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錦絵の時代(1830~33)一番なじみのある作品が制作された時代です。グレイトウェーブとして、世界で一番有名な北斎作品です。赤富士ですね。三つ峠からの富士と言われています。諸国名橋奇覧 飛越の堺つりはし大判錦絵 天保初年(1833-34)頃 飛越(ひえつ)の堺とは現在でいう岐阜県と富山県の間です。本シリーズには現存する橋も描かれていますが、この橋は特定できません。橋の下には雲が湧き鳥が飛んでいるので、かなりの高所に吊り橋を渡しているのでしょう。空には雁、山にはつがいの鹿が見えることから、秋の情景と分かります。橋を行く2人の重みで橋がたわんでいますが、頭上に柴を置いて運ぶ女性は、手に風呂敷包みを提げ、荷を負う男性とともに絶妙なバランスで吊り橋を渡っています。「諸国瀧廻り 和州吉野義経馬洗滝」ポップアートですね。富嶽三十六景、諸国名橋奇覧、諸国瀧廻りは以前上野の北斎展で見ましたが、どれも素晴らしく、また観てみたいです。
2018.05.30
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読本挿絵の時代(1804~11)作品を守るため館内は薄暗いです。絵手本の時代(1812~29)海外でホクサイ・スケッチと呼ばれている「北斎漫画」の誕生です。こちらは、弟子のための指南書です。こちらはタッチパネルで、スマホのようにページをめくってみることができます。できれば現代語訳や解説がほしいですね。「為一」の画号も使われました。「芥子(けし)」です。大判錦絵 天保初年(1833-34)頃 北斎の花鳥画の中でも、高く評価されている1図です。中央に大きく配された芥子(けし)の花が強い風にあおられ、たわんだ瞬間の様子が捉えられています。背景の薄藍色が青空のようにも見え、すがすがしさを感じさせます。花弁や花芯(かしん)は詳細な描写がなされていますが、葉は葉脈の描写はあるものの、形としては簡略化されています。制作されたのは江戸時代後期の天保初年頃ですが、最近描かれたといっても通用しそうな表現です。(美術館HP)
2018.05.29
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展示室の入り口は、やっぱりグレイトウェーブです。習作の時代(1760~94) 勝川春朗の画号で浮世絵界にデビュー「仁和嘉狂言 三月 花すもふ」です。宗理様式の時代(1794~1804) 江戸琳派の世界へ「宗理」の画号で江戸琳派の頭領。1798年に「北斎辰政」を名乗って琳派から独立し、今後はどの流派にも属さず。「あづま与五郎 残雪」、」「伊達与作せきの小万 夕照」タッチパネルで、簡単な解説が見れます。こちらは、撮影禁止でした。錦絵の制作過程が紹介されています。サンプルは、こちらです。5枚の版木での作成過程が、ビデオで説明されています。版木ごとの摺りが、上に示されています。
2018.05.29
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吉祥寺から両国へは、総武線なら39分、中央線でお茶の水乗換えなら31分。隅田川を越えて、すみだ北斎美術館を訪れました。大相撲開催中なので、両国駅はそこそこのにぎわいです。美術館へは、東口から10分くらいですが、成り行きで西口から出ました。改札口でたずねると、手慣れたもので道順の紙を渡してくれて説明してくれます。昔は掘り、今は北斎通りでは、もうあじさいが咲いています。美術館は、北斎生誕の地である緑町公園の奥にあります。90回以上引越しした北斎ですから、ゆかりの地がたくさんあります。スカイツリーが見えて、下町らしい公園です。この場違いで斬新な建物が、美術館です。入り口はどこ?入るといきなり、この美術館開館のために制作された目玉作品です。上のモノクロ写真が、みごとによみがえりました。復元工程をNHKが特集番組で放送していたので見たかった作品ですが、あでやかでグロテスクでした。お寺の展示を意識したのでしょうが、展示位置が高すぎます。ひと部屋だけです。以前上野で「北斎展」を見ているので、作品の内容は物足りませんが、鑑賞でなく観光として訪れるなら十分楽しめる展示内容でした。撮影もOKです。(不可は2作品)企画展の方は、撮影不可です。#1
2018.05.28
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大観といえば富士山や神国日本という固定観念が、払しょくされた展覧会でした。ブログアップしませんでしたが、花や動物の絵も良かったです。「山茶花と栗鼠」(1913年)のもぐもぐタイムのリスは可愛かったです。こちらの「野の花」(1936年)も、大作です。また観る機会があればいいですが、おそらくもうないでしょう。HPの「大観を語る」です。http://taikan2018.exhn.jp/focus/ 常設展には、天心先生や春草などの作品が展示されていますので、お見逃しなく。大観展のチケットで無料です。今回の展覧会は、前半が富士山、後半がこちらですから、京都展は要注意です。出品目録です。クリックで拡大します。*所属が空欄のものは、個人蔵や公表したくないものだそうです。最後に、Eテレのクロージングタイトルです。3回くらいのつもりが、14回になってしまいました。やっぱり大観ですね。
2018.05.19
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1937年 昭和12年 69歳 第一回文化勲章を受章。功成り名遂げたといったところでしょうか。勲章をもらってつまらないコメントや媚びへつらっている文化人や映画監督の姿を見るとがっかりします。会社でも勲章をもらうためにあれこれ奔走する総務部員をみると、つまらない仕事をしていると思ったものです。談合で明け暮れている土建屋は勲章に無縁かと思っていたら、そうでもないのが不思議です。さて、大観の第3会場は2階の一角です。この前まで、常設展で「難民」をテーマにした展示があったところですが、この日のために早めに終了でした。「漁夫」(1946年)は、絵が売れなくて五浦で魚釣りをして糊口をしのいだ頃の頃いちシーンでしょうか。こちらは、「被褐懐玉」(1949年)です。「ひかつかいぎょう」?すぐれた才能を持っているが、表面には出さないこと。 「褐」はぼろぼろの服のことで、外見は粗末な服だが懐には宝玉を隠し持っているという意味です。描かれているのは、寒山と拾得です。今回の展覧会の最終展示作品です。「或る日の太平洋」(1952年=昭和27年)です。荒れ狂う波には、「生々流転」で描かれた龍が描かれています。下絵を見ると何度も波を描き直しているそうです。対して富士山は変わらずです。1952年はサンフランシスコ講和条約を締結して日本が独立を回復した年です。全面講和か否かで国がゆれた年でもあります。国がゆれても、富士山は変わらずです。そんな歴史的背景を思いながら見ると、とても含みのある絵です。Eテレが番組の最後に紹介した作品はこちらです。風(かぜ)蕭(しょう)蕭(しょう)として易(えき)水(すい)寒(さむ)しとでも読むのでもでしょうか。帰らぬ人を友人が見送る中国の故事にちなんだ作品です。「風(かぜ)蕭(しょう)蕭(しょう)として易(えき)水(すい)寒(さむ)し 壮(そう)士(し)一(ひと)たび去(さ)りて復(ま)た還(かえ)らず」「風はもの寂しく吹いて易水の水は寒々と流れている 壮士がひとたび去ると二度とは帰らない」 https://frkoten.jp/2016/03/16/post-1090/無くなる3年前の1955年の作品です。送られる人も、送る人も描かれることなく、描かれているのは犬一匹です。悲しい物語を想像させる作品です。ひとり見入っていると、なんだこれ?犬みたいだけでオオカミ?なんて声が聞こえてきました。(うちの家内も似たようなことを言っていました。内緒です。)その前に年表の前で、「大観って芸大の第一期生なのね。」とご婦人の声が。東京美術学校が今の芸大というのがわかるようですが、大観が首席で卒業したことも校長が岡倉天心であったこともご存知ないのでしょう。展覧会は、いろいろな人がいるので面白いです。豊富な記念グッズ(お菓子までありました。)には、目もくれず会場を後にしました。富士山だけでない多彩な大観を観ることできてよかったです。最後に、我が家の大観、いや富士山です。2018-5-13撮影PS:9画像あります。http://www.museum.or.jp/modules/topics/?action=viewphoto&id=1038&c=1こちらは、ビデオも。http://www.museum.or.jp/modules/topics/index.php?action=view&id=1038
2018.05.19
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「画壇の実力者たる大観は、戦時下には報国に奔走しました。」特に有名なのは、このエピソードです。「海に因む十題」、「山に因む十題」からなる「海山十題」と呼ばれる連作20点を制作しました。大観71歳の1940年(昭和15)、自らの画業50年を記念して描いた作品です。そしてこの年が皇紀二千六百年にあたることから「彩管報国」(絵筆[彩管]を執って国に尽くす)を意図し、新作であるこれら20点を1940年(昭和15)4月3日から7日までの5日間、「海に因む十題」を東京・日本橋の三越、「山に因む十題」を東京・日本橋の髙島屋の二会場に分け展観、その後大阪でも展示しました。展覧会に先立つ3月24日の内覧会で既に全点が完売し、1点2万5千円の売り上げ総額50万円は、会期中4月4日に陸海軍にそれぞれ25万円ずつ献納されましました。展覧会終了後の5月6日には陸軍の爆撃機・戦闘機4機に「大観号」と名づける献納命名式が、9月15日には海軍への献納式が行なわれましました。その後これら20点はそれぞれに所蔵先を変え、あるものは所在不明となり「幻の名画」と呼ばれ続けました。(ポーラ美術館)海が3作品、山が4作品展示されていました。山はもちろん富士山です。当時の50万円は、今の数億円にあたるそうです。爆撃機・戦闘機4機が4機ですから、もっと価値が高いと思います。戦闘機の機体には愛国という文字が。なにかうさん臭さを感じます。こちらは、爆撃機です。中国での無差別爆撃に使われたのでしょうか。うれしく誇らしげな大観です。1940年は、中国を懲らしめると言って侵略戦争を行っていた時期です。自分の筆で献納した爆撃機が、多くの人々を殺すことを何とも思わなかったのでしょうか。戦争画を描いた藤田嗣治は、戦後その責任を問われ日本を離れてフランスで暮らしました。大観はそんなことはありませんでした。南京での大虐殺事件を、一般の国民が知ったのは戦後です。大観も神国日本と信じて、勝利を疑わなかったのでしょう。Eテレの番組では、ゲストの高橋源一郎さんが、「大観は、戦争を自然現象と認識していた。地震や台風と同じで責任の認識はなく責任も問われない」という見方を披露していました。天皇すら責任を感じていたのに、戦後の大観はどうだったのでしょう。神国日本というのが、ぴったりの作品に思えました。MOMATの常設展では、同時に藤田などの優れた戦争画が展示されています。戦争と芸術家、そして平和。MOMATが世に問う1室です。
2018.05.19
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昭和時代のテーマ文です。この時期、「東の大観、西の栖鳳」という呼称も定着し、大観は京都の竹内栖鳳と並んで、名実ともに画壇を代表する画家になっていました。大観といえばこれ、と誰もが思い浮かべる作品は、ほとんどこの時期に生み出されたといえます。そして、画壇の実力者たる大観は、戦時下には報国に奔走しました。 この章では、大観の昭和の戦前から戦中、戦後の作品を紹介します。代表的な作品をさらに精選し、さまざまな時代相と作品との関わりや、主題がその時代に持った意味を考えます。年表です。1930年 昭和5年 62歳 ローマにおいて日本美術展覧会を開催。《夜桜》など出品。1935年 昭和10年 67歳 帝国美術院会員となる。1937年 昭和12年 69歳 第一回文化勲章を受章。1940年 昭和15年 72歳 紀元2600年奉祝記念展「山に因む十題・海に因む十題」出品。1952年 昭和27年 84歳 第37回再興院展《或る日の太平洋》を出品。1957年 昭和32年 89歳 むさしのに因む日本画展《不二》出品、絶筆となる。1958年 昭和33年 2月、逝去。正三位勲一等、旭日大綬章を追贈される。今回の展覧会の目玉「夜桜」(1929年)と「紅葉」(1931年)です。チラシからです。「紅葉」は、30年以上前に鳥取の足立美術館で観ました。三朝温泉に泊まった社員旅行でした。大倉集古館(東京)と足立美術館の所蔵ですから、同時に観ることはできませんでした。ホテルオークラが建て替え中で実現した企画?今回のハイライトです。画像はこちらを。http://taikan2018.exhn.jp/ 素晴らしかったです。もっとも、人並みのたえない展覧会ですから人は多かったですが、後ろのベンチでしばしたたずんで観ていると、通行人いえ他の鑑賞者も苦になりません。前半来館した人は、5月8日からの展示なのでNGでした。そこで再び訪れる人も多いと係員が話していました。PS:
2018.05.18
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大正から昭和へと大観は、富士山を描きます。展覧会でも、霊峰十趣のうち 春、秋、夜、山の4点(1920年)が、展示されています。チラシからです。海山十題から 乾坤輝く、龍踊る、春、秋(1940年)秋は初めて観ましたが、パステル調の草木がとてもきれいな絵で、ポ-ラ美術館所蔵です。現物はもっと色鮮やかです。http://www.polamuseum.or.jp/collection/002-0499/ なにより、遠近法に則らない空間表現がこの作品の様式的な美しさを際立たせており、大観自身「ほんとうの芸術は遠近法では出来ません。それを超越したところから芸術は出来るので、遠近法に縛られていては出来ません」。と語っている。「無我」で、遠近法にこだわっていたのが、嘘のようですね。戦後もやはり富士山です。
2018.05.18
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横山大観といえば、富士山です。今回も、チラシはこれでした。生涯に描いた富士山は、1500だそうです。初期の頃は、とんがった富士山が多いように思います。「群青富士」(1917年)です。色鮮やかで、モダンな感じの富士山です。静岡県立美術館のお宝ですね。こちらは、「朝陽霊峯」(1927年=昭和2年)です。白い部分は銀や白金で、金とあいまって何とも豪華な感じです。皇室の依頼で制作されたものです。日本美術院の大観は在野の人です。それが、日本の支配者=天皇から認められたということで、大変喜んだそうです。宮内庁三の丸尚蔵館所蔵です。右隻のアップですが、木々が傾いておじぎしているように見えませんか?左側の富士山=天皇におじぎする民=木々のようです。大観は意図的ではなく、無意識のそうなったのでは、という解説でした。え~そうなのという感じです。それにして、ふたつとも素晴らしい大作です。残念ながら5月6日までの展示で観ることができませんでした。残念です。前半は富士山。後半は何?
2018.05.18
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大正時代の代表作と言えば、「生々流転」(1923年=大正2年)です。10年ほど前に新国立美術館で公開された時に観に行きました。その時もこんな具合でした。今回は、第2会場でこれのみの一点公開です。最初に、解説のビデオが4台、次に小下絵が公開されていました。こちらは、上野の横山大観記念館所蔵のもので、これだけでも10m近くある鉛筆書きです。初めて観ました。大観の住居跡で、今は公益財団法人化して孫が管理しています。ビデオで興味深かったのは、完成して第10回再興院展で公開したのが、大観55歳の1923年9月1日です。それから、3時間後の11時58分32秒頃関東大震災が起こりました。さいわい建物は倒壊をのがれ、作品は無事だったそうです。強運の作品です。重要文化財で全長40m。もちろん一挙公開です。MOMAT所蔵です。主催者の毎日新聞は、展示風景を紹介しています。大作ですが、巻物ですから意外とコンパクトです。全長は40.7m 東京国立近代美術館、13日に開幕 明治元年に生まれた日本画の巨匠、横山大観(1868~1958年)の大正期の名作で、日本一長いとされる画巻「生々流転」の展示作業が9日、東京都千代田区の東京国立近代美術館であった。 13日に開幕する大観の特別展「生誕150年 横山大観展」の話題作の一つで、水滴が大河をつくり海に注ぎ、竜の姿で天に戻るまでの様子が描かれている。全長は40.7メートルに及び、全巻をひと続きで見られるのは9年ぶりという。 同館の鶴見香織・主任研究員は「生々流転は構想を含めて制作に1年はかかっている一世一代の大作。他にも若い時代の大観の挑戦的な作品が多く展示されるので、ぜひ会場に足を運んでほしい」と話した。【最上和喜】 (2018-4-9)https://mainichi.jp/articles/20180410/k00/00m/040/038000c写真が5枚掲載されています。記事の通り、水滴が川となりとなり海にそそぐだけでなく、朝から夜への1日の移り変わり桜から柳、その柳の葉が落ちて秋になるといった具合に四季の移り変わりも巧みに描かれています。片ぼかしや刷毛を使って墨一色で描いているところが、何といってもすごいです。こんな風にすいているといいのですが、立錐のないほどの行列です。所どころ壁にミニ解説が貼ってあります。私の後ろは、水戸から観に来たおばあさんで興奮してみていました。大観は郷土の誇りなのでしょう。何度も観ているらしく、時折解説してくれるのですが、昭和の作と言ってみたり?です。巻物の最後はこちらです。ネットでこんな映像をみつけました。グッドアイデアです。http://www.geocities.jp/qsshc/cpaint/seiseirutenmarquees.html 次は10年後?もう人ごみは無理な年齢?次の世代に引き継いでほしい作品ですね。兵器にカネを使わず、文化財の保護におカネをかける国であってほしいと思います。そう思うと、天皇皇后が本展を観に行ったのも、安倍政権への牽制かもしれません。暴言を繰り返す麻生をみると、日本はなんて品格のない国になってしまったのかと思います。
2018.05.17
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大正時代です。1913年(大正2)年に師の岡倉覚三が亡くなると、翌年、大観は有名無実化していた日本美術院を再興し、若手を率いる立場に身を置きました。いわゆる「朦朧体」が批評界に受け入れられず、大観が辛酸を舐めたのは明治期までのこと。大正期には、いたずらに新奇を狙う先鋭的な革新主義者というこれまでの低評価に替わり、東洋の伝統に新しい感覚を吹き込む実力者といった高評価が定着していきました。 この時期の大観の作品には、中国の水墨画や琳派、やまと絵などの伝統的な技法や構図の影響が明確にうかがえます。大観は自身の作品を装飾的な彩色画と水墨画に二分化し、それぞれに古画に学んだ成果を発揮しました。同時に、大観は伝統に変化を加えることを忘れません。作品は「大観」という強い個性をまとうことになりました。 この章では、この時代の代表的な作品を集め、大観が主題や表現において伝統をいかに継承し、改変したかについて考えます。「瀟湘八景」ですが、1912年(大正元年)のものは、重要文化財です。こちらは、最初の1週間のみ展示で、4月20日からは、13~14年に描かれたものが展示されています。重文の方は国立博物館、後者は茨城県近代美術館所蔵です。横一列に展示です。描かれたのは、中国湖南省の名所。瀟湘八景とは中国湖南省洞庭湖で合流するふたつの河川瀟川と湘川の名勝を季節と絡ませながら描くもので、大観は「遠浦雲帆」「瀟湘夜雨」「烟寺晩鐘」「山市晴嵐」「漁村返照」「洞庭秋月」「平沙落雁」「江天暮雪」として制作しました。 明治43年の中国旅行が、参考になったことでしょう。古典的な画題ですが、「気の利いた様な間の抜けた様な趣」があると夏目漱石が高く評価した作品です。大作家のお墨付きを得て、評価が上がったそうです。「平沙落雁」、ユーモラスなところも見られます。洛中洛外雨十題(1919年)は、茨城の常陽銀行の所蔵です。「雲去来」(1917年)は、習作と本画がならべて展示され、大観は小下絵は描かず大下絵から描き始めたとの説明がなされていました。荒川絵巻(1916年)は、のちの生々流転につながる作品でしょうか。
2018.05.17
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「流燈」の続きです。女性3人をクローズアップです。美人画ですね。当時の新聞では、この構図が、イギリスの画家ムーア(ヴィクトリア朝のラファエル前派の画家)の影響との指摘がなされていました。東洋的な扇子の使い方は、逆にジャポニズムの影響ですね。http://art.pro.tok2.com/M/Moore/Moore.htm画面からのはみ出しは、枠内に納める日本画の伝統のアンチテーゼですね。琳派と同じ技法もみられます。女性のお顔も進化?しています。前年の白衣観音様です。こちらの方が、大衆受けしますね。インド人というより、日本人でしょう。それまでの暗い色調からピンクに変わり、衣類の質感も明確です。それまでの技法を屈指し、西洋画も取り組んだ意欲作でした。仲間の菱田春草は、この作品で一足先に世に認められました。最後に取り残されたかたちになった大観ですが、認められてよかったです。安アパートでいっしょだったかぐや姫などが売れてゆくのに、なかなか売れなかったアリスみたいです。時代の先を行く者の苦悩ですね。賢首菩薩(けんじゅぼさつ)Bodhisattva Genju1907年絹本彩色・軸185.7×99.5cm重要文化財没線彩画描法は、従来の日本画が用いた線描きを捨て、色彩の濃淡だけで画面を構成し、空気や光線を表現しようと大観と春草が始めたものである。その後、線はしだいに復活するが、その線は従来の太い、細いの線とは性格が異なり、釈迦なら釈迦の円満な容貌を意味する線、いわば象徴的な線であった。色彩研究の上に加えられたこの線によって、これまでの画風は新しい様相を呈した。この方法に自信を得た春草は、日本美術院の五浦(いづら)時代に入ってからも、ますますこの方法を追求し、第1回文展に発表したのが≪賢首菩薩≫である。春草はこの作品で、線のように見える部分も色面もすべて点描式に塗りつぶし、その上に細密描法を用いて模様を入れ、明暗というよりは色調によって遠近や立体感を出す新しい技法を開拓した。しかしその苦心は当時の審査員には理解されず、落選しかけたが、天心、大観らの強い主張によって入選、二等賞第三席を得た。作品の題名になっている賢首菩薩は中国唐代の僧侶で、華厳宗第三祖である。文化遺産オンラインからhttp://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/60855本展に合わせた常設展第10室で、観ることができます。36歳で亡くなった春草、大観みたいに長生きしてもっと素晴らしい作品を残してほしかったです。私が好きなのは、こちらです。『王昭君』1902/山形・善寶寺(重要文化財)(参考) 私の菱田春草展のブログです。https://plaza.rakuten.co.jp/mt1188/diary/201410200000/
2018.05.16
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「流燈」(1909年)です。横山大観が、ようやく世間に認められた作品です。文部省買い上げです。大観41歳の時の作品です。*クリックで拡大します。テレ東「美の巨人たち」は、ひとつの作品をとりあげて展開する美術番組ですが、先週(12日)は、この作品を取り上げていました。親会社の日経新聞は、この展覧会の主催者のひとつです。描かれたのはインド・ガンジス川の一場面。ヒンドゥー教徒による灯籠流しがテーマになっているのですが、なぜか流れる灯籠は描かれていません。しかも人物は中途半端に画面の淵で切られているのです。一体なぜ?番組は、そんな疑問に答えます。この頃は、北茨城の五浦で岡倉天心、下村観山らと制作活動です。六角堂が見えます。「月夜の波図」(1904年)*未展示です。世間からは朦朧体と揶揄されて、大観と菱田春草の絵は売れず餓死寸前の極貧生活です。大観は、妻と子どもをなくしています。ちなみに、春草の住まいあとは、五浦観光ホテルの駐車場の一部になっていました。番組では、こんな映像も。見せますね。売れない画家、客の来ないレストラン、門前払いの営業マン。つらいですね。ちなみに、今は数億円のゴッホも、生前は1枚も売れず、弟テオの援助で創作活動を続けていましたね。
2018.05.16
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インドに想を得た作品もあります。「白衣観音」(1908年)です。*クリックで拡大しますが、お顔のアップです。インドには一度しか行ったことがありませんが、女性はこんな顔?アラカン山脈を境に顔立ちが変わると言います。東側は、いわゆる彫の深い顔で、鋭い目つきです。男性はちょっとこわい感じですね。女性は、エアインディアのCAしか思い浮かびません。その人は、サリーからお肉が少しはみ出たふくよかな感じでした。日本人から見るとちょっとこわそうですが、たくましい美人CAでした。Eテレでは、この空中浮揚感のあるポーズを、シェーのポーズみたいなんて言っていました。赤塚不二夫さんも参考にした?いえ、それは絶対にないと断言できます。それは、これです。大観の「白衣観音」百年ぶり発見新たな手法を模索した人物画近代日本画の巨匠、横山大観(1868~1958年)の人物画「白衣観音」が、105年ぶりに見つかったと、東京国立近代美術館などが12日、東京都内で発表した。同館の鶴見主任研究員は「周囲から誹謗されていた『朦朧体』から脱する、新たな手法を模索していた過程が分かる貴重な作品」と話している。同館と京都国立近代美術館で来年開く「生誕150年 横山大観展」で公開される。「白衣観音」はインドの風俗を念頭に置いて描いたとみられる絹本着色の作品で、縦約140センチ、横約113センチ。1908年に制作され12年の大観画集に掲載されたが、その後所在が分からなくなっていた。共同2017/10/12なんでも鑑定団で見つかった長谷川利行の「カフェ・パウリスタ」や、箱根岡田美術館の喜多川歌麿の「深川の雪」など、に長年行方不明になっていた作品は、興味を引きます。「白衣観音」の翌年制作の作品が、こちらです。これが、大観?と思う作品です。ピンクの色づかい、・・・。クリックで拡大します。
2018.05.15
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1903年 明治36年 35歳 インドに渡航。以後2年半の間にアメリカ、ヨーロッパを外遊。「赤壁」(1908年)などの中国ものもありますが、画題は多彩です。金屏風に、ナイアガラと万里の長城です。《瀑布(ナイヤガラの滝・万里の長城)》(1911年頃、佐野東石美術館蔵)たらし込みの技法で、米中の名所がならぶ大胆過ぎる組み合わせです。日本画で、金屏風のナイアガラなんて、当時の人は誰も発想しなかったでしょう。*クリックで拡大1910年に地球に接近したハレー彗星を描いた「彗星」(1912年頃)も、ユニークです。観たかったのですが。5月6日までの展示でNGでした。個人蔵ですが、Eテレでも取り上げられていたので、通期で展示してほしかったです。チラシからです。
2018.05.15
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MOMATは、HPはもちろん特設サイトを設けて展覧会を紹介しています。http://taikan2018.exhn.jp/ また、この間Eテレやテレ東「美の巨人」などが、取り上げていました。撮影禁止はつらいですが、これらと記憶をもとにブログアップです。メモも取っていないので、柳瀬と同じく記録でなく記憶です。ただ、彼と違って私の記憶は「調整」する必要はありません。横山大観(1868-1958)の生誕150年、没後60年を記念し、回顧展を開催します。東京美術学校に学んだ大観は、師の岡倉天心とともに同校を去り、日本美術院を設立。新たな時代における新たな絵画の創出を目指しました。西洋からさまざまなものや情報が押し寄せる時代の中、日本の絵画の伝統的な技法を継承しつつ、時に改変を試み、また主題についても従来の定型をかるがると脱してみせました。やがてこうした手法はさらに広がりを見せ、自在な画風と深い精神性をそなえた数々の大作を生み出しました。本展では、40メートル超で日本一長い画巻《生々流転》(重要文化財)や《夜桜》《紅葉》をはじめとする代表作に、数々の新出作品や習作などの資料をあわせて展示し、制作の過程から彼の芸術の本質を改めて探ります。出品点数90点。本画82点、習作ほか資料8点を展観する大回顧展です。構成は明治、大正、昭和の3部構成です。会場は、1~3会場です。混み合っているので、余裕を持って行った方がよいでしょう。まずは、明治です。東京美術学校の第1期入学生として絵筆をにぎった大観は、校長の岡倉覚三(天心)の指導のもと、新しい時代の絵画に取り組みました。「理想」や「概念」を絵にすること(いわゆる「理想画」)、輪郭線を描かずに絵画を組み立てること(いわゆる「朦朧体」)、油絵のように絵の具を使うこと――若き大観のこれらの取り組みは、後の「日本画」を変えていく力を秘めていました。 この時期の大観は親友で早世した菱田春草と行動をともにしていました。春草と比較し、大観は一つのことを突き詰めるのは不得手でしたが、さまざまな表現に同時に挑戦することができるバイタリティを持っていました。それゆえ、ときに春草よりも大観のほうに、驚くほどに時代を先取りした作品が見られることも事実です。また、誰も描かないような、斬新で、しばしば突飛にも感じられる主題を思いつくことも、大観にしかない際立った特徴です。 この章では、これまで展覧会では紹介されてこなかった作品を積極的に交え、大観の特質について考えます。「無我」(1879年)は、最初の1週間だけでした。「村童観猿翁」(1893年)が、この日の最初の作品で、黒山の人だかりでした。以前観たことがあるし、とても鑑賞できる様子ではないので、チラ見です。東京美術学校の卒業制作で、芸大の所有です。猿廻しの翁を師の橋本雅邦に見立て、童たちは同級生の幼顔を想像して描いたそうです。もちろん、首席で卒業です。「菊慈童」(1897年)所有者はタイガーボードの吉野石膏です。「山路」(1912年=明治45年)です。「ザラザラした新岩絵具を油絵のタッチのように使った手法が新しい。惚けた ような人物は「大正」の大観風だ。」とあります。えっと思ったのは、こちらです。「迷児」まよいご(1902年)です。幼子を孔子、釈迦、キリスト、老子が取り囲んでいます。この子は、誰を信じるのでしょうか。それとも各々の聖人のいいとこ取り?明治という時代を表しているようです。
2018.05.15
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13日に天皇皇后も見に行った(会場前にわずか20分ほどです。散歩のついで?)近代美術館の横山大観展に行ってきました。10年ぶりの生誕150年記念回顧展です。本当は平日に行きたかったのですが、他の用事もあってこの日になりました。10時の開館時間をめざして、いつもより早めに出かけました。見えるでしょうか。この日の富士山は、朦朧体です。チケットは、代表作の「生々流転」の最後の部分が使われています。10時ちょうどに着きましたが、すでに10分待ちの行列ができていました。やはり人気ですね。すいているように見えますが、この裏はひと、ひと、ひとであふれていました。*クリックで拡大します。以前新国立美術館で開催された横山大観展以来ですが、今回は「奇想天外」の部分も見せてくれるようです。東京の次は京都開催です。大観は、「想の画家」とも呼ばれています。チラシには、オール大観、夢の競演、100年ぶりの発見、水墨画の集大成などの言葉が躍っています。残念ながら、館内は撮影禁止です。もっともあの状態では、撮影は不可ですね。3会場回って2時間弱。たっぷり楽しませていただきました。天皇はかわいそうですね。退位したら一般人になって、自由に行けるといいですね。前庭は、軽食スポットですが、朝はここに行列です。続きます。
2018.05.14
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十二の鷹以外にも名品がいっぱいです。下に鏡が置いてありました。拡大鏡で見る作品もあります。「命名」という題がついていました。鮮やかな絵皿です。後ろから「イエローストーンみたい」との声が、聞こえました。三代目徳田八十吉作 「耀彩鉢 創生」 1991年 です。本物は?はこちらです。(ウィキペディアより)金属の器です。こんな展示スペースもありました。それなりの作品があるので、じっくり見ようと思えば大変です。適当に切り上げて、千鳥ヶ淵に向かいました。反対側の道路から工芸館の全景をと思いましたが、・・・。やはり、力作ぞろいでふたつ観るのはしんどいです。おしまいです。
2018.04.11
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写真が展示されていた第11室の入り口です。「風と共に」 1990年「線より」 1977年この2作品には解説がついていましたが、私には難しかったです。何に見える?いろいろな見方があろうかと思いますが、感じたことを大切にしたいです。写真の続きです。ホンマ タカシ 「Tokyo and My Daughter」 1999-2010年連作で何枚かあります。上のお台場のほうは、霧がかかってサンフランシスコみたいです。手前は新宿副都心。都庁やNTTドコモタワー、パークハイアット。最後に、難解な?解説がありました。視点を水面にとったユニークな写真です。前回観たセバスチャン・サルガドなどの「難民」をテーマにした展示室は、3月でクローズしていました。彼に別れを告げて、MOMATをあとにしました。PS:春グッズのスペシャル・ミュージアムショップです。桜色のお着物にふさわしいお顔立ちの美人さんでした。お着物姿のご婦人は広尾の山種美術館でよく見ますが、MOMATではめずらしいです。
2018.04.09
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昨日は春の嵐でした。雨は降りませんでしたが、風がとても強かったです。ベランダの花々も一時避難です。羽衣ジャスミンが咲き始めたので、部屋に入れたらよい香りがただよっています。10年以上前の1000円で買ったものですが、毎年香りを楽しませてくれます。さて、MOMAT常設展の続きです。写真の連作です。どこでしょう。日本ではないようです。季節は初夏?どこかで見たような風景です。うん、先に岩山が見えます。岩山にせまっています。登るのでしょうか。最後に、全景写真です。ここかで見たことがある白い岩山です。答えはこちらです。鈴木理策 「サント・ヴィクトワール山」 2001年 です。エクサンプロヴァンスでは、その名もポールセザンヌという名のホテルに泊まり元は生家だったという美術館を訪問しました。サント・ヴィクトワール山は見えましたが、登りませんでした。今回、連作写真を見て、アプローチがこんな風になだらかになっていたのが意外でした。写真家は、ここちよい風を浴びて撮影したのでしょう。ひと仕事した後のワインがおいしそうです。私なら、初夏にあうソービニヨンブランをいただきたいです。こちらは、我が家の「サント・ヴィクトワール山」。今朝久しぶりに見えました。春なので、冬のようにくっきりとは見えません。めずらしく上の方から雲に覆われ、丘のようになって9時頃にはまったく見えなくなりました。参考:ウィキペディアから
2018.04.07
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日本美術院の120年。まだまだ続きます。下村観山 「木の間の秋」 1907年次は、重文 菱田春草 「普賢菩薩」 1907年今村紫紅、小林古径、奥村土牛、小川芋銭、安田靫彦などの作品が並びます。こちらは、荒井寛方 「観音摩利耶」 1939年母の慈愛は、美しさのひとつの要素です。インパクトがあるのは、こちらです。富士山の絵で有名な 片岡球子 「1976年渇仰(かつぎょう)」 1960年 です。第10室はいつも素晴らしい展示ですが、見終わった後どっと疲れます。おまけ:係りの人が、先月まできれいな梅の木の絵が展示されていたというので、2月に行った時の写真をチェックしたらありました。西方利夫 「梅花遊禽」 1976年
2018.04.06
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ビッグネームが続きます。速水御舟 「京の家・奈良の家」 1927年右が京の町家、左が大和棟です。ユーモラスでほっとする感じです。平山郁夫 「建立金剛心図」 1963年鑑賞者の邪魔をしないように右手からパチリです。真ん中にドーンと展示されているのは、前田青邨 「石棺」 1962年小倉遊亀 「O夫人座像」 1953年1926年に院展に入選し、1932年に女性として初めて日本美術院の同人となった。1980年:上村松園についで女性画家として二人目の文化勲章を受章する。1990年から1996年まで日本美術院理事長を務めた。2000年:105歳の長寿を全うして鎌倉で没した。戒名は「大梅院天池遊亀大姉」。(ウィキペディア)とても従来の日本画とは思えないモダンな感じで、お顔が画面からはみ出しています。日本画の可能性を開いた一枚です。作品を保護するためここは照明を落とし、展示のサイクルも短いです。どれも近代日本を代表する作品です。
2018.04.05
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3階の一番奥の展示室第10室は、日本美術院創立120年でした。入るといきなり岡倉天心先生です。1本の木から彫り上げたのでしょうか。作者は、平櫛田中です。 1942年の作。お顔のアップです。美術館入り口に予告が出され力が入っています。第10室には、安田靫彦作「大観先生像」1950年も展示されていました。展覧会のチラシです。目玉は、「生々流転」でしょうか。すべて見たことがある作品ですが、同時展示というのがいいですね。すでにチケットをいただいているので、なるべくすいている日をねらいたいと思っています。でも、きっと混み合うことでしょう。
2018.04.05
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メルヘンぽい抽象画を観たあと階段を降りて、3階の展示室に入ると戦争画のコーナーです。戦争画の第一人者 藤田嗣治 シンガポール最後の日(ブキ・テマ高地)をメインに、マイナーチェンジです。パレンバン精油所攻撃を描いた神兵奮戦之図です。いかにも戦争画といった作品ですが、神兵と言われても今の若い人は何のことと言ったところでしょう。天皇=神ですから神兵というわけですね。自衛隊を我が軍と言った安倍首相ですが、この場合なんというべきでしょうか。安倍軍?なんかしまらないですね。こちらは、壁面いっぱいの大きな絵です。「○○方面鉄道建設」という画題が興味深いです。「戦場にかける橋」で有名なタイの泰緬鉄道の建設現場ですね。今では観光地で、バンコクから1日ツアーが出ています。英国はじめ各国兵士の立派な墓地の陰で、日本の慰霊碑もありました。戦争画には、現地の人とともに働く兵士や現地の人に歓迎される日本軍が描かれています。欧米植民地の解放者としての日本軍を印象付けるためですね。実際は、新たな支配者として君臨し、略奪、暴行をほしいままにし、現地の女性を強制的に慰安婦にしました。過日インドネシアやフィリピンが親日国だと言ったうかれたブログをみましたが、彼らは許しただけで、忘れてはいません。余談ながら、「紫草褒章」とあったので何かと思ったら、どうも紫綬褒章のことのようです。有名な画家を動員して戦意高揚のプロパガンダです。でも優れた芸術家であった幾人かの画家は、軍の意図を超えて戦争の真実を描き出しているようです。物資不足で絵そのものが描けない時代でもあったのでしょう。描きたいという欲求が、戦争画制作を促した一面もあったでしょう。映画でも事情は同様で、亀井文夫監督の「戦う兵隊」(1939年)は珠玉の作品でしょう。
2018.04.04
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抽象画は、この作家が目を引きました。小品がまとめて展示されています。ちょっと不思議な、こころが暖かくなるような作品です。解説文で、パウル・クレーに言及されていたので、同作品も展示されていました。花のテラスという作品です。昨日見たTBSドラマで、亡くなった作中人物がクレーの作品が好きだったというのがありました。好きな作品を見ると、その人の人柄の一端が分かるというか、人物像を表す手立てに使われていました。もっとも残虐非道なナチスのゲーリングは、ルノワールなどの印象派が好みだったとか。ナチスとしては否定的だっただけに、彼のおかげで貴重な絵が残ったと、先日見たNHK日曜美術館「イレーヌ」で、説明されていました。戦争と絵画、権力者と絵画に関しては、興味深い話がゴロゴロしています。
2018.04.04
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いつもは、さっと素通りする版画やデッサンコーナーですが、今回はこの人で立ち止まりました。東京十二題、3枚だけではものたりなかったです。上から、大根がし、雪に暮るる寺島村、駒形河岸。やはり全作展示してほしいです。こちらは、美人画で有名な伊東深水の「夜の池之端」です。知らない作家の作品に出合うのもいいです。日本じゃないみたいと思ったら、その通り米国でした。イーグル・ピークの小道 (ヨセミテ)版画は、小ぶりな作品が多いです。MOMATのような大きな美術館でなく、少し小さな美術館で見るのもいいでしょう。吉祥寺美術館や三鷹美術ギャラリーあたりはどうでしょう。町田には、国際版画美術館というのがあるそうです。https://plaza.rakuten.co.jp/kirkhanawa/diary/201803310000/
2018.04.03
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12月にブログアップして以来ですが、春に展示が変わったのでMOMATに行ってきました。こちらでは、もうハナミズキが咲き始めました。パン屋さんのそばのものは、歌のように薄紅色です。竹橋駅を上がると、観光バスの車列が。さくらの季節です。都心の名所を巡るバスツアーですね。この近くには、機動隊の基地もあります。ハイライト室のトップは、河合玉堂 「行く春」です。大きな作品で、見学者が多く、写真はなかなか取りづらいです。写真ではわかりませんが、桜吹雪が前面に描かれています。長瀞の風景が描かれた、重要文化財です。久しぶりに、展示されていました。今回は、藤島武二の「匂い」も展示されていました。初めて見ました。こちらは、中川八郎 杏花の村やっぱり信州でしょうか。おっ、この絵は。なんで、MOMATでゴッホ?と思いましたが、萬鉄五郎 「太陽の麦畑」です。ゴッホは浮世絵の影響を受け、その母国の若い画家がゴッホの影響を受けたというところが面白いです。重文作品(裸体美人)の作家ですから、お値段が気になります。
2018.04.03
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金屏風の撮影は難しく、しかもガラス越しでは。まあ、イメージとしてご覧ください。現物は、やはり美術館でです。素晴らしいですよ。ガラスがなければもっと良いですが、そうもゆかないですね。カラスのアップを撮影していた人がいたので、わたしも。作者は、この落款の人です。鑑定団の見すぎ?まあ、MOMATなら偽物はないでしょう。あれば大事件ですね。かぼちゃは、「南瓜」だけではないのですね。部屋の入口にあった松篁さんの絵はこれです。母親は美人画の松園さん、父親は?シングルマザーの息子は大変です。1000羽以上の鳥を飼って、鳥の絵ばかり描いていた松篁さん。美人画はなぜ描かなかったのかと思いますが、こんな考察も。哲学者の梅原猛は、『アート・トップ』1978年12月号に掲載された小論で、「上村松篁の花鳥画は、鳥の世界に移された一種の美人画である。」と言う様な主旨を述べている。また、「その根底には、幼少からの『人間嫌い』がある。」とも述べている。(ウィキ)動植物はひとの心を癒してくれます。息子は上村淳之で、3代にわたって芸術院会員。松伯美術館は、松園、松篁、淳之三代の作品を展示。充実の第10室でした。三階の展示は、これで終わりです。
2017.12.23
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高村光太郎の木彫も展示されていました。「兎」と」「鯰」です。もう少し、展示が工夫されてもと思いました。絵に戻ります。早世した作家の晩年の作品ですね。こちらは、小林古径の「茄子」ですが、動物画はなかったのでしょうか。興味深かったのは、こちらです。繊細で精緻なスケッチですね。速水御舟の写生図鑑です。蛾の絵を見て、代表作「炎舞」を思い起こしました。
2017.12.22
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第10室です。この部屋のテーマは「生きるよろこび」です。題材が動物なのでほっとするというか、一息つけきます。最初に目に入るのが、土牛さんの「閑日」です。「鴨」というのも展示されていました。大きな作品で、インパクトがありました。望月春江 「柚暖苑」大家の作品が続きます。御舟の「ひよこ」青邨の「猫」戦争中の昭和19年の作品です。この部屋のハイライトです。続きます。
2017.12.22
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第8室もあの岡本太郎さんを押しのけるような強力な作品です。何やらたくさん出ています。近寄ると。あふれるばかりの突起物、いえペニスですね。その中に女ものの靴やサンダルが。作者は、あの彌生姐さんですね。作品名は、「冥界への道標」です。おなじみの水玉とは違いますが、草間ワールド全開の作品です。手が震えて、ボケてしまいました。同じ水玉でもこちらは、瑛久の作品。題名は、「れいめい」(1957年)です。ところで、この部屋のテーマは、「生と死をめぐる造形」です。美術の本質は、見えないものを見えるものを通じて表現する。見るほうの感性も磨かなければ、いけませんね。インパクトの強い作品が多い部屋で、ほっとする作品です。イタリアを連想する人も多いでしょう。私の一押しはこれです。新しい作品かと思ったら、1954年。私が生まれる前です。
2017.12.21
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少し間があきましたが、再開です。第7室です。アヴァンギャルドなんて、今では死語でしょうか。目を引いたのは、次の2作品です。ともに大きな絵です。こちらは渋谷駅で見る有名作家の作品です。発表当時は斬新な作品、アバンギャルドでも、今では見慣れた作品です。ありふれているなんて言ったら、あの世から岡本太郎さんが爆発するでしょうか。芸術の爆発は歓迎ですが、どこかの国々の暴発はごめんです。
2017.12.20
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次の部屋で注目したのは、こちらです。インドネシアあたりでしょうか。「防空壕」という題ですから、やはり戦争画なのでしょう。戦意高揚とは無縁な高名な日本画家の作品です。こちらも異色な感じです。鈴木良三「衛生隊の活躍とビルマ人の好意」1944年です。解説プレートによれば、今回は南方画だそうです。おなじみのフジタもあります。占領したシンガポールで日本軍が何をしたかは、語られません。今は戦争記念公園(日本占領時期死難人民記念碑)が、作られていますがパックツアーで案内されることはないでしょう。 http://singapore.navi.com/miru/53/これもフジタと思ったら違いました。真似た?解説プレートにあった浅原清隆の遺作となった絵葉書です。無謀な侵略戦争で、多くの若い才能が失われました。戦争を主導した皇室にも見てもらいたい作品の数々です。PS:8500人が殺害されたシンガポールの華人虐殺に関して2017年2月15日の75周年の追悼式では、日本大使の篠田研次が初めて、追悼式に日本国代表として公式参加し、慰霊塔(日本占領時期死難人民記念碑)に献花した。篠田大使は「深い悲しみと哀悼の意」を「日本人の圧倒的多数とともに共有」と慰霊の言葉を述べた。(ウィキより)戦後72年、ようやく公式に和解できたようです。
2017.12.12
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第3室の表示です。う~ん、難しそうな文章ですね。「太陽」「自画像」「ミューズとしての女性」とテーマが多過ぎて未消化ではと思いますが、そんなことは気にせず楽しみました。梅原龍三郎の「黄金の首飾り」(1913)ですね。久しぶりのご対面です。興味深かったのは、自画像の展示です。中村彝、木村壮八、梅原龍三郎、佐伯祐三などの絵がならびますが、麗子像で有名な岸田劉生の描き方が、麗子といっしょの濃い描き方で面白かったです。写真もあわせて展示してあればと思います。第4室は、風景の小品でした。十亀広太郎、織田一麿の作品でしたが、2月には川瀬巴水です。楽しみです。第5室です。機械とメルヘン?変な組み合わせです。MOMATには、めずらしい映像の展示です。衣笠貞之助の「狂った一頁」(10分の抜粋)1926年です。これが、機械とメルヘンでしょうか。お疲れでしょうか。気持ちよさそうに居眠り中のようです。後ろの方では、深刻な絵が。凄惨な拷問のようです。描くのも、作品を保管するのも、命がけの時代でもあったことを伝えたかったのでしょう。共謀罪はあの時代への回帰でしょうか。社会主義だけでなく、自由主義も芸術も弾圧された時代でした。
2017.12.12
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ハイライトの次の部屋です。和田三造の「南風」は、この部屋の主ですが、今回は彫刻作品が何点か展示されています。やっぱり、MOMATは持っているのですね。平櫛田中の「姉ごころ」です。「大葉子」、おばこよ読むのですね。古代のヒロイン、英語のほうがわかりやすいですね。こちらは有名な作品ですね。台東区谷中に作家の朝倉彫塑館があります。お顔のアップです。となりの部屋には、萩原守衛の「女」と並んで、ロダンの「トルソー」が展示されていました。30cmくらいの大きさで、岩波茂雄さんが持っていたものです。続きます。
2017.12.11
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群鶴図の続きです。マティスですが、やはりハイライト室にあると立派に見えます。男性の絵はめずらしいです。ルパン三世を思い起こさせます。安井曽太郎の金蓉(1934年)の隣は、この存在感のある裸体画です。この解説を読んだ家内から、「日本的な裸体美」って何?と尋ねられました。六頭身で二段腹。う~ん、どう答えてよいものか。このポーズは意外と難しいです。下にコツを開設しています。疲れたので、展望室でひと休みです。ここ数年高いビルが増えて、手前の気象庁のビルが小さく見えます。右手には、イサムノグチです。休日のこの辺は、車が少ないです。真ん中には、東京タワーも見えます。アップにするとこんな感じです。続きます。
2017.12.11
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吉祥寺から竹橋に向かいました。この時間は直通がないので中野で乗り換えですが、早稲田で人身事故があったとのことでダイヤが乱れていました。日曜日の午前11時に自殺だなんて、何なのでしょう。師走だからでしょうか。国立近代美術館(MOMAT)です。月に1度の無料観覧日です。前回は東山魁夷でしたが、今回は熊谷守一の特別展に合わせた展示だそうです。気が向いたら後日ブログアップしますが、1点だけご紹介です。加山又造、前回の千羽鶴にかわって、今回は群鶴図(1988年)です。パッと見28羽と見ましたが、いい線いっています。家内の見立ては、30羽でした。この絵の持ち主は、某ビール会社です。美術品を所有している企業は多いですね。出来れば一般に公開してほしいですね。5時前に六本木に異動です。美術鑑賞でおなかがすいたので、日高屋に入りましたが、お客の半分以上が外人さんでした。もちろん従業員も、外人さんです。はす向かいに座ったお嬢さんは、冬だというのにニットのへそ出しルックで目のやり場に困りました。スパイシーかどうか、店員さんに何度もたずねていました。そう言えば、以前銀座の吉野家には行った時も、中国人と韓国人ばかりで中国人の店員さんが中国語で注文を受けていました。らーめんとぎょうざで体が温まり、散策開始です。ふたりで1090円、安いですね。昨年と同じサンタのツリーです。こちらは、モエシャンドンのツリーです。モールの中には、シャンパンバーが開設されていました。テラス席もあります。続きます。
2017.12.06
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上池を半周したら、シャウトが見えました。左側です。作品かと思ったら、サザンカの説明版でした。自然は偉大な芸術家?案内のリーフレット置き場もこの通りです。今日はおじさんのひとり占めです。井の頭公園ではこうはいきません。こちらは犬の散歩ですね。これらの作品名と作者です。みんなで一生懸命想像して作ったのでしょう。アンリ・マティスも真っ青の色使いです。地元の小学生も参加した芸術イベントでした。
2017.11.12
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続きです。「シャウト」には穴が。ついのぞきたくなります。落ち葉の上にも作品が。こどもたちが椅子に座って遊んでいました。イチョウの黄葉が滝のように落ちてゆきます。手前のポンプを押すと、作品の水車がまわります。作品名は、「どこでも水車のある風景 2」ですが、1は見つけられませんでした。写真では、わかりにくいですが、金属のしずくがぶら下がっています。左のおじさんは、作品とは関係ありません。もっと見えにくかったのが、これです。表示がなければ、気付きません。これも作品?こわそうなおじさんですが、こんな場違いなところに、醜悪なポスターを掲げるなんて平和や芸術には、無縁な人だとわかります。やっぱりカネでしょうか。「最後は金目でしょ」の迷セリフは、忘れることができません。「平和を守り、BODERをなくし、多様な社会を」と言いたいですが、お上の押し付けはいけません。
2017.11.12
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善福寺公園 上池では、カラフルな不思議な展示物がありました。何でしょう。トロールの森?トロールについて案内所で尋ねましたが、?です。まあ、いたずらな森の妖精と言ったところでしょうか。いま流行りの野外芸術イベントのようです。ラジオ88カフェ。飲み物やお菓子のサービスもありました。作品かと思ったら違いました。本の貸出サービスです。これは作品?中に入って見上げて見ると。作品の近くには、作者と作品名の表示があります。シャウトという題でしたので、叫んでみました。叫んだら、備え付けの紙にひと言書いて作品に貼り付けます。作品のそばには、可愛らしいお嬢さんが数人。この作品の制作者、武蔵野大学の学生さんたちです。ていねいな作りで、大工仕事がお上手です。続きます。
2017.11.11
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八ヶ岳いずみ荘のチェックアウトは10時です。前日なくした家内のクレンジング液をパノラマの湯の受付に取りに行き、パノラマ市場をチラ見して、泉ラインを行きました。次の宿のチェックインは3時なので時間はたっぷりあります。10分ほど走るとダイヤモンド八ヶ岳美術館ソサエティの矢印が見えます。美術館があるホテルで名前だけは楽天トラベルのHPで見て知っています。右折して林の中の道を進みます。別荘地を抜けてさびしい感じです。要所にある標識を信じてゆくと、立派な建物が見えてきました。駐車場には高級車がずらり。会員制ホテルならではの光景です。ホテルに入るとハロウィーンかぼちゃが迎えてくれました。お化けもいました。こちらは食堂ですね。さて、肝心の美術館はロビー階にありました。写真とスケッチ画のコラボですね。宿泊客はチェックアウトしたのか、私たちの貸し切りでした。こちらは、常設展といったところでしょうか。ピカソ、ユトリロ、ローランサン、ロートレック、ブラマンク、ロダンとおなじみの作品が展示されています。ブラマンクがよかったです。ラウンジの暖炉にもシャガールが2枚展示されています。アップです。ロビーでは新規会員権募集のパネルがありました。900分1の所有権で165万円です。この前の箱根の体験宿泊で、知恵がついた?家内は、「あらこの前の半値ね。」です。もちろん会員にならなくても泊まれます。ただ会員より高くなるそうです。当然ですね。泊まるとしても、うちの場合平日ですから、無理することはありません。楽天の口コミでは、楽天からの予約客への態度が悪いと書いてありましたが、当日質問に答えてくれたフロントの方は、丁寧な対応でした。無料で美術館を楽しませていただいてホテルをあとにしました。なお蛇足ながら、原村の八ヶ岳美術館とは無関係です。あちらは村野東吾設計のユニークな村立美術館で、同村出身の彫刻家清水多嘉示の作品が展示されている素晴らしい美術館です。PS:美術館の中にあるホテルといえば、瀬戸内海・直島のベネッセハウスです。宿泊したのは、ずいぶん昔です。何もない部屋で、夜まで美術館の空間を楽しみました。宿泊客は私たちだけだったので、貸し切りでした。楽天トラベルHPより
2017.10.21
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麻田浩の暗いシュールな絵を観たあと、隣の部屋で展示されていた日曜画家の展覧会を観ました。色鮮やかな絵が多いです。麻田浩の絵を観たあとだったので、ほっとする絵ばかりです。長年やっている人や最近始めた人など様々ですが、みなさんお上手です。東京芸大を卒業した画家が指導しているそうです。その先生の作品も2点展示されていました。帰りも同じ道をサイクリングです。少し上り道です。気温も上がって、少ししんどかったです。途中で吉祥寺のはなまるうどんで天ぷらうどんをいただいて帰宅しました。例の定期券があるので、130円です。交通費も入場料もゼロ円、安上がりなサイクリング&美術鑑賞でした。
2017.10.17
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麻田浩さん、知らない作家です。チラシの通り暗いシュールな作品が大半でした。不気味なものがわき上がってきそうな「原風景」、近未来アニメを思わせる「原都市」。静謐ではありますが、楽園には見えませんでした。核戦争後の廃墟のような作品もありました。原風景をモチーフにした入り口です。麻田浩の世界が始まります。なかなか手が込んでします。1階の展示を見て、ランチタイムです。持参のサンドイッチをいただきました。1階も2階も、中は撮影禁止です。それにしても気が滅入る絵です。作者は65歳で自殺とありました。1997年のことです。肝臓の病気を苦にしてでしょうか。学芸員ははっきりしたことは知らないと言いながら、うつ気味だったと言っていました。今回は、没後20年の展覧会だそうです。練馬との関係は、以前兄鷹司の展覧会を開催したことと、麻田浩に詳しい美術評論家が練馬区在住だということです。日本画家の父辨自の出身地南丹市でも同時開催中です。南丹市?京都の園部だそうです。会期の途中で作品の一部入れ替えがあります。
2017.10.16
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この月は入れ替えが行われて、魅力的な作品が多かったです。菱田春草《王昭君》(1902年) 寄託作品(善寳寺蔵) です。この日も11時からハイライトツアーが行われて、20人ほどの一団がやってきました。ボランティアガイドさんが、王昭君は誰?と尋ねたら、あるご婦人が真ん中の赤いお召し物の人とこたえていました。えっ、どうして?今回はパスしましたが、先が思いやられます。王昭君は、楊貴妃・西施・貂蝉と並ぶ古代中国四大美人の一人に数えられる美女ですね。川端龍子《草炎》に代わって展示されていたのは、加山又造の 千羽鶴 1970年です。黒と金銀のコントラストが印象的な作品です。千羽鶴とありますが、描かれている鶴は5~6百羽といったところです。加山の 天の川 1968年も、3階に展示されています。こちらは、寄託作品なので撮影禁止です。ハイライトツアーはパスしましたが、こんなことが耳に入ってきました。MOMAT課長のおすすめ鑑賞法まず作品を見て、次に表題、最後に解説だそうです。虚心に絵に向き合うことが大切ということなのでしょうね。梅原龍三郎と安井曾太郎同じ年に京都で生まれ、同時期にパリに渡りルノワールとセザンヌの影響を受けたふたり。そんな二人の作品を並べて展示した美術館の意図を感じてほしいとの解説です。3階には、日本画三山の展示もありました。沢山の作品を所蔵しているMOMATならではの、あそびです。東山魁夷の「道」の解説を聞かせていただきました。この道が描かれた後の様子の写真なども示して、丁寧に語っていました。ここでお約束の1時間が経過して、中締めをしていました。1時間で10作品はきついですね。面白いと思ったのは、児玉希望 仏蘭西山水絵巻(海) 1958年 です。右から左へと、7メートルくらいはあるでしょうか。こちらは、少し和風です。他に、山と河があります。http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=2569美術館前の今月の屋台は、長崎角煮です。食べてみたいですが、家内の手前NGです。魚料理を求めて、この後神田界隈をさまようことに、・・・。
2017.10.08
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前回まで15作品をブログアップしました。これに「道」を加えて16作品。最後の17作品目が見つかりません。数え間違い?見落とし?まさか、みんな大作ですから考えられません。ほかのフロアーに展示されている?係員にきいたら、展示箱の中だそうです。秋風行画巻 1952年 です。残念ながらここでおしまいです。大きなスペースの展示台もあるのですから、もっと見せてほしかったですね。それにしても、何とも色あざやかな美しい作品です。最後は、東山魁夷の代表作です。展示は11月5日までです。外国の有名な美術館の展覧会が騒がしく宣伝され、大新聞には〇万人目の入場者達成なんて見識を疑われるような報道が飛び交っています。素晴らしい作品を残している日本人作家の作品を、この秋観に行きませんか。無料観覧日をねらうのもいいです。《残照》 1947年 《道》 1950年 《秋風行画巻》 1952年 《たにま》 1953年 《晩照》 1954年 《山かげ》 1957年 《秋翳(しゅうえい)》 1958年 《木霊》 1958年 《暮潮》 1959年 《青響》 1960年 《雪降る》 1961年 《黄耀》 1961年 《映象》 1962年 《冬華》 1964年 《白夜光》 1965年 《月篁》 1967年 《白い朝》 1980年 他の作品は作者寄贈ですが、「残照」だけは文部省管理換です。長野の善光寺近くの信濃美術館東山魁夷館は、5月から休館中です。(再開未定)千葉県の市川市東山魁夷記念館でも、少し観ることができます。12月からは、「日本画三山-杉山寧・高山辰雄・東山魁夷-表紙絵の世界とデザインの魅力」おしまいです。
2017.10.07
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今回は2部屋にわたって展示されています。後半です。晩照 1954年 です。青響 1960年この絵を見てご夫婦が、川か滝かと言い合っていました。私は滝だと思いましたが、どうでしょう。雪降る 1961年 タイトルプレートには、日本語の他に英語、中国語、ハングルで表記されています。この絵の英語のタイトルは、Silennt Snow でした。映像(えいしょう) 1962年東山ブルーの印象的な作品ですが、うまく撮ることはできませんでした。京都を主題としたシリーズ作品は、広尾の山種美術館が多く所蔵しています。木霊 1958年白い朝 1980年展示作品の中では比較的新しい作品です。ガラスの継ぎ目がかかる位置に展示されていて、正面からの鑑賞はNGです。今回に限らずこの場所の展示作品に関しては、配慮をお願いしたいものです。「冬華」同様白い絵もいいです。残りは何作品?
2017.10.07
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北欧の風景画です。スウェーデンには行ったことがありますが、ノルウェーには行ったことがありません。両国の支店長を兼務するMさんに、今度な夏でなく冬にお越しくださいと言われたのを思い出します。日本では味わえない静寂の世界が体験できると言っていました。この絵もそんな世界なのでしょうか。東山魁夷の作品をはさんで、窮(きゅう)という題の2作品が展示されていました。真ん中に展示された東山魁夷の作品です。両側のブルーの作品にはさまれて、白が際立ち鮮烈な印象です。お隣りは、エジプトです。これくらいなら、ゆっくり観れます。次の部屋に見える作品は、黄耀(こうよう)1961年 です。では、次の部屋に向かいましょう。今回は3作品ご紹介させていただきました。会場には、音声案内の貸し出しもあります。300円です。
2017.10.06
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10月の無料観覧日に国立近代美術館(MOMAT)に行ってきました。今月は東山魁夷ファンの家内といっしょです。この日の目玉は何と言っても、東山魁夷所蔵作品の全作品展示です。本制作17作品が展示されていました。何度も観ている作品ですが、いつみてもいいです。山かげ 1957年たにま 1953年暮潮 1959年反対側の作品や鑑賞者が写ってしまいました。こちらも初めて見た時、とても印象に残った作品です。まずは5点ご紹介させていただきました。展示は、11月5日までで、無料観覧日は毎月第一日曜日です。通常の観覧料は500円です。
2017.10.06
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これは何?美術館の敷地にあった湯雨竹です。熱い源泉を大気に触れさせてさます装置です。下の湯槽に手を入れたらよい湯加減でした。こちらはミュージアムショップです。絵葉書を買い求めました。高価なチョコレートですが、もったいなくて食べれません。名誉館長の岡田和生さんについて、店員さんに尋ねたら、実業家との返答でした。どんな事業?精密機械です。なんという会社と尋ねて、やっとユニバーサルエンターテイメントとの答えが返ってきました。確かに、精密機械メーカーではありますが、・・・。電子パネルの説明板や館内には警備員がひとりだけでした。きっとハイテク美術館なのでしょう。美術館に戻って残りの作品や「深川の雪」発見のビデオを見たら、午後2時半です。せっかくなので、最後に足湯に入りました。美術鑑賞しながら足をつけていると、5分ほどで赤くなります。足が軽くなった感じがします。福井江太郎 「風・刻(かぜ・とき)」縦12メートル、横30メートルの平成の風神雷神図。大作です。木々や雲が映っていろいろな表情が楽しめるという趣向です。駐車場には、観光バスが3台とまっていました。私たちは3時間くらいかけて観ましたが、団体さんはどのくら時間をもらえるのでしょうか。全部見るなら少なくとも2時間くらいはほしいですが、1時間がいいところでしょう。渋滞が予想されたので、3時過ぎに箱根をあとにしました。今回の走行距離は、213km。 18.3km/Lでした。前回が、14.33km/Lでしたから、軽自動車の運転が少しうまくなった?MAX3000回転をキープしました。おしまいです。
2017.10.04
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