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某NHKの連続テレビ小説「つばさ」で有名になった川越の線路跡、「西武鉄道 安比奈線」に行ってきました。廃線マニアには有名すぎるこの線路、特に雑木林の中を走る線路は幻想的で印象に残ります。かつて写真集やネット画像で良く見かけた風景はあこがれでした。いつかは行ってみたいと思っていたのですが、車でなら意外と行きやすい場所でした。いつも通っていた国道16号線からちょっと入った所に、この線路跡はありました。列車が通らなくなってから40年が経ちますが、今だにレールが残っています。それは、この線路が廃線ではなく「休止線」という扱いだからでしょうか。いつかはこの線路を再び列車が走る日が来るのでしょうか。
2010.01.28
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信越本線、三才駅。私Mishizawaが高校まで過ごした長野県長野市。そのときの最寄りの駅がこの三才駅でした。長野市のはずれにある普通列車しか止まらないこの駅が、近年注目されているという。三才という変わった駅名なので、三歳になる子供を連れて訪れる人が多いとのこと。うちの娘も三歳なので、行ってきました。やってきました、三才駅。昔と違ってきれいになっていますが、人の少なさは変わっていないようです。記念に訪れる人が多いためか、駅の外に撮影用の看板ができていました。とりあえず記念撮影。実は2組ほど先客がいました。けっこう人気なスポットのようです。そして、記念入場券を購入し、ホームへ。やはり本物の看板の前で撮らなきゃ。という訳で、地元がこのような形で有名になるのは喜ばしい事です。
2009.09.20
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京都市電の最初期車がリニューアルというニュースがありました。先日乗った明治村の動態保存車がリニューアルされたのかと思ってしまいましたが、今回のリニューアルは「宝塚ファミリーランド」から鉄道資料館「加悦SL広場」へ譲渡された保存車のことらしい。以下、Yahoo!ニュースから引用(元記事)------------------------------京都市電の最初期型車両リニューアル3月15日22時23分配信 産経新聞 かつて京都の市民や観光客に親しまれ、製造から100年を迎えた京都市電の最初期型車両が、約2年間かけてリニューアルされ、鉄道資料館「加悦SL広場」(京都府与謝野町)で展示されて、明治時代のレトロなデザインが鉄道ファンを喜ばせている。 この車両は、明治28年開通の京都電気鉄道(後の京都市電)で運行していた狭軌(ナローゲージ)タイプのN1型。同タイプは28台あり、多くは解体されたとみられる。 加悦SL広場で展示されている「N5号」は明治41年製造で、京都駅前と北野天満宮(京都市上京区)を結ぶ堀川(北野)線で活躍。昭和36年の同線廃止に伴い、兵庫県宝塚市にあった「宝塚ファミリーランド」に譲渡され展示されていたが、ファミリーランドが平成15年夏に閉園したため、SL広場を運営する輸送関連会社が譲り受けた。 車体は木造で茶色と白色の落ち着いたツートンカラー。楕円(だえん)形の窓枠で天窓もあり、モダンなゴシック様式を取り入れている。鉄製部分のサビや木製の窓枠が朽ちるなど傷みが激しかったが、平成19年春から板の張り替えや塗装などを行い、リニューアルした。 整備を担当した輸送関連会社の塩崎政広さん(39)は「製造から約100歳を迎えた車両が、化粧直しでよみがえりました。ファミリーランドで親しんだ人にも会いにきてほしい」と話している。------------------------------------------(引用ここまで)この車両は明治41年に製造されたN電と呼ばれる最初期型車ということで、明治村に保存されている2両と同型の車輌のようですが、製造は明治41年と、わずかに古いようです。そして、京都市電のN電を調べてみると、これらの車輌の他に現存しているものがあと数両あるとのこと。参考ページ「京都市電の廃線跡を探る」「保存車両現況」これを見ると、意外と保存車両が現存している事がわかります。個人的には明治村以外での動態保存車両である梅小路公園のN27車が気になるところです。隣接する梅小路蒸気機関車館とともに、訪れてみたいところです。ともあれ、明治の市電が今なお1両でも多く大切に保存されることは喜ばしいことです。今回はここまで。
2009.03.15
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愛知県犬山市にある「明治村」。この明治村には、今では見られない明治時代の貴重な建造物や乗り物が展示されており、特に蒸気機関車や市電は乗ることができる。そのなかで、今回注目するのは市電。この明治村には、明治時代の京都市電の車輌が保存されており、必見です。線路の終点に保存されている京都市電の車輌。日本で初めて電車が走った都市は京都ですが、明治28年に開業しました。当初は京都電気鉄道による開業だったのですが、大正時代に京都市に買収されました。この明治村の市電車輌は明治43年から44年にかけて製造された大型車で、正真正銘の明治の車輌です。この電車は動いていないようですが、実際に乗れるのです。線路の反対方向から別の電車がやってきました。市電は1回300円ですが、乗物1日券付入村券を持っていれば何度でも乗車できます。車内です。木造の車体に今の電車にはない趣が感じられます。つり革まで木製なのは、何処かの民芸製品のような雰囲気です。運転士と車掌はそれぞれ前後のデッキ部分に立ち乗りしています。ここにもあった、成田山のお札です。明治の時代からこのようにお札を付けていたのでしょうか。さて、当時の市電には、今では見ることができなくなった光景がありました。終点に到着した電車ですが・・・乗客はまだ降りてきません。後ろの方では車掌が何やらロープを持って忙しそう。車掌が持つロープは、架線から集電するためのトロリーポールにつながっています。車掌はこのトロリーポールを、ひもを引っ張って架線から外し回転、移動させています。トロリーポールを反対側に持ってきて、架線にセット、ロープを車体にくくり付けて作業は完了です。電車の集電方式は、現在ではひし形やシングルアーム型のパンタグラフによるものが一般的ですが、かつての電車ではトロリーポールによる集電が行われていました。これは、屋根から斜めに飛び出たポールの先にホイールが付いており、この車輪が架線に接触して集電を行うものでした。しかし、トロリーポールは集電できる方向が進行方向に対し後ろ側なので、方向転換する時はポールを180度回転させなければいけません。こんな作業が平成の現在でも見ることができるのはおそらくここだけでしょう。鉄道ファンなら、是非この電車の原点の車両と、それを運行する苦労を見に来る価値があります。明治村のネタ、つづきはまた今度。
2009.03.09
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12月26日に名鉄パノラマカーが引退した。引退は惜しまれるが、昭和36年にデビューしてから今まで、よく頑張ったものだ。考えてみると昭和36年前後に製造された鉄道車輌が現役で活躍している例は、あまりない。しかもその車輌が前面展望車という、日本の鉄道史上のエポックメイキングな存在なのだから、なおさら惜しまれる。(同時期にデビューした小田急ロマンスカーはとっくの昔に引退している)先日たまたま撮影した復活白帯車。須ケ口行き普通列車という地味な運用。前面展望車として華々しくデビューしたパノラマカーでしたが、近年はこのようなローカルの普通列車として地味な運用に充てられていました。私も通勤で何度かお世話になりました。名鉄パノラマカーの第1編成は先頭車2両が保存されるという話なので、公開日には見に行きたいと思う。そして、実はパノラマカーの一族が今だに活躍している。三河線で活躍する7700系。パノラマカー7000系が入線できない区間の特急運用やパノラマカーの増結編成として製造された、前面展望型でない車輌。現在は三河線で活躍しています。車内設備はパノラマカーに準じているため、前面展望を望まないのであればしばらくは往年のパノラマカーの雰囲気が楽しめます。ともあれ、名鉄パノラマカー7000系の引退は、日本の鉄道史の1ページにピリオドが打たれたと言っても過言ではないだろう。
2008.12.28
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大井川鐵道は往年の名車を動態保存さながら現役で運行しています。今回はそんな名車の中から、京阪特急3000系を取り上げます。京阪3000系。往年の京阪特急であり、テレビカーとして親しまれた3000系が、そのままの塗装で活躍しています。2両編成でワンマン化されていますが・・・京阪3000系は。1971年に登場した京阪電鉄の特急形車輌。車内にテレビを設置し、テレビカーの愛称でも親しまれました。新型特急車8000系の登場により余剰となり、1990年から廃車が始まり、先頭車輌は富山地方鉄道と大井川鐵道に譲渡されました。実は京阪電鉄から大井川鐵道に譲渡されたのは車体のみとのこと。京阪電鉄が標準軌の1435mm、大井川鐵道は狭軌の1067mmのため、台車は営団地下鉄東西線5000系のものを流用しています。スカートや鳩マークも撤去されているのでちょっと精悍さが失われ、のんびりと余生を送っている印象です。扉間にずらりと並んだ角が取れた窓が印象的。京阪電車の印象は、この角の取れたサッシ窓が大きな影響を与えているようです。車内です。シートは転換クロスシート。これはほぼオリジナルのようです。ワンマン運転のため、整理券発券機や運賃表示表、料金箱が設けられています。乗り心地は・・・SLより良いです(当たり前)窓はサッシの部分も角が取れています。ここは国鉄車輌だったら間違いなくこんな処理はしなかった事でしょう。70年代に入ってもこのような細部の処理を行った車輌を作り続けていたのはさすがです。以上、京阪3000系でした。 ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2008.12.13
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静岡県の大井川鐵道は、蒸気機関車を動態保存して走らせていることで有名です。そのこと自体、すばらしい取り組みなのですが、それ以外にも、ここではかつての私鉄の名車を現役で走らせています。今回はそんな名車の中から、近鉄特急にスポットを当ててみました。近鉄16000系。昭和40年に近鉄南大阪線用特急車輌として登場しました。それまでの南大阪線では、観光シーズンに旧型車モ5820形を使用した「かもしか号」が運転されていましたが、それに代わる南大阪線では初の本格的特急用車輌です。特急用車輌ですが、性能は通勤車6000系ラビットカーとほぼ同一。車体は大阪線11400系エースカーに準じた当時の近鉄特急の標準的なスタイルですが、大断面で大柄なエースカーと異なり車体寸法が小さく、スマートな印象を受けます。当初は2両編成でしたが、後年4両となりました。近鉄電車が地方鉄道へ中古車として譲渡されることは珍しいのですが、大型車が多い近鉄の中でも比較的小寸法の車体と、2両編成が組めるという小回りの良さ、南大阪線は軌間が1067mmなので台車がそのままでも走れることが譲渡された理由でしょうか。ともあれ、昭和40年に登場したこの車輌は大井川鐵道の中でもかなり新しい車輌になります。近鉄6421系近鉄名古屋線の特急車輌として1953年に登場した車輌です。当時、近鉄名古屋線は軌間が国鉄と同じ1067mmで、1435mmの標準軌である大阪線とは直通運転ができず、乗客は伊勢中川で乗り換えをしなければなりませんでした。この状態は1959年の名古屋線改軌により名阪直通運転が実現するまで続きました。そんな旧き時代の生き証人と呼ぶべき車輌が、この大井川鐵道に存在します。名古屋線用の特急車輌として華々しくデビューしたこの6421系ですが、名阪直通運転とビスタカーなどの新性能車の登場で、一般車輌に格下げされました。のちに車体中央に扉を追加し3扉化、灯火類の交換等の改造工事を施されて特急時代の面影はなくなりました。その後、養老線(現・養老鉄道)にて余生を送ったのち引退。そのうちの2両が大井川へとやってきました。塗装は特急としてデビューした当時の色に戻されましたが、吊りかけモーターに非冷房のこの電車は現在予備車的な存在とのことです。近鉄ファンならぜひとも大井川鐵道を訪れてみることをおすすめします。 ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2008.12.09
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JR東海が計画しているリニア中央新幹線は、現在の名古屋駅の地下に乗り入れる構想なのだそうだ。新幹線の駅については、横浜や大阪、神戸では在来線のターミナルから離れたところに新横浜や新大阪、新神戸が造られたが、名古屋は新幹線が在来線と一緒の名古屋駅がターミナルになっている。リニア新幹線も名古屋駅に乗り入れることになると、在来線や新幹線との乗り継ぎも便利になり、名古屋駅の更なる「強み」になると思われるが・・・そこまでこだわれるのはJR東海の本社が名古屋だからか・・・以下、Yahoo!ニュースより引用------(元記事)------リニア駅 名駅地下を想定11月28日11時46分配信 中日新聞 【愛知県】JR東海の松本正之社長は27日、東京-名古屋間で2025年の開業を目指すリニア中央新幹線の「名古屋駅」について、現行のJR名古屋駅の地下を念頭に建設する意向を明らかにした。また国土交通省から来月にも建設費など4項目の調査指示が出た後、社長自らが沿線自治体の知事に早期に会い、ルートや中間駅などの調整に取り掛かる考えも示した。 松本社長は、名古屋におけるリニア駅の整備条件について、在来新幹線との乗り継ぎの良さが不可欠との考えを表明。「名古屋駅周辺の地下の地形を見ながら計画していくだろう」と述べた。 首都圏の始発駅に関しては、品川駅を有力視。将来的に延伸を検討する大阪は「延長線上で新幹線との接続が重要」と新大阪駅への乗り入れを示唆した。(後略)------------(引用ここまで)始発は品川ということで、東京での駅設置はターミナル駅よりは新幹線との乗り継ぎを考慮していると思われる。そうすると品川から先のルートは多摩川沿い?色々と夢のある計画があと十数年後には実現する予定。(用語解説)名駅:名古屋駅のこと。地元の呼び名で、ただ単純に名古屋駅を省略しただけでなく、正式な地名としても存在する。
2008.11.28
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名古屋市交通局の市電・地下鉄保存館「レトロでんしゃ館」には、模型のコーナーがあります。最近完成した鉄道模型ジオラマ。Nゲージサイズの壮大なレイアウトです。一見市販品をまとめたようにも見えますが、名古屋城や市役所など随所にオリジナルなストラクチャーもあり、必見です。線路は新幹線が2本、在来線が4本の合計6本がエンドレスになっており、それぞれがコントローラーで運転可能です。(ダイヤルを回すタイプの市販のNゲージ用コントローラー使用)車輌は新幹線がN700系と800系つばめ、在来線はミュースカイと東海道線E231系、それに名古屋市営地下鉄東山線300形が走っていました。東山線は鉄コレ限定版の6連かと思いましたが、鉄コレにはない中間車もちゃんと作られていることと、動力車の台車にもちゃんと集電シューが取り付けられているタイプであり、鉄コレそのままでは成り立たない編成で、どこの製品かは謎でした。その他、16番(HOゲージ・・・)の模型が展示されています。東山線や名城線でかつて活躍した黄電3種類と、東山線のアルミ車5000形、鶴舞線のステンレス車3000形、それに市電が数両模型化され展示されていました。個人の方の寄贈作品で、おそらくはペーパー製。以上、レトロでんしゃ館の模型でした。 ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2008.11.21
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名古屋の「レトロでんしゃ館」に展示されている市電の続き。ここに保存されている市電車輌のうち、一番古い電車が1400型です。1400型1421号車。昭和11年から製造された1400型は、その後の名古屋市電の標準的な車輌を目指して設計された車輌です。また、昭和12年に名古屋で開催された「汎太平洋博覧会」の乗客輸送のため、博覧会にふさわしい世界一の電車との意気込みで製造されました。(愛地球博のリニモのような感じでしょうか)ワンマンカーのアンドンや赤帯の入った塗装、屋上のZパンタ、アルミサッシとなった晩年のものと思われる仕様は、同じ戦前製造の連接車3000型と比べると新しく見えてしまいますが、小さい方向幕やRの付いた窓等に戦前の面影を残します。この1421号車は、元々某スーパーマーケットに保存されていた車輌をレトロでんしゃ館に展示しているとの事です。「レトロでんしゃ館」アクセス地下鉄鶴舞線「赤池」駅下車(2番出入口)徒歩約7分
2008.11.15
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名古屋の「レトロでんしゃ館」に展示されている市電の続き。前回の2000型は、戦後の昭和30年代に作られた車輌でしたが、ここに保存されている市電車輌の他の2両(連接車があるので3両?)は、戦前の製造です。3000型3003号車。昭和19年に10両が製造された連接車、戦時下の資材不足の中で、軍需産業の重要都市である名古屋の工員輸送を目的に、特別に割り当てられた資材を用いて製造されたとの事です。ちなみに電気部品は旧型車の流用ということです。車番は2両で同じ番号を付けています。輸送力が大きい事がメリットでしたが、ワンマン化に対応できないため昭和45年に引退しました。この3003号車は廃車後、名古屋市科学館に保存されていたが、交通局に返還されレトロでんしゃ館で保存される事になったとのこと。いかにも古めかしい外観で、茶色く塗装された渋い窓枠、ワンマン化されていないため赤帯がない塗装がさらに古さを醸し出しています。「レトロでんしゃ館」アクセス地下鉄鶴舞線「赤池」駅下車(2番出入口)徒歩約7分
2008.11.14
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名古屋の「レトロでんしゃ館」には、地下鉄だけでなく市電も展示されています。名古屋市内にはかつて路面電車が走っていたが、昭和49年3月に廃止された。名古屋市電の歴史は古い。名古屋は明治31年(1898年)に、京都に次いで日本で2番目に電気鉄道が走った都市である。当初は名古屋電気鉄道による開業であったが、大正11年(1922年)に名古屋市に買収され、名古屋市電が誕生した。名古屋に限らず、東京の都電も元々は民間の鉄道会社であったが東京都に買収されたという経緯があるが、大正時代、不況下で市街電車の運賃が高い事に不満を持った市民が 暴徒化して電車を焼き討ちする事件が相次いだり、東京ではいくつかあった民間の市街電車が運賃を談合によりつり上げたことが問題になったりしたため、自治体がこれらの電車を買収し公営化したという歴史がある。大正時代の米騒動がきっかけで名古屋市は公設市場を設けたが、これの電車版といった感じか。さて、この「レトロでんしゃ館」には、3輌(連接車があるので正確には4輌?)の市電が保存されています。2000型車輌 2017号。昭和31年から昭和33年にかけて29両が製造され、昭和47年まで活躍したとのこと。無音電車と呼ばれ、走行音が静かなところが特長でした。無音電車は車輪にゴムを挟み込んだ弾性車輪により騒音を抑えていました。この弾性車輪はのちに地下鉄東山線の100形電車や、それに続く小型車に広く採用されました。なお、弾性車輪そのものは名古屋市電だけでなく、横浜や大阪でも採用されていましたが、地下鉄車輌も含めここまで大々的に普及した都市は名古屋くらいでしょう。博物館内にあった電停(停留所)のプレート。よく見るとスタンドの台座部分に、弾性車輪の一部と思われる円盤状の部品が再利用されています。さて、この車両は車内に入ることができます。早速乗り込みます。当時の電車はステップの段差が高く、ちびっこにとっては大変です。また、この車両は床下部分をスカートで覆ったすっきりとした外観でもあります。床下にあるごちゃごちゃとした台車や電気機器を覆ってすっきりと見せる設計は、地下鉄東山線の100形に共通する思想でもあるように思えますが、路面電車に関しては、同時期に登場した東京都電8000型も同じような処理を施している部分もあり、名古屋市電独自の特徴とは一概には言えません。車内で気づいたすごいところ。この車両は窓が2段構造となっており、上段固定、下段が開閉式なのですが、上段がサッシュレスですっきりしています。昭和30年代前半にこのようなサッシュレスガラスが当たり前のように使用されていた事に驚きを隠せませんでした。どこまで先進的だったのか、名古屋市交通局。ちなみに窓構造は国鉄モハ71形を参考にしたという説があるようです。同車の運転台。これも至ってシンプル。今回はここまで、つづく。「レトロでんしゃ館」アクセス地下鉄鶴舞線「赤池」駅下車(2番出入口)徒歩約7分
2008.11.13
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先日、名古屋市交通局の市電・地下鉄保存館「レトロでんしゃ館」へ行ってきました。ここにはかつて名古屋を走っていた地下鉄や市電車両が保存されており、しかも無料という貴重な博物館なのです。今回はその中から、かつて地下鉄東山線を走った100形を紹介します。この博物館に入るとやはり目を引くのがこの黄色い車体の地下鉄電車。昭和32年の市営地下鉄開業時に導入された車両で、15.5m級の小型の黄色い車体と第3軌条、ボディーマウント・モノコック構造が、特徴的。昭和63年までに全車が引退。私が名古屋に住んだときにはすでに300形が最古参であり、この100形を見るのは初めてでしたが、懐かしい地下鉄の風景とはこのような感じでしょう。側面はこのように窓とドアがほぼ等間隔にきれいに並んでいます。片開きのドア、揃った窓の上辺は営団地下鉄銀座線の1700形等の旧型車を彷彿させます。ドアが開いており、もちろん車内に入ることができます。気になるのは、窓がかなり大きく開いていること。地下鉄車両は、かなり以前から安全のため側面窓は上部が10cmほどしか開かないようになっていますが、この時代は窓が半分は開けることができたようです。もっとも、冷房のない時代でしたから夏場は開けないと大変ですね。車内です。シンプルにまとまっています。クリーム色に塗られた内装に暖かみを感じます。天井のファンは、名古屋市営地下鉄だけでなく、営団地下鉄等でもおなじみの地下鉄らしい装備品ですね。ちなみに、網棚はありません。地下鉄車両の網棚は付いていないことが多く、この名古屋市営地下鉄の黄色い鋼製電車では最後まで網棚の設置がなかったと記憶します。地下鉄に網棚を設置しないのは名古屋市営に限ったことではなく、札幌市営等にも見られました。また、営団地下鉄の銀座線や丸ノ内線では、戸袋窓付近にのみ設置されていたりしました。網棚を設置すると忘れ物が多くなるとか、特に地下鉄では外が見えないため、雨の日などは傘の忘れ物が多くなるとか、色々と議論されていたようです。運転台です。現代の電車の運転台機器に比べ、当時の運転台はこじんまりとしていて至ってシンプル。スピードメーターは80km/hまで刻まれています。(確か第3軌条方式の鉄道の最高速度が低く制限されていると記憶します)運転室は全室ですが、半室運転室にすることもできるようでした。100型車両の特徴のひとつがこのボディーマウント・モノコック構造。台車間の床下部分に車体が回り込んでおり、床下機器が見えないすっきりとした外観になっています。この部分は今見ても新鮮です。100型の台車部分です。一見普通の電車の台車ですが、実は色々と特徴のある台車です。まず、第3軌条のため、集電シューが取り付けられていること。駆動方式が直角カルダンと呼ばれる方式を採用。この直角カルダンとは、モーター軸と車軸が直角になっており、進行方向に平行なモーター軸からユニバーサルジョイント、傘歯車(スパイラル・ベベルギア)を介して動力を車軸に伝達する方式。この直角カルダン方式が写真からも良くわかると思う。車軸向かって左側に付いている部分が傘歯車。車軸の向こう側に見える機械がもう1本の車軸のモーターの背面である。そして、車輪にも名古屋市営地下鉄独特の弾性車輪が採用されている。車輪にゴムを挟むことで静粛性を高めているもので、名古屋市電時代からの技術である。このように、一見ただの古い地下鉄車両にしか見えない100型ですが、随所に先進的な技術を盛り込んだ興味深い車両でした。「レトロでんしゃ館」アクセス地下鉄鶴舞線「赤池」駅下車(2番出入口)徒歩約7分
2008.11.11
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鉄道コレクション(鉄コレ)の名古屋市営地下鉄東山線をいじります。前回、動力化まで行いましたが、連結間隔が広く実感的ではないため、今回は連結面間隔の短縮を行います。加工前の状態がこれ。・・・実は動力化前の画像ですが、動力化後も同じ感じです。連結面間隔を短縮する方法は色々ありますが、近年では様々なカプラーが発売されており、カプラー交換だけで連結面間隔の短縮が可能です。今回使用したのはこれ。トミックス 0393 密自連TNカプラー(Sカプラー対応・グレー) 24個入トミックスのNゲージ車両の交換用カプラーですが、台車マウント式のアーノルドカプラーの取り替えに対応しています。カプラー交換する事により形状が実物同様になるばかりでなく、連結面間隔も短縮される効果があるとのこと。すでに10年ほど前からこの方法で連結面間隔を短縮する方法は当たり前のように行われてきた感じがありますが、近年ではボディマウントタイプのTNカプラーを装着する手法による連結面間隔の短縮が主流な感じがします。さて、もともとは鉄道模型用に開発されたこの製品、鉄コレのカプラーポケットに使用するにはちょっと加工が必要でした。台車のみの状態、上が加工後、下が加工前の製品の状態。カプラーの飛び出しが小さくなり、連結した時の間隔が狭くなることは明白。そして、実は鉄コレは台車とカプラーポケットは分離することができます。カプラーポケットから先の部分。下の製品の状態ではTNカプラーが入りませんので、カプラー側のポケットの入る部分の幅を詰めます。ポケット側は一部を切断します。切断位置は画像を参考にしてください。新しいTNカプラーをはめ込んだ後に、ゼリー状瞬間接着剤で固定します。(白くなってしまいました)この加工で連結面間隔を短縮できました。けっこう実感的。加工前後の比較です。連結面は確実に短縮されています。斜め上からでもその効果は確認できます。半径140mmのカーブ(C140レール)ではこんな状態。実際にはこんなカーブを走行させることはありませんが、こんなきついカーブでもなんとか車体が干渉しません。さすがは小型車。ちなみに走行試験は行っていないので140mmカーブを本当に通過できるのかは不明。以上、鉄コレ連結面間隔の短縮でした。 ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2008.11.02
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犬山モノレール、その他気になったこと。前回までは車窓からの眺望を紹介してきましたが、今回は車両等の特徴を挙げてゆきます。車両全景。3両編成のモノレール車両。ボギーや連接台車ではなく、2軸車とのこと。東京モノレールの初代車両100形等に似ています。車内です。連結部分が広く、編成が前から後ろまで見渡せます。座席はクロスシートがメイン、一部がロングシート。ロングシートは車両外側向きに設置されている。これは東京モノレールの車両にも過去に例がありました。車輪部分が室内中央に出っ張っているので、そこにシートを設置した形です。連結部分には床に大きな箱がありますが。この部分が走行装置と思われます。連結部分の通路はこの大きな箱を避けるように車体の端側を通ります。このため、連結部分が広くなっているようです。この大きな箱の部分は、東京モノレールなら荷物置き場にしてしまうスペースですが、この犬山モノレールではそのような設備は必要ないようで、何もないデッドスペースがゆったりとした空間を演出しています。連結の幌部分です。走行装置の箱も幌でつながれています。車両形式はMRM100形(先頭車)とMRM200形(中間車)。銘板が貼付けてあります。車両は非冷房車で、名鉄では唯一とのこと。このモノレールが廃止されると名鉄は冷房化率100%になるはず。天井にはファンデリアが付いています。以上、犬山モノレールでした。 ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2008.10.17
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犬山モノレールからの眺望のつづき。前回は犬山遊園から成田山駅までを紹介しましたが、列車はいよいよ終点、動物園駅を目指します。その前に・・・成田山にある「成田山名古屋別院大聖寺」(別名「犬山成田山」)は、千葉県の成田山新勝寺の別院です。この犬山成田山、名鉄電車と深い関わりがあるのですが・・・これは名鉄パノラマカーの先頭車両、展望席の天井部分。ここには、このようなお札があります。このお札が犬山成田山のものなのです。パノラマカーに限らず、名鉄電車には成田山のお札が乗っています。さて、モノレールが成田山駅を発車すると、すぐ目につくのがこれ。モノレールの線路が切り通しの中を走っています。当然、モノレールの列車もここを通り抜けます。未来の都市交通のイメージが強いモノレールですが、山岳路線も充分行けるような光景ですね。そういえばモノレールには勾配に強いという長所もあるようです。切り通し通過中。石垣に囲まれています。切り通しはいつの間にか低くなり、木の葉の谷間を走っていることに気づきます。その先には開けた景色が・・・木の葉の谷間を走り抜けると急に視界が開けます。緩い左カーブの向こう側がモンキーパークのある丘。けっこう高いところを走っています。眺めが良いですがもうすぐ終点です。動物園駅が近づいてきました。駅の向こうには黄色い車両が留置されています。動物園駅に到着。レールの先にはもう1本の編成が留置。そして検車区があるようです。以上、犬山遊園から動物園駅までの運転席からの眺めを紹介しましたが、実はほとんどの写真が逆向きに走っているときに後方を撮影したものです。あしからず。 ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2008.10.16
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犬山モノレール、今回は運転席からの展望。犬山モノレールの特徴のひとつが、運転席からの展望。運転室の仕切りがなく開放的なので、客席から前面の展望が楽しめます。開業当時は「空ゆく電車」というキャッチフレーズのもと、まるで空を飛んでいるような未来の乗り物のイメージでした。そういえば「鉄腕アトム」でもこのような空を飛んでいるようなモノレールの話があったような・・・今回はそんな運転席からの眺めを紹介します。犬山遊園駅を発車直後、右下には名鉄線の線路が平行しています。このへんで急勾配。名鉄の線路から分かれます。空中に作られた木の葉のトンネルをくぐります。途中駅に「成田山駅」があります。大本山成田山名古屋別院大聖寺へお越しの方はこちらでお降りください。成田山駅に到着。ホームはギリギリ。ここを出ると次は終点「動物園駅」です。コンクリートのレールが続いています・・・つづく・・・ ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2008.10.14
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愛知県の犬山市に、昭和37年開業のモノレールがあるのをご存知だろうか。名鉄の犬山遊園駅から動物園駅(日本モンキーパーク)までを結ぶこの名鉄犬山モノレール。正式名称は「名鉄モンキーパークモノレール線」と呼ばれる。先日、モンキーパークに家族サービスに行くという口実を作り、乗ってきました。犬山遊園駅のモノレール乗り場。名鉄犬山線とは改札が別となっており、自動改札ではないのがまたいい!犬山遊園駅にて。開業当初から使用されている車両。昭和30年代における「未来的なデザイン」とはこのような感じだったのだろうか。日立アルウェーグ式と呼ばれるこの方式のモノレールは、コンクリート製の軌道上を股がり、ゴムタイヤで走ることが特徴。また、このモノレール線は、のちに開業した浜松町-羽田空港間の東京モノレールの実験線としての性格もあるとのこと。実際に名鉄は、東京モノレールの経営に参加していたという。運転台はこのように乗務員室の仕切りもなく開放的なタイプで、最前部では前方の眺望も楽しめます。右下の線路は名鉄犬山線。また、このモノレールはワンマン運転のため、最後尾は乗務員室が空になり、まるで展望車のようです。犬山遊園のホームから。発車するモノレールはしばらくは名鉄犬山線と平行に走ります。なお、このモノレールは今年2008年の12月27日を最後に、廃止となります。国内では各地でモノレールが廃止されていますが、東京モノレールの基礎となったこのモノレールが地味に廃止されるということは何だかもの悲しいですね。外部リンク名古屋鉄道 犬山モノレール(パンフレットの紹介) ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2008.10.13
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愛知県の岡崎市内には、かつて路面電車が走っていた。その路面電車、名鉄岡崎市内線は、岡崎駅の南側で専用軌道となり、福岡町まで延びていた。1962年(昭和37年)にこの電車は全線廃止されたが、岡崎駅前から福岡町まではレールを撤去後、バス専用道路としてその名残りがある。ごく普通の道路が田んぼの中を走っている感じです。これが名鉄バスの専用道路なのです。東海道線がオーバークロスしています。普通の道路にしては特別扱いされているような印象です。かつての鉄道線は600Vで電化されており、もともと電車線同士は平面交差できないので、最初から立体交差という構造を取っているのだと思われます。この付近は東海道線を渡る道路が極端に少なく、主要道路も細い踏切で渡らなければいけないのに対し、このバス専用道路は踏切待ちも気にせず通過できます。これも元鉄道線の強み。バスが来ました。バス自体は現代のノンステップバスです。こんな新しいバスがのどかな田んぼ道を走る姿は新鮮です。バス停は西若松。バスは交差点で一時停止したのち、走り去りました。鉄道の場合、道路との交差は踏切という形で鉄道が優先になります。バス転換すると踏切がないので交差する道路からは一時停止なしで車が来ます。バス専用道路を示す標識。本来は一般車はもちろん、自転車や人も通行してはいけない事になっています。バス専用道路は基本的には通行止めになります。奥のバス停には、かつて味のある待合室があったようですが、今は新しいものに変えられています。以上、名鉄バスの専用道路でした。 ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2008.06.24
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先日、名鉄で東岡崎まで行ってみました。東岡崎周辺は、いつもは車で行く所なのですが、今回はあえて電車で行ってみました。そして、今回は妻が具合が悪いという事で、娘と2人きり。新安城駅で電車に乗ろうとしたら、駅に停まっていたのはパノラマカーでした。最近引退が進んで、その編成数もかなり減らしてきた感がありますが、今でもたまに乗る事があります。行き先は「東岡崎」ではなく「岡崎」となっています。名鉄には岡崎という駅はないのですが・・・本当に岡崎駅に連れて行ってくれるのでしょうか?ちなみに東岡崎行きのパノラマカーもあるようです。こちらはたまたま会社帰りに乗ったパノラマカー。パノラマカーの前面眺望。ちょうど新聞輸送の時間だったようで、ホームの端に新聞の束が並べられています。先の岡崎行きのパノラマカーは結局は東岡崎が終点でした。写真は東岡崎駅前のバスターミナル。どこか北海道の雰囲気があります。バスターミナルにバスが頭から斜めに入るスタイルは北海道に良くある形。小樽駅や札幌ターミナルを思い出します。まさか岡崎にこのようなバスターミナルがあるとは思っていませんでした。帰りもパノラマカーでした。一番前の席が空いていたので娘を座らせました。ちびっ子はこういう電車、好きですから・・・帰りの電車は岩倉行き。この行き先表示は、わざわざ人の手で差し替えているものと思われます。いまだにこのような電車が走っているんですねえ。以上、ちょっとした電車の旅でした。 ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2008.06.16
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連休の帰省から帰ってきました。東京から愛知へUターンなので、東名の下り線は混雑しないと思っていたのですが、豊川の手前から渋滞。なので、豊川からは一般道へ降りて駒を進めることになりました。その途中、豊川稲荷付近の踏切待ちで撮影した飯田線。313系電車119系電車いずれもシャッター速度が遅いので流し撮り?です。この踏切、名鉄(単線)と飯田線(複線)3つの線路を渡っているので、今回は3回待ちでした。今回はここまで。続きはありません。 ←他の方の珍しい趣味のブログはこちらから
2008.05.05
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東海橋めぐり、今回は廃線となった近鉄木曽川橋梁付近の散策。近鉄名古屋線木曽川橋梁は、昭和34年に架け替えられ複線化された。それ以前は、北側(上流側)を走るJR関西線の木曽川橋梁のさらに北側(上流側)に近鉄線の橋が架かっていた。近鉄名古屋線の弥富-長島間は、今ではJR関西線の南側を延々と走っているのだが、かつてはこの関西線(当時は国鉄)を一度オーバークロスして北側を走り、橋を渡り終えたところで再び関西線をオーバークロスして南側を走るという経路であった。近鉄線を利用している人にはおなじみかもしれないが、そのオーバークロス部分が、廃線後50年近くも遺構として現存する。弥富駅から長島方面に少し走ったところに、近鉄線がかつて関西線をオーバークロスしていた高架橋の遺構が残っている。その部分に道路がくぐっている。写真の奥が関西線。上に影が見える手前の高架が近鉄名古屋線。そして今は途切れているコンクリート製の高架が、近鉄の旧線跡である。旧線跡の高架は今では土手から離れてしまっている。右側に電車が見えるのが近鉄線。左側の法面がJR関西線。旧線の高架は、現在の近鉄線から分岐し、カタパルトのように上って途切れている。まるで銀河鉄道999の雰囲気。その先の木曽川橋梁はこのようになっている。緑の鉄橋はJR関西線、その左側(上流側)の水面に、杭が並んでいるのがお判りだろうか。これが、かつて近鉄が渡った橋の橋脚跡。水面下にはケーソンが残っているので、船がぶつからないように杭が出ている。状況によっては水面から顔を出す事もあり、これが関西線の電車から見える事もある。さて、近鉄線がどうしてこのように複雑な経路を走らなければならなかったのか?その理由は、近鉄の旧橋梁が、実は国鉄関西線の払い下げだったからといわれている。この区間は、橋の架け替えによってルートがかなりの変遷をたどっているので、その手のマニアにはたまらない区間でもある。以上、今回は橋が出て来なかった。
2008.02.12
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先日乗った新幹線は新型のN700系。博多行きののぞみ号に乗ると、けっこうな確率でN700系に当たるようだ。名古屋駅で撮影のN700系。このとき私の他に撮影している人がいたのでちょっと引いたアングルになってしまいました。こちらは300系車両。やはりN700系は平たく見えますね。小倉までかなり時間があるので、車内を色々と撮ってみました。窓際のA席でした。気になる所は窓が小さい事。従来の700系と比較しても柱が邪魔な印象。写真は東寺の五重塔。座席周辺はこんな感じです。窓と柱の幅がほぼ同じで、ちょっと飛行機に近い感覚。シートは従来に比べ広くなっているとの事ですが、あまり良くわかりません。足元には電源が取れるコンセントがありました。各窓下にあります。特に使わなかったのですがこれは便利。エアコンの吹き出し口はこのようなデザイン。繊細でシャープになりました。窓際に個別の吹き出し口が付いており、止める事もできます。なんかバスみたいです。間接照明風の室内灯。多目的スペース付近のデッキ。通路がうねうねしています。おまけ京都市営崇仁住宅。一見51C型の団地です。以上 新幹線N700系でした。
2007.12.23
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名古屋市の地下鉄が、11月15日で開業50周年を迎える。名古屋市営地下鉄は、全国で3番目の地下鉄として昭和32年11月15日に開業したそうな。名古屋-栄町間の2.4kmの短い区間に、黄色い、小さな地下鉄車両が走り始めて50年だそうだ。11日(日)に、その記念イベントがあったので、行ってみた。イベント会場は名古屋市交通局の藤が丘工場。ここは地下鉄東山線の車庫となっており、名古屋で最初に開業した地下鉄の車庫としてイベント会場にふさわしいところだ。(なお、藤が丘工場は開業当初からあった訳ではなく、以前は池下に車庫があったのだが、藤ケ丘延伸により廃止された。)以下、当日見た様子を紹介する。会場は地下鉄藤ケ丘駅から徒歩5分の東山線藤が丘工場。当日、朝は生憎の雨。しかもいろいろなグッズ販売の行列ができて、さらに列がぬかるみを通っていたので、この状況に抗議する人もしばしば見られた。運転士さんの制服を着てバスの前で記念撮影。このバス、子供たちが絵を描くバスとしても使用される。屋内では地下鉄建設の写真が展示されていた。Mishizawa的に気になるのは、当時の池下周辺の写真。電車がまだ2両編成なのが時代を感じさせるが、注目は中央の集合住宅。これって、日本住宅公団の池下市街地住宅ではないかと思いますが、如何でしょう。工場の建屋内でも、普段は見ることのできない色々なイベントが行われていた。写真は電車の吊り上げ実演。このダイナミックな実演は見学者としては見応えがあるが、実際の作業は実に安全第一を考えた手順。これも、普段の安全運行には重要な作業である。切り離された中間車。このような状態の車両を見ることができるのもこのようなイベントの醍醐味である。初公開の新型車両、N1000型。東山線の車両として久しぶりのモデルチェンジ。5000型に代わって導入される。車体構造は最新の軽量ステンレスと思われるが、このシルエットと窓割りの雰囲気は、営団(東京メトロ)千代田線の6000系を彷彿させ、どこか懐かしい。新型車両は床下機器の説明付き。台車の集電靴(赤い部分)を支持している部品は今だに木製で味がある。ニスがまだきれいなのも新車ならでわ。車軸部分に、温度データ測定用のシールが貼られている。ただの展示車両ではなく、今まさに現在進行形で走る為の準備を着々と行っている証拠でもある。電車の車輪は、削る。これは車輪を削正するための旋盤の実演。車両が乗ったまま削ることができる。地下鉄東山線の車両の特徴の一つ、弾性車輪も展示。名古屋市交通局では、市電時代から弾性車輪を採用し、騒音振動対策に力を入れていた。弾性車輪の裏側。ここは比較的地味な展示ではあったが、興味深い。なお、新型N1000型は弾性車輪ではないようです。以上、地下鉄開業50周年イベントでした。
2007.11.12
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