「将来、別の天皇が、慰霊の旅として、国民の間で様々な意見がある
靖国神社
や
全国の
護国神社
を回るとしたらどうでしょう。」
全文は次の通りです。
■「象徴とは」国民的議論を 渡辺治さん( 一橋大学 名誉教授)
天皇の退位をめぐる議論でもっとも欠けているのは、
天皇がそれを「全身全霊をもって」果たせなくなることを最大の理由にしている
「象徴としての行為」とは何かを国民が議論することではないでしょうか。
なぜなら、象徴制とは憲法によって国民自身がつくることを
求められている制度だからです。
天皇に軍事と政治の全権限をゆだねた体制の下で遂行された植民地支配と
侵略戦争
の体験を踏まえて、
日本国憲法
は、国民が主権者であることを宣明し、
天皇の行動を厳格に
国事行為
に制限しました。
敗戦直後から、
昭和天皇
は、後に「公的行為」と呼ばれる巡幸などを精力的に行い、
歴代の保守政権も統治の安定のため、天皇にあまたの「公的行為」を求めました。
「象徴」制に不満を持つ右派勢力も、元首としての天皇の復活を目指し、
天皇の役割と権威の拡大を追求。
靖国神社
国家護持、元号の法制化や
建国記念の日
の制定などの動きが典型です。
ところが、平成の代替わり以降、状況が変わります。
現天皇は、自らのイニシアチブで、必ずしも政府が推奨していない
日本軍
の戦場と
なった地への慰霊の旅や被災地訪問などを積極的に行いました。
こうした「平成流」は国民に広く支持されていますが、
右の勢力のなかには、眉をひそめる向きも少なくありません。
今回の退位問題で、従来は天皇の行動と権威の拡大を主張してきた保守派の一部から
「宮中でお祈りくださるだけで十分」といった理由を挙げて
生前退位に強く反対する意見が出たのはこうした状況が影響していると思います。
逆に、リベラル派の学者や市民の間に、「おことば」に共感し
「陛下の思いに寄り添うべきだ」といった姿勢がみられます。
戦後の経緯からみるとねじれが生じています。
問題は、「象徴の務め」として行ってきた慰霊の旅のような「公的行為」は、
果たして天皇の「思い」で自由に行える行為なのかです。
政府がともすれば、あの戦争を含めた近代日本の総括と点検を
ないがしろにしようとするのと対照的に、現天皇がそこにこだわることに
好意を抱く国民は大勢います。
しかし慰霊の旅として、象徴天皇がどこを訪れ、どんなメッセージを発するかは、
国民的議論を経て国民自らが決すべき課題です。
天皇の「思い」に委ねていいのだとしたら、 将来、別の天皇が、慰霊の旅として、
国民の間で様々な意見がある
靖国神社
や全国の
護国神社
を回るとしたらどうでしょう。
改めて憲法の原点に立ち返り、過去の反省をふまえてつくられた象徴制に
国民は何を求めるかを、国民の多様な意思を反映する国会の場で議論することが
求められます。
(聞き手・池田伸壹)
*
わたなべおさむ 47年生まれ。専門は政治学、日本政治史。
著書に「現代史の中の
安倍政権
」「戦後政治史の中の
天皇制
」。
昭和天皇
の戦争行為の贖罪でしょう。
できれば中国 南京
にも行ってほしかったですが、それは難しいでしょう。
いのちは有限ですから、もういいのではと思います。
この間の議論で、 公務
がとても多い事が明らかになりました。
退位を契機にゼロベースで見直し、できれば憲法で定められている 国事行為
だけでいいのでは
ないでしょうか。
皇太子妃は病気のままです。
この前の園遊会も1時間と持たなかったようですから、
皇后として公務を行うことは難しいでしょう。
病気なのですから、新天皇が今の天皇のように多くの雑多な公務をこなさなくとも
国民の理解を得られるのではないでしょうか。
この辺で皇室関係者を、名誉○○にするビジネスはやめたほうがよいでしょう。
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