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本年もよろしくお願いいたします。今年はいだき講座、30年間のメモを整理していきます。いだきしん先生の即興演奏と対話によるカウンセリング講座(いだき講座)昭和から平成に代わるただなかで受講した講座。非常にわかりにくいですが、哲学断片として味わってみていただければ幸いです。深いです。平成2年1月27日の講座メモこの日のテーマは神としてしまっているものについてのお話があった。神との 関係の中で所有されている 神と自分が一体化できていないのが所有されている状態 (私は「汚される」というキーワードで神との関係があると 高麗さんの「調べ」がありました)先が見えないのは枠にはまっているから風邪をひく=詰まっているものをとろうとしてる疎外=自分のやっていることが自分を縛る 人のことをよく理解すると乗り越えられる平成2年4月22日テーマ・餓鬼について価値観が何から出てくるのか、、、自分の意志が神に逆らう第一歩(肉体が問題を起こす) 食べるものを確保するとき 多く食べられる状態が生きる核となった 食べるものが手に入り、それで何でもできると錯覚し、そこから罪が始まる肉体と精神 世界を捕まえないと身体はよくならない 世界を手に入れなければ、世界の中にいないと、体は悪くなる直感が問題、、一番最初に何に反応するか=「食べられるかな?!」 この男は食べさせてくれるかな、とか。 直感の半分は食べ物に関連しているからニセモノ 肉体と精神が統一されて出てくる「直観」とは違う(直感と直観は違う!!!!)〇世界の中心にドントと居ればすべてOK〇基準がずれているので 胃がおかしくなる〇限界あり、頭と呼吸おかしくなり、心臓おかしくなる〇不安、恐怖は神から〇支配されている 頭を押さえられているエサが少ないと調教され、豊かになると堕落する世界をひらかなければならない(世界をひらくという動機がない)身体がそういう働きになっているーー世界をひらくためにはたらいていたのだ人の体と自分の体が一つになって動き始めている精神活動は文化になる食べる時、スキのある食べ方しない! 食べてるときに霊に好き放題やられる=食べているときの意識は朦朧としている スキなく楽しく餓鬼道につながっている直感=食べられている経験してないことを言葉にするな。経験しないで言葉だけしゃべられると困る。ふっと気付くのが曲者。(本人はこれを直感と感じてる?)経験した気になっちゃう。言葉だけで。辛くても言葉にするな。(言葉にすると経験したつもりになる)例えばうらやましいという事を直感して言葉にしてうらやんでないつもりになる=「のみこむ」この日、高麗恵子さんが全員を調べ、食べることに関する元なるものを言葉に表された。一人一人言われたことをメモしてあったので下記に記してみる。(このようなことで、人は直感し、飲み込んで、経験したつもりになってごまかして外れる)いのり、自分を守る、はまる、あまえる、ごまかす、むなしさ、こわい、ついていこうとする、嫌悪、かまえる、諦める、粗末にする、避ける、暗示かける、気分、正しさ、慰め、見栄、正当化、隠す、弱さ、確認、自信ない、なくてもいいもの、決める、地道、飾る、無意味、美しさ、家庭、自分を作る、素朴。。
Jan 2, 2018
感情。意識せずとも瞬間的に沸き、一瞬にして身体をコントロールしてしまう、感情。ほんの些細なことなのに、ふと沸いた感情にとらわれて、暗いどん底へドーンと落ちてしまうことって、ありませんか?私はよくなります。先日も、自分は嫌われてる、と感じたとき、落ちました。しかし自分はこの感情で今までずーっと苦しんできたのでした。嫌われてると思うと、まるで村八分にあうような、その共同体から追放されるような、エデンの園を追放されるような、裁判で死刑を宣告されたり、処刑されたりする恐怖まで味わうのでした。もういい加減、克服したいと思いました。それで、いったん、じっくり味わってみた。向き合ってみた。「き」「ら」「い」と言ってみた。言った人の気持ちになって言ってみた。自分がそう思う時の気持ちも思い出して言ってみた。音を一つ一つ発した。 繰り返し 繰り返し、ゆっくり声に出してみた。何十回と繰り返したとき、涙となった。言葉はいのち。音が いのちの言葉として聞こえてきたとき、その一言に 万感の凝縮があり、ものすごい重厚な言葉だった。現状に対する認識と、どうにもならない悲しみや苦しみと、どうにかしていきたい、なってほしい、切実なる要求、いのちの叫びがありました。良い悪いは関係なく、どのような言葉であっても いのちの言葉であれば 先を作っていく方向があることを知りました。
Apr 1, 2017
いだき講座を受けたとき、「こんなに面白いものがこの世にあったのか」と絶句するほど面白かったです。まるで次元が違う言葉の連続で、聞くのが精一杯、メモも取らずに食い入るように夢中で聞いていました。それではじめのうちはほとんどメモをしなかったのですが、またまれにメモしていても断片的でわかりづらいのですが、今までの整理の意味で、書き記します。書いていくことで、気付くことも書き足していきます。今日は、平成元年、昭和天皇がなくなる12月の前に受けたいだき講座、メモを書き起こします。11月26日、この日のテーマは「所有」でした「所有」というのは 「ほしがる」 ことで「それは目から始まる」「それが意識化される」とメモ書きがあります。いだきさんの言葉は、深いです。所有することで行き詰まり、先へ進めなくなっている人間の状態があり、そのもとは目から始まる、とは 驚き、息をのみます。目で「見る」こと、見たことを対象化し、意識化し、知識として、所有する、、そんなことを人間はやっているのかと、驚きます。以下、メモの箇条書き。(カッコ)に入っているのは私のコメント〇知っているということで「所有」→がんじがらめになる〇知っていることを真理と取り違える (知識は、真理を表現するためのもので、真理そのものではない)〇発見することが途中で止まっているから問題 止まってはいけないのだけれど学校教育でダメになってる 問題を読んで、立ち止まって考える癖=止まる練習をしてる →この状態は「マジメ」と呼ばれる 問題は把握したら10秒以内で動くトレーニングが必要 ひとつのことを追っかけて止まってしまう→止まらない〇体のトレーニングは、外側から内側へむかうやりかた =これは所有関係 (体だけでなくいろいろなノウハウも 外側から人間を操作し変えようとするものですが、 それが所有関係だとは、驚きです。 (いだきは内側から変えている)〇やったことを所有している (自分の頭の中で組み立てて、イメージを作って、 それを未来に当てはめたって通用しない) イメージすることによって原因がわからなくなる〇信じること=所有すること〇「自分」が強くなると所有になる 所有がなくなったとき、次に向かえなければ逆になる(被所有?)〇まずは暑いとか寒いとか言うな。 言わないようにするだけで目は開かれていく〇未知との遭遇=生命を助けているもの〇何が困っているのか、かみ砕いて表現できる技術がないといけない〇所有していることを活かしていく________________以上。今日、これを書いていて、知識というのが所有になっているということに あらためて驚きました。なんか 知ってるということで、自分のものにしてしまい、がんじがらめになる。やっかいなことです。所有がなくなったとき次に向かえなければ逆になる、といういだきさんの言葉も気になります。ではまた。
Feb 13, 2017
とある老人ホームでヘルパー補助をランダムの日程でやってますが、本日はその仕事の日でした。今日は暴言を吐いてやまない利用者さん(女性)が荒れていて、ぎゃあぎゃあ騒いでいて、朝から手が付けられない感じでした。正直「うるさいなあ」と神経逆撫でされる感じがありましたが、午後は、思い切ってその方の傍にぴったり張り込んでみました。(私はホールにいて、見守りなどしている係)傍にいたら、その人のいいところ発見しました先ずは爪がきれいだった。ピンク色で、形もきれい。それからお料理が好きだったということも判明し、お客さんがいっぱい来るおうちだったので、いっぱいお料理作っておもてなししてたことなど話しました。そうこうしているうちになんだか表情が和らいで、ああこの人は寂しかったんだなということが伝わってきて、そうするともうブチブチ何か言ってもうるさくは聞こえず、愛しい感じが伝わってきて、夕食の時には異様なほど力が抜けて寝込んでおられました。(看護師さんがやばいかも、と言っていました)ガクンと様子がおかしくなっていく高齢者の方がいらっしゃいますが、その直前にいろんなことになることが多いような気がします。変化の時に、ご本人も不安なのだと思います。それにしても、人のいいところを発見したときは、宝物を見つけたみたいにうれしくなります。幸いにも自分は美術学校出なので、身体のどこか美しいところを見つけては喜びます。どんなご高齢の方でも美しいと感じます。それをご本人に伝えるのですが、素直に本人がその美点を受け入れてくれるとまたうれしくなります。(たまにご本人が「自分が美しいはずはない」と言って否定される場合があり、そういう時は寂しいです)人体は美しい。神様、ありがとうございます。
Feb 5, 2017
29年前に受けたいだき講座の、4回目か5回目のメモを書いておきます。テーマは「限界」でした。(わかりにくいメモもあって恐縮ですが)ひとりひとりが限界としていることについて、いだきさんが質問とかのやり取りしながらお話しされ、そのあとに、高麗さんが目をつむって、一人一人の内面を見て言葉にしました。私の限界は 「いい加減なところで楽しんで、突っ込まない」と言葉にしてくれました。全くその通りの図星で その正確に驚愕でした。こんな風に一人一人のことを受け入れ、明らかにして、解決していく講座でした。以下、この日のノートメモ。(性格という限界)性格のせいにするのは甘ったれているのだ。 ちゃんとやったら性格変わる。(礼儀という限界)礼儀の中に歴史が含まれていなければならない。(切り捨ての限界)物事は切り捨てるものではない。すべて受け入れながら創造すること。 (だから、困ってきたら過去を学習すればよい。有史以来までさかのぼる)(休む限界)途中で休むとダメになる。休まないで苦しい時続けるといいものが出てくる 嫌いなことやってると好きになる。好きから出発するのは危険。(夫婦・平行線) 自分を表現すること 超えたくて一緒になっているのに超えられない (超えたら別れるしかないさみしさ 慰められたらダメになる人間は表現することによって人間になって来た 間違いがわかることが成長につながる反自然的に動いた意識が地球を動かしてきた。自然と共に動いた魂は埋められてしまった。だからうずもれたものに価値がある。一番輝いているものをしずめた。自分の気持ち 殺しちゃだめだよ。お便りなど みな自分勝手な意見を言ってるだけだ。人の評価なんか聞いてたらプロになれない。ものごと、ひとつひとつ、けじめをつけていかないと、支配者に首をかかれる。ありのままに相手の世界をわかること。わからないと倒される。最後まで見極める。_____________いまメモを見返すと、限界の正体、講座開催者の闘いのすさまじさ 垣間見えます。すごい講座でした。そして感謝よりありません。時々見返しても、有効なことばに助けられるので、今後も講座の言葉記録を書いていくつもりです。参加していない方には分かり辛いことあるかもしれないので、他の話題も入れながら書いていこうと思います。今日はこのページをご訪問くださり まことにありがとうございました。
Jan 29, 2017
こうの史代さんの「この世界の片隅に」映画見てきました。恐ろしいほど素晴らしい作品でした。魂たちがぞろぞろ浮かんできて、見た後に、ぐーっと胸が締め付けられ 苦しいほどでした。クラウドファンディングで制作した作品という経緯も 表に出てこない人々の気持ちを感じて胸にこたえます。…私は、中学生の時に、横浜で原爆展があって 少ないお小遣いを工面して一人でおそるおそる見に行きました。胸に深く刻まれました。見たことを誰にも言えなかった。言葉にならなかったし、また言ってもどうにもならなかったから、黙ってた。ただただ心の中にしまっておいた。それから大きくなって、フラメンコを習ったとき、踊りの先生は顔にケロイドのある広島生まれの美しい気品ある先生でした。なぜか心惹かれる「あすなひろし」という漫画家さんも広島生まれだった。後年お会いした、とても清らかと感じる武田先生という方(石原莞爾のお弟子さん)も広島生まれだった。広島の方は、心がきれいで優しくて透明で、自分にとって大切な方々が多かった。広島ってとても素敵なところだったんだと感じていました。いきなり戦争という暴力によって命奪われた 心優しく美しい人々。その魂を想う。 無数の美しい魂たちこそ ともに生きるひと。今年は 美しい魂とともに 生き、飛翔する年にします。地味な作品ながら興行成績がよいとのこと、世界へもアピールしていく展開がとてもうれしいです。こうのさんの素晴らしい作家活動にも拍手です。良い世界の実現を私も心から願い、仕事していきます。
Jan 24, 2017
幸田露伴の言葉なのだそうですが。以下。人生とは…なんて思い通りに行かないものなのか、そうこうしているうちに無駄に時間が過ぎてしまうもの、という事が、みごとな日本語で書かれてた。「一生を何のやうに送らむとは誰しも思はざるにあらねど、思ふて定むることは難く、定めて行ふことは尚難く、二十歳前後より四十頃までは富貴利達の妄想さまざまに思ひを疲らして途轍も無く好い未来を夢み、それより少は慾念の薄らぎ行くまゝ小いながら安心決定(あんじんけつぢやう)の巣を定め、兎も角もして年を経れど思ふた通りにもならず定めたまゝにも行へず、いたづらに我が空財布を捜つて他の貨財の勘定するにとゞまるのが人の一生なり」酷いよね。こんな人生。だけど、これが現実。本当にこんな感じ。今日は、とある高校のまんがの授業講師に行ってました。1月最初の授業だったので、一年の始まりに「夢って持ってる?」と聞いてみた。し~ん。こたえにくいかな、じゃあ、持ってない人っている?し~ん。持ってないという人は誰もいなかった。さすが若い高校生。みんな、夢は持ってるんだ。よかった。だけど 何処かおどおどしてると感じられるくらい おとなしい。私立高校なので、お金がかかることを心配している生徒もいる。10代からすでにお金の心配して 縮こまって 社会に合わせようと生きてる。大きな夢は持てなくて、目先の希望は持つけれど、長期的な希望は持てない社会であると感じてるらしい。それでも、高校生の描く絵は瑞々しい感性で、繊細で、みんなすごく素敵なんです。もったいないなあ、このまま、この瑞々しさは社会に出て失われていくのかしら、と思ってしまう。何とかならないのか、この世の中。行きつくこたえはいつも同じ。世の中変えるより、まず、一人一人の内面変える方が早い。人のこと変えるより自分を変える方が早い。だから私は変わらなくちゃ。それで、夜は、今まで会ったことのない人たちの会合に出てみました。世界中をまたにかけて仕事してる人たちでした。一見華やかだけど、もしお金だけで動いているなら、またこれも空しいかもしれない。だけどまだ、今日の所は(この華やかさが本物かどうか)わからない。それでも、世界はいいなと肌で感じた今日でした。上っ面の活動ではなく、本当に心の深いところで世界の人と出会って行きたい、という自分の気持ちに出会いました。
Jan 18, 2017
今日は、なんかすごい日でした。皆様、ご無事ですごされましたか?朝から電車は遅延・混乱。(具合の悪いお客様が出たらしい)デイサービスではいつも通りで過ごしておられた方が、昼食時に座ったまま意識不明状態になり、救急車要請。救急隊員て初めて間近にお目にかかりましたが、年配の方が多くてちょっとびっくり。デイサービスの看護士さんも70代のバリバリお婆さんで、(癌を抱えながら現役で頑張ってます)、医療現場でも老々看護になっているんですね。凄まじい現代。そして 人体は、いついきなりどうなるかわからない。デイサービスのお絵かき教室は、可愛い小鳥さんをいっぱい書いてもらってスムーズに運んだのですが、帰りしな、ちょっと人から話しかけられた心の隙間でiPadを施設に置き忘れ、駅一つ過ぎてから取りに再び戻り、1時間近くのロス。事務局は渡したはずのマイナンバーがないというし、駅に戻るとまた電車がトラブルで遅延。 次から次へと ものすごい日でした。空は澄み、埼玉県からも富士山が見えましたが頭に雲を被って 。余計なことをやっているから、と空間から警告されている気がします。 尊い時間をこんなことに使ってていいのか、と身に沁みました。 人間が自分の人生を生きられない、この社会。 お金に使われ、仕事リタイアーする頃には、何もできない腑抜けとなり、いたずらに時間を過ごし、ただむしり取られるものとなっていく。いよいよ崩壊するのに、わからず、動けず、ただ固まり、呆けてゆく。こんな終末の人間社会であってはいけない。よくわかり、環境を変えていくことをする。先ずは自分が自分の人生(この世でやりたいことやる人生)の時間を生きる。人に使われる時間を取られるのでなく。
Jan 17, 2017
いだき講座 中盤メモいだきさんの言葉は大変難解で、しかも当時の私は理解力なく(いかんせん、30年近く前の事で)かつ断片的なので、分かりづらいとは思いますが。書いておきます。とても深く、とても重要なことしか言っていないです。その日(昭和最後の年の暮れ)のテーマは「疎外」でした。そして不思議な氷河期の話がありました。食べ物がなく、このまますべて仲間が死んでしまいそうになった時、年寄りの肉を喰って生き延びたことがあったが、その時、恨んだのは、食べた方か、食べられた方か、の問いがありました。食べられた方、と答える人が多かったですが、先生は「食べたほう」と言いました。そのようにして生き延びなければならないことを恨んだのだそうです。生きてることそのものが恨めしい、という感じは妙に納得できる私でした。この日は、古代人の話が続きました。(以下、メモ書き)___________5千~1万年前、生き方を見つけているうちに、神と自分を一体化 牛や鹿に置きかえ絵や彫刻をつくったあるとき神をつくった 表現の媒体がなかった(偶像で作った)----(感覚が先に開いた。表現手段ない)それから共同体になって、媒体として金が通用するようになりカネが人間を縛った。頭の中で「これはいい」と思ったらその時、感覚は潰れている。(偶像崇拝していることになる)神をつくったまでは良いが、その人間がつくったものに頭を下げるようになったので、傲慢になった。神を表現すること。ひかりが最大の神。ことばが光になっていること。どんどんノートを書いて(20~30冊)、最後の一行が書けるまで待つ。かけたらダーッと書く。頭でっかちの人間。感覚を取り戻す。出来ないことをやっていると、ある日できるようになる。できることによって(できることしかやらなくなり)疎外になる。内臓の響に合うと、言葉が響く。ことばが光になる。光と光の交流が 愛。感覚と、意志が、一つになってるのが 動機。高句麗は民族解放の闘いだった。光に満ちていた。半端なことをやっていると病気になる時代になった。嫌なことが人間を育てる。スムーズにゆくことが、自分を疎外する。恐怖を持つことによっても自分を疎外する。今は、人が造った氷河期である。ここを抜けきれば、、弱い体ではぶっ倒れる。人が生きられる良い場所をつくる。__________以上本日はここまで。難解でしたが、子育て中だった私は、この講座を聞いて、アタマ混乱しながらも、小さい感覚に固まらずに 自分の感覚をどんどん解放していけたことを、身体的な感覚で記憶してます。この講座受けてなかったら、日常の子供や旦那の話で、チマチマしたおばさんになってたと思う。と同時に、人間の本質って何だろうという、探究の旅が始まった。
Jan 15, 2017
30年前に「いだき講座」というのを受講し、いだきさんという方に出会いました。部屋を整理していると、その受講メモが出てきて、いだきさんの言葉の凄さに驚きます。次元の違うところから発する言葉のようです。その奥の深さは自分にはまだ理解しきれないとも感じています。というか、言葉が生き物のように、深いです。そのメモノートが沢山たまっていて、いつか整理しなくちゃと思っていたのですが、ブログで書いていくことにしました。今日は先ず、いだき講座に出会うまでを書きます。ちょうど、子供が生まれて1年くらいの時でした。子育てで「子供の気持ちがわからない」ことに悩んでいたころでした。赤ん坊が泣いても、だっこしてもミルク上げてもあやしても何しても泣き止まなかったりして、子供のことが理解できないダメ母と自分を責め、途方に暮れていたころです。ドアポストに「いだき講座 説明会」のチラシが入っていました。幼児期、胎児期のマイナス因子を解決する、と書いてあり、自分の問題は自分が親から受け継いだものであることは感じていたので、このチラシに書いてあることの凄さにピンときました。でもいろんな海千山千があるので、ほんとかな、ほんとに解決できるなら凄いけどね、と半信半疑もありました。それまでに、中学、高校はキリスト教の学校だったし、親戚には曹洞宗の坊さんがいるし、20歳過ぎてからは神道系の瞑想ヨガをやったり、武道をやったり、毎朝水を被って禊をしたりしていたので、人間のマイナス因子を解決できるなんて普通はありえない、宗教でも無理、と感じていたところだったのです。でも、まあ、解決すると言い切っているのだからと、説明会聞きに行ってみようかなと思いました。チラシには、高麗恵子さんという人の顔写真が載っていて、それは「あ、この顔は、嘘つかない顔だ」と感じたので、行きました。なぜか最初は、説明会の終わる時間に会場に辿り着き、説明会はもう終わっていました。こういう感じ(わざわざズレる)が、自分には運命のようにあることが、あとでわかるのですが。とにかくその時は、会場受付の方が、電話番号を教えてくれれば次回お知らせしますというので、一瞬うその電話番号教えちゃおかなと思いつつ(内心怖かったのです。いだき講座が、あまりにも人間の核心をついていることなので、そこに飛び込む勇気が必要でした)、ほんとの番号を言っていました。そして、次回の説明会のお知らせ電話がきて、もう、その時はすんなり予約していきました。高麗さんに直にあって、やっぱりこの人は本当の事しか言ってないことがわかり、すぐに講座の申し込みを書きました。その時点で、子供を預けるにはどうしたらいいかもわからなかったですが、決めればなんとかなるさと思いました。当時はベビーシッターなんてまだ珍しい時期でした。どうやってそれを探したのかよく覚えてませんが、たぶん電話帳か何かでしょうか、とにかく見つけて、第一回の講座に行きました。モスグリーンのスーツを着て、ドアからすーっと入って来られたいだきさんを、最初に拝見した時は、とても不思議な感じでした。佇まいが、なにかこう、空気が居る感じ、何にもない感じで、普通の人じゃない感じ、ちょっと怖い気もしたけれど、身体はほぐれてるのでした。最初の頃は 講座のメモをほとんど取らずに聞いていたので、その時何をお話されたか、記録がありません。ただただ「面白い!」と目が点になっていたことだけは覚えています。世の中すべておかしいというようなお話が衝撃で、痛快で、解放となり、一時的に頭が混乱しながらもすべて吹っ飛んでしまい、やっと会いたい人に会えたような喜びを感じ 身体も軽くなって帰りました。この時初めて「人間扱いされた」と感じたことも覚えてます。______________以下、その時のメモ(当時は自分も理解が浅く、よくわからないままメモしているので、まるで暗号のようですが。貴重なので書いておきます)○「あ」=直接 交流している状態 直接交流している「おん」 =生きているという(状態)○要求を切断されてきた○気持ちは 体の要求 =自分自身の気持ちをわかると「表現」できる○やってはいけないことをやったりやられたりしてきた歴史 →うらみ○同じことの繰り返しの状態が身についてしまう →くるしみ○タイミングを合わせることのできる状態 =いのり○任せて待っていることもできる、その任せる中に やすらぎ がある○しっかりわかると →あきらか (か、は(ちから)という意味) あきらめ (芽が出てくる) _____________2回目の時に、受講生一人一人の状態をすべて受け入れてそれをピアノの音で表現してくださり、その時に、言葉を言ってごらんと言われて、いだきさんが言った言葉をおうむ返ししました。最初の言葉は「うらみ」で、あといくつかあったのですが覚えてません。その時に高麗さんも、目をつむって私の身体を感じて下さり、心臓に何かがあるとか、お腹や肝臓に何かがあるとか、次々言ってくださいました。(メモが残ってなくて残念!)言っていただいた内臓を感じ入ると、訳も分からず涙が出るのですが、それが何だか言葉になりませんでした。ずーっとずーっと、子どもの頃から奥にしまい込み、ため込んできたモノだったようです。そういうの、見える人、いるんだなあと感無量でした。見えるだけでなく、音で溶かしてしまう人がいるというのは、本当に驚きでした。講座を終えて、預けた子供を受け取ってだっこしたとき、とても穏やかでうれしい気持ちが通ったのを覚えています。このあたりのことは、まんが雑誌「May」(少年画報社)でリアルタイムにずっと読み切りシリーズを書いていました。後でまとめて本になっていますが(学陽書房などで文庫本になったけど、今は廃版のようです)、電子書籍でしたら今でも「まんが王国」という電子まんがサイトで見れます。時々、今の現役お母さんからお便り来ますが、同じ悩みを抱えているとのことで、30年前でも子育て事情は全然変わってないの?!とびっくりします。当時は、いろんなこといっぱいあったから、人の役に立ちそうなことあったらまた書きますね。今日はこれにて。おやすみなさい。子育て中の方、頑張ってください(^^)
Jan 10, 2017
今日は 自分はどういう存在だったのかしら。グループ展を生まれて初めてやりました。4日間で、きょう最終でした。まんがの原画(非売品)を展示し、お客さんには似顔絵を描きましたが、安い価格設定にしたので、自分で自分を苦しめてしまいました。価格設定上げることを考えます。なにかこう、人からお金をいただくのが気後れしていたんです。人に対して、おどおどした存在だったかも。あるいは、安く使われる存在だったかも。ちゃんと人の役に立つ自信があるなら、むしろ堂々と値段をつけて、お客様に上等の価値を提供していくことがいい、と考えた本日でした。それにしても。似顔絵(私のは肖像画に近い)を描く時、いつも感じる。人間の顔は美しい ということ。神さまがつくった顔だよね。人間世界にまみれて、光を曇らせてしまっていることが多い現代人ですが。自分はひかりを見出して表現する存在でありたいです。もっと実力つけ磨きたいです。最後に。一緒にグループ展を開催させてくれた友人に感謝です。立ち寄ってくれた方々にも感謝です。人とかかわること、一緒に何かして楽しいこと、人から見てもらったり、人の役に立ったりすることは、人間にとって幸せを感じる条件かも。人は互いに幸せをつくっていく存在。
Dec 19, 2016
寒くなってきましたね。皆様、保温にはくれぐれも気をつけて、風邪など召しませんよう、うがいなども忘れずに ご自愛くださいませ。今日はちょっとつらい話ですみません。高齢者施設での皮膚感染について、書きます。私が今バイトしているところで、なんと「疥癬」というのがジワジワと介護職員に広がりつつあります。ダニですって。初めて聞く名前です。怖いですね。皮膚の中に寄生するんだそうです。(外側から見て、中でダニが動いてるのが見えるんですって。ひ~。ホラーみたい)調べると、普通の疥癬は感染力は弱くて、手洗いなど気をつければ大丈夫などと書いてあるのもありますが、かなりの人数が感染してしまっています。一人の利用者さんから始まったようなのですが。。。。介護職員は、利用者さんの移乗や、もちろんお風呂やトイレ介助などの時は肌が触れたりしますので、それだけで感染しているようです。私は、身体介護しないという条件でこの施設のバイトしてるので、一応安全圏に居るはずなのですが、それでも昨日は洗濯物やシーツ交換のおじさんが感染していることが判明したことを伝え聞き、直接触ってない人にも感染したという事例が出たのですから、私も危ないです。というわけで施設に勤務の方、いらしたら、お気をつけください。疥癬、油断なりません。昨日あらたに痒い痒いと言っていた若い美人の職員さんがいて、ナースさんから近くの皮膚科に早く行けと言われていました。「いくらくらいかかるのかしら」と心配していたので、医療費は自前のようです。私は正社員でないので、職員の福利厚生がどうなっているのかわからないのですが、少なくとも、疥癬の話は夏ごろから出ていたにもかかわらず職員に薬が配られたことはなく、施設の方から予防についての話もなく、各自の自主対応にゆだねられているみたいです。そんな施設なのに、みんな休まず、本当によく仕事をしておられます。職員さんは本当にいい人が多いんですが。。。施設側の配慮が欲しいです。職員さんが報われることを切に望みます。この施設は入所に数千万も払って入るお金持ちの利用者さんが入る施設で、大半は認知症の方々ですが、シャネルなどのブランドの服を普段着に着ておられます。その介護をする職員さんたちに対する施設側の配慮が、本当にケチそのもので、そのものすごい心の貧しさにギャップを感じています。職員の更衣室はメチャ狭いカビの生えた地下の部屋で、着替えはいつもぶつかり合いながら大変ですし、ロッカーの数も全然足りないまま、改善の意思なし。うわあ、書いてて嫌になっちゃった。自分たちが高齢になった時は、、誰も何とかしてくれない、自分たちで良いシステムをつくらないと、ひどい扱いにただ耐えながらお金だけとられる対象となってしまうでしょう。備えて行くことを考えます。そんな時、私には希望の灯みたいなの こころの指針があるのでご紹介します。今のショートステイやデイケアの制度を考案し具体化された方を存じ上げていますが、その方は、老人施設に入って来た人を、それまでどのような人生を歩んできた人でもその施設に来たからには人生で最高の幸せを味わっていただくことをモットーにしておられました。亡くなると、施設でお葬儀もして、みんなでお見送りしたそうです。みんなで内職をしてお金を貯めて旅行に行ったこともあるそうです。どうしても酒を飲みたい人のために施設内のバーをつくったり、社交ダンスを始めたり、何より当時生活保護並みの職員の給料を都の職員並みに引き上げたり、たくさんの素敵なこと、奇跡的なことがいっぱい起こりました。そんな施設が可能であったことが希望です。その方はずいぶん前に施設は辞めていて、現在は世界的な即興演奏家として活躍されています。その方のコンサートのメッセージが素晴らしいので、ちょっとここにコピーさせていただきます。(どんな状況でもこれを読むと元気が出るので)第一部と第二部があるのですが、二部だけ書いておきます。___________いだきしん コンサートメッセージ 2016年7月7日。電力ホール。(CDのジャケットから転載)第二部「愛する生命」物質を中心にした文明の終焉、末期。物質文明を再処理、再利用、調和、共鳴する生命。愛すること。これからの人は愛することなくしては何一つ叶えられなくなるでしょう。愛は宇宙から注がれるエネルギーです。これから人類共通に活き活きと生きるすべは愛のエネルギーの場を次々と創ることです。宇宙から注がれる我々にはたらきかけるエネルギーの要請でもあります。新たな自由な場、フィールド、魂の不死は愛する生命によって実現されます。新たなる人類史の折り返し地点に立っています。よき人生をと祈ります。__________
Dec 7, 2016
今は、平均寿命がどんどん延びているのは知ってはいましたが、先日、いだきさんという方から下記の本★を教えていただき、めっちゃリアルに自分の100歳も現実として考える時が来ていることを知りました。私たちが100歳近くになるころは、平均寿命がもしかすると100歳になることもありえますね。という事は100歳になっても死なない人がゾロゾロ出てくるわけで、自分も100歳になっても全然死なないかも(笑)。本当に今は、人生そのものが、今までの人類史にない事になってきている。私たちはその先端に居て、開拓するしかないんです。★リンダ・グラットンさんの「ライフシフト」という本。良かったら読んでみてください。「ライフシフト」
Nov 23, 2016
漫画だけでは食べて行けずに、いろんなことをやっています。今日は高齢者施設のヘルパーに行ってきました。その施設には101歳?かもとお聞きしている方がいて、今日はその方のお部屋に洗濯物を届けに行くと、壁に長寿の表彰状が「101」「102」「103」と並んでいました。8月に103歳になられたそうです。素晴らしですねえというと、静かに頷かれました。103歳の頭の中はクリアなようです。また今日は、しょっちゅう脱走しそうになる男性がいて、なんとか落ち着いてホールに居てもらうために、その方と同級生だったという入居者さん(女性)に車いすを近づけてお話ししましょうよと、試みてみました。普段はお地蔵さんのように反応しないお婆さんでしたが、「もと同級生だったんですって?」とお聞きすると、にっこりと大変いいお顔で微笑まれました。会話は支離滅裂でほとんど成り立ちませんでしたが、とぎれとぎれの言葉の中から未知を探検するようなスリルがありました。暇そうにボ~っとしている人に、塗り絵を持っていったらどうかしらと先輩の職員に相談すると「どうせやらないわよ」との返事が返ってきましたが、めげずに塗り絵を探して(塗り絵自体が倉庫の中にお蔵入りしてました)、喜一の綺麗な絵を見せたら、「あら、きれいねえ」とうれしそうに反応されました。色鉛筆を渡しても、塗ることはなかったですが、きれいな絵をずっと見ていました。昨日は10代の高校生の中にキラキラの宝物一杯あると感じましたが、今日も高齢者の中にぎっしりとなんかあるのを感じます。そのまま見捨てられるようにあるのはとてももったいないことだと感じました。見出す側が見いだせないだけです。限りなく見いだせる人になりたい。
Nov 23, 2016
こんばんは。先ほど、とっても美味しいコーヒー豆をがりがりと挽いて、ゆっくりと淹れ、ゆったりと飲み味わいました。幸せですねえ。そういうひと時が持てるような美味しい飲物って凄いなと想い、感謝です。そして一日振り返ります。今日は 不登校の子が通う高校に行ってきました。まんがの選択授業を年間10回ほどしかないのですが、受け持ってます。その学校には私の他にもアニメの先生がいて、そちらは通常授業としていろいろ描き方の指導してるということなので、私はあえて描き方は教えず(聞かれれば答えるのだけど)、ただ自分の好きなものを描いて下さいという時間になってます。なので、息抜きの時間としてきている人もいますが、上手い下手を問わず10代の人の絵はとっても瑞々しくて、すばらしくキラキラです。未完成&未熟であったりしますが、10代の人にしか書けない世界がある。それってすごい宝物なのに、本人達はその素晴らしさがどうもわかってないようなのです。みな誰かに何か言われたら引っ込んでしまう程の自信のなさです。でも、自分を振り返っても、そうだったかもしれない。10代の頃は自分が全然わからなかったし、自信なんて全然ない、どころか、自己卑下ですらあった。学校に通ってると、、、そうなるのかなあ。勉強して、試験して、点数とって、人と比べられて、学校の先生の評価によって左右されるみたいな世界だと、本当の自分がわからなくなるのかも。もったいないなあ、と感じます。10代って、ものすごくパワフル、可能性絶大の時。学校(教育制度)がそのパワーを抑えちゃってるのって、もったいない。パワーが全開するような、新しいなにかないかしらと、考えちゃいます。明日は高齢者施設にヘルパーで行くのですが、高齢者だって、実は可能性あるのに抑えちゃってるのが現状、と感じます。世の中は、習慣や常識や制度などで固めることばかりで抑圧してます。あんがい、本当においしいものを味わって飲んだり、食べたりすることが、ふっと自由な隙間を生むのかも。だから、最初に書いたような、美味しいコーヒーを飲む時間が大切。「料理」「食事」を大切にして、可能性を日々広げていこうと、今思いました。自分の生活も、まず習慣化やパターン化を避けなくちゃ。毎日同じパターンの料理じゃなくて、どんどんバリエーションも拡大した方がきっといいね。いつも可能性に挑戦したいです。
Nov 23, 2016
すっかりブログから遠ざかっていましたが、最近またやってみようかなと思い立ち、そういえば昔楽天でやってたことあったっけ~と、恐る恐る開けてみました。すると、まだブログありました!!凄い。ちゃんと保存されてた。しかもアクセスして下さった方累計5万以上なんですね。ほっといてすみませんでした!!(Facebookとか流行っていたのですが)楽天さんありがとうございます!!!というわけでまずはちゃんと作動するかどうか試しに書き込んでみます。大丈夫かな?一番最後の記事を見たら2011年の2月になってました。東北震災の前だったんですね。あれからいろいろありました。ありすぎて、一遍には書けない(笑)。とにかく東北復興と一緒に、私も復活いたします。いろいろ整備、改善もしていきますが、今日はまず、テスト入力、でした。これからよろしくおねがいいたします。寒くなって、電車でも咳をしている方多いですが、皆様あたたかくしてお体を大切にお過ごしください。
Nov 18, 2016
いよいよ生活が逼迫してきました。ダイアの婚約指 売りました。数十年前に姑さんが三越で買って下さった鑑定書付きの、当時たぶん50万円くらいしたのだと思います。最初に持って行った所は見積もりしてもらった2万円にも満たない見積もりだったので、「え~」とびっくり。そんなもんなんでしょうか。別の所へ。感じの良さそうな小さなお店に行ったら、店員さんが親切に色々電話かけて聞いてくれました。先ずは不在の店長にいくら位か聞いてくれて、その後、普通の買取業者に聞いてくれて、買取業者の方が安い事がわかりました。石は、買取業者さんだと、小さいダイヤは数千円なのだそうです。専門業者同士だともうちょっと良い値がつく。さらに質屋さんはどうかしらと、近くの質屋の電話番号から調べてくれて電話もかけてくれて値段も聞いてくれました。向こうが言ってきた値段に、もうちょっと何とかならないですかと交渉までして下さって。「向こうの言いなりになっちゃダメですよ。目一杯高く売らなくちゃ」とアドバイス。すごい親切な店員さんに感激。お礼を言うと「どうせ暇だから」と言って笑ってました。なんか、すごいな。最終的に質屋で、3万ちょっとで売りました。ものを売るという事、自分にはすごく慣れない事だったけど、ひとつひとつこうやってきちんと、なるべく高く売れるように、身体も動かし、頭も動かし、ネットワークも使い、人と交流して一番いい線を出して行く事、大切なんだなあと勉強しました。なんだか社会人一年生のような気分です。
Feb 17, 2011
路上の人を「社会に不適応の人」と言う人がいてカチンときました。おじさん達が不適応なのではなく、社会が人間に不適応なのだと感じます。 人間が生きるにふさわしい社会を、人間がつくれてないのです。 路上にほっぽり出されて身体壊れて亡くなっていくのも知らんぷりする社会は「社会」として機能していません。 二週間程前、鈴木宗男さんの小さな講演を聴く機会がありました。マスコミがつくったイメージとは違う人でした。 それで先入観一切なくなって,本を読んでみました。びっくりしました。官僚の感覚。 書いてある事が本当なら(たぶん本当)上にいる人間は何やってんだろうと、人間ではないと、感じます。 人間のための社会をつくれる人間 を育てる事が必要 という結論に至りました。 そういう人間を育てられる土壌としての、人間同士のある何かがまず必要。
May 3, 2010
夜になると何処からともなく沢山集まってくる 新宿の駅や路上 一言、二言、しゃべると、ぱっと明るくなる おじさん達の顔が うれしい。 笑い合うとき、互いの間に何の偏見もなく、差別もなく、ただお互いのこころの心地よさを味わっている にんげん。おじさんたちが黙って支えて来た 今までの日本。
May 2, 2010
新宿の炊き出しと夜回りに参加させていただきました。 新宿中央公園に立つと、ほとんど満月に近い月が 高層ビルの林立する夜空に現れ、ドラマチックに輝いていました。 公園には350人くらいの方がきちんと並んで炊き出しの晩を待っておられました。ボランティアの人も随分沢山いました。 ご飯を一つ一つの入れ物にいれて準備ができると、8人づつの列を作って、ぱっ、ぱっと、手渡す方も受け取る方も手際よく、驚きました。ボランティア側の方には、当事者(ホームレス)の方々もおられますし、学生さんも多かったです。東大の法学部から結構いっぱいいらしてました。高校生もいらっしゃいました。受け取り側の方にも若い方おられます。どっちがボランティアかわからない渾然とした感じで、お互いの助け合いであること、実感しました。 配り終えたあと、夜回りをし、路上の方に声をかけさせていただきましたが、どの方も優しく感じられ、冗談も返して下さり、大変楽しいひと時でした。 4年くらいやっておられるという方が、自分はおじさん達に癒される、と表現しておられましたが、おじさん達がそういう存在であることを、私も感じました。こちらこそ声をかけさせていただき、応えて下さってありがとうございますと、感謝の気持ち生まれました。 静かな夜。こんな新宿は初めてです。 高層ビルの満月の夜空が澄み切って美しかったです。
Apr 25, 2010
今日は衆議院議員会館に行って来ました。 住宅問題の勉強会で、湯浅誠さんのお話しがあり、内容は重い内容ではありますが 現場から叩き上げた理論は大変明快で ある意味ここちよい位でした。私は一年程前に湯浅さんお講演会を聴いたことがありますが、その時よりコトバが更にあか抜けて明快になっておられるように感じました。 行政の制度がそれぞれ縦割りシステムで、部署ごとに分かれており、「連携します」という言い方は実は自分の部署の持ち分を決して手放さないということの表明であったりするとうかがい、笑ってしまいました。今の社会は昨日まで普通に働いていた人でも、都会ではあっという間にホームレスになる時代だということ、あらためて認識し、現実の問題を動かそうとすると、どうしても住宅の問題がネックになること、住宅を失うことがイコール市民権を失うという深刻な現実浮かび上がりました。住宅を押さえることで、人は簡単にコントロールされる。今まで隠れていた住宅問題の裏が明るみに出てきました。 そのあと、塩崎賢明教授から、住宅問題の歴史が指摘されました。戦後の420万戸の住宅不足から住宅問題が出発しましたが、景気浮揚策の手段として位置づけられ、国民の生活基盤という観点は抜きであったとのご指摘でした。 何を隠そうこの私は(笑)名古屋の市民住宅の一室で出生しているので(産婆さんが部屋まで来てくれた)、公共の住宅政策はみずからの出生に関わることとして、なぜかとても興味深く聞き入ってしまうのでした。 会場には中高年が多くいらしていて、自分や仲間の賃貸状況がいつどうなるか分からないという不安が伝わってきました。 本当の意味で戦後最大の日本人お生き方が問われる時が来たと感じます。個人主義や自己中心では、もうこの都会生活を支えることは出来ません。崩壊し、あたらしい何かが生まれなければなりません。 余談ですが、ビックイシューの最近号に、手塚治虫さんのお嬢さんと赤塚不二夫さんのお嬢さんの対談がでていて、住宅問題に関する記事もいっぱい出ていて、充実していました。この号は表紙にアトムとバカボンが出てます。 街で見かけたら買って下さい(笑)。
Apr 16, 2010
今日は仕事の用事が次々あり、予定していたホームレス支援活動に行けませんでした。そして予定外の方とお会いしていましたが、その方とお話ししているうちに貧困問題はよほど自分がしっかりしていなくてはいけない事自覚できました。 その方は「貧乏の種」が内面にあると助けても助けてもダメなんだとご自分の経験を話されていました。 内面の中にある種。。。 内面に妙な種をばらまかれたような状態が、人間にはあります。戦後は特にモノ金中心、競争社会の種が蒔かれたと感じています。 貧困問題、人間のロボット化、平和問題(戦争)、人と人のバラバラ化(分断)、が直結している事、あらためて目を見張ります。 しかし内面の問題を解決出来る(!!!)奇跡の即興演奏家いだきしん先生に 自分はお目にかかれているので、希望を持って生きる事が出来ます。 エチオピアでは11万人の方がいだきしんコンサートを聴く機会があったこと思い出しました。ハッピー、ハッピーと言って一緒に輝いたいだきしんコンサートは素晴らしかったです。未来の可能性いっぱい感じられ、希望がいっぱい満ち満ちていました。日本でも10万人以上の方が「主旨」を理解していだきさんの即興演奏に耳を傾けられる場が実現すればいいのにと考えてしまいますが、、、日本では10万人以上が集まる所で神聖な「主旨」で、みんなが真剣にちゃんと聞くというような風土は、お見かけしないです、、、。真摯なことは隠して生きているようにも見えます。 にもかかわらず、天皇陛下がご挨拶される場では老いも若きも大変礼儀正しく、きちんとしていると聞いた事があります。理屈ではなく、無意識に、自然にそうなっているとのことです。でも普段の生活で天皇の存在は忘れているし、それ以上考える事もしません。タブーです。 言葉以前に通じ合っていた日本文化がほとんど失われた今となっては、あたらしい表現、感覚的な豊かな内面の表現がどんどん生み出されないといけないかも、と 危機感をもって感じます。 とにもかくにも力をつけたいです。
Mar 23, 2010
確定申告、終わりました。昨年より作業が能率アップした感じで作成が進み、市役所は最終日であったにもかかわらず、それほど混雑もしていなくて無事終了。しかし、受付のお兄さんが人の話し全然聞いてないでただ威張ってて感じ悪く、せっかく申告を提出終了して万歳のめでたい日なのに 「なんなんだよ~」と、一瞬ムラッとしました。しかし人は自分の鏡と考え、自分も今までこういう事してたのでは?、と静かに省みてみました。すると、う~ン、確かに人の話し全然聞いてないことよくあるし、とすぐに思い当たり、苦笑いしました。あ~、自分勝手って、こういう感じなのか~、と恥ずかしくなり、分かって行く事に感謝しました。その後自転車置き場に行き、今日は混んでいたのでちょっとむりやり突っ込んで駐輪したのですが、戻って来たらしっかり外に外されてて、またまた恥ずかしくなりました。正直言って、今日は混んでるし、ちょっとくらいギューギュー詰めでも今日は勘弁してね、と思っていたのでした。自分ではちょっとのつもりが、そういう甘さってものすごく自分勝手な事だったと教えられました。本当に恥ずかしいです。「自分勝手」は、自分の事しか考えを巡らす事ができないので、自分が勝手ということを認識するのは、ぼけっとしていてはムリなのでした。。。でも常に自分の外に出て、積極的に人の中に入って生きて行く事で、気付き、切磋琢磨、成長して行けると考えます。人の和の中で生きる事。きれいな空間を大切にする事。自然の法則に叶うことを学び自然とともに動ける人間になりたいです。今日は、今までの自分を認識させてもらえて、ありがたかったです。
Mar 15, 2010
苦しい話しで恐縮です。 生活保護相談の相談室に行ってきました。 今日は住宅困難、就労困難に加えて鬱病と言うか、精神的な病も同時にかかえておられるケース、伺いました。 福祉事務所の対応も、相談に来た人にとりあえず医者にいきなさいと、それから考えましょうという対応も多いと聞きました。 考えさせられてしまいます。 自分の子供の友人も若いけれど最近は病院に行ってるという事を知りました。睡眠薬とかいっぱいもらっているんだそうです。 正直言って、この問題(現代の精神の問題)は医者に行っても治らないと自分などは感じているのですが、下手に対処療法して薬ばっかり沢山出して、まだ20歳すぎたばかりの若い人達大丈夫なんでしょうか。 どうすりゃいいんだ、とちょっとドギマギしてしまいます。 住居がない人達の精神的な崩壊も感じはじめています。 人間にとって、衣食住の大切な事、あらためて感じます。 人と人のつながりが、一層大切である事が明らかです。 困難を乗り越える力は、 なんと、個人の能力ではなく、 繋がる見えない力。。。のようです。 個人の能力なんて、案外もろいのかもしれません。 能力万能主義の現代ですが、 あやうい幻想を価値観の基準にしている根拠のない現代社会なのかもしれません。
Mar 9, 2010
以前、「嫌われている」という観念に縛られ ひどく落ち込むことがありました。 今日、「嫌われる奴程仕事ができる」(谷川須佐雄/著)という本を見つけてしまいました(笑)。 読んだら面白かったです。 嫌われる事を恐れる事から解放され、積極的に生きる人生教えられます。 嫌われてこそ、自分の表現を磨く事が出来る最大のチャンス、と言われると、なんだか目の前が開けます。 どんどん向かっていると、嫌われないように気を配っている事はちっぽけに見えてくる。 20世紀なら協調路線でも良かったけど、21世紀はそういう時代ではなくなり、気配りだけでは生きて行けなくなった時代、とも書いてありました。 嫌われる事を恐れている方いらしたら、こんな本、一度読んでみるといいかも。 たのしいです。
Mar 2, 2010
火曜日は「もやい」と決めて、出来れば朝から…と思ってはいたものの、 前の夜寝るのが遅かったりするとつい、遅くなってしまいます。 それでも遅ればせながら、午後から「もやい」に行ってきました。 飯田橋の駅の階段で、自分はなぜそこへ行くのか考えましたが、理屈はないのでした。他人事ではないし、ただ何かしたい気持ちがあって、自分の気持ちを活かしたいというだけなのでした。 今日は寒かったですけど相談者は次から次へ後を絶たず、自分はまだ見習いで、先輩の横についてお話を側で聞かせていただくだけですが、どの新聞にも雑誌にも書いてない社会の現状をお伺いしていると、いろんな角度から社会が見えてきたり、人間の複雑さを感じたり、この世の人間の正体ってなんだろうと考えさせられたり、頭が働き始めるエネルギーが湧いてくるのです。エキサイティングです。 今日は代表の湯浅さんがお見えになり、すっと相談に入られ、自分はたまたまそこに居たので一緒にその場に居させていただきました。人間として普通の事を普通にされている方の静かな言動は 真に人間らしいと感じます。 そして相談にお見えになられた方は、じつに沢山の事を身を以て教えて下さり、ある意味菩薩のようです。 この社会はほとんどの人がみずからの尊厳を表して生きていける社会ではないこと、内面的な事ではなく具体的な誰でも分かる事実として、伝えてくれています。 尊厳を取り戻さなければ人類は大自然から消されてしまうと切羽詰まった感じもしてきます。 でも、それをそのまま言葉にしても、観念ではダメなのです。 頭ではダメなのです。 どうしてゆくか、考えさせられている3/2でした。
Mar 2, 2010
石原莞爾さんの漫画、改訂したものがやっとできて、 今朝届きました。 やっと、やっと、できました。 石原莞爾のお墓に行ったのがもう3年以上前です。 冬が来る前にと、秋深い山形に車で運転して行きました。途中道に迷ったりして、夕方、くらくなって、雨の降る中を、石原さんのお墓に行ったのですが、そこに、お弟子さんの武田先生(当時93歳くらいでした)が、バケツを持って立っておられたのです。雨なのに!お目にかかれたのは大変好運でした。 一目で、魂の美しい方、と感じました。 声の出し方から、立ち居振る舞いの雰囲気が大変美しく、自分がガサツに感じられて恥ずかしくなったのを覚えています。 その後、武田先生に「貴方の絵で将軍(石原さん)の漫画を描いてくれたらうれしいんだけど」と言っていただき喜んで書かせていただく事にしました。 しかし、どのように出版するか何もアテがなく、それでも情熱だけで取材を始め、2年くらいかけて130ページ程描きました。太平洋戦争辺りまで話しが進むとあまりの複雑な内容なので、ちょっと手に負えないとも感じ、満州事変の後、満州国成立の頃までを描きましたが、そこで筆が止まりましたました。石原研究会の方々、何人かにコピーを見てもらいましたが、未完成の段階でお見せしたので反応がイマイチの方もおられ(でも武田先生は、清らかな将軍を描いてくれたと言ってくださいましたけど)、また、軍事に詳しい人がいろいろうるさかったりするので過去の事はもういいわよという方もいらしたり、で、そのまま裁ち切れになる感じでした。 そうこうしている間に、資料をいろいろ貸して下さり、協力して下さった方がお亡くなり、期待してくれていた人に申し訳ないともう一度奮起する気持ちになったのです。 武田先生にご紹介いただいた大変実力のある女社長の方が、石原の世界平和の思想こそ現代に必要とおっしゃるので、戦後の石原莞爾を50ページでまとめましたら、それは好評で、石原莞爾生誕120周年実行委員会というのを立ち上げて下さりそこで本が出版されました。 戦後編が出たら、「良かった」との感想が多かったので、以前描いた130ページを活かそうという事になり、書直して戦後編の前編として本にして下さる事になりました。 しかし、しかし、 石原ファンというのは大変な詳しいご研究の方々がおられ、何度も何度も書き直し、書き直し、の連続で、それでも、私の表現にオーケーが出ず、結局森生さんの石原漫画は賛成出来ない、という事が決定し、出版は頓挫することになったのです。 しかし、先ほどの女性社長様が、せっかくここまで来たからあきらめきれないと、夜中にあちこち電話をして下さって、武田先生が「間違いがあれば直せばいいじゃない」と言って下り、もう一度やり直す事になりました。すばらしい展開で感激しました。 オーケーが出なかったのは、私が端折っていた太平洋戦争の事をちゃんと描けば納得してもらえる事が分かり、また延々と書き足し、それをまたコピーしては送ってまたチェックが来て書き直し、そんな事をしながらやっと出来た一冊です。結局160ページになりました。 という訳で、完成。 石原ファンお方おられましたら、市販されてませんので、ご一報いただければ一冊1000円でお分け出来ます(笑)。戦後編も同じく1000円でお分け出来ます。 以上、宣伝してしまい、失礼いたしました。
Feb 28, 2010
今日は数学者 岡潔さんの「情緒と創造」読みました。 日本の文化が生んだ、とても素敵な数学者です。 数学は情緒の表現だとおっしゃるのです。 教育の事やこころのこと、特に生まれた時から幼児がどのように成長して行くかその脳の発達過程が大変詳しく書かれていて、面白いのです。 (子育ての時に読みたかった) 表面的な成長ではなくて、心の深い成長の段階、大自然がどのように幼児を育てているか、それをいかに人間の意図的な「教育」がダメにしているか、現代の教育の危機を30年も前にズバリと言い当てていて、圧巻です。 実は以前読んだとき、仏教用語がはいっていて難しいと感じ、途中まで読んで放棄していました。 でも今回は大変面白く感じ、一気に一冊読んでしまいました。前より理解出来るようになっていて、我ながら嬉しかったです。 昨日は即興演奏家いだきしん先生の「存在論」の講座を聴きに行っていました。ハイデガーの存在論を超える存在論です。いだきさんのコンサートや講座を聞くと、以前分からなかった事がどんどん分かるようになっているので、驚異です。人生、これでなくっちゃ!と感じます。 常に成長、どんどんたのしく、どんどん頭も良くなって、感受性も良くなって、豊かになっていけるのは幸せです。 ありがたい人生に感謝。持つべき者は善き師
Feb 28, 2010
薄暗くなった事 買物に外に出たら ちっちゃい公園で何やら「声」がしたのです。 え?なに?と耳をすましたけれど、初めはなんだか分からない。 あちこちから、なんか声がする。 どうも池のあたりらしい。 あ、かえるだ。。。 声を真似して私も鳴いてみた。 (私は動物の鳴きまねがうまいの) 池からカエルが顔を出して私を見つめました。 しばらく、声を出しながら見つめ合っていたら、 あっちからも、こっちからも、 合計4匹ほど、私の足下によってきて、 お互いぬるぬるの身体でじゃれていました。 ひえ~。 けっこう大きなカエルでした。 春は既に真っ盛りなのでした。 明日からどんどん動こう!
Feb 23, 2010
今日は先日も書いた「もやい」の方が出版記念パーティーを開いていたので行ってきました。 稲葉さんとうてつさんの講演がありました。 稲葉さんの貧困をつくっていく構造のお話は大変わかりやすく、若い方々のホームレス急増の現状、住宅の貧困、支援急務の状況が示されました。みんなの問題であること明らかで、沢山の人に情報が伝わる必要を感じます。 住宅費用を稼ぐための人生ではなく、住む所くらい月一万円くらいの低額にして、あとはやりたい事を追求出来る人間の暮らしがしたいとの提言は、聞いただけでたのしくなりました。 家賃の高さを疑問も持たず そういうもんだと思っていましたが、あらためて、変えようと考えれば変えて行ける事なのかと、認識しました。 住宅問題はいろいろ大変ですが、みんなの役に立つ事ならみんなで考えたらいいという気持ちになりました。 稲葉さんはネットでプロフィールを拝見たら原爆二世とあり、人生は深いと感じます。 うてつさんの講演も、女性としていろいろ考えさせられる問題点がありました。うてつさんは看護士の方だったようで大変素敵な方でした。 そして最後に平均年齢79歳の釜ヶ崎のおじさん達の紙芝居劇団が登場し、自作の迷子の子猫ちゃんの紙芝居をご披露下さったのですが、これが大変たのしくて驚いたのです。 ぶっ飛んでいるのです。 声が非常に自由で味わい深く、カツラを被ったり、お面を着けたり、うたったり踊ったり、一瞬この世のしがらみがすっとんでしまったような、非常に不思議なひと時でした。 もやいの常連さんたちの紹介もあり、一人一人ユニークで、なにやらあたたかく、不思議でたのしかったです。
Feb 20, 2010
ホームレス支援の「もやい」に、朝から晩までボランティアで入らせてもらいました。 今日は、アパートを借りるのに保証人がなくて借りられない人のために もやいが保証人になる制度があって、その希望者が次から次へと後を絶たず、そのお手伝いをずっとさせていただいてました。 相談者のお話しを伺っていると、社会のおおきなしくみ(整備不備の社会)の末端、その実態を絵に描いたように見せられる感じです。教育のゆがみの成れの果ても感じます。精神を養う機会を失った現代人は、モノのように扱われ、人間の尊厳を失い、やる気もなくなってしまうこと、よくわかります。 ひとりひとりの話しを聞きながら、丁寧に一件一件解決して行かれるもやいの活動に脱帽しました。最後のミーティングには若い方々が多く、中年の方々も混じっていますが、みな手弁当でホームレスの方々の面倒を見ている姿は、なんとも心強いです。 どん底から見上げる社会は、色々な事がはっきりと見え、いろいろな事が分かるようになる感じです。 これからもっと社会の事を学びたく、いろいろな活動もし、本も読んでいきたいです。 人間として、なにをするのか、はっきりしてくる気がします。
Feb 16, 2010
数学の勉強がしたかったのですが、函数だの微分積分だの名前を聞いただけでため息をついてしまった私は、何か自分に読める数学の本はないかしらと最寄りの図書館を検索し、たまたま「男と女のすべてのことは数学でわかる」(柳谷晃/著 三笠書房)という本を見つけて借りました。大変面白かったです。感情を数学的曲線に現してみると、人とのお付き合いでちょっと微妙な、困ったなという感情になった時にも、その感情曲線が(お互いに)いつまでも同じ状態のまま続く訳ではなく、常に動く曲線である事をわかるだけで、ゆとりが生まれ、どうしたらいいか考えていく事が出来ることがわかりました。実際昨日子供と喧嘩して険悪になったのですが、自分の感情曲線と子供の感情曲線を想定して、ピークの所があればそこが分岐点で時間が経てば下がって行くとイメージしたら、子供の感情的な瞬間も余裕を持って受け流す事が出来ました。困った時にも緊張したり硬直したりすることなく、新しい事を考える余裕があれば、最悪の感情爆発をさせることなく、回避する事ができるのでした。数学、万歳、ですね。もっと数学、勉強したいという気持ちが湧いています。
Feb 14, 2010
ホームレス支援のサポートセンター「もやい」へ行ってきました。今日は交流会との事で、喫茶店形式で、緩やかに人が集まって、適当におしゃべりする会でした。近所の一人暮らしの高齢者も遊びにきていて、15人くらいいたでしょうか。盛況です。隣あった人達と話しをしていると、ふと「本当の自分自身」とか「永遠に自分を探求している」とか、そんな話しになって行きました。聞けば「ベ兵連」の運動のかなり中核に居た人らしく、市民運動の走りをやったとのこと。詳しくは聞きませんでしたが、いろいろあって途中でホームレスになりアル中にもなったらしい。(路上は寒いので、飲まないと死んでしまう。お酒が切れると体温下がって死ぬ人も居るという)。けれどその方はホームレスを助けたいという気持ちがあったのでアル中から抜けられたとも話しておられました。人を助けたいという気持ちは、その人自身を助ける。。。一緒に行った友人は、今日会った人達には闘争心というのがないねと感想を述べておられました。改めて、闘う事について考えさせられます。闘える人は元気。(闘争心のある人は元気に生きられる)闘えない人は追いつめられる。自分を傷つけるものに負けてはならないと考えさせられます。かといって勝った負けたはもううんざりしているところもあります。超越する生き方を望みます。みんなが超越して生きて行ける世界はあり得ると考えます。内面が超越すれば、現実は後からついてくる。今日は内面の飛躍はあったのかしらと考えます。少なくとも、暗い話しは全然なかった。いろんなアイデアを聞いたりできた。底力がある事、感じられました。暖かい人の温もりがあれば伸びる、健やかな人の心を感じられました。半歩でも前進出来るよう、また明日。
Feb 13, 2010
「ベルリン天使の詩」という映画を、以前見た時、久しぶりに面白い映画に出会った、大変美しい映画に出会ったと驚きました。非常に精神的で、ロマンチックで、メルヘンで、ドイツの美を見た思いです。そして昨日同じ監督の、「パリ、テキサス」をビデオ屋で見つけ、見ました。この作品だけだと、救われないラストでしたが、「ベルリン…」の前につくった作品とのことで、二つが前後編のように頭の中で結びつき、大変美しい世界が広がりました。「パリ…」はうまく行かなかった男女の関係がまずあり、ずたずたに傷つき離ればなれになりながらも、愛ゆえであった事を、男が女に伝えにゆく話しでしたが、女は境遇的には汚れたところに居るのに、美しいままでいたのです。離れていた子供も、最初は反抗的ですが美しい心を見せ始めるのです。「ベルリン…」では男は天使になって地上に降りてきて、女性に出会い、ラストは人間になって戻ってきました。時空を超えて貫いて行く男女の愛のメルヘンが、哲学的。さすがドイツ。資本主義社会に愛は成立するのか、というロレンスの本(「現代人は愛し得るか」)も思い出してしまいました。その場しのぎの娯楽映画家が多い中で、ほっとするひと時でした。
Jan 14, 2010
ものすごくお久しぶりです。心入れ変えて、またブログ再開したいと考えました。どうぞよろしくお願いいたします。今年は1/1から、京都の八坂の塔の下にできた(なんと1/1の除夜の鐘からオープン!)高麗ギャラリーカフェに行ってきました。すごいカフェが出来たと心底驚きました。高句麗王直系子孫の、高麗恵子さんが設営されたカフェは、数千年の歴史を超える空間です。圧倒されながらも、大変暖かく、宇宙的でした。京都に立ち寄られうる方は是非、お訪ね下さい。八坂神社の南(バスだと一区間くらい歩いたところ)に地元の人が言う聖徳太子ご建立の「八坂の塔」があり、そのすぐ下(斜め前)にあります。またおいおい書かせていただきます。追伸/宗教研究の好きな私は、最近田川健三さんの新しい訳の新約聖書読んでます。学生の時学校の先生から聞いたのと全然違っていて、大変面白いです。そして納得できます。本当はこうだったのかと。(誤訳が多かった事知りビックリです。理解出来なかった事が分かるようになり、本当の力強いイエス像に触れ感激)。
Jan 7, 2010
自分の漫画が、実際にはどのように読まれているのか興味があって、ついでにうりこみもしようと、自著作品を持って兜町へ行って来ました。恥ずかしながら、兜町でお会いできたのは、プロ中のプロ、漫画で投資の本を読む必要はない方々ばかりなのでした。行くとこまちがえちゃった(笑)。でも、私が描いた「本間宗久」さんは、兜町のプロ達には本当に「神様」として、本がぼろぼろになるまで読んだと伺い、素晴らしい人を書くことが出来たのだと、あらためて自分の幸運に感謝しました。そして、証券屋さんのしぶいおじさんは、プロフェショナルでかっこよかったのです。しかも、物腰がまったくふつう。人を差別してない。大手会社の受付の人の方がかえって偉そうな応対なのでした。差別的な態度しない人って本当に素敵と感じます。100年以上経っているようなどっしりとした大理石(?)造りの 伝統ある兜町の証券会社は、想像していたより心地よく、そこで働く人も感じの良い方々でした。新しい現代建築には何やら重苦しい感じを受けましたが、建物によって人がこんなに影響を受けるとしたら、ちょっと由々しき問題です。建築業界の人にも、金融業界の人にも、世界中の人にも、正しい繁栄を祈ります。
Feb 6, 2009
久々に面白い映画に逢ってしまいました。私には、こんなに面白い映画は珍しいと感じられました。(私の独断なので、他の方が見たらどう思うかは不明)天才シェフのお話。(ネットで検索すると「官能料理」などと出ていますが、そう言ってしまうとちょっとニュアンスが違うような気がする)とってもメルヘンのような、哲学的のような、ラブストーリーのような、ちょっとドキとする恐いシーンもあって、あったかいような、何故かおかしくて笑いの場面がいっぱいで、何ともいえない。主人公のシェフはあまりしゃべらずに目で語る。そんな静かな表現が強烈。シェフの作る料理は本当に美味しそうで、映像としても大満足。かなり不思議。こんな映画はドイツ人にしか作れない。ブレーキのきかないドイツ人。哲人ドイツ人。ブラボー。最初から最後まで夢中で見てしまい、時間が経つのを忘れました。
Jan 28, 2009
ユダの福音書を読みました。以前にも読みましたが、また読んでみました。原書の保存状態が、目に見えぬ思惑によって(発見された時は保存は良かったとのこと)ぼろぼろになって、読めなくされたこと、返す返すも残念ですが。それでも、断片的に残る文章からは、イエスの言葉なまなましくリアルに感じます。ユダはイエスとともに生き、ともに精神的十字架にかけられたのではと感じます。ユダの苦しみをイエスは知っており、イエスの苦しみをユダは謙虚に知っていたと想像します。イエスはユダ愛し、ユダはイエスを愛し、その愛に、周りは嫉妬したと感じます。マグダラのマリアも同じく嫉妬によって隠されたようです。でも両方ともその福音書が発見されたとは、なんという奇跡の現実でしょう。がらりと変わる世界の予感。
Jan 26, 2009
あたらしい世界が見たいすべて相手のために相手を含む相対した大きな世界のために自分に相対する世界よりよくなることは結局自分の願い自分もよくなりたいけど相対する世界も良くなってもらいたいこんな独り言は誰にも通じないかもとここに書いています人は、誰かに認めてもらわないと存在できないかもネットに書くことは存在証明をはじめていくこと
Jan 23, 2009
薄っぺらなもので動いて来た私は明るみに出て青ざめる弥勒の時。こころからありがとうございます。待ち望んでいました。古い自分の(生きる)用件は終わりました。これから 未知です。あたらしい空間に飛び込む。このようなことを書かせていただいた光り輝くまばゆい空間ウェブサロンhttp://salon.idaki.co.jp/ありがとうございます
Jan 3, 2009
自分 恥ずかしい出て来てごめんなさい自己否定という自分光り輝く空間になった2009年空間に溶け込めない黒いしこりは苦しむだけとなりました生きながら死ぬよりなく生きながら再生するよりなく生きながらもう一度生きるよりなく新しい年に人類の新しい幕開け
Jan 3, 2009
年の初めに想うのは一番大切なものやっぱり 愛その芯がしっかりしてないと どうにもならないです。隠しようもなく。内面。見えない世界。言葉に表わそうとしなくても出ちゃってる 。けど 未来は ことばで表わしてしく。そして、未来は やっぱり 愛2009年あけましておめでとうございます。私のブログにおいで下さった方々、本当に有難うございます。感謝致します。皆様のたくさんの幸運をお祈り申し上げます。今年もどうぞよろしくお願い致します。
Jan 2, 2009
昨日時間の合間に,気になっていた漫画原作の映画を見る。がくぜん。作者にお会いして尊敬していただけに、大変豊かな才能の方と感じていただけに「あれ?」と思う。あまりにもいいかげん。いだき先生が前に仰っていたキース・ジャレットを思い出す。水際までは連れて行ってくれるのだけれど、そこ止まり。そこから先はない。水は飲めない。業界全部の問題と感じる。結果的には人をたぶらかして、金だけが宙を舞う。そのように作家の感性も利用される。結果的に、読者はだまされる。だまされるほうも悪いんだけど。結局みんなでいいかげんな世界にあわせて、ぼけっと生きている。この現実。虚構。崩壊する。
Oct 2, 2008
自分の中がまるで戦場のようです。 マイナス意識の攻撃爆弾が自分の内面にどかどか落ちる感じです。にもかかわらず爆弾降る中で どうすればいいか考えることが出来 いろいろなアイデアが浮かび、やる気も充実している。どんな雑念爆弾が横行闊歩しようと 全然関係ない新しい意識がある。いのちは雑念の意識とまるで関係ない。 高麗恵子&いだきしん「大地の詩」イベントに行きました。今日は、ようもまあこんなにと思う程の雑念の塊がドカ、ドカと降る。こんなどうしようもないヤクザな意識があったんだと呆れ返る。傲慢で、それでいて完璧にアホな意識に呆れ返る。それでも聞く 耳を傾ける 聞いているうちに宇宙の中心と一つになっていく 中心を感じながらさらに聞いていると 余計な意識が振り落とされ、はなれて行く 清められて心地よく 立体的な覚醒した光に満たされ 幸せということばも追いつかないような明るい心地になる 未来を造っていける この感覚がすべての解決の道、これ以外にないと感じます。 いだきさんは人類の未来への架け橋と確信しています。滅びる方向、もしくは家畜人間になり切る方向にある人間にとって いのち一つの感覚 宇宙と一つの感覚 先をつくって行ける感じを ひとりひとりが感じる事が出来るのは まったく新しい創造的な人間に誰でもがなれるチャンス。新しい社会を自分で造って行けるチャンス。 外に行って、誰かとお話しながらこの感覚を呼び込める力をつけたい。この心地よい感覚をどなたにも味わっていただきたい。 日本はもうほとんど亡国の黄昏 愛する日本 亡くなってほしくない
Aug 25, 2008
ことば 以前の世界が こつ然と あります。昨日自分はマイナーな発言をしたのだけれど 発言し切ったあと、ことばにならない世界がある あとは行動のみ、の世界 行動でマイナーな現状を変える その先に新しいことばが きっと生まれる 新しいことばが生まれるような生き方していなければ 人生はないに等しい マイナーな事を言い切ってさらにその先進むことできれば ことばから自由になれる マイナスことばもプラスに使えるようになる ことばに縛られず ことばを大切に使って行動と二人三脚で進む
Aug 25, 2008
昔から、自分は変わってるらしいとは感じていましたが、今日あたりは、もう頭がおかしいんじゃないかと思うくらいであります。というのも状況としては大変つらい状況が、人間関係、仕事、社会生活で展開されていて自分の能力のなさや、だらしなさや、弱さ、今までのツケなどはっきり出て来て大変なのですがその中で、そこはかとない、内面の幸せを感じているのです。これってただ自分の世界に潜ってるだけ?と不安にもなりますので外に出て、先ずは白髪染めに美容院へいきましたがなんだかやたら元気が無くて静かでした。(前に行ったときはもっと明るかった)美容師さんのお話を聞いても、若いのに、なんだか夢も希望もない感じです。電車に乗っても、空は曇りで肌寒くて、どの人も元気無いです。自分の頭の中にも、いろいろ暗い意識がよぎるけれど身体は、物理的に凄く元気と言う訳ではないけれど、(実際、足にいろいろ故障が出ていたりするのだけれど)幸せは身の内にあるのです。これはきっといだきしんさんの音楽を沢山聞いて、体質が「幸せ体質」に変わったせいです。ちょっと前に、いだきさんから、日本の古代の平和な縄文の話を聞いた時、真に心が安らぎましたが、それも理由の一つかも知れません。本来 日本人は世界で一番幸せな民族だったと感じます。他民族に滅ぼされた事もないし。ずっと平和が長かったし。あんまり幸せなので、世界中から嫉妬され、それで第二次大戦で叩かれたのではないかと考えてしまいます。なにもなくても幸せを感じられることが幸せなのです。心は健やかで平穏です。そういう体質にさせてくれた いだきしん先生について、いだき講座について人に語りたいと考えます。
Aug 23, 2008
久々の書き込みですご無沙汰しております。酒田に行って、石原莞爾のお墓にお参りをさせていただきその後鶴岡の図書館へ行き、将軍が映っているビデオ、貴重なビデオを見ました。雑音ばかりでほとんど聞き取れないですがそれでも感激でした。お声は,,,大変自然なお声でした高くもあり低くもあり静かでもあり,荒々しくもあり聡明で,優しく,力強く,繊細で,「偉さ」を感じるとtころは何処にもなくあらゆる要素が自然に豊かに感じられる。沢山沢山誤解されている人です。ベルリンから奥さんに宛てた絵はがきを見せてもらいました。最初は船の中で出たディナーのメニューとかl、船の中のコンサートのチラシとか何でもかんでも愛する人に見せたいとマメに送っていました。そのうちにベルリンで自分が映した写真を絵はがきにしておくっていました。とってもとっても細やか。山形の山々は大変美しく、神々しく,木も花もめちゃくちゃきれいなのです。酒田、鶴岡にて、出会った人達は皆ほんとうに親切でこういう人達に育まれて生まれて来た人なんだなと改めて風土の大切さを感じます。そして失われゆく精神、心の文化を感じ戦後の石原莞爾が訴えていた危機をあらためて実感します。美しい日本もうぎりぎり。
Aug 21, 2008
昨日のことで恐縮ですが、ある人の前で私はとても冷ややかな人になっていました。なんで冷たかったというと、その方が一時はとても心開いて前向きに生きていたのに、今は閉じて小さく生きておられるように感じたから。なんかもう、生きる世界が違うと感じた時、私はその人に対してとても冷たい態度になっていた。自分がその人に望むような生き方をその人がしてないからといって、冷たくするのも自分勝手な話だと思うけど。結局、その人の影響を受けっぱなしで、その場を変えられない自分の力不足なんだと考える。その人と向き合った時、いのちが解放されないから、苦しいから、こちらも閉じてしまった。閉じた事に変わりはない。そして打開策を求めて、もっと解放の可能性のある所へ向かおうとする。いつも創造、いつも超越しないと生きていけない。気付かせてくれた友人に感謝。申し訳ないと思ってる。だけど、体が冷たくなってしまうのは、自分の意志とは関係なく起こる要素でもある。だからせめて、人から逆に自分が冷たくされたときは、自分がその人に与えているマイナス影響を考え、早く自分のいのち活かす状態を取り戻そうと思う。この文章には「思う」という言葉が幾つも出るので、けっこう無理しているのかも。思ったって、考えたって、なるようにしかならない世界が、確かにある。午後、新宿の保育園の前にたむろしている人にいきなり話しかけたら、明るいキラキラした目で反応してくれた若いお母さん。中途半端にしかしゃべれない私だけれど、その人に励まされたように感じ、人と対面した時もっとちゃんと「対面」出来るようになりたいと考える。場数踏もうと考える。夜、訂正シールはりのボランティアに行く。私の他にもう一人いらしただけで、途中でその方はお帰りになりまた別の人が一人おいでになり、しんみり作業をする。貴重な時間。普段、けっこう何気なく何度も挨拶してして人のこと、実はちっとも知らない。人と人、いのちといのち、出会い、繰り返し、深まっていく、深まっていこうとする。いつも現状を乗り越えたい、人間。
Jul 5, 2008
子宮を覆う自由にさせない何か子宮の中にそっと密かに埋め込まれた権力闘争(勢力争い)互いに争いを始めるそんなことあちきには関係のねえことでござんすとうそぶいてみたいけど隠せないでももうあらわになってやがて変わらざるを得ない
Jun 25, 2008
多くの欠落、落ちこぼれを身の内に感じながらそのまま耐える落ちて行くものに全て引っ張られない落ちるものは落ちるままに悲しみは悲しみのままにいのちはいのちのままに。。。いのちはいのちのままにあることがわかると喜びは喜びのままひかりはひかりのままであることがわかるいろいろへんなもの引っ掛けて落とすことなくそのままでいい本来連動するものはそのまま連動し本来異質のものはそのまま異質のものとして明らかになる
Jun 19, 2008
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