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最近電車の中で場違いなエレガントだけれどどこか品のない、物欲しげな服装の女子学生をみかける。これって何?と思っていたのだが。 『CanCam』は20代前半の女性を読者層に持つ』月刊ファション誌である。 「上品でかわいくて、ちょっとセクシー」な「もて服=東京エレガンス系」が売りの雑誌である。「男の子の好きな『激モテ★デニムスタイル」とか「めちゃ☆モテNEW春髪」などなど、とにかく男にどうもてるか、のオンパレード。めざす男とは高収入のいわゆる勝ち組の外資系のサラリーマンや医学部生という。そしてそれらしき男たちがどんな外見、服装の女が好きかという「きら★男」のコメントまでついているという手の込みようである。 しかもこのファション誌の発行部数は53万部にまで伸びているのだと言う。売り上げ好調とかいう。 最近の女子中学生、高校生の中には将来の希望は結婚して家庭に入り専業主婦になる事。だから勉強などする必要はない。と言う子がかなりいる。20代の女性も早く結婚したいと言う割合が昨年より10パーセント余り増えている。 一方では男性はどうかというと自立できず、職業に就いていない、就けない青年、が激増している。 このような子どもたちを大量に作り出しているのは私たち親世代であることをもっと自覚し、考える必要があるのではないだろうか。自分の子どもさえそのようにはならなければ良いと考える親が多いが本当にそうだろうか。 子どもが青年になった時、自立した大人として社会で生きることが出来ないで、どうして結婚したり、家庭を築いたり出来ると言うのか。人間性を豊かに育てる根っこを丁寧に育てる、教育や、子育てが今ほど必要な時代はない。 個というものが単位の現代の核家庭では、男も女も真に自立した人間でなければ築けないということを今ほど明快に私たちに示した時代はかってなかった。個を単位にする家庭や社会は今後、益々加速こそすれ、後退することはない。 そのことを親たちはもっと自覚して子どもと接するべきだ。 少子化で人口減少に悩む日本にとって、早く結婚したい願望の女の子が増えることは歓迎すべきかもしれないが、この子どもたちは家庭は築く前に崩壊する楼閣である。 もうすでに社会現象として、若い幼い家庭は悲惨な事件を次々に起こしている。
2005.01.31
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昨日あたりから私大の入試がはじまり、今日も若者たちが試験にいどんでいる。 私自身の入試も大学の時は苦しんだ。その後何年間もそのトラウマで3月が来ると気分が悪くなるほどだった。最近やっとそのトラウマから解放されたかも。20代はずーと自分の進むべき道が分からず道に迷ってばかりいた。暗い青春時代だった。生きる意味が分からなかった。(今も分かっているわけではないが) 体育系のわが息子も、道に迷い長い暗いくらいトンネルの中を親子ともども何年もさ迷った。高校を卒業してから7年目、今年やっとアメリカでの5年間の大学生活を終了し、社会人として巣立つことになっている。 このわが息子の子育ては、私に人間が大人になり自立するとはどういう事なのか、色々教えてくれた。生きることの凄さ、生きることの奥深さを少し垣間見た気がする。一人の人間が人として自力で立ち、生きることの困難さや、その長い道のりを親と子で体験したことは私の人生にとても大きな転機になった気がする。 生きていく上で見失ってはいけない物は何か、とてもシンプルに親子に示してくれた。 現在、毎年よそ様のお子さんたちの受験に悩む春を送っていますが、入試は子どもの成長にとってなかなか難しい問題をはらんでいる。 しかし、これだけは絶対に言い得る。 入試は人生の通過点のひとつではあるが、絶対的なものではない。しかし、着実な基礎学力、生きていくための賢さ、社会をしっかりと見据える目を若者たちが身につけることは絶対に必要だ。 困難に出会った時、それを切り開く知性を育てることが必要だ。自分の生きる21世紀がどのような社会になっていくのかを考ええるような基盤を自己の中に持つことが必要だ。社会の中で生かされている、世界の中で生きていると自己を見据える目が必要だ。 今の若者は余りにも身辺的になり過ぎている。自分が傷つくことを恐れている。 これでは学ぶことの意義や楽しさは分からないのではない のか。 青春は傷つき、泥まみれで突き進むものだ。 入試もそのひとつ。 そこから自らの力で何かをつかみとって頭おあげて進めば いい。
2005.01.30
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土曜日の午前10時からNHKの土曜インタビュー。この番組は現代の社会の中で、色んな分野で、草分け的に道を切り拓いて懸命に生きている人々を三宅民夫アナウンサーが訪問して話を聞くトーク番組である。三宅アナの素朴でやわらかな語り口が登場する人の懐を深く開き好感の持てる番組である。 特に道に迷い苦しんでいる若者にはぜひお勧めしたい番組である。今日29日には鼓打ちの大倉正之助氏が登場した。氏は600年続く鼓の名家、大家の家に生まれたが、若い時家に反旗を翻し、家を捨て、農業で身を立てようとした。その後、紆余曲折して再び鼓に到達した。彼の敲く鼓の音は魂の叫びだ。能とは何か教科書で習うと眠いけれど能とは何か彼の鼓の音と語りは心に浸み込んで納得できる。その音には現代の迷路の中で必死に探し求めた真実がある。日々の想いの切実さがその間にその呼吸にこめられて音になつて響く。遠い昔の民たちもきっとそうだった。鼓を打つことは生きることそのものだったのだと。現代の我々は豊かに思う「間」を失った豊かな想いを間にこめた鼓の音は心の中にしみわたる。能の原点はこんな所にあったのだと目から鱗。
2005.01.29
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サクサクと霜柱を踏んで朝の散歩。吐く息が白い。サクサクと霜柱を踏んで学校に通った幼い日の通学道を思い出す。今の若者たちの多くは霜を見たことがないと言う霜という字が読めない。「車のフロントガラスにくっいているあれが霜なんだ」と驚いて納得する。今の若者たちの95%は露を知らない。お日さまが高く上ってからしか起きない、アスファルとビルヂングの中の若者たちは露を見たことがないと言う。理科で露点の学習をした日、彼らにとって露点とは試験のときに点を取るための知識の羅列のひとつに過ぎない。露をコロコロとサトイモの葉っぱの上を転がして遊んだ幼い日々の体験が「露点」という概念を学んだとき露や霜のことがストーンと胸に落ち感動したあの学びの楽しさを今の子どもたちは知らない。現代の子どもたちに、学ぶ楽しさを生きる力にする事の困難さがここにある。しかし、私たち大人は学ぶ感動を生きる楽しさを子どもたちに伝えなければならない。霜がふる、露がおりる。この言葉は現代ではほぼ死語になろうとしている。
2005.01.28
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今日がこのHPの日記の第一日。朝、愛犬のゆめ(パピヨン)と散歩するのが日課のわたし。今朝の気温も1度でかなり厳しい冷たさ。でも風がなく穏やかな朝。何時もの散歩道のハナミズキの街路樹やさくらの枝が凛とした朝の空気を突き破って、真っ青な青空にぐんと伸びていた。その枝に力強い命の息ぶきが感じられ春の近いことを実感してとても気持ちのよい朝の散歩だった。でも、今週の土曜日あたりからは大学や、高校の私学の入試が始まる。私のところに学びに来ている若者立ちも人生の初めての試練に立ち向かい神経ぴりぴり。あの裸の木々の内に秘めたエネルギーのごと若者たちも心の奥深くに潜むエネルギーを探し求める旅立ちの春がくるといいね。どんなに長い暗い道のりでも、粘る強く歩み続ければ明かりが見えてくる。
2005.01.27
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