも行ったことがあります。(この時は、日帰りではなかったですよ、もちろん!)愛媛の田舎までは、調度1000km。お互いに500kmづつ、運転しました。あの時は、かなり疲れました・・・わたしは、その頃から、今でも車の運転が大好きです。どこか行くと言う時には、まず、車で行けるか行けないか?と言うことを考えます。車で行けるのなら、それが時間的に早いのであれば、迷わず車を使います。実は、今日も、素適なところに行ってきました。素適な建物を見学し、美味しいデザートを頂いて参りました。そして、復路は相変わらず、高速道路を140キロで、飛ばして帰ってきました。まだまだ、スピード狂は直りそうにありません。
2006年06月23日
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このブログの名前のきっかけとなった、わたしの母方の祖母は明治45年生まれでした。愛媛の片田舎の商人の長女として、生まれたそうです。祖母は、とてもきれいな人でした。年をとってからも、見た目は品があり、とても素適な人だったと記憶していますし、残された写真には、優しく笑っている祖母が写っています(わたしの母はこの祖母似で、きれいな人だったのですが、わたしは、父似で、いつも悲しんでいました。そして、祖母に幼い頃から、わたしは、「みーしゃは、お化粧したらきれいになる顔をしているから大丈夫」と、言われて育ちました。「お化粧したら・・・」って、素顔は???と言うことですよね?)祖母には、とても立派ないとこのお兄さんがいました。父方のいとこで、貧乏ながら、苦学して、21歳にして弁護士になり、その後出世街道まっしぐらのお兄さんでした祖母は、そのお兄さんにとてもあこがれていました身体は小さいですが、優しいし、頭はいいし、田舎で、そのお兄さんが東京から帰って来るというだけで、村中がお祭り騒ぎになるような、そんな人だったのです。祖母が15歳のある時、そのお兄さんが村に帰ってきました。お兄さんは29歳でした。きれいに成長した祖母を見て、そのお兄さんは驚き、でも魅かれ、やがて、二人は恋に落ちました(と申しますか、お兄さんが強引だったかな?)そして、その次のお正月には、母の兄となる人が生まれました。祖母、16歳。祖父、30歳。それから、54年、祖母は、祖父一筋に生きました。祖父は反対に、浮気性で(15歳の娘を嫁にしてしまうような人ですから)祖母の子は母を含め7人ですが、実は母には、母親が違う兄弟が2組6人います。「妻と妾と13人の子供達」東京オリンピックが終わった頃の女性週刊誌に、面白おかしく書かれたことがあるそうです。(取材は、東京に住むお妾さんだったため、本妻だった祖母は、都合悪く書かれたとわたしの母が憤慨していました)昔は、お妾さんという方が、普通にいらっしゃったそうです。ですから、祖父としては、あまり特別な気持ちは無かったと言う事でした。(が、わたしは子供心に不思議でした。何で、祖父のお嫁さんである祖母以外の人が、いつも祖父の近くにいるのかと・・・)そんなことにも、まるで動じず、祖母は、愛媛の田舎の家を、祖父が留守の間、一人で守っていました。祖父が外で生ませた子供も、自分の子として育てていました。子供達にも、「わたしにとって、先生(祖母は祖父を亡くなるまでそう呼んでいました)が1番だから、あなた達のことは2の次だと思っていなさい」いつも、そう言っていたそうです。公的な場になると、とてもきれいでおしとやかになる祖母でしたが、祖父が東京に行っている間の楽しみ、それは博打でした近所の方を集めて、賭け事をする、それが楽しみだったそうです。そして、その時の祖母は、髪を振り乱し、服にも気を遣わない、そんな変わりようだったそうです。祖父がいない寂しさを、紛らわせていたのかもしれません。その祖母に、わたしはひとつの漢詩を教わりました。(漢文としてでは無く漢詩としてです) 偶成(ぐうせい) 朱熹(しゅき)《朱子》(1130-1200)少年老い易く学成り難し一寸の光陰(こういん)軽んずべからず未だ覚めず池塘(ちとう)春草の夢階前(かいぜん)の梧葉(ごよう)已(すでに)秋声わたしが小学校6年生の時でした。当時は全く理解できず、文だけを覚えました。(暗記したら、1万円くれるという、えさに釣られました)若いうちはまだ先があると思って勉強に必死になれないが、すぐに年月が過ぎて年をとり、何も学べないで終わってしまう、だから若いうちから勉学に励まなければならないと言う意味だそうです。たぶん、16歳で子供を産み、その後、子育てと夫への献身で一生を過ごしていた祖母の、わたしへの教えだったのだと今は思います。が、当時のわたしに理解できるで訳もなく、わたしは、その覚えたことすら、どこかに忘れ去り、全く勉学に励む事無く過ごしてしまいました。今になって、祖母の大きな愛を感じています。・・・勉強しておけば良かった・・・祖母は、祖父が亡くなった時、倒れました。「先生が燃やされる所なんて行きたくない」と、焼き場へは行きませんでした。祖父が残した財産は、ほとんどお妾さんに持っていってしまわれていました。それでも、「先生が一番。先生と一緒になれて良かった」そう言っていたそうです。そして祖母は、祖父の亡くなった11年後、祖父より短い人生を閉じました。
2006年06月22日
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わたしはたまに、高齢者のデイサービスのお手伝いに参ります。~デイサービス(通所介護)~要介護者又は要支援者がデイサービスセンターに通って、入浴・食事の提供を受け、健康状態確認等の日常生活の世話と機能訓練等を行うところです。 要介護者とは・・・日常生活に介護が必要と認められた方のことです。段階によって、1~5と分けられ、受けられるサービスも変わってきます。要支援者とは、・・・日常生活に介護が必要ではありませんが、日常生活上の支援を要すると認められた方のことです。わたしが行くデイサービスでは、お身体はまずまずお元気ですが、認知症が多少ある方々が、多くいらっしゃいます。わたしは、そこで、皆様のお話をお聞きしたり、ご一緒に遊んだりと、楽しんで過ごしております。職員の方は、入浴のお世話をされたり、トイレの介助をなさったり、食事の介助をなさったりと、とてもお忙しく働いていらっしゃるのと比べ、なんだか申し訳ないくらい、ゆったりと過ごしています。それでも、わたしは、ボランティアとして、職員の方が少しでも、楽になる様、そして、ご高齢者の方々が、楽しく過ごす事が出来るよう、お手伝いさせて頂くようにしております。楽しくお話をするには、まず、お名前を覚えるのが一番です。どなたでも自分の名前を覚えて頂くと、嬉しいですよね?「○○さん」名前を呼んで頂くと、とても親近感を覚えます。ご高齢者の方もご一緒で、「○○さん!」とお名前をお呼びすると、「おっ!良く知っているねえ?何で、名前知っているの?」と言う質問がきたりします。「それは、○○さん、有名でですから!」などとお答えすると、とても喜んで頂いたりします。でも、認知症の方は、また、同じ質問をされることが多くあります。(認知症は、ちょっと前のことは忘れやすいようです)「えっ?何で、名前知っているの?」「お会いしたことがありますよ」「そっかそっか」このような会話は、日常茶飯事です。ところで、わたしが初めて、認知症の方に接した時の事を書きたいと思います。わたしは、介護の資格を取る為に研修していました。認知症の方の事は、知識としては知っていたつもりでしたが、やはり、現実は違うのでしょうし、人それぞれの症状もあります。普通にお話ししていた時でした。(普通に会話ができた事で、わたしは、その方を健常者と思ってしまったくらいでした)急にその方は立ち上がり、窓の外を指差し、「あそこに人がいる!危険だから、早く避難させないと。何しているの!はやくして!!!」 わたしは慌てて、外を見ましたが、別に何の変わりも無い様に見えます。「どの辺でしょうか?」「見えないの?あそこだよあそこ。ほら人が!早く行ってあげて!」そこでやっと気づいたのです。その方は、認知症で、これは、幻視の症状だと。このような時には、「人なんていませんよ!」と言って否定してはいけないのです。否定すると、頑なになったり、暴れ出したりと、かえって大変な事になります。そのような時には、受け入れることが必要だそうです。「わかりました。今、あの方を助けに行ってもらいますね」そう言って、ちょっと、席をはずし、誰かに頼んだフリをしました。その方は、満足されたようでした。そして、元のように、穏やかになられました。認知症の初期の症状に、「財布を取られた」「お金が盗まれた」という様なことが良くあります。その時には、「何嘘言っているの?」「勘違いしないでよ。わたしを泥棒だと言っているの」などと、高圧的に否定されない方がいいと思います。一緒に探してみるなどして、気持ちを逆撫でしないように、穏やかに解決なさってください。そして、もしそのような症状が現れたら、迷わず、お医者さまにご相談し、治療をお受けになり、また、ケアマネ等ににご相談し、適切な介護等をお受けになられますようにお勧め致します。
2006年06月21日
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飯島夏樹君ご存知の方もたくさんいらっしゃると思いますが、彼は、世界的なプロのウィンドサーファーで、作家の方でした。昨年、癌と闘病の末、天国へ、旅立たれました。実は、わたしは、彼と高校が同期で、(クラスは別です)高校時代は、「知り合い」・・・お友達と言うのほど親しかったわけではなく・・・でした。(わたしの年齢、公表した様なものですね)彼が、癌と闘っているそう知ったのは、一昨年の夏の事。ある日曜日、じっくり新聞を読んでいたわたしは、下4分の1を占めていた、ある本の広告に、目が留まりました。『天国で君に逢えたら』・・・飯島夏樹「余命3ヶ月と宣告されたサーファーが書き綴った物語。今日、彼のドキュメント番組を放映」 あまり覚えていないのですが、この様な広告でした。「えっ?飯島夏樹・・・って、なっちゃん?」そこには、家族と一緒に笑っている、確かに見覚えのある、でも、ちょっとおじさんになって(わたしもおばさんですが)そして、ちょっと痩せている彼の写真も載っていました。「なっちゃんだ!」 彼は、高校時代、とても人気者でした。学校中で、彼の事を知らない人はいないくらい有名な人でした。当時から、背は高く、体格はがっしりして、そして明るくて、目立つ存在でした。わたしは、バレー部に所属していて、あるバレー部の子がなっちゃんと親しく、昼休みになると、なぜか私も一緒にバスケットボールをして遊んだりしていました。進路を選択する時、彼は「サーフィンがしたいから」それだけの理由で、沖縄の大学へ進学を決めました。私はと言うと、親の意見には逆らえず、でも、親はわたしを過信していた上、わたし自信も自分の能力を知らなかったため、不本意な進路をとる事になりました。「自分の好きな事を自分の進路にするって、素適だなあ」当時、親からの呪縛から飛び出す勇気のなかったわたしは、とても羨ましく思った事でした。そして、その後、風の便りで、彼がサーフィンの世界で活躍されている事を知りました。たまに、「どうしているかなあ」と思い出してはいました。そのなっちゃんが、病気になり、本を出し、そして、テレビに出る?驚いたわたしは、すぐにインターネットで検索し、彼の情報を集めました。そして、彼が闘病していて、でも、一冊の本を出し、今現在、元気で、インターネットで、ブログを書いている・・・そんなことを知りました。すぐに、彼と高校3年生の時同じクラスだった友人に、「新聞で見たのだけれど・・・」とメールしましたら、「クラスでは、なっちゃんの病気のこと、皆で心配していて・・・」と言う返事がきました。わたしは、彼の本をすぐに購入し、そして、読みました。悲しいけれど、読み易い、でも明るい小説でした。主人公の名が「なっちゃん」。こちらは、女の子でしたが、きっとご自身を投影しているのだなあと思いました。そして、彼の番組も見ました。病気になって、苦しんで、悩んで、落ち込んで・・・でも、小説を書くこと、文を書くことに生きる喜びをみい出し、そして、何より、家族を愛している彼の姿がそこにありました。彼に比べたら、わたしの悩みなんて、悩みのうちに入らないですし、何しろ、自分が死んでしまう事なんて、考えたくはありません。実は、考えた事も何度かありますが、怖くて怖くて、「なんで自分は、この世に存在しているのだろう」そこまで考えた事もありました。でも、彼は、死と真正面に向かい合い、懸命に生きていらっしゃる。涙がとめどもなくあふれてきました。彼の生き方を見て、わたしは目が覚めたようでした。「健康である事は、当然ではなく、幸せな事。人生には、限りがあるので、不満を持たず、感謝し、明るく前向きに考えよう。また、後悔しないように、自分に正直に生きたい。やりたいことはやってみよう。そして、家族を愛していこう」 そう思わずにはいられませんでした。たぶん、その頃から、わたしは変わったと思います。彼は、最後まで病気と闘ったと申しますか、仲良くしたと申しますか、昨年2月に天国へと召されましたが、わたしに、このような大きなプレゼントを残してくれました。なっちゃんありがとう。そして、ご冥福をお祈り致します。
2006年06月20日
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昨日、はんこの水泳の記録会がありました。 「神奈川県 横浜地域ジュニア選手権トライアル」 秋に、神奈川県の「ジュニア選手権」という大会があり、その、大会に出るための記録会です。 はんこは、幸運にも、ジュニア選手権の標準記録は、3種目で突破しており、出場資格があります。(ぽっぽとぴっぴも、水泳選手でしたが、ジュニア選手権でさえ、出たことがありませんでした。はんこは、3人の中で、一番水泳のセンスがあると思います) 昨日、はんこが出場した目的は、ジュニアオリンピック(略して、JO)予選に出るためです。 JO標準タイムまでは、練習タイムで、あと0.4秒、公認タイムで、1.8秒くらい足りません。予選タイムまでも、公認記録で、0.2秒足りず、まだ、予選にも出場資格がありません。 ですので、予選タイムを突破することが目標でした。(申し忘れましたが、はんこは背泳ぎの選手です) 骨折したため、公認大会2回を棒に振ってしまい、今回が、この夏最後のチャンスでした。 実は、この日、学校の「体験学習」という行事とぶつかってしまいました。(学校以外のところで、集団で行動し、宿泊して、いろいろなことを学習するという、学校行事です) 怪我する前は、公認大会で、JOタイム(もしくは予選タイム)を突破し、心置きなく、「体験学習」に参加させるつもりでしたが、後が無くなったとき、とても悩みました。 学校の行事は大切だけれど、はんこにとって、水泳は生きがいといっても過言ではありません。本人も、体験学習より、記録会に出て、JOを目指したいと申しておりました。わたしも、体験学習より、水泳にチャレンジさせたかったのです。学校側に、どう言ったらいいのか?かなり悩みました。主人に相談しましたら、「怪我のため行けないって言えばいいじゃない」と軽く言われてしまいました。でも、すでに、固定は取れていますし、泳いでいますし、かなり無理があります。当日朝、「具合が悪いので」と休ませようかしら、とも思いましたが、もし、JOに行くことができた時に、あの日は何だったの?ということにでもなれば、はんこに、うそをつかせることになります。わたしも、はんこも学校に正直に「水泳の試合に出るので、体験学習はお休みします!」そう言いたかったのです。でも、こういうことを言って、学校行事を休ませていいものか?仲良しのお母様にご相談しましたら、「わたしも、正直に言ったほうがいいと思います」と言う、心強いアドバイスを頂き、わたしは、すぐ、担任の先生の所へ行きました。「実は、お話があります・・・。申し訳ないのですが、はんこは、体験学習を休ませます。実は、水泳の大会がありまして、怪我をしたため、JOに出るための最後のチャンスなのです。お願いいたします。」心苦しく、消え入りそうな声で、怒られる事を覚悟で、そう申しました。「いいですよ~!日曜日なのでそういうお子さんほかにもいらっしゃいますよ!」と、明るく、おっしゃっていただきました。「えっ?よろしいのですか?」「今回、日曜日が重なってしまい、習い事を休みたくないという方もいらっしゃいます。はんこちゃんは、泳ぐことが、すべての原動力となっていますので、是非、大会に出場して下さい。そして、可能であれば、夜からで結構ですので、後から合流してくれれば、学校の思い出も作れますが、お母さん、後から、連れていらっしゃることができますか?」「もちろんです。そうさせていただければ、願ったり叶ったりです。」そして、昨日、JO予選出場をかけて、泳ぎました。そして、無事、予選に出る事ができるようになりました。(JO予選は長水路予選と、短水路予選・・・50Mプールと、25Mプール・・・は、2回ありまして、長水路予選のほうがタイムが厳しく、そちらはだめだったのですが、その長水路、予選に、北島康介選手が調整のため、出場するというニュースが、昨日あったそうで、ちょっとざんねん)はんこは頑張りました。練習の自己ベストよりは、遅かったのですが、公認の自己ベストより、0.7秒ほど縮めました。後は、JO標準記録に向けて、後3週間、頑張ってもらうだけです。レースが終わり、はんこは放心状態でした。そして、1時間半かけて、小学校の友達が待っている、体験学習の宿泊地に向かいました。皆のところに行って、「どうだった?」と聞かれたときに、嬉しそうな顔で答えているはんこを見て、今日、記録会にに出場させてよかったと、しみじみ思いました。そして、お友達に、「はんこちゃんがいないと、なんか物足り無かったのよね」と言ってもらったのを聞き、とてもうれしく思いました。そして、わたしは、一人さびしく、またまた1時間半かけて、自宅へと車を飛ばして帰りました。BGMは偉大なる遺産OST ちょっと、歌えるところもできました(ご存じない方の為に・・・「偉大なる遺産」は現在、韓国で放映中の、ジェウォンが主演しているドラマです)
2006年06月19日
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BER POLESTAR写真集「RED」の中に、このお店の前で、スーツを着こなし、格好よくたたずむジェウォンがいます。撮影当初から、このお店の名前は上がっていて、一度は行ってみたいと思っていました。今回、「ジェウォンの軌跡をを辿る」企画をした時に、インターネットで、このお店について調べました。もう半世紀以上も前からあるお店だそうで、四半世紀以上昔、青年だった主人も知っていましたし、わたしと同じ年代の友人にこの写真集を見せた時に、「ポーラースター、知っているわ。昔行ったことがある」以前も書きましたが、ドラマのロケなどにも使われる、かなり有名なお店だそうです。DVDの中で、ジェウォンはこのお店のことを語っていたと思います。「すぐそこが、米軍の基地で・・・」本当にそうでした。川沿いと申しますか、海沿いに立っているお店で、橋の向こうは、もう米軍の港湾輸送施設でした。橋をひっきりなしに、ダンプや、輸送トラックが行き来し、落ち着きの無い道路に面しているのですが、その一角だけは、周りに左右されない、どっしりしたものを感じました。「POLE STAR」は、実は普段は開いていないお店だそうです。パーティーなど、に貸し出されるとき以外は、普通使えない空間だそうです。その代わりと申しますか、隣接して建っている、「Ber StarDust」同じ経営のお店だそうですが、こちらは、毎日5時から営業しているそうです。実は、「RED」の中の写真は、よく見ると、「POLESTAR」と「StarDust」の二つのお店で撮影しています。先日、「探偵気分で」に書きましたが、このお店を訪れて、(まだ昼間だったので、開店していませんでした)中を覗き込んだとき、窓や椅子、バーのカウンターあたりが少しずつ違うのに気づき、写真集を検証してみますと、それぞれのお店で撮影していることがわかりました。わたしたちは、それぞれのお店で撮影したいと、強く思い、お店の方にお願いすることにしました。4時半過ぎに、お店の方がいらっしゃいました。「いいですか?」早いのを承知で、お店に入りました。すると、そこは、「RED」の世界。ジェウォンが撮影したテーブルに案内され、そこに座りました。もう天にも登る気分です注文しながら、友人がお店の方に尋ねました。「お店の写真を撮らせていただいていいでしょうか?」「えっ?取材?何?」 と最初は不快感あらわでしたが、キム・ジェウォンのファンであること、このお店が、ジェウォンの写真集にたくさん載っていること、わたしたちは、その写真集と同じような写真が撮りたいこと、そして、ファンサイトに写真を載せたい事を丁寧にお話し、写真集の現物をお見せしましたら、急に愛想が崩れて、「そうそう、ここで、撮影したんだよね。礼儀正しくって、いい男だったよ!」と喜んで、写真集をご覧になりはじめました。(やっぱりジェウォンは、どんな方からも好かれるのね・・・) わたしは、誇らしい気持ちでいっぱいでした。「これ(と写真集をさして)、うちにもくれるって言っていたのに、まだもらっていないなあ!」とちょっとご不満のご様子。「これ隣のお店でも写しているんだよ」「POLESTER」での撮影の写真をさして、そうおっしゃいました。「それでですね、お隣のお店でも、撮影させていただきたいのですが・・・」「いいよいいよ。あとで、開けてあげるよ」写真集を見て、わたしたちが訪ねていったことをとても喜んで頂きました。そして、わたしたちが、撮影することを、とても喜んでくださいました。DVDもお見せしたら、かなり感激してくださり、(友人はポータブルのDVDデッキを今回持ち歩いてくださっていました。ジェウォンのREDの撮影の様子などをチェックしながら、わたしたちは撮影したのです)そこに出演していた、お店の女性の方に(サインをもらっている方です)、「今どこにいるの?キムジェウンのファンが来ていてね。さっちゃんがDVDに出ているんだよ。早くおいでよ」笑顔で、電話されていました。撮影は本当に、楽しかったです。写真集を開きながら、「ここの椅子ですね」「ここのテーブルですね。壊れ具合が一緒ですね」「ここに、横たわって・・・」「首の角度がこうで・・・」JD(ジェウォンドリ)はかなり、酷使されました(ごめんね)でも、とても満足する仕上がりです。ずっと顔の筋肉が緩みっぱなしの撮影でした。(これが、本物のジェウォンだったら・・・と少し思っててしまったわたしは、かなりずうずうしいですね。)帰るときには、「また来てね。ジェウォンのオフ会するときには、是非ここ使ってよ!」 そう言って頂きました。そうして、先日の金曜日、わたしたちの写真集「ジェウォンドリ SEMI SWEET MEMORIES RED」 を、友人が完成させてくださいました。わたしたちのジェウォンに対する愛情のたくさんこもった、かわいくって、素敵で、ちょっと笑える、写真集です
2006年06月18日
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昨日、パソコンの不調で、続きを書くことができず、とても消化不良になってしまいました。まだ、主人のパソコンなので、写真をアップすることができませんので、撮影裏話を書き綴っていきたいです。***************************わたしたちの撮影は、ただジェウォンが撮影した場所に行くだけでなく、(「ここにジェウォンが来たのだわ~」 と余韻に浸るだけでも、充分幸せなのですが)ジェウォンに見立てた熊のぬいぐるみ【・・・名前はジェウォンドリ(ジェウォ太郎・略してJD)】を、ジェウォンと同じ様な服を着せ、ジェウォンと同じポーズをとらせた写真を撮るのです。ですので、事前準備が必要でした。洋服は友人がすべて用意してくれたのですが、JDの大きさで、ジェウォンと同じような洋服がなかなか無く、あちこちで探してくれました。わたしは靴と、少しのアクセサリーを用意しました。用意するのも、「RED」をみながら、あーでもないこーでもないと、本当楽しかったです。何度も、繰り返し見ましたので、「RED」の、どのページにどのような写真があるか、覚えてしまったくらいです。当日、元町の次に向かったのは、みなとみらいでした。みなとみらいには、皆さんご存知のように、ジェウォンが撮影して、泊まったホテルがあり、DVDに出てくる、コスモクロックがあります。(わたしは「コスモロック」とずっと思い込んで、友人にも、「コスモロックって、言うのです!時計なのに変ですね」なんて、知ったかぶりの大嘘をついていました・・・ごめんなさい)ホテルでの撮影では、思わぬだめだしがあり、「記念に一枚!」という軽い気持ちでも、企業が絡むと、難しいことがわかりましたし、コスモクロックでも、DVDのほんの少しの映像だったのに、撮影の申請を、ジェウォン達はして撮影していたことがわかり、あの写真集の製作には、大変な労力がかかっていることを改めて知りました。コスモクロックでは、DVDに映っていた従業員の女性Mさんとお会いすることができましたが、ジェウォンのことをまったく覚えていらっしゃらないと、とても、もったいないことをおっしゃっていました。わたしたちファンにとっては、本当にうらやましいことであるのに、興味が無いということは、そういうことなのですね。彼女は、DVDで見るより本物のほうが、ずっとかわいかったことを、皆様にご報告しておきますね。そして、わたしたちの撮影にも気持ちよくご協力していただきました。ありがとうございました。その姿は、皆様ご存知のジェウォンのファンサイトに、友人が、昨日アップしてくださっています。コメントともに、楽しんでくださいその後、わたしたちは、今日のメインの撮影場所、ポーラースタースターダストに向かいましたが、この続きは、また明日ということで。
2006年06月17日
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このブログを初めて一ヶ月ちょっと。毎日、更新することが楽しみであり、目標であり、わたしの生きがいになりつつあります。(ちょっとおおげさかしら?)なのですが、その気持ちと裏腹に、我がパソコンの調子が、日に日に悪くなっていました。我が家にパソコンが来たきっかけは、 GLAYです。GLAYのサイトが見たくて、主人に買ってもらいましたそれから、約6年。パソコンを触るのは、インターネットと、Eメール。年末年始の年賀状のみ。宝の持ち腐れとはまさにこのことで、我が家のじじたちでも、できそうな事だけしか、使っていませんでした。しかし、ここにきて、韓流に目覚めたわたし。韓国のサイトに登録して、韓国のテレビをインターネットで見て、ジェウォンの写真をいろいろなところから持ってきて、そして、デジカメでとった写真を登録したり、加工したり・・・そして、このブログまで始めてしまいました。「WindowsME」のOSでは、疲れてしまったのかもしれません。一昨日くらいから、大好きな、ジェウォンのファンサイトに繋がらなくなり、昨日は、ジェウォンのドラマが見られなく・・・原因はなんだかまったくわからず、サポートセンターも、夜でお休み。半分泣いていましたが、急遽、主人が持ち歩いている、ノートパソコンを借り、何とか見られるようにはなりました。わたしのパソコンの方は、ブログを書いている途中、何度かフリーズしてしまい、今は主人のパソコンからの書き込みです。主人は、わたし以上に機械に弱く、ビデオの予約もできない人なので、パソコンに何かあっても、わたし一人で、対応しなくてはなりません。今日は朝から、サポートセンター、インターネット接続会社、そして、パソコンに強い友人などに、何箇所も、何回も電話し、てんてこ舞いでした。そして、ひとつの結論を出しました。新しいパソコンを買いま~すと申しますか、買ってください、ご主人様
2006年06月16日
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韓国俳優、キム・ジェウォンに恋しているわたし。彼がこのたび日本で発売した、写真集とDVDはもちろん全て購入致しました。(DVD「BLUE」は、6月末に発売予定です)今のところ、一番好きなのは、写真集「BLUE」。青い空と、彼のさわやかさが、わたしの心をくすぐります。そして、何しろ、着ている物が薄いのです。(と申しますか、上半身に何も着ていないという写真も数多く・・・)スポーツマンがタイプのわたし。ジェウォンの軽いモムチャンの上半身がとても格好良く、かなりサービスショット(と、わたしには思えて)がある、写真集「BLUE」は、何度見てもあきません。ですが、横浜在住のわたしには、「BLUE」の撮影地沖縄は、遠すぎて行けません。そこで、先日チラッと書いた「RED」の「ジェウォンの軌跡を辿って・・・横浜編」に、昨日、東京編でご一緒した友人と行って参りました。前回、東京編が本当に楽しく楽しくて、「また行きたいですね」と言っていた事。そして、出来上がりの写真がとても満足のいく物だった事。友人がその写真を、ジェウォンのあるファンサイトにあげてくださった所、予想以上の反響だった事。きっとジェウォンにも喜んで頂けるのではないかと、確信した事。わたし達の、写真集を完成させたかった事。などなどから、わたし達は横浜に行って参りました。5月29日付、「探偵気分で・・・」で書いたように、わたしは、撮影場所を特定しました。写真をとる為に、中華街へ行ったとジェウォンサイドが言っていましたが、わたしが見る限り、写真集に中華街の写真はありませんでした。しかし、商店街があるのです。(バックがボケている写真です)横浜の商店街と言ったら、元町か伊勢佐木町しか思いつきません。わたしは伊勢佐木町には一度しか言ったことが無いですし、なんとなく、その写真は元町の商店街っぽい雰囲気がありました。また、撮影当時、日本のある女優さんのブログで、中華街のはずれで、ジェウォンの撮影に遭遇したと言うことが上がっていました。中華街と元町は目と鼻の距離です。そしてその時、わたしは元町を歩き見つけました。今、「RED」がお手元にある方、真ん中あたりで、ジェウォンがスーツを着て、腕を組んで写っている、2枚見開きの写真を御覧下さい。(ジェウォンがテレビのインタビューでお気に入りと行っていた写真です)上の写真をぼかしたら、同じ背景になることがおわかりになりますか?そして、その前のページの2枚。左ページは前田橋。右ページは朱雀門。(前田橋・・・ジェウォンはこのあたりに座っていました。)(朱雀門・・・手前の白い標識の柱にジェウォンは寄りかかっていました)奥の薬局の前で、ジェウォンとその女優さんが写真を撮ったそうです。そんなで、昨日の撮影は、まずはその3ヶ所から始めました。前回東京編は、この辺だろうとあたりをつけて、「ああっ!ここ!ここ!」と言う、見つけた楽しみがあったのですが、今回、わたし一人でそれをやってしまって、友人の楽しみをひとつ減らしてしまったかなあと申し訳無く思いました。「ここです!」「この角度から撮影したと思います」なんて言う調子でしたので、元町あたりの撮影はあっけなく終わってしまいました。
2006年06月15日
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昨年の2月、わが家に娘が一人(!?)やってきた。名前はラック。シェットランドシープドッグの女の子。(ちょっと、おすまし顔。現在、1歳7ヶ月)一昨年の秋、次男、ぴっぴが、腰を怪我して運動出来なくなり、気持ちが沈み、学校の友達ともあまり上手くいかず、もんもんとしていた日が続いていた。親としては、どうにかして、この子の気持ちを慰めたいと、「ぼく、あまりお友達がいなくて・・・」そう言う彼のために、犬を飼う事に決めた。わが家は一軒家なのだが、家族7人で住むにはとても狭いので、(わたし達5人の他に、わたしの方のじじ、ばばがいる)主人は、「絶対に外で飼うことが条件だ」と言っていた。はんことわたしは、トイプードルが欲しかった。ぴっぴは、黒のミニチュアダックスフンドが欲しかった。主人は、柴犬が欲しかった。ぽっぽは、受験でそれどころではなかった。ペットショップで相談すると、「柴犬なら、外で飼えますが・・・」と言われてしまうし、「犬の飼い方」と言う本を読んでも、今の犬は、ペットと言うより家族なので、室内で飼う事を薦めている。外で飼える犬なんて、ほとんどいないらしかった。わたしは、日本犬はなぜか嫌だったので、1.洋犬で、2.外で飼えて、3.初めてでも飼いやすくて、4.おりこうな犬。そんな犬を探した。わたしは、生まれて初めて犬を飼うので、不安がたくさんあったが、でも、楽しく探した。中型犬以上だと、外で飼えるらしい。と言う事で、中型犬に絞る事にした。(大型犬は何しろ大変そう・・・)で、条件にあったのが、シェットランドシープドッグ。略して、「シェルティ」。そして飼い易いとのことで、女の子を探すことに。だが、なかなかシェルティの女の子が見つからない。近所のペットショップには、まず、シェルティがいない。インターネットで探して、いたとしても、男の子だったり、何だか遠くのペットショップで、会いにも行けなかったり・・・そうしているうちに、ぽっぽの受験が近づき、わたしは犬どころでは無くなったので、ぴっぴには、我慢してもらう事にした。そして、無事ぽっぽの受験が終わった一週間後、わが家にラックがやってきた。名前は、ぴっぴが付けた。本当は黒い犬を飼いたかったので、「ブラック」からとった「ラック」。でも、わたしは、「Good luck」の「ラック」だと思っているし、人にも、そう説明している。主人はまた違って、「楽(らく)」と言う漢字、楽しいという意味のこもった「ラック」だと言い張っている。どちらにしろ、みなの気持ちのこもった名前である。この子がかわいくてかわいくて、外に出すのが可哀相になり、結局、室内で飼っている。シェルティは、平均8kgから12kgと言われているのに、14.5kgもある、巨大な女の子に育ってしまったので、わが家は8人家族になったようで、狭い家がさらに狭くなってしまった。でも、この子のおかげで、皆健康になり(お散歩がいい様だ)、ご近所とのコミュニケーションも出来、お知り合いも増え、ぴっぴも気持ちが落ち着き、友達との関係も上手くいくようになった。ラックのおかげで、みーしゃ家は幸せである
2006年06月14日
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最近、イ・ソジンさんのサイトにお邪魔するようになり、いろいろ情報を得ていたのですが、本日、ソジンさんが、国際フォーラムで始まる、「大韓流展」という、イベントに、ゲストとしていらっしゃると言う事で、わたしは、朝から、有楽町に行って参りました。10時から開場で、先着200名様には雑誌のプレゼントがあるとのことでしたので、10時前には着くつもりでしたが、結局、会場に到着したのは、9時58分。入り口がわからず、遠くまで行ってしまい、最後尾を見つけた時には、長蛇の列。200名は超えていそうでした。別に、初日に行かなくても良さそうですが、ソジンさんに会えるかもしれないのと、先着200名のプレゼントに目がくらみ、ちょっと朝から頑張りました。開場が、10分くらい遅れました。その間、ジソプと、イ・ジュンギが好きと言う方と、お知り合いになり、韓流話で盛り上がり、時間が経つのも忘れました。「初日だから、まだ、準備が整っていなかったのね。」と思っていましたら、実はソジンさんがいらして、写真にサインをしていったそうです。彼は、ファンに姿を見せず、昼の便で、帰国してしまうということでした。(と、入場してから、知りました)このイベントは、写真展です。韓国俳優(女優も含め)50人以上の方達の写真が一同に集まった、韓流ファンにはたぶん、とても感動する写真展だと思います。でも、わたしみたいにジェウォンだけ見たいと言う人にとっては、どうかなあ?ジェウォンは4枚のみでした。それも、最後の方に展示されていました。わたしは、「ジェウォ~ン♪」 と、探しながら行きましたので、他の方の写真は、ほとんど見ず終いでした。(と言っても、ジェウォンを堪能した後、見直しましたけれど・・・)ジェウォンは、「タン」でした。表情はどれもいいです。私を見つめてくれていました髪型には目をつぶりましょうわたしがいた2~30分の間、ジェウォンの前で止まる方はいらっしゃいませんでしたので、わたしは、ゆっくり、ジェウォンと一対一で、見つめ合いました(なんて)この写真は、このイベントが終わったあと、抽選でプレゼントしてくれるそうです。そうそう、先着プレゼントは、何とか頂くことが出来ました。わたしの後、20人位で終了だったそうです。セーフでしたプレゼントは、韓国の「スクリーン」と言う雑誌の、昨年のもので、ほとんど、ヨン様特集でした。(>_
2006年06月13日
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わたしが、長男を身ごもった時、病院をどこにするか悩みました。実は、主人の兄の奥様(義姉)が、出産事故で、大変なめにあわれていました。産院としては日本で何本かの指に入るという、愛○病院での事故でした。わたしと結婚する前のことでしたので、わたしは詳しくは知らないのですが、皆さん、辛い思いをされました。主人も、とても辛かったそうです。出産と言うと、なんでもない事のようですが、主人にとっては、出産には事故がつき物と言う、先入観が生まれました。そういった事で、病院をどこにするか悩んだのです。その時住んでいた家から徒歩5分のところに、個人経営の産婦人科がありました。車で、5分のところに、大学病院がありました。でも、わたし達が選んだのは、家から、車で15分くらいの所にある、とってもぼろ~い作りの国立病院でした。そこは看護学校が併設され、寄宿舎があり、「若い助産婦さんが、生き生きと働いている病院」だと、その義姉のいとこで、3人のお嬢さんをその国立病院でご出産された方から教えて頂き、そこに決めました。(半年前に3人目をご出産されたばかりでしたので、とても説得力がありました)結局、わたしは病院のぼろさより、看護婦さん、助産婦さん、先生の対応の良さでその病院が気に入り、引越しした後も、その病院であとの2人も出産しました。(二人目の時は、車で1時間以上、三人目の時は、高速を使って、30分位かけて通いました)長男を出産する前に、同じ頃出産予定の方を集めて、母親学級というものが、病院でありました。初めての出産への不安を除く為の知識を与えてくれたり、お母さん同士のコミュニケーションをとったりと言う場所でした。何回か、連続して開催されていくと、だんだんと仲良しのグループが出来て来ました。わたしも何人かの方達と、仲良くさせて頂くようになりました。そのころは、携帯電話など、まだ夢の夢の時代ですし、パソコンもまだ一部の人達の物の時代でした。仲良くなると、住所と自宅の電話を交換していました。その後、わたしは無事長男を出産しました。ある日、母親学級で仲良くなった方から、「遊びにいらっしゃいませんか?」と言う電話を頂きました。長男を出産後、育児でてんてこ舞いだった上、主人の母と同居のわたしは、子供をつれて遊びにいくことなど考えた事もなかったのですが、主人に許可をもらい、子供を車に乗せて、遊びに伺う事にしました。初めて子供と外出すると言うはしゃいだ気持ちと、主人の母に何かいわれるかなあと言う、びくびくした気持ちで出かけましたら、わたしはなんと、事故をおこしてしまったのですせっかく、これから仲良くなろうとしていた方の所に行けないという気持ちと、また主人の母に何か言われてしまう・・・という、悲しい気持ちでいっぱいでした。幸い、どちらに怪我も無く、主人が上手く相手と交渉してくれたのですが、わたしの中で、事故は尾をひいてしまいました。その後、その遊びに誘ってくださった方とは、年賀状のやり取りを何年かし、わたしが、長女を出産する時、同じ病院でお見掛けし、ご挨拶したのですが、(彼女は2番目のお子様を先に出産し、子供の検診に病院を訪れていたのでした)わたしが、子育てで忙しく余裕も無く、少し疎遠になってしまいました。昨年4月、その長男が、私立の学校に入学致しました。わたしがあこがれている学校で、主人の母校と関係のある学校でもあります。夫婦二人で喜び、入学式には、夫婦で出席致しました。入学式の時、何気なくクラス名簿を見ていた主人が申しました。「代わった苗字の人がいるなあ」「どれどれ?」とわたし。「○○○」とそこにあった名前を見てびっくり!「わたし、この方知っている。病院で一緒だった方。あの、事故の時、遊びに行こうとしていた方。下の名前も間違い無いわ」同じクラスでした。わたしは、式場で、彼女を探しました。いらっしゃいました。式が終わり、彼女のところに行き、「○○○さんですよね?XXX病院でご出産されましたよね?母親学級でご一緒だった、みーしゃ(ちゃんと本名を言いましたよ!)です。」「えっ」それから、しばらく話して、旧交を温めました。子供同士は、何だか照れくさそうでした。子供が学校になれた頃、クラス懇談会があり、そこで、再会したわたし達は、アドレス交換をしました。メールの中で、「みーしゃさんは、もしかして韓国俳優さんが好きですか?」と聞かれました。わたしは、アドレスをジェウォンのメモに書いて、いつも、人に渡しています。でも反応してくれた方は初めてでした。「そうです。良くわかりましたね。キム・ジェウォンが好きです」「ジェウォン君の『マイラブ・パッチ』見ましたよ。そうかなあと思ったのだけど、金髪だったから間違っているかなあと・・・」ジェウォンは昔、金髪にしていた時期がありました。わたしは、ジェウォンの金髪があまり好きでは無く、そのメモから先に使っています。「良くわかりましたね。韓国お好きですか?」「イ・ビョンホンさんが大好きです」と言う事で、今度は韓国話しで盛り上がりました。彼女は、ドラマが好きで、かなり御覧になっているそうです。韓流好きが、わたしたちの距離を一気に縮めてくれました。今年は、クラスが変わってしまいましたが、相変わらず、仲良くして頂いています。
2006年06月12日
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先月骨折した長女はんこの固定が、先週水曜日に取れました。 怪我をした当初、3週間固定、10日間リハビリとの診断でしたが、調度3週間目、先日の水曜日に固定が取れましたら、 「じゃあ、明日から、泳いでいいよ!」との先生のお言葉。「えっ?いいの?やったー!」(ちょっと、しつけがなっていないはんこ先生に向かってその言葉づかいは・・・) 骨は完全に治っているそうです。これからは、動かしていなくて硬くなった筋肉を、元に戻すことが必要だということ。「水泳は、リハビリになるから、もう今日から泳いでいいよ♪」そう言って頂きましたが、たまたま水曜日は練習がない日でしたので、翌日、木曜日から練習を再開することになりました。この3週間、水泳のことを考えるのを辞めようと思いつつ、夢に何度も出てきたそうです。泳いでも泳いでも、前に進まない夢を何度か見て、苦しんだとのこと。でも、固定が取れる日の夢は違っていました。「お母さん、今日は、速く泳げた夢を見れたの」 正夢だったのでしょうか?はんこはとても喜んでおりました。木曜日から泳ぎ始めて、痛みもあまり感じなくなってきた様です。ただ、筋力の低下は強く感じたそうです。そして・・・今日は、通っている水泳教室の、内部記録会がありました。何とか、申し込みに間に合い、泳ぐことが出来ました。はんこの専門は、50M背泳ぎです。ですが、今日は、他にも、50M自由形(クロール)、平泳ぎ50Mも泳ぎました。背泳ぎは、自己記録に、0.5秒と迫るタイム。このタイムが公認大会で出ていれば、JO予選には出られたのに・・・自由形も、自己記録に0.4秒位迫るタイム。そして、平泳ぎは、0.7秒も自己記録を更新しました。何だか復活の兆しです。来週、日曜日の公認の記録会で、いいタイムを出し、JO予選、JOと、目指して頑張って欲しいという、母の願いです。
2006年06月11日
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今日、ソジンssiのファンミに、品川まで行って参りました。(デジカメは苦手です)わたしが、ジェウォン以外のファンミに出るのは、ジェヒ君&チェヨンちゃんのファンミ以来2回目です。今回、羽田にお迎えに行こうと思ったり、一眼レフカメラを用意したりと、明らかに、ジェヒ君の時とは気持ちが違っていました。でも、昨日、羽田でご一緒した、リュウシオンファンの方に、「ソジンさんは、いま何歳ですか?」と聞かれ、即答出来ない程度のわたし。「78年生まれなので・・・」と、嘘言ってしまいました。本当は、73年生まれだそうです。と言う事で、今日のファンミは、イ・ソジンさんの大人の雰囲気漂うファンミでした。(やっぱり、デジカメは苦手です)ソジンさんのファンの方は、わたしくらいの年齢の方も多いのですが、かなり、わたしから見たらお姉さま、と申しますか、おばさまが、本当に多いのです。そして、今日の参加者は、「ファンミ初めて!!」と言う方が多いように思えました。友人の隣の方も、私の隣の方も、「ファンミというもの自体初めてなので、気後れしています」とおっしゃるような方々でした。ただ参加者は、最初から最後まで、とても、おとなしく見ていらっしゃいましたし、常識はずれな事をなさる方は少なかったと思います。それだけでも、気持ちよく参加できましたが、ソジンssiが、実は役柄とは違い、とても優しい方で、(ちょっと、ニヒルで、冷静で、冷たい感じがしていました)また一生懸命、ファンに接してくれましたので、満足出来た、ファンミだったと思います。ところで、ソジンssiの出演作の中で、日本で有名なのは、次の二つ。「茶母(日本題名・・・チェオクの剣)」 「火の鳥」特に、「火の鳥」は、今、今日のイベントの協賛会社のテレビで、放映されているので、司会者は何とか、話をそちらへ持っていこうとするのですが、ソジンssiは、故イ・ウンジュさんのことをどうしても思い出してしまうそうで、「楽しい思い出もあるのですが・・・」と、とても、悲しそうでした。こちらまで、悲しくなってしまい、「もう話さなくていいです」と心の中で、言ってしまうほどでした。イベント前半最後は、ソジンssiからのメッセージだったのですが、感極まって言葉がつまり、そして、涙を流していました。初めてのファンミに、胸がいっぱいになったのでしょうか?回復するまでに、少し間がありました。わたしは、感動してくれた事に、感激致しましたそして、イベント後半は、握手会でした。席の順番に案内され、並んで握手してもらうのですが、なかなか、列が進まないなあと思っていましたら、ソジンssiは、一人一人の方と、ゆっくり握手して、お話していました。ジェヒの時は、本当流れ作業でしたので、対象的です。「通訳さんがいないのに、どうして皆さんあの様にお話出来ているのかしら?」皆さん、韓国語を勉強なさっているのかしら?と一瞬思いましたが、もしかしたら、英語で話しているのかなあとも思いました。彼は、高校生の頃から、大学卒業まで、アメリカ留学していたので、英語が堪能(発音は?)ですので、ありえるかなと。わたし達は、900番目くらいでした。わたし達が近づいていくに従い、だんだんペースが速くなり、お話しする時間が短くなってきました。時間によって、話す内容が変わりますので、最後まで何を話そうか悩んでいました。そして、私の番がきました。「マンナソ シッポッソ ワッスムニダ。(会いたくて来ました)」「ネェー(はい)」「ピゴナシジョ?(お疲れではありませんか)」「アーニョ!(いいえ)」「チョアヨ(いいです)」・・・「良かったです」と言う意味で言いましたが、合っています?・・・「カムサムニダ」「カムサムニダ」ほんのちょっとの会話でしたが、ソジンssiは、力強く、私の手を握ってくれ、名残惜しそうに、わたしを見つめ、そして、次の方への握手へと向かって行ったのでした・・・本当は疲れていたと思います。ソジンssiありがとう********************************今日のイベントの中で、今度、発売されるソジンssiのDVDのメイキングが流されたのですが、ソジンssiは、思っていた以上に、モムチャンでした。腕なんて、ボディビルダーのような丸太んぼうですし、お腹は見事に割れていました。毎日鍛えているでしょうし、きっと食事だって、ストイックに制限しているのではないでしょうか?とても格好良かったです。(とわたしには思えますが、受け入れづらい方もいらっしゃると思います)それにしても、韓国俳優さんは、「カルバン○ライン」の下着を好んで、はいていらっしゃいますね。ジェウォン然り、ソジンssi然り・・・きっと、はきやすいのでしょうね。ちなみに、我が主人も、「カルバン○ライン」です。
2006年06月10日
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数ヶ月前、 ジェウォンが来日する時、いつもご一緒して頂いている友人が、こうおっしゃいました。 「『茶母(タモ)』 と言うドラマがあるのですが、本当にいいドラマです。御覧になります?」 「茶母」は最近NHKで放送された、「チェオクの剣」の原題です。「チェオクの剣」が放送される前の事でした。 この方にお勧めいただく映画ドラマは、いつも、楽しんで見ています。今回も二つ返事で、「見たいです」と申しましたら、程なくして、DVDを送って頂きました。 主役は、ハ・ジウォンちゃん。それまでわたしは、彼女の現代劇・・・それもコメディー路線のものしか見たことがありませんでした。でも、今回は時代劇。運動神経がいいジウォンちゃんですが、特撮のような、アクションに、とても苦労なさったようです。彼女の抑えた演技が、とても光っていて、わたしはかなり、泣かされました。 しかし、それ以上にわたしを惹きつけたのが、 イ・ソジンssi 笑った時のえくぼ、苦悩の顔。そして鍛えられた肉体。 こっそり見た、イ・ソジンssiのプロフィール。「ニューヨーク大学経営学部卒業。大銀行の頭取を歴任した祖父を持つ名門出身、卒業後、経済界での活躍が期待されたが、反対を押し切り俳優になった」 「えっ、この人何?」一気に興味を持ちました。その後、「火の鳥」「彼女の家」などを見て、「なんて素適な人なんだろう」 (でも、ジェウォンとは違うのですよね。ソジンssiは素適なのですが、やっぱり、ジェウォンが一番なのです・・・) 友人に「わたし、『茶母』を見て、キム・ミンジュンより、イ・ソジンの方に惹かれました」と申しましたら、「あら、わたしも」 二人で盛り上がりました。 そんな時、イ・ソジンさんのファンミーティングが発表されました。もちろん、二人で行く事にしました。 それが明日です。 そのため、イ・ソジンさんが 今日来日したのです。 公式には発表されませんでしたが、たぶん今日、羽田到着だろう推測して、一人で行って参りました。 そして、彼は来日しました。入国した彼は、ゆっくりと歩きながら、並んで待っているファンの前に現れ、一列目の方々と握手をしながら車に向かいました。(やっぱりピントが合っていません) わたしは、2列目にいましたが、手紙渡そうと「ピョンジエヨ(手紙です)」と手紙を出したのですが、彼は、握手をするのに大変で、手紙どころではありませんでした。わたしは、しょうがなく(と申しますか、嬉々として)手を出しましたが、握っていただけ無かったので、わたしから、彼の腕を握ってしまいました。 とても筋肉質でした・・・そして、笑顔が素適でした。彼が、ファンの列から離れ、迎えの車に向かおうとした時、ファンが彼に群がりました。彼は、もみくちゃになりながら、車に乗り込みました。彼は嫌な顔もせず、ただ、困ったような顔をして・・・ジェウォンが来日した時の車は、わたしが知る限り、ワンボックスタイプの車なのに、ソジンssiは、セダンタイプの車でした。好みなのでしょうか、事務所の方針なのでしょうか?わたしは、ワンボックスタイプの方がゆったりして楽だと思います。ところで、わたしが書いた手紙ですが・・・せっかくなので、読んで欲しかったなあと思いながら、皆に遅れて、ソジンssiの車の近くに行きましたら、ソジンssiと一緒に来日したカメラマンさんがいらっしゃいました。マネージャーさんもどこかへ行ってしまったので、「これはチャンス!」と、手紙を彼に押し付けながら言いました。「チョギ・・・ソジンシピョンジエヨ。ブッタカムニダ。カムサムニダ」(あのう、ソジンさんの手紙です。お願い致します。ありがとうございます)つたない韓国語で言いましたら、「わかりました」と手紙を受け取って、ズボンのポケットに入れてくれました。さて、ソジンssiにわたしの手紙は届いたのでしょうか?
2006年06月09日
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今日は私の空手の練習日でした。 木曜午前中の女子クラスは同年代のお母さん達がほとんどの楽しいクラスです。 と申しましても、楽しいのは、練習の合間合間のおしゃべりで、空手の練習となると、楽しいだけではなく、苦しくて痛くての連続です。 7月に関東大会に出場する事にしましたので、最近は先生の鍛え方が厳しくなって来ました。 「あと1ヶ月しかないんだから、体力をつけて、無理しても鍛えないと!」 そうおっしゃって、180センチ、90キロの身体で、容赦なく(本当は手加減してくださっているのですが、痛すぎて、そう感じてしまいます)殴られ、蹴られています。今日も、腕にあざ、脚に痛み・・・そして筋肉痛の嵐です。 ところで、わたしが空手を始めたきっかけは・・・ 一昨年7月でした。 わが家の次男ぴっぴが空手で悩んでいました。当時は、長男ぽっぽも、長女はんこも、空手を習っていて、これがまた、二人とも、筋が良く、見ていて、きれいで、スピードのある空手をしていました。「上手いなあ」見る人に、そう思わせるような空手をしていたのです。それに比べ、不器用なぴっぴは、見るからに下手で、動きも鈍く、身体が大きくて、体重があるのに、それを活かせないでいました。 そんなぴっぴなのですが、主人のぴっぴに対する期待が大きく、「どうして俺の言った様に出来ないんだ」「やる気があるのか!」などと、ああでも無いこうでも無いと、わたしから見たら、追い詰めているようにしか思えないような言葉を浴びせていました。 「どうして、ぽっぽやはんこには言わないの?」そうわたしが聞くと、「だってあの二人は、出来ているし、言われなくたって、大丈夫だから」と。 わたしから見たら、ぽっぽだってはんこだって、別に特別扱いされるほど、上手いわけではありません。ぴっぴにしてみれば、素人の父親に、それも、兄弟には言わないのに、自分だけ言われることに反感を持っているようでした。「空手は本を読んで、基本はわかっているし、何よりスポーツの基本は全て一緒だから、俺だって言いたいことは言う」(主人は中学生時代、バスケットボールで、かなりいい選手だったそうで、高校からスカウトが来たことが少し自慢です) でも、それがわたしから見ると、ぴっぴを追い詰めているように思えたのでした。「もっと自由にのびのびさせてあげたい」そう思っている頃、道場に新しく女子部ができたと言う事を聞いたのでした。 実は高校生の頃から、空手という物に興味を持っていました。普段はおとなしいのに、いざと言う時には強い女性にあこがれていました。しかし、子供達の通っている道場に通うのは、他のお母さんの手前、恥ずかしいわ。そう思っていた所に、女子部新設の御知らせ。 「わたしが空手を習えば、主人に口出しさせずに済むでしょうし、ぴっぴが空手をする時に感じることが、わたしにもわかるかも知れない。わたしが頑張っている姿を見せれば、何かつかんでくれるかもしれない」大好きな方達と一緒に始めると言うことも、わたしの背中を押してくれたひとつの要素でした。そして、始めた空手でした。始めてわかった事は、空手は実は難しいと言う事でした。子供の試合を、見ながら、「なんでそんなことが出来ないの」何度そう思った事か・・・でも難しいから出来ないのです。口では簡単に言えますが、実行するのは本当に難しいのです。そして、実は下手そうに見えたぴっぴが実は上手だと言う事もわかりました。パンチや、けりがさまになっていなくても、ぴっぴは、相手の攻撃をブロックする防御がとても上手い子だったのです。「ぴっぴって本当上手いね。お母さん尊敬しているよ。空手を始めて、ぴっぴがすごくうまいのがわかったわ!今まで、無理な事言ってごめんね」そう言うと、とても嬉しそうに、そして、控えめに「そんなこと無いよ!」というのでした。 わたしもまだまだ始めたばかりで、技術的な事はあまり言えませんでしたが、主人には技術的な事を言う事は辞めるようにと申して、そして、本当に言わなくなりました。ぴっぴはその頃から、変わってきたと思います。わたしも、最初はぴっぴがきっかけでしたが、空手の格好良さや、激しさに、どんどん惹かれていきました。好きになった韓国俳優、キム・ジェウォンが、格闘技が好きだと言う事も、わたしが一生懸命練習する励みになっています。強くなって、テコンドーをしているジェウォンといつか一緒に練習したい。そんな夢を今持っています。「みーしゃさんと一緒に練習出来て光栄です」そんな会話が出来る日を夢見て、今は練習に励んでいます。
2006年06月08日
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約8年前のある日の午後、何気なくテレビをつけ、何気なく「徹子の部屋」にチャンネルを合わせました。髪が長くて、顔も身体もとても細い、そして、背が高そうだけれど、とても猫背な男性がゲストでした。それが、GLAYのTAKUROさんでした。その頃は子育てで、毎日が、追い立てられるように過ぎて行っていました。当然、テレビをゆっくり見る暇など無く、はやっているドラマも知らず、歌謡曲もほとんど聞いた事がありませんでした。「GLAY」というバンドがあることは知っていましたが、何人いるかさえ知らず、そのTAKUROさんと言う人が、そのバンドで、何を担当しているかなんて、知るはずもありませんでした。「ロックバンド」なんて、礼儀知らずで、わがままで、口の利き方も知らない人達・・・私の中で、そんな先入観がありました。でも、その日のゲストのTAKUROさんは違ったのです。言葉づかいも丁寧で、きちんと目上を立てていて、そして、何しろ、感じがいい方だったのです。あの様なトーク番組に出てお話していると、一生懸命良く見せようとしても、普段の様子が窺いしれたりなど、仮面をかぶっているとわかりますよね。TAKUROさんは、作った所が無く、人柄の良さや、謙虚さが伝わってきたのです。わたしは運命を感じましたその頃わが家にはPCなど無かったので、わたしは書店に走り、GLAYについて、あらゆる物を探しました。TAKUROさんは、GLAYのリーダーで、曲のほとんどを、作詞作曲している方でした。そう言えば、それまでに「GLAY」というバンド名に興味を持った事が2度ありました。一度は、さかのぼる事、その年のお正月。歌番組をテレビで放送していたのですが、それがどこかからの中継か、公開録画でした。「GLAYです」と紹介されたバンドが出てくると、会場は、割れんばかりの拍手と、悲鳴でした。そして、そのバンドのボーカルが、深々と皆に頭を下げて挨拶したのです。その時のわたしは意地悪にも、「何だかいい子ぶっちゃって」なんて思いました。でも、マイクを向けられたそのボーカル「TERUさん」は、控え目ながらも、とても感じ良く受け答えしていたのです。「もしかして、あの挨拶は本心からかしら?」そうも思いました。そして、もうひとつは、その年の6月。わたしは友人の結婚披露宴に出席しました。その中の余興で、GLAYの「HOWEVER」を新郎新婦にささげた方がいらっしゃいました。「『GLAY』の曲って、結婚式にも唄われるのね」そんな事があり、GLAYには少し興味を持っていました。その日、TAKUROさんを「徹子の部屋」で見たことで、わたしは一気にGLAYに惹かれて行ったのでした。(って、わたしって、いつも、一目ぼれかも!)その後、ファンクラブに入り、やっとの思いで、チケットを手に入れること十数回。わたしは、GLAYの曲に、励まされ、勇気をもらい、元気づけられて来ました。今までの人生で一番辛い時があった時、たまたま、GLAYのライブがありました。一緒に行く予定の友人が気を遣ってくれ、辞めようかとも思いましたが、その時の一番楽しみなことだったので無理して行きました。TERUさんの歌声、TAKUROさんの曲と詞にさんざん泣いて、わたしは少し立ち直る事が出来ました。あの時連れて行ってくれた友人には今も感謝していますし、仲良くして頂いています。そしてGLAYに出会えて、本当に良かったと思っています。
2006年06月07日
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「K子さん?」 「みーしゃさん?」 偶然再会したわたしたち。 実は・・・なんとなく予感はありました。と申しますか、「いつかどなたかにお会いするだろうな」そう言う思いはずっと持っておりました。 韓国にはまり、ドラマを見、ファンミなどに参加していると、そこにお集まりの方々は、だいたいわたしと同世代。 小学校、中学校、高校・・・と東京近辺で過ごして来たわたしが、いまこうして、関東近辺(大阪、ソウルにへも行きましたが)で行動している様に、たぶんわたしの知り合いの中で、この様に行動している方が、いらっしゃるのではないかと考えたのでした。 幼稚園で知り合ったお母様が、高校時代、バレーボールで親しくしていたライバル校の先輩だったり、あるお母様は、わたしの高校の同級生とお友達だったりと、なんとなく世間は狭いと感じていたこの頃。 偶然というものははあるのですね K子さんとは、年賀状もやり取りしていたのですが、なんとなく疎遠になっていました。 ただ、いつも、「どうしているかなあ」と気になっていた友人でした。と申しますのも、 1.彼女が就職した先は、以前わたしの主人が勤めていた会社でした。(すでに主人は20数年前に辞めてしまったのですが・・・)2.彼女は横浜市民でしたが、わたしも横浜市民になりました。3.彼女のお父様も、わたしの父も、野球が好きで、家庭は野球が中心でした。4.わたしが結婚したら、彼女と姓が同じになりました。5.彼女はとてもバレーが上手く、実は憧れでした。そんな共通点、気持ちがあったので、すぐに、彼女に気づいたのだと思います。会えて、本当に嬉しく思いました彼女は、ウォンビンファン。彼が兵役に行っているので、今は手持ち無沙汰の様子。今回は、お友達に誘われて、ジェヒのファンミにきたそうです。本当、そのお友達に感謝です。m(_ _)mわたし達は、その場でメール交換し、数日後、会いました。わたしは、そのバレーボールチームを、人間関係に耐えられず、 辞めてしまいました。バレーボールを続ける事に未練はありませんでした。それくらい、若いわたしには辛かったのです。彼女も、実は同じ事で悩んでいた事を、14年たった今、初めて知りました。でも、彼女はバレーボールがしたかったので、耐えたそうです。わたしがバレーボールを離れた理由を、彼女は知りませんでした。表向きは違う理由で辞めたからです。わたしは、一人で悩んで、一人で結論を出しました。あの時、もっと話せていたら、もしかしたら、わたしはバレーボールを辞めずに済んだかしら?そのように思えてきました。が、もう済んだ事。前を向いて生きて行きましょう。こうして、彼女に会えたことも、何かのご縁だと思います。このご縁を大切にしたいです。そして、実はもうひとつ偶然が・・・彼女の直属の上司は、主人の同期。お互い「ああ、覚えていますよ!」と。その上司の方が、仕切りにおっしゃっていたそうです。「いいなあ。若い奥さんで羨ましいなあ!」 実はわたくし、主人より、14歳年下です
2006年06月06日
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すっかり韓流にはまってしまっているわたしですが、そう言いつつも、やはりジェウォンが中心(と申しますか、ジェウォンのみ)ジェウォンの出演作は(ほとんど主演です)ドラマ、映画とも全て見ました。(と同時に、持っています)(現在進行形の「偉大なる遺産」 はNET視聴しています)しかし、衛星劇場や、BS、東京MXTV、テレビ神奈川、最近契約した、KNTVや、KBSワールド、LaLaTV、So-netチャンネルホームドラマチャンネルなど、気になる韓流ドラマは、一応録画し、面白ければ続けて見ています。(チャンネルが多すぎて、たまに録画し忘れたりして、たくさん見る事が出来るのも大変だということに、最近気づきました)だいたい、わたしが好んでで見るのは、恋愛ドラマそれも、さわやか系。あまり、どろどろしていない作品。まずホラーはみませんし、病気で死んでしまうという事が最初からわかっている作品は、可哀相なので見ない様にしています。戦争ものは、ほとんど見ませんし、なぜか、リュシオンの作品は気持ちが受付ないので見ません。(シオンファンの方ごめんなさいm(_ _)m)そんなわたしですが、友人の薦めてくれるドラマや映画は見ています。「面白いから、御覧になります?」とお薦めして頂き見てみると、本当に面白いのです少し前、お薦め頂いたのが、「怪傑春香」最近、東京MXテレビで放送し終わりましたし、今も、スカパーかBSのどこかのチャンネルで放送していたと思いますので、ご存知の方も多いと思います。内容は、省略しますが、主演のジェヒ君と、ハン・チェヨンちゃんがとても生き生きと演じていて、さわやかでしたし面白かったです。ジェヒ君は、「わが家」でジェウォンの弟役。チェヨンちゃんは、「北京我が愛」で、ジェウォンに恋する役。二人とも、ジェウォンつながりで、好感を持っていました。ジェヒ君は、ちょっと前に日本で公開された、キムギドク監督の「空き家(邦題『うつせみ』)」にも主演していました。それを見て、「演技が上手くなったし格好いいなあ」という印象がありました。実は去る5月1日に、東京MXTV主催で、その「怪傑春香」の主演を招いたファンミが開催され、わたしは、友人と行って参りました握手会があったのですが、1200人と1時間以内で終了予定。と言うことは、一人3秒計算です。私は、800番目位の予定ですが、ジェヒ君はずっと「カムサムニダ」「カムサムニダ」と言って、頭を下げて握手をしているという様子でした。確かに、通訳の人もいませんし、握手の流れ作業と言う感じです。せっかく、格好いいジェヒ君を前に、「カムサムニダ」だけではちょっと寂しいです。友人はかなり、韓国語堪能。わたしは、挨拶程度なら・・・と言うことで、二人とも、ジェヒ君とお話する事をトライしようと決めました。何を話そうか、何を話そうか・・・何か、お返事してもらえる事・・・そう考えて思いつきましたわたしはジェヒ君の前に行き、握手をしながらこう言いました。「ピゴナシジョ?」「お疲れではありませんか」と。だって私は800番目くらいです。疲れていないわけはないのですから・・・そうすると、ジェヒ君は目じりを下げながら、「ケンチャナ!(大丈夫)」 健気にそう答えてくれました。そこでわたしすかさずこう言いました。「ネイル、チェ センイリエヨ(明日わたしの誕生日です)」 本当に、5月2日はわたしの誕生日なのです。「オー チュッカヘヨ(おー、おめでとう)」 たぶんそう言ってもらえました。やったー!という感じです。これがもしジェウォンだったら、ハグしてくれたかもジェウォンはそういう方なのです。とりあえず、満足し、でも、やっぱりジェウォンほどの魅力は感じられず(ごめんなさいジェヒ君)やっぱりジェウォンが一番と、再認識したファンミでした。**********************************でも、このファンミで、実は私、びっくりする体験をしたのです。ファンミが始まる少し前、友人と歓談しながら、ジェヒ君の登場を、今か今かと待っている時。わたしのななめ前に立っている一人の女性がいました。声になんとなくひかれ「ふっ」とその方を見ましたら、なんと、十数年会っていなかった、バレーボールチームの友人の様でした。「K子さん?ですよねみーしゃです」「ああっ」まさに、10年程前になんとなく疎遠になったK子さんだったのです。
2006年06月05日
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今日は、次男ぴっぴが空手の全国大会に出場の為、名古屋まで行って参りました。そして、「6年男子チャンピオンの部」というクラスで、優勝しました。ぴっぴは空手を始めて5年8ヶ月、最初は下手で下手で、見てられないほどへたっぴいで、どうしようもありませんでした。が、最近、関東の大会では、名前を知られるようになってきました。空手の世界は案外狭く、何回も試合に出ていると、だいたい似た様なメンバーが、あちらの大会、こちらの大会と出場していたりします。子供同士は、だんだんと顔なじみになってきますし、親同士も、顔見知りになって、会場でお会いすればご挨拶するようになりますし、敵同士なのに、世間話をするように成ってきたりするのです。「○○所属の『ぴっぴ』の母です。」とご挨拶すると、「ああ。ぴっぴ君のお母さんですね!」とおっしゃって頂けたりするのです。そうなるまでには、本人が本当に頑張ったのですが、先生方のご指導や、同じ道場のご父兄のご協力や助けがあったからだと思います。また、腰に大きな怪我をしてしまい、4ヶ月も、空手はおろか、学校の体育まで休まなくてはいけないと言う、辛い時期も乗り越えてきた事も忘れられません。昨年、新潟で行われた全日本大会で優勝してから、少しずつですが、実力が安定し、ちょっとやそっとでは、負ける気がしなくなってきました。一昨年までは、「どうせ、負けるのだから、わざわざ遠くまで試合に行きたくない」と、関東近辺の試合しか、出ませんでした。そして、確かに負けてばかりでした。昨年頃から、遠征にも意欲が出始め、今年は、少し遠くも行ってみたいと、今回、名古屋の全日本大会に出場致しました。全日本大会と言っても、オープントーナメントなので、出たいと思えば、誰でも出る事が出来ます。ですので、開催地区によって、若干、出場選手のメンバーが違います。名古屋の大会は初めてでしたので、やはり知らない名前の方がたくさんいました。しかしなぜか、対戦する方は、何回か試合をした事がある方ばかりでした。対戦した事があると、作戦も練りやすく、対策も立てやすいので、ぴっぴにとっては、試合しやすいと思います。ですから、全く知らない方と戦うよりは、気持ちはやりやすかったのではないでしょうか。(体力的にはとても辛かったようです)今回何とか頑張って、優勝する事が出来ました。途中、先生に怒られながらも何とかやり遂げました。本当に嬉しかったです。わざわざ、新幹線で名古屋に行ったかいがありました。そして、トロフィーがとても大きかったことも、とても嬉しいです。ぴっぴには、今回勝てた事で慢心する事なく、もっともっと練習して、いろいろな大会で、成果をあげ、「ぴっぴ」の名前を空手界の中で、広めて欲しいと思います。ぴっぴがんばれ~~!また、今月末に、大阪での全日本大会に出場します。今度は、飛行機で行ってきます。
2006年06月04日
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無事ファンミが終わり、わたしは、自宅に帰るため、新大阪の駅に向かいました。公式発表では、ジェウォンもこのまま東京へ、新幹線を使って移動するとのことでしたので、運良く同じ列車になれればいいなあと思っていました。しかし、ジェウォンは飛行機で移動したそうです。(公式発表が、変更される事が日常茶飯事だと言うことを、わたしは後日知りました)翌日、ジェウォンは東京でファンミを行いましたが、わたしは、次男ぴっぴの「第11回全日本ジュニア空手道選手権大会」(新極真主催)という大会がありましたので、行けませんでした(残念ながら、ぴっぴは小学5年生の部のベスト16でした)「もう一度ジェウォンに会いたい」 そう思ったわたしは、ジェウォンが帰国すると公式発表されている日に、羽田空港へ行きました。羽田の巡回バスで、国際線ターミナルに向かい、バスを降りようとすると、ジェウォンのファンらしき方々の集まりが、ところどころにありました。バスを降り、その中の、すぐ近くにいらした方々に思い切って声をかけました。「キムジェウォンさんをお待ちですか?」「そうです」「ご一緒させて頂いて、宜しいでしょうか?」「どうぞ」快く、お返事していただけました。*****************************結局その日も、翌日もジェウォンに会えず、お見送りも出来ず、ジェウォンは帰国してしまいました。(やはり、公式発表が変更されました)でも、その日出会った方とお知り合いになり、わたしは、ソウルファンミに参加することを、その場で決心致しました。「ソウルファンミにはいらっしゃいますか?」「はい。行きますよ。もう申し込みました。羽田からのツアーですよ」その時、出会った方がソウルにいらっしゃると伺い、わたしは、もしご一緒できたら嬉しいなあと思ってしまいました。そして、その日のうちに、ツアーの申し込みをし、その際、その方と同じホテルにしてくださいとお願いしてしまいました。この日の出会いが、わたしの「ジェウォン追っかけ街道」を幸せで、楽しくしてくれるものだったとは、その時は、思ってもいませんでした。が、「素適な方と出会えて良かった」そう強く思っていましたジェウォンに出会えた事で、素適な出会いがもたらされました。ジェウォン、ありがとう!!
2006年06月03日
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そして、待ちに待った握手会です。 この時のために、わたしはジェウォンにプレゼントと手紙を用意し、韓国語で話す用意をしてきました。 プレゼントは、悩みに悩んで、タオルにしました。それも、「TO KIM JAE WON SSI」 「FROM MIISHA」と言う刺繍入り。 芸能人にプレゼントをしたことの無いわたしは、何を差し上げてよいかわからず悩みました。先日、空手の先生が海外に留学する時に皆で差し上げたのが、名前を刺繍したタオルでした。「これっ!きっと同じものは無いはずだわ」と、やっと決めました。 韓国語は、辞書と、韓国語の単語帳から拾った文と、韓国語の文法の本と、「韓国語でファンレターを書く」という本から抜粋して、手紙を書き、その上、自分で何とか会話文を10個くらい作りました。(当時はまだ「翻訳WEB」という便利なものさえ知らず、ただひたすらに、アナログにしていました。) そして、子供の友人の母上が、韓国語を勉強して3年くらいだそうなので、発音をチェックして頂きました。でも、その方がおっしゃったのです。 「こんなにお話出来る時間あるの?」 確かにそうですよね。800人との握手ですから、流れ作業だと思うのが普通ですし、いろいろ話そうと考えていたのですが、「きっと無理よね」と、頭の中で思っていました。 握手会は、わたしのいた席の反対のブロックから始まりました。と言うことは、わたしは約500番目から600番目くらいだと思われます。まだまだ先ですが、皆さんとジェウォンが、どのようにコミュニケーションしているかとても気になりました。 ジェウォンは、なんと、一人一人に耳を傾け、ある人には、質問に答え、ある人にはサインをし、求められれば、ハグもし、2ショットで写真を撮り・・・と、本当、ファン一人一人の声全部に答えようとしていました。全く流れ作業ではないのです。それが、全部見えるだけに、ジェウォンがいとおしいのですが、いろいろしてもらっているファンの方が羨ましかったり・・・ 隣の方に「みなさん、いいなあ!わたしもサイン欲しいなあ。どうなさいます?」と尋ねると、「ジェウォンが気の毒だからわたしはもらいません」ときっぱりおっしゃるのです。「本当のファンと言うのは、自分のことより、まず、ジェウォンの事を考えるのだわ」戒められた気持ちになりました。 でも確かにジェウォンがだんだんと疲労していくのが目に見えてわかりましたし、その後「ハグはしないで下さい」「サインは求めないで下さい」「まだまだお待ちの方がいらっしゃいますので、スムーズに流れてください」「ジェウォンさんはずっと立ちっ放しです。スピードを速めてください」このような、アナウンスが流れても、わがままなファンはあとを断ちませんでした。 握手会が始まって、2時間近くが経った頃、やっとわたしの順番がまわってきました。ジェウォンに一歩一歩近づくにつれ、心臓が爆発しそうでした。 プレゼントのタオルと、手紙を持って、ジェウォンの前に立ちました。 「アニョハセヨ。イゴ タオルエヨ。・・・」(こんにちは、これはタオルです・・・)タオルを渡しながら、ずっと暗記して来た韓国語をはなし、握手をしてもらいました。 とろけそうな笑顔でした。しっかりと握ってもらいました。が・・・わたしの韓国語は伝わっていないようでした。 「何か伝えなくっちゃ!」そう思ったわたしは、数少ない韓国語のボキャブラリーを頭の中でさぐりました。 そうだ! 「ピッ、ピッ、ピゴナシジョ?」 (お疲れではないですか?)どもりながらそう尋ねましたら、目を細め目じりを下げて、 「だいじょうぶ!」 と日本語で、返してくれました。 ああ、なんて素適なんでしょう ジェウォンは明らかに疲れていました。でも、わたしには「大丈夫」と笑顔まで見せてくれて・・・途中、休む事も無く、水もほとんど飲まず、嫌な顔を一つもせず、それでも、まだサインを欲しがるファンに、「ごめんなさい。今日はだめなんです。」と本当に済まなそうにしているのです。 握手をして頂いた嬉しさも大きいですが、ジェウォンの誠実さに対し、申し訳無い気持ちでいっぱいになりました。最後の方の握手が終わると、一斉に拍手が起こりました。私も、「ありがとう」の気持ちを込め、拍手しました。ジェウォンが一礼して、腰に手をやり(痛かったと思いますよ。だって、腰を曲げて握手してくださっていたのですから)舞台袖に戻ろうと一歩足を出した時、、脚がふらつき、危うく倒れそうになったのです。そのまま、ふらふらと、舞台袖に入って行きました。たぶん握手会が始まってから、2時間半は過ぎていました。その間ジェウォンは一度も座らず、休憩も取らず、ただひたすらに、ファンの方々と握手してくださいました。ジェウォンは本当にいい方でした出会ってよかった好きになって良かった会いに行って良かったわたしは、もっとジェウォンの事が好きになるはずそう確信しました。そして、その日から、わたしは、ジェウォン街道まっしぐらです。
2006年06月02日
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「キャー」という、悲鳴にも近い声援の中、恥ずかしそうに、ちょっと猫背気味で、ジェウォンは登場しました。 記者会見と同じ服装・・・とても派手な開襟シャツ・・・ わたしが持っているジェウォンのイメージとは、少し違った服装でした・・・が、 チョンマル モシッソヨ ファンミーティングは、ジェウォンの人柄からでしょうか、本当に、和やかで、楽しかったです。司会の方も、通訳の方も、お二人とも控えめで、感じのいい方達でした。 でも、本当にわたしは舞い上がっていて、何を話してくれたか覚えていないのです。ただただジェウォンが ス・テ・キ~~ それだけでした。 ところで、立ち位置ですが、ジェウォンが真ん中で、向かって左が司会の方、そして向かって右が通訳の方。ジェウォンは気を遣って、司会者の方を見るのですが、やはり、言葉がわからず、結局通訳者の方を見ていました。と申しますか、身体が完全に通訳者の方を向いていました。 わたしの席は、縦に3ブロックあるうちの、向かって右側のブロック、前から3列目、ほとんど、真ん中通路寄り。わたしとジェウォンを遮る物は何も無いという、とても幸運なお席でした。(写真から、わたしの席がご想像できますか?本当に近かったのです。写真がボケているのは遠いからではなく、単にわたしの腕がないからなのです・・・) ジェウォンは、なんとわたしの方を向いてくれていました。(と、勝手に思っていました) ですから、それに答えようと、ジェウォンが話すたび、話している最中、わたしは、ほとんど韓国語がわからないのに、(今でもまだまだですが、その時は勉強を始めて4ヶ月。全くわかっていなかったです)「うん、うん!」とうなずいたり、「ふう~ん」みたいな相槌をうったり・・・ジェウォンが話しながら笑うと、「そうね、楽しいお話よネ!わたしお話理解しているわ!」と言う顔をして、一緒に笑ってみたりして・・・ わたしは、ジェウォンを真剣に見つめ、視線をはずしませんでした。(でも、そうしていると、なんとなく話しを理解しているような錯覚を興してくるので不思議です) すると、ジェウォンは理解してくれていると感じてくれたようで、(もう一度申しますが、わたしは全く理解していませんでした)ステージ上からわたしに向かって、話し掛けてくれるのです。(と、これまた勝手に思っていました) 本当に幸せなひと時でしたその時は・・・・・・後日知ることになりました。ジェウォンは目がひどく悪く、客席3列目なんて、見えているはず無いと言う事を・・・
2006年06月02日
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思いもかけず、記者会見に同席する事が出来、ファンミーティング前に、初めて、ジェウォンに会えたわたし。 部屋に帰っても、胸が高鳴り、興奮が収まりませんでした。 本物のジェウォンに会ってしまった~なんて素適なの~ その時のわたしを絵に描いたとしたら、きっと目はハートマーク両手は胸の前で組んで、背中には天使の羽がついていそうきっとわたしは、片思いの少女のようだったと思います。(少しずうずうしいですよね!) ハイテンションのまま、ファンミの時間が近づいてきました。部屋をチェックアウトし、荷物を預け、いざ、ファンミ会場へ。 会場前には、午前とは違い、多くの女性がざわざわと入場を待っていました。 「やはりジェウォンは人気者なのね」 だって、1枚1万数千円もするチケットなのに、800人分の席がすぐに完売してしまうのですもの。やはりこれはすごい事です!ジェウォンはさすが、韓国スターなのですね。改めて思いました。 さて、入場しましたら、まずは前部屋があり、そこで、ジェウォングッズの予約を受け付けていたり、ポスターが飾ってあったり、今回の韓国語教材DVDが先行発売していたり・・・ わたしは、まず、今回のDVDを購入しました。そして、飾ってあったポスターや写真を、携帯やデジカメにおさめました。(実は、その日が、デジカメデビューでした。主人に借りたのですが、これがなかなかピントが合わず・・・1年近く経った今でも、デジカメはあまり得意ではありません。特にジェウォンを前にすると、ピントが合わないのです・・・) 気になるコーナーがありました。 「キム・ジェウォン、ソウルファンミ決定。今ここにて、ご予約の方には、ポスターをプレゼント!」 ジェウォンが、9月にソウルで、日本人ファン向けのファンミを行うそうです。ポスターは魅力的。それ以上に、ソウルファンミは魅力的。 でもでも実はわたくし・・・ 海外旅行に行った事が無いのです。 当然のごとくパスポートも持っていません。(今時、珍しいですよね?天然記念物かしら?) 海外旅行が定番の新婚旅行は、主人とわたしの大好きな京都、親戚に会う為に大阪、そして、わたしの両親の出身地の愛媛県。そこで、東京で行った結婚式&披露宴に呼べなかった方々をご招待して、披露宴を行いました。 会社員の時は忙しく、海外へ行こうと言う気にはなれませんでした。(お給料も安かったですしね) そんなこんなで、海外には行った事が無いわたし。ソウルファンミに惹かれるのですが、子供もいることですし、不安ですし、「初海外が、ファンミなんて!」とその時は思っていました。 とりあえず、チラシだけ頂いて、「このようなツアーに行ける方が羨ましいわ」と。その時は、まさか自分がそのツアーに行くことになるなんて、つゆとも思わず・・・記者会見のあった会場がファンミ会場でした。わたしの席は、先程座った席より、向かって2列前の少し右より。それでも、ジェウォンは近いはず。自分の席に座りまして、お隣の方にご挨拶。初めて、ジェウォンファンの方とお知りあいになれました。(この方とは今も、たまにメールでご連絡しています)ちょっと、記者会見に出たことを自慢しちゃったりして・・・でも、その方はもう2年も3年もファンでいらして、ジェウォンのことを、良く知っていらしたので、いろいろ教えて頂きましたいろいろお話しているうちに、あっという間に時間は過ぎ、始まりの時間がきました。司会の方が呼びかけます。「それではみなさん・・・」「キム・ジェウォンシー」みなの呼びかけで、ジェウォンが恥ずかしそうな笑顔で登場しました。
2006年06月01日
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